雨合羽怪奇談

吉善

初めまして。
吉善(きちよし)です。
以前、大学のサークル活動で執筆した作品を投稿します。
宜しければ、どうぞ。

その雨合羽に、注意。

ある梅雨の時期。
その日俺は、うっかり傘を持っていくのを忘れたせいで、ランドセルを頭の上に乗せて、足早に家へと帰るはめになっていた。
そのまま、目の前にいたあいつに気付かずに通り過ぎていれば。
もしくは、俺があんな気を起してさえいなければ。
あんな目には、遭わなかっただろう……。

「あれ、あいつ……」

赤っぽいピンク色をした雨合羽に、黄色い雨靴。
俺の住んでいるアパートの近くにある交差点前に、そいつはいた。
どこかで見覚えのあるその後ろ姿に記憶を辿ってみると、この近所に住んでいる、よくちょっかいを出し合っている女子の顔が思い浮かんできた。
そういえばあんな感じの雨合羽を持っていた気がするし、身長もパッと見あいつと同じだ。
間違いない、あいつだ。
今日は後ろから驚かしてやろうと、足音を雨音に紛れさせながらゆっくりと近付いていく。
だが、背後に近付きあと一歩で手が届きそうなところで、俺はあることに気がついた。
ひよこのキャラクターが描かれたクッキーの菓子箱。
そいつの右手に、その菓子箱が透けて見えるビニール袋がぶら下がっていたからだ。

よーし……。

いたずら心に火が付き、水しぶきでクツを汚すほど勢い良く地面を蹴ると、そいつの横を通り過ぎ、その時に右手にかかったビニール袋を強引に奪ってみせた。
完璧に、ひったくりだった。
俺は勢いをそのままに突っ走り、交差点を曲がって少し進んだところで振り返り、止まった。
後は、取っ手の部分をつまんで遠心力を使って振りまわしながら、そいつが取り返しに来るのを待つだけ。
もちろんこのひったくりは――度は過ぎてはいるが――単なるイタズラだ。
人の物を奪うつもりはない。
あいつが焦った顔をして交差点を曲がってきたら――投げ渡しでだが――ちゃんと返すつもりだった。
返すつもり……だった。

「……? あ、あれ?」

すでに袋をひったくってから、二十秒以上経ったはずだった。
なのに、来ない。あいつが、来ない。
この前あいつが苦手な毛虫を見せて逃げた時は、十秒も経たないうちに鬼みたいな顔をして追いかけてきたのに……。
なぜか、あいつは来ない。
もしかしたらひったくった勢いで転んで、その場にうずくまっているのかもしれない。
鬼のような顔をしたあいつが待ち構えているような予感もしたが、俺は意を決して様子を見に行った。

「…………」

気が付くと俺は、口を半開きにしたまま頭のてっぺん以外びしょびしょになるまで突っ立っていた。
そこにいるはずのあいつがこつ然と、姿を消していたからだ。
幻でも見ていたのだろうか。
だが、それが幻ではない証拠が、今俺の手にぶら下がっている。
もしかしたら、俺は心のどこかで、悪い予感を感じていたのかもしれない。
袋の中から覗き込む菓子箱のキャラクターの顔が、どこか不気味な表情に見えていた。


次の日の朝。学校。
教室に入ってくるなり、昨日お菓子を俺にひったくられた――と思われる――あいつに向かって両手を合わせて頭を下げてみた。
だが、案の定というべきか、予想外というべきか、あいつは俺を見てポカンとした顔を返してくるだけだった。
話によると、昨日は友達の家に寄ってから帰ったため、あの時間にあの場所にはいなかったのだという。
つまり、昨日俺がお菓子をひったくった相手は、全くの別人だったというわけだ。


その日の下校中。交差点前。

「あーあ。……やってしまった」

重い足取りで家を目指しながら、俺はそうつぶやいた。
あの雨合羽の女の子は、一体どこの誰だったのだろうか。
後姿とあのお菓子を持っていたということ以外、俺は何も知らない。
……そういえば、俺は今、昨日のあの時と似たような状況にいる。
道行く車のワイパーが一定間隔で窓を拭くぐらいの雨量。
だいたい同じ時間。場所も一緒。
全く違うと言い切れるところといえば、今日はランドセルを頭に乗せず、ちゃんと傘をさしていることくらいだ。
教室を出たあたりから何となく下に向いていた目線を、いつもの高さに戻してみる。
交差点の前に、人が一人立っている。
赤っぽいピンクの雨合羽に、黄色い雨靴を履いた、女の子のようだ。

……えっ? ……ええっ!?

いた。
まるで誰かが前もって用意したかのように、あの雨合羽の女の子は、そこにいた。

「ね、ねえキミ。昨日のこの時間に、ここにいた子だよね?」

小走りで女の子の前に回り込み、俺はそう声をかけた。
……だが、その女の子は無視するかのように、俺の声には一切反応を示そうとしなかった。

「も、もしもーし」

もう一度声をかけてみるが、やはり反応なし。
昨日自分からものをひったくった人が話しかけてきたのだから、一度や二度無視するのも分かる気がする。
だが、なぜなのだろう。その女の子がまるで色を塗った石像のように、気付いた様子すら見せない事に、俺は妙な感覚を覚えた。
無反応だ、どうしよう。と少し思ったが、わずかに動いている口元が一瞬見え、俺が顔を横に向けて耳を傾ければなんとか会話ぐらいは出来るのだと分かった。

「………………返して」

女の子は雨音にかき消されるかどうかというとても小さな声で、何度も何度もそう言っているようだった。

「あ……うん。もちろん返すよ。今は持ってないんだけど……」
「…………返して」
「ゴメンね。今は持ってないんだけど、俺ん家に置いてあるから……」
「……返して」
「返すってば! 俺ん家近くだから今から……」

取ってくる! と言いかけたところで、俺の全身は一瞬で凍り付いてしまった。
あまりに何度も、それも徐々に言う間隔を狭めながら返して返してと繰り返してきたせいで少しイラッとしてしまい、その女の子に顔をまっすぐ向けてしまったからだ。
女の子の顔は左目から額にかけての皮膚がずるむけ、そこからおびただしい量の血が流れ出てきていた。

「うわぁっ……!」

手に持っていた傘を放り投げ、尻餅をついてしまった。
目線の高さがぐっと下がったせいで、今は女の子の顔がよく見える。
な、なんなんだこいつ……!
顔が! 血が!ゆ、幽霊……!
血まみれの顔をした雨合羽の女の子が、俺にお菓子を返せと繰り返しながら迫ってくる。
パニックになりそうな頭で今俺がどんな状況にいるのか考えながら、俺はがくがくと震える足で立ち上がり、次に女の子が口を開くより先に、家へと向かって走り出した。
俺の住んでいるアパート前にあるコンビニを横切り、アパートの階段を上って俺ん家の部屋へと滑り込む。
玄関の鍵を閉めると、俺はため息をついてしゃがみ込んだ。
思わず逃げてきちゃったけど、やっぱりちゃんと返すべきなのかな……。
相手どう考えても幽霊だったけど。
……いや、返すべきか。悪いことしたの俺だし。
少しだけ落ち着き、俺はそう考えをまとめた。
学校で先生に取り上げられたりしたら意味がないので、お菓子は俺と兄の使う部屋に置きっぱなしだ。
俺はとりあえず、いつまたあの女の子に出くわしてもいいように、あのお菓子を手元に置くことにした。

……だが、そこで俺は、予想外の事態にみまわれた。
あのお菓子が、袋ごとどこかへ消えてしまっていたのだ。
ない、ない、ない! どこにもない!
焦りながらついには押し入れの中まで探しだした、その時だった。

プルルルル……。プルルルル……。

電話だ。

なんでこんなタイミングで……。
イライラしながらそう思うと、俺は玄関の目の前にある電話の受話器を取って耳に当てた。

「やっぱりもう帰ってきてたのか。なあ、さっきお前すごい勢いで走ってなかったか?」

電話は、今浪人中の俺の兄からだった。
どうやら今アパート前のコンビニにいるようで、俺が走ってアパートに入っていくのを見て気になったのだと言う。
大したことじゃないのに電話すんな! と心の中で思いながら、ついでに俺は部屋にあったお菓子を知らないかと聞いてみた。
もしかしたら、兄が棚かどこかに入れたのかもしれないと思ったからだ。

「ああ、あれか……?」

ついでに聞いた質問。
そんな質問が、俺が置かれている本当の状況を教えることとなる。

「すまん。あれ、食っちまった」

――――えっ!?

「いやー、あれ床に落ちてたじゃん。だからお前のって分かんなくってさ、俺が買った奴だと思ってよー。まあ俺も悪いとは思ってるからさ、同じやつ今から買ってくるよ。じゃあな」

プツンッ……。ツ――……。ツ――……。ツ――……。

左胸に何か生き物でもひっついたかのように、心臓がバクバク動いているのが分かる。
いつの間にか、息も上がっていた。
嘘だろ……?
あの女の子に返すお菓子が、今はもう無くって……。
もしも今、あの女の子が俺を追ってきたら……!
交差点の前で見た、あの女の子の血だらけの顔が頭の中に浮かんでくる。
その時だった。

キュッ……。キュッ……。

静まり返った室内に、雨音に交じって濡れたゴム底で歩く足音が聞こえてきた。
一歩一歩、静かにだが確かに、足音が玄関の前に近付いてくる。

キュッ……。キュッ……。キュッ……。

玄関のドア一枚の向こうで、足音が止まった。
いるのか……? ドアの向こうに、あの女の子が……!
居留守でも使うかのように、俺は物音一つ立てない様、その場で一歩も動かずに息を殺していた。

そして……。

俺の後ろの首筋に、冷たい水滴が一滴垂れてきた。
そっとその水滴を指に取って見てみると、それは赤い何かを水で薄めたような色をしている。
見てはいけないと頭では分かっていながらも、ある種の怖いもの見たさなのか、俺の首が左へ回っていく。
場所が室内なせいで場違いな格好に見える、赤っぽいピンクの雨合羽。
雨合羽の女の子が、目の前にいた。

「……返して!」

一生忘れることはないだろうその声に、俺は跳び上がった。
今日で二度目の尻もちを突き、俺はそのまま後ずさりをして玄関のドアに背中をぶつけた。
顔から垂れる真っ赤な血を床に落としながら迫ってくる女の子。
俺は目をつぶって頭や顔を手で覆った。

「……返して」
「ごめんなさい! あのお菓子、兄ちゃんが食っちまって!」
「返して」
「だけどすぐに同じの買ってくるって言ってたから! それ持っていっていいから!」
「返して!」
「う、うわああああ!」




ドンドンッ!

玄関の外から、ドアをノックする音。

―――……。

気が付くと俺は涙やら鼻水やらを垂れ流しながら、肩を震わせていた。

あの女の子は、消えていた。

不意に玄関のドアが開き後ろに倒れ込むと、手にコンビニの袋を手にぶら下げた兄の姿が視界に入ってきた。

「おいどうした? 何泣いてんだよ」
「色々あってさ……。それより、お菓子買ってきた……?」

泣きながら何言ってんだ。とでも言いたげな表情をしながらも、兄はコンビニの袋をあさり始めた。

「あれ、確かに買ったはずなのに……」

なぜがお菓子だけが袋の中から消えている。
その事を知ると、俺は大きな溜息を突いた。


これは後日人から聞いた話なのだが、二年前の梅雨の時期に赤っぽい雨合羽に黄色い雨靴を履いた女の子が、妹と一緒に食べようとお菓子を買いに行った帰りに、交通事故で亡くなっていたのだという。
俺があの日出会っていたのは、どうやらその女の子だったようだ。
あの日以来、俺はものをひったくるのはおろか、後ろから人を驚かすのもやめにした。
もちろん、もしそんなことをして、相手の顔が血まみれだったなんて、もう二度と、ごめんだからである。


終わり

雨合羽怪奇談

改めまして。
吉善(きちよし)です。
お楽しみいただければ、幸いです。

雨合羽怪奇談

ある梅雨の日。 学校の帰り道、少年は同じクラスの女子と思わしき雨合羽を目撃。 ちょっとしたイタズラ心に火が付いた少年は、その子が持っていたお菓子の袋を奪ってしまう。 だが、奪われたその子は奪った少年を追ってくる事は無く、それどころか、姿を消してしまっていた。 明日、あなたも遭遇するかも――? 雨合羽怪奇談。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-04

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