きんぼしピラピラ

完全フィクションです。100%架空です。まさしく空想です。

「父は、宇宙探検家でした」


 もしもし、お電話代わりました。斎藤ですが。どちら様でしょうか。
 え? 宇宙新聞社? ああ、我が家は、もう取ってますよ。今後もよろしくお願いしますね。
 ……あれれ、セールスじゃないんですか。あ、じゃあ世論調査ですか。
 え、それも違うんですか。えっと…じゃあ、一体?
 ……詳しく知りたい人がいる? その人と僕が知り合い? 誰だろう。僕の知り合いにそんな有名人はいたっけ。
 太星が空を百回横切る前ぐらいに、僕とその人が会っている? ちょっと僕、お頭はそんなに良くなくて。その人のお名前を聞いても?
 〇田□子さん? はて。記憶にないなあ。どんな外見の子です?
 え? 今、世間で一番有名な少女なんですか、その子。う、ごめんなさい、僕、世事に疎くて。ちょっと待ってください、今調べますから。はいはい、今日の新聞に載っているんですね、その子の写真が。ちょっとお待ちください……………おーい、母さん、今日の新聞はどこだい。電話の傍? ああ、あったあった、ありがとう…………はい、お待たせしました。
 ああ、この子ですね。はい、確かに会いました。知人経由で、頼まれ事をしたので、この、□子さんの家に伺ったことがあります。
 その時の話が聞きたい? いいですよ。聞く価値があるかは分かりませんが。
 頼まれ事の内容は、あれ、なんだったっけなあ―――――


 □子さんのお家は、小さかったです。あ、でも、何ていうんだろう、雰囲気のある、味のあるお住まいでした。
 その家に、□子さんは一人で住んでいるようでした。お若いのに、偉いなと感心しましたよ。僕とは大違いだなあ、なんて。可愛らしい方ですし、一人暮らしは危ないような気もしましたけどね……おっと、話がそれました。身元の確認もせず、僕はすぐに家へと招き入れられました。ちょっと不用心だと思いましたけど、まあ、僕にそんな度胸があるように見えなかったからかもしれませんね。あはは。
 ああ、そうだ思い出した。頼まれ事は、弾まなくなったソファーを、物置にしまってほしいというものでした。とりあえず男手が欲しかったみたいです。
 それをしまい込む経過もお話ししたほうがいいですかね? あまり□子さんとは会話してませんけど…あ、飛ばしてもいいんですね。了解です。
 で、それを片した後に、□子さんはお茶を出してくださいました。本当に礼儀正しい方でしたよ、ええ。
 それから他愛もない世間話を……。

 ああ…。
 違う。何てことだ。あんなことを忘れるだなんて。
 いや、きっと、僕の脳味噌が勝手に記憶を消してしまったに違いない…僕のような小心者が、あんな鬼胎を抱いたまま帰ってこられるはずがないもの…。ああ、ああ、そうだ。きっとそうに違いない。
 え? ええ、すみません。すみません。思い出しました。思い出してしまいました。
 それは、僕が不躾にも□子さんの家の居間をそろりと見渡していたときのことです。

「おや、あの額縁は?」

 部屋に入って正面の真白な壁に堂々と飾られた額縁について、僕は椅子に座りながら尋ねました。あれがモダンアートというのでしょうか。その道に詳しくない僕には、いえ、詳しい道などありませんが、兎にも角にも皆目見当がつきませんでした。
 □子さんは笑いました。霧の向こうで笑ったような、フィルターをかけながら笑ったような、そんなぼんやりとした笑い方をなさいました。

「あれは、父の作品です。よろしければ近くでご覧になってください」
 お言葉に甘えて僕はなんてことなくその絵画へ近寄りました。眼鏡をずらして、ぐるりとそれを見渡して、しかしまあ僕の口から気の利いた感想など出る筈もなく、
「はあ、中々印象深い絵ですね」
 と十人なみの返答をするだけでした。それを咎める様子もなく、□子さんはもう一度笑いました。
 口に出たのは凡庸なものでしたが、確かにそれは僕の貧相な情動にさえ影響を及ぼすようなアートだったのです。
 絵具でここまで表すことができるのか疑念を感じるほど、多種多様な色が入り混じり、混濁し、そして調和しています。黒に近い赤、水路を抜けてきた泥水のような茶色、それらの中で映える白。それらが波打ち際の砂模様に似たものを作り出していました。不協和音でも一つの曲になっているのです。アートに収まりきらないような迫力が僕を圧倒しました。

「お父様がこれを? さぞかし、高名な方でしょうね」
 これはお世辞でもなんでもなく本心です。しかし□子さんにはどちらでも良いようでした。
「キンボシをご存知ですか」
「キンボシ? ええ、分かります。昨日の宇宙新聞に載っていましたね」
 このときほど母に感謝したことはありません。母に読むよう忠告を受けたお蔭で、僕はこのとき非常識を恥じることはなかったのですから。
 キンボシとは、夜空に輝く星々の中でも一際自身を主張する輩でした。観察を好む者も多く、瞬きに少しの変化がある度に新聞の中頃に記事が入るのでした。
「父は、宇宙探検家でした」
「おお。それは素晴らしい。あの倍率を勝ち抜かれたのですか」
 この時、僕の中では一つの疑問が生まれていました。てっきり画家の方だとばかり思っていたもので。
 ですがまあ、僕が無知なだけで、世の中には空を旅し絵筆を走らせる職業があるのかもしれません。自分の恥をわざわざ曝すのも耐え難く、僕は巾着のように小さな心の口をしめることにしました。

「父が搭乗した宇宙船は、まぜらん号といいます。初めてのキンボシ行きの自動操縦船でした。海原の深いところまで行けるような、とても固い最新型です。父はちょうど、お空が四十ほど明滅する前に、キンボシへと行かれました」
「まぜらん号…、果たして、どこかで聞いた覚えがあります」
「流石は斎藤様です」
 男という生き物は、女性の複雑難解な思考回路よりは余程単純にできているものだと自負しておりますが、その中でも僕は格別です。慣れない賛辞に僕は恐縮半分、自惚れ半分で、阿呆のようにへらへらしました。
「ですがこの旅には一つ、大きな非があったのでございます」
「ほう、それは一体?」
「宇宙服が、従来のものだったのです。ええ、そうです。ヒボシや、キボシ用のものです。それでも、キンボシについて詳しく解明されていない当時は最新技術が詰め込まれていました。父は誇らしげに、それを身に包み、キンボシへ降り立たれました」
 □子さんは、もう一度茫洋としてつかみどころのない笑顔を僕に向けました。
 その時僕は、唐突に奇妙な感覚に襲われたのです。今相手をしているのは、一体何なのか、分からなくなってしまったのでした。
 挙句の果てに、自分は今幽霊と会話しているのだとすら、僕は思い始めていました。どうして今まで気づかずに平然と話していたのか、甚だ不思議でなりませんでした。
「帰還したまぜらん号には、機材の他に、十二枚の紙が散らばっていました。そして――――」
 □子さんは、嫌みのない自慢げな微笑みで僕の眼を覗きこみました。僕は、僅かな動きさえも、この相対する幽霊のような何かを刺激してしまうのではないかと気が気ではなく、手の先、指の、爪の、その白い部分にまでも気を張り巡らしていました。
「まぜらん号の乗組員もまた、十二人でした」
 ――――キンボシの地で、父はぺしゃんと潰れました。博士様がお調べになり、紙の父が入った棺が、我が家へと送られました。父は、戻って参りました。
 僕は、自分の首が絵画へ向くのを止めることができませんでした。視線がそこへ縫い止められたように、瞳を逸らすことができませんでした。
 □子さんの白魚のような人差し指が、絵を、いえ、□子さんのお父様を、すっと撫でました。
「綺麗でしょう。どうです、私の父は」
 赤が、茶が、白が、その他雑色が、僕の視界を覆い尽くしました。


 ―――――ごめんなさい、ここから先の記憶は曖昧なんです。僕がお話できるのは、ここまでです。
 え? まぜらん号は、今世紀最大の悲劇として報道された? ああ、やっぱりそうだったんですか。遺体は見つかっていないと発表されている? それは、宇宙機関が嘘をついているんじゃないでしょうか。あ、いえ、□子さんが嘘をついているのかもしれませんよね。僕にとっては、その方がよっぽどいいなあ。
 そういえば、どうして□子さんは、時の人に?
 …ああ、そうですか。それって、もしかしたら、彼女は…。
 や、何でもないです。どうせ僕の邪推でしょう。
 はい、はい。大丈夫です。どうぞ、ぜひこんな話で良ければ使ってください。あ、でも、悪いようには書かないでくださいね。
 その記事は目出度いものですし。だって□子さんの宇宙冒険者デビューなんですから。
 はい…では、失礼します。
 それでは、さようなら。

きんぼしピラピラ

きんぼしピラピラ

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-12

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