さいゆうき・始まりの始まりの始まり

何にでも、始まりの始まりの始まりはあるという事を龍門の滝を用いて書きました。

  遠い昔、今の中国の奥地、龍門山に、幅二十メートル、高さ六百メートル余りの滝があった。
 流れ落ちる水の勢いは凄ましく、水煙の舞う滝壺は轟々と唸りを上げている。
 未踏の地であるここは、多くの生き物が川沿いに暮らしているが、ある日、天から巨大な龍が降り来て、滝の水をガブガブ飲み始めたという。
 「うまい、五百年前と同じだ」
  突然の訪問者に周りにいた生き物たちは素早く身を隠し、固唾を飲んで成り行きを見守った。
 「さて、戻るか」
 水を飲み終え、しばらく周りを眺めていた龍が天に昇ろうとした時、草陰に隠れている亀を目の端で捉えた。
 龍は大きな顔を亀に近づけ、「その足はどうしたのですか」と聞いた。
  巨大な体と厳つい顔に似合わぬ大らかで優しい響きのある声に、首と足を引っ込めていた亀は恐る恐る首を伸ばし、龍を見ながら「この足の事でしょうか」と言って、足首の無い右の前足を伸ばして見せた。「これは二年前に狼に襲われた時に、食いちぎられたのです」
 龍は亀を哀れに思い、口の中から光り輝く玉(ぎょく)を出し、亀の前に置くと、光は亀を覆い、たちどころに右足が治った。
 (歩ける)
 亀は涙を流しながらひとしきり歩き回ると龍に感謝し、礼がしたいと申し出た。
 龍はにこやかに笑いながら、
 「礼など良いのです。私も元はこの川に住んでいた鯉だったのですから、みなさんの役に立てればそれで満足です」
 と言うと、急ぐかのように天に昇った。
 繁みに身を隠していた老狐が亀のそばにより、伝説は本当だったのかとつぶやくと、亀は何の事ですかと聞く。
 老狐は龍の軌跡を追うように空を見上げながら話を続けた。
 老狐の言葉によれば、その昔、天女が川に舞い降り、薄く透き通る衣を脱ぐと、そっと岩の上に置き、沐浴を始めたという。ところが一陣の風によって衣はふわりと浮き上がり、川の中に落ちるとそのまま流れていった。「あっ、衣が!」と叫ぶ声に、一匹の鯉が素早く反応し、十メートル程流れたところで追いつき、衣の端を口に咥えると、体を返して泳ぎ、天女に渡した。
  天女は大いに喜び、衣を受け取ると川から上がり、濡れた衣を持って華麗にひと回りするとたちどころに乾き、そのまま身にまとって帯を締めた。
 「あなたの御陰で天宮に戻る事ができます」
  感謝する天女の目に、右の胸ビレが無い鯉の姿が映った。
 「まあ、そのような体で衣を取って来て下さったのですか。すぐに治してあげましょう」
 川の中の鯉に向かって優しく息を吹きかけると、鯉は金色に輝き出し、たちどころに胸ビレが元通りになった。
 感激した鯉は、どうか貴方様に仕えさせて下さいと願い出たが、天女は申し出を受け入れない。
 「私は天宮の帝に仕える身。帝がお許しにならないでしょう。それに鯉の身で天に昇るのは無理です」
 それでも諦めきれない鯉は、天に昇る方法を教えて下さい、どんな苦難にも耐え抜きますと言う。
 「それでは、あなたの覚悟の程を帝に申し出てみましょう」
 と言うと天に昇り、暫くして又舞い降り、帝の言葉を伝えた。
 帝は鯉に一つの条件を出した。
 それは、目の前にある滝を登る事だった。見事、登りきれば天女に仕える事を許すと言うのだが、猛爆とした水煙を上げる滝を登るのは不可能に見える。それでも鯉はその日の内から滝を登り始めた。
  毎日、毎日、滝に挑んでは滝壺の底に身を打ちつけ傷ついた。
 仲間の鯉も無駄だからやめるよう忠告したが、一切耳を貸さない。
 (おれは諦めない。天に登り、天女に仕えながら、おれと同じ不遇の体を持ったものを助けるのだ)
 半年が過ぎ、一年が過ぎた頃、ある変化に気づく。明らかに他の鯉より体が大きくなり、泳ぎに力強さが加わっていたのだ。滝の激しさが鯉を鍛えたと言ってもいい。
  それから数年経ったある日の事。更に体の大きくなった鯉は、水面に尾を叩きつけて滝に飛びつくと、自分でも驚く程の速さで登っているのに気づいた。
 (いける。今日こそ登れる)
 と思ったが、後わずかという所で力尽きようとしていた。このままではいけないと渾身の力を振り絞り滝の上に躍り出ると、更に力を入れ滝から離れ、ゆるやかな流れの所まで行くと、岸辺の水草の中に入り、体を休めた。
 どれくらい時間が経っただろう。気がつくと日が西に傾いている。
 (いつの間にか寝てしまったらしい)
 水草の中から静かに出た鯉は数メートル離れた水底から眩しく金色に光る玉を見つけると、吸い寄せられるようにして近づき玉に触れた瞬間、「グガオー!」と、得体の知れない叫びを上げ、体がみるみる巨大になっていく。勢いよく川面を飛び出し宙に浮いた時、体は龍と化していた。
 (俺は龍になったのか? この滝を登ると龍になれるのか)
  その時、上空から野太い声が響いた。
 「倦まず弛まず、よくこの滝を登りきった。さあ、玉を持って天宮に来るが良い」
  天空から聞こえる声に導かれる様に玉を持って昇ろうとした龍だったが、最後の別れにと滝を降り、仲間に心情を吐露する。
 「私は念願叶って天宮に行ける事になりました。まさか龍になるとは思いもしない事ながら、これからは世のために働こうと思います。もし私と同じ志があるならば、この滝を登って下さい。登りきると滝の上に玉が現れ、それに触れると私と同じ龍となります」
 それだけ言うと天に昇り、その後、我も我もと滝を登り出す鯉が現れたが、ただの一匹として後に続くものはなく、現実はいつしか伝説となってしまった。

 「と、まあ、わしの聞いた話はここまでじゃ」
 老狐は長い眉毛の間から目を覗かせ、ゆっくりと空を仰いだ。
 自分も滝を登れば龍になれるだろうか、亀はこの事を老狐に聞いてみるが、
 「さあ、どうかのう。お前は鯉ではないし……、それにどうやって滝を登る」
 思案気な言葉しか返ってこない。
 しかし亀は諦めない。何か手はあるはずだと思い、考えた抜いた末の答えが滝の裏の岩を登る事だった。早速岩に取り付いたが、流れが速く、おまけに息が出来ない。あっという間に岩から離れ滝壺に落ちたが、流線型の固い甲羅の御陰でスルリと滝壺を抜けて、怪我は無かった。その後、何度も挑戦したが結果は同じ。
 やはりダメかと思いながら川の淵で滝を眺めていた時、ハタと閃いた。滝の右端は殆ど水が掛かっていない。亀は今まで滝の真ん中を登る事だけ考えていたが、ここからなら登れるのではないかと考えた。
 いざ登り始めると、息は出来るものの、今度は反った岩に苦しめられ踏ん張りきれずに滝に落ちて行く。
  一年が過ぎても滝を登る事は出来なかったが、体は大きくなり、四肢の足の爪は岩に喰い込むが如くに鋭く太くなっている。
  自身も龍となり、天に昇って世の役に立ちたいとの思いだけが亀を突き動かしていく。
 更に一年が過ぎ滝を登ろうとした亀の目に、川べりにチョコンと座り、ぼんやりと滝を見ている一匹の猿が目に入った。このあたりに住んでいる猿でないなと思いながら、どこか悲しげな表情をしていたので声を掛けると、
 「おいら、群れにいたんだけど、そこで散々いじめられ、飛び出してきたんだ」
 飛び出したのはいいが行く宛もなく転々としていたら、龍になった鯉の噂を聞き、今は龍門の滝を探す旅をしていると言う。
 「もしかしてこれが龍門の滝なのかなあ、でもおいらにはとても登れそうにないや」
  龍になりたいのか聞いてみると、キッとした顔をしながら、
 「当たり前じゃないか、龍になって仕返しをしてやるんだ」
  その顔は憎悪に満ち、今までしょんぼりしていた猿とは別のものに見える。
  亀は同情しながらも、滝を登るのは無理だろうと思っていると、「これは龍門の滝なのかい」と聞くので、「そうだ」と答えると、喜びと困惑の入り混じった顔に変わっていった。
 猿は鯉や亀と違って滝に慣れていない。登っている途中で落下し滝壺に落ちたら浮き上がる事が出来ないだろう。その事を忠告すると猿は「う~ん」と唸り、考え込んでしまった。
 どこに行くといった宛のない猿は川に留まり、亀が滝を登るのを見ていた。登っては途中で滝壺に落ちる亀。それを毎日、毎日飽きる事なく見ている。
 「すごいなあ、おいらにはとても真似が出来ないや」
 川べりから見上げる滝は一見隙が無さそうだったが、毎日登る亀の軌跡を見ていると手足の長い猿には何だか登れそうに思えた。しかし、一度失敗したら命が亡くなると考えると、中々実行する気になれない。
 かなり高くまで登っている亀を応援するよう見ていると、いつの間にか一匹の豚が現れ、「これは龍門の滝ですか」と聞いてきた。猿が振り返り、「そうだよ」と言うと、今度は、「何を見ているのですか」と言うので、「滝を登っている亀さんを見ているんだ」と答えると、豚は不思議そうな顔をしたので、慌てて滝を見上げると亀の姿が見えない。
 ああ、又、滝壺に落ちたのかと思った瞬間、滝の上が金色に光りだした。
 そう、猿が豚と話をしている間に亀は滝を登り切ったのだ。

 「やった、遂に滝を登ったぞ」
 亀は、水流に押し戻されまいと滝から離れ、流れが穏やかな所まで行くと、水底に光り輝く場所見つけ寄って行った。
 (光だ、これで龍になれる!)
 しかし光っていた物は玉ではなく白い皿の様な物だ。
 おかしいなと思いながらもそれに触ると、体が段々大きくなり、同時に四肢が伸び始め、前足は物を握れる手に変わり二本の後ろ足で立ち上がった。
 「よくぞ滝を登り切った。さあ、その皿を頭に乗せ天宮に来るが良い」
 天から聞こえる声に、「ちょっと待って下さい。私は龍になっておりません」と、答えると、「龍門の滝は鯉しか龍に成れない」と言う。他のものが登れば、それに相応しい姿に変わるのだと。
 「お前はお前に相応しい河童になったのだ」
 そういうものなのか思いながら河童となった亀が皿を頭に乗せると小雲が現れ、それに乗り猿の元に向かうと、今までの経緯を話し、ゆっくり天に昇って行った。
 猿がつぶやくように、
 「そうか、龍になるとは限らないのか」と言うと、豚は、「それでも天に行けるのですよね?」と聞く。
 「ああ、そうだな。それにしても、おいらはどんな姿になるんだろう」
  まだ登ってもいない滝を見ながら胸を躍らせた。
 ところで、お前も滝を登りたいのかと聞くと豚は怯えた顔をしてコクリと頷く。
 「ぼくは人間に飼われていたんだけど、大きくなったら食べられてしまうのが怖くて逃げ出して来たんだ」
 「そうか、それじゃあ協力して滝を登ろう。おいらは亀さんが毎日登っている所を見ていたから何処に手を掛け、足を掛ければいいか解っているんだ」
 翌日から二匹の共同作業は始まった。まず、長いつるを用意し、それを猿の腰に結ぶと豚はつるのもう一方を持って、猿が滝壺に落ちた時に素早く引き上げるようにした。
 こうして、何度も滝壺に落ちながら一ヶ月ほどで登り切った猿は、金色に光る場所を見つけ、川底にある棒を手にすると、たちどころに体中に力が漲って行くのを感じたが、天からは何の声も聞こえない。そんな事など気にせず棒に見入っていると、
 「うん? 何か書いてあるな。なになに如意棒……。思い通りなる棒ってことか?」
 面白いとばかりに「伸びろ」と叫ぶとあっと言う間に十メートル余り伸びた。「曲がれ」と言うと弓のように曲がり、「輪になれ」と言うと輪っかになった。
  また、如意棒をひと振りすると、雲が現れ、それに乗って川べりにいる豚の所に行くと、如意棒の自慢をし、ぶんぶん振り回している内に木に当たって真っ二つにしたが、まるでネギでも切っているような感触しかない。それを見ていた豚は驚き、「すごい力だね」と言うと、猿も信じられないという顔をし、今度は素手で木を押すと、あっけなく「ボキッ!」と折れた。
 (おいらはとんでもない力を手に入れてしまったのかも知れない)
 自信を持ち始め、近くの岩を拳で突くとバラバラに弾け飛んだ。
 (やったぞ。これであいつらに仕返しが出来る)
 「よし、今度はお前の番だ。つるを体に巻け。俺が滝の上から引き上げてやる」
 自信を付けた猿の言葉は少し乱暴になり、自分の事を「おいら」から「俺」と言う様になった。
 豚が体につるを巻きつけ、猿が滝の上から引っ張り上げると、あれよあれよと言う間に滝の上に着いた。
 猿は本能的に分かっていた。滝を登るものの体が岩か滝に触れていないと金色の光は現れないと。
  豚が光る川の底にある棒に触れると、猿と同じように体中に力が漲るのを感じた。
 「なんだそれは、爪の付いた熊手か?」
 豚が手にしたのは、棒状をした物の先に三本の鋭い爪が付いた獲物だ。
 振り回すと、空気を切り裂く音がする。
 「すごいな、これなら何でも切り裂けそうだ」
 猿は感心しながらも、
 「俺もお前も姿は変わらないな。いや、お前は前足が手になって、二本足で立てるようになっている」
 嬉しそうに言う。
 「これでお別れだ。俺は群れの所に行くがお前はどうする」
 「もう、お別れ? でも仕方ないよね、僕は人間に囚われた仲間を助けにいくよ」
 「そうか……」
  一言だけ言った。
 「滝の上に引き上げてくれてありがとう。この恩は一生忘れない」
  豚の目に涙が滲む。
 「俺の方こそ感謝している。滝壺から引き上げてくれてありがとう」
  猿は如意棒をひと振りすると雲を出し、それに乗るとあっと言う間に離れていった。

 この様子を天宮の大水晶で見ていた者がいた。帝と龍と河童である。
 「帝、なぜ、あの者たちを天宮に呼ばないのですか」
 龍が尋ねると、
 「お前たちに比べると苦労が足りぬ。猿は豚に助けられ、豚は猿に助けられておる。そんな事ではとてもここには呼べぬな」
 腕を組みながら答えた。
 「ではなぜ、獲物を与えたのですか」
 「もっともな質問じゃが、滝を登ったのは事実。それに、いずれ現れるであろう仏弟子が、天竺に巻物を取りにいく時の供をしてもらわねばならぬ」
 「それまで下界で修行というわけでしょうか」
  今度は河童が言うと、帝はコクリと頷く。
 「下界は妖鬼の類が多いからの。それらとの戦いに備えて、心と武を磨いてもらわねば」
  そう言うと、大水晶に天布を掛けた。
                         
終わり

さいゆうき・始まりの始まりの始まり

さいゆうき・始まりの始まりの始まり

何にでも、始まりの始まりの始まりはあるという事を龍門の滝を用いて書きました。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-11

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