ミラージュファイト・ノワール

ミラージュファイト・ノワール

 学園サスペンス、ミラージュファイトシリーズ3部作の第3部です。

第一章~天海真実とラブ&ピース ―おお、運命の女神よ―

♪「リカちゃん軍団のテーマソング」by Raptorz
(作詞・歌:橘綾/作曲:加納勇介(G) 大道庄司(D)/編曲:真樹卓磨(B))

 変身完了5秒前!
 遂に目覚めるスーパーヒーロー!
 私立戦隊リカちゃん軍団!
 赤 青 黄色のリカちゃん軍団!

 邪悪な奴らが降りて来る
 僕らの街が狙われる
 みんなの希望が 消えて行く
 黒い叫びが耳を打ち
 破壊の闇が現れた(無へ帰るのだ)

 スーパーヒーローなんていないというが
 ここにいるから安心しろよ

 実は俺たちスーパーヒーロー!
 悪と戦うスーパーヒーロー!
 私立戦隊リカちゃん軍団!
 赤 青 黄色のリカちゃん軍団!

 閃け!(ハーモナイズ!)
 超絶テレキャスター!
 響け!(オーバードライブ!)
 完全レスポール!
 轟け!(ディストーション!)
 最強ストラトキャスター!

 スーパーヒーローなんていないというが
 ここにいるから安心しろよ

 彼らが来るならもう大丈夫
 世界の平和は彼らが守る
 全ての人らの平和を守る

 変身完了5秒前!
 遂に目覚めるスーパーヒーロー!
 私立戦隊リカちゃん軍団!
 赤 青 黄色のリカちゃん軍団!

「リカイエローが俺だというのはナイショだから
 そこんところ ヨロシクベイビー!」

(――第十回、私立桜桃学園文化祭ライブ初日より)


 オールバックに口髭のバーテンダーは、客のうち、お気に入りだと彼が決めた人物には決まって同じ質問をしていた。
 酷く簡潔なその問い「人生とは?」に対して、濃紺のロングヘアにシルバーメタルフレーム眼鏡の妖しい女性は「煙草と酒と仕事とバイク」と応え、艶のあるセミロングで清楚な着衣の理知的な女性は「お金とお散歩とドライブ」と応え、ロゴ入りの黒いベースボールキャップが常の小柄で活発な女性は「法と秩序に支えられた、つつましい暮らし」と返した。ランチタイムに顔を出すまだ学生の若い三人の男子の一人、長身で切れ長な顔付きの彼は「トレーニングと勝利」、その旧友である大柄の痩躯は「真理の追究」と応えて、二枚目と三枚目の中間のような二人のクラスメイトは「自由と平和と平凡と、ささやかな正義」と返した。それを訊いたバーテンダーはこうまとめた。

「人生とは、煙草と酒とバイクと、金と散歩とドライブと、法と秩序に支えられたつつましい暮らしと、トレーニングと勝利と真理の追究と、自由と平和と平凡と、ささやかな正義である」

 男女合計六人の言葉を並べただけのそれはしかし、年配のバーテンダーを満足させた。バーテンダーは人生とは、禁煙禁酒と自転車と、貧困と徒歩と、無法と怠惰と敗北と無知と、強制と危険と非現実と、圧倒的な悪なのだろうと、反語を並べてみた。アコースティックギター片手にこれを詩にでもすればそれらしく聴こえるかも知れないとも思ったが、残念ながら年配のバーテンダーには数百の酒を区別してカクテルをダンスの如くシェイクする能力はあっても、弦を爪弾いたり気の利いた詩を生むほどの才はなかった。
 彼のこれまでの人生はどちらかと言えば平穏で、才能と幾らかのツキに恵まれてはいたし親しい知り合いも多かったが、特別にドラマチックということはなく、毎度の問いをした相手を少し羨ましく思った。そして、こちらも毎度の科白を笑顔で付け加えて、オーダーされた飲み物をバーカウンターに滑らせた。

「若いうちは旅をしましょう」

 葦野{あしの}市西側の山の中腹をえぐるようにして創設された、私立桜桃{おうとう}学園。県内でも随一の中高一貫進学校は、理事長の天海真実{あまみ まなみ}の方針から、校風は自由で奔放だった。
 外資系大手と提携した飲食と服飾の国内中堅企業、天海グループの日本支部が経営する桜桃学園は、お坊ちゃまお嬢様学園とは少し違っていた。生徒の半分は資産家や地主、企業家の家庭からだが、もう半分は一般家庭からで、残念ながら素行の悪い生徒も幾らかいる。立地条件から設備などは充実しており、教員の意識やレベルも高いが、こちらにも少なからず奔放過ぎる人物がいた。
 いた、と過去形なのは、少々厄介な事件を起こした教師数人が逮捕されたからである。
 だが、事件とそれに関与した高等部一年生グループは天海真実の執事役、月詠六郎{つきよみ ろくろう}による情報操作によって警察の報告書に名前を連ねるに留まり、七月後半、夏休みを間近の現在、桜桃学園は実に平和だった。
 天海グループの次女で若くして桜桃学園の経営を任されている天海真実は、ドタバタが収まってから久しぶりに愛犬、ウェルシュコーギーのパピーと共に葦野川河川敷を散歩しつつ、ラブ&ピースと鼻歌交じりだった。実に夏らしい、強い日差しでからりと晴れた正午、平日でも犬を連れた家族などが多い葦野川は、ポピュラーな小型犬から大型の珍種など、ドッグショーさながらだった。
 葦野川沿いの駐車場には天海真実の愛車である黒いSUV、アキュラZDX{ズィーディーエックス}が止めてある。その隣にはグレーの商用バン、シトロエン・ベルランゴと月詠六郎。
 夏だろうが冬だろうが常にシックなスリーピーススーツで無口な月詠は、桜桃学園教頭の金山善治かなやま ぜんじと真実まなみとの橋渡し役であり、月詠にベルランゴを選んだ、天海グループ日本支部の飲食・服飾部門の代表で、「AMAMI{アマミ}」という女性向けのブランドショップを立ち上げた後、どう血迷ったのか県知事選挙に出馬すると漏らしていた姉の天海真琴{あまみ まこと}との緩衝材でもあり、一連の事件の最中はパピーの散歩係でもあった。
 天海真実が私立学園の理事の座に収まっているのは経営学、コンサルティングのスキルアップの一環で、真実には学生の将来や教育理念に対するあれこれはなかった。教員や生徒と喋る機会なども殆どなく、全て金山教頭に任せて、寄付金を納めてくれる人々と談笑して、帳簿をチェックして金の動きを追うのが日課だった。それらも片手間で済ませて、今は愛犬パピーとのんびりと散歩中なのである。
 これで月詠六郎の監視がなければ気楽なのに、と思うのも殆ど日課だが、学園理事で天海グループの次女という立場は、葦野市が治安の良い街だとしても当然だった。
 初春から梅雨を挟んだ時期はとにかく忙しかったので、その息抜きにショットバーにでも繰り出そうか、そう考えてタッチパネルケータイを持ち出し、二百人を超えるアドレス帳から一人を選んだ。

 露草葵{つゆくさ あおい}。真実の大学時代の後輩で、年齢差を無視した友達関係を在学中から続けている一人で、彼女は私立桜桃学園のスクールカウンセラーでもある。つまり、学園に戻れば顔を合わせることが出来るのだが、理事長室に戻るとあれこれと雑務が待ち構えているので、愛犬パピーをフリスビーで走らせて、露草に電話をした。
「はいはーい、露草です……って、真実かいな? どないしたん?」
 露草の間の抜けた関西弁は大学時代からずっとなので慣れている。平日の十四時過ぎなので露草はまだ勤務中だが、彼女は保健教師でもあり保健室から出ることは殆どなく、そこを自分の部屋とまで呼んで殆ど動かない変わり者なので捕まえるのは簡単だった。教員全員を指導する立場の金山善治教頭は彼女の天敵で、あれこれとルーズな露草に対する金山教頭の小言で朝の職員室は騒がしいらしい。月詠から何度かそんな報告があった。
「葵? 今、暇、じゃないわよね。パピーとお散歩してて思い付いたんだけど、今晩辺り、チェリービーンズにでも行かない?」
「なんや、飲みのお誘いかいな。ちょいとやることあるから、時間遅めやったらええけど? 月詠さんも一緒やろ?」
「ええ、一緒。時間は、二十二時くらいでどう?」
 フリスビーを咥えたパピーが荒い息で戻ってきたので、真実は再びフリスビーをぽいと投げた。ウェルシュコーギーのパピーは喜んで全速力、芝生を蹴ってフリスビーを追いかけて飛んだ。
「そんくらいやったら行けるわ。他は?」
「ミコにも連絡するつもりよ?」
「ん? 神和のアホもかいな。あいつ、今は忙しいで?」
 神和彌子かんなぎ みこは露草の一つ下で、こちらも真実の大学時代からの友人の一人である。真実は付属桜桃大学経営学部情報経営学科、露草葵は医学部心理学科、神和彌子は建築学建築史科を専攻していて、年齢も違うので一見すると接点はないが、ミステリ研究同好会というサークルで顔を合わせて意気投合し、その関係が今でも続いている。当時は三バカだのトリオだのと呼ばれていたし、実際、バカみたいに騒いでもいた。
「ミコが忙しいって、何か大きな事件でもあったかしら? ミコって県警のナントカって所に転属したんでしょう?」
「知らんけど、忙しい原因の一つは、ウチがあいつんとこに調べ物を頼んどるからやねん。こっちの用事が終わったらそのままビーンズに行くわ。神和のアホが来るかどうかは知らん。いちおう誘うけど、それでええか?」
「任せるわ。じゃあ、後でね」
 ケータイをジーンズのポケットに押し込み、真実は息遣いの荒いパピーを連れてアキュラの傍で待ち構える月詠に歩いた。相当な猛暑だが月詠は銅像のように涼しい顔で立っている。
「月詠さん? 今晩、飲みに出るけど、アナタもご一緒にどお? 葵とミコだけど?」
「お邪魔でしたら外で待っていますが?」
 月詠六郎はひたすら控え目で、いかにも執事といったタイプだった。これでお嬢様、とでも呼ばれれば完璧だろうが、少し譲って真実さま、と呼ぶ。チェリービーンズは蘆野山のふもとにある小さなショットバーだが、そこにフランス製商用バンから店内を伺う黒スーツの執事などがいれば、通報されかねない。
「月詠さんも同席してくれるとありがたいわ。葵やミコとも話は合うでしょうし、息抜きも必要でしょう?」
「では、そのように」
 言いつつ月詠はアキュラのドアを開いた。月詠はドアマンではないが、そういうことを自然にやる。パピーをリアシートに乗せて天海真実は車に乗り、それを見届けた月詠は自分の車に歩いた。
 露草や神和と飲むのは久しぶりだった。最後は確か、三月頭だったか。中等部生徒が高等部に上がったり、高等部に編入してくる生徒、留学生の受け入れなどで多忙な時期だった。それ以前は比較的のんびりで、今も随分と平和に思えた。

 私立桜桃学園の校風は自由と奔放。これは天海真実の信条でもあり、七月後半、夏休み直前の正午は強烈に暑いが、とりあえず真実の周囲は平和に見えた。
 ラブ&ピース。

第二章~神和彌子とさ迷える紅い弾丸 ―万物を太陽は整え収める―

 ウンザリするほどうっとおしい梅雨を過ぎて空は晴れ渡り、気温はぐんぐんと昇り、街はそのまま蒸した熱帯夜へと突入した。
 蘆野市の隣、湿気で陽炎かげろうが浮かぶ国際都市・神部かんべ市のグルメ繁華街、通称「リトルトーキョー」の外れに、かつて賑わっていたボーリング場があった。ブームが終わって連続休業から廃業して閉店した、電源の落ちた赤いネオン看板には「STRIKE」とあり、無人のはずのその店内のワンレーンに明かりが点いていた。

 ドン、と鈍い音を響かせて村上一哉むらかみ かずやが男の腹を殴り付けた。みぞおちをへこませた藤原は嗚咽を堪えつつ両膝を付いてうずくまった。その後頭部に、村上はもう一撃、重い拳を入れた。埃の浮かぶアプローチレーンに耳心地の悪い打撃音が続いた。その強烈な右フックで藤原の頭は揺れて、彼の視界も派手に揺れた。
「ははは! チョーウケるー! そいつ、誰だっけ? まあいいや」
 背後で笑う亀山千広かめやま ちひろに頷き、村上一哉は藤原の、右フックでふらふらの顔面を蹴り上げた。革靴の先端が額を捉えて藤原の頭は跳ね上がり、首がゴキリ、と鳴った。揺れていた視界が猛速度で落ち、遅れて激痛が走った。
「藤原、だったかな? お前、俺らがチンピラか何かだと勘違いしてるんだろう? チンピラってのはお前みたいな奴のことだよ」
 更にもう一発、頭を狙った村上の強烈な蹴りで吹き飛んだ藤原はアプローチフロアに転がり、ガーターレーンに頭を突っ込んだ。床はコンディショニングオイルでピカピカだが、舞い上がった埃が天井の蛍光灯で照らされて浮き上がっている。
「俺らはお前に商品を渡した。お前はその代金を払わず、だからそんなザマだ。簡単な話だろう?」
「か、金は渡した! そこの女に!」
 鼻血を流して倒れている藤原が、ボールラック手前の長椅子に座る亀山千広を震える指で指した。
「あたし? お金って、あれ、お小遣いでしょ? もう使ったけど、何か?」
 丸い金色のイヤリングをいじりながら藤原にそう返した亀山千広は、ドレッドヘアの村上一哉を見た。
「そういう訳で、俺はまだ代金を頂いていなんだ。解るだろう? それだと困るんだよ。俺たちはボランティアじゃあない。一種のビジネスマンさ。欲しい商品を提供してその代金を貰う、健全な企業だよ」
「だったら!」
 激痛と痙攣と脂汗と血の藤原が、搾り出すように、叫ぶように村上に訴える。
「ブツは返す! 金が出来たら改めて――」
「駄目だね。クーリングオフ期間はとっくに過ぎてる。まあ、商品は返してもらうが、代金は、どうする?」
 村上一哉は、タッチパネルケータイ片手で煙草を咥えて、二人の様子を面白そうに眺めているチヒロに尋ねた。
「代金って? またお小遣い? 貰えるものは全部貰って、その、誰だっけ? そいつはカズヤの好きにすれば? あたしはどうでもいいけど?」
 ケータイをいじりつつ煙草を吹いたチヒロが、心底どうでもいい、という風に応えた。チヒロはケータイからSNSにあれこれと書き込んでいる。
「待ってくれ! 商品? こいつは返す!」
 藤原が差し出したのは油紙に包まれた拳銃だった。村上がそれを受け取り、中身を確認する。
「三十万ぽっちで俺をどうこうしても何の得もないだろ?」
 蒼白で必死の藤原に対して、村上は見下したままだった。路傍の石ころを見る、そんな目付きだ。
「PT99オートマチック。これはな、トカレフみたいな安物じゃあない。これがどういう銃だか、お前は知っているか?」
「俺はただ! 銃が欲しいって! そう、そこの女に頼んだだけで!」
「質問に答えろよ」
 鼻と口からの血をアプローチフロアにばたばたと落としつつ、藤原は必死の手振りで村上に説明した。腹の痛みは少しマシになったが、真鋳のメリケンサックで殴られた頭はガンガンに痛み、血は止まらず、尖った革靴で蹴られた部分も同じくだった。
「中国系の奴らが銃を持ってるから俺らもで! そ、その銃は、その、トカレフじゃなくて……オートマチックで性能のいい銃だろ?」
 藤原の説明に村上は溜息を一つ、大袈裟なゼスチャーでドレッドヘアを掻き揚げた。
「これはトーラスのPT99。9ミリを十五発のオートで、ベレッタM92のブラジルコピーだ。精度は低いしセッティングもお粗末な安物だよ。こんなものに三十万? 俺なら五万でもイヤだね。どれくらい精度が低いかというとだな……」
 言いつつ村上は黒いオートマチック、PT99と呼んだ拳銃のスライドを引いた。金属が摺すれる音の後に銃口を藤原に向け、長椅子で煙草を吹かすチヒロをちらりと見てから、トリガーを一気に引く。パン、と乾いた音が夜のボーリング場に響いた。
「……ほうら。頭を狙ったのに肩に当たった。この距離でだぞ? お前、俺の腕が悪いとか思ってるだろう?」
「あはは! 外してやーんの!」
 血が吹き出す右肩の銃創を押さえ藤原が悲鳴を上げ、そこにチヒロの笑い声が重なる。チヒロはケータイを藤原に向けてシャッターを切った。二度のフラッシュで藤原の苦痛に歪む表情が白く輝く。
「た! 助けてくれ!」
「助けて? 誰が? お前の仲間か? 今のは商品のチェックだよ。一発も撃たずで返品なんてのはビジネスライクじゃあない。こいつには三十万の価値はないが、それでもいちおう銃だ。まあ、お前みたいなチンピラが持つのがお似合いで、拳銃マニアに見せれば驚かれて雑談のネタにはなる、そんな代物さ。なあ?」
 オートマチック拳銃を構えたまま、村上はチヒロを向いた。長椅子に座ったチヒロは咥え煙草でケータイをいじりつつ、ずっとケラケラと笑っていた。
「あたしはオートマチックなんて嫌いよ? 銃ってのは、こういう迫力のあるのがいいの」
 咥えた煙草を床で揉み消して、チヒロはシルバーの大型リボルバーをウエストホルスターから抜いて、銃創を押さえる藤原に向けて両手で構えた。
「ハンドガンじゃあ世界最強の大口径、レイジングブル……って、ああ、それと同じトーラスじゃん。でも、そーんな安物とは大違いで、ユキネエのよりも、強力っ!」
 ドン! 巨大な火花と同時にチヒロの大型リボルバーが吼えて、藤原の左腿の肉が派手に吹き飛んだ。チヒロは強烈な反動を器用に上に逃がしたので、リボルバーの銃口は天井を向いている。銃口から硝煙が立ち上り、チヒロが咥えた煙草の煙と混ざる。
「うひゃー! 大迫力! スプラッターじゃん! ははは!」
 チヒロはリボルバーを長椅子に置き、左腿を押さえてうめく藤原を再びケータイで撮影し、すぐにSNSにコメント付きで掲載した。反応は上々だった。
「待てよ、チヒロ。こいつはまだ客だ。まあ、足なんぞ片方あれば充分だろう? それで、お前、名前は忘れたが、お前はこの銃、PT99をチヒロから受け取って、代金の三十万は何故だか俺のところにはない。これは妙な話だろう? これが安物だとかそういう問題じゃあないよな?」
 右肩と左腿から血を吹き出している藤原は、床でもがきつつ村上を見上げていた。
「待て! それは返す! 金は! 金か? 幾らだ?」
「いやいや、それは変だろう? 商品を返却しておいて、金? 何の代金だ? 言っただろう? 俺らはビジネスマンだ。寄付金は貰ってやってもいいが、その話はまたの機会だ。もっとシンプルに、頭を使えよ」
 オートマチックを構えた村上は、ゆっくりと説明を続ける。
「お前、名前は忘れたがお前が銃が欲しいと、あそこのチヒロに言った。それを聞いた俺はこの銃を用意してチヒロに渡した。チヒロはお前に銃を渡して、お前はチヒロに小遣いをやった。ここまではいいか?」
「あの女には二十万渡した! 足りない分は後でとも言った! それでいいってあの女は言ったんだ!」
 藤原の叫びに、ケータイ片手のチヒロが金色に染めた眉をひそめた。
「えー、あたし? そんなこと聞いたかな? お小遣いを貰ったのは覚えてるよ? 二十万? それくらいあったかな? 新しいカバン買ってシャンパン空けたら無くなったけど?」
 相変わらずケータイ片手のチヒロは煙草を継ぎ足した。ライターは腕時計とお揃いのブランドで、髪の毛やイヤリングと同じくどちらも金色だった。
「聞いてくれ! チヒロ? あの女が金を使い込んだ! そうだろう? 足りないのは謝る! すぐに用意する!」
「いい調子だ。話がシンプルになってきた。お前は代金のうち二十万をチヒロに渡したが、どうしてかそれは俺の手元にはない。足りない分を用意してくれるのはありがたいが、商品はどうする? このままだと、お前、手元に何も残らないが?」
「解った! ビ、ビジネスだろ? あの女は一旦忘れてくれ! アンタと直接だ! まず銃は返す! あの女に渡した金はどうでもいい!」
「それで?」
 お気に入りのドレッドヘアをいじりながら村上は、アプローチフロアで叫ぶように言う藤原を細目で眺めていた。
「これでアンタに損はないだろう? そして! 金を用意してからその銃を改めて買う! アンタから直接だ! 値段は三十万でいい!」
「うん? つまりお前は二十万をチヒロに渡して、それはチヒロが言う小遣いで、銃は俺の手元に戻って、それをお前は三十万で買うと、そういうことかい?」
「そうだ! シ、シンプルでビジネスライクだろ?」
 無理矢理の笑顔で藤原は言うが、コンディショニングオイルで磨かれた床は飛び散った血で真っ赤で、まるで戦場のようだった。それを聞いた村上はしばらく思案して、冷たく返した。
「こんな安物を三十万で買う? それだと俺は、まるで悪質商法をやってるみたいだが?」
「や、安くしてくれるならそれでもいい! とにかくアンタの言う通りにする! だから!」
「だから? 撃つなとか殺すなとか、そういう科白が続くのか? 俺は殺し屋でもゴロツキでもないんだが? なあ? チヒロ?」
 煙を天井に向けて吹いているチヒロは、村上の問い掛けに首を傾げた。
「ビジネスー? そーいう難しい話はそっちで勝手にやってればー? あたし、バカだからわかんないしー。もう、メンドーだからさー」
「待て! 待ってくれ! 兄さん! アンタとだけ話がしたい! あの女は無視してくれ!」
「兄さんて、俺のことかい? お前のほうが年上のように見えるんだが? まあ、チヒロはビジネス向きじゃあないし、お前の言い分は?」
 オートマチックのセフティをいじりつつ、村上は淡々と続ける。チヒロに任せるとあっという間に決着するだろうが、それでは儲けが出ないので、村上は面倒なことでもきっちりと処理する、組織の頭脳労働担当として対応していた。
「一度帰してくれ! 金が必要なら用意する! 三十万? もっとでも半日あれば用意出来る! 仲間のところにヤクがある! ばら撒けば三十万なんて一晩で稼げる!」
「ぷっ! ヤクだって! ウケるー! 何時の時代のコトバ? ははは!」
 チヒロの笑いに村上が呼応した。
「チヒロの言う通りだ。スマック、スピード、コーク、その他モロモロで、今時ヤクなんて言葉を使うのは、年寄り刑事くらいだぞ? お前、俺より年上に見えるが、実はもっと老けてるのか? PT99とトカレフの区別が付かないチンピラ? そういう連中とのビジネスは嫌いだね」
「……だったらよぅ、その獲物を降ろして全員揃ってお縄ってのはどうだ? きっちり現行犯でビジネスライクじゃねーかい?」
 オートマチック拳銃を持つ村上でもなく、血を吹き出して床に倒れている藤原でもなく、椅子に大型リボルバーを置いて煙草を咥えたチヒロでもない声が加わった。
「ブツだのヤクだのってのは古いのか? まあ意味が通じれば同じだろう? ほら、とりあえず銃を降ろせ。こっちはテメーの額をきっちり狙ってるぜ?」
 現れたのはグレーのスーツに黒い中折れ帽子の中年で、手には銃があった。村上のものよりも小さく、形も随分と違う。
「おいおい、オッサン。突然出て来て、入場券は? それと老眼鏡は? こっちは三人、まあ一人は使えないが、三人で、お前は?」
「一人に見えるだろう? だがな、こういう場面ではコンビで出てくるってのが常套だ。神和かんなぎぃ」
 中折れ帽子の合図で、彼の背後からもう一人が出てきた。
 村上のものより大振りな拳銃を持った小柄な若い女性で、ロゴ入りの黒いベースボールキャップを被っている。無地の真っ赤なTシャツでダブルショルダーホルスター。細身のジーンズの足元はローカットの赤白バスケットシューズ。やたらと大きな両目だが化粧は全くなく、スタイルから男性にも見える中性的な印象だった。拳銃を握る右腕にある黒くて大きい腕時計も女性らしくなかった。
「あはは! オッサンとチビガキが出てきたじゃん! ウケるー!」
「ヘイヘイ、シャットアップ。うっせーぞ、そこのファンキー・パープルヘイズ。あたしはチビでもガキでもロリでもねーし、お前よりは年上だっつーの。そのアホ面で勝手に喋ったら、ダブルタップで頭トバしてミートパテにしてやっぞ?」
 若い、二十代半ばに見えるベースボールキャプの女性が、ケータイを向けたチヒロを吐き捨てた。フラッシュが一度で中折れ帽子の中年とキャップの女性の画像がチヒロのケータイに収まった。
「なあ、ひょっとして、この二人がお前のチンピラ仲間か? 随分と頼りない仲間だな?」
 村上が拳銃を中折れ帽子の中年に向けてから、床の藤原に尋ねるが、口調が若干、イラ付いているようだった。
「知らない! あんな野郎は知らない! 俺は無関係だ!」
 とにかく窮地を脱したい藤原は、アプローチフロアに転がったまま叫んだ。
「うわ! お前、可憐な女子に向かってヤロウとか言いやがった。お前も勝手に喋るなっつーの。これがモデルガンにでも見えるってか?」
 キャップの女性がシルバーグリップのオートマチックを床の藤原と、横に立つ村上に交互に向ける。かなり素早く、慣れた手付きに見えた。
「神和ぃ、漫談してるんじゃねーよ」
 小さなリボルバーを構えた中年が、ゆっくりと二歩、村上に近寄った。
「……オッサンのほうは、ディテクティブスペシャルか。チンピラか私立探偵か、時代遅れの刑事ってところか? そんなのは銃じゃあない、オモチャだ。その距離で当てられるか?」
 トーラスPT99を中年に向けて村上が淡々と言うが、中年のほうは顔色一つ変えない。中折れ帽子の下は太い眉毛と鋭い目付きで相手を威圧し、四角い顎には無精ひげで、眉間にはシワが刻まれている。スーツの上からでもかなりの筋肉だと解る大柄で、手にした拳銃が小さく見える。
「だから今時のガキは嫌いなんだよな。銃なんてのはトリガー引いて弾が出れば何でもいいんだよ。時代遅れで悪かったな。俺がチンピラや私立探偵に見えるか? なあ? 神和ぃ?」
「サンパチのシックスシューターなんて、今時だと私立探偵でも持たないですよ? って、ヘイヘイヘイ! 動くんじゃねー。あたしがチンピラに見えるってか? 私立探偵? 答えはノーだよ、ホーキ頭のドアホウ。クラムシェルホルスターでFN・ハイパワーとか生意気なヤローだな? 実はホルスターのほうが高いんじゃねーの? んで、トーラスのオートなんて安っぽいのでこの距離で当たるかっつーの。腰のハイパワーをクイックドロウでジョン・ウーライクに二挺拳銃でもやんのか? アホくせー」
 神和と呼ばれた女性が、村上に一歩近付く。二人の距離は二十メートルほどしかない。
「チビガキのほうは、ガバ? ハーフステンのガバメントってのは、まあ、なかなかに渋いね。オッサンのリボルバーよりも性能が良さそうだし、こっちよりもだ」
「ヤーヤーヤー。だから、ホーキヤロー、お前は勝手に喋るな。ただのガバじゃねーから心の底から注意しとけ、このクソバカヤンキー」
「それでー? アンタら誰? そこの奴のお仲間?」
 煙草を咥えたまま、含み笑いでチヒロが神和に尋ねた。応えたのは大柄の中年のほうだった。
「なんとも頭ぁ悪そうな女だな? 神和とどっこいだ。最初の科白はもう忘れたか? 現行犯でお縄で、ついでにブツでヤクの時代遅れだよ。俺は乾いぬいでそっちの小さいのが神和だ。取調べ中に名乗るのは面倒だから、今、きっちり覚えておけよ、安っぽいチンピラども」
 ははは、とチヒロの大笑いがボーリング場に響いた。
「ひょっとして、ケーサツ? しかもたったの二人? 実はドッキリでした、とかー?」
 言いつつチヒロは、ケータイで二人を再び撮影した。そのフラッシュに、ちっ、と舌打ちした中折れ帽子の中年、乾に代わって神和が銃を向けて応える。
「ヘイヘイ、パープルヘイズ。ここが最初の見せ場だから、その節穴できっちり見とけよ? あたしは――」
「県警三課だ。黙ってるなら誰も怪我をしなくて済むし、弾の無駄遣いもナシだ。ついでに無許可発砲の始末書もナシだから楽なもんだ」
「……うわ! 乾さん! そこ、あたしの見せ場! 名乗りのシーンで割り込むとかナシにして下さいよ! シェット! 涙出てくる」
 神和は子犬のようにキャンキャンと乾に抗議するが、手にあるシルバーグリップの拳銃はチヒロに向いたままだった。
「県警三課? 三課なんて聞いたこともないが、ノワールの俺らをどうにかしたいなら捜査一課か機動隊でも連れて来いよ、オッサンと……チビガキ!」
 村上が含み笑いのまま拳銃を神和に向けた直後、パパパン、と三連続の破裂音が薄暗いボーリング場、閉店したストライクに響いた。
「ヘイ、ミスター、動くなって何度も言わせんな。んで、改めて! あたしは、泣く子も笑う県警三課の神和彌子かんなぎ みこ! さ迷える紅い弾丸ったー、あたしのことさ! ボーリング場だからトリプルショットガンのトリプルタップだ。派手に吹っ飛べ、クソバカヤンキー。ハー!」
 両肩と右膝に神和からの弾丸を受けてよろめいた村上が、唸りながらフロアに膝を突いた。三つの赤い噴水で村上の目の前に血溜まりが出来る。藤原のほうと合わせて、アプローチレーンはブラッドバス状態だった。
「神和ぃ。その、さ迷える、っての止めろ。アホさが増すだけだ。派手女、動くな。そりゃあ大した銃だが、そんなモン握ったら、自慢の厚化粧が吹っ飛ぶぞ?」
 鋭い視線と三十八口径リボルバー、ディテクティブスペシャルを長椅子に座るチヒロに向けて、乾がゆっくり近寄る。
「ガバメントで三発なら残り三発だろうが!」
 血を吹き膝を突いた村上がPT99のトリガーを引くと同時に、神和と乾は左右に飛び、パパパンと再びの連続発砲音。村上の拳銃から一発と、神和が二発。両肘に弾丸を受けた村上がうめきつつ、PT99を落とした。
「クソホーキ頭、お前はガンマニアかっつーの。フォーティーファイブで弾切れに見えるってか? ただのガバじゃねーって言ったぞ? ダブルタップで実は残り十一発。さて、なーんだ?」
「……ガバメントで十六発? そんな銃!」
「ありませんってか? チチチ、あるんだよ、ドアホウ。ハーフステンのガバ9ミリカスタムだよ。グリップカヴァーは特注のメイプルだ。プラスワンで十六発で、ついでに右に予備マグが二本。あたしと銃撃戦やりたいんだったらお前がSATでも機動隊でも連れて来いってんだ、このホーキ頭のクソバカヤンキー」
 神和彌子は更に近寄りつつ、膝を突いて両肩と右膝と両肘から血を吹く村上、血まみれでアプローチフロアにうずくまる藤原、長椅子で笑うチヒロにガバメントを向ける。FBI式とも呼ばれる両手持ちの構えで素早く照準を切り替えている。
「クソガキ!」
 チヒロが叫んでリボルバーを握ったが、パパン、二連続のマズルフラッシュでチヒロは村上同様、両肩から血を吹き出して椅子に叩きつけられた。
「パープルヘイズのケバ女は見た目通りのアホだな。レイジングブル? そんなデカいリボルバーでファストドロウってか? 無理無理。そのダサい金髪を木っ端微塵にしたいところだけど、始末書がメンドーだから左右に外してやったぞ? あたしとイエスとブッダとアラーに感謝して祈れ、ファッキン・ノータリンビッチ」
 両肩に二発の弾丸をほぼ同時に受けたチヒロは背もたれを真っ赤に染めて、血と悲鳴交じりで長椅子の上でもがいていた。藤原の隣で膝を突いている村上は両肩、右膝、両肘から血を吹きつつ唸っている。表情は苦痛で歪み、先刻までの冷静さは僅かしか残っていなかった。
「け、県警三課の……さ迷える紅い弾丸? お前……カンナギ? マフィア潰しのトリガーバカ?」
「ヘイヘイヘイ、だからさ、もう名乗ったし、トリガーバカは余計だ、ファック・オフ。悪党相手に迷わず発砲、たまに迷子のお茶目なポリスガール。あたしが噂の紅い弾丸、県警三課の神和彌子だよ。ドゥユー・ノゥ? ホーキ頭のチンピラクソヤンキーくん?」
 村上一哉、亀山千広を行動不能にした神和は、銃を構えたまま藤原にゆっくりと近付いた。赤白バッシュのソールが同じく赤い血溜まりをそっと踏む。
「アンタ、蛇尾じゃびの連中といざこざやってるチンピラグループの、藤原だよな? 既にボッコボコじゃん。しかも二発も撃たれてるし。サイテーだな、今日は厄日ですってか? ご愁傷さま」
「……ケーサツ?」
 声をかけられた藤原が神和を見上げる。若い、というより幼く見えるが、大きな瞳が自己主張しているようで特徴的だった。
「だーかーらー! 県警三課だってば! こういうのは一回でビシッと決めるのがカッコイイんだよ。泣くぞコノヤロー」
 ふう、と溜息は中折れ帽子の乾からだった。リボルバーは脇の下のホルスターに戻し、中折れ帽子を取り、頭をバリバリとかきむしりつつ溜息をもう一つ、自分の革靴から視線を神和に移した。再び帽子を被る乾の口には煙草があった。
「神和ぃ。お前、そういうのを恥ずかしいとか思うことないか? 映画の観過ぎだ。そこでバッヂでも出したら完璧なアホの出来上がりだよ」
「やっぱし、こういうシーンではバッヂですよね? でも残念ながら、日本のお巡りさんのバッヂはパスケースと一体なのよ。ほれ、これが警察手帳。初めてじゃねーよな? 本物だよん。写真写りはイマイチだけど、これがあたしさ」
 肩と腿に一発ずつ銃弾を受けて、腹部を殴られ頭部を蹴られた藤原が、かろうじて開いている片目で神和の手にあるパスケースを見た。
 差し出されたチョコレート色のパスケースの表紙は無地。縦開きの開いた上ページには冬制服姿の神和のカラー写真と、刑事部捜査第三課・組織犯罪対策室、神和彌子巡査部長とあった。折りたたみの下ページに金色でPOLICEロゴの入ったバッヂが貼ってある。
「お前……カンナギ? 捜査中に迷子になる、刑事のクセに銃を撃ちまくる、ギャングだのマフィアだのを潰して回る、さ迷える紅い弾丸?」
「噂通りのトリガーバカなんだよ、そいつは。ちなみにな、お前らを潰してるのは神和じゃあなく、俺ら県警三課だよ」
 溜息交じりの乾が面倒そうに付け足し、自分の手帳を見せた。こちらには刑事部捜査第三課・組織犯罪対策室、乾源一いぬい げんいち警部補とあるが、藤原はそれを確認する前に意識を失った。
「神和ぃ?」
 乾が神和彌子を怪訝な目で見るが、神和はぶんぶんと首を振った。
「いや! 撃ってない! こいつは撃ってませんよ? いや、ホントに――」
「死ね!」
 血塗れの拳銃を構えた村上が叫び、パパン、神和のガバメントが火を噴いた。二発の9ミリ弾頭が村上の右手と首を撃ち抜き、村上は血溜まりの床に仰向けに倒れた。
「三課の捜査官がチンピラ相手で死ぬか、このアホヤンキー。こいつ、何発喰らえば黙るんだよ。急所外すにしたってもう撃つところないし、ダブルタップで首にも一発入れたからちょっとヤバそうだし、ねえ?」
「何が、ねえ、だ。ジョン・ランボーじゃあるまいし、撃ち過ぎだ、このトリガーバカ。自分でさ迷えるなんて名乗って、恥ずかしい奴だな。こっちが赤面しちまう」
 両肩を神和に撃ち抜かれて血まみれのチヒロから大型リボルバーとケータイを取り上げて、乾は懐から折りたたみケータイを取り出した。
「テメー! 何が紅い弾丸だ! ケーサツなんて、ユウジとギャラガーでぶっ潰してやるんだから! 弁護士呼べよ! チビガキ!」
 紫のノースリーブを血で真っ赤に染めたチヒロが、苦痛の表情で怒鳴った。
「シャットアップ、うっせーよ、ケバケバのノータリン・パープルヘイズ。二発も貰ったらブラッドバスで黙ってろ。何が弁護士だ。保釈金で出てくるなんてシステムは日本にはないんだよ。ギャング気取りなら司法システムくらい頭に入れとけ。んで、そーいう時は腕のいい検察呼べ、ドアホウ。チビで悪かったな。ガキはお前だろーが。ケバいチンピラ女のクセにクロスドローのヒップホルスターで、レイジングブルなんて高いリボルバー、持つんじゃねーよ、クソ生意気な。こんな大口径をお前が扱えるかよ、このクソバカヤンキー。黙ってないと頭にダブルタップすっぞ? 9ミリで二発も喰らったら、そのダサい金髪がスプラッシュのミンチだぞ? ファッキン・ゴーアヘッドでハレルヤのエイメンだ」
 乾は二人を無視してケータイを耳に当てた。
「露草か? 俺だ、乾だ。村上と亀山と藤原、情報通りだ、現場は押さえた。負傷者が、えー、三名。救急車呼んでやってくれ。二人が二発喰らってて、もう一人は七発も喰らってるが、たぶんまだ生きてる。神和のアホがまた撃ちまくった。俺は一発も撃ってないよ。相手も銃を持っててな、何発か撃たれたがこっちは喰らってない。今日はもう店仕舞いだから後始末は任せる。カチョーと羽生はにゅうのお壌に報告、よろしくな」
 ふう、と再び溜息で、乾は咥えた煙草にオイルライターで火を点けた。
「神和ぃ、蘭子らんこが怒っても俺は知らんからな?」
「いやいやいや、誰も死んでないから鳳おおとり姉さんの出番ないっすけど? 薫子かおるこちゃんには出張ってもらうでしょうけど」
「あんだけバカスカ撃ちまくって、須賀のお壌ちゃんも大変だな、こりゃ。露草の小僧がフォローで来るから、ワッパつけとけ」
「乾さーん、ワッパは古いですよ? ま、ここは賢太くんにお任せってことで、車回しまーす」
 神和は村上とチヒロをスチール椅子に手錠で固定し、気絶した藤原には乾が手錠をかけた。拳銃をショルダーホルスターに戻した神和は、閉店したボーリング場から早足で出て駐車場に向かった。と、車まで歩く途中の暗がりから見知った顔が出てきた。黒いスーツで表情も黒い、乾より幾らか若くて小柄な男だった。
「あれ? サミーさん? 夜遅くまでお疲れさまー。中には三人、一人はチンピラで、残りは村上と亀山、ノワールのメンバーですよ。安部と阿久津はいないみたいですから、今晩はサミーさんの出番もナシってことで。ノエルもスネークテイル系列もいないっぽいんで、リーさんにもそう伝えておいて下さいな。んじゃ、また後日」
 黒スーツの中年、公安のサミー山田は無言で神和の説明を聞き、一言も発さずにそのまま立ち去った。

 熱帯夜のボーリング場ストライクの入り口傍駐車場には、シルバーのダッジ・ステルス、フェアレディZコンバーチブル、180SXが置いてある。村上らの車らしい。そこから爆音が響き、神和を乗せた黒いツーシーターのスポーツカー、グリフィス500が唸りつつゆっくりとボーリング場ストライクの入り口に寄り、待ち構えていた乾をナビシートに乗せた。
 二人はそこでしばらく待機して、三課の露草賢太が手配した神部署の自動車警らパトカー二台と救急車を確認して、ボーリング場を後にした。
 神和がステアを握るグリフィスは、のんびりと中央道に入った。時間帯は深夜の手前で、幹線道路である中央道の交通量はまだかなりだった。帰路を急ぐのか飛ばす車両が多かった。
「だからよぅ、こんなやかましい車で捜査なんぞ出来るかよ」
 ナビシートで煙草を咥えた乾が、ウンザリだ、といった調子でぼやいた。
「いいんですよー、これで。ご機嫌のV8サウンドっすよー。ここいらは高級車だらけだから逆に自然なんですってば。それに、速いので逃亡されてもこいつなら追いつけますし、何より……カッコイイ!」
 夜の中央道をゆっくり流すV8の5リッターエンジンは低速でも爆音なので、神和の鼻歌は掻き消されている。
「だから、お前は映画の観過ぎだ。カーチェイスなんぞ管轄を越えれば無意味だし、そういうのは交機に任せればいいんだよ。それにな、日本のお巡りさんはもっと地味で堅実なんだよ。銃をバカスカ撃ちまくって、アホみたいに名乗って、オマケにこんな車と来た。さ迷えるってアレ、どうにかしろよ」
「乾さんだって、ジャガーのソブリンなんて渋いのに乗ってるじゃないですか。こいつより高いんじゃないっすか? んで、もう、リーサルウェポンとかグリマーマンとでも呼んで欲しいくらいっすけど、まあ、ノリですよ、ノリノリ。さ迷える紅い弾丸! 何かカッコイイじゃないっすかー!」
 ヘビースモーカーの乾は渋い顔でラッキーストライクを継ぎ足す。二人の普段の足であるV8オープンカーの灰皿はラッキーストライクで満杯だった。
「そりゃお前、捜査中に迷子になって、バカスカ拳銃撃ちまくるアホへの、捜査一課からの嫌味だよ。それくらい気付け」
「嫌味だろうがカッコイイならアリですよ、アリアリ。一課は一課で大変でしょうし……って、ちょっと電話を。ハンズフリーだから大丈夫ですよん……はいな、神和です、って葵あおいか。頼まれた件なら鑑識に……おお! 真実まなみちゃんと? うん、いいよー。今、丁度一仕事終わったとこだし、隣のいかついオッサンをどっかに降ろして、ビーンズだよね? うん、二十二時半までには行けると思う。報告書は明日でいいや。んじゃ、後でねー」
 ハンズフリーフォンをオフにした神和に、乾は嫌味と煙草の煙を向けた。
「神和ぃ? デカが現場で銃をバカスカ撃って、その後に酒飲みに行くって、お前は警視総監よか偉いってか? いかついオッサンってのは俺のことか?」
「まあ、細かいことはナッシングでノープロブレム。それに、デカって死語ですよん。ちなみにさっき、サミーさんと会いましたよ?」
「デカはいつの時代でもデカじゃねーか。で、公安一課からはるばるのサミー山田巡査部長、ねえ。安部だの阿久津だのは別だろう?」
「ノエルもスネークテイル系列もいませんでしたし、リーさんももうしばらくは三課でしょうね。そういう報告なんかも明日ってことで、あたしは今から非番でーす」
 二人を乗せたオープンスポーツカーは爆音を撒き散らしながらのんびりと幹線道路を北上する。途中で乾を降ろした神和は、そのまま蘆野市にあるショットバー・チェリービーンズにステアを向けた。交通量が若干減った夜の幹線道路にV8の咆哮が響いていた。

 ――進出してきた海外資本の企業、就労目的の在日人と留学生の増加に端を発した犯罪の増加、凶悪化と国際化に、県警本部長の影山めぐみ警視監は刑事部捜査第三課・組織犯罪対策室を設立し、これに対応した。
 通称「県警三課」は諜報活動と機動捜査を得意とした少数精鋭の実験的組織である。
 永山教永警部をリーダーに置き、捜査官は乾源一警部補を筆頭に、露草賢太巡査部長。刑事部鑑識課の須賀薫子警部補、刑事部科学捜査研究所所長兼プロファイリングチームリーダー、相模京子と所員の加納勇かのう ゆう。防犯監視用カメラによるCARASシステムを実験運用する地域課第二通信司令室室長にして専属オペレータの羽生美香巡査。他に付属桜桃大学医学部法医学科助教授で監察医の鳳蘭子らと連携し、県警三課は殺人から誘拐やテロ、サイバー犯罪なども想定した多用途組織として試験運用され、現在は「ノワール」と呼ばれる犯罪組織を内偵中である。

 神部市の繁華街にあるグルメタウン、通称リトルトーキョーを拠点にする犯罪グループ・ノワールは国内でも屈指の大規模凶悪組織である。
 国際指名手配テロリストの安部祐二、先物取引と株式投資の大手企業アクツエージェンスを資金源に裏社会を出入りする阿久津零次、ユーロ圏の麻薬王ノエル・ギャラガーらを抱え、中国系密入国ブローカー組織、蛇尾じゃびやロシアンマフィアのルチルアーノ・ファミリー、ニューヨークマフィアのガンビーノ一家、セルビアのテロ組織、レッドスターとも繋がりがあるとされるノワールは、その勢力を広げつつあった。

 対する県警三課には、警視庁公安部公安第一課からサミー山田巡査部長、中華人民共和国公安部から李錬杰リー リェンチェ一級警司らが捜査協力の名目で応援参加していた。
 そして、県警三課の女性巡査部長。V8スポーツのグリフィス500に乗り、コルトガバメント9ミリカスタムを撃ちまくる神和彌子。「さ迷える紅い弾丸」「トリガーバカ」などのスットンキョーな渾名を持つ、二十五歳で彼氏募集中の彼女は、私立桜桃学園理事長の天海真実、同学園スクールカウンセラーの露草葵の旧友で、蘆野市のショットバー、チェリービーンズに向かい、当然のように迷子になっていた。
「うわ! ここ、どこよ? 知らない景色が続くしー!」
 さ迷える紅い弾丸、カーナビくらいは用意しよう。

第三章~速河久作とギリギリチョップ ―ここで輪を描いて回るもの―

 中等部時代は人間嫌いで通していた速河久作はやかわ きゅうさくは、高等部に上がってからその態度を変えた。友達と呼べそうな人物が山ほど登場して、平凡を愛する久作の学園生活が相当に非凡なものになったからだ。
 クラスメイトの方城護ほうじょう まもると彼の小学生時代からの友人、須賀恭介すが きょうすけは、私立桜桃学園高等部1‐Cの中でも特殊なタイプだった。
 方城はバスケ部のエース、通称「桜桃のスコアリングマシーン」と呼ばれるパワーフォワードで、学生バスケ雑誌に方城の写真が掲載されることも多かった。近隣学校のバスケ部全部からマークされていて、学園内では女子連中からマークされている。
 長身で引き締まった筋肉と尖った風貌は中等部と高等部の女子を騒がせて、スコアリングマシーンを阻止しようとするディフェンスプレイヤーも騒がせていた。方城はチームスポーツをするからかフレンドリーで親しみやすく、超高校級スタープレイヤーながら気取ることもなく、ひたすらに良い人である。
 須賀恭介はそんな方城護の対極のような人物だった。大柄だが痩せていて、桜桃ブレザーはいつもしわくちゃ。大人びた風貌は人を寄せ付けず、教員からも一目置かれていた。頭脳に関しては大学院レベルで、どうして高等部にいるのかと尋ねると、暇潰し、そんな答えだった。
 読書家で洋書を片手が須賀の普段の姿で、やたらと難しい会話をするが、ハイレベル過ぎてそれが皮肉だと気付かないということも多々あった。民俗学だの言語学だのを趣味で学び、今は犯罪者行動心理学とプロファイリングに夢中らしく、洋書に日本のミステリ小説も追加されていた。「ハードボイルド探偵」と久作は内心で呼んでいるが、実際にそうだとしても驚くでもない。方城とは違うタイプながらこちらも女子を騒がせるに充分で、須賀恭介ファンクラブなるものがあるという噂まであった。
 こういった二人を見ると、久作は自分が実に平凡な高等部一年生である、と確信出来るのだが、二人からは違う意見が毎回出る。
「空手部主将とヘビー級ボクサーをぶっ飛ばす奴が平凡なら、格闘技やってる連中は全員、平凡だよ」
 スコアリングマシーン・方城護の科白である。
「速河、お前みたいな奴はな、SF小説にでも登場するのが一番だ。お前のそれは一種の超能力だしな」
 須賀恭介がSFを読んでいるらしいことが解る科白だが、久作がどうなのかを説明するには足りない。
 とりあえず久作が自覚しているのは、自分がある種の格闘技を我流で少し使えることと、ホンダXL50Sという古いオフロードバイクに夢中なこと、そして、安物のデジタル腕時計から念願のGショック・タフソーラーに買い換えて満足している、これくらいだった。
 他は、クラスメイトの加嶋玲子かしま れいこと親しくなったこと、レイコの友達とも親しくなったこと、別クラスにも友人が出来たこと、そんなもので、空手部だボクサーだはどうでもよかった。
「グーテンダーシュ! 速河久作! 葵ちゃんがバイクで事故ったって、知ってるか?」
 真夏の化身のような、朝一番から無駄に元気な橘絢たちばな あや、彼女も相当に変わった人物だ。女性にしては小柄だが胸と長い脚のラインが魅力的な金髪ツインテールで、カッターナイフのような鋭い目付きにブラックシャドウが獰猛な猫のように見える。大きなカバンにはノートパソコンとモバイル端末、ケータイなどの電子機器とモバイルゲーム機とソフトを詰め込んで、教科書やノートはオマケのようだった。
 四月、高等部からの編入組で、それ以前はアメリカ西海岸に住んでいたらしい。
 熱狂的なゲーマーで、3D格闘ゲーム「ミラージュファイト2」を熱心にやっており、オンライン対戦だのゲームセンター対戦だので負け知らずで、「エディ・アレックス使いのアヤ」として蘆野市と桜桃学園では有名だと聞いた。
「って、話聞けよー、速河久作」
「ああ、ごめん。露草先生が事故? ラベルダで?」
 保健教師でスクールカウンセラーでもある露草葵は車を運転しないので、事故ならラベルダだろう。イタリアンカフェレーサー・ラベルダ750SFCが露草の愛車で、腕前はかなりのはずだが、どうやら事故らしい。
「昨日の夜にさ、葵ちゃん、山で車にあおられて結構派手に事故ったらしいぜ?」
 桜桃学園と市街地を結ぶ、通称「心臓破りの坂」を更に上ると、標高八百メートルほどの頂上展望スペースまで、ずっと峠道になっている。バイクで流したり車で走ったりすると爽快で、久作もたまにXL50Sで走る。
 露草はバイクこそラベルダだが無意味に飛ばすタイプではなく、峠を走るにしても景色を眺めつつのツーリングのはずだが、アヤが車にあおられた、そう言っている。
「どうりで、駐輪場にラベルダがない訳だ。で? 露草先生の具合は?」
 アヤと露草は親しく、主にネットを介してでプライベートでも付き合いがあり、露草がアヤに知らせたのかアヤが嗅ぎ付けたのかは知らないが、事故とやらの概要を知っているようだった。
「事故は派手だけど怪我は軽くで済んだって。今日も保健室にいるし、バイクは修理に出してるとか、そんならしいよ? でさ、問題はその相手!」
「相手? ああ、車であおられたって、中央道……じゃなくて蘆野の峠道だっけ?」
「昨日の夜、蘆野山の峠だってさ。葵ちゃんのあのオレンジのバイクって結構速いじゃん? それで頂上から下ってたところを車であおられて、ガードレールにドカン、だってさ」
「下りでガードレール? 無事なのが不思議な話だけど? バイクをあおる車って、ラベルダクラスのバイクなら、まず車で追いかけるのは無理だろうに、妙な話だね?」
「だよな? あたしもそう思う。車とかバイクのことは知らないけど、何度か後ろに乗せて貰った葵ちゃんのライディングは上手だし、夜の峠で下りでも、普通の車なんか相手にならない筈でしょ? ねえ、リカちゃん?」
 アヤが振ると、クラス委員の雑務を終えた橋井利佳子はしい りかこが加わった。艶のある黒いストレートヘアを掻き揚げつつ、アヤに並んだ。長身のリカと並ぶとアヤの小柄さが目立った。アヤが金髪ツインテールで自分を大きく見せているのか、とも思えるがその辺りに触れたことはまだない。
「気になったから朝一番で保健室に顔を出してみて、幸い大事には至らなかったみたいだけど、だからバイクって怖いのよね。でも、久作くんに選んでもらったあのバイクはお気に入りよ?」
 1‐Cクラス委員の橋井利佳子、通称リカちゃんは六月までバス通学だったが、バイク通学に切り替えた。その際、久作はバイク選びを頼まれて、リカにはホンダJOYという、古い三輪スクータをチョイスした。ピザ配達バイクのような三輪だがコンパクトで可愛らしく、リカの好みにもはまったらしい。
 同じくのアヤには、スズキのRG50ガンマ・ウォルターウルフ。レイコがイノチェンティのランブレッタ48と個性的なモペッドなので、古くても国産でパーツなどが入手できそうな範囲内で少しマニアックなバイクを探し出してみた。
「おはよう、リカさん。ホンダ車はパーツなんかも手に入りやすいし、似合ってるかなって。ファンファンとかポップギャルなんてのも考えたんだけど、あんまりマニアックで古いのはメンテが大変だしね」
 まだ登校していない須賀恭介はスズキ・ミニタン50で、1‐C前方で眠っている方城護はスズキ・ホッパー、共に久作がチョイスした。須賀はずっとバス通学で、方城はトレーニングを兼ねてマウンテンバイク通学だったのだが、二人からバイクにとリクエストがあったので、スズキ車で揃えてみた。
「それで、アヤから少し聞いたんだけど、露草先生は車にぶつけられたんだとか。物騒な話よね?」
「平凡であることが平穏であるとは限らないという教訓だな。おはよう、諸君」
 リカの隣から須賀恭介が、難解な科白と共に現れた。相変わらず桜桃ブレザーはしわくちゃで、既に文庫本が手にある。表題から国産ミステリの類らしい。
「おはよう、須賀。峠なんかでバイクを飛ばしてると、あおってくる車もたまにいるんだけど、原付ならまだしもラベルダ相手に、よくやるよ」
「露草先生のバイクの腕前は俺も知っているが、ガードレールに追突とは穏やかじゃあないな。相手の正体は?」
 椅子を手繰り寄せて文庫本片手で、須賀はアヤに尋ねた。
「ケータイで撮影した画像が葵ちゃんからのメールに添付されてたけど、真っ黒の車で、えーと、これこれ」
 アヤが黄色いケータイを出して、久作、須賀、リカが覗き込む。最新のタッチパネルケータイでネットに強い独自OSを搭載している、いかにもアヤが好みそうなスペックのケータイである。
「大きなリアスポイラーで、ラリーカーみたいだね。僕は車関係は詳しくないんだけど、多分有名だと思うよ」
「ラリーカー? WRCだとかのあれか? そんなものが蘆野山の峠を走るのか?」
 須賀が文庫本に視線を落としたまま訊いた。
「4WDでラリーカーのベース車両なら、少しチューニングすれば峠でも走れるんじゃないかな? 七百五十CCのラベルダに追いつけるかどうかは知らないけど、露草先生が事故るくらいだから、幾らか改造してるんだろうね」
「そのまま崖の下でもおかしくない状況らしいが、その辺りが露草先生の腕なんだろうな。警察へは?」
 須賀がケータイ片手のアヤに尋ねた。
「被害届はまだ出してないらしいけど、葵ちゃんて警察に知り合いがいるらしくて、その人に相談するんだってさ」
 スクールカウンセラーの露草葵は桜桃学園では浮いた存在だが、教員、生徒を問わずで人望があり、プライベートでも特殊な人脈があるらしい。そういった話はしたことはないが、露草の人柄は人を寄せ付けるので不思議でもない。
「警察が動くんなら問題はないね。怪我も軽いみたいだし、ラベルダは保険修理だろうし。昼休みにでもみんなでお見舞いに、どうかな?」
「まあ、当然だろう。俺は構わんし、方城も問題ないだろう」
「私も気になるから。レイコは、まだ来てないの?」
「レーコ? もうすぐホームルームなのに、遅いなー」
 久作の右腕のタフソーラーは八時五十五分と表示されている。ホームルーム開始まで五分ほどしかない。
「またガス欠で立ち往生とかしてんじゃねーの?」
 アヤが、どうでもいい、という風に言った。レイコのランブレッタ48はタンク容量が三リットルと少ないので、何度か心臓破りの坂で止まったことがあった。その一回が速河久作と加嶋玲子かしま れいこの出会いでもあるのだが、普段なら登校しているレイコの姿がまだない。
 と思った矢先、1‐Cにレイコが文字通り飛び込んできた。
「セーフ! アウト? ギリギリチョーップ! おはよー!」
 アヤと同じかそれ以上の元気は毎朝で、若干息を切らせたレイコが満面の笑顔で駆けて来た。ブラウンのショートボブがあちこち跳ねていて、手には真っ赤なジェットヘルが握られている。
「坂の途中で鉤かぎ尻尾のオッサン猫がいてね? 喋って遊んでたら遅れたニャー!」

 橘絢、橋井利佳子、年配猫と世間話だかをしていた加嶋玲子。高等部1‐Cの仲良し三人組は「リカちゃん軍団」と呼ばれている。
 アヤがそう名乗りだしたからで、リーダーはどうやらリカらしいが、どの辺りが軍団なのかは未だに不明である。リカちゃん軍団は私立桜桃学園では有名で、それぞれにファンクラブがあるという噂は報道部の奈々岡ななおかからだが、久作は自分のファンクラブを想像してみたが、実態は良く解らなかった。
 方城ほどたくましくもなく、須賀ほどクールでもないが、運動関係は一通りこなして学力も問題なく、ヘルメットを被るので適当な髪型だが見栄えもそこそこ。中等部時代の名残りで人と関わるのは相変わらず苦手だが、作り笑いのアルカイックスマイルでそこをカヴァーして、とりあえず1‐Cでは不自由なく過ごしている。自由と平和と平凡を愛して、ついでに世界平和を祈り、リカちゃん軍団や奈々岡ななおか鈴すずという友達もいて、いかにも高校生らしい。
 窓の外は快晴。夏休み直前で随分と暑いが、露草葵の事故は別にして、とりあえず久作の周りは平和ではあった。午前九時ジャストに担任が入室し、十五分のホームルームを終えてから、西洋史の阿久津零次あくつ れいじ教師と入れ替わった。メタルフレーム眼鏡に高そうなダブルスーツの阿久津教師は、夏休み前の七月頭に桜桃学園高等部に赴任してきたばかりだった。
「おはよう、皆さん。初めましてだね? 僕は世界史、西洋史の阿久津、阿久津零次。二十八歳とみんなよりは年上だが、先生の中では若いし、自分でもまだ若いつもりだよ。阿久津先生、零次先生、好きに呼んでくれていいよ。君たちに西洋史を教えるのが僕の役目だけど、実際のところ、ヨーロッパ辺りの歴史なんてものは何の役にも立たない、単なる試験用の雑学さ。作家か映画の脚本家にでもなりたいのなら別だが、ローマ帝国の繁栄と崩壊、ナチスのアドルフ・ヒトラーの生涯とユダヤ人迫害なんてものは、将来の仕事や生活には全く役に立たない単なる雑談のネタさ。それでも先生風に言うと、西洋であれ東洋であれ、歴史から学べることというものは多いんだよ。例えばヒトラーにしても、戦争を起こすほどの熱狂的な信奉者を集めたカリスマ性というのは、ある種の人間関係を理解する際の材料になるし、繁栄を極めたローマ帝国の崩壊までの過程は、ある組織の成り立ちを説明する助けになる。つまり、表面上は全く役に立たないように見えるこの教科書も、きっちり内容と背景を理解して読めば、経営学やビジネス会話のマニュアル本よりは実用的だと、そういうことさ。授業としては当然でテストと試験を想定した進め方をするけど、折角だから色々なことを教えてあげたいと思ってるよ。それをどう解釈するかはみんなに任せるが、歴史なんて実際には役に立たない、なんてことはない、これだけ覚えておいてくれれば僕は満足さ。小テストなんかもするけど、歴史というのは大半が暗記だから、興味のない人はパズルか何かだと思ってくれればいいよ。じゃあ、授業を始めよう――」

 新任の阿久津教師。
 二十八歳だと言っていたがもう少し上に見えるし、女子にウケそうな二枚目風でもあった。言っていることもまともだし、頭も良さそうで、どうやら優秀な教員のようでもある。
 教師をからかうことを趣味にしている須賀恭介なので、そのうち「コロンブスが乗っていた船はブラックパール号でしたかね?」などという科白も聞けるだろうが、阿久津というこの教師なら、笑って「タイタニック号で大きな流氷を発見して、それをガラパゴスと名付けたのが彼だよ」などとジョークで返すくらいはするかもしれない。洋の東西を問わず歴史には興味のない久作だが、苦手ということもなく、まあ、退屈でなければ何でもいい、そんなところだった。
 ところで、ギリギリチョップとは何だろう?

第四章~橘絢とスクランブルケータイ2 ―酒場に私がいるときにゃ―

 二十二時半、平日。
 クルミ材の凝った内装のバーは柔らかいオレンジ色の間接照明がメインで薄暗く、それがいかにもバーという印象だった。年代物のレコード式ジュークボックスがムードを盛り上げている。カウンターの向こうで銀色のシェイカーを振る口髭の男性、こちらもバーテンダーの正装でショットバー、チェリービーンズの雰囲気にピッタリだった。
 バーテンダーの背後の壁は大きな木製ラックでアルコール各種が丁寧に並べてあり、店内で唯一の場違いは速河久作と須賀恭介の桜桃ブレザーくらいだった。
「なんや? 速河。ウチの顔にご飯粒でもついとるんか? さっきも言ったけどや、怪我は大したことないで? 夏でもパット入りの革ジャンやし。メットが傷だらけでラベルダちゃんは入院やけど、たぶんフレームまではいってないと思うしや。相手の正体は知り合いに調べてもらっててな、えーと、なんやったかな?」
「葵、そうじゃあなくって、こちらの、速河くん? この子は困ってるのよ、ねえ?」
 ねえ、と首を傾げたのが天海真実あまみ まなみという女性だと聞いたが、初めて見る顔だった。肩書きが久作らの通う私立桜桃学園の理事長だとも聞いたのだが、学園内で見た覚えはない。
「ラベルダちゃんのテールつついたんは……エボ、エビ、エバ? そないな名前の車やて。四駆でえらい速い奴で、ウチは車は解らんけど、四駆のエバやって。んで、別にやー、バーやからってお酒頼まなアカンてこともないやろ。ここ、喫茶店もやってるんやし、速河がおっても別に不思議でもないで? 須賀のほうは、ほれ、のんびりくつろいどるやん」
 露草の言う通り、須賀恭介は実に落ち着いていて、しわくちゃの桜桃ブレザーでなければ飲んでいるのがバーボンやスコッチウイスキーでも全く不思議でもない。久作はバイクにはまあまあ詳しいが車の知識は殆どなく、アヤから見せてもらった大きなリアスポイラーで四駆の、エバだかは知らなかった。そんな名前のロボットがいたような気もしたが、タイヤは付いていなかったし四駆ではなく二足歩行だった。そのエバが蘆野山の峠で露草のラベルダをあおって、接触したらしい。
「ここには何度か来たことはあるんですけど、こんな遅くにってのは初めてで、少し緊張しますね」
「ほー。仙人な速河でも緊張することとか、あるんやな?」
 喜怒哀楽を余り表に出さない久作を露草は仙人、そう呼ぶことがあるが、別に緊張しているのでもない。久作はどうにも落ち着かない気分を、緊張という言葉で表してみただけだった。天海真実と、バーカウンターに座る黒いスーツ姿の年配、この二人が久作を落ち着かない気分にさせていた。
「改めて自己紹介しておくと、私は真実、天海真実で、あっちに座ってるのは月詠六郎さん。色々と私の面倒を見てくれてる人で、肩書きは執事ってことになってるけど、まあ、ボディーガードみたいな人よ。桜桃の理事長をやってる私がアナタ、速河くんを知らないのは、私の仕事が経営方面だからで、学園のことは教頭の金山かなやまさんに全部お任せだからよ」
 流暢に喋る天海真実に対して久作は、はあ、とだけ返した。初対面であれこれ説明されたところで今後どうなるでもないので、それ以外に返す言葉が思い付かない。
 優しく喋る天海真実が理事長でも床屋でも久作にはどうでも良く、とりあえずチェリービーンズというバーのムードにはお似合いなクールな美人だ、というくらいだった。そこでクラスメイトの加嶋玲子と天海真実を比べると、天海真実はどちらかと言えば橋井利佳子に近い雰囲気ではあったが、二人ともファッションモデルかグラビアアイドルで通用する美人ではあるが、女性にあまり興味のない久作なので、こちらも、だからどうという話でもない。
「速河、久作くん、だったわよね? 珍しい名前ね? 嫌味じゃあなくて。珍しいけど素敵だしお似合いよ?」
「珍しいとは良く言われます。自分の名前なんで違和感はありませんけど、両親のネーミングセンスには感謝してます」
 露草がお喋りながら聞き役なのに対して、天海真実は率先して口を開くタイプのようだったが、やかましいというほどでもない。名前のことを訊かれるのはこれで百回目くらいだが、真実に説明した通りで不満もない。
「お隣は、須賀くん、だったかしら?」
「ええ。須賀恭介です。速河と同じクラスで、露草先生には何度かお世話になっています。天海さんのお名前は聞いていますが、あちらの月詠という方は知りません。情報の価値は質で、知識が多ければ全て良いというものでもありませんから」
 若干早口で須賀は言い、視線を文庫本に戻した。
「アナタの話は少し聞いたことがあるわよ? 高等部一年に風変わりな男子生徒がいるって。中等部ではずっと学年成績が五十位で、高等部に上がってからはずっと一位で、たぶん卒業までその位置だろうって。五月と六月の事件の時に隣の速河くんと一緒にあれこれ動いて、お友達も大活躍で事件を片付けてくれたとか、そういう話」
 天海の口調は、どこかからかうようでもあったが、須賀は全く気にせずに応える。
「そこに方城と、リカくんらの名前も入るんでしょうが、学園史に残すのはお勧め出来ませんね。過去の積み重ねが現在だとしても、忘れたほうが良い思い出というものもありますから」
「へえ。噂通りの変わり者ね? アナタ、まるで辻さんみたい」
 言いつつ天海は、バーカウンター向こうでシェイカーを振るバーテンダーを見た。月詠と談笑していたバーテンダー、辻という名前らしい年配はその視線に気付いたらしく、軽く会釈をした。
「俺はカクテルなんかには詳しくないですし、アルコールの類に興味もありませんが、あちらの、辻という方、名前は今知りましたけど、あの方とは何度か顔を合わせたことがあります。会話らしい会話はないですがね。バーテンダーを相手に、アルコールは脳細胞を破壊する、なんて科白は無意味でしょうし」
 須賀は普段、久作らと喋るときは本を見つつだが、天海に対してはきっちり目を合わせていた。橋井利佳子、リカが須賀のそんな態度を何度か注意することもあったが、結局はリカが折れて、須賀は誰かと喋る際にも小説片手で、興味のない話題だと面倒そうにぶつぶつと呟くばかりだった。そして、天海の持ち出した話題はどうやら須賀の興味対象ではないらしく、視線こそ合わせているが、口調はいかにも退屈だ、と言わんばかりだった。ジンジャーエールを含み、視線はミステリ小説を追っている。
「……アナタ、きっと辻さんや月詠さんと話が合うでしょうね。私って退屈?」
「天海さん、真実さんでしたか。アナタは退屈ではないですが、話題は変えて欲しいですね、正直なところ。鏡でもあるまいし、俺は俺のことに興味はありませんし、学園の経営状況なんかにも興味はないです。あちらの月詠さんだかにも、今のところ興味はありません。変人だと思ってくれて結構ですよ。他人からどう見られるか、こちらにも興味はないので」
 久作もだが、須賀には建前や裏表という概念がない。思ったことを思ったまま言い、その意見はほぼ変えない。それでいて方城やリカちゃん軍団と親しいのは周囲がそういう須賀を許容しているからで、別のクラスメイトは須賀に話しかけるどころか近寄りもしない。
「ねえ、須賀くん? だったらアナタ、どんなお話だったら私に興味を抱くのかしら? 大人の女性はお嫌い? クラスメイトと比べて見れば私なんてオバサン? アナタ、とても十六歳には見えないわね。私より年上みたいに落ち着いてて、モテるんでしょう?」
 天海真実の前には小さなグラスがあり、中身はウォッカで、入店してまだ三十分ほどだが天海は少し酔っているように見えた。隣に座る露草は煙草片手にピーナッツをこりこり噛みつつコロナビールをぱかぱか飲んでおり、久作と同じく沈黙しつつ二人を眺めていた。露草は学園内では常に白衣だが、今は白い半袖ブラウスと黒のマイクロスカート、同じく黒いピンヒールで、シルバーのメタルフレームとお揃いの十字架ペンダントが大きく開いた胸元にある。控え目な色使いのブラウスと小さなイヤリングの天海真実が露草に負けないほど色っぽく見えるのはウォッカの影響なのだろうが、どうやら天海は須賀がお気に入りのご様子だった。対する須賀は、天海と読みかけのミステリ小説を天秤にかけて、今のところ両者は同じ程度の価値らしい。
「女性に関する考察はともかくとして、これ、今、俺が読んでいるのは日本人作家のミステリなんですけど、なかなかに面白いんです。探偵がトリックを見破るという典型ですけど、犯罪者の描写がリアルでいて、どうにも日本人らしくない。アメリカ型の凶悪犯罪者で、殺害の手口はシリアルキラー。探偵が、女性ですが、彼女がこの犯罪者に対してプロファイリングを行う辺りがこの小説の見せ場なんですが、俺が興味があるのはそういう話ですね。犯罪者行動心理学という奴ですよ」
 最初は面倒そうに、途中から若干感情を乗せて、須賀は天海に説明した。
「プロファイリング? それって葵のやってるやつ?」
「あー、近いけど、ちゃうわ。ウチのんは一般的な心理学、臨床心理学とユング心理学で、精神科医とかカウンセラーとかそっち方面やねん。須賀の言うんは相模さがみセンセとか勇ゆうがやっとる行動心理学とかそっち方面やな」
 露草葵が心理学全般に詳しいのはスクールカウンセラーという肩書きからも解り、露草は外科も内科もこなす医師だが本業は臨床心理士で、須賀の言う犯罪者行動心理学とは違うものである。
「相模という方は知りませんが、勇というのは、加納勇かのう ゆうさんですよね? 速河、お前の知り合いにギタリストがいるだろう? 彼の姉だ」
 プロファイリングからどうしてギタリストに繋がるのかは不明だったが、加納という名前には覚えがある。
「ギタリストって、もしかして加納先輩? ラプターズの?」
「ああ、二年の加納勇介先輩だ。彼の姉がどうやら勇という人らしく、そちらは音楽ではなくプロファイリングをしているらしいな。名前が手抜きのようだが、まあ、そういうのもアリだろう。プロファイラーのほうとは面識はないが、機会があれば会って話でも聞きたいところだ。日本警察はまだプロファイリングを導入して間もないし、プロファイラーの数も極端に少ないからな」
「あれ? アナタ、須賀くん。私には全く興味がないのに、どうしてだか勇とは近いみたいね? ラプターズって、確か高等部のロックバンドよね? それくらいは知ってるわよ? 演奏は一度だけ聴いたかな? かなりの腕前よね?」
 語尾は久作に向けてだった。久作は頷いて返した。
「ええ。加納先輩のギターはセミプロですよ。真樹先輩のベースも大道先輩のドラムもですけど。リン……奈々岡さんも、そのうちプロデビューするんじゃないかって。僕もそう思います」
「そうだな。俺は楽器はサッパリだが、聴く分には彼らはかなりだと解るつもりだ。日本よりもイギリス辺りでウケそうだが、加納先輩は九十年代の正統派アメリカンロックがどうこうと言っていたかな?」
「つまり、須賀くんはプロファイリングと音楽の話題なら、少しは興味を抱くって、そういうことよね?」
 グラスに残ったウォッカをあおり、天海真実はにやにやしつつ須賀を見た。
「別に俺に気を使わず、好きに話して下さい。そもそも俺は、どうして自分がここにいるのかすら知りませんが、特に不愉快でもないですから」
 須賀がアヤやレイコのようにご機嫌ではしゃぐ姿など想像すら出来ないが、知らないといえば久作も似たようなものだった。
「ウチと真実と神和のアホやと色気ないやん。せやから須賀と速河やねん。全部、真実のおごりやから、遠慮せずに飲んだらええわ」
「おごり? 私の? 誘ったのは私だし、ジュースくらいまあいいんだけど。辻さん? お代わりお願いします」
 須賀が黙り、天海が次の話題を探しているところに外からの爆音が重なった。しばらく続いたそれが収まり、直後、チェリービーンズのドアが勢いよく開いて小柄な女性が駆け足で入ってきた。
「ヤーホー! お待たせー! ちょいと道を間違えて遅れたけど、その辺はノープロブレム! マスター、お久しぶりー! 月詠さんも、おひさー!」
 深夜だというのに、まるでレイコのような登場の仕方で、ベースボールキャップを被った女性がバーテンダーに手を振り、テーブルに寄ってきた。
「せやから、やかましいねん、お前は。ここはのーんびり飲むお店やで?」
「細かいことは気にすんな……って、なんでガキが座ってんの? 未成年者はベッドですやすやな時間帯だろう?」
 真夏の熱帯夜ながら店内はエアコンで涼しいが、赤いウインドブレイカーを着た小柄な女性は、大袈裟なゼスチャーとやたらとデカい声で久作と須賀を睨み、露草と天海も睨んだ。
「ミコ、久しぶりね。とりあえず座ったら?」
 天海真実が言うと、キャップとウインドブレイカーの女性は椅子をがりがりと引きずって腰掛け、バーテンダー、辻だとか言う名前の年配にペプシを注文して、再び久作と須賀を睨んだ。
「ガキ、かと思ったら、イケメンのナイスガイじゃん! これ、葵の息子?」
 イケメンは死語だろうが、ガキだの、これ、だの、アヤを三倍くらいにした彼女はどうやら口が悪いらしい。注文したペプシは月詠という年配執事がテーブルに運んできた。
「神和さまもお元気なようで」
 まるでウェイターのように月詠が言い、カンナギと呼ばれた女性はそれに手を振って応えた。
「月詠さんは相変わらず渋いねー。薫子ちゃんがストーカーライクなのも納得だよ」
 知らない名前が続けて出て来て、何故だか須賀がジンジャーエールを吹き出した。
「なんだ? ナイスガイ? あたしに一目惚れってか? 恋はいつでもハリケーンだからな。現在彼氏募集中だしアンタはハンサムだけど、さすがに未成年はなー。って、未成年だよな? それ、桜桃のブレザーっしょ? 葵の息子は桜桃か。でもアンタ、賢太くんにも葵にも似てないね? 突然変異か?」
 久作は、アヤが少し年を重ねるとこういう人物が出来上がるだろう、そんなことを思っていた。マシンガントークを上回るアサルトライフルトークの内容は意味不明で、それが通じているかどうかも無視して喋る様子は、アヤそのものだ。
「せやからお前はアホやねん。ウチの旦那は須賀ほど二枚目やないし、こいつみたく賢くもないわ」
「だから、突然変異のミュータントタートルズ亀忍者のもみあげウルヴァリンってことじゃん?」
「ミコ? お願いだから私でも解るように喋ってくれない? 須賀くんも久作くんもビックリしてるし、須賀くん、大丈夫?」
 ミコ、カンナギ、と呼ばれているのでどうやらフルネームはカンナギ・ミコというらしいが、初対面から三十分ほどの天海真実が親しく思えるほど、神和は意味不明だった。
「速河、一つだけ言っておくとな、薫子というのは俺の姉貴だ。そちらのどなたかからいきなり姉貴の名前が出て驚いたんだが、確か初対面だ。もう一つ補足しておくと、俺の親は露草先生ではない、全くの別人だ。速河の母親が露草先生かどうかは俺は知らん」
 読みかけの小説を閉じて須賀が言うが、久作にはサッパリだった。
「ミュータントB、サイクロップスライクなこっちもハンサムガイだけど、やっぱ賢太くんとは違う感じだな。アンタ、目からビームとか出る? 破壊光線オプティック・ブラスト」
「もう、わやくちゃやな。速河? どっから説明したらええと思う?」
 露草の問いに、久作は少し考えて答えた。
「ゼロから説明してくれると助かります。出来れば相関図付きで。ちなみにビームは出ませんし、そういう知り合いもいませんよ」
「イケイケの最新高校生ならグラサン外してビームくらい出せよー。腕から超合金の爪が飛び出すとかさー」
「須賀の腕から爪が出てくるかどうかは知りませんが、高校生にそんな機能はありませんよ、古今東西」
 真顔で言う久作に対して、天海がウォッカを吹き出した。神和は何故か不満そうだった。

 ――チェリービーンズで天海真実がウォッカを吹きだす同刻、蘆野アクロス。
 ぷつっ、という無機質な音でケータイは沈黙し、早足で歩く奈々岡鈴は茫然自失で立ち止まった。動悸が加速し血液が逆流するような気がして、脂汗で青冷める。
 どこで判断を間違えたかを考えるより状況に対応するのが先だと頭を切り替えて、ケータイのアドレス帳を見た。
「……この電話は、現在使われておりまーす! ってリンリンか? スクランブルケータイ・セカンドにって、どしたのよ? こんな時間――」
「アヤちゃん! お願い聞いて! えっと、どこから説明したらいいのか……」
 電話の相手は高等部1‐Cリカちゃん軍団の一人、橘絢だった。アヤとは普段はEメールで連絡を取っていて、ケータイで喋ることもあったが、今使っているのはアヤが「超緊急事態の場合に」と奈々岡に伝えた番号だった。
「リンリン、落ち着け。まずは場所だ。えっと、アクロス? GPSで拾った。んで、頭数が必要か?」
 通話から二十秒でアヤは奈々岡の居場所を言い当て、ケータイからはキーボードを叩く音が聞こえた。ちなみにリンリンとは奈々岡鈴の、アヤ限定のニックネームである。
「タクミがリトルトーキョーの手前で……状況は不明なの!」
「タクミ? リスト表示……タクミ・ハヅキ、リンリンのクラスメイトね? リトルトーキョー手前にこの時間て、そのタクミの番号は?」
 深呼吸を一つ、奈々岡はアヤに葉月巧美のケータイ番号を伝えた。
「了解、十秒待って……出た。リトルトーキョーの東入り口? いや、この時間帯でそりゃーマズいな。リンリンはホンダのハミングだったよな? タクミって人は?」
「タクミは久作くんが選んでくれたシャリィだけど、さっきまでケータイで――」
「オーケーオーケー。そこから神部市だとハミングは遅いし、リンリンが行っても意味ないし、とりあえずあたしも出るよ。葵ちゃんと速河久作にもヘルプ出しとく。今が二十二時五十五分だから、二十三時十分までにアクロスに集合だな」
「アヤちゃん! 歩あゆむとタクミが!」
 ケータイからきびきびと指示を出すアヤだが、聞いている奈々岡は少しパニックになっていた。
「リンリン? 落ち着け、大丈夫だ。アユムって? リスト表示……アユム・マエムラ、こっちもリンリンのクラスメイトね? まあ、久作が出たら無敵だし、あたしも出るから。駅前ロータリーで待機だ。一旦通信終わるけど、冷静にな?」
 再びケータイが沈黙し、奈々岡は蘆野アクロスで呆然としていた。
 六月の騒動ではアヤたちに助けられたが、今は奈々岡のクラスメイト、葉月巧美と前村歩、二人の女子高生に何事かが起きている。とりあえず自分は危険ではないが、二人のクラスメイトが相当に危険であるらしいことだけは解った。
 前回の教訓から非常事態時に自分の判断力は頼れないことを痛感している奈々岡は、アヤに任せると決めて駐輪場のハミングに急いだ……。

 ――奈々岡が全力疾走でホンダ・ハミングに急ぐ頃、方城護は自室のベッドの上でバスケ雑誌を眺めていた。
 方城護の人生の大半はバスケットボールと一緒にコートの上だったが、さすがの方城でも自宅の部屋でドリブルなどはしない。
 普段は午前一時には就寝し、それまでの時間は雑誌を読んだりテレビを観たり、音楽を聴いたりゲームをしたりと息抜きをしている。パソコンもあるが、ネットなどに疎いので使う頻度は少なく、ケータイで誰かと長話するような習慣もないので、黄色い、実はアヤとお揃いのスライドケータイはクレイドル(充電器)にマウントされている。
 暇潰しにアヤにメールでも送ろうか、そう考えてケータイを取ろうとして、クレイドルのケータイが鳴り響いて震えた。
「うおっと! メール? って、アヤじゃねーか。ん? ……ホークアイってのは、こないだの時の、えっと、コールサイン? 渾名みたいな奴だったよな? 駅前ロータリーにって、この時間にかよ。まあ、無視したら後がメンドーだし、シャレだの冗談だのじゃあないんだろうな。えっと、こういう場合の俺って、ボギーツーだったっけ? ボギーツー、了解、っと。須賀と速河も、なんだろうな。ま、行けば解るか」
 コールサイン・ホークアイことアヤに「ボギーツー、了解」と返信した方城は、素早く身支度を整えて家族に出掛けると告げてジェットヘルを抱え、外履き用のバッシュで久作に選んでもらったバイク、スズキ・ホッパーにまたがった。
「パワーフォワードでバイクの名前がホッパーってのは、さすがは速河って感じだよなー。さて……桜桃のスコアリングマシーン、エースの俺、方城護さま、出撃!」

 ――方城護がスズキ・ホッパーで出撃した頃、同じく三輪スクータ、ホンダJOYに乗った橋井利佳子は、アヤからのメールの文面を復唱していた。
「リンリンにエマージェンシー、駅前ロータリーでランデブー、ホークアイ……って、肝心の用件がないじゃないのよ。急いでるにしても、何が何なのかくらい説明して欲しいわよ。それで、アヤがホークアイの時は私、えっと、グレイハウンド? そうそう、グレイハウンド。もうすぐ二十三時って、夜中じゃないの」
 リンリン、奈々岡鈴がどうこうらしいが事情がサッパリ不明なリカは、とりあえず集まれというアヤに従ってJOYを若干飛ばして駅前ロータリーに向かっていた。アヤが自分をホークアイと名乗るのはこれで二度目で、それが戦闘機の名前だと久作が説明していたが、グレイハウンドというのが何なのか、リカは知らなかった。
 深夜に奈々岡がどうこうだとしても、自分が行ったところで何の役にも立たないだろうとも思ったが、アヤの瞬間的な判断力は須賀恭介に匹敵するので、事情はともかく急いだ。また騒動になるのか、と少し不安もあったが、須賀恭介や方城護、速河久作が一緒ならばまず危険はないと半ば確信しているので、何をどうするのかはひとまず置いて、アヤの指示通りにホンダJOYを走らせていた。

 ――リカのJOYが駅前ロータリーに到着する少し前、自室で少年コミック片手に呆けていた加嶋玲子は、真っ赤なケータイに届いたアヤからのメール、リカへのそれと同じものを読んで、また呆けた。
「アヤちゃんがホークアイって……何だっけ? リンリンってリンちゃん? エマージェンシーって、えっと、急ぎだっけ? うん? ……ああ! プラウラーな私、出発ー!」
 プラウラー(うろつくもの)とは大型の電子戦用戦闘機の名称で、リカのグレイハウンド(大型貨物輸送機)、アヤのホークアイ(鷹の目、電子戦指揮機)と同じく久作がレイコに与えたコールサインである。
 駅前ロータリーまでは距離があったので、若干興奮気味のレイコを落ち着かせた。リカはもうロータリーに到着しているかもしれず、アヤは当然で、そこに久作や方城、須賀も合流しているだろうと少し慌てたが、フルスロットルでもランブレッタ48は相変わらずのんびりだった。元陸上部の脚力を生かしてモペッド・ペダルモードで走ろうかとも思ったが、体力は温存しておいたほうがいいだろうとレイコなりに判断した。
 慌てていたので財布を持ってくるのを忘れたが、スニーカにジーンズで上はタンクトップと動きやすいようにして、ランブレッタ48とお揃いの真っ赤なケータイはジーンズのポケットにねじ込んだ。
「とことこと、のんびりモードの、プラウラー」
 元気と能天気が自慢のレイコは、何となく詠よんでみた。

 「――だからよぅ、俺らがチンピラにでも見えるか? お壌ちゃんよぅ」
 深夜にレイコが一句詠んでいる頃、神部市のグルメ繁華街、通称リトルトーキョーの入り口で、私立桜桃学園高等部1‐Aの葉月巧美は、三人に囲まれていた。葉月より年上の男が二人と女が一人で、どこからどう見てもチンピラにしか見えない。
「お金は殆ど持ってないんです。でも、あげますから……」
 葉月は顎が震えるのを我慢して、自慢のAMAMIブランドの財布を差し出した。
「金は貰うけどさ、ついでに一緒に遊ぼうじゃねーか。寝るには早いし、俺らは暇だし、お前もこんなところをブラついてるんだから、暇なんだろ?」
 ケータイ片手の平田賢治は、スキンヘッドに迷彩カーゴパンツ、チンピラのお手本のようだった。葉月の財布を取り上げたのは平田と一緒に煙草を咥えている細身の女性、ロングヘアの八木由紀やぎ ゆきだった。
「ドライブなんてどーよ? 蘆野山の峠を飛ばして、星空眺めてのナイトクルーズなんて、イカすだろ?」
「バーカ。テメーよか、俺のほうが速いっつんだ。なあ? ユキネエ?」
 ワインレッドのスーツを着た唐沢直樹が割り込み、ユキネエこと八木由紀がケタケタと笑った。
「峠でも環状線でも、私が一番だよ。なあ、ガキ。何で五千円しか入ってないんだよ。AMAMIの財布、こっちのほうが高いじゃんか。ったく、シケたガキだね。最近の女子高生ってのは、もっとたんまり持ってるもんだよ? 勉強とかしてないで、もっと稼げよ。いいバイトがあるから、私が紹介してあげようか?」
 ユキの言葉に、ケンジとナオキがげらげらと笑った。
「そうそう、体力勝負だけどスゲー稼げる美味しいバイト、あるぜー? ドライブの後で早速だな。80スープラなんぞチギってやるさ」
「だから、テメーなんぞにチギられねーよ。美人のお壌ちゃん? こっちに乗れよ。峠ならユキネエの400Rも置いてきぼりさ」
 葉月巧美は車には疎いのでケンジとナオキが何を言っているのかは解らず、ただ、身の危険にどう対処したらいいのかだが、完全にパニックで放心状態だった。後ろ手でケータイを操作するが、それが誰に繋がっているのかも解らない。
「金かけてチューンするにしたって、ベースカーが安物じゃあ無意味だよ。だからお前らは毎回、私に負けるんだよ。ま、今回も私の独走だね。ここから中央道経由で蘆野山に入って、展望公園がゴール。最後尾が飯をおごる、いいかい?」
「よっしゃ! 今度こそ負けねー! タイヤ替えたばっかだしな!」
「だからさー、テメーが最後だって。お壌ちゃんは俺の助手席な?」
 ナオキが葉月巧美の肩を鷲掴みにして、前後に揺すった。頭が真っ白になっている葉月は、震える膝で今にも崩れ落ちそうだった。ユキのケータイが鳴っていたが、葉月はそれに気付いていない。
「レージかい? 今? リトルトーキョーでこれから蘆野の峠だけど、来る? ケンジとナオキと、メスガキがオマケだけど? ……ああ、じゃあ蘆野駅前に集合ね。で、今日はどっち? ……エボ? 解った、じゃあ後でね」
 ケータイをカバンに戻したユキが、パンパンと手を叩いた。
「レージがエボで来るってさ。これでもう、二人のどっちかがおごり決定だね、ははは!」
「ちぇっ、ベンツで来ればいいのに、ボンボンはイヤだねー」
 スキンヘッドのケンジがぼやき、オールバックのナオキが笑った。
「どっちにしてもテメーは負け決定なんだよ。なあ?」
 ナオキが胸元をどん、と押すと、葉月はそのまま崩れ落ちた。
「何だ? 既にヘバってますってか? ったく、最近の女子高生はこんなのばっかしだね。ドライブ中に気絶でもするんじゃないのかい?」
 くくく、とユキは笑い、咥えた煙草を放り投げた。

 ――ロングヘアの八木由紀が投げ捨てた煙草が飲食店の看板に当たり、同じくロングヘアの露草葵のカバンから着信音が響いた。
「はいはい、今出ます、て、こっちちゃうやん」
 空になったコロナビールの瓶と青いスライドケータイをテーブルに置き、露草葵はカバンから黒いタッチパネル式ケータイを取り出した。同時に、久作、須賀のケータイも鳴った。
「うん? みんなお揃いで、何?」
 三杯目のウォッカでぐだぐだになった天海真実が尋ねて、久作と同じくペプシを飲んでいた神和彌子も首を傾げた。チェリービーンズに設置された年代物のジュークボックスからは古いジャズが流れている。天海の執事、月詠のセレクトだった。ウッドベースに低いヴォーカルが重なるスローテンポのメロディがチェリービーンズに響いているが、三台のケータイ着信音がムードを台無しにしている。
「メールはアヤくんから、ホークアイ? ……速河?」
「ああ、こっちにもだよ。場所は蘆野アクロス前のロータリーで、リンさん? こんな時間に取材、ってことはないね。リトルトーキョーって、神部の繁華街だったっけ?」
「どうやら方城も出たらしい。詳細不明というのはつまり、緊急事態なんだろうな。さて、ボギーワン、どうする?」
 ボギーワンは久作のコールサインで、須賀はボギースリー。方城のボギーツーと合わせた三人編隊は、私立桜桃学園で発生した事件を収束させた精鋭分隊でもある。
「……んで? リンと、ああ、葉月巧美な? 何回か貧血でウチの部屋に来た、えらいひょろひょろのんやろ? もっとお肉食べろて言うてて、まあええわ。そんで、リトルトーキョーて、今からかいな。ウチ、ラベルダちゃん入院中で……あ、ええわ。駅前のロータリーやろ? 丁度ええ面子やから、とりあえず行くわ。アヤ? 急ぎやからて飛ばして事故とかアカンで? そういうのをミイラ取りがミイラ言うんや。リンに動くなてもう一回言うといてや、ほな、後でな」
 普段使うものより大振りなタッチパネルケータイをカバンに戻した露草は、久作と須賀を見てから、神和に告げた。
「おーい、神和のアホ。アンタのお仕事や。それ、ペプシやろ? さすがはお巡りさんやな。アンタとアンタの車、あのやかましい奴の出番や。ウチと真実はアルコール入っとるけど、月詠さんは?」
「ご覧の通り、ウーロン茶です。露草さまは何やらお急ぎのようですが、お手伝いしましょうか?」
 黒スーツを着た月詠六郎が店主との談笑を中断し、露草に返した。
「ヘイヘイ、やかましいって、グリフィス500はちょっとした財産だぜ? んで、一仕事終えて久々に飲もうって思ってて、こっからテキーラタイムのつもりだったんだけど、あたしの仕事って?」
 黒いベースボールキャップには「SWAT」と青い刺繍ロゴがあるが、神和はSWATではなく県警三課の巡査部長で、SWATほどの武装もない。どうして真夏の夜に真っ赤なウインドブレイカーなのかと久作に尋ねられた神和は、ホリゾンタルタイプのカイデックス製ダブルショルダーホルスターと、そこに収まる拳銃、ハーフステンのガバメント9ミリカスタムをちらりと見せて、ペプシをあおった。
 バイクや戦闘機に詳しい久作は、拳銃の知識も豊富だった。主に映画とゲーム、専門雑誌からの知識だが、銃撃戦が派手なアクション映画はかなり観ていたし、そこで登場する拳銃の名前や性能も頭に入れていた。
 方城や須賀はその辺りに興味がないようだったが、アメリカで生まれ育ったアヤと拳銃がどうのこうのと雑談することはあった。神和が見せた拳銃のグリップがガバメントだとは解ったが、スライドがスチールでフレームがステンレスの9ミリカスタムというのは初耳だった。
 神和彌子と露草葵と、ウォッカでぐでぐでになっている理事長・天海真実が大学時代の友人で、神和が県警三課という初耳の部署の巡査部長だとは聞いた。須賀の姉、須賀薫子が刑事部鑑識課の警部補で、神和の県警三課と連携しているとも聞いた。薫子との面識はないが、彼女が天海真実の執事、月詠六郎のファンだとも聞いたし、高等部二年バンド、ラプターズのギタリスト、加納勇介の姉、加納勇が科捜研のプロファイリングチームの一員で、露草と交流があるとも聞いたが、露草葵の旦那、露草賢太なる人物がどうだとか、神和の上司の乾いぬいという刑事がこうだとかは、それこそ人物相関図がなければ解らないほど複雑だったので、聞き流した。
「速河はXLやったっけ? 須賀もバイクやろ? ウチは神和のアホの隣に乗って、真実は月詠さんの隣や。真実は全く使えんけどや、月詠さんはあれこれ頼りになるからな。アヤも出てるみたいやし、加嶋やら橋井やらもで、たぶん方城もやろ。よう解らんけど、リンのお友達が危ないみたいやから、神和のアホ連れてたら役に立つやろしな」
「うーん? もうお開きなの? まだ飲みたいんだけど?」
 すっかり出来上がっている天海が空のグラスをふらふらとさせていたが、露草は無視して月詠に任せた。
「って、おいおい! 今からリトルトーキョー入りってか? 何であたしはUターンなんだよー! ってか、この時間帯のあそこはヤバいぜ? いや、マヂで。葵はまあいいけど、そこの二人はダーメ。未成年はジュース飲んで寝てろってば」
 ペプシのグラスを持って抗議する神和に、須賀がゆっくりと口を開く。
「県警三課の神和さん、でしたよね? 俺らは知り合いが危険なのを見過ごすような、そんな中途半端な付き合いはしてないんです」
 ジンジャーエールを飲み干した須賀が、読みかけの文庫本をブレザーポケットに押し込んで神和に言った。
「いやいや! 薫子ちゃんの弟くん? 今が何時で自分がどこに行こうとしてるのか、解ってるか?」
 特徴的な大きな瞳で須賀を睨んで、神和はペプシを一口含んだ。
「時刻は二十三時で場所は蘆野駅前経由で神部市の繁華街。素行の悪い連中が集まる、通称リトルトーキョーで、そこに鈴すずくんの知り合いがいる。名前は葉月巧美で面識は殆どないが、その彼女ともう一人、前村歩という人物の身に何かが起きていて、それを知った鈴くんはアヤくんに連絡した。どうしてアヤくんに連絡したかと言うと、彼女はとても優秀な指揮官で、速河並の戦術を一気に組み上げて状況に対処することが可能だからです」
 神和は入店してから一番の真顔で黙っていた。口を閉じていればどうにか警察官に見えなくもないが、どうして黒キャップのロゴがSWATなのかは久作には解らなかった。須賀が続ける。
「こうして話している時間も惜しいが、アナタの協力が不可欠だとは俺の判断です。アヤくんが事態を把握しているかは不明だが、この時間で場所が神部市繁華街で、そこに鈴くんの友人が一人ならば予想は出来る。仮に鈴くんが警察に通報したとして、どう説明を? 友達が何やら危険なようだが詳しくは解らない。そんな通報で動けるのは所轄の警ら警官くらいでしょう? 速河から聞いたが、警ら中の警察官も拳銃を携行しているらしいが、二人くらいの制服警察官が現場に到着するのに、まず何分かかります?」
 立ったまま言う須賀に、真顔の神和がゆっくりと噛み締めるように、言い聞かせるように応える。
「……よーく訊けよ? 弟くん? そのリンだかスズだかってのは今は蘆野アクロスだろ? そこから百十番なら、電話に出るのは県警地域課の通信司令室のオペレータで、ケータイからの通報なら居場所をGPS探知する。未成年女子がリトルトーキョーでヤバそうって状況なら、まず動くのは神部署の地域警らやってる制服組か、自動車警らやってる私服組で、現場到着までに五分以内だよ。場所がリトルトーキョーなら県警地域課の地域警らの私服組も出て、同じく五分以内に現着。所轄だって県警だってみんな拳銃を携行してるし、常にツーマンセル、二人組だから、所轄と県警地域課からで合計四人の武装警官が急行……文句ないだろ? 薫子ちゃんの弟くん?」
 神和のきつく諭すような口調は先ほどまでとは全くの別人にも見えたが、須賀は変わらずで返す。
「武装した警察官が四人、五分以内で葉月だかのところへ。文句はありませんが、おそらく方城、俺の知り合いですが、奴はもう駅前ロータリーでアヤくんと合流している。今、メールが入った。そこにリカくんとレイコくん、そして鈴くんも一緒で、ロータリーから出発するつもりらしい。鈴くんがアヤくんに連絡してざっと三分といったところで、もう二分もあれば葉月という人物のところに方城は辿り着くし、既に到着しているかもしれない。方城は拳銃なんて持っていませんが、相手が武装したチンピラで数人でも、方城なら一人でどうにでもなる。そして、もしかすると事態は既に収束しているかもしれないし、悪化しているかもしれない。通報するのは構わないですが、どちらにしろ方城とアヤくんの機動性のほうが上なのは確かだ。方城の手に余る場合を想定して、アヤくんは俺や速河、露草先生に連絡してきた。アヤくんは最悪を想定して人選しているし、俺も楽観視はしていない。警察が空振りならそれが一番だし、方城の出番がなければ尚更だが、少なくともそれを確認する必要がある。通報するかどうかの判断は任せますが、俺は行きます。速河がどうするかは任せる。神和さん、出来ればアナタにも出て欲しいが強制はしません。俺からは以上です、時間が惜しい」
 言い残し、テーブルから立ち去ろうとした須賀のブレザーの裾を、神和ががっちりと掴んだ。
「薫子ちゃんの弟くん? アンタ、頭良さそうだから付け加えると、仮にだ、仮にチンピラなんかがいて刃物の一つでも持ってれば、そこに県警刑事部捜査第一課、いわゆる捜査一課の捜査官が急行だよ。現場入りした所轄警官の判断で、通信司令室経由で出てくるんだ。チンピラが拳銃なんかを持っててもな、捜査一課はそもそもそーいうアホを想定してる部署だから問題ナッシング。つまり、そこに弟くんとかその友達とかが行くと逆にメーワクなの。あたしは行くよ? リトルトーキョーは三課の管轄だからね。葵が着いてくるのも、まあいい。真実ちゃんには月詠さんがいるからこっちもオーケー。でも、解るっしょ? お巡りさんは冗談とか飾りじゃないんだよ。危ないと思ったら百十番通報で実は何もなかった、でもいいの。ってか、何かあってから通報じゃあ遅いのよ。とりあえず通報しなさい。捜査一課が動くかうちの三課が動くか、そーいう判断はこっちでやるから。あたしだって拳銃持ってるし、相手がチンピラだろうがゴロツキだろうが、んなもん素手で吹っ飛ばすさ。知ってるだろうけど、逮捕術っていう警察官が使う武術があるんだよ。そんなあたしが行くんだから、弟くんはみんなの無事を祈ってくれてりゃいいの。アンタの正義感とかそーいうのはきっちり受け取ったから、そっから先は本業に任せとけって、な?」
「当然、任せますが、今はとにかく急ぎたい。アナタと口論するつもりもないが、やるなら続きはケータイでお願いしたい。俺らのケータイはボイスチャットのように使えるから、番号は速河に聞いてください。お互いが空振りなのが一番だが、最悪を想定するのもお互いだ。速河、繰り返しだが、俺は行くが強要はしない。残って後方支援というのもアリだろうし、判断は任せる」
 神和が握った手をそっとどけて、須賀はとうとうチェリービーンズを出た。それを見送って、久作が次ぐ。
「神和さん? 迷惑かもしれませんが僕も行きます。須賀の言った通りで神和さんにも協力して欲しいですけど、判断はお任せします。アヤちゃんと連絡出来るようにケータイの番号を交換しておきましょう。それで須賀とも話せますし」
 折りたたみ式の古いケータイを持ち出した久作は、神和が渋々出したタッチパネルケータイに空メールを送信した。
「えっと、サイクロップスくん? アンタも行くってか? ……あのさー、あたし、こんなだから警察官には見えないだろうけど、実は警察官なのよ? しかも県警三課の。さっき見せたガバがフォーティーファイブじゃなくて9ミリカスタムな理由、アンタなら解るっしょ? いや、あたしは行くよ? 高校生の、葵と真実ちゃんとこの生徒が山ほどでリトルトーキョーにこの時間にとか、メチャクチャだ。あたし泣くぞ?」
 出て行った須賀につられるように立ち上がった神和は、ペプシの入ったグラスをあおり、同じく立ち上がった久作を睨んだ。
「9ミリカスタムは複数を想定したチョイスでしょうね。ガバメントなのは豊富なパーツ類と信頼性があるからで、FNのハイパワーとかベレッタM92Fなんかでも良さそうに思えますけど、僕の知識はあくまでフィクションですから他に理由があるんでしょう。須賀が空振りだったり僕がそうだったりが一番ですけど、須賀じゃあないですがそれを確認しておきたいんです。アヤちゃんからの最初のメールからもう五分以上だ。方城はもう葉月さんのところに向かっているかもしれないし、状況がどうあれ、そこに僕も合流しておきたい。神和さん? 実は僕、目から破壊光線が出るんですよ。相手がミュータントでも平気ですから」
 会釈を一つ、久作も須賀に続いてチェリービーンズを出た。
「……何だソレ! 葵の息子は実はサイクロップスで、さっきの奴はもみあげウルヴァリンってか? ホージョーとかってのは何? サイクロンジョーカーでライダーキックでもかますのかよ! 葵! いや、真実ちゃん? あんたらんところの生徒はデタラメだ!」
 空になったグラスをテーブルに叩き付けて、神和は露草と真実に向けて怒鳴った。
「アホの神和やー、まあ落ち着けて。あの二人な? 見た目は高校生なんやけど、中身はちょいと違うねん。方城いうんもや。文句は山ほどやろうけど、とりあえず行こうや? なーんもなかったらそれでええやん」
「だーかーら! 何かあったらどーすんだよ! 始末書とかそういうレベルじゃねーし! いや、あたしがどうとかはいいの! 怪我でもされたら誰が責任取るって、どう考えてもあたしじゃん! 始末書、減俸、謹慎、降格、サイアク、停職、いや、クビ? いやいや、あたしがムショ行きとか? いいよ! それでもいいけど、とにかくあいつらに何かあったら大変だってば!」
「ミコー、だからアナタが行けばいいんじゃないかしら? 月詠さーん、アキュラの運転、お願いねー。これでも私、理事長だから、生徒を危険な目に合わせるのはどうにもね」
 椅子から立った天海は頭をふらふらさせつつバーカウンターの月詠に寄り、肩を借りて出口に歩いた。
「んで! 真実ちゃんも? 全部合わせて何人だよ! あたしら三課は群れるの苦手だし、単独捜査が基本なのにー!」
 露草は既にチェリービーンズのドアに向かっていて、神和彌子だけが取り残されている格好だった。
「神和さん。人事を尽くして天命を待つという格言は、やれることは全てやっておけと、そういう意味ですよ?」
 チェリービーンズのマスター、口髭の辻公平が笑顔でカクテルグラスを滑らせた 。
「ムーンドロップ、私のオリジナルでノンアルコールのジュースです。月が落ちてくるくらいに思いも寄らぬことが起きる、そんなネーミングです、どうぞ」
「はいはい! 解りましたよ。ビックリしすぎて疲れた。ウルヴァリンだかサイクロンジョーカーだか知らないけど、あたしが先回りして全部片付ければそれでノープロブレムってことっしょ? こうなりゃマヂの本気モードだ、コノヤロー! さ迷える紅い弾丸が本気出したらスゲーってんだ!」
 ノンアルコールのムーンライトドロップを一気飲みした神和は、ケータイを握りつつ駆け足でチェリービーンズを出た。
「あ、リーさん? 三課の神和です。夜遅くにすんませーん。ちょいとお手伝いをお願いしたいんですけど、動けます? ええ、今、蘆野市のバーなんすけど、説明するのもイヤになるくらいややこしい状況で、スネークテイルとは全く関係ないんですけど……オッケー? さすがリーさん! 近いうちに何かおごりますから、ヨロシクハオニー!」
 本気モードにスイッチを切り替えた、さ迷える紅い弾丸こと神和彌子は、橘絢、何ともややこしい状況を生み出した張本人に会ったら一喝してやろうと思いつつ、露草と一緒にツードアオープンに乗り込んだ。
 ステアリングを握った神和彌子はしかし、露草葵と橘絢の持つケータイが自分の最新ケータイよりも高性能な、スクランブルケータイ2だということはまだ知らないでいた。

第五章~方城護とラピッドファイヤー ―もし若者が乙女と一緒に―

「よーし、だいたい揃ったな? あたしが把握してる状況を説明するよ。まず――」
「おい、アヤ。何もごもご言ってんだ? ヘルメット取れよ、聞こえねーって」
 深夜、JR蘆野駅前のバス・タクシーロータリーに、私立桜桃学園高等部一年、通称リカちゃん軍団の大半が集結していた。
 方城護に言われて黄色いフルフェイスを取って、普段はツインテールの、今はストレートの金髪を揺らす橘絢はチェック柄の長袖コットンシャツで、RG50ガンマ・ウォルターウルフに体重をかけている。ガンマの隣にはスズキ・ホッパーにまたがったままの方城護、その隣にホンダ・ハミングのシートに座った桜桃ブレザーの奈々岡鈴が沈黙している。
 オレンジのハーフフレームの奈々岡の表情は周囲と同じで暗く、彼女の真向かいに立つ橋井利佳子はその表情から、やはり只ならぬ事態なのだろうと想像して掌に汗を感じた。そんなリカとは正反対で普段通りの笑顔の加嶋玲子は、ランブレッタ48とお揃いの真っ赤なジェットヘルのままリカと奈々岡と、アヤと方城を順番に見てから、奈々岡鈴に視線を戻してにっこりと微笑んだ。
「みんな、あの……」
 レイコの笑顔に応えるように奈々岡が口ごもって、それをアヤが次いだ。
「リンリンはちょこっとパニクってるから、あたしからだ。葉月巧美ってリンリンのクラスメイト、知ってる? 知らない? まあいいや。その人がリトルトーキョーで音信不通、それが二十二時五十五分頃、つまり五分前。何でその葉月って人がそこで、リンリンがここかってのは、もう一人の前村歩って、こっちもリンリンのクラスメイトが同じく音信普通になったのを二人が探してたかららしくって、そっちは十七時過ぎの下校以降の足取りが不明になってるんだって。葉月巧美のほうは最初のリンリンの緊急連絡からずっとGPSで追尾してる、今もね。何でかケータイがずっとオンになっててリンリンのケータイと繋がってんのよ。ざっとこんなところ」
 説明しながらアヤはずっと、降ろした金髪を握ったり離したり、撫でたりつまんだりしていた。人前でツインテールではないことがどうやら自分でも違和感があるらしい。アヤの簡単な説明が終わる頃、奈々岡鈴の顔からかろうじて残っていた表情が消えていた。オレンジのハーフフレームは暗い地面を向き、桜桃ブレザーのミニスカートの端を握ったまま微動だにしない。
「奈々岡さん? 大丈夫?」
 リカが奈々岡の焦燥感だかを読み取って声をかけたが、奈々岡は小さく一つ頷くだけだった。
「単なる人探しって訳じゃねーんだろ? でなきゃ俺が呼ばれることもないだろうし、リンだってアヤに連絡したりしねーだろ」
 方城はポケットからスライドケータイを取り出して時刻を確認した。二十三時二分、バスの最終便は過ぎ去り、個人タクシーが一台だけのロータリーは普段通り閑散としていた。
「方城護の言う通りだ。人探しなら警察でオーケーだし、この人数でローラー作戦ってのもアリなんだけど、リンリンと葉月って人の最後の会話から、どうも葉月の巧美ちゃんは誰かと一緒らしくて、場所がリトルトーキョーの東入り口でこの時間なら相手は方城護が必要な類が複数だ。リンリン、落ち着けよ? あたしが通報してないのはその巧美ちゃんもだけど、前村の歩って人が気になるから。前村財閥って蘆野市じゃあ有名な地主の長女が歩ちゃんで、部外者が動くにしてもかなりデリケートにしとく必要がありそうだから、通報は状況が進展するまでは控えておこうって判断ね?」
 アヤに返したのはリカだった。
「アヤ、逆じゃない? デリケートなんだと思うんだったら警察に任せるのが賢いと私は思うけど? それに、葉月さん? そちらはその、危ないかもしれないんでしょ? 尚更じゃないの?」
 アヤよりも長く腰まであるロングヘアを掻き揚げて、リカは言った。チノパンとTシャツとローファーの色が合っていないことは、JOYでロータリーに到着して奈々岡の表情を見た直後から忘れていた。
「つまり、あれか? リンの友達二人は誘――」
「リカちゃん! その通りで言ってることももっともなんだけどね!」
 方城護の科白を遮るようにアヤが声を大きくした。同時にアヤは方城をきっと睨んだ。アヤのカッターナイフのような鋭い目付きが方城を捉えて、方城は黙って頷き、今は発してはいけない単語、奈々岡が動揺するそれを飲み込む。
「巧美ちゃんの反応が移動してんの。速度は時速六十キロくらいで場所は中央道からこっちに。たぶん車だ」
 アヤは手にしたスクランブルケータイ2のモニターをリカ、方城、レイコに見せて自分でも確認した。GPSを利用した航空写真地図の中心はアヤで、幹線道路である中央道を赤い表示が移動している。アヤは指の出るハーフグローブで、リカや方城もポケットにグローブを入れていた。
「最初は神部のリトルトーキョーで、今は中央道からこっち、蘆野市に車で移動してるって、アヤ? その葉月さんのご両親が迎えに行ったとかそういうことじゃないのかしら?」
 リカが自分なりに状況を整頓して尋ねた。
「リカちゃんの言うのがベストだけど、巧美ちゃんの家にはあたしから連絡入れてみたの。前村の歩ちゃんと同じ状況だったよ。あたしと一緒に遊んでるって伝えておいたけど、午前二時までにもう一度連絡を入れないと自動的に葉月家に連絡が入るようにPCをセットしといた。ここから設定は変更も解除も出来るけどね。家族じゃない人と車でこの時間なら、最初がリトルトーキョーなら想定する状況はかなりヤバいのにしといたほうがいい、ってのがあたしの判断。同じく午前二時リミットで警察に通報するようにも設定してあんの。つまり、こういうこと」
 アヤはベストとベターとバッドのシチュエーションを既に想定しているらしく、同時に制限時間も設けているらしい。それは葉月巧美と前村歩に対してで、二人のクラスメイトの奈々岡鈴やリカやレイコ、そして自分に対する保険でもあるようだった。
「葉月巧美ちゃんはリトルトーキョーで誰かに会って、そのまま車に乗って移動中。場所と時刻からその相手ってのは見知らぬ他人で、以後の連絡が取れないことからかなり危ないシチュエーションだけど、ケータイが移動中ってことは現時点ではまだ無事、これはほぼ間違いないと思う。前村の歩って人のほうは情報がないから最悪を想定しつつ、安全の範囲内でローラー作戦を想定で、最終的には通報。こっちは状況が進展しなかったり情報がない場合は正直お手上げなんだけど、明日まで引き伸ばして聞き込みなんかをやるか、警察に任せるかは後で判断して、まずは葉月巧美のほうに対応しよう。須賀恭介と速河久作がまだいないから、あたしと方城護が主力のプランだ」
「須賀くんと久作くんを待つってのは?」
 リカは方城をちらりと見てからアヤに尋ねた。方城を信頼はしているが、想像する相手は複数で少なくとも車を所有している。つまりリカたちよりは年上で、葉月巧美という奈々岡のクラスメイトとリトルトーキョーから一緒にいる。リトルトーキョーの治安の悪さは報道で有名なのでリカも知っていた。特に週末夜が酷く、暴力や窃盗は当然で警察の出動も頻繁で、週に一度は何事かが報じられていた。
「最初はリトルトーキョー入りも想定してたんだけど、あっちのほうが向かってるから、速河久作とかを待ちながら葉月の巧美ちゃんを待ち構えて、二人が来るまで粘るか、相手によってはあたしと方城護だけで対応しようって、二段構えにしてんのよ。それにリミットの通報だから三段構えだ……反応が近くなった! 中央道を外れてそのまんまこっちに向かってる。このルートってことは蘆野山が目的地かな? そろそろ接触だから作戦スタートだ。みんな、バイクの用意だ」
 黄色いフルフェイスを被ろうとしたアヤに、再度リカが尋ねた。
「作戦って? 具体的には何をするの?」
「ああ、言ってなかったっけ? ソーリー。作戦の最初は移動目標の足止めだ、リカちゃん」
 言いつつアヤは、自分のガンマのステアリングをぽんぽんと叩いた。
「足止めって、バイクで? つまり?」
「予測進路はそこの目の前の道路を抜けて蘆野山だから、ここにバリケードを作るんだよ、みんなのバイクで。その後があたしと方城護の出番だ、いいか?」
「はぁ? アヤと俺? バリケードは、まあいいよ。んで、相手ってのはどうせチンピラとかなんだろ? それはいいんだけどよ、俺、その葉月って奴の顔、知らねーぞ?」
 スズキ・ホッパーにまたがってずっとアヤとリカの会話を聞いていた方城は、何とも難しい顔だった。
「だから、あたしと、なんだよ。葉月巧美ちゃんは桜桃のブレザーだから見れば一発で解るよ。んで、方城護はあたしのガードで、あたしはネゴシエーターってところ。もしかしたらあたしだけで片が付くかもしれない。つまり、あたし、方城護、須賀恭介と久作に、通報の四段構えだな」
 再びステアを叩いて、アヤは方城とリカと、ずっと無言で頷いているジェットヘルのレイコに説明したが、沈黙していた奈々岡が声を上げた。
「アヤちゃん! あの、お願いをしておいてなんだけど、やっぱり危ないと思う。タクミは心配だけど、ネゴシエーターって交渉人でしょ? つまり、アヤちゃんがその、方城くんの言うようなチンピラと顔を合わせるって、無理……とは言わないけど危ないわ」
「だから方城護がガードじゃん。リンリン? 前もだったけどさ、あたしは自分に護衛付けずに動くようなマヌケな指揮官じゃあないの。当然、楽観もしてない。あたしだって最悪の場合は逃げるし、それは方城護も同じくで……時間だ。みんな、バイクでバリケード。この時間なら一般車両はほぼいないから、大丈夫。その後みんなはそこの植え込みにでも隠れて、そっちから危ないって見えたら通報とかの判断は任せるけど、逃げる場合は井上文具店の前を抜けてナントカって古本屋あるじゃん? あそこの辺りだ。土地勘がなけりゃ絶対に追いつかれないし見付からないルートだし、そうなった場合は相手をまいてからトワイライトに集合ってことで。トワイライトは自宅兼用だから何時でも店長いるし、他の細かいことはケータイのチャットモードをオンライン。以後、対象コールはパッケージ・リーフ。作戦スタート!」
「ラジャー!」
 一人、加嶋玲子だけが元気に返事をしたが、他は無言でバイクを移動させた。トワイライトというのは蘆野アクロスにある、リカ、アヤ、レイコがよく利用している喫茶店で、今は閉店しているが自宅兼用で時間帯を問わず店主夫婦がいる。

 ――夜のリトルトーキョーから出た三台のスポーツカーは中央道では周囲の流れに合わせてゆっくりと走っていた。400Rの八木由紀が先頭で、唐沢直樹のスープラが続き、平田賢治のシルビアが最後尾だった。
 ナオキとケンジの車はあれこれと改造されているが、ユキの400Rはそもそもが高性能の限定車なので、内装が派手になってオーディオが追加されているだけで、走行性能に関する改造はなかった。ユキはMP3プレイヤーからヘビーメタルを大音量で流していて、ケンジはヒップホップを、ナオキはハイスピードのユーロビートを聴きながら、助手席に座った桜桃ブレザーの葉月巧美に大声で話しかけていた。
「よお! お壌ちゃん! ずーっと黙ってるが、まあ気楽に行こうぜ? 別に取って喰おうってんじゃーねー、ってことはあるけど、そのうち慣れるし、慣れちまえば案外と楽しいもんだぜ? たんまりと儲かるし、そうすりゃ、そんなチンケな制服なんざ脱いで、大好きなAMAMIブランドで頭からつま先まで揃えりゃいいさ!」
 唐沢直樹は自慢の、とても趣味が良いとは言えないワインレッドのスーツで、ユーロビートのリズムにヘッドシェイクしつつ、真っ青で固まったままの葉月巧美に怒鳴った。
 ナオキのスーツはかなり値の張る一品だが、チェーンネックレスに白い革靴、腕には高級アナログ時計で髪はオールバックで、二枚目の出来損ない、三流のホスト崩れ、そんな風に見えた。高等部一年の葉月よりは随分と年上だが、生まれ育ちどころか、国籍さえ違うのではないかと葉月には思えた。ナオキがご機嫌なユーロビートはひたすらにやかましく、葉月はずっと奥歯を噛み締めてケータイを握り締めていた。音楽もやかましいし車もやかましく、運転するナオキもやかましく、葉月の頭の中はずっと真っ白なままかき回されていた。

 クラスメイト、1‐Aの奈々岡鈴は葉月に比べて物静かでいて頭が良く切れるリーダー気質でありながら、親しくなれば何でも話せる器の大きい友達だった。
 報道部に所属して、ジャーナリズムを口癖にデジタル一眼レフとルーズリーフを振り回し、テレビ報道を自分なりに分析して必要ならば追跡調査もして、葉月が知らないあれこれを教えてくれた。群れることを余り好まずクラス行事の類は殆どをパスして報道部の活動を優先して、授業以外の時間は姿を消すことが多かった。そんな奈々岡が1‐Cのリカちゃん軍団の、須賀恭介と橘絢のことを話すようになったのは七月に入ってからで、葉月が奈々岡と親しくなったのもその頃だった。
 葉月巧美も同学年の須賀恭介の噂は聞いていた。頭が良くてハンサムだが変人、そんな内容は、おおむね奈々岡が言う通りだったが違う部分もあった。頭が良くてハンサム、は見た目と学年成績一位ということで明らかだが、奈々岡は須賀を哲学者、そう表現していた。時には学者とも。葉月は知り合いに哲学者も学者もいないのでぼんやりと想像したが、奈々岡が自分に似ていると付け加えたので、ならば変人なのだろうと噂と同じところに着地した。
 葉月は体は若干弱いが活発な性格で、小柄だがまあ美人の部類に入るらしく、男子に声をかけられることは多かったが、テレビアイドルを追いかけていた中等部時代の名残りで年上に興味が向いて、1‐Aの担任である渡瀬徹也が葉月の好みだった。渡瀬教師に恋人がいることは知っていたが葉月は落胆はせず、そんなものだ、と割り切ってテレビを観て音楽を聴いて、少しゲームをやって、女友達とわいわい騒ぐほうに夢中だった。
 前村歩はその中でも割と仲の良い友達で、歩は葉月に比べると随分と地味な女性だった。
 無口で、しかしどこか品のあるお嬢様のような歩はお喋りな葉月の聞き役で、高等部に上がって最初に出来た友達だった。葉月と前村と奈々岡は三人で遊ぶこともあり、噂のリカちゃん軍団ほどではないが、桜桃学園では少し目立つグループでもあった。三人で集まると口を開くのは葉月で、奈々岡も前村も相槌だけだが、奈々岡からはピンポイントでリアクションが出ることもあり、その内容はいつも的確でいてどこか風変わりだった。
 リカちゃん軍団のように仮にナントカ軍団とネーミングするならリーダーは奈々岡鈴で、ナナオカ軍団とでもなりそうだが、三人はごく普通に「葉月たち」と呼ばれていた……。

「――なあ! オートーってのは金持ちのガキが集まるんだろ?」
 大声が葉月巧美の思考を遮った。車のハンドルを握るオールバックの男が、大音量のユーロビートの後ろから怒鳴っていた。この男は一体何者なのか、葉月は我に帰って隣を見たが、人間の男、単にそれだけだった。葉月巧美の知る範囲、テレビドラマを含めてもこんな男は……いた。刑事ドラマに出てくる、登場して三分で拳銃で撃たれて死ぬチンピラA、それが葉月の隣で車を運転していた。ニヤニヤした顔と似合わないオールバックと、品のないスーツで、腕には三十万円くらいしそうなブランドの腕時計。似合う人間が身に付ければ値段に見合う高級腕時計が、三分で撃たれて死ぬチンピラAの腕にある。その意味不明な組み合わせは葉月を混乱させた。
 チンピラAが言うように私立桜桃学園は裕福な家庭からの生徒が多かったが、葉月家はごく普通だった。奈々岡家も同じらしく、唯一、前村歩だけが蘆野市の地主の長女だったが、地味なお嬢様風ではあるが歩は葉月らと変わらない、ごく普通の女子高生だった。
「こーいうBGMでテンション上げてっとな、コーナーに思いっきり突っ込んで、テールスライドさせて一気に抜ける、なーんてのもやれんだぜ? ケンジのはドリフト専用にチューンしてっけど、あいつ下手くそだからいっつもガードレールにぶつけるんだよ、ははは! 前のユキネエのは、あれは反則だよ。ただのR33でもうっとおしいのに、400Rだぜ? 千二百万円くらいするR33ベースの限定車で、RB26ターボのデジタル四駆で名前の通りの四百馬力! シャシダイだと五百馬力くらいらしくってな、ユキネエのは環状線仕様だよ。あんなゲテモノで峠走るんだから、ったく勘弁しろよってな、なあ?」
 チンピラA、ナオキとか呼ばれていた三流ホスト崩れがあれこれ言っていた。車の知識のない葉月は七月からバイク通学で、ホンダ・シャリィという原付をリカちゃん軍団と仲良しの男子、速河という人物に選んでもらった。
 奈々岡鈴が仲介してくれた速河という男子は、見た目はまあハンサムと呼べそうだし話しやすいタイプだったが、常にニヤニヤしているので随分と軽薄に見えた。ひたすらに呆けているようでいて、バイクの話をする時は大袈裟なゼスチャーで知らない単語を並べてあれこれと熱心に説明していた。葉月巧美にシャリィという少し古いスクータ、エンジンを四十九ccに載せ変えた面白い見栄えのバイクを選んでくれた。
 飛ばせば時速八十キロくらいは出るがのんびりツーリングをするのが似合っている、そう速河久作は説明していた。奈々岡鈴にはハミングという、シャリィを伸ばしたような随分と妙なスタイルの原付を薦めて、同じくバイク通学にした前村歩にはスズキ・レッツ4パレットを選んでいた。
「葉月さん、でしたっけ? 奈々岡さんのクラスメイトですよね? 僕の選んだのはちょっとだけマニアックで古いのがメインだから故障なんかもあるかもしれないけど、買うかどうかは任せますよ。中央道沿いにノナカモータースってあるでしょ? あるんですけど、そこが国産バイクならメインテナンスを一通りやれるショップだから、具合が悪くなったらあそこに持っていくといいですよ? 僕が選んだバイクは全部あそこの在庫にありますしね。ノナカさんのところは腕のいいメカニックが沢山だし料金も相場より少し安いし、修理中は代車も出してくれますから。メットとかグローブもあそこに一通り揃ってるんで、好きな色とかで揃えるといいですよ。僕も多少はイジれるんですけど、自分のバイク以外だと解らないこともあるんで、まずは僕が診て、解らない場合はノナカさんのショップで。まあ、ノナカモータースのことだから一通りのメンテをやってから出すと思うんで、しばらくはトラブルとは無縁だと思いますし、それなりに希少で珍しいバイクなんで、大事にしてやってください。ノナカモータースからの見積もりと料金明細、これは渡しておきます。いちおうキープってことにしてるんで、XL50Sの速河久作から聞いたって言えばそれで通じますよ」
 1‐Cの速河久作の隣にはバスケ部エースとして有名な方城護と、須賀恭介がいた。他に、橋井利佳子、橘絢、そしてミス桜桃で学園中の話題を集めた加嶋玲子。それぞれがバイクに乗っているらしいが、奈々岡はこの六人とは随分と親しいようだった。葉月巧美は速河久作のことは殆ど知らないが、とりあえずバイクが大好きらしいことは充分過ぎるほど解った。
 橋井利佳子、リカさん。リカちゃん軍団と呼ばれているのでリーダーなのだろうが、ロングヘアで大学生くらいに見えるクールな彼女は1‐Cに奈々岡とやってきた葉月に挨拶をした後は、ずっとショートボブでモデル体型の、笑顔が印象的な加嶋玲子と喋っていた。久作が一通りの説明を終えてから改めてリカは葉月に声をかけた。
「葉月さん、だったかしら? 久作くんってバイクのことになると人が変わるの。同じ値段で最新の原付が買えそうなのに、やたらと古いのを薦めるの。まあ、見栄えもいいし私は好きなんだけど、だからって葉月さんは好きに選んでいいと思うわよ? 原付でもちょっとこだわると大した出費だしね?」
 そんな風に久作の専門的な説明をリカがフォローしてくれた。リカの隣で黙って洋書らしきを読んでいた須賀恭介が、目も合わさずに次いだ。
「原付一台は確かに俺らにはちょっとした出費だ。だが、バイクには俺らより詳しい速河が選ぶんだから、買う買わないはともかく、一度現物を見るくらいの価値はあると思う。鈴すずくんのバイクは随分と面白くて、鈴くんに似合っていると俺は思うしな。免許を取るまでは心臓破りの坂以外では走れないが、二年になったら揃ってツーリングというのも悪くない」
 後日、葉月は奈々岡と前村と一緒にノナカモータースに行き、速河久作の名前を出した。すぐにメカニックらしきツナギの男性が二台のバイクを出してきた。他のショップで二十万くらいのところを、フルメンテをした上で十五万で譲ってくれたので、ヘルメットやグローブはそこで揃えた。ガソリンが殆ど入っていないと聞いたのでノナカモータースから少し行ったところのGSでチャージしていると、GS店員から「変わったバイクですね?」と言われて、葉月は満足した。
 バイクに熱心な速河久作の噂は須賀恭介ほどではなかった。空手部主将を倒して教師一人もついでに病院送りにし、元ヘヴィー級ボクサーの教師をも倒した、普段は呆けているそこそこ二枚目の、正体不明の男子、そんな噂だった。成績は学年で四位辺りで、中等部の頃の話は一切聞かない。奈々岡に尋ねると「久作くんは、どう言ったらいいのか、良い人なんだけど変な人」そんなだった。方城護はバスケ部のエースなので葉月も大体は知っていたが、その隣の橘絢、こちらは殆ど正体不明だった。
 金髪ツインテールの小柄で3D格闘ゲーム「ミラージュファイト」シリーズで無敵で、成績は須賀恭介の次。高等部から編入してきたアメリカ国籍の女子で、加嶋玲子と廊下で大声で踊っている姿を何度か見たことがある。小柄だがアイシャドウと切れ長の目で化粧も少し派手で、ネックレスやブレスレッド、葉月のものとは形が違うミニスカート姿でやたらと目立って、学年を問わず男子に人気らしいが、お喋りな葉月の三倍くらいの速度のトーク内容は意味不明で、良い人なのだろうが遊んだりダベったりする相手には向いていないように思えた。奈々岡鈴とは真逆に見えたが、奈々岡はそんな橘絢とも親しいらしい。

「そろそろ蘆野駅前だな……って、何だ? ユキネエが止まってやがる。……ユキネエ? 真後ろのナオキだよ。どうしたの? ここらでレイジのエボと合流だっけ?」
 ナオキはケータイを握ってオーディオのボリュームを下げた。
「……え? 障害物って? ああ、見えた。何だありゃ? 道路のど真ん中に、バイク? ユキネエ。蘆野にバイクチームなんていねーよな? ってか、あれ、全部原付じゃねーか。ガキの悪戯か? 蘆野山に入るにゃここを抜けるしかねーが、とっととどけて、レイジと合流しよーぜ? ……ケンジ? あそこのバイク、どかせ。ああ? 傷くらいいいじゃねーか。さっさとしろ。もうすぐレイジが来るぜ?」
 車は停止していて、窓の外はどうやらJR蘆野駅の傍らしかった。前にシルバーの車が見えるが、真っ赤に光るテールライト、あちらも停止しているようで、その先の道路に何かがあった。
「ユキネエ? ケンジにあれ、片付けさせて……何だ? 誰かいるぜ? ケーサツ、じゃねーな。……俺? 俺とケンジってか? あいよ、どいつだか知らねーけど、こんな真似するってことは俺らと同類か? ったく、メンドーだな。お壌ちゃん? ちょっくら出るが、間違っても逃げようなんて思うなよ? そん時は、マジで恐ろしい目にあうぜ? そこでじっとしてろ」
 ユーロビートをオフにして、ナオキは車から出た。エンジンはかかったままだがチンピラAは消えた。外は見慣れた蘆野駅前。葉月は、ドアを開いて全速力なら逃げ出せるかもと考えたが、肝心の両足はずっと震えたままで、ついでにナオキから警告もされている。黙ってこれに乗っていれば想像もしたくない末路だろうが、逃げ出そうとしてそれに失敗すれば、もっと悲惨かもしれない。
 どうにか両足に頑張ってもらって蘆野署辺りに逃げ込めばどうにかなりそうだが、葉月は蘆野署の場所を知らない。隣のスーツ男が消えたので若干頭が回るようになったが、ここに留まるのは得策ではなく、逃げるにしても一分程度で相手が解らない場所に身を潜めつつ警察に通報、これがベストのように思ったが、通報して警察官が来てくれるまでの何分間かを無事でいられる自信が葉月にはなかった……。

「ったく、何だってんだ? 公道を封鎖しやが……おい! お前! 何やってやがんだ!」
 ヘッドライトに浮かぶ一人に、ナオキは怒鳴った。遅れて車から降りたケンジも並んだ。八木由紀は車の中で、エンジンもかけたままだった。ナオキとケンジはケータイを持ち、それはユキと繋がっている。
「テメ! どこのヤローだ! 俺らにチャチャ入れるって、テメ、俺らが誰か解ってんのか?」
 平田賢治が怒鳴った相手は、黄色いフルフェイスを被った小柄だった。
「相談があります。あと、取引もです」
 フルフェイスからの声は、まるでドナルドダックのようだった。チェック柄のコットンシャツとジーンズで、声はフルフェイスからだが、三台の車のエンジン音でも聞こえるくらい大きく、そして妙だった。
「はあ? つーか、誰だよ、テメ!」
 ケンジがカーゴパンツから刃物を持ち出した。鈍く光るバリソンナイフで、風貌も含めて文字通りチンピラといった様子だった。
「ホークアイから状況をアップデート。チャンネル2をオープン。パッケージ・リーフを確認。赤いツーシーターの助手席、プラウラーで奪還を試みる。ボギーツーは待機。プラウラー、奇襲準備。パッケージ・リーフを保護だ。現在、ドライバーは外。裏から回って車を奪取。内側からロックをかけてパッケージ・リーフの安全確保。チャンネル1をオープン、情報を。シルバーのツードアは女。赤いほうはスーツの男。黒い車からはスキンヘッド。尚、スキンヘッドは武装」
「おい! お前、何ぶつぶつ言ってんだ? ノワールの俺らとやりあうってんなら受けてやってもいいけどよ、今日は忙しいんだよ。とっととそこのバイクどけろよ!」
 バリソンナイフをカチャカチャと振る平田賢治の隣から、唐沢直樹が怒鳴った。
「わたくしは、そこにいる桜桃女子の知り合いです。彼女を渡して欲しい。無論、タダでとは言いません。ここにお金があります。とりあえず十万円。足りない分は後日で、総額はそちらにお任せします。彼女を渡して貰えればバリケードは解きますが、そちらがノーと言うのなら、しかるべき処置を取らせてもらいます」
「……ぷっ! ははは! おい、お前。誰だか知らねーが言い分は解った。だが、答えはノーだ。あのお壌ちゃんは最低でも二百万は稼ぐし、お前がケーサツを呼んでも俺らは一向に構わん。俺らをただのチンピラだと思うのは勝手だが、死ぬほど痛い目に合いたいのなら手伝ってやってもいいし、十万? それは貰うさ」
 ズボンのポケットに両手を突っ込んだナオキが、ぺっ、と唾を吐いてフルフェイスに言い、ゆっくりと歩いてきた。
「ホークアイからリンリン。シャッターチャンス。チャンネル1に映像を送信しつつその場を退避。プラウラーは突入準備。ボギーツーはプラウラーの護衛。グレイハウンドは全情報をチャンネル1へ」
「でよ、お前はさっきから何をぶつぶつ言ってんだ? とりあえずよ、そのヘルメット取れ。あと、ふざけた声も止めろ。ぶち殺すぞ?」
「まあまあ、ご両人。熱くならずに。二百万、いいでしょう。二十四時間いただければ用意しますから、彼女を解放してください。わたくしたちはこの街に来て間もない弱小組織ですが、本土から応援と、資金が届く予定になっています。神部市に拠点を持ちたいと思っている組織は多い。かといって新参者が現れれば、あなたのような方には面白くないでしょう? ですから、まずはあなた方と共闘、そんなところです。女子高生一人で二百万。そこにプラス五十万を上乗せしましょう。いかがです?」
 バリソンナイフのカチャカチャという音が深夜の蘆野駅前に響いているが、黄色いフルフェイスはお構いなしで続ける。
「……二百五十万? そりゃあ悪くない話だ。小娘を始末するのは案外と面倒だし、他所よそに売るのにもあれこれと根回しがいる。たまたま見つけたあのお壌ちゃんでそんだけ貰えるってのは悪くない話だが、お前がそこまでする理由は?」
 ナオキは返し、オールバックを軽く撫で、煙草を出して咥えて火を点けてフルフェイスを睨む。
「ホークアイよりプラウラー。スニーキングでパッケージ・リーフの確保準備、配置につけ。ボギーツーは護衛のまま、こっちはいいからプラウラーをフルカバー。グレイハウンド、チャンネル1への送信を継続しつつ、チャンネル2にてボギーワン、ボギースリーに状況報告。リンリンは退避準備、ルートはレクイエム方面」
 フルフェイスの小柄は目の前のナオキ、ケンジと喋るときはボイスチェンジャーのドナルドダックだが、チャンネル1と2は相手に聞こえない音量で、それを手にしたケータイで切り替えていた。
「あなた方と一緒のあの女性は、わたくしたちにとって重要な人物なんです。詳しくは後日説明しますが、まずはこちらに引き渡して頂きたい。無論、相応の代金は渡しますが、今は現金で十万円で、手付けだと思って貰えれば結構です。尚、この提案にノーの場合は、わたくしの組織が動きます。これは脅しと受け取って貰って結構ですが、わたくしの組織は加減を知らない。何せ大陸出身ですから。わたくしに何かあった場合も同じくです」
 ケンジは煙草を投げ捨て、二歩、フルフェイスに近寄った。
「大陸の組織……蛇尾じゃびの連中か? まあ、確かにあいつらはエグいし真正面からってのは賢くないが、おい、ヘルメット。俺らノワールは蛇尾とは仲良くやってるし、それなりのルートもあってだな、あそこのガキを連中に渡せば、もうちっとばかし値段は上乗せされるんだが? 蛇尾の奴らにデカいバックがいるのは知ってるが、内部分裂でもしてるってか?」
 ケンジが次の煙草を咥えてフルフェイスを睨んだ。
「プラウラーからホークアイ、パッケージ・リーフを保護ー! えーと、車は内側からロックしたよー」
「こちらホークアイ、了解。気取られてない、さすがだね。状況をアップデート、外から見えないように姿勢を低く。ボギーツーはこちらに戻れ。グレイハウンド、状況を報告せよ」
「こちらグレイハウンド。ナナ……リンリンの写真は相手との会話と一緒に指示通り、チャネル1に送信。ボギーワンとボギースリーはあと二分以内だって。リンリンは後方へ退避中」
「ホークアイからオール、状況をアップデート。プラウラー及びパッケージ・リーフの安全を最優先。グレイハウンドから増援まで二分。プラス、五分。敵は目の前に二人と車に一人で合計三人。ボギーツー、やれそうか?」
 と、シルバーの車から女性が降りてきた。ロングヘアで冷たい印象の、頭の切れそうな女性だった。煙草を咥えて鋭い視線を向けている。
「そこのヘルメット! 大したモンだね。警察無線を傍受したよ。お巡りがこっちに向かってる。お前が何者かは興味があるが、どうやらお前の仕業らしいな? 蛇尾を出すってのもまあ、ハッタリにしちゃ中々だ。頭の良い奴ってのは嫌いじゃないが、お前は生かしておくと面倒だってのが私の勘だ。何者かは後で調べる。ナオキ……やれ」
 ユキに言われたナオキは、バリソンナイフを握ったままフルフェイスに歩いた。
「フザけた格好でフザけたこと言いやがる、クソ生意気な野郎だな? 死ねよ!」
 ナオキは右で握ったバリソンナイフを後ろに振り、突き出した。と同時にバン、と音がしてナイフが飛んだ。
「……あん? 何だテメー!」
 ナオキが右を向いたのと同時に、再びバン、と鈍い音がした。
「何だって聞かれたら、答えんのか? えーと、俺はボギーツー。アーリー・オフェンスで顔面を蹴ってやったが、バッシュだから大したダメージでもないだろ? 丸坊主のチンピラよぅ」
 暗がりから出てきたのはボギーツー、ジャージとバッシュの方城護だった。二発の蹴りでナオキの武器と顔を蹴り付け、ナオキの鼻から血が吹き出していた。
「クソっ! オイオイ、闇討ちかよ。それにしたって丸腰じゃねーか。テメ、蛇尾の連中じゃあねーな? あいつらはデカい刃物使うのが好きなイカれた連中だし、一人二人で動いたりもしねー。ったく、何モンだ?」
 唐沢直樹は言いつつ、素手のまま構えた。鼻血を流す平田賢治は頭を何度か振ってから、同じく方城に対して構えた。
「二人か。もっと大勢だと思ってたんだけど、まあ少ないならそのほうが楽だよな。スーツ男は空手で、坊主のほうは、何だ? 知らねーが、まあいいや。ディレイド・オフェンス、須賀とかが来るまで粘るんだっけ? そんな堪え性があるようには見えねー……」
 ナオキが右ストレートを出した。かなり速いが方城はそれをスウェイでかわして、続くケンジからのローキックはバッシュの底で受け止めた。
「やっぱしスーツのほうは空手か。んで、坊主のほうはただの喧嘩慣れ、まあその辺か? ステイ・ロー」
 言いつつ方城はバッシュで止めたローキックを押し返して一歩前に出て、重心を落としてから猛速度の回し蹴り、地面すれすれから上方に踵かかとを出し、ケンジの顎を捉えた。ゴリッ、と鈍い音がして、ケンジの頭が激しく縦に揺れた。
「お前、何だ! そんな蹴り、見たこともねぇ! ケンジ! 一発KOじゃねーよな? 立てよ!」
 ナオキの構えは空手に見えるが、蹴りを出すために腰を落とすでもない。方城の低起動からの回し蹴りを顎に喰らったケンジは血の混じった唾を吐いて、方城と距離を取って再び構えた。
「スーツのほうはあれだな。空手崩れとか、ケンカ空手とか、そーいう類か。実戦慣れしててちょっと面倒だが、所詮はそんなもんだ。なあ、オッサン? 白旗揚げるんなら俺はここで止めてもいいけど?」
 暗くて二人には見えないが、方城はニヤリと不敵の笑みだった。
「おい、ナオキ、ケンジ。ガキ相手に遊んでんじゃないよ。始末しろ、そう言ったよな?」
 シルバーの車の隣から、ロングヘアの女性が冷たく言い放った。
「いけねぇ。ユキネエがお冠だ。ケンジ、獲物持ってこい。このクソ生意気は蜂の巣にしてやる! そこのヘルメット野郎もな!」
 方城から一歩引いたナオキは、ワインレッドのスーツに両手を入れ、そこで黄色いヘルメット、橘絢から声が出た。
「ヤバい! よけろ!」
 アヤに言われた方城は素早く左に飛び、遅れて、ババン! と派手な音が夜の駅前ロータリーに響いた。方城は姿勢を低くしたままバリケード代わりにしたバイクの一台の反対に回り、再び、ババン! と破裂音。フルフェイスのアヤも走ってバイクの陰に隠れた。
「おいおいおい! まさかとは思うけど、あれって――」
「拳銃だよ! リトルトーキョーの連中なら別に珍しくもないけどさ」
 スモークバイザーを上げたアヤが、三台先の方城に説明する。
「あれ、俺が相手すんのか? いやー、さすがにアレは難しいぜ?」
 バン! 更にもう一発。リカのホンダJOYのシートに弾丸が当たったらしく、JOYが揺れた。
「こちらグレイハウンド! ア……ホークアイ! 無茶よ! 相手は鉄砲なんでしょ!」
 グレイハウンド、リカがチャンネル2、リカや方城たちだけとの通信に怒鳴った。リカは今、植え込みに隠れていて相手には悟られていない。
「ホークアイ! 危ないどころじゃない! もうみんなで逃げて警察に!」
 同じく身を潜めている奈々岡が言ったが、アヤはうーん、と顎を摘んでいる。
「そりゃ駄目だ。プラウラーとパッケージ・リーフが危なくなる。グレイハウンドからの通信で警察がそろそろだろうけど、それまでは粘らないと二人が危険なんだよ。状況をアップデート。ボギーツー?」
「俺、拳銃持った相手と戦うとか、ゲーム以外でやったことねーけど、レイ……プラウラーを置いてきぼりにしたら、俺がボギーワンに殺されちまうな。何か役に立つ戦術とか情報は?」
 ジャージのポケットからバイク用グローブを取り出してはめた方城は、耳に付けたイヤーピースでホークアイ、アヤに指示を仰いだ。
「気休めだろうけど、ここらは見ての通りで暗い。照明はあそこの街灯だけで、拳銃の精度は低いはずだ。動き回ればまず当たらないだろうし、弾が切れれば拳銃なんて役に立たないよ。このままで撃たせるってのもアリだけど――」
 ズバン! 今度は先ほどよりも大きな音で、アヤが身を潜めるスズキ・ホッパーが派手に揺れた。
「うわ! ショットガン! なんでチンピラ風情がそんなもん持ってるんだよ! ショットガンはヤバい! 拳銃と違って着弾範囲が広いし、一発貰ったら身動き取れなくなる!」
「スーツ野郎が拳銃だから、ショットガンはスキンヘッドか? まあ、どっちも暗がりで動いてりゃどうにかなるんだろ? 須賀なんかが来ても状況は同じなんだから、このままディレイド・オフェンス続行、俺でどうにかするさ」
 ステイ・ロー、姿勢を低くしたまま方城はバイクから出て、ファスト・ブレイク、地面を蹴ってダッシュ。両手に銃を構えるナオキの目の前で右に飛び、そこにナオキから二発。二挺のオートマチック拳銃、ハードボーラーが吼えた。が、方城はそこから更に右に二歩の位置で、そのまま姿勢を低くして前に飛び、ショットガンを構えるケンジにくるりと背中を向けて更に腰を落とす。
 バン! ケンジのショットガン、モスバーグM500が火を噴いた。だが、散弾は方城の頭上を過ぎて、方城はそのまま両手を地面に当てて、再び低い回し蹴りを放った。ショットガンを構えたケンジの右膝を横から踵で蹴り付け、方城は低い姿勢のまま左に飛ぶ。デジタル一眼レフでその様子を遠くの植え込みの影から見ていた奈々岡は、フラッシュをオフにして夜間暗視モードでシャッターを切ったが、方城の動きは速すぎて追えなかった。
「クソっ! 足を蹴られた! どこ行きやがった!」
 右膝関節を横から蹴られて姿勢を崩したケンジは、バランスを失ってフラつきつつ怒鳴った。バイクのバリケードから飛び出した方城は両手に拳銃を持つナオキの前を掠めてケンジに近寄って、低姿勢から渾身の回し蹴り、必殺のスピンムーブを炸裂させて二人の視界から消えた。右手、顔面、右膝に強烈な打撃を受けたケンジはショットガンをポンプして周囲を見渡しつつ、再び怒鳴った。
「出て来い! クソ野郎! 蜂の巣にしてやんぞ!」
「なんだそれ? ザコの科白じゃねーか」
 ズバン! ズバン! 真後ろの声に向けてケンジはショットガンを二連射したが、三回目のポンプの直前に脇腹を蹴られて、リロードのポンプは止まった。モスバーグM500を持ったままケンジは口から唾を吐き出し、ゴン、その顔に強烈な蹴りが入った。
「そこか!」
 ナオキが頭の跳ね上がったケンジの右辺りに拳銃を連射し、マズルフラッシュでケンジのスキンヘッド後頭部が見えたが、それ以外に姿はなかった。
「待て! 撃つな! 俺に当たっちまう!」
 鼻から血を吹き出しつつ、ショットガンを握ったケンジが叫んだ。
「くっ! あの野郎は? どこだ!」
 もう一発、左のハードボーラーをケンジの足元に撃ち込んでナオキが怒鳴った。
「野郎! 俺の鼻を折りやがった! ゼッテーに殺す! 出て来い!」
 鼻血はそのままでショットガンをポンプして、ケンジは周囲を見つつ叫び続ける。
「……こ、こちらグレイ……ホークアイ! 大丈夫なの? ほう……ボギーツーは?」
 植え込みに隠れたリカがピンマイクに小さく叫ぶ。拳銃やショットガンの発砲音はアクション映画ほど派手ではないが、それが逆にリアルで、リカは少しパニックになっていた。神部市リトルトーキョーでは発砲事件もあるとニュースで見たことはあるが、世界でも日本は安全で治安の良い国だと聞かされているので、すぐ傍から聞こえる音はリカにはとても現実とは思えなかった。
「こちらホークアイ。グレイハウンド、あたしもビックリなんだけど、ボギーツーってスゲーよ! あんだけ撃たれてるのに一発も受けてないって、まるでボギーワンだ! でも、油断は禁物だし、パッケージ・リーフとプラウラーの安全が第一!」
 アヤがずっと言っているパッケージ・リーフは葉月巧美のことで(葉=リーフという安直)、プラウラー(うろつくもの)は加嶋玲子である。アヤの戦術、ネゴシエイト中の最初の奇襲は、レイコが葉月巧美の座る車に乗り込んで中から鍵をかけて、とりあえずの安全を確保するもので、ボギーツー、方城護は銃を持った二人をレイコらの車から遠ざけるように動きつつ、ダメージを与えている。
 スーツのナオキは両手に拳銃で、迷彩カーゴパンツのケンジはショットガンで武装しているが、方城はあえて接近することで銃弾を受けないようにしつつ、ショットガンのケンジに集中的に強烈な蹴りを入れていた。
 スピンムーブ、本来それはバスケットでローポジションからクイックターンするドリブルのことだが、その動きから出す回し蹴り、これを方城護はスピンムーブと名付けていた。バスケ部エース、桜桃のスコアリングマシーンの身体能力は素早い動きと強力な打撃を可能にしていて、それはどうやら拳銃を持ったチンピラ相手でも効果的なようだった。
「さて……インターバルだが、こっからどうすっかなー。そろそろ須賀なんかが来る頃だろうが、さすがに須賀でも、いきなり拳銃ってのはな。やっぱ俺が始末しとくのがいいのか? スーツのほうはまあどうにかなるとして、坊主のショットガン、あれ喰らったら……いてーだろうな」
 ショットガンを持ったケンジの顔面に蹴りを入れた方城は、そのまま走って車の後ろに身を潜めていた。須賀や久作は方城よりも場慣れしていて頼もしいが、さすがに拳銃を持った相手と対面したことはないだろう。久作ならそんな相手でも吹き飛ばすかもしれないが、いきなり出会いがしらで撃たれれば大怪我は必至だろう。方城は一連の流れからだったので対応出来たが、やはり久作や須賀が来る前に始末しておいたほうがいいように思えた。
 アヤが、暗いので拳銃の精度は低い、そう言っていたのであえて接近した。拳銃やショットガンの知識はないが、バスケで敵陣に一人で切り込むのと同じ要領でフェイクを幾つも入れて、ステイ・ロー、低く構えた姿勢からスピンターンで方向を変えつつ前に前にと進み、相手が整う前の速攻、アーリー・オフェンス。途中でスキンヘッドを集中的に蹴り付けた。二人同時に相手をするよりもアイソレーション、一人ずつ潰すほうがいいだろうと方城なりに考えてだった。
「ケンジ! ナオキ! 素人相手に何やってんだい! お前らのそれは飾りかい?」
 女の声が聞こえた。二人よりは頭の良さそうな、どうやらリーダー格らしい、シルバーの車の横にいた女の声だ。司令塔を潰す、バスケでの常套手段だが、スーツと坊主が銃を持っているので、あちらも銃を持っているだろう。女だからと甘く見ると痛い目に合いそうだ、そう方城は考えた。聞こえた声から位置は解った。スーツも坊主も怒鳴っているのでこちらの位置も把握している。レイコが乗り込んだ、葉月巧美だかが一緒の車からは引き離したし、バリケード向こうのアヤやリカ、奈々岡からも距離がある。
 須賀と久作を一旦待機にしてグレイハウンド、リカがチャンネル1で通報している警察を待つのが得策だろうか、そう方城が考えていると、ロータリーに一台の車が入ってきた。地味な白いセダンで、警察には見えなかった。一般車両はこの時間帯には殆ど通らないがゼロではないだろう。殆ど戦場のようなここに民間人、方城らもそうだが、無関係な車が入ってくるのは危険だ。激怒したスーツと坊主頭が拳銃を向ければ即、大事件である。
「こちらボギーツー。車が来たぜ? 警察じゃなさそうだし、このままだと巻き添えだ。俺は止めたほうがいいと思うが、どうする?」
 アヤから渡された小型イヤーピースに指を当てて方城はアヤに助言を求めた。自分の判断はあるが決定権、司令官は常にアヤ、これを忘れては組織戦で勝負にならない。バスケだろうと戦争の如くの小競り合いだろうと同じだ。
「……ホークアイ、了解。状況をアップデート。対象はこっちからはまだ遠いから、そっちでどうにかなるか?」
「なるもならないも、やるっきゃねーんだろ? 十秒だけ奴らの気を引いてくれ。車は俺が止める。無茶はすんなよ?」
 幸い、ロータリーに入ってきた車はゆっくりと、歩く程度の速度だった。バイクのバリケード側で音でも出してくれれば、方城の位置から車に近寄れそうだった。
「了解。プラウラー、車のロックを再確認しつつ、気取られないように。パッケージ・リーフは流れ弾に当たらないように姿勢を低くだ。返事はいらないよ。リンリン、そこからフラッシュを二回だ。出来るか?」
「は、はい! ア……ホークアイ! ほう……ボギーツーさんは平気なの?」
「あたしもボギーツーも無傷だ。一般車両が入ってきたからそれを止める……今だ!」
 アヤからの合図と同時に、奈々岡は建物の影から一眼レフを突き出し、シャッターを二回切った。バッ! バッ! と強烈な光がバイクバリケードの後ろからで、ケンジ、ナオキ、ユキが銃を向けた。
「そっちか!」
 ズバン! ケンジがショットガンを撃ち、散弾がバリケードに着弾してバイクが揺れた。ナオキがそれに続いて奈々岡のハミングのシートが弾けた。更に、ユキがショルダーホルスターからロングバレルリボルバーを抜いて片手で構えた。ゴン! 耳を打つ咆哮と同時に方城のスズキ・ホッパーのタンクに巨大な穴が空いて、アヤは慌てて飛びのいた。
 ドン! 方城のホッパーのタンクが爆発し、深夜の駅前ロータリーに黄色い炎が鉄片と共に飛び散った。まるで戦争だ、と愚痴りつつ方城は白いセダンの助手席のドアを開き、飛び乗って早口で説明した。
「いきなり入ってきてすいません! 怪しい者じゃねーっす! 強盗でもない! ここは危ない! 下がってくれ! じきに警察が来るから!」
 セダンを運転していたのは三十歳くらいの短髪の男性だった。方城よりも随分と小柄で、目の前の大爆発に少し驚いているようだったが、突然入ってきた方城には全く警戒していないようだった。
「……少年は、オートースチューデントですか?」
 車を止めて男性は方城に尋ねた。表情はにこやかで、大爆発も方城も殆ど気にしていないように見える。
「え? えっと、スチューデントって、ああ! そう! 俺は桜桃学園の生徒で、方城護って……いやいや! それはどうでもよくて! ここは危ないから早く車をバックさせてくれ!」
 状況を知らないのは当然だろうが、目の前で爆発があれば少しくらいは驚くだろうに、黒スーツの男性は笑顔のまま方城を見ていた。方城の科白にも笑顔で頷くだけだった。
「ひょっとして、外人? 中国とか韓国とかか? アンタ、いや、年上相手でアンタは失礼だろうけど、って、そーいう場合でもないんだ! とにかく――」
「ガイジン? ガイジンは良くないですよ、少年。僕から見れば少年のほうがガイジンです。中国から来ましたが、日本の人はガイジンを良く口にするです。とても良くないです」
「え? ああ、すいません……って! 説教は後で聞くから! えっと、あっちで銃持った奴がいて、ここは危ないから下がってくれ!」
 とりあえず中国人らしい男性に方城は必死に説明するが、相手はそれをにこにこ顔で聞きつつ、ゆっくりと車を降りた。
「え? いや! 待て! アンタ! そっちは本気でヤバいんだ! チクショー! どうする俺? こうするっきゃねー!」
 慌てて車を降りた方城は、のんびりと歩く黒スーツ、小柄な中国人を先回りしようとダッシュしつつ、イヤーピースでアヤに連絡した。
「アヤ! 部外者がそっちに向かってる! 理由はサッパリだが、俺が先回りして連中をぶっ飛ばす!」
「は? 方城護! 何だそれ! その人止めろよ! 拳銃持った奴が三人だぞ? 無茶すんな!」
 状況が状況なのでコールサインを使う暇も惜しい。黒スーツの歩幅で十歩ほどでショットガンを持ったスキンヘッドが見えた。背後で原付のホッパーが燃えているので大柄なシルエットだと解る。方城は駆け足で黒スーツを追い越した。
「何だぁ? 増えやがった! 俺の鼻を折ったのはテメーか! 死ね!」
 ケンジがショットガンを構えたので、方城は黒スーツの反対側の車に一旦飛んで隠れて、遅れて車から火花が散った。ケンジのポンプアクションの隙を狙って方城は全速力で飛び出して、左手でショットガンの先端を払い、そのまま体をくねらせて、最速の回し蹴りをスキンヘッドの側頭部に叩き付けた。渾身のバッシュの踵がこめかみを捕らえ、鈍い音でケンジは頭を揺らして左に飛ばされて、手にしたショットガンは地面に落ちた。
「何が死ねだ、このクソ坊主が。この、ショットガン? これが連射出来ないってのは解ってるんだよ。あんだけバンバン撃たれればな」
 方城は一撃で気絶したケンジを持ち上げて、慣れない手付きでショットガンも持ち、ケンジを盾代わりにスーツのナオキに備えた。
「ほう。少年はなかなかですね。銃を持った相手に薙なぎ蹴りを一撃。日本のスチューデントは素晴らしいです」
 小柄な黒スーツの男性が、小さく頷きつつ方城に言った。
「え? ああ、どうも……って、アンタ! まだいたのか? 見ただろ? こんな物騒なモン持ったのがまだ二人いやがる! 頼むから引っ込んでくれよ。誰だか知らないけどアンタに何かあったら、俺の今までの努力がパーになっちまう。っつーか、警察まだかよ!」
「五分前に交通事故がありましたから、警察は皆さんそっちに向かってます。こちらには遅れてますが、問題ないです」
 靴も黒い小柄が世間話をするような調子で言った。
「はぁ? 交通事故って、こっちは拳銃で爆発だぞ! しかも女子高生誘拐! どう考えてもこっちが優先だろ! 何だよそれ!」
「少年は怒らないがいいです。警察はいつも忙しいで人数はいつも足りないです。それに、ここには少年がいるですから、問題ないです」
 黒スーツが言うのはつまり、方城一人でどうにかしろと、そういう意味に聞こえた。
 とりあえず一人は片付けたが、まだあのオールバックと偉そうな女がいる。しかも、二人とも銃を持っているらしい。方城の体力はまだまだ充分だが、手にしたショットガンは使い方が解らないし、棒のように振り回すには危ないように思える。威嚇くらいにはなるだろうが、バイクを爆発させるほどの相手に半端な威嚇など通用しないだろうし、両手に拳銃を持っていたオールバックはキレているようだった。真正面から向かえば相手の科白ではないが蜂の巣にされても不思議ではない。
 どう攻略するか、戦略を組み立てようかと考えていた方城を置いて、黒スーツはてくてくと歩き出した。
「っておいおい! 待てって! ヤバいのが残ってるんだよ!」
 盾代わりにしようと持ち上げたスキンヘッドを放り出し、方城は黒スーツの隣に慌てた。
「やっと出てきやがっ……あん? 何だテメー?」
 数歩でオールバックの男が見えた。燃えたガソリン臭が辺りに漂い、オールバックの後ろでまだ燃えている。方城はそれが自分のバイクだとはまだ知らないが、ショットガンを向けてみた。
「誰でもいいんだよ。ほら、お前の相手は俺だろ? こっちも銃だが、実は使い方知らねーんだよ」
 方城はとにかくオールバックの注意を自分に向けようと、口を開いた。先刻まで不意打ちでどうにか対応していたが、拳銃を両手の相手に真正面からというのは、どう考えても賢くない。これで撃たれたらちょっとしたギャグだ、とも思った。
「少年はとても良く頑張ってくれました。ですから僕も頑張りましょう。きみ? 日本は民間人が拳銃を持ってはいけない国です」
「……何だ? おい、このトンチキはテメーの身内か?」
 オールバックが吐き捨てるように言った。と、黒スーツがいきなり駆け出した。両手に拳銃を持ったナオキが慌てて右のトリガーを引いた。パン! と乾いた音がしたが、黒スーツは……。
「よけた!」
 方城とナオキがほぼ同時に叫んだ。ナオキのオートマチック拳銃、ハードボーラーの銃口は黒スーツの額をきっちり捉えていたのだが、走る男は首を少し傾けてその弾丸を、かわした。ナオキは慌てて左のハードボーラーを向けるが、黒スーツの男は走る速度のまま、右の蹴りで拳銃を上に弾き、その蹴りの勢いのまま体を浮かしつつ左足でもう一方の拳銃も弾き、そのままぐるりとバック転して着地した。
 二挺の拳銃を飛ばされたナオキが空手風に構えようとするが、黒スーツの男は着地した位置から左足をナオキの右膝関節に入れてゴキリ、と蹴り折り、ボクシングのストレートよりもコンパクトな軌道の右の拳でナオキの喉を殴りつけた。殆ど一瞬で四つの打撃を受けたナオキは、口を大きく開いて目を剥いて仰向けに倒れた。三秒かそこらで二挺の拳銃を持ったチンピラを気絶させた黒スーツに、方城は口をあんぐりと開けたままだった。
「拳銃に頼るはよろしくないですね。どんなに強力でも弾が切れれば役に立ちません。ですね、少年?」
 黒スーツの襟をビッと正した小柄な男は方城に言ったが、方城は、はあ、と首を傾げるので精一杯だった。
「何だ? お前らは? ケンジとナオキは?」
 女の声がした。シルバーの車から離れた八木由紀の手には、やたらと大きな銃があった。大口径で熊撃ちなどに使われる、レイジングブルに続く大口径リボルバー、スーパーレッドホークである。一発で方城のホッパーを爆発させ、人間に向けて撃てばトンネルが出来るほどの大型リボルバーだ。それを細身の女、ユキが片手で構えている。拳銃の知識のない方城でも、それが強力だろうとすぐに解る。まるで大砲だ。
「あー、名前は知らねーけど、坊主頭はあっちでノビてるし、スーツ野郎はそこで同じくだよ。あのさ、俺が言うのもなんだけど、もう止めとこうぜ? 逃げるんだったら俺はそれでいいし、追いかけるのは警察にでも任せるし、撃たれるのもゴメンだし、なんつーか、疲れた」
 二人を気絶させておいてどうかと思うが、方城の科白は本音そのものだった。体力はまだ残っているが、方城は若干ウンザリしていた。拳銃を向けられるのにはもう慣れたが、怪我をすれば試合どころではなくなるし、口は悪いがほどほどの見栄えの女性を殴ったり蹴ったりするのも出来れば避けたい。が、ユキはこう返す。
「ノワールがガキにナメられるのは癪しゃくだし、二人はまあいいが、お巡りと追いかけっこってのも面倒だ。とっとと逃げたいがレージへの建前、落とし前はつけておかなきゃね」
「まあ言いたいことは解るけど、止めといたほうがいいぜ? この人、ハンパなく強いし、拳銃なんて通用しないみたいだしな。ま、好きにすりゃいいよ。いちおう忠告はしたってことで、誰だか知らないけど任せるよ」
「少年は話の解る、賢い人です。女の人、拳銃を捨てて投降すれば僕は手を出しません――」
 ガン! 前置きもナシでいきなりユキは発砲した。
 まさしく大砲のようだったが、黒スーツは少し体をひねっただけでその銃弾をかわした。二人の距離は十五メートルほどだが、方城は驚きを越えて呆れていた。須賀ではないが、まるでSFだ。黒スーツは早足でユキに近付き、ガン! 二発目も体をひねってかわした。ユキの表情がさっと青くなり、三回目のトリガーより速い蹴りがリボルバーを弾き飛ばし、その左足が地面に付く前に男は体を空中でひねって、弾丸のような右足でユキの頭を捉えた。鈍い音がして、ユキはロングヘアを揺らしつつ白目を剥いて地面に倒れた。大型リボルバーと咥えていた煙草が遅れて落ちる。
「……胴回し回転二段蹴り! なんだアイツー!」
 声は炎上するバイクバリケード向こうのアヤからだった。黄色いフルフェイス姿だったので黒スーツが構えたが、アヤがすぐにフルフェイスを取ったので男はスーツの襟をビッと引いて、笑顔を向けた。
「オートースチューデントのタクミ・ハヅキは無事ですか?」
 てくてくとアヤに近付いた小柄な黒スーツ男は、優しく尋ねた。
「ん? ……ああ! レーコ! 葉月の巧美ちゃんは?」
 イヤーピースに指を当ててアヤが言うと、車のドアが勢い良く開き、桜桃ブレザーの女子とタンクトップに真っ赤なジェットヘルのレイコが出てきた。レイコは炎上しているバイクに驚いていたが、すぐにアヤを向いて強く頷いた。
「パッケージ・リーフは無事でーす! プラウラー! 任務完了?」
「アヤ! 方城くん! 平気なの?」
 植え込みからリカが飛んできて、遅れて奈々岡も駆けて来た。
「タクミ!」
 奈々岡は炎上するバイクからの煙ですこしむせつつ、レイコに肩を支えられた葉月巧美に近寄った。
「リンちゃん! 巧美ちゃんは平気だけど、ちょっと疲れてるみたいだよー」
 レイコがにっこりと微笑んで奈々岡に言った。葉月巧美は忙しく瞬きをしつつ青ざめているが、見たところ怪我はないようだった。
「リカ、俺もアヤも無事だよ。そこの、えっと、名前知らないけど、その人が助けてくれたんだ。なあ、アンタ、どちらさん?」
 葉月巧美とレイコの様子を見てから、方城は黒スーツの男に改めて声をかけた。
「少年とその仲間は素晴らしいです。僕はミコさんの友達の李錬杰リー・リェンチェです」
 黒スーツの、リー・リェンチェと名乗った男が方城に握手を求めたので方城はその手を握ったが、事情はサッパリだった。
「ミコ? えっと、そっちもどちらさん? アヤ、知ってるか?」
「いんや、知らないなー。それよりミスター・リー! さっきのアレ! 胴回し回転二段蹴り! もしかしてミスター・リーってマーシャルアーツ使い?」
 3D格闘ゲーム、ミラージュファイトシリーズで中国拳法のエディ・アレックスを使っているアヤは、先ほどのミスター・リーがユキに放った二連続の蹴りに驚いているようだった。ゲーム中で同じ技が使えるので尚更らしい。
「はい、小さいお嬢さん。柔は八卦掌はっけしょう、剛は形意拳けいいけん。中国武術は僕の得意です」
「け、形意拳! な! なんてマニアックな! 方城護! あのスキンヘッドとオールバックは、ひょっとしてこの人が倒したのか?」
 この状況ならまず葉月巧美の無事を確認するのが先だろうに、いかにもアヤらしい。方城は少し頭を傾げて思い返した。
「坊主頭は俺だけど、スーツ野郎はこの、リーさん? この人だよ。えっとな、まず拳銃をよけてその拳銃をバック転で蹴って……あれだ、サマーソルトキックって奴だ。そこから膝を蹴り折ってからグーで喉んところを殴ってた、かな? スーツ野郎はそれでノビちまったぜ?」
「サマーから喉にグー! ホンキで形意拳じゃん! スゲー!」
 アヤが目をキラキラさせながらミスター・リーを見詰めていた。その前にショットガンを持った相手を始末した方城など全くの無視だった。
「それよか、そっちが葉月巧美って人かい? しつこいようだけど大丈夫か? その、精神的なのは置いといて、怪我とかは?」
「……え?」
 ずっとレイコに支えられている葉月が、近付いて声をかけた方城に返した。ショートボブのレイコよりもう少し短い髪で小柄で細く、顔色は真っ青だが桜桃ブレザーの葉月巧美に怪我はないようだった。方城は葉月と面識がなく、先方もリアルな方城を詳しく知らないので戸惑っているようだった。
「ああ、自己紹介な? 俺はバスケ部の方城護だ。リンの友達だよ。アヤとかレイコとかリカは知ってるよな? まあ知らなくてもいいんだけど、なんつーか……もう安心していいぜ? うっとおしい連中は俺とそこの、リーさんが片付けたよ。こういう場合、怪我とかなくても病院に行くのがいいのかな? リカ?」
「そうね。でも露草先生に連絡してあるから、そちらに任せるのがいいんじゃないかしら? こんな怖い目にあった後にまた知らない人のところってのはどうもね。それと、リーさん? ありがとうございます。方城くんやみんなが無事なのはアナタのお陰です」
 リカがペコリと頭を下げると、ミスター・リーは、ははは、と晴れやかに笑った。
「黒髪の少女さん、お礼はいらないです。僕は僕の仕事をしました。少年がとても素晴らしいでしたし、皆さんの活躍も素晴らしいです。タクミ・ハヅキの無事は皆さんの活躍です」
「ねえねえ、その人、誰ー?」
 葉月巧美と一緒で車の中だったレイコは状況を通信でしか聞いていないので、どうして黒スーツのミスター・リーがいるのか理解していなかった。
「レーコ! この人は超マーシャルアーツ使いのミスター・リーで……って、誰?」
 レイコ、アヤ、リカの視線がミスター・リーに集まったが、ミスター・リーはにこにこと微笑んでいるだけだった。
「リン!」
 突然、葉月巧美が叫んだ。周りが見知った人物で自分が危機から脱したことにようやく気付いたらしく、奈々岡にしがみついてしばらく震え、そのまま泣き出した。
「怖かった! 凄く怖かったの! もう死ぬより怖かったし頭が真っ白だったし! リンとか歩と一緒に速河くんにバイク選んで貰うことなんかを思い出してて、走馬灯? 絶対に殺されるって!」
「タクミ? うん、もう大丈夫よ。みんなが助けてくれた。怖い人は方城くんが全員やっつけたし、平気だから」
 恐怖を振り払うように叫ぶ葉月を抱き、奈々岡も一緒で二人はへたり込んだ。葉月の次に緊張状態だったらしい奈々岡も目に涙を浮かべていた。方城は二人に柔らかく言う。
「まあ、それが普通だよ。拳銃持ったチンピラに車で連れまわされりゃ、誰だってそうなるさ。だがよ、リンも巧美さんも、もう安心していいよ。チンピラは全員ノビちまってるし、後は警察が来れば、って、そういや須賀とかは?」
 思い出したように方城はアヤに尋ねた。
「うん? ああ、さっきメールが入った。リカちゃん経由で状況は伝わってて、須賀恭介なんかはあえて遅れて到着するように待機してたんだって。葵ちゃんも。ここに大勢だからこれ以上だと混乱するだろうから、だって。警察はもうすぐ到着らしいけど、こっちもナントカって人の判断であえて遅れてで、理由は、えーと、うん? ラピッドファイヤーを投入したから、だって。なんだコレ? ま、葉月の巧美ちゃんは無事確保だしチンピラはノビてるから、詳しくは後でいいか。いちおー確認だけど、みんな怪我とかないかー?」
 アヤが全員に言った。
「私は平気。ずっと隠れてたし」とリカ。
「私もずーっと車だったから同じくー」とレイコ。
「怪我はないけど、疲れたよ」と方城。
「こっちも平気よ。本当に、みんな、ありがとう」と奈々岡。
 葉月巧美は声が出ないようだったが、アヤに向けて小さく頷いた。
「それでは皆さん、ミコさんが来たら一緒に署で一休みして下さい」
 続けてミスター・リーが言い、葉月以外の全員がミスター・リーを見た。
「ショって?」
 首を傾げた方城が返した。
「署は警察署の署です。ミコさんは県警三課ですから僕も県警三課です。書類は明日でいいですけど、念の為に今夜は僕とミコさんと一緒に署に行きましょう。それとバイクは移動させておきましょう。拳銃はもう奪ってますし、車の鍵もですし、手錠もです。ああ、警察が来ました。後は引き継ぎましょう」
 相変わらずにこにことミスター・リーは言い、そこにパトカーのサイレンが重なった。須賀か誰かがあえて遅らせて到着したのは蘆野署の自動車警らのパトカーだった。二台が甲高いサイレンを鳴らしつつ赤色等を光らせている。
「……つまり、アンタ、警察か?」
 方城が少し呆れた風に尋ねた。
「少年、少し違いますです。僕は中華人民共和国公安部の一級警司、李錬杰リー リェンチェです。蛇尾の日本支部の内偵のためにミコさんの県警三課と共同捜査してます。ミコさんは僕をラピッドファイヤーと呼びます。ミコさんからタクミ・ハヅキをお願いと言われたのでここにいます。よろしくお願いします」
 両手を合わせてペコペコとお辞儀をして、ミスター・リーはまた微笑んだ。それを聞いたアヤが首を捻った。
「あれ? あたし、リンリンから緊急連絡あってから、葵ちゃんにも連絡したんだけど、なんでそれでミスター・ラピッドファイヤーが出てくるんだ? 中国公安部って中国警察だよね? 一級警司ってそれの警視とかだっけ? 通報は後回しにしてたのに、所轄どころかなんで中国警察の超マーシャルアーツ使い? いや、お陰で誰も怪我せずに無事解決だからいいんだけど、作戦とちょっと違う決着で、あれー?」
「あれー? あはは!」
 何故かレイコが真似て、ミスター・リーも笑った。

 ――県警三課・組織犯罪対策室は、神部市リトルトーキョーに支部を置く、中国福建省を拠点とする密入国斡旋ブローカー犯罪組織・蛇尾、通称スネークテイルの内偵を進めていた。その捜査協力のために中華人民共和国公安部から派遣されたのは、マーシャルアーツを初めとする各種中国拳法の使い手、拳銃の弾丸をもかわすラピッドファイヤーこと李錬杰リー リェンチェ一級警司、ダットサン・ブルーバード1800SSSを足にする彼であった。
 県警三課の神和彌子と親しく、彌子とは正反対で拳銃を一切使わないミスター・リーは、「さ迷える赤い弾丸」の彌子と同じく「ラピッドファイヤー(速射)」という二つ名で呼ばれる、犯罪者から恐れられる一人であった。
 性格は極めて温厚だが犯罪に対する正義感は神和彌子にも劣らない優秀な警官で、日本に知り合いは少ないが、この一件で私立桜桃学園高等部バスケ部エース、方城護という、若いながら勇敢に戦う青年と出会い、以後、方城と親交を深めることになる。
 方城護のスピンムーブが炸裂し、ラピッドファイヤーの拳が唸る時、犯罪者が一人、また一人と姿を消す。
「って! おいおい! 俺のホッパーが燃えてるじゃねーか!」

 飛べ! 方城護! 戦え! ラピッドファイヤー! アチョー!

第六章~鳳蘭子と黄金色のスーパーヒーロー ―おいで、おいで、さあ来ておくれ―

 方城護の通学用原付、購入してまだ一ヶ月に満たないスズキ・ホッパーが爆発炎上した翌日、県警本部三階の一室に大勢が集まっていた。入り口外には「捜査第三課・組織犯罪対策室」と書かれた小さなプレートがある。
「方城くん、でしたね? 他の皆さんも、捜査協力と人質の保護には感謝します。ですが……」
 簡素な事務椅子に座った永山教永ながやま のりなが警部が笑顔で言い、セルフレーム眼鏡をくいと上げた。
「あ、解ってますよー。ああいう危ないことすんなって、そういうことでしょ?」
 方城と並んでソファに腰掛ける金髪ツインテール、橘絢が返した。永山警部は定年まであと五年の年配だが、髪はまだふさふさで太ってもいないので五十代くらいに見える。地味だが上品なスーツ姿で書類が幾らかある事務テーブルに肘を付いて、睨むでもなくアヤと方城を見て、露草葵と須賀恭介も順に眺めた。
「その点は俺からも謝罪します。そちらの巡査部長、神和さんから通報するようにと強く言われていたんですが、子供じみた判断で遅らせましたから」
 変わらずしわくちゃの桜桃ブレザーを着た須賀が方城らの対面のソファから言って、ソファの後ろにある事務机の列の一つに座る神和彌子を見た。
「ホントだぞ、弟くん。ザ・ラピッドファイヤーのリーさんがたまたま近くを巡回してたから良かったものを。ちなみにカチョー? あたしってば始末書とか出したほうがいいっすかね?」
「そうですね。夜の市街地で発砲と車両の炎上とあっては、影山さんも書類の一つもなければ困るでしょうから。それにしても、ミスター・リーがいたとはいえ、ノワールの一味を高校生が逮捕とは、さすがの私も驚きですよ」
 永山警部の表情は驚きというよりも呆れているようだった。背後のブラインドからの朝日は、今日もまた暑い一日であろうことを予感させる。永山警部を次いだのは露草賢太巡査部長だった。神和彌子と同じ階級だが年は少し上だった。
「昨晩の唐沢直樹、平田賢治、そしてノワールの幹部とされる八木由紀。拳銃の不法所持に誘拐未遂、器物破損と暴行罪で捜査一課に引き渡しましたが、叩けば余罪は山ほどでしょう。この三人とミコさんと乾さんが確保した二人、村上一哉と亀山千広。八木と村上の持つ国内武器売買ルートはこれで潰せそうですね」
 報告書を読み上げつつ、露草巡査部長は応接ソファに向けて笑顔で手を振った。
「ウチはええから、真面目にお仕事せーて」
 欠伸半分で妻の露草葵が応えて、ソファでのけぞった。シルバーメタルフレームの下、口には当然のように煙草があり、ローボードの灰皿はマルボロマイルドで満杯だった。室内の煙の半分は乾源一警部補のラッキーストライクで、こちらは神和の隣の事務机の灰皿を埋めている。煙草を咥えたまま乾がぼやくように言う。相変わらずの無精髭で、グレーのスーツだがネクタイはだらしなく緩んでいる。
「しかしまぁ、最近の高校生は凄いな。ナイフから拳銃やらショットガンを持ったチンピラと素手でやりあうなんぞ、まさしくミスター・リーだな。方城くん、だったかい? きみは武術でもやってんのか?」
「いや、俺はパワー……バスケットボールやってます。対外試合やらで他校と揉めるなんてこともたまにあるんで、まあケンカなんかは慣れてますから」
 アヤの隣に座った方城は、後ろを向いて乾に返した。乾警部補と神和彌子の二人から溜息が同時に出た。
「慣れてるて、バリソンナイフはともかくとして、ハードボーラー二挺にモスバーグM500で、スーパーレッドホークって、チンピラどころか殆ど傭兵状態じゃん。それ相手でバスケって、アンタはマヂでサイクロンジョーカーかよ。もみあげウルヴァリンの薫子ちゃんの弟くんがさ、いきなり現着を遅らせるとか言い出して、あたしビビったんだぞ? どうしても現場に行くって強引だったのが突然でさ」
 SWATロゴのキャップを事務机に置いたショートカットの神和は中学生男子のように見えた。二重の大きな目は猫のようでいて愛嬌があるが、今は半分閉じている。今日の神和は白いロゴTシャツで、その上からホリゾンタル・ダブルショルダーホルスターで、ハーフステンのガバメント9ミリカスタムとマガジンが収まっている。真っ赤なウインドブレイカーは事務椅子の背中を覆っていて、赤白バッシュが事務机の下でふらふらしていた。
「リカくん経由で状況はリアルタイムで把握してましたし、神和さんのほうでリー? 何やら頼れそうな方が合流すると聞いたので、そちらと方城とアヤくんに任せようと、そんな判断ですよ。すまんな、方城」
「ん? 俺は別にいいさ。っつーか、あいつら拳銃持ってたから、さすがにお前や速河でも相手すんのは難しいだろ? それよか、巧美だっけ? あの人は?」
 方城は須賀と、隣の露草葵を見た。煙をわっかにして浮かせてマグカップを握った露草がコーヒーを一口、応えた。
「ウチのほうでざっと診て、怪我なんかはなかったから蘭子らんこ先輩に預けて、今はここの医務室でリンとかと一緒や。精神的なダメージのほうが大きいやろうから普通の病院よか警察署の中のほうが落ち着くやろうしな。後でまた様子診るけど、とりあえずのパニック発作は収まったようやし、もう三日もすればマシになるわ。その後にのんびりとカウンセリングやな」
 露草は言いつつ、旦那の賢太が手を振るのを犬でも追い払うようにしていた。
「この二日で……」
 ブラインドからの日差しを背に、永山警部がゆっくりと口を開いた。
「リトルトーキョー随一の犯罪組織、ノワールのメンバーを五人逮捕しました。特にノワール幹部と目される村上一哉と八木由紀、この二人を押さえられたのは大手柄です。村上のほうは警察病院ですが、八木のほうは現在、一課が聴取中です。上手くすれば安部、阿久津、ノエルや蛇尾との線も浮かぶかもしれません。八木は安部の愛人という情報もありますからね」
 応接スペース、ローボードを挟んだ二つのソファに方城とアヤ、露草葵と須賀が座って、乾、神和、露草賢太は自分の机に座り、全員を永山警部が見渡している。白い壁に掛かる丸時計は午前九時二十分。桜桃学園ではもう最初の授業が始まっている頃だが、ずっと険しい表情の須賀が口を開いた。
「失礼? 今、アクツと言いましたか?」
「言いましたが? えー、須賀くんでしたか? 鑑識課の薫子さんの弟さんだとか。お姉さんに良く似てますね」
 県警本部の仮眠室で皆と一夜を過ごした須賀は、露草葵と同じくブラックのコーヒーを含み、シワを寄せた眉間に指を当てている。
「勘違いならいいんですけど、アクツ・レイジ、そんな名前だったりしますか?」
「阿久津の情報は記者クラブにも流していないんですが、須賀くんの言うアクツ・レイジと私の知る阿久津零次が同一人物だとすると、どうなります?」
 ゆっくりと噛み砕く永山警部に、一拍置いて須賀が唸る。
「特殊ではないが、余り聞かない名前ではあって、どうやら俺の知るアクツ・レイジと、永山さんでしたか? 警部さんの言う阿久津零次が同じならば、その西洋史教師の名がアナタの口から出るのは何とも奇妙だ」
 須賀は永山警部と視線を合わせて、再び眉間に指を当てた。
「アクツって?」
 方城が訊いたが、須賀は少し待て、と手で制してコーヒーを飲み、その合間を露草賢太巡査部長が埋めた。
「阿久津零次、二十八歳。先物取引大手のアクツエージェンスの次期社長で現在は高校教員。私立桜桃学園に勤務していますが、それは表の顔です。カチョー?」
 露草巡査部長に対して永山警部は一つ頷き、露草は続けた。
「阿久津はその資金源から、ごく最近にノワールの幹部ポストに収まったとされています。出身は東京ですが前科はナシ。都立大学を卒業後にアクツエージェンスの関連企業に入社して、そこで若いながら重役を務めていました。アクツエージェンスの国内シェア拡大に合わせてこちらに転居、肩書きは専務代行です。そして教員でもある。つまり、社会的立場はがっちりとしていて経歴はクリア、と」
 途中から机のノートパソコンを見つつ、露草巡査部長は全員に説明した。永山警部、乾警部補、神和巡査部長は当然既知で、残りの部外者には初耳だった。だが、説明を聴く露草の年下の妻、桜桃スクールカウンセラーの露草葵は特に興味ナシといった様子で、方城護も似たようなもので、須賀恭介と橘絢だけがふむふむと頷いていた。アヤはスクランブルケータイ2を持ち出していじっていた。露草巡査部長の言葉を吟味してから須賀が口を開く。
「ノワールというのは、確か神部市リトルトーキョーを拠点にしているチンピラグループでしたよね? いや、チンピラと呼ぶには過激すぎるか。武装して女子高生を連れ回し、拳銃を売買までしているとなれば、ちょっとしたギャングか。しかしだ、そこに俺の知る阿久津教師の名前が並ぶのが解らない。裏は知らないが少なくとも表のほうは随分と知的で好印象な男性教師だからな。アクツエージェンスなる企業もあり、金に困るでもないなら、ノワールだかに首を突っ込む理由がない」
「いやはや、驚いたねぇ。薫子も顔負けのインテリ振りだ。賢太の嫁さんの教え子ってのはみんなとびきりだな?」
 ラッキーストライクを咥えた乾が事務椅子をぎしぎしと鳴らしつつ、ぼやくように呟いた。
「弟くん……じゃあ絞まりが悪いな。きみ、良ければ……」
「須賀恭介すが きょうすけです、乾警部補。姉が世話になっているようで、代わって感謝します」
 目の前のマグカップを凝視したまま、須賀が素早く返した。
「薫子にはこっちが世話になってるさ、恭介くん。神和がバカみたいに撃ちまくるその薬きょうなんかを丁寧に拾ってくれるのは、鑑識でも薫子くらいさ。で、だ。阿久津が自分の会社の後押しやら汚れ仕事やらにノワールを利用してる、ってのが一課と俺たち三課の共通見解だが、裏は取れてないんだよ。何せ阿久津の野郎の経歴は真っ白、綺麗なモンだからな。会社への内偵もしたが胡散臭い話は微塵も出てこなかった。首都圏時代の経歴にしたって似たようなモンで、駐車違反の一つもない。そんなだから警視庁の一課が奴に付けた渾名は、ジョンだとさ。大した冗談だよ」
「ジョン? ジョン・ドゥーですか?」
 乾の説明に須賀が素早く応えた。乾は一つ頷き、煙草を吹いた。
「ジョン・ドゥー……身元不明男性死体とは、警察のネーミングセンスもなかなかだ。経歴がクリアなのは、まあ簡単です。アヤくん?」
 マグカップを握り、須賀はスクランブルケータイ2をいじるアヤに振った。
「まあねー。ちょこっと性能のいい端末とパソコンとネットの知識があれば、データベースの書き換えなんて素人でも出来るからね。もうちょい年配なら書類で記録が残るだろうけど、教員免許も案外、でっち上げかもね。あたしはあの人の授業は一回だけで、須賀恭介の言う通り、教師にしちゃ、まあ頭いいほうかな? 服はダサい成金趣味だけど、面構えもほどほど。悪党にも見えるし善人にも見えるってごくごく普通のお坊ちゃんって感じだな。
 アクツエージェンスってのはちょっと強引なやり口で成り上がった、業界じゃあ評判の良くないとこだね。この五年で業績が四十五%アップ。先物取引でも、希少鉱物資源の採掘権売買がメインだけど、レアメタル市場ってのはこの十年くらいで活性化したマーケットだから競争激しいんだよ。そこにかなり強引に割り込んでるのがアクツエージェンス。採掘権を土地ごと買い上げて採掘したレアメタル売買の仲介やって、土地と採掘権をまとめて売ってその資金で別の採掘場を買い占める、っていうコンボだな。日本じゃああんまり耳にしないマーケットだけど、リチウムバッテリーなんかの素材としてレアメタルが注目されたのが十年前くらいからだから、五年前から参入して業績上げてるってのは先読みの良さもあるんだろうけど、金任せの力技って感じだろうね。
 土地権利を買い占めるんだから地元民とのいざこざは避けられず、それをどうこうするために暴力に精通してる連中と繋がりがあるとか、そんなだな。ギャラガー・コネクションと蛇尾、ガンビーノ一家にルチルアーノ・ファミリー、レッドスター。どれも日本に拠点を持つ組織で、暴力が得意な連中だ。ただねー、そこに安部祐二が絡むってのがイマイチ解んないな。安部って言えば生粋のテロリストっしょ?
 元陸自自衛官でデザートストーム作戦と二度のPKO活動に参加で、退役の数年後にベルギーのアメリカ大使館爆破未遂テロの主犯格として国際指名手配。この時にセルビアの爆弾テロ組織のレッドスターを指揮してたのが安部ってことでインターポールと日本の公安が追ってて、どうやらリトルトーキョーに潜伏してるらしいと。そんな大物をかくまえるのはリトルトーキョーじゃあノワールくらいだもんな。
 中国の密入国ブローカー、ユーロ圏の麻薬王にロシアとアメリカンマフィア。そこにセルビア屈指のテロ組織も絡んで、大物テロリストを抱えた日本ギャングって、これ潰すのは大変だなー」
 タッチパネル式のスクランブルケータイ2を操作しつつアヤは流暢に説明して、ミルクコーヒーを一口含んだ。アヤの説明に乾警部補と露草巡査部長、永山警部は目を点にしていたが、神和彌子は、そうそう、と頷いていた。
「……露草ぁ、って、べっぴんの嫁さんじゃなくて旦那な? こりゃどういうことだ? 情報が漏れてるとかそういうレベルじゃねーぞ? ベルギーの米大使館爆破未遂は公式にゃセルビアの過激派一派の仕業ってことになってるはずだろ? レッドスターなんて名前も伏せられてて、そこに阿部ってのは日本じゃあ警視庁公安だけで、後はそこのお壌ちゃんが言ったようにICOP扱いだ。民間人がそれ知ってるってのは、一体全体どういうことだ?」
 おたおたしている露草巡査部長は目で妻、葵に助けを求めるが、露草葵はマグカップ片手に煙草を吹いて、知らん、と一言。
「警視庁と警察庁のデータベースはFBI並みのセキュリティで、アクセス権限はウチでは永山警部と影山警視監、後は僕くらいで……」
 口篭る露草をアヤが次いだ。
「FBI並みってつまり、ペンタゴンとかNSAほどじゃあないってことじゃん? 防衛省は基本が独立したフレームだから潜入するのはちょいと難しいけど、在日米軍との兼ね合いで実際は外部と繋がってるし、どんなファイアウォールでも理論上は抜けられて、物理的に遮断されてなきゃネットってのは情報共有出来るのよ。これはFBIだろうが同じで、あたしはメジャーなクラックツールの幾つかを合体させたオリジナルマクロで情報閲覧しただけだよん。こんなの、ウィザード級のハッカーなら序の口で、あたしはその上のグル級だもん。痕跡残さずで進入したのもバレないってのはハックの基本中の基本だしね」
 アヤの説明に口をぱかりと開いたままの露草賢太は、県警三課では主に裏付けとバックアップ、サイバー犯罪を取り扱う。公立神部工科大学情報工学部情報処理科の研究室積めだった彼を、県警本部長で警視監の影山めぐみが三課設立メンバーとしてスカウトして現在に至る。県警でパソコン、ネット関連に最も精通している一人だが、金髪ツインテールのアヤはそんな露草だけが閲覧出来る情報に、携帯端末からアクセスして見せた。
 方城や須賀、露草葵はアヤがそういう人物だと知っているので驚くでもないが、他にしてみればとんでもない話である。唯一、神和彌子が冷静なのは、彼女もまたネット関連の知識があり、アヤほどではないが似たような真似が出来るからだった。唸り声は煙草を咥えた乾からだった。
「これはまた、とんでもない高校生だ。ジェネレーションギャップっつーのか? 神和ぃ。俺ぁ年、感じちまうぜ?」
 乾はパソコンは大の苦手で、ケータイでEメールが精一杯だった。乾から見れば露草賢太は別世界の人間だが、アヤに至ってはもう宇宙人のようである。コンビを組む神和は最新ケータイで頻繁にネットにアクセスしたりメールで賢太と情報交換などをやっているが、乾はメールを入力する時間があるなら喋るほうが早い、そんなタイプだった。
「まあ、そこまでやれる人間は少ないっすけど、国内でもいないってこともないですし、ハッカーとかクラッカーは若い世代が多いですからねー。警察庁データベースのセキュリティの甘さは賢太くんから上に報告すりゃいいとして、ツインテーラーの橘ちゃんだっけ? 一つ言うことあったよ」
「タチバナちゃん? って、あたし? あのー、神和さんでしたっけ? あたし、アヤ、アヤちゃんで通ってるんだけど?」
「あっそ。んじゃ、アヤちゃん。あのさ、昨日の夜のこと。蒸し返すようで悪いんだけど、自分とか友達とかが危ないって思ったら、妙な作戦とか考えずに警察に通報しろって、そんだけ」
 怒るでもなく、神和はアヤに言った。昨晩は怒り心頭だったのだが寝て起きたら熱はすっかり冷めていたので、いちおう言った、そんな感じだった。
「はーい。別に警察を信用してないとかじゃないんですよ? 自分たちだけでとか、そーいうつもりでもなくって、いても立ってもいられなかったとか、そんなです」
「ヤーヤー、いいよ、別に。結果オーライがあたしの流儀だし、そっちのホージョーだっけ? ライダーキックなサイクロンジョーカーくんがリーさんライクに活躍したってのは張本人のリーさんから聞いたしさ」
 少し退屈そうな神和に対して、方城は首を傾げた。
「リーさんってのはあの、サマーソルトキックの凄い強い人だよな? んで、サイクロンジョーカーくんって、俺?」
「そ、アンタだよ、サイクロンジョーカーくん。もみあげウルヴァリンだったりサイクロップスだったり、葵の息子はみんなスゲーな。チンピラとは言えハードボーラー二挺とモスバーグM500相手だぜ? トドメはスーパーレッドホーク。あんなモン向けられて平気なのはリーさんとあたしくらいかと思ってたのになー」
 褒められているのか呆れられているのか微妙な方城は、適当に頷いてコーヒーを飲んだ。
「アホの神和ー、方城はウチの息子とちゃうて。ホンマに息子やったらそないな危ない目に合わせたりせんわ」
 他人だったら何でもいいのか、と方城は思わず内心で突っ込んだ。
「ともかく、ノワールメンバーのうち幹部クラスを含む五人は逮捕しました」
 脱線した話を強引に戻すように永山警部が口を開いた。
「八木由紀から安部祐二に、亀山千広から阿久津零次に繋がる可能性は少なからずあり、安部と阿久津を押さえればノエル・ギャラガーや蛇尾との線は濃厚です。ここは一課次第ですが、上手くすれば年内にノワールと関連組織を一網打尽というのも夢ではありません。ですが、問題が、とても難しい問題があり、こうして皆さんに集まって頂いた次第です」
 永山の言う皆さん、が、自分のことだと気付いたのは須賀恭介だけだった。アヤは阿久津零次の情報を引き出してはきたが特に関心はないようで、露草葵はひたすらに煙草で、方城護は、スピンムーブと名付けた蹴りをライダーキックに改名しようか、そんなことを考えていた。
「私立桜桃学園の生徒、前村歩まえむら あゆむさんが誘拐されました。声明は今朝、午前五時にノワールの名前で前村家にです。本件は通常通り捜査一課が陣頭指揮ですが、我が三課もこれに協力します。これは影山警視監と私の総意です。誘拐事案の捜査ですから当然ながら非公開初動ですが、三課はこちらにおこし頂いている皆さんの助力を求めます。無論、これは要請であって強制ではありませんが、被害者と交友が少なからずあり、かつ、犯行グループ一味とも接触のあった皆さんからの助言、裏付け、その他を安全の範囲で、事件の早期解決のためお願いしたい次第です……」

 ――県警本部一階にある医務室には、警察官ではなく付属桜桃大学医学部法医学科助教授の監察医、鳳蘭子おおとり らんこが白衣で座っていた。
 桜桃学園スクールカウンセラーの露草葵の恩師でもある彼女は昨晩、県警三課の永山警部からの個人的な要請を受けて出向き、露草葵と言葉を交わした後に葉月巧美を診ることになった。
 鳳蘭子は色々な面で露草葵に似ていた。まず服装。白衣の下は無地の半袖ブラウスとホットパンツで、足元はヒール。腰に届くロングヘアで口にはメンソール煙草を咥えて、化粧は淡いルージュだけ。女性にしては長身で露草と同じモデル体型だが、露草よりも表情は固く、医師というよりも学者や博士という雰囲気だった。美人だが冷たく見える鋭い顔付き、これが露草葵にそっくりだった。
 医務室には鳳と、ベッドで並んで眠る葉月巧美と奈々岡鈴、向かいのベッドで眠る橋井利佳子と加嶋玲子で、パイプ椅子に腰掛けた速河久作は小さく欠伸をしつつ目をしごいていた。久作の右腕のデジタル時計、タフソーラーは午前九時半と表示されている。
「眠れたかしら? 久作くん?」
 鳳蘭子がメンソールに火を点けて、低い声で尋ねた。こちらも寝起きらしかった。
「はい。どこでも眠れるというのが僕の自慢の一つなんです、先生」
 須賀恭介と同じく桜桃ブレザーの久作は、目の前に座る白衣を見て、眼鏡をかけていない露草葵、そんな風に思った。
「自己紹介したかしら? 私は鳳蘭子。葵と同じ医学部だから、専攻は違うけど彼女とは知り合いなの。彼女よりはずっと年上だけど、ほら、葵ってあんなでしょ? 何だかんだで友達みたいな感じなの。それで、私は先生って呼ばれるほど上品なことはしてないのよ。むしろ反対ね。生きた患者を相手にするのは随分と久しぶりだし」
 煙草の煙を壁に向けて吹きつつ、鳳はマグカップを握った。
「……ひょっとして、司法解剖をされてるんですか?」
「あら、凄い。さすがは葵の教え子ってところ? そう、私は監察医で、死体相手にあれこれやってる無粋な医者なの。あっちの葉月さんだっけ? 外傷はないし葵から聞いた範囲だと私よりも葵か相模さがみさんでしょうに。相模さんって言うのはここの科捜研の所長で私と同期の医者よ。行動心理学専攻でプロファイリングチームのリーダーなんかもやってるから私よりも葵に近い感じね。メンタルな分野なら二人か相模さんの下の勇ゆうちゃん、こっちも科捜研だけど、心理学者のこの三人でしょうに。私は外科と内科で、普段は無口な患者を刻んでるのよ」
 鳳蘭子という医師は、どうも自分のことを捨て鉢に言うようだった。或いは監察医というのは皆、こんななのか。
「事情は詳しくありませんけど、ありがとうございます。鳳先生が呼ばれたのにはきっと意味があるんでしょうね」
「他所よそに任せたくないだとか、情報をブロックしたいだとか、そんな所でしょうね。永山さん、もう会った? あの人はああ見えて思慮深いし、いつも先手って人だから。身内の医師を動かせない理由があるとか、ついでに用事があるとか、まあ何であれ医者には違いないからそれらしく働いたってところよ。飲む?」
 蘭子がマグカップを差し出したので久作は受け取った。中身はコーヒーだった。
「砂糖かミルクは?」
「このままで。それで、葉月さんの具合はどうです?」
「私は心理学はかじった程度なんだけど、ストレス性のパニック発作と急性ヒステリーってところね。チンピラ男に車で連れ回されたって聞いたから、原因はそれ。睡眠誘導剤と安定剤と、念の為に栄養剤もあげたから収まったけれど、しばらくは安静にしてなきゃね。精神的にね? 葉月さんだったかしら? 彼女もなんだけど、あの眼鏡の子、あっちも少し気になるわね」
「奈々岡さん?」
 久作は少し驚いた。
「ナナオカ? 面白い名前なのね。あの子もかなりのストレスを受けてるみたいだったわ。ある意味、葉月って子よりも難しいかもね。昨晩のことは葵とミコちゃんから大まかに聞いたんだけど、あそこのナナオカって彼女は、具体的にどういう役回りだったの?」
 訊かれた久作は、知る範囲で応えた。
 葉月と奈々岡が深夜、前村歩というクラスメイトを探していて、葉月がチンピラに捕まり、奈々岡がアヤに連絡。アヤに召集されたメンバーで三人のチンピラを相手にして、方城が一人を始末して、残る二人はリーという警察官が相手をした。終始をファインダーに収めてリカ経由で久作と須賀に伝えていたのが奈々岡で、久作から見れば事の発端は奈々岡でもある、と。
「……成る程ね。葉月さんはストレスの原因がはっきりしてて、それが処理されてるから後は残ったストレスをのんびりとほぐしていけばいい、カウンセリングでどうにでもなるのよ。無論、PTSDの可能性は残るけれど、方城くんという子とリーさんの顔を見ればずっと楽になるでしょうし。でも、お隣の奈々岡さんは、原因が自分にあるとか、そういう風に考えるでしょうね。アナタや方城くんというのが頼れるにしても、拳銃を持ったチンピラを相手にさせたのは自分だとか、そもそも葉月って子を危ない目に合わせたのは自分だ、とか」
 確かに、奈々岡鈴にはそういった所がある。責任感が強く他人に余り頼らない。結果として何もかもを手元に抱えて処理能力を越える。これはスクールカウンセラーの露草葵も奈々岡に再三注意していた、いわゆる自滅型である。須賀恭介もほぼ同じタイプだが、元々の処理能力が桁違いで、抱えた問題はほぼ瞬間的に解決するので、須賀には悩みのようなものがない。少なくともそういう愚痴を聞いたことは一度もない。久作も似ているが、そもそも問題視しないというスタンスなので、結果、抱える問題も少なくストレスも愚痴もほぼない。つまり、奈々岡と須賀と久作は似てはいるが、処理能力や価値観が致命的に違うので出る結果も違うのだ。
 と、鳳蘭子の視線を感じた。
「ああ、すいません。考え込む癖があって、一度そうなると周りが見えなくなるんです」
「うん? 良いんじゃない? 私にもそういう所があるから解るわよ。貰った意見を自分なりに吟味したいとか、知らずにやっちゃうとか、そんなでしょ? アナタ、学者肌ね。何か専門的なことをすると成功するわよ、きっと」
 咥えた煙草を細い指で摘んで、鳳蘭子はふふ、と小さく笑った。久作は、鳳と露草葵の決定的な違いを早々に発見した。保健室の露草はあまり真面目な話や深刻な話はせず、いつも冗談や雑談で本音が見えないのに対して、鳳は話題が何であれ本音しか語らない。そう久作からは見えた。露草葵よりずっと年上で、その年月の分だけ鳳には余裕のようなものがあった。
「それと、これは悪い知らせ。アナタには伝えてもいいって永山さんから。葉月と奈々岡、あの二人に聞かせるのは後回しだけど、前村歩という子が誘拐されたらしいって」
「はい? 今、誰が何と?」
 雑談の延長で鳳が言ったので、久作は思わず訊き返した。
「誘拐、前村歩さんが。今朝、まだ暗いうちに自宅に連絡があったらしいわ。葉月って子を連れ回したグループの仕業らしくて、もう捜査本部が立ち上がってるって。永山さんの三課と捜査一課の合同捜査本部らしくて、本部長はめぐみさんだって。めぐみさんが直接指揮なんて何年振りかしら」
 鳳の口調がずっと同じなので、言っている内容の重大さが今一つ伝わってこない。
 科白の一つ一つを慎重に吟味して、久作は室内を見渡した。ベッドで眠る葉月巧美と奈々岡鈴。同じくの橋井利佳子と加嶋玲子。そして自分と鳳蘭子という監察医。
 前村歩というのは昨晩、奈々岡と葉月が探していた1‐Aの女子で、以前、一度だけ会ったことがある。奈々岡鈴と共に1-Cに訪れ、葉月巧美と一緒に通学用バイクを選んで欲しいと頼まれたが、久作からの印象は、無口な女子、それくらいだった。奈々岡にホンダ・ハミングを選んでいた久作は、葉月にはシャリィで前村歩にはスズキのレッツ4パレットを薦めてみた。チャピィやスワニーでも良かったが、バイクを知らない人だと奈々岡のハミングと殆ど同じに見えそうだったので、少し違うラインナップから探した覚えがある。
 その時の前村の様子を思い出すが、殆ど印象にない。髪型はレイコより長いセミロングくらいだが、記憶に薄いので格段に美人だったりでもない。声は覚えていないし会話したかどうかもあやふやだった。
 報道部の奈々岡が随分と個性的なので口数の多い葉月でも見劣りして、その横か後ろの前村は、桜桃女子ブレザーを着ていた、それくらいだった。そもそもが人の名前を覚えるのが苦手な久作だが、話題が大好きなバイクだったはずだが、顔も声も記憶にない。
「久作くん? 平気?」
 そっと鳳蘭子が言い、久作はゆっくりと彼女の目を見た。端が少し吊りあがった細い、それでいて強い瞳で、レイコやリカとは全く違う。尖った目付きの露草よりも存在感があり、しかしアヤのように切れるようでもなく、強いて言うなら方城護に似ていた。つまり鳳蘭子は、美人というよりもハンサムな、男っぽいイメージである。ロングヘアにホットパンツで胸が大きいので色っぽいが、それらが抜ければ今度は男っぽくてハンサム。低い声もそんなイメージを補強しているようだった。
「知らないほうが幸せということもある、そんなことを言った人がいるんですけど」
 コーヒーを一口、久作は囁いた。その科白は以前、奈々岡を苦しめた連中から出たものだった。
「まあ、そういうこともあるでしょうね。でも、知らずで後悔することのほうが多いものよ。これは私の経験から」
「こういう場合、僕はどうしたらいいんでしょうか? 僕は前村さんと面識はあるんですが、友達というほど喋ってもいないし、実は殆ど覚えてないんです」
「どうもこうも、警察の仕事でしょう。昨晩のアナタの友達の活躍はお見事だけれど、まさかアナタたちで身代金を用意したり交渉したりは無理でしょう? つまり、そういうこと」
 当たり前、そんな調子で鳳は言って、メンソールの二本目に火を点け、続けた。
「別に無視しろって言ってるんじゃないの。傍観、というのも少し違うわね。心配するならすればいいけれど、出来るのはそれくらいだから余り深刻にならず、後はそうね、警察にエールを送るとかその程度。めぐみさんと捜査一課、永山さんと三課、殆ど県警の総動員だけれど、良い結果が出るのを待つ、そんなところね。だからって自分が無力だとか思わないほうがいいわよ? たいていの場合、人って無力なのよ。特に犯罪に対してはね」
「もしも友達や家族がそういう状況なら?」
「IF、もしも、の話は余り好きじゃあないの。死体は何をやっても死体で、ペイントして踊って祈っても復活はしないの。命は平等に一つで、命にIFは通用しない。失えばそれっきりで、そこにもしも、なんて話は無意味なのよ。それが友達や家族でもね」
「鳳さん。それは監察医としての独特の観点で、異論はありませんけど、当然、鳳さんだって感情が揺れるということはありますよね?」
 うーん、と唸ってから鳳は煙草の煙をゆっくりと吹き出した。
「あると言えばあるし、無いと言えば無い。私、職業柄というのは言い訳だけれど、感情の起伏は少ないほうなのよ。悲しいことも楽しいことも、どれも小波さざなみみたいでね。パッションって言うのかしら? 情熱なんかとも無縁なの。幼くして母親が他界したのも影響でしょうけど、医者なのに死体相手というのが決め手でしょうね。今回の事件で私の出番が無いことを願う、そんなところよ。当然、アナタやお友達の出番も無い」
 久作は、若干加速している思考を緩めた。そうやって冷静に考えると、鳳蘭子から聞いた新たな事件は、桜桃学園高等部女子がチンピラグループに誘拐された、そんな内容で、久作やリカちゃん軍団とは殆ど無縁に見えた。同級生が誘拐されたと聞けば他人事ではないが、実際のところ他人事だ。あれこれ譲って親身になるにしても具体的に何か出来るでもない。そこには悪徳教師の陰謀などなく、暴くべき隠された過去もなく、代わりに誘拐という、圧倒的なマイナス状況があり、それは久作ではどうにもならない。無論、須賀や方城でも同じくだ。
「それでも何か……」
「犯罪と言うのは究極の暴力よ? 究極の、一方的な暴力に対抗出来るのは、同じく暴力。正義だ悪だなんて脚色するのは勝手だけれど、正義の元の暴力とそうではない暴力に違いなんてそもそもないのよ。唯一は法律。この国に限らず唯一無二の共通価値観はこれだけで、そこには生命倫理や道徳が入り込む余地さえないの」
「つまり?」
 呟くように続ける鳳の目は、どこか悲しいようだった。感情の起伏が少ないと自分で言ってはいたが、前村歩という見知らぬ他人に対して思うところがあるようだった。
「命にさえ値段が付く時代で、それを覆す可能性は一つ、力だけ。その行使は法に従えば正義になって、そうでなければ暴力。でも、根本のところで両者に違いなんてないの。そんな二つがぶつかる時、そこに介入しようと思うのなら相応の力を、暴力を持っていなければならないって、そういう意味よ」
 鳳蘭子というこの医師は、まるで須賀恭介のような言葉を選ぶ。どこか詩的で刹那的で、あらゆる全てがあらかじめ決まっていることを嘆くような、そんな調子が須賀と似ていた。久作は内心で、つまり? と自分に問う。命に値札が付くかどうかは久作には解らなかったが、誘拐から身代金という話になるのなら、その額は前村歩の命とイコールなのだろう。再びつまり? と問う。
「前村歩さんの命に値札を付けた?」
「そう、そうね。そういう解釈もアリでしょう。そしてその行為は犯罪であって暴力であり、ならば対抗出来るのは同じく暴力か、それに相応するお金、とも」
「鳳さんは司法解剖でしたよね? 扱う相手に値札を付けると、やはりゼロですか?」
 鳳はメンソールの煙を天井に向けて、変わらずの口調で返した。
「本人にとってはゼロで、私には給料と同じで、遺族には遺産分くらいの値段といったところかしら? 決定的に違うのは、その金額が決して上下しない、ここね。前村という子のそれが上下する可能性はあっても、私の相手は永遠に同じ値の価値しか持たないの。それが良いか悪いか、嬉しいか悲しいかの区別は私にはないわ」
「現時点で前村さんの値段というのは?」
「さあ、聞いてないわ。でも、百万円ということは無いでしょうし十億円ということもないでしょうから、その辺りでしょうね。初動段階では難しいでしょうけど、聞けばひょっとしたら教えてくれるかも。それを聞いたからって何がどうなるでもないけれど。前村財閥、そんなのが蘆野市にあったわね。怨恨という線は薄い、純粋に金目的でしょうから、決着は早いんじゃないかしら」
「身代金を交換で前村さんは無事に解放される?」
「代金を吸い取る自販機もあるわ」
 表情を変えず、鳳は久作を見詰めた。言わんとすることを察した久作は、最低最悪のパターンを浮かべて、そこに究極の暴力という鳳の言葉を重ねてみた。
 姿を変えた前村歩は手術着姿の鳳蘭子の目の前に横たわった。鳳の給料分程度の価値しかない、幾らかの身代金を生み出した、無言の前村歩。顔は浮かばなかった。つまり、久作は考える。この光景が最低最悪の結果で、鳳蘭子の仕事にならないように警察は動き、暴力とも呼べる金を用意したり、暴力でもある捜査権を行使したりするのだろう。それが法の元であっても、正義と呼ばれようと、所詮、暴力は暴力でしかない。鳳の科白がリピートされた。
「僕が……テレビなんかに登場する子供向け番組のスーパーヒーローみたいになりたい、そう言ったら笑いますか?」
「そんな久作くんを笑う私は、メスの代わりに魔法の杖を振り回したいって毎日思ってるけど? 言いたいことは解るし、考えてることも、まあ、解るつもり。古い友達が言っていたの。叶わない夢は無意味なのか、って。随分と考えたんだけど、未だにそれらしい答えはないの」
「叶わない夢? 例えば、魔法の杖で誰かを生き返らせるとかですか?」
 ふぅ、と煙を吹いた鳳は、マグカップから一口すすり、また煙草を咥えた。
「そこまで極端でなくても良いんだけど、まるで魔法のような最先端医学を当たり前のように扱える医者だとかかしら? 知ってるでしょうけど医学というのは細分化していて医者は万能ではないの。だからこそ、外科から心理学まで全てを扱える医師というのは存在せず、良い意味で専門特化するの。
 これは警察も同じらしいの。私は監察医として捜査協力をするけれど、相模っていう知り合いの医師は科捜研で、ここは科学捜査やプロファイリングをするの。科捜研は刑事部の内部組織で、科捜研は現場には基本的に出ず、そもそも捜査権のない民間人なの。代わりに鑑識課の捜査官が現場を仔細に調査して、科捜研は鑑識からの情報を更に分析するけれど、具体的な捜査活動をするのは一課から四課までの捜査課で、この人たちは今度は交通違反なんかはまず見ない。それをするのは交通課の仕事で、ここの人は殺人犯を追いかけたりはしない。
 これって医者と似てるなって私は思うの。小児科医は脳外科手術はやらない。やれないのではなくてやらないの。外科でも脳外科に特化した医者がそれを担当して、脳外科医は死体を診たりはしない。診る能力はあってもその必要がないの。だから、万能の医者というのは存在しない夢物語であって、もしもいるのなら、それに自分がなれるのなら文字通りの夢物語ね。叶うかと聞かれればノーと即答出来る、それくらいね」
「鳳さん。アナタの言葉は少し奇妙ですね?」
 白いメンソールを咥えた鳳は、目をぱちくりさせて首を傾げた。
「叶わない夢が叶わない理由を理路整然と並べて、叶わないことのほうが自然である、そう強調しているように聞こえます。まるで、叶わないことを悲観しないように予防線をびっしりと張り巡らせる、そんな風ですよ? だから、天邪鬼の僕はこう言ってみます。僕はそのうち、遠くない将来にスーパーヒーローになります。無敵の、正義の味方です。地上のあらゆる悪と戦う、純粋に正義の塊の力を振るう、空飛ぶ黄金の騎士です」
 言ってから久作は、マグカップのコーヒーを飲んだ。聞いていた鳳はメンソール煙草を灰皿で揉み消し、同じくコーヒーを飲んでから、小さく笑った。
「速河久作くん、アナタ、凄いのね? 単なる正義の味方じゃあなく、空を飛ぶの? しかも黄金で無敵? 頑丈で、でも重たそう」
「黄金色に輝く、弾丸を跳ね返す鎧は、超エネルギーの変換で質量はないんです。背中に鷲に似た白い翼があって、これが引力や重力を引き千切るんです。拳や蹴りは光の速度で、地上のあらゆる金属を破壊出来ます。この黄金の騎士に、僕は、変身するんです」
「変身? あの、こうポーズとって掛け声とか?」
「必殺技には名前があるんですけど、変身は念じたら瞬間なんです。構えてもいいですけど、まあそれはケース・バイ・ケースですね」
「黄金色に輝く、白い翼の正義の騎士……素敵ね? それには名前なんてあるのかしら?」
「はい。その力は宇宙の彼方、二十万光年の遠い銀河からやってきた意志のあるエネルギーで、その小銀河の天文記号から……」
「から?」
「NGC999999999+、ハイナイン・プラス。光速の勇者、ハイナイン・プラス」
 ゆっくりと煙草を吸って、鳳は溜息のように吐き出した。
「つまり、叶わない夢は無意味かと聞かれると?」
 鳳蘭子は質問を繰り返した。
「実現するように努力する過程にこそ意味があり、結果にはさほど意味はない。あくまで個人的な意見ですけど」
「その、遠い銀河から力がやって来るまで、久作くんは何をどうするのかしら?」
「具体的にどうということはありませんが、正義であり続ける、気分の問題ですね。そういった力が宿った時、それが究極の暴力となるかどうかは僕の気分次第ですから」
 久作の科白に、鳳は小さく頷いた。
「正義であり続ける気分って、言うほど簡単ではないわよ? 力やお金、人を誘惑するもので世界は溢れている。アナタにだってもう解ってるはず。でなければ女子高生を誘拐するなんて出来事はそもそも発生しないし、警察なんて組織も必要ない。当然、戦争や軍隊にも同じことが言えるわ。正義は普遍ではなく、立場によって代わる脆いもの。悪党の正義というのは実際にあるし、正義による暴力もしかり。それは偽善者の詭弁と表裏一体の、諸刃の剣。弱者にトドメの一撃を振り下ろす正義もあれば、強者を引き摺り下ろす正義もまた、ある。
 どの正義が本物なのかを見極めることなんて無理だけれど、誰もが自身を正義だと言う。つまり、その程度のものなのよ。それでもアナタは、黄金の騎士になる日に備えて、自分を正義であり続ける、それが叶わぬ夢であっても」
「叶わないからこそ夢見る価値がある。本物の、まっさらの正義はそれ自体が力です。この言葉、この意志にさえ力は宿る、そう信じてます。それを証明して見せたのが、昨日のアヤちゃんと方城です。二人のそれは友情の更に上の、まっさらな正義だ」
「その対極、いえ、影が悪という存在であっても?」
「違いますよ、鳳さん。太陽と同じです。太陽は落ちる影を持たない。ひたすらに照らすだけです。対極も影も存在しない、唯一無二なんです。
 解ってます。警察が扱う事件に僕なんかが意見出来ないことくらい。顔さえ覚えていない名前だけの知り合いの無事をただ祈る、それだけです。僕が言うのは一種の覚悟です。仮に警察の手に負えないような状況になった時、迷わず、躊躇わずに一歩を踏み出せるかどうか、そんな覚悟です。そうならなければ一番、そんな種類の心構えです。まるで、叶わない夢を見るような」
 咥えた煙草を全て灰にして、鳳蘭子は次を咥えて火を点けた。
「こう言うと失礼かもしれないけれど、アナタ、面白いわね? 桜桃ブレザーだけれど中身はずっと年上なようで、どこか子供っぽくもあって、一介の医者である私が思わず唸るほど理路整然としてる。そんなアナタだから、きっとお友達もみんな面白いんでしょうね。拳銃を持ったチンピラ相手に素手で向かう高校生なんて聞いたこともないけど、実際にいるんだからこれはもう、認める以外ないわ。でも、アナタやそのお友達が心配しようがしまいが、ここの人たちは全力で事件解決に向かうから、私やアナタはそれを影ながら応援していればいい、でしょう?」
「結局はそうなんですけど、前村さんが無事に戻るならそれが僕だろうが須賀だろうが警察だろうが、過程はどうでもいいんです。この場合、叶わない夢ではなく、実現させなければならない命題とでも呼ぶんでしょうね」
 鳳はこくこくと頷き、冷えたコーヒーをちびちびと飲み、煙草をもう一本、灰にした。警察の医務室で寝て、起きて、鳳蘭子という医師と喋って随分と経過したが、久作は普段は口にしない科白をあれこれ並べた理由を考えた。
 一つは前村歩という同級生の誘拐。もう一つはロングヘアの、男っぽい美人監察医、鳳蘭子の科白、この組み合わせだろう。最悪な状況で最悪なシナリオを語る鳳に対して、殆ど意地のように反論を並べた結果だった。説き伏せるべきは鳳という医師ではない、解っていても自然とそうなってしまった。エールを送る相手でもない鳳に美辞麗句をぶつけたが、白衣の彼女は監察医であって警察官でもなく、犯人でもない。鳳蘭子のほうも承知の上で訊き、反論しているように久作には思えた。悲観的な見解を多少久作寄りにした鳳は、澄ました笑顔で久作を眺めつつ、メンソール煙草の煙をゆっくりと吐き出していた。

 顔すら覚えていない同級生、前村歩を救うスーパーヒーローはまだ地上には存在しない。ただ、そうありたいと願う高校生が一人、医務室で煙草を咥える白衣の監察医と顔を合わせていた。
 時刻は午前十時前。奈々岡、葉月はまだ眠っており、レイコやリカも夢の中だった。

第七章~須賀恭介と白い伝書鳩 ―天秤棒に心をかけて―

「……では、念の為に再確認しておこうか」
 紺のスーツを着た安部祐二が、大きくてふかふかのソファに座る前村歩と、周囲の数人に告げた。前村歩は桜桃ブレザー姿だが、手足を縛られるでもなく、食事も睡眠もたっぷりだったので体調は普段通りだった。見渡す範囲はホテルのスイートルームか高級別荘か、そんな雰囲気で広く、統一された凝った装飾や調度品やベッド、大きなソファなどが整然と並んでいる。
「あの、いいですか? 私、家に連絡入れずで外泊しちゃったんですけど、ケータイ、返して貰えませんか?」
 大柄で引き締まった顔付きにサングラスの中年に、なるべく丁寧に聞こえるように前村歩は言った。サングラスの中年はそんな前村を見て、ケータイを差し出した。
「前村歩さん? これを返すのは構わないが、家への連絡はこちらからする予定で、出来ればそういった通話は控えて欲しい」
 見掛けよりも穏やかに中年は言って、前村はしばらく呆けた。室内にあの茶色の犬はおらず、しかしナイフを出した男性や前村に声をかけた女性はいて、他にも数人、見知らぬ大人がいたが、誰も前村に喋りかける様子はなく、何事かを小声で話し合っているようだった。
「あの、何度もすいません。その、私、そろそろ帰りたいなって、そう思うんですけど?」
 スーツの中年に言ったが、応えたのは女性のほうだった。
「アユムさん? アナタ、もうハイスクールでしょう? そろそろって言うのなら、自分がどういう状況なのか、そちらをそろそろ考えて黙っているほうが良いと私は思うんだけど?」
 赤いフレームの眼鏡をかけた知的な印象の清潔な女性が笑顔で囁いた。服装は休暇中のキャリアウーマン、そんな風だった。前村は言われた通りに考えてみた。

 昨日の下校中、十七時頃だったかにこの女性に犬の具合がどうこう、ケータイのバッテリーがどうこうと声をかけられて、大きくて黒いハコバンに座る茶色の犬に並ぶように乗り込み、そこで別の男性が……。
 ここまで思い返して前村は、正体不明の恐怖が背中を走るのを感じた。男の手には小さいが特殊な形状の刃物があり、前村と犬を乗せた車はそのまま走り出し、どこかのビルの地下駐車場らしき場所で降りた。キャリアウーマンとナイフ男の案内で通路を歩きエレベータに乗り、ドアをくぐったのが昨晩。十八時頃。歩は腕時計をしないので正確な時間はケータイで確認だったが、ナイフ男にケータイを取り上げられ、通路に窓は無かったので車で揺られた時間から十八時頃だろうと想像した。
 広い、凝った内装の部屋でソファに座るように言われて、しばらくしてツナのサンドイッチとサラダとコンソメスープが出され、空腹だったのでそれらをちびちびと食べた。味はなかなかだった。
 その後にキャリアウーマンからシャワーに案内され、歩は言われるがままシャワーを浴びて一息。そろそろ夜だろうと家に連絡しようとしたが、強面こわもてのナイフ男にそう告げる勇気はなく、こちらもキャリアウーマンの案内で衝立で囲まれた大きなベッドに案内され、普段よりも随分と早い時間に横になった。
 背中を走った嫌悪感が頭のてっぺんまで届き、前村歩は昨晩の自分を思い返して、よくもこんな状況でぐっすりと眠れたものだ、とゾッとした。外泊の経験は女友達の所に何度かあるが、そういう問題ではない。
 キャリアウーマンがやたらと丁寧で強面が無言だったので今の今まで実感はなかったが、これは尋常ではない、それくらいは鈍感な歩でも解った。閉じ込められるでもなく、脅されるでもなく、それどころかなかなかの味のツナサンドにシャワーにふかふかのベッドとちょっとした待遇だが、ケータイを戻されても正体不明の恐怖感は頭をぐるぐると回っていた。
 スーツの中年が家には連絡するな、そう言っていたが、他ならいいのか、そう考えて歩はケータイのアドレス帳を眺めて、クラスメイトの一人、奈々岡鈴にコールした。

「――対象から携帯電話に入電中。各捜査員は待機せよ、繰り返す……」
 広い事務室には白いテーブルがずらりと並び、地味なスーツ姿の男女五十人がそれぞれノートパソコンを睨みつつ、天井スピーカからのオペレータの声に緊張した。県警刑事部捜査第一課のほぼ全員がオペレータの声と同時にノートパソコンを見る。事務室前方に一列に並ぶテーブル中央には一課の課長が座り、その隣に県警本部長の影山めぐみ警視監、更に隣に三課の永山警部が並び、テーブル端には科捜研所長の相模京子と同所員の加納勇かのう ゆうが、それぞれノートパソコンを前にヘッドセットを装着している。
「奈々岡さん? どうぞ」
 影山めぐみがスタンドマイクに言って、捜査員一同と影山らの中央のテーブルに座る奈々岡鈴は、大きく頷いてケータイをオンにした。奈々岡の鼓動が早まる。指や顎が震えそうで、正直、泣き出したい気分だったが、隣の橘絢に肩をぽんぽんと叩かれて、どうにかケータイを耳に当てた。
「……あの、奈々岡さんの、ケータイですか?」
 戸惑うように言う声は事務室の天井スピーカ、捜査員全員のヘッドセット、各ノートパソコンから響いた。
「あ、歩? 前村歩さん? 奈々岡よ?」
「奈々岡さん? うん、私、歩、前村歩。あのね……えっと、その、ひょっとして授業中だった?」
 声色は前村歩で、疲労は無いようだったが何かしら困っている、そんな様子だった。
「歩? 怪我とかしてない? 無事?」
「え? 怪我は、ない。食事も採ったしシャワーも浴びてきちんと寝たんだけど、えっと、あのね? 私、無事? うん、無事、かな? あれ? 涙出てきた。奈々岡さん? あの、その、私、無事なのかしら?」
「歩、冷静に。具合は? どこか痛むとかは?」
「ない……と思う。ああ、私、ずっとブレザーのままで、家に連絡せずに外泊しちゃって、着替え、あるかな? いや、そうじゃないの、奈々岡さん。つまり、えっと、何だっけ? ここは、ホテルかな? 立派で広いお屋敷みたいなところでね? ベッドは凄く大きいし……って、違うの。その、知らない人、大人の人がいて……私、どうなってるんだっけ?」
「乱暴されたりしてない?」
「してない、んだけど、ケータイは取り上げられて、でもお願いしたら返してくれて、今もこっちを少し見てるだけで何も言ってこないし、ねえ、奈々岡さん? あの人たちって、誰だろう?」
 捜査員の一人が立ち上がって、影山警視監に向けて腕でバツ印を作っている。奈々岡と同じテーブルに座るアヤがノートパソコンを見て、隣の須賀恭介に「逆探知もGPSも妨害されてる」と耳打ちした。前村歩と奈々岡鈴の会話を聴いている橋井利佳子は、卒倒しそうなほど真っ青で須賀の肩におでこを当てている。須賀は普段の数倍険しい表情をアヤに返して、顎を摘んだ。
「歩? 冷静にね? 乱暴されてないならそれでいいの。お家には私から連絡してあるし、ケータイのバッテリーは?」
「殆ど満タンだし予備バッテリーもカバンに入ってるから平気なんだけど、ねえ、奈々岡さん? 私、学校を無断欠席してる?」
「それはいいの。そこがどこだかは解らないのね?」
「うん。アクロスから車で一時間くらいだったけど、知らない所みたい。ドラマに出てくるみたいな豪華な部屋で、ホテルのスイートって言うんだっけ? それみたい。ツナサンドがとっても美味しいんだけど、ねえ、奈々岡さん? 良く解らないんだけど、何だかとっても怖いの。知らない人はみんな大人で、女の人もいるんだけど、これって変よね? 私ね? アクロスのところで女の人に、犬の具合が悪いとかケータイのバッテリーが切れたとか言われて、黒いバスみたいな車に乗ったの。茶色のミックスでね? そこ……で、ナイフ持った人が……。果物ナイフくらいなんだけど、もっと刃の部分が太くて、怪我はないの、全然。制服もカバンも。ケータイだって返してくれて、家以外ならどこにかけてもいいって、それで奈々岡さんに、えっと、私、どうなってるのかしら?」
 と、テーブルから須賀恭介が影山に向けて挙手した。影山は隣の永山警部を見てからすぐに頷き、須賀は奈々岡からケータイを受け取った。
「初めまして、でもないが、突然で失礼。桜桃1‐Cの須賀です。前村さんとは一度か二度、話した覚えがあるが、どうかな? 覚えてるかな?」
「スガ? 須賀さん? ……ああ、速河くんのお友達の須賀くん? 初めまして、じゃないけど、歩です、前村歩です」
「失礼ながら鈴すずくんとの会話は聴かせて貰った。食事も睡眠もしっかりで怪我や不具合はない、間違いないかな?」
「はい。朝御飯は、ああ、あっちに準備してあるみたいです。えっと、これ、奈々岡さんのケータイですよね?」
「確かにそうだが、状況が少々特殊でね。確認だが、女性と男性の二人組が車で、そこにはそれ以外もいる?」
「はい。ケータイを返してくれたのは別の男の人で、他にも何人か出入りしてて、全部で八人か九人か、もっとか。知らない人ばっかりで」
「豪華な、ホテルのスイートのような部屋で、ツナサンドが出された?」
「そう。くねくねした飾りがある広い部屋で、ベッドとか椅子の足もくねくねしてて、昨日の夜はツナサンドとサラダとコンソメスープを食べて、シャワーも浴びて、着替えはないんですけど、大きな、ふかふかなベッドでぐっすりと寝て、でも、おかしいな? って思ってケータイを返して貰って、奈々岡さんに電話したんですけど、今も向こうからちらちら見られてるだけで何も言ってこないんです」
「歩くん? 良く聞いてくれ。この会話は俺以外にも多くが聞いている。おそらく、そちらにいる方々もだ。きみがひとまず無事なことは何よりだが、こうして通話を許されているというのは、余り宜しくないんだ。無論、鈴くんと話すことで気分がほぐれるなら幸いだが、状況はもう少し複雑だ。簡単に言うと、きみはそういう状況下にある。しかし冷静に。相手の意図は後ほどとして、俺や鈴くんの最優先はきみの安全の確保だ。つまり、そこは一見すると安全なようで、実際はその正反対なんだ。俺の言うことが解るかな?」
「えっと、須賀くん? ……怪我はないし怖い人はいるけど何もされてないし、でも、うん、解る。私、どうしたらいいのか解らないの」
「歩くん、きみは何もしなくていい。気分が優れないなら休むもいいし、朝食とやらがあるならそれを食べるもいい。可能な限り普段通りで、周囲を刺激しないように。……さて、ここらで本業と交代するべきだろうか? 引き継ぐ前に名前だけ確認しておこう。俺が知っている名前は一つ……安部祐二さん? そちらが希望する人材と交代しますよ。歩くんのご両親でも、別でも」
 須賀はちらりと影山を見る。影山めぐみが素早く指示を出し、捜査員の一人が寄って来た。
「両親という名前のネゴシエイターでも出てくるんだろうが、生憎と俺はそういう連中は嫌いでね」
 前村ではない声が割り込んできた。低くて通る男性の声は初耳だった。
「言ってることは解りますが、それでも文字通りの交渉人ですから、そう毛嫌いせずに。安部さん、交渉なり相談なりは俺や鈴くんよりもそちらのほうが話が早いでしょう?」
「そのつもりだったんだが、須賀くんだったか? きみは前村さんのクラスメイト、ではなかったな。しかし知り合いのようで、つまりは高校生らしいが、どこぞの交渉人よりもきみのほうが話が通じそうに思えるのさ」
「それは参った。いや、実際、こういうのは想定していなかった。しかし安部さん? アナタの言う通りで俺はただの高校生で、金も権力も命令権も何もない。伝言板代わりにされるのは、正直願い下げといったところだ」
「こちらの前村さんの同級生なら、十六歳くらいかな? 俺の名前を知っていることは別段驚くでもないが、例えば村上だとか唐沢だとか、そういう名前を持ち出しても違和感はないんだが?」
「そういう名前の逮捕者がいるらしいが、安部さん? 俺を気に入ってくれて有難いが、それだとアナタは都合が悪いでしょう? 繰り返しだが俺には何の権限もなく、伝言板になる趣味もない。ご指名ならば仕方が無いが、俺は心理的な駆け引きだとかそういうのは嫌いでしてね。うっかり口が滑って歩くんに何かあると、俺も鈴くんも、沢山が困る」
「つまり、須賀くんは、前村さんの無事は確認したが、俺と話すほどの度胸はない子供だと、そういう意味かい?」
 アヤが須賀に、遅れて加納勇が影山本部長に「声門一致」とそれぞれに伝えた。須賀は奈々岡のケータイを握ったままアヤのノートパソコン画面を見る。

 安部祐二、三十五歳。国籍、日本。防衛大学から陸上自衛隊に入隊。二十二歳で米軍主導のデザートストーム作戦に参加後、PKOにも参加。二十九歳で一等軍曹となり、二度目のPKOの後に志願除隊。
 退役後、しばらくの空白期間を置いて、ベルギーのアメリカ大使館爆破未遂テロの主犯格として国際指名手配。セルビアの爆弾テロ組織、レッドスターを指揮していたとされる安部は以後、国際刑事警察機構と日本の公安の管轄下となる。手配当時、三十一歳。
 経歴が三枚の顔写真と一緒に表示されている。写真では黒の短髪で、軍人にしてはインテリ風の丹精な顔立ちだった。

「安部さん、挑発は止めましょう。俺はそういうのに弱い。所詮は子供だから、ムキになってアナタに突っかかり、結果、歩くんに何かが、というのは避けたい、お互いに。でしょう?」
「須賀くん、だったね? 下の名前は?」
「恭介、須賀恭介ですよ、軍曹。失礼、元軍曹の安部さん。覚えてもらうほどの価値もなく、おそらくアナタの人生と関わることもないでしょう。覚えるも忘れるも自由ですが、こういう雑談をご希望で? 時間は有限で、これもお互いだ。俺は駆け引きをするような相手でもないし、したところで何も出てこないですよ?」
「須賀恭介くんは俺のことを随分と詳しいようだが、言っていることは解るさ。こちらの用件を、伝言板代わりが嫌いな須賀くんにお願いしてもいいかな?」
「歩くんの無事を多少とも保障してくれるなら、伝言板でも伝書鳩でも、伝道師でも何でもござれだ、軍曹殿」
「元、な? まず金額だが、六億五千万円、円だ。現金でなら番号控え済みでも何でもいい。場所と時間は後ほどだ」
「六億五千万円? 安部さん、俺が口を挟むべきではないが、額が大きい。無論、歩くんにそれだけの価値があるないという話ではなく、短時間でそれだけの現金を用意出来るとは思えない。値引きしろというのはナンセンスだろうが、交渉と言うのならもっと現実的な数字を出したほうがいい、とは俺からのアドヴァイスです」
 須賀が、テレビドラマに出てくるネゴシエイター・交渉人のようなことをやりだして、卒倒しそうなリカが悲鳴が出そうな口を両手で覆った。終始、影山本部長にアイコンタクトを送っている須賀は、頷いたり顎を摘んだりで相手、安部を待った。
「それがだ、須賀くん。この金額は実に現実的なんだよ。明細はこう。警察庁にある身代金用の番号控え済みの五千万。前村財閥の口座にある動かせる分が二億と少し。残りはきみの学校、私立桜桃学園を運営する天海グループ日本支部と、こういう具合さ。数日中に揃えられる現金の総額がざっと六億五千万円だ。しっかりと伝えてくれよ? 既に聞いているだろうがね。こちらはまあ簡単だが、次が少々厄介でね。セルゲイ・ナジッチ氏の釈放、これをお願いしたい」
 天井スピーカと全員のヘッドセットから流れた安部の科白に、捜査員の一部がざわめいた。影山本部長の表情も曇っている。
「安部さん? それは厄介どころか無茶で、ついでに無理だと俺は思うが? ご指名の方は俺の記憶が正しいなら連邦刑務所にご在宅で、俺がテレビ伝道師だろうと白い伝書鳩だろうと、そういった注文を受け付ける相手はまずいない。俺にはイーグルサムへのコネクションもないし、仮にあったとしても、イーグルサムはテロリストと交渉はしないというので有名だ。俺が外務大臣だったとしても、言うだけ無駄だと解っているそんな科白は吐かないし、聴く相手もいやしない。そして、そういう事情を安部さん、アナタは承知の筈だ」
「まあそう言うなよ、須賀恭介くん。ナジッチ氏はそもそもバルカン半島出身で、ステイツに拘束されていること自体がおかしいんだ。ステイツのやり口は横暴で力任せで、実に下品だ。そうは思わないかい?」
「思いませんね。俺は別に白人至上主義でもないが、だからと言って爆発物で物事を推し進めようとも思わない。紛争だのにそれなりの理由があるにしろ、主義主張を暴力で振り撒くような真似は、それこそ下品だ。国や肌の色、言葉は違っても同じ人間には変わりない。話せば解る、と言うでしょう? 実際そんなものだ。ペンは剣よりも強しというのは、あながち間違いでもない」
「はは、須賀くん、きみは愉快だ。知的でいてユーモアのセンスもあり、とても高校生だとは思えない。どこかの酒場でのんびり一杯といきたいところだが、まあそういう機会があればだ。ナジッチ氏の解放は金よりも優先。現地の仲間が確認する。きみがやるのか別がやるのかは知らんが、健闘してくれ。こういう科白は好みではないが、要求が飲まれない場合、きみの同級生の安全は保障出来ない。こちらからは以上だ。現金のほうは、揃い次第このケータイへ連絡してくれ。受け渡し場所はその時に指示する。ところで、これは思い付きなんだが、受け渡しの際にきみに同行してもらおう。オマケがいても構わないが、金を運ぶのはきみのところの理事長、こちらも指定しておこう」
「参ったな。無理難題ばかりだ。暇を持て余す俺が行くのは全く構わないが、天海真実あまみ・まなみさん? 現金で六億以上だと二人では到底無理だ。もう二人は最低でも必要だし、安部さんの言うオマケも当然だろう。現金は二日もあれば準備出来るだろうが、歩くんは後日解放だとか、そういうのはナシですよ? 取り引きというのはイーブンであるべきだ」
「それもそうだな。小賢しい真似は面倒だし、こちらのお嬢さんは現金と引き換えでもいいが、ナジッチ氏の解放、これが確認されるまでは残念だが俺と一緒にいてもらう。つまり、これはそういう取り引きで、これでイーブンということさ」
「まあ、ここで俺が文句を言ったところで阿部さんは意見を変えないでしょうから、伝書鳩はやってもいい。だが、俺で確約出来るのは現金のほうだけで、イーグルサムの事情は俺や俺を含む全員、おそらく世界中の人間誰でも無理でしょう。伝えるだけならこちらも保障するが、結果までは無理だ。努力はするだろうが、その結果、安部さんの立場が今以上に危うくなる可能性もある。当然、ご承知だろうが」
「ははは! その通りだが、あえて言うのさ……かかってこい! とな。俺の経歴を見れば、こんな科白が出るのも頷けるだろう?」
「安部さん? そういう大袈裟なことは、もっと派手な舞台で吐くほうがいい。もしくは、直接にだ。そして、そこに歩くんを巻き込むのはフェアじゃあない。現金だけ受け取って歩くんを自由にして、続きはそちらで好き勝手にやればいい」
「須賀くん、戦争というのは常にアンフェアなんだよ。勝敗は最初から決まっていて、シナリオ通りに人が死ぬ、大した喜劇さ。大儀も思想も無関係な、ど派手でマヌケなエンターテインメントなのさ」
「アナタが何をどう考えようと、それを実行しようとアナタの自由だが、少なくとも歩くんは無関係で、ついでに俺とも無関係だ。金は用意出来るだろうが、それ以外はデイ・バイ・デイ。戦争をしたければすればいいし、その相手がどこの誰でも構わないが、歩くんを巻き添えにするというのは悪趣味だ」
「きみは、確かに交渉人向きじゃあないな。だが悪い気分でもない。下手したてで相手を伺って情報を引き出す、そんな陳腐な連中とは随分と違うな? どうしてだか俺と対等で、ある部分では俺以上でもある。その強気の根拠は何だろう?」
「安部さん、アナタと一緒だ。俺には俺の哲学や思想があって、あらゆる価値観はこれを元にしている。他と違うと感じるならきっと、他が本音を語らない、そんな理由だろう。まとめると、そちらの用件は全て聞いて指示通りにするが、出来ないことはどうやっても保障出来ず、口先でそれを確約するのは歩くんにとって得策ではない。白い伝書鳩の俺はそうあちこちに伝えると、そういった次第だ。全くフェアでなく、イーブンでもないが、それがリアル世界というものだ。不条理で溢れる愉快な世界に乾杯だ。歩くんの無事、これを安部さん、元軍人であるアナタのプライドに賭けて欲しい。俺も俺のプライドに誓って最大限の努力はする。ここだけはどうあってもイーブンでなければ、折角の会話は全て無駄になる。白い伝書鳩からのささやかなお願いだ」
「……いいだろう。須賀恭介くん、きみ個人に対してだが、前村嬢の安全は取り引きが終了するまで保障しよう。俺はこんなでも荒事は苦手だし、臆病でジェントルなのさ。無論、戦場以外では、という意味でな? やれ、気付いたら長話になった。前村壌の朝食がまだだし、俺もだ。きみもかな? では諸君、ご機嫌よう……」
 ブツン、と無機質な音で、長い会話は終了した。
 須賀はやれやれ、と大袈裟にゼスチャーして影山めぐみ警視監を眺めた。影山はざわつく捜査官や左右に指示を出しつつ、須賀に頷いた。寄って来たのは三課の乾警部補と神和巡査部長、そして初めて見る黒スーツだった。乾が唖然といった調子で口を開く。
「これはまた、ぶったまげたな。須賀の恭介くんは本庁の交渉人レベルで阿部の野郎と話しやがった。これで高校生だとさ。全く、俺ぁ年だ、なあ? 神和ぃ? 公安の旦那?」
「いやもー、葵の息子は全部意味不明だ。なんで、もみあげウルヴァリンが国際手配テロリストと対等に喋って、条件まで出して飲ませるんだ? そんなの本物のネゴシエイターでも無理だっつーの。会話を引き伸ばすどころか、もうプロファイル不要なくらい安部のこと解ったし、潜伏場所も相模さんのほうでほぼ特定しちゃったみたいだけど、カチョーと影山さんはどう動くのかなー?
 薫子ちゃんの弟くん? 地方県警には対テロ部隊のSATなんてないんだぜ? 知ってるだろ? はるばる警視庁から呼ぶってか? ねえ? サミーさん?」
 乾と神和にもゼスチャーを向けて、須賀は不満そうに呟く。神和に振られた黒スーツ、公安のサミーという男性は怪訝な表情で口を噤つぐんでいた。
「どう対応するかは任せますよ。俺に出来るのはこれくらいだし、やれるだけはやりました。現金輸送に同行するのもOKですし、連邦刑務所とあれこれ相談したりは、もう外交問題でしょうから範囲外ですよ。安部が歩くんの安全を保障した、これが白い伝書鳩の最大限です。リカくん? 顔が青いが平気かな?」
 ずっと須賀の肩におでこを当てて青冷めていたリカが、ぐう、と唸った。会話の最初で前村歩のとりあえずの無事を確認した奈々岡は、安心半分呆れ半分といった様子だったが、顔色はずっとマシになっていた。捜査員同様にケータイをGPS探知しようとしていたアヤは、それが妨害されたことに不満を呟きつつ、安部祐二と、セルゲイ・ナジッチなる人物の経歴を眺めていた。方城とレイコはお互いに険しい表情で首を捻っている。
 県警本部の医務室から出てずっと無言だった久作は、安部祐二が吐いた科白の一部、戦争がどうこうという部分を反芻して、そこに監察医、鳳蘭子の言っていた、圧倒的な暴力、という言葉を重ねてみた。
 かかってこい、そう安部は断言していた。相手はイーグルサムことアメリカ合衆国である。地上でも随一の軍事大国はエクスミリタリー、軍人崩れがどうこう出来る相手ではなく、世界中の誰もがそんな真似はしない。そういう相手に対して阿部は挑戦状を叩き付けていた。

「科捜研の相模です。対象の潜伏場所は――」
 天井スピーカから女性の声が鳴った。刑事部科捜研所所長兼プロファイリングチームリーダーの相模京子で、鳳蘭子と同世代で露草葵の知り合いの、犯罪者行動心理学を研究する医学博士らしいが、久作は彼女との面識はない。
「――神部市のスカイスクレイパー・グランドホテル最上階のロイヤルスイートです。蘆野市アクロスから移動時間のかく乱を含みつつ一時間圏内で、スイートタイプの部屋を持つ候補は六箇所。シャワーと大型ベッドを完備して大人数人が出入りしても広いと感じる規模なら、候補はそこから三箇所。うち、アールヌーヴォー様式の内装と軽食のメニューから候補は二箇所で、一定数の潜伏先ならばスカスクレイパーの最上階、ロイヤルスイート、確度は九割です。
 電波妨害により衛星追尾は不能でしたが、これを可能にする機材を持つこと、合衆国連邦刑務所に収監中のレッドスター幹部、セルゲイとの関連、過去の経歴や須賀くんとの会話中に見られた警察組織への挑発から、安部は一定数の戦闘力、推定で一分隊三十人程度と相応の銃火器、及び車両を保持していると思われます。
 指定金額から前村財閥や天海グループの経済状況を事前に調査しており、極めて計画的でもありますが、須賀くんの交渉により一定期間、前村歩の安全は確保出来たようです。
 ここまでは確定で、以降はあくまで推測です。セルゲイ・ナジッチ氏の解放、これは騙し(フェイク)でしょう。安部が連邦刑務所、合衆国がそれに応じない、県警や日本国政府にそれだけの交渉力がないことを承知した上での陽動、及び逃走時間の確保、そう考えるのが妥当です。科捜研からは以上です。
 須賀恭介くん、だったわね? お見事でした。警視庁付きの交渉人でもあそこまで引き出せないでしょう。何より、前村歩の安全を取りつけた。アナタ、卒業したら私の研究室に来る気はない? 失礼、以上です」
 成る程、と久作は頷いた。
 前村歩が電話口で「くねくねした内装」と言っていたのは、建築のアールヌーヴォー様式だとすれば納得だった。須賀がツナサンドを確認していたのもメニューから潜伏場所を割り出す材料で、人数なども同じく。その後に安部にあれこれと喋らせて、これはプロファイリングの材料らしく、それを須賀はテレビドラマの交渉人・ネゴシエイターとは殆ど反対の手法でやってのけた。
 誘拐犯をひたすらに挑発するそれは、元軍人という裏付けからだろうが、相模の言う通りで阿部は前村歩の無事を、一時的とは言え保障した。プライドに誓う、そう言わせた。これは、相模ではないがほぼ確定だろう。犯行が計画的であったり規模が大きいようだったりは科捜研でプロファイリングを行う相模の見解だが、久作も似たような意見だった。
「速河。俺はまあ、殆ど歩くんとは面識はないんだが、夏の初め頃だかに速河がバイクを選んでやっていただろう? 彼女はこういった事態に巻き込まれるような人種じゃあない。素人で子供の俺が出来るのは、精々あんなところだ。速河ならもっと上手くやれたかもしれんが、ああいう手合いは強気で押し切るのが常套で、俺のほうが相性が良かったんだ。不満は山ほどあるだろうが、白い伝書鳩にはあれで一杯だ。このまま鳩の真似でもして会場を湧かせるなんてのもいいが、それはまた後日、歩くんと一緒にだな」
 疲労感を少しで、須賀は軽く言った。寄りかかるリカをそっと支えて、奈々岡に二言ほど声を掛け、何度か影山めぐみ本部長にアイコンタクトを送り、須賀は乾警部補が出してくれた紙コップのコーヒーを一気飲みした。
 全く、大した伝書鳩だ、と久作は溜息だった。

第八章~橋井利佳子とオーマイガッ! ―季節はまさに悦楽の時―

 正午前、チリリ、と黒電話が鳴った。
 私立桜桃学園の理事長室の電話は旧式のダイヤル黒電話で、それを執事の月詠六郎が取った。理事長、天海真実あまみ まなみはちらりとそれを見て、視線をデスクトップパソコンのモニター、表計算のグラフに戻した。
「……はい、はい、かしこまりました。折り返し連絡しますので電話番号を……はい、それでは」
「どなたから?」
 ロングヘアを後ろで束ねて、メタルフレーム眼鏡をかけた真実はマウスを動かしながら月詠に尋ねた。
「県警刑事部捜査三課の永山警部です」
「進展があったのかしら?」
 高等部一年の前村歩の件は自宅の電話で早朝に聞いていた。

 葉月巧美、高等部一年の生徒が無事に保護されたと聞いたときは随分と安堵したが、その連絡から半日と経たないうちに同じクラスの前村歩が誘拐されたと聞かされて、真実は呆然とした。
 歩という令嬢との面識はないが、前村夫妻とはプライベートな付き合いもあり、桜桃学園に少なからず寄付金を納めてくれていて交流もあった。財閥と呼ばれるほどの資産家だが地味な夫婦で、蘆野アクロスに小さな和菓子店を出している以外は先祖が残した財産で暮らしているだけ、そう夫妻は言っていたし、実際そのようだった。仕事柄、資産の具体的な数値も閲覧していたが、換金できそうなのは土地くらいで上屋に価値はなく、和菓子店のほうも少しだけ黒字、そんな調子だった。賃貸物件や駐車場で資産運用すれば、と簡単に提案してみたこともあったが、娘が結婚するまで不自由なければ足りると、やんわりと断られた。
 そんな前村夫妻の愛娘、歩が誘拐と聞いた真実は、呆然とした後に怒りを感じた。前村夫妻はそういった派手な出来事とは無縁であるべきで、いくばくかの資産があるにしても犯罪とは遥かに遠いところで静かに、ひっそりと暮らしている、そう真実には思えたからだった。
 第一報は午前六時、自宅で身支度を整えていた頃に、大学の後輩にあたる科捜研の加納勇から入った。誘拐事件は原則として非公開捜査になるらしいが、理事長である真実には知らせておく、そう勇は言っていた。学園までアキュラを飛ばして桜桃理事長室に入った真実はすぐに前村夫妻に連絡し、こちらで出来ることは何でもします、そう伝えた。励ましや慰めの言葉は思いつかず、とにかく全力でバックアップする、そう伝えた。無事保護された葉月巧美の両親には警備体制の不備を謝罪したが、葉月夫妻からは、アナタの学園の生徒は凄い、感謝します、と熱く返された。
 橘絢と方城護という生徒の関与は葉月夫妻の耳にも入っていたらしく、夫妻は両人の両親にも感謝したいと連絡先を聞いてきたので伝えた。この二人の名前は真実も何度か耳にしていた。
 アメリカの州立大学を卒業後に高等部に編入してきた経歴も見た目も派手な女子と、中等部からずっとバスケ部エースの男子。二人は桜桃学園の評判を高めて広めていた。特に方城護は、彼に憧れて桜桃学園に入園、編入したいという生徒を呼び、バスケ部には他の部よりも少し多く予算を割いた。貸切バスといった大袈裟なことはしなかったが、部員全員がシューズを新調できるくらいの、ほんの少し。

「よろしいですか?」
 そっと月詠が言って、真実は我に返って頷いた。
「要求金額は、警察庁から五千万、前村家から二億、天海グループから四億、合計で六億五千万円だそうです」
「前村さんから二億? ……現金で調達できるぴったりの額ね。天海の日本支部から四億というのも、グループ全部から数日で集めるとそれくらいね。どういう相手なの?」
「名前は安部、安部祐二、三十五歳。元自衛官で現在は指名手配のテロリストということになっています」
 暗記しているのか、月詠は背筋を伸ばしたまますらすらと言った。月詠は今日も地味なスリーピーススーツである。
「一時期ニュースを騒がせてたあの安部? 軍人にしては、数字に強いわね? 経営顧問役がいるのでしょうよ。天海グループから四億、この数字、月詠さんはどう思う?」
「真琴まことさまにお願いして三日以内で調達できる限界の額でしょうか?」
「姉さんが本気ならその倍でも可能だけど、その額を失うと撤退せざるを得ない部門が出てくるの。海外資材調達部。ここの年間運転資金がざっと八億で、その半分。テロリストって普通は思想犯でしょ? それが副次的なことを画策するなら、ウチの資材調達部が北アフリカ市場から撤退したとして、代わりは?」
「アクツエージェンスです。昨年末、真琴さまはアクツから北アフリカ市場の売却を提案されて、断っています。天海グループは投資には消極的でマーケットもアクツとは違いますが、唯一、北アフリカの資材調達部、ここだけが重なっています。天海正吾あまみ・せいごさまから真琴さまに日本支部統括と海外資材調達部の経営権が移った直後に、アクツエージェンスからの売却提案でした」
「姉さんは博打打ちじゃあない。少ない利益をきっちり回収する、そんなタイプで、資材調達部が北アフリカの土地資源市場に手を出したのは父の判断だけれど、姉さんはそれを広げるでもなく維持しようとしていた。土地資源というのは地元の人との交渉が難しいからね。一方のアクツエージェンスはレアメタル市場で一気に急成長。南米ボリビアからインド、南アフリカと市場を広げていって、唯一の空白が北アフリカ。それでもアクツから見れば小さなもので、年間八億程度の運転資金でやりくりしてる天海グループにとってもそれほど大きくもないところ。
 とはいえ、撤退となれば損失はざっと五倍の四十億。これは天海グループ日本支部には相当なダメージになって、そこでアクツから買収だの合併だのって話がくれば、さすがの姉さんでも判断に迷う。畑違いのアクツエージェンスが天海のマーケットをごっそり持っていく、なんてこともたったの四億で可能。つまり、安部だかの要求は軽く見積もっても四十億以上だと、そういうこと。元軍人のテロリスト風情が四十億? 狙いは?」
 ビジネススーツで腕を組んで、天海真実は月詠に尋ねた。
「アクツエージェンスの市場拡大と、それを資金源にしたテロ活動でしょうか」
「阿久津庄司あくつ しょうじ代表はそんなバカなことはしない紳士よ? テロリストに資金提供だなんて、発覚すれば国外追放モノよ。ところが、代表のご子息は姉さんも一目置くほどの切れ者で、ここにも多額の寄付金で無理矢理入ってきた。あえて拒まなかったのはトラブルを回避するためだったんだけれど、着た早々にやってくれるわね、阿久津零次先生。のんびり歴史の授業でもやってればいいのに。阿久津零次、彼、嫌い。アルマーニのダブルスーツでベンツのマクラーレンだなんて、成金趣味もいいところ。あれで同い年だなんて寒気がする。彼の経歴、本物のほうは?」
「一部だけですが、赴任する三ヶ月前にフランスに観光ビザで入国しています。滞在期間は二週間、ボルドーです」
「ボルドーって、そんな銘柄のワインがあったわね? 彼はワインマニアなのかしら? 私、ワインって苦手なのよね。赤も白も。彼は白ってイメージかしら? 液体じゃなくて粉っぽいけれど。短期間で大きく利益を上げる簡単な方法は?」
「安価で入手したものを高額で売り払う、例えば非合法なものなどを。白い粉はフランスでは簡単に入手出来ますが、そちらにも市場はあって、大胆に利益を得るにはそれなりのコネクションが必要でしょう」
「たったの二週間、ボルドーに滞在? どこかの誰かとマッドティーパーティーなんかをするには丁度ってところね。例えば、ノエル・ギャラガーさんだとか、マイヤー・フランスキーさんだとか」
「白い粉か採掘権を四億で購入して、四十億で売買して、その資金で天海グループ日本支部を?」
「そうすると損失は、更に十倍の四百億ってところかしら? 日本支部だけで。真琴姉さんもビックリの大した手品ね。四百億ってもう、ちょっとした国家予算よ? そんな額がテロリストに渡ったら、どうなるかしら?」
「テロリストというのは、テロを行う連中ですから、行動が大胆過激になるのでしょうね」
「それだけの資金源なら、もうテロじゃなくて紛争ってところね。ミサイルは無理でも鉄砲なんかはいくらでもでしょう。ただ、こちらにもマーケットというのがあって、非合法な裏市場といっても相場やルートというのはある。お金があるから買えるってものでもないでしょうよ。それこそ、セルビア辺りにコネクションがなければね」
「セルゲイ・ナジッチ氏ですね。合衆国連邦刑務所に服役中で、彼の解放も要求の一つだとか」
「それは単なるフェイクでしょう。相模さんもそう判断してるらしいし。セルゲイ・ナジッチといえば歴史の教科書にでも残りそうなテロリストよ? 彼の組織、レッドスターは爆弾を使ったテロが得意で、そんなものはセルビアのデパートには売ってない。そういう物騒なものを陳列してあるお店には鉄砲なんかもあるんでしょうけど、安部はそのルートを持っているというだけで、セルゲイをどうこうというのはフェイクで、レッドスターへの建前で、ついでに、かく乱。孔雀の羽ってところね。日本の警察がセルゲイ・ナジッチなんて名前を出されたら驚くでしょうし、捜査はより慎重になる。実際、これはかなり手強いわね。ミコが頑張ってどうなるってレベルじゃあないみたい」
「それでも、神和さまなら、やってのけると?」
 普段は殆ど感情を出さない月詠が、口元をかすかに上げた。真実はそれを横目にこくりと頷く。
「当然、それがミコの仕事だもの。歩さんの保護は当たり前として、安部の逮捕ってのは大前提でしょうよ。ただ、相模さんでも阿部の傍に阿久津先生がいて、アクツエージェンスの天海グループ日本支部買収だとか、フランスの麻薬王ノエルとの繋がりなんかはまだ見えてないんじゃないかしら? 阿久津零次の経歴は月詠さんでもかろうじてなんだから、警察に情報はないでしょうし。勇にここは伝えておいてくれる?」
「早速」
 月詠はスーツからケータイを取り出し、科捜研の加納勇にメールを送信した。
「表面上は天海グループ日本支部から四億円で、これはまず、ウチの北アフリカ市場資材調達部の撤退を誘発するもの。次にこの四億をフランスの麻薬王ノエルを仲介して四十億に跳ね上げて、これで天海ジャパンを買収。天海ジャパンの年間粗利はざっと四百億。これを資金としてセルビアのレッドスターを介して武器を購入。退役軍人が復帰ってところかしら?
 戦争は口実で、そこで発生する利益の回収、これが阿久津零次の狙いでしょうね。戦争というのは一種のビジネスだから。麻薬や武器のルートは既にあって、戦争から発生する混乱はあらゆるマーケットを内包する。天海の飲食部門も然り。ミコが言ってたリーさん、中国警察が追っているのがスネークテイルなら、売春マーケットも阿久津の手に渡る。表ではレアメタル市場で有名なアクツエージェンスは、裏では文字通りの闇商人。一介のテロリストがここまで計画するとは思えないから、半分は阿久津零次の口添えでしょうね。ミコたち、大丈夫かしら?」
 大きな木製テーブルには湯飲みがあり、麦茶が入っている。二口ほどそれを飲んだ真実は、腕を組んで唸った。
「月詠さん? 要求額は全額、こちらで用意すると勇に伝えて。六億五千万だったかしら? 姉さんに連絡しておいて」
「構いませんので?」
「前村夫妻に二億も負担させて、娘さんが無事だったとしても前村家はかなり苦しくなるわ。前村夫妻には学園に寄付金なんかで助けて貰っているし、お付き合いもあるし、出来ることは全てする、そう言ったからね。姉さんは渋るでしょうけど、そこは月詠さんに任せるわ」
「かしこまりました。真琴さまには既にそのように伝えてあります」
「……あら、そうなの? 姉さん、何て?」
「企業テロ、経済戦争なら真正面から受けて立つ、そのようなことを」
 それを聞いた真実は小さく笑った。いかにも真琴らしい、そう思えたからだった。月詠が既に手配していたことには少し驚いたが、長く真実と一緒なので考えることはお見通しなのだろう。
「真実さま? 現金引渡し役を?」
「そう指示されてるのだから、やるわよ。替え玉なんて用意できないでしょうし……うん? これも計画の一部? 私を人質にする? それもアリね。姉さんが買収に応じるような材料の一つとか、そんなところ? 是が非でも天海ジャパンを潰したい、いえ、マーケットを奪いたいってことね。天海は中堅で狙うには丁度いい程度の規模だしね。ウチより大きいところは融通が利かないし、小さければ利益は少ない。色んな意味で狙いやすいってところね。月詠さん? 姉さんはどう対応するか、言っていた?」
「天海LAが一時的にアクツエージェンスのマーケットに進出する、ように見せると」
「なるほどね。LAってことは父が?」
「いえ、正吾さまの側近に、南米資源市場に精通した方がいらっしゃるとか」
「南米? アクツの拠点じゃない。その人、随分と大胆なのね。姉さんみたい。天海LAからのバックアップがあれば、姉さんのほうは堪えるでしょうね。南米に手を出されたら、アクツは北アフリカの新規開拓どころじゃあない。ブラックマーケットというのは約束を反故ほごにすると危ないところだから、姉さんと天海LAの動きは安部と阿久津にはかなりプレッシャーになるでしょうけど、これは切り札にもなる。使いどころが微妙で、この辺りも真琴姉さんにお任せね。もしかすると前村のお嬢さんを無事に助け出すジョーカーになるかもしれないし。私で出来るのはこれくらいかしら。警察、医者や心理学者には難しいでしょうけど、伊達に数字を毎日追いかけてるって訳じゃあないって、葵に少し自慢できるかしら?」
「真実さまは、そういったことはお嫌いでしょう?」
 月詠が小さく笑うと、真実もにやりと口の端を少し上げた。
「経済版のプロファイリングとでも言うのかしら? シミュレーションデータをまとめて、すぐに勇に送るわ。現金はどれくらいで用意出来そう?」
「本日二十二時までには、そう真琴さまが」
「早いわね? それも手札に使えそう。勇、いえ、ミコにそう連絡しておいて。安部だかのテロリストが軍人で戦争のプロなら、こっちは経営、お金のプロよ。二十手先まで読んだ上で不意打ちの先制、これはミコには良い材料になるでしょう。普通のお巡りさんで無理なことも、ミコならやるでしょうよ。めぐみさん、だったかしら? 本部長さんが承知するかは解らないけれど、永山さんならやるかもね。それと、交渉したのがナナオカって女子と、須賀くんって?」
「勇さまからはそうだと聞いております。薫子さまの弟さんだとか」
「薫子さんって確か、ミコと同じ県警刑事部の、えっと、鑑識だったかしら? 何をするところかは知らないけど、姉弟揃って頭脳派みたいね。あの子、見栄えもいいし。私、ああいう子、嫌いじゃないの」
「須賀さまには橋井という方がいらっしゃると、これは学園では随分と有名だそうで」
「そうなの? まあ、モテそうだし、不思議でもないわ。ハシイっていう子がライバル? 何だか年を感じるわ。まだ若いつもりなのに、十六の子なんて見てると尚更。でも、須賀くんってずっと年上に見えるし、お話なんかも高校生よりも大学生くらいだし、私だってどうにかなるんじゃない?」
「橋井さまは、学園のミス桜桃、あれの二冠だそうですが?」
「ミス? ああ、あのお祭り? それの二冠って凄いのねー。きっと頭もいいんでしょうね。まあそれくらいじゃないと張り合いがないし、いいんじゃない?」
「須賀真実すが まなみさまと?」
 一瞬止まった真実は、それが月詠からのジョークだと気付いて、吹き出した。
「天海恭介あまみ きょうすけって、どお? 私、この仕事は好きだし続けたいから、須賀くんには養子に、って、彼、そういうの嫌いって言いそうね。仕事と恋は両立しないってアレ、本当なのね。葵が結婚できたのが不思議。仲良しで唯一結婚してるのがあの葵って、これは凄く不思議だと思わない?」
「私は古い人間ですから、何とも。露草さまは地位や肩書きにこだわらない、大層ご自由な方だと私には見えますが?」
「そうねー。彼女、年齢どころか性別すらどうでもいいって、そんなタイプだし。葵ってね? 学生時代は物凄くモテたのよ。殆どハーレム状態よ? それなのに葵ったら、みんなとお友達で特定の誰かとは付き合わず、私やミコ、勇なんかとばっかり。ミコは昔からあんなで、口では恋人募集中とか言ってて、でもあんなだから付いていける男性なんていないのよ。あの、乾さん、だったかしら? いつも一緒の刑事さん。彼くらいじゃない? ミコと長く付き合ってるのって。ミコや私なんかよりずっと年上らしいけど」
「乾警部補は私に近い、随分と古いお方ですよ」
「そんなだから寛容というのか、キャパが広いというのか、小型犬みたいなミコをきっちりリード出来るんでしょうね。普通は振り回されるところを上手くコントロールするとか、何にせよ、風変わりよね。永山さんの部下ってそんな人ばっかり。葵の旦那は見栄えはいいけど何だか軽いし、相模さんは犯罪者ナントカって心理学でお付き合いは疎遠らしいし、って、人のことは言えないんだけどねー」
「そろそろ身を固めろ、そんなことを正吾さまが」
「私? 姉さんが先でしょう。須賀くんがダメなら、久作くん、あちらは?」
「加嶋玲子さま、こちらも学園では有名ですが?」
「あらま。彼、おとなしいけれど、須賀くんとは違う頭の切れ方をするわよね? 年相応な部分と飛び抜けた部分が共有してるとか、そんなイメージで……出来た。名付けて「マナミレポート」。勇とミコに送信……完了。時間は、そろそろお昼ね? たまには食堂でも利用してみようかしら? 生徒がどんな様子なのかくらい観ておかないとね。ちなみに、阿久津先生は?」
「いらっしゃいます」
「ふうん。表の顔はきっちり固めておくとか、そういうことかしら? 彼のケータイ番号、これも勇に伝えておいて。何か役に立つかもしれないし。後、彼の容姿、車の種類とナンバー、月詠さんで解る範囲の経歴、教員からの評判、生徒からの反応。金山さんからの評価、その他もろもろ。私がカヴァーしてない部分をよろしく」
「すぐに。ちなみに今日の日替わりランチは、白身魚のフライ定食ですが?」
「お魚? うん、あっさり系がいいわ。食堂ってコーヒーなんかあるのかしら?」
「インスタントで良ければ、ホット、アイス、どちらもございます」
「じゃあ、お魚フライとコーヒーね。月詠さんはお弁当?」
「ええ。ご一緒します」
「良い娘さんなのね。確か私と同い年だったわよね? OLさんだっけ?」
「はい。経理関係の小さな事務所だそうですが、本人は満足していると。結婚はまだ先らしいです」
「満足というのは大事よね? 機会があればお茶でもご一緒にってところね。では、お魚フライへレッツゴー」
 眼鏡を外して伸びをした天海真実は、温くなった麦茶を飲み干し、事務椅子から立ち上がった。

 ――ガン! 激しい打撃音が道場に響く。神和彌子が持つカーボン製の警棒と、李錬杰リー リェンチェの警棒が猛速度で重なる。
 県警本部一階にある広い道場の中央で、はだし、ジーンズ、白いロゴTシャツの上からショルダーホルスターの神和と、靴下で黒スーツ、長袖グレーシャツのリーが警棒をお互いに構えている。ミコは両手に、リーは左手に。見物しているのは方城、アヤ、須賀、リカ、レイコに久作。乾警部補と露草葵は揃って煙草を咥えて、小さな灰皿を埋めている。
「やっ!」
 ミコが小さく叫んで右の警棒を振る。低い軌道で膝辺りを狙うが、リーの警棒がそれを止めて、続く左も弾いた。両方を弾いた警棒がそのまま突き出され、ミコは体を半回転、突きをかわした動きから再び左の警棒を向けるが、リーの左手の警棒がこれも跳ね返す。
「悪くないです、ミコさん。反撃する暇がないです。でも、少し動きが大きいです」
 円軌道で警棒を振るミコに対して、リーの警棒は直線的だった。ミコが両足を忙しく動かすのに対して、リーは立ち位置を殆ど変えていない。
「なあ、須賀? あのミコさんだっけ? あの人、お前と同じ二刀流だけど、かなりの腕だよな?」
 ジャージとTシャツ姿の方城が尋ねると、しわくちゃの桜桃ブレザーの須賀が頷いた。
「既存流派の剣道や警察官の逮捕術とはかなり違う動きだが、打撃が全て繋がっていて無駄も少ない。攻撃と防御が同時、そんなだな」
 ガン! ガン! と激しい音から、ミコもリーも手加減していないと解る。
「神和さん、凄い目」
 リカが溜息と共に呟いた。リカはチノパンとTシャツで膝を抱えて方城らと並んで道場の隅に座っている。
「通常以上に集中しているとああいった目になるのさ。リーというあちらの方の声は、殆ど聞こえていないだろう」
「解るの?」
 リカが尋ねると、須賀は二人を見ながら頷いた。
「俺が竹刀を振っているとき、ああいった状態だったらしい。姉貴に何度か言われたことがあるよ。方城はどうだ? 試合の、後半辺りになると」
 須賀が訊くと、方城は、どうだろう、と首を傾げた。
「集中はするけどよ、視野は広くないとダメだし、フルタイムだと逆に疲れるから、どっちかっつーと呆けてる、無心、そんなかな?」
「成る程な。剣道は五分ほどだが、バスケは四十分。スタミナもだが、精神力も分散させるということか。俺と方城は反対だな」
 文系で運動とは無縁なリカだが、方城の試合は何度か観たことがある。リアルでも録画でも。須賀の試合は観たことはないが、竹刀だったり模造刀だったりを振る姿は何度か。リカから観ると方城はバネとスタミナの塊のようで、試合開始から終了間際までずっと同じ運動量でコートを飛び回る。対して須賀は、少ない動きで最大の攻撃を繰り出す、そんな印象だった。
 昨晩、葉月巧美を奪還する場面での方城の動きは、奈々岡のデジタル一眼レフに収まったムービー録画の映像で観た。夜間暗視モードで荒い映像だったが、方城はまるでコートの上のようだった。実際は夜の駅前で、相手は拳銃を持ったチンピラだったが、ボールがない以外はバスケットをやっているようだった。
 そんな方城と一緒に現れたリーという男性が、リカよりも小柄な神和彌子と警棒で殴り合っている。カーボン製の警棒は竹刀よりも軽くて硬そうで、あんなもので殴られたら一撃で気絶しそうだが、ミコはそれを両手で振り回し、リーは左手で持って弾いている。須賀の一撃と同じくらいの速度を連続で繰り出すミコと、それを涼しい顔で受けて弾くリー。練習だと解っていても、音や神和彌子の顔付きは尋常ではない。ガン! と響くたびにリカは、体が飛び上がりそうになる。
「神和さん、あんなに小さいのに、方城くんみたいに動いて、須賀くんみたいに棒を振って、凄いわね」
「リカくん? 体が小さいというのは実戦では優位なんだ。試合だと大柄のほうが重宝する、これは剣道でもバスケでもだが、実戦、つまりケンカだとかだと、小柄のほうが攻撃を受けにくい。的が小さいからね」
 そうだな、と方城が付け足す。
「バスケでも、ガード、シューティングガードなんかは小さい奴ってのが多いしな。ローポジションからの速攻ってのはデカい相手には有効なんだよ。デカけりゃいいってもんでもないんだよ。バスケは野球とかと違ってスピードが命だから、デカくて速い、か、小さくて速い、どっちにしろスピード第一さ。バスケやってて小柄な奴ってのは、たいていはガードやってるし、他よりもドリブルが正確で速いとか、まあそんなだよ。俺はデカいからパワーフォワードだけど、まあスピードには自信あるが、生粋のガードってのは相手にして厄介なんだよな」
 方城が言う間もミコとリーの模擬戦は続いていた。
「私も……」
 リカが方城から視線をミコのほうに向けた。
「あんな風だったら、方城くんや須賀くんに頼らなくてもいいのにね」
「ん? それは違うだろ? なあ? 須賀?」
「そうだな。リカくんにはリカくんにしか出来ない、俺には出来ないことが沢山だ。当然、神和さんにも同じことが言える。頼った分頼られる、それでいいと俺は思うし、リカくんには助けられているしな」
「助ける? 私が須賀くんを? 例えば?」
 何度かの窮地を須賀や方城に助けられたリカだが、逆の覚えはない。
「こうやって話をしている。俺みたいな変人と喋ってくれる、そんな寛容な人は少ない」
「そりゃそうだ。須賀とは長いが、こいつは昔からこうだ。リカみたいな奴も他にはいねーしな。ミコってあの人はまあ別にして、みんながみんな戦うってのは賢くないよ。ベンチ要員とかマネージャーとか監督とか、サポートしてくれる連中がいなけりゃ、まともな試合なんて無理だしな。地味な裏方に見えても、そういう連中が試合をきっちり支えてるってのは、どこのチームでも一緒だろ」
 ガン! 相変わらず続く打撃音は、ミコの警棒をリーのそれが弾く音で、ミコはずっと動きっぱなしに見えた。遠くからでも汗まみれなのが解る。白いロゴTシャツはべっとりで、額には前髪が張り付いている。対するリーは汗一つなく、涼しい顔だった。
「私、みんなの裏方とか、やれてるのかしら? 実際、何もしてないと思うんだけど?」
「そもそもが何もしていないのが自然さ、リカくん。俺も、方城も、速河もな。自分が学生であると、それを忘れてはいけない。学生の本業は勉学であって、竹刀やらを振り回すのはそのついでだ」
「俺はバスケが本業だけどな」
「はぁっ!」
 方城の科白にミコの叫びが重なる。両手の警棒がひゅんひゅんと空気を切り裂き、ガン! リーの警棒がそれを弾く。
「はい、終了です。ミコさん、休憩しましょう」
 リーが言うと、構えたミコが止まり、ふう、と方城らにも聞こえる溜息が出た。
「ふー! ダメかー! やっぱリーさん相手だと全く勝負になんねー! あたし、本気だったのになー」
 言いつつミコは、その場にどさりと崩れた。リカは、方城の言っていたマネージャーという単語を思い出して、傍にあったタオルと水筒を持ってミコとリーに寄った。
「神和さん、お疲れ様です。リーさんも。タオルと、これ、麦茶? 飲み物です」
「おー、サンキュー。橋井さんだっけ?」
「黒髪の人、感謝します」
 リカからタオルを受け取ったミコは道場で大の字になって首筋を拭った。まだ呼吸が荒いようだった。リーのほうは麦茶をゆっくりと飲んでいる。汗は全くかいていない。
「神和さん、凄いですね? 刑事さんって剣道とかやるんですよね? でも、二刀流って、須賀くんみたい」
「ミコでいいよん。剣道はちょこっとだけで、あたしのは違うのよ。麦茶もらいー」
 水筒から麦茶をカップに注ぎ、ミコは勢いよくガブ飲みした。
「……カリでしょ?」
 ずっとノートパソコンをいじって無言だったアヤがポツリと呟いた。
「橘の綾ちゃん、詳しいねー。そ、あたしのはカリ。棒術なんかを組み込んだフィリピン武術で、フェンシングを体術に発展させた、そんな奴なの。普段は一本で拳銃なんだけど、練習は二刀にしてんのよ。FBI捜査官なんかが使ってて、日本だと警視庁の警護課なんかが使ってたかな?」
 二杯目の麦茶を飲みつつ、ミコは簡単に説明した。
「警護課というのは、SPですね? FBIやSPの使う武術というのはつまり、より実戦的だと?」
 須賀が訊いた。
「SPが導入したいきさつは知らないけど、FBI捜査官がってことは役に立つんだろうな、ってそんだけ。始めて一年くらいだけど実際役に立つし、警棒一本で身軽だし、素手でも組めるしねー、ってリーさんに一撃も入れてないんだけどさ。リーさんの強さは反則だよな?」
 ねえ? とリカに問うが、リカは返答に困って首を傾げた。
「ミコさんは強いです。両手であれだけ出来れば足りるでしょう。僕のは趣味です」
「お世辞でもリーさんからなら嬉しいねー。でもさ、これでも乾のオッサンには勝てないんだぜ? あの人も反則なんだよ。合気道黒帯六段ってどんだけだっつーの」
「聞こえてるぞー、神和ぃ。俺とお前じゃ年季が違うんだよ」
 露草と一緒に煙草を咥える乾警部補が、間の抜けた調子で言った。方城と同じくらいの背丈だが、筋肉は倍以上で大柄な乾は、今は灰皿の前で小さくなっている。
「だってさ。あんなのに追われたら、みんなビビって立ち止まるっつーの。あー、汗だくだー。シャワーで着替えだなこりゃ」
「神和さん、その、鉄砲を持ったままなんですね? いつも」
「ん? ああ、そうだね。練習はリアルにしたいから、両脇が埋まってる状態で動けるようにね。三課は常時拳銃携行だし、所轄とはちょこっと管理体制が違うのよ」
 と、乾のケータイが鳴った。
「はいよ、ってカチョーですか。……はあ、やっぱり? いや異存はないですよ。影山本部長にしちゃ英断でしょ? で? 本体はそれでいいとして三課は? ……いや、俺からは特には。カチョー次第ですよ、いつも通り。何か思い付いたらまた連絡下さい、ええ。そんじゃ」
 ふう、と煙を吹いて、乾は神和に向けて、リーや全員にも聞こえるように言った。
「SATに出動要請だとさ。スカイスクレイパー・グランドホテルにだ」
 それを聞いてリカはまた首を傾げた。
「サット?」
「……スペシャル・アサルト・チーム、警視庁警備部特殊急襲部隊だ、リカくん。ハイジャック、テロ、銃火器などの凶悪犯罪に対処する、刑事部では対応出来ない犯罪のために組織された文字通りの特殊部隊。確か、マシンピストルやグレネードで武装しているだとか速河が言っていたかな。しかし……」
 須賀が簡単に説明して、唸った。
「民間人の誘拐事件にSATというのは初耳だし、その判断はどうかと思うがな」
 こわばった表情の須賀に、乾が応える。
「須賀の恭介くん、言いたいことは解るよ。きみが交渉人をやってくれて、いわゆる誘拐事件と今回は違うと、そう本部長は判断したらしい。マナミレポート、だったかな? 天海さんからの報告書はきみも読んだだろ? 安部の野郎のやりたいことは相模所長のプロファイリングとマナミレポートを合わせれば見えてくる。居場所を特定できるうちに一気に畳んじまう、そんなところだろうな。逃がしたら最後、次は軍隊引き連れてくるような野郎だ。そうなりゃもう俺らじゃお手上げで、在日米軍辺りの出番だ。っつーか、安部の野郎はそうしたいのかも、ってのが俺の勘だ」
 ラッキーストライクを灰にして、相変わらずぼやくように乾は言った。そういう口調がクセらしかった。
「歩くんは? SATだ機動隊だを突入させて、彼女が無事で済む保障は?」
「んなもん、ねーさ。金渡そうが別のテロリストを釈放しようが、保障なんぞねーよ。そういう相手だってことはきみが一番理解してるだろ? まあ、そう睨むなって。前村嬢の安全確保は絶対条件でそれは俺の仕事だが、本部長には立場ってモンもある。SATへの要請にしたって、呼ぶだけで、突入させるとまでは断言してない。つまりだ、この要請そのものがブラフだって、カチョーはそう言ってたぜ?」
 次の煙草に火を点けて、乾はぼやくように言った。
「マナミレポート、天海真実さんからのあれで重要だと記していた一つは、現金をすぐに用意出来る、これでしょう? 現金を渡して、セルゲイに関しては交渉中だとすれば歩くんの安全度は跳ね上がる」
「それがベターだな」
 割り込んだのはノートパソコンを睨むアヤだった。アヤはそのまま続ける。
「最悪は真実って人のレポートにある、四百億の資金を持った、闇ルートに精通する元軍人のテロリストの出来上がりで、そこに人質までアリって状態だ。プロファイルで一分隊レベルの武装が既にあるって言うんなら、もう警察組織で太刀打ちできるのはSATくらいだけど、警部補さんが言ったようにSATが使えるのは居場所が解る今だけ。相手が移動したらまたゼロからプロファイリングで、SATを二回突入なんて真似はまあ無理で無意味だ。現金を渡して歩ちゃんが解放されないんなら泥沼になりかねないし、そのままで国外にでも逃げられたらもう手出し出来ない……ってのがまあ、フツーの意見だろうね。でも、三課だっけ? そこはフツーとは違うんでしょ?」
 アヤの問い掛けに、乾は頭をばりばりと掻いた。
「アヤちゃん、だったかな? 何でもお見通しは相変わらずかい。県警本部長の要請で警視庁がSATを出す。これだけでも相当に特殊だが、相手が戦争マニアならこれだって予想されてるだろう。日本警察の限界がここまでだが、SATは手品じゃねーし出前でもねー。呼んですぐに来るにしたって三分ってことはない。その手前で俺ら三課が突入って、まあ、カチョーはそういう算段だろうよ。相手がウォーマニアックスなら戦争状態になる前を叩く。それも三課の独断で。これなら責任問題はカチョー止まりで俺やら神和やらが処罰されりゃ済むしな。
 現金が用意された直後、SATの前に、本体は動かず。奇襲ならこれしかないだろ。金が渡れば厄介だし、安部と前村嬢が別々にでもなったらもうお手上げだ。当然、安部の野郎の言いなりを続けるって手もあるが、こっちはアヤちゃんが言ったように泥沼化だろう。と、まあ、これは俺の独り言だ。公文書にゃ残らん」
 パン! と派手な音は、ずっと無言だった久作が手を打つ音だった。
「須賀? 風が吹けば桶屋が儲かる、ってあれは、確か因果律みたいな諺ことわざだったよな?」
 突然の思わぬ角度からの質問に、須賀は少し黙ってから返した。
「因果律? まあそうとも言えるな。大風で土埃が立つ。土埃が目に入って、盲人が増える。盲人は三味線を買う。三味線に使う猫皮が必要になり、猫が殺される。猫が減ればネズミが増える。ネズミは桶を囓る。そして、桶の需要が増え桶屋が儲かる。風と桶屋は一見すると無関係なようで、このように繋がる。因果律、もしくはカオス理論といったところだな。北京で蝶が羽ばたいて、テキサスでハリケーンが発生するというカオス理論のバタフライ効果は、原因と結果の間には、複雑で説明は難しいがきっちりとつじつまがあって、両者は因果関係を持つという理論だが?」
「プロファイリングやマナミレポートというのは、つまるところそういう内容だと思うんだけど……須賀! 方城! 鳳蘭子さんって医者と話していて気付いたことがある! リカさんにアヤちゃん、レイコさんも聞いて!」
 手を打った久作は勢い良く立ち上がり、すたすたと道場の中心、大の字のミコに歩きつつ続けた。
「僕はスーパーヒーローになりたい、そんな子供っぽい夢があるんだけど、修正だ。スーパーヒーローズ! あれだよ、戦隊ヒーローって奴さ! この警棒、カーボンだかのこれは、須賀! 須賀のレーザーブレード! 阿久津だのセルゲイだのノエルだの、テロだの企業買収だのSATだの、そういうのは全部無視して、交渉だとか奇襲だとか、そういうのも全部無視だ! 安部、あいつは言ったよね? 「かかってこい」と。だったらそうしてやればいい! 僕は回りくどいのは苦手だ! かかってこい? だったら……やってやるさ! それも、真正面からだ! ウォーマニアックス、一分隊に対して、こっちから宣戦布告だ! 安部、あいつはこれを受けるさ。ウォーマニアックスで合衆国にケンカを売るような奴だからね。居場所が解ってるなら宣戦布告して出向いて……潰す! そして歩さんを連れて戻る! 須賀、アヤちゃん、僕にはこれしか思い付かないけど、みんなは一緒に行くかい?」
 久作はミコの傍にあった警棒を須賀に投げた。それを受け取った須賀は、しばらく顎を摘んで考え、返した。
「確かに、奴はその申し出を受ける、そういう類だ。あらゆる奇襲は全て想定されていると考えるのが妥当で、見透かされた奇襲に意味はない。しかし、真正面からなら、少なくとも取り逃がす恐れはないし、そこに決闘だとかを匂わせれば、元軍人でテロリスト、戦争マニアの安部は受けて立つ。それは同時に安部を、歩くんを材料にせずに対峙しようという心理状況に追い込むことになり、結果、歩くんの安全度は跳ね上がる。問題はだ、速河? お前や俺が安部軍団に、チープなネーミングだが、それに勝てるかどうかだ。俺やお前は桜桃学園高等部一年、つまり学生で、相手はテロリスト。出来の悪い教師とは格が違う……いや? 同じようなものか。方城、お前はどうする?」
 警棒を持って立ち上がった須賀は、それを一振りして方城に尋ねた。
「お前さー、答え解ってて聞くか? 俺はもう奴らと一戦やってんだ。今更、拳銃なんてどうでもいいし、須賀と速河が出るなら俺だって出るのがフツーだろ? 戦隊ヒーローってあれか? 変身したりするあの戦隊か? まあ何でもいいや。ラン&ガンは俺の流儀だし、攻めて攻めてのオフェンシブ、いいじゃねーか」
 わー、わー、と意味不明な声はアヤからだった。
「速河久作が壊れた! メチャクチャだ! 作戦もへったくれもない! 真正面から? アホか! 相手はあの安部だぞ? ベルギーのアメリカ大使館爆破未遂でセルビアのレッドスターと絡んでる、あの安部だぞ? まだSAT突入のほうがリアリティあるってば!」
「はい!」
 と挙手したのは、リカだった。
「方城くん、ベンチ要員は重要って言ってたわよね? 私も行く! 荷物持ちでも何でもいいから、行く!」
「リカちゃんが行くなら私もー!」
 続いたのは今日も元気なレイコだった。
「ようよう、それ、どこでオチなんだ?」
 乾が煙草を吹きながら、ボソリと言った。
「ねえ、サイクロップスくん? それ、あたしも行っていいのか?」
 まだ道場で大の字のミコが床から尋ねるが、アヤが割り込む。
「アンタは警察でしょ! つか、止めろよ! 速河久作と須賀恭介と方城護で、リカちゃんとレイコに、警察? 何だソレ!」
「あのやー」
 場違いな関西弁は、マルボロマイルドを咥えた露草葵だった。
「須賀のお姉さんの須賀さんからさっき連絡入ったんやけど、塗料鑑定から陸運局とかで、ウチのラベルダちゃん入院させた車、あれ、四駆のエバやったっけ? それの持ち主、アクツ・レイジ言うらしいけど、それって歴史やらの阿久津センセで、ついでに阿部とかの横におる、真実からのレポートにあった阿久津なんやろ? バイク乗りにエバか何か知らんけど、タイヤ四個もあるんでド突く奴に、ウチ、まだお礼してへんわ。せやから、ウチも行くでー」
「……葵ちゃん! 葵ちゃんも壊れた! 先生はまず止めろって! オッサン! 乾? あと、超マーシャルアーツ! 警察で大人でまともそうな二人! まず速河久作を止めろー!」
 アヤの絶叫が道場に響くが、乾はふむ、と頷いて返した。
「無茶なようで筋は通ってるな。安部の経歴、須賀の恭介くんとの会話からの俺の印象は、確かに真正面から、それも宣戦布告されりゃ、受けて立つ、そういうイカれ野郎だ。SATなんかの襲撃に備えてるってのは在り得るし、その前に三課で奇襲ってのも、俺で思い付くくらいだから野郎でも想定してるかもな。しかし、ど正面から向かってくるとはまず考えない。戦争屋ってのは戦術だの戦略だので動くプラグマティスト(実利主義)だからな。そこに決闘なんて大義名分でも与えてやりゃ、野郎は乗ってくる。当然、人質なんてセコい真似はせずに。俺が気になるのは、そんな安部で連中がきっちり統率出来てるか、阿久津の野郎が別行動したりしないか、何だか、まあ、それも直接聞くのが早いな。個人的にはその話に乗った。神和のお守りもせにゃならんし、カチョーには適当に言っとくよ」
 露草と並んで煙を吹きつつ、乾警部補はぼそぼそと言い、金髪ツインテールを振りかざしたアヤが再び絶叫する。
「オッサンはアホか! アンタはアホだ! 警察だろ? 警部補だろ? 大人だろ? 何で速河久作の思い付きに乗る! 相手は人質付きのテロリストだぞ!」
 はい、と挙手したのは、ミコの隣に座り込んだリーだった。
「金髪のお嬢さん、僕もそれ、乗りますです。アベとアクツから蛇尾を切り離せば、蛇尾は日本にいられない。これは僕の仕事と同じですし、サットは知りません。中国公安部は日本警察とは別で動きますし、僕の功夫クンフー(練習、訓練)は足りてます。博打は大好きですから」
 黒スーツの李錬杰リー リェンチェ、ラピッドファイヤーは笑顔でアヤにそう告げた。聞いたアヤは両目を剥いて引っくり返りそうになっていた。
「功夫足りてねー! 全く全然足りてねー! せめて自分一人で行くから任せろとか、そういう科白出せよ! ラピッドファイヤー! SAT知らないってウソだろ! 中国公安が日本で捜査活動しててSAT知らないとかあるか! って、あたしだけ? 反論してんの、このアヤちゃんだけ? 実はみんなが正解? って、んなわけあるか! 科捜研のプロファイルと須賀恭介のネゴシエイトとマナミレポート、こんだけ揃ってて出た結論が、宣戦布告して真正面から潰す? 元陸自軍曹指揮の一分隊だぞ? 三十人で武装して、前村歩って人質がいて、あのテロリストの安部祐二だぞ?」
「失礼だが、話は聞かせてもらった。私も同行したいが、構わないかな?」
 音もなく道場に現れたのは、黒いスーツと無地のネクタイの暗い表情の中年だった。
「公安の旦那かい。まあ、安部はそもそもがアンタのホシだが、アンタ向きじゃあないぜ?」
 応えたのは煙草を咥える乾だった。
「安部にここまで接近出来る機会は少ない。お嬢さん、橘さんだったね? 私は警視庁公安部公安第一課のサミー山田、巡査部長だ。安部を追って現在はこちらの三課に合流している。人質の安全を最優先にしつつ安部を確保。SATや乾警部補らの強襲もいいが、安部はおそらく対応してくるだろう、そういう奴だ。そちらの速河くんの案に私は便乗させてもらう」
「は? 突然出てきたのが公安? 公安一課! 警視庁なら首都圏にいろよ! 公安って秘密捜査だろ! 出てくんなー! んで便乗するなよ! 止めろよサミー!」
 ノートパソコンをばんばんと叩きつつ、アヤはサミー山田を指差して怒鳴った。
「じゃあさー」
 相変わらず道場中央で大の字のミコが、ポツリと呟いた。
「橘のアヤの助がリーダーだとしたら、どういう作戦あんの? あればそっちに乗ってもいいけど? 影山さんのSAT、カチョーの強襲、おとなしく現金渡しておさらば。セルゲイはまず釈放されないから人質は戻らない。金は真実ちゃんの分析だと四百億の資金になってテロリストか麻薬王かその辺りに渡る。そんだけの額なら巡航ミサイル三発は購入出来て、これ使ったら日本国政府を相手にテロも可能で人質付き。
 前村歩を最優先にして、日本国政府へのテロ。在日米軍が介入するそのテロを阻止出来る組織なんて、国内にあるか? 少なくともあたしは知らん。真実ちゃんの分析がなかったら単なる人質事件だけど、化けたらとんでもない話で、女子高生一人と日本国政府を天秤に掛ける奴がいたとして、どっちに傾くかなんて決まってるじゃん。安部がもしここまで考えてるなら、出鼻をくじく、逃がせばもう後はない、そういう状況だとあたしには見えるけど? だからあたしはサイクロップスくんに乗るの。サミーさんもそういう判断っしょ?」
 当たり前、そんな調子でミコは言った。アヤは金髪ツインテールをぶんぶん振り回している。
「うわ! 汚ねー! そもそも正解なんてない犯罪状況で、現職の警察官がそこまで言うか? あたしは成功確率の高い作戦しか組まないの! 安部ってテロリストの気分次第で変化する作戦なんて、作戦じゃねー! 他に案がって、ないからみんな困ってるんだろ! だいたい! こういうときはまずリカちゃん! リカちゃんが止めるってのが定番でしょ? 何で最初に手を揚げるかー!」
「何でって、そうね……アヤがいつも言ってるじゃない? リカちゃん軍団って。久作くんっていつも一人で全部やろうとするのに、今回はみんなでって。危ないのは前村さんで、それに比べたら私なんて平和なものよ? 須賀くんもいるし方城くんもいるし、リーさんも。でね? アヤ? この作戦には司令官が必要なの。久作くんと須賀くんはそんな暇ないかもしれないから、だから……」
「は? あたしも来いって? レーコもでリカちゃんも? ……何か、吐き気してきた」
 キャンキャンと喚くアヤは、もう疲れた、そんな表情でガックリと肩を落とした。
「……解った! 行くよ! いつもは来るな来るなって言ってて、最強にヤバい今回は来いって? 司令官? 当たり前だ! そもそも無茶なんだから、せめて宣戦布告のタイミングとか突入する経路とか、それくらいは、せめて考えようよ、ね? ああ、マミー、ダディー、デンジャラスでクレイジーなマイフレンズにアーメンソーメン冷素麺ひやそうめん! アメリカに帰りたいー。この国の学生と教師と警察はアホだ! そこについていくあたしもアホだ!」
 宙で十字架を切って、アヤは半泣きで怒鳴る。
「全員! 防弾チョッキ着用! 警察の人は拳銃とか弾とかライフルとか、そういうの山ほど! 今が十三時半で天海真実って人が現金を用意出来るのが二十二時! 場所が神部市スカイスクレイパー・グランドホテルの最上階なら、相手は屋上からの襲撃に備えてるだろうから……解ったよ! ロビーから入るって言い出すんだろ! 真正面から! ホテルに通告! 十七時にそこは戦場になるから死にたくない奴は全員退避! 退避勧告は十六時五十分! 宣戦布告は十七時ジャスト! 突入は十七時〇五分! フロントマンはラピッドファイヤーと速河久作で、ポイントマンはカリ使い! オッサンは公安とでセカンドアタッカー! SAWは方城護! LAWは須賀恭介! あたしはテールガンで方城護と須賀恭介はあたしを死んでも守れ! リカちゃんはレーコと二人でラジオマン! 葵ちゃんはメディック! これが基本隊形で状況に応じて変更!
 最優先目標は前村歩の保護! コールはパッケージ・ホップ! リーダーはアヤちゃんだコノヤロー! リーダーコールはホークアイ! 作戦名……オペレーション・オーマイガッ! ビックリマーク付きだ! 全部終わったらデリゾイゾのディナーコースを誰かおごれ! シャンパン付きだぞ? あうー、グランマ、ヘルプミー!」
 テロリスト安部による前村歩誘拐・身代金要求・要人釈放要求事件に対して、県警本部長、影山めぐみが警視庁特殊部隊・SATの出動要請を出して五分後、本部一階の道場でリカちゃん軍団に対して、オペレーション・オーマイガッ! が発令された。

 ちなみにデリゾイゾとは蘆野アクロスにあるスパゲティ専門店で、夏のディナーコースはシャンパン付きだと六千円である。

第九章~阿久津零次とフェラーリ・デイトナ ―愛しい、愛しい貴方―

 十六時半。
 授業と雑務を終えた阿久津零次は、私立桜桃学園からSLRマクラーレンで自宅、蘆野市の海沿いにあるマンションへ向かい駐車場でランサー・エボリューションに乗り換えて中央道に入った。神部市にある高級ホテル、スカイスクレイパーへの道中に何度かケータイに連絡が入った。ハンズフリーのヘッドセットの向こうはアンディ・パートリッジという留学生で、公立神部工科大学の情報工学部情報処理科と、リトルトーキョーのノワールに籍を置いている。
「ミスター・レイジ。アマミジャパンはプラン通りに動いているよ。この調子だと金は夜中には揃いそうだ。ミス・マコト・アマミ、彼女は大したものだね」
「アンディ、僕は天海真琴、彼女とはパーティーで話したことがあるのさ。若いが切れ者で本音を見せず、先の先を読む。それに美人だ。だが、先手を打とうとするそのもう一手先に駒を置けばいい、簡単な話だよ」
 通勤の足にど派手なスーパーカー、ベンツ・マクラーレンを選んだのは純粋に見栄えだけで、阿久津零次は車にはかなり執着はあるが、運転の技量は素人より少し、その程度だった。国産車にはない鋭い面構えとバタフライドア(上に開く)は桜桃学園でも強烈な異彩を放っていた。

 桜桃学園の駐車場に国産車は少なく、中年の数学教師、仲迫秀吉氏のニッサン・ラティオ15M・FOUR4WDと、日本史担当の野中志津子女史のトヨタ・アリオン1.5・A15、この二台くらいだった。教頭の金山善治はメルセデスベンツ・E250CGIブルエフ、これは桜桃学園のカラーに合っていたが、他はモーターショーのようだった。
 桜桃学園に赴任した初日、黒いランサーで駐車場に向かって、そこに真っ赤なデイトナを見て、榊三郎という高等部化学教師、阿久津より少し年上の彼のものだと聞いて、阿久津は翌日にメルセデスベンツのディーラーに出向き、SLRを注文した。ただの化学教師のデイトナへの対抗心からだった。
 理事長、天海真実のアキュラZDX、近未来的なデザインの高級SUV、これはいい。その彼女に付きまとう月詠だかのシトロエン・ベルランゴ、フランス製の単なる商用バンなのでこれもまあいい。仲迫教師と野中女史は眼中になく、金山教頭のベンツ・ブルエフ、これもまあ年齢と肩書きから相応だろう。
 しかし、渡瀬徹也という三十代の英語教師はランボルギーニ・イオタ、二十代後半で現代国語の屋久利明がベントレー・コンチネンタル・フライングスパー・スピードで、トドメは榊教師のフェラーリ・365GTB‐4デイトナ。車雑誌や映画でも観る機会の少ないデイトナが私立学園の駐車場に当たり前のように駐車してあり、持ち主は三十代半ばの白衣で無愛想な化学教師。
 阿久津はその真っ赤なフェラーリ・デイトナと自分のランサーを見比べて敗北感に似たものを感じ、スーパーチャージャー付きV8エンジンで六千万円もする、国内に三十台とない六百三十馬力の文字通り「スーパーカー」、SLRマクラーレン・ブラックを注文したのだった。それを乗りこなせるか、走る場所があるのか、という事情は一切無視して。

「そのミス・マコトの仕業かどうが、アマミLAのほうで動きがあるよ。アクツ・ボリビアに共同経営を持ちかける算段のようだけど」
「ボリビア? アマミが?」
 ハンドルを握ったまま、阿久津零次は渋い表情で考えた。南米ボリビアはアクツエージェンスがレアメタル市場に参入した最初で、基盤でもある。天海グループは飲食と服飾を扱う企業で土地資源の分野には無縁だった。北アフリカに小さなマーケットを持っていて、アクツエージェンスは、いや、阿久津零次はここを基盤にヨーロッパ方面へ進出するという展開を描いていた。
「それともう一つ。県警から警視庁にスペシャルチームの出動要請が出てるよ」
「それは予定通りで問題ない。安部さんは何か?」
「特には何も。ミスター・レイジ、アマミLAはボクで抑えようか?」
 アクツエージェンスは担当地域や部門ごとに細分化はしているが、経営権、指示系統は単純で、未だに南米支部がその中心だった。ここに天海LAから横槍を入れらると、小回りの効かないアクツは身動きが取れなくなる。北アフリカ新規開拓どころの騒ぎではない。
「出来るのか? アンディ?」
「ボクに出来ないことはないさ。そんなボクだからミスター・アベのサポートをやっているし、相応のギャラも貰ってる。アマミLAに揺さぶりをかければ、足止めくらいは簡単だよ」
「だったらお願いしよう。他には?」
「全てプラン通り、そうミスター・アベは言っていたよ。ギャラガー氏やレッドスターも、他も。警察の動きは手に取るようにだけど、スペシャルチーム要請以外に目立った動きもない」
「解った。天海LAはアンディに任せる。今、そちらに向かってるが、何かあったら連絡してくれ」
「ラージャ」
 アンディ・パートリッジとの会話を終えて、阿久津零次はランサーのアクセルを踏んだ。十六時過ぎの中央道は交通量が多く、阿久津のランサーはパイロン(一般車両)を縫うように追い越して神部市のグランドホテルに向かった。

「――通話終了。阿久津零次の相手はアンディ。照会……アンディ・パートリッジ、国籍はアメリカ。公立神部工科大学の情報工学部情報処理科の学生です。一年前に留学目的で入国。以前の経歴は不明です」
 羽生美香はにゅう・みかの声が県警三課、永山警部の事務机にあるスピーカから流れた。
「安部、阿久津、ノエル、レッドスター。天海LAの北アフリカとアクツエージェンス……マナミレポートの裏付けはこれで充分でしょう」
 永山が告げると、乾警部補、公安のサミー山田は頷いた。しかし、橘絢の表情は何とも難しいものだった。
「速河久作の作戦はまあいいとして、やっぱし相手がデカいよ。アンディ・パートリッジって、あのクラッカー・パートリッジ?」
「初耳だが、有名なのかい?」
 ラッキーストライクを咥えた乾が尋ねた。
「アメリカ国防総省、ペンタゴンの防壁を抜けるハックマクロを組んだウルトラハッカー、っていう噂。これはこの筋じゃあ超有名で、逮捕されずにペンタゴンの諜報関係にスカウトされたって噂もあったんだけど、日本でテロリストと組んでるって予想外だなー。警察の動きは全部お見通しだし、SATもバレてる。それよかさ、さっきの声の人は?」
 アヤが指差したのは永山警部の机の小型スピーカだった。
「羽生のお壌? 第二通信司令室のオペレータだが、知り合いかい?」
「第二? 通信司令室に一だの二だのあったっけ? 通信司令室って百十番とか受けるとこでしょ?」
「第二司令室は……」
 答えたのは永山警部だった。
「我が県警三課専用の通信司令室で、羽生巡査はそこの室長です。といっても第二には彼女しかいないんですがね。県警三課でCARASを試験的に運用して、これを利用した諜報活動も羽生巡査の担当なんです」
「カラス? カラスってあのフランスとかイギリスとかにある監視カメラ使った、クリミナル・アクティブ・レコグネーション・アドバンスド・システム? 日本じゃ警視庁だけだと思ってた」
 アヤの口から出る横文字に、煙草を咥えた乾は険しい表情だった。それを引き継いだのはサミー山田だった。
「橘さんは随分と詳しいようだが、本庁でようやく実用段階になったCARASは、その性質から常駐の専属オペレータが必要で、県警レベルでそれを導入するには完全に独立した専門部門が必要なんです。刑事部の独立組織的位置にあるここ、組織犯罪対策室はそんなCARASの試験運用組織でもあるんですよ。ともかくこれで安部、阿久津、ノエル・ギャラガーにレッドスターは繋がった。影山警視監のSATは見透かされており、天海LAの動きも然り。癪だが、安部の計画はかなりの完成度だ。組織としてのノワールのレベルも極めて高い。更にアンディなる人物。現状、かろうじて第二司令室が上回っているが、もう諜報戦の次の段階だろう。そして、有効と思われる作戦は一つ。オペレーション……」
 サミー山田は語尾を濁し、アヤがそれを次いだ。
「オーマイガッ!」
 サミー山田に説明しているのか本音なのか、アヤはそう叫んでソファに転げた。

 ――ふわ、と大きな欠伸で方城護は瞼まぶたをしごいた。
「方城くん? 緊張とかしてないの?」
 そう訊くリカの表情は、若干固かった。空調で涼しい道場の壁に背を預けている方城は、もう一度欠伸をして返す。
「試合前と同じだよ。相手がどんななのかは頭に入ってるし、やることも大体。チームのみんなは一番緊張する時間帯らしいけど、俺はコートに立つまではいつもこんなだよ。肩の力抜いてリラックス。余計なことは考えず体をほぐす。須賀が言ってただろ? 四十分プラスロスタイムを同じテンションで維持するのに分散させるとか。まあそんなかな?」
 欠伸の次はストレッチだった。首をゴキリ、指をバキバキと鳴らし、腿の辺りをほぐしている方城の隣、須賀は普段通り読書中だった。
「須賀くん?」
「……」
 珍しく返事がないのでリカが覗き込むと、須賀恭介は眠っていた。ミステリ小説を握ったまま。寝息はとても静かで、空調の音、壁越しで聞こえる外部の喧騒で殆ど聞こえない。一方、こちらは一見して寝ていると解るレイコ。道場の隅で横になって、口を半開きにして眠っている。笑顔なのでどうやら夢の内容は楽しいもののようだった。
「二人とも、図太いんだか無神経なんだか」
 言いつつリカは立ち上がり、須賀の隣に座り直して、少しだけ躊躇ってから須賀の肩に体重を預けて目を閉じた。ストレッチを終えた方城は大きなスポーツタオルを取り、それを寝ているレイコにかけ、レイコの隣に座って腕を組み、リカと同じく両目を閉じる。
「なあ、リカ?」
 方城は小さく呟き、リカが生返事をした。
「俺とアヤって、どう見える?」
「うーん。お似合いだけど、アヤはまだまだ遊びたい。方城くんはバスケに集中したい、そんな感じ?」
「速河たちは?」
「どうかしら。お似合いには違いないんだけど、レイコって子供っぽいし、久作くんは良い人だけど、レイコや私を女性じゃなくてお友達って見てるみたい。ある意味、アヤに似てるわよね」
 そっか、と特に意味を込めず方城は相槌を打って、黙った。

「――ミスター・アベ? アクツボーイからの指示でアマミLAを黙らせるけど、何か問題はあるかい?」
 キーボードを叩きつつアンディ・パートリッジが尋ねると、安部祐二は一つ頷いた。
「彼には好きにしてもらえばいいさ。前村歩さん。少し話を、いいか?」
 紺スーツにサングラスの安部が尋ねると、前村は頷いた。神部市のグランドホテル、スカイスクレイパーの最上階にあるロイヤルスイート。アルーヌーヴォー様式で若干派手な内装の室内に、パソコンを睨む白人学生、アンディ・パートリッジと大柄の黒人、理知的な若い女性、他に数名がそれぞれソファや椅子にかけていて、前村歩も大きくてふかふかのソファに座っていた。
 前の小さなテーブルにはサーモンのサンドイッチとサラダが乗っていた皿と、コーンスープが少し残っている。相変わらず縛られるでも脅されるでもなく、須賀恭介から状況は聞いたが、説明と周囲の状況が合わないので、緊張感や危機感は薄かった。
「きみから見れば俺は犯罪者、悪党だろう。きみを誘拐するという計画は俺からだからな。不本意だろうがまだ一緒に居てもらうんだが、須賀恭介とか言うきみの同級生、彼との約束できみに危害を加えることはしない。俺個人と彼個人との約束で、俺はリーダーだから、誰もきみに危害を加えることはない。身代金を受け取り、然るべき場所とタイミングできみは解放される。それほど先でもない。その間も食事から何からは手配する。
 俺がこう言うのも妙だが、いくらか緊張はしても、安心してていい。この部屋から出ないなら行動は自由だし、連絡も自由だ。着替えが必要なら手配するが、そういったことはあちらの女に言ってくれ」
 安部祐二、紺のスーツを着たサングラス中年はずっと暗い、険しい表情のまま、淡々と言った。
「あのー、安部さん、でしたっけ? アナタはお幾つなんですか?」
 前村歩の声に疲労はなく、緊張も殆どなく、ただ、ちょっとした疑念のようなものがあった。
「歳? 三十五だが?」
「三十五歳、私よりずっと年上。渡瀬先生と同い年、って渡瀬先生というのは私のクラスの担任なんですけど、同い年には見えないですね? もっと上に見えます。渡瀬先生って英語の先生なんですけど、童顔だからもっとずっと若く見えて、でも安部さんはもっと年上に見えます。……私、テロとかって難しい話は解らないですけど、あの、止めませんか?」
 何となくテーブルにあったグラスを握り、前村歩は言った。グラスの中は普通の水。
「余計な御世話でしょうけど、誘拐って逮捕されたら重い罪でしょう? でも、安部さんは私に何もしてないんだから、逮捕されても罪は軽くなるんじゃないかなって。私は少し怖いけど、でも食事も貰ってシャワーやベッドも。須賀くんは危ないって言ってたけど、全然そんなことないし、その、安部さん……辛そうに見えるんです」
「俺はこういう顔なのさ。女子高生を誘拐するような非道な犯罪者で、逮捕されるくらいなら抵抗して射殺されたほうがマシ、そんなイカれた奴だ。きみが自分可愛さで言っているんじゃないことは解るが、その担任と俺は同じ時代を生きていても違うものを見てきた。物の見方、価値観、考え方、何もかもが違う。何より教師とテロリスト、そもそも違う人種だ。
 その渡瀬という担任がきみに英語を教えるように、俺は俺の知っていることを出来るだけ多くに教える。別に説教するつもりでもない、ただ教えるだけだ。そこで俺と同じように考えろというつもりもない。そんな都合に巻き込んだことは申し訳ないが、これだって俺の教えたい、伝えたいことの一つなのさ。今はその意味は解らなくてもいい。いずれ解るかもしれないし、そうでなくても何か思うことがあるだろう」
 そこで言葉を切り、安部はサングラス越しにしばらく前村を見詰めて、部屋の向こうに消えた。

 ――県警本部の一階。須賀恭介らが眠る道場と同じフロアにある医務室に久作は戻っていた。
 本来の住人である県警医師ではなく、監察医の鳳蘭子が白衣でメンソール煙草を咥えて、同じく煙草を、マルボロマイルドを咥えた露草葵と談笑している。二人は同じ大学の医学部同士で、年齢は違うが交流があるらしかった。
「いい歳してバイクなんて乗ってるから、危ない目に合うのよ、アナタは」
「いい歳て、蘭子先輩のほうが上やん。タイヤなんて二つもあったら足りるねん。四個もいらへん。パンダやったら二本足で歩けばええねん」
「パンダ?」
 パイプ椅子に座ってどうともなく二人の会話を聞いていた久作は尋ねた。
「ああ、パンダって私の車。フィアット・パンダ初代モデルのAセグメント。可愛いのよ?」
 鳳蘭子が笑顔で返した。
「車やのにパンダやて、白黒パンダやて。熊の親戚やろ? 笹の葉っぱで動くんやろ?」
「パンダは二種類よ。ジャイアントパンダはクマ科、レッサーパンダはレッサーパンダ科。私のパンダは車類、フィアット目もくパンダ科のAセグメント。笹じゃなくてガソリン。葵は派手で古いバイクだったわよね?」
「カフェレーサーのラベルダちゃん。入院中やけど。バイク類ラベルダ目SFC科の750や」
 正午過ぎの日差しは強く、医務室の窓のブラインドは真っ白に輝いている。外は猛暑のようだが室内は涼しいものだった。
「賢太くんとは上手くやってるの?」
「美味いも不味いもあらへん、普通や。先輩はどないですん? あの渋っぶいオッサン、榊センセ」
「オッサンって、彼、まだ三十六よ? お互いに多忙でね、最近は電話だけ」
 久作も授業で何度か目にしている化学の榊教師は学者然としていて三十六歳と言われればそうとも見えるし、五十歳と言われてもそう見えそうだった。フルネームは確か榊三郎さかき さぶろう。古風な名前なので覚えていた。教師と言うよりも講師、そんな雰囲気で、生徒からの反応は特にない。須賀恭介に似た孤独なイメージで、鳳蘭子と付き合いがあるようだがどうやら疎遠らしい。
「榊センセの車はウチでも解る奴、フェラーリやろ? 日本でフェラーリとか走れる場所あらへんやん」
「デイトナ、だったかしら? あれね、彼のお父様の宝物で形見なのよ。彼は車には殆ど興味なくて、あのデイトナって随分と高級らしくてね、お父様からの遺産みたいなものなの。私も詳しくないけど、ちょっとした資産になるくらいのものなんだって」
「デイトナか何か知らんけど、あないなんが駐車場におったら客が引いてまうわ。なあ?」
 なあ、と言われた久作は、露草の言う客が生徒やその家族なのだろうと想像して、気付かれないように溜息を一つ。駐輪場と駐車場は別位置でレイアウトされているので、久作は桜桃学園の駐車場を殆ど見た事はない。フェラーリだかデイトナだかの赤いスポーツカーはあったようななかったような、曖昧だった。露草ではないが、車よりもバイクに興味があるのでそもそも区別が付かない。フェラーリくらいは知っているが、ポルシェではない、その程度だったし、フェラーリのナントカと言われるともう解らない。高いのだろう、そんな印象だった。
 ケータイを見ると時刻は十六時手前。アヤが作戦、オペレーション・オーマイガッ! の開始を十六時五十分にしているので、県警本部から神部市スカイスクレイパー・グランドホテルまでの移動時間を考えてもまだ余裕があった。道場でそれぞれ準備などを、と一旦解散したが、久作は特に準備するものもなかったのでこの医務室にやって来た。一眠りしようか、そんなつもりだったが先客、露草葵と、今日も大学ではなく県警にいた鳳蘭子と雑談していた。
 葉月巧美は一旦家に、警察の護衛付きで戻り、奈々岡も同じく。露草がどうしてここにいるのかは不明だが、露草は医務室や保健室といった場所にいるのが自然に見えるし、白衣でないことは逆に違和感があった。鳳蘭子と共に煙草をひたすらに燃やして、医務室の空調機能の限界を越えた煙で視界が若干白い。この二人には煙草とコーヒーがあれば他には何もいらないようだった。鳳蘭子が露草に似ているという印象は、二人を並べてみてより一層だった。違いは白衣と眼鏡とネックレスくらいで、二人揃ってロングヘアでボディラインも殆ど同じ。冷たく鋭い顔付きも同じで、鏡でもあるようだった。
 露草がスクールカウンセラーで鳳は監察医、つまり二人とも医者で、心理学と法医学と違いはあるが同類で、ついでに仲も良いらしい。
「それで、その久作くんの作戦、と呼べるかどうかのそれに、葵も一緒に行くって?」
「エバに文句の一つも言わな、気が済まんしな」
「エバ? どういう人なのかしら?」
「四駆でな、黒やねん。阿久津て、蘭子先輩は知らんやろうけど、それがエバやねん」
「四駆って、4WD? つまり、阿久津っていう人は四本足なの? おまけに黒い?」
 久作は、一度だけ授業で見た阿久津教師のそういう姿を浮かべたが、ハイハイをする赤ん坊か絶望した宗教家か、そんな風だった。
「何でもええねん。文句言ってパチキ一発かまして、ついでに修理代の明細叩き付けて、そんだけや」
「そんだけって、前村さんっていう子は?」
「そっちは速河やら神和のアホやらにお任せや。ウチの仕事とちゃうし」
 言い出していてなんだが、そもそも久作の仕事でもない。当然、須賀や方城も違うのだが、違うといえば前村歩。彼女が大袈裟で面倒で危険な目に合う、これがそもそも間違いだというのは久作と須賀の共通見解でもある。
「まあ、好きにすればいいわ。くれぐれも私の仕事にならないように、それだけ。葵や久作くんにメスを入れるのは抵抗あるしね」
 そう言う鳳蘭子は随分と奇妙な人物だった。監察医だから、というにはドライで、久作の案……思い付きに限りなく近いそれを聞いても、ふーん、と頷くだけで、文句も異論も出ずだった。かといって無関心で冷たいというのとは少し違う。要するに彼女は、出来ることしかやらないし、出来ないことは考えもしない、そんなタイプなのだろう。須賀恭介や久作と近いが微妙にズレている、そんな立ち位置からの俯瞰、傍観者で、良くも悪くも自己中心的。化学の榊教師、フェラーリ・デイトナの彼と疎遠なのは仕事だけが原因でないようにも思えた。

「――あと、ハイドラのAPIとブレンガン。バレットライフルと回転式グレネードランチャーにスティンガーと……」
「神和さん? ここが軍隊の武器庫に見えますか? 警備部ですよ? 警備部第一課、アナタと同じ県警の」
 県警本部別棟で若い制服警官が溜息を漏らした。
「ほんじゃあ、機動隊が使うMP5は?」
「神和巡査部長? 警備部機動隊だからマシンピストルを使うこともあって、アナタは刑事部です」
「だったらMSR。スコープとバイポッド付きで」
「巡査部長、警備部は軍隊じゃあないんです。狙撃銃はありますけど、M24は銃器対策部隊、特殊急襲部隊、海上保安庁や陸上自衛隊。つまり、刑事部の扱うものじゃあありません」
 若い制服警官、警備部の彼に言われて、神和は唸った。
「ガバのマグとバックアップ銃、ハンドグレネードが何個か、こんだけ? 緊急事態でついでに超法規的措置な状況だぜ?」
「だったらせめて、本部長からの意見書の一つでも持参して下さい」
「いやー、それは無理っしょ? 影山さんともカチョーとも別で動くんだから。……あ! だったらさ、薫子ちゃんが押収してるはずの銃があるっしょ? レイジングブルにレッドホーク、あとハイパワー、それ出して」
「鑑識課が押収した銃火器を横流ししろと? だったらまだ、マシンピストルを出すほうがマトモですよ?」
「んじゃ出してよ、MP5。それとMSR」
 はあ、と何度目かの溜息は制服警官からだった。
「神和巡査部長? アナタの銃の予備弾薬と手榴弾を五つ、これだけでも完全に規約違反ですよ? それでも、そちらの事情を聞いて課長が黙認したんです」
「ヤーヤー、嬉しいねー、はい、投げキッス。んで、乾のオッサン用の弾丸も貰って、相手は元軍人が一分隊なんだから、こっちは総力戦なのよ。文字通りの総力、ありったけ。別にアンタに出ろとか機動隊動かせとか難しいこと言ってるんじゃないのよ。ここにハイドラとMSRがあるのは知ってんの。ブレンガンとバレットライフルは、あったらいいなー、って。グレネードはまあ、ランチャーなくてもハンドグレネードで我慢すっからさ。出してくれたらデートしてやってもいいぜ?」
 体をくねらせて無い色気を振り撒く神和に、制服警官は、なんてこったい、と大袈裟にゼスチャーした。と、スーツ姿の中年がのんびり歩いてきて、ぼやいた。
「おっと、しまった。倉庫の鍵を落としちまった。あそこには機動隊の装備やら、押収した物騒なモンが山ほどなのに、参ったなー」
 ガチャン、と音がして、神和の足元に鍵の束が放られた。
「おや? 誰かと思えば刑事部の問題児、さ迷える紅い弾丸じゃねーか? 噂のトリガーバカが警備部に何の用だ? 俺は忙しいんだよ。くれぐれもウチの倉庫に近寄るなよ? おい、俺は今から拾得物係に行って来る。神和、無茶するんじゃねーぞ」
「……課長! アンタ最高! イカすねー!」
 投げキッスの連射を背中に浴びた警備部一課課長は、片手をひらひらさせつつ本部棟へ続く廊下へとゆっくりと消えた。

 ――ランチ、白身魚のフライ定食とインスタントコーヒーで満腹になった天海真実は、食堂で生徒や教師をしばらく見物してから、理事長室に戻っていた。金山善治教頭の教頭室には賞状やトロフィーが沢山だが、理事長室には簡単な応接セットとミニキッチン、他は本棚くらいで、大振りの事務机とそこに乗るデスクトップパソコンと、観葉植物が二鉢、執事である月詠六郎用の机とパソコンと簡素だった。
「天海LAの帳簿にアクセスしてるって?」
「はい。こちらでも確認しました。ハッキング、とは少し違いますが」
 事務椅子に座った真実は、月詠が出した湯飲み、麦茶をすすった。
「別に裏金があるでもないから帳簿を観られても平気でしょうけど、LAは対応出来てるのかしら」
「真琴さまは、対応しない、という対応だそうです」
「うん? つまりハッキングは……陽動? LAはもうアクツの南米支部、アクツ・ボリビアに何か?」
「提携、もしくは合併の提案、という建前で交渉を開始したのが日本時間十六時半。その五分後にLAの帳簿に不正アクセスだそうです」
 普段通りの定規のような背筋で、月詠は言った。
「それをあえて無視、まあ、姉さんらしいわね。私でも同じでしょうけど。ミコや勇から何かあった? あの、オーガイガッ作戦、とかってのの詳細とか」
「真実さま、オーマイガッ! です」
 真顔の月詠に、真実は首を傾げた。
「ああ、語尾が違うって? まあいいわ。速河久作くん、やっぱり変な子よね。大胆と言うよりも無謀。それなのにどこか納得出来て、他に有効な手はない。こっちから何かお手伝いできればいいんだけど、天海グループに鉄砲や傭兵はないしね」
「一つ、宜しいですか?」
「どうぞ?」
「速河さまの作戦が十七時〇五分からだそうですが、ここからホテルまでは車で三十分ほどで、空路だと十分といったところです」
 月詠の科白はそこで止まった。真実はそれを吟味して、眼鏡のブリッヂをくいと上げた。
「真琴姉さんって、今、どこだっけ?」
「日本です」
「……月詠さん。真琴姉さんの様子を見て来て貰える?」
 湯飲みを片手の真実に、月詠六郎は、はい、と短く返した。それを聞いた真実は椅子から立ち、ブラインドを覗いた。
 外は晴天の猛暑で、眼下に教員用駐車場があった。真実のアキュラSUVと月詠のシトロエン・ベルランゴ。他に教員の車が並んでいる。特に目立つのは高等部化学の教師、榊三郎の真っ赤なスポーツカー、フェラーリ・365GTB‐4デイトナだった。榊教員とは会話らしい会話はないが、監察医の鳳蘭子の口からその名前が出たことが何度かあって、風変わりな、変人とも呼べる鳳と付き合っているのだから変人なのだろうと想像していた。私立学園にフェラーリ・デイトナで通勤している時点でもう相当な変人だと真実には思えるが、通勤でフェラーリを使おうが戦車を使おうが、真実には関係ない。

 月詠六郎が理事長室から消えて、真実は久しぶりに一人になったような気がした。月詠が嫌いだとかうっとおしいだとか思ったことは微塵もないが、いるのが当たり前の月詠がいないことに少し違和感を感じた。

第十章~安部祐次とパッケージ・ホップ ―この上なく姿美しい女―

 十六時五十九分五十八秒、五十九秒……。
「もしもし、前村さんのケータイでしょうか? こちらはボギーワン、速河久作。前村歩さん、今から五分後にお迎えに上がります。詳細はメールで送ります、以上」
 短い通話を終えた久作は前村のケータイに県警科捜研、相模京子の報告書と、マナミレポートを添付したEメールを送信した。右腕のデジタル時計、タフソーラーは十七時〇〇分〇七秒と表示されている。
「あれ? サイクロップスくん? 宣戦布告とか言ってなかったっけ? もっとこう、バシッとキマる科白とかあるんじゃねーの?」
 久作は原付オフロードバイク、ホンダXL50Sにまたがって、隣の黒いスポーツカーから言う神和彌子に返した。
「まあ、色々と考えてみたんですけど、今更挑発だの駆け引きだのも不要でしょうから、こちらの意図とそれに至った経緯、これだけ伝えれば足りるだろうと思いまして」
 それだけ言うと久作は、オフロードタイプのフルフェイスを被って、XLのキックペダルを蹴った。
 神部市の高級ホテル、スカイスクレイパーの車寄せを駐車場と緑地で挟んだ位置に久作たちは待機していた。久作は愛車のXL50S、神和彌子はグリフィス500。ブルーバード1800SSSのハンドルを握る李錬杰リー リェンチェの助手席には方城護で、サミー山田のアルピーヌ・ルノーA310のナビシートに橘絢が座り、リアシートに加嶋玲子がいる。ジャガーXJ40ソブリンに乗る乾源一警部補の隣には須賀恭介、後ろに橋井利佳子。そして、大きなネイキッドバイクにまたがって煙草を咥えている露草葵。いつものラベルダではなく神和彌子のものらしいバイク、ドゥカティ・ストリートファイター1099のシートに座って、腕時計とホテルを交互に眺めて、煙を吹いている。
「ボギーワンからホークアイ、通信状況は?」
 久作の耳には小型でイヤーピースタイプの通信機がセットされてあり、同じものが全員を繋いでいる。無線ではなく携帯電話回線を利用したものでボイスチャットのようになっている。別で警察用無線機もあり、右にアヤからのイヤーピース、左に無線のマイクをつけている。
「ホークアイよりボギーワン、通信はクリア、予想通りにね。ケータイの逆探知を殺すジャミングなら自分の通信もダメにしちゃうから常時展開ってことはないだろうし、さっきの通話はジャミングなしでGPSでバッチシ拾えたよ。科捜研の分析通り、場所はここの最上階。つまりだ――」
 警視庁公安のサミー山田という巡査部長の隣に座っているアヤの通話にはキーボードを叩く音が混じっている。
「――身代金要求段階では居場所を知られたくなかったけど、その段取りが終わった今はもうバレてもいいって、そういうことでだろうね。クラッカー・パートリッジがいるんだから通信の類は全部拾われてて、SATもバレてる。この会話だって聴かれてるだろうし、騙まし討ちは無意味ってこと……出てきた! 四人、五人、もっとだな。さすがに対応が早い」
 久作の位置からではホテルロビーの様子は解らないが、どうやらアヤは双眼鏡か何かを使っているらしい。もしくは、カラスだとか言う県警第二通信司令室の防犯管理システムを利用しているのか。
「なあ? 速河くん?」
 通話に乾警部補が入ってきた。
「残り二分ほどだが、この時間差には何か意味でもあるのかい? 敵さんに準備する暇を与えるってのは賢くないと思うんだがなぁ」
 ぼやくように、ボソボソと乾が尋ねた。
「作戦詳細はアヤちゃんですけど、五分前にホテル側に退避勧告で、まずこれに気付けばトータルで十分、相手に迷わせる時間を与えるんです。その五分後に、SATを用意しているこちら側から連絡が入れば判断に悩む。ここで安部が素人なら相手陣営はパニックでしょうが、即座に応戦体制。そこに真正面から突入する人間なんてまずいませんが……」
「要するに、真正面からと言っておいて、それが本当かどうかを吟味する時間をあえて与える、ってところかい? 真正面からなのにちょっとした奇襲になるってのは妙な話だな」
 ふー、と煙草を吹く音が通信に乗る。乾警部補と露草葵、この二人のヘビースモークはもう重症のようだった。
「策士、策に溺れるなかれ、ですね」
 中国公安のリーが次いで、アヤが続いた。
「ゼロカウントまでもうちょい。確認だ。フロントマンはラピッドファイヤーと速河久作で、ポイントマンはカリ使い。オッサンは公安とでセカンドアタッカー。SAWは方城護でLAWは須賀恭介。あたしはテールガン位置からの作戦指揮。リカちゃんはレーコと二人でラジオマンで葵ちゃんはメディック」
 アヤがポジションを再確認するが、軍隊などに疎い方城やリカにはサッパリ意味不明だろう。だが、ここで重要なのはポイントマンの神和彌子と、フロントマンの自分とリーだ。神和彌子のポイントマンは斥候せっこう。前方全域警戒とトラップの有無の確認とルート確保がポイントマンの役目で、それにフロントマン、前方下方警戒の二人が続き、統制役のセカンドアタッカーが更に続く。
 本来ならこのセカンドアタッカー位置に作戦指揮をする役、アヤが配置されるところだが、アヤはテールガン、いわゆる、しんがり、にいて、後方警戒となっている。方城護のSAWと須賀恭介のLAWは側面警戒で、軍隊ならSAWは支援射撃などもするのだが、今回は左右側面を二人が警戒するという配置になっている。
 ラジオマンは通信兵、メディックは衛生兵で、ラジオマンは指揮官、通常はセカンドアタッカーと行動するので、リカとレイコは通信状況を維持しつつ乾警部補とサミー山田巡査部長に張り付いて動く。メディックも同じくだが、セカンドアタッカー位置から全配置に動けるように、今回ならアヤのテールガンとセカンドアタッカー、どちらかと行動する。
 場所が屋内、民間ホテルでロビーから上に向かうというルートから、ポイントマン神和と続くフロントマンの久作とリーが目標、パッケージ・ホップこと前村歩を保護するという想定なので、フォーメーションは敵支配地域警戒前進の屋内版といったところだ。
 相手が元軍人で、その後にテロ活動などで軍隊や兵士の定石を頭に入れているなら篭城を含めて防戦対応してくるだろうから、このフォーメーションはあくまで基本で、ポイントマン神和とフロントマン久作とリー、この三人で突破させるという配置にしている。軍人としてはセカンドアタッカーを潰したいところだろうが、こちらの頭脳・命令指揮はさらに後方のテールガンにいて、側面警戒の方城と須賀がテールガン・アヤをカヴァーしている。
 普段ならアヤはどこか遠くから通信で指令を出す、コールサイン・ホークアイ(鷹の目)が示すように電子戦指揮の安全圏配置だが、ケータイ逆探知を殺す装備を持つ相手なのでこの即席部隊に同行で、しかしテールガン位置。これは錬度の高い兵士や組織戦闘に慣れている相手からすれば盲点だろう。
「神和ぃ。お前がポイントマンってのは毎度だが、今日はお前の背中はミスター・リーと速河くんだ。俺じゃなくて不安だろう?」
 県警三課の二人、神和と乾が普段の捜査でツーマンセルのコンビだというのはアヤも久作も聞いている。小柄で機敏な神和と大柄の乾なので、神和彌子がポイントマンというのは当然だろう。
「全然。無敵のリーさんにだったら背中もお腹も預けて全く安心っすよー。テンセカンド」
 神和が応え、久作も腕時計を見た。十七時〇四分五〇秒。神和がアクセルを踏んだらしく、V8の咆哮で揺さぶられた。更に後ろからの爆音は、露草のバイクだった。
「よーし! オペレーション・オーマイガッ! スター――」
 バン! アヤの科白を派手な音が掻き消し、神和彌子が叫んだ。
「ふ……ふざけんなぁ! グリフィスの外装はフルFRPだぞ! それにNATO弾撃ち込みやがったぁ!」
 ギャギャ! とホイルスピンを数秒で、神和のV8オープンカーが弾丸のように発進し、露草のドゥカティが続く。乾、リー、サミーも車をホテルの車寄せに向けて、久作のXLもフルスロットルで走り出した。
「須賀、ナトー弾って何だ?」
 緊張の針が振り切れているのは神和とアヤだけらしく、方城が通信で須賀に尋ねた。
「北大西洋条約機構の頭文字を並べるとNATOだ。軍事同盟の一つで、ここでの銃弾の統一規格みたいなものだったかな。場末のチンピラ如きには似合わない、そういう代物だ」
 全員が待機していた路肩から緑地と広い駐車場をまっすぐに進むとホテル・スカイスクレイパーのロビーに続く車寄せで、今は一般車両はなく、ドアマンもボーイもいない。アヤが事前に退避勧告を出していて、しかし完全退去する時間はないというタイミングなので、宿泊客は自室に、従業員はスタッフルームにでも避難しているのだろう。グリフィス500がフルスロットルからフルブレーキ。白煙を上げつつテールスライドさせて車寄せに滑り込む。と同時にバン! 再び神和の車が撃たれた。一発目はフロントグリルで二発目はドア。
 SWATロゴのキャップと赤いウインドブレイカーを着た神和が運転席から飛び出して、そのままホテル入り口に走るが、その真横を大型ネイキッド、露草葵のドゥカティ・ストリートファイター1099が猛速度で抜けて、そのまま入り口の自動ドアを突き破った。ガラス枠を綺麗に抜けた露草のバイクは飛び散る破片を纏ってホテルロビーに着地して、それを神和が走って追う。
「ヘイヘイヘイ! 葵! ポイントマンを追い越すとかヤメレ!」
 パパパン! 神和が走りつつ両手のサブマシンガンを左右に向けて撃ち、二人が倒れた。一人はハンドガンでもう一人は大きなライフルを持っていたが、二人とも肩と膝を撃ち抜かれて血まみれで転がっている。アサルトライフルを持とうとした男に神和が再びサブマシンガン、MP5を向けた。両手と腿から血を吹き出して、スーツ姿の男が吹き飛んだ。遅れて、といっても二秒かそこらだが、李錬杰リー リェンチェと方城護がブルーバード1800SSSから出て露草が砕いた入り口を抜けてロビーに入り、久作もXL50Sでロビーに突撃した。ガラス片でダートのような状態だったのでリアタイヤをロックさせてテールを滑らせ、柱の影から出てきた男をXLで弾き飛ばした。パン、と拳銃の音がしたが、男が持っていた拳銃は天井を向いていた。XLのテールで膝を折られた男は武器を落として床に転げる。
「しかしまぁ、派手なこった」
 XJ40ソブリンから降りた乾が、煙草を咥えたまま中折れ帽子を被りなおした。パパパ! と神和のMP5の射撃音がホテルロビーに響いている。
「乾警部補? 神和さんが使っているあれは、機動隊が使うマシンピストルのように見えるんですが?」
 大柄なグレースーツの隣にしわくちゃの桜桃ブレザーの須賀恭介が並んで、呆れ半分といった風に尋ねた。
「須賀の恭介くんにもそう見えるかい? 奇遇だな、俺にもそう見えるよ。あのアホは、どうしてもこのホテルを戦場にしちまいたいらしい。で? お嬢さん、橋井さんだったかな? その荷物はひょっとして、あのアホのかな?」
 はい、と返したリカはスポーツバッグとギターケースのようなものを担いで、既に汗まみれだった。リカの眼前、スカイスクレイパーグランドホテルの一階ロビーで、露草のネイキッドバイクと久作のXL、神和彌子が走り回っていて、汗の半分はその光景が故だった。

 神部市のスカイスクレイパーは県内最大規模の高級ホテルで、このご時勢で一泊二十万円といった価格帯なので、主に企業の接待などに使われている。外装はマンハッタン島のアールデコ様式を真似たシンプルな線だが、内装は昨年に改装され、モダンの手前のアールヌーヴォーテイストとアールデコが混在している。ティーラウンジには絵画や猫足のテーブルが並ぶが、受付周辺は外観の雰囲気のままで、ロビーは多様式が入り混じっており、今、そこをバイクが二台走り回り、キャップ姿の女性がサブマシンガンを撃ちまくっている。
 名前だけ知っているホテルに入ったリカは建築様式の知識はなく、噂通りのゴージャスで広いホテルのロビーと、そこが既に戦場のようになっていることに驚きつつ、乾警部補の大きな背中に隠れつつ重い荷物を運んでいた。スポーツバッグの中身が物騒なものであろうことは承知しているし、ギターケースに見えるその中身も同じくなのも承知しているが、露草と久作のバイクの音と神和からの怒号と射撃音、それに混じる別の発砲音や呻き声に冷や汗ものだった。ルノーA310を飛び出してホテルに入ったサミー山田と橘絢、加嶋玲子はホテルの受付に取り付いたらしい。

 先行した露草と神和、久作は早速暴れだしている。後続のリーと方城はただ歩くだけ。乾警部補と須賀恭介の後ろのリカがそれに続いて、アヤとレイコはサミー山田の護衛で受付へ。アヤはどうやら受付からホテルの防犯システムの類を奪うつもりらしい。
「ホークアイより各機! 第二司令室のCARASとリンク! 防犯監視システムは占拠した! 敵がもう五人来る! エレベーターホール側だ!」
「あいよっ!」
 パパパ! 神和が返事と銃声を返して、敵が三人に減った。パパパ! 更なる射撃音で残る三人も沈黙。ゴン! と大きな音は露草のバイクが男を吹き飛ばした音だった。最後にアクセルを吹かす爆音がして、ロビーは静かになった。天井のスピーカからは南国リゾート風のBGMが流れているが、光景は戦場さながらである。
「ホークアイより各機。一階はほぼ制圧だな。パッケージ・ホップは二十二階、最上階のロイヤルスイート。こっちの損耗は?」
「ガッデムン! あたしのグリフィスにライフル弾を二発も入れやがった! マグ四本使い切ったけど、ダメージはないよん」
 カシャン! 金属音は神和彌子がマシンピストル、MP5のマガジンを抜いた音で、走り回っていたが声色に疲労はない。
「ふー。やっぱウチ、ドカはイマイチやわー。嫌いやないんやけど、デカすぎるで、これ」
 フルフェイスを脱いだ露草が、早速煙草を咥えて応えた。
「こちらボギーワン、損耗ナシ」
「ボギーツーとリーさんは何もしてねーよ」
「ボギースリー、同じくだ。ロビーの敵勢力は無力化しているようだな」
「了解。ミッションプランをアップデート。まず――」
 アヤが作戦開始を合図した直後に銃撃され、そこから神和を先頭に発進して、何故か露草がバイクでホテルロビーに突撃。それに久作も続いてロビーを走り回りつつ、安部か阿久津の部下らしき数人にXLをぶつけた。拳銃だかライフルだかを持っている相手もいたが、露草はお構いなしでドゥカティを滑らせて敵を弾き飛ばしていた。屋内と呼ぶには広いロビーなので遮蔽物は少なく、そこをバイクで走っていれば移動目標に拳銃を当てるのは相当に難しいだろう。当然、露草がそんなことを考えて突入したとは思えないが、少なくとも久作はそういったことを考えた。全部で二十人はいた相手は殆どが神和が撃ち抜いた。それも愛用のハンドガンではなく、MP5サブマシンガンで。
 発砲音からスリーバースト射撃だと解ったが、そもそもサブマシンガンは近距離鎮圧用の武器で、スリーバースト・三発連射もそういった目的のものだが、神和はこれで精密射撃をやっていたらしい。屋内の混戦で、近距離でも遠距離でも敵が一人として死んでいない、久作はこれに驚いた。
「――速河久作、それとカリ使い。相手はどんなだ?」
 アヤが訊いて来た。久作や神和彌子が拳銃や軍隊の知識を持っているので、安部や阿久津の部下がどういう人種なのか、それを確認しているらしい。神和が応えた。
「うーん、まあチンピラじゃあないな。ギャングとも違う。長物はカービンとかSPASとかの東側だし、ハンドガンもグロック、SIG系列。割と最近の、性能のいい火器でブラックマーケットではあんまり見ないんじゃねーかな? 動きはかなり慣れてる風だったけど、屋内戦闘に手間取ってるようにも見えたかな? 至近距離で撃てないようだったし、良くてゲリラ崩れとかそっち系だろうね。特殊部隊って線はあるけど、諜報系だとしても使い捨ての末端じゃねーかな」
「僕からも似たようなイメージかな。装備は最新に近くて戦い慣れてるけどステージが違う、そんな印象だよ。工作員とかシークレットサービスなんて種類じゃあないけど、無駄に撃つようなことも少なかったから、前線帰りが指揮してるってイメージかな」
 少なくとも素人ではないが、かといって歴戦の戦士と呼ぶほどでもない。素直な感想にアヤが相槌を打った。
「了解。テロリストってんじゃあ漠然としてて戦術組めないんだけど、何となく解ったよ。防犯システムは掌握したけど、早速取り返しに来てる。展開した防壁の半分がもう破られてる。クラッカー・パートリッジが相手なら防戦で一杯だけど三十分は大丈夫。状況をアップデート。ルートは三つ。エレベータ、屋内階段、非常階段。どれも待ち伏せ、トラップが予想されるけど、全ルートを潰しながら進もう。残したルートから後ろ取られるのは賢くないからね。非常階段は公安とオッサンとレーコ。屋内階段はラピッドファイヤーと速河久作。メインのエレベータにカリ使い、須賀恭介、リカちゃん。あたしはここから全体の指揮で方城護がガード。葵ちゃんはメインのエレベータルートに同行。階段組はそれぞれにカヴァーしあって屋上を占拠。そこから下ってメインと合流、パッケージ・ホップを保護だ。オーマイガッ! 第二段階、スタート!」

 ――非常階段ルート。サミー山田巡査部長、乾源一警部補、加嶋玲子。
「しっかし、階段ってのは中年にゃ堪えるよ」
 十七時を過ぎてまだ明るい市街地を眺めつつ、三人は早足で外付け階段を登っている。乾が先頭でレイコを挟んでサミー山田が拳銃を構えている。
「お壌ちゃん、加嶋さんは元気だね?」
 ふっ、ふっ、と息遣いは荒いが、レイコはきびきびと手足を動かしていた。
「私は無限スタミナの元気マンなのでーす」
「乾警部補? マナミレポート、あれをどう思います?」
 ブラウンのショートボブの向こうからサミー山田が訊いて来た。サミーも若干息が荒いが、乾ほどではない。サミー山田は乾より若いのだが、黒いスーツや険しい表情、低い声色から乾に似た貫禄がある。
「さて、どうだろうな。安部の野郎の素性だの性格だのは旦那のほうが詳しいだろうが、陸自でPKOなんぞをやって、ベルギーの米大使館爆破未遂の間の空白期間、ここいらに野郎を動かしてるモンがあるんじゃねーかな」
「レッドスターはセルビアのテロ組織で、あの辺りは日本人への心象は悪くない。元自衛官という肩書きと実際の能力をレッドスターが拾い上げたというのは、なくはない。解らないのは、活動範囲を黒海沿岸にしていた阿部が日本に戻ったことと、身代金誘拐なんて陳腐なことをやった、ここです」
 うーん、と乾は不精ヒゲの顎を握って唸った。
「ノワール、リトルトーキョーを拠点のあのチンピラ集団だが、安部と阿久津がいなけりゃ文字通りのチンピラだ。奴らが厄介なのは他所の組織とのパイプだが、そのパイプの殆どは安部が持ってたモンだ。レポートにあった阿久津と麻薬王ノエルはまあ在り得るが、阿久津零次が持ってるのはノエル・ギャラガーだのマイヤー・フランスキーだののヤク関連。資金源にするにゃ美味い話だが、ノワールや阿久津にノエルと対等に交渉するだけの力はない。逆にノエルがアジアマーケットを拡大しようとして、それに阿久津を利用してると考えるのが自然だろう。サミーの旦那が気になるのは、そこに安部の野郎が絡むってのと、誘拐だろう?」
 咥えた煙草のフィルターを噛んで煙を吹き、乾が前を向いたまま尋ねた。
「結果的に四百億になるにしても、誘拐というのは資金稼ぎには向いていない。それこそ薬物マーケットだけで回収出来る。ノエルはユーロ圏を拠点にしていて、アジアマーケットの拠点として日本を選ぶにしても、そこに安部の事情が重ならないんです。レッドスターはセルビアからキプロス、シリア、ヨルダン辺りが活動範囲で安部はこれに同行していたと考えられる」
「ふーん。つまり、ユーロのノエル・ギャラガーやNYのマイヤー・フランスキーとも、南米の阿久津零次とも重ならないと。ノワールは所詮はチンピラ集団だが、本来肩を並べないであろう安部と阿久津が何故か日本で共同戦線……繋いだ奴が?」
「そう考えるのが自然でしょう。安部に思想的なバックボーンがあるなら女子高生誘拐ではなく本業の爆弾テロ、こちらでしょう。つまり、日本での今回の動きは――」
 ババン! 金属の手摺から火花が散って、サミー山田は前にいたレイコの頭を押さえて拳銃を構えた。建物から拳銃を持った二人が出てきた。が、乾は手前の男の手首を握って捻り上げ、左掌でもう一人の鼻柱を砕いた。握った手首はそのまま折って膝をみぞおちに入れて、二人はあっという間に気絶した。
「加嶋さん、怪我はないかい?」
 新しい煙草に火を点けつつ乾が尋ねる。突然の銃声に驚いていたレイコだが、中折れ帽子をくいと上げる乾に一泊置いて返した。
「……凄い! オッサン強い!」
「いや、こちらさんからもオッサン呼ばわりか。まあいいが、サミーの旦那?」
「問題ない」
「安部と阿久津を繋ぐ奴、ね。ここらは当人に訊くのが一番だろう。しかし、こっちは手薄だな。その分、別が厄介かもしれんが俺らは取りあえず上まで押さえて、そこから下るしかないか。しかしなぁ」
 足は止めずに乾がぼやく。
「この人選はどういう考えなんだ? 俺かサミーの旦那、一人で足りるだろうに」

 ――エレベータルート。神和彌子巡査部長、須賀恭介、橋井利佳子、露草葵。
「二十二階ビルの最上階が目標の敵陣でエレベータで移動するとか、屋内戦闘の定石を無視しまくりだな」
 二挺のサブマシンガンをスリングで首から吊った神和が、リカが運んでいた荷物を漁りながらぶつぶつ言っていた。エレベータは大型でちょっとした部屋ほどの広さがあった。
「速河の戦術はつまり、そういった定石で動く相手の虚を付く、そういうことでしょう。アヤくんがルートを三つに分けたのも同じくで」
 須賀恭介の説明に、神和は適当に頷く。
「まあ、そうだろうね。エレベータなんて、常識で考えたら棺桶だぜ? ドアが開いた瞬間に撃たれるとか、エレベータシャフトにグレネード放り込むとか、始末の仕方はいくらでもある。だから軍人どころか警察官だってこんなルートは使わない。ところが、このルートが一番早い。突撃のタイミングはトラップを設置するには少なくて、人員配置にはギリギリ。別に階段なんかがあって戦力を集中ってのは無理だから、待ち伏せされるにしても数は知れてる。向こうにしたってこのルートは撤退用に残しておきたいだろうから、物理的に潰すってのはまずしない。ってのは、屋上からの空路がなければの話だけ、ど?」
 ポーンと軽快な音がして、次の階、十九階でエレベータが止まると表示された。
「早速だな。先行はあたしで、薫子ちゃんの弟くんは待機、って、こんな状況でどうもこうもないか。五秒で終わりだ」
 ガコンとエレベータが鈍く揺れて止まり、扉がゆっくりと開く、と同時に、神和はトリガーを引いた。
 ドドドドド!
 エレベータ内に破裂音と火薬の匂いが充満し、リカは両耳を押さえて悲鳴を上げて座り込んだ。小柄な神和を包むような巨大なマズルブラストに露草は顔をしかめて、須賀も眉をひそめる。ドン! と最後の一発を撃ち終えた神和がブレン軽機関銃を構えたままエレベータホールを眺める。ホールには八人、太股から下辺りを機関銃で蜂の巣にされた男が倒れて呻いていて、背後の壁がボロボロになっていた。
「エニー、ミニー、マニー……八人? 三十連発マグ一本で八人、ま、そんなところか。全員生きてるよな? うん、オーライ。では、上に参りまーす。シーユーアゲン、バイバーイ」
 彌子はブレンガンのバレルでエレベータボタンを押して、ほぼ一瞬で蜂の巣になった八人に別れを告げた。

 ――屋内階段ルート。李錬杰リー リェンチェ一級警司、速河久作。
 ゴッ、と鈍い音がして、男の顔が壁に激突した。続く二人目は拳銃を持っていたが、リーは男を壁に埋めた左足をそのまま振って拳銃を弾き飛ばし、その反動のように飛ぶ左足で顎を砕いた。リーが先を歩き久作が続いていたが、二人が出て来て一人目を左の蹴りで始末したリーは、上げた左足をそのまま左右に振って、二人目も始末した。あまりの速さに久作は、気絶した二人の顔や表情さえ捉える暇がなかった。
「至近距離では拳銃よりもナイフが早い、なんてことを訊いたことがあるんですけど、リーさんの蹴りはナイフですね」
「はい。僕は拳銃は嫌いですし苦手ですから」
 ビッとスーツの襟を正して、リーは久作に笑顔を向けた。ラピッドファイヤー、速射、それがリーという警察官の渾名だと聞いたが、リーの蹴りはまさしく速射だった。出てきた二人とも拳銃を既に構えていたが、リーの蹴りはトリガーよりも早かった。それでいて威力は一撃で相手を気絶させるほど。このルートはリー一人で充分だと思ったが、アヤは気まぐれで人選などしないので何か考えがあるのだろう。階数表示は十八階、そろそろ目的地だが、予想したよりも妨害は少ない。一階ロビーでかなりの数を相手にしたことと、ルートを分散していることでこちらに戦力を割けないのだろう。
「速河さんはアユム・マエムラのお友達ですか?」
 階段を登りつつ、リーが尋ねた。
「いや、クラスは違いますし、リンさんという友達の同級生で、喋ったのは一回か二回、そんなです。そんな薄い関係なのにこんな危ないことを考えるというのは、やっぱり奇妙に見えますか?」
「速河さんは蛇尾じゃびを知っていますか?」
 いいえ、と久作は返した。そういう組織があると県警本部で聞いたが、実際どうなのかは知らない。
「蛇尾は密入国斡旋組織で、売春や人身売買もやります。大きな組織で政治家とも関係があるので、拠点に踏み込めません。市場を世界に広げるために日本にも拠点を作ろうとして、アクツに協力しています。これは阻止したい、だから僕はここにいます」

 売春は日本でもある。人身売買も実際にあるが、報じたり調査したりする動きは殆どない。久作はテレビを観ない。ニュースソースには利害関係による操作がされており、真相よりも利益が優先されるからだった。テレビに限らずあらゆる情報に対して久作はそういったスタンスを取っている。
 蛇尾が行う人身売買は、リーにとっては撲滅すべき犯罪で悪だが、久作にはそれに巻き込まれた前村歩を救い出す、だけ、の行為でしかない。ノワールというチンピラだか対しても、安部祐次というテロリストにも、阿久津零次という教師にも、久作は同じ態度しか取れない。自分の範囲内ならば相手をする、全力で。しかし見えない所でなら無関係、そう割り切る。万能ではないからこそ限りある正義を範囲内でのみ使う、こんなものは正義でも何でもないと頭に刻んで。

 バン、と派手な音で扉が開き、男が出てきた。リーの後ろで久作の目の前。その右手に拳銃が見えた。リーが振り返ると同時に久作は右足を一歩踏み出して、左足で拳銃を真横に蹴り飛ばし、振り抜かずに踵を左に向けて男の顎を狙った。ゴリッ、と鈍い音がして顎が見て解るほどずれて、男はその場に崩れた。
「……速河さん、見事です。とても素晴らしいです」
 リーの科白に久作は首を傾げて足を下ろした。
「え? ああ、いえ。さっきのリーさんの蹴り、あれを真似ただけですよ?」
 そう説明するが、実際は体が勝手に動いただけだった。久作の使える格闘技は我流の八極拳で、これには基本的にハイキックはない。その八極拳にしたところで、アヤが夢中な3D格闘ゲーム「ミラージュファイト」シリーズでキャラクターがする動きをトレースしているだけで、方城のように日々トレーニングといったことも全くない。須賀よりはマシ、その程度の身体能力と膨大な知識、そして桁外れの集中力、オーバーコンセントレーションを組み合わせた結果が速河流八極拳で、今の二段蹴りも、リーの動きをトレースしただけである。
 それでも、目の前に顎が外れて失神した男が転がっているのは事実だった。

 ―― 一階ロビー。橘綾、方城護。
「よっし! やっぱし速河久作はラピッドファイヤーと一緒で正解だ!」
 監視モニターに映る久作を見ていたアヤは、ぐっと拳を作って満悦だった。ロビーには二十人ほどが呻いているが、拳銃を使うどころか立ち上がることも出来ずなので、護衛役の方城護は退屈だった。
「速河? アヤ、今度は何を仕込んだんだ?」
 椅子に座って腕を組んでいる方城に、アヤはガッツポーズ。
「速河久作の強さの秘密がさ、トレース能力だってのに気付いてるの、あたしだけだろうねー」
「トレース? 追跡とかそんな意味だっけ?」
 英語にめっぽう弱い方城が尋ねる。
「そう。速河久作って、見た動きをそのまま完璧にリプレイ出来るのよ。八極拳だってミラージュ1のカラミティの動きで、ミラージュ2で追加された技はまだ使えないんだけど、もしかしてラピッドファイヤーの技をコピーできるかもって、そういう配置」
「ってことは……」
 方城は昨晩、リーがノワールのチンピラに繰り出した技を思い出した。
「速河はサマーソルトキックとかやれるって?」
「方城護が見た奴ね? まだ無理だろうけど、ラピッドファイヤーが速河久作の前で一回でもそれやれば、出来るようになるんだよ」
「そりゃまぁ、実際そうなんだから驚くでもないけどよ、速河は基礎トレとかやってないんだから、そんな大技使ったら体が持たねーだろ? リーさんの技ってのはさ、俺は素人だけど訓練の賜物だろ? やれるにしたって体がついていかねーよ」
 超高校生級バスケットプレイヤーの方城だが、才能と呼べるものはきっちりと支えるトレーニングあってこそだと自分が一番理解している。NBA選手の華麗な動きを見て、それが才能ではなく練習の成果だと理解できるからこそ、方城は日々のトレーニングを欠かさない。観て真似る、そんな簡単な話ではないが、速河久作にそういった能力があることは知っているが、トレースだかで再現するにしても身体能力が必要なことに違いはない。
「だからさー。あたしは速河久作に格闘家として本気でやって欲しいなって思うんだけど、本人にそのつもりがないんだから仕方ないじゃん?」
「それは大事だぜ? やる気がない奴は伸びないし、本気じゃない奴は強くはなれない。速河はさ、こう、何か一つに本気になるとか、そういうタイプじゃねーよ。良くも悪くも万能のオールラウンダー。しかもリミット付き。控えのベンチにいれば使える要員だけど、スタメンでは出せないって感じだな」
 何もかもをバスケットボールに例える方城だが、言いたいことは伝わったらしくアヤが唸っている。
「そうなんだよなー。速河久作ってトランプで言うところのジョーカーなのよ。使えるのは一回だけど無敵。しかも自分で判断して動くジョーカー。文字通りの切り札なんだけど、オート発動するジョーカーってのは手札としてはどうにもね……レーコルートはもうすぐクリアだな。リカちゃんのほうが本命に近いけど、速河久作はちょっと遅れてるか」
 監視モニターとは別の持ち込んだノートPCに、上下に揺れる中折れ帽子、乾警部補が映っている。レイコの胸にあるCCDカメラからの映像で避難階段組の状況が解る。エレベータ組はリカが持つCCDで、もうすぐパッケージ・ホップ、前村歩のいる二十二階に到着しそうだった。
「須賀はどうしてる?」
「葵ちゃんとリカちゃんと一緒でカリ使いの後ろだよ。あのミコって人は最大戦力だな。サブマシンガンだの機関銃だの、スゲーよ。日本の警察も大したモンだね。一人じゃあ、と思って須賀恭介を一緒にしたんだけど、出番ないし」
「俺もだよ」
 それが不満ということもない。テロリスト軍団を相手に出番がないのは実に良いことだが、前村だか歩だかの救出に助力出来ないことに方城は、若干燻っていた。そんな方城の気分を察したのか、アヤが口を開いた。
「方城護はさ、葉月巧美の時に活躍したからいいんだよ。須賀恭介はテロリスト安部とネゴシエイトやったし、二人とももう活躍してんの。方城護も言ってたろ? ベンチ要員がいるからスタメンが戦えるって。今回のは警察の仕事に速河久作が無理矢理頭突っ込んでるんだから、出番がないってのはいいことじゃん」
 そりゃそうだ、と頷いて、方城はアヤの手元を見た。喋っている最中もずっとキーボードを叩いているアヤがアンディ・パートリッジと攻防していることは、パソコンの類に疎い方城には解らない。パートリッジがホテルの監視システムに侵入を仕掛けて、それにアヤが防壁を展開したり別のところに誘導したりを、県警第二通信司令室のオペレータ、羽生巡査と一緒に行っている。
 方城から見ると、どうしてマウスを使っていないのか、そんな程度だが、このネットワーク上の攻防がホテル内では一番が激しい。

 ――避難階段ルート。乾源一、サミー山田、加嶋玲子。
「公安の旦那、こっちは無人だ。そっちは?」
「こちらもです。ひとまず屋上は占拠ですね」
「……高ーい! アクロスが観える! あれ! ロータリー?」
 スカイスクレイパー・グランドホテル屋上からの景色に、レイコは大喜びだった。そろそろ日が落ちる時間だが、二十二階に吹き抜ける風は冷たく、地上の熱帯夜とは無縁のように感じた。蘆野市の市街地と神部市の市街地はこの高さからだと同じように綺麗に輝いて見えるが、蘆野アクロスとリトルトーキョー、そこの実際の様子は正反対である。それも、ホテル屋上からだと区別はなく、両市街地とその先の住宅街、港、海はくるくると回る万華鏡のようなきらびやかさだった。スカイスクレイパーの宿泊費用はべらぼうだが、カフェラウンジと屋上はデートスポットでもあり、週末になれば遠征してきたカップルで賑わう。
「加嶋さん、俺とサミーの旦那は下に向かうが、きみはここで待っていてくれ。戻るルートは危険だし、俺らと一緒でもだから、ひとまずはここにいるのがいいだろうよ」
 煙草を吹きながら乾が言うが、レイコは景色のほうに夢中だった。
「アイアイサー!」
 返事は元気なレイコだが、すぐに海のほうに視線を移し、きゃーきゃーと騒ぎ出す。
「影山本部長がSATを動かせば、おそらくここのヘリポートを利用するでしょう。私と乾警部補は屋上へのルートを塞ぎつつ、神和巡査部長らと合流し、安部、阿久津らを確保、前村歩を救出です。加嶋さん、ヘリコプターが来たらそれは仲間ですから、慌てないように」
「アイサー!」
 びしっ、と敬礼するレイコだが、くるりと反転して今度は蘆野市方面を眺めて足をバタバタさせる。
「乾警部補、行きましょうか」
「ああ、そうだな。全く……」
 若い奴はわからん、そんな愚痴が出そうになりつつ乾は煙草を継ぎ足し、屋内階段に通じるドアをくぐった。

 ――エレベータルート。神和彌子、須賀恭介、橋井利佳子、露草葵。
 ドドドドド!
 二十二階フロアで神和のブレンガンが吼える。バラバラと飛ぶ薬きょうで足元は一杯で、視界は巨大なマズルフラッシュで真っ白、硝煙が廊下に充満している。
「シェット! 敵が無限増殖じゃん! 一分隊三十人ってとっくにオーバーしてるって! 橋井さん! マガジン!」
「はい!」
 リカはスポーツバッグから重たい予備弾装を取り出し神和に渡す。ブレンガンのマグチェンジの合間は二挺のサブマシンガンの発砲音が続く。リカが持たされたスポーツバッグにはブレン軽機関銃の予備弾装が山ほどあったが、既に半分以上を消費していた。目的のロイヤルスイートは眼前だが、そこから武装した敵がぞろぞろと出てくるので、神和はエレベーターホールでブレンガンを撃ち続けていた。相手も拳銃やライフルを持っているが、ブレンガンの連射が続くのでそれをこちらに向ける隙がないようだった。神和が致命傷を避けるように照準しているので、負傷した仲間を部屋に連れ戻す様子も見える。神和とリカは忙しいが、須賀と露草は持て余していた。エレベータが停止してブレンガン掃射が始まってしばらくして、露草はとうとう煙草に火を点けた。
「こら葵! エレベータは禁煙! んがー!」
 ドドドドド!
 神和の腕でもさすがにブレンガンで精密射撃は難しく、目的のロイヤルスイートのドアや通路壁はボロボロになっている。
「そんだけ鉄砲撃ってて、禁煙もへったくれもあるかいな」
「ガッデムン! ブレンガンが警備部に予備マグ満載であったのは嬉しいけどぉ! これ使わないとダメなシチュエーションってのはぁ! シェット! 勘弁してくれー! 橋井さん!」
「はい!」
 リカが巨大な弾装を神和に手渡す様子を見る須賀は、わんこそばのようだ、そんなことを思っていた。マグチェンジの数秒はMP5マシンピストルで埋めて、再びブレンガンが吠え出す。前村歩、安部祐次、阿久津零次らがいるであろう部屋の前は血の海だが、奇跡的に死体はない。
 ドアや壁の破片で散らかっているが、敵が落とした拳銃などはあっても、死体も手足の一本もない。銃火器の知識はあまりないが、そんな須賀でも神和の腕前がかなりだろうとは解った。

 それにしても、神和ではないが、敵が際限なく出てくることに須賀は険しい表情だった。このフロアにはロイヤルスイートが二つだけだが、どうやら片方に山ほど潜んでいたらしい。全ルートを合わせるとロビーからここまでで既に五十は相手にしているが、それとは別でこのフロアだけで二分隊六十人規模の兵力を温存していたようだ。別ルートの様子はアヤから簡単に聞いたが、やはりここに戦力が集中しているようだった。
 須賀が気にするのは前村歩の状態だが、警告もナシでいきなり軽機関銃を向けてくる相手に、人質は全く無意味だろう。安部からすれば、貴重な人質である前村を神和のブレンガンから守る、そう考える筈だ。屋上からヘリなどで離脱するというルートは乾警部補らが潰しているし、ブレンガンで部屋の前を塞がれているので動けない。
 ホテル外からの増援がないことから、安部の戦力はここにある分が全てで、ノワールのチンピラが来る様子もないことから、ノワールの一部、幹部のような人間だけが安部や阿久津と連携していて、それはロビーから途中ルートで使い果たしたのだろう。テールガンの方城護が交戦状態にないことも、増援による挟み撃ちの恐れがない証だ。

「神和さん! これで最後です!」
 リカの大声に神和が舌打ちした。
「了解! 白兵準備!」
 やれやれ、と須賀は大袈裟にゼスチャーしてエレベータからフロアに歩いた。
「リカくん、ご苦労様。そろそろ交代だ。その物騒なバッグは彼女に託して、一休みしてくれ。向こうの階段、あそこから速河たちが出てくるだろうから合流するといい」
「残り十秒で入り口前を占拠するぞ!」
 フロアに据えたブレンガンを持ち上げつつ、神和が怒鳴った。
 ドドドン! 最後の一発を撃ち終えたブレンガンを床に放り投げ、神和は両手にサブマシガンを握った。
「部屋にどれだけ残ってるか不明だけど、突撃……」
 神和の科白が止まり、フロアがいきなり静かになった。キチキチ、とブレンガンのマズルが熱で伸縮する音が大きく聞こえる。
「へ……変なのが出た!」
 サブマシンガンを構えたまま神和が叫んだ。どうやら耳が麻痺しているらしい。変、とまでは言わないが、確かに奇妙だった。大柄の黒人でアロハシャツを着ているが、武器らしい武器はない。その隣にこちらも黒人。太めで脇に拳銃があるが、両手にはなにもない。
「さすがに、丸腰相手に発砲ってのは抵抗あるなー。いや、撃っちゃうほうが早いのかな? えーと、フリーズ!」
 神和が警告しつつサブマシンガンを向けるが、大柄は無表情で、太めはニタニタしつつこちらを見ている。
「神和さんも一休みして下さい。最終決戦はもう少し先でしょうから、ようやく俺の出番といったところだ」
 薬きょうを踏み、焼けたブレンガンをまたいで須賀はロイヤルスイート入り口に歩きつつ、両手をブンと振り下ろした。ジャカッ! 金属が摺れる音と同時に須賀の両腕から銀色の突起が伸びた。
「うわ! もみあげウルヴァリンが爪出した! やっぱし葵の息子はミュータントか!」
「アホは黙っとけ。橋井、一服せい。ほれ、コーヒーや」
 ポットを持った露草とリカはエレベータで休憩し、両手に伸縮警棒を握った須賀が、ゆっくりと黒人二人に向かう。

 ドン、と音を立てて扉が開き、リーと久作が二十二階の通路に出た。角を一つ曲がると、火薬と血、埃が充満していた。煙る中に二人が見えて、その向こうに桜桃ブレザー姿の須賀恭介があり、すぐ後ろに赤いウインドブレイカーの神和がいた。
「ミコさんはまだ部屋に入っていませんですね」
 リーが言うと太めの黒人が振り返った。脇に拳銃を下げているがそれを抜くでもなく、ガムでも噛んでいるのか、ニタニタした面構えが動いている。
「須賀? 状況は?」
 リーに並ぶように慎重に歩きつつ、久作は尋ねた。
「見ての通りだ。神和さんが相当数を始末したんだが、弾切れ直後にそこのご両人が出てきた。用心棒だとかそんなだろう。射殺してしまってもいいと俺は思うんだが、まあいい。神和さんにばかり任せていたし、遅ればせで俺の出番、そんなところだ」
 銀色の、ステンレス伸縮警棒を両手の須賀が入り口前の二人と距離を詰める。神和はいつでも発砲できるようにMP5を構えているが、射線がリーや久作に重なるので撃ち辛いだろうとも解る。更に距離を詰めた須賀に対して、大柄の黒人が大きな拳を二つ作って構え、須賀を睨み付けた。
 身長は二メートルを越えて、アロハシャツの下は筋肉の塊で手足は長くて太い。ボクサーかプロレスラーか、そんな雰囲気だ。須賀からは見えない背部、腰にヒップホルスターがあり、大型リボルバーが収まってもいる。一方の小柄で太めの黒人はリーに向かって散歩でもするような様子で歩いてきた。脇のホルスター以外に武器はなく、構えるでもない。前に出ようとした久作をリーが制して、リーも同じく歩き出した。
 ブン、と風を切る音がする強烈な右ストレートを右の警棒でさばいた須賀は、すり足と同時に左を撃ち込む。ストレートで空いた脇腹を狙った警棒がドンと鈍い音でヒットする。が、大柄の黒人はその打撃を無視して左拳を放った。こちらも強烈に早い。須賀は右の警棒で拳を受け流し、左で脇腹を狙う。再びクリーンヒットだが黒人は顔色も変えずに、今度は右足を振り上げた。ストレートと同じ速度の重たい蹴りを須賀は二刀でさばき、右の脇腹に二撃、ドドンと警棒を叩き込む。だが、ハイキックを降ろした黒人は殴られた場所をちらりと見ただけで、また構えた。
「これはまた、厄介だな」
 ふう、と小さく深呼吸した須賀が呟いた。須賀は剣道の有段者だが、二刀流なので部活動には参加していない。腕前は剣道部主将を秒殺し、大学大会入賞者も同じく秒殺するほどだが、おそらくキックボクサーであろう大柄の黒人は、そんな須賀の二刀を脇腹に受けて、それを筋肉でガードした。竹刀ではなく金属製の警棒の打撃を。つまり、この黒人に打撃は通用しない。神和の持つマシンピストルでも致命傷を与えるのは難しいかもしれない。須賀の一撃は9ミリ銃弾より破壊力があるが、それをこのキックボクサーはガードするでもなく筋肉だけで跳ね返した。須賀よりも二周りほど大柄な相手なので頭部を狙うのは難しく、重くて速い両方のストレートとハイキックをさばいた動きから打撃に繋ぐ須賀の動きは本気だが、体でそれを受けるというのはまるでプロレスラーだ。須賀が試合ではなく実戦寄りの剣道を扱うにしても、これは面倒で厄介だろう。
 普段なら須賀の一撃がヒットすればそれで終わりだが、今は相手の一撃を貰えばそれで終わりだ。須賀が苦戦する姿は初めてだが、そんなことを考えているうちにもう一人の、キックボクサーに比べると小柄にも見える黒人がリーに寄った。
 バン! リーの右足が地面からニヤけた黒人に飛んだが、ジャックナイフのようなリーの蹴りを黒人は左手で弾いた。見た目からは想像出来ない機敏な反応に、久作は驚いた。右足を浮かせたままリーは止まり、とん、と右足を下ろし直線の左足を突き出す。バン! 相手はこれも弾いた。いや、正確には受け流した。回し蹴りの動きからの直線の蹴りをニヤけた黒人は両手でさばいて、裏拳を放った。まるでリーの蹴りの勢いをそのまま返すようなカウンターの裏拳は、リーの両肘でブロックされる。バン! とこちらも派手な音がして、リーはブロックした体勢から左拳を突き出すが、またしても受け流し、ヒットしない。太めでニヤけた黒人はリーを嘲あざけるようにガムをくちゃくちゃと噛み、しかし無言。対するリーも無言で、普段の笑顔は険しい表情に変わっていた。

 ―― 一階ロビー。橘綾、方城護。
「何だこいつら! 須賀恭介とラピッドファイヤーが苦戦って! データ検索!」
 二十二階の様子を監視モニターとリカのCCDカメラで観ていたアヤが慌ててデータベースを閲覧した。ノワールの帳簿やメンバーリストといった、警察捜査の決定的証拠になりそうなもので、これは後日、警察に提出するつもりだった。
「……出た! こいつか! チェット・アトキンス、アメリカ国籍。入国記録は削除されてるけど、阿久津の南米時代からのボディガードってところか? んで、もう一人は……クリス・インペリテリ。フランス国籍だけど、年齢なんかは偽造だろうね。こっちはノエル・ギャラガーと安部との連絡係兼用心棒か。アトキンスのほうはキックボクシングで、クリス・インペリテリってのはマーシャル……いや、コマンドサンボ?」
「サンボってあの踊りの?」
 方城護が訊いて、アヤが口をぱかん、と開けた。
「そりゃサンバだ! コマンドサンボ! ロシア、旧ソ連の軍隊格闘だよ! あんな体でラピッドファイヤーと互角って本物だな。いや、あんな見た目ってのはそれ自体がフェイクで、拳銃を使わないってことは……諜報系? チェーカーか?」
 ノートPCをばたばたと叩きつつ、アヤは独り言に熱心だった。
「チェーカーってのは元KGBとかKGB崩れとか、そんなだよ」
 方城から質問が来るより先にアヤは説明し、続ける。
「KGBってのは旧ソ連の諜報機関、ソ連国家保安委員会。通称がケージービー、もしくはカーゲーベー。崩壊と同時になくなったってことになってるけど、工作員は世界各地に分散してて、その一部をマフィアなんかが拾い上げてるって噂。要するにCIAとかロシア版のダブルオーセブンだな。直系で現存してるのはロシア連邦保安庁。麻薬王ノエルくらいになったら側近にチェーカーがいても不思議じゃないけど、恐ろしく現場慣れしてるこの手合いは面倒だぞー」
「橘さん――」
 通信は屋上を占拠して下っている公安のサミー山田だった。
「――クリス・インペリテリは我々公安がマークしている一人だが、安部祐次とノエル・ギャラガーの麻薬の線で浮かんだ一人だ。年齢と国籍はダミーだろうし、経歴は抹消されている。ノエルの隣にちらちらと姿を見せる奴だが、そいつが元KGB?」
「あくまであたしの想像だけど、軍人、元軍人なら格闘戦なんてしないっしょ。しかも使ってるのがコマンドサンボなら西側ってのは確定で、フランス辺りならサバット。拳銃を使わないのは痕跡を残さない隠密行動が原則で地味で目立たないように動くから。その上でユーロ圏の麻薬王ノエルと同行してるんなら、バックの組織を持たないフリーランス。単独でラピッドファイヤーと互角に戦える腕前ならチェーカーって線は強いと思うよ」
「だとすると……」
 通信の向こうでサミー山田が考え込んでいた。
「黒海沿岸のテロリスト安部祐次と南米から力押し企業の幹部の阿久津零次。この二人が日本で共闘する理由が見当たらず、また、二人の活動範囲も重ならずで、二人を繋ぐ人物を探していたんだが、ノエルの側近に元KGBがいるのなら構図はぼんやりと見えてくる。ノエルの市場はユーロ圏で日本を拠点にアジアマーケットを開拓、これがノエル・ギャラガーの狙いでそれに阿久津零次が乗った。安部祐次とレッドスターはトルコ、シリア、ヨルダンで活動するための資金を阿久津とノエルから得る。見返りは……アラビア半島の麻薬市場といったところだろう。だが、やはり日本で、誘拐という動機にするには弱い。資金源なら他でいくらもあるだろう。仮に安部に日本に対する思想的背景があれば別だが」
 うーん、とアヤは唸って、返した。
「安部祐次が日本とか自衛隊とかに何かってのはないんじゃないかな? PKOとかセルビアでの戦争体験なんかで思想掛かった風になってるなら、真っ先に狙うのは政府関係者とかの要人でしょ。大使館、領事館、それか自衛隊駐屯地、この辺りを狙って声明を出す。そんなならチンピラのノワールと一緒ってこともないだろうし、同志と行動するでしょ。単なる資金集めで誘拐だとして、それがビジネスライクなものだとしたら、警察にマークされてる阿久津零次、ノワールと一緒ってのは賢くない。リトルトーキョーに潜伏するにしてももっと目立たない組織はいくらもある。ノワールはスネークテイル絡みで中国公安にもマークされてるんだから大袈裟なことやるには向いてないしさ。ただ……」
「ただ?」
「そもそも速河久作が今回の作戦を思い付いたきっかけ、あれをどう解釈するかで話は全く変わってくるね」
「合衆国に対する……挑戦?」
「それをそのまんま鵜呑みにするのはどうかと思うって、そんだけ。パートリッジからのアクセスがうっとおしい! 伝説のクラッカーだか何だか知らないけど、ウルトラアヤちゃんナメんなー!」

 ――二十二階、ロイヤルスイート前の廊下。
 ブンと風を切るチェット・アトキンスの右ストレートはまるで大砲のようだが、須賀恭介はそれを二本の警棒でさばいて、ぐるり、警棒で脇腹を再び殴り付けつつ、すり足で移動する。続く左ストレートもさばいて空いた左脇腹に二発の打撃を入れるが、アトキンスにダメージはないように見える。
 脇腹を狙える距離に入ると膝が飛んでくるが、須賀はそれを紙一重でかわしつつ、真横から背中を警棒で叩く。須賀に向けてタックルを仕掛けてきたアトキンスがそのまま壁に埋まり、それをよけた須賀は更に二発、脇腹を打つ。肩を壁に埋めたアトキンスがゆっくりと出て来て須賀を睨み、構えた直後にローキックを放つ。須賀はそれを左の警棒で叩いて流しつつ移動し、距離をとる。
「全く、不愉快な奴だな、この大男は」
 下段に構えた須賀が珍しくぼやいた。
「有効、一本を二桁で入れていて涼しい顔とは。竹刀では不足だろうと警棒を持参したが、こんなことなら日本刀でも持ってくれば良かった。それにだ。俺は短期決戦が基本で、この無神経な鈍感男などと遊ぶ趣味もない」
「須賀くんが、苦戦してる?」
 エレベータから恐る恐る顔を出すリカが不安一杯の表情で呟く。リカが知る須賀恭介は高等部からだが、須賀が竹刀や木刀を握った場合、相手がナイフを持とうが凶暴な大人だろうが、たいていは三十秒以内で勝負が決まっていた。それが二刀の場合はその半分、十五秒といったところ。普段は本を片手に嫌味を撒き散らす変人だが、いざ武器を持てばまさしくサムライで、速河久作にも負けない無敵ぶりだった。そんな須賀の必殺を目一杯喰らっているはずの大柄の黒人、アロハシャツを着た男は、気絶どころかよろめきもしていない。アロハシャツのパンチやキックは強烈で、空振りに終わっているが唸りはリカの位置でも聞こえる。タックルは壁に大穴を作り、力任せの大技でも相当な威力だと解る。
 ドッ! と鈍い音で須賀の警棒が大柄の膝、ジーンズを横から打つが、こちらも筋肉で跳ね返した。
「神和さん!」
「援護射撃ってか? あんだけ密接してて、しかも後ろにリーさんとかいるから、それはちょいと難しいぜ?」
 両手にサブマシンガンを構えてはいるが、言ったように撃てる状況でもないので神和はロイヤルスイート入り口をちらちら見ている。
「あたしが警棒で加勢って手もあるんだけど、観てる限り薫子ちゃんの弟くんはソロファイトタイプで、あたしも同じく。呼吸合わせてなんて器用な真似を、あんな大物相手に即席でやるってのはどうもねー。おっ? リーさん、まだ苦戦してる。あっちも大変だなー」
 チェット・アトキンスと須賀恭介の攻防に比べて、リーとクリス・インペリテリは三倍ほどの速度だった。リーがパンチの距離に寄ってコンパクトな動きから鋭い拳を突き出す。中国拳法の形意拳けいいけんは点と点を最短距離で繋ぐ剛拳で、一撃の破壊力に重点を置いている。太極拳などに比べると地味に見えるしマーシャルアーツというイメージにも遠いが、強力である。左右の拳にローキックを交えて繰り出すリーだが、全ての打撃を太めの黒人は受け流して、ショートレンジから肘などを出しつつリーの関節を取ろうと手を伸ばす。
 インペリテリはリーの打撃を受け流しつつショートレンジの打撃をカウンタータイミングで出す。裏拳や平手打ちに見えるそれはリーの関節を狙うもので、リーはこれを二つの拳で迎撃している。剛拳打撃の形意拳と関節を狙うコマンドサンボは相性が悪いらしく、どちらも決定打に欠ける。
 アヤがカメラ越しでコマンドサンボだと気付いたのは、クリス・インペリテリの動きが格闘ゲーム「ミラージュファイト2」でこれを使うキャラクターがいたからだった。その特徴的な動きと常に関節を狙う辺りからアヤはコマンドサンボだと気付くのだが、ゲームでもあるまいし、中国拳法とコマンドサンボが激突するとは思ってもおらず、また、アヤが中国拳法ファンということからリーなら勝てると確信していたので、コマンドサンボ使いは須賀恭介が苦戦しているキックボクサーよりもインパクトがあった。
「神和さん」
「速河さん」
 須賀とリーがほぼ同時に言った。
「こいつは俺が抑えておきますから、前村歩くんの所へ向かってください」
「この人は僕が止めます。速河さんはアベとアクツからアユム・マエムラを救出して下さい」
 須賀もリーも、相手をすぐに行動不能に出来ないと判断したらしく、それぞれの後続に本命に進むように指示した。
「ホークアイより各機。突入からかなり時間が経過してる。そこは二人に任せてパッケージ・ホップを救出だ。オッサンと公安はそのままルート確保。残りは目標へ」
 須賀とリーは苦戦しつつも、二人の黒人を入り口から引き離しにかかった。
「了解。橋井さんと葵はあたしの後ろだ。あんだけ撃って増援が出ないってことは打ち止めってことだろうから、残すは本命だ」
 言いつつ神和はスポーツバッグを漁って、目当てのものを取り出した。
「合図と同時に突撃。あのアロハの横を一気に抜けて部屋に入るぞ、さん、にぃ……」
 キン、神和はグレネードのピンを抜き、振りかぶる。
「いち! 八秒後にスタン! ゴーゴー!」
 須賀とリーの中間辺りに放物線でグレネードが落下し、神和、リカ、露草がダッシュした。反対から久作も走り、ブレンガンで蜂の巣になったドアを突き破った。
 ドン! スタングレネードが爆発して、フロア全体が揺れた。
 ロイヤルスイートに飛び込んだ神和は前転しつつ左右にサブマシンガンを向けて、アールヌーヴォー様式の箪笥を蹴って止まり部屋を見渡した。神和から見て右手に衝立とバスルーム、キッチンスペースで、左は大型モニター完備の応接スペースとトイレ。ブレンガンで下半身を撃ち抜かれた兵隊がダースで入り口傍で呻いていて、応接スペースの壁には大穴が空いていた。その穴で二つのロイヤルスイートを繋いでいるようだった。最上階だからか天井がやたらと高く、窓も大きい作りになっていて、浅くて鮮やかなペルシャ絨毯や猫足の椅子、絵画などの間に最新オーディオ機器があった。
 行動不能にした兵隊を除いて見える範囲に五人いた。アルマーニのダブルスーツは阿久津零次。一度の授業、科捜研からの資料とマナミレポートにあった通りの、理知的な風貌だった。隣に座るのは、大柄だが細身の紺スーツにレイバンタイプのサングラス、国際指名手配の安部祐次。資料よりも老けて見える。ソファに座る小柄な桜桃ブレザーは前村歩、パッケージ・ホップだ。残り二人に見覚えはない。
 一人は女性。OLかキャリアウーマンのように見える赤いフレームの眼鏡で服装はチノパンにブラウスと軽装で、見た限りでは武器はない。もう一人は初老の小柄な男性。薄い頭髪の代わりに黒いヒゲがどっさりとあり、目付きがやたらと鋭い。こちらも銃やナイフを持たず険しい表情だった。神和は入り口ドアや隣のロイヤルスイートと繋がる壁にMP5を向けて警戒するが、伏兵も増援もない。
「こちら神和! 現場確保! パッケージ・ホップを肉眼で確認! 敵は四! 但し、抵抗の様子はなし! オーバ!」
「ホークアイ、こちらも確認した。無用の交戦は避けられたし。予想通りでパートリッジは別だな。状況をアップデート。パッケージ・ホップの保護が最優先。退避ルートは確保済み。そちらの様子はグレイハウンドから把握してる。パートリッジはシステム掌握を放棄したらしい。ホテルのシステムはこっちで完全に押さえた。県警のCARASとリンク、室内カメラの映像が復活した。パッケージ・ホップ、マーク。安部! 聞いてるか? こちらはホークアイ、本作戦の指揮官。チェックメイトだぞ!」
 ロイヤルスイートの天井スピーカからアヤが宣言し、応接スペースに腰掛けていた安部祐次が、くくく、と笑った。
「成る程。いや、しかし、実際驚いたさ。これほど単純で、それでいて効果的な作戦行動を日本警察がやれるとは思っていなかった。俺や俺の部下の技量はまあ、自慢するくらいのものだが、ことごとく裏目に出た。陽動と奇襲と特攻をセットにした作戦なんてものを軍人はやらないし、立案したところで実行できる兵は少ないからな。しかし、ホークアイさん? チェックメイトには程遠いぞ?」
 安部祐次はケータイと無線機を応接テーブルに置いていて、アヤの声は天井と合わせて三つから響いている。返す安部の声もアヤに伝わっていた。
「脅しても無意味だよ。増援も補給も撤退ルートもない兵士なんて、もう兵士じゃない。ただのチンピラだ。スタンドアローンの軍隊なんてナンセンス。そこで人質なんて考えても無駄だぞ? ウチのポイントマンが銃を向けてるんだから、それくらい解るだろう?」
「そこに異論はないさ。ここまでされたら人質なんて無意味だし、須賀恭介くんとの約束で、前村嬢は危険に晒さないことになっている。だが、こちらの要求した二つのどちらも出てこないというのは、どうかと思うが?」
「セルゲイ・ナジッチはともかく、身代金を渡したところで、それ持った当人が逮捕されるんだから渡すだけ無意味じゃん。それでもいちおう現金の準備はしてるけど、受け取ってどうすんの?」
 くくく、と再び安部は笑った。
「ミス・ホークアイ。そちらの作戦は完璧だが、その目的が前村嬢の奪還である以上、そこまでなんだよ。解るかい? 俺が彼女を解放すれば、そちらはそれ以上俺に何も出来ない。そもそも俺をどうこうするというのは作戦に組み込まれていないだろう? つまりだ。チェックメイトには違いないが、チェックされているクイーンはこちらにとってポーン程度の価値しかないと、そういう意味だよ。奪いたければそうすればいいが、だからといって俺の予定が少し狂う、その程度で、ゲームはまだまだ続くんだよ」
「ホークアイより各機、状況をアップデート。ボギーワン、パッケージ・ホップを保護だ」
 指示された久作は応接スペースの隣にある大きなソファ、前村歩に向かってゆっくりと歩く。敵らしきが四人だが神和がカヴァーアップしているし、安部や阿久津も動かなかったので前村歩に辿り着いた。
「初めまして、じゃないけど、速河です。前村さん、怪我はないですか?」
 優しく言う久作だが、前村は呆然自失といった様子だった。部屋の前で機関銃掃射が続いて、グレネードが爆発すればこうもなるだろう。久作が差し出した手を前村が握るが、前村の手は冷たく汗まみれだった。少し力を入れて引き起こすと、前村は随分と軽かった。体格はアヤと同じくらいで、髪はレイコより少し長いショートボブ。表情に感情こそないが、可愛らしい印象だった。ソファから立ち上がり、久作が腰に手を回して支えると前村はそこに体重を乗せて、久作と並んで歩いた。足取りはまだしっかりとしていた。安部か阿久津かの視線を感じつつ歩き、神和の横を通ってリカと露草のところまで進み、二人に前村歩を預けた。
「こちらボギーワン、パッケージ・ホップを保護。外傷ナシ。疲労が若干――」
「ボギーワン? 速河久作というのは、きみか?」
 背後から安部に言われて、久作は振り返った。そういえば最初、自分の名前で突入予告を出した。安部祐次が自分の名前を知っているのは当然だろう。
「そうですが、安部さんでしたっけ? アナタと僕はもう無関係だ」
「この作戦の立案は、きみなんだろう?」
「だとしたらどうなんです? 悔しいから報復とか、そんな話ですか?」
 くくく、と再び安部は笑った。アヤとの会話から感じているかすかな違和感、正体不明のそれが増す。
「いやいや。これでも俺は軍人で、そんな下品な真似はしないさ。いち指揮官として、こんな大胆で効果的な作戦を考えた相手に敬意と拍手、そんなところさ。パートリッジが前村歩の周辺は洗っていたが、きみの名前はなかった。俺と交渉した須賀くん、外の彼の周囲も少し探ったが、学校の成績以外に大した情報もなかった。つまり、文字通り俺ときみは初対面で、まあそちらが俺のことを詳しくても、俺はきみのことは知らず、調べても情報が出てこないというのはそんなものがないからだと、そうだろう?」
「それはそうでしょう。僕はどこにでもいる高校生で、学園でも地味なほうだし、隠しておく素性だのもない。そんな相手にしてやられたと思うのは勝手ですけど、別に僕でなくてもこれくらいはやりますよ」
「要するに、きみやきみの仲間にとってこの作戦は成功してもう終了間近だと、そう言いたいんだろう?」
「……安部さん? 腹の探りあいみたいなこと、止めませんか? アナタが言った通りでこっちは目的を達した。そちらに何か思惑があったとしても、それが前村さんや僕らに無関係なら、僕はもうアナタと関わりを持たない。ここから先は警察なんかの仕事で、僕は警察でも軍人でも政治家でもない。夏休みを待ち遠しく思う高校生で、テロリズムなんかとも無縁だ」
「速河くんは俺を見逃してくれると?」
 そんなことは微塵も考えていないであろう安部の口調に、久作は溜息を吐いた。
「僕がどうこうなんて、どうでもいいでしょう? アナタの目の前に警察官がいて、この建物にも何人か警察官がいる。誘拐犯であるアナタは逮捕されて、それが報道されるかどうかはともかく僕とアナタは以降、無関係になる。アナタが脱走してどこかでテロを起こそうが、もう僕には無関係なんですよ」
 安部祐次という男と喋っていると疲れる、そう感じた久作は再び溜息で振り返り、露草を見た。簡単な診察で前村はどうやら問題ないらしく、煙草を咥えて黙っている。リカは露草の後ろにピタリと張り付いて、通路の須賀をちらちら見ている。鈍い音の応酬で、まだリーと須賀は戦っているようだった。入り口傍で呻いている人だかりは血まみれだが、致命傷ではないようだった。屋内階段からでも神和のブレンガンの音は聞こえていたが、戦意と戦闘力を削ぐだけで命を奪わないというのは大した腕前だった。機関銃では精密射撃など無理だろうが、それに近いことを神和はやったらしい。今もハンドガンではなくサブマシンガンを両手に構えている。スタングレネードまで使って、とても警察官には見えない。
 ともかく前村歩は無事に保護した。須賀とリーの決着はまだだが時間の問題だろうし、退路は乾警部補とサミー山田巡査部長が確保している。みんなを連れて県警本部に戻り、医務室と仮眠室で一眠りしてから事情聴取を受けて、学園に顔を出してそのまま夏休みに突入。海か山へツーリングでもいいし、リカちゃん軍団と一緒にどこかに旅行でもいいし、チェリービーンズでのんびりするのもいい。チンピラに連れ回された葉月巧美も少し気になるので、奈々岡鈴らと一緒に食事なんてのもいいだろう。裏で活躍してくれた理事長、天海真実にお礼の一つもしておきたいし、警察関係にも同じく。
 高校生が扱うには大きすぎる事件ではあったが、どうにか思った通りに終幕となった。自慢のGショック、タフソーラーを見ると十七時二十分。突入からもう十五分以上経過していた。安部の言動に気になる点は幾つもあったが、その隣に西洋史の阿久津零次がいようが何だろうが、事件とは無関係に夏休みになれば顔を合わせることもなく、その人物が逮捕されようが送検されようが久作にはどうでもよかった。面倒ではあったが前村歩は無事で、事態は収束しつつある。後は他に任せればいい。
「これがゲームや映画だとして、もしも二つか三つのシナリオが同時進行していたとしたら、その一つを潰したきみはどう思うのかな?」
 安部祐次が低く通る声で言った。それも久作個人に向けて。
「ミス・ホークアイとやらのチェックメイトは、俺に対するものじゃあない、そんなシナリオさ。速河くんとは無関係に見える、しばらくは実際に無関係なそのシナリオは、誰に知られるともなく進行中、といった具合だ。無縁だから傍観を決め込む、観客に徹する、それもアリだろう。だが、いずれ遠くない先できみやお友達はそのシナリオのキャストになる。そのときにきみは、また今回みたいな作戦で俺に向かってくるのかな?」
「……何が言いたいのか解りませんが?」
「俺が気になるのは一つだけさ。速河くん、きみは自分のコールサインをボギーワン、そうしていた。だが本来、ボギーワンというのはアンノウン、未確認の敵勢力に対するコールサインだ。ホークアイ、グレイハウンド、プラウラー、これはいい。しかし自分をボギーワンと呼ばせる、ここが俺には引っかかるのさ」
「意味なんてありませんよ、思い付きです。以前にそんなものが必要だったから適当に決めて、それをそのまま流用してる、それだけです」
「今回の俺の敗因は、ホークアイなるチャーミングな指揮官を押さえられなかったことなのか、はたまた、こんな作戦を立案した本当の指揮官を潰せなかったことなのか、それを想定していなかったからなのか、どうだろう?」
「解ってるんでしょう? 安部さんは。そして今は悩んでいる。今のうちに僕を潰しておくべきなのか、ただの高校生だから無視しておけばいいのか。つまり、安部さんからは僕はボギーワン、正体不明の勢力だと。作戦が成功したのは必然ですが、二度とアナタと関わることはないでしょう。別のシナリオというのが僕の周囲と関係があったとしても、アナタも僕も同じことを繰り返すようなタイプじゃあない。失敗も成功も」
 投げやりに言う久作に対して、安部は再び笑った。含むようにではなく、大声で。
「ははは! 速河、久作くんだったか、きみは須賀恭介くんとは全く違うようだ。俺はきみという人格がどういうものなのか、サッパリ意味不明だが、そんな相手にしてやられたのは紛れもない事実でもある。ボギーワン、速河久作くんか。またきみと関わる機会はあるさ、きっとな」
「ヘイヘイヘイ、もういいだろ? 仕事させろよ」
 二人の会話を黙って聞いていた神和がぼやいた。
「安部祐次、阿久津零次。県警三課だ。誘拐、銃刀法違反、偽計業務妨害、器物破損、公務執行妨害、その他モロモロの現行犯で逮捕だ。バッヂはここだよ」
 赤いウインドブレイカーを開いて、神和はジーンズのベルト部分にぶら下げたバッヂを見せた。
「三課? 刑事部捜査第三課、組織犯罪対策室とかいう奴か。お前、階級は?」
「はぁ? 巡査部長だよ。下っ端で悪かったな。っつーか、可憐な女子に対してオマエは失礼だろが、このクソテロリストが。司法解剖に回されたいってか?」
 ははは、と大声は安部からだった。
「お前が巡査部長だろうが警部だろうが、逮捕なんてのは無意味だ。今回のことが正式な捜査なはずもないし、お前が持っている武器は警察が使うには物騒で、後ろには高校生。こんなことをお前の上の連中が見過ごすか?」
「ヘイ、チキン、がちゃがちゃうるせーよ。失業したら学校の先生でもやるし、上の連中のご機嫌伺いはあたしの仕事じゃねーんだよ。エクスミリタリー風情が偉そうに喋ってんじゃねー。行政解剖がご希望か?」
「巡査部長? お前も、別のシナリオにキャスティングされてる一人で、ボギーワンと似たようなものなのさ。逮捕したけりゃしてもいいが、三課だかのお仲間が吹っ飛ぶ姿なんぞ、見たくはないだろう?」
「はい、恐喝。ついでに警官侮辱罪も追加。ヘイ、ミスター・テロリスト、お前、喋れば喋るほど服役期間が長くなるぞ?」
「巡査部長、それにボギーワン。ホークアイもだが、前村嬢奪還はフィナーレには違いないが、それも数あるシナリオの一つに過ぎない、ここを忘れるな」
「はいはい。シナリオだ何だって含みのある科白、あー、怖い怖い。サイクロップスくんが言ってただろ? そん時はそん時。所詮は下っ端のあたしは、やれることをやっとくって、そんだけだよ。もっと喋りたいんだろうけど、続きは日雇い弁護士とでもやってろ。お前にだけ構ってるほど警察は暇じゃねーんだよ」
 吐き捨てるような神和に対して、ソファに座るサングラスの安部祐次は紺スーツを折って、くくく、と笑った。

第十一章~前村歩と全世界の支配者なる運命の女神(前編) ―ブランツィフロールとヘレナ―

 久作が発案してアヤが指揮を執った作戦、オペレーション・オーマイガッ! 最優先目標である前村歩、小柄な高等部同級生は無事に保護した。
 ホテル一階ロビーからロイヤルスイートまでで相当数の武装した敵を行動不能にもして、最上階のここには県警三課の巡査部長、MP5マシンピストル二挺を持った神和彌子もいる。テロリストとして国際指名手配されてICPOと日本の警視庁公安もマークしていた安部祐次は、紺スーツにサングラスでソファに腰掛けている。隣には桜桃学園高等部の西洋史教師、阿久津零次。こちらは県警三課・組織犯罪対策室がノワールの幹部としてマークしていた。三十代の女性と初老の男性が他にいるが見た限りでは武器の類はなく、また仕掛けてくる様子もない。部屋の入り口外で須賀恭介とリーが黒人二人を相手にしているが時間の問題だろう。
 つまり、リーダーであろう安部祐次は手詰まり、アヤの言う通りに状況はチェックメイトの筈だが、肝心の安部は笑っている。隣の阿久津零次も口元を緩めている。つまり、と久作は内心で繰り返す。サミー山田巡査部長と乾警部補が屋上と階下への両ルートを寸断しているこの状況にあって安部はまだ、手札を残してるらしい。挟撃、ホテル入り口か屋上からの増援を警戒するが、ロビーのアヤからも、屋上に待機しているらしいレイコからもそれらしい連絡はない。ならば、その切り札というのは安部祐次の手の内にあって、それは神和の向けるマシンピストル以上の威力があり、ルートを寸断している人員配置を突破できるだけのものなのか。
「世界は想像よりもシンプルなんだよ」
 口を開いたのは阿久津零次だった。この教師の授業での印象は悪くない。見栄えもいいし話の内容も高校教員にしては面白くて理知的だ。まっとうな教師に見えるその阿久津が、神部市リトルトーキョーを拠点にする犯罪グループ、ノワールの幹部で、今はテロリスト安部の隣にいるというのは、桜桃学園理事長である天海真実の作成したマナミレポートがなければ違和感どころではない。
「金と力、これが全てさ。歴史を見れば明白だろう? ぼくが金を、利益を追求するのは企業の一員だからで、企業というのは大小違えど利益を追い求めるもので、それ以外に存在意義なんてないのさ。モノを作る、それを売る、金を払ってモノを買う。これが世界の全てだよ。そこには理念も主義もない。浪費することそれ自体が目的で、自販機が賢くなれば自販機同士がケンカでも始めて、これが戦争さ。速河くん? きみのクラスでは授業はまだ一度だったかな? 高校生と言ったってそれくらいは解るだろう? 金で買えないものはない。力の全ては金で支えられていて、きみの着る服、食べるもの、全てが力の代価さ」
 阿久津零次の口調はまるで西洋史の授業のようだ。喋るのが得意らしく詰まったり淀んだりもなく、舞台俳優さながらだ。だが、言っていることは……。
「阿久津先生。アナタは――」
「速河、止め」
 遮ったのは煙草を咥えた露草葵だった。普段の白衣ではなくジーンズとライダースジャケットで久作の隣に立ち、口から白い煙をゆっくりと吹いている。
「このボンボンはアレや。地図から世界を見とるとか、そういう人種や。視点が高すぎて細かいことが見えん、アホの典型やわ」
 肺の奥から紫煙を吐いた露草は、ケータイ灰皿に煙草を押し付けて次を咥えた。
「露草先生? アナタがどうしてここにいるのかは知りませんが、アナタとは一度、ゆっくりとお話をしたいと思っていたんです。ぼくは頭のいい美人というのは嫌いじゃあないんで」
「既婚者を口説こうとすんな、アホが。お金が大事言うんはまあ解るけどや、それしか見えんアンタは企業家としてもセンセとしてもダメやわ」
 マルボロマイルドの煙をわっかにして浮かばせ、露草はナイフのような眼光を阿久津零次に向けている。阿久津零次のほうはそれを笑顔で流している。
「金しか見えないんじゃあなく、金しか見てないんですよ。それを使う人間の表情だの感情だのは商売にはさほど影響しない。精々がマーケティングで嗜好を探ってそこに商品を流す、その程度で、世界規模の商売になればいちいち個人を観ている暇なんてありませんし、その必要もない。消費者は永遠に消費者で、そこに商品を流す人間だってぼくから見れば消費者だ。これを国や世界規模で管理するのに個人の考えなんて無意味ですよ。世界を地図の上から見ている、そう、まさしくそうです。大きな会社に勤めていれば自然とそういう視点になるし、この視点でなければ世界規模での商売なんて出来ませんよ」
 阿久津零次の言い分は一見すると正論だが、何かがおかしい。監察医の鳳蘭子の科白に似たようなものがあったが、どこか違う。まだ高校生の自分だって親から小遣いを貰っている。そうして得た金は娯楽だったりに使う。つまり、久作も阿久津の言う消費者だ。自販機のジュースを作っているメーカーが久作個人の嗜好を考慮している筈もなく、だから自販機にはずらりと、久作が選ばない各種飲料がならんでいるのだ。コンビニや書店に並ぶ商材にしても大半は久作には不要なものだが、それを必要としている人間がいる。自販機やコンビニに商品提供側として参加している人間が、速河久作という個人を想定しているとは到底考えられない。つまり、阿久津零次の科白に間違いはない。
「アホがアホな理屈で動くんは、それこそ歴史の教科書通りやわ。アンタが観てるんは世界地図やのうて、マンホールの蓋や。あの丸っこい鉄板とずっと喋っとったらええねん、けったくそ悪い」
 ふっ、と強く煙を吹き、露草が吐き捨てた。
「アンタがアホの理屈やろうとテロリストと一緒やろうと、どうでもええねん。前村歩も怪我ないからまあええ。でもや、四駆のエバでウチのラベルダちゃん、ど突いた。これ、どないしてくれんねん? ラベルダちゃん、入院やで?」
 阿久津零次の理屈をどう露草が論破するのかを期待していたのだが、露草はどうでもいいと切り捨て、露草がここにいる理由、本題に入った。
「ああ、あれはまあ、ちょっとしたお遊びですよ」
 小さく吹き出して阿久津は続ける。
「蘆野山には走りの知り合いがいてですね、そこを我が物顔で走る派手なバイクというのは何と言うのか、うっとおしかったんですよ。殺すつもりなんてありませんでしたし、実際、大した怪我でもないでしょう? その程度で済むように調整しましたしね」
「……うっとお、しい?」
 露草葵、桜桃学園スクールカウンセラーにして医師免許と臨床心理士の資格を持つ彼女は、久作ではないが普段はポーカーフェイス。鋭いクールな美人が呆けてどうでもいい雑談を煙草の煙と一緒に吐き出すのが毎日だ。その露草から明らかな感情が吹き出している。白衣ならその裾がなびくような、そんな感情は明確な怒気だった。
「それと、エバと言うのはひょっとして、ぼくのランサーですか? だったらエバじゃあなくてエボ、ランサーエボリュー――」
「やかましいねん」
 口調も音量も普段通りなのに、露草の声はまるで突き刺さるように阿久津零次に飛んだ。
「エバはエバやろ。四駆やか五駆やか六駆やか知らんけど、エバがどんだけ偉いねん」
 口から煙と弾丸のような科白を吐きつつ、露草がずんずんと歩く。怒気を放ったままでミドルブーツが前後している。突然の露草の豹変に神和彌子もリカも前村も、安部祐次も声が出ないようだった。久作は絨毯を踏みしめるように歩く露草を目で追って、その先、阿久津零次がアルマーニのスーツに手を入れて、大型のリボルバーを抜く仕草に声を出そうとしたが、上手く声にならなかった。
「言ったでしょう? 金と力が全てだと。ぼくのランサーは力で、この拳銃も同じく。アナタのような美人を傷付けるような真似はしたくないんですが……」
 阿久津零次が構えたリボルバーはオールステンのヘビーバレル、ちょっとした珍品のコルトM29だった。ハンターやコレクターが持ち、自意識の強いチンピラが持つこともある大口径の大型リボルバーだ。
「タイヤ四個もないと走れんマンホール風情の鉄砲なんぞ、なんぼのもんやねん」
 阿久津からの警告を無視して距離を詰めた露草が、再び吐き捨てた。
 バン! 鈍い音は予想したよりも小さく、しかし、どうしてか阿久津零次がのけぞっている。リボルバーの反動によるもの、ではない。
「な! 何だ!」
「何や? その陳腐な科白は。アンタのこれな、ここんところを握ったら撃てんて、アホの神和に前に教えてもらったんや。バイク乗りの握力ナメとったら、もう一発、ウチの必殺や」
 バン! 二度目の打撃音で阿久津零次はリボルバーを露草に奪われて、ペルシャ絨毯に後頭部を衝突させた。
「あ、葵?」
 神和が振り絞るように尋ねている。神和の位置からでは露草の背中で阿久津零次の様子が見えないらしい。
「アホの神和やー。こいつ、引き金引こうとしよった。これってや、銃刀法違反とか殺人未遂とかそないやろ?」
「……は? 葵、そのリボルバー、M29? それのシリンダー掴んで止めたの?」
 MP5マシンピストルを両手に片膝を突いている神和が、頭のてっぺんから声を出した。呆れて驚いている、そんな風だ。
「おう。リボルバーてこれ、ここんところが回転するんやろ? それ止めたら撃てんて言うてたやん。せやからそうして、ウチの必殺のデコピンや。バイク乗りのデコピンは強烈やで?」
 これには久作も驚いた、いや、呆れた。
 確かに構造上、リボルバーはシリンダーの回転を止めれば撃てない。犯人や敵と至近距離ではそういう弊害があるからこそオートマチックが有利なのだが、リボルバーでもシングルアクション、つまりハンマーを浮かしてトリガーを引けばシリンダーの回転は二発目以降で、初弾は出る。対して阿久津零次のM29はダブルアクション。トリガーを引くとハンマーが起きて落ち、シリンダーも回転する。トリガーとハンマーとシリンダーがそういう構造で繋がっているのでどれかを指なりで動かないようにすれば撃てない。ヘビーバレルの大型リボルバーだろうがスナッブノーズ・護身用単身銃だろうが同じだ。拳銃を撃ちなれているが警察や軍人でない人間からすれば、シリンダーを掴られるというのは想像さえしていないだろう。阿久津零次にすればどうして弾丸が出ないのか、どうしてトリガーを押し込めないのか不明なまま、露草の必殺、らしい、デコピンを二発も喰らった。鈍い音は拳銃の発砲音にしては小さいが、打撃音にしてはかなり大きく、相当な威力だったようで、阿久津は額を両手で押さえたままペルシャ絨毯でもがいている。
「速河、世界がマンホールの蓋にしか見えん阿久津センセの理屈はな――」
 中指、爪をさすりつつ露草が煙草の煙を吹いた。阿久津零次が吹き飛ぶほどのデコピンは、露草の爪にもダメージだったらしい。
「――統計学なんかと同じ理屈やねん。末端の消費者の好みとかをデータとして蓄積して分類して、そこにレッテル貼るて、そんだけや。コイツがアホなのはな? 自分かてその末端の消費者や、いうことを忘れとることや。己の好みとか無視して統計とかやれるかい。企業やらがマジョリティ、多数に向けて商品売るんは当たり前やけど、少数派のマイノリティの好みとかもきっちり網羅するんがまっとうな経営者や。世界は地図やのうて丸いんや。それも平べったいマンホールの蓋やのうて、ボールみたいな地球や。このアホはな? めっちゃ性能のええ望遠鏡あったらここからハワイが見えるて勘違いしとるどアホウやねん。お金で全部片付くとか、現代科学を真正面からナメとるわ。雨一つ自在に操れん最先端でお金で全部片付くか、アホが」
 文字通り吐き捨てて、露草は煙草の煙でわっかを作って、絨毯でもがく阿久津零次を見下した。鋭利なナイフのような眼光は、まるで害虫でも見るようだった。
「真実の報告書にあった麻薬王との絡みかて、こいつには単なるビジネスなんやろ。ノエルとかマイヤーとかも同じ人種やろうな。んで、前村を誘拐もこいつ風に言えばビジネスなんやろうけど、所詮はマンホールの蓋にしか世界が見えん奴や。前村歩とその親、速河みたいな同級生やらアホの神和みたいな警察がそれをどう思うかなんぞ、全く考えとらんのやろな。誘拐された側からすればビジネスなんぞ無視して前村を保護しようとすんのは当たり前や。神和のアホが鉄砲撃ちまくるんも当然で、ここまではひょっとしたら想像してたかもしれんけどや、己がデコピン喰らうとまでは思うとらんかったやろ。そらそや。ウチの頭ん中はマーケティングでは覗かれへん。ガッコでスクールカウンセラーやっとったら、生徒は全員ウチの患者や。患者を危ない目に晒す医者がどこにおんねん。それにや……」
 煙草の灰を阿久津零次に落として、露草は大きく煙を吸い込んだ。
「バイク乗りをナメんなや。パチキかまそうと思うとったけど、こないな小悪党、デコピンでお釣りが来るわ」
 左、シフトチェンジの足を大きく振って、ドン! 露草のミドルブーツが阿久津零次のみぞおちに突き刺さった。相当な音で阿久津が青い顔で口をパクパクさせ、涎よだれを撒いている。あばらがイったのは確実だ。
「アホの神和のお仕事をちょちょいと手伝うとするとな、こいつ、阿久津センセはアクツ・ボリビアからアフリカ市場を開拓して、北アフリカ、真実のお姉さんの真琴はん、顔は知らんけど、こん人のところから更に北、ヨーロッパ市場に食い込むとか、そんな算段やろ。でや、北アフリカ手前の東に紅海。これ越えたらアラビア半島や。アラビア半島を黒海に向けて北上すると地中海手前に物騒な場所があるやろ? テルアビブ、ベイルート、ダマスカス、ずーっと民族紛争やっとるところや。紛争とか戦争いうんはな、マトモではやれへん。それこそ頭がプッツンする薬の出番で、大麻、ヘロイン、コカインなんかが路上で買えるようなキナ臭い場所や。アクツエージェンスが鉱物資源やらでたっぷり資金持ってて、アホの理屈でまた儲けよう思うたらここは魅力的やろな」
 煙草片手で露草が言い、神和は目をぱちくりさせていた。露草に応えたのは通信のサミー山田巡査部長、警視庁公安一課の彼だった。
「なるほど。阿久津零次の市場と安部の市場、ルチルアーノ、ノエル・ギャラガーやマイヤー・フランスキーとはそれで重なるか。大きいとはいえ民間のいち企業であるアクツエージェンスが闇市場、麻薬や武器に手を出すならアラビア半島北部は格好のマーケットだ。セルビアのレッドスターにしても、テロに必要な爆弾以外にも最低源の武装は必要だが、紛争地帯とのパイプがあれば後は金だけか。しかし、ミス露草?」
「あー、誰か知らんけど、ウチ、既婚者やで?」
「失礼、ミセス露草。ヨルダン辺りの紛争地帯は国家紛争で民族・思想戦争でもある。武器を流すにしても金だけでは済まないだろう。レッドスターとは思想的バックボーンの繋がりがあるにしても、ルチルアーノはロシア、ノエル・ギャラガーはフランス人だ。マイヤー・フランスキーに至ってはニューヨーク、つまり、アメリカ合衆国の人間で、対立こそしても取り引きは成立しない。安部祐次、日本人の彼が仲介をするには組織として大きすぎる、双方ともに」
 サミー山田巡査部長、久作は殆ど会話をしていない彼が通信の向こうで唸っている。
 仮に阿久津零次を中心に構図を見ると、まず彼は鉱物資源売買のアクツエージェンスという巨大な資金源がある。阿久津零次の独断で南米ボリビアからアフリカに手を出し、ヨーロッパへの足がかりとして北アフリカを手中にしたい。だがそこは天海グループ日本支部が持っている。ここを天海から奪ってヨーロッパへ進出するというのが今回の前村歩、高等部女子の誘拐に繋がる。前村歩という個人ではなく、彼女が通っている学校が天海グループ日本支部傘下の私立学園だからであり、それでも適当に選んだのではなく、二億だかを用意出来る資産家の娘という条件があったのだろう。
 前村歩を仔細に調査して家族やその周囲も同じくなら、久作からも温厚に見える前村は、その両親も血縁も温厚だろうと容易に想像出来る。最愛の娘を金で取り戻せるならそうするだろう。警察に知らせるなと言えばきっとその通りにしたであろう。しかしノワールは、阿久津零次と安部祐次はあえて警察を、県警を巻き込んだ。この線は一旦ここまでだ。

 露草のデコピン二発と蹴りでペルシャ絨毯に涎を振り撒いて呻いている阿久津零次は、天海ジャパンの北アフリカとは別にアラビア半島に目を向けた。
 紅海と地中海、黒海に囲まれたここは有史以来、紛争が絶えない。日本の報道には殆ど乗らないが今でも銃弾が飛び交い、地雷や攻撃ヘリコプターで溢れている。その原因は絨毯に転がっている阿久津零次が授業で久作らに教えるはずの民族紛争だ。もしくは宗教戦争とも。中でも聖地エルサレム。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教が一キロ圏内でひしめき合っているここで争いが起きない道理はない。ユダヤ教もイスラム教も分派が多数なので実際はもっと混乱している。軍事政権が樹立しては打ち倒されるここはアジアの火薬庫でもある。軍事政権やそれに反抗するレジスタンス、別組織が持つ武器はロシアと中国から流れているというのが通説だが、どちらにしろ地上の西側のそういう事情は武器売買マーケットとしては巨大で、密売や流通には複数の組織が絡む。
 中国からの流通に中国公安リーが内偵している蛇尾、スネークテイルが噛むとすれば、そこに人身売買も入る。ロシア圏からはルチルアーノ・ファミリー、ユーロ圏から麻薬王ノエル・ギャラガー。麻薬ルートに武器を乗せるというのはそう難しい話でもないだろう。阿久津零次はこれに手を出そうとしたと露草は予想し、公安サミーも同じくだが、問題はこれらの仲介斡旋が可能な人間だ。この線も一旦ここまで。

 レッドスターという爆弾テロ組織はセルビア、アラビア半島出身のセルゲイ・ナジッチというリーダーが率いていたが、そこからイスタンブール、アンカラと陸路で地中海と黒海の間を南下すれば、ダマスカス経由でエルサレムに達する。セルゲイ・ナジッチの逮捕はベルギーのアメリカ大使館爆破未遂テロ以前のことで、フランスのアメリカ大使館爆破テロ、こちらも未遂のそれだったはずだ。その後釜に納まったとされるのが安部祐次。紺色のシンプルなスーツにレイバンタイプのサングラスで短髪の、眼前のソファに座る男だ。阿久津零次は北アフリカから紛争地帯エルサレム辺りのブラックマーケットに手を出そうとして、レッドスターと行動していた安部祐次とは同じくエルサレムで重なる。
 ただ、レッドスターや安部祐次がアラビア半島で活動したという記録はない。レッドスターはもっと北の、黒海沿岸を拠点に主に西側にあるアメリカ大使館を狙っている。だから安部祐次と阿久津零次、ルチルアーノ・ファミリーやノエル・ギャラガー、レッドスターは重ならないのだが、エルサレムを中心とした紛争地帯に全員が目を向けていればいちおうは説明がつく。武器、麻薬、売春、人身売買から食料、車両に雑貨とあらゆるマーケットがここにはある。そうマナミレポートにもあったし、神和彌子が言っていた巡航ミサイルという話も、ここならば驚くでもない。

 しかし、だ。
 どの組織も巨大で統率が取れていて、オマケに思想的バックボーンと豊富な資金がある。中東が魅力的なマーケットならそこで行動すればよく、前村歩誘拐、警察を巻き込んだこの騒動の説明にはならない。それこそ軍事政権の要人をターゲットにすれば……いや、違う。
「……誘拐という犯罪は、組織として完成された警察や錬度の高い兵士を持った軍隊のある国では難しい?」
「その通りだ。さすがだな、ボギーワン、速河久作くん」
 オーバーコンセントレイション、超集中力状態で自分の世界に入っていた久作の呟きに、安部祐次が応えた。
「首都圏なら警視庁で、ここは日本では相当にレベルの高い組織でSATやSITなんてものもある。でも、地方都市なら扱うのは地元犯罪で、神部市がいくら国際都市と言っても、所詮は短期的な犯罪レベルで、ブラックマーケットなんてのも金額としては小さい。日本警察が縦割り官僚主義で事務的といっても地元で現場慣れした捜査官にすれば、そんな組織を潰すのはそう難しい話でもない。でも」
 くくく、と含んで笑うのはサングラスの安部だった。
「でも、そう、でもだ。誘拐というデリケートな犯罪に地方警察は慣れていない。衝動的な立て篭もり、これが精一杯だろう。日本警察は日本人の扱いには慣れていても、それ以外はてんでダメだからな。セルゲイ・ナジッチの解放、これだけで県警はパニックだったろう? 俺の話し相手をしてくれた須賀恭介くんは、そういった意味で大した人材だ。だのに、県警はとうとうSATの出動要請を出した。対テロを想定としたSATを誘拐事件に投入だとさ。それもこれも、俺の経歴に弱腰な証拠だ。セルゲイ、レッドスター、麻薬王ノエル、中国公安がマークしている蛇尾、NYのマイヤー・フランスキー、ルチルアーノ・ファミリー。これだけの大物を相手に出来ないという、立派な白旗さ」
 ははは、と安部は大声で笑った。
「それでもボギーワンこと速河くんが俺の目の前に、MP5を握った巡査部長と一緒に並んでいるというのは、なかなかどうして大したものさ。だが、同時にもう気付いているはずだ。きみや巡査部長が扱うには、俺は大物に過ぎるとな。逮捕は簡単だ、この状況ならな。しかし、いくら高校生といったってその後の報復、俺の意志とは無関係に発生するそれがどれだけの規模になるのか、想像は簡単だろう? キュートな巡査部長が刑事らしく俺を逮捕した翌日に、同僚ごと県警ビルが吹っ飛ぶなんてことも、まあ、あるかもな。
 きみらは善戦した。前村嬢も救い出した。それでいいのさ。妙に欲を出すととんでもないしっぺ返しに合う。どうしても逮捕したいのなら、そこに転がっている誰かをアベ・ユウジにしてしまえばいいのさ。あいつらは単なる兵隊で俺や俺の知り合いにとっては何の価値もないが、警察の面子を保つくらいの役回りは出来るさ」
 安部祐次、この男から感じる違和感、正体不明のそれの片鱗が見えた。
 この男は自分の立ち位置に対して絶対的な自信を持っているのだ。神和、巡査部長の警察官や彼女が所属する県警三課、それを統括する影山めぐみ警視監。更に上、警察庁の管理官から果ては警視総監に至るまで、安部は敵として下に見ている。おそらく幕僚長、自衛隊が出てきても同じ態度だろう。自衛隊が単体で海外活動できないことをここで一番理解しているのは他でもない、安部祐次だ。二度のPKOとその前のアメリカ主導の紛争鎮圧作戦、デザートストームで安部は、自衛隊の限界を熟知しているのだ。防衛省、警察庁、警視庁、そして内閣行政府、日本に存在する全ての組織を自分は上回る、そう安部は確信している。久作は自分の思考が加速する音を聴く。タービンジェットのように甲高い爆音で、久作の周囲の時間の流れが減速していく。
 安部に対する違和感はまだ消えない。
 セルビアだのフランスだのにバックボーンとなる組織があるにしても、ここまで強気に出られるだろうか? 巡査部長とはいえ神和はれっきとした警察官であり、所轄ではなく県警本部の、刑事部の人間だが、逆を言えば警察官でしかない。彼女が逮捕して聴取し、送検した後に検察庁に圧力が掛かって不起訴となることは想像に容易い。安部ほどの犯罪者となれば日本の裁判の手前にICPO・国際刑事警察機構が割り込んで裁判はそちらになるかもしれない。警察庁にすれば面子が潰れるが、下手に手を出して家族が闇討ちされることを警戒しない官僚もまた少ないだろう。ならばICPOにでも引き渡すほうが得策だ。これは行政府、政治家も同じだろう。だが、安部の持つバックボーンはそれほどだろうか?
 仮にICPOで国際裁判となるなら、そこで安部は懲役刑だろう。ここを覆す、安部に自由を保障できる組織があるだろうか。セルビアで爆弾テロをやっているレッドスター、エルサレルにまで手を出しているかもしれない中東組織にはまず無理だ。麻薬王ノエル・ギャラガーはフランスを中心のユーロ圏のみ。蛇尾、スネークテイルは中国で組織としてはかなり大きいらしいが、政治家や軍隊まで抱え込んでいるのなら逆にICPOと表でやりあうのは無理だろう。ニューヨークの麻薬王マイヤー・フランスキーにしても所詮は麻薬マーケットのギャング王であって、蛇尾と同じく表に出てくることはない。ICPOに安部の息のかかった人物なり部署なりがあるなら、そもそも国際指名手配になどならないし、警視庁公安の一課、重要事件を扱うサミー山田巡査部長の出番もない。
 この違和感は一体なんだ? 久作の思考は更に加速する。
 犯罪者として大物なのは間違いないが、ならばナチスのヒトラーほどかと言われるとそうでもない。各国米大使館に爆弾テロを仕掛けたセルゲイ・ナジッチ、この男のほうがよほど大物だが、こちらはアメリカ連邦刑務所に収監中だ。そのセルゲイよりも上、安部の態度はそう見える。エルサレム、露草葵がそう言っていた。公安のサミー山田も。ユダヤとイスラムと、キリスト。異なる神に仕え、聖地エルサレルを奪還しようとする、聖戦。
 ……何だ?
 ふと、奇妙な単語が浮かんだ。それは橘綾、アヤがネット関連であれこれ喋るときに出す単語で、ハッキングや防壁といった言葉と並ぶ。パソコン、ネットが苦手な方城には文字通り暗号の……暗号?
「……エシュロン?」
 加速した思考のまま、久作は単語を口にした。アヤが雑談で時折出す、方城やリカ、須賀にさえ意味不明な、久作がかろうじて解る単語。発してから十秒ほど経過して、安部祐次が口元をにやり、と挙げた。
「ボギーワン、凄いなきみは。そろそろヒントでもやろうかと思っていたが、まさか自力でそこまで辿り着くとはな。正解だよ。俺はNSAの非正規部隊所属なのさ。もう説明不要だろう? 巡査部長、お前の努力はここまでだ。ハエのような公安もな」
 ははは、と安部の笑い声がロイヤルスイートに響いた。「それ」が安部の絶対的な自信の裏付けだと久作はようやく気付いた。
「NSAって、アメリカ国家安全保障局の、あのエヌ・エス・エーか?」
 笑う安部に応えたのは通信、一階ロビーにいるアヤだった。そう、アヤがハッキング対象として「最も手強い」と毎回説明する組織がNSAなのだ。アメリカ国防総省、通称ペンタゴンに匹敵する機密組織で、膨大な情報を持っているアメリカの諜報機関である。アヤが続ける。
「NSAはあくまで諜報機関だけど、ペンタゴン直系の独自部隊を持ってて軍事行動することもある、ってこれはもう都市伝説クラスの噂だけど、本業はエシュロン、世界規模のシギントシステムの運営管理だろ?」
「ははは、キュートなミス・ホークアイはさすがは電子戦機だ。シギント、通信傍受なんて単語が当たり前のように出てくるな。そうさ。そもそもNSAはシギントシステム、通称エシュロンを運用する機関だ、承知だろうがな。冷戦以後、大した紛争がなくなってお役御免になりそうになったんだが、奴らはこう考えた……」
 レイバングラスのブリッジをくいと上げて、安部祐次は続ける。声色に自信が溢れているようだ。
「対テロ、こういう名目でならエシュロン、世界規模の通信傍受システムの運用は有意義だ、とな。当然、中東の紛争地域に対するエシュロン運用も然りだ。要するに、NSAにとってはテロだ紛争だはなくなっては困るんだよ。反吐が出るだろう? だが、それが実際だ」
「エシュロンのシギントシステム運用なんて、アメリカが独断でやれるかよ! NSAってのは覗き趣味の集まりだ!」
 今は日本にいる、アメリカ国籍のアヤが天井スピーカから叫ぶ。
「そうさ。覗き、盗聴、情報と名が付く全てを世界規模でかき集めて分類するのがNSAの通信傍受システム、エシュロンだ。こいつは構築するまでにべらぼうな金と時間が掛かるが、お陰であらゆる通信は全てNSAの監視下だ。これを戦争がなくなったから廃棄しろってのは勿体無いし、NSA局員にすれば是が非でも運用を続けたい。メシのタネでもあるしな。そこでステイツのテロアレルギー、これを利用だ。世界規模での通信傍受盗聴システムはテロ抑止になる、そうNSAが言い出せば、ホワイトイーグル(合衆国大統領)だってノーとは言えないさ」
「アメリカ国内でアメリカ人を盗聴監視するのは違法だぞ!」
「建前はな。しかし相互監視、なんていう言い訳で通じるのさ。結果としてNSAは、自国を含む世界全ての国に対して諜報活動が可能となり、手元には膨大な情報、個人を含む全てが集まる。これを対テロとして運用してやるには、抑する対象、つまりテロが必要なんだよ。対テロと言っておいてテロが発生しなければ、いずれエシュロンは廃棄されNSAは存在価値がなくなるからな」
「……NSA存続のためにテロ? メチャクチャだ!」
 アヤが通信で怒鳴るが、安部は表情を変えずずっと笑ったままだった。
「大規模組織の実情なんてどこもそんなものさ。だが、ミス・ホークアイと同じように思う連中もいる。意図的に紛争地帯への武器ルートを温存し、発生するであろうテロを寸前まで傍観する、こういう態度がけしからん、とまあ、ステイツらしく考える組織だ」
「ラングレー?」
 今度は久作が呟いた。安部はゆっくりと頷く。
「そうだ、ボギーワン。バージニア州ラングレーにある、クーデターメーカー。アメリカ中央情報局、通称CIAさ。こいつらはイーグルサム直轄でDIAなんて下部組織も持っていて、ステイツの中ではペンタゴンに並ぶ組織だ。自前で軍隊を持っていて、工作員は世界各地。隠密が信条の奴らの実態は公表はされないが、要人暗殺なんて話も聞くだろう? 中東諸国からは逆にテロ組織と認定されてる、クソの集まりだ。こいつらCIAからすると、NSAの活動というのはうっとおしいんだとさ。で、どうなるかと言うと、NSAとCIAの場所争いだ。こいつは傑作だ! ステイツがステイツ同士で撃ち合うんだからな。大した正義の国さ」
 ははは、とひときわ強く笑う阿部に、久作も、通信の向こうのアヤも呆然だった。
 CIAは映画などでフィクションとして登場するので日本人でもイメージが容易いだろうが、詳しくなければFBIと同じ程度だろう。実際は大統領直下の情報機関、実働するだけの人員と武装を持つ組織のCIAと、連邦警察であるFBIで全く違うものだが、暴露記事などでCIAという単語が登場することもある。徹底した秘密主義で、安部の言うクーデターメーカー、意図的にクーデターをでっち上げてそれを自分達で処理する、といったこともまことしやかに囁かれている。
 それとは別で二度の大戦以後に勢力を拡大していった組織、アメリカ国家安全保障局、通称NSA。盗聴を目的として誕生して、シギントシステム、通信傍受設備の構築のために人工衛星インテルサットを使った情報収集、海底の通信ケーブルから情報を吸い出すことまでやり、アヤが指摘したように自国民に対する盗聴監視も行っているとされる。このシステム全体をエシュロンと呼ぶ。ちなみにエシュロンはフランス語で梯子の階段。冷戦以後、大規模な諜報活動がCIAだけで足りる状況に対して、対テロを名目として現在まで存在する。ここまではアングラサイトでも巡っていれば民間人でも容易い。実際、アヤはこの辺りの情報に精通している。日本の三沢基地にエシュロン施設があり、廃棄されたが以前は稼動していた、といった情報もすぐに入手可能だ。
 だが、そんなNSAとCIAの内紛、これはもうフィクションの世界だ。
 なのだが、両組織の体質、誕生経緯などを知っていれば両者の確執や対立というのはそれほど違和感はない。CIAが権力拡大を裏で行っていることは今では公然で、それとは別で権力を拡大しているNSAが面白くないとCIA上層部が判断するといったことも、なくはない。そして、ここで繋がるのがレッドスターと安部の行っていた、未遂で終わった幾つかのテロと、聖地エルサレムの長い紛争。武器、麻薬と売春、人身売買ルート。
 仮に、エルサレムのキリスト教武装一派にCIAが加担していたとして、対抗するユダヤ教などにNSAが助力することは、表面上は宗教戦争だが実情はCIAとNSAの争いだ。それも、どちらも勝たず負けない永遠に続く紛争。元自衛官でセルビアに渡った安部祐次をNSAが現地スカウトして、NSA工作員としてテロ組織のレッドスターに潜入させるとする。レッドスターのテロが全て未遂なのは安部がNSAに情報を流していたからで、これでNSAの存在意義は保たれる。武力拡大したNSAにCIAが対抗するにしてもそれはあくまで裏でなければならず、その舞台を聖地エルサレムに移して現地兵士の持つ武器をCIAが流していれば、それがイスラムだろうがユダヤだろうがCIAはここを監視するという名目で動ける。そのCIA活動に対抗する形でNSAが、安部を筆頭とする実行部隊を現地に送り込む。NSAからすれば中東紛争の監視という名目で、裏ではCIAの活動範囲を具体的に狭める。中東という場所柄から日本人、アジア人である安部は重宝されるだろう。元自衛隊という裏付けもある。
 ここに元KGB、現ロシアやフランスの諜報機関が絡むのも当然で、それは裏側の麻薬ルート、ルチルアーノ・ファミリーやノエル・ギャラガーを通じた監視となり、中国軍上層部は蛇尾、スネークテイルに工作員でも仕込めば監視体制は可能だ。つまり、現在のエルサレムを中心にした宗教紛争は、アメリカのNSA、CIA、ロシアとフランスの諜報機関、中国軍部の厳重な管理下にある、統制された紛争であると、そういうことだ。
 前村歩誘拐は日本国内に対抗出来る組織がないという事情と、天海グループとアクツエージェンスの企業間競争の結果だが、これもNSAの作戦の一部であろうことは、安部祐次が加担していることから想像出来る。これがアメリカの、いや、NSAの日本政府に対する軍事的活動で、在日米軍の存在意義や予算・権力拡大、つまりアメリカ国防総省、ペンタゴンの思惑が絡むと想像すると、要人解放と六億五千万円を要求する女子高生誘拐事件は全く別の顔を見せる。
 だが、と久作は自分にクエスチョンを出した。仮に安部祐次がNSA工作員だとすれば、彼を拾い上げた人物がいるはずだ。それも非正規部隊の隊員もしくは工作員として。表面上は武力を持たないNSAの兵士に志願など不可能で、この人物が仮にNSAの人間であれば、安部と阿久津を、ノエルやスネークテイルらと結んだと考えると辻褄が合う。つまりだ。安部祐次には……。
「黒幕が、いる?」
 思考からこぼれた科白が久作の口から出る。
「それはそうだろう。元自衛隊とはいえ、アジアの個人がこんな大袈裟な舞台に上がれるはずもないさ。CIAであれNSAであれ、アメリカ国籍で各種訓練と試験を通過した人間だけが所属を許される。だから俺は非正規なのさ。しかし、公式ではないにしろ俺の行動はステイツの厳重な監視下にあって、日本警察如きが手を出せる代物じゃあないと、そういうことさ。折角だ、紹介しておこう。俺をこんな大舞台に上げた張本人は、こちらの彼女だ」
 安部が示したのは隣に立つ女性だった。三十代で日本人キャリアウーマンに見える、赤いフレームの眼鏡の女性で、まだ一言も発していない。外見からの印象が恐ろしく希薄で、容姿はOL風だが安部の隣に立つともう正体不明だ。アジア系には違いないが日本人と断言出来ないのはNSAだCIAだと聞かされたからで、セミロング、ウルフシャギーの黒髪で笑いもせず無表情だった。
「彼女はリッパー。本名かどうかは知らんし、NSA局員だと名乗ったがそれが本当かどうかも知らない。俺を拾ってNSA工作員としてレッドスターに潜り込ませて、ノワールの阿久津というそこのお坊ちゃんに俺を紹介したのも彼女さ」
 リッパー、そう紹介された女性の視線が久作と合った。一瞬だったがそこに敵意のようなものは感じられず、逆に柔らかい印象だった。中国公安リーの相手がチェーカー、元KGBだとアヤが推測していたのでその同類のようにも見えるが、見た目から何もイメージ出来ない。ただの民間人、OLにしか見えない。元陸自の安部とチンピラ集団ノワールの幹部である、デコピンと蹴りで絨毯に倒れている阿久津を繋ぎ、麻薬王ノエルやルチルアーノ、マイヤー・フランスキー、蛇尾、レッドスターを全て繋いだ彼女。リッパーと紹介されたがそれが本名な筈はない。偽名というより、そもそも誰かの名前には向かない単語である。
「ジャック・ザ・リッパー?」
 世界的に有名で映画や小説にもなっているシリアルキラー、千八百八十八年イギリスで発生した未解決連続猟奇殺人事件、その犯人の通称が、切り裂き魔ジャック、ジャック・ザ・リッパーだ。返答に期待せず久作が女性に尋ねると、かすかな笑みが返答と同時に返ってきた。
「RじゃなくてLよ」
 LIP、リップ、唇。久作は思わず女性の唇を見る。ふっくらとした、レイコに似た印象の唇はキラキラと光るピンクのルージュで、L、I、P、P、E、R、とゆっくりと発音した。リッパーと名乗る彼女が前村歩誘拐から米大使館テロ未遂をお膳立てして、中東紛争にも一枚絡んでいる、そう安部は言っていた。その規模なら元KGBやフランス、イギリス、中国政府も登場するだろうし、米国NSAとCIAの代理戦争も、彼女がそういった組織の一員なら安部と阿久津、アクツエージェンスを交えて可能だ。つまり、首謀者である安部と阿久津、その黒幕であろうリッパーという女性が目の前に並んでいると、そういう状態だ。
 安部祐次がこの局面で嘘やハッタリを使う必要はないだろうから、その言葉の殆どは真実なのだろう。安部が言った、警察では対処出来ないという科白も頷ける。NSAを筆頭にしたアメリカ合衆国に真正面から挑む人間など世界中を探してもいない。闇討ちどころか家ごと爆破されても全く不思議ではない相手なのだが……。
「ヘイ、ミスター・クソエクスミリタリー。さっきお前、警察ごとき、そんな科白を吐いたか?」
 MP5マシンピストルを両手で構えた神和が、膝を突いたまま呟いた。
「そうだが、巡査部長、どうしたね? 癪に障ったのなら、それが事実だ。たかが県警の刑事が、まさかNSAに対して牙を剥くか? 明日の朝刊は、県警本部爆破、こんな見出しになるぞ?」
 レイバングラスの奥で微笑む安部に対して、神和彌子が露草に負けないほどの眼光を向ける。大きくて、普段は猫のような愛嬌だが、今はチーターの如くである。
「たかが? たかが県警? ヤーヤーヤー、クソ軍曹殿? お前がNSAだろうがCIAだろうが、CNNだろうがABCだろうが、ここは日本なんだよ。意味解るか? お前如きがどういう理屈で動いてるのかは、あたしにはどーでもいいんだよ」
 両手のマシンピストルを安部のサングラスに向けて、神和は立ち上がった。SWATロゴのベースボールキャプが吹き飛びそうなほどの覇気を撒き散らして、ちっ、と舌を鳴らす。
「仮にだ。仮にお前のご高説が全部本当だとして、致命的なミスが一つある」
「巡査部長? NSAやCIAにミスはない。死とミスがイコールな世界で動いているのが俺らだ」
「だったらお前は舌噛んで死ね。お前のミスはな、あたしの管轄内で犯罪を犯した、これだ。このホテルは県警の管轄で、ノワールは刑事部三課の管轄で、あたしはノワールの専従捜査員だ。NSAだ? だったら何だ? こちとら県警三課。法と秩序の番人で、市民の味方のお巡りさんだコラ」
 覇気を科白に乗せた神和に対して、安部祐次は笑いで返した。
「法と秩序か。それはまた大層な肩書きだが、その法がお前の国でしか通用しないこと、俺はこの国とは違う法律で動いていること、これを理解していないようだ?」
「だーかーら、それがテメーのミスだってんだ、チキン野郎。テメーは国籍上は日本人で、ここは日本。つまり、日本の法律が適用されるんだよ。たかがお巡りさんとかナメてたら、そのスカしたグラサンに9ミリ撃ち込むぞ?」
「やれるのか? 巡査部長? 俺を逮捕、もしくは射殺するのは簡単だろうが、その後はどうなる? たかが巡査部長如きの状況判断で県警本部から警察庁、果ては行政府まで巻き込んだ大騒動だ。NSAにすれば、自分の持ち駒をどうこうされたら、その後始末はするだろう。必死に保護した前村歩。隣のボギーワン。阿久津の同僚らしい女性医師。後ろの女子高生。外にいる須賀恭介くんと中国公安。ミス・ホークアイにハエのような公安。他にも数人だが、確実に消されるぞ? お前はあえて生かされてな。それでも撃つ度胸がお前にあるか? こういうのはどうだ?」
 ソファに座ったまま安部は、紺スーツの懐から拳銃を抜いた。オートマグに似ているが細部が違う。久作はじっと観察して、それがウィルディ45W.Mag、45ウインチェスターマグナム・オート、だと解った。専門雑誌で一度だけ見たことがある珍品だ。四十五口径オートでシルエットは44マグことオートマグに似ている。
 安部がウィルディを構えたことで神和は発砲可能になった。安部の、どうだ? はつまり神和彌子に発砲する理由を与えて、かつ、それが出来ないバックボーンを論破してみせろ、ということでもある。接して短いが、久作は神和彌子がどういう性格なのか把握していたので、その光景に一瞬、思考が止まった。
「神和さん? ダメですよ?」
「神和ぃ、ちょいと頭冷やせや」
 聞こえているか不明だが久作は言い、天井スピーカから乾警部補らしき声も続いた。久作から見た神和彌子は非常に好戦的で、MP5からブレンガン、スタングレネードまでを躊躇なく使う、銃火器のエキスパートでもあった。県警本部で彼女がトリガーバカ、などと呼ばれている原因をこのホテルで目の当たりにもした。犯罪者相手なら頼もしいことこの上ないが、この場面では逆に危険だ。それは彼女が照準を誤る、などではなく、銃を向けている相手、安部祐次が非常に危険な相手だからだ。
「乾さんとサイクロップスくんが言いたいことは解るけど、こいつ、あたしを、如き、とか言いやがった。県警三課のこのあたしにだぞ? あー、もう。脳内回路がどんどんショートしていく音が聞こえるよ、ブッツン、ブッツンってな。あたしはな、頭脳労働は苦手なんだよ」
「速河ー。アホの神和は言うだけ無駄やで?」
 露草が微妙な相槌を入れるが状況は全く好転しない。神和の握る二挺のMP5がカタカタと震えている。対する安部のウィルディ・マグナムは神和の胸を狙って固定されてある。これを三課対誘拐犯と見るか、日本対アメリカ合衆国と見るか、警察官対犯罪者と見るか、トリガーバカ対テロリストと見るか、この判断を誤ると誇張ではなくとんでもない事態になる。
「ははは! お巡りさんは正義の味方か? しかしな、NSAにもステイツにも正義はある。元KGBにだってフランス政府にだって、麻薬王にだってそれはあるのさ。しかしだ、巡査部長。お前の正義は代償を伴う、犠牲の上に成り立つ傲慢な正義だ。俺は自分を正義だとは言わんが、俺を飼っている連中は自分らを正義と呼ぶ。欺瞞なのはお互い様だが、代償である犠牲の上に成り立つ、ここは同じだ。警察官としての正義と言うのもアリだろうが、個人として、いち国民として、女性としての正義、そちらのほうが犠牲は圧倒的に少ない。別に難しい話でもないぞ? 俺らを見なかったことにして、適当な奴を逮捕すれば巡査部長? お前の仕事は成立する。無論、法による正義という大義名分でな」
 安部の科白に驚いたのは久作だった。理由は明白。その科白はトリガーバカこと神和彌子の沸点を突破させるに充分だからだ。県警三課ではなく交番勤務の巡査でも同じリアクションだろうが。
「テ、テメーは……あたしの、け、警察官としての、プ、プライドを……犠牲の上の欺瞞の正義とか、そう言ったか?」
 カタカタと震えるマシンピストル。トリガーに掛かった二本の指が、握るグリップと一緒に震えている。大きな瞳は見開かれて、眼光はジャックナイフか日本刀か、そんな鋭さで安部祐次のレイバングラスとウィルディ・マグに突き刺さっている。神和の黒いキャップは今にも燃え出しそうだ。彼女と長い露草なら収められるかもしれないが、露草本人にはその気はないようで、こちらは倒れた阿久津零次の横でひたすらに煙草を吸っている。久作は加速した思考に様々な感情が渦巻いて状況判断がかろうじてで、とてもではないが客観的に二人を見れない。安部が次々に出した単語の意味を最も正確に知っているアヤも同じくで、唯一、この場で冷静な、的確な判断が出来そうな人物は……。
「リカさん!」
 リカ、橋井利佳子。神和の武装を運んだグレイハウンド、荷物運搬役の彼女がこの場で唯一、的確な、冷静な判断が下せるのでは、そう思った。前村歩と並んで抱き合って座っているリカは、このロイヤルスイートに突入してから阿久津零次と安部祐次が語り出すまでずっと無言だった。リカは久作の問い掛けにすぐには反応してこない。安部の語ったこと、その前の阿久津零次と露草との会話から自分なりに判断しようとして、パニックを通り越してエンストしている、そんな様子だった。
「久作、くん? あの、私、難しいことは全然解らないんだけど……その安部さん? その人は、あの、つまり、敵? それとも味方?」
「ダメだ」
 リカに続いたのは天井スピーカとイヤーピース、通信のサミー山田だった。
「神和巡査部長、私だ、サミー山田だ。安部祐次を撃ってはダメだ。巡査部長は不本意だろうが安部は私が、公安一課が引き継ぐ。巡査部長、逮捕せずともアナタは警察官として正しい――」
「シャラーップ!」
 パパン! 神和の両手のMP5が天井に向けて火を噴いた。アールヌーヴォー内装の天井に小さな穴が二つ空いた。
「こいつは! 日本の警察官全員をバカにしてやがる! 何がNSAだ! エシュロンだ? だからどうした! こちとら全国三十万警察官の代表だコラ! 世界でも優秀な日本のお巡りさんをナメやがって! 報復が怖くて警察なんてやってられっか! あたしには善良な市民を危険な犯罪から守るっていう使命があるんだよ! 犯罪者が怖くてお巡りさんなんぞやれっか! 県警三課をナメんな! あたしは……」
 ふっ、と息継ぎして、神和は怒鳴った。
「あたしは! さ迷える紅い弾丸! 県警三課の神和彌子様だ! NSAだろうがCNNだろうが、束になってかかってこいよ! あたしのプライドはポリスバッヂよりも硬いんだ! クソチキン野郎! テメーこそ撃てるか? あたしにそのチンケなオートを一発でも撃ち込んでみやがれ! その瞬間からテメーはICPOも裸足で逃げ出すジャパニーズポリス全員の標的でダックハントだ! フォーティーファイブ一発程度でこのあたしを黙らせようとか思うなよ? んなもん、気合で跳ね返してやっぞ!」
「神和ぃ、気持ちは解らんでもないがよ、ノリだ勢いだで勤まるほど単純な仕事でもないだろう? 俺たちは」
 怒鳴り散らす神和に対して、通信の乾警部補の口調はのんびりしたものだった。サミー山田巡査部長を一喝した神和だったが、どうやら乾警部補の科白はきっちり耳に届いているらしく、表情こそ鬼の形相だが叫びは一旦止まり、荒い息遣いだけが残った。
「乾さん? あー! くっそ! 頭が真っ白になってきやがった! 逮捕? もー面倒だからこいつ、射殺すっか? いやいや、あたしは警察官だから、えーっと、何だ?」
「神和ぃ、それと速河の久作くんもだが、そこの安部の言葉が全部事実だとしてもだ、なーんか俺にゃ引っかかるんだ。根拠はない、単なる勘なんだがな。何、簡単な話さ。NSAってのは諜報機関みたいなモンだろう? そいつらがよぅ、要人でもない民間人を誘拐なんぞするか? するにしたってそれだけの理由なんぞあるか?」
「乾さん? うん、うん?」
 怒気を撒き散らしていた神和は、乾の言葉で唐突に収まった。久作の思考も停止する。手を出せば各種報復が予想されるNSA所属のテロリスト安部。しかし乾の言うように、NSAが民間人を誘拐するなどという話は聞いたこともないし、その必要さえない。安部の言葉が全て真実だと仮定すると、そもそもこの状況がおかしいという結論に達する。先刻とは違う違和感は神和も感じているらしく、MP5を構えてはいるが首を捻ってもいる。
「毎回と言えば毎回だがしかし、厄介な話だな? 速河」
 左からの声に遅れて反応した久作は、両手に銀色の警棒を握った須賀の、普段通りの澄まし顔を見詰めた。
「須賀?」
 須賀はあの大柄の黒人、キックボクサーらしき相手と戦っていたはずだが、汗の一つもない。桜桃ブレザーは相変わらずしわくちゃだが、両手に警棒を持つ以外は普段通りだった。
「一人倒すのにあれだけの時間とは、俺もまだまだだな。しかし、きっちりと仕留めたさ。二時間は目覚めないだろう。唐竹割りを脳天に二発入れてやったからな。二刀で上段というのは面倒なんだが、まあ倒した。リーさん、あちらもそろそろ片付きそうだ。ところが、こちらはどうにも面倒で厄介なようだな。話は通信で聞いていたが、全く、気が滅入る内容だ。ついでに反吐が出る」
 やれやれ、と肩をすくめて、須賀はロイヤルスイート入り口から一同を眺めている。漂った視線が絨毯の阿久津零次に止まり、そこから安部、リッパーを名乗る女性、そして神和彌子と流れて、久作に戻る。
「速河、リカくんの質問に答えていないだろう?」
 当たり前、そんな調子で須賀は言った。促されてリカを見るが、質問した以降、また沈黙している。須賀以外に口を開く者がなく、ロイヤルスイートは須賀の傍で呻く兵隊だけで静かだった。
「リカさんからの質問? この、安部祐次が敵か味方……か?」
 若干エンスト気味だが聞かれるまでもない。テロリスト、誘拐犯、元自衛官の安部、サングラスのこの男は、リカちゃん軍団の久作から見れば敵だ。ついでに犯罪者で、悪党でもある。だが同時に、NSA工作員、合衆国の諜報組織の一員でもある。しかし、合衆国は久作の敵ではない。少なくとも久作はある他国に対する悪意を抱いてはいない。愛国心とも無縁だがつまり、久作には思想的な縛りが一切ない。神和のように職務としての肩書きやそこから発生する使命もない、ただの高校生だ。
 リカの質問。安部祐次は敵か味方か。方城の試合でもあるまいし、味方ではないから全て敵とは思わないが、安部祐次が誘拐の犯罪者であることは間違いなく、前村歩、リカの隣に座る彼女が同級生で女性であることも間違いない。別にフェミニストでもないが女性には普通以上に接する久作なので、そんな前村歩に対する犯罪者はつまり、久作には……。
「敵だ。安部祐次、アナタはぼくの敵だ。随分と考えたがこれしか出ない」
「ボギーワン、速河くん? きみのその判断は、関係者全員を巻き込むかもしれんな?」
 武器を構えて黙っている神和から久作にマズルを向けた安部が涼しそうな声色で尋ねるが、久作はウィルディ・マグの銃口とレイバングラスを睨み返す。
「考えろ! 速河久作! この頭は飾りじゃあない! そのための脳みそだろうが!」
 あえて声に出した。頭だけで考えているよりも思考がぐんと加速する。音速を突破した思考がずっと続き、神和ではないがあちこちショートしているようでもあったが、加速はまだまだ続く。そして、その速度だからこそ見えるものがあった。
「そうか……安部さん。アナタは一見すると手出しをするとこちらが危ない、そんな相手なんですけど、ぼくの考えは別です。判断材料は目の前に揃っていたんだ。ホークアイからのチェックメイトは、やっぱりアナタに対してだ。いいですか? 安部祐次さん、アナタに対してだ。隣の女性、リッパーという彼女に対してではない。これは重要だ。誰に? アナタにだ」
 サングラスの安部ではなく、隣に立つ無言、赤いフレーム眼鏡のウルフシャギーの女性に向ける。澄ました顔は相変わらずで、感情は読み取れない。見た限りでは武器もなく、格闘技くらいは出来るだろうがスタイルはモデルのようで筋肉は殆どない。随分とスリムで露草葵のように脚がスラリと長い。レイコに似たふっくらとした唇と、こちらは方城のような鋭い目が特徴的だが、笑うでもないので印象が極端に薄い。Lのリッパー、唇という名前は本名ではないようだが、その響きから連想される鋭利さも薄い。
 そんな正体不明の彼女、リッパーが目の前にいる、そのことが全ての答えだったのだが、ギリギリ間一髪、かろうじて間に合うというタイミングでそれに気付けた。でなければ前村歩の安否を含めて全く違ったフィナーレになっていただろう。

 安部祐次の切り札は、同時に久作にとっての切り札、ジョーカーだったのだ。

第十二章~前村歩と全世界の支配者なる運命の女神(後編) ―寛大なるアフロディーテに栄光あれ―

 笑顔を崩さずに安部祐次が続ける。
「ミス・ホークアイのそれは俺に対するチェックメイトで、彼女、リッパーにではない? さて、俺にはそれは重要なように聞こえないんだが?」
「神和さんではないですけど、それがアナタのミスですね。リッパーさん、応えてくれなくてもいいですけど、アナタはNSAの人ではありませんよね?」
「イエス」
 返答があったことに久作は少し驚いたが、内容が想像の範囲内だったので表情には出なかった。代わりに安部祐次があからさまに驚いている。リッパーという女性と久作を交互に見て、それまでの涼しい顔が途端に険しくなっている。
「何? どういうことだ! お前はNSAの工作員で! セルビアで俺をレッドスターに潜入させただろう!」
 早口で言う安部に対して、リッパー、アジア系に見える黒髪は笑みで返した。
「……騙した? いや! しかし! 資金も装備も兵隊もきっちり受け取って! 俺はレッドスターと共同でエルサレム入りして、ユダ系のゲリラを……お前! お前は一体誰なんだ!」
 拳銃を女性に向けて怒鳴る安部だが、リッパーと呼ばれた女性は久作に向けた笑みを安部に向けただけで返答しようとしない。
「安部さん、つまりそういうことです。なに、簡単な話ですよ。仮にぼくがNSAだかで指令する立場にあるなら、末端の兵士に作戦は与えても、その作戦がどういう目的なのかまでは説明しない。これは兵が捕虜になったりして作戦の全貌が漏れることを防ぐ、当然の処置だ。そして、ぼくがもっと上の立場なら、自分がNSAだとかも説明はしない。安部さんが思い通りに動くなら肩書きや動機は何でもいいんですよ。古今東西、軍人は生粋のプラグマティスト、実利主義者で成果しか見ないものですから。作戦を遂行可能な錬度の兵士を準備して、今時ならそれ自体が政治的取り引きの材料の一つでもある」
 久作の科白に、安部は顔色を青くさせている。リッパーという女性からの笑顔もそれを増長させる。
「NSAのその思惑は兵士に説明されることなく、場合によって末端は切り捨てる。元自衛官なら解るでしょう? 兵士というのは基本的に消耗品で、自発的に動いては使い物にならない。そうなった場合は切り捨てる。そして、その判断は最前線からの情報もしくは、最前線にいる直系の部下がする。日本で誘拐を画策した辺りで、安部さん、アナタはもう切り捨てられていたんですよ。だってそうでしょう? 乾警部補が言った通り、こんな派手で目立つ行為を、NSAだかの諜報機関がする筈がない。それでも武器や兵隊、資金を用意されたのは、そんな勝手をする安部さんの動きも沢山ある作戦に有効かもしれない、そんな打算だ」
 考えながら喋ることで久作は、頭の中のショートが復旧されるようだった。思考は更に加速する。
「でも、目の前に武装した警察官がいて兵隊は倒されて、別で警察官もいるこんな状況は、NSAもCIAも関与を認めない。そんなことをすれば今までの秘密隠密行動が台無しだ。日本政府ともややこしくなる。だったら末端の兵士、安部さんを含む全員を切り捨てて自分らとは無関係だと公式発表すればそれでお仕舞いだ。その判断を、そこのリッパーさん、彼女がやった。ホークアイが言っていたでしょう? 補給ルートを寸断された兵士はもう兵士じゃあないと。強襲で部下を失って撤退ルートも潰されて増援もない。対するこちらは県警からの増援、警視庁SATなんてのもある。マトモなNSA職員ならそんな状況の部下は切り捨てる。補充はいくらでも可能でそもそもが非公式の作戦と部隊だ」
 安部が、ありえない、そんな表情で久作を睨みつつ銃を構えるが、久作は淡々と続ける。時折、リッパーという女性を眺めつつ。
「切り捨てるのに躊躇なんてない。ついでに始末してくれ、そう思うのが道理でしょう? 逮捕されれば送検されて、政治的圧力は一切なくICPOに引き渡されて、途中で口封じに始末されるかそのまま連邦刑務所。ICPOではなくNSAが逮捕すれば、これはもうNSAの手柄だ。国際使命手配テロリストを諜報機関であるNSAが逮捕なら株も上がる。放置していれば敵対する組織、例えばCIA辺りからスイーパーが送り込まれて始末される。末端とは言えNSAの作戦行動を立証できる証人ですから、NSAにとっては厄介だしCIAにしてもNSAとのやり取りを暴露されるネタは潰したい。KGB崩れからすれば始末することは手柄で、ひょっとするとFSB、ロシア連邦保安庁に抜擢なんてのも夢じゃあない。隣のご老人は見たところアジア系ですが、もしかして蛇尾、スネークテイルと呼ばれている組織からの助っ人ですか? 蛇尾は中国政府との関与もある組織だから、米国NSA工作員は始末したいでしょうね。安部さん? アナタは両脇の二人が何者なのか、ご存知ですか? ぼくら、神和さんを含めたぼくらリカちゃん軍団と安部軍団の違いは、まさしくここです」
 須賀とリカを見る。須賀は当然という風に頷いていて、リカは解らないながら同意、そんな様子だった。神和は呆けた顔を久作に向けている。露草は普段通り、我関せずと煙草を吹いていた。
「バカな! 俺を切り捨てる? レッドスターの幹部でノワールの幹部で、ノエルとのパイプまである、エルサレムの一大勢力の俺を?」
 安部祐次の科白は久作と、ウルフシャギーのリッパー、向かって右で沈黙するアジア系の初老にで、サングラスを忙しく泳がせている。
「だからでしょう? 世界規模で監視されている幾つもの組織とパイプがあるというのは、内情に詳しいということで、その組織のバックからすれば、余計なことは喋るな、そう思うでしょう。一つ助言すると、安部さん、アナタはここで逮捕されるほうが余程安全だ。神和さんに逮捕されれば、少なくとも日本警察の保護下だけど、神和さんの前から消えるというのは同時に、複数の大きな組織に狙われるという意味でもある。どちらを選ぶも自由ですけど、案外、選ぶ暇もなく消されるかもしれませんね。ぼくがNSAの幹部ならまずはそうしますよ」
「要するにだ!」
 天井スピーカからホークアイ、アヤの声が響いた。
「安部祐次! お前はデカいバックを持ってるから自信満々だったんだろうけど、NSAとかCIA、FSBとか中国政府ってのは、情報管理に関しては徹底してんだよ! そもそもNSAに引き抜かれた、その時点で相手を疑うべきだったのにな! エシュロンなんて非公式の、NSAが認めてない通信傍受システムから立案された作戦なんて、とんでもなく胡散臭いってことに気付けよ、バーカ! 隣の女はたぶんラングレー出身で、アンタをずっと監視してるんだよ。ついでにスイーパー、始末係かもな。このホークアイ様の組む作戦はいつでもパーフェクト! オーマイガッ! でチェックメイトだ!」
「ラングレー? リッパー! 貴様! CIAか!」
 ウィルディ・マグを向けて阿部はレイバングラスで睨むが、リッパーは笑顔で柔らかく返す。声色は内容とは反対に澄んだものだった。
「ミスター・アベ? USAにはCIAやNSA以外にも沢山の組織があるのよ? 私の素性なんて、アナタには関係ないでしょ? 武器や資金を欲しがったから提供して、ねだるからノエルや蛇尾とのコネクションも作ってあげた。最初の予定通り、レッドスターと一緒に嘆きの壁を占拠してくれれば足りてたのに、帰国してチンピラ風情とあれこれやるものだから段取りの調整が大変だったけど、後始末はこの国のポリスに任せることにするわ」
 くすり、小さい笑顔は神和彌子に向けられたものだった。一時は魂が抜けたような表情だった神和が久作の科白と共に元通りになり、リッパーの笑顔ですっかり復活した。リッパーに笑顔を返した神和はこほん、と一つ咳払いして、再び怒気と覇気を放つ。
「改めて! 安部祐次! アンダーアーレスト! テメーを逮捕だ! 罪状は、カンナギ法違反! このあたしが法律だ! 抵抗すれば射殺して死体袋ごと送検してやる! デッド・オア・アライブ! あたしはどっちでもいいぞ? さ迷える紅い弾丸を散々バカにしやがって! このクソチキンめ!」
「自分が法律て、何の映画やねん。やっぱこいつ、アホやわ」
「それは俺が保障しますよ、露草のべっぴんな奥さん」
 煙草を咥えた露草がぼそりと付け足し、おそらくこちらも煙草片手であろう通信の乾警部補が続いた。両手のマシンピストルを再び安部祐次に向けて構え、神和は大きな両目で安部を睨む。対する安部祐次はそれまででは想像さえ出来ない劣勢に慌てているらしく、ソファから飛び跳ねるように立ち上がったが、拳銃はリッパー、久作、神和、初老の老人と照準が定まらないようだ。久作の説明とリッパーを名乗る女性からのトドメの科白で安部は、巨大なバックを持つ工作員から一転、県警管轄内で発生した誘拐事件の犯罪者となり、周囲は敵だらけで、誰が味方で信頼出来るのかさえ不明になっている。
「王手、いや、チェックメイトだったな。拘置所か死体安置所の居心地でも後で聞かせてもらうかな?」
 部屋の入り口に立つ須賀がポツリと呟いた。そこに立つことで阿部の退路の一つを封じていると、警棒を握っていることから解る。どういう状況であれ、須賀恭介は無駄な行動は一切しない男なのだ。
「その声! 須賀恭介か! お前は?」
「やれやれ、錯乱しているのか? 元軍曹の安部さん? 俺はアナタと交渉した際にきっちりと忠告したはずだ。イーグルサムを相手にすると状況は悪化して結果は最悪になる、とな。これも繰り返したが、現金要求だけならここまで大袈裟にはならなかったのに、アナタはセルゲイ・ナジッチという名を出した。そこから速河が言ったような裏事情に繋がるのはつまり、最悪の結果というまさにそれだ。孤立した兵士は兵士ではなく、バックボーンだと思っていたそれが巨大であればあるほど命取りだと気付かない。元軍曹、アナタはとんでもない間抜けだ。希代のエンターテインメントも顔負けの大した道化っぷりだ。路地裏で背中から刺されるのがお似合いな、哀れなエンターテイナーさ。惨めにあがくも良し、神和巡査部長に保護してもらうも良し、自由にすればいい。アナタが行使出来るおそらく最後の、唯一の権利だ」
 文字通り吐き捨てるように須賀が言い、安部はレイバングラスを掴んで床に叩き付けた。写真資料よりも老けた、この数分で更に年を取ったような安部祐次の左目が久作を睨んでいる。右目はあらぬ方向を向いていた。右目の上、眉毛に小さな傷があり、右目は斜眼しゃがんだった。それが先天性でないことは資料から解る。どこかでの戦闘によるものか、事故か何かかは解らないが、視点の定まらない右目は安部の心情そのもののようだ。
「この右目は! 俺が兵士である証だ! 街を移るたびに不気味だと言われるこの目を、仲間は似合っている、そう言った! 連中はとっくに死んだが、俺が彼らの代理人だ! NSAが俺を利用するなら、俺もNSAを利用するのさ! ノワール、この連中も同じだ! 阿久津の提案は俺のバックを利用したものだが、それでいいのさ! 俺も阿久津を利用して、お互いにそれで良しとした! 警察を巻き込んだのはそこから先がこの国にはないからで、NSAに対する俺の保険でもある! 一国の警察組織と対等以上に渡り合えるというこの俺に余計なことはするな、とな! リッパー! お前がCIAでも俺はいいさ! 利用した挙句に使い捨てるのなら、俺は別の組織と手を組むだけだ!」
 拳銃をリッパーに向けて怒鳴るような安部は、変わらずの笑顔を返すリッパーを左で睨んでいる。ここまで追い込まれた人間をかくまう組織などチンピラレベルでももうない。安部にはそういった判断も出来ないのか、自分には強大な力があるように言う。しかし実際は手にした拳銃、ウィルディ・マグが一挺、これくらいだった。
 パパン! 神和のMP5が安部の右手、拳銃を持つ腕を撃った。肘と手首を抜かれた安部は拳銃を落とし、神和は照準を続ける。
「トリガー指が動いたから撃ったぞ? 警告はしてたしな。そんなゲテモノ大口径を至近距離で女性に向けるな。撃たれたら吹っ飛ぶだろうが」
「サンキュー、オフィサーサージェント」
 囁くようなリッパーの声はマシンピストルの残響で掻き消される。どうにか聴き取った神和は笑顔で返し、そのまま背中を向けるリッパーは無視した。パンプスにチノパンのリッパーは隣のロイヤルスイートに繋がる穴のある壁へ数歩歩いてから止まり、振り返って赤いフレームの眼鏡を久作に向けた。
「ハイ、ボーイ、ミスター・ハヤカワ。アナタはもしかすると、私にとってもボギーワンかしら?」
「まあ、そんなところでしょう。でも、不明勢力だから全てなぎ倒すなんて真似は、賢くないでしょう? たまたまIFF(敵味方識別装置)が故障しているだけ、なんてことも、まあ現実ではあるでしょうしね」
 同じく笑顔で久作は返し、リッパーはそれを聞いて確かめるように眼を閉じ、再び背を向けて隣のロイヤルスイートに続く壁の穴へと消えた。またどこかで会う、そんな予感を抱きつつ久作は彼女を見送った。

 これでようやく終わり、そう思った久作だが、加速したままの脳はまだ警報を鳴らしている。
 銃弾を受けた安部祐次は具体的な障害ではないだろうが、頭の中にビービーと警報が響いている。終わりに近いが、まだだと頭が言っている。阿久津零次、西洋史教師は露草によって戦闘不能になっていて、ウルフシャギーで国籍不明の女性も消えた。須賀が戻り用心棒らしき黒人の一人は倒されて、もう一人はリーが相手をしているのなら問題ない。
 と、ここでずっと安部祐次の隣で沈黙していた初老の男性と目が合った。薄い頭と対照的な髭は黒く、こちらはアジア系、中国人か日本人かだが、眼光が尋常ではない。ナイフのように鋭くて大砲のような威圧感だ。神和彌子と変わらない小柄だが全身から覇気が満ちている。見た限りで武器はないが、両手両足が武器なのだろうと一目で解る。先刻までは気配を消していたので無視だったが、安部が腕を撃たれた直後から指向性の怒気を久作に向けている。神和はまだ気付いていないようだが、須賀がそれを察知したらしい。
「速河、かのご老人はどうやら安部氏の最後の切り札らしい。外にいた二人も大したものだったが、こちらはどうも格が違うようだ。お前にこんな言葉は無意味だろうが、いちおう、侮るなよ」
 乾警部補のようにボソボソと呟く須賀。それに呼応するように安部が半笑いで叫んだ。
「は! ははは! 俺は手札を全て晒すような間抜けじゃあないのさ! そしてだ! 俺は負ける戦はしないのが流儀だ!」
「やれやれ。阿部氏は自信たっぷりで切り札を出すつもりのようだ。これは阿久津零次、そこに転がっている彼に言おうと思っていたんだが、アナタ方の計画は六部殺しというあれそのものだ」
 安部の叫びと噛み合わない須賀の科白は、久作が構えなりを取れる時間を稼ぐものだった。久作の使う我流の格闘技にそういう間が必要なことを、何度か一緒に戦った須賀や方城は知っている。
「ロクブコロシ? ネゴシエイターの須賀くん? 俺を混乱させようとかそういう算段かい?」
「これは、驚いた」
 言葉通りにゼスチャーして須賀が返し、続ける。
「日本国籍で自衛官でもあった成人男性が、六部殺し、この有名な民話を知らないとは。もう半分、夢十夜、持田の百姓と亜種が多用で、落語の演目になったり文豪がネタにまでするほどの民話なんだが?」
 語尾はリカに向けているらしいが、リカも、隣の前村歩もぽかんとしていた。須賀はやれやれ、と溜息半分だった。
「六部、正確には六十六部、これは六十六箇所を巡礼する僧のことで、この僧に一拍の宿を提供した百姓夫婦が僧の金を奪って殺し、以後、裕福を続ける。夫婦の間に出来た子供が先天性の障害だったり奇行を繰り返したりで、ある晩、この子供がこう言うんだ。お前らに殺されたのもこんな夜だったよな? とな。つまり、この子供というのは六部の生まれ変わりであった、という話だ。その一言で夫婦が死んだり、途端に貧しくなるなどバリエーションは豊富だが、詳細は省いたがこんな具合さ、理解したか?」
 須賀が問うが、安部は笑顔を止めたまま無言だった。
「まったく面倒な奴だな。日本語が解らないのか? この六部殺しという民話はな、生まれ変わりからの復讐の怪談、ではない。因果応報とも少し違う。悪銭身に付かず、というあれさ。まっとうでない方法で得た金はいずれ失い、相応の報いを伴うという教訓だ。阿久津零次と結託した女子高生誘拐による身代金要求などな、たとえ成功したとしてもいずれ全てを失い、とんでもないしっぺ返しに会うということさ。実際、阿久津零次はご覧の通りだし、軍曹殿も似たようなものだ。安部祐次、アナタと阿久津はまさしく六部殺しの百姓夫婦そのものだ」
 須賀が言い終わると、安部は苦虫を潰したような表情で左目で睨み返してきた。下がったままの右目が何を見ているのかは定かではない。
「そうかい。ご丁寧な演説に感謝するよ。しかしな、阿久津ではないが、まっとうではない、という判断を誰がする? その六部だかの百姓が明日に困るほどに貧しいのなら、その話の前半はあっても不思議でないだろう?」
「だから貴様は間抜けなんだ。格言や教訓というのはそのメッセージが重要であって、筋書きに文句を言うなんてのは小学生だ。そんな頭脳でよくもまあ今日まで生き残れたものだ。その点には拍手だが、黒幕らしき彼女が消えたのは案外、そんな間抜けと肩を並べる馬鹿馬鹿しさに気付いたからかもな」
 モノでも見るような須賀の視線は、もはや安部をテロリストや犯罪者、元軍人とすら思っていないようだった。
「須賀くんがインテリなのは解ったが、俺はどんな状況からでも巻き返す、それくらいの準備は常にしてあるさ。ミスター・チェン! エクスターミネイション!」
 安部の指示で初老、ミスター・チェンと呼ばれた小柄な男性が足音もなく迫ってくる。須賀が用意した時間で準備を整えていた久作の思考は加速を続ける。警報が鳴り、安部の科白をリピートする。エクスターミネイション……皆殺し。
 神和がMP5を構えて警告する、よりも早く、初老から黒い蹴りが出た。回し蹴りの軌道だがとんでもない速さだ。ラピッドファイヤーことリー捜査官に匹敵するその蹴りで、神和の両手からマシンピストルはいとも簡単に手を離れ、神和はバックステップしつつ腰から警棒を抜く。が、伸縮警棒を伸ばす動作を続く蹴りで弾かれて、警棒はくるくると回転しつつ応接セットにあるモニターに突き刺さった。
 小柄な体躯を回転させた連続の回し蹴り、弾丸のようなそれは神和の頭を狙って飛び、神和は右腕でそれをどうにか止める。ドンと鈍い音がした。骨がやられたのは確実だ。右腕でガードしたが体はそのまま左に吹き飛び、応接ソファの一つに衝突する。神和はカリの使い手らしいが、それを披露する暇もないほどの回し蹴りをチェンという初老は繰り出した。ガード出来たのは神和の動体視力が故だろうが蹴りの威力がとんでもなく、反撃する隙もなくガードごと吹き飛ばされた。
 リカと前村歩は後方、ベッド側に退避していて、露草は阿久津零次の横で煙草を吹かしている。安部が何かを叫んでいるが久作の加速した、限界速度に達した脳には届いていない。ミスター・チェン、おそらくマーシャルアーツ、中国拳法使いであろう初老が自分を狙っているのか須賀を狙っているのかは不明だが、二人を睨む位置からどんどん距離を詰めてくる。足音はなく、姿勢は低く、体重を腰に乗せている。どの姿勢からでもあの猛速度の蹴りを出せるのだろう。
 迫ったチェンはローキック位置から足を振り上げた。円軌道のそれは久作の頭を狙っている。逮捕術やフィリピン武術のカリを使う神和彌子をガードごと一撃で吹き飛ばした左足は、オーバーコンセントレイション状態であってもブレていて、頭を狙っていることしか解らない。かわせる距離でもない。ならば防御だが、神和を吹き飛ばすほどの重い蹴りはマトモに貰うとそれだけでダメージだ。ここで自分がダメージで動けなくなると、凶暴なチェンと負傷した、大口径の銃を持つ安部祐次に須賀一人で対処しなくてはならない。神和は応接ソファに埋まるようで回復に時間がかかるだろうし、リカと前村歩、露草が危険になる。大柄なキックボクサーを相手にした須賀を更に酷使するのは得策ではなく、須賀にはロビーで待機している方城と一緒に撤退時のルート確保と護衛をやってもらいたい。そのために戦力になる方城がテールガン、しんがりに配置、温存されてもいる。
 チェンの左足の重たい蹴りを防御ではなく、打撃で迎撃する。軌道は早くて見えないが着弾位置は解る。ここに左掌を、化勁かけいを撃ち込む。気を練った勁けい、これが自分の最大の、そして唯一の特技だ。八極拳に限らず勁を防御として使うのが化勁で、チェンの重たくて早い蹴りの軌道を打撃で変える。撃ち出した掌に感触があったが恐ろしく重たい蹴りは殆ど軌道が変わらず、しかしどうにか鼻を掠める程度まで捻じ曲げた。
 バン! 瞬間的な超集中力が弾けて、久作の目の前がスパークした。運動量は少ないが勁、全身の気を左掌に集めたので体力の消耗が半端ではなく、また、オーバーコンセントレイションを更に加速させたので脳処理が全く追い付かない。焼き付きのような視界、一発の掌底しょうていで何もかもを殆ど使い果たした。
 ミスター・チェンの表情が見えた。変わらず怒気を放っているが、困惑している様子もある。それは当然だろう。自慢の蹴り、武装した警官でカリ使いの神和すら一撃の蹴りを、ただの高校生が打撃でかわしたのだ。だが、その戸惑いの時間は気を練る隙をこちらに与える。方城でもあるまいし、こんな真似は体が追い付かない。一度の防御でこれだ。また防御すればその場で気絶しても不思議ではない。だが、ここで気を失うわけにはいかない。須賀が控えてるとはいえ、このミスター・チェンはこちらで対処しておく必要がある。安部や阿久津は神和や乾警部補に任せればいいが、こんな凶暴な相手に拳銃は無意味だ。方城が、リー捜査官は拳銃弾をかわしたといっていたが、眼前の初老もそれくらいの真似はするだろう。
「加速!」
 次で決める!
 重心を落として左前に構える。人気3D格闘ゲーム「ミラージュファイト」のキャラクター、八極拳使いのカラミティ・ジェーンの構えだ。アヤはミラージュ2をやり込んで続編の3、夏休みと同時発売のそれを待ち遠しいらしいが、ミラージュ1を堪能して2は少しだけなので、カラミティ・ジェーンの追加技は知らない。知らないがそもそもが二十以上の技を持つので、とりあえずこの局面には対応出来るだろう。
 ミスター・チェンの右足が床から浮く、と同時に更に加速! こんな時だ、脳が焼き切れるくらいは覚悟だ。
 思考の限界速度、光速に達した瞬間、チェンの右足がくっきりと見えた。体格差で下から蹴り上げる格好のチェンは、蹴り足でこちらの顎を狙っている。空手の蹴りとはモーションが全く違う。体重移動はあるが上体が殆ど動いていない。蹴り上げた後に拳の打撃を入れる、そんな姿勢だ。重心を落としたまま左足を一歩、絨毯のフロアに渾身で落とす。震脚しんきゃくは八極拳の基本で、このエネルギーを全て左半身に集める。同時に気を更に練る。勁による攻撃が、八極拳の真髄である発勁はっけいだ。
 チェンの右蹴りに大して左構え。左の脚震からもう一歩、右の震脚。構えが右に変わり、チェンの蹴りが迫る。右構えになって二度の脚震と勁の練りを右拳に集める。空手やボクシングのように拳を鍛えるでもないので、掌底。右足から腰、右肩から腕を伝わって体重の全てと勁が右の掌底に集中する。左から右に構えた勢いのまま、チェンの蹴りよりも速い右掌底を突き出す。狙いは顎。チェンの右手が邪魔だが光速思考でチェンの顎がくっきりと見える。丁度、拳一つ分の隙間がある。ここに全体重と勁を練った掌底を突き刺す。
 ゴリッ、と鈍い感触はチェンの顎を真正面から砕いた音だ。顎が外れてそのまま喉を撃ち、顎関節が砕ける感触と喉の奥の脊髄を打つ感触があった。まず顎が外れて顎関節が壊れる音がして、喉を打ち抜いた。全身の勁と脚震からの加重移動の全てを顎と喉に喰らった初老の小柄、ミスター・チェンは、神和彌子よろしく後ろに吹き飛び、応接ソファの上を飛び抜けてオーディオの一部に埋まった。

 バン!

 光速に達したオーバーコンセントレイションが解除される音は目の前のスパークと同時で、手や足に痛みはないが強烈な頭痛で視界が奪われる。続く虚脱感は今度こそ体力全部が抜けたようで、遅れて腰の後ろ辺りに痛みを感じた。これが背骨を伝って脳天まで貫き、背面に激痛が走る。ゲーム中では猛虎もうことネーミングされた一撃必殺の右の掌底は、コントローラのコマンド入力とボタン押しで出る技だが、実際にやると一発で体力がなくなり、リバウンドのように背中に痛みが広がる。
 須賀や方城は普段からトレーニングをしているが自分はそうではない。ただ、愛車である原付バイク、古いオフロードのXL50S、これの運転に普通より少しだけ体力が必要なので、どうにか八極拳の技の一つが出せた。ミッションで、両手レバーと両足を使い、ニーグリップで体重移動させて運転するバイクなので、スクータよりも体力が必要なのだ。通学の往復と週末、まだ三ヵ月ほどだがその期間にXLに乗っていたので中等部時代よりはマシな体力だが、バス通学なら最初の防御、化勁で失神していただろう。
 視界はずっと白く、耳鳴りも酷い。頭痛に続いて吐き気。背中の痛みはどんどん増加して、立っているだけで精一杯だ。だが、ミスター・チェンという初老のマーシャルアーツ使いは倒した。はっきりと手応えがある。大袈裟なオーディオセットに埋まるのも見届けた。あれでまだ動くのなら、それこそ神和の拳銃か須賀の警棒でトドメだろうが、かろうじて見えたチェンは動く気配もない。当然だ。顎を砕いてそのまま急所である喉に渾身の一撃を放ったのだ。必殺の猛虎を喰らって立ち上がれる人間など、まずはいない。軍人だろうが警察官だろうが、格闘家だろうが不可能だ。それくらいに自信のある一撃だ。
 だが、このリバウンド状態は尋常ではない。
 以前、奈々岡鈴を苦しめた悪徳教師に似たような真似をしたが、あの時は直後に意識が飛んだ。相手を倒したのを確認した後に気絶しつつレイコと奈々岡に抱えられて、露草葵の城、桜桃の保健室に運ばれた。あの時は確か、瞬間に勁の打撃のコンビネーションを叩き込んだ。当然、体力などは今と変わらない。そんな無茶をするから気絶した。今回はそれを一撃でやってみた。元が柔道から合気道の基礎なので打撃バリエーションは少ないが、かといってサブミッションや寝技に持ち込めるような相手でもない。
 それに、八極拳は打撃がメインの格闘技で、知る範囲にサブミッションも寝技も組み技もない。ゲームではそんな技も使えるが他のキャラクターに比べれば種類は少ない。何より一撃必殺が八極拳の基本概念だ。トレーニングしていなくてもこれは同じで、勁、気を練る、これが使えるからこそ八極拳が成立する。それを訓練ナシで可能にしているのが桁外れの集中力、オーバーコンセトレイションで、つまり、またまた方城ではないが気力だけで成立しているのが、アヤがネーミングした速河流八極拳である。
 頭痛と吐き気が限界に達する。警棒で左右から殴られているような頭痛と、胃に下水道でもぶち込まれているような吐き気。脊髄はミキサーで攪拌かくはんされるような激痛で、特に腰が酷い。そのまま気絶できないのは頭痛が激しいからだ。意識が飛び飛びなのに消えないのも強烈な頭痛によるもので、眼球の奥がじんじんと痛む。何度か咳が出て一緒に吐き気で胃液も出そうだが、どうにか堪える。だが、閉じた両目から涙がにじむ。全く散々だが、敵を倒せたのだから良しとしよう。
 そう、敵。リカが味方なのか敵なのか、そう尋ねた。それに敵だと応えて、敵だから倒した。やたらと強そうだったのであえて短期決戦、一撃で仕留めた。あんな重たい蹴りをそう何度も防御は出来ない。ミスター・チェンだかが何者なのかは知らない。アジア系で安部祐次と一緒なら、おそらくリー捜査官が内偵している蛇尾、スネークテイルからの用心棒だか連絡役だかだろう。どちらにしろ敵には違いない。リーが、蛇尾は人身売買をやっていると言っていた。そんな連中の一味ならオーディオセットに埋めてしまってもいいだろう。
「速河?」
 耳鳴りの隙間から声が聞こえた。須賀だと解るが視界が自由にならない。いちおう返事をするが声が出ているかどうか自信はない。
「久作くん!」
 リカの声が聞こえた。リカさん、艶のあるロングヘアと大人びた風貌が魅力的な委員長は、リカちゃん軍団のリーダーでもある。

 久作、そう、それがぼくの名前だ。速河久作。
 自由と平和と平凡を愛する、私立桜桃学園高等部の一年。ほんの少しの正義、手の届く範囲の、偽善と紙一重の正義を、遠くない将来まで抱き続けようと決めた、いずれはスーパーヒーローになる、つもりの、バイクが好きな高校生。今は何とも情けない姿だが、これだって悪党を倒した結果だ。まだ変身は出来ないし、必殺技だって地味なものだが、前村歩、アヤと同じくらい小柄で割とチャーミングな彼女を誘拐犯一味から救い出すくらいの力はある。
 ぼくの正義は小さな欠片だけど、いつも両脇に須賀と方城がいるし、リカ、アヤ、レイコのトリオ、リカちゃん軍団もいる。リンさん、奈々岡鈴もいるし、露草葵先生もいる。今回は他に県警本部で知り合った鳳蘭子という監察医や、学園理事の天海真実。その執事の月詠という男性もいる。県警三課のメンバーとも少ないながら会話をしたし、露草葵というとんでもない変わり者と結婚という冒険をした男性も見た。露草は確かに女性としては魅力的だが、中身は須賀に劣らぬ変人だ。そんな人と結婚とは、全く、とんだ変わり者だ。
 膝が落ちた。体力はほぼゼロ。
 背中の激痛で体は上手く動かないし、とにかく頭痛が半端ではない。目が閉じたまま開かない。本当に火花でも散っているような視界に、内側からの頭痛。もう何分も持たないだろうが、確認しておく必要がある。安部祐次だ。阿久津教師のほうは露草が既に始末しているが、軍人崩れの安部は片腕を撃たれたくらいではまだ動けるだろう。しかし視界が利かない。耳もおかしい。安部祐次は? そう尋ねた。声が出ているかは疑問だが、吐き気の合間にねじ込んでどうにか発したつもりだ。
「安部は逃げたよ」
 どうしてそんなに優しくなのかは解らないが、神和が返した。彼女はチェンの一撃でダメージを負っているはずだが、聞こえた声色にダメージも疲労も、無力感も感じなかった。神和にとって安部は、警察官である自分のプライドを一度砕いた凶悪な犯罪者のはずだが、逃げた、そう言う科白は柔らかい。ひょっとして、あの大柄の無頼漢、乾警部補か表情も黒い公安のサミー山田という彼が確保したのか。きっとそうなのだろう。公安は警視庁なので管轄が違うが、そもそも安部祐次をマークしていたのは公安とICPOらしいので、県警の神和ではなく公安のサミー山田巡査部長が確保しても問題はない。
 神和のプライドに対する反撃は、神和が矛先を収めれば済む話だろうし、彼女はそういった切り替えが自在なようにも見えた。だから、逃げたよ、というのは仲間の誰かがカヴァーしたか、いずれじっくり追い込む、そういった意味なのだろう。

 リッパー、不思議な響きのあの女性は先に退散した。言動から安部祐次のバックボーン、諜報機関の工作員といった印象だが、少なくとも敵ではないようだった。逆に好意さえ見えた。神和が彼女を追わず、逆に彼女を助けたことからこの辺りは間違いないだろう。安部がラングレー、CIAだろうと尋ねていたがリッパーを名乗る彼女はそれも含む、といったニュアンスで返していた。彼女こそが今回の作戦の切り札だった。直前までその存在すら感知していなかった彼女が安部や阿久津を動かしていた、いや、動きを支えていたのだ。だが彼女や彼女の組織は二人の動き、手を離れた独断を良しとはせず、全てを県警三課の神和彌子巡査部長の裁量に委ねた、そう思える。
 NSAなりが安部を切り捨てるというのはこちらの想像からだが、それがCIAでも同じだろう。映画や小説のフィクションは現実の要素を少なからず含む。そう思っている。全くのフィクションは存在せず、脚本家なりのイマジネーションはリアルを反映したものだ。だからCIAの陰謀説というのはネットが当たり前の現代以前から存在するし、そういった映画も多い。そうやってフィクションとして情報を流すことで真実を隠すという手段は常套だ。MIB、宇宙人相手のメン・イン・ブラックもコメディとして映画になっているが、アメリカ政府が宇宙人と結託しているという話は七十年代からある。地球侵略を画策する宇宙人に比べれば、NSA工作員の元自衛官のテロリスト、こちらのほうがよほど現実的だ。NSAとCIAの確執があるにしろないにしろ、そういう名称の組織が存在するのは事実で、どちらも諜報に特化した組織である以上、縄張りが重なることも、政府内部での派閥争いやら権力闘争やらもあって不思議ではない。
 中東の紛争や麻薬王の暗躍とそれらが重なれば、安部祐次のような人間が出来上がるし、NSAがバックボーンだと信じていた彼が日本政府を巻き込んだ動機は、天海グループと在日米軍の事情を考慮すれば、まだ宇宙人侵略よりも説明が容易い。阿久津零次、西洋史の彼の動機に至っては単純だ。ビジネス、金儲けの手段として御法に手を出した、それだけだ。マンホールの蓋、そう露草が表現していたが、きっと阿久津零次には世界が錆色に見えていたのだろう。アルマーニのスーツやエバだかの車は彼の虚栄心であって、本来、阿久津は安部の後ろで虎視眈々と金を狙っていればよかったのだ。阿久津零次、彼の唯一のミスは露草葵のラベルダを突いた、これだ。
 赴任して日の浅い教師でも保健室の主、露草葵の扱いは承知している。彼女は桜桃学園の守護天使、アークエンジェルなのだ。これを教師も生徒も承知している。魅力的だが呑気な若い理事長、学園運営には一切口を出さない天海真実でも露草の扱いは承知している。県警三課の巡査部長、さ迷える紅い弾丸こと神和彌子や監察医の鳳蘭子もだ。桜桃学園のアークエンジェルにちょっかいを出した阿久津零次は、手下を残らず蜂の巣にされた挙句に、デコピンと蹴りを喰らったが、当然だろう。桜桃学園で発生した小さくはない事件二つを解決に導いたのは自分やリカちゃん軍団だが、幕を引いたのは守護天使、露草葵だった。つまり露草は、アークエンジェルであり、同時に、メチャクチャになった舞台劇を強引にフィナーレに導く機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナでもあるのだ。
 葉月巧美のトラブルと前村歩の誘拐、NSAをバックのテロリストや悪徳企業の御曹司、世界規模の諜報戦に中東紛争まで絡んだとんでもなくややこしい舞台劇を、半ば強引にフィナーレにしたデウス・エクス・マキナ、それが露草葵だ。彼女の逆鱗に触れた者の末路は悲惨で、それを阿久津零次という西洋史教師は理解していなかった。安部祐次も同じく。ひょっとして、と蘇るのは黒髪のウルフシャギーと赤いフレームの眼鏡、リッパーと名乗った、ジョーカーだった彼女だ。ひょっとして彼女も露草葵と同じ役回りなのかもしれない。滅茶苦茶になった舞台の幕を引く機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナ。だとすると安部祐次と阿久津零次は、二人の女神の下で行動していたという意味だ。その画策だかが達成できるはずもない。

 気がつけば座っていた。
 背中をさする手がリカだと気付くのにかなり時間が掛かった。背中が痛いとずっと唸っていたらしい。頭痛は続くが吐き気はマシになった。視界はまだ白いが耳鳴りも小さくなってきた。ミスター・チェンという用心棒は倒して、阿久津零次は露草か神和が確保しているだろう。安部祐次はとりあえず神和からは逃げた。正直、彼はもうどうでもいい。
 安部の言動が全て実態のないブラフの類ではないことはリッパーという彼女が保障していたので、結果的に大規模な報復という話も霧散した。取り逃がしても警察機構以外の様々な組織から狙われる安部の末路など、もう関心の外だ。おそらく顛末と安部の末路は報道されないだろうし、ネットのアングラサイトにも情報は載らないだろう。それこそ直接NSAにでも問い合わせる以外に方法はない。応えてくれるかどうかは知らないし、実際、そんなつもりもない。
 麻痺していた五感が戻ってきた。背中の鈍痛と頭痛は相変わらずだが、痺れた手足と耳の感覚は戻ってきた。猛虎、八極拳の一撃を放ってどれくらい経過しただろうか。浅い呼吸が続いて酸欠気味だ。大きく深呼吸しようとすると背中の痛みが増すので、浅くて短い呼吸を繰り返すのがやっとだ。安部祐次の末路を含めて、ややこしい話の全てがこれでお仕舞いだ。毎度ながらのアヤの情報戦と須賀の活躍。自覚はないようだがリカの存在と二人の女神、このホテルに突撃した、方城を除く全員の活躍で大袈裟で深刻な事態は収束した。方城の活躍がないのはアヤの無事とイコールなので、本人は不満でも良い結果だ。方城は葉月巧美の一件で大活躍したのだから、それで足りるだろう。
 思えば、事件の規模もさることながら、関わった人数の多さ、これがとんでもない。つまりそれだけの事件だったのだろうが、お陰で新しい知り合いも出来た。天海真実と鳳蘭子、この二人は特に面白い。天海真実、桜桃学園理事長の彼女は須賀の前に座らせると愉快で、見物していて飽きない。鳳蘭子は露草葵と並べるとこちらも面白い。監察医と精神科医という違いが意見の違いとなって、経営学漬けの天海真実と並べてもなかなかだ。科学捜査研究所の二人は須賀恭介の興味の対象だろう。相模京子という行動心理学者と部下らしい加納勇。桜桃二年のギタリスト、加納勇介の姉は楽器ではなく犯罪者心理学を扱っていて、揃ってインテリの須賀姉弟とは少し違う印象だった。
 二人の女神以外にこれだけの個性派が集結すれば、安部祐次がどんな経歴だろうと謀略が達成される道理はない。阿久津零次の浅ましい考えなど露草葵のデコピンで撃破される程度で、天海姉妹にかかればアクツエージェンスという企業も大したことは出来ない。

 監察医、鳳蘭子との会話を思い出す。

 犯罪は究極の、一方的な暴力であり、対抗出来るのは同じく暴力である力しかない。
 正義のスーパーヒーローを誓って、それを力だと信じて振るった結果、初老のマーシャルアーツ使いがオーディオ機器に埋もれた。自分にある唯一の、しばらくはただ一つの正義は八極となって悪漢を打ち倒した。これが欺瞞や偽善であっても、仲間に対する暴力が行使されなかった、それでいい。手の届く範囲でのちっぽけな正義は、しばらくはその範囲でのみ使える唯一の力で、それで足りることこそ退屈と隣り合わせの平和な日常なのだ。
 つまり、自分の信じる正義というのは、酷く退屈なのだろう。
 だからこそ、変身ヒーローは普段は退屈を持て余す凡人、そんな姿なのか。この辺りはもう一度、鳳蘭子にでも尋ねてみよう。徹底した現実主義の彼女がどう返すのか、それはそれで楽しみだ。
 さて、そろそろ潮時だ。事件の幕は引いた。露草とリッパーが引いたそれを自分も握った、そんな具合だ。後は本業、警察官の神和らに任せて大丈夫だろう。アヤのことだ。増援と救急車を手配しているだろう。露草の保健室でも鳳の医務室でも県警の仮眠室でもどこでもいい。とりあえず眠りたい。頭痛と背中の鈍痛、吐き気を治める薬を処方してくれれば、後は寝るだけで事態は収束する。
 自分一人で抱えずに他人を頼る、そう決めたのは高等部に上がってからだが、それが良さそうだ。体が自在ではなく視界もおぼつかない状態では何も出来ない。こんなときにまで自分で、と考えるのは無意味だろう。頼った分頼られる、それでいい、そう須賀が言っていた。その通りだろう。
 残った気力で事件を整理してみた。幾らか疑問はあるが、まあこんなところ。

 じゃあ、おやすみなさい……。

第十三章~月詠六郎とラブ&ピース ―めでたし、最高に優美な人よ―

「――それで? 安部祐次はどうなったの?」
 夏休みを翌週に控えた正午。蘆野河河川敷を愛犬、ウェルシュコーギーのパピーのリードを握った天海真実が、隣を歩く執事、月詠六郎に尋ねた。真夏の晴天だが、海からの柔らかい風が心地良い。
「こちらで手配したヘリとは別の、ミス・リッパーが用意していたヘリで逃亡しました。神部国際空港から先の足取りは不明です」
 真夏でもスリーピーススーツの月詠は、定規のような背筋のまま返した。パピーがリードをぐいぐいと引き、真実を急かす。
「その、リッパーさんというのは、ひょっとして月詠さんのお知り合い?」
「年寄りの冷や水という奴ですね。彼女とは古い付き合いです。真琴さまはご存知ですが」
「私にはまあ、無縁な話よね。いいわよ、気にしないで。姉さんは私よりも頭が切れるし、商売柄、そういった事情にも詳しい必要があるんでしょうよ。具体的にそのリッパーさんというのは何者なのかしら? 訊いても安全な範囲で」
 一足早く夏休みといった家族連れで今日も蘆野河河川敷は溢れていた。ドッグショーさながらもいつもの光景だ。
「ミッションコール、リッパー。渾名らしいですが本名は聞いていません。一番新しい経歴はNSA、米国家安全保障局の上級工作員としてセルビアで安部祐次と接触ですが、その前は米国中央情報局、CIA幹部補佐です。その前が旧KGBが集まった無名組織の構成員で、出身は米軍海兵隊。少尉として国防総省直下の特殊任務に従事していたとも聞きました。別で大佐と呼ばれてもいましたから、長く海兵隊にいたのでしょう」
「それはまた、とんでもなく凄い話ね? アメリカ海兵隊の少尉さんが名立たる諜報機関を渡り歩いて、ひょっとして大統領直属のスペシャルエージェントだとかそんなかしら? ダブルオーセブンもビックリよね。そんな彼女とツーカーな月詠さんと姉さんにもビックリだけど」
「真琴さまからは事態の収拾を指示されていたのですが、彼女と加嶋さまがいらしたので」
「カシマ? あの、久作くんのガールフレンドの? 生粋の諜報員とその下で動いていたテロリストに、ミス桜桃だかの彼女? だから安部はホテルの屋上で悲惨な結末を迎えず済んだ、といったところかしら? まあ、その結果が彼にとって良いかどうかはまた別でしょうけど」
 月詠が昨日夕方にホテル・スカイスクレイパーに向かったこと、真実の傍から離れた以後は姉の真琴の指示で動いていたことは承知していた。そうするように真実が月詠にお願いしたからだ。月詠が真琴の指示で動けば相手がテロリスト安部であっても無事では済まない。企業家として成功して実績のある姉の真琴は、真実と違って荒事にも精通している。隣を歩く執事がそんな真琴の後押しをするだけの経歴であることも薄々は知っている。
まさか生粋のスパイと知り合いだとは想像さえしていなかったが、そもそも真実は彼女の存在すら知らなかったので、月詠六郎、今は真実の執事という肩書きのロマンスグレーとの関係も知る由もない。

 昨日の時点で真実が前村歩に対して出来ることは、身代金を用意することと、月詠を送り込むこと、これだけだった。
 学園高等部一年の、チェリービーンズで同席したなかなかのハンサムが無謀に聞こえる作戦を実行しようとする段階で、警察官である神和や乾の手に余るような事態を想定して、その後始末役として月詠を真琴の指揮下に置いた。最終的に血生臭い仕事をお願いするかもしれないという覚悟はあったが、それはホテル屋上に待機していたらしい加嶋玲子、速河久作のガールフレンドだと聞かされている彼女のお陰で回避されたようだった。
 リッパーだかというスパイが後始末を神和に一旦は押し付けて、しかし屋上でレイコと月詠に遭遇し、安部を引き取った、そういう事情だろう。聞いた経歴の彼女が安部をどうするかはもう想像するだけだが、再び自分の耳にその名前が届かないだろうとは容易に予想できる。
 学園で噂の加嶋玲子は安部にとっての守護天使、アークエンジェルだったようだが、もう一人のアークエンジェル、リッパーが文字通りの守護天使だとしても、誰にとってのかは定かではなく、少なくとも安部祐次のアークエンジェルではなさそうだ。ことごとく慈悲から見放された安部祐次、そう考えると犯罪者ながら少しは同情も沸く。守護天使か鎌を振るう死神かはともかく、安部はリッパーと共にホテルを去り、空港から先の足取りは不明。阿久津零次の渾名ではないが、ジョン・ドゥー、身元不明男性死体さながらだ。
「阿久津先生とミコたちは?」
「阿久津零次は今回の主犯として通常通りに逮捕され、聴取が終われば送検されて裁判待ちですが、有罪は確定でしょう。神和さまは捜査中に怪我をされたそうですが、処分は県警三課の永山課長さまの裁量の範疇だそうです。公文書としては神和さまが警備部の備品を持ち出したことに対する始末書と、刑事部捜査一課が誘拐犯罪を解決しつつノワールと呼ばれる組織を一斉検挙したといった具合です。警察庁には影山さまが事件を処理したと報告されて、警視庁のSATは待機から通常に戻っています。この事案は今後の警察庁の誘拐犯罪に対する資料と、SATの運用データ収集に利用されるようです。警視庁公安部はノワールへの捜査協力という名目でしたが、サミーさまは警視庁に戻ったそうです。中国公安のリーさまは引き続き神和さまらと一緒だとか」
 すらすらと舞台科白のように月詠が報告する。真夏の炎天下でも汗一つない月詠と、荒い息遣いのパピーの落差が真実には面白かった。
「鉄砲だとかバンバン撃ったんでしょうに、始末書一枚だなんて、永山さんも影山さんも器量が大きいというか、大雑把というか。あれだけの規模ならもう警察の面子なんて関係ないでしょうに、キッチリ落とす辺りがさすがのお二人ってところね。公式にはスムースに解決した事件で、ちょっとした手柄にもなってるなんて、永山さんも影山さんも策士よねー。警察庁も県警も三課も、誰も処分されずにミコの始末書一枚って、組織として相当よね? 当然、速河くんなんかは無関係ってことになってるんでしょう?」
「はい。いちおう参考人として露草さまが三課の聴取を受けたそうですが、担当したのは旦那さまと永山さまですから、形だけです。後日報告書をとお願いしているので数日中に真実さまの手元にも届くかと」
 月詠の説明に、真実はぷっ、と吹き出した。
「自分の妻の聴取なんて、それこそ形だけでしょうに。まあ目は通すけれど、形式的なものでしょうね。アクツエージェンスは?」
「アフリカ大陸での活動は止まっています。いずれ撤退でしょう。体力はあるのでボリビアから巻き返すかもしれませんが、天海グループと衝突する場面はもうないでしょう」
「でしょうね。阿久津代表は紳士ですもの。ご子息の失態をそのまま企業ダメージにするような能無しでもない。南米からカナダ辺りに市場を移す、そんなところでしょうよ。前村さんの娘さん、歩さんは?」
「問題ないと聞いてます。葉月巧美さまに比べれば大したことはない、と鳳さまから聞きました。速河さまが若干疲労しているようですが、神和さまの負傷に比べれば回復は早いと、こちらも鳳さまから」
「蘭子さんの診断なら間違いないでしょうね。歩さんも巧美さんも、速河くんも若いから、夏休みに入るころには万全なんじゃない? ミコはしばらくおとなしくしていればいいのよ。彼女、ずーっと走り回って殆ど休暇も取ってないようだから、今のうちに静養すればいいのよ。ホテルの修繕費を天海で負担というの、姉さんは?」
「全額、天海ジャパンで負担するそうです。警察庁は事態の全容を把握していませんし、影山さまに貸しを作りたくない、そんなことをおっしゃっていました」
「姉さんは変わらずね。慈善事業じゃあないのに打算的というのか。これで警察庁へのパイプが出来た、なーんて喜んでるかもね。そのうちAMAMIロゴの入ったパトカーでも見かけるかも、変な話」
「ちなみに、神和さまの車の修理費は自己負担だそうです」
 ぷっ、と再び吹き出した。神和の自慢の車がどの程度破損しているかは知らないが、泣きっ面に蜂ではないが、始末書の後に車の修理請求書で、神和はしばらくおとなしくしているだろう。チェリービーンズで一杯おごってやれば機嫌は少しくらいマシになるかもしれない。
「他は、速河さまらが今晩、アクロスにあるスパゲティ店で食事会を開くらしいので、僭越ですが私のポケットマネーから幾らか出しておきました」
「あら? それはどうも。アクロスのって、ひょっとしてデリゾイゾかしら? あそこのパスタは美味しいわよね。天海ジャパン傘下であれだけのパスタを出す店はないわよ。蘭子さんと一緒に食べたのは随分と前だから、今度は相模さんかミコでも誘ってみようかな? 葵は旦那とイチャついてればいいのよ。教え子にあんな二枚目を揃えて親密で、全く羨ましい限り」
「真実さまはその学園の理事長ですが?」
「……そうよね? 葵と同じくらい速河くんや須賀くん、バスケ部の方城くんと親しくしても別におかしくないわよね? ついでにアークエンジェルのレイコさん、噂のリカちゃん軍団とやらと親密にしてもいいわよね。アヤちゃん、アメリカ国籍のままの彼女はパソコンに詳しいらしいから、そんな話も出来るでしょうし、個人的にはレイコさん、速河くんのガールフレンドで安部祐次の命の恩人でもある彼女とはゆっくりとお話してみたいし……リッパーさんだっけ? そちらと話すなんてのは無理かしら?」
 鼻歌交じりで軽く尋ねた真実に対して月詠は、文書でなら可能かも、そう返した。しかし提案した真実にしたところでスパイらしき彼女との間に話題などはない。むしろ姉の真琴のほうが話が合うかもしれない。要するにそういう人種だと、そういうことだ。
 愛犬パピーがあまりにもリードを引くので、真実は手を離した。途端に自由になったパピーが跳ねるように芝生を蹴って駆け回る。他所の家族の大型犬に近寄ったり、川面を鼻で突いたりと随分と忙しいようだった。フリスビーは車、アキュラSUVの後部で今は手元にはない。口笛で合図を送るとパピーは駆けて足元に戻り、しばらくうろうろしてからまた走り出す。まるでミコのようだ、そんなことを思いつつ天海真実は毎度の鼻歌、ラブ&ピースで月詠と並んで散歩を続けた。

 正午、蘆野河河川敷。
 夏休みを翌週に控えた真夏の晴天は、暗い犯罪などなかったかのように心地良い風を海から運び、真実や月詠、パピーを撫でるように通り過ぎる。ノワール、フランス語で黒を示す犯罪組織やその画策などそもそもなかったような、絶好の散歩日和である。
 キャン!
 パピーが小さく吼えて真実を促す。しばらく考えてから真実は、パピー目掛けて駆け出した。

 オールバックに口髭のバーテンダーは、客のうち、お気に入りだと彼が決めた人物には決まって同じ質問をしていた。
 酷く簡潔なその問い「人生とは?」に対して、濃紺のロングヘアにシルバーメタルフレーム眼鏡の妖しい女性は「煙草と酒と仕事とバイク」と応え、艶のあるセミロングで清楚な着衣の理知的な女性は「お金とお散歩とドライブ」と応え、ロゴ入りの黒いベースボールキャップが常の小柄で活発な女性は「法と秩序に支えられた、つつましい暮らし」と返した。ランチタイムに顔を出すまだ学生の若い三人の男子の一人、長身で切れ長な顔付きの彼は「トレーニングと勝利」、その旧友である大柄の痩躯は「真理の追究」と応えて、二枚目と三枚目の中間のような二人のクラスメイトは「自由と平和と平凡と、ささやかな正義」と返した。それを訊いたバーテンダーはこうまとめた。

「人生とは、煙草と酒とバイクと、金と散歩とドライブと、法と秩序に支えられたつつましい暮らしと、トレーニングと勝利と真理の追究と、自由と平和と平凡と、ささやかな正義である」

 男女合計六人の言葉を並べただけのそれはしかし、年配のバーテンダーを満足させた。バーテンダーは人生とは、禁煙禁酒と自転車と、貧困と徒歩と、無法と怠惰と敗北と無知と、強制と危険と非現実と、圧倒的な悪なのだろうと、反語を並べてみた。アコースティックギター片手にこれを詩にでもすればそれらしく聴こえるかも知れないとも思ったが、残念ながら年配のバーテンダーには数百の酒を区別してカクテルをダンスの如くシェイクする能力はあっても、弦を爪弾いたり気の利いた詩を生むほどの才はなかった。
 彼のこれまでの人生はどちらかと言えば平穏で、才能と幾らかのツキに恵まれてはいたし親しい知り合いも多かったが、特別にドラマチックということはなく、毎度の問いをした相手を少し羨ましく思った。そして、こちらも毎度の科白を笑顔で付け加えて、オーダーされた飲み物をバーカウンターに滑らせた。

「若いうちは旅をしましょう」


♪「リカちゃん軍団のテーマソング ―Accel Remix―」by Raptorz
(作詞・歌:橘綾/作曲:加納勇介(G) 大道庄司(D)/編曲:真樹卓磨(B))

 5 seconds before the transformation is complete!
 Superhero finally wake up!
 Rika-chan Corps squadron!
 Red Blue Yellow Rika-chan Corps!

 Evil guys come down
 That we targeted the city's
 Hope fades for everyone
 Cries out to hear the black
 Destruction appeared dark (it's free to return)

 Superheroes are not called
 We're here from the white peace of mind

 We're actually a superhero!
 Superheroes fight evil!
 Rika-chan Corps squadron!
 Red Blue Yellow Rika-chan Corps!

 Flash! (Harmonize!)
 Transcendence Telecaster!
 Explosion! (Overdrive!)
 Full Les Paul!
 Burning! (Distortion!)
 Strongest Stratocaster!

 Superheroes are not called
 We're here from the white peace of mind

 OK now if they come
 They defend world peace
 All these people keep the peace

 5 seconds before the transformation is complete!
 Superhero finally wake up!
 Rika-chan Corps squadron!
 Red Blue Yellow Rika-chan Corps!

 "I can say it secret from Rika yellow
 Take Care of My such Baby!"

(――第十回、私立桜桃学園文化祭ライブ最終日より)


『ミラージュファイト・ノワール』……おわり


- MIRAGE FIGHT NOIR CAST -

- "Ooto private school" 1-C Students "Rika-chan Corps" -

 Rikako Hashii Ride Honda JOY Class officer Miss school two consecutive
 Aya Tachibana Ride Suzuki RG50 Gamma Miss school
 Leiko Kashima Ride INNOCENTI Lambretta48(48MOPED) Miss school

 Kyusaku Hayakawa Ride Honda XL50S "Shining Brave" Over Concentration & Electric guitar
 Mamoru Hojo Ride Suzuki Hopper "the scoring machines"
 Kyousuke Suga Ride Suzuki mini-Tan "Hard-boiled detective"

- 1-A Students -

 Suzu Nanaoka Ride Honda Hamming The news photographer & Writer & LUMINOX Navy Seals & NIKON Single-lens reflex
 Takumi Hadzuki Ride Honda Sharyi
 Ayumu Maemura Ride Suzuki Let's4 Palette

- "Ooto private school" Rock band "Raptorz" -

 Yusuke Kanou(2-A) Lead guitar & side vocals Ride Kawasaki AR50
 Takuma Maki(2-A) Bass & Lead Vocals Ride Yamaha Passol
 Shouji Oomiti(2-C) Drums and backing vocals Ride Suzuki Mode GT
 Aya Tachibana(1-C) Lyrics Miss school Ride Suzuki RG50 Gamma

- 1-C Students -

 Jun Sakuma Ride Honda APE50 Baseball & soccer & Karate
 Hiroshi Nagayama Ride Yamaha Axis 50
 Haruna Sasagawa Ride Suzuki Verde Our Sakuma's Idol

- Other students -

 Michiko Fukaya(3-A) Miss school last year Ride Vespa S50
 Yutaka Nitta(3-A) karate captain Ride Yamaha Jog ZR
 Naoki Kawano(3-E) Football captain Ride Suzuki Let's 5G

 Inoue(2-B) Baseball Bench
 Fujiwara(2-B) Baseball bench
 Motoki(2-D) Football Regular

- "Ooto private school" Teachers & Other -

 Reiji Akutsu(age:28) Western history teacher "NOIR" Ride MITSUBISHI Lancer Evolution 3

 Manami Amami(age:28) "Ooto private school" ace management consultant Ride Acura ZDX
 Makoto Amami(age:32) "Amami Group" Japanese staff Ride Porsche 928
 Shogo Amami(age:58) Amami Group Top Ride Jaguar XJ6 (Series 2)

 Rokurou Tsukiyomi(age:55) Manami's Butler Ride Citroen Berurango
 Zenji Kanayama(age:52) School head teacher Ride Mercedes-Benz 125 E250CGI Buruefishe! Ed

 Aoi Tuyukusa(age:26) Clinical School counselor & Psychologist & Insurance teacher Ride LAVERDA 750SFC
 Freddie Spencer(skeletal men) Aoi's "fast" wear

 Hideyoshi Nakasako(age:45) Mathematics teacher Ride NISSAN Latio 15M FOUR4WD
 Shizuko Nonaka(age:40) Japanese history teacher Ride TOYOTA Arion 1.5 A15
 Tetsuya Watase(age:35) EnglishⅠ teacher Ride Lamborghini Jota
 Toshiaki Yaku(age:28) Modern language teacher karate portion adviser Ride Bentley Continental Flying Spur Speed
 Saburou Sakaki(age:36) Chemistry Teacher Kendo advisory agency Ride Ferrari Daytona 365GTB-4

- Gangster group "NOIR" & Other -

 Chihiro Kameyama(age:21) Taurus Raging Bull Ride MITSUBISHI Dodge Stealth
 Kazuya Murakami(age:28) Taurus PT99 & FN Browning Hi-Power Ride NISSAN Fairlady Z convertible
 Yuki Yagi(age:28) Sturm Ruger Super Red Hawk Ride NISSAN Nismo 400R
 Naoki Karasawa(age:28) AMT hard bowler Ride TOYOTA 80 Supra
 Kenji Hirata(age:23) Mossberg M500 & Barison knife Ride NISSAN Silvia S14
 Fujiwara(age:31) Tokarev Ride NISSAN 180SX

 Andy Partridge S&W M639 Ride Honda NSX
 Chet Atkins Colt Anaconda & MAC10 Ride Mercedes-Benz W203
 Chris Impellitteri Browning BDM & SPAS Driver of Noel

 Noel Gallagher Ruger GP100 Ride Cadillac fleet Wood 1993

- Third Department of Criminal Investigation Police Department Check against organized crime
 "Third Division" "Little Tokyo homicide" -

 Norinaga Nagayama(age:60) "Third Division" Anti-Organized Crime Division Office Chief NMB New nanbu M60 Ride Ford Super Duty
 Genichi Inui(age:38) "Third Division" Inspector Colt Detective Special Ride Jaguar XJ40 Sovereign
 Kenta Tuyukusa(age:28) "Third Division" sergeant Beretta M92 Elite IA Ride Ford Pinto
 Mika Hanyu(age:26) Second Communications control room "CARAS" headquarters operator SIG SAUER P230JP Ride Lotus Elan
 Kaoruko Suga(age:21) Crime laboratory SIG SAUER P220 JGSDF Model Ride Little Kabu & Maserati Spyder Late last type

 Miko Kannagi(age:25) "Third Division" Sergeant "Wandering Red Bullet" Colt Government 9mm Custom and other
 Ride TVR Griffiths 500(second) & Ducati Streetfighter 1099

 Kyoko Sagami(age:32) Science Laboratory Profiling Team Leader Ride Aston Martin V8 Vantage
 Yuu Kano(age:24) Science Laboratory Ride Honda Jorukabu & Dodge Challenger SE Coupe
 Ranco Ootori(age:33) University School of Medicine physician Ootou included Ride Fiat Panda model first A-segment

 Megumi Kageyama(age:40) officer Superintendent Police H&K P2000SK Ride Alfa Romeo Spider duet
 Sammy Yamada(age:30) sergeant H&K P7M10 Ride Alpine Renault A310V6S1
 Lee Riryenche(age:30) "Rapid Fire" Ride Nissan Datsun Bluebird 1800SSS

 Kouhei Tsuji(age:42) "Cherry beans" Master Ride Citroen BX

 Yuji Abe(age:35) Uirudi 45W. Mag & Ithaca M37 Ride Fiat 850 Spider

 Mr. Chen
 Ms. Lipper

ミラージュファイト・ノワール

 1作品でどれだけ多く人物を登場させられるか、に挑戦してみた作品です。

ミラージュファイト・ノワール

夏休み直前。街は平和に見えるが、犯罪組織・ノワールとそれを追う県警三課の攻防は続いていた。 それに巻き込まれるように、桜桃学園高等部の葉月巧美がノワール一味に拉致された。葉月を助け出したのは同級生・奈々岡鈴からの連絡で集合した仲良しトリオ・リカちゃん軍団とバスケ部の方城護、そして中国警察のリーだった。 一安心する学園理事長の天海真実や高等部の速河久作、須賀恭介はしかし、同級生・前村歩が誘拐されたと聞き、動揺する。 犯人はノワールの幹部、元自衛官で、闇組織とのパイプを持った国際指名手配中のテロリスト・安部祐次と、学園教師として赴任してきた、大手企業をバックボーンにする阿久津零次だった。 ※ライトノベルではありません。

  • 小説
  • 長編
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-12-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一章~天海真実とラブ&ピース ―おお、運命の女神よ―
  2. 第二章~神和彌子とさ迷える紅い弾丸 ―万物を太陽は整え収める―
  3. 第三章~速河久作とギリギリチョップ ―ここで輪を描いて回るもの―
  4. 第四章~橘絢とスクランブルケータイ2 ―酒場に私がいるときにゃ―
  5. 第五章~方城護とラピッドファイヤー ―もし若者が乙女と一緒に―
  6. 第六章~鳳蘭子と黄金色のスーパーヒーロー ―おいで、おいで、さあ来ておくれ―
  7. 第七章~須賀恭介と白い伝書鳩 ―天秤棒に心をかけて―
  8. 第八章~橋井利佳子とオーマイガッ! ―季節はまさに悦楽の時―
  9. 第九章~阿久津零次とフェラーリ・デイトナ ―愛しい、愛しい貴方―
  10. 第十章~安部祐次とパッケージ・ホップ ―この上なく姿美しい女―
  11. 第十一章~前村歩と全世界の支配者なる運命の女神(前編) ―ブランツィフロールとヘレナ―
  12. 第十二章~前村歩と全世界の支配者なる運命の女神(後編) ―寛大なるアフロディーテに栄光あれ―
  13. 第十三章~月詠六郎とラブ&ピース ―めでたし、最高に優美な人よ―