落とし前

落とし前

辻脇 鐵男

狙撃

 五月半ばになりすごしやすい季節に成り、サクラも散り、山々も緑一色に成ろうとしていた。
空は青く雲一つ無く風も無い日が2~3日続いておりこういう日を五月晴と言うんだと真鍋健一は思った。俺は今、千葉県柏市から10キロ程離れたゴルフ場にいた。5番コースのグリーンのそばの林の中にいた。山を崩して作られており、初心者には起伏が多い為難しいコースと言われていた。5番コースのグリーンから800メートル離れた、山の中の雑木が茂リ笹が生えている中にいた。5番コースのグリーンか
からは 俺の姿は見えない自信があった。
「もう5時か今日も来ずかもう2日も居る明日こそ来てくれ、野宿は年寄りにはこたえる」
リツクサツクから、アルコウルコンロ、を取り出しお湯を沸かした、暗くなるとコンロの火の明かりが見られるおそれが有るため明るい内にお湯を沸かすためだ。沸騰したお湯を魔法瓶に詰めると、真鍋健一は何もする事が無くなり敷き詰めた笹の上に仰向けに寝た、年をとると昔の事が思いだされ懐かしくも有りほろ苦くもあつた、よく生き長らえたものだ、数えきれないぐらい死に神が俺を呼んでいたが、何とか切り抜けた、俺は高校3年の1月18日に、天国から地獄に落とされた、両親が交通事故で亡くなった、其れまで何の不自由もなく,古武道の稽古に夢中に成り家が2代つずいた工務店なので俺も家を継ごうと思い、大学も建築科に願書を出していた。交通事故で俺は全てを失った、叔父が1人いたが早くに亡くなって、子供が居ない為俺は天涯孤独になつてしまつた、交通事故の相手が大手の運送会社だったのと運送会社の運転手が居眠り運転の為、賠償金や保険金などが降りたが多額の負債が残って居たので僅かしか残らなかつた。残ったのは麻布十番に有る、家と土地240坪だけだつた。高校の担任が2カ月で卒業だ卒業だけはしろといってくれたので卒業した、高校卒業してすぐに家を解体して更地にした。此からの俺の人生に此処での思い出を引きずる事を避けるためだ。1967年俺は何の目的も無くアメリカに向かった、強いて言えば近所の人達や高校の同級生に此からどうするんだろうと好奇、と同情の目で見られるのが煩わしく思った、近所にカトリック教会が有り子供の頃より通いアメリカ人の牧師に英語を習い少しは喋れたのも原因かもしれなかった。
ニューヨークで仕事を探したが人種差別が有り覚えていた英語も余り役に立たず、イエローモンキーと馬鹿にされていた。
 レストランの食器洗いと掃除の仕事を給料日に残って床を磨いて要るとコック長が事務所にこいと言うのでいくとズボンもパンツ脱いでおりお前も脱げ穴をかせといつたので断ると掴み掛かってきたので蹴りを入れストレートを叩きこみ辞めた。10日程で金も無くなり2日も何も食べずに居たとき、ぶらぶら歩いているとき、事務所の前の看板が目に飛び込んで来た。新兵募集、国籍問わず、俺はふらふらと事務所に入ってしまった、衣食住が付いており給料も貰えアメリカ国籍、グリーンカード、まで貰えるサインさえすれば今日から飯と寝る所がある俺は腹が減っているので迷わすサインをしてしまつた。
それが間違いの元で7年程地獄の苦しみを味わう事になるとは思わなかった。
寒さと腹が減って健一は目が覚めた。
 「春とわいえ日本はまだ寒い年寄りには堪える、明日こそ来てくれこのインスタントラーメン、と固いパン、干肉、ビタミン剤、飽きた、年寄りを待たせるな」
 インスタント珈琲を飲みおえると何もする事がないのて寝袋に入り星空を眺め昔を思い出していた。
入隊と同時に3ヵ月程体力と軍隊の規律を守るため行軍と行進ばかりさせられ、夜は英語の勉強をさせられた、命令が解らなければ死ぬと脅かされた、俺は礎知識があつたため何とか覚えた。4カ月が過ぎ要約銃を支給され撃つことを習った。俺は400人程いるなかで射撃はいつも上位にいた、自分の才能に戸惑っていた。5カ月目に入り別のキャンプで訓練をすると言われニューヨーク港から船に乗せられ着いた所はフィリピンだった、ジャングルと言うか密林の中を見たことも無い高い草のような植物を掻き分け行軍させられ敵と味方に別れ訓練をさせられた、楽しみは食事が美味しい事だけだつた、8カ月程で俺達は新兵の訓練を終えた。アメリカ合衆国の軍人になった訳だ。
陸軍の二等兵だ、直ちに隊の編成が行われ俺の隊はいって驚いた、世界中の若者達がおり、まるで多国籍軍だった、そして俺の小隊は14人だったが、フィリピン人4人、メキシコ人5人、中国人3人、チリ人1人そして俺、さすがに軍曹だけははアメリカ人だった。
俺はどうして軍隊に入ったのかと聞いて見ると、みんな密入国者で罪を問わず、除隊したらアメリカ国籍を支給すると言われ、衣食住、が付いて給料までくれる、こんな良い事はないだから入った、みんな言う事は同じだった。
 フィリピン人が近づいて来て日本人かと聞くのでそうだと答えると、日本に居たことが有る、といって握手をして来た、お国柄か陽気な奴だったが一生付き合う事になるとはその時は思わなかつた。
親指と人差し指を丸め俺の事は「マル」と呼んでくれ日本でお金のことを言うだんだと島に帰って教えるとみんな、マルと呼ぶようになつた、健一の事を「ケン」と呼ぶと言われ小隊で呼ばれるようになった。
翌日大隊規模の新兵は船に乗せられ、ベトナムの最前線に放り込まれた。
「ケン俺達は使い捨てだ、敵に向かってまだ一発も撃って無いのに此処は最前線だこんな人種差別あるか俺達だってアメリカ陸軍の兵士だ」
「マル家に仕送りするんだろう、俺達はまだアメリカ人じゃあ無い戦死しても見舞金で終わりだ死ぬな」
空が明るくなり寒さと、小鳥の鳴き声で真鍋健一は目が覚めた。
「歳をとると早起きで行けない、今日こそ来てくれよ年寄りは気が短いんだから、早く帰りたいよ」
真鍋健一はフィリピンに住んでいたベトナム戦争が終わり、アメリカ国籍を貰い、日本に帰ろうとしたとき、マルがフィリピンの俺の家に来てくれと言うのでマルの生まれ故郷の島にいつたら、一辺に気にいってしまった。この島の島民は貧しく若者は「マニラ」か外国に出稼ぎに出ていた。
7年程アメリカ陸軍に在籍し要約、上等兵になった、勲章も3個貰った。3年程前に除隊も出来たが軍隊に残った、そしてアメリカ国籍を貰った、マルも一緒で俺達の上官で有るマクレガー准尉も中慰になつており中慰の子飼いと言うことでベトナムに来てからずっと一緒だった。俺達の小隊で残って居るのはマルと俺だけだった、みんな戦死か重傷でアメリカに返された一緒に来た大隊も60%がおんなじ運命をたどっていた、スイスで北ベトナムとアメリカが停戦の話し合いが行われて要るらしい、脱走兵を支援する組織が有るとか、アメリカ本国では戦争反対のデモが毎日行われている、そんな噂が兵士達の中で広まっていた、ベトナムでは北爆が激しく成り「ラオス」にも戦火が拡大していた、特に昨年からは黒人兵が多くなつていた。
韓国軍、オーストリア軍、タイ軍、フィリピン軍、ニュージーランド軍、なども。北ベトナム軍、ベトコンなどと戦火を交えていた、特に韓国軍は、45700居ると言われていた。噂では韓国軍の兵士は米軍兵士の約半額の60ドルを月々支給されていると言われていた。
「今日こそ来てくれよあんまり、年寄りを待たせるな10時かそろそろ来るか」
真鍋健一は5番グリーンに来る人を双眼鏡で見ていた。10時30分過ぎに、ろくでなし、の「レツテル」を貼ったような、グループが現れた。
「来た待たせやがって」 素早く掛けて有るシートをはがし「狙撃銃M110スナイパーライフル、カスタマナイズされたノズル、サブレッサ付」を取り上げた。
僅かに風が有ったが、距離が800メートルならこの銃の性能なら影響はないと健一は思った。
関西の暴力団「斉藤連合会」の大宮支部長の佐々木の顔をスコープにとらえ引き金を引いた。耳から上の頭が消失し周りの者達は何故倒れたか分からず頭を見て気絶する者までいた。
健一は素早く自分の周りを見渡し忘れ物、ゴミなど無いのを確認し立ち去った。車、電車、など交通基幹などは危険なので山越えをし、コンパスを頼りに我孫子市に出た。検問しているおそれがあるので更に2日山にいた。何もする事がないのて昼は風の音を楽しみ夜は星空を眺めて過ごした。健一は2カ月前の事を思い出していた。ベトナムに居たときも年に一度だけ日本に帰っていた、健一と日本を結びつけるもの、それは、麻布十番に有る土地だった。「固定資産税」を払う為に帰っていた。帰る度に固定資産税が高く成り。健一が居たときの面影がまるで無く周りがビルだらけに成り、高級レストラン、ブティック、BAR、などが立ち並び、「都市開発」とかで健一の土地がメーンストーリーに面していた、日本に帰りいって見て驚いた俺の許可もなく。軽量鉄骨の3階建ての建物が建つていた、おまけに「株式会社麻布十番開発」と言う看板まで出ていた。俺は登記所に行き、調べると仮登記されてをりおまけに根抵当権まで付けられていた。登記した弁護士の事務所にいくと、閉鎖されてをり近所に聞くと交通事故で轢き逃げされ、まだ犯人が捕まらないと教えられた。調べると関西の暴力団「斉藤連合会」のフロント企業と分かった。俺は完全に頭にきた、そして、45年前のベトナム戦争時のようにアドレナリンが体中駆け巡り「斉藤連合会」を叩き潰し土地を取り返す。俺にとっては立った1つの日本とのつながりだ、俺の子供にとつてもだ。
俺はその夜、アメリカに飛んだ、そしてニューヨークのはずれに軍の払い下げを扱っている元上官のマクレガー中慰の元を訪ねた。退役してもクリスマスカードや2~3年に一度はあつていた。
「健どうした連絡くれたら空港まで迎えにいつたのに、なんか難しい話か何でもいつてくれ」
「ヤクザ、と揉めそうだ、嫌、揉める、奴らを叩き潰す、完璧に潰す、武器が要るそれで来た」
「どんな物が要る何でも揃ういつてくれ、日本にもフーリパスで送ってやる、米軍に頼む、立川の基地に送る。手数料が掛かるが間違いなく届く。マル、はこのことしつているのか。私も手を貸してもいい」、
「嫌、私事だいつてない「ベレッタM1934」(拳銃)2丁欲しい「M92FS」では大き過ぎる「サイレンサー」を付けてくれ、それと、狙撃銃、M110サブレッサー付、以上だ」、
「1人でヤクザと戦争するのか止めても無駄か、だがM110では威力が弱いビルだらけの中で射撃すると風の動きが掴めない、良い狙撃銃がある「パレットM82」だ、口径50nn有効射程1800nn、サブレッサー付だ健なら使いこなせる。だが重い、15キロ程有る。ベレッタのサイレンサーはない。アメリカでも所持は禁止されている、所持しているだけで処罰される。だが、かなり出回っている2~3日くれ良い物を作らせる、その間に送る段取りを取る」
 俺は狙撃銃の試射をして過ごした。俺のベトナム時代に使っていた狙撃銃とは比べ物にならない程。進歩していた観測兵もいらなかつた、赤外線レーザー距離計、暗示装置、などが着いていた。50口径なのに発射音が驚く程小さいかつた。ベレッタ(拳銃)などはほとんど音がしないと言えた。
「健、何時でも電話くれ、助けに行く、それと何でも送る、これは俺からのプレゼントだ、ケプラー社製の防弾チヨツキだ、ベトナム時代と違って軽くて性能が各段に違う、「サイレンサー」はアメリカ軍が使っている奴だ取り外しが出来る、仕事が終わったらまた会おう、成功を祈っている」
俺はすぐに日本に引き返し3日後、立川で品物を受け取った。「斉藤連合会」の資金源は、覚醒剤、の密売と分かったので売人を付け回した、斉藤連合会、は三国人が多いので、覚醒剤、の密輸がしやすいのだろう
俺はなるべく幹部らしい奴らを付けた。新宿で襲おうと思ったが深夜まで人がいるのであきらめ、上野でやることにした、2~3日売人のチンピラを張っていると深夜の2時頃、幹部らしいのが上野公園の下に有る池之端でチンピラから売り上げを集めて要ることがわかつたのでそいつを襲う事にした、その時間帯はほとんど人もいない所であった。
 翌日の深夜2時頃500のベンツが止まり、男が1人車から降り池之端の奥に向かった、チンピラがすでに来ており売上を渡すと立ち去った。男が車に戻ろうとしたとき後ろから拾った拳大の石で頭殴った。男は崩れるように倒れた、男を奥の植え込みの中に引きずって行き手と足をガムテープで縛り小瓶の中の「アトモニア」を嗅がせた。
「目が覚めたかい聞きだい事が有る、覚醒剤の置いてある所教えてくれ」
「てめーえどこの組だこんな事して只ですむと思っているのか、ほどけ忘れてやる」
「忘れてくれなくても良い、いつたことに答えろ言いたくなければ体に聞くお前、日本人じゃあ無いだろう此処で死ぬか」 俺はアメリカの泥棒市から買って来た、両刃で刃渡り7ミリx10センチのナイフを取り出し行きなり、右股を刺した。勿論口を抑えてだ。
 「てめーえよくもやりやがったな組の者達が黙ってない殺してやる」
「お前立場が分かって内容だ、聞くことに答えろ」
俺は、左足を刺した。
「俺が本気だという事が分かったろう時間がたつと失血死するぞ」
「てめーえ、あんたわ、なにもんだ、東京の極道にこんな事する奴は居ない。内の組でもこんな手荒な事しない、止めてくれ言う。足立区の竹の塚に有る、ゴミ焼却炉、の裏に自動車の修理工場が有るその二階だ高い煙突が有るすぐ分かる」 「今から傷の手当をする医師の所に連れて行ってやる嘘だったら殺す」
「嘘なんか付かん、早く医師の所に連れて行ってくれ」
 俺は抱き抱え奴の延髄をナイフでえぐってやった。目を大きく開き信じられないと言う顔をし、死んだ。
俺は奴を信じる事にした、拷問されて死んだと分かると警戒されるので今夜、此から襲う事にした。
停めて有る50㏄のバイクを失敬して竹の塚に向かった。フィリピンの俺の島に居るとき泥棒で生計を立てていた若者に、ありとあらゆる、鍵、の開け方を面白半分に教わっていた。竹の塚に近ずくと煙突に付いている赤い点滅の明かりを目当てに向かった。
焼却炉の塀にバイクを立てかけ修理工場に向かった外に階段が付いており登ろうと上に有る「ドウ」を見たら赤い小さなパイロットランプが見えた。
「防犯カメラだまずいな」
 俺は階段を諦め修理工場の正面にあるシャッターの端に付いている人の出入り口の鍵を開けた、思った通り二階に行く階段が有った。
音を立てないように静かに上がり「ドウ」に耳を付けて聞くと3~4人がいるドウのノブを回したが、鍵が掛かっていた。面倒臭いのでドウの鍵に、3発撃ち込んだ、素早くドウを開け室内に居る3人に2発ずつ撃ち込んだ、高級幹部らしいのが机の前で金を数えていたが額に1発撃ち込んでやった。
3人は覚醒剤を小分けしていたらしく、机の上に電子秤りと小分けした小さな袋が無数に有った。
大きなバックがあつたので机の上に有った金と大きな袋に入っていた覚醒剤を詰めた。持ち上げると15キロ程の重さになった.1キロ程を部屋中にばらまいた。案の定翌日の深夜自動車修理工場が放火とかで全焼した、死体も彼らが始末したようだ。其れから10日程俺は「週刊誌」のフリー記者を名乗り。新宿、池袋、上野、六本木、と関東の極道の幹部らしい者達に此から関東の極道界を束ねる人は誰かと聞いて回った。勿論。BAR、居酒屋でだ。新藤正信、の名をほとんどの者達が上げた。酔っ払って彼の住所まで教えてくれた。池袋に有る彼の住まい「タイガーマンション」を見張る事にした。1日で新藤正信に会えた。12時頃1人で帰ってきたので拳銃を見せて危害は加えない頼みがある部屋にいこうと言ったら黙って頷いた。部屋に入り、単刀直入に話した。
「此処に3千万円ぐらい有る。後の物は手土産だ。情報が欲しい」
俺はそう言って「ボストンバック」を彼の側に投げた。
「開けていいか、何と大したお土産だ、関西の奴らを騒がしている人が居るときいたが、聞くまい、どんな情報が欲しい」
「斉藤連合会、の親分の住所、癖、趣味、、仕事、事務所の住所、日本中の親分のだ」
「わかった事務所に行けば有る、極秘だが俺ならコピー出来る。何処に届ける」
「どつかの「コインロッカー」に入れてくれ鍵はあんたの「レターボックス」に頼む」
「池袋駅の東口の地下に有る明後日の、12時までに入れて置く」
2後タイガーマンションでコインロッカーの鍵をレターボックスから取り出し池袋駅で紙袋に入れて有る書類を取り出した。中に手紙と、携帯電話、が入っていた手紙には、2台手に入れたこの番号は誰も知らない居るもの、手を貸して欲しいとき、電話をくれと書いて有った。健一は話しただけでこの男は出来る「腹」の座った男だ、噂道理の男だと認めだから何も心配せずに書類を取りに行った。その書類を見て一番狙撃の楽な、大宮支部長の佐々木を狙撃した、。、
2日後、ひげを剃りもつてきた服に着替えて、我孫子市からタクシーで柏市に出、タクシーを乗り換え松戸市に出またタクシーを乗り換え東京に着いた、東京で4回も乗り換え遠回りして東京での仮住まいに着いた。
この仮住まいはベトナム人の「ラム、ズウン」が借りてくれた。今は難民を認められて日本に帰化していた。


反撃

健一は体を休め此からの事を考えていた。そして今までの事を思い出していた。
1972年7月俺達の小隊はサイゴンの警備に付いていた。ニクソン大統領がパリ協定をするとかしないとか兵隊の間では和平交渉の話しがデマを交えて飛び交っていた。厭戦気分が蔓延してをり酔っ払って揉め事が耐えなかった、そんなときに「ラム、ズウン」と知り合いになった。ベトナムの国立銀行の副頭取をしていた。俺達の小隊は国立銀行、と頭取、副頭取及び家族を守ることだつた。1973年1月29日ニクソン大統領がベトナム戦争の終戦を宣言した。その前からアメリカ軍が少しずつ撤退していた。アメリカ国民のベトナムからの帰国で空港、はパンク寸前だった。ベトナムの要人も船で逃げる者、アメリカ軍とコネが有る者は飛行機で逃げ出していた。頭取は家族と共に素早く逃げ出していた。北ベトナム軍に捕まえられたら見せかけの裁判で銃殺されるのは目に見えていた。
ラムズ、ウンが逃げをくれた。銀行の金庫の鍵とコンビネーションをしつていたからだ、頭取から後始末を押し付けられたのだ。
3月18日に金庫を開け膨大な米ドルを運び出した、アメリカがベトナムに援助した金だ、俺達は銀行から運び出すまでが任務だった。MPとCIAが持ち出し、全部燃やしたと言う話しだった。
ラム、ズウン、がアメリカに亡命させてくれるなら良い話が有るといって地下室に案内した。そこは民間用の貸し金庫でみんな慌てて逃げたので中身はそっくり有る、鍵ももつていると言った。そして別の部屋に行きでかい金庫を開けた、軍の高官や、高級役人がごまかした金だといった、凄い米ドルの札束が有った。俺とマルではどうにも成らないので、マクレガー中慰に相談した、ベトナム戦争が終わったら軍にしがみついているか退役しかなかつた。中慰は直ぐに上官の中佐に相談し中佐は空軍の小佐に話を持ちかけた。
書籍、書類と言うことで頂くことにした。勿論、ラム、ズウンの家族も一緒だ。中慰が小隊のみんなに地下に有る書類を運び出す、健とマルに書類を箱に詰めさす機密文書が多いので地下にいくなと言った。
俺と、マルで、弾丸の箱や食材の箱に詰めた。
貸し金庫の事は報告してないので俺、マル、ラム、ズウンの三人で開ける事にした。
かなりの宝石や金塊が出て来た。三人で均等に分ける事にした、俺は少しだけ、ダイヤの指輪、ネックレスなど貰いあとわ要らない欲しいものが有る、紙屑になるかも知れないがこの無記名の、日本の株券が欲しいといった2人は好きにしてくれといつたので株券を集めた、住田銀行、四菱銀行、その他、日本の株券をもつてきた、大型のアサルトバックバックに詰めた。
全部一枚が1000株になつていた。1973年3月29日の朝、俺とマルで軍用トラックで銀行に金をとりにいきラム、ズウンの家族(男の子2人女の子1人奥さんラム、ズウン)の5人を乗せ空港に向かった。
空港には物凄いベトナム人が飛行機に乗せてくれといつたがマルが空に向けて威嚇射撃をし空港のゲートを開けトラックが入ると閉めエンジンのかかっている貨物輸送機に向かった。
素早く荷物を積み込み、直ぐ離陸した。
ラム、ズウンにわ持てるだけ金を持てといつて箱に詰める時、金を持たせた、長男は、リツクをしよっているがかなり重そうだった。行き先は日本の立川基地と言うことだった。
金を分けるのは、俺、マル、マクレガー中慰、中佐、小佐、貨物輸送機の機長の6人だった。
マクレガー中慰が何処に隠すと相談を受けたので高校の時、立川基地の軍用機を見に来た時、立川に日本1大きな関東運輸の、、馬鹿でかいターミナル基地が有り貴重品、骨董品など預かりますと書いてある看板を思い出し話すと其処に仕様と言われた。立川基地に付くと滑走路の脇にトラックが置いて有り俺とマルでトラックに積み込んだ、俺とマルでは位が低いのでマクレガー中慰に同行してもらつた。その時、俺達は護衛と言うことで拳銃を預かった。ターミナル基地に付くと、トラックから離れられないといって所長を呼び出した。マクレガー中慰が話し俺が通訳した。所長は俺の腰に刺している拳銃を見て驚いて直ぐに預かってくれた。紛失したり盗まれたら日米関係がまずくなると脅してをいた。
ラム、ズウン家族は基地に一泊し翌日、基地司令官の難民交付の書類を貰い俺と共に外務省に向かった。
基地司令官の書類なのでお昼頃には許可が出た。俺は一泊の外泊許可をもらつているので、ラム、ズウンの家族の為にマンションを探す事にした、大手の不動産屋に行き恵比寿に有るマンションを借りる事にした、契約の時、難民交付の書類を見せだが保証人が居ないと何色を示した。頭にきなのでアメリカ合衆国が保証人だといつてアメリカ陸軍の俺の身分証を見せると直ぐに契約が出来た。そのかわり半年分の家賃を払うことにした。電気、ガス、水道、など契約し生活に居るものを買いスーパーなど探し教えた。4日程立川基地にいたがアメリカで解隊式を行うその後、除隊だといわれアメリカで除隊した。中慰、も中佐も大佐もあと事務整理が有るため半年は掛かるみんなが除隊したら分けようと言うことになった。
「一週間も休んだ、体がなまる、次はどいつをやるか俺の土地を奪いやがって、きっちり、落とし前を付けてやる倍返しの反撃だ」
新藤正信、から貰った斉藤連合会、の直属の幹部達のフワイル、を眺めた、勿論写真付だ。
神奈川県の支部長をやることに決めた。翌日、横浜に出向いた、事務所は日産スタジアムからそう遠くない所に有った。だが至る所に、防犯カメラ、が付いており若者達がたむろしていた。おまけに支部長が、糖尿病で月に1~2度しか事務所に来ないことがフワイルに、書いて有った、全て若頭に任せているようだった。支部長の住んでいる、港北区日吉地区に向かった。
大きな敷地で高い塀で囲って有った。若者達も4~5人は居るようだった。支部長の身の回りを世話しているのだろう。だが防犯カメラが至る所に設置して有り塀の上にはレーザー防犯装置が付いていた、塀をこえようとしたら、けたたましくベルが鳴るだろう。回りを見渡したが狙撃するような場所がなかった。
かなり向こうに建築しているマンションが有ったのでいつてみた殆ど完成しており内装だけのようだった。だがかなりの距離が有った。
「此処しかないか、現役の時でもこの距離は無かった」
どのように逃げるか思案して要ると慶應義塾、大学横に有る掲示板が目にはいつた、戦時中此処に、旧帝国海軍が東京から空襲を避ける為、一部本部を移した後が有り月に一度だけ見学が出来ると出ていた。
校内の地図まで載っており場所が印して有った。
地図を頼りにいつてみた、校内の外れにあり大きな木が茂っていた。入口はアルミドワが付いており、鍵が掛かっていた。上手いぐわいに一週間前に見学させていた。俺は夜を待つことにした。映画館に入り寝てすごし夜をまつた。10時に閉館になり映画館を出、遅い夕食を食べ建築途中のマンションに向かった。
マンションの中は廊下に床材や、便器、キッチンセツトセツト等が置かれていた。屋上に上がり外見を覆っているテントの間まから見ると支部長の自宅が見えた。バックから、双眼鏡を取り出し、しばらく眺めた。小さい窓の部屋の灯りが付き男の顔が見えた。「支部長だ、トイレだ、遠いおまけに標的が小さい、」
その後、一時間程眺めたが狙撃する場所が無かった。
「昼間なら雨戸を開け庭に出てくるだろうが、此処からは無理だ」
マンションを出、大学に向かった、正面にある門は閉まっていたが人の出入りする扉は鍵が掛かって居なかった。ガードマンと監視カメラに気をつけ「防空壕」に向かった。、家庭用の扉を使って居たので直ぐに開いた、内側から鍵も掛けれるようになつていた。トンネルの奥にいつたが止めた、至る所に枝別れしたトンネルが有り迷子に成る恐れがあつたからだ。
3日程、毎日神奈川県の天気予報を聴いて過ごした。
インターネットで細かい天気予報を見、横浜地区が夕方から無風状態に成ると出ていたので、今夜決行する事にした。クラーボックスを買いその中に4日間の食料と水を入れた、釣具屋、で大物釣り用の竿を3本買い大型の釣り竿用のケースを買ったその中に、「バレットM82A1ライフル」を入れた。クラーボックス、釣り竿ケース、釣り用の服装をし、バックを背負い持って見るとかなりの重さになった。だが寄与範囲だった。俺は変装した、眼鏡を掛け、顎に付け髭を付け翼の広い帽子を被った。9時に仮に住まいを出た。電車に乗り。11時にマンションの屋上に居た。
「思った寄り距離が有る。13050メーターも有る、この距離は軍に居たときでもやった事が無い、最も銃もこんな距離、撃てる銃は無かった。銃の性能を信用するか」30分過ぎにトイレの灯りが付いたが若者が仕様していた。暗視装置も、レーザー測定器、も作動しており銃は最高のコンディションだった。
更に40分過ぎに灯りが付き、トイレに人が入った。
「奴だ、」素早くボルトを操作し薬室に50口径弾を入れた、安全装置をはずし望遠照準器に奴を捉えた。
チャンスを逃がすと又2~3時間またなけれは成らない。時間が長引くと、トラブルが無いとは限らない。
顔面を捉え静かに引き金を引いた。
小さな窓、一面が血で真っ赤になり、ヒットした事が確認出来た。素早く釣り竿ケースに銃をしまい居たところを見渡して、忘れ物が無いか確認して、マンションの屋上から立ち去った。慶應義塾大学、の門は閉まっていたが人の出入りする扉の門は鍵が掛かって居なかった、おそらく教授達が遅くまで居るから開いて要るのだろう。ガードマンに気を付けて防空壕に向かった。防空壕、の30メートル程手前で20分程、暗視装置、で見ていたが人の気配が無いので扉を開け防空壕に入った。
「此処で2~3日過ごすのか何にも、せず、何も見えず、音も無く、こりやぁー拷問だぁー」
持って来た、ビニールシート、を敷き、横になった、健一は第二の祖国で有るフィリピンのことを思い出していた

フィリピン

6ヶ月後、中佐、大佐、中慰、飛行機の操縦士、俺、マル、が俺の借りたマンションに集まっていた。関東運輸から運び出した金の入った箱を見てみんな複雑な顔をしていた。退役したとわいえ上官で有る大佐が言った。
「さあー箱を眺めていても仕方ない、金、を数えようそして平等に分けよう」
6時間、程掛かり要約数え終わった。最初は戸惑いと後ろめたさ、軍を裏切ったと思う気持ちで居たが、数え終わったいまわ、目が輝き歓喜に溢れた、顔になつていた。、
「マル、驚くな日本円で計算したら、1人25億円位に成る、何に使う」
「分からん考えて無かった」
大佐達は軍に居た時の顔を使い軍用機でアメリカに運ぶといった、マルは東京に有るフィリピンの銀行に預けフィリピンで引き出すといった。俺は15億を四菱銀行に預け10億をフィリピン銀行に預ける事にした。株券は東京証券に預けた。株券が多いのでびっくりしていた。俺はフィリピンで暮らそと思っていたのでフィリピンに向かい。マルの故郷の島に向かった。
浜辺は珊瑚の欠片で真っ白で遠浅に担っており、浜辺の後ろは余り高く無いなだらかな山だった。大きさは日本にある小豆島を小型にしたような面積だった。俺はフィリピンと言うよりこの島が気に入ってしまい此処に住もと決めた。そんな時にマルが面白い話をもつてきた。
「健そんなにこの島が気に入っているならこの島買え。フィリピン政府には今、金が無い、今なら買える」「マルそんな事有るわけ無いだろう、自分の国の島を切り売りするなんて」
「健、本当の話しだ、フィリピンには何千と言う島が有る、この国は10人位の地主が農地を持って要る彼らは要塞のような邸宅に住み私設の軍隊まで持って要る、こんな、ちっぽけ島、彼等には眼中に無い、賄賂次第だ」「買えるなら買いたいだけど高いのか、値段がさっぱり分からん」
「任せろ明日マニラに行こう」
 翌日マニラに船で向かい俺をホテルに残しマルだけが出かけた、夕方戻ってきて3日待て値段を決めると言うのでマルと2人で昼間は市内見物、夜は女の子と遊んで過ごした。
「マル郊外に有った工場、何故稼働してないんだ」
「あそこは縫製工場だ、ベトナムの多国籍軍に、Tシャツ、下着、戦闘服、ありとあらゆる布製品を作っていた、ベトナム戦争が終わったらお払い箱さ、フィリピン軍がベトナム戦争、に行く変わりに貰った利権さ」
「マルあの工場欲しい、俺も何か仕事おしなければ成らない、製品お作って日本に売る、この国は日本寄り人件費が半分以下だ売れる」
「良い考えだ、あの工場は大統領の弟が国の金を使って建てた、使い道が無いはずだ、任せろ賄賂次第だ」
翌日の午後2時頃に金額が出た、島は、1億5千万円、縫製工場は1千万円、その外5千万円、5千万円は現金と言われた。翌日大統領の宮殿で大統領自ら立ち会うと言われた。ついでにフィリピン国籍も欲しいと頼んだ。翌日大統領の宮殿で書類を交わした。
「健これでフィリピン人だ、島の王様だ、俺も島の国民だよろしく頼む」
冗談を言いながら2人は島にもどった、マルは島民を集めとんでも無い事を言い出した。
「健一がこの島を買った健一が王様だ、困った事してほしい事何でも相談してくれ、出来る事は何でもする」長老のような老人が進み出て喋り出した。
「この島はとても貧しい、神が見捨てた島です、この島の者は満足にご飯を食べていません、取りあえずご飯を食べれるように頼みます」
俺はその時、大統領の言った事を思い出した。
「島の者達はとても貧しいよろしくお願いします」
大統領の言った事が要約飲み込めた、島の値段が安いはずだ、取りあえず明日、米、と何かおかずを買う事にした、翌日、米10トン、生きた鶏1000羽、調味料、豚肉200キロ、それらをチャーターした船で島に運んだその夜、島民は示唆しぶりのご馳走で大騒ぎしていた。翌日長老がお願いしたい事を言いに来た。
俺は聴いて要る内に頭が痛くなった。学校、きれいな水、病院、船、仕事、只言える事は、与えるだけでは駄目と言う事だった。東京に行くことにした、縫製工場を立ち上げなければ成らない。、
東京に付くとラムズウンに電話した、会って縫製工場の話しをすると直ぐに乗った。
「健一さん任せて下さいベトナムに居るときは私偉かった、日本の商社の人達沢山しつている私日本に帰化している」
翌日証券会社に行き株券を全部売った、バブル景気とかでかなり高値で売れるらしい。
ラムズウンと2人で会社を設立する事にした、さすがにベトナム1の銀行の副頭取だけあつて動きと、計算先を読む事は流石だった
俺はホテルで新聞を読んで居ると素晴らしい事が出ていた、日本政府がフィリピン沖で取れる「マグロ」の漁業権の交渉に近隣の4ヶ国と交渉にはいつたと出ていた。俺達でマグロを取れば島民の仕事が出来る、フィリピン政府は権利を日本政府に売るだけだ他の国も同じようなものだろう。
ラムズウンに多目的に使える漁船を買ってくれるようにたのみ商社を通じODAを使ってくれと頼み漁船員の訓練も頼むと言った。ラムズウンと2日程綿密な打合せをし島にもどった。


サクラ島

島に戻り島の名前は変える事は出来ないのでフウストネームを付ける事にした「サクラ島」と付けた。
縫製工場に事務所を設け元工場長を探し又働いて貰う事にし元居た工員を優先的に採用した。程なくしてラムズウン、と商社の社員が来て、生地、型紙、サンプルなど持ち込み試作品を作った。指摘された所を何度かなをし大量に作る事にした。量が多いので500人程新たに採用した。工場も新たに作る事にした。日本の証券会社から電話が有り全部高値で売れ、お金は四菱銀行に入れたと連絡が有り金額を聞いて驚いた。
140億も有った。島民は相変わらず貧しく現金収入が無かった。島民に取りあえず「水」を確保する事にした。日本から井戸の職人を呼び2カ所ボウリングした1カ所は1500メートル掘ったら温泉が出た。目的が違うので蓋をしもう1カ所を800メートル掘り下げたら綺麗な水が勢いよく吹き出した、水脈に当たったと言う事だだった。俺は島民を増やさない事にした、只で飯が喰えると言うことで親戚を呼んで要るのだ、島民を今居る家族350家族から増やさない入れないと島民に知らせた其れでも島民は1000人は居た、頭の痛い事が有った、子供が学校に行って居ないのだ、6歳から15歳の子供が250人も要るのだ。ラムズウンと工場拡張の打合せに東京に向かった、次いでにODAで学校を作って貰おうと思った、商社、の偉いさんと大臣にあい何とか話が着いた、何故ならマグロを絡ませて話したフィリピン政府は私にマグロの権利を任すといつていると話したからだ。冷凍庫も作って貰う事にした。日本はバブルがパンクしたとかで不景気に担っていた、安い物しか売れないようだった。俺のサクラ印が良く売れる訳が分かったような気がした。
朝、ホテルで朝食を食べながら新聞を読むと株が軒並み暴落していた四菱銀行も額面を割っていた。
俺は親父のいっていた事を思い出していた。子供の頃親父と四菱銀行にいつたとき「健一この四菱銀行が潰れる時は日本も潰れる」そういつたのを思い出した。
証券会社に行き四菱銀行の株を買ってくれ100円未満で買ってくれといつて100億の銀行保証小切手を渡した。40億をフィリピン銀行の口座に入れた。
サクラ島に戻り、サンゴ礁の反対側に学校を作る事にした、サンゴ礁の反対側は海が深く簡単な岸壁が有り此処を整備するためだ。サンゴ礁側はいずれホテル、かリゾートマンションのような物を建てる積もりでいた。サクラ島はマニラと違い真夏でも気温が40度を超える事が無く30~33度ぐらいだった。サンゴ礁の反対側に安く泊まれるホテルを建てたそれと並行して学校も建てた、。
開校式と同時に日本から3人フィリピンから4人の先生が赴任して来た。
俺は日本の先生の内、平野桃子先生に一目惚れした桃子先生の話しでは一年しか居ないと言う話しなのでモウアタックした。星空の下で此からのフィリピンの事この島のこと、そして仕事の事、桃子先生を如何に愛しているか。ベトナムで戦闘している寄り苦労した其のかい合って結婚した、俺は間もなく女の、したたかさ、と前向きな考えに振り回される事になった。
マニラのスラム街に行き身よりの無い子供、家が貧しく学校に行けない子供達を連れて来て住まわせ学校に行かせ子供が働かないと困る家庭には縫製工場で使ってくれと頼み込まれた。マルがマグロ漁船と漁業関係を仕切っていたので頼み込んだ。
サンゴ礁の反対側のホテルは1カ月先まで予約で一杯だった。俺は日本の、女性誌、男性誌、を問わず広告を出した。流行り出したインターネットにも出した。
「サクラ島で世界中のタバコが吸える満天下の星空の下で楽しもう」これで充分だった。煙草はマリハナだ、警察の息の係った島民以外の人が販売した。
島の男達は漁船や魚の加工場で働き、女性達はホテルで働いた。電気はジゼール発電機を付けた。
兎に角俺は働いた縫製工場も4000人が働いてをり今ではオーイエムの品物が多かった。
瞬く間に10年が過ぎ子供も3人出来た。家族5人で日本に帰った時、とんでも無い事が起きた、朝、妻の実家で新聞を読んで何気なく株式欄を見たら四菱銀行の株が買った時の15倍になつていた。バブルが崩壊した時、銀行では一番傷が浅く横並びで国から借りた金も返した、と出ていた。翌日妻の実家の有る長野県の松本市を1人で朝早く出かけた、東京の中央区に有る四菱銀行の本店に確かめに行くのだ。
四菱銀行に付き名前と用件を伝えると総務部の部長が飛んできた。頭取室に案内され次々と来る役員と名刺を交換した。今日ので出来高で株を計算して貰ったら1750億有ることが分かった個人では筆頭株主だという事だった。
企画部の人を呼んで貰いサクラ島にホテルを建てたい、一度来てくれと頼み銀行を後にした。
高級リゾートホテルを建て、隣にリズーナブルなホテルも建て、世界中から客が来るようになった。
マルの水産業も船が増え近海で捕れる魚では、たりなくニュージーランド、やカナダなど15カ国から輸入して干物、切り身、などに加工して日本に輸出していた。、
俺もマルも子供達が大きくなり大学を卒業して10年たつた頃、息子に社長を譲り会長になり2人で、射撃、クルージング、など楽しんでいた。麻布十番、の事が無ければ、良い人生が終わるはずだった。


攻撃

健一は薄いマットに寝ていた為、背中が痛くなりトンネルの中なので薄ら寒く体がだるかった。
「風邪を引いたみたいだ、若い時はこんな事何でも無かったのに年は取りたくは無いねー。やる斉藤連合会を叩き潰す。年寄りを怒らしたらどうなるか思い知らせてやる。世のため、人のため俺の為」
丸2日トンネルに居て夜の10時頃トンネルを出てバスの停留所から、闇雲に乗り、乗り換えが有ると、乗り換えた。バスターミナルには防犯カメラが至る所に有るからだ。俺はもう一度、覚醒剤工場を襲う事にした。斉藤連合会、の資金を絶つためだ。新藤正信、から貰った斉藤連合会の資料によると。新潟県の小千谷と言う町の外れの農機具の修理と販売の会社だと言うことだった。警察より敵の情報の詳しさに今更ながら驚いた。最も情報を警察に教えたら、自分達の情報も警察に教えられるのでそれはお互いにないと思って要るのだろう。日本海のどこかの浜か港に着いた覚醒剤を此処で分けて要るのだろう。かなりの量が有ると思った。2日後、新潟県に向かった。小千谷にある農機具工場は直ぐに見つかった。周りには小さな工場が立ち並んでおり長閑な雰囲気が漂っていた。
とうり過ぎながら農機具工場の中おそれとなく見ると工場の規模の割には人数が多い感じがした。
竹の塚の襲撃以来警戒しているのかもしれない。
この場所での、、「ドンパチ」はまずいどうするか、良い考えが浮かばないまま隣り町のホテルに宿を取った。農機具工場の場所がわかったので一度東京に戻る事にした。其の夜ホテルの近くで「ボヤ」騒ぎが有り健一はこれだ、全部燃やすか、運び出した覚醒剤を奪う、どっちにしても敵のダーメージは大きい。
東京に戻ると「スタンガン」を買った。
新藤正信、に若い衆を1人借りることにした。
「若い衆を1人借りたい。車バンタイプの車も頼む、明後日、新潟県の小千谷に夜の11時から4時頃まで待機させてくれ、明日又電話するその時、彼の電話番号を教えてくれ」
次の日又、小千谷に戻り幹線道路や消防署の場所などを確認して過ごした。ガソリンは近くのスタンドで買う訳にわ行かないので、ジュースのペットボトルに詰めて東京から持って来た。
夕方、若い衆と落ち合い、農機具工場から5Kmぼど離れた目立たない所に11時から4時頃まで待機するように頼んだ。俺は前に来たとき目を付けていた、田んぼの中に有る小屋に暗くなつてから入った。仲は藁が山積みになつていた。藁の中に潜り込んで時間をまつた。11時になったので藁小屋から出て農機具工場に向かった。シャッターは降りて居たが中にはかなりの人が居るみたいだった。
工場の左側は隣りの工場と4メートル程しか離れて以内ので右側の駐車場側に火を付ける事にした。延焼は避けなければならない。持って来たペットボトル6本を満遍なく板壁に振り掛けライターで火を付けた。1分程で屋根まで火が上がり、俺は大声で火事だと叫んだ。まわりの家から大勢の人達が出て来て来た消防署に電話しろと言う話しが聞こえた。中の奴らの動きも早く7~8分でシャッターが開き白のライトバンが出て来た。広い道は消防車が来ると思い横道に向かった。俺の居る方に向かって来た。近所の人達がいるので、のろのろ、と動いて居たので俺は飛び出して、いきなり、運転席側のドワを開けスタンガンを40歳ぐらいの男の首に押し付けた。気絶した男の腰に足を掛け助手席に押し込んだ。素早く車に乗り込んで止まっているエンジンを掛け農機具工場を後にした。
携帯で若い衆と連絡を取り落ち有った。
「荷物を積み替える手袋忘れるな」
「先輩寝ている、こいつどうします」
「ほって置け警察が何とかする目が覚めたら警察だ行こう制限速度で行こう、捕まって荷物を見られたら2人とも一緒刑務所暮らしだ」
お昼頃都内に入り若い衆と別れた。その夜、新藤正信に電話した。
「えらい量だあんたに、なんぼ払えば良い140キロはある俺達の組はクスリはやらないだからばれる心配は無い。それと農機具工場の奴らは全員パクられた」
「金は要らない、あんたの出世の肥やしにしてくれ頼みがある、俺の運転免許が欲しい。それと車。車には銃を隠す所をつくつてくれ、2丁入るように頼む。俺の写真はあんたのマンションのレターボックスに入れて置く」
「分かった任せてくれ名前が変わる車の車検証も同じ名前になる、」
4日後に車と免許証を新藤正信自身で持って来た、
「この免許証は実在の人物だアルツハイマーで家族が家から出さない病気のことは近所の人もしらない内の組で金を貸している、銃の隠すとこは床では無く右側の所にしたこうすれば開く」
翌日ホームセンターに行きこのワゴン車に乗り気ままな旅をしている隠居老人に見せる為、いろんな生活用品を買った。
翌日俺は石川県の金沢市に向かった、斉藤連合会の若頭補佐、巴会会長、を殺すためだ。
東海北陸自動車道を通り白川郷などを楽しんで、金沢市の、隣り町の、白山市で北陸自動車を降り。松住海浜公園に向かった。大きな駐車場が有り、釣りを楽しむ人が駐車していると、インターネット、に出ていたからだ。


金沢

駐車場に車を止めて釣り用の餌を買いに駐車場の外れに有る売店に向かい、今何が釣れるか聞いた。
店員に俺を覚えて貰う為だ。夕方まで釣りをしたところ思った寄り釣れ。今夜はこれで一杯飲む事にした。、サクラ島で釣つた魚の捌きは慣れていた。今夜は此処で過ごし明日は、巴会、の偵察に行くのだ。気候はすっかり夏らしくなり車の中で寝ても寒さを感じられない季節になつていた。車の椅子を倒し寝る所を作り胡座をして金沢の地酒を飲み釣った魚の刺身を食べた。酒を飲み終え何もする事が無いので横に成り又ベトナム戦争の事を思い出していた。1968年1月29日旧正月の日、俺達小隊はダナンの基地に居た、北ベトナム軍と、ベトナム解放民族戦線が、旧正月の休戦を申し込んで来たと言うので基地の中は、のんびり、した空気がしていた。幹部の間ではアメリカ軍、と南ベトナム軍が敵に休勢を立て直す時間を与えると否定したと伝えられていた。俺達小隊は休みなので、シャワーを浴び、下着を変え散髪をし、午後からビールを飲みくつろいだ。俺もマルも夕食を食べると酔っているので寝た。夜中に突然、迫撃弾の爆発音とベッドが揺れ、飛び起きた、何発もの爆発音が基地の至る所で起きていた。靴を履き銃と弾薬帯を持ちテントから飛び出した。基地の至る所から照明弾が打ち上げられ基地の至る所で機関銃の発射音、小銃音がしていた。俺達小隊は決められている場所に走って行き飛び込んだ。「どうなつているんだ」
「分かるわけ無いだろう、敵が攻めてきた、基地が包囲されている、凄い人数だ、撃って撃って撃ちまくれ」ダナンの基地に居た兵士達は実戦の経験者が殆どで30分程で不意打ちされたが態勢を立て直していた。
着ている服がまちまちなので北ベトナム軍の正規軍では無く、ベトナム解放民族戦線の奴らと分かった
敵も倒したが味方も至る所で迫撃砲にやられ衛生兵を呼ぶ声がしていた。薄明るくなり要約「ヘリコプター」(ベルエアクラフト製UH-1)が飛んで来て機銃掃射やロケット砲などで攻撃したため敵が逃げ出した。健一は塹壕から出て見て驚いた、建物は全て破壊され、至る所に兵士達が倒れており衛生兵士を呼ぶ声まるきり動かない者、まるで、地獄絵図、を見るようだった。健一の小隊も戦死者4名、重傷者3名を出していた。「健、怪我無いか無いか良かった」
「マル肩から血が出ている大丈夫か」
「迫撃砲の破片が、かすめた大したこと無い、とんだ旧正月だ。この戦いは歴史に残る、北ベトナム軍の正規軍でなくて良かった」
その日1日は遺体をポンチヨ(死体を入れる袋)に入れたり負傷者を後方に送る為ヘリコプターに積んだりした。健一は汗をびっしょりかいて目が覚めた。
「詰まんない事思い出すからこの様だベトナムで一番思い出したく無いことだ」
汗をかいた下着を取り替えて居ると明るくなつたので釣りに行くことにした今日は下見に行くことにした、10時頃まで釣り、釣った魚を塩焼きにして朝ご飯のおかずにした。
バスに乗り金沢市に向かった。 時間が早いのでサウナで汗を流す事にし夜をまつた。
巴会の事務所は此花町の路地の奥にあり車が一台やつと通れるようなところにあつた。
「事務所ではまずいな平屋出し窓が右側も、左側も隣りの建物に遮られている。正面じゃあー俺の姿が丸見えだ逃げるのも難しい、部屋にいつてみるか」
巴会会長の家は、尾山町に有り金沢城公園の側に有りマンションと言う事だった。
「新しくは無いが良い所にある此の12階か、ワンフロワーに一軒か、兼六園が一望か家族は別に住んで居て女と住んで居る、良い身分だ」
何処を見渡しても狙撃の出来る場所が見つからなかった、管理人が居らず古い建物なのでオートロツクには成って居らず、防犯カメラだけが付いていた。
録画機材は管理人室が無い為エレベーター横の非常階段の壁に付いているようだつた。俺は色々確かめて奴の住んで居る12階の廊下でやることにした。
其の夜11時頃酔って帰って帰って来た、若い衆はマンションの住人とのトラブルを避けるためマンションの中には入らず車で去って行った。
今夜はこのまま帰り明日の夜、帰って来たとこをやることにした。途中スクーターを失敬して乗って帰り3キロ殆ど手前で降りマンションの駐車場の隅に置き帰った。薄明るくなり寝不足だが釣りをする事にした。釣り客相手の売店の親父に疑われるのお避ける為だ釣り客は朝が早い。
10時頃釣りをやめ遅い朝ご飯を食べ、昼寝して夜を待つことにした。
9時頃に成り釣り公園の駐車場を出た。置いて有ったスクーターに乗り市内に向かい奴のマンションの1キロ殆どの所に止めて夕飯を食う事にした。中華屋に入り、チヤハーン、と餃子を頼んだが半分でやめた、万が一、撃ち合いになり腹などに当たったら腹膜炎に成るからだ。俺はマンションの住人のような振る舞いでマンションの中に入り録画機材の入った、ボックスの前に立ち、焼きを入れ先の曲がった針金を鍵穴に入れ直ぐに扉を開けた、閉め直し、非常階段で12階に上がった。まだ階段が有るので上がって見ると屋上に出る扉が有った。扉は鍵がかかつてなくあいた。屋上に出て下を見ると入り口前の広場が見えた。
「こいつは助かる此処で奴を帰るのをまとう」
2時間殆ど待つて奴が帰って来た。若い衆も車も昨夜と同じように帰って行った。非常階段の壁に体を付け待つているとエレベーターが止まり奴が出て来た。
「斉藤連合会の巴会の会長かい」
「誰だてめーわーそれがどうしだ」
俺は問答無用で、ベレツタを撃った、胸に2発、頭に1発、素早く薬莢を拾い非常階段を駆け降り、録画機材の入ったボックスを開けテープを抜き取り人影の無いのを確かめマンションを出た。、
スクーターに乗り途中で捨て物陰に隠れて付けていないか30分程確かめて車にもどった。
車で2時間殆ど横になつたが明るくなったので体はきついが釣りをする事にした。売店の釣り客相手の親父が朝早いので疑われ無いためだ。
又釣った魚で朝食を食べ。此処を去ることにした、売店の親父に新潟県に行く道を聞き俺は反対の福井県に向かった、北陸自動車を通り福井北インターで降り福井市に向かった。福井市に有る。「神谷組」の神谷幸三、組長をやるためだ。事務所は北陸本線の森田駅の栄町に有ると貰った資料に書いて有った。6階建てのビルになつており。5階から上は神谷幸三の住まいになつていた。場所を確かめ2~3日休む事にした。
越前海岸に行き旨い物を食べ温泉に入るのだ。季節は夏にちかずき越前海岸に向かう、山々は緑一色に成り田んぼは緑の絨毯を敷き積めたようになつていた。
駐車場が旅館と一体になつている旅館を見つけ泊まる事にした。旅館に入り部屋に置いて有る新聞を見ると金沢市の事件が大きくのつていた、朝10時頃、ゴミを出しに出た女性が発見し殺されてから10時間以上たって要ると警察が発表していた。何故か組同士の抗争事件となつていた。真鍋健一にわどうでもいい事だつた。2日程温泉に入り、気が充実した。
組事務所の周りを回ったが大きな建物も無くどうしょうと考えて要る内に腹が減ったので、食堂には入り焼き肉定食を食べて居ると、その筋のマークを付けたような3人が入って来た。、
「親父も随分びびっているな当分事務所から出る気が無いらしい」
「何せ敵が、さっぱり分からないらしい」
「八つ当たりでたまらんよ此から体をほぐすため屋上でゴルフをやるらしい。今日屋上にネットを張るそうだ」健一はきずかれ無い用に金を払い食堂を出た。
「奴の居所がわかった、引きこもりは困るどうするか」
坂の上にコンクリートで出来た建物が有るのでいつてみた2階建てぐらいの建物で屋上に大きな高い鉄塔が立っていた。
「携帯電話のアンテナだ此方の方が高い奴の事務所が良く見える、だが遠い今夜計測してみよう」
その夜金網で囲って有る建物の梯子で屋上に出た。
「まずいな20100メートル有る此の銃なら何とかなるが自信が無い」その時組事務所の屋上に灯りが付き3人の男が出てきた神谷幸三と若い衆だ。俺は迷ったこんなに早く標的と遭遇するとは思って居なかった。
バイク、かスクーターを失敬仕様と思ったが良いのが無くママチャリできたのだ勿論荷台にクーラーボツクスを積み釣り竿ケースには本物の釣り竿が入って要る。健一はやる事にした。無風で湿度が余り無いからだ、此から先こんな無風が続く保証が無いからだ。
俺は距離が有るので標的の30センチ上を狙う事にした距離が有るので弾がドロップするからだ。
薬室に弾を送り熱式暗視スコープと特殊レーザサイトを操作し標的を捉えた、静かに引き金を絞った、
標的が倒れるのを確認し立ち去った。結果は明日の新聞で確認するしか無かった。
途中でママチャリを捨て車に戻り此から、名古屋に向かうのだ一般道(158)おとうり永平寺などを見、気ままに名古屋に向かった。新聞では病院に運ばれて6時間後に死亡したと出ていた、弾が思った寄りドロップしたためだろう。途中、岐阜県の道後温泉でゆっくりする事にした。温泉に浸かり酒を飲み心地よく酔いが周り何もする事が無いので又ベトナム戦争の事を思い出していた1970年3月にベトナムの隣りの国カンボジアでクーデターがおき「クメール共和国」となつた。アメリカが支援してクーデターを起こしたと兵士達の間で噂が飛んでいた。早くも4月26日にわ中国とソビエトからの軍事支援物資ルートである。ホーチミンルートとシアヌークルートを遮断すると言うことで南ベトナム軍とアメリカ軍がクメール共和国の了解の元カンボジア東部領内に侵攻した。その中に俺とマルもいた、俺達の小隊は俺とマル以外は戦死したか負傷して本国に送り返されたかのどちらかだった。2カ月程で、南ベトナム軍もアメリカ軍もカンボジアから撤退した。10カ月後の1971年の1月末ラオス東南にある「ホーチミンルート」の遮断と兵站基地の破壊を目的として南ベトナム軍、とアメリカ軍がラオス領内に侵攻した。俺もマルも居た、俺はその頃、古参の狙撃兵として大隊では名が通って居た。
侵攻後アメリカ軍はヘリコブター輸送してラオスに3つの基地を作ったがラオス領内に潜んで居た、北ベトナム軍の重火器と戦車などの攻撃を受け、南ベトナム軍が多大な損害を受け、アメリカ軍も損害を受けていた。俺もマルも上等兵だったが下士官(軍曹)が足りなく古参上等兵として小隊を引率するようになった。こんな所にも人事差別があるようだつた、俺もマルも普通だつたら少なくとも軍曹にはなれたはずだ。
ラオスで、チュポンと言う町を占拠していた時、北ベトナム軍の大攻撃にあい、チュポンを放棄して濡れた野良犬のように南ベトナムに撤退した。そのけつかアメリカ空軍による戦略爆撃を北ベトナムに行った。
そんな時俺とマルが司令部に呼ばれた。
「君達やって貰いたい事が有る」といつて地図の前に立ち「この地点に行き1人の将軍を狙撃してくれ場所は10キロ殆どカンボジア領内に入った此処だ、物資の集結所だ、物資が集まり次第に攻撃して来る可能性が有る、将軍が死ねば攻撃が遅れる、」
「将軍は毎日居るのですか、それとどれぐらいの兵士が居ますか」
「兵士は中隊規模だ後はベトコンと物資を運んで来た男女だ彼らは担いで運ぶ途中までヘリで行け」
俺は狙撃手、マルは観測手でいくことになつた。
夜行くことにした、携帯食9食、水、カモフラジーヨの網、衛生キットなど積めたリツクは30キロにもなつた、へり、を降りコンパスを頼りに国境を越えた。
「健、2時間程で明るく成る目的地まではそんなに遠く無い明るく成るのをまとう」
「そうしようカンボジア領内に3キロは入った」
2人は「シダ」の茂っている中に入り無言で明るくなるのをまつた。
「方向は間違って無い1時間位で目的地に着くはずだ行こう」密林の中を枝や名も知らない背の高い草を音のしない用に掻き分けて1時間程進んだ。さらに20分程進んだ時、先頭を歩いて居たマルが手で、しゃがめ、の合図をした。前の方には細長い谷間になつていた。航空機による爆撃に備えて見つけにくい谷間に作ったのだ。テントで覆った木箱がかなり有り真ん中に大きなテントがたつていた。
「健一あの真ん中のテントに将軍が居ると思う」
「俺もそう思うだが此処は遠すぎる700は有るテントの入り口の前に行こう出来れば400メートル位ちかずきたい。マル、テントの前に兵士達が整列し出した。朝礼だ、将軍が出てきた、マル双眼鏡で確認してくれ。俺達付いている。明日の朝帰れる」
テントの見える600メートル位近すぎ明日の朝明るくなったら400メートル位近すく事にした。
カモフラジーヨ用の網を被り交代で見張りをし翌朝を待つことにした。翌朝、前の日に兵士達が整列する時間を確認しているので健一とマルは明るくなるのを待つて朝食を食べ狙撃の出来る距離までちかずいた。「健一絶好のコンディションだ。風が無い太陽光が後ろだ、朝だ「陽炎」何か無い。兵士達が整列しだした。いよいよ、将軍様のお出ましだ」
俺は音を立てない用に弾丸を薬室に送り込んだ。
将軍が台の上に乗りもう直ぐ我々の勝利は近いアメリカ軍を追い出すと演説していた。俺は静かに引き金を引いた。将軍は額から血を飛ばし後ろ向きに倒れた。
「マル、ヒットした。走るぞ」
俺とマルは道の無いジャングルを走りに走った。基地を出て4日後に原隊の有る基地に戻った。
着ている服は至る所が裂けていた木の枝や、とげの有るツタで破れたのだ。シャワーを浴びたときは全身が傷だらけでシミて飛び上がった。
「さーあ体力も気力も充実した明日は名古屋に行こう」

名古屋

翌朝、名古屋に向かい斉藤連合会の若頭補佐の名古屋支部の「銀狼会」の有る中区にむかつた、お寺の隣りにあり8階建てのビルだった。いって見て驚いた、入り口のシャッターや窓と言う窓がシャッターが降りて降り人の居る気配が無かった。その夜、新藤正信に電話した。「名古屋の銀狼会の事務所が閉まって居る事務所、違い無いのか、新しく引っ越したなら新しい場所教えてくれ」
「引っ越して無い斉藤連合会の組長達はあんたにビビって全員雲隠れした。福井のあんな凄い狙撃を見たら明日は自分かもしれないと思い隠れた、2200メートルだ。理由が分からす困っている。敵には回したくない人だ。2日下さい、この時間帯に電話下さい?名古屋を楽しんでいてください。きしめんも、鳥の手羽先も美味しいですよ」
そのごろ東京の千代田区に有る検察庁では全国から検察庁、警察の幹部が集まっていた。
「今だに斉藤連合会の組長達の狙撃の理由が分からん防衛省に狙撃手に付いて聞いたところ、高度の訓練を受けており、使用されている銃はアメリカ軍には有るそうだ自衛隊にも有るそうだが紛失、盗難、は無く訓練を受けて除隊した者達の住所は分かるそうだ。年齢は30~45歳ぐらいでは無いかと思うとのことだつた、訓練には時間がかかるといつていた。、はっきりした事は言えないが、アメリカ軍か、それに準ずる何らかの組織が絡んでいる可能性が有る。斉藤連合会には毎年膨大な税金と労力を使って居る、我々としては弱体化、もしくは解散してくれると有り難い、今日の情報では組長や幹部が雲隠れした、行方が解らないそうだ。其れでだこのまま弱体化してくれると有り難い、マスコミには上手く立ち回り捜索は其れなりに動け、この斉藤連合会の事件には捜索費は出ない以上」
「逸れなりの捜索とはそのまんまの逸れなりですね」
「そうだ逸れなりだ」
「なを今日の会議の議題は薬物及びそれに順ずる薬物会議だ配って有るプリントを良く読んで置け」
健一は何もする事か無いので静岡県の浜名湖で釣りをし夜は「かんざんじ温泉」に泊まった。2日後の夜新藤正信に夜電話した。
「銀狼会の三谷銀次のあだ名は「マンコの銀」と言われており、女無しでは生きて行けないと言われている、その線から探した。隠れ家に一番きにいつている女を呼んだ、その女の乗った車を付けた奴の隠れ家が分かった。「南知多町の南知多温泉と言う所に居る海岸の側で小さな神社が有り海岸の道が行き止まりになつている、其処に有る。若い衆が何人か居るらしい」
「ありがとう、よくわかつたな」
「名古屋にも俺達の仲間はいる困った事が合ったら何時でも良い電話くれ気を付けてくれ隠れ家に居る奴らは武装していると思う」
翌日釣り人を装って奴の別荘を見て回った。別荘を囲むように半径、1500メートル位に。ろくでなしの、レツテル、を貼ったような若い衆2~3人の乗った車が4台殆ど有った。、
「別荘を囲むように若い衆を配置して有る良い、軍師が付いている。別荘の中に何人居るか、車に乗って居る奴らと交代するから同じ人数が居るだろう。12~3人だろう。高い建物が無い、おまけに、ベランダ、も窓も海側にしか無い」
海岸に沿って歩いて見ることにした海岸に有り難いことに3人が釣りをしていた。伸ばした釣り竿を持ち老人らしく、とぼとぼ、と歩き別荘を見た。
「警戒が厳重だ海岸にも見張りが居る」
舟に乗り海から狙撃と思ったが、いつベランダ、や庭に出てくるか分からないのでやめる事にした、夜、海岸から忍び込む事にした。その日、次の朝まで奴らの行動を監視した。朝方までに分かった事は奴らが無線機を持っており、1時間事に連絡を取り合って要ること、車からは降りないこと、海岸わ車が入らない為、パイプ椅子を持って来て座って要ること、などが分かった、三谷銀次をやった後は海岸に有る常滑街道を通って名古屋に戻る事にした。釣り人の服装をしているので
怪しまれる事は無いだろう、取りあえず、スクーターかバイクを失敬する事にした。
翌日夜の2時頃別荘の海岸の側に俺は居た。上限の月で辺りは暗かった。赤外線暗示装置で海岸側の3人を見張り今度の無線機による定期連絡を終えたら見張りをやることにした。1時間は緊急意外連絡を取らないからだ。見張りとの距離は50メートルは有るので、拳銃では、ちょっときついので匍匐し後ろから近ずく事にした。3時になり無線機で連絡を取り終えたので俺は奴らにちかずいた、月の明かりも無いので20メートル程の距離にちかずいた。赤外線暗示装置で確かめ見ながら、拳銃(ベレツタ)の引き金を6回引いた。3人共頭に2発ずつ受け即死した。別荘までは何も身を隠す物が無いので匍匐前進で進み建物の裏玄関に着いた時はかなり呼吸が乱れていた。
「やれやれ年は取りたくは無いこの様だ」
5分程呼吸を整え裏玄関の、ノブを回して見たが矢張り鍵が掛かっていた。二階のバルコニーを見るとベランダのカーテンがわずかに風で揺れていた、バルコニーの横に雨樋か二階の汚水を流す太めのパイプが下に降りて居るので、そのパイプを使って二階に上がる事にした。素早くパイプに捕まり二階のバルコニーに上がって赤外線暗示で開いて居る窓から中を覗くと大きなベッドが有り男女が真っ裸で寝ていた。静かに部屋に入り腕に付けていた細身の暗殺用のナイフを取り出し奴の心臓に突き刺した、素早く拳銃で女の頭を殴りしばらくは静かにしてもらう。又パイプをつたわり下に降り海岸めがけて走った。見張りを倒してから35分がたつていた。残り25分間に少しでも遠くに逃げなければならない。
拝借したバイクの所まで10分間殆どかかり、常滑街道を名古屋に向かった。車の止めて有る駐車場の手前の2キロ殆どの所でバイクを捨て車に乗り込んだ。
「どうするか此の分だと幹部達は全部隠れて居るだろう。作戦の練り直しだ。一度東京に戻ろう」
東京に戻り新藤正信に朝方電話した。
「やーぁあんたかおはよう、電話来ると思って調べたが幹部達の居所がさっぱり分からん、女房、若頭、にも教えず1人で逃げて居るのが大半だ、総長だけが事務所件自宅にいる、親分が逃げたとなれば斉藤連合会は潰れるだから大勢の子分達に囲まれている、その子分達もかなり浮き足だつている、カーテンを閉め窓にはちかずかないそうだ。警察の動きが鈍い、事件が発生してから現場に行く時間が掛かり過ぎだ。斉藤連合会の勢力が落ちてきた、どうも警察は意識して動いているようだ。クスリの事件は斉藤連合会が殆どだ警察の気持ちも分かる、クスリの値段が倍以上に上がった、お陰さんでかなり儲けさして貰った」
「じゃー当分親分達は出て来ないな、斉藤連合会の総長のプライベートの携帯、分かりますか」「分かる組に、関係無く揉めたときトップ同士が話せるようになつている、事務所に行けば分かる」
携帯を切ってから考えた。組の事務所を襲う事も考えたが、年を取り長時間の戦闘と緊張には体が付いていかない只、目だけが22~30歳頃のまんまだった。
「年を取るとは、こういう事欠い、今の俺には体を使っての戦闘は無理だ、狙撃だけが俺の残された戦いなのに標的が出て来なければもう終わりにするか、いつ出てくるか分からん奴をまつている時間が俺には無い。だが、落とし前、だけはきっちり付けさす」しさしぶりに隠れ家に戻り風呂に溢れる程お湯を入れ風呂を楽しんだ、風呂から上がって日本酒を飲みベッドに潜り込んだ。夕方腹が減って目が覚めた。
夜遅くに新藤正信に電話し、斉藤連合会の総長のプライベートの携帯の番号を聞いた。
翌日新幹線に乗り斉藤連合会の有る大阪に向かった。新大阪よりタクシーに乗り天王寺に有る斉藤連合会の事務所に向かった。
「運転手さん景気は同ですか、東京から来たんだが東京もあんまり好くない、クラブをやつているんだが泡銭を落としてくれるその筋のお兄さん達が夜飲みに来てくれなくなった、何かガタガタしてるみたいだねーぇ」
「お客さん大阪もおんなじですわ、日本一の暴力団組織の斉藤連合会の本部が有るんやけどチンピラさえあんまり見えんようになった、そりゃお客さん親分達が狙撃されて殺されているんだから、外の親分達はみんな雲隠れですわ、2000メートル先から狙撃されてはたまりませんわな。かなりの訓練を受けた兵隊上がりと噂されています。通り道だお客さん斉藤連合会の本部にいって見ますか、アホくさい面白い物、見れますよ側を通るだけです」
「運転手さんいってみまみましよう」
「もう直ぐです、あれですよ日頃偉そうにいうくせに見てご覧なさい、玄関、窓と言う窓全部、鉄の板で覆っている、門の中には若い衆が何時もふだんは4~5人は居たのにいまわ居ません、総長は中から出ないそうです、噂ですがね」
「運転手さん面白いぐるっと回って下さい」
「後ろもおんなじです裏門は鉄の板ではいれ無くしてあります」、
タクシーを降りて遅い昼飯を食べる為お好み焼き屋に入りお好み焼きを焼きながら考えた。
「あぁ厳重で、出てこないいんじゃぁどうするか、襲ったらヤル前に警察に捕まる。終わりにするか」
その夜遅くに斉藤連合会の総長の携帯に電話した。
「だれたこんな時間にもう寝ているんだぞ」
「側に誰も居ない方が良いと思って此の時間に電話した、怯えて隠れている気分は同だい」
「てめーか狙撃犯は、イヤ信用出来ない、誰に此の携帯の番号聞いた」
「いいかお前が朝何を食べたか素してなんグラムの糞をしたか調べれば直ぐに分かる。信用出ないのももっともだお前の所の若頭の新しい携帯の番号を言うぞ。:*+=#“>!~*+*だろう。お前たちが何処に逃げても世界中の衛星がお前たちを見張っている何処に逃げても直ぐに分かる」
「アメリカ軍か、斉藤連合会がアメリカ軍に何をしたそんな、大それた事するわけが無い、理由を聞かしてくれ、てめーらの要求はなんだ、嫌、訳を聞かして下さい。飲める条件ならのみます」
「東京の麻布十番に有る斉藤連合会の東京支部の土地、誰に断ってあんな物建てた。あの土地は持ち主が死んで遺言により、退役軍人会、が貰ったものだ建物を撤去し更地に戻せ、断ったら今度は中隊規模の退役軍人を送り込み一気に潰す、日本政府とは話が付いている、15日以内にやれ」
「東京支部の奴らがやつたことだ本部は関係ない」
「大阪じゃーこうか、わりやぁー眠たい事言うんかい東京支部のやつた間違いは本部が穴持つのが当たり前ちやうんかい、わりやぁー舐めとんかい極道の世界じゃー当たり前ちやうんかい、きっちり腹括って喋らんかい。話しによっては又試合続行だ、今度は一気に潰す。なぁー総長、生きていればの楽しい人生だ」
「わ、わかつた15日以内に取り壊し更地に戻す、名義も戻すこれで無かった事にしてくれるのか」
「斉藤連合会が仕掛けた事だ。落とし前、を付けて貰う100億と言いたいが50億に負けておく」
「そ、そんな大金無い1億いゃ2億出すそれで手をうつてくれ」
「総長さんよ退役軍人会としてはお前さんの右足の傷まで調べて居るんだ、中学生の時自転車にのつていて転んだ時に出来た傷だろう預金、隠し金、外国に有る口座、全部調べて有る。クスリは独占販売の様なものだ直ぐ取り返せる、直系の組員から集めでも良いだろう。生きていれば金何か直ぐに集まる」
「分かった同ずれば良い」
「2億ずつダンボールに入れて佐藤急便の神田営業所止めにしてくれ。分かって居ると思うが荷物の後を付けるな。面倒な事になる」
「本当に終わりにしてくれるのか毎日、毎日どこから弾が飛んで来ると思うと俺はインポになつてしまつた金が有ってもインポになつたのでは意味がない」
「金は2日後までに神田営業所に付けろ、付き従いアメリカに話しが付いたと連絡する、建物の撤去は15日以内だ、約束は守る口外はするな、俺達は構わないがあんたの立場がまずく成るだろう適当な訳を考えて置け、」
「分かった俺の方も約束を守るあんたも約束を守ってくれお願いします」
「こっちも約束は守る」
電話を切り俺は様子を見ることにした、俺自身、此以の戦闘は無理なようだった。体中が悲鳴を上げそうだった。狙撃銃が重く感じてきていた。
「なんてこった、ベトナムじゃあ~2~3カ月雨季の中のベトコンとの戦闘じゃあ死にたくない、皆殺しににてやると思い寝ないで戦ったのに、此の様だ、これが年をとるということか、気持ちまで弱気になつている、年はとりたくないものだ、此ばかりは仕方が無いかまぁーよしとするか。」
東京に戻り2日後麻布十番にいって見ると建物の周りに足場を組み立てていたその夜新藤正信に電話した「やーぁあんたか斉藤連合会の奴ら慌ただしい動きだ東京支部を引っ越すらしい隠れた子分達と連絡取るの対辺みたい 2~3日の内に連絡の付かない奴は破門だと喚いているらしい」
「話しは付いたあんたもしっているように俺は年だ体が悲鳴を上げそうだ、銃が重く感じて来た。島にいて毎日地平線を眺めていて目だけは若い時と変わらなかった、だから出来た。最後の頼みが有る又若い衆を貸してくれ、それと斉藤連合会が幹部会を開くと思う日にちを教えてくれ」
荷物をとりにいく場所を教え届け先を教えダンボール箱2個をお礼として受け取ってくれといい車の処分もたのんだ。麻布十番の土地は空き地にしてをくと町全体の美観を損なうと言われていたのでビルを建てる事にした。ラムズウンの息子にビルの事は任せる事に視した。2日後俺はアメリカに飛んだ元上官のマクレガー中慰に会うためだ。
「やーぁ健一その顔でわ上手くいったみたいだな」
「又欲しいものが出来た小型のロケットランチャアーが欲しいどこの国のでもいい」
「本気かどこと戦争するんだ」
「ヤクザに、落とし前、を付けるのさ」
「信じられないな物は直ぐそろうが本気か」
細かい打ち合わせをしその夜は酒を飲み愉快に過ごした4日後に横田基地に着くことになつた。日本に帰り次の日の夕方3発のロケットランチャアーを受け取った。その夜新藤正信に電話した
「結構な贈り物ありがとう、総会の日にちが分かった一週間後の25日だ夜の7時からだ殆どの子分達が集まる手打ちのお祝いだそうだ」
「ありがとう、あんたにわせわになつた関西の方で季節外れの花火が上がる、あんたの人生の肥やしにしてくれ、それともう一度電話させてくれ警察の動きが知りたい」
翌日新幹線で俺は大阪に向かった。ロケットランチャアーは宅急便で機械部品として天王寺営業所止めで送った信管さえ外しておけば爆発する事はない。2日程掛けて斉藤連合会の狙撃しやすい場所を探した。
斉藤連合会の回りは飲食店が密集しておりなかなか良い場所がなかつたビルもスナック、や、いかがわしい店がはいつていた。飲食店の多くはいっているビルの2階のトイレの窓から狙撃する事にした。狙撃した後、京都まで逃げる事にし。矢張り50、CCのバイクを失敬する事にした。排気量の大きいバイクだと力負けするからだ。当日離れたところから見て居ると6時頃から高級外車が続々と斉藤連合会の駐車場に入っていった。7時になり俺は工員の格好をしビルに入った。時間が早いのに大勢の客が入って入るようだった此のビル全体が安く飲ませるのだろう。
トイレに入って窓から見ると2階に大勢の人が集まっていた、総長らしいのが何か喋っているようだつた
トイレのドウに掃除道具のモツプでドウを開かないようにし素早く信管をねじ込み立て続けに3発発射した。凄まじい爆発音がし健一の居るビル全体がガタガタ揺れた。ビルの客が一斉に逃げ出した健一も客に混じってビルの外に出ると大勢の人たちが逃げまどつていた。回りの飲み屋の客、帰宅仕様としていた人達その中に混じってバイクの置いて有る所まで走った。1時間程で京都に着いた9時前だったので考えを変え東京に戻る事にした。そして新幹線の中から明日一番のフィリピン行きの飛行機のチケットを手配するように息子に頼んだ。チケット位ならどんな無理も健一なら言える立場に有った。11時頃、東京に着いた。一度隠れ家に戻り狙撃銃と拳銃をバラバラにしタクシーに乗りレンホーブリッジの側で降り橋の下にある作業用の道を歩き真ん中あたりでバラバラに捨てた。隠れ家に1時頃付きシャワー浴びビールを飲んだ。「ろくでなしが、ろくでなしの約束何か信用するな、約束を破って今の総長の地位を掴んだだろう」
3時間程まどろみタクシーで成田空港に向かった。
フィリピン行きの飛行機に乗って30分もしない内に寝てしまい到着の1時間前に要約目が覚めた。
「こんなに疲れて居たのか年は取りたく無いもんだ」
マニラに3日程いて会社で溜まっていた仕事をこなし警察のトップと法務大臣と合い日本国籍の真鍋健一が日本から帰って来た翌日マニラで交通事故で死亡した事にしてもらつた。勿論それたけのお礼はした。そして新藤正信に電話した。
「やーぁあんたかおかしな事になつている、斉藤連合会の奴らが総会をして居るとき、ガス漏れが有り引火し隠しもつていたダイナマイトが誘発して爆発した事になつている、斉藤連合会は全滅した、警察のえらいさんにいろいろ聞いたがこれで落ち着くみたいだ。覚醒剤が無くなると喜んで居る。内の組にも覚醒剤に手を出すなと言って来ている。」
「いろいろありがとう、大きくなつてくれもう電話する事も無いだろう」

 電話を切りしさしぶりにサクラ島の我が家に帰った。
途端に気が緩み10も年を取った用に感じた。
ベランダの椅子にすわり地平線を眺めながら麻布十番の土地にビルを建てると妻に言うと何でも1人で決めると良い留守の事をあれこれと言う声を子守歌の用にききながら此も悪くないと思いつつ寝た。

落とし前

落とし前

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
更新日
登録日
2015-01-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted