そして、誰もいなくなった
こんな人はいないだろうか?エネルギッシュで、大風呂敷を広げ、友達を家に招くのが大好きで、大きな家を持ちたがる社長さん。そして、その人は苦労人で、だれよりも、自分の苦労を自慢したがる。面倒見のいいつもりだけどそうではない。結局、身近な人を裏切り、身近な人からいなくなる。そして、嫌いな人も姿を消す。
そんな人はいないだろうか?
第1章
その人は、いわゆる、がんばる人だった。そして、まじめで、欲張りで、きっと本人は自分のことを純粋な人と思っていると感じさせる人だった。
僕は、この人のことを昔から知っていた。幼い頃、僕はとても、お世話になってきた。
その人は、「おれはサラリーマンは勤まらない。自分で事業をするしかない。いつかは一旗揚げるぞ、といつも言っていた。それを聞いて僕は、「この人だったらきっとやるだろう。」と思っていた。
そして、その通り、小さいながらも事業を成功させて社長になった。
「おれは、あの女性にほれた。結婚したい。」
と毎日唱えていた。
そして、その女性と結婚した。
一方僕は、なにもできないままに30歳代後半を迎えていた。
僕は、いわゆる理想ばかり追い続けた、精神的に卒業できない”大人・子供”だった。
僕は田辺真一と名前を付けてもらったが、真一という名前は気に入らない。真面目すぎるし、平凡で、僕の本心に沿わない名前だと思っている。
僕は大学を卒業したけど、卒業後「人に使われて働くのがいやだ」という理由だけで、大学を卒業後、まもとに就職していない。とりあえず、株とか為替とかで、大損しないように時々稼ぎ非行少年のような生活をしている。大学を出てから大学院に籍を置いた。そして、結局35歳の時には、法学部の助手をしていた。今でも、その人と付き合っている。友達だろうか、親友だろうか、悪友だろうか。むこうはきっとなんにも感じていないと思う。僕自身の位置付けはあの人の中できっと低いだろう。
そろそろ、この人の名前と職業を紹介しよう。
鈴木隆伸さんという。鈴木さんが10年かけて成功した事業は不動産。いまは、奥さんと子供が一人いる。
とりあえず、10年前の話しから始めよう。僕が大学生の頃、僕自身は大学に通っていたものの、朝は株価をネットで追って買ったつもりになっていた。お昼は、学食で軽く安く済ませ、昼からは大学近くの麻雀荘に入り浸っていた。大学は、九州は福岡市西区の西新という商店街近くにあって、何もかもが安くて便利だった。
その頃、私の友達の木下がアパートを探していた。それで、不動産屋を始めたばかりの鈴木さんのためにもなるかなと思い、木下を紹介することにした。
「鈴木さん、こいつおれの大学の同期なんだけど、いま住んでいるアパートにいられなくなって、つまり近くにストーカーみたいなのに追われているらしくて、引っ越したいって言っているんだけど。どっかいいアパートを紹介して欲しいんだけど。」
「それならおれに任せてよ。おれ精一杯いいアパート探してやるからさ。」
「本当?よろしく頼むよ。ただストーカーのことは、あまり友達に聞かないで欲しいんだけど。」
と頼むと、鈴木さんは
「ああ、分かったよ。心配しないでとにかく連れてきてみてよね。頑張るから」
と言って嬉しい顔をしてくれた。
その数日後、私は木下を連れて、鈴木さんがそのころやっと開いた事務所に連れて行った。事務所には、私服を着ているパートの事務員さんが一人いるだけだった。事務員さんは着古したGパンに、紺色で毛羽立ったセーターを着ていた。しばらくしてから、やっとお茶を出してくれた。
応接椅子に座っている木下に、事務机の奥から出てきた鈴木さんが
「ストーカーって言うと女性?それとも男性?どんなことで困っているの?ねえねえ話してくれないかい?」
と遠慮もなく言うので、僕はビクっとした。
『それ約束違うでしょ』と、一瞬僕が言いかけたところ、鈴木さんは
「いやいや転居するって言っても、またその転居先が今のストーカーさんの勤め先に近くても困るだろうし。」
と、あえてストカーのことを聞く理由を言ったので、僕は口をついて出そうになった言葉を噤んだ。
その後、木下が急いで転居したいというので、その足で木下だけ鈴木さんに案内してもらい、僕は先に帰った。
僕は、ここまで世話しておけば、あとは鈴木さんが、木下の満足するようなアパートを紹介してくれるだろうし、木下だって、自分の都合は言うだろうと思っていた。
1週間後、転居を済ませたという木下と会った。
「おい、田辺、この前紹介してもらったアパートさあ、ストーカーから逃げられたけど、電気と水がねえ。水道管が古いみたいで、水がさあちょっと飲めないくらいにさび臭いんだよ、それに電気のアンペアが小さくてさあ、電子レンジとエアコン二つ付けると飛んじゃうんだよ。あの不動産屋さんは、『ここなら、水も電気もばっちり大丈夫ですって言っていたんだけど、その二つがなんかよくなくてさあ。」
私は、木下に
「まあ、水はペットボトルでまかなえばいいだろうし、電気は鈴木さんに頼んでアンペアを大きくしてもらえばいいんじゃないか?おれが頼んでやろうか?」
と言ってやった。
「頼むよ。鈴木さんによく言ってくれよ。」
折り返し僕は鈴木さんに電話して
「ああ、鈴木さん、なんか木下さんに紹介してくれたアパートさあ、ええ、ああ紹介してくれてありがとう。でさあ。なんか調子悪いみたいなんですよ、電気のアンペアとか水とか」
「そうね、分かった分かった、今度木下さんのアパートに寄って見ておくよ、任せてよ、仕事始めて間もないから、信用第一だからね」
「じゃあ、大丈夫なんですね。」
「うん」
と言ってくれたから、自信たっぷりの口ぶりだったから、きっと大丈夫だと思った。
それから、木下のことは鈴木さんが一生懸命やってくれるから大丈夫と思って安心してほったらかしにていた。
僕は、つまらないなあと思いながらときどきゼミに出てたが、それ以外は雀荘にいるか、株の勉強をした。買っていないけど買ったつもりで株価を追った。その頃、しばらく日本の電気メーカーとか自動車メーカーとかの株をしばらく買ったつもりでその後の株価の上げ下げを見ていたけど、だいたいどれも僕はちょうどいいタイミングで売っていた。
驚いたのは、スズキとかいう日本では軽自動車しか販売していた自動車メーカーだったけど、東南アジアとかに販路を伸ばしていたらしく、気がついたら、3倍以上に値上がりしていた。
日本のメーカーってすごいなあって思った。
それでもぼくはそんな自動車メーカーに就職したいと憧れることもなかった。
多分、「サラリーマンになったら、どの会社でも同じだろ、結局組織の中で息が詰まるような呼吸をしながら、人を見分けて味方を作って嫌われないように、やっかみを受けないようにすれば、首になることもなく、生きていけるだろう」って甘えた考えでいたんだ。 それに、いつかは定職を決めないといけないんだろうけど、高校時代から先送り先送りで、「就職先のことは大学生になって考えたらいいだろう、今は偏差値の高い大学に入ればそれでいいんだから。」という言葉に反発しながらも、いつの間にかその思考パターンが自分の中に染み込んでいたんだ。
今から考えると、そのころ僕は、満足していない大学生活から抜け出すのさえ出来ない蟻地獄にはまっていたんだと思う。
木下からアパートの水道とか電気のアンペアのことで苦情を言われて2週間が過ぎた。 僕は、大学の午前中の講義を受け終えて、麻雀荘に向かって、西新商店街をうろうろ歩いていた。パチンコでもしようかゲーセンにでも行こうかとふらふらしていた。歩きながら、木下のアパートの問題はすべて鈴木さんが解決してくれたに違いないと思っていた。
まだ、おばさんの買い物の時間帯には早くて、まばらな人出のスーパーの出入口をすり抜けると、向こうから木下が歩いていた。
「おい、木下じゃないか?どうしている?アパートの問題は解決したんだろう?」
というと、元々人のいい木下の顔が曇った。
「それが全然だめさあ。」
「ええ、電気とかアンペアを変えるだけだから簡単だろう。それにすぐ来てくれただろう、鈴木さん?」
「いや、中々来てくれなくて、昨日やっと来てくれたよ。ところが、鈴木さんから『アンペアを変えると電気代高くなるから、辛抱した方がいい。水道水は水道管古いから我慢してってえ』って笑って言うだけで、全然相手にしてくれなくてさあ。
おれ、大家さんと立話しで、大家さんは「不動産屋さんを通してくれたら、ちゃんと応対しますから」って言ってくれてたから、なんにもやってくれない鈴木さんになんかムカついたけど」
僕はもしかしたら鈴木さんって、口だけの人かなって思ってちょっと不信感が芽生えた。
「ええ、どうするの?」
「うん、もう一度大家さんに直接頼んでみるよ」
「ええ、いいのか?」
「だって、しょうがないだろう」
「うん、そうかな?」
きっと木下は、鈴木さんを紹介したぼくに気を遣っているんだろうと思った。変に遠慮しているのかなと思って反って申し訳ないことをしてしまったと思った。
「じゃあ、おれ、もう一回鈴木さんにそれとなく言ってみようか?」
「いや、いい、いい。いいよ。それほどのことじゃないから。言わなくていいよ」
と木下は、遠慮がちに言って俯いてしまった。
まあ、木下がそういうなら仕方ないかと思って、その場から僕は立ち去った。
それから、3年生の夏の試験があったり、僕が海に遊びに行ったりしていた。
西新商店街は、商店街の道路に昼間リヤカーの露天が立て込んでいる。夕方4時頃から買い物客が急に増え出す。5時ともなると、人波を避けないと歩けないくらいだ。僕は大学1年の頃から毎日のようにここを歩いていたから、人波を避けるが楽しくなっていた。右左右左と避けていくんだ。その頃、はやっていたローラースケートのように遊ぶように人並みをかけ分けていた。時に、避けた後から歩いてきた歩行者にぶつかることもあった。
露天のリヤカーには、生花を売っているのがあり、その周りには水の入ったバケツがいくつも置かれていた。僕は生花リヤカーに近づいていたのを伏線で見ていたけど、相変わらずひょいひょいっと人並みを避けていた。ところが、避けた拍子にバケツが僕の右足をおいたところにあり、思い切りバケツを踏み込んだ。
「ジャパーン!!」と大きな音がするとともに、水が下から上がってきた。そして、水しぶきを周りの人にかけた。
「すみません。ちょっと足が滑って」
「滑ったんじゃなくて、遊ぶように歩いていたんじゃない。」と生花売りのおばさんから言われた。そして、後ろから肩を叩かれた。振り返ってみてみると、そこに鈴木さんが立っていて、顔は水がかかっていた。
「ああ、ごめんなさい、鈴木さん」
ふと見ると、連れの女性がいた。背が高くて色白で、ロングヘアー、右目の下にちょっと大きめのほくろがあった。
「連れですか?」
と聞くと、「連れというかお客様だな」と鈴木さんは答えた。
鈴木さんは、「ちょっと急ぐからと僕から逃げるようにして立ち去った。いつもは話し好きの鈴木杏なのに、ソワソワして変だった。
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*******
それから暑い暑い夏が過ぎ、9月のある日の夕立の後だった。僕は、いつのもように雀荘に向かって西新商店街を歩いていた。すると人並みの向こうから歩いてくる大学生が木下に似ているなあと思っていると、そいつはやはり木下だった。前と同じように下を向いていた。
「おい、木下?どうしてる?元気?電気と水のことは解決した?」
と声をかけた。すると、顔を上げた木下は、僕の目を見るや、きっと睨み付けてきた。おとなしくてけんかもできそうもない木下が睨み付けてきたので、逆に僕は少しぎょっとした。
「ああ、田辺かよ。お前の顔なんか見たくねえよ。」
と言うや、すっと小走りに歩き出した。
「大人しい木下が目の色変えて怒っているのは、よっぽどのことがあっただろう。」と思い、僕は急いで木下を追いかけ
「おい、ちょっと待てよう。何かあったのか?なんかおれ変なことしたか?」
とこちらを見向きもしない木下に追いすがるようにして、話し続けた。
「ちょっと待ってくれよ。なんかあったんだろう?」
木下は、もっと足を早めたが、僕が軽く肩に触ると、やっと止まってくれた。僕が
「もしかしたら、またストーカーか?新しいアパートを突き止められたとか?」
「突き止められはしなかったけど、どういう訳かまたストーキングされた。それで、それでもなんか変なんだ。鈴木さん?」
「ええ、どういうこと?」
「あのオンナと鈴木さんが一緒に僕のアパートに来た。」
「ええ、なんでだよ」
「あのさあー、鈴木さんっておかしな人じゃないの?」
「いや、普通なはずだけど。で、なんで一緒に来たんだ、ストーカーと鈴木さんが一緒に。」
「アパートにいたら、ドアをノックされた。で出てみたら、ストーカーのオンナの後ろに鈴木さんが立っていた。そして、『いや、ちょうどそこで一緒になったもんで。知り合い?』って言われた。偶然、会ったんだろうけど、鈴木さん、僕が女性からストーキングされているのを知っていたはずだろう、僕のアパートのベルを鳴らしている女性がいたら、知らない顔して帰ればよかったのに、なんで分からないのかなあ!!」
そういうことなのか、鈴木さんってそんな誠意がないっていう人なのか、と思いつつも
「ああ、ごめんな、ごめん。鈴木さん、わざとそんなことする人じゃないはずだけどと精一杯に言った。
「ああ、そうだろうと思うけど、わざとじゃないと思うけど。でもなんかタイミングがおかしいよ。」
「ごめんな、木下。で、どうしたんだ?ストーカー?」
「結局、警察に相談したよ。」
「ああ、ごめんなあ、反って迷惑かけたんだな、ごめん」
気まずくなって、沈黙を埋めるために、思いついた言葉をそのまま言った。
「ところで、そのストーカーの女性は、名前なんて言うの?」
「ああ、言っていなかったけ?甘木マリコだよ」
「甘木マリコさん、どんな顔?」
「背が高くて色白で。。そうそう目の下のほくろがあるよ。嫌いな顔だよ、上から目線で威張っているみたいで。ああなんであんなオンナと知り合ったのかな、ムカつくよ。」
僕は、また沈黙を造らないために、その場で思いついた言葉をそのまま言った。
「ほくろ?ほくろって顔の中の黒い点?大きいのか小さいのか?」
僕は、その女性は、前に商店街で、鈴木さんが連れていた女性ではないかと不穏なことを連想した。でも、それは何の根拠もないことだったから、自分の頭の中で否定した。
僕が大学を卒業するまで、木下とは会わなかった木下は大手の会社に就職したと噂で聞いた。僕はぼやぼやと大学生を続けて、1年遅れて大学院の試験を受けることにした。
*****
*****
僕は大学院に進学した。会社に就職したくなかったからだ。かといって大学院でなにか勉強したいこともなかった。それで親に聞こえがいいようにと、法学部の大学院に進学した。親は勘違いしていたけど、僕が所属したのは、司法試験に合格するための大学院ではなくて、大学教授になるための元々募集人員が少ないけど、30人入学して2年の博士課程を終えて就職できるのは2割しかいない。親には、「もっと法律を勉強したい。」と嘘を言った。国際法関係という司法試験とは全然関係ない分野を研究するところだった。
国際司法、国際公法という弁護士稼業には全く関係ない分野だった。
家を出てから午前中に行くところは、ネットカフェだった。ネットカフェで3~5社の株を最小単位で買いそれから証券会社に行って生の情報を証券会社の営業マンから仕入れていた。そんな時間を午後3時まで過ごし、夕方には雀荘へと行った。大学院の研究室に行くのは、週に3回だった。そこで担当教授と20分くらい打ち合わせをして、1か月後の研究目標を立てるのだった。
僕は偶然木下を西新商店街で見た。
木下は、大手の流通業界に就職し、地元には残っていないはずだった。それが、西新商店街を歩いていた。
「おお、木下じゃないか。どうしたんだ。おまえ丸井商事に就職して大阪支店に配属になったんじゃなかったか?なんで、福岡にいるんだよ?長期休暇か?」
「ああ、田辺か。丸井はやめちゃったよ。いやなことがあってな。もうどうでもいいや」「嫌なことって?」
「またストーカーだよ」
「まさか、あのマリコさん?」
「そうだよ、そのマリコさんだよ。マリコ」
「だって、警察に届けて解決したんじゃないのか」
「よく分からないけど、なんか僕が丸井商事に就職したことを知っていたんだよな。木下、お前、マリコさんに言ってないよなあ、おれが丸井に就職したことを。」
「言うわけないだろう。」
「それが変なんだけど、マリコさんが僕の就職先まで来てさあ。それでおれになんて言ったと思う。」
「それは、『どうしても、好きだから、とか忘れられないとか』を言われただろうし、それになんだろう?」
「そう、もちろん、『どうしても好きだと』言われたけど、それだけじゃなくてさ。」
「それだけじゃなくて?」
「鈴木さんから、『どうしても好きなら気が済むまで頑張ってみれば』ってアドバイスされたってさあ。あり得ないだろう!・・・」
ひどく落ち込んでいる。それが手に取るように分かる。
鈴木さんは、そういう意図でなかったかもしれない。そのことが本当なら、鈴木さんは、マリコっていうストーカーに焚き付けるような話しをしたかことになるだろうけど・・・ストーカーが口から出任せに言った可能性だって大きい。
でも、鈴木さんなら木下のアパートを知っていたから、就職後の転居先だって調べられる。
次々に鈴木さんへの疑いが湧いてきた。
どっちにしても、木下はストーカーが就職先まで来たことで居づらくなったのには違いない。
そんなことが重なってきっと木下は嫌気がさしたんだろう。
でも、僕には鈴木さんに生まれた疑いを消すことが出来なかった。
どうしてなんだ、鈴木さん。
どうしてなんだ、鈴木さん。
どうしてなんだ、鈴木さん。
鈴木さんの奥さんと会った
第2章 鈴木さんの奥さんに会った。
k.
僕は30歳になった時のことだった。相変わらず、西新商店街でぶらぶらしていた。独身のままだし、法学部の助手という席を持ってはいるものの、収入は極めてわずかだった。しかし、自由気ままだったし、変える気持ちにはならない。
助手になっても、雀荘通いはそのままだった。それどころかセミプロみたいになってしまい、「雀荘いこい」に常駐している2人のプロ雀士とすっかりツーカーになっていた。この二人は、自分ではプロとか言わないが、やっていることは、一見の素人を煽てて油断させ、最後にはお客から金をかすめ取っており、どうみてもプロに違いなかった。
一人は、黒鉄こと黒田哲也、もう一人は、「意地っ張りのオンジ」こと伊地知剛。
黒鉄は43歳くらいだろう、意地っ張りのオンジは、60歳をちょっと過ぎたくらいかな。黒鉄は、いつもはくたびれたスーツを着ていて、仕事帰りのサラリーマンと自分では触れ回っているが絶対に違うだろ。だって週に4回も昼間から雀荘に来ているんだ。それに「いこい」に来ない日には、きっとほかの雀荘で、素人から金を稼いでいるに違いないと僕は見ていた。
オンジは、自分では、公務員を退職した年金暮らしだと言っている。確かに凡庸として人の良さそうな風貌を持っているし、年金をもらっているのは間違いないだろう。けど、元公務員っていうのは、一見のお客を騙すためだろうと思った。
賭け事には、運やツキが実はかなり関係ある。黒鉄、オンジ、僕らが素人を相手に売っているとき、結構条件が厳しいことがある。つまり、素人の腕は全然たいしたことなくても、僕らがセミプロだというのがばれないように打たないといけないこととか素人さんの機嫌を損ねないようにしないといけないとかいう点で、ツキを使う必要がいることもある。
それで、僕はどうしてもツキがいるっていうときには、お守りにしている”石”をぎゅっと握りしめるようにしている。
ブラッドストーン
と名前まで付けているんだ。
一昨日、いこいで、2時間打った。メンバーは、僕、黒鉄、オンジと一見のサラリーマン風の眼鏡をかけた男性。最初は負けたけど、ここ一番で、ブラッドストーンを握りしめて一発逆転の手を上がって最後には2万円勝ちになった。
ホクホクとして、いこいを立ち去った。
鈴木さんは、西新商店街から歩いて、7~8分離れた事務所街に「鈴木不動産」という屋号で賃貸中心の営業をしていた。最近事務員も2人に増やし儲かっているようだった。金に余裕が出来たので、ビル一棟ごとの売買にも手を伸ばしていると本人から電話で聞いた。鈴木さんは2年前に結婚した。僕は呼ばれたけど、着ていく服がないって言って遠慮した。奥さんはこれまで写真でしか見たことがなかったけど、暗い顔の人だなと思った。
鈴木さん本人は、人を呼ぶのが好きで営業向きの性格だと思う。でも、写真で見た奥さんは、地味で陰気な感じで、接客とか向いていないように見えた。
この年の春、鈴木さんは西新から歩いて5分くらいにできたタワー型の高級マンションを買った。
「田辺ちゃん、あのマンション買ったよ。ほらほら「レジデンシャル新西新」さあ。子供も欲しいしさ、あのマンションならうちの奥さんも今よりもっとキレイになるだろうしさ。だから、遊びに来いよ」
と電話で大きな声で言われた。自信たっぷりだった。その頃は不動産バブルたっだから懐もかなり温かかったんだろう。
電話の向こうでドヤ顔をしている鈴木さんが目に浮かんだ。
僕は、大学の助手という席しか持っておらず、アルバイトと雀荘で小遣いを稼ぐくらいで、結婚なんてとんでもなかった。だから、レジデンシャル新西新のような高級マンションに住んでいる鈴木さんに引け目を感じていて、なるべくそこには行きたくなかった。
それでも、毎週のように、鈴木さんはなにかかやと電話をかけてきては、遊びに来いと誘うので、ついに遊びに行ってあげることにした。7月13日の梅雨明け前の最高に蒸し暑い日だった。
僕は、蒸し暑い中、せめてケーキでも奮発しておこうと思い、三越デパートまで足を伸ばし、1個800円のブルーベリーケーキを5個買った。デパートを出てバスに乗るまでの間も歩いたけど、バスの中での涼しいクーラーの空気から放り出されて、外はサウナほどの熱風が漂っていて、蒸し暑くてふらふらしそうだった。
もう一度クーラーの効いたバスに乗っているうちに、ポツポツと雨が降り出した。その雨は、もしかしたらバスが着く頃に已むかと思ったが、西新パレス前で降りたら止まなかったどころかもっと激しく降り始めた。
僕は、傘もなかったけど、なんとかケーキが濡れないようにと薄物のサマージャケットでケーキの箱を上から庇った。
やっと豪華な玄関にたどり着き、ケーキの箱を呼び出しボタンの台と自分の体で挟んで落ちないようにしながら、呼び出しボタンを押した。聞いたこともないピローンピローンという呼び出し音で、思わず気を付けをしてしまった。
女性の声で「どうぞ、上がって下さい。」と言われ、オートで開いた扉を抜けて広いエントランスを50歩くらい歩いてようやくエレベーターに乗り込んだ。
2506号室の扉が開けられて、顔を見せたのは厚化粧の奥さんだった。
奥さんの名前は佳枝さんという人だった。
前に鈴木さんから電話をもらったとき、鈴木さんは
「最近、高級マンションに引っ越してからさあ。うちのかみさんすごくキレイになったなあ。まあ、自慢するわけじゃないけど一度会ってくれよ、うちのマンションの部屋で。」と売り込むかのように言っていたのに、佳枝さんは別にキレイではなかったし、近畿ナ感じもそのままだった。
鼻高いのに、目は切れ長なのに、顔全体は細面なのに、顔全体が陰気なんだ。その陰気さは2年前に見たときと変わらなかった。住んでいるところが豪華なばかりに反ってしっくりと落ち着くところがなくて、浮いている感じがした。
その落ち着きのなさに驚きつつ、僕は手土産のケーキを恐る恐る差し出した。佳枝さんは、何でもないものを受け取るように簡単に受け取りながら
「あら、こんなもの持って来なくてよかったのに。」
と言ったが、本当に受け取りたくないような言い方にも聞こえ、ぼくはちょっとカチンと心が固まった。
玄関先でこんなやりとりをしていると、部屋の奥から
「おお来たか、上がれ上がれ。」と妙にはしゃいだ鈴木さんの声が聞こえた。
鈴木さんが呼んだ一番奥の部屋に通してもらったら、さすがにゴージャスだった。
2面ガラス張りでガラスを通して博多湾が一望できた。廻り回廊のようなベランダには人の背の高さくらいのガジュマルの樹の植栽が3つ備え付けられていた。
「わあーすごいですねえ、鈴木さん。ここにいたらもう出たくないでしょう。奥さんの手料理を食べて、居心地の良いソファーに座っていいなあ。」
と精一杯のお世辞を言った。
*****
*****
2面ガラス張りのリビングは20畳くらいの広さがあり、システムキッチンも広かった。僕らは窓際に座っていて、僕の椅子からシステムキッチンまで5mも離れていた。
テーブルは8人掛けでもしかしたらマホガニーかもしれないと思った。
僕の向かいに鈴木さんがゆったりと、かつ堂々というか居丈高に近い感じで座っていた。 僕の席から2mも離れていて、背も僕よりも高くはないのに、上から見下ろすような目線ようにしていて、丸い金縁の眼鏡がずり落ちそうだった。
コーヒーを出してくれた。
「美味いだろう。」と鈴木さんは言ったものの、スーパーで売っている普通の挽き売りのコーヒーだと思った。
「ああ、ちょっと見せたいものがあるから」
と言いながら、席を立って奥の方に歩いて行った。
残された佳枝さんは、僕の向かいに座っていたが、居心地の悪そうな顔をしていた。
「とても、きれいなベランダですね。毎日家にいて楽しいでしょう」
と僕はお世辞のつもりで言った。
佳枝さんは相変わらず黙っていたが、目が笑っていなかった。
ちょっと目を泳がせた上、立ち上がってベランダの方に歩いたかと思うと、僕に近づいてきた。
「ちょっとねえ。田辺さんは、鈴木のことよく知っているんでしょ?」
「ええ、まあ」
「あのさあ、あたし、どうにも鈴木のことが鼻につくのよね」
「はあ、鼻につく?」
「ええ、ここだけの話だけどね。ここを買ったからって何かと自分で自分のことを自慢してさあ、私も最初は煽てていたけど、それがしつこいのよね。ほとんど毎日のように聞かされるのよ。それを聞くと、私は『もう、分かった、分かった』って言いたくなるけど、ぐっと我慢しているのよ」
「はい?でも鈴木さんはすごく奥さんのことを自慢してましたけど?奥さんを愛しているんでしょ」
「愛してる?私を?違うわよ、絶対に。うーん、もし本当に鈴木が私を愛していると言ってもね、その愛って言うのは普通の人とは違うわよ。いや、なんて言うか。変なのよ」
「変ですか?暴力的だとか。あるいは外に女を作っているとか?」
「そうねえ、おんなは分からないけど、暴力的でもないけど、なんか嫌な感じよ。例えば、妙に英雄みたいなこと言ったりするのよ」
「英雄みたいなこと?」
「そう、こんなことがあったのよ。自分で目標を立ててさあ、3ヶ月でマンション10軒売るって言って。「おれはこの目標を立てた。佳枝のために立てた。」って毎日のように言うのよ。それだけじゃなくて」
「はい、そらだけじゃなくて?でもいい話じゃないですか。だんなが奥さんが喜ぶようにと、仕事で頑張るとか。やっぱりまじめで情熱家だからなあ、鈴木さんは」
「そう、一見すればねえ。でも毎日毎日、そんなことを呪文を唱えるみたいに聞かされてみてよ、もうなんかねえ、毎日よ毎日なんだから。毎日、「おれは佳枝のために、マンション売るぞー、マンション売るぞー、エイエイオー』ってどういうこと、たっくー」
「はあ、一見麗しい話しみたいだけど」
「麗しい?妻を愛するが故に仕事に精を出そうとしているからって?」
「そうじゃないですか? 違うわよ、絶対に、仕事で結果を出して、『これだけ成果を出せる立派な男だって、自分で自分に満足したいだけ』よきっと。」
「はあ、そうですか?でも奥さんのために頑張っていることには違いないんだから、嬉しくないですか?それにこれだけ豪華なマンションに暮らされていて。」
「それにね、臭いのよ、トイレが。」
「えっというと?」
「きっと、お肉とか美味しいものばかり食べているせいだわ。あの人が出てから1時間後にトイレに入ったら、もう臭くて死にそうだったわ!」
僕は、きっと奥さんも体臭が強くてお互い様なのに、夫の体臭が臭いから、夫を我慢できないという理由にしているんだろうと思った。勝手な理屈だ。
「冗談じゃないわよ。」と急に大きな声を出して立ち上がって、早足でベランダに向かった。そして、大きな窓を開けて、ベランダの手すりに近づいた。
僕は、顔色を急変させてベランダに出たんで、そのまま26階から飛び降り自殺をするのではないかと思って、急ぎ立ち上がって、奥さんを追った。
僕が追いついたとき、奥さんはベランダの手を乗せて、穏やかな顔つきで遠くを見つめていた。
奥さんは静かに言った。
「ほら、こんなに私が慌てて、つまり不安と不満でいっぱいなのに、ここにいないでしょ。だから、一緒に暮らしていても、心と心はつながらないのよね」
「多分ね、きっと鈴木は、たくさんのモノに囲まれれば、しれで満足する人なのよ。そして、モノがあるだけで満足している自分に共感して欲しいんだと思うわ。」
「それだけお分かりなら、奥さんなら鈴木さんを喜ばしてあげられるんじゃないですか?」
「でもね、違うわ。もう無理なのよ。とにかく、これから鈴木がどんな男か見せてあげるわ。ほら、私はここにいるから、いま鈴木が自分の部屋で何をしているか見てくるといいわ。」
と言って奥さんは、僕の背中を押して、鈴木さんの個室ドアを指さした。
僕は、戸惑ってベランダからはいってすぐのところで立ち止まっていると、奥さんは、僕を睨み付けて、鈴木さんの部屋に入るように強く目で命令した。
僕は仕方なく、ゆっくりと鈴木さんの個室に向かった。
それにしても、鈴木さんは、僕らを放っておいて、自分の部屋で何をしているんだろう?僕に見せたいものって、なんだろう。奥さんはあんなふうに鈴木さんのことを嘆いているというのに。それに、鈴木さんが『是非、うちに来いよう』って何度も何度も言ったから、僕は仕方なく、ここに来ているって言うのに。 ちょっとと言って自分の部屋に入ってから、20分は過ぎた。いったい何をしているんだろう。僕は、鈴木さんの個室のドアノブをつかんだところで、どうしようかとまた奥さんを見た。
「トントン、鈴木さん、鈴木さん、どうしてるんですか?」
返事がない。
「トントン、鈴木さん、鈴木さん、どうしてるんですか?」
やっぱり返事がない。
「鈴木さん、入りますよ」
と言って、僕はゆっくりとドアノブを回して、中を見た。すると、中は12畳くらいの大きな部屋だったが、宇宙戦艦ヤマトとかガンダムとかのプラモが5,6個、収集した切手のスクラップブックが12冊くらい、部屋の壁には野球チームのペナント、窓際の棚には、古い日本の古銭を額縁にいれたものが飾ってあった。そして、肝心の鈴木さんは、大きなベッドに横になり、足を広げて、不利委タイプの飛行機のプラモを手に持って、飛行させているようなポーズを取った楽しんでいた。
「ああ、田辺。ちょっと見せたいと思ったプラモをどれにしようかと迷っているうちに、プラモをいろいろ持ち替えて遊んでたんだ。いや、もうこれって楽しくて楽しくて。」
「あのねえ、鈴木さん、僕らをほったらかしにして、どれくらい時間が経ったか分かります?分かりますか?」
鈴木さんは、それがどうしたのかなにか問題なのかというような顔をして
「時間?さあ、10分くらい?」
「ああ、30分は過ぎてますけど、あのねえ、それよりか、僕、こちらに招待してもらったんじゃなかったですかねえ。そして、僕が来てすぐに鈴木さんは自分の部屋に入って、戻ってこないなあと思ったら、ベッドでくつろいで、プラモで遊んだりして。あのう、おかしくないですか?僕は後輩だからいいですけど、奥さん寂しがってましたけど、もう」
鈴木さんは、ベッドに寝たままだった。そして、プラモを右手に持っていたのを左手に持ち替えて、さらにプラモの飛行機の飛行放物線を描かせて、歩き始めようとした。
そのとき、僕は、プラモを飾っている棚の中に、USファントム機のプラモもあり、さすがに鈴木さんは、よっぽどプラモが好きなんだろうなあと思った。
「それにしても、鈴木さん、これ全部自分で作ったんですか?隅々まで丁寧に作られてて、手間と時間をかけたんですね。」と言った。
「ええ、いいできだろう。もしかして欲しい?」
「欲しいなんて、苦労して作ったものを。」
すると、鈴木さんは
「おや、これ買ったものだから。西新商店街の外れに昔からあるプラモやさん在るだろう、そこの店長さんに聞いてみたら、売値の倍で作ってくれるって言うんで、倍出して買ったんだよ」
「ええ、プラモって作るのが楽しんじゃないですか?鈴木さん、てっきり若い頃からプラモを作る趣味があるって思っていましたけど」
鈴木さんって、どういう人なの?いろいろな物を持っているのが自慢で、持っていることを人に見せたいだけなの?
僕があんぐりを口を開けているのをよそに、鈴木さんは相変わらず、零戦の放物線を描かせていた。まるで子供みたいに。
僕は、また鈴木さんの部屋から出て、またたばこを持ってベランダに歩いている佳枝さんを追った。
部区が僕が来る前に降った雨は上がり、やっと日が陰りだした。ベランダには心地よい風が吹いていた。
たばこの煙を出しながら、佳枝さんは
「変でしょ、鈴木は?」
僕は深く頷いた。
「私、離婚したいのよねー」
「ああ、それは分かりますけど。でもこんな立派なマンションを持っているんだし、なにもかも無くすとやっぱり惜しいいんじゃないですか?」
「全然、惜しくないわよ、全然」ときっぱりと言った。
「・・・」
「それにね・・もっと大きな理由があるのよ」
「ええ、もっと大きな理由って?」
「セックスよ、セックス。これだけ夫婦仲が冷めているのに、いや冷めているって思っているのは私だけできっと鈴木は気づいていないのよ。それなのに夜迫ってくるのよ、私は全然そんな気分じゃないのに、そんなことにも気づかないのよ、まったく」
「はい、でも鈴木さん、子供が欲しいって言っていましたけど。」
「はあーーこども?冗談じゃないわよ。」
「ええ、なんかこのマンションを買ったのは新しいマンションで、子供も産んで欲しいって言っていましたけど。」
「全く、鈴木さんはここに引っ越してきてから、セックスを求め方は酷くなったわ」
「つまり」
「つまり、こどもよりもエッチなのよ」
「そんな?」
「きっと、鈴木さんは、あなたが帰ったらすぐにでもエッチしようと迫ってくるわ。もうまったく嫌になるわ。きっと外はもうすぐ夕焼けよ、ゆっくり夕焼けでも見ながら、ビールでも飲んで美味しい物食べて、うつらうつらしていたいくらいよ。でもそんなときでも違うわ、鈴木は。」
僕がレジデンシャル新西新2506号室をを出るときも、鈴木さんは部屋の奥にいて、「あれ、田辺ちゃん、もう帰るの?もう少しゆっくりして行けばいいのに!」
と言い、佳枝さんは『ふん、どうにもならないわね』という顔をしていた。
この日から1か月後、僕は鈴木さんから電話をもらった。
「はい、ああ、鈴木さんですか?どうしましたか?」
「ちょっと、聞いてよ、田辺。佳枝が家を出て行った。リビングのテーブルの上に、離婚届だけ置いて。どうしてなんだ。おれなんか悪いことしたかなあ?」
「・・・」
「やっぱり、あれ以来だ。田辺をうちに呼んでから、佳枝は機嫌が悪くなっていたんだ。」
「はあ、それでなにか?」
「なにかじゃないだろう、田辺、佳枝になにか言ったんじゃないのか?おれの悪口かなにかを?」
「ガッチャ」
僕は携帯をベッドに投げた。思わず、投げつけた。
そうだろう、普通、こんなとき物を投げつけるだろ。
どうしようもない、鈴木さん。
どうしようもない、鈴木さん。
どうしようもない、鈴木さん。
挙動不審
第3章 挙動不審?
僕が初めて鈴木さんのマンションを訪問したのに嫌な思いをさせられてから、3か月がたった。
あれ以来、僕は鈴木さんを避けていた。当然だろう。
それに、鈴木さんはもうすぐにでも、奥さんから離婚されそうだったから、離婚の原因を僕が作ったとも言われたくなかった。だから、僕は奥さんとの接触も避けていた。7月、8月と佳枝さんから僕の携帯に着信があって、僕は出なかった。
それでも、8月の終わり、1日に5回も佳枝さんから着信があっていたから、たまらず出た。
「どうしたんですか?僕はもう鈴木さんとはあまり関わりたくないですけど」
「うんうん、分かっている、分かっている。実はね、いろいろ心配させたけど、私、やっと鈴木と離婚したから、ちょっと知らせておこうと思ってね」
やっぱりだ、鈴木さんがあんな状態なら離婚されても当然だろう。
「そうですか?仕方ないですね。でもよかったんでしょ、別れられて。」
「そうよ当然よ。でもあのときにあなたが来てくれて、それまでの迷いが吹っ切れたから、別れることが出来たんで、ちょっとお礼を言っておこうと思ってね。」
「いえ、別にお礼と言うほどのことはしてないですけど」
「じゃあ、とにかくありがとう。」
「今後、どうされるんですか?」
「ああ、あのマンション離婚の手切れ金としてもらったけど、売ったわ。だから、私は当分そのお金で食べていくわ。まあ、私別れたおかげですっごくやる気が出てきたから、一人くらい食べていけるわ。じゃあね。」
「ああ、はい、がんばって下さい」
こうして鈴木さんは奥さんに逃げられた。
僕は、鈴木さんという厄介な人がとりあえず、僕の近くからいなくなり、また元の平凡な生活に戻っていた。
昼間は、大学の助手として働き、夕方には西新商店街の雀荘「いこい」で多少の小遣いを稼ぐという生活だった。
特に今日は、パワーストーンの力を必要としていた。先月は5万円も負けてしまい、9月はその分を取り返さないことにはどうしてヤクザな麻雀をしているのか意味がない。
9月中旬の夜10時、僕はいこいの雀卓に座っていた。始まってから4時間は過ぎていた。これまで、僕はマイナス50。つまり5万円負けていた。
「どうしたんだ。今日も負けるのか!」
と苛立ちとちょっとした恐怖感と自己嫌悪で一杯だった。
こんな心理状態だとまず勝てない。麻雀は反省するとだめなんだ。
(*なんとかして、ブラッドストーンのおかげもあって3万円の勝ちに出来た)
上荘の黒鉄が言った。
「ああ、そうそう。さっきいこいの出入り口に40歳前くらいの脂ぎった男が立ってて
「田辺って奴はいないかって、声かけてきたけどな?お前、そいつと知り合いじゃないのか?」
僕は一瞬どきっとした。もしかしたら鈴木さんではないかと思った。
「で、なんて答えたんですか?」
「いや、なんでもないような顔して無視しだけど。もしかしたら、俺の顔色見て『中に田辺はいるな』と感づかれたかもしれねえなあ。」
「そいつどんな感じだったですか?怒って機嫌の悪そうな顔してなかったですか?」
「そうかも知れないなあ」
「なんで入ってこないんだろう」
「さあ、なんでだろうなあ?もしかしたら、お前を待ちながら、大麻でもやってんじゃないの?なんか変な臭いしたから」
「ええ、黒鉄さんなら、大麻の臭いってよく知っているじゃないですか?」
「ええ、まあな、うーん、あれ大麻かな?ちょっと違うような感じだったけどな」
「まずいな」
「ここ、裏口ないからな。じゃあ、おれは先に帰るよ。気を付けなよ」
「はい」
いま、ちょうど午前零時だ。もしその男が鈴木さんなら、僕がここにいるのを狙ってやってきたとも言える。そして、佳枝さんとと離婚したことで僕にあれこれと因縁を付けてくるかもしれない。まずいなあ・僕は表の仕事は大学助手だから、雀荘の外で大麻でラリっている男性と揉めたとかで噂がたっても困るし。
いこいは古びた雑居ビルの2階にある。階段降りると、狭い路地があって、人通りの多く道までは少し離れている。
僕は、恐る恐る階段を降りて、左右を見回した。すると、階段降りてすぐの向かい側のビルの出入り口の脇に小太りの男性が立っていたが、その男性がこちらに近づいてきた。 「まずい」と思い、腹に力が入った。そいつは千鳥足だった。そして、僕の立っているところから1メートルまで近づいたところで、目が血走っていて、そのくせ変に泳いでいた。鈴木さんだ。
「おい、田辺だろう、待っていたぞ。おいちょっと話を聞けよ」
僕は、聞こえない振りをして人通りが多い通りへと足を早めた。鈴木さんは僕の右腕になれなれしく掴もうとしたから、黙って肩をかわした。
大通りに出たが早足の僕の横を千鳥足を我慢しながら鈴木さんはすがるように歩いていた。
「おい、ちょっと待ってよ。話しがあるから。ちょっと聞いてくれ。おれは離婚したんだ。」
「はい?」
「おれのことはいいから、なあこれ、受け取ってくれ。」
と言いながら、茶色い中封筒に僕に差し出してきて、受け取ろうとしないものだから、僕のジャンバーの右ポケットにねじ込んできた。
そして、誰もいなくなった