部屋いっぱいの金塊
六畳ほどの広さの部屋に、二人の少年が座っていた。ベッド、机、タンス、壁には何枚かのポスター、いかにも平凡な中学生の部屋である。二人は床に座り込んで話をしていた。内容はこれまた平凡で、どうにも情けないものであった。
「あー、退屈だなー、何かやることないのかよ。」
言いながら一人はごろん、と寝転んでしまった。
「そんなこと言われても、ファミコンはしまわれちゃったし、テレビも本も禁止されちゃったもんなー・・・。諦めて宿題でもやるしかないんじゃないかな。」
「冗談じゃない!冗談じゃないけど、本当にそれしかないのかもなぁ。やっぱり成績が落ちたのがいたかったなあ、これじゃ俺ん家の二の舞だな。」
「まあ、遊んでばっかいたからね、成績が上がるまでは仕方ないよ。」
「今度成績が出るのなんか七月の終わりじゃないか。それまでずっとこの調子か?」
「しょうがないよ。」
「あー、やだやだ、本当に勉強するしかないのかよ。」
天井に視線を移してそう呟いたが、しかし返事はなかった。変だな、と思って再び視線を移すと、そこには南側の小さな窓に視線を固定させて、目と口で三つのOの字を作ったまま、まばたき一つしない友人の姿があった。
「どうかしたのか?」
と聞いてみたが、何かに取り憑かれたかのように窓に視線を固定させたまま、あ、とか、う、とか訳の分からない呻き声を時折あげるだけで、全く事態は変らなかった。多少怖くはあったが、このままでは埒が開かないので、仕方なく窓の方に視線を移してみた。すると、そこには一人の美しい女性が立っていて、窓の向こうからこちらへ向かって微笑んでいた。
一秒の何千分の一かの時間に、彼は友人と同じ顔になっていた。ここは二階なのである。
ベランダもない、普通の景色があるだけ、否、あるだけのはずであった。しかし、この日、常識とは、砂の城のようにはかなく崩れゆく運命にあったらしい。窓の外に立っていた女性は窓から部屋に入ってきたのである。その女性は、窓ガラスを通り抜けて部屋に入ってくると、二人の顔を交互に覗き込んだ後ベッドに腰を下ろした。
先に冷静さを取り戻したのは、後から女性を見た少年であった。これが事実だとしたら驚いても事態は変わらない、と気付いたのである。彼は、友人を揺すって現実の世界へ引き戻すと、この、歩く、否、空飛ぶ非常識の身元調査を、彼に押し付けてしまったのである。
「え・・・と。こ、こんにちは。いいお天気ですね。」
先に話しかけたのは、少年の方であった。もう一人の少年は、何を言ってるんだこいつは、とも思ったが、この仕事を押し付けた手前もあるので、もうすこし頭がすっきりするまでは、口出しをしないことに決めていた。
「おはよう。でも外は曇ってるわよ、もうじき雨が降るんじゃないかな。」
女性は優しく微笑みながら言った。年は二十四、五歳ぐらいだろうか、髪は黒く長い。またファッションセンスの良いことは、ファッションに興味のない者でも十分わかるだろうと思われる。しかしなによりもまず、美しかった。まるで何かの神のように美しかった。美の女神、と言わないのは、どことなく、落ち着きがない、というか若すぎるせいだろう。
二人の会話を遠くに聞きながら、彼はそんなことを考えていた。
二人はまだ天気の話をしていた。正確に言えば、少年が天気以外のことを話さなかったのである。こちらの少年は、もう一方の少年に比べると、どうも非常時の対処能力が低いらしく、冷静に話すどころか、いま自分が何を喋っているのかも分かっていないようであった。
「もういい、俺が代ろう」
今まで考えごとをしていた少年がおもむろにそう言った。彼は今まで自分なりの答えを出そうと思って考えていたのだが、この女性の行動を思い返しているうちに、その無益さを悟ってやめてしまったのである。それでも暫くは、友人が何か聞き出してくれるだろうと思い、待っていたのだが、十分以上もたって、出てきた話題が天気のことだけ、というのでは埒が開かない、と当然のことを当然のように考え、とうとう非常識と挨拶を交わす決心をしたのである。
「どうも、初めまして。」
彼は女性に向かって座り直しながらそう言った。奇妙な挨拶ではあるが、少年としては、それ以外に言いようがなかったのである。
「初めまして。」
女性は今までと同じ様に微笑みながら挨拶を返した。
「えーと、単刀直入に聞きましょう。あなたは、いったい誰ですか。」
このとき少年は、誰ですか、ではなく、何ですか、と聞こうかと思ったのだが、さすがに無礼な気がして止めたのである。
「私?あら、そう言えばまだ言ってなかったわね、ごめんなさい。私は、そうね、あなた達の言い方で言えば『福の神』っていうのかな。」
少年は驚きはしなかった。ただ、何ですか、と聞くべきだったな、と思っただけである。
彼が溜め息をつくのと、
「ふくのかみ!?」
と友人がすっとんきょうな声を上げたのが、ほぼ同時であった。
* *
それから暫くは、問答の繰り返しであった。それによって少年達はいろんなことを知った。まあ常識外の知識ではあったが。
それによると彼女は福の神、それも三代目であるらしく、少年達の知っている『恵比寿様』のような『福の神』は初代の福の神で、彼女にとってはおじいさんにあたると言うことだった。『福の神』がなぜ生まれたか、については、次のような返答があった。
「神っていうのはね、人間が造り出すのよ。人間の多くが必要として、その内容が具体的に決まったとき、神が生まれるの。理由は知らないけど、たぶん自然の力じゃないかな。需要があれば供給がある、理にかなってるでしょ。」
内容が具体的に、と言うのは初めに限るらしく、二代目は老婆の格好をしていたと言うことだった。神にも寿命があるのか、と二人は思ったが、これに対しても、わりとはっきりとした答えがあった。
「それはね、さっきも言った通り人間の欲っていうか、必要とする心が神を作るの。だけど神を作ったときに使われた心の分しか、神の力にはならないのよ。だからそれを使いきってしまうと、また新しい欲が必要になるわけなの。でもまた新しく神ができるわけじゃないのよ。言ってみれば、そうね、うつわの中からなくなった水をもう一度汲むようなもので、うつわ自体は変わらないのよ。外見が変わるのは、まあうつわの色が、まわりの色で変わって見えるようなものかしらね。」
「ふーん。」
と二人は感心するしかなかった。
話はいつしか『福の神』さんが何をしにきたのか、という話題に入っていた。
「じゃあ僕達に福を授けにきた、というわけですね。」
「そうよ、それが仕事だし、私の存在する理由だもの。」
「なるほどね。ところでどういう基準で僕達は選ばれたんですか。」
「さあ、私も知らないわ。まあ、しいて言えば、私にあった人にはその資格がある、ってぐらいかな。」
「なるほど。じゃああなたと会った人は、みんな、突然大金持ちになるんですか。それにしてはあまりそういう話をききませんが。」
「そりゃ毎日仕事してるわけじゃないからね。そうね、どうかしら、あなた達の時間で一年に三度ぐらいかしらね。それに私があげた富には特殊な力があって、突然財産が増えても違和感はないし、税金も取られなければ、盗まれたりすることもないの。ただし持主が死ぬと、消えちゃうけどね。つまり本人の意志がなければ動かない富なのよ。」
「へー、それは凄い。だけど、今回みたいに、二人の人間がいる場合はどうなるんですか。」
「二人の意志が一緒でないと使えない、て言うことになるわ。」
「ねえ、早くお金もらおうよ。」
蚊帳の外で話を聞いていた少年が突然話に割り込んできた。
「しばらく黙ってろって言っただろ。」
「でも、もうじき日が暮れちゃうよ。」
確かに東の空は暗くなりはじめていた。
「何なら今すぐ出しちゃおうか。別に手続きがいるわけでもないしね。」
「それがいいな、そうしましょう。」
「じゃ、どんな形で出してほしいの。」
「どんな形・・・っていうと?」
「例えばルビーとか、ダイヤとか。」
「あ、それなら僕、現金がいいな。現金で、一、うーん、二千万!」
「馬鹿かお前、生涯に一回あるかないかのチャンスなんだぞ。せめて、一億とか二億とか言えよ。」
「盛り上がってるところ悪いんだけど、残念なことにお金は出せないのよ。」
「何で?」
「お金っていうのは国によって違ってくるでしょ。それに、生産番号とかがうってあると、ごまかすのが結構難しいのよ。」
「へー、神様も結構大変なんですね。」
「そうよ、結構大変なんだから。で、結局どうするの?」
「じゃ、金塊なんかどうかな。」
「そうだな、そんなとこが適当かな。」
「そう、じゃ、金塊でいいのね、量はどれくらいにする?」
「そうだな、この部屋いっぱいってのがいいな。」
「わかったわ、それじゃいくわよ。」
そう言うと、彼女はもと来た窓から外へ出て、何かの呪文を唱え出した。二人はもう胸が張り裂けんばかりに興奮していた。
自分達は、大金持ちになるのだ、たった半日のおしゃべりで、普通では考えられないほどの富を手にいれるのだ!もうお金に困ることはないし、仕事につく必要もないんだ、僕達は大金持ちなんだ!
* *
次の日、その部屋で一人の少年の母親がみたものは、ぺちゃんこにつぶれた、二人の少年の死体だった。だが、この死について、あやしんだものも、悲しんだものもおらず、一ヶ月もするとこの出来事を覚えているものはいなかった。
姿を変えた『福の神』は、今日にでも君の家にいくかも知れない。
完
部屋いっぱいの金塊
初出:同人誌『GLASS SHERBET会誌?号』
発行日:1990年9月