グラミーな一日。~ホイットニー・ヒューストン追悼~
先週、開催されたスーパーボウルの日曜日には、「スーパーボウルな一日」と題してグローバルなるがままに記した。アメリカを代表するイベントが目白押しの2月は、第一日曜日のスーパーボウルの翌週はグラミー賞だ。したがって、今日は、「グラミーな一日」と題して今年のグラミー賞を記したかったのだが、昨日、ショッキングな訃報を受けた。ホイットニー・ヒューストンがグラミー賞の前夜祭が開催されるビバリー・ヒルトンで死去した。48歳だった。
僕は同世代というだけでなく、この偉大なるスターの1985年のデビューから公私共に縁してきただけに、単なる有名人の死という以上に訃報に触れたときは、ショックで言葉が見つからなかった。昨日の訃報を受けて、マライア・キャリーから女優のジェニファー・ロペスまで多くのアーチストも追悼の意を表わしているが、僕も追悼の意を込めてホイットニー・ヒューストンの思い出を記してみたい。
実際に僕がホイットニー・ヒューストンに出会って握手をしたのは、1994年のワールドカップ・サッカーのアメリカ大会の決勝、イタリア対ブラジル戦だった。この決勝戦のオープニング・セレモニーでホイットニー・ヒューストンが出演して、絶好調の歌声を僕は目の前で聴くことができた。それが物理的にホイットニー・ヒューストンに出会った最初で最後になった。でも、僕とホイットニーとの仕事上の出会いは、彼女のデビューした1985年に遡る。
僕がアメリカで初めて自分自身の仕事として受けたイベントで使用した数曲がホイットニーだった。当時の僕は、デビュー直後のホイットニーを知らなかった。アメリカ人のイベント・プランナーから、アメリカでデビューしてヒットしている歌手の曲だからと紹介されて聴いてみて、即座にその歌声に魅せられた。そして、僕はプライベートでもウエディング・セレモニーで、ホイットニーの魅惑の世界を演出に使わせてもらった。
その後も、ホイットニー・ヒューストンは大ヒットを重ねて、1991年の湾岸戦争のときの2月、スーパーボウルの国歌斉唱を高らかに唄うのである。僕は、先週行われたスーパーボウルの国歌斉唱まで、メジャーリーグはじめあらゆるイベントで聴いたアメリカ合衆国の国歌斉唱の中でも、この1991年のホイットニー・ヒューストンの国歌斉唱のパフォーマンスが最高だと思っている。あれ以来、自らもアメリカ国歌を唄う機会がある度に、YouTubeでこのときのホイットニーの映像を観てその魂のお裾分けを請うのである。
グラミー賞開催の今日、グラミー賞を6回も受賞したホイットニー・ヒューストンのご遺族 、そして僕よりも、もっともっと彼女を愛した世界中のファンの皆様に心から哀悼の意を表します。ホイットニー、この地球を彩ったあなたの歌声を僕は決して忘れないでしょう。安らかに眠って下さい。
グラミーな一日。~ホイットニー・ヒューストン追悼~