短編SF 『プロメテウスの涙』
私たち人類の永遠のテーマです。
久しぶりに考えてみました。
ほんと、久しぶりに帰ってきました。
「くそーッ、騙された!」
ドアを開けると、叫び声が俺を待っていた。
一番乗りだと思っていた俺の、まだ醒めていない頭に不意打ちだ。
(いったい何が起こったと言うのだ。)
見るとハヤシ係長、つまり俺の上司の声だった。
それも俺に向かって訴えているようだ。目が合ってしまった。
(迷惑だ、とても迷惑だ。)
「何に騙されはったんですか?」
俺は心と裏腹に、思わず部下としての合いの手を入れてしまった。
そうでも言わなければ、この上司は納得しないタイプなのだ。
三年のあいだに培った俺の習性は、我ながら哀れだが今更どうしようもない。
「プロメテウス、この映画には騙された、何が人類はどこから来ただと、ったく!」
美人の奥さんがプレスした、折り目のきいた真っ白なワイシャツ。
そのお腹のボタンが飛んでしまいそうな係長の喚き。
いっけん丸顔で小熊のような顔つきだが、気に入らないことには頬を赤くして激昂する。
「蓋を開けたら『エイリアン』の前日譚じゃないか。馬鹿にしやがって」
――ああ、それか。それは、たしかに俺もそう感じた。
呼び込むキャッチ・コピーが、確か『人類の起源は?』と、
SFファンの最も渇望している疑問に応えるかの内容だった。
――しかし断言ではなかった、疑問符がついていた。ここが味噌だな。
推理ものや大作映画にありがちな、映画情報を小出しにする作戦をつらぬいて、
解禁当日を迎えるといった手法の公開だった。
ファンにしたら堪らない、しかしそれが公開前の快感であったりもする。
「先輩、そういえば随分前から言ってましたね。さすがリドリー・スコット監督だと」
俺は満面の笑顔で係長を慰めにかかる。
「それに、久々に大問題作をたずさえて登場だなって」
早めに慰めないと今日の仕事に支障が出てしまう。
「あの不朽の名作、『ブレード・ランナー』以来でしたね。係長が監督のファンなのは?」
俺は慰めの『つぼ』を心得ている。
「あ、ああ、そうだ」
怒りを静めるには、先ずファンの心理を認めてやることが大事だ。
そして怒りの矛先を変えるのだ。
俺は係長の顔を一瞥して、机の上に鞄を投げだし足早に自販機にむかう。
そして砂糖多目の係長の分と、ブラックのホットコーヒーを両手に持ち、俺は席に戻る。
そしてカップを渡すと、係長は怒り顔を崩し、
「おお、すまん」
と少し落ち着いた声で受け取った。
実は俺も係長の感化を受け、久々に映画館に足を運んで、
その映画を3D日本語バージョンで見ていた。
俺は一人で見に行ったが、やたらとCG処理の多い今時の内容だなと思った。
だが巨額の制作費を費やしただけあって、それなりに面白く感じた。
係長とは以前にさそわれて一緒にSF物を見たことがあるが、
その際の係長の映画の講釈、うんちくの嵐にへきえきした経験がある。
それからは何かと言い訳を作っては、
俺はもっぱら一人で、係長とは時差鑑賞することにしている。
「ハヤシ係長、確かにあのキャッチ・コピーは少し問題ですね。はじめからエイリアン・ビギンズ位で謳っておけば、ファンは納得したでしょうにね」
――今日の俺はわりかし良いことを言ったと思う。
俺はここで話題を変えた。(これで、もう大丈夫だ。)
社内的にクールビズであるのに、ハヤシ係長は営業上のこだわりで、
げんかつぎの黄色いネクタイをいつも締めている。
まっ、根っからの古典的営業マンである。
何事に対しても情熱的かつパワフルで、お客からの受けがいい。
逆に自分の期待に対する裏切りには、一度感情を爆発しないことには、
容易にエアー抜きが出来ないタイプである。
やがて二人きりで会話していた空間に、次々と社員が出勤して来て、
今日も事務所内は仕事モードで動き始めた。
俺と係長も営業部長を中心とした朝礼の輪に入り、今日の予定等を打ち合わせした。
このころには、すっかりガス抜きのできたハヤシ係長は、仕事やる気満々の顔をしていて、
俺は一安心の顔である。
ハヤシ係長とペアを組んで三年。俺たち二人は三十名ほどいる営業社員のなかで、
『今世紀最強のコンビ』だと呼ばれている。
係長の運転で営業に出て、俺は飛び込み専門。
そして程よいタイミングで、俺のチョン掛けした客を落とすのが係長の専門である。
俺たちは初対面の客を相手に『夢』を売るのが商売である。
世間で物売りは多いが、『夢』そのものを売っているのは俺たちの会社位であろう。
単に『夢』と言っても色々とある。それこそ十人十色の世界である。
セピア色から極彩色まで多種多様なバリエーションが、俺たちには揃っているのだ。
今日は先週からの継続で、五次元の『亜空間街』から始める段取りであった。
俺と係長はエレベーターに乗った。 六人定員、実用本位の箱の中は狭い。
ハヤシ係長は数字盤ではなく、横並びの英記号でパズルのような表示盤を、
体毛が目につく指先で何個かタップした。
するとかすかな運転音がして、箱は(前に)移動した。
一般客の使用する階はもちろん上下階だ。
エレベーターの扉が開くと、いつものように真っ白な光源の空間が俺たちを待っていた。
部屋全体が真っ白な中、部屋の中央に真っ赤な車が一台きり置かれている。
そのよく磨きあげられた車は、ハヤシ係長の愛車『ボルボ改3号』である。
俺は係長ほど車が好きではないから性能までは解らないが、
何でも係長によると『世の中で一番安全な車』であるらしい。
俺たちは車に乗り込み、座りベルトを締める。
それは運転席というより、飛行機のコックピットのような空間である。
座った瞬間にスイッチが入り、計器類のLEDが点灯し作動する。
エンジン音は聞えない、そのかわり高圧の電気をチャージする音がする。
そしてフロントガラス中央にエアホステス姿の上半身が、あらゆる計器情報とともに表示された。
「やあ、ビーナスおはよう。相変わらず、今日も美しいね」
「あら、相変わらずじゃないでしょう」
屈託のない表情で語りかけた係長に、フランスの美女が流暢な日本語で返してきた。
「初めてだね、そのイヤリング」
彼女いない歴三年の、俺も負けずに声をかける。
すると嬉しそうに女はチャーミングな笑顔を返してきた。
どうやら若造である俺に気がありそうだ。一度食事にでも誘いたいものだ。
朝の挨拶代わりの冗談を交わしながらもハヤシ係長は、
目の前のカーナビになれた指先で行き先を打ち込んでゆく。
すると最後に今朝の二人の自動検索された体調データが表示された。
身長一八三㎝、体重八〇Kgの毛深いハヤシ係長と、
かたや一七八㎝、六二Kgの進化人間(つまり体毛薄い)の俺たちのデータに確認ボタンを押す。
このデータ値が移動にとって重要なのだ。
見ると十番待ちであった。今朝は休み明けのせいか随分と空いている。
やがてOKサインが点灯すると同時に、車前方の壁がオープンする。
俺たちは照明の点灯した四番ライン(長さ約百m)の滑空ラインに進入して出発だ。
係長は惚れ惚れするほどのコントロールで、
型は少々古いが安定感の良い赤色ボルボを、スピード全開にしてぶっ飛ばす。
その瞬間、半円形の周辺壁は多色に変化して後方に流れ去ったかと思うと、
車は宇宙空間のような漆黒の世界に突入する。
そして数秒後、車の周りの漆黒がきれた(境界ゲートを過ぎた)瞬間に、
異次元世界への移動が完了である。
係長が減速すると軽いショックを感じて、車体は白い車道に着地する。
するとボルボは、通常の車道運転に切り替わるのだった。
車は街外れの高速レーンをしばらく走る。
この車道は往復二車線しかない。どこまでも側壁のない車道は、
朱赤の空と碧い大海原の中をあっけらかんと延びている。
車は俺たち以外には一台も走っていない。
このレーンは四次元からの訪問客専用レーンなのだ。
やがて『五次元にようこそ』の看板(訪問客の言語にあわせて変化する)に迎えられて、
進路が八方向に別れている場所に来ると、
ボルボのオート・カーナビは『Gブロック方面』を選択していた。
係長は軽快にハンドルを切りナビに従った。
やがて五、六分ほど走ると、
それまで朱赤の空と碧い海以外に何も存在しなかった前方に、
やっと異形のビル群が確認できる場所までやってこられた。
「やれやれ、やっと到着か。今度の街は五次元でも少し毛色の違う街だと聞いたが、
……少々どころか、まったく生気が感じられないなあ」
街に近づくにしたがって、
係長のボヤキともため息ともとれる言葉が口に付く。
俺も妙に緊張してうまく相槌が打てない。
やがて専用道を下りるとGブロックに着いた。
――ここの住民は皆が皆、寝たっきりなのだ。
朝だというのに路上には人の子一人もいない。深閑としていた。
ここで俺は車を降りて個別訪問の開始だ。
よく見ると路上の端や物陰に唯一動物が確認されて、それは臆病者の猫たちだった。
人間に警戒心をもっているようだ、じっと俺のほうを見ている。
このグリーン色の街は、猫たちだけが路上を闊歩する不思議な街空間だ。
ここの住民は、俺たちとは違う進化の道を選んだ人間たちだという。
太陽が昇ろうが夜が来ようが、彼らは徘徊さえもしない。
二十四時間のほとんどを夢の世界で生きる住人なのだ。
だから他人と係わり合う機会もなく、家族と会話を交わす機会さえもない。
そんな彼らを支えているは、
彼らの祖先が構築してきた『介護ロボットシステム都市機構』であるという。
住民は高度に発達した『日常生活維持システム』の家に住み、
何もかもロボットによって介護され、一生をベッドの中で過ごしている。
それは過去の永い戦争の歴史からの脱却をはかり、
『平和主義』を掲げて、やっとたどり着いた究極のシステムであると言う。
だから人間同士が争うことの、まったくない都市である。
俺たちが、
「一日中寝ているなんて魂の堕落だ」
と一概に責める訳にもいかない。
人間の持つエゴや欲望の世界から脱却するためには、
全ての住人の意識が親密に繋がる必要があるとの、彼らの論理も一理ある。
そのために個人的な自由本位の日常生活を、住人は捨てねばならなかったと言う。
到底、俺たちの理解の及ばない世界に彼らは住んでいるのだ。
俺たちに解っていることは、
彼ら個々が見る夢は、俺たちとはまるで違っているってことだ。
俺たちの夢が見るたびに内容が違っているのに対して、彼らの夢は連続しているらしい。
つまり一生に見る夢のすべてがストーリとして繋がっているってことだな。
それって、夢の中に人生が存在していることになる。
目を開いて過ごす悲惨な現実から逃避をはかり、
夢の中の幸福な夢に一生を支配されている訳になる。
ここの住人はきっと完全なる当て外れのない薔薇色の人生を、
皆で共有しているのだろうか。
この次元の国家で作成されたPG(ピージー・理想的な平和のなかで過ごす一生プログラム)は、
先月現在までに八百万パターンを越えたそうだ。
ここ亜空間の住人世帯は一千五百万世帯余りだそうだから、
まだまだ個別ストーリの種類が少ない。
つまり人によっては他人とまったく同じストーリの夢人生を送って、
その一生を終える人々が多いということだ。
そこでここにきて、
「人とは同じ人生を送りたくない、自分らしい一生でありたい」
と言う住民が増えてきたのである。 またそれに加え、
この国家システムになって、古い世帯では五世代目の生まれ変わりの周期を迎えた。
だから、生まれ変わりの人によっては、
二度に渡り、前世と同じ人生PGを繰り返す例が確認されるに及んだのだ。
住民には『夢』の選択権は認められていない。
産まれるとすぐに役所ロボットが『遺伝子組込PG注射と施術』を行い、
その人の一生が決まるシステムである。
可哀想にこれでは、たとえ夢の内容が気に入らなくても逆らいようがない。
そこに目をつけたのが俺らの会社である。
ともかく彼ら住民には『夢』の質が命なのだ。
それが切実なる彼らの願いである。
まさしくその需要に応えているのが、
俺たちの豊富な『商品レパートリー』というわけだ。
――俺はA4サイズのジュラルミン・ケースを持ち、
上空から見ればまるで蜂の巣状の集団住宅の一つに足を踏み入れた。
ひたすら静かで、やたら気味が悪い。
俺は住民の部屋の、六角形ドア・チャイムを押す。
緊張の一瞬である。 気配をノーマルに保っていないと、
感性センサーのスキャンにひっかかりドアは開かない。
一度ひっかかると記憶され、
この住宅街では二度と扉を開くことができないのだ。
又しつこい営業だと判断された場合には、『訪問撃退システム』が働く。
場合によっては命を失うこともあるのだ。
実際過去に開拓精神旺盛だった俺の同僚が、この街で命を失っているのだ。
数秒間の沈黙のあと、
「どなたですか?」
と返事があった。
俺はホッと一安心して大きく息を吸い込み言った。
「区役所の方から伺いました」
と応える。
すると金属音がしてドアが開いた。
俺が中に踏み入ると、十二㎡ほどのスペースに住人の寝るベッドと、
すぐ横の充電兼用椅子に腰掛ける人型ロボットが俺を迎えた。
ナースをイメージしたのであろう格好で、いやにバストが強調されたロボットだ。
部屋全体がシステム化されていて、バスやキッチンなどがうまく組み込まれている。
ここは個人タイプの間取りだった。
「今日はなんの御用でしょうか?」
ロボットが喋る。
俺はそれを無視して、ベッド横のカルテ(個人データ)を素早く読み取る。
「ぎんもじ、あたろうさん、少し目を覚まして下さい。福祉課のリャンメン(偽名)と申します」
俺は全身を覆ったシーツの、顔の部分をめくりながら言った。
現われた高齢皺の顔には目と眉が無い。
瞼はPGによる遺伝子操作によって、顔の皮膚に同化しているのだ。
だが薄い皮膚の下の眼球が、緊張でせわしく動いているのが俺には解った。
鼻と唇は酸素マスクのような物に覆われているが、ほぼ人間らしさが残っている。
男女とも頭髪はもとより無い。
耳にはイヤー・ホンのようなものが付いているが、それは脳波鑑識センターに繋がっていると聞く。
どうやら『銀文字亜太郎氏』は、目を覚ましたようだ。
俺は彼らが目を覚ました状態が、実は俺たちが夢を観ているような感覚に近いことを、
会社の講習会で学んでいた。
今の彼には俺の姿がどう映っているのだろう。
幸福人生の彼には、神々しい神様にでも観えているのだろうか。
「銀文字さん、少しあなたの人生について聴きたいのですが、良いでしょうか」
「いいですが、突然に何でしょう」
ベッド横に座る介護ナースが無表情に答えた。乾いた声だった。
ベッドの彼とロボットの神経回路は繋がっているのだ。だから銀文字亜太郎氏は、
生まれて一度も自らの口で言葉を話したことがない筈である。
「いえ、実のところ私は、区役所から依頼を受けて訪問しているのではありません」
いきなり素性を明かす俺の台詞に驚いたのであろう、
しばらくの間、沈黙が部屋を支配した。
「実は私どもの調査によりますと、この地区の五〇パーセント近い住民の方々が、
人生を終える際に、この世を去りゆく虚しさにおそわれるとの声を戴いております」
沈黙は継続している。
「そこで確認いたしますが、銀文字さんは、今日までの人生内容に満足されていますか?」
すでに沈黙が混乱の領域に入ったようだ。
ナースロボットの頭に並んだ四個のランプの一つが、赤く警戒点滅を始めた。
「やはり、銀文字さんは自分の人生観に、疑問をお持ちのようですね」
さらに俺は言葉で煽る。
「自分の人生に少しでも疑問をお持ちであれば、私どもは、
そのあなたの疑問のすべてを払拭できるピージー《PG》を持ち合わせております」
見ると介護ロボットの警戒モードが、
四個の赤い点滅によって最高潮に達したことを語っていた。
このあと、俺の同僚はロボットの胸(悩ましき乳房の位置)から連射された銃弾で、
命を落としたのである。
死んで男冥利だなんて言ってはいられない。
――まさしくその刹那、すばやく部屋に飛び込んできたハヤシ係長が、
ロボットに袋を被せてそのまま後ろに倒す。
ナースの胸から発射された銃弾は天井めがけて逸れた。
同時に俺は飛び掛り、ロボットの首の後ろの強制停止スイッチを押す。
「ビューティフル、さすが係長!」
間一髪のタイミングであった。
「よし、もう大丈夫だ。怪我はないか?」
ガス抜き充分の係長、部下を思いやるゆとりがある。
「はい、大丈夫です。次の工程にかかります」
言って俺はジュラルミン・ケースを開けて、
すばやく取り出した吸盤付きコードを、ベッド上の銀文字氏の両目あたりに押し付けた。
そしてスイッチを入れると、ケースのモニターに投稿スペースが現れた。
俺は巧みにキーボードを押して『言葉文字』を打ち込む。
『銀文字さん、心配しないで下さい。私どもは決して怪しい者ではありません。
我々は夢を売るのが商売です。皆さんの要望に応える内容の夢を数多く取り揃えています』
そこで一息入れると、モニターに恐る恐る文字が現れた。
『夢などいらない。私は夢見ることよりも現実のなかに幸せを感じている。
げんに今も多くの家族に囲まれて、金婚式の祝福を受けている最中じゃ』
『申し訳ないのですが、あなたの言うその現実は夢であり、実は現実では無いのです』
冷たく俺は言う。
『夢だと? 馬鹿なこと言うんじゃない。現実で無くてなんじゃと言うのじゃ』
――よし、俺たちの待っていた常等パターン通りの反応だ。
『銀文字さん、あなたはすでに気づいて入る筈です。自分の人生に対する感動が、
年齢を重ねるごとに薄れていっていることを』
『???????……』
モニター全体が『?』で埋まった。
俺たちには銀文字氏の心の動揺が実によく理解できる。
『お前たちは一体何者だ、どうして俺の夢の中にいるのじゃ』
おそらく銀文字氏の言う夢の俺たちの姿かたちは、彼の脳がつくったイメージに違いない、
一度観てみたいものだと思う。
『ひとつ質問ですが、銀文字さんはこれまでの人生のなかで、一体何人の人々と知り合いましたか?』
俺に替わってハヤシ係長がそう言葉を入力した。
入力する人物が替わると相手に届く画像も変化する。これで複数の訪問者だと理解したはずだ。
たいがいこれで観念する客が多い。
又しても、疑問符でモニターが埋まった。
『たぶん多くても、そう、三百人以上ではない筈ですがどうでしょう?』
返答が無い。俺と係長は顔を見合わせて笑みを交わす。
『銀文字さん本当の人生は、無限の人々と繋がることができるのですよ。それに人生の喜びは、
きっと銀文字さんがこれまで味わったことのないほどの感動に満ちるでしょう』
と係長。そのあと俺は続ける。
『私どものピージーは、個人差は多少ありますが、約五段階分のセット購入で、
夢世界の記憶除去と、現実世界への導入記憶のレッスンを受けることが可能となります』
そろそろクロージングのタイミングだと俺は思い、係長の顔を見た。
とどめは係長の役目である。
その時である、モニターに意外な言葉が返ってきた。
『お前たちには、この世の果てがどんな場所なのか解っているのかい』
俺たちは驚いた。
『お前たちは死んだらどこに行くのか知っているのかい。
それにお前たちの祖先はどこから来たのだろうか、
そもそもお前たち人類の起源はいつなのじゃ、フッフッフ、ワッハッハッハ』
俺たちは思わず声文字が詰まった。
横の係長に言葉を求めたが、彼は顔面蒼白であった。
答えることができないではないか。
それは今朝の二人のやり取りを、横で聞いていたかのような質問であった。
俺は焦った。
すると落ち着いた声文字で、銀文字氏は言った。
『実はお前たちの行動はすべてお見通しである。なぜなら私こそが、お前たちの創造主なんじゃ』
『?俺の疑問符の羅列?』
『私の指先が呪文を唱えれば、それだけで『夢』の中のお前たちは消えるのだ』
画面にゆったりと文字言葉が表示された。
二人とも、最初はその老人の言っている言葉の意味がまったく解らなかった。
その時、老人の細くてシワシワの両手が揃って持ち上げられた。
すると俺の両耳の奥が、気圧の変化を急激に受けたように激しく痛んだ。
俺は鼓膜が破裂しそうに感じ、思わず両手で両耳を塞いだ。
見ると係長も同じであった。二人はその場で悶えた。
どうやらそれは老人の思念が発生源らしい、人の脳神経を繰る恐ろしい能力だ。
やがて電源を切ったはずのナースロボットが、老人の思念でゆっくりと立ち上がった。
そしてナースロボットは俺たちを弾き飛ばした、それは想像以上の腕力だった。
俺たちは空中を飛び、壁に躰ごと打ちつけられた。
二人とも立ち上がることができない程にダメージを受けてしまった。
俺はグウの音も出ない。
『お前たち四次元のアタマでは、永遠に理解することなどできない』
勝ち誇ったような文字がディプレイで輝いているのが、やっとのことで横たわる俺の瞳に届いた。
(どういうことだ、お前の次元では解るとでも言うのか!)
俺は『心の中で』叫んだ。文字言葉を打ち込むには、俺の場所からキーボードまでは遠い。
『フッフッフ、そのとおりだ。下等な次元の人類には、絶対に理解できない領域だ』
会話が成り立っている。
(……俺の思念が聞えているのか。)
『と言うよりも、そもそもお前たちの次元は、私によって創造された世界なのじゃ』
(そんな馬鹿な。こんなにリアルな俺たちの世界が、創造物なんかであろう筈がない。)
『私たち五次元の住人は、長い歴史の中で平和の理想郷を求めた。しかし、
いつまでたってもその理想郷を築くことができなかた』
「一体なんだ、こいつは、俺らを無視して勝手に喋っていやがる」
横で、目を醒ましたハヤシ係長が呟いた。
それで私は思わず勇気づいて言った。
「化けの皮が剥がれたな、高等次元のおじいさん。結局、平和を築けなかったと言うわけだ」
俺は精一杯の皮肉を言ってやった。
『フッフッフ、まあ、急ぎなさんな。お前たちのダメな部分は、
他人、他民族の話を最後まで聴こうとしない姿勢にもあるのじゃ。
我々の住民はどこまでも対話を重ねた。そう武力では決して解決しないことに気が付いたからじゃ。
対話をもって解決する、ここらあたりがお前たちには理解できない領域である』
一体何を言いたいのであろう。
そんなに俺たちの思考プロセスとは違っていない。
……だが、確かに俺たちの世界は、……ずっと病んでいる。
何千年の時間をかけても『戦争』は一向に止まることなく、常に世界のどこかで連鎖している。
ずっと過去には高等宗教が存在していて、少しは平和な国が存在していたようだが、
それは余りにも短い歴史の露であった。
……しかし、少なくとも俺の身近な人々は互いに信頼で結ばれている。
ハヤシ係長なんてとんでもなく優しい人間だ。
テレビドラマでは人が人を愛する素晴らしさをいつも謳っているではないか。
だが……それなのに、目を少しでも周辺に向けると、自然災害はあとを絶たないし、
ネットでは宗教の名を借りた悪による『テロ』と『公開処刑』が行われているし、
テレビでは毎日『肉親殺し』のニュースが絶えない。
……どうしてだろう。俺たちの世界は、一体どうなっているのだろう。
どうして人間同士が憎み合い、殺し合うのだろう。
途轍もなく悲しくなった俺が、フッと横に目をやると、感動で震える係長と目があった。
俺を見つめる係長のその目には、幾筋も涙が溢れていた。初めて見る涙だ。
(ちくしょう、俺まで涙がこみ上げてきやがる。)
いつのまにか俺たちの『思念』は、ベッドの老人を介して繋がってしまったようであった。
今は不思議と気持ちが穏やかだ。
先ほどまで解らなかった俺たちの存在の意味も、何もかもが解ってしまったような、
俺たちはそんな気がした。
(それは愛だ! そうに違いない。人と自然を慈しむ、愛に違いない。)
次の瞬間、目の前にいる係長の姿が、ゆっくりと薄れていくのが俺には解った。
そして次に俺の視界が、優しく暗転した。
銀文字亜太郎氏はゆっくりとベッドから立ち上がり、思念スイッチを切ったあとで、
よちよちと後ろ手を組んで歩きながら呟いた。
「今度は夢ではなく、自分が四次元世界を味わってみようか。
彼らの世界では、ここにない無垢な涙が存在しているようだから……」
H27・1・20改
短編SF 『プロメテウスの涙』
本当に奇跡に近い存在である地球上に、殺伐とした事件があとを絶ちません。
こんな世の中……と、傍観するばかりではどうにもなりません。
たまには人類愛について考えたいと想いました。