僕が異世界の神になる
1
夜。星空。
西洋風の街。窓からもれるランプの光。酒場から聞こえる愉快な歌声は、突然言い争いへと変わり、次はビンの割れる音。間髪入れずに、女の叫び声が響いた。
ガラの悪い猫が、何かを咥えて路地へと入っていく。暗いその路地の先、赤い屋根の間に、巨大な満月が昇っていた。
街の中心らしきその広場には、大勢の人がひしめいていた。噴水を円心として、ぐるりと丸い石畳の広場。人々は水を見上げながら、あるものを「待って」いたのだった。彼らが待っていたのは、神でも仏でも無い。しかし、ただひっそりと、従順な教徒のように、それの登場に構えていたのだ。こんなに人がいるというのに、不自然なほど静かすぎる。それは、非日常的で異様な光景だった。
「ねぇアリス、もっと前へ行ってみない?」
小さい声。少年は女性の手を取って、人々の間を縫った。女性は困惑しながらも、仕方なさそうにその手に引かれた。
自然と、彼らに大勢の注目が集まった。彼らを見るのはネコの耳とネコの尻尾を生やした人間や、全身を緑色の毛に覆われているビックフット。怪しい笑みを浮かべるキツネ目の青年や、指の長さが30センチメートルもある少女等々、不可思議で不気味な面々。きっと、少年にとっても、異様極まる生き物の集まりのはずなのに、彼はこの非日常への興奮と幼さによって、不思議と恐怖を感じなかった。
「あ、アンタ、どこまで行くつもりなのよ……」
彼に連れられる女性――アリス・ルージュは18歳前後の剣士だ。髪は赤毛。目は翡翠色。腰丈のレースのマントを羽織り、ショートパンツの腰のベルトには、短剣と銃が見え隠れする。彼女の顔立ちはさることながら、目を引くのは、彼女が全身に纏う美しい装飾品の数々だった。金の髪飾りには、エメラルドが輝く。首をぴたりと締めるチョーカーから、アレキサンドライトが鎖骨の間へ垂れていて、マントの留め具は首回りをぐるりと一周する金色。美しいエメラルドと、オパールがあしらわれている。左右の手には、ルビーの腕輪とダイヤモンドのブレスレットが、じゃらりと音を立てていて、指には左右2つずつ、黄色・水色・金銀の指輪がはめられていた。腰のベルトにぶら下がるチェーンもキラキラと輝き、太ももに目をやると、そこにも金のレッグガーターがつけられていた。ブーツの足首辺りにはアンクレットが存在を主張し、彼女はまさに、歩く宝石展覧会とでも言うべき姿だった。そのくせ、着ている服は機動的な出で立ちで、胸を覆うのは編上げのレザーのみ。ヘソがレースのマントから透けて見える程に、軽装備だった。
この場の多くの者が「武器」を持っていた。片手剣、大剣、弓矢、棍棒等々、その種類は様々だ。甲冑を着ている者や、全身に鎖を身にまとう者、アリスのように軽くて機動的な格好をしている者も多かった。
それなのに、その少年・東條マコトはあまりにも無防備だった。シャツにネクタイにズボン、武器は無し。それだけだった。悲しくなるくらい、シンプルである。顔は幼く、12歳前後。シャツの左胸に小さなエンブレムがついていて、マコトはまさに「中学生」だった。
「ねえ、止まりましょうよ。このあたりでいいんじゃないかしら?」
「ううん。だめ、もっと前に行こう」
アリスは周りの目をチラチラと気にしていたが、マコトはまったく気にならない様子。
「あっ。でも、もう始まりそうだね」
少年は突然ぴたりと足を止めて、アリスの手を離した。顔をあげ、噴水を見上げる。一定の水量を真上に細く噴き上げていたそれは、音と共に形を変えた。水は扇状に吹き上がって広がり、水のカーテンが出来たのだ。広場に集まった者達は、遂に来たか、と言いたげな顔で、それを見上げて、喜び・好奇心・興味・恐怖の入り混じったその表情で、更に待った。
噴水の下に溜められた水は、段々ごぼごぼと音をたて、どうやら沸騰しているようだ。水蒸気がもわもわと立ち上ると、水の中が赤・黄色・緑・青・ピンク・水色・紫に光り出した。
少年の瞳に映る色は、キラキラと七色に輝いていた。少年の表情もまた、輝いた。
アリスの顔も、期待感に満ちていた。美しいライトアップが、嫌がおうにも全員の視線を釘付けにして、離さなかった。強面も、軟弱も、ここにいる者は全て、次に起こることを待っていた。
注目が集まる中、少年はわずかな変化に気付いた。いや、少年だけでは無い。噴水の傍にいた者は、皆、はっと目を見開いている。水のカーテンから、一指し指が一本、つう、と登場したのだ。
「やれやれ、この演出は熱いし痛いので、好きでは無いのです」
水の向こうから、声が聞こえた。噴水の向こう側で見上げる者の反応を見るに、向こうにも指が一本、登場したらしかった。どの方向から見ても、一枚のカーテンであるそれから、指が出てくるように見えているらしい。
「ねえ、アリス。あれ、どういう手品かな?」
「私に聞かないでよ。運営のすることだから、きっと莫大なお金を掛けて装置を作ったんでしょう」
「そっか! すごいなあ……!!」
水の中から、腕が出てきた。白いシャツと白いスーツの袖が、ぬっと現れて、続いて革靴。水に服を煽られながら、足が一歩踏み出されると、金髪の青年があらわれた。会場の視線が、彼の姿一点に突き刺さる。彼の全身が現れると、水が止み、静寂。水の中を通ってきたはずなのに、彼は全く濡れていなかった。水面に立ち、気持ちの悪い程ぎょろりとした紫の目玉で、広間に集まった人々を見渡す。彼の口は小さく、そのマッシュルームカットのせいもあって、異常に逆三角形な顔に見えた。
「みなさん、お集まりですね? わたくしは、運営部のクルリともうしますのです」
首を地面と平行に傾げて、クルリは小さな口で笑った。会場の5割くらいの者が、彼の笑顔を気味悪く思っただろう。残りの5割は、自身も不気味な見た目であるか、遠すぎて表情まで見えない者か、もしくはマコトのように、恐怖より好奇心が勝っているらしい、怖いモノ知らずであった。
「えーではでは、これより、ゲームを開始いたしますのです」
金髪の青年は不気味に笑う。マコトは、ドキドキと鼓動を高鳴らせていた。
2.テストと手紙と病室少女
「よう、マコト。テストだるいよな、帰りたいよな」
「うーん。テスト期間はいつもより早く帰れるから、僕は嫌いじゃないかな」
マコトは笑顔で返事をした。マコトに話を振った隼介は、へぇそうかよ、と口を尖らせた。朝、1年C組の教室での出来事である。生徒たちはわいわいと、これから始まるテストに対して文句を言っていた。2学期中間試験3日目の始まりが、数十分後に迫っていた。
「で、今回のテストはどんな感じなんだ? 俺、満点とれっかな」
「隼介は平気だよ。なんだかんだ言いながら、いつも高得点じゃん。勉強できるタイプの黒縁めがねじゃん」
「まあな。お前の予知力あってこそだけどサ」
隼介はにっと笑う。マコトも、困りながら笑顔を向けた。
「予知ってほどじゃない、ただの勘だよ。あんまりあてにしない方がいいと思うけど……」
「でも、お前の勘って今まで十中八九だろ。この中学に入れたのだって、お前のおかげだしさ」
「ううん。隼介の記憶力が凄いんだよ」
二人は、小学校からの仲である。喧嘩や揉め事、仲直りを経て、ここに至った。お互いの力を認め合う会話をするだけで、テスト当日の朝だというのに、教科書すら広げていない。
「で、今回はどうなんだ? 特に社会。俺、不安なんだよなあ」
「社会、今回も範囲広すぎるから困るよね。えっと……」
マコトは両手を机に置いて、イスの前足を浮かせてゆらゆら揺れた。
「今回は、記号で答える問題が7割。語句を答える問題と記述も出る。1学期の内容も出るから、目を通した方がよさそうかな。記号問題は、5択が20題で配点は各2点、3択が30題各1点で70点。あとは記述。語句問題より、説明記述の配点が高い。教科書78ページから85ページは、特に注意かな」
「えー、まじかよ。1学期の範囲が出て、しかもスピードが問われるなんて、鬼畜な出し方するな、あの先生も。しかも範囲発表の時、1学期の範囲でるなんていってなかったし」
隼介はマコトのテスト予想に関しては一切つっこまず、ただの友人の「勘」なのに、それを完全に信じているらしい。根拠も理由も尋ねずに、テストと教師を非難した。
隼介の言葉を受け、マコトも頬を膨らませる。
「あの先生ってさ、テストもいじわるだし、なんか性格悪そうだよね」
「だよな! やっぱりマコもそう思うか……! いつも怒った顔してるし、なーんか威圧的なんだよな。つまんねぇやつって感じ」
隼介のその言葉を合図に、マコトはにっと歯を見せた。その表情を見て、隼介もマコトと同じ顔をする。てかてかと、太陽のように無邪気な子どもの目を見合わせた。
「よし、笑わせようよ!」
「ああ、なにする?」
隼介は、身を乗り出した。二人の席の隣で真面目に勉強している生徒が、煩わしそうに彼らを見た。しかし、二人はそんなことには構わずに、腕を組む。そして、すぐにマコトが何かを企む顔をした。
「じゃあ、ちょっと簡単だけどさ、テスト用紙の端に先生が怒ってるイラストを描くのはどう?」
「おお、それでいっか! 先生のコメントが付いたら、俺らの大勝利。ついでに、俺たち二人でどっちが上手く描けるか勝負ってことで」
彼らは、自分が描くイラストを想像して、にししと笑った。早く問題を終わらせて、凝ったイラストを描いてやろう、とマコトは教科書を取り出した。隼介はマコトの持つ教科書を見て、やれやれ、と息を吐いた。
「なんだ、マコ、勉強するのか。んじゃ、俺もそろそろテスト勉強しよっかな」
「隼介、テストまであと15分だよ」
「自分で言うのもなんだが、俺は速読と暗記のプロだからな。5分で十分」
隼介の髪がふわりと揺れて、彼は前方向に向き直った。マコトの隣の席の男子生徒は苛立たしげに、1学期の復習を始めた。
☆
チャイムが鳴る。生徒は背伸びをしたり、机に伏せたりして、各々テスト終了の喜びを感じていた。マコトも机に体を預けながら、ぐっと腕を伸ばす。そうこうしていると、教卓に担任の先生が立ち、彼の持っている紙束に目を落とした。
「みなさん、テストお疲れ様でした。早速、一教科だけ返却可能なテストがありますので、今から配りますね」
教室はブーイングに包まれる。そんな中、隼介は腕組みをしながら、ふっと微笑んだ。
「終わったテストに興味は無いな……」
「隼介、なんかかっこつけてる」
マコトは後ろの席で呟いた。隼介は顔を赤くして「聞こえてたのかよ」とマコトを睨んだ。
「いくぜっ!」
「せーの!」
下校道。良く晴れた10月の昼下がり。マコトと隼介は、今日返却されたテストを見せ合った。
マコトは80点、隼介は92点。今回のテストは、92点が最高点だった。
「隼介、今回も最高点かあ……」
「まあな。さすが、俺!」
むふふ、と笑う隼介。しかし、その笑みは嫌味っぽいものでは無いし、マコトは特別劣等感を抱いたりすることは無かった。
彼らは、幼い。道路の縁石の上は平均台。横断歩道で白を踏まずに歩いてみたり、石を蹴飛ばしてみたり、小学生がするようなことを、楽しんで歩く。
「マコ、今日遊べる?」
「ううん。今日は静の病院に行く」
マコトは小石を蹴った。小石は隼介の前に行き、次は隼介が小石を蹴る。
「静ちゃん、具合どうだ? 病気、まだ治らないのか?」
「うーん、悪くないけど、治らないって感じかな。隼介も来る?」
隼介は首を振る。マコトの妹・静が入院しているのは、末期患者の病棟だ。決して暗い雰囲気ではないし、整備された綺麗な病院だが、何となく近づき難い感じがするのだった。隼介は話題を変える。
「なあマコ。今晩、いつものゲームしようぜ。ルームに8時待ち合わせでどうだ? 俺、アバター変えたし。今回のは、オレにそっくりにしてみたからさ」
言われて、マコトは友達の容姿を改めて観察する。特徴的なのは、他の人より少し色素の薄い茶色の髪だろう。
「……えーと。つまり、今回作ったのは、茶髪天パめがねのアバターなの?」
「いや、茶髪ストレートめがね」
「それじゃあ、隼介にちっとも似て無いじゃん」
二人はきゃっきゃと走り出した。「待てこのやろー!」と隼介は叫び、マコトは笑いながら彼から逃げた。同じ学校の生徒は、またやってるのか、と半ば飽きれながら、彼らを見た。
「んじゃ、ここで! ゲーム忘れんなよ!」
「うん、また明日!」
いつもは同じ方向へ曲がる路地で、今日はわかれる。マコトは、病院へ向かった。
東條静は、マコトの妹だ。余命、2年。二年後に死ぬ予定である。
マコトは、妹と仲が良い。帰りが遅くなりがちな両親と疎遠な反面、兄妹の絆はとても深かった。昔はよく遊び、よく転び、二人で泣いて、協力して食事をつくり、一緒に寝る生活をしていた。マコトと隼介の長い喧嘩が終わったのも、静のおかげだ。マコトは多くの面で妹に感謝しているし、静もまた、それは同じである。
マコトは、病院の廊下を歩く。行き慣れたはずの場所は、何度行っても心臓が苦しくなる不思議なところだ。マコトは妹と違って病気など無い健康体なのに、何故か心臓が押しつぶされそうになる感覚を、毎度ここで味わっていた。
「静、来たよ」
個室の病室。静はベッドに寝たまま、顔をマコトに向けた。
「お兄ちゃん」
微笑む妹。病気のせいか、色白くて痩せていて、儚くて可哀想。マコトはベッドの傍に寄り、チェストの上の花瓶に、花を挿した。
「これ、帰り道で隼介と摘んだんだ」
「随分集めたのね。秋なのに、ハルジオン?」
マコトは苦笑した。静の声音は、ハルジオンを摘んだことへの批判では無く、純粋な疑問だ。いや、疑問ですらない。ただの、彼女の感想だった。
「もう少し寒くなったら、近くの山が紅葉するから、カエデを分厚い本に挟んで、押し花を作ろう。赤いカエデと、緑のカエデと、黄色のイチョウを持ってくるから、全部一緒に挟んだら、きっと綺麗だ。静、そういうの好きでしょう?」
「そうね。好き。約束よ」
妹は小さな小指を差し出した。彼女は10歳。身長は兄のマコトとさほど変わらないのに、妹の静の指は小さくて、細くて、弱弱しい。女性的ではなく、病的なのだ。
「お兄ちゃん、カエデも『押し花』っていうのかしら? 花じゃなくて、葉っぱなのに」
「どうだろう? じゃあ、押し葉かな? 昔は良く、四葉のクローバーを探して、押し葉にしたような」
静は、くすくすと笑った。
「そういえば、四葉のクローバー探し対決、とか言って、良く隼介お兄ちゃんと競争してたわね。あのクローバーたちは、『花世界としずく姫』の第一巻の本の間に閉じてあるの」
『花世界としずく姫』は静の愛読書だ。
「……あの本の影響で、静は『そうやって』喋るの?」
「うん、そうよ。お兄ちゃんが買ってくれた本だから、とっても気に入ってるの」
静は、物語の中でお姫様だった。病床に伏してからはますます、彼女は本の世界に浸っているらしい。
花瓶の隣には、ゲームに出てくる魔導書のように、分厚くて古っぽくてエンジ色の本が、置かれていた。マコトが持ち上げると、本の5分の一位の所に、しおりが挟まっていた。
「あれ、静。もしかしなくともコレ、読んでるの?」
「読んでるわよ、本だもの」
マコトは本をぱらぱらとめくる。これは、マコトが古道具屋でインテリアとして、「なんとなくかっこいいから」という理由で、買ってきたものだ。買ってきて、静の病室に飾った。表紙は英語、目次は英語、中も勿論英語だから、読めるはずなど無い。
「ファンタジー小説なんて、出てくる単語、決まっているから読めるのよ。それに、チェストの一番下に、お母さんが送ってくれた電子辞書が入っているの。折角だし、読んでみようと思って」
「凄い……」
マコトの口からもれた言葉に、静は満足そうだった。
「これを読み切るのが、私の目標。将来はきっと、翻訳家になるわ。それなら、ここでもお仕事出来るもの。お金が貯まったら、森の中の開けたところに、小さなお城を建てて……。ううん、小屋でいいわ。小さくて、赤い屋根の、煙突付きの小屋を建てて、そこでロッキングチェアに揺れながら、お仕事する。きっと楽しいでしょう? お兄ちゃんも、一緒に住むのよ」
「まるで童話だね」
「だから、いいのよ。薪はお兄ちゃんが切ってくれると嬉しいな。私は、それを使ってお料理するから。暖炉でチーズフォンデュを食べてみたいの。牛が必要だわ。あと、にわとりを飼って、朝食はハムエッグトースト。鶏肉にしちゃダメよ、ペットだから。それで、私が家にいる間、お兄ちゃんは、猟犬を連れて森に行くの。危ないから、暗くなる前に帰って来てね」
「うん、そうする。朝食用のハムを狩ったら、すぐ帰るよ」
「ふふ、私ね、ニンジンを育てるの。自給自足って大事でしょう? そのニンジンを餌に、野ウサギを呼ぶわ。家の周りに、たくさんウサギさんが集まると、ふわふわの白いお花畑になるわね」
「でも多分、そんなにペットは飼えないよ」
自給自足なら、自分たちが食べていくだけで、精一杯になりそうだ。野ウサギを餌付けしている余裕は、きっと無い。
「違うわよ、お兄ちゃん。野ウサギは食用」
辛辣である。
「小屋のローンも払わなくちゃいけないわね。お兄ちゃんが在宅で出来る仕事を考えとくわ」
「あー……。うん、ありがとう」
女は男よりしっかり考えているもんだ、と数年前に隼介が言っていた言葉の意味が、何となくマコトにも理解できた。
マコトはぱらぱらと魔導書本をめくる。読んでいるのでは無く、弄んでいるだけだ。そうしていると、静が、悲しそうにため息をついた。
「……わたし、夢を語るなんて、贅沢すぎるかしら」
「そんなことない」
マコトは、即座に否定した。
「素敵な夢だと思う。絶対叶うよ、大丈夫。病気も、もうすぐ良くなるから」
静は微笑んだ。マコトにはそれが安堵では無く、あきらめの微笑みに見えた。
「静、そんな顔しないでよ……! 僕が、僕が何とかするから!」
「いいのよ、お兄ちゃん」
マコトの歯が、ぎりっ、と音を立てた。悔しい、悔しいと心が叫ぶ。でも、妹の前で涙だけは流さないように、歯ぎしりして、歯を食いしばった。
暫くすると、彼女のおやつが運ばれてきた。小さな、小さなロールケーキだった。
「また明日、来るから」
「うん、待ってるね」
マコトが病院を後にしたのは、街が夕焼けに染まる頃だった。きっともうすぐ、日が落ちる。落ちる前の輝きの美しさは、何故か残酷。得体の知れない不安感に包まれる逢魔が時。自宅のメルヘンな小さい門を開け、無人の家にマコトがつくと、ドアの隙間に、封筒が挟まっていた。
「なんだろ、これ」
ひとまずバッグから鍵を取り出して、封筒を引き抜く。白い封筒を裏返すと、あて名も差出人も無く、西洋的な赤い封蝋が押されていた。
「こんなの映画でしか見たことないや。変なの、ポストに入れればいいのに」
鍵を開けて、薄暗い家の中へ。廊下を歩き、リビングの机の上に封筒を放った。
昨日隣のおばちゃんが分けてくれた肉じゃがを、火にかける。鍋を洗って返さなくちゃ、とマコトは頭にメモ書きした。そうしている間に、お風呂がわく。食事をして、お風呂に入って、テレビを見て、バッグの中のテスト用紙を、雑誌雑紙のゴミ箱へ捨てた。
「あの封筒は、どうしようかな」
リビングにある、白封筒。興味が無いわけでは無い。しかし、なぜかマコトは躊躇っていた。なぜ躊躇っているのか、理由は無い。強いて言うなら、マコトの勘が、ざわざわと騒ぐのだ。その落ち着かなさに、マコトは迷っていた。開けるべきか開けないべきか。いつもなら、自分の直感に従って選択するはずだが、今回ばかりは、直感も勘も上手に働かないのだ。あの封筒は、怪しい。
マコトは封筒を手に取った。厚みがある。きっと、中身は便箋一枚だけでは無い。紙の手触りも確かめる。こんな行為は意味の無いことだが、手紙から関心が外せない。
「……何考えてんだろう、僕」
暫く手紙と見つめ合い、答えはでた。
「気になるし、普通に開けよう。何も死ぬわけじゃないんだから」
ちょっと変わった手紙というだけだ。何より、親宛ての重要な郵便物の可能性もある。マコトはハサミを取って、端をじょきじょきと切った。中には二つ折の便箋がつまっていて、その間に、厚紙が挟まっていた。封筒の切り口を下に向けると、その厚紙がぽとんと、手のひらに落ちた。引き出して見て、彼は首を傾げる。
「招待状……?」
金色のカード。トップには黒い文字で、『招待状』と書かれていた。
「えーと。参加の場合は、YESを丸で囲んでください。丸をつけた時点で、規約に同意したものと見なします。……って、何の話?」
その答えが、この便箋に書かれているらしい。マコトは紙を引っ張り出して、それを広げた。次の瞬間、マコトの目に、ある文字が飛び込んだ。
「『永遠の命』……?」
どくん、と鼓動が脈打つ。マコトの目がその文字を捉えたというより、マコトはその文字に、強制的にひきつけられていた。
『以上が、六大財宝でございます。これらの財宝は、ゲーム世界のみのアイテムでは無く』
「『実際に、現実世界にお持ち帰りいただけます』」
手紙の冒頭は、『あなたが参加者に選ばれました。』と簡潔な文で始まっていた。勘がまた、ざわついた。マコトは怖くなって、便箋を折りたたむと、封筒に無理やり押し込んだ。
何か、いけないものを、見てしまった気がした。好奇心が疼いて疼いて、仕方ないのに、それ以上読むことは出来なかった。
「なんだよ、これ……」
マコトは手紙を持って、テストを捨てたゴミ箱の前に立った。
マコトは、好奇心旺盛な少年だ。楽しいことが好き、競争も嫌いじゃない。知らないこと、新しいものに触れる快感を、子どもらしく抱いていた。しかし、この手紙は、好奇心で探ってはいけないものだ。ただの紙なのに、まさに彼の「勘」が、不穏な雰囲気を感じ取っていた。
昔、マコトはヘビを捕まえたことがある。シマヘビというヘビには、毒が無い。マコトはシマヘビを捕まえて、隼介に自慢したり、妹にスケッチさせたりした。しかし、マコトは毒蛇には、絶対に近づかなかった。アレは、危険だ。噛まれたら、危ないのだ。この手紙は、シマヘビでは無くて、毒蛇な気がした。
封筒が、マコトの手から離される。重いそれは、ぽとんとゴミ箱に落ちた。
3.永遠の命
「隼介、永遠の命って、どう思う?」
翌朝、教室にて。マコトはバッグを机の上に置いて、前の席に座る隼介に話しかけた。いつもは、マコトが登校してくると、すぐに振り向く隼介だが、今日は違った。マコトが話しかけたのにも関わらず、うつむいて、わなわなと震えていた。
「どうしたの、隼介……?」
すると、彼は立ち上がり、メガネの奥の目を吊り上げて、血色の悪い彼の顔を、マコトの顔に突きつけた。
「どうしたの? じゃねーよ! お前、昨日俺がどんだけ待ったと思ってんだ!ゲームのルームで、ずっと一人だったんだぞ! 1時間待ってもこねーし! 3時間待ってもこねーし! お陰でクマが出来ちゃったじゃねーか! 頭ふらふらしながら学校きにてみれば、お前は開口一番、俺にテツガク的なこと吹っかけてくるし、何なんだよ!」
隼介はマコトの制服の襟を掴んで、がくがくと揺らした。マコトは揺られるまま、首を前後にがくがくさせた。
「よし、言い訳を聞いてやる。俺の待機時間、5時間に値する、面白い言い訳をしてみろ! 寝落ちか? また寝落ちなのか? 今回はもう許さねーぞ!」
教室の注目が彼らに集まった。マコトは揺らされて、口から魂が抜けたかのように、へなへなになっていた。
隼介が落ち着いて良く見れば、マコトの目元には深いクマ。その黒さと、抵抗しないで伸びているマコトを見て、隼介は冷静を取り戻した。
「……おいおい。どうしたんだよ、今日のマコ、おかしいぞ」
「う……ごめん。ちょっと、座る」
いつもなら、ちょっとした喧嘩をして、仲直りをするのが二人のお決まりのパターンだ。それなのに、二人は席に座り、静かになった。マコトはバッグを机の右側に掛けると、隼介に向き合った。
「昨日はごめん。ゲーム、完全に忘れてた」
隼介の頭に、びき、と血管が浮き出る。
「東條マコト、いい度胸じゃねーか……! 3年に一度の大戦争、開幕だな」
「本当にごめんって。……しかもそれ、去年したばっかりだし」
マコトは息を吐いた。その様子に、隼介はため息をつく。
「一応、そんぐらいの返事する余裕はあるのか。で、どうしたんだよ、寝てないのか?」
「うん、考え事しててさ」
「へえ、お前が? 珍しいな」
隼介は目を丸くした。
「隼介、素で驚かないでよ……。僕だって、考え事ぐらいはするし」
「わかってるよ。マコは俺より、ずっと頭がいいからな。考え事といえば、恋の病……なんて、茶化してる場合でもなさそうだし……。……あっ! もしかして、静ちゃんに何かあったのか……!?」
焦る友人に、マコトは微笑んだ。
「ううん、違う。大丈夫」
「嘘だろ」
隼介の鋭い視線が、マコトの目を睨んだ。マコトは、友人の気迫に驚きながら、流石隼介だ、と感心した。
「……静について考えてたのは、当たってる。でも、静は昨日も元気だった。静と、本の話とか、将来の話をしたよ。だから大丈夫、心配ありがとう。僕の考え事は、違うんだ。もし、永遠の命を手に入れたら、静は永遠に生きられるのかと思ってさ。くだらないこと、考えてたんだ。そしたら、朝になってた」
「随分と非現実的だな」
「ホント、僕もそう思う」
マコトは苦笑した。昨晩の手紙がなければ、こんなことを真剣に悩んだりはしなかっただろう。永遠の命なんて有り得ない、と一蹴できたはずだろう。しかし、今は違うのだ。「ゲーム」の中で手に入る「六大財宝」。その中の一つ「永遠の命」。マコトはそのゲームの参加者に選ばれた。マコトの勘が、その有り得ない手紙の内容は嘘では無い、と告げていた。
マコトはすでに、『永遠の命』という単語の毒に、侵され始めている。一晩中、手紙のことと、永遠の命が気になって、仕方なかった。余命2年の妹の夢を叶えてあげられるかもしれないと思いながらも、何かがマコトにブレーキを駆けていた。
「隼介は、永遠の命、欲しい?」
「永遠の命、ねぇ。存在自体が信じられないモノ過ぎて、どう考えたらいいかわかんないけど。思いつく問題点は、人間の記憶のメモリーが、一体どこまで持つかってことだな……。脳が容量不足でパンクしないように、記憶ってのは消えてくだろ? 永遠の命を持った人間だって、生命は永遠でも過去のことは忘れちゃう。つまりそれは、同じ体をした別人ってことになるんじゃないか? それなら、永遠に生きる意味がない」
「なるほど……」
納得の言葉を言いながら、マコトはもう一度、隼介の言葉を脳内で反復した。
「まあ、でも、永遠ってのはやっぱり憧れるな。俺、正直死にたくないしさ、ふらふらと刹那的に生きてたら、数百年は俺という人格として、正気でいられるかもしれない」
隼介はイスに頬杖をついた。マコトはぐたっと机に体を預けた。
「……なあ、静ちゃんの病気、まだわかんないのか?」
「うん。原因もわからないから、対処しようが無いって言ってた。脈拍が、おかしいんだ。一分間に180回脈打ったかとおもったら、突然30回位になったりするんだって。熱も上がったり、下がったりするし、凄く不安定だ。このままだと、いつか体と心臓が変化に耐えきれずに、静は死ぬ」
マコトは眠そうなうつろな目で、ぼうっとした。隼介はマコトたち兄妹の絆の深さを知っている。だから、悲しい二人が可哀想で仕方なかった。
「今日は、病院行くのか?」
「うん、行ってくる」
二人は寝ぼけ眼で授業を乗り切り、二人で下校して、路地でわかれた。
☆
マコトは早足で病院に向かった。受付を通り、ナースセンターの前を過ぎて、エレベーターに乗って、廊下を歩く。角を曲がって、妹の病室が見えた瞬間。マコトは、不安感に襲われた。
静の病室の前が、騒がしいのだ。ナースが出入りし、何やら慌てた様子である。マコトは更に加速して、その病室へ向かった。
「何が……何があったんですか……!」
病室に入る前、ナースに止められた。
「今は、ご遠慮ください。医師から説明がございますので、2階の待合室で、暫しお待ちを」
ぴしゃり、と扉が閉められる。マコトはその扉の前で立ちつくした。
日が傾いて、イスの影が伸びて、待合室はオレンジ色に染まった。2階の待合スペースは、誰かからの呼び出しを待つ場所ではない。イスと観葉植物が置かれた、ちょっとした憩いの場だった。窓からは、中庭が見える。そこから、夕日が差し込んだ。
今ここにいるのは、マコトただ一人。拳を握り、俯いて、妹のことを祈っていた。
「東條マコトさん」
ナースがマコトの名を呼んだ。マコトの口から、咄嗟に言葉は出なかった。
「こちらへお越しください」
ナースはつま先の方向を変えた。マコトはバッグを持って、ゆるゆると立ち上がり、彼女に続いた。
「マコトくん。親御さんとは、連絡がつきそう?」
部屋に通されて回転イスに座ると、白衣を着た初老の医者がいた。
「父も母も、海外に行っていて、すぐには……どうかわかりません」
「おじいちゃん、おばあちゃんは?」
「父方は同じく海外へ。母方は新幹線で6時間かかります。親には電話をしましたが、留守電でした。結果を聞いたら、また連絡しようと思います」
マコトは、医者を見つめた。医者は頷くと、結論から言おう、と暗い顔をした。
「結論から言うと、静ちゃんの命は、あと3か月だ。容体の急変、脈が今までで一番小さく、少なくなった。今は呼吸も不安定。体にだいぶ、負担がかかっているらしくてね。我々も、原因を突き止めたいんだが、何度検査しても、内臓その他に異常なし。今回のは、疲労だろう。予想以上に、消耗が早いから、余命はあと3か月だと思ってください」
医者はゆっくりと喋った。マコトは、俯いて、彼と目を合わせなかった。
「今、静と会えますか」
「ああ、今は大丈夫」
柔和な医者の口調は、今は却って苛立たしく感じた。マコトはその部屋を後にして、ふらふらと病室に向かった。
日は、もうだいぶ沈んでいる。薄暗い窓の外。蛍光灯が、廊下を照らす。マコトのローファーは、コツコツと音を鳴らした。廊下に響くのは、その音だけだった。
静かになった、妹の病室前。扉の取っ手を横に引くと、妹はベッドの上にいた。人工呼吸器を口につけ、他にも点滴の管が体に刺さっていて、昨日とは大違いな静の姿を見ると、マコトは体の力が抜けるのを感じた。
「しず……」
呼びかけても、勿論応答は無い。彼女は寝ているのだ。
ベッドの傍に近づいて、マコトは彼女の細い指を触る。折れそうな細い指。昨日、押し葉を作る指切りをした小指だ。
チェストの上のハルジオンは昨日と変わらず、花瓶の中で生き生きとしていた。
―――あと、3か月。
マコトは家に帰ると、一直線に雑誌雑紙のゴミ箱へ向かった。一番上に捨てられているのは、白い封筒だ。マコトは躊躇わずにそれを拾い上げ、中身を取り出して便箋を広げた。
『また、当ゲームの目玉として、隠しアイテム・六大財宝がゲーム内に散らばっています。是非、ふるってお宝集めに興じてくださいませ。
万物を切り裂くハサミ
どこへでも行ける片道切符
誰にでも変身できる仮面
なんでも見えるコンタクトレンズ
すべてが聞こえるイヤリング
永遠の命
以上が、六大財宝でございます。これらの財宝は、ゲーム世界のみのアイテムでは無く、実際に、現実世界にお持ち帰りいただけます』
マコトの鼓動が、更に早くなった。怪しい手紙に書かれた、怪しい内容。紙に並ぶ、有り得ない財宝たち。普通なら、誰かのいたずらだと流すだろう。しかし、マコトは違った。どうしても、永遠の命が欲しかった。妹の静が3か月で死ぬのを、阻止する唯一の手段が、この手紙に書かれた「ゲーム」に参加することだと、マコトは汗を流した。
どんなゲームなのかは、わからない。でも、どんなことでもすると、興奮しながらマコトはペンを取った。
金色の招待状。
「もちろん、YESだ……!」
ぐるり、と丸を付ける。手首が動き、インクで書かれた丸の端が閉じたその瞬間に、マコトはこの世界から、忽然と姿を消した。
4.異世界デビュー
夜。星空。
愉快なアコーディオンの音。石畳を人が行きかう、西洋風の街。ドレスを着ている貴婦人や、シルクハットを頭にのせた紳士が、急ぎ足で歩いている。彼らの存在は良く街に似合っていて、彼らはもっともらしく鼻をつんと上に向け、すまし顔で闊歩していた。
「すっごい……!」
マコトは手紙で見た「ゲーム世界」という単語を思い出す。つまり、ここがその異世界なのだろう。マコトはそれを、子どもらしくすんなりと受け入れた。
マコトは、キョロキョロとあたりを見回す。まるで、絵本の一ページに足を踏み入れたかのようだ。酒樽、濃い緑色のガス灯、二頭の馬に引かれるコーチ、その馬車を操る人。ステッキを持って髭を蓄えた壮年の男性。酒瓶片手に酔っぱらって、道側に寝そべる老人すら、マコトの目には新鮮で、興味深いものとして映った。溢れる好奇心と未知に触れる興奮で、マコトの脳は喜びをうたった。視界に入るものが、耳に入る音が、鼻を通り肺に入る空気が、新しく魅力的。それら全てを処理しようとするマコトは、目をキラキラと輝かせ、頭を右に左にくるくると回した。非現実的で、刺激的。マコトはまさに巨大なおもちゃ箱に放り込まれた子どものようだった。
「まるでゲームの中に入り込んだみたいだ……! ううん、実際そうなんだよね!」
途方もない臨場感。立ち並ぶ赤い屋根の家。道を歩く黒猫の姿は、本物のネコのよう。マコトに仕組みや原理を考える余裕は無かった。マコトがネコに手を差し出すと、ネコは興味津々にすり寄ってきた。マコトがふわふわとした感触に驚き、楽しんでいると、ネコはフイと首を曲げ、離れて行ってしまった。ネコは本物だった。
そのネコの進行方向、石畳の先にマコトが目をやると、そこにはさらに”ありえないもの”がいた。暗闇の中、ずしん、と重たい音を立てて、巨大な物がこちらに向かってくるのだ。二足歩行、体調約2.5メートル。人型をしているが、あんな人は見たことが無い。強いて動物に例えるなら、ゴリラと表現できるだろうか。とにかく、大きくて知らないモノが、そこにいた。
ガス灯にチラチラと照らし出される外見。髪は金色。皮膚は緑。頭には二本の立派な角が生えている。腰に一枚だけ布を纏い、あとは裸。マコトは目を輝かせた。マコトは今までその生物を見たことは無かったが、しかし、その存在を頭の中で知っていた。
「鬼だ……!」
むかしばなしの、まさに鬼。寅柄のパンツこそ履いてないものの、その屈強な姿と、震えあがるような強面、頭上のシンボルの角。それらは鬼そのものだった。
重たい足音。石畳が揺れる。西洋の街並みとはミスマッチだが、鬼が街に人を食いに来たように見える。ゲーム世界のモンスターだろうか? しかし、あんなに恐ろしい生き物がいるというのに、行きかう街の人は彼に関心を向けすらしなかった。普通の通行人と同じように、ただその横を通り過ぎていくだけだ。そして鬼もまた、人を襲ったりすることは無かった。
マコトと鬼の距離が縮まる。そばで見れば見るほど、鬼はおぞましい。緑の肌はグロテスクで、皮膚は乾燥していてぼろぼろだ。しかし、それを含めてなんと鬼らしい出で立ちだろう。マコトはその生物への興味と関心をさらに強めた。息ができないほどの、興奮状態だ。
鬼は、まっすぐにただ歩いていた。そして、羨望の視線を送るマコトにもやはり応えず、そのままマコトの前を過ぎ去っていった。
「うわー……!」
マコトの口から声が出たのは、鬼の姿が見えなくなってから3秒後だった。
「凄いなっ……! あんなの、見たこと無いよ!明日学校で隼介に自慢しなきゃ……!」
マコトはそう独り言を言い終えると、スローな瞬きをした。ゆっくり目を閉じて、そして開いたときには、マコトは幼いその目に新たな輝きを灯していた。
「ううん、明日隼介に自慢するのは、この話じゃない。永遠の命の話だ………! 永遠の命で、僕が静の病気を治してやったんだ、って言ったら、きっと隼介驚くよね! ゲーム、良くわかんないけど楽しそうだし、一晩でクリアしてみせるぞ……!」
マコトが決意を口にしたのと同時に、街に変化が生じた。石畳を、大勢が走る音。どうやら、マコトの方に近づいているらしい。
「おい待てクソ女!! その小包を渡しやがれ! さもないと容赦しねーぞ!」
「嫌に決まってるじゃない! しつこいわね、早く諦めてどっか行ってよ!」
街に喧騒が響く。マコトが目を凝らすと、赤髪ロングポニーテールの女が、黒いスーツを着た男たちに追われていた。その集団はあっという間にマコトに近づいてくる。
「何があったんだろう……? 女の人、どうして追いかけられているんだろう?」
マコトの好奇心が顔を出す。なんだか、面白そうだ。
マコトの横を通り過ぎる追いかけっこ集団。マコトは足を踏み込んで、その後ろに続くべく、走った。
「この女め、ちょこまかと逃げやがって……! いい加減、おとなしく捕まれ!」
「冗談じゃないわ、捕まったら何されるかわからないじゃない!」
マコトは男たちを観察する。総勢10名。夜なのにサングラスをかけてたり、顔に傷が入っていたり、どう見ても普通の人々では無い。女に罵声を浴びせながら、彼らはひたすら彼女を追いかける。風にはためく黒スーツのジャケット。その拍子に見えた腰のベルトに、拳銃が見えた。
「すごい……! 本物かな……?」
マコトは呟く。黒スーツの男たちは前を走る女に夢中で、マコトの存在には気づいていないようだ。
次にマコトは、前方で追われる赤髪の女を見た。白いレースのマントを羽織り、小包を持って走る18歳位の女。全身に装飾品を纏い、走るたびにじゃらじゃらと音がする。夜闇に宝石を輝かせる姿は、まるで走る宝石展だ。
「……一番後ろに、変な子どもがついて来てるわね。どう見てもヤツらの仲間じゃないはず。どういうつもりかしら」
彼女は後ろを少し見て、マコトの姿を捉えた後、呟いて確認した。
彼女が持つのは、茶色の小包だ。男たちはこれを求めて追いかけてくる。当たり前だ、これは彼女が彼らから盗んだものなのだから。彼らはこれを取り返したくてたまらないのだ。
アリスは、小さな盗賊団のリーダーだった。美しい宝石が好き、輝くものが好き――そんな女の子らしい欲求と、宝飾品への憧れを、憧れで終わらせることなく、手に入れる女だった。盗むと言っても、彼女が大きな盗みをしたことは、無い。美術館や博物館へ忍びこむことすら出来ない、ひよっこ盗賊団だったのだ。かといって、彼女は民間の一般人をターゲットにすることは無かった。標的は、街のチンピラやアンダーグラウンドな世界に生きる者たちである。ハイエナ、という表現が、悲しくも相応しいかもしれない。人が盗んだものを、更に盗む。そういうことを彼女はしていた。
今回盗んだ小包も、まさにそれだった。用事があってこの街へ来たところ、あるチームがあるお宝を入手した、という情報を得て、彼女はつい盗んでしまったのだ。ここは、彼女の街では無い。彼女の仲間も、いない。そんな状況なのに、彼女は盗みを行って、そして、追われている。
アリスは、脚にそれなりの自信があった。少なくとも、普通の人よりは遥かに早いはずだと信じていた。事実、アリスの後ろを走る男たちはアリスに追いつけないのだ。
しかし、彼女のその自信は、少年の声により揺らいだ。
「ねえ、お姉さん。何してるの? ただの鬼ごっこじゃないんだよね? なんで追われてるの?」
「!? うわ!? えっ!? アンタ、一番後ろにいた子どもじゃない! なんでここにいるのよ! いつここに来たのよ! どうしてついて来たのよ!」
女――アリス・ルージュは心拍数を高めた。隣に突然やってきて、突然話しかけてきた少年。彼はアリスと並走し、子供らしい好奇の眼差しをアリスに向けていた。
アリスはそれなりの速さで走っている筈だった。だから、男たちはアリスに追いつけない。しかし、この少年は追いついたのだ。驚くべきは、それだけでは無い。
この少年は、アリスに気配を感じさせなかったのだ。アリスにだけでは無い。ここまで難なく来たということは、ここにいる男たちにも気配を悟られずに、ここへやってきたということになる。
「ああ!? ガキの仲間だとォ!? 俺らのことバカにすんのもその辺にしねぇと、後で痛い目見るぜ、ぼっちゃんよォ!」
後ろを走る男が叫ぶ。彼らは、マフィアの下っ端だ。下っ端と言っても、それなりに実力はある。無闇やたらに武器を使わないのも、ただの下っ端らしく無い。その彼らが、少年の存在に今気づいたらしいのだ。
シャツを着て、武器も持たない10歳前後の男の子。脚が速いことと、気配を感じさせないこと以外、外見は少なくとも普通の幼い子供だ。
「アンタ、何者? 目的は何よ? どうしてそんなに、脚が速いワケ?」
アリスは前を見ながら、その少年に質問する。
「僕はマコト、東條マコトだよ。お姉さんたちが何をしているのか、気になったから聞きにきたんだ。……お姉さんの名前は?」
「……アリスよ。私、アイツらの大事な物を盗んだの。だから追われているわ。アンタが私を捕まえるつもりなら、子どもだろうと容赦しないわよ」
アリスは走りながら、自分の脚の具合を確かめた。大丈夫、まだ加速できる余力はある。
アリスは脚を踏み込んで、一気に駆け出した。人の間を素早く縫って路地に入り、左に曲がり、右に曲がり、運河の橋を渡って、小さな塀を上り、暫くすると、男たちの叫び声は遠くなっていた。路地裏は、表よりも陰気な様子。人気は無い。アリスは息を吐いて、小包を小脇に抱えると、ショートパンツの中から金色のチケットを取り出した。
「まったく、開会式場からちょっと離れちゃったじゃない」
金色の厚紙には『招待状』の文字が書かれていた。アリス・ルージュもまた、ゲームの参加者の一人だった。
「それにしても、あの子ども、何だったのかしら……」
変な子だったとアリスは回想する。突然話しかけてきて、「何をしているのか」なんて、普通は聞かない。誰がどう見ても、あれはただのおいかけっこでは無かったはずなのに。
「アリス、やっと追いついた……!」
アリスは、その声にびくりと体を震わせ、後ろを見た。そこに立っていたのは、シャツを着た少年だった。
「え!? なんでアンタ、追いかけて来たのよ! というか、どうやって追いかけてこれたのよ!」
「うーん、なんか、無我夢中で追いかけてたら、ついてきちゃった!」
マコトは汗をぬぐった。
「つ、ついてきちゃったって、アンタねぇ……」
「でも、アリスについてきて良かったよ……! その金の紙、アリスはゲームの参加者なんだね!」
マコトは、アリスの持つ紙を指差した。アリスの招待状は、きらりと輝いた。
「ええ、まあ、そうね。で、それがどうしたのかしら? 誰もが羨む夢のチケット、金の招待状。ゲーム世界の中の「GAME」の参加資格を持つ者にのみ与えられる限定アイテム。アンタみたいな子どもには10年早いわよ。渡さないわ」
「えーと……? あのね、これからどうすればいいのか、教えて欲しいんだけど……!」
マコトは自分のポケットから、アリスと同じ金色の招待状を取り出した。
☆
「はぁっ!? アンタ、もしかして手紙読んでないの!?」
アリスの声がマコトの耳に、キーンと響いた。
「だって、僕、説明書とか読むの苦手なんだもん」
「アンタって子はねぇ……! あれを読まないでYESに丸をつけたなんて……!」
アリスは苛立っているようだった。マコトは困りながら笑ってごまかした。
二人は、大通りから一本入った路地を歩く。人通りは少なく、何となく雰囲気も悪い。しかし、表の道を歩いてあの黒スーツに会うと厄介だと、アリスは嫌々ながらこの道を選んだ。マコトは何の疑問も無く、アリスの後に続きながら、アンダーグラウンドな雰囲気の路地裏に興味津々だった。
「そもそもGAMEって言うのはねぇ……」
「わあ、みてアリス。夜なのに花が咲いてるよ!」
「聞いてよ! ……って、あら、街中で見るのは珍しいわね。それはナイトフラワー、蜜には少し毒消しの効果が……うう、何で立ち止まってるのよ! 開会式、遅れちゃうじゃない!」
アリスはぷい、と歩き出す。マコトは花を摘んでポケットに押し込み、アリスを追った。
「ねえねえ、アリス。ここって、ゲームの世界なんだよね? ゲームの世界で、ゲームをするって、どういうこと?」
「どういうことも何も、そういうことよ。……GAMEをして、楽しむの」
「この世界にいる人全員がゲームの参加者なの? さっきの黒スーツたちも参加者?」
「まさか! アイツらはモブよ。招待状を持っている者は、選ばれたプレイヤーだけ。多分、今回のプレイヤーも1000人弱じゃないかしら。招待状を手に入れる方法は二つあってね。一つ目は、現実世界で招待の手紙を受け取ること。アンタはこの一つ目よ。招待の手紙を受け取ってYESに丸を付けると、現実世界からゲーム世界に飛んでこれるの。二つ目は、他人から招待状を奪うこと。招待状は、プレイヤーの証。他人から招待状を奪えば、参加権利を奪ったことになるのよ。例えば、さっきの黒スーツがアンタの招待状を取ったら、アンタはモブになって黒スーツがプレイヤーになるわ。気をつけなさい」
「なるほど……?」
「本当に理解しているの? 不安だわ……。いい、一度モブになったら、プレイヤーから招待状を奪うまでアンタはずっとモブなのよ。モブになったら、モブになった時点のステージに留まらなくちゃならないの。ここは第一ステージ。第一ステージにいたらGAMEをクリア出来ないし……あと、六大財宝が手に入らないわ」
「……なるほど」
マコトはしっかりとした口調だった。
「まあ、それだけわかっていればいいわね。開会式は、どうせ説明なんてあまりないし、開始宣言だけだろうから、本当は手紙を読むのが一番なんだけどね」
アリスが言いながら隣を見やると、そこに先ほどまでいたはずの少年の姿は無かった。代わりに、マコトはアリスから数歩後ろの行商の前でしゃがみこんでいた。行商は外套で顔を覆い、いかにも怪しげで薄汚い。少年はそんな彼と、笑顔で会話をしている。マコトはアリスの視線に気付くと、ぱあっと顔を明るくして、行商から受け取ったくすんだ金色の紙を掴みあげた。
「ねえ、みてみてアリス! 招待状が売ってるよ! いっぱい持っていれば、一個なくしても平気だよね!」
「なあっ!? そんなのレプリカに決まってるでしょうバカ!! 早く行くわよ!」
5.開始宣言
「えーではでは、これより、ゲームを開始いたしますのです」
噴水をぐるりと囲む大広場にて、「開始宣言」が行われた。何処からともなく、狼の遠吠えが響く。それに影響されたかのように、参加者たちは思い思いに叫んだり唸ったりして、これから始まるGAMEに気持ちを昂ぶらせた。
そんな中、普通の人間少年――東條マコトは、金髪マッシュルームの奇怪青年――運営部のクルリを、見上げ続けていた。
「ん? どうしたのです?」
ぐりん、と目玉がマコトを向く。
「い、いいえ!なんでもありませーん!」
咄嗟に応えたのは、焦った様子のアリスだった。えへへ、と誤魔化すように笑って、すぐにマコトに耳打ちをする。
「やめなさいよ……! 運営部に関わるなんて良いことないわ。気味悪いし、近づかない方が身の為よ……!」
「聞こえているのです、お嬢さん」
クルリは眉尻を下げた。アリスは彼から露骨に目を逸らした。
「まあいいでしょう。そういうのはもう、慣れているのです。さて、そこで私を見続ける少年は、一体どうしたのです? ワタシ、ここにいられる時間長くないのですが、そんなに見つめられると気になるのです。気になって帰れないのです」
クルリとマコトが視線を合わせる。合わせ続ける。マコトは暫くして、「凄いね」と呟いた。
「何が、です?」
「手品だよ。水の中から登場する手品。ちっとも見破れなかった。僕、そういうの得意なんだけどなあ……」
マコトは感心しながらも、不服そうな顔である。
「マジックって、絶対タネがある。でも、こんなに近くで見ていたのに、わからなかった。アリスはお金を掛けた機械だって言ったけれど、機械って感じじゃないし……。どうやってやったの?」
クルリはパチクリと目を瞬いて、小さい口で友好的に笑った。
「マジック、なのです」
マコトは首を傾げる。クルリも同じように首を傾げてみせた。
「ここは、ゲームの世界。貴方が今までいた世界とは違うのです。きっと、楽しい冒険が貴方を待っていると思いますよ、東條マコトさん。……ああ、ワタシは運営部ですので、名前の把握は朝飯前でございます。ワタシは朝飯抜き派なのですがね」
「……うんえいは、このゲームの世界のことを何でも知っているの?」
「なんでも全て、という訳では無いのです。管轄が違う所や、運営部でも関与出来ない部分はありますから。しかし、殆どは知っているハズです。それを貴方に教えることは出来ませんがね」
マコトは、唸りながら悩んだ。
「うんえい。例えば、『永遠の命』を手に入れるまで、どれくらいの時間が掛かるか、教えてもらえないかな……?」
「ふむ。六大財宝のアレですか。永遠の命は大変人気ですねぇ。攻略時間くらいなら教えても差し支え無いでしょう。こうして話しているのも何かの縁なのですし。……過去の参加者を分析。500回分のデータの取り出し。アクセス。平均を算出。……だいたい、5年くらいだと思います」
「ご、5年!?!?」
マコトの声が、広場に響いた。わらわらと移動を始めていた他の参加者たちが、その声に振り向いて立ち止まった。
「5年じゃ間に合わないよ!!!僕はどうしても!早く!永遠の命が必要なんだ!!!」
「はあ、そう言われましても……。最短記録は1年半ですが、難しいと思うのです」
「それでも間に合わないよっ!!」
「い、いきなりどうしちゃったの……? お、落ち着きなさいよ……!」
噴水に乗り出すマコトを、アリスがなだめる。しかし、マコトは涙目になりながら、クルリを怒鳴った。
「そんなのダメだよ!!だって、僕は、永遠の命を早く持って帰らなくっちゃダメなんだ……!」
困り顔のクルリは、マコトの言葉に「ふむ」と腕組みした。
「事情はわかりませんが、落ち着くのです。東條マコトさん。……貴方は『永遠の命』を、貴方の住んでいた現実世界に持って帰りたいのですか?」
「……そうだよ」
「現実世界に帰る際に、『こちらの世界に来たときの時刻に帰る』の項目を選べば、貴方の問題は解決出来そうですが……如何ですか?」
マコトは目元の涙を拭った。
「こちらの……?」
「はい。つまり、貴方がこの世界にいる限り、現実世界の時間は進まない、ということなのです。……あくまで貴方の認識上の話ですが、紛れもなくそういうことです」
クルリが言うと、マコトは安心したように息を吐いた。
「……本当?」
「運営部の言うことが嘘であったら困るのです。貴方の問題は解決されましたか?」
マコトはにっこり笑った。
「よかったぁ、安心した。ありがとう、うんえい」
「私の名前はクルリです。参加者様のお役に立てて嬉しい限りですが、安心している暇など、無いと思いますがね」
クルリは広場を見た。マコトもまた広場を見渡し、視線が自分に集まっていることに気づく。
「では、頑張ってください」
クルリの声にマコトが振り向くと、そこに彼の姿は無かった。
マコトは、会場の並々ならぬ空気を全身で感じ取る。敵意。負の好奇心。マコトは自分に向けられている視線の感情に、身震いした。
「あ、ありす……?」
「あんたバカね……。六大財宝はゲームの目玉。どれも一度のゲームに一点しか出現しないレア物なのよ。つまり、欲しい物がバレると、消される。ライバルを少なくする為にね」
マコトは、額に汗を流した。
「……どうして、僕の欲しいモノがバレたの……?」
「アンタがさっき叫んでいたからじゃない!!! あーあ、アンタはもう終わったと言っても過言では無いわ。武器も無し、装備も無し、ただの子供が、生き残れる訳なんてないもの……。このゲームでは、目立たないのが一番なのよ」
アリスはため息を吐いた。
「あっ! みなさーん! 私は仲間じゃ無いからねーっ!」
「アリス! 目立ってるよ!」
緊張感。噴水の前の女性と少年に、「誰が攻撃を仕掛けるのか」、心待ちにしているようだ。ある者は、今にも足を踏み出そうとし、ある者は、見物しようとし、また、ある者は……。
ぐるりと周りを敵に囲まれて、張り詰めた空気に晒される二人。
息の詰まりそうな雰囲気の中で、二人の前に、青髪の青年が現れた。
「よう、そこのガキ」
マコトたちに近寄るのは、青髪の青年。悪魔のような角に、悪魔のような尻尾が生えていて、それ以外は人間の姿だった。一見友好的とも思える表情で、青髪の青年は二人の前に立つ。
「俺の名前はユラシュリア・ブリガルッタ。……ユーリって呼んでくれ。お前は?」
「えっと……東條マコトだよ。ユーリ、その角って本物なの? 黒光りしていて綺麗だね」
名乗り合う二人。マコトは緊張しながらも、興味津々である。
しかし、ユーリはお構いなしに、突然その鋭い爪を、マコトにつきだした。
「っ!?」
マコトは何とかそれをかわす。鼻先を爪が掠めて、空気を切り裂いた。
「へえ、やるじゃん」
ユーリは感心する。攻撃が始まってから終わるまで、1秒も無かった。二人のやり取りを見ていたものは、攻撃が終わってからも、しばし呆気に取られていた。
「ただのガキって訳じゃ無さそうだな。まあ、この世界に外部から入ってくるヤツなんて、大抵普通じゃないけれど」
マコトとユーリは睨み合った。アリスは、唾を飲み込む。
「……コイツはきっと、もとからこの世界にいるモンスターだわ。プログラムよ」
「プログラムでも、参加者なの?」
「ええ、きっとプレイヤーから招待状を奪ったのね。気をつけて」
アリスに言われ、マコトは「何を気をつければいいんだろう」と心の中で考えた。
「よし、もう一発行くぜ。さっきの回避は、偶然かもしれねぇし」
マコトは身構える。
右か、左か。そして、あの角は本当に本物なのか。マコトは神経を集中させて、彼を見つめた。
――来る。
瞬間、マコトは、直感に従い、右足を踏み込んだ。
悪魔の右手が、マコトの左頬横をすり抜けた。
ユーリは驚きの表情で、マコトを見る。すると、
「危ないっ!」
マコトの口が動いて、ユーリは背後に気配を感じ、咄嗟に身を屈めた。ユーリの頭上を、矢が飛んでいく。
「……ありがとう。助かったぜ。戦いに水差す野暮野郎がいるなんて、思いもしなかった」
「ユーリ、凄い反射神経だね! 角もかっこいいし、尻尾触ってみたいなあ……!」
「お前こそ、とてつもない反応力と観察力だな。尻尾なら、後でいくらでも触らせてやるけど……その前に」
ユーリは矢の飛んできた方向を振り向く。
「アイツを、倒さないとな」
「……うん」
マコトとユーリの視線の先にいたのは、大量の武器を背負った大男。弓矢を背負い、棍棒を構える彼に、二人は構えのポーズを取った。
6,月と光
夜。街の中心の、大きな広場。
石畳の間に生える雑草が、緩やかな夜風に葉をなびかせる。噴水の水音。流水は、水面に移った美しい月を揺らし、キラキラと輝いた。
噴水の傍に立つ少年、東條マコトはゴクリと生唾を飲み込む。彼の隣の青髪悪魔青年は、にやりと微笑んでいた。彼らが見つめるのは、沢山の武器を背負った大男。腕に弓矢、背中に大きな棍棒を担ぎ、左右に双剣を携えた彼は、マコトたちを睨み付ける。
広場の人は皆、その3人に注目した。
緊迫した雰囲気。
広場の脇の本屋の店主は気まずさに耐え切れず、腕に抱くアコーディオンを焦って鳴らした。夜を包むように音色豊かな音楽が、広場にいる人々の耳に入る。店主の飼うクロネコは、彼の足元で毛づくろいを始めた。
「わしも、永遠の命が欲しいんだ。悪いな、小僧共」
大男の声はドスが効いていて、迫力のある低音だった。彼は、双剣を引き抜き、両手で構える。月明かりに、銀の刃がギラリと輝いた。
「でも、僕だって、欲しいよ?」
マコトは当然の如く、首を傾げて言い返す。ユーリはマコトを見て「面白な、お前」と微笑んだ。そんな三人の様子に、赤髪の女盗賊アリスは、冷や汗を流していた。
「ね、ねぇ、アンタたち、やめなさいよ。本当にあんなヤツとやり合うつもりなの? どう見てもアイツの方が強そうだわ。止めておいた方が良いと思うけれど……」
アリスの震え声。しかし、それは二人に届かずに、空中に消えた。アリスは不機嫌な顔をして、「どうなっても知らないんだから」と吐き捨て、ぷいと横を向いた。
マコトとユーリは更に身構える。体勢を低くし、二人は相手の動きを待った。響くアコーディオンの音。水音。美しい音たちが、静寂を彩る。
「来るね……!」
「ああ」
男は猫の鳴き声を皮切りにして、足を踏み込んだ。
近づいてくる大男。ユーリは素早く駆け出し、大男のスネに、蹴りを入れようと足を引いた。
「もらった!」
ユーリは喜びの声を出す。しかし、大男は飛び上がり、それを回避した。そのまま空中で一回ぐるんと回転し、双剣をユーリに突きたて落下する。
「デカイくせに、すばしっこいヤツだな……!」
ユーリは急いで飛び退き、彼と距離を取る。そのまま、間髪入れずに足を踏み込んで、大男に向かってすっ飛んだ。
アコーディオンのメロディーが、大きく、激しくなっていく。観客の見守る中で、二人の攻防が続く。次第に、周囲から野次や歓声が沸き起こって、広場はあっという間に盛り上がった。賭けを始めるシルクハットの男性や、興奮で酒ビンを投げ割る者。両者揺るがぬ戦闘。マコトはそれをキラキラとした目で見ていたが、その憧れの表情は、決意を持った笑顔に変わった。
「僕も、いかなきゃ!」
意気込むマコト。アリスはマコトを横目に見たが、すぐに顔をフイと逸らした。
マコトは戦いの中へと走り出す。観客のボルテージは最高潮に達して、少年の参戦を歓迎した。ユーリはマコト少年の姿を目の端で確認しながら、素早い右ストレートを大男に突き出した。
「くっ……!」
男はそれをガードして、後ろに飛ぶ。しかし、彼の着地点のすぐ背後に、マコトが立っていた。
「少年! いつの間に……!」
大男は着地する寸前に、マコトの存在に気づく。しかし、時は既に遅し。落下寸前に落ちる地点を変更することは出来ず、マコトの真ん前へと降り立った。
「攻撃!」
マコトは拳を握ったまま興奮気味に叫ぶと、前に立つ大男に、『膝カックン』をした。
「うおぉ!?」
大男が、体勢を崩す。
「ユーリ! お願い!」
「おう!」
ユーリは大男に近づいて、腹に蹴りを入れた。みぞおちに、クリーンヒット。男の呻き声。しかし、彼はそのまま地面に膝をつかずに、体勢を立て直して、背後のマコトに狙いを定めた。
「小賢しい小僧め……!」
振り上げられる双剣。絶体絶命のピンチのはずなのに、マコトは笑って、叫ぶ。
「くらえ!」
そう言って、マコトは拳の中に握ったモノを投げた。それは、液体――噴水の水である。水滴は宙を舞い、ガス灯のオレンジを受けて、煌めいた。音楽はクライマックスに突入する。
「!?!?」
男の顔に、目に、水が掛かる。突然の謎の攻撃に、大男は声にならない声を出し、目を白黒させた。その隙を逃さず、ユーリは彼の背に思い切り蹴りを入れる。大男は今度こそ前に体勢を崩し、そしてそのまま、倒れ込んだ。
ドスン、と重たい音がして、広場は静かになる。
ユーリとマコトは、倒れた彼を見たあと、顔を見合わせて、無言のままハイタッチした。
「それじゃ、仕上げだな」
「仕上げ?」
マコトが、悪魔の青年に問う。彼は少年の質問に答えることなく、大男の傍で、足を上げた。
「こういうこと……っと」
青年は、大男の頭に向かって、かかとを振り落とす。
アコーディオンが、最後のワンフレーズを、高らかに奏でた。
ぐしゃり、と鈍い音がして、男の頭部が破壊される。熟れたトマトのような中身が、だらんと溶け出す。戦闘に釘付けになっていた会場の誰もが、即座にその光景から目を逸らした。
「最ッ悪……」
呟いたのは、アリスだ。顔をしかめ、額に手を当て、目を隠す。あまりに、惨い。地獄の罪人すら、もう少しマシに扱われることだろう。しかし、そんな状況にも関わらず、ただ一人マコトだけは、倒れる大男を見つめ続けていた。まるで、「この後どうなるのかを、楽しみにしている」かのように――。
「……あっ! 頭が光りだした……!」
大男の変化に、マコトはいち早く声を出す。
「ユーリ! 黄色く光っているよ!」
「ああ、そうだな」
ユーリは、黄色く輝く大男の傍にしゃがんだ。
「……感激に水を差すようだが、何も珍しいことじゃない。現実世界に送り返されるだけだ。コイツは外部からこの世界に来た人間だったらしいな」
男から出た黄色い光は、蛍のように空へ向かって、ふわりふわりと舞い上がっていく。マコトはその光を見上げて見送り、首を傾げた。
「……この人、死んじゃったの?」
「彼は、元の世界に帰っただけよ」
返事をしたのは女性の声。アリスが髪をかきあげながら、二人に近づいた。
「人間はゲームの世界の中で死んでも、現実では生き続けるわ。……もう二度と、この世界に戻って来られなくなるけれどね」
ユーリはアリスを横目に見て、マコトに話しかける。
「つまり、あくまでこの世界の中で『死んだ』ことになるってことだ。外部の人間はここで生きていながら、現実の世界にも確かに存在しているからな」
現実へと送還される大男。全身が光に変わり、空に昇って消えた。石畳には彼の血痕すら無く、彼がこの世界にいた痕跡さえも、全て消滅したかのようである。
マコトは男がいたはずの石畳を見つめて、空を見上げて、満月を見た。
「コレが現実世界に帰る唯一の方法なのよ」
アリスもまた、空を見上げた。深刻な表情で、いつか自分も彼と同じ蛍になるのだと、覚悟を決めた顔だった。
広場の人々は徐々に解散し始め、辺りは広場らしい喧騒を取り戻す。
陽気なアコーディオンの音。何処からかピザの匂いが漂い、店のドアベルの音が、嬉しそうに客を呼び入れていた。
その中で、止まったままの3人。
「……なあ、マコト」
無言の中、口を開いたのは、しゃがんだままのユーリだった。
「うん、なに?」
月を眺めていたマコトは、ユーリに視線を落とした。キラキラした子供らしい瞳に、ユーリは思わず微笑んで、尻尾をくね、と動かした。
「この先、一緒に行かないか?」
その言葉にマコトは、ぱあ、と顔を明るくする。
「うんっ!」
即座に発せられた、元気な返事。その声は、ただひたすらに好奇心と、世界への期待に満ちていた。月も、星も、空も、現実世界と変わらない。その下で、この世界では死すらも不思議である。
悪魔の青年、ユーリは立ち上がって、マコトに右手を差し出した。マコトも右手を差し出し、二人は固く握手をする。
「よろしくね、ユーリ!」
マコトはやはり、屈託の無い子供の笑顔だった。
7.夜道
森。生い茂った木々。
森を裂いて延びる、幅広の一本道。月は、夜道を照らすという自らの役割を知っているかのように、明るく丸く輝いていた。
「ねぇ、やっぱり戻りましょうよ……」
道を行く3人は、中学生と、悪魔と、盗賊という異様な組み合わせである。土を踏む音に混じって、赤髪の女――アリス・ルージュは、弱々しい声を上げた。
「夜道を歩くより、街で宿を探した方が良いと思うわ……」
「大丈夫だよ、アリス!」
マコトは、闇夜に笑顔を輝かせる。アリスは少年の笑顔に、一瞬だけ闇への恐怖を忘れたが、すぐに「大丈夫な根拠なんてないでしょ」と、口を尖らせた。
「全く、どうして男の人ってせっかちなのかしら……。もっと計画的に、堅実に進むべきだと思うんだけれど……」
小声で、アリスは呟きながら歩く。一行が街を出たのは、10分前のことであった。
『早速いこうよ!』
『ああ、そうだな!』
そんな勢いで足を踏み出した男二人には、アリスの制止の声など届かなかった。仕方なく小言を発しながら、アリスはマコトとユーリの後に続く。
「こんなところ、夜に歩くような道じゃないわよ……。第一、まずは街で情報収集が鉄則じゃないの……?」
「そんなに言うなら、お前は街に残れば良かっただろ」
ユーリが歩きながら、あくびをする。
「別に一緒に来て欲しいなんて、頼んでねぇし。嫌なら帰れよ」
「なっ……!」
アリスは足を止める。マコトはアリスを振り返って立ち止まり、ユーリも立ち止まって、彼女を見た。
「じゃあな、また何処かで会おうぜ」
「アンタね……!」
彼女に構わず、歩き出そうとするユーリ。その後ろ姿に、アリスは両手を握りしめて、わなわなと肩を震わせた。
「私がいなかったら、アンタ達が何をするかわからないじゃない! 私はいざというときに、二人を止める役なの!」
「マコト。あの女はきっと、夜道を一人で帰るのが怖いだけだぜ」
「そうなの?」
彼に聞き返すマコト。ユーリは自信満々に頷いた。
その直後。
「フハハハハ!」
冗談みたいな笑い声が、森に響いた。ざわ、と、木々に風が吹き抜ける。闇に揺れる草木は、まるで大きな怪物のように、大手を振った。
「な、何よ……! なんだか気味が悪い笑い声ね……」
「アリス! あっちだよ!」
マコトはアリスの背後を指差した。マコトの視線の先――今三人が通ってきた道に、三つの黒い人影があった。
「何よ……あれ」
異様な人影。一人には小さな角が付いていて、一人には短い耳がはえていて、あとの一人は、ふっくらと綿のような体をしていた。目だけギラギラ輝かせて、他は輪郭しか見えない3人組は、死の使者のようである。
マコトたちは、その場に固まって、近づいてくる彼らを観察する。対する不思議な三人組は、足音を揃えて、どんどん進んで、近づいてきていた。
「マコト、シルエットクイズだぜ。何に見える?」
「うーん、えーっと……」
ユーリの問いに、マコトは目を丸くしたり、細くしたりして、彼らの姿を懸命に見た。
「えっと、牛と、豚と、鶏かな……?」
「はぁっ!? アンタ、何言ってるのよ!」
マコトの回答に、アリスは即座に反応する。
「そんなこと、あるわけないじゃない!」
二足歩行の影が、月夜に浮かび上がる。ざっ、ざっ、と土を踏む音。次第に、薄ぼんやりと姿を現した所で、その謎の一行は停止した。
3人と3人が、互いに色を認識出来る距離。マコトは相手の姿を下から上まで見て、興奮気味に目を煌めかせた。
「ほらね! やっぱりそうだよ!」
角。金の鼻輪に、白黒の体。
丸鼻、小さいしっぽに、ピンク肌。
くちばし。羽毛。そして、赤い鶏冠。
「動物だ! 牛人間と、豚人間と、鶏人間!」
二足歩行の奇妙な動物。マコトは変わった彼らをじっくり観察しながら、一歩ずつ引き寄せられるように歩き、3匹に近づいていった。
「待ちなさい、馬鹿」
そろりと歩くマコトの前に、アリスが制止の手を出した。マコトの胸の前に出された手のひら。
「どうして?」
「考えても見なさい、あんな怪しい奴らに近づいたら危険だわ。敵かも知れないでしょう?」
アリスが怒り気味に言うと、マコトはきょとんとした後、「そっか……!」と納得を示した。
「それにしても、突然現れて、何のようかしら?」
アリスが目を吊り上げながら、3匹に問う。3匹は顔を見合わせ、牛人間が、一歩前に出た。
「招待状、欲シイ」
牛人間は、ドスの効いた低い声で、牛が唸るように話す。アリスは腰の剣を抜いた。金色の剣の柄の煌びやかな装飾が、月夜に輝く。
「へえ、アンタたち、さてはモブね?」
「一人ズツ、戦ウ。負ケタラ、招待状渡ス。動物、足速イ。オマエラ、逃ゲラレナイ」
牛人間は、身振り手振りを交えて説明をする。アリスはため息を吐いて、構えを緩めた。
「3対3ですって。あなた達、どれとやりたい?」
髪をかき上げるアリスは、マコトの目に、気怠そうに映った。
「どうせプログラミングのモブよ。さっさと済まして、宿でも探しましょう」
「じゃあ、俺は鶏とやりたいぜ! 鶏肉好きだし」
ユーリはにやりと笑う。
「私も鶏がいいわ! 一番弱そうだし、私だって鶏肉好きだし……!」
「この動物って、食べられるの?」
そんなやり取りをしている横で、鶏人間がわなわなと震える。
「まあ、確かにオマエは弱そうだから、一番弱そうな相手がお似合いかもな」
「はあ!? なんですって! 私はアンタたちと違って慎重なの。体力は来るべき大戦闘に備えてとっておく主義なの……!」
「『アンタたち』って、もしかして、僕も入ってるのかな……!」
「コケーッ!」
3人がやり取りをする横で、怒ったように羽を広げる鶏人間。ばさ、と羽ばたくと、ふわりと白い羽毛が舞った。そして、そのまま、鶏人間は、口論の中に突撃していく。目指すは、アリスである。
「大体アンタたちはさっきも……!」
「コケッ!」
鶏人間は、アリスに嘴を突き出した。
「ああもう! うるさいわね! 私は今、真剣な話をしているの!」
アリスは手に持った剣の切先を、鶏の嘴の中に入れた。鶏人間は足を止める。一瞬時間が静止したかのように空白があって、静寂の中で、鶏は『まずい』という顔をした。
「大人しく退かないと、舌を切るわよ」
「おお……」
アリスの気迫ある様に感嘆の声を漏らしたのは、意外にもユーリであった。マコトは笑顔で、アリスを応援するように、両手の拳を握り締めていた。
「アリス、かっこいいー!」
鶏人間は、汗腺も無いのに汗を流した。アリスは凄んだまま、目線を移して牛人間を見た。
「ああ、思い出したわ。ウシ人間の鼻輪って、確か貴金属よね……?」
「ンモ!?」
アリスの目の奥が、キラリと獲物を狙うように光る。牛人間もまた、アリスの表情に、たらりと額に汗を流した。
「私、金が好きなのよね……。頂いちゃおうかしら……」
不気味な笑顔を浮かべるアリスは、まさに女盗賊といった様子だ。闇夜に彼女の赤い眼が、二つ並んで輝いている。
ユーリとマコトは目を見合わせて、ぱちくりと瞬きをした。夜道を恐れていた彼女とは、打って変わって生き生きとした姿。闇に吹き抜ける夜風が、彼女の燃えるような赤髪をひらひらと揺らした。
「ふふ……出来るだけ金を傷つけないように……、まずはやっぱり息の根を……」
ぶつぶつと呟くのは、先までの弱音でも愚痴でもない。自分の趣味への欲求を満たすために、頭をぐるぐる回して、漏れでた言葉である。マコトはそんな様子の彼女を見て、楽しそうに微笑んでいた。
「アリスって面白いね! 普通の人間じゃない……!」
「それは……褒めているのか?」
首を傾げるユーリ。そんな二人のやりとりも、今のアリスの耳には入らないようだ。
「豚人間は……たしか心臓に真珠があるわよね……。綺麗で大粒な真珠……。ふふ、ふふふ……」
「ブィ!?」
豚人間が、丸まった尻尾をピンと伸ばす。目を合わせた牛と豚。彼らは共に、最悪の悲劇を思い浮かべた。彼女に捕まってしまったら、牛は鼻輪を千切り取られ、豚は心臓の中身を取り出されるだろうーー。
ぶるっ、と身震いする二匹。
「ブィイイ!!」
「ンモォオオオ!」
高らかに叫んだかと思うと、牛と豚は鶏人間に駆け寄って首根っこを掴んだ。
「コケ!?」
「ンモォーー!」
「あっ! こら、待ちなさい!」
二匹は、街の方向へと足を蹴った。二足歩行で姿勢良く走る二匹と、引きずられる鶏は、口を開けたままである。流石に獣の足は早く、そこに命の危機も相まって、超速ダッシュで道を駆けて行った。
「待ちなさーい!!」
アリスは大声で叫ぶ。しかし、彼らのあまりの早さに追うのは諦めて、悔しそうに小さく舌打ちをした。
「折角なら、鶏の目玉だけでも頂いておけば良かったわ。アレは磨けば高級な宝石に……」
ぶつぶつと呟くアリス。ユーリは少し微笑んで、わざとらしくあくびをした。
「さて、進もうぜ。流石に日が昇る前に、仮眠が取りたいしさ」
アリスに背を向け、歩き出すユーリ。
「ユーリ! 待って!」
ユーリを呼び止めたのは、マコトだった。マコトは辺りをきょろきょろしながら、腕組みしていた。
「どうした?」
足を止めたユーリは、マコトに近づく。マコトはアリスを見て、うーん、と唸った。
「ねえ、アリス。その位置から、3歩進んで見て!」
「? なによ、いきなり」
「良いから!」
アリスは言われるがままに、3歩進んだ。アリスの髪が、風に揺れる。
「あ! 行き過ぎかも……! 1歩戻って!」
「もう、なんでよ……」
アリスは文句を言いながら、一歩後ろに下がる。
「そこだ!」
「あーなるほど」
ユーリはアリスを観察する。アリスの髪が、風にはためいていた。
「良く気づいたな。今あの女が立っている位置だけ、風の流れが違う」
「風の流れ?」
アリスは周りを見て、首を傾げた。
「髪の揺れ方が違うだろ。さっきは前から吹いていたのに、そこだけ風が渦巻いているみたいだな。本当に些細な違いだけど……。マコト、良く気づいたな」
マコトはにっこり笑って、道端の草に駆け寄った。草をかき分けて見れば、そこには森の奥に続く細道が伸びている。
「隠れた道路って、最高にわくわくするよね! 行ってみようよ!」
「おう!」
元気よく返事をしたのは、ユーリだけであった。
8.不思議な小屋
細い獣道に、3つの足音。
道の左右は、どこまでも生い茂る草木に囲まれて、闇夜が広がっている。葉が風に揺れる様は、まるで生き物のようだ。
辺りに響くフクロウの鳴き声は、魂を震わせるように低く、重たい音。マコトはその鳴き真似をして、フクロウと意味のわからぬ交信していた。
「ほーう、ほう……? あれ、違うかな。ボーボゥ、ホウホウ」
「違うだろ。さっきのはヴォーォウ、ヴォウヴォッって感じだな」
「えー? そんなにデスボイスかなぁ……?」
マコトとユーリは、歩きながらフクロウの真似をした。
「ボウボウ」
「ヴォー」
「ボ?」
「ヴォウ!」
「わかったわ! 私、もう戻りたいとか、帰りたいとか言わないから、その変な鳴き真似をやめてくれないかしら……!」
アリスは、辺りをキョロキョロと見回しながら、不機嫌そうに言った。マコトが木の枝を踏むと、パチンと音が鳴る。アリスは「ひっ」と小さな声を上げて、急いで腰の剣に手を掛けた。
「アリスは、怖がりなんだね!」
「うっ、うるさいわね! 当然の自衛よ! まったく、こんな道、いつまで続くかわからないのに入ってきちゃって……!」
アリスが、文句を言い出そうとした時。ユーリが、前方を指さした。
「お。終わりが見えたぜ」
彼の視線の先、進行方向の向こうに、小屋が現れた。赤い屋根に、煙突。小屋の脇に、切り株と斧が置いてある。玄関ランプに照らし出される、木製の扉。窓からオレンジ色の光が漏れでていて、中からは、ハーモニカの音が聞こえた。
「絵本の家みたい……!」
マコトが、感動の感想を漏らした。
「きっと宿だわ……! 泊めてもらいましょう!」
アリスが、明るい声音で提案する。少女のように目を輝かせ、彼女の様子はまるでお菓子のお家でも発見したかのようだった。
いくわよ、と走り出すアリス。マコトも、その後に続いて走った。
「こんばんはー! 泊めて貰いたいんだけれど!」
アリスが、扉をノックする。しかし、返事は無い。
「こ、こんばんはー!」
「開いてるよ」
中から、男性の声が応答した。アリスとマコトは、目を見合わせる。
「返事だね! 入っていいって意味だよね!」
「ええ、そうね!」
アリスは華奢なドアノブに手を掛けた。ウキウキしながら、ドアを引く。アリスは、ベッドの存在を期待して。マコトは、未知に興奮しながら。
暗闇に一筋の光ができて、扉が開く。アリスとマコトは、目を細めた――。
カチャ。
一歩足を踏み入れると、二人の耳元で、音。
アリスはその音が、「自分に銃口を向けられた音」であると、瞬時に気づいた。しかし、自らの腰の剣に手を伸ばすのも間に合わない。こめかみに銃口を当てられて、空気が止まる。アリスは、すぐに横目でマコトを見た。マコトも同じように銃を突きつけられていた。
ドアが、バタンと閉まる。
目が慣れてきて、小屋の中を見れば、その内装は「バー」とでも言うべき様子だった。すぐ正面に、木製のカウンターと、酒瓶が並べられた棚。薄暗くて、シックな雰囲気のバーカウンターに、マスターが一人。椅子に座る客は3人。しかし、その者たちは、アリスとマコトに何の気も向けずに、酒を飲んだり、ハーモニカを吹いていたりした。
「罠……?」
アリスは、呟いた。
「森に迷い込んだ人間を、ここで待ち構えているって訳かしら。とんでも無いクモに捕まったものね」
アリスは挑戦的な表情で、マスターらしき男を睨んだ。ヒゲを蓄えた男性。目元のシワが、ランプの薄明かりの中でもわかった。
――さて、どうしようかしら。
アリスはもう一度、状況を確認した。自分に銃を向けているのは、若いバーテンダー風の男。ここの雰囲気と、良く合っている。推定年齢26歳。両手で銃を構える彼の姿には、どこかぎこちなさがあった。
――この男なら、私は何とか勝てそうね。問題は、マコトの方。
アリスがもう一度マコトを見る。両手を上げて、既に「降参」のポーズをするマコトは、ただの無防備な中学生。きょとんとした表情で、自分に銃を構える男の事を見ていた。
――マコトに銃を向けている男は、ちょっと強そうだわ。逃げられるとしても、きっと私だけ……。どうしようかしら。
冷静に分析しながらも、アリスは額に汗を流した。緊迫した状況。ハーモニカの音が、耳障りである。
バーのマスターは、そんな空気にもお構いなしに、カクテルを作り始めた。彼がシェイカーに酒を入れると、ハーモニカを吹いていた少女は、音を止めた。
慣れた手つきで、シェイカーのキャップが閉められる。両手で構えて振れば、カチカチ、シャカシャカと氷の音。それ以外に、この空間は静寂。呼吸の音さえ、聞こえない。
振り終えて、キャップが開かれる。完全な静けさ。しかし、その静寂は、窓ガラスの割れる音に破られた。
「っ……!?」
銃を構えていた二人の男性の気が、一瞬緩む。張り詰められた空気の、隙間。アリスはそれを見逃さずに、瞬時にマコトの腕を掴んだ。それに反応するかのように、二人の背後のドアが勝手に開く。アリスは扉の裏に小屋の外に身を引いた。同時に剣に手を掛けて、臨戦態勢。開け放たれた扉の向こうで、銃を構え直す二人の男。
アリスは玄関前で静止した。
「アリス……! すごい!」
マコトが、感嘆混じりに彼女の名を呼ぶ。
「黙ってなさい」
状況は、変わっていないに等しい。少し、距離を取ったアリスだが、弾丸のスピードの前では、意味の無いことである。
――もう、動けない……!
アリスは下唇を噛んだ。剣を握り締める手に、力が入る。
「こうなったらイチかバチか……」
そのアリスの声と被るように、マコトにとって聞き覚えのある声がした。
「ったく、一つ貸しだからな」
マコトは声の方向を見る。割れた窓ガラスと、揺れるレースのカーテン。マコトの視線に誘導されるように、銃を持った男がチラリと窓を横目で見る。
その瞬間、もう一度窓の割れる音が大きく響いた。今度は、先程割れた窓とは反対側の窓が砕け散る。
「ユーリ……!」
割れた窓から、青髪の悪魔が小屋の中に飛び入る。銃を持った男はすぐにユーリへ銃口を向けるが、ユーリは一足飛びにバーのマスター目掛けて駆け出した。
響く銃口。壁一面に並べられた酒瓶が割れる音。動じないマスター。無関心なバーの客が、グラスに入ったウィスキーを回す。
ユーリはバーカウンターに飛び乗って、マスターの喉元に爪の先を突き立てた。ぎらり、と悪魔の青い目が光る。銃を構えていた男たちは、マスターを人質に取られたことで、何も出来ずに固まった。
「銃を下ろしなさい、二人共」
バーのマスターが、声を発した。悪魔に命を脅かされているのに、少しも気にしていないらしいマスターは、真っ赤なカクテルを逆三角形のグラスに注ぐ。
「なかなか良い3人組ですね。皆さん目がギラギラ……失礼。キラキラしております」
「雑談なんて結構よ。一体これはどういうつもりなのかしら」
アリスは、彼に反抗の眼差しを向けた。
「そんな顔をなさらないでください。何も、我々は貴方たちを殺そうなんて思っちゃいません。何かを奪おうとしている訳でもありません。しかし、ここは、選ばれた人のみが入れる場所でございます。貴方たちに、その資格があるか、確認がしたいのです。ただ、それだけです」
「確認……?」
「はい。招待状はお持ちでございますか?」
アリスは、沈黙する。その隣で、マコトは、はっ、と気づいた顔をして、自身のポケットを探り始めた。
「……何してるのよ」
怪訝な顔をするアリス。
「えーと、招待状だよね。もしかして、金の招待状のことかなって思って……。あった!」
マコトはポケットから、金色の招待状を取り出した。
「馬鹿……!」
アリスが、マコトの招待状に手を伸ばす。しかし、アリスがマコトの招待状を掴む前に、先程までマコトに銃を突きつけていた男の手が、マコトの招待状を掠め取った。
「あっ!」
「何してんのよ! 招待状を出したら、取られちゃうに決まっているでしょう!?」
怒鳴るアリス。バーのマスターは、目にシワを寄せて微笑んだ。
「坊や、お嬢さんの言う通りですよ」
「うん! でも、僕はもう一枚持ってるからさ!」
マコトは言って、二枚目の招待状をポケットから出した。バーのカウンターに座る客全員が、振り向いてマコトのことを見る。招待状を二枚持っているなど、普通では有り得ないことだ。それなのに、アリスがマコトの手を確認すると、そこには、確かに金色の招待状が握られていた。
「もしかして……!」
アリスは言いながら、バーテンダーの男が持つ招待状を見た。それは、マコトが行商から買った「ボロボロの偽物招待状」だった。
「ふむ、見た目で人は判断出来ないと言いますが、まさしく、坊やに相応しい言葉でしょう」
「えへへ、良くわかんないけど、ありがと!」
マコトは、照れ笑いをする。そこには、緊張感など無い、男の子の笑顔があった。
「確かに、『招待状』を確認致しました。坊やには、入店資格があります。ほら、ファースト、お返ししなさい」
マスターが穏やかな調子で言うと、ファーストと呼ばれた男は、マコトにボロボロの招待状を渡した。マコトはありがと、と笑って、それを受け取った。
「さて、お嬢さんは如何ですか?」
「……あるわよ」
ファーストがマコトに招待状を返却する様子を見て、アリスも自分の腰ポケットから、チラリと招待状を覗かせた。努めて慎重に、奪われないように警戒しながら、招待状を見せるアリス。マスターは「確かに」と頷いた。
「さて、では、青髪の貴方は?」
マスターは、カウンターの上に飛び乗ったままのユーリに優しく微笑んだ。ユーリは自分の靴の中に手を入れて、クシャクシャになった招待状を取り出す。
「何だか、凄い小屋に入っちゃったな。窓ガラスを割って悪かった」
「構いませんよ、良くあることです。さて、皆様、入店可能のようですね。では、ファースト、セカンド、ご案内しなさい」
マスターの言葉に従う男たち。二人に案内され、アリスは怪訝な顔をしながら、マコトは笑顔で、ユーリは辺りを見回しながらカウンターを飛び降り、全員カウンター席に座った。
「何をお作りしましょう?」
「なんでも良いわ。私たちは、お酒を飲みに来たんじゃないの」
アリスは、鋭い目つきでマスターを睨む。マコトはアリスの放つ雰囲気に、生唾を飲んだ。
「私たちは……宿を、探しているのよ!」
「まだ諦めて無かったのか」
ユーリが呟いた。マスターはグラスを磨きながら、にっこりと笑う。
「奥が客室になっていますから、どうぞお使いくださいませ」
「わかったわ。いくら必要?」
アリスは、腰の麻袋を手に取って、カウンターの上に置いた。じゃらり、とコインの音が重く響く。きっと、それなりにお金が入っているのだろう。
「お代金は、頂いておりません」
「あら、そうなの? じゃあ、何か一杯頂こうかしら」
アリスが言うと、マスターは「かしこまりました」と頭を下げた。
マコトは、店内を観察する。一つ席をはさんで座る少女は、マコトの妹・静と同じくらいの年齢に見えた。ハーモニカを木製のカウンターに置き、ストローでオレンジジュースを啜っている。
「こんばんは」
マコトは、彼女に声を掛けてみた。少女は黙ったまま、マコトをじっと見つめる。黄色の瞳、銀色の髪。不思議な雰囲気の少女は、黒いローブを纏っている。マコトは彼女を、魔法使いのようだと思った。
「君も、ゲームの参加者なんだね。まだ、小さいのに」
マコトが言うと、少女はオレンジジュースを持ったまま首を動かし、マコトを見た。
「たぶん、そんなに、年齢、かわらないと、思う」
少女の口調には、少しだけ対抗心が混じっていた。
「名前は? 僕は東條マコトだよ」
「わたしは、かめら」
「カメラ?」
「うん。『暗箱』って書いて、かめら」
不思議な名前だ。マコトの同級生にも、こういう類の不思議な名前は何人かいたけれど、それにしても変わっている。カメラは両手でオレンジジュースを手にし、ちゅうちゅうとストローを吸っていた。不健康そうな、色白い肌は、マコトに妹のことを連想させた。
「カメラは、僕の妹に似てる」
「そう」
「どうして君は、ここにいるの? お酒、飲めないのに」
質問してから、マコトは「自分もそうだけど」と心の中で付け足しした。マコトが、ここに来た理由は、アリスの後に着いてきたということと、好奇心である。この小屋は、普通の小屋では無い。正規ルートから外れた、招待状制の小屋だ。
「あたしの、きた理由。ここは、六大財宝の、じょうほうを教えてくれる、ばしょだから」
カメラは、ゆっくり瞬きをした。マコトは、驚いた顔をしていた。
「財宝の、情報……?」
「うん」
かめらは、こくんと頷く。
「へえ、面白そうな話をしてるじゃない」
アリスが、マコトの肩に手を掛けた。お酒片手に、顔を赤らめているアリスは、上機嫌な様子である。
「このお店、財宝の情報を、教えてくれるのね?」
「カメラはそう言ったよ」
「うん。でも、高いの。あたし、そんなにお金、持ってなくて」
マコトの肩に手を掛けながら、アリスは、にんまりと笑った。ふふ、ふふ、と不気味な笑顔を浮かべるアリスに、マコトは、少し恐怖を感じる。
アリスは、グラスをカウンターに置き、堂々と腕組みをした。
「マスター、情報を売ってちょうだい!」
自信満々に、言い放つ彼女。
「金なら、あるわよ!」
9.宝石と武器
9
月は空高く上り、深夜である。
3人は、小屋を出て、森の中を歩いていた。先頭を行くアリスは、ずかずかと獣道を行く。
「ねえ、アリス。戻ろうよ……!」
「マコトの言う通りだ。やっと寝床を見つけたんだから、引き返そうぜ」
マコトとユーリは、アリスの後に続く。アリスは鼻息荒く、肩をいからせながら歩き続けていた。
「あんな場所、誰がのこのこ戻るモンですか! このエメラルドの宝飾工芸『ツレカエル』の良さがわからない奴らとなんか、同じ空間に居たくないわ! お金なんかより、よっぽど価値があるのよ! それなのに、どうして情報を売ってくれないのよ……!」
アリスの手には、宝石でできたカエルの置物が握られていて、月光を受けキラリと光っていた。ぴた、と立ち止まって、恍惚とカエルを見つめるアリスに、ユーリとマコトはヒソヒソと会話をする。
「マコト、お前にはあのカエルの価値が、わかるか?」
「ううん。綺麗だとは思うけど……」
「だよな、良かった」
再び歩き出したアリスの後を、二人は追った。
「ツレカエル。総エメラルドのオブジェ。目は左右1.5カラットのダイヤモンド。かの有名なマルーガウォット社の限定モノよ……!」
アリスは、『六大財宝の情報の購入』に、失敗した。麻袋の金を渡しても、「足りない」と言われ、置物を差し出しても、「価値がわからない」と突き返されたのだ。自信満々だったアリスは、カエルを否定されたショックで激昂し、すぐに小屋を飛び出した。
「どこに行くの、アリス……!」
「街よ! きちんと価値のわかる人間に買い取ってもらうわ! 金にすれば、文句もないんでしょう!?」
「まじかよ……」
結局3人は、始まりの街に立っていた。
「戻ってきちゃったね……」
深夜の街は、人通りが少ない。それでも、お店からは光が漏れていて、楽しげな笑い声が響いていた。街角に座る男性が、葉巻から紫煙をくゆらせる。煙は天に上り、ふわふわと消えていった。
「確か、この道の奥にお店があったと思うんだけど……」
「随分と、不気味な場所だな……」
大通りから離れた小道で、運河の橋を渡る。黒い水面に映った月が、揺れていた。猫の喧嘩。左右を壁に囲まれた細路地で、アリスは、「あった」と声を出した。
「ここよ、ここの店!」
茶色い看板はボロボロに朽ちている。そこには宝石の絵が描かれていたらしいが、塗装が剥がれてイマイチ良くわからなくなっていた。アリスは躊躇いなく、店の扉を開ける。ドアベルの代わりに、ギィ、と木の鳴く音がして、マコトの背筋はぞくりと震えた。
「一つ、見てもらいたんだけれど」
店内は、店内と呼んでいいのかわからない程に陰気な場所。乱雑に置かれた家具たち。看板は宝石屋をうたっていたのに、この空間に宝石は無く、チェストが倒れていたり、ベル式の電話が床に投げ捨てられていたり、絨毯が立てかけてあったり……とにかく、埃っぽくてジメジメして、暗い場所だった。
数時間前、夜道を恐れていたアリスは、陰気な雰囲気の店の中を、ずんずんと奥に進んでいく。部屋の奥でオレンジ色の灯火に照らされているのは、老人。ヒゲを蓄え、モノクルを掛けて、新聞を読みながら、ロッキングチェアに座っていた。
「見ればわかると思うけれど、マルーガウォット社の限定モノよ」
アリスは、老人の横の小さな丸テーブルに、ツレカエルを置いた。老人はそれを、無造作に、機械的に手に取って、蝋燭の光にかざした。
老人の瞳孔が、閉じたり開いたりする。機械でも埋め込まれているかのような眼球の動き。エメラルドのカエルは、キラキラと輝いて、自分の美しさを主張していた。アリスは腕組みをして、老人の査定を待つ。マコトとユーリも、その様子を緊張しながら見守る。部屋の中には、時計の音さえ無い。
しばらくすると、老人は机の上にカエルを置き直した。そして、体を屈め、椅子の下に手を入れる。ずる、と音がして、引き出されたのは、手のひら程の大きさの麻袋だった。中から、黄金色が見えている。
「すげぇな……」
ユーリが、思わず感嘆を漏らす。
「凄く、綺麗な金色だね」
「ああ。あんな上質な金貨、中々お目に掛かれないぜ」
アリスはその麻袋を受け取って、中を確認した。袋の底まで、きちんと金貨が詰まっていることを確かめると、頷いて、ため息をつく。
「まあ、いいわ。さっ、行きましょ」
アリスは麻袋を、腰のベルトにくくりつけた。キラリと輝く金ベルト。老人は最後まで、一言も話さなかった。
ギィ、と扉が音を立てる。宝石屋から出た3人は、その場で立ち止まって月を見上げた。
「さて、私はこれから、金貨を増やすために、もう二店舗だけ宝石屋を回ろうと思うけど……あんたたちも、来る?」
「俺はいいや。少し、街をウロウロ散歩するぜ」
ユーリは、肩をぐっと伸ばした。
「じゃあ、1時間後に大広場の噴水前で会いましょう。あんたはどうする?」
アリスは、マコトを見る。不気味な雰囲気の宝石屋も楽しそうだが、ユーリと一緒に街探検をするのも、楽しそうである。マコトは、ユーリとアリスの顔を交互に見て、頷いた。
「じゃあ、ユーリと一緒に行くことにする! また後でね、アリス!」
「そう。まあ、せいぜい迷子にならないことね」
子供をあやすかのように、アリスは言った。マコトが元気よく返事をすると、アリスは先ほど受け取った麻袋の中から、金貨を一枚取り出して、マコトに差し出した。
「?」
「好きに使いなさい」
「いいの!?」
「おおっ……! 女神の施しだな……!」
ユーリが言うと、アリスはにこりと笑った。
「あら、あんた、悪魔のくせに、私のことを『女神』と呼ぶだなんて、中々見る目があるじゃない。そうよ。私の偉大さが、わかったかしら。だてに宝石をジャラジャラさせて無いのよ!」
アリスは機嫌良く、ユーリにも金貨を渡した。
「やけに気前いいな……」
「きっと、お酒が入っているからだよ……!」
るんるんと、細路地に消えていくアリス。ユーリとマコトは、その後ろ姿を少し心配しながら見送った。
「ねえ、ユーリ! どこに行くの?」
アリスの姿が消えると、マコトは表情をくるんと変えて、きらきらの瞳でユーリを見上げた。ユーリは尻尾をクネクネと振りながら、うーん、と考える。
「そうだな、武器だ。武器を買いに行こう」
「武器?」
マコトはウキウキしながら、首を傾げる。
「ああ。お前、あの小屋に入って銃を向けられたとき、簡単に降参してただろ。確かに、あれは一つの正解だと思う。お前は戦う手段を持ってなかったからな」
ユーリはぴん、と指を立てた。
「でも、世の中そんなに甘くないと思うぜ。降参したって、許されないこともある。武器を持ってない者は負ける。負けたら、死んで星屑になる。だから、お前の武器を買おう。金貨2枚もあれば、十分なモノが手に入るハズだぜ」
ユーリはマコトに、金貨を持たせた。
☆
閑散とした街の雰囲気は、どこか寂しげである。夜空は高く、満月は遠い。道に敷き詰められたレンガの隙間で、雑草が月光を浴びる。
「あった! ここだぜ!」
「良かった! まだ営業しているんだね……!」
ユーリとマコトは、夜にも関わらず、軽快に朗らかに歩き、武器屋に到着した。窓から漏れる光。ガラスの向こうに巨大な斧が見えていて、二人は興奮しながら目を合わせた。
ユーリがドアを開くと、カラン、とベルの音が響く。
「やあ、いらっしゃい。カールの武器屋へようこそ」
ヒゲを蓄えた店主が、明るい声で出迎える。
マコトが店内を見渡せば、そこには沢山の武器が置いてあった。巨大な斧や、銀色に輝く剣、にびいろの盾、見上げるほどに長い槍……マコトは広がる光景に目を輝かせて、一つ一つをじっくりと見る。特にマコトの目を引いたいのは、自分の体より幅の広い大剣だ。持ち手には細かい装飾が施されていて、向かい合う銀のドラゴンの瞳に、赤い宝石が埋め込まれている。
「でもこれは、ちょっと持つのが大変そうだなぁ……」
マコトは、ため息をつく。こういう大剣は、大抵ガタイの良い者が持つ物だと、相場が決まっているのだ。
「ねえ、ユーリ。何か僕にオススメの武器ってあるかな……?」
「うーん、どうだろうな……」
ユーリはマコトの事を観察した。ユーリの目に映るマコト少年は、ただの男子中学生である。
「それなら、これはどうだ?」
ユーリは、壁に立てかけてある武器を手にとった。鈍い銀色に光るそれには、流線に装飾が施されていて、マコトは目を見張った。
「これは……棍棒?」
「ああ、メイスだ」
マコトは側に近寄って、メイスをじっくり観察する。大きさは、マコトの腰の位置より、少し高いくらいである。見た目に重量感があり、指先で触れてみれば、案外冷たくない。形状はまるで人生ゲームのピンのように、棒に丸がくっついているものだ。
「うん! これ、いいかも! 持ってみてもいいかな……?」
マコトがウキウキしていると、店主が「どうぞ」と微笑んだ。
「それにしても、キミにそのメイスは、ちょっと酷だ。こっちの、小さくて軽いヤツの方がいいと思うけど」
「ううん! これがいい!」
マコトは、メイスに片手を掛ける。握って、上に引いたが、持ち上がらない。
「あれっ……」
「ほらね」
マコトは、両手でメイスを持って、上に引っ張る。息を止め、顔を真っ赤にして、足を踏ん張ると、僅かに浮いたが、すぐにドスンと床に落ちた。
「ホントだ……重いね……」
「やめときなって」
店主が、困りながら笑って、二まわり小さいメイスをマコトに見せた。銀色に輝き、持ち手以外の部分にトゲトゲがついている。重さに力が無いことを補うために、棘で攻撃力を高めているのだろう。
マコトは小さいメイスと自分の眼下のメイスを見比べて、難しい顔をした。
「うーん、それもいいけれど、何となく、こっちの重いメイスの方が良いと思うんだよなぁ……。ユーリは、どう思う?」
「俺は重いメイスを勧めるぜ。強さは勿論だけれど、それを持って歩けば、筋力も体力もつくだろうからな」
「そっか……! そうだよね! じゃあ、これをください!」
マコトは片手でメイスを押さえる。メイスが倒れないようにと頑張って片手で持ちながら、ポケットから金貨を取り出した。
10. 謎めいた夜
「どうかしら! これで文句も無いでしょう!?」
ハーモニカの響くバー。赤髪の女盗賊団長・アリスは、盗賊らしく、粗雑に、バーカウンターに金貨入りの麻袋を叩きつけた。じゃらん、と重量感のある音がして、ハーモニカの音が止まる。アリスの赤い目は、ただでさえ赤いのに、更に赤く、爛々と輝いていた。
「思い知ったかしら! 私の財力を! 私の宝飾コレクションたちの素晴らしさを!」
鼻息荒く、アリスは怒鳴る。店主は微笑んで、麻袋の中を確認した。
「これほどの金貨であれば、半分も要りません。わかりました、情報をお話しましょう」
「ふん! まったく手間だったわ! 情報の前に、お酒を頂戴!」
アリスは、どっかりと椅子に乗っかった。マコトはメイスを壁に立てかけて、アイロンの掛かった自分のハンカチで、それを拭いて磨いた。この小屋に戻ってくるまで、マコトは購入したメイスを、殆ど引きずって歩いて来たのだ。膨らんだ円球部分は、茶色の土ですっかり茶色く汚れている。
「ごめんね、メイス……。僕、きちんと、持てるようになるから……!」
マコトは小さく呟く。ユーリはその小さな声を聞いて、思わず微笑んだ。
「さて、俺も何か飲もうかな……」
「マスター、もう一杯! あんなに宝石を換金したんだから、飲まなきゃやってられないわ!」
「……大丈夫か、お前……? そんなに酔ったら、情報聞いても忘れそうだな」
ユーリが言うと、アリスはカウンターに強く右手の拳を下ろした。
「盗賊舐めんじゃ無いわよ……。こちとら博物館の館内図とか、お宝の情報とか、頭にぎっしりつまってンのよ……! 馬鹿にしないでちょうだい!」
「お、おう……。悪かったな」
アリスの目は、赤く輝いたままである。
マコトはメイスの手入れを終えると、アリスの隣に着席した。そして、彼女の表情の並々ならぬ様子に、「お酒くさいね」と言いそうになるのを、ぐっと飲み込み、堪えた。
マスターはアリスの様子にも関わらず、温和な表情を浮かべたまま、グラスを磨く。マコトが着席し、飲み物を何も頼まないのを見ると、「さて、」と声を出した。
「さて、情報についてですが、別室でお話する決まりとなっております。皆様の都合の良い時に、お声かけくださいませ」
「え? お金払ってないのに、僕も一緒に聞いていいの?」
マコトは、首を傾げる。マスターは、微笑んだ。
「3人は、お仲間なのでしょう? チームを組んでいるなら、チームメイトは一心同体でございます。お支払い頂いた代表者様が、特に不都合がありませんでしたら、お二人もどうぞ」
マコトとユーリは、アリスを見た。アリスは、さっきとは打って変わって落ち着いて、グラスの中の氷を回していた。
コトン、と、カウンターにグラスが置かれる。アリスは、ぼう、とした瞳で、一点を見つめていた。
「まあ、いいんじゃないかしら。きっと、私の狙っている六大財宝と、アンタたちの狙っているものとは、違うんでしょうし。不都合無いわ」
「やった……! ありがとうアリス!」
「……どうも」
マコトとユーリが礼を言うと、アリスは大口を開けて笑った。
「感謝の気持ちを示すなら、もっと私を敬うことね!」
☆
マコトたち一行が通されたのは、薄暗い部屋。外から差し込む月明かりは、十字の窓で四分割されている。明かりが照らすのは、部屋の中心の木製テーブル。テーブルの周りには、それぞれ四つの辺に一脚ずつ椅子が置かれていた。
入口のバーからは少し離れているこの部屋には、ハーモニカの音も聞こえない。ただよう緊張感。静寂に包まれる3人が促されるままイスを引く。ギィ、と木が床を擦れる音がして、誰ともなく顔を見合わせた。互いに促し合うようにして着席し終えると、マスターの付き人二人が部屋を出ていった。マスターもマコトの正面の椅子に着席して、準備が整う。
ひんやりとした木製椅子の座り心地に、マコトは椅子へと目を落とす。木の椅子と、木の床と、暗い部屋が視界に入って、青の怪しい空間に、マコトは改めて「自分は異世界にいるのだ」と確かめるように心の中で呟いた。
「さて、情報を渡す前に、貴方達に一つなぞなぞを出さなくてはなりません」
「なんだよ、まどろっこしいな」
ユーリは言いながらも、「そんなことか」と緊張を解いた。それに続いて、アリスも脱力し、背もたれに体重を預ける。
「なによ。お金を払わせておいて、まだ何かあるのかしら」
「やった! なぞなぞ楽しそう!」
マコトはウキウキと身を乗り出す。マスターの正面に座るマコトを見て、アリスとユーリは殆ど完全に緊張を解いた。マスターはその三人の様子を柔和な表情で見つめながら、「良いチームですね」と呟く。
「リラックスして、思うがままに回答して頂ければ良いのです。さて、では、なぞなぞを出題いたしましょう」
マスターは机の上で手を組んだ。夜の光で、顔半分が青色に照らされるマスター。3人はごくり、と生唾を飲み込む。マスターは髭の下の口を、ゆったりと開いた。
「切っても切っても切れないモノはなんでしょう」
静寂。
三人はマスターの「なぞなぞ」があまりになぞなぞめいていることに驚き、ちら、と目を合わせた。
「その問題に正解出来なかったら、情報を教えてもらえないの?」
マコトは、困り眉でマスターに首を傾げる。
「いえいえ、そんなことはございません」
「当然よ、お金を払っているんだから、出すもの出してもらわないと詐欺ってことになるじゃない」
アリスはふん、と偉そうに腕を組む。マコトはアリスを見て「そっかぁ……」と納得すると、次にユーリを見た。
「つまり、情報はくれるけれど、なぞなぞに正解できないと……どういうこと?」
「多分、情報の質が違うんだろうな。なぞなぞに正解出来たらAの情報を言って、正解できなかったらBの情報を言う、って具合だと思う」
「さあ、皆様で一つの答えをお出しくださいませ。なぞなぞに回答出来るのは一回切りです。夜は長いですから、良くお考えください」
静かな声に、フクロウの鳴き声が届く。ロウソク一本の灯りすらない部屋は、冷たくて、寂しくて、3人は自然と黙って俯いた。
マコトは、頭の中でぐるぐるとなぞなぞを繰り返す。『切っても切っても切れないモノ』。その問いに相応しい回答は「水」「トランプ」「空気」などがあることを、マコトは弱冠13歳の経験上、知っていた。でも、同時にマコトは自分の「勘」から、そのどれもがこの空間に合致した回答だとは思えず、唸る。
アリスもまた、きっと単純な回答ではないはずだ、情報Aを貰うに相応しい回答をださないと、と脳内で奮闘している。そんな少年少女を見て、ユーリはため息を吐いた。
「……ま、考えたって、仕方ないだろ。わからない物はわからないんだからさ」
「ちょっと! 何言ってんのよ、真面目に考えなさい! アンタが言ったとおり、情報AとBは質の良し悪しが違うのよ? 質の良い情報Aを欲しいと思わないの!?」
憤るアリス。ユーリは子供っぽく頬を膨らませた。
「俺、質が良いとかそんなこと、言ってないぜ」
「はあ!? だってさっき……!」
「そっか! わかった!」
マコトが、ぱん、と手を叩いた。二人はマコトを見る。
「このなぞなぞの答えは『わからない』だよ!」
「ちょっ!? アンタまで何言ってるの!? それじゃ答えになってないじゃない! 降参って意味だわ!」
息継ぎせずに言い終えると、アリスは呆れたように額を抑えた。
「なんなのよ、もう……。私が真面目に考えるしかないじゃない……」
「俺はマジメだぜ。多分、マコトもな」
「うん! 僕も真面目に考えたよ! 最初はわからなかったんだけど、アリスとユーリのおかげで、答えがわかった!」
にこにこと笑うマコトは、暗闇の中で太陽のようだった。アリスはその笑顔に気圧されて言い返せず、口をすぼめる。
「どういうことか、説明しなさい」
「えっと……、『僕たちが相応しくなかった』ってことだよ! ね、ユーリ!」
「ああ、俺たちはまだ情報Aを知る段階じゃない。情報の質ってのは、性質って意味で、良し悪しの話じゃないんだよ、きっと。わからないのは悪いことじゃなくて、ただAかBのどちらかを話す指標ってだけ」
「なによ、ますます良くわかないわ……」
不機嫌そうなアリス。ユーリは少し悩んだあと、「例えば」と切り出す。
「例えば、お前が崖から落ちそうになっているとする。マコトはお前に『ロープと宝石』どっちを投げると思う?」
「……ロープでしょうね。その状況の私に必要なのはロープでしょうから」
「そうだろ。それと同じで『なぞなぞの答えがわからない俺たち』に必要な情報は情報Bだ、ってことだよ。だから答えは『わかならい』だ」
ユーリの解説を、アリスは脳内で繰り返す。マコトはユーリを見て、ニコニコ微笑んでいた。
「……言いたいことは、何となくわかったわ。答えは『わからない』に決めましょう」
差し込む月明かりが少し短くなった頃、アリスは頷きながら宣言した。ユーリとマコトも頷いて、三人でマスターを見る。
「よろしいですか」
「うん!」
真っ先に、マコトが返事した。少し間があって、マスターの口角がクイ、と上がる。
「正解でございます。貴方たちがくだらない回答をお出しにならなかったこと、心から嬉しく思います。それでは、情報を教えましょう」
☆
マコトは、二段ベッドの下側で、眠れずにいた。
四人用の部屋に、三人。アリスとユーリはもう眠ったようだ。暗い部屋で、マコトだけが爛々とした目で、低い天井の木目を眺めている。
マコトは、マスターから聞いた情報を思い出していた。三人が聞いたのは「ある財宝が第二ステージの洞窟の中にある」ということと「七大財宝の一つ、ハサミは既に誰かが獲得した」というものであった。少ないながらも有力な情報。三人は納得して、疲れもあって、寝床を借りて、今に至る。
マコトは寝返りを打って、二段ベッドの横に立てかけたメイスを見た。夜の僅かな明かりの中で、輝くメイス。僕の相棒だ、と嬉しく思いながら、見たことも無かったその武器に「異世界」を感じた。
長い夜。
眠れない夜に、マコトは外へ出てみようと思った。
マコトはそっと体を起こして、ベッドの脇に置かれた靴を履く。学校指定のローファーは足に馴染んでいて、その感触がマコトに「これは夢ではないのだ」と教えているようだった。
メイスを持ち、引きずらないようにやっとの思いで地面から浮かせて、運搬する。大根を引き抜くようなガニ股の姿勢で、なんとか部屋の入口までそれを運んで、静かにメイスを床に接地させ、扉を開けた。
マコトは、じっとしていられない質だった。
メイスをゴリゴリと引きずりながら、廊下を歩く。誰かが聞いたらきっとホラーだろうと思いながらも、マコトはそれを引っ張って行った。
たどり着いたのは、入り口付近のバーカウンター。さっきまで人のいたそこは静かで、青い光に満ちている。ユーリが割った窓は無用心ながらそのままで、レースのカーテンが夜風にはためいて、踊っていた。
出入り口の鍵は、掛かっていなかった。マコトは外に出て、星を見上げた。
「きれい……」
満天の星空。マコトが元居た場所では、全く見たことの無かった光景が、そこには広がっている。天の川のような星屑たち。夜なのに暗くないのは、満月はもちろん、星明かりのせいでもあろう。
次にマコトは、森を見渡した。
僅かな風に、葉を揺らす木。地面に生えた草たちは、朝露を待ちながら震えている。マコトは遠くとも近くとも言えない所を見ながら、森の中に違和感を覚えた。背筋をツ、と撫でられた時のようなゾクゾクする気持ち悪さを感じて、瞬きをするマコト。
「もしかして、誰か僕のこと、見てる?」
マコトはきょろりと辺りを見回しながら、「見ている」人間に届くくらいのボリュームで声を発する。すると、森の木の影から、真っ赤なローブを纏った女性が現れた。
「うふふ、まさか、坊やに気付かれるなんてね。一体どんな力があるの?」
薄いレースの赤ローブ。おっとりとした口調に似合った垂れ目。優しそうな表情は、柔らかな笑顔。ローブからはうっすらと肌色が透けて見えて、マコトは彼女をセクシーだと思った。
ローブの女性は木々の間を歩いて開けた草原に足を止める。そして、その場で両手を広げて、くるくると回った。
ふわりと風がローブに吹き込んで、広がる。青の夜に、赤の女性が回る。チラリと覗いた太ももに、少年は魅入った。舞うように回転する彼女の姿は、まるで空から降って降りた星のようだった。
「ど、どうしてお姉さんは回っているの?」
マコトはどもりながら、質問をする。すると、女性は妖艶な笑みを浮かべて、回るのを止めた。回っていたローブが慣性の法則に従って、くるんと彼女の体に巻き付いたかと思うと、するすると重力に引っ張られて、元のひらひらローブに戻った。
「回っている理由?……なら、キミはどうして生きているの?」
「……それは、つまりお姉さんの生きる意味が、回転することってこと?」
「違うわよ。自身の生きる理由すらわからないまま、他人の行動の意味を問う意味があって?」
マコトは首を傾げた。どうやら、このお姉さんは少し変わり者らしいと判断した。
「お姉さんは、変な人だね」
「うふふ、そうかもね。ねえ、それよりも、どうしてキミはあたしの存在に気づいたの? 殺気とか、好奇心とか、警戒心とか、あたしは全ての気配を殺して、あそこに立っていたのに」
女性は読めない笑顔でマコトに尋ねる。マコトはきょとんとした顔のまま、メイスの持ち手をさすった。
「うーん、なんとなく、かな」
「そうなの? 特別な能力ってことじゃないのね」
「うん。でも、僕は昔から勘だけは良いんだ。だから、わかったのかも……。って言っても、『なんとなく見られているかな?』って思ったくらいだから、わかったって程じゃ、ないんだ」
マコトが答え終えると、女性は拍手をした。暗闇の澄んだ空気に、こだまする拍手の音。ぱん、ぱん、ぱん、とゆっくりなペースで叩かれる手のひらを、マコトはじっと見た。不思議で、奇妙で、調子を狂わせるようなテンポ。まやかしに囚われてしまったような、不気味で引き込まれるような音だ。女性の顔も固定された笑顔のままで、おかしい。この空間そのものの異質さに、マコトはホラーのような恐怖を感じた。
「それは、素晴らしいわ」
女性の声とともに、拍手が鳴りやむ。マコトは音から解放された気分になって、ほっと一息ついた。
「お姉さんは、誰なの?」
「あたしは、しがない芸術家よ。面白そうな小屋があったから、外から見ていたの。貴方に会えたことは、思わぬ収穫だったわね」
ゆったりとした口調。マコトはリラックスして微笑んだ。
「僕も、お姉さんに会えて嬉しいよ。ちなみに、この小屋は招待状制で、GAMEの参加資格の『金の招待状』が無いと入れないんだ」
「そうなのね。つまり、あの小屋から出てきたキミは、金色の招待状を持っているってことよね」
女性は少しだけ威圧的な口調で言う。普通の人ならば警戒心を強める場面だが、マコトはそれをせずに、元気の良い返事をした。
「うん、持っているよ!」
「あらあら、それは、あまり他人に口外しない方が良いと思うけれど。盗られてしまうわよ」
「でも、お姉さんは取らないでしょう? さっき、金の招待状がパンツに挟まってたから!」
女性は少し顔を赤らめる。服と同じ色に頬を染めて、彼女は恥ずかしそうに袖で口元を隠した。
「そんなところまで、見えてしまっていたのね。キミに気配を察知されたことが嬉しくて、いつもより勢いよく回ってしまったみたいだわ」
そう言うと、その女性はくるりと踵を返して、森の中へ向かっていった。歩くたびにレースのローブがひらひら揺れて、蝶が舞うように進む女性。
「どこに行くの?」
「眠るのよ。お互いGAMEの参加者なら、また会えるかも知れないわね。いえ、是非会いたいわ」
女性は振り向かない。マコトに見られないのを良いことに、彼女は酷く醜く顔を歪めて、頬を釣り上げ笑った。
翌朝。
マコトは寝坊をした。
「起きろよ。いつまで寝ているつもりだ? 外で楽しいことして遊ぼうぜ!」
ユーリはマコトのベッド脇にしゃがんで、悪魔の尻尾を振りながら眠っているマコトの顔を覗き込む。
「なあなあ、起きろって。大ニュースがあるんだぜ。楽しい大ニュースだ」
「アンタ、『楽しい大ニュース』なんて、悪趣味ね。流石悪魔プログラムだわ」
続いて、アリスの声。アリスは新聞とマグカップを手に持って、マコトの隣のベッドに腰を下ろす。
立ち上る湯気が窓から射す日の光で揺れる。クリームスープに口を付けながら、アリスは新聞をめくった。ぱら、ぱら、と紙の音。ユーリはアリスに構わずにマコトに呼びかけて、マコトの体を揺さぶる。
「おーい、マコト」
「まったくもう。こういう時は『学校に遅刻しちゃうわよ』って言ってみなさい」
ユーリは首を傾げた。そして、言われた通りマコトの耳に口を寄せて、囁く。
「ガッコウに遅刻しちゃうわよ?」
「うわぁ!? 今何時!?」
マコトはがばっと体を起こした。ユーリは即座に身を引き、頭がぶつかるのを回避する。
「おー、起きた起きた!」
嬉しそうに笑うユーリと、マコトの視線が合った。悪魔の角が生えた青年の姿に、マコトはここが異世界であることを思い出す。「夢じゃなかったんだ」と自分の手の甲をつねって確認して、痛みに手を離すと、爪痕が付いていた。
「えっと……おはよう、ユーリ」
「おはよう! それで、俺はお前に話したいビックニュースがあるんだけれど、聞いてくれるか?」
ユーリはマコトのベッドに腰を掛ける。マコトは笑顔で「どうしたの?」と聞いた。すると、ユーリはごほん、と咳払いをして、怖い顔つきをする。マコトは思わず生唾を飲み込み、ユーリの言葉を待った。
「それがな、昨晩この小屋で、殺人事件が起きたんだよ……!」
「さ、殺人事件……!?」
マコトは驚き目を見開いて、すぐに何かに気づき、へらっと笑う。
「でも、僕たちも昨晩人を死なせたよ? GAMEって、そういうものなんでしょう?」
「まあな。でも、ただの殺人じゃない。この小屋に『ネット』が出たんだよ……!」
「……ネット?」
「そうだ! ネットは人間を『網で縛り上げて殺す』狂気のプレイヤーの名前だ。ただ殺すんじゃなくて、相手に死ぬか死なないかの傷を付けて、網で縛って血を絞り出してなぶり殺すんだよ……!」
マコトはその光景を想像して、流石に気持ちが悪くなった。網に縛られ、ぐちゃぐちゃになった人間。血濡れの被害者から絞られ出てくるのは、“血だけ”なのだろうか。
「襲われたヤツはこの小屋の玄関の前に転がっていて、今さっきやっと死ねたみたいだ。そいつは跡形も無く星屑になったけれど……。ネットの行方も、全くわからないらしい」
「ちなみに、被害者の隣には小さなメッセージカードが残されていたそうよ」
アリスは新聞を折りたたんで、ベッドの上に置いた。脚を組み替えると、彼女のブーツについた金の装飾がキラリと光る。
「メッセージには、なんて書いてあったの?」
「『present for you』ですって。Youのところに、真っ赤なキスマーク付きだったそうよ。さて、不気味な話はもうおしまい。もうこの小屋に用は無いんだから、さっさと出発しましょ」
僕が異世界の神になる