モノクロの奏者   Ⅱ部 花売りの少女

クラ

中世~近世ヨーロッパを舞台にしたファンタジー小説てす。具体的には1600年代頃をイメージしていただけると良いかと思います。少しずつ登場人物も増えていく予定なので、よろしくお願いします!

1 花売りと職人(1)

 このスベーニュの街には、様々な階級の人々が住んでいる。“avec (アヴェク) des() coades(コード)”という名の弦楽器店がある街の郊外では、特に下級層から中級層の人々が多かった。
 ある日の夕方、人通りの少なくなった市場で一人の少女が花売りをしていた。少女が着ている麻の服は所々解れており、黒くて深い瞳には生気が感じられず、足取りも妙に重かった。彼女を見て通り過ぎる人は数多くいたが、誰もその花を買うことはない。時々、運よく通りかかった貴族が慈悲で買ってくれることはあったが、その程度であった。

「お嬢さん、花売りかぁ。もしも、それ全部欲しいって言ったら怒るかい?」
 少女が休憩のためにその場に座り込もうとした時、陽気に声をかけた若い男性がいた。貴族ではなさそうだが、 服装を見る限り裕福な生活をしているのは間違いないだろう。
「あ、あの……」
 突然、花を全部買いたいという男性が現れ、少女は嬉しくも少し戸惑っていた。
 しかし、その男性は笑顔で籠の中の花を全て手に取った。そして、その代わりとして代金を籠に入れ、さらに余分に代金を足した。
「お客様、それは多いです……」
 そう言い、少女は困った顔で男性を見る。
「これはお嬢さんの分だよ。君の様子からして、結構酷い扱いを受けているように見えて。これは主人に言わないで、自分で持っておくんだよ?」
「で、でも……!」
「いいからいいから。お花、ありがとね」
 男性は少女に手を振ると、その場から立ち去った。
 男性の後ろ姿を、少女はしばらく見つめていた。


 そして、少女は主人の家へ帰宅した。小さな古い一軒家の建物である。ここに暮らしているのは中年の夫婦二人で、彼らは稼ぎが少ないために、養子の少女に花売りをさせて生計を立てていた。
「今日はずいぶんと早く終わったもんだね。ちゃんとお金はもらったんだろうね?」
 短い髪の毛を頭の後方で一つにまとめた婦人が、疑り深くそう言った。
 当然、少女は嘘をつく必要もなく、
「はい」
とだけ返事をして籠の中を確認した。
(あれっ……?!な、ない……?!)
 少女の心臓がバクバクと音を立てていた。急激に心拍数が上がっていく。
「どうしたんだい?見せてみな」
 婦人が鋭い口調で問い質す。
 少女は隠すことなく籠の中を婦人に見せた。
「申し訳ありません、落としてきたみたいで……。私、もう一度戻って探してきます。本当にすみません……」
 少女は泣きそうになりながら、頭を深く下げて謝った。どうして落としてきてしまったのだろう、なぜ落としたことに気が付かなかったのだろう。彼女は自分を責めた。
「何だって?!馬鹿言うんじゃないよ。当たり前さ。ちゃんと探してきな!」
 婦人は怒鳴り声を上げた。
「す、すみません。今すぐに……!」

 少女は籠を再び受け取り、家を飛び出した。つい、目から涙が零れ落ちる。ようやく花を買ってもらえたのに、その大事なお金をなくしてしまうなんて、と。
 しかし、実際に少女は全てのお金をなくしたわけではなかった。男性からもらった余分な代金は、スカートのポケットの中に入っていたのである。ただ、これを婦人に見せることは絶対にできなかった。もしも見られてしまった場合、その先に酷い仕打ちが待ち受けていることは想像するまでもない。それでも、今は素直にその僅かなお金を婦人に渡していれば良かったと後悔していた。そうすれば、少なくとも全てのお金をなくしてしまったという最悪の報告をする必要はなかったのだから。

 少女は市場まで走りながら戻ってきたが、もう外は既に日が沈み、闇が迫ってきていた。
(どうしよう。お金が見つかるまで家には帰れない……。もしもお金が盗まれていたのだとすれば、もう……)
 考えるだけで泣きたくなる。どうしたら良いのか分からない。もうすぐ人々の往来がほぼ完全になくなるだろう。そろそろ街灯に明かりが灯り始める頃だ。
 少女は花を購入した男性と出会った場所まで戻って来たが、辺りには仕事終わりの男性たちが歩いているだけだ。地面を見ても、お金が散らばっている様子は全くない。
「あぁ、どうしよう……」
 少女は小さく呟き、その場に座り込んだ。
(もう家に帰れない……。ほんの少しお金があるだけじゃ、どうしようもない……)
「あの家に帰りたくないよ……」

 夜の街で、少女はうずくまっていた。近くを通る数少ない人々も、急いでいるために少女に目を向ける事がない。もしくは、気が付いてすらいないのかもしれない。
(もう死ぬんだわ……)

「ねぇ君、大丈夫……?」
 少女の近くで、誰かを心配する青年の声が聞こえた。誰に声をかけているのかは分からなかったが、少女はその声に反応して顔を上げた。
 この青年が見ていた人物は、まさしくその少女であった。おそらく彼はパン屋で買い物をした帰りなのだろう。手には見慣れた紙袋を抱えている。
「こんな所で、何があったんだい?」
 青年は穏やかな声で尋ねた。少女はまるで神か何かに救われたような気分になった。
「わ、私は、昼間ここで花売りをしていたんです。男性に買っていただいたのですが、売上のお金を全てなくしてしまって……」
 そう言う少女の声は、小さくて弱々しかった。今にも泣き出しそうな表情をしている。青年は、少女が自分自身を責めているのだとすぐに分かった。
「そうか、探してこいと言われたんだね。夜は冷えるから、とりあえず暖かい場所へ行こう」
 青年はそう言うと、右手を差しのべた。少女は恥ずかしそうにしながらも、迷わずに両手でその手を握った。
「あ、ありがとうございます……」
 もうこのような最悪の状況になってしまった以上、救いの手を差しのべてくれる人がいたなら誰にでも付き従おう、と少女は思っていた。

 少女が青年に連れられてやって来た場所は、ある楽器店であった。店の中に入った少女は、たくさんの弦楽器が置いてあることに驚きを隠せなかった。
「あ、あの……」
 少女は何も言わない青年にそう声をかけると、
「じゃあ、こっちのソファーに座ってくれる?」
と促されてしまった。そのため、少女はただただ頷いて言われた通りに従った。

「えっと、何が飲みたい?ジュースがいいかな?」
 キッチンの方から青年が尋ねた。
「は、はい。すみません……」
 少女は、ぎこちない様子でそう答えた。おもてなしをされるとは思わず、恐縮してしまう。
「そうか。じゃあ今入れるから、待っていてね」

 そして、青年は二人分のブドウジュースをコップに入れて持ってくると、少女の向かい側の椅子に座った。
「……それで、お金を見つけてこなければ、家には帰れないの?」
 突然、青年は先ほどの会話の続きを始めた。
「はい……」
 少女は頷きながら、そう返事をした。
「なるほどね。えっと、これを聞いて良いのか分からないんだけど、もしかして君は本当の親御さんと暮らしているわけじゃないのかな?答えたくなかったら言わなくていいよ」
「い、いえ、大丈夫です。私の両親は既に亡くなり、貧しい家の養子に出されました。だから、私はお金を稼ぐために働いています」
「やっぱりか……。ひどい扱いを受けてはいない?生活は大丈夫……?」
 青年は心配そうな表情で質問を続けた。
「仕方がないんです。これでも一応、少しばかりお小遣いはもらっていますから。大丈夫かと聞かれると、よく分かりませんが……」
 実のところ、少女はずいぶんと疲れた顔をしており、声には張りがなかった。
「そうか……」
 青年はため息混じりに呟いた。

 ここで、初めて少女が自ら口を開いた。
「あの……。あなたは、どうして市場にいたのですか?こんな夜に……」
 予想外の質問を受けた青年は、やや驚いた表情に変わった。
「あぁ、そのことか。今日の仕事が終わったものだから、買い物をしようと思ったんだ。この時間帯は価格も手頃になるからね」
「そうなんですか。お仕事って、楽器店のお仕事ですか?」
「そう、一人で働いているんだけどね」
「どうしてですか?」
「俺の我が儘、かな……。とりあえず、今日は泊まっていくといいよ。ゆっくり休んで、明日また色々と考えよう」
「は、はい……。ありがとうございます……」
 こんなに親切な人がいたのか、と少女は胸に両手を当てて感謝した。一時であれ、本当に救われた思いであった。

 少女は、ここが自分の家ではないにも関わらず、普段よりもぐっすり眠っていた。
 そして、青年は少女が眠った事を確認してから家を出た。もう真夜中だ。暗闇の中、彼が向かった先は、一人暮らしをしている男性の家であった。

1 花売りと職人(2)

 青年は、やや入り組んだ暗い路地を通り抜け、建物の階段を上った。そして、辿り着いた先の家のドアをできるだけ静かに叩いた。もう多くの人々は寝ている時間帯であるため、大きな物音を立てないように気を配らなければならない。

(ん?もう寝たのか……?)
 青年が諦めて帰ろうと思った時、急にドアが開いた。おかげで、危うく頭がぶつかりそうになってしまった。
「おぉ、クレイド!お前、夜中に珍しいなぁ。一体どうした?……とにかく、中に入れ入れ」
 やや驚きながらも、クレイドを快く家の中に招き入れてくれたのはロディールであった。
「ありがとう。実はちょっと相談したいことがあって」
 クレイドはそう話した。
 リビングの椅子に座ると、クレイドは深刻そうな表情に変わった。それを見たロディールが、
「恋愛相談か?」
と尋ねる。
「んな訳ないだろーが。……実は今、訳あって女の子を泊まらせているんだ。市場で花売りをしていたみたいなんだが、どうやら家で酷い扱いを受けているらしくて……。俺には、その子を家に帰して良いものか分からないんだ……」
 クレイドは経緯を端的に説明した。しかし、ロディールはやや不審そうに首をかしげる。
「お前、見ず知らずの女の子を家に連れ込んだのか?」
 ロディールの言葉の表現はある意味間違っていなかったが、これは完全に語弊であり、内容の解釈が完全にずれていた。
「ち、違う。そうじゃなくて、一時避難場所として招いたんだよ」
「ふーん。まぁ、お前がそう言うなら、そうなんだろうけどさ。ちなみに、その子の年齢は?」
「俺たちよりもずっと年下だと思う。実年齢は聞いていないが……」
「なるほど」
 ロディールは納得するように何度も頷いた。
「ん~、そうだなぁ……。お前には少し悪いが、こっちから質問させてもらうぞ?その子と二人で暮らすことになる可能性も考えているんだよな?」
 クレイドは、ただ呆然とロディールを見た。さすがに、そこまでは考えていなかった。
「まぁ考えていなくてもいいけどな……。もちろん、女の子が家に帰りたいと言うなら帰らせるべきだ。だが、もし帰りたくないと言ったらどうするんだ?」
 ロディールの言い分は確かに正しかった。クレイドは、少女のためを思って家に招いたに過ぎなかったが、端から見れば安易すぎる行動だったのかもしれない。しかし、もしもあの場で声をかけていなかったとすれば、今ごろはひどく後悔していたに違いない。
「ごめん、そこまで考えていなかった。その子、花の売上金をなくしたらしくて、見つけるまで戻ってくるなって言われてるらしい。そりゃ、お金ぐらい俺が出してあげるさ。でも、そうだよなぁ。あの子がどう考えているのか、俺にはまだ分からないんだ」
「彼女の意思に任せるなら、家に居候させる事も念頭に置かなきゃいけない。だが、親御さんが大騒ぎしたらまずいだろう……」
 ロディールのアドバイスを受けたクレイドは、納得したように頷いてこう言った。
「分かった、ありがとう。ただ、あの子は両親と血が繋がっていないらしいんだ。養子として引き取られたみたいで、酷い扱いを受けているように見えたよ。できることなら、あの子に協力してあげたいな」
 それを聞いたロディールは、突然クレイドをじっと見据えた。
「養子って本当か……?」
 神妙な面持ちで尋ねると、クレイドは深くゆっくりと頷いた。やや重い空気が流れる。
 若干の間をおいて、ロディールが大きな溜め息をついた。
「そりゃ、お前だって心配になるよな。どうだ、やっぱり連絡は全く来ないのか……?」
 ロディールは静かに質問した。口調も穏やかだ。
 クレイドは、困ったように小さく笑った。
「まぁね。楽しくやれているなら、それでいいんだ。ただ、もしあの子と同じように酷い扱いを受けていたらと思うと、やっぱり心配で。たまに考えちゃうんだよ、店を継いでいなければ今頃は一緒に暮らしていただろうに、って。俺が我が儘言ったからさ……」
 自分を深く責めるように、弱々しい声でそう話した。
 しかし、ロディールは、はっきりした物言いで否定した。
「俺は、お前の選択は正解だったと思うぜ。妹とは一生の別れじゃないだろ?生きてりゃ逢える。だが、親父さんの楽器店は別だ。あの時にお前が別の選択をしていたなら、今頃もう店はないぞ」
 ロディールのその後押しが、クレイドにとって何よりの救いであった。自分を励ますために嘘をついているわけでもなく、彼は本心で言ってくれているのだ。それが分かる仲だからこそ、ロディールの言葉には度々救われる。
「あぁ、そうだよな。ありがとう」
 クレイドはそう納得しつつも、悲しそうに笑った。
「ただ、あの女の子と妹の姿が少し重なってしまうんだ」
 そして、突然、クレイドは重い空気を破るように明るい声で言い出した。
「いや、いいんだ。俺は決めたよ。ロディール、ありがとうな。明日あの子に本心を確認してみる。……夜中なのに、いきなり家に押し寄せたりして悪かった。んじゃ、そろそろ帰るよ」
 そう言って、クレイドは椅子から立ち上がり、そのまま玄関へと向かった。ロディールは心配そうな面持ちで、その後ろを黙ってついて行く。
「俺も一緒に行こうか……?」
 そう呟くように尋ねた彼の姿は、まるで弟を心配する兄のようであった。
 クレイドはロディールを振り返り、目を逸らすことなく彼を見た。
「いや、大丈夫だよ。ありがとう。また後で報告するから」


 翌朝、クレイドは玄関のドアが開閉するような音を聞き、目を覚ました。作業場の机に突っ伏した状態で眠ってしまっていたのだが、そのおかげで違和感のある物音に気が付くことができた。まだ開店するにも早い時間帯であるため、玄関先の物音となれば、不審者の侵入か少女が家を出たかのどちらかに違いない。恐らく、後者だろう。
 クレイドは急いで椅子から立ち上がろうとすると、机上に一枚の置き手紙がある事に気がついた。加えて、銅貨が少しばかり置いてあったのだ。

(『昨夜は、ありがとうございました。何も言わずに出ていってしまい、すみません。迷惑をかける訳にはいかないので、このような形のお別れになってしまいました。本当に少しながらですが、受け取ってください』)

 クレイドは心の中でその手紙を読んだ。冷や汗が出る。
「こ、これって……」

 手紙を手に持ったまま、クレイドは急いでドアを開けた。辺りを見回すと、一方の道の先に重い足取りで歩みを進める少女の姿を発見した。
 クレイドはすぐに少女を追いかけた。
「ねぇ、君っ……!!」
 そう呼ばれた少女は、立ち止まって後ろを振り返った。随分と驚いた表現をしている。
「ねぇ、君。これから一人で、一体どうするつもりだったんだ……?」
 このクレイドの問い掛けに、少女は顔を背けて答えた。
「特に考えていません」
 その反応を見て、クレイドは一瞬困ったように頭をかく。そして、率直に聞きたかったことを尋ねた。
「家には帰りたいの……?」
 少女は俯きがちに首を横に振った。
「売上金をなくしたので、家には帰ることができません……」
「あのね、売上金なら俺が出してあげるよ。そうじゃなくて、君の意思を教えて欲しいんだ」
 クレイドがやや強い口調で言うと、少女は目線を地面に向けながら、小さな声で話した。
「……帰りたくないです」
 はっきりとその言葉を聞いたクレイドは、「よし」と言って微笑んだ。
「そうか。それなら戻っておいで。俺の家で良ければ、いつでも歓迎するよ」
 そう言ったクレイドの声は非常に穏やかであった。少女は顔を上げ、泣きそうな顔でクレイドをじっと見つめる。
「あの……」
「大丈夫。一緒に帰ろう」
 クレイドはまるで妹に接するように少女の手をそっと取ると、黙って頷いた。

 そして、二人は家に戻って来た。中に入り、玄関のドアを閉めたその時、突然、少女はその場に膝をついて座り込むと、深々と頭を下げたのだ。
 クレイドはその行動に驚き、慌ててしまった。
「えっ、あの、どうしたの?」
「私、しっかり働きます!ご迷惑をかけないように、精一杯頑張ります!この御恩は、一生忘れません!」
 この彼女の行動は、華奢で小柄な少女の風貌には余りにも不釣り合いで、その礼儀正しさゆえに、クレイドは居たたまれない気持ちになった。
「ち、ちょっと待って。頭を上げてくれないか?君はそんなことしなくたって構わないんだよ。何も頑張る必要なんかないんだから。……そうだ、まだ名前を聞いていなかったよね。教えてくれるかい?」
 そう言われた少女は命令でもされたかのように勢いよく頭を上げ、すっと立ち上がった。
「はい、私はリェティー・フェネットと申します」
「そうか、リェティーだね。俺はクレイド・リュギューフェだ。ちなみに、君はいくつ?」
「はい、13歳です」
 リェティーの実年齢を聞いたクレイドは、悪気なく驚いてしまった。本人は不思議そうに首をかしげている。
 確かに、彼女の考え方や行動力は外見のわりに大人びていたが、それでも13歳になっているようには見えなかった。単に小柄で細身だからだろうか。今は貧しい身なりをしているが、もしかしたら良い家柄の生まれだった可能性も大いにあり得そうだ。
「あの、どうかしましたか?」
 クレイドが一人で黙って考え事をしていると、不意にリェティーにそう質問されてしまった。
「あ……。いや、すまない。君は年齢も若いのに、随分としっかりしているなぁと思ってね」
 何でもないよ、と振り切ってしまっても良かったのかもしれないが、それだとあまりにも不親切だ。
「そ、そんなことは……!」
 リェティーは首を横に振り、慌てた様子で否定しようとした。
「いいじゃないか、俺にはそう見えるよ。それじゃあ、これから朝食にしよう。あと、置いてあったお金は君に返しておくから受け取ってね」
 クレイドはズボンのポケットに入れておいた銅貨を取り出し、リェティーへ手渡した。

 そして、いつもと変わらずクレイドは朝食の準備から後片付けまで一人で行った。リェティーは手伝うと言ってくれたのだが、それに関しては全て断った。ようやく働かずに済む場所ができたのだから、彼女には休んでいてもらわなければこの家に来た意味もなくなってしまう。

 午後になり、クレイドの仕事もようやく落ち着いた頃、リェティーに大事なことを話し始めた。それはこの家で生活するにあたって、心得なければならないことであった。
「君には既に話しているけど、ここはお店でね。日中は特に客が来る事も多いから、できれば普段は二階にいてくれるかい?君の部屋を一つ用意しているから、自由に使ってくれて構わないよ。もちろん、用事があるときは俺のところに来てもいい。ただ、客の対応をしている時はすぐに手を離せないかもしれないけど、ごめんね」
 リェティーはすぐに話を理解してくれたようで、
「はい、分かりました」
と素直に返事をした。


 そして、入り口のドアが開いた。
 今日も、いつもと変わらず客がやってくる。

2 購入

 クレイドは今日も一階で楽器作りをしていた。時々、壁にずらりと掛け並べられたヴァイオリンを眺めながら。当然、誰が見ても全て同じ形をしているのだが、それでも何ひとつ同じものは存在しない。素材の質、重さ、色も全て異なる。これらのヴァイオリンはクレイド自身が製作したものばかりではなく、彼の父親が作ったものもいくつかあり、それを見る度、クレイドは自分の未熟さにため息が出た。

 すると突然、店のドアが開いた。客だ。
 クレイドはすっと表情を変えると、微笑みながら挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
 中に入ってきたのは、40から50代くらいの女性と10代半ばくらいであろう少女であった。おそらく親子なのだろう。目元の雰囲気が少し似ている。
 最初に口を開いたのは、母親と思われる女性であった。何やら不安そうな面持ちだ。とりあえず、クレイドは二人に椅子に座るよう促した。
「よろしければ、どうぞお座りください」
「「ありがとうございます」」
 二人が腰を下ろすと、母親と思われる女性が最初に口を開いた。
「実は、娘がヴァイオリンをやりたいと言ってまして。兄の楽器を触った事はあるんですけど、ほとんど初めてなんです。大丈夫でしょうか……」
 クレイドは相づちを打ちながら、彼女の話を聞いていた。
「もちろん初めてでも問題ありませんよ。多くの方がそうですから、ご安心ください。ちなみに、他に何か楽器をされた経験とかは?」
「えぇ、フルートをやっているんですけど、弦楽器は全くだから……」
その女性の言葉を聞き、再びクレイドは静かに頷いた。
「そうでしたか。フルートは歴史が長いものの、音程をとるのが難しい楽器だと聞いています。最近では、楽器の改良を検討している職人もいるぐらいだそうです。フルートを演奏されているのなら、ヴァイオリンでひどく苦労する事はないと思いますよ。ぜひ、挑戦されてみてはいかがでしょう?」
 クレイドがそう提案すると、少女は嬉しそうに目を輝かせて喜んだ。
「本当ですか?!やってみたいです!」
 当然、彼女の母親も笑顔で頷いた。
「フルートのこともご存知なんですか。お若いのに、さすが優秀な職人さんですね」
「いえ、とんでもありません。……楽器のご購入はどうされますか?私の店でも数多くご用意しておりますが、場合によっては他の店を紹介することもできます」
 そう言ってクレイドは客に判断を委ねたが、母親はゆっくりと首を横に振り、穏やかに微笑んだ。
「私たちはこちらの店で購入したいと考えています。一人ひとりの客に丁寧に接していただけると評判で、腕も確かだと聞いて来たんです。それなら、ここで買う以外に考えられません」
 あまりにも真っ直ぐな返答に、クレイドは戸惑いそうになってしまい、瞬間的に頭を下げた。
「そ、そんな大袈裟です。でも、そう言っていただけると励みになります。ありがとうございます」
「いえ、どうぞよろしくお願いします。早速なんですが、実は娘とも話をしていたのですが、初心者なのでそこまで高価な楽器じゃなくてもいいですよね……?」
 クレイドは、なるほど、と頷いた。やはり楽器の購入に慎重になるのは当然だろう。高価なものを選ばずとも、やはりある程度の価格にはなる。それが楽器というものだ。
 クレイドはどんな楽器が良いのかと頭の中で考えた。価格もピンからキリまであるため、選択には迷う。
「一応、先代が手掛けた楽器もあるのですが、高価なうえ、おそらく初心者向きではないと思います。このような楽器は、ある程度弾きこなせるようになってからの方が楽しいのかな、と。しかしそうなると、私の手掛けた楽器になってしまいますが……」
と、クレイドは客の二人に話した。
「貴方も素晴らしい職人さんですし、私は全然構いません。でも、試奏できないので音とかはよく分からないんです……」
そう少女が言った。初心者が自分で弾いて楽器を選ぶ事は困難である。もちろん、クレイドもそのことは承知済みだ。
「何とも恐れ多いお言葉です。しかし、試奏に関しては確かにそうですね。ご心配なく。私が厳選しますよ。楽器を習われるご予定はありますか?」
「本格的には考えていないんですけど、兄に教えてもらおうかなとは思っています」
「それはいいですね。楽器をよくご存知の方が身近にいらっしゃると安心でしょう。……楽器は、今日中にお持ち帰りになられますか?」
クレイドは少女に尋ねた。楽器店を営む者として、購入者への説明や確認事項は数多い。
「で、できれば……」
と、少女は母親の方を見ながらボソッと言った。それに応じ、母親は笑顔で頷く。
 クレイドは二人の反応を見て、本日購入するという意思を確認した。
「了解致しました。楽器の選択に少々お時間をいただく事になりますので、申し訳ありませんが、奥の部屋でお休みください。すぐに紅茶をお入れ致します」

 そして、まず最初にクレイドは五挺のヴァイオリンを厳選した。そして、音階や短い曲のフレーズで試奏しようと、一挺目のヴァイオリンを左肩に乗せた。

 客の二人には奥の部屋で休んでもらっていたのだが、どうやら少女の方は楽器の事が気になっているらしく、作業場に戻って来た。そのことに気が付いたクレイドは、ヴァイオリンを肩から下ろした。
「そんなに気になりますか?」
と、微笑みながら少女に穏やかに問いかけた。そして、少女は小さく頷く。
「はい。上手な方が弾くと、どんな音が出るのかなと思って……」
「おや、貴女のお兄さんは上手な方ではないのですか?」
「うーん……。もちろん上手ではあるんですけど、絶対にプロの方には及ばないです」
「そんなことありません。私も演奏のプロではありませんからね。……では、これから弾きます。まずはあなたが気に入った音を出した楽器を、教えていただけますか?」
そう言って、クレイドはヴァイオリンを再び構え直した。
「はい、分かりました」

 そして、音を出す。解放弦の音を鳴らし、簡単な音階を弾く。それからメロディーのつかみやすい簡単な短い曲を弾いた。
「これが、一挺目の楽器です。次にいきますね」
と、クレイドは淡々と言った。だが、なぜか少女は胸に手を当てて黙っていた。
「どうかされましたか?」
クレイドは不思議そうに尋ねた。すると、少女はやや赤面して、
「あ、あの、すごく上手な方だなぁと思って……。す、すみませんっ。聴き惚れてしまいました」
と述べた。
 クレイドは困ったように笑った。
「そんな大袈裟な。私なんか、大したことありません。……では、次にいきましょうか」


 最後の二挺で迷ったあげく、少女は無事に楽器を決める事ができた。時間は長くかかったが、これでクレイドの仕事もひとまず終わりだ。

「本当にありがとうございました!」
と、少女は満面の笑顔で礼を言った。
「こちらこそ、ありがとうございました。何か分からないことがあれば、いつでも店に来てください」
クレイドは二人の客を交互に見ながら、そう話した。だからなのか、少女の母親は、
「またお世話になるかもしれません。よろしくお願いします」
と述べた。もちろん、クレイドは笑顔で頷く。
「えぇ、いつでもどうぞ」


 二人の客が帰ったところで、クレイドはお腹が空いていることに気がついた。そうだ、まだ昼食は食べていなかったのだ。
 そろそろ二階で待っているリェティーも呼んで、ちょっと遅れたお昼にしよう。


 昼食を終えた後も数人の客が店に来たが、いつも通りクレイドは仕事をこなしていった。
 そろそろ閉店しようと思い、ようやくクレイドは『close』の看板をドアに掛けた。仕事も終わって自由な時間になったわけだが、楽器職人には勤務時間外の仕事もある。こればかりは仕方がない。

 クレイドが、壁に掛けてあるヴァイオリンのメンテナンスを行っていると、
「お兄さま、一度で良いので楽器を弾いてくれませんか?ヴァイオリンの音を聞いてみたいんです。」
と、急にリェティーが言い出した。なぜかリェティーはクレイドの事を『お兄さま』と呼ぶ。クレイドも呼ばれ方にはこだわっていなかったため、本人に任せた故こうなったのだ。
 ここ最近は仕事も忙しく、趣味として楽器を弾く事はほとんどなかった。そのため、まだリェティーはクレイドの演奏を直接聴いた事がない。
 そこで、クレイドは、
「弾くだけならいいけど、俺は演奏専門じゃないからなぁ……」
と言った。しかし、リェティーは笑顔で、
「演奏が上手なのは、もう分かっています!二階にいると小さな音しか聞こえないですけど、すごく上手です!」
と言うため、クレイドはやや肩を竦めた。そこまで楽しみにされては、さすがに断ることもできない。
「夕食は後でも大丈夫?お腹空かない?」
そうクレイドがリェティーに尋ねると、
「はい、一日食べなくても大丈夫です!」
と返ってきた。これを聞いたクレイドは、何と言えばよいのか分からなかった。リェティーからすると、一日何も食べない生活は普通だったのだろう……。
 クレイドは言葉もなく、ただ頷いてヴァイオリンを手に持って構えた。

 その時だった。

 こういう時に限って、急にお尋ね者がやってくる。クレイドとしては別に構わないのだが、なかなかのタイミングだ。
「クレイドー!久しぶりに楽器でも弾くか!」
陽気なロディールだった。だが、リェティーを見た瞬間にすぐさま謝った。
「あ、いや、すまん。普通、急に誰だよ?って思うよな。俺はクレイドの~……」
「単なる知り合いだよ。ロディールって言うんだ。ちなみにロディール、この子がリェティー」
紹介されたリェティーは、人見知りすることもなくロディールに向かって頭を下げた。ロディールはそれを見て、
「礼儀正しい子だなぁ」
と一言述べ、続けてクレイドに、
「それにしても、知り合いってなんだよ~。せめて友人とかさぁ……」
と、わざと膨れたように言った。それに対して、クレイドはそっぽを向いた。
「どっちでも同じだと思う」

 とりあえず、クレイドは手に持ったヴァイオリンを机の上に置いた。しかし、ロディールはそのヴァイオリンに目を向ける。
「お前、これから弾くのか?」
そう言うロディールは、なんだか嬉しそうだ。だからこそ、逆にクレイドは冷たい態度をとった。
「まぁね。この子が音を聴きたいと言ってくれたんでね」
と。ロディールはがっかりした顔をしている。
「んじゃ、俺が一緒に弾いちゃだめだよな……」
「そうだな」
リェティーは、二人の会話に対して不服そうな表情をした。
「ロディールさんも一緒に弾いてください!お兄さまが、そんな風に言うなんて……」
 この言葉を聞いた二人は互いに顔を見合わせた。そして、ロディールがリェティーの誤解を解くために口を開く。
「俺たち、別に仲が悪い訳じゃないんだ。大丈夫、これが普段通りだから」
と。さらにクレイドも、
「あと、ロディールは『さん』ってタイプじゃないから、呼び捨てで大丈夫だよ?」
と付け加えた。
「うん、それは我ながら同感だな。だが、お前が『お兄さま』って呼ばれるのが腹立つな。というか、何で貴族みたいにそう呼んでるの?」
そうロディールが尋ねると、リェティーは少し顔を赤らめた。
「私を助けてくださった偉大な方なので。一番しっくりきた呼び方なんです」
それを聞いたロディールは何度も頷き、クレイドの肩を思い切り叩く。
「なるほどねっ。良かったな、クレイドお兄さま!」
「お前、馬鹿にしてるだろ。俺だって、自分が『お兄さま』って柄じゃない事ぐらい分かってるさ」
クレイドは淡々と言ったが、リェティーは納得いかないような顔をしていた。

「んじゃ、今日はロディールがヴァイオリンでいいよな?俺は、久々にコントラバスを弾く」
そう言ったクレイドを見て、やれやれとロディールは小さくため息をついた。
「俺がヴァイオリンね、分かった分かった」


 夜の店の中に陽気なメロディーと手拍子が響く。
 二拍子のケルティック・ミュージックが不思議な空間を生み出していた。

3 仕事後のひと息

 クレイドとロディールの演奏を聞いてから、リェティーが楽器をやってみたいと言うようになった。時間さえあれば快く教えるのだが、この頃店には客がよく来るため、クレイドは仕事に追われる毎日が続いていた。

 お昼時を過ぎた頃、また客がやって来た。
「すみません……」
そう言って、ドアを開けて入ってきたのは見覚えのある少女であった。最近、母親と共にヴァイオリンを購入しに来たあの少女だ。
「あぁ、君は……!楽器に何か不具合でもありましたか?それとも、消耗品を買いに?」
と、クレイドは朗らかに尋ねた。今日は前回と違い、一人で来たらしい。手には、ケースに入れたヴァイオリンを持っている。
「あの、話すと長くなるんですけど……」
と、なぜか控え目に少女は言い出す。クレイドは、やや首を傾げた。
「何でしょう?今は他のお客様もいらしてないので、ゆっくりお聞きしますよ?まずは座りましょうか」

 クレイドは少女を奥の部屋まで案内し、いつものように紅茶を入れた。
「ありがとうございます」
と少女は笑顔で礼を言い、紅茶を一口飲んだ。そして、本題について話し始めた。
「実は私、兄に言わずに楽器を買ったんです。驚かせたくて。それで、兄に話したら……」
そこまで言うと、少女は急に口を閉ざした。クレイドは不思議そうに少女を見る。
「えっと、何かまずい事でも……?」
そう聞いてみると、少女は首を横に振った。そのままクレイドの目をじっと見て、
「違うんです。実は私、フィナーシェ・ブレッセナーっていう名前なんです」
と述べた。
 その途端、二人の間に沈黙が走った。少し間をおいて、クレイドが気まずそうに口を開く。
「……なるほど、そういう事か。ロディールから何か聞いたんだね?」
「はい」
そう返事をして、少女は困ったように笑った。
「妹さんがいたのは知ってたけど、実際びっくりだよ。ヴァイオリンを買ったとき、ロディールには何て言ったの?」
「兄の家に楽器を持って行ったら、買った店を聞かれたので〝avec(アヴェク) des()(デ) cordes()(コード)〟だって答えました。そしたら、『そこって、クレイドの店じゃん!』って……。私がその事について兄に色々聞いたら、『あいつの店に行って聞くのが一番だな』って言われました」
このフィナーシェという少女の話を聞いているうちに、クレイドはロディールに一本とられた気分になった。相手がロディールだからこそ、何かが悔しい。
 
「結局、俺が話すのか……」
クレイドは、気が付くと心の声を口に出していた。本人の妹を前にして。焦ってすぐさま口を噤む。
(うわ、俺、やばっ……!この子はお客様なのに……!なんたる失態っ……)

 クレイドは常に時と場合を考えながら、言葉遣いには気を配っていた。しかし、初めて営業中に失言をしてしまったのだ。『俺』という言葉は客の前では絶対に使わないし、砕けた言葉なんて言語道断だ。
 しかし、フィナーシェはくすくすと笑い始めた。
「気になさらないでください。むしろ安心しました」
その言葉に、クレイドは首を傾げる。
「……安心?どうして?」
その疑問に答えるように、フィナーシェは話し出した。
「この店に来た経験のある人は、あなたの事をこう言うんです。『全く隙を見せない、紳士的な青年』だって。でも、普段は違うんですね。良かったです」
と。クレイドは困ったような表情に変わった。
「だって、普段も仕事中と同じじゃ堅苦しくない?とはいえ、何でそんな妙な噂が立つかなぁ……」
「噂とはいえ、事実です!素晴らしい代名詞ですよ!」
と、フィナーシェは笑顔で断言した。
 クレイドは話していて思ったのだが、ロディールの妹フィナーシェはやや天然なのだろう。話した雰囲気からして、ロディールとはあまり似ていないような気がした。唯一似ているところといえば、髪色だろうか……。

 店を経営していると新たな出会いも多く、その分、顔見知りも増える。だからこそ、クレイドにとってこの楽器店は最高の居場所なのだ。


 店を閉めた後、クレイドは久しぶりに外で楽器を弾こうと考えた。リェティーも外で演奏を聴きたいと言うので、既に日が沈んだ頃ではあったが、共に広場へ行くことになった。
 リェティーは一度も広場に行った事がなかったため、演奏を含めた全てのことにワクワクしていた。
「何か持っていく物があれば手伝います!言ってください!」
そうリェティーが言い出した。
「大丈夫だよ、ありがとう。……でも、そうだな。せっかくだから、新しい服を着て外に出てみない?」
クレイドは、店の奥から楽器を出す準備をしながら尋ねると、リェティーは表情を曇らせた。
「新しい服、ですか……。でも、私はそのようなものを持っていないので……」
 すると、クレイドは準備の手を止めて、無言で二階の自分の部屋へと向かった。
 数分後に戻って来たクレイドは、手に赤色のワンピースを持っていた。リェティーは、その光景にやや違和感を感じた。
「その、あんまり好みじゃなかったら申し訳ないんだけど……。リェティーにはこういう服もどうかな、って思って」
クレイドは控えめに言い、その服をリェティーに見せた。
「えっ!私にですか?!す、すごく嬉しいです!こんな高そうな可愛い服は初めて!良いんですか?!」
リェティーは心の底から喜んだ。その反応を見て、クレイドも一安心であった。
「俺はこんな服着ることできないからね、もちろんリェティーのだよ。喜んでもらえて良かった。一人でぶらっと店に行ったんだけど、女性客しかいなかったから少し恥ずかしかったよ。サイズ合うと良いんだけど」
そう言って、クレイドはやや苦笑いをした。
「それでも買ってくれたんですね……。本当に、本当にありがとうございます!」
リェティーは感謝の思いを込めて、頭を深々と下げた。

 リェティーが新品の服に着替えた後、クレイドはコントラバスを持って共に店の外へ出た。日が沈んでいるが、空にはまだ夕日の茜色が残っている。時間帯も天気も気温も、演奏にはもってこいだ。


 二人は広場へ到着した。ここは日が沈んだ後でも活気が絶えない場所だ。治安もそこそこ良く、主に一般庶民が多く集まる。
「さて、ここら辺でいいかな」
と、クレイドは言った。楽器の演奏に丁度良いスペースを見つけるのは意外と難しい。今日は運良く、いつもと同じ場所を確保することができた。すぐ後ろの木陰にはベンチがあり、休憩にも最適なのだ。

 リェティーは演奏を聴くため、そのベンチに座った。一方のクレイドは、いつもながらの立ち演奏だ。

 コントラバスのゆっくりとした重低音が響き始める。


 最近は、クレイドも趣味としてあまり楽器を弾いていなかったため、今日は最高に楽しい気分であった。
 夜の新鮮な空気とコントラバスの音が、華麗に交わる。
 リェティーは目を閉じ、聴きながら感動していた。
 やや肌寒くなってきたと感じられるはずの空気も、音の温かさに包まれている。木の楽器ならではの柔らかな音質だ。

 クレイドは無言のまま、暫くの間コントラバスを弾き続けていた。

モノクロの奏者   Ⅱ部 花売りの少女

モノクロの奏者   Ⅱ部 花売りの少女

花の売上金をなくした少女に、手をさしのべた一人の青年がいた。彼は、スベーニュの街で“avec des cordes(アヴェク・デ・コード)”という楽器店を営んでいる若手の楽器職人だ。 昼間は老若男女さまざまな客がやって来るが、夜中には親友が突然遊びに来たりする。そんな毎日だが……。 ――――人生は楽しいことばかりじゃない。時には厳しい選択を迫られる。 "楽しく、面白く、真面目に"をモットーに。 ※完全ファンタジーですが、中世~近世ヨーロッパの世界をイメージした作品です。音楽や楽器が好きな方、そうでない方も読んでいただけると嬉しく思います。今回は第2部です。よろしくお願いいたします。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-01-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1 花売りと職人(1)
  2. 1 花売りと職人(2)
  3. 2 購入
  4. 3 仕事後のひと息