ブロードウエイと五番街の交差点まで。

リンカンセンターでの打ち合わせの後、ブロードウエイを北から南へ歩いた。以前は、毎日がマンハッタンだったので、わざわざ何も目的地がなくマンハッタンを歩こうなどという気分にはならなかったのだが、去年、ニュージャージーへ引っ越してからは違う。マンハッタンへ来る度に、用が終わってからも少しの運動とタウン・ウォッチングを兼ねて、マンハッタンを散策するのだ。

今日のスタート地点は、アメリカで100年以上も前に初めて作られた円形交差点のコロンバス・サークル。遊び心から、まずはスタート地点のコロンバス・サークルの円形交差点ををぐるりと一周してみた。あらためて一周してみると、ニューヨーク市バスがすべて停車するんだと得意げに言っていた友人を思い出した。そして、一周以上していることに気づいてから、ブロードウエイへと入って行った。

ブロードウエイは、マンハッタンを西から東へ斜めに南北に走っている。僕のスタート地点は、ブロードウエイと八番街が交差しているコロンバス・サークルだから、ブロードウエイを南へ行けば行くほど、地図上では斜め右下へ降下して行くことになる。ブロードウエイ以外の南北の道は、東から西へ一番街から十二番街の順番に並んでいてすべて真っ直ぐ南北に伸びている。

ブロードウエイと七番街の交差する辺りは、世界的に有名なタイムズ・スクエアだ。タイムズ・スクエアは世界の交差点と言われることに、誰も異論はないだろう。屋外広告のビルボードが集中している上に、世界中の企業広告や巨大ディスプレイなどがまるで覆いかぶさるように林立している。僕は、去年の大晦日に生まれて初めてタイムズ・スクエアのカウントダウンに参加して、昼間から深夜のカウントダウンまで十時間近くも待ち続けた。

長いアメリカ生活の中で、ニューヨークと3時間の時差があるロサンゼルスに住んでいた頃も、大晦日はタイムズ・スクエアのカウントダウンで新年を迎えていた。つまり、日本の大晦日の除夜の鐘で新年を迎えるのと同様に、アメリカ生活で西海岸に住んでいるときでも、大晦日から元旦の午前零時には、ニューヨークのタイムズ・スクエアの映像をテレビで観ながらカウントダウンを一緒に(実際には3時間前の録画を観ながら)していたのだ。

タイムズ・スクエアを過ぎると、企業の看板もブロードウエイ・ミュージカルの劇場も姿を消すので、僕の歩くピッチも少し早くなって、右手にデパートのメーシーズの真っ赤な大きな看板が見えてきたから、もうブロードウエイと六番街の交差点に到着だ。この一帯には、世界最大規模ともいえるメーシーズの本店があるだけでなく、ビクトリアズ・シークレット、バナナ・リパブリック、フォーエバー21、GAP、H&M、そして、去年の10月にできたユニクロまでが軒を並べている。

僕は、ユニクロに少し寄ってみようかとも思ったが、お腹が空いてきたのでそのままブロードウエイを南下し続けて、コリアンタウンで遅い昼食をとることにした。コリアンタウンといえば、ロサンゼルスの世界最大のコリアンタウンは忘れられない。特に、1992年のロサンゼルス暴動の映像はショッキングだった。しかし、それでもコリアンタウンは拡大を続けて、あれから二十年経った今ではビバリーヒルズ近くまで韓国のハングル文字の看板が目立つようになった。僕は、この間、ロサンゼルスへ行った際のことを思い出しながら、石焼ビビンバを食べ終えた。

今日は、とにかく何も考えずにブロードウエイを北から南へ歩けるところまで歩こう、と決めて歩き始めたが、僕の頭の中はぐるぐると発想が駆け巡るのだった。おまけに、韓国レストランを出てから再びブロードウエイを南へ歩き出したが、石焼ビビンバが大盛りだったせいか、歩行スピードは極端に遅くなった。むしろ、どこで切り上げようかと思い始めた。特に、ブロードウエイ辺りの華やかさもなくなってきたので余計だ。

そうこう思いながらも亀のように歩き続けて、ブロードウエイと五番街の交差点に辿り着いた。このブロードウエイと五番街が交差する三角地帯には、120年も前に作られた当時は最高層ビルだったと言われるフラットアイアン・ビルディングがある。文字通り、アイロンのような三角形をしているユニークな形のビルだ。僕は、その時これだ!と閃いた。今日は、家へ帰って洗濯物のアイロンをかけなくてはならない!

僕は、ブロードウエイと五番街の交差点から、地下鉄で家へと向かった。

ブロードウエイと五番街の交差点まで。

ブロードウエイと五番街の交差点まで。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-12

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