果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語
第Ⅰ章 新しいママと新しい妹
目次
第Ⅰ章 新しいママと新しい妹
Ⅰ ミミとメメ
Ⅱ 冬のはじまり
Ⅲ 再会
Ⅳ 不穏な力
Ⅴ 神様が下さった宝物
Ⅵ 血の交わり
第Ⅱ章 奪われた光と奪われた恋人
Ⅰ リーベリの奇妙な家来たち
Ⅱ 放浪
Ⅲ 元王宮の兵士
Ⅳ いまだ少年の影を宿した山賊のかしら
Ⅴ 人形だって恋くらいするさ
Ⅵ 関所の憲兵たち
Ⅶ 王子の犯した罪
Ⅷ 執事のかえる君
Ⅸ 戦利品
Ⅹ 鞭打つリーベリ
ⅩⅠ 訪れた朗報
ⅩⅡ 代理官殿とふたりの参謀
第Ⅲ章 戦争
Ⅰ 執事のついた嘘
Ⅱ 死に神の予言
Ⅲ 誤算
Ⅳ 愛から生まれた悲しい話
第Ⅰ章 新しいママと新しい妹
Ⅰ ミミとメメ
新しいママとなるケイがやって来た日は気持ちのよい春の風が吹いていました。
「今日から、よろしくね」とケイはリーベリに云いました。それから、かたえの幼い女の子の頭に手を添えてお辞儀をさせました。「ミミちゃん。仲良くして下さいね、ってご挨拶するのよ。この子があなたのお姉ちゃんになる人なんだからね」
ミミは、ちっちゃくて、金色に光るきれいな髪をした、大きな瞳をくりくりさせている可愛らしい女の子でした。
「仲良くして下さい!」とミミは子供らしい元気な声で云いました。
「よく云えたねえ」ケイがすこし大袈裟に褒めました。
ミミは、女の子の人形を胸の前に抱えていました。
「この子、メメって云うのよ」とミミは薄い金色の髪を持った人形をリーベリに紹介しました。「ミミのお誕生日にね、お婆ちゃんがね、プレゼントしてくれたの」
リーベリは鼻先を人形に近付けて、しばらく見つめていました。
「かわいらしいお人形ね」
リーベリにそのように褒められて、ミミは幸せこの上ないような笑顔をこぼしました。
ケイが笑って、「このあいだのミミの五歳の誕生日に、お婆ちゃんがプレゼントでくれたんだけど、それからすぐお婆ちゃん、亡くなっちゃったのよね」とミミの話を補足しました。
ミミはこのお人形をとても大事にしていて、何時どんな時でも、メメと行動を共にしているのでした。
夕食には父のアイドリが隣町で手に入れて来たガチョウを焼いて食べました。父の隣には新しい妻であるケイが座り、卓子(テーブル)を挟んで向かい側にリーベリとミミが座りました。アイドリとケイは、顔をつき合わせて長い時間話し込んでいました。大人にしか分かってはいけない話みたいにふたりは低い声で囁き合っていました。
アイドリもケイもミミと同じく金髪の髪を持っていました。ひとりだけ違っているのはリーベリでした。リーベリの髪は亡くなった母親の髪の色を受け継いで黒色なのでした。
それから一ヶ月もしない頃、リーベリはミミに魔法のかけ方を教えてあげました。ミミは新しくできたお姉ちゃんにはじめて魔法を教わったこの日のことを一生忘れませんでした。
或る日のこと、母親のケイがキッチンに立っていて、誤って包丁で指の先をほんのすこし切ってしまいました。ケイがあっと声を出して指を押さえていると、ミミがやって来てケイの負傷した指を自分の小さな掌で包みました。ミミの掌からは、金色の優しい光が漏れ出ているように見えます。ケイはこの子はいったい何をしているのだろうと訝しみましたが、やがてミミが手品でも披露するように掌をパッと離しました。すると不思議なことに切れていた筈のケイの指先が元通りに治っているのです。
ケイが驚いて、
「ミミちゃん、いったいどうしたの?」と訳を訊ねると、
「お姉ちゃんに魔法のかけ方を教わったの」とミミが答えました。
それを聞くとケイは目の色を変えて、「あんまり変なこと、教わらないほうがいいわよ」と刺のある言い方をしました。
実際ミミは一生懸命、その魔法をかけたのでした。それはほんのかすり傷でしたが、それ以上の怪我なら、当時のミミには手に負えなかったに違いありませんでした。もっと喜んでくれてもいいのに、どうして母親が突然不機嫌になったのか、ミミは子供心に理解できず、ずっと後々までこの出来事を覚えていました。
それから二ヶ月もしない頃でしょうか、居間の暖炉の前で、リーベリとミミが遊んでいました。はじめは仲良くしていたふたりですが、ひょんなことからブロンド髪の人形をお姉ちゃんが盗ったと云ってミミが泣き出してしまいました。リーベリも七歳になる今までひとりっ子だったのに突然妹ができて、妹の扱い方にいまいち慣れていませんでした。
「返して」「ちょっと待って」「返してよ。それ、わたしのだよ」「今返すから」
しばらくふたりは人形の奪い合いをしていましたが、そのうちミミが泣き出してしまいました。ケイが吃驚してやって来ますと、ミミは、「お姉ちゃんがわたしの人形を盗った」と云って泣きじゃくっています。
「リーベリさん。どうして妹をかわいがってあげないの? あなたお姉さんじゃないの?」
とケイは云いました。
リーベリは、「あたし、盗ったりなんかしていないわ」と弁解しましたけれど、ケイはほとんどリーベリの話を聞いていませんでした。その間にもミミは泣き続けています。ケイは眉間に皺を寄せて、
「リーベリさん、ちょっとお外に行っててもらえるかしら? リーベリさんがいると、ミミちゃんがいつまでも泣き止まないで困るわ」
と云いました。
リーベリはそれ以上家にいることも出来ずに、半ば追い出されるように戸口に向かいました。
「もう泣かないでいいわよ、わたしのかわいいミミちゃん。これからは、リーベリさんに大事なものを渡してはいけませんよ」
家を出る時に、居間の方でケイがそう云っている声が聞こえて来たような気がしました。リーベリは聞き間違いだと思って深く考えないようにしました。
何となく家に帰ることも出来ずに、リーベリは外の小道を何度も行ったり来たりしていました。あたしは盗ったりなんかしていないのに、とリーベリは思いました。ただ、ミミがいつも大事そうに抱えているから、すこし触ってみたかっただけなの。だけど、新しいママはあたしの話を最後まで聴いてくれなかったわ……。
村の通りがかりのおじさんから、「どうしたい? お嬢ちゃん、困ったことでもあったのかい?」と声をかけられましたが、リーベリは、「何でもないの」と答えると、おじさんに泣いていることを悟らせないように脇目もふらず家から五十メートルほど離れたところにある、今は涸れてしまった川の跡に沿ってただ真っ直ぐに歩いて行きました。何故泣いているのを隠したかというと、おじさんに知れたら、おじさんが心配してケイに、「お宅のリーベリちゃんが泣きながら何処かに歩いて行ったよ」と相談に行ってしまうかもしれないと思ったからでした。四十軒ほどの農家が点在するこの村では、お互いが顔見知りでした。
その日、リーベリが家に帰り着いたのは陽が暮れてからでした。リーベリの頬に涙の跡が残っていても、ケイはそんなことには気が付きませんでした。リーベリが「ただいま」と云っても、返事をしてくれる人すら、そこには誰もいませんでした。
同居して十ヵ月ほどが経つと、リーベリは様々な家事をケイに云い付けられるようになりました。まずは毎日の食器洗いでした。
冬の凍てつくような寒さの中、凍るような水で食器を洗っていると、手が罅割れてあかぎれが出来ました。余りの冷たさに立ち竦んでいると、「何もたもたしているの?」と罵声が飛んで来ましたし、貴重な水をすこしでも無駄に使うと叱責を受けました。慣れない作業に、うっかり食器を取り落として割ってしまう事もありました。そんな時ケイは、「ほんとにこの子は何をやらせても役に立たないねえ」と心の底から呆れたように云うのでした。
それでもリーベリはケイから愛されたいがために、一生懸命家事をこなしました。井戸の水汲み、洗濯、料理の手伝い、家のお掃除など、同じ年代の子供が外で遊んでいるのを見ながら、リーベリはあらゆる仕事をこなしました。けれどもケイに褒められたことはただの一度もありませんでした。
「うちは家計が苦しいんだから」がケイの口癖でした。その癖、ケイは隣町まで足を伸ばして、アイドリにおねだりして新しい服を買って来るのでした。
ケイは初めて家にやって来た頃とは別人のようになっていきました。
同じ母親と云っても、ケイとジュリアとでは随分様子が違っているとリーベリは思いました。何だか、自分とミミに対する扱いに差があるように思えたのです。
リーベリはケイに冷たくされるたびに、優しかったママ、ジュリアのことを思い出しました。
ジュリアは村はじまって以来の偉大な魔女で、使えない魔法はないほどの実力の持ち主でした。
けれども、ジュリアは全然尊大なところはなく、村人思いで優しく、例えば不治の病が進行した老人たちの家を訪れては彼らに魔法をかけ、その痛みを和らげてあげていましたし、風邪を引いた病人ならその場で額に手をかざすだけで治すことが出来ました。また、飛んでいる鳥の羽に金縛りをかけたりして、村人たちがひもじい思いをしないように常に心を砕いていました。
そのため、ジュリアは村人達からの信望も篤く、皆から慕われていました。
はじめてリーベリがジュリアから魔法の手ほどきを受けたのは、まだ五歳の頃でしたけれど、
「修行に励めば、あなたは私より立派な魔女になれるわ」とリーベリはジュリアからその素質を褒められました。
リーベリとしてはただ、忠実にママの云うとおりにやっただけでしたが、この時褒められたことが嬉しくて、リーベリは将来ジュリアのような魔女になることを心に誓いました。
ママから魔法を教わった期間はそれほど長くはありませんでしたけれど、リーベリはママから魔法を教わるのを楽しみにしていました。時には魔法をひとつ覚えるにしても血の滲むような苦しい我慢が必要でした。それでもリーベリは途中で投げ出したりしませんでした。
まだ若いジュリアが亡くなると、村の広場でジュリアの死因について井戸端会議を開催している村人たちの噂話がリーベリの耳にも入りました。何でも魔法の世界には禁止されている呪文があって、その魔法を使うと一日より長くは生きられないという話でした。そして、ジュリアはその禁止されている魔法を使ってしまったのではないか、ということでした。リーベリの姿を見ると村人たちはその話題について口を噤んでしまったので詳しいことはそれ以上は分かりませんでした。
その噂話については真偽のほどはよく分かりませんでしたけれど、たしかに村人たちの病の治療をした後は、普段は快活なジュリアも家に帰って死んだネズミのように布団の中で眠りこけていることがありました。後になってリーベリが思ったのは、やはりそのような病気を治す魔法を多く使うことにより、ジュリアの寿命の方が縮んでしまったのではないかということでした。後々リーベリの頭の中に、人の治療に関する魔法についてはより慎重であるべきだという考えが生まれたのは、自らの母親を亡くした経験があったからかもしれませんでした。
リーベリは、九歳になると、隣村のエフエル村のN宅でお手伝いさんとして働くことになりました。この時代、子供たちが働きに出されること自体、珍しいことではありませんでしたけれど、それでも九歳というのは早い方でした。
普通その年齢の子供たちはまだ村の老人などが読み書きを教えてくれる地域の小さな学習所のようなものに通うことになっていました。ケイから命令された家事をこなすために、その学習所にも行けないことが多かったのですが、お手伝いさんとして働くことになってからは結局一度も学習所に行くことが出来なくなってしまいました。
そうして学習所での同年代のお友達とも顔を合わさなくなり、彼らと次第に疎遠になっていき、リーベリはますます孤独になりました。
勤め先での仕事が一段落しても、次は実家での仕事が待ち受けていました。リーベリは毎日の仕事に追われて疲れ果てていました。でもいくら疲れていても、ジュリアが遺したノートだけは開かない日はありませんでした。たとえ数行しか読むことが出来なくても、ジュリアのような魔女になるために毎日寸暇を惜しんで修練を積みました。そこには丁寧な字でジュリアの使える魔法のほとんど全てがびっしりと記載されていました。「私に万一の事があった時のために」とジュリアは長い年月をかけてそのノートをリーベリのために完成させてくれたのですが、もしかしたらジュリアは自分の命がそう長くないことを予感していたのかもしれないとリーベリは成長してから考えることがありました。
満足がいくほど学習所にも通わせてもらえなかった為、リーベリにはジュリアの書いた文章の意味が理解出来ないこともありました。そういう時にはリーベリは国語の勉強から始めなければなりませんでした。勤め先のN宅の子供たちは六人兄妹で、朝目覚めてから夜眠りに就くまでほとんど騒ぎっぱなしの騒々しさでしたけれど、長男のミーシャはリーベリと同い年でした。リーベリはミーシャよりよほど勉強が遅れていました。リーベリはミーシャから要らなくなった読み書きの綴り方の練習帳を貰い、家に帰ってそれを使って夜更けまで勉強しました。
N夫妻は、やんちゃ盛りの六人兄妹の中でも(いちばん下の妹はまだ0歳の赤ん坊でしたが)とりわけ長男のミーシャにはほとほと手を焼いているようでした。ミーシャは村の悪ガキとつるんで教会に行っては高価な像をこっそり壊してきたり、売り物の野菜を見つからないように盗んで来たりしたからです。そんなミーシャが、リーベリの袖を引っ張って、外に遊びに行こうと誘うのでした。
「リーベリさんには大切なお仕事があるのよ」とミーシャの母親がいくら諭しても、ミーシャには馬の耳に念仏でした。最後には母親の方があきらめて、ミーシャの手に引かれリーベリは家事から解放されるのでした。
ミーシャとリーベリはふたりで色んな場所に遊びに出掛けました。夏は着替えを持って、エフエル村のきれいな小川の流れる場所まで行きました。色とりどりの魚たちが泳いでいる中でふたりは小川で遊びました。冬は降り積もった雪を掻き集めて自分たちの身長と同じくらいの雪だるまを作ったり雪合戦をしました。悪さもしました。痛快だったのは、教会で一度ミーシャの頭を叩いたことのある神父さんに泡を吹かせたことでした。昔、その太っちょの神父さんは、教会の中でお祈りもせずに子供たちだけでペチャクチャお喋りをしているミーシャの後ろにやって来て、ミーシャの頭を叩いたことがあったのです。そのことがあったので、ミーシャはいつか仕返しをしてやろうと考えていました。
或る日、ミーシャはリーベリと一緒に、その太っちょの神父さんがいる教会にこっそり忍び込みました。そして、教会全体を叩き起こすような乱打の鐘を撞き、逃げ出したのです。神父さんは何事が起こったのかと吃驚して出て来ましたが、すぐに下手人が知れると、怒ってふたりを追いかけて来ました。でも神父さんは赤ん坊が生まれるかのようなお腹を抱えています。少し走っただけでもう立ち止まってゼイゼイと荒い息を吐いていました。ふたりは安全な場所に逃げると、お腹を抱えて笑いました。
「もう止めましょう、こんなこと」精一杯笑った後、リーベリはミーシャに云いました。「人を揶揄って遊ぶのは良くないわ」
「これで最後だよ。ぼくの頭を叩いた仕返しさ」
とミーシャは勝ち誇ったように云いました。
悪さばかりしていたわけではありません。ミーシャが喜ぶので、リーベリはミーシャに魔法をかけるのを見せてあげたりしました。ミーシャは何回リーベリから教わっても、いっさい魔法というものを使えるようにはなりませんでした。多分血のせいもあるのでしょう。いくら努力しても、魔法を使えるようになる人とならない人が世の中にはいるのです。ミーシャはリーベリが指の先で灯した蝋燭の焔の鮮やかな色に、いつまでも見惚れていました。
その逆に、ミーシャがリーベリに請われて読み書きを教えてあげることもありました。ふたりは草原に寝転がったり、仰向けになって熱心に勉強したり、お喋りをしたり、疲れたら昼寝をしたりしました。名前もわからない鳥が聞いたこともないような美しい旋律の鳴き声で歌っていました。
リーベリは毎日の出来事を残らずミーシャに話して聞かせました。家で義母に冷たくされていること、学習所に行かせてもらえないこと……ミーシャはリーベリの大切な話し相手であり、かけがえのない友達でした。ミーシャはリーベリの境遇に同情し、また憤慨してくれました。その話を聞いてからミーシャは自分の家ではリーベリを粗略に扱わないよう母親に頼みました。そのおかげでN宅でのリーベリの仕事量ははじめの頃に比べるとかなり楽なものになりました。また、リーベリは実家では食べさせてもらえないようなケーキなどのお菓子をよばれたり、夕食も一緒に誘われてご馳走になったりするようになりました。
ミーシャの母親もリーベリが真面目に仕事をしますので、リーベリのことを気に入ってくれているようでした。
(続く)
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