新作狂言/茅の尾

【館の主人登場】

主人 「この辺りに住まいする者でござる。噂によると、近頃この里に

権九朗と申す狐が現れ、人を欺き、すきを見て酒蔵に入り込み

酒を盗み飲むとのこと、これから山一つあなたの知り合いの婚礼

に招かれ出かけるによって、太郎冠者を呼び、この旨、伝えおこうと

存ずる。やいやい、太郎冠者は居るか。」


【太郎冠者登場】

太郎冠者 「はい。これにござる。」

主人 「汝を呼んだはほかでもない。今から山一つあなたの

知り合いの婚礼に出向こうと存ずるが、近頃この里に

権九朗なる狐が現れ人を欺いて酒蔵に入り込み、知らぬ間に

酒を盗み飲むとの噂があるによって、何人なりとも、みどもが戻るまで

決して酒蔵に入れてはならぬ。固く申し伝えおくぞ。」

太郎冠者 「心得たり。何人なりとも決して酒蔵には入れませぬゆえ

ごゆるりと、祝うておいでなされませ。」

主人 「では頼みおくぞ。」

太郎冠者 「はい。心得ました。心得ました。」

主人 「しかと頼みおくぞ。」

太郎冠者 「はい。心得ました。心得ました。」

【 主人退場】

太郎冠者 「なになに、狐が酒蔵に入って知らぬ間に酒を盗み飲む。
これは良い

噂が 広がってくれたものよ・・・。やいやい次郎冠者、これにでませい。」

【次郎冠者登場】

次郎冠者 「これにござる。なんぞ用か。」

太郎冠者 「今、山一つあなたの婚礼に出かけた主の事伝てによると

『 近頃この里に、権九朗なる狐が現れ勝手に酒蔵に入り、

得も言われぬ旨い酒をそっと置いて去る、という噂が

広まって居るそうな。もしそれが(まこと) の事なれば、ぜひとも

その酒を飲んでみたいによって、みどもが留守中に狐が

何時でも酒蔵に入れるよう、蔵の扉を放っておけ。』と

きつく命じられてでかけられた。これから二人して酒蔵に

参り、蔵の扉を放とうではないか。」

次郎冠者 「なになに、得も言われぬ旨い酒、とな。そのような酒が

あるなら、頼うだお方でなくとも一度飲んでみたいもの。

心得た。早速二人して酒蔵に参り、扉を開け放とうぞ。」

【舞台を一回りの後】

太郎冠者 「次郎冠者。わごりょはこの鍵にて錠を外しておけ。みどもは

蔵の(すす) を払うため、(かや)の穂を摘んで来ようほどに。」

次郎冠者 「心得た。心得た。」

【次郎冠者、おもむろに酒蔵の扉を片方づつ開く動作を

 するうちに太郎冠者、手に束ねた茅の穂をもって登場】

太郎冠者 「おお、開いた、開いた。」

次郎冠者 「いかにも開いた、開いた。いざ入ろうぞ、入ろうぞ。」

太郎冠者 「入ろうぞ、入ろうぞ。」

次郎冠者 「酒蔵は何時入っても、なんとも良い酒の匂いがするではないか。」

太郎冠者 「わごりょの言う通り、真に良い匂いがするものよ・・・。

     まてよ。今一つ、気がかりなことがある。」

次郎冠者 「今一つ気がかりなこととは、如何なることぞ。」

太郎冠者 考えてもみよ。権狐とやらが得も言えぬ旨い酒を持参すると

ならば、なんぞ入れる器がいろう。なれどこの蔵の酒樽はみな

酒がなみなみと入ってござる。さて何としたものか・・・。

わごりょには、なんぞよい思案がないものかの。」

次郎冠者 「はて、何としたものか。俄なことゆえ、何も思い

 つかぬが ・・・。」

太郎冠者 「おお、そうじゃあ、よい考えがある。この酒樽を空にしておけば

丁度 よかろう。」

次郎冠者 「空にするのはよけれども、中に入って居る酒は、何処に入れるつもりじゃ。」

【太郎冠者、自分の腹を叩いて】

太郎冠者 「ここに入れておけばよかろう。」

次郎冠者 「何!わごりょはこの樽の酒を、みんな我らで飲み乾せというのか。」

太郎冠者 「なかなか。」

次郎冠者 「そんなことが、頼うだお方に知れたらきつく(とが)

   られようものを・・・。」

太郎冠者 「なんの気づかいがいろうか。我らが飲み乾した樽に、

 権狐が得もいわれね旨い酒を、なみなみと満たしてくれようものを。」

次郎冠者 「なるほど、それはよいところに気が付いた。わごりょが

  そこまで機転が利くとは思わなんだ。」

太郎冠者 「その上、頼うだお方が狐の酒を得た褒美にと、その得も

  言われぬ旨い酒を我らにも振る舞ってくれるに違いなかろう。まさに

  一石二鳥とはこのことよ。」

両冠者共に 「それに、違いなかろう。はあっはあっはあっはあっ・・。」

次郎冠者 「ならば、その権狐とやらが現れる前に、早うこの樽を空けよう

  ではないか。」

太郎冠者 「それがよかろう。樽を開けるによって、わごりょから飲め。」

次郎冠者 「心得た、心得た。」

【太郎冠者樽を開ける動作、二人は中を覗き込む】

太郎次郎冠者共に 「 ある。ある。」

次郎冠者 「先に飲むぞ。」

太郎冠者 「飲め、飲め・・・。」

【次郎冠者、樽に顔を突っ込んで飲む動作】

次郎冠者 「おおう・・なんとも良い酒じゃあ。わごりょも飲むがよかろう。」

太郎冠者 「心得た・・・。」

【太郎冠者、樽に顔を突っ込んで飲む動作】

太郎冠者 「・・・香りといい、喉ごしいい、何ともよい酒

 ではないか・・・。 」

次郎冠者 「昼餉の前で腹がすいてたゆえか、事のほか酔うた。

 気が浮き浮きしたによって、ひとさし舞うぞ。」

太郎冠者 「それがよかろう。舞え舞え・・・。」

[次郎冠者 の謡い]

野の原に いざ迎えんは

黄金(こがね)さす 毛色もさやけき

権現の 笹の露をば払い清めん


太郎冠者 「やんや、やんや。わごりょは飲め。こ度は舞うぞ。」

次郎冠者 「それがよかろう。舞え舞え・・・。」

[太郎冠者の謡い]

野の原の 茅の穂を刈り

(やしろ)の煤を 払い清めて

舞い踊り いまや遅しと松は初春


次郎冠者 「やんややんや。しこたま酔うた。こ度は共に舞おうぞ。」

太郎冠者 「一段とよかろう。」

[両冠者の謡い]

歳を重ねて松雪の (ゆる)む春の陽 燦燦(さんさん)

寄せ来る波に黄金(こがね)さし 彼方に見ゆる宝船

福ぶくしくもはらむ帆の 風穏やかに波を切り

変わらぬ御代の目出たさに 舞う鳳凰(おおとり) の羽根の色

富士の高嶺に積もる幸貴(ゆき) いざ舞わん扇もて

げに寿(ことほぐ)は初春の みめ麗しき景色なるかな



【館の主人登場】


主人 「いやあ、歳は取りとうないものじゃ。何か手持無沙汰だと思えば

婚礼の祝いにと、用意いたした酒樽を忘れておったによって。

これから酒蔵に行き、持ってこようと存ずる。うん?(やかた)の内が

あのように騒がしいが、いわぬことではない。さては権狐めが現れしか・・・。」

【主人酒蔵に入り、酒に酔うて舞う両冠者を見つけ驚き、怒る】

主人 「やい!この不届きものどもめが。主の留守をよいことに酒蔵の酒を

 盗み飲み 騒ぎまくるとは、二人とも打ち据えずにはおかぬ!それになおれ!」

【太郎冠者それにいち早く気づき、次郎冠者の後ろに身を
隠したと見せて、傍に置いた茅の穂束を次郎冠者の腰に
いわえ付ける。主人、逃げ惑う二人のうちの次郎冠者の尻に
茅の尻尾があるを見て】

主人 「さては、汝が権狐か。わが郎党に化けたつもりが正体みたり。

捕まえてこの里 災いをば断たん。この悪戯(いたずら)狐めが、

許さんぞ!許さんぞ!」

次郎冠者 何を、申される。ようくご覧あれ。次郎冠者でござる。」

主人 「いいや、(だま)されぬぞ!騙されぬぞ!」

次郎冠者 「次郎冠者でござる!次郎冠者でござるというに!」

主人 「いいや、騙されぬぞ!騙されぬぞ!」

【次郎冠者、主人に追われながら退場、 それに主人が続く。
太郎冠者笑いを堪えながら、すきを見て、樽の残りの酒を飲み乾した後】

太郎冠者 「やや!両名とも門の外に出でいた!足元は雪でござるぞ!

 用心めされい! 足元は雪でござるぞ!用心めされい!」

【と二人の後を追いながら退場】

( 完 )


* この物語は完全なるフィクションであり、登場するすべての人名、
  地名、その他のすべてのもの事は、実際に存在する一切のもの
  事とは全く関係がありません。 ( 筆者敬白 )

新作狂言/茅の尾

新作狂言/茅の尾

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-13

Copyrighted
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