終焉竜の波動竜剣士《ドラグエイサー》
プロローグ 終焉竜ヴァルクージュ
誰もが特別な力―――あるいは能力を持っているわけではない。
誰もが持っているわけではないからこそ、特別な力や能力を持ってしまった者は羨ましがられたり気味悪がられたりするもの。
だがそれであっても力を欲する者はいる。
なにかを得れば、なにかを失う。
得たなにかの存在が大きければ大きいほど、比例して失うものの大きさも大きくなる。
例えば、持っていない“特別な力”を……なんらかの意図で得たとしたのならば―――
満月から降り注がれる月光が闇夜に染まった森林を照らしつけていた。
森の奥深くにある湖。橋のように中央を貫かれた道を歩く少年。
少年以外の人影はなく、足を進めてある場所を目指していた。
泣きじゃくりながら泥だらけ体。頬の汚れを甲で拭い、涙で潤んだ目を前へと向ける。
ふと道の奥に置かれた祠の前で少年は足を止めた。
「これが……竜伝書に載ってた祠」
ボソッと呟き、祠を一撫でする。
「七竜帝の一つ、確か名前は終焉竜……」
少年はそこで言葉を区切り、唾液を呑み込んで続けた。
「ヴァルクージュ」
瞬間、辺りは暗闇に包まれた。月光の光も届かない暗く深い闇に。
『終焉竜ヴァルクージュ』が封印された祠に向け、封印解除のスペルワードを思い出す。
昔、近所のおじいさんに何度も聞いた話にあった言葉中に含まれていた。 だから忘れたりすることはない。いつでも思い出せる。
その言葉がスペルワードだと知ったのも、竜伝書に載っていたからだ。
「覚悟はできてる―――これもすべてみんなのため」
瞼をゆっくりと下ろし、パッと目を見開いて封印解除のスペルワードをできる限りの高速で詠唱した。
少年が詠唱していくとともに終焉竜が封印された祠が深い闇の中で光りだしていく。
竜の封印が今、幼いわずか六歳の少年によって解かれようとしている。
その光は徐々に大きさを増していき、少年が詠唱し終わると同時に大量の黒雹を降らせる。
衝撃波とともに光が弾け飛び、近くにいた少年は吹き飛んだ。
「これであとは一つだけ……」
立ち上がりながらニヤリと口元で笑う。
これでやっと、ここに来た意味―――目的が進みだすのだから。
「これが善なのか悪なのかはわからない。でも、お前を手にすることで力を得れる」
大気を震わす激しい咆哮を天へと放つ封印から解かれた終焉竜に向けて、言う。
「お前はどっちの力になってくれる。創造か破滅の力に―――――」
あなたはハレンチですっ!
まだ初夏にも関わらず少し暑めの日差し。でかい柱の頂点に刻み込まれた竜の像が乗っかっている。
その二本が並んだ向こうに広がるのは、色とりどりのタイルが敷かれたモザイク路。
遊歩道を経た先に待つのが―――フェリオス竜剣士学院。竜剣士として技術や知識を身につける養成所。
クナレ・ハルトはこのたびこの学院に編入という形で通うこととなった。入学式というものは行わず、そしてまだ最後の編入手続きが残っていて、大事な手続きを行うためにここの学院長のところへ行かなければならなかった。
顔合わせも兼ねて多々残るここを済ませるつもりで、ならびに今はまだ仮の学院生であるハルト。
もう一度柱の先に広がる学院を一目してから大きく深呼吸。気持ちを落ち着かせたところで校門をくぐり―――フェリオス竜剣士学院の敷地内に足を踏み入れた。
時間帯は昼になるちょっと前くらい。ここの生徒たちは授業の真っ最中であろう時間帯だ。
学院外をふらふらしている生徒は誰一人としておらず、見るからに遊歩道を歩いているのはハルト以外に見当たらない。端に植えられている木々の隙間から陽光が歩く遊歩道を照らしつけている。
なんたる平凡な時間であろうか。誰一人としていないこの場がなんとも言えぬ平凡感をもたらしてくれる。
ハルトは呑気に頭の後ろに手を置いて歩き、まだ見ぬ学院がどんなものかと勝手な想像をあれこれして気分を上げていると、ここの生徒だと思わしき少女が一人歩く姿が見えた。
「きゃっ」
―――どこからかハルトの声でない、可愛い女子の声が聞こえてきた。
ゴミが入った目を瞬(しばた)かせて前を向いた。
すると―――そこには晴れ渡る青空にも負けぬ蒼色の髪が風に吹かれていた。フェリオスの女子制服を着ている蒼い髪の毛の持ち主は、やっぱしここの女子生徒であろうか。
しかし今は昼近くで授業を受けている時間のはずなのに、なぜ少女は授業を受けずこんなところを歩いているのかが不思議だった。
ふと風が止んだ頃に女子生徒は歩き出していく。
二歩、三歩と前へ前へゆっくりと歩き進んでいくと、ポロッとブルーカバーの何かが落ちる。
「ん?」
少し離れた場所からそれに気がつき、怪訝な思いで近寄って手に取ってみる。
―――生徒手帳。それはフェリオス竜剣士学院の生徒であることを示すものだった。
どうやら女子生徒は大事な生徒手帳を落としたようだった。
落とし物をしたまま去って行こうとしている少女の後ろ姿を数秒眺めながら知らせないとまずいと思い、困るであろう代物を持ち主の元へ返すためにも、見えないところへ行ってしまう前にとハルトは大きめな声で呼び止めた。
「おーい、ちょっといいか?」
その一声で自分が呼ばれたとわかったのか、数歩離れた場所足を止めて可愛らしい顔が振り向かれた。
自分のことを指さして小首を傾げる。
「お前以外に誰がいるんだって」
ことを話す前にそんな前置きを措いて少女の近くへと行く。あたりを見ればわかることなのに、どうして自分なのかと訊ね返してきたのかと不思議に思う。
見た感じでは優しそうで清潔感がありそうな女子というイメージだ。
「ほら、これ落としたぞ。大切なものだろ?」
「私のですか?」
「お前の他に誰がいるんだって」
呆れたようにものを言うと、
「あなたです」
平然と当たり前のことを言っています、と言わんばかりの顔で言い切る少女の言葉に、正直なことを言うと反応に困ってしまった。
ハルトが予期せぬ言葉を受け、逆に言葉を詰まらせているとまたまた優しい風が吹きつけ、陽光を反射して輝く少女の蒼い髪がなびく。
とても綺麗で反射する髪はサファイアの宝石のような輝きを放っていた。少女はハルトの持つ生徒手帳を取ろうとした―――その瞬間。
予期せぬ一陣の強めな風が吹き荒れた。
「きゃあっ」
二度目の可愛らしい悲鳴。
そして風は下から上へと吹き上げて少女の穿く―――フリルな紺色のスカートがふわりとひるがえしたのだった。
蒼髪の少女は再び顔を赤く染めてひるがえったスカートを押さえ込むが、一瞬の間でハルトの目は水色の下着を捉えてしまっていた。
見たくて見たわけじゃなく、これは不運な事故である。
反射的に目を隠し、徐々にちょっとずつ指の隙間を開け、先見てみると……青とは異なる赤に顔を染め上げて、恥ずかしそうにしている少女がいた。
どう行動していいのかを必死に頭の中で探そうともしたが、テンパってしまって頭の中が真っ白だった。思考が働かない状態になっていた。
何か言おうとしても、喉から出てくるのは『あ……あぁ……』のかすれた声だけ。ハルトは落とした生徒手帳を片手に、少女はひるがえったスカートを押さえたままの状態で二人の時間は止まってしまった。
止まった時間を過ごして数分、先に動き出したのはハルトだった。
「わ、悪い!見ようと思って見たんじゃないんだ」
テンパりを露(あらわ)にしながら両手をブンブン振った。
「あの、そのだな。俺は今日編入する予定であって……その、生徒手帳を落とすのが見えて、それを拾って……」
言葉が続かない。何か言わなきゃ、会話を繋げなきゃということは頭ではわかっている。でも言い逃れができないくらいに、バッチり見てしまったことは少女だってわかっているはず。
弁解できるこれという言葉が見つけ出せない。ここで下手になにかを言ってしまっても、ややこしいことになるだろうと予測した混乱状態に陥っているハルトが、どうしようどうしようとあたふたしていると―――
「は、はは、は……」
少女の方もようやっと事態を把握したのか、口をぱくぱくしながら手で顔を隠した。羞恥心の恥の部分が顔を埋め尽くしているのが丸わかりで、まるで自分から恥ずかしがってるよと言っているかのようだった。
自分の穿く下着を見られたことに恥ずかしさを感じない女子はおそらくいないだろう。ハルトは性別の違う男なので本当はどうなのかまではわからないし知らないが、別のことは考えられるようで、おおよそでそう思った。
少女は恥ずかしさが一面に出た顔を隠し、片手で自分の生徒手帳だと言われた生徒手帳だけを勢いよく奪い取り距離を置く。
「こ、これを拾ってくれたことには感謝します。ありがとうございます」
少し早口なところが恥ずかしさを感じさせる。睨みながらお礼を言われるというものは、気持ちのいいものではなかった。
「あ、いや、ちょうど後ろを歩いてて、なにか落ちるのが見えてさ。拾ってみたら生徒手帳だったから教えてあげないとまずいと思って、だから……」
「気づかずにいたら大変なことになっていたと思いますので。生徒手帳がなければあとあと困っていたでしょうし、助かりました」
「ならよかったけどさ。き、気をつけろよ」
目を少女から逸らして言った。
どうしてもさっき見たものが印象強く根付いてしまっている。おかげでまともに少女の顔を見て話すことができなのが困る。
少女が穿く―――水色のパンツが頭から離れてくれない。忘れようと必死に別のことを考えようとするも、忘れようとすればするほど強く根付いていくのが事実。
とても辛い戦いを頭の中で繰り広げていた。
「生徒手帳は学院生であることの証です。まだ落としたのが学院の敷地内ってだけよかったです。もし学院外で落としていたとなったら、返ってくるまでに時間がかかったでしょうし、最悪の場合返ってこないことだってありますから」
「……確かにそうだな」
「ですから、拾ってくれたことにはお礼を言います。ありがとうございました」
まだほんのりと赤い顔が持ち上げられ、赤さは頬だけに留まっていて他の部分はきめ細かな肌の白さに戻っていた。さっきの風で自分がパンチラしてハルトが見てしまったことに、少女は触れてきていないということは、もしかして気づかれたと思ってしまったのはハルトの思い込みだったのかもしれない。
実は少女自身、ハルトが自分のパンツを見てしまったことに気づいていない可能性がなきにしもあらずかも―――
少女が触れてこないことが、ハルトの考えを安易なものにしてしまっていた。
「竜剣士学院では当たり前のことですが、学院校舎へ入る際生徒手帳が必要になります。昇降口にそれはあるんですが、例えるなら改札口って感じですかね」
「へー、それならなおさらのことだったな」
「え?フェリオス竜剣士学院の生徒さんなら毎日行き来してるので当たり前の知識ですよね?」
ハルトはその言葉にギクッと体を震え上がらせた。在籍してないにしろ、今はフェリオスの制服を身にまとっていて、少女から見ればハルトも立派な同じ学院の生徒に見えるというわけで、在籍していないのはハルトにしかわからないことだ。
だから説明に他人ごとのような反応を見せてしまったことに、少女は疑問に思って確認をハルトに求めたような訊き方をしたのだろう。
「まだここの生徒……」
その言葉を言い切る前に少女が声を重ねて喋った。
「まぁいいです。改めてありがとうございました」
言葉を遮られたことは気に留めず、少女へ言葉を返す。
「そんなに何度も礼を言わなくてもいいって」
何度もお礼を言われることに照れくささを感じていたが、よほど学院生にとって生徒手帳というものは大切なのだろうと思った。これから本当の生徒になる予定であるハルトにはまだわからないことだが、これから知るであろうことなのは間違いない。
「……これで一件落着かな」
ハルトがそう呟いた矢先、少女はソプラノトーンではない低い声音を発してなにかを呟く。
「ところでですが……あなた、私の下着を見ましたね―――?」」
「なに?」
「ですから、私の下着を見ましたねと訊いているんですよ」
体をぷるぷると震わせながら少女が俯き気味になる。発せられたのは可愛いトーンの声ではなく、明らかに怒っていると思われる声のトーンで、ハルトは少女の顔を見るまでもなく少女が怒っていることがわかった。
俯かれた状態でもよくわかるくらいに怖さが声で伝わってくる。
「え、えーっと……」
「見たんですか?なかったんですか?」
ゴゴゴゴという聞こえもしない威圧音が聞こえてきそうなほどのこの感じ。
悪気があって見たわけでなく、あれは自然の悪戯というものであって望んだわけじゃない。それを伝えてわかってもらいたいが、どう言えばわかってもらえるというのだ。
結果的に下着を見てしまったことには変わりはなく、いくら自然の悪戯だからといっても、そこを言われて突かれてしまったらなにも言い返すことができない。
「あの、それは……」
「はっきりと物事を言ってくださいね。見たんですか?見たんですね?見てないの選択肢はないですよ」
「……それは理不尽だろ」
「なら見てないんですね?はっきりしてくださいよ!!」
曖昧な返答に苛立ちを感じ始めた少女。ハルトにも荒くなった言い方からわかっていた。
だが、真実を素直に伝えてしまったらどうなると思われるか。まずわかることは間違いなく怒りを噴火させてしまうことは避けられなくなる。
二つ目として真実を伝えない道も考えられる。しかしそれはどうも気が引ける選択肢だった。
この子はあくまでもこれから一緒に生活していく学院の生徒であって、いい子そうな少女を騙したまま学院生活など送っていても心のどこかで意識してしまってまともになりそうにない。
だったら考える道は一つしかないと、そうなってくるのだがその道は間違いなく怒らせる道であった。
好意で生徒手帳を拾ったのであるが、まさかそれにプラスして少女の下着を見て怒らせてしまうという思いもよらぬ出来事が起こるなんて思いもよらず、自分の不運さを残念に思った。
「み、見た……。チラッとだけ見た……」
最後はやはり素直に真実を伝えるしかないと思った。怒らせてしまうことはわかっていても、騙したまま学院生活を送るよりかはマシだった。
途端、少女の動きが止まる。
「―――言い訳をしないだけ感心します。あれは風のせいですから不可抗力ともいえますからね」
少し微笑みかけながら言う言葉に救われた。
―――が、救われた直後に蹴落とされたのだった。
「しかし見た事実には変わりはありません。女の子の下着を見るなどハレンチなことです……」
「は、ハレンチ?」
「そこに立ってじっとしていてくださいね……」
少女の右手と左手に青白い波動のオーラが浮かび上がる。波動に包まれた両手には竜剣士の使う武器―――剣が生まれる。
ぶるぶると小刻みに体を震わせている少女。それは寒いから震えているのではない。
「恥ずかしいじゃないですかー!!!」
言葉遣いは丁寧ではあるが目尻に涙を溜めて唇を噛んだ。
両手に持った剣をぶんぶんと振り回し襲い掛かる。四方八方から降り注がれる剣を次々に回避し続けた。
「じっとしててくださいって言ったじゃないですか!」
「なに言ってんだよ!?じっとなんかしてたら今頃俺は千切り状態になってるって」
「うるさいです!下着を見た罰ですよ!!」
辺りの空気が一変。少女の波動は爆発的に高まり、温度を一気に下げた。
そのときハルトの動きも止まる。少女は両手に剣を持っている―――
(―――剣が二本だと!?)
少女が持つ剣の本数に驚きを隠せなかった。
普通は竜剣士の波動から造ることのできる剣は一人一本と決まっていてそれ以外は存在しない。しかし目の前で剣を振り回している少女が持っている本数は二本。
ありえない二本の剣を波動から造り出した現象が目の前にある。これは今までに前例を見ない事柄で過去にも二本を造り出す竜剣士など存在しなかった。
驚くしか反応はない。
攻撃が当たらないことに悔しさを感じた少女は次に剣術を発動する。
「もうっ、どうして避けるんですか!!」
「だから避けないバカなんていないだろ!?避けない選択肢なんて自ら死にに行くようなものだぞ。誰がそんな死にに行くようなことをするんだ」
「―――なら、私も本気を出して剣術を発動させてもらいますよ」
自分を軸に切っ先を外に向けて一回転。背後に氷の槍が現れた。
その数―――ざっと十五はあるだろう。
「―――冷たく突き刺され!!氷槍の舞」
反射的に動いたハルトも波動を使って己の剣を造り上げる。
慣れた動きで身と剣を構えて備えた。
「剣術発動ってバカだろ。本気で俺を殺す気かよ」
ハルトも剣術相手に気が抜けなくなり、防衛体勢に身を動かす。
「あなたはハレンチですっ!!」
その声が合図だったかのように剣が縦に一振りされると同時に背後の氷槍が勢いよく飛び出した。この場を凌ぐには、左手に持った剣一本で次々と襲い掛かる氷槍の全てを粉砕しなければならない。
不可能ではないだろうが難しいことではあった。
他にも色々と場を逃れる方法はあったが、体勢を切り替える時間はなくやるしかなかった。
ハルトは意識を集中させて一つ一つ的確に剣を当てていき、十三の氷槍を砕き残り二つと数を減らしていく。
最後の二つが連続してハルトに襲いかかろうと飛び出す。一本の後を追うようにもう一本が走った。
剣を左上に切り上げ、勢いを残したまま左下に切り下げてもう一本を撃つ。
「もうっ、なんなんですか!!」
少女は今一度同じ剣術を発動しようと身構えた。さすがにそう何度も何度も続けられてしまうとしたら、体力的に限界が来てしまい回避することもできなくなりそうだ。
少女の動きを止めるのが一番いいのだろうが、この状況でどうやって止める手立てがあるか。
考えている暇はない。少女が剣術を発動させて剣を振った。
「―――俺の話に聞く耳を持ってくれないようだな」
「ハレンチさんの話なんて聞きたくありません!!」
「だからそれ自体が誤解なんだって。あ、いや……あながち誤解じゃないな。あれは不運な事故なんだって」
次々と飛んでくる氷槍を切り上げで打ち砕こうと動く。
ここに通っている生徒は皆こういった剣術などを扱うことができる。波動から剣を造ることは基本中の基本。
というよりも、それができなければ入学自体が不可能である。
剣術の種類は無限。基本の剣術から試行錯誤して自作の剣術を生み出す事だって可能だ。
並大抵の竜剣士ではできないのが難点と言える。
怒気の利いた声がイライラを感じさせた。
「どうして当たってくれないんですか!!」
再び波動が高まっていくのを感じた。急いで次々と剣を動かす。
「避けなきゃ死ぬだろ。死ねって言ってるようなものだぞ」
「人の串ざしに興味はありませんが、私の氷で氷漬けぐらいにはしてあげますよ」
「……さり気なく殺人予告するお前はなんなんだよ」
ハルトを自分の剣術で血祭りにする気満々である。
「パンチラを見たことは謝ったろ?」
「一度謝罪したくらいで許された気にならないでください。女の子の下着を見るなど万死に値します。それくらい知らないのですか?」
「なんだよそれ。それこそ理不尽だろ……」
「今ここで学んでください。女の子の下着を見るのは万死に値します。よってあなたにはここで死ぬんです!!」
言葉遣いは感心できる面だが、言っていることは物騒すぎて感心できない。
「女なら乙女の精神持てって。ほらこう、清楚でおしとやか……的な?」
「ハレンチさんに乙女の精神で接する必要はありません。私は今、心を鬼にしてあたなに剣を向けています」
「……心を鬼にする場面が違う気がするのは俺だけか?」
「うるさいです!!大人しく私の剣術に当たってください」
頬をぷくぅと膨らませて怒りながら背後の氷物を飛ばす。それを剣で打ち砕くの繰り返しがさっきから続いている。
「生徒手帳を拾ってくれたことと下着を見たことは話が別です。拾ってくれただけならば私だってあなたに剣を向ける理由もなかったはず」
「さっきから言ってるようにあれは不運な事故なんだって。お前だってさっきそんなようなこと言ってたろ。わかってるなら剣を収めてくれ」
「―――だったら下着を見た責任はどう取ってくれるんですか」
当たらないことに悔しさと苛立ちが剣術に現れたのだろう。
さっきから闇雲に数だけを打てばいいという思考回路なのか、的であるハルトから外れた方向へ飛んでいく槍がいくつか見えた。
「それに私……あなたのことを見たことがありません。本当にここの生徒なんですか?―――もしかしたら、新手の下着チラ見犯とかですか!?」
「なんだよ……下着チラ見犯って。それこそ新手の犯罪者種だろ」
「ですから、それがあなたじゃないですか」
「どうしてそうなるんだって。もっと相互理解ってものをしようとしてくれ」
何度も自分は意図的に見たのではないと伝えているのだが、ハルトの言い分を一切耳に入れていないようであるこの少女。
蒼い綺麗な髪が剣を振るう度にふさふさと揺れる。こんなやり取りを続けていくら時間が経過していることだろうか。
本来ならば既に学院内へ入り、学院長との顔合わせをして最終手続きを終わらせていたかもしれない。
「落ち着けって。まず俺の話をしっかり聞いてくれ」
ハルトは精一杯の気持ちを込めてその言葉を言い切ると、やっと聞く耳を盛ってくれるようになったのか少女の動きが再び止まった。
不意を突いて動いてこないかと警戒心を抱くも、戦闘姿勢から直立姿勢に少女がなったことで警戒心が不要なものと化する。
今度はハルトも相手に警戒心を与えまいと戦闘姿勢をやめてまっすぐに立つと、胸をなでおろして述べた。
「俺を見たことがないのは当たり前だ。俺は今日からここに編入することになった身だからな」
そのとき、少女の顔は訝しげな表情でなぜか口を尖らせていた。
あなたはハレンチですっ! [2]
「編入……ですか?」
「そう、編入。ここの学院長が俺の母さんと古くからの友人らしくて、俺はそのコネを使ってこの学院に編入させてもらうことになったんだ。それで今日が初の登校日ってわけだ」
少女の動きが止まったことを好機と見て、少女を刺激しない程度に自分の身分を説明することにした
「それで学院長に会いに行こうとしたところに、お前が生徒手帳なんか落としたから拾って渡したってわけ。そしたら運悪くパンチラを見ちまって……」
少女は半眼でハルトを睨んで、
「―――嘘だったりしないですよね?」
眉を寄せて訊ねた。
未だ手に持った剣を解こうとはしないところから、与えまいとしていた警戒心があることがわかり、警戒心が完全に解けていないこともわかった。
「この状況で冗談を言えるほど俺は強くないさ。一歩間違えれば本当に死ぬだろうしな」
「それもそうですね。ですがいまいちあなたを信用するに値しないと言いますか、まだ不十分と言ったところでしょうか。チラ見犯でも言えそうな御託にも聞こえますし……」
少女は乱れた髪を整えてから考えるように何回か頷いた。うーんと小さく呻きながら数秒が経過した頃、ぱっと顔を上げてハルトに視線を当てた。
「確かに、フェリオスに編入生が来るという噂は聞いた事があります。それも数週間前くらいでしょうかね。その噂の人があなたなのかもしれませんが、チラ見犯がその噂を聞いてこうして言っているのかもしれまんし、完全には信用しきれないですね」
「……どうしても俺をチラ見犯にしたいんだな。お前は」
小さく嫌そうに呟いた。
「あ、そうです、そうですよっ!!どうして私はそのことに気がつかなかったのでしょうか」
剣の具現化を解き両手をポンッと叩いて閃いた様子を見せた。して少し微笑んでから左胸ポケットから何かを取り出し、ハルトの前に取り出した何かを突き出した。
「仮にもしあなたが編入生ならば、ここの学院生である証の生徒手帳を持っているはずですよね。あなたの生徒手帳を見せてもらえますか?チラ見犯なら持っていなくて、生徒ならば持っているはずのものです」
「わかったよ。それで誤解が解けるならいくらでも見せてやる」
やっと誤解が解けると胸中で一安心しそうになるが、気が抜けない。まだ完全に誤解が解けたというわけじゃないからだ。
それでも少女が見せることで完全に信用してくれることを信じて、恐る恐る言葉と同時にハルトも同じ動作で生徒手帳を出した。
ブルーカバーで覆われた生徒手帳でフェリオスの学院名と校章が表に描かれているものだ。中身は開かなくても、外面だけ見ればわかるはずだ。
「ふむふむ……どうやら本当にここの生徒なようですね」
「最初からこれを見せとけばよかったと今頃になって後悔してる。もっと早く気づいてくれれば無駄な体力と波動を使わずに済んだのによ」
「むー、それって私のせいにしてます?私だってあなたが早く身分証明をしないから無駄な波動を使ってしまいましたよ」
なにはともあれ、経緯(いきさつ)はどうあれ結果的に争いごとが収まったのでとりあえずはよしだ。
「チラ見犯さん、一言言いますがこれはあくまでも身分証明ができただけで、私は下着を見たことに関してはまだ許したとは言ってませんよ」
再び剣を造り出そうと両手を前にして動作をするも……直後に出された両手は少女の後ろにまわされて組まれてしまった。
一瞬でまた身構えてしまうが、思いがけぬフェイントを入れた動きに呆気にとられ、まだ疑っているような顔でハルトはその後の動きを計る。
「……でも今回のことはなかったことにします」
「どうして急に……。それはつまり、俺を見逃してくれるってことか?」
「生徒とわかってしまった以上、敷地内での生徒同士の身勝手な交戦は校則に反します。ちゃんとした場所でならまだしもですけどね。不審者でも制服ぐらい偽造できますし、生徒だと言ってのけますから」
「だから俺は大丈夫だって、安心してくれ。死んでもそんなことはしないさ」
「死んではなにもできませんよ?」
「うっ、うっせ。そこは見逃せ!」
的確に言葉を突かれて半眼で少女を逆に睨んだ。
と頭一つ半小さい少女が近寄ってくるや、ハルトの制服についた砂埃などを払いニコッと微笑んだ。 そんな一変した行為に思わず変な驚きの声を洩らすと、少女はむーっと怒った顔で言う。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃないですか?私だって鬼じゃないんですよ」
「さっきは心を鬼に、とか言ってたくせに」
「それはさっきまでの話です。過ぎたことをネチネチ言う男の子は嫌われますよ?今は普通の私、ミナル・シフォンフールですから鬼じゃないです」
自分の胸に手を当てて二度目の微笑みを見せる。それにしても不思議なことだ。
この竜剣士―――ミナル・シフォンフールが波動から造ることのできる剣の本数が二本。竜剣士界で前例のない例外なことである。
これは今までの竜剣士の道理を覆すことになるはずだ。
もしそれがなんらかの特別な能力だとしたら、瞬間的にここの帝国―――いや、全帝国に名前が知られていくだろうに。
それでは足りずさらには竜剣士界で大騒ぎになることが間違いなしだ。竜剣士であれば誰でも知っているような人になると思うのだが、ここからは遠方となる場所からやってきたハルトは、ミナル・シフォンフールという少女の名前すら知らない。
秘密裏にできるようなことではないはずで、竜剣士であれば必ずと言っていいほど出ようと志願する、帝国で行われる大会などに出場していればなおさらのことだ。
そしてそのさらに上の大会―――二年に一度行われる『竜神儀祭』。毎年必ず見ていた竜神儀祭でもミナルの姿形すらも見かけたことがない。
フェリオス竜剣士学院は優秀な竜剣士が育成され、そして集まる学院としても有名であるが、それであっても異能力を持った生徒を育成しているという話など聞いたことがない。
一体なんなんだあれは……。
どこかを解決しても、どこか解決できない問題を抱えつつ口を動かした。
「そう言えば、今は授業の時間じゃないのか?お前も生徒なら授業を受けないのか?」
「私以外は……ですかね。他にもいるかもしれませんが」
特に特別な印みたいなものを持っている様子もなく、姿は学院の制服をまとっているだけ。明らかに他の生徒となんら変わらないミナルだが、どういうことなのか。
「私はさっき任務から帰ってきたところなんですよ。ですから、これから学院長に完遂した報告をしに行こうとしていたんです。そんなところにあなたってことですね」
「……なんか俺のせいっぽく聞こえるから謝っとく、悪い」
「いえいえ、別にいいですよ。それと私のことをお前って呼ぶのをやめてもらえますか?ミナル・シフォンフールという名前があるんですから、名前で呼んでください」
「……わ、悪い」
謝りの言葉を二回続けて言ったところで、少女がため息混じりに肩を落とす。
「いいですよ、謝らなくても。さっきから謝ってばかりじゃないですか。まぁ、さっきまでは当たり前でしょうけど」
「……悪い」
「だからいいですって。何度も謝られると今度はこっちがどうしていいか反応に困りますから」
ミナルもまたハルトに呆れた風に言葉を述べたあと、表情を改めて感心した物言いで新たな会話を始める。
「あなたは何者なんですか?よく私の氷槍の舞をすべて回避でき、あの素早い連射に反応できましたね。かなりの反射神経を持っているのか、竜剣士としての経験や力が影響しているのか、ですね」
「それほどでもないって。普通だぞ、普通。あれに反応できる竜剣士なんて何万とこの世にいるだろうし」
「はぁ、それが普通でしたら感心なんかしませんよ?普通じゃないから感心するんですって」
剣術―――それは剣技と魔術が組み合わさってできるもの。先程ミナルが顔を赤くしながらハルトに向けて飛ばしていた氷槍がそうである。
竜剣士ならば誰もが使える必須スキル。
ミナルのように虚空から何かを生み出すこともできれば、剣自体になんらかの現象を起こして剣術を炸裂させることも可能だ。
ベタな例えで表すと剣に炎をまとわせて敵を斬る、とかであろうか。そんな感じのに加えてミナルのような剣術やその他もろもろの剣術がある。
その数は無数。
「あなたは?」
「唐突になんだよ、あなたはって」
「ですから、あなたの名前を訊いているんです。私はさっきミナル・シフォンフールと名乗ったので、次はあなたが名乗る番ですよ。さ、名前を名乗ってください」
半ば強引な気もするが、慌てたように名乗った。
「あ、ああ、俺はクナレ・ハルト。呼び名にはこだわってないから好きなように呼んでもらって構わないぞ。でも極端に変なのはやめてくれよ」
「―――クナレ・ハルトくんですか」
ミナルがハルトの名前を訊き顎に手を添え、考え込むような素振りをしてから訝しげに表情を変える。
「ここら辺では聞かない変わった名前ですね。どこ地方の出身なんですか?」
「よく言われるよ。なんて言うかな、俺の生まれ育った街の風習って言えばいいか?そんな感じの名残なんだ。俺の生まれた場所はもうない、昔に焼け野原かしたよ」
そう―――今は無きものとなったハルトの生まれ故郷。
十年前に竜剣士であろう男女二人組みによって全てを奪われた日に全壊してしまった街。
瓦礫が散乱する中で街をなめつくす劫火。降った赤い雨を今でも鮮明に思い出せる。
バレない程度に歯を食い縛り、右手で強く握り拳を作った。
「ご、ごめんなさい。嫌なことを思い出させちゃいましたか?」
「そんなことはないから安心してくれ。昔だったら嫌だったろうけど、今じゃ受け入れてるから」
「ありがとうございます。チラ見犯ではありますが、悪い人ではなさそうですね。それであなたはどうしてここに?」
「言っていることが軽く矛盾しているような気もするけど……。言わなかったか?俺は編入する予定で、学院長のところに行って編入手続きを終わらせなきゃならないんだ」
ちょっとしたやっかい事に巻き込まれてしまったが、結果的にはしっかり学院長のところへ行けそうな雰囲気。それにミナルも話を聞くから学院長のところへ行くようだ。
宮殿に似たどこかの城のような学院校舎内の構造はあらかた教え込まれている。万が一のことを考え、迷ってしまったときを想定すると生徒であるミナルと同行して学院長のいるところへ行った方がミナルには悪いがハルトとしては都合がいい。
「結論的に学院長のところへ行かなきゃならないのは同じようだし、俺もまだ学院校舎に慣れてないからさ。よかったらでいいんだ、一緒に行ってもらえたりしないか?」
その問いに対して即答が返ってくる。
「そう言って来るのではないかと雰囲気から察せました。断る理由も特にありませんし、いいですよ。そのかし、ハレンチなことをしないと約束してください」
「ばっ、す、するわけないだろ!?自ら死にに行くようなことはしないって言ったはずだぞ」
「だといいんですけどね、では早速ですが行きますよ。もうすぐ昼休みが始まってしまい、そうすると学院生たちが一気に学院内や庭園に散らばりますから行く手を阻まれる可能性があります。スムーズに進むためにも早足でお願いします」
言うと、綺麗な蒼い髪を揺らして先に小走りで走り始めると振り返り際―――ミナルの肩に翼の生えた蒼い鱗の小動物が乗っかった。
ミナルは足を止めて、小動物に顔を向ける。
「あ、ブルー。さっきはありがとうございますね」
ブルー……そう呼ばれた小動物はあそらく契約竜であろう。竜剣士には一人に一体と竜との契約が許されていると同時に契約することを義務づけられている。
契約というのも力づくで抑え込むような乱暴をするようなものではない。
手順は至って簡単で魔方陣を描きとある渓谷から竜を呼び出し、竜剣士の血を一滴魔方陣に垂らすだけである。
その過程を済ませれば竜との契約は終了。晴れて竜剣士としての竜と契約を交わし契約竜を持つことができるのだ。
普段、契約竜は住処である渓谷にいるのであるが、必要なときに呼び出されると竜剣士が発動した魔方陣を伝って召喚されるシステムだ。
そして竜剣士が造る剣は、自分の契約竜と自分の波動(テフェル)を融合させることで具現化することができるのだ。
「今回はちょっとしたことで呼び出しちゃいまして、ごめんなさい。もう帰っていいですよ」
ミナルの言葉のあとに、ミナルの契約竜はブルーの魔方陣に包まれて虚空へと姿を消していった。
契約竜となると、竜の大きさは通常の大きさではなく小さく縮小されてしまうのだが、波動(テフェル)を与えることで元の大きさに戻すことが可能である。
元の姿に戻せば空を飛ぶことだってできると思うであろう。
しかしそれはどの帝国でも法律によって飛行は禁じられている。それも仕方ないと言えば仕方ないことである。
例えば、この世の竜剣士たちが契約竜に乗って思い思いに空中を飛んでいたら、空はたちまち一面を竜で覆い埋め尽くされてしまい、可能性の話をすれば接触事故、トラブルから空中戦闘なども起こってしまうケースが考えられ、全帝国はそれを心配して法律で禁じたようだ。
「……契約竜」
しかし、その法律にも一部例外が存在する。
―――任務中と波動竜剣士。
任務では現地から大陸を越えて遠くまで行くことが稀にある。他の場合でも、任務中であれば飛行は許されている。
ハルトは飛竜に乗って空を飛んだことがない。だからどんな感覚かはわからないのも当たり前だ。
波動竜剣士は竜剣士の頂点に立つ者の称号で、その称号を持っているだけで飛行は自由に行えるという優遇。
その他の竜剣士たちは転移装置で他の転移装置が置かれた場所にワープする移動手段でも、やはり竜剣士と成っては一度は竜に乗って大空を自由に飛行してみたいと夢見るものである。
そうは思っても理不尽にもそれが強者の特権というやつなのだろう。
竜剣士にとっては必要不可欠なパートナー。相方のようなものだ。
「そいつミナルの契約竜か?」
「はい、そうですよ。ハルトくんもいますよね?契約竜」
「いるぞ、俺も……」
答えに困った。
ハルトは契約竜を固体として持っていないのだ。ミナルのように触れて言葉をかけたりできるような固体としての竜を。
ハルトの場合どう言い表せばいいのだろうか。契約はしているが見せられないと言えば通じるかもしれないが、なにか足りないような気もする。
体内に契約竜がいる―――そう言うのが一番だろう。
重い口を開き答えを述べようとしたとき、ジャストタイミングで学院のチャイムが鳴り言葉を遮(さえぎ)った。
「あ、早くしないと学院生たちが出てきちゃいます。急ぎましょう」
鳴った直後から賑やかな雰囲気とがやがやとした感じが遠くまで感じられた。
静かであった学院校舎に生徒たちの声が響き合い、庭園に明るさが伝う。
「確認ですが、生徒手帳は手に持っておいてくださいね」
急な申し出にも関わらず落ち着いた動きで左胸ポケットから取り出す。
「あるぞ。これでいいんだよな?」
「学院に入る際は説明しましたが必要になります。それを確認したかっただけなので、用意したのなら私が止めてしまったのに申し訳ないんですが、また急いでもらってもいいですか?」
「おい、いいぞ。急ごう」
ブルカバーの生徒手帳を見せてから再び胸ポケットにしまう。
また必要なときになったらいいやという考えからの動きだった。
「昼休みの時間帯ですし、早めに執務室に行ってやることを終わらせた方がいいでしょう」
「俺はここに来る前昼飯は済ませたから心配はないぞ」
「私も同じくここに来る前に前もって済ませておいたので大丈夫です。行きましょう」
今度は駆け足で走るミナルの後を追う。少し長めの遊歩道走って過ぎると、綺麗な白を基調とした外装の学院校舎が見えてきた。
本当にどこかの城や宮殿を思わせるような造りで、改めて見てみてもそれは立派なものだった。
建設するのに莫大な金を費やしたに違いない、豪華な飾りは一切ないがどこか高級感を感じさせる。造りがそう思わせているのか、実際高級感に溢れているのかだ。
速度を緩めず、前で揺れる蒼い髪を頼りにハルトも駆けた。ミナルの走ったあとには、ほんのりとシャンプーのいい匂いと女子特有の甘い匂いが漂っている。
鼻口(びこう)をくすぐる匂いはとてもよかったが、嗅ぎすぎると変態のようだと思ったハルトは新鮮な空気を吸った。行き交う生徒の中でも目立つミナルの髪。
前で揺れているのを見ているとその色から海をも連想できそうだ。学院へ繋がる遊歩道を抜け、学院の昇降口を目の前にすると、言われた通り左胸から生徒手帳を取り出したハルト。
と、ミナルは改札口のような機械の前で足を止めた。後ろで結構なスピードを出して走っていたハルトだが、ミナルとの空いた空間の中で上手く足を止める。
「どうしたんだ、急ぐんだろ?」
当然な疑問を投げかけた。ミナルは不都合にでもあったかのように言葉を濁らせる。
「そのはずなんですけど……」
ゆっくりとハルトに振り向かれた顔は目尻に涙を溜めて泣いている顔だった。
なにごとかと思いまたもや疑問を問う。
「な、なに泣いてんだよ」
「は、ハルトくん。ごめんなさい……」
うー、うーとまさに子供かと思うくらいな泣き方で子供のように泣き始めた。
「どうしたんだって」
周りを囲んだギャラリーが集まり始めた原因は間違えるはずもなく泣くミナルなはず。
騒ぎになったことが気になって集まってきたらしく、ざわざわとした中から聞こえる声でわかる。
「あれって氷雪のミナルだよな?」
「え、泣いてるの?どうして?」
「あの男の子誰?見たことないんだけど」
「もしかしてあの男が泣かしたとか?」
見た感じでは女子生徒ばかり集まってきているようで、男子生徒は数人程度くらいで、圧倒的に女子生徒が多くて聞こえる声からすれば、ギャラリーたちはわかりきったことを勘違いしている。
ミナルが急に泣き始めたことを、ハルトが泣かしたと思い込んでいる。
状況的に見ればそう思えなくもないが、事実はまったく違う。ここはミナルの泣いている原因を聞き出し、的確に原因を解決するのが最善であろう。
「は、ハルトくん」
「どうした?なんで泣いてんだよ」
変な誤解をされたままこれが噂として流れる前に、この場を終わらせたい。
「また……」
「また?」
唇を甘噛みして、
「また生徒手帳落としてしまいました……」
悔しそうに涙で潤わせた瞳が訴えた。
「またかよ。どこで失くしたんだ?探してくるから泣き止んでくれ。俺が泣かしたとか変な誤解されるからよ」
「う、うぅー」
まともな返答が帰ってこなかった。
この状況でいるのはさすがにやばいと思ったハルトは泣くミナルの手を引き集まるギャラリーの間を分け入ってまた遊歩道へと戻った。
一戦やり合った場所へと着くと、あたりを見回してそれらしきものがないかと目を凝らす。
「どこら辺で落としたとかわかるか?」
「わかりません。気づいたら無くなってました……」
「どうして入れといたものが無くなるんだよ。ミナルの左ポケットは四次元にでも繋がってるのかよ」
「……つまらないです、ハルトくん」
「悪い……」
くだらないことを呟き、失くした生徒手帳の捜索に取り掛かるとその場から少し歩いた場所。一度、契約竜がやってきた場所だった。
それにそこでミナルが生徒手帳を持ってろと確認をとった場所でもあった。端に生えた木の根元に添えるように、ブルーカバーの生徒手帳と思わしきものが落ちている。
もしかしてと落ちていたものを拾い上げると、それは読み通り生徒手帳で確認のために失礼ながら中身を拝見させてもらうと、ミナルの顔写真が貼ってあった。
それを見つけただけでそれはもう間違いなくミナルのものだとわかり、すぐさま同じく失くした自分の生徒手帳を探しているミナルの元へ急いだ。
早く報告して泣き止ませてやろう。
「おい、見つけたぞ。ほらこれでいいんだろ?ミナルの生徒手帳だ」
「ありがとうございます」
生徒手帳を受け取り、確認のために中身を開いて自分のものか確かめる。
「確かに、これは私のものです。二度も拾ってくれてありがとうございます、ハルトくん」
ぺこりとお辞儀をして頭を下げた。
「失くさないように大事にしとけよ。学院生にとって大切なものなんだろ」
「ご、ごめんなさい。でも無くなってしまうものは仕方ありません……」
「仕方なくはないだろ。失くさないように紐でも付けて首から提げとけば?」
「あ……それ、いいかもしれませんね。無くならないと思います」
そう言って、あどけない顔でくすくすと笑う。そんなミナルの仕草に思わずドキッとしてしまったが、それを悟られないように表では平然を装(よそお)った。
元から美しく可愛いことは一目でわかることだからだ。なおさらそんな仕草にドキッとしてしまう。
「それはそうと、急ぐ急ぐ言ってなんだかんだで足止めくらってる俺らだ。行こうぜ」
「わかりました。学院内は複雑ではありませんが、似たところがたくさんあります。はぐれないようにしてください。迷子になっても知りませんからね」
生徒手帳を改めて見つけたミナルは上機嫌のまま歩き出す。少女の後ろ姿を追おうとハルトも歩き出した瞬間、誰に見られているような―――人の視線を感じた。
反応的に足を止めしまい、一帯を見てみるも誰も存在せず人影すら見えない。言うならばそこにあるのは木々や草葉や学院施設だけだった。
学院施設の中から見ているのかとも思ったが、カーテンが閉まっていて見ている気配がなく、ならばと建物の隙間にも目をやるがそこにも誰もいない。
―――気のせいだ。
もはやそう解釈するしか選択肢はなく、気に留めることなく先を進んでいってしまうミナルに追いつこう。
そう思うことで誰かか見られていた感じから逃れ、気にせずにその場から走ることができてあとを追って行くことができた。
終焉竜の波動竜剣士《ドラグエイサー》