とある勇者の傲慢

朝妻 空 作

どこまでも行っても果てがないような回廊の途中に、重厚な扉が鎮座していた。
この国の文化とは一線を隔す、きめ細かい草花の装飾が施されている。
そんな文化の結晶。
もはや扉というよりは芸術品に近いその前に、アギトは立った。
アギトが、は、と息をつくと、吐き出された空気は白く色づいた。
まとっている外套だけでは微妙な寒さを感じる。我慢できないというほどではないが、肌を撫でる外気はずいぶんと冷たかった。
あと、少しだ、と思う。
アギトの体の疲れはとれない。少し前までは疲労のあまり、歩くことすら困難だったほどだ。それでも、普通に歩けるぐらいには体力も回復した。
もっとひどいのは、ここまで路銀を使い、旅路をともにした仲間たちだ。
仲間たちはずいぶんと疲弊していた。疲労はその顔に影を落とし、色濃く残している。それでも仲間たちはアギトを先に進ませようと、この要塞にいた強敵たちと相対している。
ひとり、またひとり、と敵と相対し、残っているのはアギトだけだ。
赤い髪はアルカディア帝国の人間の証。
そして誇りだ。アギトもくすんだ赤髪だった。
そんなアルカディア帝国は今、存続の岐路に立っている。
はじめの侵略は、北側だった。北は国境線を小国と争っていた。小国との国境線の山。クスディナ山に、突如として巨大な城が現れた。山の空中に浮くその城は、要塞といっても過言ではないほどに大きかった。
そして異形の軍勢が、軍の第二支部、オーガニスタに攻め入ってきた。オーガニスタは二晩ほどで占拠され、異形のたむろう町となった。
人間とは一線を隔すその一族を、アギトたちは魔族と称した。
魔族がもたらした影響は、他国との戦争以上だった。
多くの農村は廃墟へと追い込まれ、人口の数は激減した。多くの人間が、クスディナ山に浮いた城へと連れて行かれ、アギトの出身地からも多くの人間が姿を消した。
そんな人々の姿を、アギトは見ていられなかった。
悲しみに暮れ、実らない作物に絶望する。
恐怖を与える異形が街中を闊歩する。異形は姿を見られないように人間をさらっていく。
アギトの幼馴染もまた、さらわれていた。
だから剣を手に取り、魔族たちと戦った。
人間の平和を、と夢見ていた。その思想は莫迦にされ、笑われもした。
しかし思想に同意した人間も多く、アギトは仲間を得て、ここまでたどり着いた。
この先には、おそらく、魔族の中で最強の存在がいる。
魔王、と称されるものだ。
その存在は王の名を冠するのにふさわしいと聞く。
その強さは生半可なものではない。
存在だけで他の魔族を圧迫するほどの力があるため、城を浮かすことで、常に力を使い続けて他への影響を抑えながら存在している。
そのため、その存在は覇者と呼ぶにふさわしい。
魔族の起源であり、またこの城を浮かす最強にして最悪の存在だ。
「ここまで、きたんだ・・・」
つぶやいた言葉は静寂に落ちる。
誰もききとめることはない。
ふう、と目を閉じて息を吐いた。
アギトはひとりだ。しかしそれでも、ここまで道を作ってくれた仲間がいた。
失ったものと、得たものを想い、目を開ける。
「勝つ」
そう己を奮い立たせ、扉に両手をかける。
力いっぱい押すと、ぎ、ぎぎぎぎと壊れたような音を立て、分厚い扉が開いた。
アギト一人分を開き、中に身を滑り込ませる。
内装もめまいがしそうなほど緻密な壁画が並んでいた。
中は廊下とは違い、適温に調節されていて、扉から道のように上質な赤い布が敷かれている。
足の裏にふかふかとした感触を感じながら、アギトは進んだ。
室内は、闘気も何もなかった。あまりに静寂が満ちている。だからこそ、気味の悪さを感じつつ、アギトは室内を見渡した。
ふいに、アギトの背後でぎ、ばたんと勢いよく扉が閉まる音がした。
「・・・あれ」
背後に振り替えるよりも早く、そんな幼い声がして、アギトは中央に目を向ける。
そこには、大きな椅子があった。
いや、椅子というよりも、もはや芸術品に近い。
細かい細工の施された豪奢な椅子は、光を吸い取る黒色だ。わざと光沢を消しているその椅子は、決して安価ではないだろう。
なによりもその椅子は、ただの人間には似合わない。
天井から光が差し込み、まるでスポットライトに照らされているようだ。その椅子は、おそらく座るものを選ぶ。
皇帝か、あるいは王と呼ばれる覇者にこそふさわしいものだ。
そんな、ただの椅子ではない、玉座であろう位置に腰かけていたのは、少年だった。
少年は、みた事のないような色彩をしていた。
病でも患っているのか、色素がごっそりと抜け落ちている。
髪は絹のように白く、その眼は空のように透き通る青だ。
そんな少年が座る玉座の左右には、人間が二人ずつ横たわっていた。
しかし、それはひとの形をした魔族だった。
あるものは片目から。
あるものは額から。
あるものは胸元から。
あるものは首から。
それぞれ管が伸び、その長い管は、玉座へと繋がっていた。
「・・・なんだ。あなたか」
少年は困惑したように、けれどかすかにほほ笑んだ。
アギトは困惑して、立ち止る。
「あなたのお噂はかねがね。赤い髪に、大剣。マントは北の地帯を抜けるためのものかな。あなたが、アギトだね」
少年はそう言って、孤独に笑って見せた。
寂しくて寂しくて仕方ないような、少年とは思えないような笑みだった。
アギトはまるで悠久の時を過ごす怪物を相手にしているような錯覚に陥っていた。
「・・・お前は、誰だ?」
アギトの問いに、少年は目を細めた。
肘掛けに頬杖を突き、さあ?と首をかしげる。
「この城の主人だと、言われている。あるいは、」
少年はすう、と息を吸い。
「魔王」
と。
吐き出すように言った。
アギトはおどろきを隠さずに目を見開く。
それはにわかには信じがたい事実だった。
この少年が魔王。
人々に悲しみと絶望を与える、魔王。
アギトが想像していたものは、もっとまがまがしく、おどろおどろしいものだった。
さびそうな、大人びているこの少年が、人々に甚大な被害をもたらす厄災には見えない。
愕然として、アギトは戦闘意欲を失った。
「・・・ゆあん」
左右に寝ていた一人が目を開いた。
胸元の管は自然に外れて、寝ていた少女は視線を巡らせる。
胸元には黒い模様が広がっていた。
身を起こし、少女は半身を引きずるように魔王と名乗る少年のもとに行く。少女は魔王の膝に頬をつけ、頭を置いた。
「リリィ。まだ、だめだよ。足が動かないんだろう?」
ん、と少女はうなずくが、ふわふわと笑ったまま、動かない。
少年は己よりも背の高い少女の頭を撫でた。
アギトは衝撃を受けて固まっていた。
「り、リリィ・・・」
その少女は、アギトの前から姿を消した幼馴染だ。足が悪く、地元でのあだ名は蛇と呼ばれてさげすまれていた。
地を這う蛇のようで、役立たずだと、そう言われていた。
心根は誰よりもやさしかった。さげすまれて表面上は笑いながら心を痛めていることをアギトは知っていた。
アギトがつぶやけば、少女は首をかしげて目を開ける。
「アギト?」
リリィは不思議そうに見つめ、首をかしげた。
なぜここにいるのかわかっていないようだ。
「リリィ。もう少し、寝ていなよ。起き上がれないだろう?」
魔王はそう優しくささやき、リリィの頭を撫でる。
リリィは気持ちよさそうにふにゃ、と相好を崩した。
「平気よ。ゆあん」
リリィは肘掛けに手をつき、足に力をこめる。
無理だ、と思ったのにもかかわらず、リリィは自力で立ち上がった。
「無理をしてはいけないよ。君の『蛇』だって、心配するよ」
魔王は玉座から降りると、自分よりも背の高いリリィをお姫様抱っこする。
そして元いた位置に戻した。
そろり、と壊れ物でも扱うかのように階段に寝かす。
そこには体が痛まないように、と大量のクッションが置いてあった。
魔王は管を胸元に接続させると、リリィの額にかかる前髪をゆっくりと梳いた。
「お休み。リリィ。また、あとで」
魔王の言葉に、リリィは満面の笑みでうなずいた。
そして静かに目を閉じる。
死んだように眠るリリィにマントをかけると、ゆっくりと身を起こす。
立ち上がり、アギトを見た。
魔王はゆっくりと歩きながら、玉座へと続く階段を降り切った。
背後には、四人の魔族。
そのうちの一人は、アギトの幼馴染だ。
「・・・リリィに、何をした?」
魔王は、困惑したように笑う。
「何も」
「ふざけるな!」
アギトの怒りの声が、部屋に響き渡る。
アギトの知るリリィは歩けなかったし、胸元に模様などなかった。
ましてや、幸せそうに笑うことなど、ない少女だった。
「・・・君じゃないんだ」
少年は寂しそうにつぶやく。
「おれじゃないだって?お前を倒すのは俺だ!」
体中に怒りがいきわたった。
さっきまで失せていた戦闘意欲が嘘のようにむくむくと湧き上がる。
「アギト!」
その声に振り返れば、ボロボロの仲間たちが入り口に立っていた。
女術師は、銃使いにおぶされている。刃物使いは相変わらずしかめ面をしていたが、纏っている衣服はボロボロだった。
「・・・あれが、あなたの仲間?」
魔王は小さく問い、片手をあげた。
アギトは直感的に、マズイ、と思った。
「・・・なんで、四人の王が・・・」
刃物使いが呆然とつぶやく。その視線は魔王の奥の四人に向かっていた。
四天王、と呼ばれる存在がいることはアギトも知っていた。だがそこに、リリィも含まれるのかと、アギトに動揺が走る。
「ごめんね。あなたたちではないんだ」
魔王の手に、光が現れる。
攻撃だ、とアギトは大剣を構えた。
「だから、ねえ、アギトさん。君なら、使いになるかもしれない。ぼくが待っている彼女を、連れてきてくれないか」
少年はそう言ってほほ笑み、攻撃を放った。
閃光は、アギトが抗う暇もなかった。
それほど早くに走り、一瞬にしてアギトは敗北と死を味わった。


がしがし、と無遠慮にアギトは体中を撫でまわされていた。
気持ち悪い、と思うのに、抵抗する力が体に入らない。
ものでも扱うように乱暴で、う、とアギトはうめいた。
底に沈んでいたアギトの意識が浮上する。
まどろみに似た意識の波に揺らぎ、うっすらと目を開く。
焦点が合わず、意識が安定しない。
体の境が分からない。
ゆらゆらと揺れているようで、意識が混濁したまま固定されない。
ぼんやりとしていると、にゅろ、と人間の手が顔の前に現れた。
「え?」
は?と、思うと、ばっと意識が覚醒する。
型に押し込められたようなはっきりとした覚醒に、アギトは己の状況が理解できなかった。
うぞうぞと大量の人間の手が、うごめいている。ひとつひとつに意識があるように、それらは無遠慮にアギトをつかんでいた。
大量の蛇が体中に巻き付いているように、アギトをつかんで離さない。
大量の手はアギトをつかんで何をするのかと思えば、黒い大きな口にほおりこもうとしていた。
「うわあああ!?なんっ!?なんだあ??」
口に視線を向けると、その口は三つある。
三つの口はお互いにアギトを喰らいあおうとせめぎ合っていた。
口に入れば、おそらくアギトの命はない。その体など、あっさりと噛み砕いて胃袋に収まってしまうだろう。そして成長の肥やしになるだけだ。
ぞ、とアギトの背筋に悪寒が走る。
死にたくない、とアギトの顔が引きつった。
助けてくれ、と思い、ぎり、と奥歯を噛んだ。
「う、おああああああああああああっ」
アギトは獣のような咆哮を上げた。
叫びは、願いだった。
死にたくないと、そう願うアギトの渇望だ。
アギトは体に力をこめる。無数の腕が妨げようとうごめき、アギトを口へと押し込めようとした。
抗うように、アギトは力をこめて、背にある大剣に手を伸ばした。
「死にたくなんか、ねえぇよぉぉおおおおおッ」
アギトが手を伸ばし、大剣を引き抜く。
アギトが剣を手にしたことで、少しだけ無数の手の拘束が緩む。その隙を突こうと剣に力をこめれば、無数の腕は一気にアギトに襲いかかった。
体中をつかみ、撫でまわし、アギトの動きを制する。
が、と喉元に衝撃を感じ、アギトの意識が手からそれる。
その瞬間、アギトは剣を腕の一つに奪われた。
「くそ・・・」
ここまでか、と思い、アギトが顔を歪めた時。
しゃらん、と音がした。
その音は、衝撃のようだった。
うごめく腕は動きを止め、今か今かと食事をねだっていた口たちすら動きを止める。
音自体は何気ない、戦場であれば聞き逃してしまいそうな小さな音だというのに、その威力は絶大だった。
「ヘカトンケイル。ケロべロス、待て」
打てば響く、とても聞き取りやすい声に、アギトも動きを止めた。
抗う力を体から抜き、音のもとを目で探す。
その声はとても魅力的に聞こえた。
刃のような、空間を切り裂く鋭さがあるというのに、白銀に輝く刃にその身をささげてしまいたくなる。
そのような、陶酔感と不思議な魅力が存在した。
「タルタロスから要請がきた。対応は、私に任された」
声の持ち主は、白い空間にいきなり現れた。
コイン型の、丸みを帯びた装飾はしゃらしゃらと動くたびに音を立てる。
そして白い布きれをまとったような格好だ。頭にもクロスした白い布をしていた。しかし露出されている部分はほとんどなく、踊り子の少女が寒さをしのぐ格好をしているようだった。
黒い髪は、肩口でバッサリと切りそろえられている。
アギトがこれまで見た中で、一番といっても差し支えないほどに、黒かった。
闇を滴らせているような髪と目に、アギトは目を奪われた。
肌は白く、まるで高級な人形のようである。
少女のようでありながら、いまだ発展途中の女のような雰囲気があった。それらは少女の存在のあやしさを引き立てている。
少女は素足で下に降りると、アギトを見あげた。
「ヘカトンケイル、そいつを下ろせ」
少女は男のように鷹揚に命じた。
従うはずがない、と思う傍ら、アギトは従いたくなる己を感じた。
初めての感覚だった。
この目の前にいるのは、小さな少女だというのにまるで抗いようのない絶対的な支配者を目の前にしているようなのだ。
進んで己の身をさしだして、命令にはすべて服従する。
そのように、体が動きそうになる。
手は少女の命令に従った。
しかし、アギトに対する配慮などまるでなく、アギトはそのまま落下する。
白い地面に体を打ち付け、ひぎゃ、と変な声を上げた。
「いってえ・・・」
アギトがうめいて見あげると、少女はアギトなど視界に入れていなかった。
すたすたと歩き、無数の腕のそばまで行く。
『ゆうぐれさま』
無数の腕は、大樹の根のようだった。腕からさらに腕が伸びている。
その奥。
手が伸びる根幹から、顔が出てきた。
「ひっ」
人間の頭部なのだが、顔は仮面のように血の気がない。
おまけに眼球もなく、本来白い肉塊が鎮座するそこには暗闇が広がるだけだ。
その頭部に首はなく、無数に広がる手が支えて、少女の前に頭を差し出している。
「タルタロスがすまない、と言っていた」
『そのお言葉、しかと承りました。しからば、我らの仕事は門の番。タルタロス様のお手を煩わせるまでもございません』
「しっかりと伝えておく」
少女は苦笑すると、小さく一礼した。
その頭部と無数の腕の化け物に、敬意を尽くしているようだ。
「ケロべロス」
呼びかければ、黒い口は三つとも閉じる。
アギトは下に降りて初めて、その口が犬のものであると知った。黒い、大きな犬のような生き物は首が三つある。闇からはい出たような黒い体は、しっかりと手入れされているようでふさふさとしていた。
鈍い赤さを持つ目は、六つとも少女を見つめている。
犬は体を伏せの体勢にして、その体よりもはるかに小さな少女に三つ首とも少女を覗き込んでいる。
「ちゃんと、菓子を差し入れるから、それでいいか」
くうん、と乞うように一番右の一匹がなき、一番左の一匹は首をかしげた。真ん中の首はアギトを見つめる。
『たべちゃ、だめ?』『だめだめ?』『あれ、くう』
「だーめ」
少女は真ん中の顎の下を撫でる。
『ずるい』『ひきょう』
左右の主張に、真ん中は満足そうに顔を上げた。
左右は交代に顎をだし、少女に撫でてもらうと、それぞれは満足したように頭を伏せた。
少女はようやく振り返り、アギトの目の前に立つ。
「・・・元いた世界へ、返してやろう。お前はまだ、ヒュプノに呼ばれてはいない」
膝をついて座り込むアギトを見下ろし、少女は鷹揚に言った。
世界、という言葉に、アギトは反射的に手を動かした。
動かした手は剣の柄に触れ、アギトは剣を握りしめる。
己が何をしようとしていたのかを思い出し、立ち上がった。
「そうだ!俺は、魔王の前に・・・」
魔王、という単語を聞いた途端、少女は相好を崩した。
うわあ、と何か異常者でも見るかのような目でアギトを見る。
体を一歩分引き、視線をそらした。
「う、ん。そうか。まおう、まおうね・・・」
「ここはどこなんだ?お前は何者だ?なぜ、そんな化物を従える?」
少女の反応に構わず、アギトが問う。
そうすると少女は眉根を寄せて顔をしかめた。
「・・・従っているわけじゃない。私は従える気もない。彼らを化け物扱いするのは人間の傲慢だ」
少女は聞き取りやすい鮮やかな声で言い放ち、アギトを見下ろした。
「にんげんの、ごうまん?」
思っても見なかった言葉に、アギトはゆっくりと繰り返した。
「おごっているのだ、人間が。なぜ、この体である人間こそが主だと考える」
少女は眉根を寄せて、片手を上げた。
そうすると、ぼう、と青い光の球が浮かぶ。
まるで魔族のような技をだすさまを見て、アギトは息をのんだ。
「お前は、魔族か?」
伺うように問へば、少女は首をかしげた。
「魔族?反対はなんだ。他の者はいるのか?」
「人間だ」
「人間、名を聞くなら、名乗れ。それが礼儀というものだろう」
少女の言葉に、それもそうかと思い、あぐらをかいた。
「勇者、アギトという」
ひく、と少女の顔が引きつった。
「ゆうしゃ・・・素で言う人間がいるとわ。想像の産物だと思ってた」
ぶつぶつという少女に、おい、とアギトは声をかけた。
「俺は名乗ったぞ」
「ああ、そうか。私はユウグレという。役割は、まあ、これといってない」
と、言って、ゆうぐれと名乗った少女は首をかしげた。
「お前はどうしてここに来たんだ?」
「魔王と戦っていた」
げふん、と少女がむせた。
ごほごほと咳き込む少女の背後におとなしい怪物を見る。
「お前は神なのか?だから、そのような怪物と、仲が良いのか?」
アギトが他意なく問うと、少女は首をかしげた。
「おかしなことを言う」
「おかしい?」
「お前は、あれが怪物に見えるのか?」
三つ首の犬と、腕だけの塊を見つめ、あれが怪物以外の何に見えるのかと、アギトは問い返した。
そうか、と少女は少しも表情を変えずにうなずいた。
「なら、お前は傲慢だな。人の姿をした神こそが最上などと考えることは、人間のおごりだ」
少女は険しい顔をして、アギトを見下ろした。
「お前は、勇者だと言った。私の知る勇者とは、正義を志すもののことだ。それは本当か?正義は弱者に情けをかけない。人に絶望という名の試練しか与えない。悪は甘く優しさで、弱さだ。すがるような希望を与えると、お前は知っているのか?」
アギトは言葉が出なかった。
勇者だと、讃えられた。
アギトはそれを疑ったことはない。その称号は多くの人に期待と希望を与えたものだ。
「・・・だって、魔族は、悪だ」
「お前は、どうしてそう思うんだ?」
アギトは、どうして?と自問した。
どうしてだと、思考の波にさらわれる前に、アギトの口はさらりと結論を口にした。
「みんな、そう言う」
「みんなという大多数の意見が聞きたいわけでは無い。お前は、どうかと、聞いている」
改めて問われ、続く言葉がなかった。
しかし、脳裏にはたしかに苦しむ人々の姿がある。
苦しむ人々は一様に魔のものを厭うた。
そして、それがなければ、と多くの人々が口にしたのだ。
「勇者とは、なんだ?」
問われて、アギトは思わず大きく目を見開いた。
何か言おうと、口を開く。しかし、言葉が出ない。
その問いの答えを、アギトは持っていない。
驚きに、膝の力が抜けた。
がくん、と座り込んでアギトはそれでも言葉を探した。
「・・・考える暇もなかったのか、あるいは思考の停滞か」
どちらにせよ、と少女は無表情に言い捨てた。
「知らぬことは、免罪にはならない」
まるでアギトは咎められているような気になって、たまらず声を上げた。
「・・・罪だというのか」
言わない、と少女は否定した。
「お前が咎人だと断罪を受けたときに、無知は許されないというだけだ」
咎人。
これまで聞くこともなかった言葉だ。
それが遠くないのでは、という思いもある。
今まで考えないようにしていたことだ。
しかし可能性としては、あり得るのだ。
「・・・俺は断罪されるのか」
は、と口の端に笑いが滲む。
いままで、人のためにと思ってきた。
しかし、それらの人々に断罪されるとは。
一体、アギトはなんなのだろうと思う。
「お前は、そう思うのか」
少女の問いに小さくなずき、ありえるんだ、とアギトはつぶやく。
「魔王一人を倒したところで、魔族すべてが滅ぶわけじゃない。おまけに魔王は城を浮かせている」
「魔王の力で?」
ああ、とアギトは力なくうなずく。
「・・・魔王が、倒れたら」
「・・・城は落ちるのか」
アギトが言いよどんだ言葉を、少女はつないだ。
倒せば、その城は下に落ちる。
それは、単なる予測ではない。
高い確率での事実だ。
城の巨大さといったら、入る前に己の目を疑ったぐらいだ。
こんなに大きなものを、浮かせ続けなければならない存在。
そうしなければ、同族を潰してしまう。
そんな存在と、本当に向き合えるのかという不安は大きかった。
ふたをして、大丈夫だろうと、気楽に思考を停止したのは、不幸な可能性を持ちたくなかったからだ。
だが、倒したところで問題は発生することも薄らぼんやりとわかっていた。
崩落は少なくともクスディナ山を巻き込む。
倒した後のこと。それらは軽視していいものでもなければ、短絡的に考えていいものでもなかった。
しかし、アギトたちは考えなかった。
少なくとも、アギトはそうだった。
崩落が与える影響は、近くの都市部にまで及ぶだろう。
はたして、それを行う勇者は正しいのかと問われれば、即答はできない。
「しかも、魔王という脅威が消えれば、国にとっての脅威はなんだ?力と支持のある、『勇者』だろう」
今まで、考えないようにしていたことだった。
けれど、政治的な要因はいくらでも巻きついてくる。
この戦いが終われば、『悪意』が消えたならば、『正義』をもって戦うことさえも必要ない。
現実的に状況をかんがみれば、いくらでも問題は出てくる。
は、とアギトは笑う。
「死してなお、そんなことに思考がいくとは」
人間は傲慢だな、とアギトは自嘲した。
そしていまさらながらに思う。
勇者とはなんなのかと。
そんなことは問うたこともなかった。
そして周りも、そんなことを問う人間などいなかった。
疑問を持たない。
それは思考の停滞だ。
人間が思考の停滞をする。
それはすなわち、進化の可能性の否定だ。
そんな世界が、アギトの背負うものだった。
「俺は、勇者とは何かと、問われても答えはない。分からないのだ」
少女はそんなアギトを見つめ、首をかしげた。
口にした言葉を、けれど少女は否定しようとはしなかった。
「城を浮かしているのか?」
アギトが出した結論に何を言うではなく、異世界の状況を聞く。
アギトとしても、言葉はあまり得意ではない。
分からないことはわからないと、そうはっきり言ってしまうたちだ。
そんなアギトにとって状況の話はまだ話しやすいものだった。
「ああ。魔王は、力が強大なんだ。城を浮かせていないと、仲間を圧迫させてしまうらしい」
ふううん、と興味のなさそうに、少女はしゃがみこんだ。
「そんな、他を圧倒するような力を持つ、カミのような」
そんな存在か、と少女はひとりごちるように呟く。
「おもしろそうだな」
く、と少女は口の端を持ち上げて笑う。
白い陶器の人形のような顔が、そうして笑うのはあまりにも不釣り合いだった。
バランスが崩れ、まるで醜い老婆のように見えてしまう。
あるいは、不気味な獣のようだ。
「・・・勇者と名乗るもの」
それがアギトへの呼びかけだと理解するには数秒の時を有した。
アギトが何かと、顔を上げると、少女は優しく微笑んだ。
「お前、勇者だというのだろう?」
「ああ、だが」
いい、と少女はその続きを拒んだ。
「お前は、背負うものが何かを理解した。それは、停滞からの脱却だ」
にい、と少女はシニカルに笑い、アギトに向かって美しいほっそりとした手を差し出した。
「お前はこのまま、死へと向かうのか。あるいは、別の選択をするのか」
この手をとれ、と少女は傲慢に言い放った。
「勇者と名乗るもの。お前に、私か、死か。選ぶ権利をやろう」
黒い瞳が、上から降り注ぐ。
闇のような色をしていながらなんて眩しいのかと、アギトは目を細めた。
まぶしい。
その少女の笑みは上の存在が弱者に語りかける時のように傲慢さをはらんでいる。
だというのにその少女には少しも嫌味なところがなく、むしろそうして勝者の笑みを形作る彼女は生き生きとしていた。
どうすればいいのかと、動き出した脳みそが迷う。
久しぶりの迷いと躊躇は、苦々しい思いが生じるものなのだとアギトは苦笑を浮かべた。
うつむいて見つめた先に、アギトのボロボロの靴があった。
それは、歩き続けた証だった。
たしかに。
アギトは思考を止めて、みたくないことを考えないようにはしていたけれど、それでも。
それでもただがむしゃらに、歩いたのだ。
その事実に、アギトはこぶしを握りしめた。
伏せていた顔を上げる。
そして膝をつき、北の大地を抜けるためのマントを踏まないようにと、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がってみた彼女は、アギトよりも小さかった。
「・・・ユウグレ」
アギトはかつてないほど穏やかに、少女の名を口にした。
ユウグレは手を出したまま、まっすぐにアギトを見上げている。
「俺は、死を選ぶ」
心穏やかに告げれば、ユウグレは目を見開いた。
この言葉が意外かと、アギトは小さく苦笑する。
ユウグレは不可解そうに、眉根を寄せた。
「・・・また、思考を止めるのか」
ちがう、とゆるく首を振って、アギトは顔を傾けた。
「俺は、勇者としてここまで来た。だから、最後まで、俺が息絶えるその時まで、俺は勇者として生き、そして死にたい」
歩いた証を、生きた証を、その生き方を、死ぬまでもっていきたいと、アギトは無邪気に笑った。
「負けたっていい。俺は、期待外れでもいい。それでも、生きてゆきたいんだ」
死ぬことさえ、前提として。
ユウグレは言葉を失い、目を丸くしてアギトを見つめた。
やがてため息をこぼし、やれやれと手をひっこめて肩をすくめた。
「なるほど、お前には可能性があり、よもや世界を破壊する因子になりかない」
呆れたような声だったが、ユウグレの顔は大人びた憂いがあった。
「だからだろう。お前はここへきて、私を連れ出す役目を、負わされた」
少女の声には苦しみさえ混じっていた。ほんのわずかで聞き逃してしまいそうなそれに、アギトが口を開くより早く、ユウグレはやや暴力的にアギトを押した。
アギトは不意打ちのそれに、踏ん張ろうとしておかしな風に力を込めてしまい、逆にあっさりとバランスを崩した。ずるり、と靴が滑る。
『相克する螺旋の役割を投げたというなら、私はそれに応えよう』
そんな言葉とともに、ばらばらと床が砕けた。あたりは一面の闇でアギトはどこまでも広がる闇にへと落ちていく。
そんな中、アギトを落とした本人であるユウグレはどこまでも楽しそうに笑っていた。
にい、とシニカルに、それでいてなお、闇の中で輝くような顔で。
そんな顔を見たアギトは、彼女もともに落ちるのか、と場違いなことを考えた。
その事実に、倒錯するような気分に陥りながら。
ならまあ、いいか、とアギトはあっさりと目を閉じて、意識を手放した。

「アギト!」
その声に振り返れば、ボロボロの仲間たちが入り口に立っていた。
女術師は、銃使いにおぶされている。刃物使いは相変わらずしかめ面をしていたが、纏っている衣服はボロボロだった。
「・・・あれが、あなたの仲間?」
魔王は小さく問い、片手をあげた。
声をかけられて、アギトはあれ、と動きを止めた。
「・・・なんで、四人の王が・・・」
刃物使いが呆然とつぶやく。その視線は魔王の奥の四人に向かっていた。
四天王、と呼ばれる存在がいることはアギトも知っていた。だがそこに、リリィも含まれるのかと、アギトはひどく冷めた思いで、魔王に向き直った。
これから、殺されるのだな、とそれさえ覚悟を決める。
これはアギトが殺される直前だ。このあと、動揺したアギトはあっけなく目の前の魔王に殺されてしまうのだ。
しかし、今のアギトに動揺はない。
「ああ、そうだな。俺の仲間だ」
アギトは大剣を持ち、ひどく無表情にそれを構える。
魔王の背後で眠る幼馴染みを見てアギトは少しだけ、表情を緩める。
もう二度と、会うことはないのだと思うと、言葉にできぬ思いが沸き上がった。
「・・・いい顔をするようになった。彼女に会ってきたのかな」
魔王は静かに微笑み、両手を広げる。
「君の一縷の可能性にかけてはみたが、君もまた、選ばれなかったようだ」
ふん、とどこか痛ましく、そして嘲るように魔王は笑みを見せた。
違うさ、とアギトは口の端を持ち上げる。
選ばれなかったのではない。
アギトは差しのべられた白く細い手を取らなかったのだ。
「俺はあの子の手を取らなかった。俺は生きるために、死を選んだのさ」
勇者として。
これまで歩いてきた道を、外れないために。
死んでなお、その道を歩いてゆくために。
「おい、アギト!」
困惑するような声が、背後から飛んできた。
アギトは顔だけを向けて、少しだけ微笑んだ。
もう仲間たちは戦えないに違いない。立っているのもやっとの状態だ。
すまない、と口にせずに思って、アギトは魔王に視線を向ける。
「・・・愚かしい。螺旋の階段にもなれない下等が、死ぬために戻ってくるとは」
そこにはわずかな憤りが見て取れた。
ぎら、と青い瞳が輝いて光彩を帯び、鮮やかに光る。
アギトは愚かしくなどないさ、と思って、足を踏み出した。
愚かしくない。
これは、アギトの生き方なのだ。
殺されようとも、死んでなお、歩き、続くための選択だ。
だん、と走りより、剣を振るう。
だがそれすら、遅かったのだろう。
その時、すでに魔王の手には輝く槍のようなものがあった。
アギトは間近で視線が交叉した。
あと二歩ほどの至近距離で、にい、と魔王が笑う。
魔王の青い瞳が輝いて、晴天のようだと思う。
クスディナ山は北に位置していた。夏になっても山頂の雪が消えないだけあって、ひどく寒い土地だ。そのため、晴れ間がのぞくことはあまりない。そのためここに来るまでの間、どんよりとした暗い空に見慣れたものだった。
だが、久しぶりに見た空のような色にアギトは気分を高揚させた。
ずっと見ていなかった青空のようだと、アギトは微笑む。
そして、攻撃が来る。
ぶん、と投げられた光の槍がアギトにあたろうかと、そんなとき。
ばあん、と不自然に、突如として光の槍がはじかれた。
動揺したのは、アギトも魔王も同時だった。
アギトは体を回転させて、後ろへと飛び跳ねる。
魔王は動かなかったが、それでもその顔には混乱があった。
「・・・お前は、いつから己の慧眼を疑うようになったのだ?」
ふわり、と。
アギトの前に、ふわり、と降り立ったのは、相変わらず白い踊り子のような衣装をまとった彼女だった。
髪は闇のように黒く、慈愛さえ見える黒い瞳も滴る闇のようだ。
美しい闇をはらんだまま、彼女は突如としてその場に出現した。
地面に足はつけないまま、ふわり、と浮いた状態で、彼女はアギトの前に降りくる。
「・・・ユウグレ」
その名を呟けば、彼女は後ろを振り向いて、目を細めた。
「また会ったな。勇者と名乗るもの。どうやらまだ死んではいないようだ」
ふ、とアギトは笑う。
すぐそこに、死は迫っているというのに、彼女はまだそんなことをいう。
「・・・お久しぶりです。ぼくの中の貴女とはずいぶん違うようだ」
魔王にそう呼びかけられ、彼女は彼に向き直った。
ふむ、と顎に手を当て、首をかしげる。
「これは仮装パーティーを抜け出してきたからだ。別に趣味が変わったわけではないぞ。・・・しかし、なるほど、たしかにお前は私の知る中で一番、『歪曲王』に近い」
その言葉を受けて、魔王は、笑った。
口の端を片方だけあげた、皮肉気な顔で。
怒りと憎しみに瞳を底光りさせながら。
「貴女がいるからだ。あなたがいる限り、『我』は、再生し、『貴様』と『神』を殺しに行く」
運命など。
「壊れてしまえば良い・・・!」
はは、と口を裂いて笑う姿はまさしく魔のごとくである。アギトにはそれが、この魔王と呼ばれるものの真の姿のような気がした。
「・・・私は何度でも、お前を殺すよ『歪曲王』」
「『我』はいつまでも、『神』の破滅を願う」
はは、と魔王は力なく笑った。
「・・・ぼくは、そう。たぶん、このままでは、貴女を殺しに行って殺されるんでしょう。世界を恨み始めるに違いありません」
白い髪の少年は、寂しげに呟いてうつむいた。
話の流れから、どうやら白い髪の魔王は只者ではないことが知れた。
ユウグレとは何やら因縁のようなものがあるようだ。
言葉の意味は分からないけれど、白髪の魔王の『中』に何か、そう、『歪曲王』というものがいるようだ。
そしてユウグレはその『歪曲王』を、どうであれ殺さねばならないらしい。
しかし彼女が積極的かといえば、それは図れないとアギトは思った。
彼女は少しだけ苦しそうに、眉を寄せていたからだ。
「ああ。その髪はやがて黒く染まり、お前はその眼を厭うて髪を伸ばす」
でしょうね、と少年は顔を上げた。
それは覚悟は決まっているといわんばかりで、アギトは急に目の前の少年が哀れなように思えてしまった。
「ぼくは、貴女に会いたかった。・・・これ以上、ぼくが口にはできません」
ぼくは力が肥大しすぎている、と少年は両手を広げて青い瞳を細めた。
「・・・そうだな。私の役目だ。本来は、この段階で『歪曲王』を殺すこともないのだがな」
『歪曲王』とういう言葉に聞き覚えはない。けれどそれはきっと白髪の魔王の中に根付くものだろう。
そして魔王は根付くものごと、すべての破滅を願って、殺されたいと願っているのだとアギトは思った。
だからだろう。
魔王は彼女の殺すという言葉に、わずかに微笑む。
はあ、と彼女は息を吐いて、アギトに振り向いた。
「この世界はいずれ崩壊する。勇者と名乗るものも思考停滞。そしてヒト種の減少。お前が死を選んだ時点で、その指針は決定した」
アギトは顔を上げ、浮いているために少し高い位置にある彼女の顔を見た。
「・・・ならば、俺が、お前を選べばいいのか?」
いや、と彼女は首を振って、それを否定した。
「もともと、この世界の『流れ』はヒト種の絶滅を示していた。お前の決定はあくまでこの世界の『流れ』を補強したに過ぎない。だがまた、人類の希望たる『勇者』の決定である『死』は逃れようがない」
たとえ。
「今、お前が私を選んだとしても、お前はもう可能性がない。あの場所に来た時点でのお前は可能性があったが、今のお前は『死』以外の選択肢を持てはしない」
なぜなら。
「お前はわかっているからだ。お前を含み、この『世界』人類の誰にも、目の前のこの『王』に勝てはしないと」
アギトは言い返そうとして、ぎり、と歯をかんだ。
しかし、アギトには言い返す言葉を持たない。
「いい加減にしろ!」
そう背後から聞こえ、アギトは目を丸くして、背後を向いた。
それは仲間の刃物使いが発した声だった。
「さっきから聞いていれば全部アギトのせいみたいに言いやがって!そもそも、そこの魔王が、人をさらったり、村を襲ったりしなければ、こんなことには!」
悪いのは。
「悪いのはアギトじゃねえ!そいつだろ!」
刃物使いが指差した先の魔王は、目を伏せて笑っている。
「善も悪もありはしない。この場合、魔物というものを出現させたのはこの『世界』だ。そして、この『世界』においてのことを言うなら、人をさらってもいないし、村を襲ってもいない」
彼女の言葉に、魔王の名をいただく少年は顔をしかめた。
真実を語られることは本意ではないと言いたげだった。
「人が消えたのは、魔力を持ち始め、お前たちの言うところの『魔族』と化し始めたからで、村を襲ったのではなく、『魔族』と化した人々が様子を見に来て人間たちが勝手に戦い始めただけの話だ」
刃物使いは愕然としたように上げていた腕を下した。
彼女から語られる真実は残酷で、しかしアギトはなるほど、とやけに冷静に納得できた。
「この『世界』の空は、すでに青さを失っているな。どうやら天帝は空の支配権を放棄したらしい」
「あ、アギト・・・あぎとが、そいつを倒せば、すべて、もと、元通りに・・・」
刃物使いの言葉に、アギトは苦しくなってうつむいた。
「・・・はっきりと言ってやれ」
彼女の言葉に、アギトは浮いた彼女を見上げた。
もう、どうしようもないなと笑って、顔に力を込める。
「俺は、魔王に勝てない」
「嘘だ」
「本当だ。俺は一回、死んだ。それでわかった。きっと何度でも、俺は死ぬ」
青い顔をする仲間たちから視線を外して、アギトは彼女を見上げた。
絶望を与えたとアギトは思った。
それはしてはいけないことだろう、とも。
もちろんアギトが何の変哲のない個人であるならば、それは許容されたのだろう。
ただ、今のアギトが絶望を与えることは許されない。
彼女の言葉通り、魔王の住処にまで来て、そして魔王と対面しているアギトは、この世界の人類の希望だ。
そんなアギトが、絶望を与えていいはずがない。
その事実からも目をそむけるように視線を向けた彼女は、静かな無表情だった。
「初耳だけどさ。人が魔族化するってほんと?」
ああ、と彼女はうなずいた。
「この『世界』はヒト種を破滅させるが、ヒト種は新たな進化形態に進むことで絶滅から逃れようとした」
つまりそれが魔族化か、とアギトは肩をすくめた。
「だが、アギト」
名を呼ばれ、アギトは顔を上げた。
「私は、あの魔王と呼ばれる『歪曲王』を殺さねばならない。そのうえで、私はお前に忠告する」
世界がどうあがいても破滅すると、散々言ったうえでこれ以上なんだと思っていると、彼女はアギトの顔を覗き込んだ。
「魔王が死んだところで、お前の『世界』は存続しない」
わかっている、と苦々しく口にすると、彼女は微笑んだ。
その微笑みに、ひらめいてアギトは表情を変えた。
「・・・なあ、ユウグレ」
ふいに思いついて、アギトは思いついたそのままを口にした。
「なら、なにも魔王を殺す必要はないんじゃないのか」
ユウグレは目を丸くして、首を傾げた。
「人間は、絶滅するんだろう?それを、魔族化ということで防ごうとしているのなら、魔族を束ねる存在が必要だ」
だから。
「必要はない、と?」
彼女の言葉にうなずくと、ユウグレは面白そうに口元に笑みを乗せた。
「おもしろいことをいう」
だが、とユウグレは、そっとアギトの頬に触れた。
「私は、この世界から一人分の『歪み』を取り出さねばならない。それが、魔王と呼ばれるあの存在だ」
白髪の少年は、ゆっくりとほほ笑んだ。
ふと、アギトは思った。
あの魔王がいなくなれば、自分は必要ない。
ならば、魔王ではなく、勇者と呼ばれる自分がいなくなってしまえば良いのではないか、と。
それは恐ろしい考えのようでありながら、とても筋の通ったような考えに思えた。
「・・・ユウグレ」
アギトはそっとユウグレの白い手に触れる。
「可能性があるのなら、俺にそれをほしい」
ほう、と吐息のように、ユウグレは呟いた。
「お前はどんな可能性を望む?」
「俺に、魔王の力を渡してほしい」
ふむ、とユウグレは黒い目を細め、白髪の少年が青い目を見開いたのとは同時だった。
アギト!と背後からの仲間の声も気にせず、アギトはユウグレを見上げる。
「人類の希望である勇者たる俺が選んだ『死』を、可能性の一つとしてつぶすことはできないか?」
つまり。

「俺を、『歪曲王』とやらとして、殺すことは、可能だろうか?」

ユウグレの向こう側にいた少年は、青い目を見開いていた。
彼女でさえも目を丸くし、少し逡巡するように口元をきつく結ぶ。
ユウグレは、どうすべきか迷っているようだった。その迷いを断ち切るように、アギトは言葉を重ねる。
「俺がいなくなれば、人間は魔族化に抵抗する気力もなくなるはずだ」
そうすれば。
「そうすればきっと、魔族と人間同士の争いなく、平和なよが」
「ふざけないで!」
そんな声が聞こえ、アギトは思わず言葉を止めた。
制止をしたのは、やはり背後の仲間で。
振り返り、苦笑をしてしまう。
「なんだ、目が覚めたのか」
顔を怒らせていたのは女術師だ。
やはり歩ける体力はなく、武骨な銃使いに背負われたままだが。
「なんだ、じゃない!なんであんたが死ぬの!ふざけないで!そんなことで、あんた一人が死んだところで、何の解決にもならないわ!」
それは。
「ただの逃げよ!あんたが逃げた後の、この世界はどうするのよ!」
アギトは、苦々しく笑った。
「人類は魔族化し、種族に分かれることがなくなる」
「そもそも、人類の魔族化を食い止めるのがあんたのやるべきことでしょうが!」
こいつは本当に、いつもいつも正しい、と、アギトは思う。
止めていた思考が動き出してからは、よいこと悪いことの判断に迷うようになった。
たぶん、ユウグレは思考の停滞だ、と言っていたが、勇者なるものは、鈍感でなければ成立しないのだろう。
思考を止め、善悪の判断もつかないほどの愚鈍でなければ、正義は名乗れない。
それを行えなくなってしまったアギトは、己がもはや勇者足りえないとゆるく自覚した。
「・・・人類は絶滅する。それから逃れるための進化の形が、魔族化だ」
だから。

「人類が存続する手立てが明確なら、俺がここで魔王を殺すのはおかしい。ただの人間の王様を殺しているのと同じだ」

「わかった」

そういったのは、ユウグレだった。
「アギト、お前を、人類の希望である勇者たるお前の選択を、可能性としてつぶそう」
お前は、とアギトを見下ろすユウグレの目は澄んだ夜空のようだった。
「お前は『歪曲王』の力を持った」
うん、とアギトは剣から手を離した。
がしゃん、と床に落ちる音が鳴り、白髪の少年が震える。
「ふ、ふざけないでください!ユウグレ!はやく!貴女を呼び寄せられるほどの力を持つぼくを!殺して!」
すう、とユウグレの髪から色が消えた。黒い髪は白くなり、彼女はそっと白髪の魔王の前に降り立つ。
「私はこの『世界』の流れに介入を決めてしまった。事象と結末の改変は私の介入の場合、自動修正が行われる」
だから、とユウグレは己よりも背の低い少年に目線を合わせた。
それは怪物が、珍しい生き物でも見たように、どこか現実味を欠いていた。
「君の言うことは、聞けない」
す、とユウグレが手を伸ばす。
それは胸に向かって伸び、ばち、と抵抗するような光をそこから迸らせた。
ばちばち、と伸びる光に、ユウグレは表情を変えることなく、すう、とその体の中に手を差し込む。まるで水に手を差し伸べるようなしぐさは、ひどくきれいだと、アギトは思った。
やがてずるり、と体の中心から手を抜いたユウグレは、手に青く光るものを持っていた。
それは宙に浮き、ふわふわとユウグレの手の上で揺れている。
驚きに目を見開く白髪の少年に、ああ、と彼女は何かに気づいたように白いほっそりとした手で彼の頬に触れた。
細く白い指がするりと顎をつかむ。
す、と緩やかに上を向かせ、ユウグレは上から少年を覗き込む。
「その、目。その色はいけない。ただでさえ、因果は君と『歪み』を結び付けているというのに」
ふ、と彼女は、少年の体の中から取り出した青い光を、空中に投げた。
しかしその光はその場でふわふわと漂うだけで、動こうとはしなかった。
「また、君がそのような因果をたどることのないよう、目の色は変えよう」
彼女は触れていないほうの手で、そっと何かを流し込むようなしぐさをする。
アギトの目にはそれが赤く光った液体のように見えた。そろそろとその液体を両目に注ぎ、彼女は後ろへと下がる。
ゆっくり、二、三度と瞬いた白髪の少年の瞳は、夏に咲く香りの強い花のような、きれいな紫色になっていた。
「・・・君によく似合っているよ」
ユウグレはそう微笑みを少年に向けると、すぐにアギトのほうへと向き直った。
青い光を掌の上に載せ、とはいっても青い光は相変わらず手から数センチ浮いてふわふわと漂っているが、アギトの前に、そっとそれを差し出した。
「これを、」
アギトは両手を差し出した。その手に落とされた青白い光に、目を細める。
『かなしい』『憎い』『苦しい』『運命が』『我を』『かなしい』『壊す』『死ね』『運命を』『憎い』『私』『我が』『宿命』『苦しい』『ぜんぶ』『私を』『彼に』『殺して』『かなしく』『壊れろ』
そんな思いを感じ取って、アギトは呆然とする、青ではなく紫の目を持つ少年に笑いかけた。
「・・・俺は、勇者でも、お前を殺せなかったけど」
この魔王は、ずっとずっと、とんでもない力を抱いていた。
それでなお、同族を捨てられなかった。同族を圧迫するほどの力を逃すために、城を浮かせて、アギトを待ち、そして自分を殺してくれる彼女を呼び寄せた。
そんな魔王のおかげで、アギトは考えることを思い出した。
考えるようになっては、きっと正義は謳えない。
だから、勇者として歩いてしまったアギトにあるのは、このまま生きても『死』でしかない。
だからいいのだ、と笑って。
「お前の代わりに、死ぬよ」
ぼろ、と少年は呆然とした表情のまま、涙をこぼした。
そして背後に少しだけ顔を向け。
「ありがとう、みんな」
そしてすまないと、それは言ってはいけないのだろうと思って、アギトは謝罪を思いとどめる。
そして目を閉じてその青い光を口から飲み込んだ。
叫ぶような声が聞こえた。
それさえも錯覚かもしれないと、アギトは思う。
ふ、と顔に影が差し、見上げればユウグレが覗き込んでいた。
「ああ、なるほど」
黒い瞳を見て、アギトは笑う。
沸き立つ憎悪。
それは世界、ひいては運命を呪う怨嗟の声。
「これは、どうやら俺の良く知る感情だ」
アギトが世界を、荒廃してゆく世界に、絶望を感じないなんて、不可能だった。
ただ、考えずにいただけ。
それを知っては、正義を叫べなかっただけ。
「来い、アギト」
ユウグレが差し出したその手を、アギトは微笑んでとる。
そしてアギトは、この世界から己が消えたのを知る。

勇者の消えたその場には、天井にから光が注いでいた。
ガラス張りの天井には、冬のクスディナ山はめったに見ることのない、青い空が映っていた。

とある勇者の傲慢

正義は容赦がないなあというのが個人的な感想です。
じゃあ、正義の象徴はって言ったら勇者かなと思いました。
そうすると神様と交信できるのかなと思ったりして、多くの神様が人の姿をしてるのもなんだか不思議です。

とある勇者の傲慢

勇者は正義をつかさどるものですが、果たして正義を掲げられなくなってしまえばどうなるのでしょう。 正義とはどうあるべきかと勇者が混乱する話。 少しだけ、怪物が出てきます。苦手な方はご注意を。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-01-03

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