ぼくは彼女を殺した。

物心ついたときから、ぼくは『みんな』に囲まれていた。
『みんな』のことは嫌いではなかったけれど、ぼくの世界は暗くて、冷たくて、嫌いではないのと同じくらい、好きではなかった。
「おはよう、フライパンさん。おはよう、妖精さん。おはよう、のっぽくん。おはよう、本の虫。おはよう、鏡の人、」
出かけると、毎日、たくさんの『みんな』に挨拶をする。嫌いではなくて、好きではなくて、やっぱりすこし怖いのだ。
『みんな』はみんな一緒だけど、ぼくにはわかる。
『みんな』がなんのために生きているのか、生きているのかどうかは、ぼくにもわからない。


ぼくの世界は暗くて、少し冷たかったけど、帰り道にある野っ原の、その真ん中にある花のまわりだけは、温かくて大好きだった。
その花は赤でもなくて、青でも、黄色でもなくて、とても不思議な色をしていた。ぼくはその花なら何時間でも見ていられるような気がしたし、花もぼくがいると嬉しそうに笑うのだ。
「お花さん、きみはすごく綺麗だね」
「不思議な色をしているよね」
「ぼくは君のそばにいるととてもしあわせなんだ」
「きみも、そう思ってるかな?」
花は何度話しかけても答えてくれなかったけれど、話しかける度に、しゃらん、と笑うから、ぼくはその顔が見たくて、何度でも話しかけるんだ。


愛してる。
あの花のそばにいると、胸がきゅーっとなって、ぽかぽか、あったかくなった。
この気持ちが何なのか、本を読んでもわからなかったから、『みんな』に聞いた。それは恋だ、愛だと言われた。
ぼくはあの花を愛してる。
そう思うと、なんだかぽかぽかして、いてもたってもいられなくなって、いつもの野っ原まで走った。
花はいつもと変わらずそこにいて。
「愛してる」
「きみを愛してる」
「ぼくはきみを、愛してるんだよ」
花はすこし驚いて、それから笑った。今まででいちばんの笑顔だった。
ぼくはもう、その顔を見るだけでしあわせだ、とは思えなかった。だれにも見せたくない。渡したくない。ぼくだけの。
気付いたら走っていた。手には愛しいぼくだけの花。
ぼくの手の中にある花を見ると、『みんな』はぼくを追ってきた。
『みんな』のことは嫌いではなかったけれど、追ってくる『みんな』はどんどん黒くなって、黒いゴミ袋が蠢いているような感じで、とてつもなく、怖かった。
ぼくはポケットから携帯式ナイフを取り出した。花を切り取る時に使ったものだ。
ぼくを捕まえようとする『みんな』のひとつに向かってナイフを振り回した。ずんっと重い感覚がしたあと、『それ』は不思議そうな顔をして倒れた。
拍子抜けした。
あんなに怖がっていた『みんな』は薄っぺらい金属のナイフ一本で死んだ。あっけないものだ。もう、怖くない。
黒く蠢く塊の、頭部に、喉に、胸部に、腕に腹部に太腿に脛にナイフを振って、その欠片を身体に浴びた。何度か、殴られたり、蹴りつけられたりして傷が出来ていったが、気にしなかった。
たぶんぼくは笑っているのだろう。
誰も居なくなった道をひとり歩いた。左手に握った愛しい花は、醜く汚く萎れていた。
なんだか酷く、疲れた。
「ぼくはきみを愛してる」
「これできみはぼくのものだ」
「ぼくだけの、」
ぼくは幸せだった。ただ、もう花の笑顔が見られない、ということが、すこしだけ、寂しかった。


いつか読んだ本が、ずっと記憶に残っている。男は夢の中で蝶になってひらひらと飛んでいたが、自分が蝶になった夢を見ているのか、それとも今の自分は蝶の見ている夢なのか、わからなくなる、という説話だ。
ぼくは夢の中で、花になっていた。
果たしてぼくは、ぼくなのか、花なのか。
どちらでもいいか、と思った。どちらにせよ、ぼくはとても、幸せだった。

ぼくは彼女を殺した。

ゴキブリ超こわい

ぼくは彼女を殺した。

男の子と花のはなし。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-09

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