practice(162)



 舞台脇に設えられた放送ブースには覗き窓があった。どう使うのか分からない,緞帳とは別の,緞帳の子分みたいな厚い布が巻かれた状態でそこからの視界を遮り,舞台上で行われているものは大体見えない。リハーサル前とかだと,入学一年目の年少の子達がそこではしゃいでぐるぐる回る。あるいはじーっと息を潜め,探す子を躱し,けれど辛抱出来ずにクスクスと笑う。それから逃げる。バタバタと遠ざかる足音は,いつもパイプ椅子が置かれている反対側へと向かっていく。ダンッ,と舞台を飛び降りるやんちゃも短い階段をまた登り,先生に見つかる前に走り回る,そんな気配を伝えて来る。この覗き窓は,連絡事項を速やかに受け取るために開けっ放しのブースの扉の助けを借りれば,そんな緊張と浮き足立った雰囲気を上手に見せる。マイクテスト,マイクテストと入れたスイッチに語りかける担当の子と,デッキに収まっていたカセットテープを取り出してすぐにケースに入れ,準備しておいた新たなカセットテープをそこでスタンバイさせる,僕は顧問の先生に言われた注意事項を思い出して,ボールペンで書かれた時間を早送りで秒刻みに,細かく合わせた。停止ボタンから再生ボタン,置いてあったヘッドホンから漏れる音は大きい。今は最大まで上げられたつまみは,本番までに下げられる。
「賑やかだね。」
 担当の子はスイッチを切って,言った。僕はそれに,首を傾けた。
「外?それとも,これ?」
 再生されたテープからは,これから行う演劇の一場面に合わせたテンポのある音楽が流れていて,耳の空いたヘッドホンの狭い空間からも,それが飛んだり跳ねたりな動きに適したものだと分かった。
「うん,それ。聞いたことないけど。ああ,でも,外も大分騒がしいね。」
 今気付いた,という感じだった。内容に溢れて意味を捉えられず,待ちわびているという感じを騒がしさは残す。ストッパーなしの,重い扉はきちっと開いて,小道具が遊ぶ箱をかちゃかちゃとさせて,裏方の子が走っていった。誰かを呼んだ。二人してそれを聞いて,担当の子はマイクの位置を直し,僕は停止ボタンを再度押した。
「笑っちゃたりしたらごめんね。」
 担当の子は真面目に言った。
「前みたいに?」
 僕は茶化して,それに答えた。ケースに入れられた紙には曲順がびっしりと並ぶ。
「僕は『キュー』を見逃さないようにするよ。」
「そこの覗き窓でしょ?」
「そう,そう。」
「タイミングが大事だもんね。しかも劇。大変だ。」
「ミスするなら,こっちかも。」
 ケースをひっくり返して,テープの収まっていないスペースを見ながら僕は言った。
「お互い様。そうだね。あれ?『緞帳もどき』が動いてる。」
 担当の子がそう言って,覗き窓から僕も見てみた。もぞもぞと,確かに厚手の布が動いていて,紙で出来た長い耳や,緑の大きな手が高く跳べる最終確認,とばかりに下枠から元気に現れている。しーっ,と指を唇に当てて,首から笛をぶら下げたジャージ姿の先生が出て来れば,出番を待つ動物たちは列をなして,スタンバイをした。
 先生が一度,こちらを見た。オーケーサインを送った。二人とも。
「さあ,座ろうか。」
 運び込んだパイプ椅子がぎしっと鳴る。重いドアが開けた入り口からは,騒々しさが小さく小さくなる,大きな準備が整ったことが知らされる。こほん,と締まりの良い合図も,聞こえる。
 ぴんぽんぱんぽーん。
 スイッチがオンされた。ケースが再度,ひっくり返された。
 


 担当の子は真面目に言った。
「前みたいに?」
僕は茶化して,それに答えた。以前,その子がアナウンスをしている横で,僕が言ったことが笑いをこらえた声までお知らせに含ませてしまい,それを聞いていた先生の一人が様子を伺いに来て,顧問の先生が釈明に追われた。苦虫を潰したような表情を前にして,あとで僕が軽く小突かれたのだった。
「ごめんね。」
 担当の子はもう一度,真面目に言った。
「いや,まあ,仕方ないし。しょうがないよ。」
「うん,でも。」
「それよりも,」
 と僕は話題を変えるために質問する。
「なんて言ったんだっけ,あの時。」
 担当のその子は,真面目な顔から悩んだような顔へ。それから不思議が生まれた顔のまま,僕に質問を重ねた。
「なんて言ったっけ?」
 きょとんとしたまま思い出すことを頑張り,何もしなかった時間,口の中で噛むチューインガムの音を飲み込むように,気を付けた。西日の射す時間。
 「あっ,」
 と言って思い出されたことは,ひょいひょいと手招きされて,逃げないように包まれた。パイプ椅子が鳴って,舌が空気と言葉を操る。



 舞台の上で,曲に合わせて,小さい耳が元気に踊る。

practice(162)

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-14

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