探偵日記 5 『 1枚のフォトグラフ 』

探偵日記 5 『 1枚のフォトグラフ 』

実は、私は探偵小説が嫌いだ。
ホームズ、金田一、コナン …etc そんなに都合良く、謎解きの鍵が見つかるもんか。
警察署の警部辺りから事件捜査の協力や依頼など、そんな警察のメンツを潰すような設定、誰が最初に考えたのだろう?
・・そう、私は本物の探偵だった。 今でも時々、プライベートな時間に、『 非日常生活 』をしている。
密室殺人とかアリバイ崩し・・・ 実際には、そんな謎解きなどは無い。 もっと、人間の深層心理や対象者の人生の機微に迫り、
自身の岐路に、事情を重ね考える事が多い。
先回に続き、私が担当した案件の中から、特に記憶に残っているものを選出し、シリーズ5としてまとめてみた。

登場人物・団体名は架空ですが、ストーリーと結末はノンフィクション。 事実のみを優先しています。
登場する探偵『 葉山 』は、私です。

1、発端

「 すみません。 葉山様・・ ですか? 」
 喫茶店で依頼者と待ち合わせをしていると、1人の初老の婦人が葉山の所へやって来て尋ねた。
「 そうです。 初めまして、葉山です 」
 葉山は、婦人に会釈をし、名刺を渡した。
「 黒いスーツを着ています・・ という事で、伺って参りましたので、一目で判ったのですが・・ 随分と、お若いのですね。 お電話で、お聞きしたお声からは、もっと年配の方かと思っておりました 」
 葉山は、笑って答えた。
「 はは・・ 有難うございます。 これでも来年、43ですよ 」
「 あら、失礼。 とてもそんな風には、お見受け出来ませんわね 」
「 20代の頃は、よく、オッさんに見間違えられてましたよ。 若い頃に老けて見えるヤツは、歳をとると、逆に若く見られるそうです。 ・・という事は、私も歳をとったという事ですかね? 」
「 ほほほ・・ あ、ホットコーヒーを下さいな 」
 水を持って来たウエイトレスに、婦人は言った。
 あまり、人生に困ったというような雰囲気はない。 こざっぱりとした、ブルーグレーのワンピースを着ている。
「 娘さんの、婚約相手の方の行動調査でしたね 」
 葉山は、メモ帳を用意しながら、婦人に言った。
「 そうです。 まあ、身上調査とでも言いましょうか・・・ 」
 運ばれて来たコーヒーを飲みながら婦人は答え、続けた。
「 実は、お恥ずかしい話しですが・・・ うちの娘は、バツイチでして・・ 最近、お付き合いを始めた男性に求婚されたそうなんですが、話を聞くと、その方もバツイチらしいんです 」
 まあ、最近よく聞く話だ。 相手もバツイチという状況も、決して珍しくない。 ただ、婦人の年齢を考えると、その手の話は、あまり他人に知られたくない、恥かしい事なのだろう。
 身上調査と呼ばれるものは、以前は頻繁に行われていた。 いわゆる興信所がその中心となり、婚約をしたカップルの内、新郎側の親が、いわば当たり前のように、半ば公然と行っていた時代があったのである。 現在も、地域性にもよるが、よく行われている所がある。 仲人が調査を依頼している場合もあり、調査員を新婦側の親が接待したり、金一封を渡す『 風習 』が残っている地域も存在する。
 婦人は続けた。
「 私共と致しましては、相手の男性の方が、どういう方なのか・・ 出来れば、離婚された理由が、一番知りたいのです 」
 ・・これは、単なる行動調査や身上調査ではない。 離婚理由の実情となると本人、もしくは、それに近い人からの聞き込みをするしか、手はなさそうだ。
 葉山はメモの手を止め、婦人に尋ねた。
「 相手の男性には、お会いした事はありますか? 」
「 はい。 よく家に来ますから。 調理師の免許を持っていて、市内のケーキ屋さんでお菓子職人をしてるそうです。 よく私にも、美味しいケーキやクッキーを焼いてくれて持って来てくれるんです 」
「 それなら問題はなさそうじゃないですか。 人格的にも、ほがらかな方なのでは?」
 葉山がそう尋ねると、婦人は、逆に聞いて来た。
「 じゃ、何で離婚されたのでしょうか? 」
 ・・・確かに、そうだ。 性格的に問題が無ければ、離婚などという結果になろうはずがない。 経済的な問題があったのだろうか。
 婦人は続けた。
「 うちの娘が結婚した夫も、そうだったんです。 優しそうな方だったので、安心していたのですが・・ 実は、まったく働かない人でして・・・ 家計は、娘がパートで支えてました。 彼は毎日、パチンコです。 どうやら、ヤクザと関係のあった人らしくて・・・ 」
「 交際されていた時に、気が付かなかったのですか? 」
「 ・・実は・・ 出来ちゃった結婚でして・・・ 」
 あっちゃ~・・・ そう来ましたか。
 こういった場合、責任を取って結婚する、と言うパターンになる事が多いようだが、本当の責任とは、もっと大きな意味である事に気付かない人が多い。 結婚する事が全てではなく、生まれて来る子供が立派に成人し、社会人として独り立ちするまで、その養育を全うする事に本来の責任がある。 それを考えずに、とりあえず体裁を繕おうとして結婚するから、こういった結果を招くのだ。
 婦人は続けた。
「 ・・更に、今回の求婚相手の男性も、以前の結婚は、出来ちゃった結婚だったんだそうです 」
 出来ちゃった結婚で、その後、離婚した者同士の再婚話し・・・
 これは親として、慎重にもなるはずである。 気持ちが分からなくも無い。
 葉山は、案件を受託し、翌日から調査を開始する事にした。

 婦人が帰った後、喫茶店に残り、調査の展開を思案していた葉山の携帯が鳴った。
「 はい。 葉山探偵社です 」
『 余計な詮索はするな 』
 男の声だ。
「 ・・・どちら様ですか? 」
『 佐伯の依頼を受けただろう? 報告は、判らなかったとしておけ。 いいな? 』
 先程の、婦人の名前を告げている。
「 何の事でしょうか? 佐伯・・ さんですか? そんな方、存じ上げませんが・・ 」
『 トボけんな、お前! コッチは、見てんだ! 』
「 はあ、そうですか。 御苦労様です 」
「 ナメてんのか、お前! 手を引かないと、タダじゃすまないぞ 」
 葉山は、構わず電話を切った。 カップに残ったコーヒーを飲み干し、一考した。
( オマケ付きか・・・ 一体、誰だ? )
 喫茶店を出て車に乗り込み、国道を走り出すと、また携帯が鳴った。 先程と同じ、非通知である。 葉山は、電話に出た。
「 はい 」
『 何、勝手に切ってんだよ、お前! 』
 やはり、先程の男のようである。
『 ドコ行こうと、オレには判るんだからな。 いいか、この件は・・ 』
 ブチッ、と携帯を切る葉山。
( パパラッチが居たんじゃ、調査の邪魔だな・・ )
 再び、携帯が鳴った。 電話に出ると、やはり、同じ声の男からであった。
『 切るな、つってんだろが、お前! ナメんじゃないぞ! 』
 ハンドルを切りながら、葉山は言った。
「 話しがあるんなら、どこか、その辺の洒落たお店で、じっくりしません? パスタでもいかがですか? 美味しいお店、知ってますよ 」
『 要るか、そんなモン! オレはな・・ 』
「 ゴチャゴチャ、うるっせえ~んだよっ、オメーッ! ドコの組のモンだ、ああ? 文句あんなら、事務所来いや、おメーよォ。 おお~? 」
 いきなり、ドスの効いたコワ声で、男の喋りを制する葉山。 まるで、別人である。 びっくりしたのか、男は無言になった。
 続ける、葉山。
「 非通知で、上等コイてんじゃねえぞ、コラ、おお? サーバーの逆探で、おメーの住所氏名、調べんの、ワケねーんだからな! 極東会、ナメてんのか? コラ、ああ~? 」
 この切り返しに対して、男は、どう反応するか・・・ 葉山は、相手の男の出方を、うかがった。
 ・・・男は、何も言わず、電話を切った。
( 素人だな・・・ オタクっぽい感じだ )
 国道からわき道に反れ、堤防道路に入る。 葉山は、後続する車を確認しつつ、しばらく走ると道路脇に車を寄せ、停車させた。 数台の車が追い抜いて行き、そのうち2台が、数10メートル先にある堤防道路の分岐を降りて行ったが、1台が、分岐を降りて行った所で停車している。
「 どうやら、キミのようだねぇ~・・・ 」
 葉山は呟きながら、ゆっくりと車を発車させると、その車の真後ろに、ピッタリと着けて停車させた。 慌てて、その車は急発進し、猛スピードで走り去って行った。
 ナンバーを手帳にメモし、バックで堤防道路に戻る。 そのまま葉山は、堤防道路を走り出した。
( 素人、丸出しだな・・ )
 再び、路肩に車を停車させる。 葉山は、車から降り、車体の下を点検した。 ほどなく、シャーシに取り付けてある発信機を発見。 市販されている量産型の小型発信機だ。
( やっぱり、あったか。 モデルも設置場所も、素人だな・・・ )
 葉山は、土手を見渡し、落ちていた発泡スチロールを拾うと、車内のグローブボックスからビニールテープを出し、発泡スチロールに巻き付けた。 水が入らないように、グルグル巻きにすると、それを川の中に投げ込む。
( 港まで、追っ掛けて行けや・・・! )
 再び、車に乗り込む葉山。 車を発進させ、堤防道路を走らせる。
( 暴力団を装ってみたが、乗って来なかったな・・・ おそらく、カタギの人間だ。 しかし、一体、誰だ? )
 佐伯の名前を知り、今日、葉山と、調査の打ち合わせをする事を知り得た人間・・・
( こりゃ、身上調査とは別件で、やらなきゃならない事があるな・・・! )
 先行きに不安を感じ、ため息をつく葉山であった。

2、お前は誰だ?

 1軒の民家脇に、葉山は車を停めた。
 生垣に囲まれた門柱には、『 佐伯 』の表札が掛かっている。 木製の格子戸の向こうには、磨りガラスのはまった玄関が見え、小振りながらも、よく手入れされた松が植わっていた。
 葉山は、鞄の中から小型の電波受信機を取り出した。 電源を入れ、家屋の方へ向ける。
「 ・・・・・ 」
 受信機のメーターが振れている。
( やはり・・ か )
 葉山は、ダッシュボードの中からメモ用紙を取り出すと、ボールペンで走り書きをした。 それを受信機と共に持ち、車から降りる。 受信機のアンテナの方向を左右に振り、感度の確認をしながら、呼び鈴を押した。
「 はい。 只今、参ります 」
 磨りガラス戸の向こう側で婦人の声がし、やがて戸が開かれた。
「 どちら様で・・ あ、葉・・ 」
 葉山は、名前を言おうとした婦人を制し、メモを見せた。
『 盗聴器が仕掛けられています。 声を出さないで下さい 』
 メモを読んだ婦人の表情が強張った。 口に手を当て、驚いている。 葉山は、片手で会釈をし、受信機のイヤホンを耳に付けると玄関を閉め、室内に入った。
 新たなメモ用紙に、ペンを走らせる葉山。
『 落ち着いて下さい。 じきに発見致します 』
 メモを読み、無言で頷いた婦人は、玄関脇の電話台の横に置いてあるイスに腰をかけた。
 玄関横にある六畳ほどの洋間・・・ 応接室のようだが、受信機の針は、その部屋から違法電波が発信されている事を示していた。
 応接室に入る葉山。
 天井、壁、床・・・ あらゆる方向にアンテナを向け、感度を調べる。
 幾つかのフォトスタンドが並べてある木製のラックがあった。 その辺りからの反応が、一番強い。
 ・・・半径1メートル圏内に、盗聴器がある・・・!
 葉山は受信機の電源を切り、イヤホンを外すと、ラックの裏や側面を慎重に探索した。
「 ・・・・・ 」
 最下部の棚の裏側に入れた葉山の手に、何かが触れた。
 婦人の方を見やる、葉山。 そっと出した手には、百円ライターくらいの大きさの、黒い物体があった。 婦人の表情が、再び強張る。
 黒い物体の小さな電源スイッチをオフにすると、葉山は言った。
「 もう大丈夫ですよ。 電源は切りました。 やはり、ありましたね・・・! 」
 イスから立ち上がり、葉山の方へ来ると婦人は言った。
「 それが・・ 盗聴器なんですか・・・? 」
「 ええ。 電池式のヤツです。 ま、オモチャみたいな性能ですけどね。 電波が届くのは、数10メートルくらいでしょう 」
 スライド式の裏蓋を開け、中から電池を取り出す葉山。
「 単6が、2つか・・・ 佐伯さん、すみませんが、輪ゴムありますか? それとハサミを 」
 婦人が、奥の部屋から輪ゴムとハサミを持って来て言った。
「 どうして、そんなものがウチに・・・! 」
 輪ゴムを、ハサミで小さく切りながら、葉山は答えた。
「 娘さんの再婚話を、気に入らない者がいるみたいですね。 私の携帯に、今回の調査の打ち切りを強迫指示して来た者がいました 」
「 そんな・・・ え? では・・ その電話を掛けて来た者が、それを仕掛けたと・・・? 」
 小さく切ったゴムを電池の間に挟み、ハサミの先で電池の表面に、小さな切り傷を付ける。 携帯を出し、カメラでそれを撮影した。 裏蓋を戻しながら葉山は答える。
「 多分、そうなりますね。 犯人は、この家に出入りしています。 もしくは、出入り出来る者・・となりますが、心当たりは? 」
 しばらく考えながら、婦人は言った。
「 娘の友人が数人・・ 高校や大学時代の同級生たちですが、時々やって来て出入りしています。 でも、あの子達がこんな事をするなんて・・・ とても考えられません。 皆、良い子たちですよ? 」
 葉山は、ラックの上にあった幾つかのフォトスタンドの内の1つを手に取り、言った。
「 この写真に写っている人たちは? 」
 どこか、校庭らしき広場をバックに、数人の青年たちが写っている。
 婦人は、写真を確認し、答えた。
「 高校時代のクラスメートたちです。 真ん中に立っているのが娘です 」
 他のフォトスタンドの写真を見比べる葉山。 どの写真にも、幾分、髪型が変わった娘さんの姿を確認する事が出来た。 一緒に写っている者たちは、それぞれの写真で違う。 高校時代、大学時代・・ 社会人になってから撮影したと思われるスナップもあった。
 手にしていたフォトスタンドの写真を、再び見つめながら、葉山は言った。
「 盗聴器は、両面テープで貼り付けられていました。 あらかじめ、セットする場所は決めていたようですね。 とすれば、この部屋に何度も訪れている者・・ となります 」
「 ・・・・・ 」
 無言の婦人。 表情は、強張ったままである。
 葉山はフォトスタンドを戻すと、盗聴器を婦人に見せながら言った。
「 この盗聴器は、元の位置に戻しておきましょう。 スイッチは入っていますが、電流を遮断しておいたので、電波は発信されていません。 犯人は、電池が切れたと思う事でしょう 」
 葉山の『 作戦 』は、婦人には読めたらしい。
「 犯人は、近々、電池を交換に来る・・・! そう言う事ですね? 」
「 そうです。 誰か、この家に上がる者がいましたら、その者が帰った直後に、すぐに連絡を下さい。 ただし、その時は電波が発信されている可能性が大です。 この上部にある小さなスイッチが電源ですので、これを切ってからお電話をして来て下さい 」
 葉山が手にしている盗聴器をのぞき込みながら、婦人は答えた。
「 分かりました。 でも・・ 盗聴器だなんて・・・! 」
 婦人には、ショックだった事だろう。 盗聴器など、映画やドラマなどにしか登場しない『 特殊任務 』を帯びた者たちが使用する機器、というイメージを抱いている人たちが大半だと思われる。 実際には、安価な盗聴器が数多く出回っており、面白半分に仕掛ける輩は多い。 盗聴発見の案件も、結構に多いのが実情なのである。
 ・・・ただ、TV等で特集している盗聴発見の映像には疑問がある。 今、葉山が使用していた電波受信機はデジタル式の最新型だ。 小型軽量の上に、感度が良い。 ところがTVの画像を見るに、屋外TV用のような大きなヤギアンテナに、肩掛けの大型受信機は、あまりに不自然だ。 デジタル全盛の時代に、何故か、アナログなのである・・・ 素人目には、大きな機材は『 それなり 』のイメージを受けるかもしれないが、現場最前線で実務に勤しむ者にとって、使用する機材は小型高性能の方が良いに決まっている。 『 やらせ 』の感が、否めない・・・
 葉山は、盗聴器を再び、ラックの下にセットしながら言った。
「 盗聴発見については、今回の案件の中での作業とし、別途請求は致しませんからご安心を。 それと明日、対象者である杉田 浩二氏に関する情報の聞き込みに参ります 」
 婦人は、申し訳無さそうにお辞儀をすると言った。
「 何か・・ お手間を取らせるような事になってしまい、大変に心苦しく思いますが、宜しくお願い致します 」

 新しく造られたばかりと思える道路が、緩やかな坂道となって丘を登っている。 黒いアスファルトに引かれた真新しい白線・・・
 葉山の車は、区画整理が終わったばかりの空き地の目立つ丘陵地を、ゆっくりと登って行った。 所々の区画に、築年数の経った民家が建っており、建設中の新築家屋も数棟見える。 幾つかの小さな交差点を通過し、比較的に古い築の民家塀の角を右折した。
( この案件は、単なる身上調査で終わりそうにないな・・・ )
 先日、依頼者の自宅応接室から出て来た盗聴器・・・ せめて、盗聴器を設置した可能性のある犯人像だけでも調べ、依頼人の婦人には伝えておきたいものである。 犯人の割り出しまで出来れば、一番良いのだが・・・
 対象者の、杉田氏の実家へ車で向かうすがら、葉山はこの案件の収拾を考えていた。
( 盗聴器を仕掛けるようなヤツは、かなりの執念を持っていると見て間違いないだろう。 それは依頼者の娘さんへ向けてのものなのか、対象者に対してなのか・・・ )
 思案のしどころ、である。
 葉山の携帯が鳴った。 路肩に車を止め、電話に出る。
「 はい、葉山探偵社です 」
『 調査の進み具合はどうだ? 』
 ・・ヤツだ・・・!
 葉山は答えた。
「 キミか。 ・・なあ、こんな事をして楽しいかい? 」
『 うるさい! お前は、黙ってオレの言う事を聞いてりゃいいんだ 』
「 逆らったら、どうなるってんだい? 」
『 やかましいっ! いちいち、オレに聞くんじゃねえよ! いいか、くれぐれも報告書には、何も書くなよ? オレは、いつもお前を監視してんだからな! 』
「 へええ~、そうなの 」
 男は、自慢げに言った。
『 今、港近くにいるだろう? オレには、分かるんだ 』
 笑いを押し殺し、葉山は答えた。
「 へええ~、凄いなぁ~、じゃあね 」
 いきなり、携帯を切る葉山。 今度は、電源も落とした。
 タバコを取り出し、火をつける。
( 杉田氏と、佐伯の娘さんとの再婚話しを阻止したいヤツ・・・ 一体、誰だ? )
 誘導会話で日時を指定し、事務所に電話を掛けてこさせれば、逆探で居場所を探れる。 更には携帯電話からだったら、使用者の名前も住所も判明する・・・ だが、そこまでやったら当然、別途請求しなくては割が合わない。 ボランティアで出来る範囲、と言うものが、調査業務には存在するのだ。 葉山お得意のデータ調査だけならば問題は無いのだが、逆探知やNTT絡みとなれば、他のブレーンを使わなくてはならない。 当然、費用の掛かる話しとなる。
( 尾行していたらしい車のナンバーから、ある程度の情報は得られるだろうが、盗難車の可能性もある。 知人から借りた車かもしれないし・・・ )
 まあ、ナンバーの割り出しで、いくらかの情報は得られるだろう。 車の所有者、運転していた者の名前・住所・連絡先・・・
( その結果が出るまで、まだ日数は掛かるが、いずれ判明させて追い詰めてやる。 盗聴器のトラップに、引っ掛かる事を祈るか・・・ )
 タバコを口にくわえ、葉山はハンドルを切りながら車を発信させた。 杉田氏が離婚前に住んでいた家は、この先だ。
( やはり、知人を装った方が無難だな )
 葉山は、自身の『 設定 』を考えながら、車を走らせた。

3、事実

「 この家が、そうか・・・ 」
 木造2階建て。 シャッターの付いたガレージがある。
 葉山は、お得意のデータ調査で、名前から割り出した住所を頼りに、都心からやや離れた新興住宅地に来ていた。 近隣の生活水準は、やや高めと見受けられる。
 婚約者の杉田 浩二氏・・・ 離婚した後、実家に戻っているのかどうかは、依頼人からも情報は無い。 娘さんからは、何も聞かされていないからだ。 奥さんも実家に戻った可能性があるが、杉田氏の台帳データでこの住所が判明したと言う事は、杉田氏・・ もしくは、別れた奥さんが住んでいる事を示唆する。 どちらが居住していたとしても、離婚理由など、誰だって語りたくは無いものだ。 触れたくない過去の情報を、どうやって聞き出すか・・・ である。
 小さなため息をした後、葉山は、玄関の方に回った。
「 ? 」
 玄関に回った葉山は、ある事に気付いた。 表札には、『 鈴井 』とある。
( どういう事だ・・? 何で、杉田じゃないんだ? ・・データ調査のミスか? )
 そんなはずは無い。 誕生日が一致する同姓同名者は、県下には、いなかったはずだ。 2つのキーワード検索の一致から得られた情報だけに、間違う可能性は、限りなくゼロに近い。
( 住所の読み違いか? )
 葉山は、もう一度、住所を確かめた。 だが、何度確認しても、この住所である。
( ・・・変だな )
 普通なら『 所在確認不明 』で引き返すところだが、葉山は、いつも『 ダメ元 』を心掛けている。
( 空振りかもしれんが・・ せっかく来たんだから、1件くらい聞き込みをしてから帰るか )
 隣の敷地で、小さな畑を耕している初老の女性がいた。 家庭菜園の延長のような畑だ。葉山は、その女性に声を掛けた。
「 すみませ~ん。 この辺りに杉田さんというお宅、ありませんか? 」
 女性は、小さな大根を抜き取ると、土を払いながら、葉山の方は振り返らずに答えた。
「 んん? 杉田・・? 」
「 ええ。 確か、この辺りと聞いてたんですが・・ 」
「 お宅・・ その、杉田さんと知り合いかい? 」
 彼女は大根を、ポンと畑の脇に投げると、言った。 相変わらず、葉山の顔は見ようとしない。 だが・・ 何か、知っているような口調である。
 葉山は答えた。
「 学生時代の友人です。 以前、住所だけは聞いてたんですが、来た事が無くって・・・ 今日は、僕、代休で休みなんですけど・・ 浩二君も時々、平日休みになる事があるって聞いてたもんですから・・・ 」
 彼女は、もう1本、大根を抜くと、『 鈴井 』の表札が掛かっている家を見ながら、吐き捨てるように答えた。
「 ・・前は、そこに住んでたけどね。 今は、もういないよ 」
「 え・・? 」
 やはり、この家は杉田氏の家だったのだ。 しかし・・ どういう事なのだろうか? 表札が・・・
「 お宅、何も聞かされてないみたいだね。 離婚したんだよ 」
「 ・・離婚・・・ 」
 離婚の事実を知っている葉山ではあるが、初めて聞いたような素振りを見せた。
( もしかして・・・ )
 葉山は、直感した。 対象者の杉田は、婿に来たのかもしれない。
 困惑の表情の葉山に、彼女は、少し歩み寄ると言った。
「 真面目な婿だったんだがねえ・・・ あんな人だとは、思わなかったよ。 まあ、友達のお宅を前に言うのも何だケドね・・・ 」
 愚痴っぽい言い方の彼女。
 ・・やはり対象者である杉田氏は、婿に来ていたようだ。 新たな真実である。 想像もしていなかった展開だ。 これは少々、予定のシチュエーションにも、注意する必要がある。
( しかし、ダメ元で聞き込みをして良かった・・・! どうやら、別れた奥さんの母親らしいな )
 葉山は、対象者の義母と思わしき女性に言った。
「 ・・そうなんですか・・ 全然、知りませんでした。 あいつ、何かしたんですか? いいヤツだったんですがねえ・・・ 」
 彼女は、少し曲がった腰に両手を当て、初めて葉山を見ながら言った。
「 まあ、仕事は、真面目さね・・ だけど、他で女、作っちまってね。 ウチの主人も、きっぱり別れるなら水に流す、って言ったんだけど、ガンとして譲らないのさ 」
 引き抜いた大根をまとめ、コンビニのビニール袋に入れながら、彼女は続ける。
「 お宅も友達なら、今度会ったら言っておいておくれよ。 子供を勝手に作っておいて、大切な人がいるからソッチに行く、ってのは、あまりに身勝手過ぎるだろ? ってね 」
「 ・・はあ 」
 尚も、彼女は独り言のように続けた。
「 辛い結婚生活送ってる人だから、放っておけない・・ なんて言い訳、通じるとでも思ってんのかねえ。 ウチの娘だって、おかげで辛い生活、送らされてるよ、まったく。 確かに、払うモンは毎月、停滞無く振り込んでもらってるケド・・・ 金さえ払えば、済むってモンじゃないよ 」
 積もった鬱憤を、一気に吐き出したような彼女。 かなり、込み入った内容までを暴露している。 普通は他人に、ここまで話す事は無いだろう。 感情的になっているのが、幸いしている。
 葉山は言った。
「 何にも、聞いてなかったなあ・・ 久しく、浩二君にも会ってないし・・ その、浮気相手の女性ってのは、まさか僕らの知ってる仲の人・・ じゃ、ないでしょうね? 」
「 さあ、どうかね。 市内の人だって聞いてるよ。 確か、東区辺りに住んでて・・ 佐伯って人だよ 」
( は・・? 佐伯? )
「 実は、その人も、出来ちゃった結婚らしいさね。 ダンナさんは、ヤクザらしくてさ・・・! 何で、最近の若いモンは、こうなんだろうね。 ウチの娘もそうだから大きなコト言えないけど、もうちっと節操を持たなくちゃいけないよ、ホント・・ 」

 参った・・・!
 こんな展開、誰が予想しただろうか。
 葉山は、車に戻り、タバコをふかしながら、知り得た情報の収拾を始めた。 導き出された結果に、葉山は苦慮する。
( ・・つまり、対象者の杉田氏の離婚理由は、依頼者の娘さん・・ ってコトか・・! )
 東区の佐伯。 ヤクザ関係者らしき男と、出来ちゃった結婚・・・
 この情報に当てはまるのは、依頼者の娘さんだ。 絶対であるとは言い切れないが、その確率は極めて高い。 その女性と浮気をし、対象者は、離婚した・・・ 少なくとも、鈴井家では、そういう経緯となっている。
( 報告書に、何て書きゃいいんだよ・・! ドコを、どう遠回りして書いたって、まんまじゃないか )
 真実を追究し、依頼者の希望に則する情報を入手するのが、我々、探偵の仕事だ。 報告書には、ありのままを書くしかない。 対象者である杉田氏の離婚理由は、市内東区に住む『 佐伯 』という女性と一緒になる為、だったのだ。
( ・・まてよ? 対象者の杉田氏と依頼者の娘さんは、以前から顔見知り・・ いや、付き合っていたのかもしれないぞ・・・? 杉田氏は、若気の至りで妊娠させてしまった鈴井さんの娘さんと、結婚はしたが・・ やはり、佐伯さんの娘さんと暮らしたいと考えて・・・ )
 杉田氏の、離婚に関わる理由・行動が、それなら理解出来なくもない。 もっとも、最善の選択だったとは言えないが・・・
 では、依頼者である佐伯さんの娘さんについてはどうか? 働きもしない男性、と見抜く前に、どうして関係を結んでしまったのか・・・?
 葉山は、とある仮説を立ててみた。
( 杉田氏と、佐伯さんの娘さんが付き合っていた、とするならば・・・ 好意を持っていた杉田氏が結婚してしまい、自暴自棄になって、ヤクザとは知らずに、行きずりの関係を結んでしまった・・・? )
 煙をくゆらせながら、思案を続ける葉山。
( 依頼者の家で見た、あの写真立ての中に、杉田氏も写っていたんじゃないだろうか・・・? そんな予感がする )
 短くなったタバコを、車の灰皿で揉み消す葉山。 想像は限りなく膨らみ、行き着く先は見当すらつかない。
( 依頼者である佐伯さんの娘さんの身辺調査もしなくちゃならんな・・・ )
 葉山はエンジンを掛けると、市内にある事務所へと向かった。

『 葉山さん、さっき、娘の友人が自宅に来まして・・ 2時間ほど、娘と話をしていましたが・・ 今、帰って行きました。 娘も、コンビニのバイトに出掛けました 』
 数日後の夜、依頼者から連絡があった。
「 分かりました。 すぐにそちらへ向かいますので、この電話を切った後、元通りに発信機のスイッチは戻しておいて下さい 」
 先日の聞き込み調査で判明した杉田氏の情報は、あえて伝えなかった。 変に動かれても困る。 どのみち、報告書で知る事となるのだ。 今は、盗聴器の電波発信確認の方が優先課題である。

 依頼者の家の前に着くと、葉山は受信機のスイッチを入れた。
 チューナーのレベルが反応している・・・! アンテナを、依頼者の家の方角とは反対の方へ外すと、レベルは落ちた。 今度は、アンテナを家の方へ向ける。 レベルは、振り切れてしまった。 間違いない。 盗聴電波が、依頼者の家から再発信されている・・・!
 葉山は携帯を出すと、依頼者宅に電話を掛けた。
『 はい、佐伯です 』
 ほどなくして、依頼者が電話口に出た。
「 葉山です。 はい、いいえ、のみで答えて下さい。 ご主人は、仕事からお帰りですか? 」
『 いいえ 』
「 奥様以外、どなたかご在宅ですか? 」
『 いいえ 』
「 今から、ご自宅に上がらせて頂きますが、一言も喋らないで下さい。 呼び鈴も押しません。 この電話は『 どうも 』と言って、お切り下さい 」
『 どうも 』
 玄関を開ける、葉山。 依頼者の婦人が、心配顔で出迎えた。 葉山は、片手で軽く会釈をすると、まっすぐ応接室に向かい、ラック下の発信機を外すと、電源を切った。
「 もう、喋っても大丈夫ですよ 」
 葉山が、婦人に言った。
「 ・・どうでしたか・・? 」
「 電波が、発信されています・・! 」
 裏蓋を開け、電池を確認する。
「 絶縁のゴムがない・・ やっぱり新品に換えてあるな・・! 」
 携帯を出し、先日、撮影した電池の映像を、パネルに再生する。
「 傷が無い・・ 違う電池ですね・・! ほら、見て下さい 」
 盗聴器に入っていた電池を取り出し、映像の電池と比べる葉山。
 婦人は、口元を両手で押さえ、言った。
「 ・・と言う事は、さっき来ていた娘の友人の子が・・! 」
「 そうなりますね・・・ 」
 新たに入れられていた電池を、携帯のカメラで撮影しながら、葉山は続けた。
「 この発信機は、撤収しましょう。もう必要ありませんしね。 来ていたのは、娘さんの友達に間違いありませんか? 」
「 ええ、そうです・・・ でも・・ あの、大人しそうな子が、まさか・・・ 」
「 名前は、判りますか? 」
「 はい。 確か、横井・・ 君です。 下の名前は知らないですが、娘は、ケンイチって呼んでます。この子ですよ・・! 」
 婦人はそう言うと、幾つかある写真立ての中から1つを手にとり、葉山に指差して見せた。 依頼者の娘さんを中心に、校庭らしき場所で写っている写真だ。 婦人が指差さした人物は、写真に向かって一番右端に立っている、大人しそうな雰囲気の男性だった。
「 高校時代からの友人ですが・・・ どうしてあの子が・・・! 」
 婦人は、思いがけない事実に、困惑しているようだ。
 葉山は尋ねた。
「 その、横井って子の連絡先は、ご存知ないですか? 」
「 電話帳に確か・・ 娘の携帯がつながらないと、よく家の固定電話にかけて来る子なので、こちらから返信する時の為に聞いてありまして・・・ 」
 ソファー横の、テーブルの上に備え付けてあるアドレス帳をめくる婦人。
「 あ、これです 」
 自宅らしき電話番号の他に、携帯電話の番号も書いてある。 葉山は、それらを自分の携帯にメモリーすると、婦人に言った。
「 彼には、何も聞かないで下さい。 こんな事をする裏には、何か必ず、事情があるはずです。 私が接触して聞いてみますので、問い詰めるような事は、差し控えて下さい。 すべては、報告書にてご説明致します 」
 葉山は、依頼者宅を後にした。

 車を走らせ、思案する。
( 犯人は、横井ケンイチという、高校時代からの親友か・・・ 動機は、何だろうな。 やっぱり、男女間の絡みかな。 あの写真は、仲良さそうな友達とのスナップ、という感じだ。 友情が愛情に変わり、それに独占欲が生じたか・・・ )
 軽率な想像は、調査の基本を邪魔する。 しかし葉山には、そんな雰囲気を感じ取る事が出来た。 男女のしがらみは、嫌と言う程、見て来ている。 つくづく、探偵とは因果な商売なのである・・・
 本案件の主調査は、もう終了していると言っても過言ではないだろう。 たった1人からの聞き込み証言のみだが、実の母親からの情報である。 まず、間違いないだろう。 後は、盗聴器を仕掛けた横井という青年の対処だけだ。
( ・・コッチの方が、難しいかもな・・! )
 ため息をつく、葉山。
 現実は、ドラマのようにはいかないものだ。

4、終焉

 数日間、電話の男からは、何の連絡も無かった。
( まあ、そうのち掛けて来るだろう )
 葉山の車と依頼者の家に仕掛けられていた盗聴器は、既に撤収している。 情報が入らない苛立ちから、必ずアクセスはある、と葉山は確信していた。 それに、報告書提出の期日が明日に迫っている。 どの程度の調査期間かは、彼も予測しているはずだ。
 午後7時・・・ 事務所近くにある行きつけの喫茶店で夕食を食べ、取り出したタバコを何となく眺めながら、葉山は、そんな事を考えていた。
「 何、ボ~ッとしてるんですか? 」
 水の入ったピッチャーを持って、若い女性が葉山の前に立ち、言った。
「 ・・ああ、美希ちゃん。 いや、ちょっと考え事をね・・ 」
「 ふ~ん・・ また、探偵の仕事の事? 」
 葉山のグラスに水を注ぎながら、彼女は言った。
「 まあね・・・ そうだ、美希ちゃん。 ちょっと聞いてもいい? 」
「 何ですか? 」
「 好きな人が、結婚しちゃったら、どうする? 」
 彼女は、きょとんとしながら答えた。
「 何、それ? 恋愛事情? 葉山さん、そんなセラピストみたいな事までしなくちゃなんないの? 」
「 探偵稼業も、それなりに大変なんだ。 参考の為にも聞かせてくれよ。 若者代表としてさ 」
 ピッチャーをテーブルに置くと腕組みをし、彼女は言った。
「 う~ん・・・ フツーは、諦めるんじゃないの? 付き合ってるんならともかく・・ 」
「 じゃ、最近多い、出来ちゃった結婚について、どう思う? 」
「 やあ~だぁ~、葉山さん、出かしちゃったのォ~? 」
 彼女は、笑い飛ばした。
「 バカ言ってんじゃないよ。 大事なコトなんだ。 状況や雰囲気によって、女性は、そんなに簡単に体を許す、ってコトかい? 」
 少し真顔になり、しばらく考えていた彼女は、やがて葉山に言った。
「 人によって違うんじゃないかなあ・・ あたしは、こう見えても奥手ですけどね・・!でも・・ 友達の中には、週単位でカレシ、換えてる子もいるよ? 」
 数人の客が、店内に入って来た。
「 あ、じゃね・・! いらっしゃいませ~ 」
 彼女は、葉山にウインクすると、ピッチャーを持ち、テーブルを離れた。
小さく息をつき、タバコに火をつける葉山。
( ・・人それぞれか・・ まあ、確かにその通りだ )
 ふう~っと、天井に向けて煙を吹き出す。 その時、葉山の携帯が鳴った。 発信先は公衆電話。
( 来たか・・? )
 電話に出る、葉山。
「 はい、葉山探偵社です 」
『 調査は終ったか? そろそろ、報告の期日だろう? 』
 ・・あの男だ。 やはり、掛けて来た・・・!
『 いいか? 報告書の内容は、判らなかったと言う事にするんだぞ 』
 葉山は席を立ち、テラスから外のウッドデッキへと出た。 向かいに建つ高層マンションの横に、丸い月が浮かんでいる・・・
「 そんな報告は、僕の腕に関わる事なんでね・・ 無理な相談だ 」
 白いガーデンチェアーに腰を下ろし、葉山は答えた。
『 お前の腕の事なんか、どうでもいいんだよっ! 言われた通りにしろ、いいなっ! 』
「 言われた通りにしないと、どうしてくれるのかな? 何か・・ 声に、焦りが感じられるよ? あんた 」
『 ふざけんなっ! 』
「 海まで行かせて、ごめんな? 発信機、もっといいヤツ、あげるからさ。 今から会わないか? 」
『 要るか、そんなモン! 』
「 盗聴器も、調子悪そうだしね・・ 音声、聞こえないだろ? 」
『 ・・・・・ 』
「 ごめんな。 撤収させてもらったよ。 返そうか? 」
 男は、何も言わない。
 やがて、電話は切れた。 灰皿でタバコを消し、先日、依頼者宅でメモリーした携帯番号を画面に表示すると、もう一台保有しているプライベート用の携帯電話で、ダイヤルする。 しばらくの呼び出し音の後、男が出た。
『 ・・もしもし? 』
「 勝手に切るなよ。 まだ話の途中だろ? 」
『 ! ・・あんた・・・! 』
 男は、声の主が葉山と気付き、かなり驚いたようである。
 葉山は続けた。
「 あんたは、僕に会った方がいい。 いや・・ 会わなきゃダメだよ、横井君・・・! 」
 名前で問い掛けた葉山の言葉に、男は、更なる動揺を見せた。
『 ・・よ・・ 横井・・? だっ・・誰の事だよ、それ・・・ 』
「 君の事に決まってるじゃないか、ケンイチ君・・! 」
『 ・・・・・ 』
「 探偵を、ナメてもらっては困るな。 ・・僕は、君と話しがしたいだけだ。 警察に届けるような事は考えていない。 だが、君が僕に会わないと言うならば、依頼者の承諾を得て、君を刑事告発する。 これは、脅しじゃないぞ? 僕の義務だ・・! 分かるか? 」
『 ・・・・・ 』
「 電話を切るなよ? 切れば、今度は、自宅へ掛けなきゃならん 」
『 ・・・・・ 』
「 君の車のナンバーから、住所は割り出ししてある。 自宅の電話に出なかったら、直接、君の自宅に行く事になる。 イヤだろ? そんなん。 僕だって、そんな面倒な事はしたくない 」
 彼は、何も答えない。
 葉山は続けた。
「 この前は、悪かったな。 怒鳴ったりして・・ 僕は、ヤクザでも何でもない。 ただの探偵だ。 頼むから、会ってくれ。 すべてを話してくれたら、示談で済むんだ。 な? 勿論、金は掛からない。 ・・中央通りのセンタービル、知ってるだろう? そこの1階に、喫茶店がある。 そこにいるから来てくれ。 分かったかい? 」
 無言だった彼は、やがて葉山に言った。
『 オレ・・・ あんたの顔、知らないんだよ・・・ 』
「 僕は、判っている。 心配するな。 必ず来るんだぞ? 来れば、今まで通り、何も無かったように、君は明日からを過ごせるんだ。 いいね? 」
 彼からの返事は無かったが、葉山は、電話を切った。 これ以上、追い詰めると、おかしな行動に出かねない。
 再び、タバコに火を付け、葉山は、横井を待った。

 小1時間ほど、経ったろうか。 横井が、現われた。
 依頼者宅で見た写真の印象よりは、大人びてはいるが、まだ学生っぽい雰囲気のある青年である。 警戒し、怯えた表情をしている。 ジーンズに、黒のTシャツ。 マース・グリーンのパーカーを羽織り、スニーカーを履いていた。
「 横井君、こっちだ 」
 葉山は、手を振り、横井を招いた。
「 来てくれたな・・! 何か、飲むかい? 」
「 ・・・コーヒーを・・ 」
 蚊の鳴くような小さな声で横井は答え、葉山の座っているテーブルの向かいの席に座った。
「 美希ちゃん、ホット1つ! 」
 両手を膝に置き、じっと下を見つめている横井。
 やがて、運ばれて来たコーヒーを勧めると、葉山は言った。
「 横井君・・ プライベートな・・ 込み入った事を話したくない気持ちは分かる。 もう二度としない、と誓ってくれるなら、何も話さなくていい。 ただし、誓約書は書いてもらうよ? 依頼者も納得しないだろうし。 いいね? 」
 横井は、下を見たまま小さく頷くと、やがて話し始めた。
「 ・・・バカな事したと思ってます・・ すべて、自分の身勝手です。 もう・・ 収拾がつかなくなってしまって・・・ 」
「 誰も傷付いたワケじゃない。 佐伯さんの娘さんも、まだ何も知らないんだ。 反省さえしてくれれば、それでいいんだよ 」
 タバコに火を付けながら、葉山は言った。
 丸めていた背を、更に丸め、横井は呟くような小さな声で言った。
「 何度も、失礼な電話を掛けちゃってすみません・・・ 」
 葉山は笑いながら、煙草の灰を灰皿に落としつつ、答えた。
「 おかしな電話は、しょっちゅうあるからいいよ。 よく、僕の電話番号が分かったね 」
「 ・・佐伯さんの家に仕掛けた盗聴器からの音声で、おばさんが、葉山さんの名前を言ってたから・・・ ネット検索したら葉山さんの事務所があったんで・・・ 」
「 なるほど 」
 情報社会も、良し悪しだ。 横井は、俯いたまま言った。
「 ・・僕・・ 佐伯さんが、好きだったんです。 高校時代からずっと・・・! 」
 葉山は、何も答えず、横井の話に耳を傾けた。
「 でも、佐伯さんは、杉田と付き合い始めて・・・ 僕・・ それは、それでも良かったんです。 杉田は、僕の友達でもあったし・・・ でも、あいつ・・ 他の女性と関係を持って、その女性と結婚しちまった・・・! 結婚した後も、佐伯さんと付き合っていて・・ 僕は、それが許せなかった・・! 」
 じっと、テーブルの一点を見つめながら、横井は続けた。
「 ・・佐伯さんは、ずっと杉田の事が好きだったんです。 一度も話してくれた事はないけど、態度を見ていれば誰だって分かります・・・ 」
 しばらくの間を置いて、更に、横井は続けた。
「 佐伯さん・・ ヤケになって、バイト先の上司と関係を持って妊娠しちゃったんです。その後、結婚して、流産して・・ 離婚して・・・ 」
 大体は想像していた通りだ。 前もって、聞いていた情報もあるが、流産の話しは初耳である。
 葉山は、タバコを灰皿で揉み消しながら言った。
「 それで、今回の再婚話しを聞いて、ブチ切れた・・ ってワケか・・ 」
 横井は頷き、続けた。
「 だからって、僕のした事は許される事じゃない・・・ その点は、理解してます。 うまくいけば、ご破算。 もしかしたら、僕の事を・・ なんて考えてました。 ・・身勝手な話しですよね・・ 」
 葉山は、イスにもたれ、両腕を頭の後ろに組みながら横井に言った。
「 ・・なあ、横井君・・・ 人を好きになるのは、自由だ。 でもなあ・・ 画策して人の心を操ろうとしたら、イカンよ。 人を好きになる感覚って、全くの無から、ある日突然、心に芽生えるモノじゃないのか? 自然なものなら、自然にしてるのが、一番、自然な恋が出来ると思うけどな 」
「 ・・・・・ 」
 横井は、何も言わない。
「 ま・・ 分かってても、なかなか、そう出来ないのが人間の性ってヤツだ。 恋は盲目、って言うだろ? 気付かないんだろうな、自分じゃ・・・ 自分のものにしたい、という独占欲が強いからな、人間は。 特に、男はその極致だね。 ・・ちなみに、独占欲に恋の魅力は無いよ? 相手も、重荷を感じるだけだ 」
 ゆっくりと視線を上げた横井が、葉山を見ながら尋ねた。
「 ・・僕は、どうしたら良いのでしょうか・・? 」
 葉山は、あっけらかんと答えた。
「 新しい恋でも見つけなよ。 今回の事は、過ぎ去った青春の回顧録として、永遠なる心の扉の内にしまっておくんだね 」
「 ・・・分かりました・・ 」
 そう言うと、横井はポケットから札入れを出し、1枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。
「 これ・・ 高校時代に、みんなで撮った写真なんです。 大切に、いつも持っていたんですが・・ そのライターで、焼いちゃって下さい 」
 依頼者宅の、ラックの上にあった写真と同じものだ。 校庭を背にした数人の青年たち・・・ 縁は擦り切れ、あちこち破れている。
 葉山は、じっとその写真を見つめると、横井に言った。
「 過去は、捨て去るもんじゃないよ・・・! 過去があるから、今があるんじゃないか 」
 葉山は続けた。
「 勿論、過去に執着しろ、と言ってるワケでもないが・・ もう二度と撮れない写真を、そんなに簡単に捨ててしまうもんじゃない 」
 横井はテーブルに置いた写真を、じっと見つめている。
 葉山は、テーブルに両肘を突き、横井の顔に自分の顔を近付けると、彼を見据えながら続けた。
「 ・・写真を焼き捨てる行為は、自分を悲劇のヒーロー・ヒロインに仕立てている証拠だ。 弱気になるな。 もっと現実を生きろよ・・! 」
 葉山は、写真を横井の前に突き返すと、言った。
「 生きるって事は、明日に向かうって事なんだ。 分かるかい? 明日の事なんてな、誰にも見当がつかない。 事故で、死んじまうかもしれないんだぞ・・・? だからこそ、生きて来た道程である過去を大切にし、今日という日を一生懸命、生きるんだ。 目標を持ってね 」
 横井は、テーブルに置かれた写真を、じっと見つめ続けている。 葉山は、テーブルに突いていた両肘を離し、イスにもたれながら言った。
「 当たり前のように今日を生きていたら・・ 人生の実感なんて、改めて感じる事は無いだろうね・・・ まあ、そんな感覚には触れる事すら無く、平凡・平和に暮らしている人も多い。 それは、それで良しとしたモンだ。 だけど・・ 機会があったら、でいいから、一度くらいは『 現実を生きる 』と言う意味を、真剣に考えた方がいい。 生きているからこそ、過去が生まれるんだよ? 過去がある事を『 幸せだ 』と思わなくちゃ 」
 葉山は、更に続けた。
「 今日と言う日を、精一杯生きている人は、職業・貧富・性別・・ すべてに関係なく、とても輝いて見える。 それが俗に言う『 魅力ある人 』、なんだよ。 君も、それを目指してみたらどうだい? 」
 ・・・随分な、お説教になってしまったようだ。 でも彼は、もうこれ以上のストーカー行為は起こさないだろう。 そう確信した葉山は、横井に、謝罪を含めた誓約書を書かせた。 横井は素直に応じ、葉山の立会いの元、その場で書き、署名した。
 まだ幾分、心配な表情ではあるが、横井は安堵した目になって来ている。 精神的にも、もう大丈夫だろう。
 葉山は伝票を持って立ち上がりながら、最後に言った。
「 写真は、大切にしなよ・・? 君が生きた、証だ 」


 翌日、葉山は、依頼者宅へ報告に向かった。
 婦人に、出来上がった報告書を一読してもらう。
 葉山から渡された報告書を読み進める婦人の表情が、段々と変わっていった。
「 ・・ご相手の・・ 杉田さんの離婚理由になった女性って・・・ ウチの娘の事、ですよね・・? 」
 報告書の文面から視線を上げ、婦人は、葉山に尋ねた。
「 その可能性は極めて高い・・ と、申し上げておきましょう 」
 葉山は答えた。
 報告書をテーブルに置き、小さく息をつきながら、婦人は言った。
「 ・・横井君の事もショックでしたが・・ 事の発端が、ウチの娘だったなんて・・・ 」
 葉山は、横井の書いた誓約書を見せた。
「 彼の事は、もういいでしょう。 昨日、じかに会って、じっくり話しましたから 」
 婦人は、じっと誓約書を見つめている。 複雑な気持ちなのだろう。
 しばらくの沈黙・・・ 壁掛けの時計の音だけが、コチコチと聞こえる。
 ラックの上に立て掛けてある写真を見ながら、葉山は言った。
「 ・・この結婚を進めるのも、白紙撤回するのも・・ すべては、娘さんの意志に沿った方がいいでしょう。 優柔不断な行為をとった杉田さんにも、今回の責任はあると思います。 でも、若気の至りは、誰にでもあるものです。 みんな、そうして成長して行くのですから・・・ いちいち詮索していては、キリがありません 」
 婦人は何も答えなかったが、自問自答しているかのように、何度も小さく頷いていた。
 やがて、ポツリと、横井の書いた誓約書を見つめながら、呟くように言った。
「 私にも、女学生時代・・ 現在の主人と、お見合いした頃・・・ お慕いしていた人がおりました・・・ 」

 その後、数ヶ月ほど経った後、葉山の元へ婦人からの手紙が届いた。
 杉田氏との結婚生活を、スタートさせたとの事である。
 同封されていた結婚式の写真には、新郎新婦を囲む友人の中に、あの横井の笑顔も写っていた。 きっと今頃は、あの写真立ての横に、新たに、この写真も加えられているのだろう。

 葉山の仕事は、終った。
                                     〔 一枚のフォトグラフ ・ 完 〕

探偵日記 5 『 1枚のフォトグラフ 』

ほとんどの人身犯罪は、恋愛感情のもつれから発展した結果の場合が多いそうである。
相手に、自分だけを見るように希望し、強制する・・・ わがままな感情であるが、それを当たり前とする精神。
それは、時に、人を犯罪へと導く。
1人の若者の暴走を、ある意味、未然に防げたと考えるなら、探偵冥利に尽きる案件だったと言える。
世の中、何がどこで、どう繋がっているのか分からないのが実情であり、誰しもが、色んな事で悩んでいるのが現状だ。
私もまた、その内の1人であったと言う事も、間違いのない事実だった。
悩み多き世の、心の拠り所は、人それぞれ・・・ 私と関わった数人の依頼者に、とりあえず、わずかながらも安堵の気持ちを提供出来たのは、私にとって大きな誇りである。

< 次回、探偵日記 外伝として、『 探偵の情景:春夏秋冬 』をUP致します。 宜しければ、お付き合い下さい >


                                   夏川 俊

探偵日記 5 『 1枚のフォトグラフ 』

初老の婦人から、娘の婚約者の身上調査を依頼された葉山。 ところが、調査結果を不明にするよう脅迫する謎の人物から電話があり・・・ 契約直後から調査を妨害する人物の存在があった、この案件。 ただの身上調査では終わらず、手間の掛かった案件となった。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1、発端
  2. 2、お前は誰だ?
  3. 3、事実
  4. 4、終焉