贈り物
暖かいものを書きたいな、と思って書いた短編です。
クリスマス・イヴにむけて。
『贈り物』
{おくりもの}
飛鳥弥生
オフィスで一番の日当たりと絶景を持つ打ち合わせ室に居合わせた三人の顔は、今にも窒息してしまいそうだった。夕焼けを後光に据え、リクライニングで天井を見上げていた方城{ほうじょう}コウイチは、重い溜息と共にその沈黙を破った。
「全く、この企画書でプレゼンをやってたらなんて、想像もしたくないね」
ふん、と鼻を鳴らし、役立たずとなった分厚い紙の束に一瞥をくれ、方城は、テーブルを挟んで立つ二人の部下、橋井{はしい}リカコと橘{たちばな}アヤを鋭く睨み付けた。その突き刺さる眼光により、背を丸め顔を落としていた橋井は更に小さくなり、橘の方はのけぞりそうになるのを必死で我慢していた。
「部長はブチ切れてたし、僕だってそうだ。事前に気付いただけマシだが、また最初からだと思うと切れる気力も失せるってもんだ」
怒りとも諦めとも取れるその口調に、縮んでいた橋井がおずおずと視線を上げた。
「あの……」
空調の駆動音で消されそうな声に、方城の眉がピクリと揺れる。
「ああ、そう、最初からだ。世間はクリスマスだ何だって浮かれてるってのに、僕らのチームはまたまた残業と終電の日々に舞い戻る。お寒い話だ、全く」
チームリーダーである方城に呼び出される前、まだ平和だった昼休みに、橋井がボーイフレンドとのクリスマス・イブの予定を嬉しそうに喋っていた様子が頭をよぎり、橘は疲弊した口をこじあけた。
「言訳のつもりではありませんが、でも、雛形は出来上がっているんですから、データの入れ替えさえやれば――」
橘のかすれた訴えを、ハエでも払うように却下し、方城が言葉を継ぐ。
「すぐに済む? そうかもな。二日で作った雛形に対して、僕らは二ヶ月かけてデータを入力して検討してたんだ。少なくとも半日分は早く終わるだろうな、確かに。それで除夜の鐘の後半半分でも聞ければ幸いだ。せめて正月くらいはのんびり過ごしたいからな」
解っていた返答に橘は無音の溜息を吐き、橋井は更に小さくなった。
「何の足しにもならないが、今日くらいはさっさと帰ろう。疲れて頭が役に立たない。お疲れ」
そういって二人を追い払うと、方城は再び天井を仰いだ。
乱雑なオフィスから駅前までの道のり、喪に服したかのような橋井に、橘は遂に一言も声を掛けられなかった。日の暮れた寒空は橋井の心境そのままのようでもあり、橘のそれでもあった。
久々の通勤ラッシュにもまれ、橘はいつもより早くマンションに辿り着いたが、橋井のことと明日からの自分のことを思うと、ちっとも嬉しくなかった。
それでも、冷えたリビングにコートを放り、疲れと寒さをシャワーで洗い流し、近所のスーパーで買い込んだ食材をテキパキと仕立てていくうち、気分は多少和らいでいった。
出来上がった煮物をレンジに入れ、のんびりと缶ビールを半分空けたところでチャイムが鳴った。
「ねぇ、24日だけど、橋井さんだけでも定時上がりって、やっぱり無理かしら?」
そういいながら橘は、手にした缶ビールをこたつに置き、困った顔をしてみせた。
「橋井さん、予定でも? って、そりゃああるだろうね。……いいよ」
味の染みた煮物を口にしたまま、方城は苦笑いで応えた。
「ホントに?」
自分のことのように喜ぶ橘に、方城は肩をすくめて軽くうなずく。
「ああ。今更数時間のあがきでどうこうなる問題でもないからね。それに犠牲は最小限の方がいい。この哀れなチケットは、そうだな、ネットオークションにでも出すかい? 何せイブのコンサートチケットだ、すぐに売れるよ、きっと」
方城が苦労して手に入れ、しかし無駄になったチケットを見て、二人は小さく笑った。
――おわり
贈り物
些細ですが、こんなことがあったらいいかも、と思って書きました。