古き良き
「あー、ムカつく。なんで俺らばっか怒られなきゃならないんだ」
「まあ、そう言うなよ」
緒方と宮村は、取引先に発注ミスを指摘され、上司に指名されて謝りにいった。
緒方は普段車の中でタバコを吸うのを嫌がるが、この時は宮村の自由にさせている。そうする事で宮村の怒りも少しは収まるだろうと思ったが実際はどーなのか。時間が経つたびに頭に来たことを思い出している感じで少しも収まっているようには見えない。
「おかしくないですか?緒方さん。だいたい発注ミスがないように確認のプリントもファックスで送ったんすよ?どーせあいつら、見ないでテキトーに返事したんすよ。それを棚に上げて大人しくしてりゃ上からガミガミくるし」
「宮村、よくし気に入らないじゃないですか。だいたい緒方さんも緒方さんっすよ。いつまでも大人しくペコペコしちゃって。結局最後まで何も言わなかったじゃないですか」
「おれが頭下げて納まるなら安いもんだよ」
「プライドないんすか?」
まったく。と言って宮村は窓の外を向いてしまった。といっても車はトンネルの中にいて外を見ても楽しい景色はない。そのことが宮村をさらにイラつかせた。
ちっと舌打ちを打ったのを聞いて緒方は懐かしい気持ちになっていた。
熊本の支社に配属された緒方は、早く出世して本社勤めになることばかり考えている若者だった。
そのためか、何度も上司に食ってかかってもめたことは何度もある。そしてもめる度に緒方には出世が遠のいていっている様な気がして焦り。そしてまたもめた。
そして、その頃の緒方を変えたのはその上司の中の一人である。彼は当時会社に入ったばかりの緒方の教育係になっていて、緒方は支社での時間をほとんどその上司と一緒にいた。仕事内容が主に外回りだったこともあり。会社にいる時間がほかの社員に比べて非常に短いこともあるだろうが、当時の性格の緒方に寄ってくる様な者は居なかった。だから緒方はその上司の姿だけを見て育ってきた。
ある日、外回りに行くと会社の新商品のジュースの売り上げが伸びないという事で、支社のある地域のスーパーから苦情を受けたことがある。
そこでまた食ってかかろうとする緒方を制してその上司が何度も頭を下げることで許してもらった。その事が、緒方にはひどく気に食わなくて、上司になんで少しは反抗しないんだと問い詰めて見たことがある。
すると目の前に例の新商品を出され、「飲んでみろ」と命令されたので緒方は飲んだ。そして「どう思う?」と聞かれたので「さっぱりしてて美味いと思います」と言う。「俺もそう思う」と上司が続いたので何のこっちゃと思った。
「でもなあ」上司がけたので彼の方を見る。
「俺達がそう思ってもほかのお客さんがそう思わなきゃ意味ないだろう」
「そりゃあそうですけど」
「そう言う事だよ」
何が言いたいのか緒方にはさっぱりわからなかった。
しかし数日後。スーパーの店長から電話があり、売り上げが伸びていることを知らされた。
緒方はつい嬉しくなってすぐに上司に報告したくなった。
「この前ジュースおいて苦情受けたスーパーから連絡ありました。今月は売り上げいいそうですよ」
「そうか、やっと伸びてきたか。よし、行くぞ。準備しろよ」
「え?行くって」
急なことに戸惑っていると「そのスーパーに決まってるだろ」と言って支度を始めた。
スーパーに行くと以前は聞く耳持たないといった感じでカンカンに怒っていた店長が朗らかな笑顔でむかえてくれた。
「いやーそれにしてもうめーな、あのジュース。あれのおかげで喉も財布も潤うってもんだ」
「そりゃあそうでしょう。なんたって我が社で研究を重ねてようやくできた代物ですから」
「ところで今度よ、これ行こうぜこれ」と言って店長が肘から先をくいっと軽くあげる動きをした。
「釣りですか。それじゃあ今度時間があるときに」とか、他にも簡単なお喋りをして会社に戻るため車に乗り込んだ。
「先輩って、あの人と仲良かったんですね」
「まあな、付き合いだよ付き合い。この前みたいなことがあっても仲がいいと必要以上に怒られなくてすむし」
「あの人とよく釣りに行かれるんですか?」
「おう、釣りだけじゃないぞ。麻雀とかバードウォッチングにも行く」
「多趣味ですねー。他にはどーゆーことが好きな人なんですか?」
「あの人遊びは結構なんでも好きだよ。今度なんか誘ってやろうか?」
「はい、是非」
そして後日誘われたのはテレビゲームパーティーだった。
そこで緒方はスーパーの店長や、その他あの辺に店のある店長と仲良くなった。すると一年が経って上司が自分の担当から外れ一人で外回りをしてみて仲がいいこととそうでもない事の違いをはっきりと感じた。そのため店長ととくに関係がない店にはあまり行きたくなかった。
ある日緒方は気難しい店長のいる店へ行かなくてはいけないことになり沈んでいたが、上司が見かねてそこの人とは知り合いだ、と言って外回りを代わってくれたこともある。
店の名前を言うだけで主人の名前を言い当てることは何度もあった。
そんな上司を、緒方は尊敬し、同時にただ相手を敵だと思い食ってかかってたあの頃が恥ずかしいと感じた。
それからは上司を見習い、店の主人と友達になるつもりで焦らずにいると自然と営業成績も伸びて、ついに東京本社への移動がきまって。それからまた年月が過ぎて、今では栃木の支社で働いている。
トンネルを抜けると海が見えた。
防波堤に沿って車を停めて、壁によじ登る。
「お前も来いよ」と宮村を誘うが「ここでいいっす」と断られてしまった。
仕方が無いから宮村に緒方のお気に入りのジュースを投げて渡した。おっとと、と言って慌ただしくキャッチしている。
「危ないっすよ!何すんすか!」
「なにって、お裾分けだよ。おれの一番好きなジュース」
「へー、これどこで作ってるやつっすか?見たことないけど」
「うちの会社だよ。まあ、支社が作ってるからこの辺にはあんまり出回ってないみたいだけどな」
プシュッっとプルタブを引いて缶を開け、ジュースに口を付ける。
いつまでも変わらないあじだった。
緒方はこの土地に来て気がついたことがあった。
それは映画なんかで落ち込んだり怒ったりした人がなぜわざわざ海を見に行くか。ということだ。
しばらく海を眺めて、緒方と宮村は会社に戻る。
車の中には優しいジャズの音楽がかかっていた。
古き良き