スズキマニア

彼女の甘い吐息に包まれ、私は墜ちていく。

ダメだ。全然ダメだ。まったく意欲が湧いてこない。
そう、この状態をたとえるならガス欠したクルマだ。いくらキーをひねってもエンジンがかからない。当然だ。ガソリンがないのだから。
今の私と酷似している。今の私にはエネルギーがないのだ。だから体が動かない。
クルマの場合はガソリンスタンドで給油。私の場合はなんだろうか。
そうだ、気分転換に酒でも飲みに行くか。こういう時は男友達に限る。気の合う仲間と酒を酌み交わすのだ。うん、そうだ、そうしよう。じゃあ早速電話してみるか。
「センセイ、いい加減にして現実と向き合って下さい」
ツカハラ君が私を睨む。だがその迫力は彼女の美貌を際立たせる方に向かう。
艶のある黒髪、卵型の輪郭に整った目鼻立ち。しかし三十路前には見えない幼さがある。
「私は現実を直視しているよ、ツカハラ君。今のままでは良い仕事はできない。刺激が必要なんだよ」
「それがお酒ですか?」
「いけないかね?」
「当たり前です。原稿の締め切りは今日なんです。書き終えてもいないのに飲みに行くなんて言語道断です」
そう言ってツカハラ君は両手を細い腰にやって胸をそらせた。胸の大きさがあらわになる。ブラウスのボタンが飛んでしまいそうだ。つい視線がそちらに向く。
「やっぱりセンセイは現実が見えていません」
ツカハラ君はその大きな胸を強調するように今度は背筋も伸ばし、壁時計を指差した。
「今、朝の九時ですよ。しかも平日。こんな時間に飲みに行く人がいますか。だいたいお店が開いていません」
「それもそうか。じゃあやめだ」私は諦めが早い。
「さあ、センセイ。くだらない事言ってないで書きましょう。私も一緒にアイディア考えますから」
ツカハラ君は私の背中を押しながら椅子に座らせた。香水の香りが鼻孔を撫でる。
机には白紙の原稿用紙と万年筆。そう、私の職業は作家だ。これで世界を変えてやると意気込んだのは今は昔。夢と現実のギャップに慣れてしまった作家だ。野心と野望を忘れ、真摯を妥協に変え、ただ惰性でジグソーパズルのように文字を繋ぎ合わせている毎日だ。
だから私の本はベストセラーなど無縁だ。ましてや賞をとるなどもってのほか。だが私の本は確実にある一定の部数は売れる。それは私のコアなファンの方々のおかげだ。誰が名付けたかその人達は『スズキマニア』と呼ばれており、そんな何故か私の文章の虜になったありがたくもあり少しだけ怖くもある方々で私の生活は成り立っている。
私の本の出版元はツカハラ君の勤め先の『黄昏出版』のみ。理由は簡単。
ツカハラ君が生粋の『スズキマニア』だからだ。
「そんな事言ってもね、ツカハラ君。私は今、ネタ切れなんだよ。ぶっちゃけやる気が出てこないし。それでも書かなきゃダメ?」
「ダメです。センセイの作品を心待ちにしている読者がいるんですよ?その人達を裏切るんですか?」
私の目の前の『心待ちにしている読者』が恨めしい視線で射抜く。下手な事言ったら本当に刺されそうだ。愛憎は表裏一体なのだから。
「冗談だよ、ツカハラ君。書くよ。ただネタ切れなのは事実。何かアイディアはないかね?」
「う~ん、そうだ。センセイの作品の一番人気の『カマイタチ』の続編。これはどうですか?」
「あれを?また?」
「はい。うらぶれた中年男が実は伝説の殺し屋だったなんてワクワクしますよ」
「でももうネタバレしてるよ」
「いいじゃないですか。カマイタチに誰か適当に殺させればいいんですよ」
「ぞんざいな言い方だな」
「それじゃカマイタチを更に伝説にしましょうよ」
「?というと?」
「友人を殺された怒りで秘めた能力が目覚めるんです。髪が金色になってめちゃくちゃ強くなるって言う」
「それ、スーパーサイヤ人だろ。パクリはマズいよ、ツカハラ君」
「大目に見てくれませんかね?」
「ムリだろ、あそこは」
「ですよね」
「編集者の言葉とは思えん」
「じゃあこれはどうですか。『宝石泥棒ハニー』の続編」
「また続編モノ?」
「はい。美しい宝石泥棒ハニーに起こる奇想天外で愉快な物語。恋の行方も気になる読者も多いですよ」
「でも結局あれって泥棒している描写がないんだよね」
「だったらそれを書きましょうよ」
「書いたらボツにしただろ、君が。つまらんと言って」
「そうでしたっけ?」
「編集者の言葉とは思えん」
「あっ、そうだ。『ウサギのレニー』があるじゃないですか。その続編、書いてましたよね?」
「ああ、『ウサギ、海に行く』ね」
「それですよ。失恋した飼い主のミチコさんと一緒に日本海に行く話でしたよね?あれ、どうなりました?」
「お蔵入りだ」
「え〜っ。なんでですか?」
「前回の『ウサギ、月に行く』は絵本のパクリで今度も絵本のパクリだからだ。それもえげつなく。しかもオチが一緒で絵本の作者も一緒。さすがに二回はマズい。そもそも面白くない」
「う~っ。残念」
「て言うか君、さっきから自分が読みたいモノ言ってるだけだろ」
「バレました?」
と言ってペロッと舌を出すツカハラ君に私は年甲斐もなく胸が高鳴った。その品良い唇から出た赤い舌に吸い取られたい衝動が起きる。
私は急に恥ずかしくなり、ツカハラ君からうつむいて視線を外した。
「センセイ」ツカハラ君が私を呼んだ。顔を上げるとツカハラ君の顔が私の目の前にあった。私はドキッとして身を引いた。
「な、なんだい?ツカハラ君」
「センセイ」
もう一度呼ぶと同時にツカハラ君は私を床に押し倒し、馬乗りになった。
「ツ、ツカハラ君。どうしたんだい?」
私は予想外の展開にしどろもどろになった。
「私の憧れの人とずっと一緒にいてなんにもないなんてもうダメ。限界。私、センセイともっとわかりあいたい」
潤んだ瞳のツカハラ君が荒い息でささやく。かがんだ胸元から柔らかそうな谷間が目に飛び込む。そこにあるホクロがたまらなく卑猥に映る。
「ねえ、センセイ。いいでしょ?しようよ、センセイ」
ツカハラ君が腰をくねらしながら私のズボンのジッパーを下ろした。まくれ上がったスカートから赤い下着が丸見えになる。
「ツカハラ君」
肯定の証に私もツカハラ君の下着をずりおろした。
「あああっ、センセイェ」



「と言うプロットなんだが。どうだい?ツカハラ君?」
「ボツです」

おわり。

スズキマニア

読んで下さりありがとうございました。
新年一発目にはふさわしくない作品でした。
ごめんなさいね。
でも、ご意見ご感想など待ってます。
よろしくお願いします。
ではまた作品で会いましょう!

スズキマニア

締め切り間際の小説家鈴木センセイ。無事作品は仕上がるのか?興味のわいた方は前作『鈴木センセイ』も合わせてどうぞ。

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-01-14

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