忠犬
「よく付いてきたな」
鬱蒼とした林の中、大尉は地面に腰を下ろすと、小声で話しかけその犬の頭を撫でた。犬は満足げに瞳を細めたが、尻尾をばたつかせたり鳴いたりはしない。音をたててはならない状況だと理解しているらしい。
まるで仲間達の血を吸い上げたように、夕空は赤く染まっていた。たなびく雲の下には敵軍の戦闘ヘリ。ぐるぐると旋回して、生き残りまで徹底的に始末する気なのだろう。
満身創痍の大尉と同じく、犬の顔つきは終わりを悟っていた。本当に賢い奴だ、と大尉は改めて感心する。
「国に忠誠を誓った犬、と評されただけあるよ」
再び褒めてやると、犬は嬉しそうに尻尾を持ち上げかけて自制した。その可愛らしく動物らしい仕草から、誰が普段の仕事ぶりを想像できようか。地雷を嗅ぎ分け、スパイを摘発し、果敢に敵兵に唸り声をあげ続けた犬。人間の戦争などに巻き込まれながら、立派に任務をこなしてきたこの犬を、大尉は最早同僚のように思っていた。
「いいか、俺はここまでだ」
真剣に語りかける大尉の言葉を、犬は黙って聞く。
「お前はどこへでも逃げたらいい。その足の速さなら、万が一にも捕まることはないだろう」
バサバサと、視界の先の木々から鳥達が一斉に飛び立った。敵軍の歩兵が迫っているようだ。
「俺も犬死はするまい……いや、お前にこの言葉は無礼か」
大尉が軽く笑ったところで、敵兵が現れた。異国の言葉で指揮をとっていた隊長らしき人物が、素早くこちらに銃口を向ける。大尉は犬を野犬のように追い払って、懐から手榴弾を取り出し安全装置に手をかけた。
「祖国万歳!」
教わってきた忠犬としての最期。張りつめていた空気が震える。
まさに自爆しようとしたその時、飛び出してきたのはあの犬だった。大尉に突進し、休む間もなく敵兵に襲い掛かる。敵兵に撃ち抜かれてもなお歯向かおうとする姿に、大尉は見入ってしまって、自分の胸を銃弾が貫いたのにも気づかなかった。
最期まで逃げず国のために戦った、お前は国民の鑑だよ、と大尉は微笑んで眠りについた。
彼は知らないのだ。犬は国家の忠犬ではなく、ただ大尉を慕う犬であったこと。
忠犬