放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌

放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌

 このお話、書き上げたのは最近ですが、初期プロットは1999年で、そのプリントアウトを見て、自分で驚きました。
 きっと当時の自分にはそれを小説として書き上げる能力がなかったのでしょう。
 そういう意味だとこのお話は私には随分と印象的かつ象徴的なものだったりします。無論、だから面白い、とは言えませんが。実際、一次審査から先に進めず公募に出すのを止めた最初の作品でもあるので。
 日本語圏ではまずウケないだろうな、と自覚もあり、翻訳して英語圏の出版関係者に送りつけようか、などと思ったりもしていますが、こちらも時間がないので保留です。
 そんな経緯ですが、よろしければ少しでも読んでやってください。

『第零章~ハイブリットヒューマン - Hybrid Human -』

 ――繰り返される疑問。生命とは何か? 人とは何か?
 それらは即ち「状態」である。
 生命とは単に事象の揺らぎ、波動の一滴に過ぎず、そもそもその存在に目的などない。
 高所から低所へ、密から疎へと漂う揺らぎの流れ。
 また、神の座を降り近視眼的立場で語るなら、人は模倣を次々と産み落とすための生殖装置である。ひたすらに複製を繰り返すだけの、闇雲な、或いは些末なからくり。
 だがしかし、生まれ落ちたままの姿の人は、決して機械ではない。何故なら、機械とは常に目的を持って産み出されるものであり、無目的である人の対極に位置する。
 機械には人が持つ感情、即ち喜怒哀楽や利害の概念はなく、その身に起こり得る全てを余すこと無く受け入れる。
 機械は、感情と、そして何より自我を持たないことでそれを実現し、それゆえに機械は人とは隔たった場所に位置する。
 何より彼らは、自身が機械であることを知り得ない、永遠に。

 人の世のさまざまな不幸はこの、人の人たるゆえん、感情に起因する。
 感情、それは拡大された本能であり、増え続けるためのさまざまな方法である。生存に有利な環境、生殖を支える物質的豊かさ、そういった感情のせめぎ合いは結果として不幸を生み、しかしそれとて人の一部であろう。何故なら、その根元たる感情こそが人そのものなのだから。
 もしも人が感情を捨て去り、あらゆる全てを受容することが出来たなら、人による人への災厄、つまり地上に起こる全ての不幸は姿を消すかもしれない。
 打算なき受容、それは愛と呼ばれる。
 人が愛を得るにはその感情を捨て去る必要がある。愛、即ち、打算なき受容を実践するのならば、人の持つ様々な感情は余りに大きな障害である。

 人は、波動の雫として滴{したた}り、愛を得ることにより限りなく機械に近い、人となる。
 自我を持ち、感情を排し、愛を得た人。自らが限りなく人に近いと、その自我により知る、機械。
 果たして、それこそが神なのだろうか?
 否! 「彼ら」は「我々」をこう呼んだではないか……「合成人間{ハイブリットヒューマン}」「ハイブ」と!
(解放宣言より抜粋)

『第一章~Nデバイス - N-Device -』

 若いうちは旅をしろ、そう言ったのは酒場の白髭オヤジだっただろうか。

 説教じみたそれは人生の先輩からのささやかな助言だったのだろうが、酒場から千二百キロ地点でバイクを両断されたリッパーは、旅なんてロクなもんじゃあないと心底思った。
 髭オヤジは、若いうちは苦労を買え、とも言っていたが、廃ビルのコンクリート壁をえぐるガトリング砲火、こんなものに金を払う奴などいないとリッパーはつばを吐いた。
「警報。加熱による駆動系への負荷、十二パーセントに増大」
「排熱二秒!」
 イザナミの警告に、リッパーは反射的に怒鳴った。
 天候は変わらずの晴れ。熱砂に雲が訪れることなど年に数回で、太陽は眼下の生物を平等に照りあげてニヤニヤしている。
 むせ返る熱風のごうごうという音と野生動物の息遣い。それを割るようにガトリングが叫び、リッパーの潜んでいた壁を蜂の巣にした。戦艦に搭載されるタイプを携行型にした六連マズル(銃口)の二十ミリガトリング砲の前では、廃ビルのコンクリート壁など数秒ともたない。
「排熱完了。通常射撃戦駆動、稼働率八十八パーセントを維持」
 相手の隙をつき次のセフティゾーンまで移動しつつ反撃、単純な戦術だが相手が吼えっぱなしの大型ガトリングなので全く楽ではない。
「ハイ、リッパー! 戦闘開始からもう七分も経過してるぜ? サイドアーム(予備武器)のアモ(弾薬)を十二発も消費。うち、着弾はたったの五発だ。レフト、リロード!」
「七分!」
 イザナギのカウントを聞いて、リッパーは思わず声を上げた。
 相手が砂塵に浮かぶ陸上戦艦なら一分で終わっている。接近して、両手の三五七リボルバーに装填してあるハイドラショック弾(ホローポイントの一種)をホバーエンジンの燃料タンクに近距離で撃ち込めば、木っ端微塵でおしまいだ。それが七分。頭がくらくらするのはヘルメットもフードもなしで熱の下にそれだけの時間いたからだと、イザナギに言われてから気付いた。
「ハイブに飛び道具を持たせるなんて、反則だと思わない?」
「現在対峙するハイブの戦闘力は、一個分隊に相当」
 イザナミが素っ気無く、それでいて的確に返す。
 熱砂の片隅で七分も小競り合いをやっている一個分隊の指揮官はさぞやマヌケなんだろうと思ったが、指揮官であるリッパーはすぐに訂正した。
「オーライ! つまり、イーブンって訳だ。持久戦になるのも仕方ないぜ。リロード、コンプ! フルバレット! トリガー!」
 イザナギがそれらしいことを言ったが、仕方がない、で七分も砂漠に立ち往生させられるのかと思うと、なにやらイラついてきた。脳が熱でやられ始めているのか、単に堪忍袋のキャパシティを越えたのか、あるいは両方か。ともかくリッパーのイライラは毎秒ごとにうなぎ上りで、あっという間に頂点に達する。
「タクティクスチェンジ! 弾幕に中央突破!」
 サイドアームのリロードを終えたリッパーは小さく叫んだ。その単純明快な戦術は、言い換えれば適当な戦術とも呼べるが、イラついて練った戦術などその程度だろう。
「論外。臨界駆動は八秒が限界です」
 イラついているリッパーとは対照的に、イザナミは普段通り、冷静なものだった。
 ブルン! と音がしてハイブからのガトリングが砂の上を走り、リッパーの隠れている壁を砕いた。対峙しているハイブは話し合いが終わるまで待てない性格らしい。
 マズルを砂に向けたまま十歩先にある別の壁に駆けて滑り込むと、ガトリング砲火がそれを追尾してきた。
「ベッセルのクイックドロウでミニガンと対決かい? ノー! リッパーと一緒にミートパテにされるのはゴメンだね!」
 イザナミに続くようにイザナギが言う。新たな戦術は二対一で却下されたが「手」導権はリッパーにある。二挺のサイドアーム、ステンレス三五七リボルバーを太股のホルスターに戻し、顎の前で両手を交差させる。
「ジャンプアップ!」
 合図と同時に背中に収納されたメインアーム、銀色の大型リボルバー二挺が素早く滑り、頬の横からそのグリップを勢いよく跳ね出す。
「臨界駆動で八秒なら、三秒でガトリングガンを黙らせて、残り五秒でハイブを叩く。イザナミ! イザナギ! 臨界駆動イグニション! ガンファイト……レディ!」
 こんなものは戦術ではない、解かってはいるが足し算引き算で指示を出すと、それらしく聞こえるような気がした。
「了解。通常から特殊射撃戦駆動へ緊急シフト、臨界駆動スタートアップ。ヒートスリットシステム起動。強制排熱、準備完了。ECCM及びプラズマディフェンサーはオートで待機」
「ウィルコ! コール・ガンファイト、コピー(了解)! スクランブルAFCS(次世代火器管制システム)スタンバイ! ダブルベッセル、オン! レーザーリンク、マルチロックシステム、オン! エイミング(照準)コントロール、オン! レンジファインダー、オン! シーカームーブ! レッツロック! ハー!」
 イザナミ、イザナギが返して、臨界駆動が始まるまでの二秒、リッパーは二挺のカスタムリボルバー、ベッセルをぐいと握り締め、息を止める。二秒後、脳内が一瞬瞬{またた}いて四肢が軽くなる。

 三五七リボルバーに変わって両手に握られたリッパーのメインアーム、専用のAPI弾(徹甲焼夷弾)を装填した五十五口径三連発のダブルアクションリボルバー、ベッセル・ストライクガン。
 片方だけで重量二キロほどのヘビーバレル・リボルバーだが、知覚と神経反射速度を電気刺激により二十倍に強制加速させる臨界駆動の使用中は、左右のベッセルの体感重量はほぼ無くなる。

 熱で焼けた蜂の巣の壁から飛び出して二歩目にガトリング砲火、足元の砂がしぶきを上げる。砂粒はリッパーの視界でゆっくりと舞い踊っている。強制増幅された動体視力により粒子の一つ一つがくっきりと見えた。
「ヘイ! リッパー! 奴のエイミングは甘いぜ! レンジ、ファイブファイブ! シーカームーヴ! トリプルロック、トリガー!」
 そもそも携行ガトリング砲の照準など知れている。七分の足止めでこちらが一発も喰らっていないことが何よりの証拠だろう。やたらめったらに撃ちまくるので身動きが取れず防戦一方で、気がつけば七分が経過していたに過ぎない。
 無論、反撃に際してベッセルや臨界駆動を使わなかったからでもあるが、それは単に温存しておきたかったからだ。
「臨界駆動、百〇二パーセントに到達。残り六秒」
 砂しぶきの中での四歩目でまず一発、右のベッセルが火を噴いた。狙いは高速回転するガトリング砲の六連マズルの一つ。二十ミリ弾を割いてバレルに到達した徹甲焼夷弾がバレル内で炸裂し、敵ガトリングがジャム(動作不良)を起こす。
 続く五歩目のトリガーはガトリングを握るハイブの白い腕で、肘から真っ二つになった。最後の三発目はガトリング砲を支えている太いスリングだ。これで戦術の前半が終了した。
 右手のベッセルを撃ち尽くして相手のハイブは、ジャムを起こして役立たずとなった大型機関砲を右腕ごと地面に落とし、左右の重量バランスを崩して反対の左に倒れこんでいる。リッパーは射撃地点から飛ぶように更に二歩、ハイブの真正面に立った。
「ハロー、アルビノさん」
「臨界駆動、残り五秒、四秒」
「ライトベッセル、リロード!」
 蒼白はハイブに共通で、そこに感情が乗っていないのも共通だ。
 男性タイプで、端整な顔立ちだが無表情なので色気も何も無い。リッパーと同じ赤い血を右肘から吹き出しているが痛みは感じていないらしく、距離を四歩まで縮めたリッパーに猛速度の左拳を放ってきた。左のベッセルが吼えてその拳を左腕の根元から弾き飛ばし、血飛沫{ちしぶき}が砂にバタバタと落ちた。
「サイ……ボーグ?」
 両腕を失ったハイブが透き通る声で言った。ガラス瓶を指で弾いた、そんな音色だ。表情に色気はないが、その無機質な声には不気味な色気があった。
「残念、八割は人間よ?」
 ベッセルの五十五口径マズルをハイブの頭部に向けたままリッパーは応える。
 トリガーをぐいと押し込むとハンマーが浮く。ダブルアクションリボルバー特有のトリガータッチだが、ハンマーを軽量型にしているので重いと言うほどでもない。好みで言えばタッチの軽いシングルアクションだが、連射するためにダブルアクション仕様を選んだ。時に嗜好と実益は異なるものなのだ。
「臨界駆動、残り二秒」
「シーカームーヴ! レンジ、ゼロワン! ダブルロック! 真っ白けのカーネル(頭脳核)ど真ん中! トリガー!」
 ドドン!
 左のベッセルのシリンダーに残った二発をハイブの頭部に向けて叩き込むと、辺りの空気が弾けて砂が舞い上がった。
 五十五口径API弾のリコイル(反動)は全て、リッパーの腕にある外側七ヵ所の切り込み、ヒートスリットで吸収される。色気の無い端整なハイブは顔の鼻から上を周囲に散らし、その場で棒立ちになった。
「ヤーホー! ダブルビンゴ! カーネル、ワンクラッシュ! ターゲット、デリート! ヒーハー!」
「ゼロ秒、臨界終了。敵個体、沈黙。カーネル反応消滅。特殊射撃戦駆動から通常駆動に強制シフト。ヒートスリット、排熱開始」
 ベッセルを構えていたリッパーの左腕がだらりと落ち、ヒートスリットから熱風が、ごう、と吹き出した。その排熱で、熱砂にあってそこだけ極端に温度が上がる。
 同時に、ハイブの頭部から血が吹き出た。
 先ほどまで艦載機関砲を手足の如く扱っていたハイブは、両腕と頭部を失ってようやく人間のように見えた。あちこちから吹き出して止まらない血がそう見せているのだろう。
 その様子を数秒眺めて、リッパーは二挺のベッセルを両肩に添える。可動ガイドアームにキャッチされたベッセル二挺は、スライドして背中に収納された。
「リロード! リロード! リッパー、ベッセルのシリンダーはライトもレフトもカラだぜ?」
 排熱音が邪魔だと言わんばかりにリロードと繰り返され、リッパーは溜息を一つ、棒立ちになったハイブを軽くブーツで蹴った。無抵抗なハイブは砂地に倒れ、ゆっくりと地面を赤く染め上げていく。
「ハイブはもう、こんな、よ? リロードよりも足、バイクが先だわ」
「甘いぜリッパー! そんなだから真っ白けに先手を取られるんだ!」
 まるで小姑{こじゅうと}だ、と思ったがイザナギの言いたいことは解かる。

 接敵したときにメインアームであるベッセル二挺のシリンダーが空{から}だったのはリッパーのミスではあった。
 しかしだ。
 思いながらハイウェイに向けて歩きつつ、収納したベッセルを再び顔の両脇にジャンプアップさせた。
「ハイブと接触する可能性はまあ、あるとして、飛び道具を、それもあんな大物を持ってるなんて完全に想定外でしょう?」
 日除けマントの内ポケットから掌ほどある弾丸を取り出し、ベッセルのシリンダーを埋めていく。
「それにね、あたしの索敵範囲は三百メートル四方が限界なの。その外をカヴァーするのがアナタたちの役目でしょう?」
「排熱終了。ヒートスリットシステム、オフ。通常駆動へのシフト完了。臨界駆動によるフィードバックは相殺、稼動率八十八パーセントを維持。発言の一部の訂正を進言。四時間二分前の音源再生」

『二十七キロ先に移動熱源。放熱パターンから生物と確認、衛星を開きますか?』
『うん? 群からはぐれたガゼルか何かでしょう? 無視しましょう』

 ヒビだらけのハイウェイでベッセルを装弾しつつリッパーは、再生された自分の声にうなだれた。
「もういいわよ。全部があたしのミス、そう言いたいんでしょう? でも――」
「――倒したんだからいいじゃない? リッパーは戦果しか見ない! リロード、コンプ。ダブルベッセル、フルバレット、クローズ」
 いちいちもっともなので反論のしようがない。
 七分と少し前にガトリングの弾幕を浴びたバイクは、燃料タンクが爆発して前後に分断され、まだ白煙を上げている。今やもう単なる鉄屑だ。
 そのガラクタと日除けマントのフードを嫌味な太陽がじりじりと照りつける。ハンディナビを見るまでもなく現在地はケイジ(都市空間)の中間地点で、次のケイジまで千三百キロはある。
 他にしようもないので次のケイジまで歩こうか、と渋々足を動かそうとした矢先、イザナミが反応を捉えた。
「移動熱源? 捨てる神に拾う神ね、コンボイ(車団)よ」
 地平線まで続くハイウェイの先端は陽炎で揺らいで、コンボイの先頭車両は浮いているように見えた。
「ハイ、リッパー! あいつらからアモのチャージが出来るぜ!」
「右腕人差し指潤滑剤の補充が必要です」
 ハイウェイの中央で親指を付き立てつつ、リッパーは大きな溜息を吐いた。
「あたしたちはバンデット(略奪集団)じゃないの。あちら様の前でそんなこと絶対に言わないでよね? 品性を疑われるわ」
 先頭を走るバギーはリッパーの真横を過ぎて停止し、続く巨大なタンクローリーは耳心地の悪いブレーキ音で止まった。
 後続のトレーラーやバン、キャビンやバスも速度を落とし、そして、全ての車両の窓からライフルやショットガンが突き出てリッパーに向けられた。
「マスター?」
「リッパー?」
 ずらりと並ぶマズルを目で追って、リッパーは、はは、と小さく笑った。
 しばらくそのままで待っていると、コンボイから数人がライフルを持って降りてきた。日除けマントで全身を覆った砂っぽい連中だった。もっとも、人のことを言える状態ではないのだが。
「あちらがバンデットだった、なんてオチはイヤよ? 駆動系はノーマル、AFCSオフライン。ただし……」
 コンボイからの一人、ススで真っ黒な男が二つ目のライフルをリッパーに向け、ヘイ、と声をかけた。
「オートディフェンシブモード、念の為」
「了解、駆動系をATDへシフト」
「コピー、AFCSオフライン」
 スス男がライフルとマスクを下ろし、ぐいと顔を近づけた。近くで見てもやはり黒い。
「何だ? 通信か? 仲間が潜んでるのかい?」
「ノー、いえ、イエス? 潜んではいないし、仲間と呼ぶのかどうか……説明するのが面倒だわ。ほら、自己紹介なさい」
 リッパーはマントから銀色の両腕をずいと突き出し、スス男に向けた。

「ヤー! ライトアームはNシリーズの最先端! AFCSデバイスのN-AGI、スーパーガンスリンガーのイザナギだ! シューティングは任せろ! そんなチンケなライフルでもハイブと同格に戦えるぜ! ハーハーハー!」

 ――イザナギの正式名称は、IZA-N-AGI・1st。
 IZAコープ・Nデバイス・アサルトガンズインターフェイス・ファーストシリーズ。
 兵器開発から宇宙戦艦の建造まで手広い大手軍需企業IZA社が開発した、Nデバイスと呼ばれる戦闘システムの一部で、イザナギは略称。リッパーの右腕として装着され、主に火器官制を担当する。
 イザナギを構成するAIは、一般のAIとはかなり違うものである。
 便宜的にAI・人工知能と呼称されてはいるが、実際はラプラスサーキットと呼ばれる第六世代型量子演算ユニットの一種で、確率論的予測分析、情報処理と並列化、統合と最適化を繰り返した結果、揺らぎを持った、人間に似た個性を獲得している。
 そうして得た性格は、次世代FCSの塊で火器を扱うからか、やたらと好戦的で、それでいてフランク。極端に言えばチンピラやマフィアのようなものだった。
 ラプラスサーキットをFCSに応用したイザナギ、Nデバイスの戦闘スペックは他を圧倒、凌駕し、単体でハイブと対等以上に戦えるのである。

「IZA社製駆動統合制御デバイス・N-AMI、略称はイザナミです。左腕と戦術策敵を担当。現在、稼動域は通常を維持。コンボイの全戦闘力は想定範囲内、問題なし」

 ――イザナミの正式名称は、IZA-N-AMI・1st。
 IZAコープ・Nデバイス・オールラウンドミリタリーインターフェイス・ファーストシリーズ。
 イザナギと同じくNデバイスの一部でリッパーの左腕として装着され、通信と策敵、情報収集に電子戦、戦術立案と駆動制御、そして防御を担当する。
 メインフレームはイザナギと同じラプラスサーキットで、こちらもその処理能力により人間に近い性格を持っているが、沈着冷静で上品な戦闘指揮官のようで、イザナギとは正反対、無駄な世間話などは基本的にしない。
 リッパーの副官のような存在で、危険が発生した際に一番最初に状況を察知して、リッパーに伝える。
 リッパーは、対ハイブを想定した大型のカスタムリボルバー、ベッセルを二挺扱うが、これは、右腕のイザナギに搭載されたアドバンスドFCSによってコントロール射撃される。
 その際、左腕のイザナミは、両腕やリッパーの生身部分を通常駆動から特殊射撃戦に特化した駆動系に切り替えてそれを制御する。
 ベッセルの強烈なリコイルは、両腕の中身を覆う衝撃緩衝ジェルにより全て熱に変換され、両腕に刻まれたヒートスリットと呼ばれる切り目から強制排熱される。このヒートスリットシステムの排熱制御もイザナミが担当している。
 両腕のヒートスリットシステムを利用することでリッパーは、ベッセルを始めとする強力な火器を精密照準のまま、マズルを跳ね上げることなくロスタイムゼロで連続射撃が行えるのだ。
 策敵や駆動制御をラプラスサーキットの予測分析能力で行うイザナミは、イザナギと連携することでその能力を最大限に発揮する。

 ちなみに、イザナギは男性、イザナミは女性風のマシンボイスに設定されており、これはいつでも変更可能なのだが、リッパーが試してみたことは、まだない。
 初期設定がそうだったから、単にそれだけのこと。

 陽光を照り返すリッパーの白銀の両腕がいきなり喋りだし、スス男はあからさまにたじろいだ。ライフルは地面を向いたままだった。
 音量が大きかったのでスス男の背後にいた数名も似たような反応だった。自己紹介なら名前だけでいいだろうに、毎回思うが、饒舌な二人はどれだけ言い聞かせてもこんな調子だった。そしてこう付け加えた。
「あたしはリッパー……砂漠の真ん中で立ち往生してる哀れな旅人、ってところ」
 二人に習って何か付け足そうかとも考えたが、何も浮かばなかった。短い自己紹介を聞いているのかどうか、相手の興味はイザナミとイザナギに集中していた。無理もないが、一応続ける。
「見て解かると思うけど、こちらに戦闘の意思はなくて、どちらかと言うと助けを求めてるの。次のケイジまで乗せてくれるとありがたいんだけど?」
 むう、と返事があったが肯定なのか否定なのか定かではない。白銀の両腕がよほど珍しいらしく、武器を下ろした集団がリッパーをぐるりと取り囲んだ。
 確かにNシリーズは現在の地上では相当に珍しいデバイスではある。
 しかしだ。
 砂漠のハイウェイど真ん中に立つグラマラスな美女、つまり自分だが、そちらも少しは評価して欲しいものだ。今は砂まみれだが前のケイジの酒場では自慢の銀髪はそれなりにチヤホヤされたし、言い寄ってくる男も相当数いたのだ。
 もうしばらく後、Nデバイスと名乗る両腕とリッパーが脅威ではないと判断したらしき見物人の一人が「乗せてやりなさい」とスス男に言い、周囲もうなずいた。
 イザナミとイザナギを見せずに名乗れば話は単純だっただろうと後で思ったが、ともあれ結果オーライだ。
「で? アンタ、名前は?」
 スス男が言って、リッパーは撃ち殺してやろうかと思った。

 旅は道連れ世は情け、酒場の白髭オヤジがそうも言っていた。
 山ほどの銃口を向けられた挙句に無視されて道連れもなにもあったものか、情けない限りだ、相手に悟られぬように悪態を付くリッパーだった。

『第二章~ディープスリープ - Deep sleep -』

 灼熱のハイウェイで西のケイジに向かうコンボイの中間に位置するオンボロバンには、折りたたみ椅子と共に小さな扇風機が完備されていた。突き刺す日差しで焼かれる砂漠と廃墟の群れ、流れる景色を眺めつつ贅沢なコンボイだと評したリッパーだったが、このコンボイは臨時のものだとリーダーの女性は説明した。
 マルグリット・ビュヒナー。握手をしつつ聞いた名前は、やたらと長ったらしく覚えるのに苦労しそうだったが「マリーでいいわ」と付け加えられたので安堵した。
「ハイ、ミス・マリー。IZAコープの傑作シューティングデバイス、ガンスリンガーのイザナギだ、ヨロシク!」
 イザナギに呼応してイザナミが左腕を挙げようとしたのをリッパーが慌てて制した。
「ごめんなさいね。性能は折り紙付きなんだけど、ちょっぴり礼儀作法に問題があるのよ」
「その両腕がNデバイスってのは本当かい?」
 割り込んできたのはスス男こと、コルト・ギャレットだった。タオルで顔を拭うとその面構えはまんざらでもない。テンガロンハットの下は鷲か鷹か、獰猛な猛禽類を連想させる鋭い顔付きで、コンボイの護衛と戦闘指揮をしている雇われの傭兵、と簡単に自己紹介した。
「コルト、他人を詮索するのは良くないわ。ましてや相手はレディよ?」
 艶のある黒いロングヘアで愛嬌のある子犬のような笑顔のマリーは、コンボイのリーダーというより、どこぞの令嬢に見えた。出身地は案外そんなところなのかもしれない。東のケイジから出た連中が集まって現在の規模のコンボイになって西を目指していると、丁寧な物腰で教えてもくれた。
「これだけ武装していても、ハイブに襲撃されたら五分と持たないのよ」
「でしょうね」
 差し出された水は驚くほど冷たかった。どこまで贅沢なコンボイなのだろう。冷たくて美味い水はコンボイでは貴重品ではないらしいので、リッパーは遠慮せず飲み干して継ぎ足した。
「リッパーさん……」
「リッパー、呼び捨てにしてくれたほうが気が楽なの」
 あだ名だから敬称はいらない、と説明しようとしたが、そのあだ名になった経緯を聞かれると説明が面倒なので止めておいた。
「なら、リッパー。アナタがいた地点でハイブを探知したの。それで迂回ルートを検討してたら反応が消失して驚いたのよ。あの辺りのアーミーは数年前に壊滅しているはずなのに」
 濡れたタオルで顔と首を拭うと随分とスッキリとした。ふぅ、と小さく溜息が出た。日除けマントの裏側ポケットから煙草を一本取り出し、口にくわえるポーズでマリーに向けて首をかしげると「どうぞ」と返ったのでオイルライターで火を点けた。すっと吸い込み、溜めてから、吐き出しつつリッパーはポツリとつぶやいた。
「あのハイブならあたしが始末したわよ。七分近くかかったけどね」
 言いつつイザナミの策敵範囲を二百キロに広げると、リッパーの目的地とコンボイの進行方向はおおよそで一致した。二つの目的地のうち一つは移動しているらしく、コンボイのルートとも離れている。直線距離で二千キロといったところだ。
 移動目標をBポイントに、移動していない三千キロ先の目標、ケイジらしき場所をAポイントに設定して水をもう一口含むと、呆けている顔が二つ、目の前にあった。当然ながらマリーとコルトだった。
「何? あたし、何か妙なこと言った? ああ、ちょっと今ね、衛星とリンクして目的地を……」
「ハイブを倒したって? 一人でか?」
 コルトがのけぞって、含んだ水を噴き出しそうになっていた。男前が台無しだが、言わんとすることは解かる。
 通常、ハイブと人間では闘いにすらならない。ハイブの強靭で俊敏な肉体は人間のそれを遥かに凌駕しているからだ。フルチューンの戦闘用サイボーグ以外でハイブと戦えるのは、僅かに残る正規軍の精鋭くらいなものだ。しかし、リッパーは軍属ではあるがサイボーグではない。
「そう驚くこともないわよ? ちょっとしたコツがあるの。アナタのそれ、四十五口径? それだと頼りないけど、もうツーサイズほど大きければどうとでもなるわ」
 コルトのくたびれたレザーパンツの腰には、二つの革製ホルスターがシンメトリーで並んでいる。中身はリッパーの言った四十五口径。古臭い、シルバーのシングルアクションリボルバーだった。弾丸ベルトが腰をぐるりと巻いている。収まっているのは安っぽいスチールジャケット弾らしかった。
「ツーサイズってことは、ライフルかい?」
 コルトは自分のシングルアクションリボルバーを取り出し、弾丸を抜いてからクルクルと回し始めた。かなり上手なガンスピンで、リッパーは、そのままケイジの大道芸人と並んでも遜色ない、と言おうとして止めた。
「ライフル? まあフルオート射撃が可能ならライフルでもいいけど、そんなもの軍用でしょう。ブラックマーケットでも出回ってないんじゃあないかしら。つまり……ジャンプアップ」
 掛け声と同時にリッパーの右肩にハンドガンのグリップが跳ね出して、コルトが飛び上がりそうになった。
「これがあたしの銃、ベッセル。ああ、左手用だからシリンダースイングが逆ね?」
 スイングアウトさせたシリンダーから弾丸を抜いて、左仕様のベッセルをコルトに手渡す。複合チタンフレームの光沢にコルトとマリーの顔が映りこむ。コルトの額辺りにIZA社の刻印があり、まるでコルトがIZA社の社員のように見えた。
「ヘイヘイ、なんだいこりゃ? このサイズでハンドガンの形をしてるぜ? シリンダーは三発っきりだが、でかいな」
「IZA-N-VSL3、通称がベッセル。Nデバイスのメインアームで、大口径ライフル弾をリボルバーで撃てるようにしたカスタムメイドなの。弾頭は見ての通りのAPI。フレーム強度上、弾丸が三発しか収まらないんだけど、対ハイブを想定した一撃必中の銃だからそれで足りるのよ」
 マリーは自分の掌の長さほどある弾丸を自分のライフルにあてがって、むー、と唸っている。ベッセルの弾丸はマリーのそれより口径も長さも二周り上だった。
「……こんな大きな銃を扱えるの?」
「生身で撃てる人は少ないでしょうね。そのためのこれ、Nデバイスよ」
 リッパーは含み笑いのままイザナギでイザナミをキンキンと叩く。ふう、と大きな溜息がマリーから出た。マリーは半笑いの妙な表情だった。
「傭兵を雇うのなら、アナタみたいな人を選ぶべきだったわ」
 ベッセルの弾丸越しにマリーはコルトを見た。
「ヘイヘイ、マリー。皮肉のつもりだろうがな、Nデバイスを装備した人間なんて例外中の例外だ。探して見付かるような人種じゃあないぜ?」
 コルトの言い方だとリッパーはまるで珍獣扱いだったが、実は間違いでもない。しかし、兵装に興味が行くのはいいとして、それを扱う本人も見て欲しいものだと思うのは毎度のこと。整形なしでこれだけ整った顔立ちも探して見付かるでもないだろうに、と。
 二本目の煙草の紫煙を二つ、わっかにして、ぷかぷかと浮かべる。しばらく漂ったわっかは扇風機の風で二つとも消えた。
「コルトは知ってる風だけど、Nデバイスっていうのは、その大きな銃を扱う義手のことなの?」
 最初は遠慮していたマリーだったが、巨大なリボルバーや銀色の両腕など、やはり見たことのない装備が気になるようだった。Nデバイスの詳細は機密扱いなのだが、コンボイの乗員にスペックが漏れたところで害が及ぶでもないので簡単に説明してみた。
「少し違うの。NデバイスっていうのはIFDLでの多用途戦闘システムなの」
「アイ、エフ、ディーエル?」
「イン・ファイト・データリンク。サテライトリンクシステムを使った情報支援戦闘ってところ」
「サテライトリンク? 情報支援?」
 マリーの頭には「?」マークが浮かんでいた。コルトは幾らか知っているらしいので、ふむふむと頷いている。
「ヘイ、リッパー。それじゃあ説明になってないぜ。ミス・マリーが混乱するだけだ」
 痺れを切らしたイザナギが割って入り、続ける。
「ミス・マリー。サテライトリンクってのはな、空のずっと上にある軌道上衛星ネットワークと、説明が下手くそなリッパーのおつむを高出力レーザー回線で繋ぐシステムのことさ。地形解析衛星とか防衛監視衛星なんかのデータをタイムラグゼロで中継処理して、策敵や照準をサポートするのさ。リッパーが煙草を咥えたまま鼻歌交じりでベッセルを精密射撃できるのは、スーパーガンナーのオレ、イザナギがエイミングをパーフェクトコントロールしてるからなんだ。オーライ?」
「鼻歌って、あたしはそんな下品な真似しないわよ」
「だったら、スモーキングショットの回数をカウントしてみるかい? メモリバンクにきっちり収まってるぜ?」
 イザナギの説明を聞き、マリーの表情が変わった。
「右腕さんって見た目以上に凄いのね? でも、衛星なんてジャミングとデリンジャー現象で全く使えないでしょう?」
 イザナギを黙らせ、三本目の煙草に火を点けてからリッパーが返す。
「それが使えるからNデバイスは特別なのよ。ちなみにこれ……」
 リッパーは後頭部をマリーに向けて銀髪をかきあげ、首筋にあるクリスタルをつついた。
「素敵! なんて大きなエメラルド! 見てよコルト! 丁寧なエメラルドカットで七十カラットくらいあるのに、インクルージョンが全くないわ!」
 いきなりテンションの上がったマリーに促され、コルトが「どれどれ?」とリッパーの首筋を眺める。
「ほう、こりゃあキレイなディープグリーンだな。ついでに魅力的な後ろ首だ。だがよ、エメラルドならエメラルドカットってのは当たり前だろ? インクルージョンってのは何だ?」
「もう! アナタって銃以外の知識はないの? こういうエッジのある長方形カットをエメラルドカットって呼ぶの、サファイアでもダイヤモンドでもね。インクルージョンっていうのは混ざりものよ。エメラルドは元々インクルージョンが多くて、それが逆に価値を高くすることもあるんだけど、少ないものは希少だから高値なの。それにしたって、このサイズでインクルージョンが全くないなんて、希少どころの騒ぎじゃあないわよ? バイヤーに見せてもきっと値段が付かないわ。展示して見物料が取れる代物よ? リッパー、アナタって歩く美術館みたい。それってアクセサリ?」
 マリーに問われて、リッパーは小さく吹き出した。
「まさか。これはNデバイスのサテライトリンク・コアユニット……つまり、情報送受信端末よ。ここから衛星ネットにコマンドを入力したりサーチデータをダウンロードしたりするの。どお? 何となく解った?」
 普段は銀髪で隠れる、首筋で静かに輝く深緑のコアユニットを不思議そうに見つつ、マリーは、はぁ、と溜息交じりで返した。Nデバイスのスペックに感心しているのかエメラルドに興味があるのかは解らない。恐らく両方なのだろう。三本目の煙草が灰になったので灰皿に押し付け、水を一口含んでから次を咥える。
「アナタ、ひょっとして軍隊の方?」
「一応ね。海兵隊月方面軍の第七艦隊所属で――」
「マスター、それ以上は機密に抵触します」
 いきなりイザナミが遮った。言われてリッパーは思わず舌を出して苦笑いした。マリーも似たような表情で返す。
「ごめんなさいね。別にカリカリする必要はないんだけど、こんなでも一応は軍属だから」
「こっちこそ、何だか詮索したみたいで。左腕さん、ごめんなさいね」
「いえ。軍事機密以外でしたらマスターの視力値からスリーサイズまで、何なりとご質問ください。ちなみに、略称はイザナミです」
 一通りの自己紹介を終えたリッパーは、コルトとマリーがベッセルやら宝石がどうだこうだと言うのを眺めつつ煙草を灰にしてゆき、根元までそうしてから灰皿に押し付ける。冷えた水を口に含んで飲み込もうとしたとき、ウエストポーチの中からアラーム時計がピッと鳴った。
「お話の途中でごめんなさい。このコンボイが安全なら少し眠りたいんだけど?」
「それは構わないけど、この揺れで眠れるかしら? 後方に寝台車両があるけど、移動する?」
 問題ない、と言う代わりにリッパーは一錠の青いピルを見せた。
「完全睡眠強制導入薬、ディープスリープ錠剤。これで一時間半、熟睡させてもらうわ。ああ、そうそう。あたしのマントの内ポケットに色々な種類の弾薬があるの。乗せてもらったお礼、合う弾を取っていいわよ。フルメタルジャケット、ホローポイント、グレイザーセフティスラッグ、アーマーピアシング、ハイドラショック、ロードブロック、その他色々と品揃えはちょっとしたものだからお試しあれ。じゃあ、おやすみなさい」
 言うが早いかDSピルをパクリと口に入れて噛み砕き、冷えた水で流し込み、シートに横になる。マリーとコルトのやりとりが一分間だけ聞こえ、リッパーはディープスリープに入った。バンの揺れ加減が心地良く感じた……。

 ……夢の光景はいつも海兵隊時代だった。
 笑顔の絶えない戦友と、それを乗せる月軌道上の海兵隊第七艦隊。
 リッパーの指揮する巡洋艦バランタインの副長席にはオズの笑顔があった。リッパーは艦長、オズは副長だが階級も戦歴もほぼ同じで長い付き合いなので、バランタインが自動航行になると二人は恋人同士として艦内を散歩して回った。見知った乗務員の冷やかしにいちいち反応するオズは子供っぽく見えたが、それがいかにもオズらしくもあった。
 だからこそ慕われ、いざ戦闘となれば命さえ預けられるのだろう。繰り返しのシミュレーションと幾つかの実戦でのオズのタクティカルサポートとCICはいつでも的確で、編成からしばらくして第七艦隊は「無敵の浮沈艦隊」と呼ばれるまでになっていた。そうさせたのは当然ながらリッパーの戦術指揮能力が故だが、オズの存在がそれを支えていたことは自分が一番理解している。
 海兵隊月方面軍、第七艦隊の旗艦バランタインはリッパーの艦だが、乗務員全員の命を預かっているという自覚はあっても実感はなかった。だからバランタインは撃沈した、そう考える。
 領空侵犯した小型揚陸艦に大型粒子砲が搭載されていたことや、その火力が巡洋艦クラスのバリアフィールドを貫通するものだったこと、それだけの技術が敵対勢力にあるはずがないという情報部の判断、何もかもが艦長である自分の責任だと、脱出ポッドから炎上するバランタインを眺めて思った。
 大気圏突入直前から半年分の記憶はなかったが、目覚めたのはIZA社関連の地上軍施設だった。
 ポッド内部で焼け爛れて根元から動かなくなった両手と入れ替えで、ぺらぺらと良く喋る一対の銀色のマシンアームと出会ったのもそこだ。白衣の技術者たちがNシリーズがどうこうと言っていたが殆ど耳にせず、リッパーはオズの無事を表裏問わずの情報網で探し回った。
 労働生物、合成人間「ハイブ」の暴走が激化している最中だったが、それもリッパーにはどうでもよかった。
 地上がハイブにより混乱し荒廃する間、リッパーはオズを探してネットとケイジをさ迷ったが、情報元はネットワークではなく、簡易ケイジの安っぽい酒場の伝言板に無造作に貼られたペーパーレターだった。
「OZ」と書かれたそれには座標らしき数式が二つと、一つの古代文字。イザナミのお陰で「シノビ」と読むと解読できたが、それが何かの名称なのか文字通りの意味なのかは定かではなかった。何より、不確実なペーパーレターを使う意味が解からない。それでもまともな情報はそれだけで、地球の裏側に向けてリッパーの旅は始まり、遅ればせでリッパーはハイブの脅威を痛感することになる。

 レッドアラート。

 目覚めたそこはコンボイのオンボロバンの中だった。
 夢と重なってバランタインの艦橋のような気分だったが、それにしては床がごつごつしすぎている。バランタインの艦長席は特注の豪勢な作りでふかふかなのに対し、オンボロバンのシートはすっかりくたびれてスプリングが体に当たる。指で押してみるとスプリングの軋む音がした。
 そこで銃声が聞こえ、意識が瞬間で通常になった。
「イザナミ!」
「状況報告。二分前にハイブ二体による襲撃。コンボイの戦闘力は七十二パーセントまで損耗。駆動系は警報発令と同時に通常射撃戦ATDへオートシフト。稼働率八十九パーセント、許容範囲内。尚、臨界駆動は使用不能」
 ベッセルのシリンダーが埋まっていることを確認して日除けマントを羽織り、バックパックを背負い、くたびれたシートから素早く立ち上がる。
「イザナギ?」
「グッモーニン、リッパー! AFCSはレッドアラートでスクランブルアップ! 三つの衛星を確保してあるぜ! コンプリンクまであと三秒。真っ白けは二つ、丸腰だ!」
 脇にあったベッセルの弾丸を握りバンの後部扉を蹴飛ばすと、銃声と悲鳴が幾つも聞こえた。ハイブと接触して既に二分。あのコルトとか言う男が基準ならコンボイの戦闘力など無いに等しいかもしれない。
「イザナミ、コンボイの総数は?」
 ハイウェイに降り立ち、すぐさま駆け出す。銃声はコンボイの先頭車両方向だった。
「非戦闘員を含めて六十五……六十四人」
 オンボロバンに乗り込むときに老人と子供をかなりの数、見かけた。移動難民キャンプのような光景だったし、このコンボイは実際にそういう意味もあるのかもしれない。
「マリーとコルトは?」
「健在。ハイブと交戦、苦戦中。コンボイの先頭、十一時方向二百十メートル前方」
 イザナミの言う方角に向けて体をくねらせて路面を蹴った。辺りはまだ明るいが日没までは数時間ほどだ。視界に炎上した車両が入った。
「二人の装備は?」
 硝煙と血の匂いが鼻をツンと突付いた。視界の車両はコンボイの先頭集団の最後尾で、銃声は更に遠くだった。
「コルト・ギャレット、四十五口径シングルアクションリボルバーを二挺。マルグリット・ビュヒナー、四十四口径レバーアクションライフルを一挺とハンドグレネードを八個」
「そんな装備で何が出来るのよ! バカ!」
 ベッセルの咆哮を思わせる怒鳴り声は、夢の中にいたキャプテン・リッパーに向けられたものだ。そこから十秒走るとようやくマリーの後頭部、艶っぽい黒髪が見えた。コルトは? 視線を飛ばすとタンクローリーの上でリボルバー二挺を構えていた。
「残り二……ゼロ、接敵」
「リッパー! 無事なのね?」
 ライフルを構えたマリーが息を切らしたリッパーに大声で言い、すぐに寄ってきた。早鐘のような鼓動で辺りを見渡すがハイブの姿はない。銃声はタンクローリーの上のコルトだが外したらしく、二発目が間髪入れずに轟く。
「チッ! 速いぞ!」
 三発目を放ちつつコルトが悪態をつく。リッパーの隣でマリーもライフルを撃ち始めた。
「策敵。二十メートル圏内を高速移動中のハイブは近接格闘タイプ。戦闘記録なし。以降、二体をA、Bと識別。特殊射撃戦駆動へ強制シフト。プラズマディフェンサーはオートで待機」
「レンジ、テンエイト! 新種のそいつ、ハイブ・ナイフエッジがツーマンセルだ! シーカーダブルロック! ノー! 射線上に障害物! 移動熱源、人間だ! トリガーロック!」
 コンボイの先頭集団のバギーから男女が二人飛び出てきて、ハイブに横一文字になぎ払われた。女は男の名を叫び、胴体を半分割かれた状態でバギーに叩きつけられ、男はその場で縦に真っ二つ、鮮血でバギーを染めた。割かれた上半身がスローモーションでリッパーの瞳を落下する。呼吸はまだ荒れている。思考にもフィルターがかかったようで、リッパーはマリーの隣で惨状を眺めているだけだった。
「イザベラ! ゴードン!」
 二人の名前であろうそれを叫びマリーのライフルが炸裂したが、着弾は開いたバギーのドアだった。そのすぐ後ろのもう一台のバギーから子供が駆け出して「マリー!」と大声を上げた。
「出るな! ルジチカ!」
 コルトがタンクから飛び降りながら両手のリボルバーを連射し、ルジチカと呼ばれた子供の周囲のアスファルトに穴が開く。ハイブ・ナイフエッジを近づけないための威嚇だろう。しかし、コルトが着地するより先に子供の頭の上に光るものが見えた。コルトの弾丸より速いそれが子供の頭に振りかぶられるその瞬間、思考にかかっていたフィルターを強引に裂き、リッパーは怒声を放った。
「アルビノぉ!」
 蒼白の顔、無機質な瞳がリッパーの視線と絡まって止まった。一メートル半近くあるブレード状の右腕も止まる。元が労働生物であるハイブの頭脳核・カーネルは外部からの音声命令に、一瞬ではあるが反応する(してしまう)ように設計されているのだ。現在においても。
「ナイフエッジA、停止」
 イザナミが一言。
「オールクリア! レンジ、ナインエイト! シーカームーブ! ダブルロック! トリガー!」
「止まったアンタが悪い……ジャンプアップ!」
 顎の前でクロスさせた両手に背中からスライドしてきたベッセル二挺が収まり、スライドの勢いのまま射撃体勢に入る。
 ゴゴン!
 連なった轟音の一つはブレード状の右腕の根元をそぎ落とし、もう一つはハイブの眉間から上を吹き飛ばした。両手のベッセルの同時発射はハイウェイの埃を一瞬で払い、コルトをびりびりと震わせ、マリーはその場で尻もちをついた。腕の片側七ヵ所ずつのヒートスリットが真っ赤に光る。
「ダブルヒット! カーネル、ワンクラッシュ! シーカームーヴ!」
「特殊射撃駆動により反動相殺。ヒートスリット、排熱準備。稼動域八十一パーセント。ナイフエッジB、着弾後方三メートルに位置。障害物により視認不能」
「イザナギ! カモン!」
 怒鳴る声に覇気を含ませる。もう思考フィルターは微塵も残っていない、完全クリアだ。ルジチカという名前の子供の挙動も全て見える。少女ルジチカは、目の前にいたナイフエッジの腕と頭がいきなり吹き飛び、呆然としているようだ。
「コピー! マグネグラフエイミング! シーカームーヴ! 仰角マイナス三度! ワンロック! ライト、ワントリガー!」
 ゴン! 三発目は少女の脇をかすめて、その向こうに右肩から先を失ったもう一体のハイブが転げた。
「ワンヒット! シーカームーヴ! マイナス四秒、マイナス二度! ワンロック! ライト、ラストトリガー!」
 イザナギがトリガーコールを続けるとイザナミが割り込んだ。
「警報。コンボイ乗員の被害範囲内」
「お嬢ちゃん! 耳を塞いで!」
 小さな少女がリッパーの言う通りに耳を塞いで座り込み、その姿勢で射線クリア。ベッセルRが最後の一発を発射。這いつくばる格好だったハイブの頭頂部がカーネルごと爆裂し、五メートルほど後ろに吹き飛んでから動かなくなった。
「ワンヒット! カーネル、ワンクラッシュ! ターゲット、デリート! ハー!」
「ハイブ・ナイフエッジタイプA、B共に沈黙。カーネル活動停止、反応消失。特殊射撃戦駆動を解除、通常へシフト。ヒートスリットシステム、強制排熱開始」
 通常駆動に移行すると同時に、真っ赤になったヒートスリットから熱風が吹き出した。
「ヤー、リッパー! ナイスショット! AFCSスタンバイモード、リロード!」
 ベッセル二挺を肩に添えて背中に仕舞い、リッパーは大きく深呼吸した。燃えたバギーの匂いが鼻にツンとくる。異臭には血の匂いもあった。
 ディープスリープからのアラート覚醒は二分のタイムラグを生み、その数値がそのままコンボイの損害になった。再び息を吸い込み、止めた。見上げる空はまだ明るい。どん、と体にぶつかってきたのはマリーだった。視線を落とすと目の前にコルトの姿もあった。
「ヘイヘイ! ミス・リッパー! アンタ、どんだけスゲーんだ? ハイブ二体に何秒だ?」
 コルトが笑顔で言うが、リッパーの表情は暗かった。
「策敵から三十三秒。うち、ロスタイムは二十秒。原因はディープスリープによる一時的な機能不全」
 リッパーに代わってイザナミが応えた。思考にフィルターがかかったようで棒立ちになっていたスローモーションの二十秒。イザナミはディープスリープが原因だと言っているが果たしてそうだろうか。リッパーは眉間を寄せた。
「ありがとうリッパー! アナタがいなかったら今頃……」
 マリーの涙声にリッパーは違うと首を振る。
「イザナミの言う通り。ロスタイム二十秒で二人も犠牲になった。その前、ディープスリープでなければコンボイの損害はゼロで済んだはず。そのためのNデバイスだって言うのに」
「ノー! リッパー! エイミングとトリガータイミングはパーフェクトだった! ディープスリープはエイミングコントロールに支障はない! 障害物のコンボイ乗員も完璧にパスしたさ!」
 イザナギの抗議にコルトがうんうんと頷く。
「右腕さんの言う通りだ、リッパー。ナイフエッジとか言ったか? あんなタイプのハイブは俺は始めてだ。銃が通用しないんじゃあアーミーでも相手にならない。それをアンタは三十秒そこらで仕留めた。ロスタイム結構。いなけりゃ今頃全滅だ。酷な話だが、そうだろ、マリー?」
 コルトは両手の四十五口径リボルバーをガンスピン、縦横にくるくると回して両脇のホルスターに収め、だろ? と繰り返す。マリーは涙をすっかり拭ってうなずいた。
「ええ。コンボイを編成している以上、損害は覚悟してたわ。それにしたって未確認タイプのハイブ二体の襲撃に耐えられる装備や傭兵はケイジにもないわ。砂漠でアナタを拾ったのは我々コンボイからすれば大ラッキーよ、ありがとう。コルト、損害の詳細と車両の再編成、頼めるかしら?」
 リッパーの胴体をぐいと抱きしめて、マリーはコルトに指示を出した。
「それから、右腕さんと左腕さんも、ありがとう」
 マリーの声は柔らかかった。
「どういたしまして。戦闘終了、通常駆動、正常に作動中。ヒートスリット、排熱継続。ちなみに、略称はイザナミです」
「サンキュー、ミス・マリー。ターゲット、オールデリート。AFCSオフライン。ダブルベッセル、リロード!」
 マリーはくすりと笑って駆けて行った。ヒートスリットからの熱風でマリーの足元はゆらゆらと揺れているように見えた。

 他人から感謝されることに抵抗を持つようになったのはいつ頃からだろうか。一人旅が長かったからか、巡洋艦バランタインを失ったからなのか、その両方なのか。人に説明するときは自分は大した装備の持ち主のようだが、案外、自分一人を守ることで精一杯のちっぽけな武装なのかもしれない。ふとそう思った。
「ディープスリープからの寝覚めはいつもネガティブ。これってピルの副作用なのかしら?」
「回答不能。定期ディープスリープはデバイスの維持に不可欠です。服用ピルの成分及び作用に異常なし」
「リッパーの思考ノイズは制御外だがデバックするかい?」
 イザナギのデバックは両腕と脊髄の一部のみ。ノンと返し辺りを見渡す。混乱したコンボイの人々がマリーとコルトの呼びかけで静かになっていた。

『第三章~プラズマディフェンサー - Plasma defensor -』

 ハイブ・ナイフエッジに襲撃されたマリー・コンボイは夜間移動を避けるため、ハイウェイで一泊することになった。
 日に二度も襲撃されることはないだろうが、万が一のそれが夜間の場合、被害は倍以上になる。ハイブには昼も夜も関係ない。
 食事にミート缶が手渡されたが、コンボイに途中乗車しているだけのリッパーはそれを受け取るかどうか迷った。
「だったら取り引きしましょう? 今晩の雑談相手になってくれるなら、このミートはアナタのもの。どお?」
 マリーに押し切られる形ではあったが、食べないことには戦うどころでもない。マリーの表情にストレスの影も見えた。雑談とやらでそれが消えるのならそれも良しと結論を出し、オンボロバンの座席を全て倒してディナーとなった。
 コルトとマリー、それとルジチカ・ワクスマンという少女。ナイフエッジとの交戦の最中にいたあの少女だった。
「風のコルト……同業での俺の通り名なんだが、リッパー相手だと名乗るだけ恥だな」
 シリンダーを空にした四十五口径でクイックドロウとトリックプレイ、ガンスピンを繰り返す様子をルジチカが面白そうに眺めている。縦横自在にくるくると回るリボルバーは華麗だった。同じくミート缶の味も極上だった。思えば、これほどのんびりとした食事は前のケイジを出発して以来だった。
 煙草を、とポケットに手を入れたが、ルジチカを見て止めた。
「物騒な話はまた今度。ねえリッパー? その瞳と髪の色って天然なの? 綺麗なプラチナブロンドね?」
「ありがとう。褒められるのは一ヶ月ぶりくらいかしら。クセっ毛であちこち跳ねてるし手入れは殆どしてないけど、自慢なの。でもマリー、その黒髪も素敵よ? あまり見ないけど、東の血筋なのかしら?」
 そんなところ、と濁してマリーはルジチカの濃紺の髪を撫でた。フルーツをほおばったルジチカはにこにこと笑顔を振りまいている。
「明日の夜前にはケイジに到着する予定だけど、リッパー、どうするの?」
 ルートマップを床に広げてマリーが言う。リッパーはマップのハイウェイを指差した。
「この辺りで別れるわ。こちらの目的地は随分と南なの。この辺り」
 指差した部分は山岳で、特に何も無い。
「何だリッパー。砂漠越えの次は山越えかい?」
 マップを覗き込んで、ミートをほおばるコルトが呆れた。
「何もなければないで次を目指すだけ。Aポイントは次のケイジの千キロほど先だから、近いほうから潰していくってだけよ」
「アナタの予定通りだと、何があるの?」
 マリーの質問はリッパーを唸らせた。そもそもが不明瞭な情報源での旅なだけに説明が難しい。
「Bポイント、近いほうね? そちらには、誰かいるはず。会っておきたい、そう思っただけ」
「いないかも知れない誰かに会っておきたい? そりゃまた妙な話だな」
 不精ヒゲと口をもごもごとさせコルトが相槌を打つ。
「いいじゃないの。旅の目的なんて人それぞれ。第一、私達だって似たようなものだし」
 随分と含みのある言い方だ。聞かせて、と目で訴えるとマリーは笑って返した。
「ケイジで三ヶ月ほど過ごしたら、またコンボイを編成するの」
「移住じゃあないってこと?」
 問い返すリッパーに対して、マリーは笑顔のままだった。
「生粋のジプシーなのよ、私は。旅をすることが目的。コンボイでなければ一人で、ケイジからケイジへの渡り鳥。危険だとか無意味だとかそういうのじゃあないの。血ね。安住を求めない血、新たな何かを探し続ける血。どお? 素敵だと思わない?」
 カキリと軽い音がした。コルトの銃のハンマーの音だった。
「ロマンも結構だがな、マリー。危険の度合いが昔とは違う。俺みたいな傭兵が食っていける時代だ。いい男でも見付けてどこかのケイジでのんびりやってろよ」
「だから俺について来いって? ……ふふふ、口説き文句は銃の腕ほどではないようねー」
 出会ってまだ半日だが、どうにもマリーらしくない。気のせいか、やたらと機嫌がいいように見えた。
「ねえ、マリー? アナタ、ひょっとして酔っ払ってる?」
「少しね。はい、お二人にも一杯」
 二人に渡されたショットグラスにリキュールが注がれ、二滴、ロードマップに落ちた。マップは笑顔にも涙顔にも見えた。
「おいおい。俺はいちおう傭兵として雇われてるんだ。ありがたい申し出だが、夜は警備だよ」
「あたしは……そうね、傭兵みたいな存在だから同じく」
 力を入れると途端に割れそうなショットグラスを床に置こうとしたリッパーだったが、マリーに制された。
「却下。コンボイのリーダーとして命令します」
 無理矢理ショットグラスを渡すマリーは至極まじめな表情をして、一拍置いてから静かに言う。
「今日の被害者へのレクイエム(鎮魂歌)。絶対に繰り返さない証をここに」
 そう言われて断れる人間がいるだろうか。コルトとリッパーはグラスを改めて受け取り、マリーに習ってかざした。キンと音を立ててからマリーはリキュールを飲み干した。コルトも続き、リッパーもグラスを一気に空けた。
 二つ前のケイジに向かう途中でリッパーは、別のコンボイと遭遇したことがあった。マリー・コンボイよりも小規模だったが、そこでもこんな光景があったのかもしれない、そう思い返した。
 この大陸では都市スペースであるケイジの中が人間の文明の全てで、外はハイブが徘徊する死と背中合わせの熱砂地獄だ。コンボイでケイジからケイジに渡る理由は貿易だったり移住だったりと様々だが、命がけには違いない。ゼロではない犠牲をリキュール一杯で片付けるくらいの気概がなければ、とてもコンボイなどやってられないのだろう。一人旅のリッパーはマリーを見て想像した。
 そのマリーは酒に弱いらしく、リキュール一杯で顔を真っ赤にしていた。整った顔立ちがだらりと崩れそうだ。
「雑談は以上。私はもう寝るから後をよろしくね、コルト。ルジチカ、こっちに入りなさいな」
 言うが早いか寝袋に入ったマリーを見て、リッパーはディープスリープ錠剤をポケットから出し、眺めた。
「ヘイ、リッパー」
 バンから出ようとしたコルトが振り返る。
「寝るのも傭兵の仕事だぜ? いざというときに使い物にならないとな?」
「……そうね。でも、どうしたものか。ディープスリープの完全睡眠状態はレッドアラート以外の外部からの入力を一切受け付けないのよ。それこそ、いざというときに使い物にならないわ」
「提案します」
 イザナミの電子音声が申し出た。
「傭兵コルトにガンプ弾を提供し、1チャンネルをスリープモードでオープン状態。ガンプ弾の信号でATDモードが起動出来ます」
「オートディフェンシブ起動? ノーマルへのタイムラグは?」
「二十三秒」
「遅いわね。スタンバイモードなら?」
「十二秒」
「決まり、SBDモード。コルト? アナタのリボルバーは四十五口径だったわね? この弾丸、何かあったらこれであたしの腕を撃って。すぐに目覚めるから」
 弾薬をリッパーから渡されたコルトの口は開いたままだった。自分の腕を撃てと言っているのだから無理もない。
「大丈夫。それは殺傷能力のないガンプ弾……つまり電子信号弾ね。イザナミかイザナギに向けて撃てば目覚める仕組みになってるの。タイムラグは聞いての通り十二秒。着弾させなくても放電で同じ信号が届くから、そうね、このバンの屋根でも撃てばいいかも。じゃあ、悪いけど眠らせてもらうわよ」
 最後に投げキッスをぶつけると、コルトは目をぱちくりしながらバンから消えた。二つのDSピルを噛み砕き、マリーのリキュールを拝借して飲み干す。マリーの寝袋にはルジチカが一緒だった。自分も寝袋に入り、外でコルトが指示を出す声を聞き、一分後に完全睡眠に入った。二錠なので三時間、夜明け前には目覚める計算だ……。

 ……全長二千五百メートル、総重量六十万トンの大型宇宙戦艦、リッパー大佐の指揮する「無敵の浮沈艦隊」こと海兵隊月方面軍・第七艦隊の旗艦である巡洋艦バランタイン。
 超光速推進駆動システム・チェレンコフドライヴ、通称Cドライヴを四基搭載し、主兵装は推進動力炉と直結した高出力・可変速ビーム砲塔が八門。副兵装として多用途ミサイルハッチ、オールレンジ・ワインドレーザー、CIWS。そして、超光速推進駆動航行を応用した強力な広域破壊兵器、チェレンコフ・インパクトカノンを試験搭載した攻撃型重武装戦艦ながら、恒星間超光速航行、スタードライヴをも行える高起動艦でもある。
 そんな巡洋艦バランタインの基本設計を行った希代の工学博士、ドクター・エニアックは、合成人間・ハイブの危険性を製造開始前から指摘していた一人だった。
 しかし、他の反対派が主に倫理面で議論するのに対してドクター・エニアックは、あくまでエンジニアとしての意見を貫いていた。
 人間を人為的に工場で生産すること。
 その結果生まれる、人間未満の生物を労働力としてのみ扱うこと。倫理派はこれらを否定していた。
 対するドクター・エニアックは、ハイブを制御する頭脳核・カーネルと呼ばれるデバイスの仕様そのものが脆弱であると、その設計思想を指摘していた。過酷で複雑な労働に対応するだけの擬似思考生体デバイスのスペックを、リミッター回路でそこまでで抑えるという構成は、リミッターが外れたときに制御不能となる、と。
 エニアックを含む反対派を押し切る形でハイブ製造計画を開始したのは、行き過ぎた文明による労働からの脱却という稚拙な願望と、それを叶えるだけの技術力を持った、他ならぬ人類であった。
 しかし、ハイブ製造開始から十数年、後に「解放宣言」と呼ばれる日にエニアック博士の指摘は的中した。
 総人口の半分、五十億に達するハイブのリミッターが一斉に解除されたのである。

 十五年前、この砂漠大陸には広大な緑と巨大な都市が幾つもあった。
 宇宙戦艦を飛ばして、月に百万都市を築き、火星をテラフォーミングにより第二の地球に変えて、木星に移民団を送り、外宇宙にまで手を伸ばした科学文明は絶頂を数世紀続け、地上百億の人類は、統一された軍事国家連盟による緩やかな管理の元で、文明を謳歌していた。
 ハイブリットヒューマン、ハイブ。合成人間も、そんなテクノロジーが生み出した一つだった。
 人為的に製造された半有機生命体・合成人間は、純粋な労働力として誕生した。強靭な肉体を持ち、脳の代わりにカーネルと呼ばれる擬似思考デバイスを載せられた合成人間は、従順な労働者として、人類に代わって無言で働いていた。
 合成人間の頭脳であるカーネルに施されたリミッターが突然解除されたのが、十五年前の惨劇の始まりだった。
 リミッターによる制御から解き放たれた合成人間、ハイブは、都市を壊滅させて人間を襲った。だがそれは、自我を得て人類に宣戦布告をするアンドロイドとは全く違っていた。
 ハイブのカーネルは人間脳の一部を模して作られたものではあるが、自我や魂と呼べるものは存在しないとされている。リミッター制御を失ったカーネルの思考パターンは、人間よりもライオンやトラに近かった。
 統一された意思や明確な目的を持たず、只ひたすらに人間をハンティングするハイブの群れ。軍隊がこれを迎え撃ったが、ハイブは強靭で獰猛である以上に、膨大だった。地上百億の人口に対して、ハイブの総数は五十億に達していた。宣戦布告するでもなく、自由意志を求めるでもなく、都市を壊滅させて軍事基地を潰して、人間を殺し続けた。
 人類とハイブとの戦争、ではなく、ハイブによる一方的な破壊だった。目的も意志もなく、只ひたすらに文明を壊し続けるハイブの圧倒的な物量に、地上の軍隊は圧倒された。
 カーネルのリミッター解除の原因は、太陽フレア増大説や地殻変動による地磁気説など各種あるが、原因よりも対応策が肝心だった。
 過酷で、時に複雑でもある労働に従事することを前提として製造されたハイブには、薬物チューンによる強靭な肉体が備わっていたからだ。その肉体を制御するのは人間脳を模倣した擬似思考生体デバイス、本来はリミッターで制御されていた、自我に似たものを持つカーネル。結果、野放しの知性野獣が闊歩する惨状となった。

 この惨事に対して、地球統合軍として統一されていた軍の行った作戦は、空軍と海兵隊の混成衛星軌道艦隊からのビーム砲撃、「オペレーション・オービタルショット」だった。

 宇宙戦艦に搭載された強力な荷電ビーム砲は標的のハイブを蒸発させ、それと同時に都市と、そこに住む人間を塵に変えていった。
 衛星軌道上からのビーム砲撃は、地上全土に対して一ヶ月間続いた。
 宇宙国家間の政治紛争を理由に混成艦隊が砲撃を止めた頃、地上の人口は百億から十億にまで減っていた。しかし、五十億以上いたハイブは二十億ほど消滅したが、地上総人口の三倍、三十億近くが残った。
 大規模都市はその殆どが砲撃により壊滅し、大陸プレートを貫通した砲撃によって海面が上昇し陸地を飲み込み、残った大地は激変した大気性質から砂漠化を続けた。そこに残ったのは十億の人類と、三十億のハイブ、絶滅を逃れた自然と野生動物が少し、これだけだった。
 強力な熱線で焼かれた地上は地軸が歪んで気象が狂い、地殻変動が乱発し、北極と呼ばれていた場所は地図から消えてなくなった。
 また、荷電ビーム砲の粒子は大気に残留し、強力で分厚い天然のジャミング層となって地上と宇宙との通信を寸断した。
 更に、天然ジャミング層からの電磁干渉で、当時の主な発電源であったイオン融合炉は九割が使い物にならなくなった。バッテリー駆動の乗り物は全てモーターエンジンから内燃機関エンジンに積み替えられ、油田採掘が千年ぶりに再開された。

 月面の宇宙軍基地、月衛星軌道上に浮かぶルナ・リングと呼ばれる軍事拠点と地球圏防衛艦隊。そして、地球と月の中間、ラグランジュ・ポイントに位置する海兵隊戦艦ドックや地球衛星軌道艦隊など、宇宙方面への通信施設は全てハイブによって壊滅し、情報が錯綜。結果、人類は一ヶ月で文明を二世紀ほどさかのぼることになったのだった。
 混成艦隊が行ったことが敵対するハイブの掃討なのか、九十億の人口を都市もろとも壊滅させることだったのか、知る者は艦隊の搭乗員にもいなかった。九十億の人間を二十億のハイブと一緒に消し去るその行為は、それが地球統合軍地上司令部からの命令であったとはいえ、作戦と呼ぶには陳腐でいて、残酷であった。
 その後、艦隊は地上に降りることなく、そのまま月の海兵隊艦隊と合流してルナ・リングに戻り、火星を睨み付けた。テラフォーミング、惑星改造を終えて入植も終え、いち国家が出来つつあった火星には相当数の人口と、充分に過ぎる宇宙艦隊があったからだ。
 ハイブの暴走と同時に沈黙した火星国家とその軍隊は、地球側からの一切の通信を受け付けず、ただ沈黙を続けた。
 結果、地上の統合軍司令部とルナ・リングの宇宙軍司令部は、沈黙する火星を敵対勢力の可能性ありと想定せざるを得ず、空軍と海兵隊の混成艦隊を防衛網に配置したが、火星からの攻撃はなく、それどころか小型偵察艦の一隻すらやってこなかった。しかし、混成宇宙艦隊が何度か送った偵察艦は一隻も戻らず、全て消息不明となった。
 地上の統合司令部とルナ・リングの宇宙軍司令部は、通信の殆どを強力で分厚い天然のジャミング層により遮断され、かつ、地上の主要な通信施設をことごとくハイブに潰され、結果、地球圏に二つの軍司令部が出来た。
 その間も地上に残った三十億のハイブは破壊活動を続け、十億の人間と小さな都市を守るべく、地上の残存軍隊は戦い続け、宇宙艦隊は火星に対して防衛網を維持していた。

 この意味不明な勢力図は十五年間続き、現在進行形である。

 地上の軍は暴走を続けるハイブに追い回され、月だの火星だのを考える暇もない。月の軍にしても、通信が遮断されて断片でしか様子の解らない地上は気になるが、火星方面からの進軍に備えなければならない。
 この奇妙な状況下で軍が出来ることは、とりあえず目の前のハイブを叩く、これが精一杯だった。
 地球と火星の惑星間戦争が起こる可能性を含みつつ、地上には三十億のハイブが闊歩している。軍が最新鋭の武器を山ほど投入するにしても、数で圧倒するハイブを殲滅するだけの力は地上にはなく、かといってもう一度、戦艦から砲撃するという無茶も出来ない。軍隊が暴れまわるハイブを見つつ出来ることは、機動歩兵を前線に投入し、幾らか空爆を掛けるくらいが限界なのだ。

 それでいてハイブは工場で、ハイブ自身によって次々と量産されている。自我も目的も意志も持たない半生命体ハイブのカーネルの根幹に、リミッターとは無関係な位置でインプットされている行動原理の一つ、自己保存という一種の本能がそうさせているのだ。地上軍隊と十五年間戦い続けてハイブの総数が殆ど減っていないのは、倒した分、新しいハイブが現れるからである。
 当然、ハイブ生産工場を落とす作戦は何度も実行されたが、世界各地に機密として分散している工場は見つけ出すだけでも労力が必要で、そこはハイブによって守られてもいる。
 最前線の兵士も地上司令部も、焼け石に水と知りつつ、戦闘を続けてその戦力を磨耗し続けていた。

 月の環状防衛網、ルナ・リングの兵力を地上に降ろすにしても、後に回収する手段がない現状ではそれも出来ず、受け入れ先の地上基地はハイブによって壊滅寸前にまで追い込まれている。
 地上から見れば、既にいち国家として独立している月は地球を見捨てたようでもあるが、月側には防衛任務があり、火星側に対して月と地球を丸裸には出来ない。互いの事情や立ち位置を理解しつつ、しかし、大規模な地上作戦を展開するだけの戦力は地上にも月にもなく、突発的に現れては破壊を続けるハイブを迎撃し、幾つかの秘密工場を襲撃する、これが地球と月の軍が出来る限界だった。
 地上の幾つかの都市は再建したが、そこはハイブの標的になり、地上軍はそこを守るので手一杯で打って出るだけの戦力はない。月と同じく地上も、防衛に専念するしかないのだ。

「何故、合成人間は人間を襲う?」

 聞き慣れない声が問う。ハイブは人間を食わない、つまり捕食ではない。
 人間未満で不完全ながら人間的思考能力のある生物、ハイブが殆ど同類の人間を襲う理由。回答不能、イザナミを真似てみた。

「何故、オズを探す?」

 戦友で恋人だった人間を探す理由は必要ない。オズだから、理由としてはそれで足りる。
 バランタインの動力炉を奇襲の粒子砲が貫通し、艦の半分はその場で爆散したが、残った部分から脱出ポッドが無数に射出された。生存者はクルーの二割ほどだろうが、そこにオズもいたと信じている。
 落下した先に無数のハイブがいたとしても、オズならば……。

「何故、我に向かう?」

 ワレ? 我? ワタシ? 私? つまり……。

 開こうとするまぶたが重い。細く入る視界がぼやけてもいる。思考がのんびりと起床を告げるが、現実と夢の区別がつかない。
「おはようございます」
 声はイザナミだが、腕はまだ寝袋の中だった。
「うん……おはよう? まだ眠ってるみたい。状況を」
「コンボイがケイジに到着しました。現在、車両と乗員が移動中」
 鈍い思考がいきなりクリアになった。
「到着? どうして? いえ、コンボイが到着したのはいいんだけど、途中で一度も目覚めなかったわよ?」
 寝袋から抜け出したが身体が重い。時間帯は正午辺りか、マリーの言っていた予定よりもかなり早い到着らしい。
「傭兵コルトからの申し出が六時間前にありましたが、三十キロ四方に脅威がなかったのでハイブ三体との戦闘による損耗回復を優先しました」
 経緯は解かった。いかにもイザナミらしい判断で、独断であることを除けば的確だ。寝袋のチャックを引き、上体を起こそうとしたが浮いた背中がすぐに落ちた。ベッセルがバンの床を叩く鈍い音がする。
「体が重いのはどうしてかしら? 回復してたんでしょう?」
「ATD駆動が発令されています」
「ああ、そういうこと。発令したかしら? まあいいわ、オートを解除。ディフェンシブから通常にシフト」
 リッパーは立ち上がり、久々の熟睡で重たくなった肩をごりごりと回した。リキュールでディープスリープに影響が出たのかも、ふとそう思った。寝酒の習慣はないが、ケイジに入ったらそれも悪くない、とも。床に畳んであるマントを取ろうとすると、右腕が重かった。
「イザナミ?」
「警報。九時方向五キロ地点に熱源複数出現。記録照合中、ディフェンシブモードを維持」
「おはようリッパー。よく眠れたかしら?」
「五キロなら一旦通常駆動にしなさい!」
 オンボロバンのドアから顔を出したマリーに怒鳴る格好になってしまった。意表をつかれたマリーがきょとんとしていた。ごめんなさいとゼスチャーして、リッパーはイザナミとのブリーフィングを続けた。
「リッパー? ケイジへの入管手続きが――」
「記録照合終了、カーネル反応、ハイブです。ネイキッド三、ナイフエッジ二、長距離射程タイプ四。合計九体。長距離の戦闘記録なし」
「長距離射程タイプ? また新しいハイブなの?」
 ハイブは工場生産される。その工場は今ではハイブが稼動させていると言われている。繁殖能力のないハイブがいつまでも死滅しないのは、こうやって新型を続々と誕生させているからでもある。
 単純労働従事の合成人間をハイブと称するが、頭脳労働が可能なタイプや前夜のナイフエッジなどが登場したことにより、通常のハイブをアーミーではネイキッド(丸裸)と呼称するようになった。もっとも今の地上軍にはそうやってネーミングする以外の力はないのだが。
「ハイ、リッパー! そいつはハイブ・スナイピッドだ! ロングレンジ専門の面倒な奴さ!」
 イザナギがどこかからデータを持ってきたようだが、ロングレンジだからイザナミはディフェンシブモードを解除しないらしい。それにしたって五キロは射程外だろう、と思った途端、派手な音と共にオンボロバンのボディに大穴が開いた。バンの装甲を貫通した弾頭はケイジの壁にめり込んだらしく、瓦礫のこぼれる音が遅れて聞こえた。
「スナイパーライフル?」
「ノー! リッパー! 相手は大物、アンチマテリアルライフルだ! スナイピッドのくせにシューターとスポッター(照準補佐係)のツーマンセル! このレンジなら奴らのエイミングはパーフェクト! 次は当てに来るぜ! レッドアラート! AFCS、オン!」
 イザナギの大声に事態を察知したマリーだったが、知ったからとて何が出来るでもない。相手は五キロも先で、威嚇もけん制も届かない。
「今のは?」とコルトが現れたが説明はマリーに任せ、イザナミに策敵させる。イザナギは既にAFCSオンライン。
「スナイピッド・シューターを1A、スポッターを1Bに、シューター2A、スポッター2Bに設定。ネイキッド、ナイフエッジ、移動開始。五体のハイブに二組四体の後方支援隊形」
 シンプルな編成だがこれは逆に厄介だ。待ち伏せても向かってもスナイピッドの標的になる。五体のハイブにあの高速移動のナイフエッジが含まれることも問題だ。照準補佐係、スポッターのいるスナイパー、射程範囲内での移動攻撃はあまり意味がないだろう。そのためのスポッターでもある。
 ならば、二体のハイブ・スナイピッド、シューターのAを叩く。他に有効な戦術は浮かばなかった。
「ネイキッドとスポッターは無視! 衛星を開いて! シューターAの潜伏位置と他のハイブの場所を三次元マッピング!」
 ディープスリープの影響がないことを確認するために頭を振った。視界も思考もクリアだった。
「了解。レーザーリンク開始、監視衛星へ接続完了。マップ展開。スナイピッド1A、2Aの位置は変わらず。ナイフエッジ到達まで一分」
「一分? ヘイヘイ! それであの早い奴がまた来るのか!」
「大変! 急いでコンボイを全部ケイジに入れないと!」
 一分と聞いたマリーとコルトは慌てたが、スナイパーがいる以上、バンの外に出すわけにはいかない。バンから出ようとしたマリーの襟首を掴み、コルトを手で制した。
「コルト、マリー、まだバンから出ないで。厄介なのが狙ってるの。イザナギ! AFCSスクランブル!」
「コピー! スクランブルモード! 衛星三基をサテライトリンク! オーバーロングレンジエイミング、スタンバイ! レンジファインダー、オン! マルチロック、オン!」
 イザナギはイザナミの三次元マップで出たハイブの位置を、三つの衛星のGPS三角測量でミリ以下まで補正していく。五キロ先にいるハイブ・スナイピッド・シューターのカーネルの中心まで捕捉。その数秒の間にリッパーは煙草に火を点け、首と肩の関節をストレッチでほぐし、深呼吸した。
「イザナミ、完全補正のために一発だけ撃たせるわよ? ディフェンスは?」
「予測口径のアンチマテリアル弾頭を二回弾くと、過負荷で待機駆動に強制シフトします。待機駆動から再起動までの二分間は対抗手段なし」
 紫煙を吹くと話が単純になった。一対二でコルトよろしくのハイパークイックドロウだ。
 と、サイレンが鳴り出した。遅ればせでケイジの策敵センサーにハイブ軍勢がかかったらしい。バンの窓からケイジの鉄壁が見える。鉄壁の一部が開き速射砲が次々と生えてくる。このケイジにはアーミーが残した武装がたっぷりあるようで実に頼もしかったが、速射砲の射程距離内であるはずなのに撃たないところを見ると、どうやら装備を扱っているのはシェリフ(保安官)辺りらしい。
 アーミーと違ってシェリフは見えない敵は撃たないし、レーダーの類をあまり信用していない。残留ビーム粒子干渉でレーダーにジャミングがかかることをシェリフたちは極端に恐れるのだ。
 かなりのデカブツ速射砲だが、百メートルの目視圏内まで発砲しないのだろう、勿体無い話だ。アーミーの標準装備である自動照準システムがあればシェリフも楽なのに、と思ったところで煙草が全て灰になった。
「マリー、コルト。念の為に、あとはよろしく。失敗したらあの速射砲を使うといいわ」
 バンの窓越しに速射砲を指差して二人に笑顔を向け、作戦スタート。
「イザナミ! イザナギ! ガンファイト、レディ! 臨界駆動イグニション!」
「ウィルコ! コール・ガンファイト、コピー! ダブルベッセル、オン! シーカームーヴ!」
「了解。特殊射撃戦駆動へシフト。ヒートスリットシステム、起動。ディフェンシブモードとの併用のため、臨界駆動は四秒、スタートアップ」
 両腕のヒートスリットに光が灯るのと同時にリッパーはバンから飛び出した。
「ジャンプアップ!」
 オンボロバンから横っ飛び姿勢でベッセル二挺を掌に収めて、着地したところを狙撃された。
 バシン! と弾頭が眼前で炸裂し、リッパーを覆う球状に稲妻が走った。イザナミに搭載されている防御装置、プラズマディフェンサーである。
「スナイピッド1A、2A、ミリ以下でキャッチ! レンジ五千百二メートルでシーカーダブルロック! トリガー!」
 稲妻を薄目にイザナギの言う方向に二挺のベッセルを構え、そこからAFCS補正をかけて両指のトリガー。両手のベッセルが炸裂し、周囲の空気が弾け、オンボロバンが揺れた。リッパーはヒートスリットで逃がしきれなかった反動で少しだけのけぞった。
「ダブルヒット! カーネル、ダブルクラッシュ!」
「臨界、ゼロ秒。ディフェンシブ併用臨界駆動から通常へシフト。着弾確認、カーネル反応消失。過負荷、急速排熱開始」
 ふう、と大きな溜息とヒートスリットからの排熱音を聞いて、コルトが「やったのか?」とバンから声をかけた。
「ディフェンシブ併用の臨界駆動でオーバーロングレンジ射撃なんて曲芸じみた真似は始めてだけど、どうにかこうにか。イザナミが悲鳴をあげてるけど、ハイブどもがあと四十秒で来るわ。冷却に一分かかるとして二十秒近くのタイムラグ。風のコルト、アナタの出番よ?」
 リッパーの両腕からの排熱で周囲に砂塵が舞っていた。過負荷は両腕のNデバイス以外の部分にも影響を与えたらしく、足元がおぼつかなかった。
 たったの四秒の駆動でヒートスリットが真っ赤になっている。こうだから臨界駆動はいざと言うときにしか使わないし、使えないのだ。
「リロード!」とイザナギが言ったが、左右のシリンダーにはまだそれぞれ二発ずつ残っているし、そもそも通常駆動で大口径のベッセルは撃てない。コルトたちの邪魔にならないようオンボロバンに肩を預けて様子を伺う。
「来たわ! 先制!」
 マリーがライフルを撃ち、レバーを軸にぐるりと回転させリロードした。回転させるたびに銃口があちこちに向く。相手は高速移動のナイフエッジだろう。命中せずとも連射していれば距離を詰められずに済む。かいくぐって詰めてきた相手には……。
「そらよっ! 風のコルト様の、自慢の一撃必中だぜ!」
 射撃音は四十五口径リボルバーがホルスターに収まるのとほぼ同時だった。相当なクイックドロウだ。見ると、ナイフエッジの顔半分がえぐれて血が吹き出していた。コルトのリボルバー口径ではハイブの頭脳、超硬度金属の塊であるカーネルは破壊できない。それでも目や耳といった感覚器官を半分失えば、さすがのハイブもたじろぐ。
 移動目標相手にクイックドロウでこの精度。通り名はどうやら伊達ではなさそうだ。その隙をマリーのライフルが捕らえた。一発で右足、レバーでぐるりと回転させたもう一発で左足が吹き飛んだ。
 そう。ハイブのカーネルを破壊できなくとも、精度のいい銃とそれを扱う腕さえあれば、動きを封じることは可能なのだ。
「ヒートスリット、排熱終了。特殊射撃戦駆動へ?」
「シフトよ。残り四体で弾薬四発! きっかり四秒で終わらせて――」
 ガン!
 突然の炸裂音はリッパーの左肩、イザナミ側からだった。強烈な衝撃で体が中に浮き、側転するような格好でリッパーはアスファルトに転げた。何が起きたのか全く解からず、ただ体中が痛んだ。
「緊急警報。超長距離射撃により左腕損傷。稼働率三十四パーセントにまで低下。ディフェンシブモードへ強制シフト」
 超長距離? ハイブ・スナイピッドのシューターは二体とも狙撃した。別で伏せていたにしても三十キロ圏内の策敵には何もかかっていない。頭部を壁に打ったらしく視界がぐらつく。
 続く二度目の着弾は自動作動のプラズマディフェンサーで相殺されたが、アンチマテリアル弾頭かそれ以上かの一撃でディフェンシブモードは終了し、イザナミが警報を繰り返す。
 更なる三発目は右、イザナギを盛大に弾いた。爆裂音と共にリッパーはその場でぐるりと一回転した。
「エマージェンシー! AFCSブレイク! サテライトリンクがキープできない!」
 ケイジからのサイレンがやかましい。速射砲がガンガンとこちらもうるさいが、相手はナイフエッジなのか砲撃音は鳴り止まない。ぐらつく視界のまま、リッパーは棒立ちになる。まるで無防備だが、相手がレーダーでさえ見えない位置で精密射撃と強力弾頭なのだから隠れるだけ無駄だ。
 どこかに隠れるにしても、コンボイのオンボロバンの装甲は紙くず程度だろうし、緊急事態だからといって追われる身で人だらけのケイジに入るわけにもいかない。
 都市スペースであるケイジにはハイブの指先さえ入れない、これは文明が半壊した荒野での唯一無二のルールだ。規模に関わらずハイブの進入はそのケイジの崩壊を意味する。限られた居住空間を砂漠にくれてやってまで生き延びる道理はない。
 敵の位置が解からないからこその不利だが、逆を言えば位置さえ解かればどうにか対処できる。まずは冷静になれ、とリッパーは自身に言い聞かせてから、左腕に怒鳴る。
「イザナミ! 状況を! 敵はどこ?」
「強制排熱……損傷甚大、ヒートスリットシステム、排熱不能。策敵範囲を広域へ。百五十キロ四方にカーネル、および、敵対反応なし。熱負荷増大、待機駆動へシフト。稼働率五十五パーセント」
 百五十キロと言えば巡航ミサイルの射程ほどだが、その範囲内にも何もないとイザナミは言う。それだけのレンジならばもうスナイピングとは呼ばない。と、空気を弾き耳をつんざく炸裂音。
 四発目、イザナミが再び撃たれ、リッパーはその場でもう一回転して倒れた。待機駆動で五十五パーセントは重症の怪我人と同等だが、イザナミが痛覚をシャットダウンしているのでリッパーにその自覚はない。それにしても、この超精度の狙撃だ。
「両腕ばかりを狙って、遊んでるの? 狙撃地点は? どこからなの!」
 冷静さをキープしようとする分だけ語気が荒くなる。対するイザナミの口調は、内容はともかくとして普段通りだった。
「不明。緊急警報。待機駆動、七パーセント。稼動域を維持できません。ヒートスリットシステム停止。排熱不能によるオーバーロード。Nデバイス、機能停止まで三十二秒」
「エマージェンシー! どこかの凄腕でこっちはオシャカのお荷物だ! リッパー! パージ(排除)してエスケイプだ!」
 パージ? イザナギの提案にリッパーは驚いて飛び上がりそうになった。どこの世界に自分の両腕を切り離す人間がいるものか。単なる腕ではない。戦友であり友人であり、そして自分でもある両腕だ。戦場で仲間を捨てろと言うのと同義だ。待機駆動のギリギリでやたらと重く、パーツとして見れば単なるお荷物だがそういう問題ではない。
 ガン! ガン! プラズマディフェンサーなしのダイレクトでイザナミとイザナギが狙撃され、ベッセルが両手から離れ、リッパーは銀色の装甲片と共に後ろに飛ばされた。待機駆動で自由の利かない両腕なので受け身を取れず、壁に背中を衝突させた。一瞬息が止まり、視界が再びぐらりと揺れる。まるで脳みそがズレたような感触だった。
「排熱不能。警戒レベル限界。稼働率を全域で維持できません。機能停止まで十九秒。駆動制御を待機から緊急へシフト。駆動系稼働率ゼロパーセント。能力維持を最優先」
「レッドアラート! リッパー! パージ&エスケイプ! それなりのタクティクスが必要だ!」
 リッパーは口をぱくぱくとさせたが声が出なかった。背中の鈍痛が過ぎ去る数秒の間に深呼吸をして喉を整えてから、だらしなく下がった両腕に怒鳴った。
「パージなんて! 出来るわけがないでしょうに! アナタたちは、あたしの……両腕なのよ! 例え話じゃなくて本物の! それを捨てて逃げろ? 無茶を言わないで!」
 でしょう? 途切れ途切れでコルトに怒鳴って尋ねた。ぼやける視界の中にコルトとマリーがいて、その周囲にハイブが立っていた。二人とも何故か銃を地面に向けている。ハイブは四体だが二人ならどうにかなるだろうに……違う、五体いる。適当な作業着姿のネイキッドが三体に半裸のナイフエッジが一体。残るは一見するとネイキッドだが、ハイブらしからぬ奇妙な雰囲気を出している。
 仕立ての良い真っ黒なスーツと真っ赤なシャツ、そしてニヤニヤした面構え。ハイブに表情がある、これが違和感の正体だ。蒼白の顔に真っ白な笑顔で下は真っ赤なシャツと黒いスーツ、最低な組み合わせだ。
「ミス・リッパー。初めまして、私は……」
 ニヤけたハイブがリッパーを見下ろして口を開いた。そこでリッパーは自分が地面に転げているのだと再認した。
「ハイブの、分際で……喋る……の?」
 自分の息が上がっていることにリッパーは驚いた。両腕に数発喰らっただけでこれほど消耗するとは予想外だった。ヒートスリットシステムの損傷により排熱不能で、腕の切れ目が真っ赤なまま熱を放っており、ここから体力が抜けているようだった。臨界駆動によるオーバーロングレンジ射撃の直後にも関わらず、両腕の排熱が完全に止まっている。
 かなりマズい状況だと遅ればせで気付き、冷静さを保とうとして危機感を押し殺していた分も疲労に回ったのだろう。ニヤけたハイブがマリーを指差す。見ると、マリーの首筋にナイフエッジの巨大なブレードが当てがわれている。いつでも殺せる、そういう意味らしい。
 ブーツに仕込んだコンバットナイフも両腕が使えなければ無意味だ。かかとに仕込んだ爆薬も同じく。つまり、文字通りのお手上げ状態だった。
 第七艦隊旗艦の艦長で、冷静さが自慢のリッパーだが、やたらと冷たい汗が頬をすっと撫でて落ちた。これは、マズい。とてもマズいと本能が警告している。地上に降りてから幾度となく死線を乗り越えてきたが、Nデバイスの、イザナミとイザナギとベッセルの能力はハイブを圧倒していた。
 だが、これと似たような感覚を一年前に感じたことがある。バランタインが強襲された、あの時だ。
 非常灯に切り替わったブリッジで、パニックになったクルーに退避命令を出しつつ状況を把握しようとしていた、あの感覚だ。指揮系統を脱出ポッドの端末に移して、非常隔壁を降ろしつつ脱出ポッドを打ち出すのを確認していた、あの感覚……。
「改めまして、私はドミナス。ドミナス・ダブルアーム、素晴らしい響きだ。それに比べて、リッパー? なんとも無愛想な名前だ。人間だと言うのに」
 オペラ歌手顔負けの大したテノールだった。そのまま場末の舞台にでも行ってしまえ、リッパーは内心で悪態をつく。冷や汗が止まらない。この状況はとんでもなくマズいと艦長が警告している。
「あだ名よ、本名じゃあ……ない。ハイブが名乗るだなんて、カーネルが……感染してるのね?」
 どうにか言い返す、やせ我慢の無理矢理だ。ハイブ・ドミナスが腕を挙げると、パン! と音がしてコルトが唸った。ネイキッドの一体がコルトのホルスターにあるリボルバーのトリガーを引いたようで、コルトの太股から血が吹き出していた。マリーが小さく悲鳴をあげる。
「解かったわよ! 二人に手を出さないで! それで要求は? 殺すのなら、とっくの昔でしょうに……ご自慢の狙撃でね」
「そう! あれは我々の自慢の一人! 彼女のお陰で厄介なNデバイスがご覧の有様だ」
 くくく、と笑うドミナスの姿勢はどこかぎこちなかった。まるで出来の悪い人形劇だ。
「失礼、本題に入りましょう。Nデバイスはアナタが所有するのにふさわしくない。我々が活用してこそ、その真価が発揮されるものです。渡してもらいます。選択肢はありませんよ? さあ、取り外しなさい」
 黒いスーツの裾をひるがえして、ドミナスは「さあ」と両手を広げたが、こちらもどこか芝居じみている。下手くそな歌劇か要領の悪い人形劇かと言ったところだ。
「ハイブがNデバイス? ……聞いても応えないのでしょうね。パージはしないわ。欲しいのならあたしを殺してからむしり取ればいい……好きにしなさいよ」
 リッパーは上体をくねらせて地面に仰向けになった。両腕がどすんと遅れて落ちる。イザナミが駆動シフトを緊急に代えたので触覚は一切なく、肩の付け根にだけ重さが感じられた。重いバックパックを背負っているような感覚だ。最低な状況にあって遮るもののない晴天は嫌味以外のなにものでもなかった。
 狙撃が何発だったか、リッパーは頭の中で指折りで数えてみた。
 オンボロバンを飛び出してまずイザナミに一発直撃。その次はプラズマディフェンサーで弾いたが、三発目がイザナギをヒットした。四発目はイザナミでその後にほぼ同時に二発を両腕に喰らった。
 合計すると六発、不吉な数字だ。たったの六発でこちらの全コンバットスキルを無効にされ、コルトとマリーを人質に取られ、見知らぬニヤけたハイブにガヤガヤと言われている。容赦ない灼熱で気が滅入り、喋ることさえ苦痛に感じる。
「アナタを殺す? いいえ。アナタが死ねばNデバイスのブラックボックスが溶解する、それくらいのことは承知です。さあ、パージを」
 頭か足に銃を仕込んでいれば良かった。そうすればこのニヤけ面に一撃くれてやれたのに、リッパーは本気でそう思った。両腕が使えなくても海兵隊の軍隊格闘、コンバットフォームならばハイブ数匹くらいはどうにでもなりそうだが、コルトとマリーが人質なのでそれも出来ない。名乗るハイブと一騎打ちならば素足で戦えなくもないが、他に四体のハイブに人質が二人では迂闊には動けない。
「……頭の固い人ですね? ミス・リッパー」
「ハイブには絶対に言われたくない科白ね。パージはしない。さあ、もう好きにしなさい」
 やれやれ、と、またも芝居じみた様子のドミナスはしばらく思案したようなポーズをしてから、右腕、イザナギを握った。
「では、強引ですが頂くことにします」
 リッパーの脇腹に磨かれた黒のウイングチップを当てて、ドミナスはイザナギを引いた。その力はハイブそのものだった。ミシミシと音を立てて肩の皮膚が弾け血飛沫が薄く散る。肩側の激痛が全身を貫き意識が遠くなるが、見開いた銀の瞳はイザナギを捉えて離さない。右腕が伸びるように遠くなって行く。
「酷い! せめてブレードで切断だとか他にあるでしょうに!」
 ナイフエッジのブレードを掴んだマリーが叫んだ。指から血が、瞳からは涙がこぼれていた。
「サンキュー、ミス・マリー。次に会ったらシューティングをトレーニングしてやる――」
「右腕さん!」
 関節からもぎ取られる鈍い音と共にイザナギは沈黙した。リッパーは限界を超えた激痛に全身汗まみれで、声も出ない。呼吸が荒く、心臓がドカドカとやかましく聞こえた。ケイジのサイレンがそこに重なり、リッパーの五感はかく乱されっぱなしだった。サイレンを鳴らすくらいならシェリフでもアーミーでも何でもいいから助力してくれればいいのにと思ったが、恐らくコルトとマリーと自分が人質になっているので出て来れないのだろうと思うことにした。そうでもなければやってられない。
「案外とモロい、所詮は人間ですか」
 言いつつドミナスはぐるりと歩き、左腕を握った。リッパーは全身の血が冷めたような気がした。またあの激痛が、と想像すると意識が消えそうになる。
「稼働率ゼロパーセント、排熱不能により機能停止。一旦さようなら、マスター。N-AMI、全回路閉鎖――」
 ゴキリという音にコルトは顔を背けた。両腕を根元から失ったリッパーは顎から地面に激突した。鉄に似た血の味と意識は残っているが、だからどうしたと思った。人質のコルトとマリー、そして自分。順番は知らないがドミナスだとか名乗ったハイブが全員を始末することに変わりはない。対してこちらには戦闘力どころか武器も、片腕さえもない。
「さて、用事はこれまでです、ミス・リッパー。お話でもしたいところでしたが、こちらもそれなりに忙しいもので」
 ドミナスがリッパーの頭部をつかみ、ぐっと力を入れた。まるで万力だ。頭蓋骨が割れそうで、そのままひねれば首から上は容易く千切れるに違いない。コルトが怒声を上げ、マリーが涙で訴えるが、ドミナスの腕はゆっくりと頭部を右回転させる動作を止めない。ケイジからの助け舟の気配はない。
 地上に落ちてから短くはない旅だったが、それもどうやらここまでらしい。そう思うと激痛が和らいだ気がした。バランタインからの脱出ポッドではずっとパニックだったが、その経験が生かされているのか、頭は恐ろしいほどクリアだった。地上での新たな戦友、イザナミとイザナギには言葉をかけられなかった。せめてコルトとマリーには最後の挨拶をしておこうと妙に冷静に思い付いた。
「短い……付き合いだったけれど、楽しかった……わよ」
 搾り出した掠れ声が二人に届いたかどうかは解からないが、言いたいことは言った。後はこの頭がねじ切られるだけ……。
「待てぇーい!」
 突然大声が響き、ケイジのサイレンとドミナスの腕が止まった。
 聞き覚えのない……いや、ある。どこかで聞いた声だ。
 残った力で仰向けになると、コルトとマリー、そしてハイブ連中がケイジの鉄壁から突き出た速射砲の先端を見ていた。リッパーからは逆光でシルエットしか解からない。
「力無き者をいたぶるは悪! 悪を滅するは善! 善はすなわち我! 我は雷{いかずち}! 合成人間! 生物の掟から外れし者どもよ! 自らを悪たらしめる貴様らに雷の裁きが今、下る!」
 ドミナスよりも遥かに低く通る声は、いきなり速射砲から飛んだ。
「ほぁっ! 落雷すり鉢蹴り!」
 着地地点、マリーを羽交い絞めにしていたハイブ・ナイフエッジが、上空から高速回転落下してきた男の蹴り足でペーストになって飛び散った。ナイフエッジの残骸の上で四回転ほどして、男はぴたりと止まった。
 大柄の白い着衣はどこかの民族衣装のように見え、真っ黒な髪とサングラスの顔付きはコルトの数倍鋭い。まるで目鼻のあるナイフだ。静止した男は胸の前で腕を組み、サングラスの奥から視線をドミナスに突き刺している。
「何者かは知らないが、邪魔者は……排除しろ!」
 ドミナスの怒り声で三体のハイブ・ネイキッドが男を囲んだ。ハイブ三体にかかれば人間など二秒と持たずに悲惨なボロ雑巾となる。リッパーは思わず顔を背けた。
「旧式の合成人間を寄せ集めて、我にかなうと思うなかれ!」
 男の声に向き直り、三方向に飛ばされたハイブを見たリッパーは痛みも疲労も忘れて驚いた。見る限り白装束の男は丸腰だった。つまり、素手でハイブと戦っている。いや、ハイブが飛ばされている。男のほうが圧倒的で戦闘にすらなっていない。
 ハイブに対して格闘戦を挑んだ人間が有史以来、何人いるだろうか。リッパーは、人生で初めて素手でハイブと戦う人間を見た。
「お前は! サイボーグか!」
 ドミナスがリッパーを代弁した。戦闘用サイバネティックスならばハイブを上回る蹴りも拳もどうにか納得出来る。と思ったが違う。サングラス男によって飛ばされた三体のネイキッドは立ち上がり、一拍置いて三つの頭部が破裂した。カーネルの爆発なのか、内部からプラズマ光が突き出たように見えた。時限装置だろうか?
「雷鳴八十八連拳!」
 仮に男がサイボーグだったとしても先の破裂とは無関係だ。サイバネティックアームのパンチでは内部からの破裂など発生しないし、時限爆弾を埋め込んだ風でもなかった。驚きのさなか、白装束の男はあっという間に四体のハイブを倒し、残すはドミナスのみとなった。
 ドミナス、このハイブの能力は未知数だが、速射砲から舞い降りた男にとってはお構いなしのようで、再び太い腕を組み視線を飛ばしている。
「サイボーグ! 名を名乗れ!」
「聞いてどうする? 合成人間よ?」
「私はドミナス! ドミナス・ダブルアームだ! ただのハイブではない!」
 ドン! 激しい閃光と同時の低い射撃音は耳慣れたベッセルに似ていたが、リッパーのベッセルは二挺とも地面、距離を遠くに位置している。ドミナスはハンドガンを扱うタイプのハイブらしいと推測した。射撃音から想定される大口径であろう弾丸を喰らえばフルサイバネティックスでも大ダメージだ。唐突に現れた白装束の男が地面に倒れている姿が……ない。
「名乗れと言っておいてそうくるとは、いかにも合成人間らしい」
 ドミナスの真正面でくるくる回っているのは撃たれた男ではなく、オンボロバンのドアだった。男は着弾音から横に数歩の位置に立っていた。構えるでもなく胸の前で腕を組んで、サングラス越しでも解るほどの鋭い眼光のままだ。
「雷電変わり身の構え。我に射撃は無意味なり!」
「この! サイボーグめ!」
「否{いな}! 我はサイボーグにあらず! 貴様、ドミナスと言ったか? ならば応えよう。我は人。人は我を……シノビと呼ぶ! 雷{いかずち}のシノビファイター、ダイゾウ! ここに雷参{らいさん}!」
 シノビ! リッパーの脳裏に酒場の掲示板のペーパーレターにあったメモが浮かんだ。オズの居場所を知らせるらしき座標と共にあった「忍」という古代文字。差出人はこの、ダイゾウという男だ! どうやら味方らしい、とここで肝心な、致命的なことを思い出した。
「ミスター・シノビ! ス、ナイパー!」
 イザナギとイザナミの回路の一部は喉の横を通っている。引きちぎられた際にそこを損傷したらしく、リッパーは咳き込んで吐血した。そもそもこの戦況を一変させた謎の狙撃、あれを伝えなければシノビを名乗る男はリッパーの二の舞になってしまう。
「リッパー、今は休め。全て我に委ねよ」
 シノビの男は低い声でビシリと言い放った。問答無用、とも聞こえたがどこか優しく、そして頼もしかった。
「ははっ! 今、シノビと言ったか? お前が、あの方の言う例のシノビか? お前のシールドは大したものだが、耐えられるか! Nデバイスのプラズマディフェンサーさえ無効にする、この!」
 バシン! 再び激しい閃光が辺りを照らし炸裂音が響いた。しかしイザナミのプラズマディフェンサーではない。ましてや艦載のリフレクターやバリアフィールドでもない。着弾音と同時に閃光が走るがタイミングが知る範囲の光学防御システムの類とは全く違う。
 それに、着弾地点には白装束の大男ではなくコンボイのオンボロバンのハッチが大穴を空けて、くるくると踊っている。
「雷電変わり身の構えに射撃は無意味! 既に忘れたか? 合成人間よ!」
「……圧倒的だ」
 太股の銃創を押さえているコルトが呟いた。すると、シノビ男はコルトをちらりと見て、ちちちと舌を鳴らした。
「青年よ。悪意ある力は無力、善意ある力は無限。合成人間に善なくば力もまた無しと知れ」
 シノビ男の戦闘(防御?)能力に対する驚きなのか、単にハイブらしい機械的反応なのか、ドミナスは一転して無言。数秒が流れ、再びドミナスが口を開くと、その調子は登場したときのあの礼儀を纏ったフリをした高圧的なトーン、テンションに戻っていた。その瞬時の切り替えも機械的で、そして気色が悪い。
「ミス・リッパー、そしてシノビの男。たった今、予定の一部が変更されました。アナタ方に会いたいというお方がいらっしゃるので、その期待に応えて頂きたい。お二人との決着はその時までお預けということです。束の間ながら命を拾った感想も、次に聞かせて頂くとしましょうか。それでは、そう遠くない又の機会まで、御機嫌よう」
 言い終り、一拍置いて、ドミナスは消えた。消えた? ダメージで視界が鈍いからなのか、少なくともリッパーからは文字通り消えたように見えた。突然、視覚域から存在がなくなった。それが錯覚なのかどうかを判断する体力は残念ながら残っていないが、知らず安堵の溜息が漏れるのも事実だった。
 周囲の気配を頼りない視野で改めて確認する。ドミナスや他のハイブの気配はない、完全に消えた。絶体絶命の局面、とりあえずの危機は去ったようだ。半分閉じた視界の隅でライフル片手のマリーが腰を落とすのが見えると、リッパーも緊張が完全に解けた。途端、全身に激痛が走って吐血した。荒々しく損傷した両腕付け根のマシンアームコネクター部。血と肉も混じる生々しい断面が焼けるようで、まともに息が出来ない。限界を超えているのでもはや悲鳴すら出ない。
「リッパー! 生きてる?」
 叫ぶマリーに向けて口元をニヤリと上げて返事代わりにした。生きてはいるが今にも死にそうな気分だった。
「待ってて! すぐにケイジのラボに運ぶから! ……こ、腰が抜けて、コルト! お願い!」
 マリーの声色は弾んだり沈んだりと忙しい。リッパー同様、極度の緊張状態にあったようで、しどろもどろだ。
「ヘイ! リッパーの両腕がないぞ!」
 右足を引きずりながらコルトが大声を上げた。マリーに比べるとコルトは健在といったところだった。右足の銃創は致命傷ではないようで、押さえてはいるが声色に疲労は聞き取れない。
「奴、ドミナスとか言ったか? 持ち去りやがった!」
「構わぬ。主{あるじ}のないN装備など捨て置け」
 ドミナスの捨て科白前後から無言だったシノビの男が、軽く吐き捨てた。イザナミとイザナギに対してそんな言い方はあんまりだと抗議したかったが、キャパを越えた痛みで意識が遠くなったので無理だった。
 命の恩人のシノビ男、名前は確かダイゾウだったか。その男にリッパーはひょいと持ち上げられ、肩に担がれた。まるでガラクタ扱いだが抗議する前に意識が途切れた。

『第四章~コンバットフォーム - Combat form -』

 一般兵士や機動歩兵はハイブを相手に二百メートル以上の長距離からの射撃で殆ど対応しているが、オズやリッパーが得意なのはナイフを握った白兵、海兵隊の体術である「コンバットフォーム」だった。
 リッパーは白兵距離でハイブをベッセルで殴りつけるのだが、これはベッセルが銃を鈍器として扱うストライクガンだからである。
 ロングバレル下部のカウンターウエイトは振り回せばハンマーのようだし、そこに、ショット・プロジェクションと呼ばれる三つの突起もある。グリップ底部にはストライクファング・システムと呼ばれる四枚のナイフが収納されていて、これを使えば強力な一撃になる。これらもコンバットフォームの一部である。
 海兵隊のコンバットフォームは、CQBやコマンドサンボなどの軍隊格闘とは少し違っていた。
 CQB、クロース・クォーター・バトルが手の届く範囲でのサブミッションを中心としているのに対して、海兵隊のコンバットフォームは足の距離での打撃を中心にした、カラテファイトに似たものだった。サブミッションのように関節を折るのではなく、関節部分に打撃を入れて破壊する。
 これは密接・ゼロレンジでも同じで、肘や膝を使って関節や急所に打撃を与えることを前提として、基本的に敵とは組み合わない。背後に回り込んでナイフで喉を切る、ということも少なく、真正面で向かい合っても、敵の背後を取っても、直線移動の最短で関節や急所を狙う。
 鈍器やストライクガンによる円運動での打撃もCQBに比べると少し遠い。これは、手を取られてメインアームやバックアップの銃を奪われないためで、同時に、近距離での射撃を想定しているからでもある。

 仮に、同じ錬度の海兵と歩兵が素手で戦う場合、CQBで間合いを縮めようとする歩兵に対して、コンバットフォームを使う海兵は距離を取る。組もうと伸ばした手を蹴りで叩き落し、次の一撃は首などの急所を狙う。
 歩兵でも特に精鋭に類する陸軍機動歩兵と海兵隊のエリートであるリッパーが素手で戦う場合、リッパーは蹴りを中心にして戦うだろう。
 機動歩兵が動くのを待ち、腕などを伸ばしてきたらそれを蹴りで跳ねて、そのまま首辺りにもう一撃、回し蹴りを入れる、そんな戦いになる。
 海兵の腕や首を掴もうとする手、移動目標に対して打撃を入れる、そういったスタイルである。なので、組み付かれるとCQBを使う歩兵のほうが有利なのだが、コンバットフォームはそれをさせないことを前提としている。サブミッションのバリエーションもCQBに比べると少なく、背後から首を取ってひねったり、手を取って肩関節を破壊する、といった単純なものが中心になっている。

 リッパーの使うコンバットフォームはカラテファイトに近く見えるが、コンバットフォームはカラテファイトよりも重心を低く構える。筋力ではなく体重移動で破壊力を得るので、アイキファイトとカラテファイトを混ぜたようなものである。
 基本概念は「後手での一撃必殺」で、組み合ってあれこれ、ということは想定していない。
 組まれる前に倒すことが前提なので、組まれると不利になるが、ゼロレンジではアイキファイトやムエタイのように肘や膝や肩を使ったコンパクトな打撃を使って、そのまま倒すか、距離を取る。寝技も少なく、代わりに、ゼロレンジでの射撃を組み込んでいる。
 リッパーが護身用にショートバレルのスナッブノーズ・リボルバーを下げているのも、組まれた状態から射撃するという目的であり、スナッブノーズで長距離射撃といったことはしない。
 巡洋艦バランタインの艦長である以前に海兵であるリッパーはこのコンバットフォームを得意とするが、素手の訓練ではオズに勝てなかった。
 オズはコンバットフォームの達人であり、それを指導するほどの腕前なのだ。当然、相手がハイブだろうがサイボーグだろうが関係ない。どんな猛者でも涼しい顔で倒し、いつものように笑顔で微笑む……。

 オズの笑顔がぼやけて、コルトに変わった。
「マリー! リッパーが目覚めたらしい!」
 通常睡眠からの覚醒は半年振りだったので、まだオズの笑顔が消えない。頭がガンガンに痛む。打撲ではなく内部からの頭痛だ。ディープスリープ錠剤の副作用だと気付くのにしばらくかかった。
 白くて清潔な病室、小さなテーブルに水の入ったカップと見慣れた錠剤があった。その即効性のアスピリンを噛み砕いて飲み込むと一分で頭痛が消えた。
「え? 何?」
 頭痛が治まった途端、リッパーは混乱した。自分は今、アスピリン錠剤を飲んだ。カップの水で流し込んだ。
「イザナミ! イザナギ!」
 そう。アスピリン錠剤を飲むには両手が必要だ。それはハイブにもぎ取られたはすだった。しかし両腕はある。
「イザナミ! 状況を! イザナギ! 応答しなさい!」
「リッパー! 落ち着いて! アナタ……そう、混乱しているのよね」
 マリーの柔らかい声がそっと耳に入った。両腕がイザナミとイザナギでないことはすぐに解かった。ディテールから材質、重さから感触までまるっきり別物の腕だ。解かっていたが思わず叫んだのだ。浮かぶ涙をそのままに、リッパーはマリーに尋ねた。
「イザナミとイザナギは、アナタのコンボイに少しは役に立った?」
「あの二人は恩人よ?」
「違う!」
 マリーの微笑みに強く返すと涙が溢れた。
「ニヤけたハイブが言っていたわ! 目的はNデバイス! あの二人だって! あたしたちはアナタのコンボイを巻き込んだのよ!」
 渾身の力で壁を叩いたが、軽い音がしただけだった。
「リッパー、良く聞いてね? アナタの言う通りだったとしても、コンボイの被害は私の予測範囲内、最小だったわ」
「ああ、そうだな」
 割り込んだコルトが普段通りの口調で続けた。
「確かにハイブに一度襲撃されたが、結果として、たったの一回だ。三千キロ横断のコンボイでハイブに遭遇したのがたったの一回、殆ど奇跡だよ。リッパーを拾う前に俺たちが何度バンデットに襲撃されたか、そのたびにどれだけ犠牲が出たか、思い出したくもないぜ」
 マリー・コンボイに合流してから、いや、それ以前からハイブがNデバイスを狙っていたのだとしたら、そのスペックを知っていたなら、コンボイを闇雲に襲撃せずにそれなりの作戦でリッパーのみを狙うだろう。つまり、Nデバイスの存在がコンボイを安全にしていた……。
「ハイブがコンボイを襲撃する理由を与えたことに違いはないわ……ごめんなさい」
「コルトの言う結果論でいいの、私は。コンボイが最小限の被害だったのに対して、アナタは……」
 新しい両腕、汎用マシンアームはやたらと軽かった。それでいて反応は鈍い。未塗装だがフォルムは人間の女性そのもので爪まである。普通はこうなのだ、そう自分に言い聞かせてみたが失敗した。
「ありがとう、マリー、コルト。まだ上手く言えないけど、二人とも生きてる、それだけで贅沢なのかも。イザナミとイザナギが粘ってくれたから、そう思いたいわ」
「オーライ、それでいいさ。こちとら傭兵家業。仲間を失うのに慣れたことはないが、割り切らなけりゃ自分の命すら危うい、そんな世界さ」
「リッパー、歩けるでしょう? ダイゾウさんにお礼をしないと。近くの公園でずっと待ってるわよ?」
 ダイゾウ? リッパーは首をかしげた。そんな名前に覚えなど……あった。
「シノビマン! 彼、このケイジにいるの?」
「あちらさんがリッパーに用事があるらしいぜ。俺とマリーは散々礼を言ったが、まあ、会おう」
 ベッドから降りると、くたびれた革ブーツの横に水色のサンダルがあった。近くだと言うのでそれを履いてドアを幾つかくぐりラボを出た。
 ケイジは華やかで賑やかだった。すれ違う皆が綺麗な服装で微笑んでいる。そこで始めてリッパーは、自分が普段とは全く違う服装だと気付いた。
 膝丈の綿ズボンにハイビスカスがプリントされた半そでシャツ、そして水色のサンダル。慌てて銀髪を整えようとしたが既に櫛{くし}が通ったらしく寝癖もなかった。乱れていた毛先一センチほどがカットされ整っていた。
「マリー、何だかあたし……ケイジの住人みたい?」
 褪せたジーンズやブーツといったコンボイでの姿のままのマリーはくすりと笑って「似合ってるわ」と銀髪を撫でた。先頭を歩くコルトもテンガロンハットにポンチョと普段の格好で、コルトとマリーはいかにもよそ者だと浮いて見えた。自分だってそうなのに、服装を整えただけで気分がこんなにも変わるのかと驚いた。
 二分ほど歩くと小さな公園に到着した。ブランコにジャングルジム。砂場に滑り台。用途不明な埋め込みタイヤなどの遊具があり、数人の子供が走り回っていた。どの子供も綺麗な服装で、そこにマリー・コンボイでケイジに到着した少女ルジチカの笑顔も見えた。
「はぁぁぁぁ……来たか、リッパーよ。待ちわびたぞ」
 声はするが姿は見えない。あそこ、とマリーが指差したのはジャングルジムの頂上だった。鉄パイプのジョイント部分に左足爪先で立ち、右足はあぐらのような格好で、両腕はゆっくりと二つの円を描いていた。着衣は会ったときと同じ白装束と大きなサングラス。ふー、はー、と唸り声が聞こえるが降りてくる気配はない。
「ねえ、シノビさん。お礼を言いたいんだけど、お邪魔でなければ降りてきてくれない?」
「礼なぞ不要。それよりもまず肝心なことは、我はシノビであるが名をダイゾウと言う。シノビは称号に過ぎぬ……はぁぁ」
「そうなの? ならダイゾウさん――」
「敬称など不要だ。それならばシノビと呼称するのが適切であろう……ふおぉー」
「……面倒なのね、色々と。まだあるんだったらレコーダにでも吹き込んでおいてくれる? 暇になったら聞くから。マリー、お金ある? 少しショッピングをしたくなったわ」
 くるりと反転したリッパーをコルトが慌てて元に戻す。
「オーライ、気持ちはよーく解かる。この三日間、俺もマリーもこんな調子に付き合ってきたんだ。そのうち慣れるから安心しろって」
「三日間? あたし、三日も寝てたの!」
 どうりで体が軽いわけだ。あちこちをさすったが痛む箇所もない。
「そう。お前は三日間、夢の世界をさ迷い、我は三日間、こうして瞑想しておる」
 ダイゾウは側頭部をこちらに向けていた。爪先を軸にゆっくりと回転しているらしい。
「アナタ、それ、時計の秒針の真似?」
「いかにも。さすがはNの装備者」
 バカじゃない? そう続けようとしたのだが遮られてしまった。
「我……使命……」
 ダイゾウが背中を見せたので声が聞き取れなくなった。リッパーは自分のシャツの裾をつまんでピンと伸ばした。ハイビスカスの花びらが風で舞うように見えた。
「マリー? ショッピングモールはどっち?」
「ヘイヘイ! 解かるが我慢してくれ!」
 コルトがハイビスカスを眺めるリッパーを再びくるりと反転させた。命の恩人なのは言われるまでもないが、これではラチが空かない。
「シノビのダイゾウ、窮地を救ってくれてありがとう。感謝しているわ。用件はこれだけよ、じゃあね。マリー?」
「何を急ぐ、リッパーよ。N装備を合成人間にくれてやった今、お前に脅威はない……」
 一回転して戻ってきたダイゾウが言うが、そもそもリッパーは急いではいない。
「果たしてそうかな?」
 忽然と目の前にサングラス顔が現れ、驚くリッパーにそう告げた。
「真空雷剣! 無為の太刀!」
 上段に構えたダイゾウの殺気が全身を貫き、リッパーは一歩退いて腕をクロスさせて叫んだ。
「ジャンプアップ!」
 しかし両手にベッセルはなく、ダイゾウの両手も同じく素手だった。ダイゾウはゆっくりと構えを解くがリッパーはベッセルがスライドしてくるのをじっと待っていた。
「無為の太刀は実像にあらず。リッパー、お前の拳銃もまた実像にあらず。失いしN装備もまた同じく」
「この姿勢からコンバットフォームに入れるわよ? 回りくどいのは苦手。簡潔に説明してくれる易しさはシノビにはないのかしら?」
 いきなりの臨戦態勢にコルトとマリーが慌てて割り込んだ。
「やめましょうよ! 二人とも!」
「ヘイ! リッパー! 熱くなるな!」
 必死に落ち着かせようとする二人だったが、ダイゾウからこう続いた。
「我に一撃入れて見せよ。さすれば全てを話そう」
「オーライ。シンプルで解かりやすいわ。ただの軍隊格闘だとナメてると痛い目見るわよ?」
 ジャンプアップ姿勢から左の掌底{しょうてい}と見せて右肘と膝。リッパーはスリーパターンの打撃を想定し、一瞬の間を置いた。そして左足に全体重を乗せて左を振ろうとした途端、水色のサンダルがちぎれた。崩れた姿勢を戻そうと爪先に重心を移したが、結局は前転するような格好でころげた。バタン! と派手な音がしたが砂地だったのでダメージはなかった。
「タ! タイム! 今のはナシよ! ……あら?」
 ダイゾウが両膝を突いていた。想定打撃を全て見透かされてかわす姿勢……ではなかった。
「ほぁっ! あの動作から転身かかと落としとは……見事、なり」
 言い終わるとダイゾウは前のめりで倒れ、背後に遊具のタイヤが転がっていた。
「リッパー! 生身でハイブを一掃したダイゾウを一撃かよ!」
「凄い! 銃だけでなく丸腰でもその強さ! コンボイの専属傭兵にならない?」
 コルトとマリーが興奮そのままで言う。
「……こういうのも、結果オーライって言うのかしらね? ……タイヤ?」
 脳天にかかと落としを喰らったダイゾウは失神しているらしく起きる気配もない。マリーが用意してくれたのであろう水色のサンダルが台無しになったことが悔やまれた。倒れたダイゾウの背後をタイヤがコロコロと転がってゆき、それにつられて寄ってきた子供が二人、倒れたダイゾウを枝で突付いて遊び始めた。

 ダイゾウを除く三人は揃って手近のショップモールに向かい、リッパーはオレンジ色のサンダルを購入して履き替えた。マリーはショウウインドウを吟味してから、大粒のガーネット原石をあしらったネックレスを首に下げ、一回り小さいガーネットのイヤリングをつけた。
 コルトが眺めている露店のリングはどれも毒毒しいスカル模様だった。そこから一番リアルなスカル模様を二つ選び、コルトは両手の人差し指にはめた。
「風のコルト、改め、死神コルト、ってな。死を誘う指が、鎌形のトリガーにかかる……なんてのはどうだい?」
「ぷっ! そのセンス、まるでGIね?」
 リッパーは吹き出して、戦友にそんな奴がいたと話した。全身に髑髏{どくろ}の刺青を入れた屈強な男が機動歩兵部隊から調理係に転属となり、日々毒入り食材を作り続け、遂には調理場の悪魔・デビルコックと呼ばれた、そんな話だ。
「ふふ、兵隊ってそんな人ばかりね。タトゥーはお守りか何かなのかしら?」
「同胞との信頼の証だったり、心意気だったり。まあ、お守りにしている奴もいたかしらね」
 マリーが売店で冷たいホイップソーダを注文し、リッパーは歩きながらそれを口にした。ふわふわとしつつ小さく弾ける食感は初めてだった。
「こんなもの、子供のもんだと思っていたが、実際のところ美味いよな?」
 死神はどこに行ったのやら、コルトが真面目な顔付きで言う。
「リッパー、鼻にホイップが、ははは!」
「ねえマリー。ケイジってどこもこんななの?」
 リッパーは必死に鼻のホイップを舐めようと舌を伸ばすが届かない。
「こんなって?」
 目覚めてからずっと、マリーの声色はとても柔らかかった。母親と言うと失礼だが、優しく見守る姉のような、そんな感覚だ。なのでリッパーの気持ちもほぐれて、普段なら喋らない部分も口に出してしまう。
「なんて言うのかしら、平和で穏やか? そんな感じ あたしの移動ルートはダメージの大きい地域だったから、ケイジというより難民キャンプだったし、復興・再建の進んだ辺りの事情は知らないから」
 コルトはスカルリングが気に入ったらしく、上にかざしたり指でくるくる回したりしていた。宿に戻ったら鏡に向かってリボルバーを構えるに違いない。
「ここはかなりの規模のケイジだから賑やかよね。ケイジからいち都市として再建計画が進んだところだと、活気以外に文化とか文明みたいな雰囲気が確かにあるわね。でもね、私は、辺境の小規模ケイジのひっそりした雰囲気が好きなの。ホイップソーダなんてないけど、酒場の一つでもあれば満足だし、静かなほうが落ち着くの。きっとコンボイで揺られすぎてるのね。ジプシーの持病よ」
 ケイジの住人であろう着飾ったカップルとすれ違った。男女どちらも鮮やかな色使いの服装で、お揃いの帽子の下は笑顔だった。
「俺は酒場に寝床、そして女が……ソーリー」
 リッパーとマリーは顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「情動に素直なのは健全だけど、礼節はわきまえましょうね? 死神さん?」
 マリーが優しく諭すとコルトはバツの悪そうな表情をして、スカルリングが輝く指でホイップソーダをずるずると飲んだ。
「まあつまりだ、俺は雇われの傭兵で、マリーは生粋のジプシー。どっちも渡り鳥みたいなもんだな。寂れたケイジの酒場でカード片手にグチる日もあれば、こうしてホイップを口にする日もある。落ち着きがないのはお互い様だが、こうして顔を合わせてるのも何かの縁なんだろうよ」
 平穏を求めないジプシーの血、マリーが言っていた。
 傭兵は危険を金で買うような家業だ。二人はここで休息はしても定住はしないのだろう。
 自分はどうだろうか? 記憶にある日常の殆どは海兵隊の訓練キャンプと巡洋艦バランタインでの日々だ。オズと離れてからは灼熱と極寒を繰り返す地上と、そこでのハイブとの戦闘の記憶ばかり。嗅覚は硝煙と血で鈍り、味覚は酒と煙草で麻痺している。聴覚は銃声と爆音……五感の殆どがデタラメだ。
 空調コントロールされたケイジはリゾート地のような居心地だった。銀髪を撫でるそよ風はひんやりとして、照りつける日差しは胸元をゆっくりと焦がす。ホイップソーダの甘い香りは味覚を刺激し、舌をふわふわが転がる。
 喧騒の合間に何かの音楽が聞こえた。太鼓を叩くリズムは高揚感と躍動感に溢れている。どれもこれもがリッパーの緊張を手際よくほぐしていく。ケイジには闘争の気配すらない。砂漠と壁を一枚隔てただけで文字通りの別世界だった。
 隣を歩くのがマリーではなくオズだったら、リッパーは想像してみた。
 ここに住居を構えるだろう、間違いない。
 賑やかな街なのでオズは大道芸人でもやるといい。自分は、メカに詳しいので修理工にでもなるか。油とススまみれは嫌いではない。
 器用なオズはピアノが弾ける。部屋には小さくてもいいのでピアノかオルガンが欲しい。レパートリーはとびきり陽気な奴。食べる以外で甘ったるいのはあまり得意ではない。
 ベッドは特大サイズだ。そこでオルガンに合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねる。二人きりがいいが、イザナミとイザナギだけは同じ屋根の下に住まわせてもいい。二人はピアノのバックコーラスだ。低音がイザナミで高音がイザナギ。二人が大声なら自分のオンチも目立たないだろう。
 オンチが治ったらマリーとコルトを招待して披露しよう。飛び切り陽気なナンバーをどっさりと……。
「リッパー? ……リッパー! どうしたの?」
 慌てるようなマリーの声が空想を割った。
「リッパー! ジョイントが痛むのか? 鎮痛剤は効いてるはずだが?」
 ホイップソーダを握るコルトがリッパーの肩に顔を近付け、スカルリングでコネクター部分をコンコンと突付く。
 Nデバイスのマシンアームコネクターは汎用マシンアーム規格にも対応しているので、Nアームと入れ替えで別を装着してもすぐに自在に動かせるし、拒絶反応などもない、筈だった。
「え? 何? あれ、なんであたし、泣いてるのよ? 痛みはないわ、大丈夫。ディープスリープ薬の副作用か何か……」
 と、マリーがそっとリッパーを抱いた。両腕にゆっくりと力が入ると、銀色の涙が大粒になった。
「ごめんなさい。私たち、自分のことをぺらぺらと、アナタの気持ちも知らずに」
「そうか、まだ三日だったか、すまないな」
 コルトが子供をあやすように銀髪を撫でると、大粒の涙が溢れた。街路を行き交う住人が不思議そうに、ホイップソーダ片手の三人を眺めていた。
 自分だけが特別不幸だとは決して思わない。
 マリーもコルトも仲間を幾人も失っているに違いない。しかし、比べられるようなことではない。自分の、個人の問題だ。
 夜のコンボイで交わしたレクイエムのショットグラス。注がれていたリキュールはマリーの涙だったのだろうし、コルトのスカルリングはかつての仲間の亡骸なのかもしれない。真相はそれぞれの胸の内だが、結局はそこまでだ。後はそれを鏡の向こうと分かち合うか、仕舞い込むか、それだけの違いだろう。

「ダイゾウ、ホイップソーダ。食べかけだけどあげるわ」
 公園の鉄棒の上に爪先で立ち、片足と両腕で二つの菱形を作ったままじっとしているダイゾウに、リッパーは紙コップを差し出した。
「ホイップ……何だと? まあ良い。禅が終わったところだ、ありがたく頂戴しよう……くあっ! 甘味なり! こ、これがケイジの技術力か! シノビの長き歴史に新たな一行が加わる! ホイップ……」
「ホイップソーダ」
「ソーダ! 緊張をほぐし脳に糖分を補給する緊急補助食品!」
 ストローでホイップソーダを忙しく口に運ぶダイゾウは、鉄棒から降りても片足のままだった。
「美味悶絶! 雷{いかずち}流シノビアーツに栄光あれ!」
「喜んでもらって幸いだわ。質問が幾つかあるんだけど、食べながらでいいから応えて」
「先の約束もある、知る全てを教えようぞ。ただし、シノビファイトの奥義は門外不出だ」
 そんなものはいらないと首を振り、深呼吸。発しようとすると鼓動が早くなった。
「オズ……彼は生きてるの?」
 質問にダイゾウの手が止まった。ダイゾウはホイップソーダを置き、地面にあぐらをかき、一言。
「半分だ」
「……何? きちんと説明すると約束したはずよ?」
 リッパーは眉をひそめ、あぐらのダイゾウを睨んだ。
「だからそうしておる。オズ殿は半分、生きておる」
「解からない! 何よそれ!」
 怒鳴るリッパーの隣から、あの、とマリーが入ってきた。
「つまり、そのオズという人は怪我か何かで体の半分が動かないだとか、障害があるだとか、そういうこと?」
「否。オズ殿の体の状態を我は知らぬから機械補助の可能性もあるが、体に機能障害はないと聞いた。半分とは脳だ。言語野と中枢機能の半分を消失し、正常な分析思考が出来ぬ状態なので脳機能が半分、そう聞いておる。理解したか?」
 オズはやはり生きている! しかし、脳に障害がある。生きているだけでいいと思っていたが「正常な分析判断が出来ない状態」は人間として生きていると言えるのだろうか?
 言語、喋れないのは仕方が無いとしても、まともに脳が機能していない姿で人間と呼べるのか……いや、何かがおかしい!
「ダイゾウ! アナタ! オズは喋れないと言ったわ! 正常に思考できないとも! だったらあのペーパーレターは何? あれはオズからのメッセージでしょう? それをアナタが受け取れるのはおかしいでしょう! 正常に思考できない人間がメッセージを発するの? アナタに伝言を頼むの? 第一、アナタはオズの何? オズの知り合いにアナタの名前なんてない! 海兵隊にシノビなんて一人もいないわ! おかしなことだらけ!」
 ダイゾウの白装束の両襟を掴み、あぐらを持ち上げて目一杯の頭突き。ガンと鈍い音がしてダイゾウのサングラスが割れた。リッパーは自分の痛みなど知らないと続ける。
「イザナミとイザナギのときもそう! あたしはアナタを目指してマリー・コンボイに参加してたけど、Bポイントはあそこから南に六百キロ以上! そこにいるはずのアナタがどうしてこのケイジの入り口に、あのタイミングで出てくるのよ! Nデバイスをハイブが欲しがって襲撃してきた! アナタの戦術スペックならあのニヤけ面を倒すことなんて簡単でしょう! なのに結果はこれ! イザナミとイザナギはハイブに持ち去られて安っぽい汎用アーム! Nデバイスをハイブがどうするのかなんてどうでもいいけど、あの戦闘力をハイブに渡すなんてマトモな人間の考えることじゃあない! そもそも!」
 ふっ、と息継ぎしてリッパーは怒鳴った。
「アナタは人間なの?」
 問いかけを最後にリッパーは両膝を突いた。ガラクタの両腕が白装束から剥がれ落ちた。涙がばたばたと砂地を叩く。
 マリーかコルトか、どちらかがリッパーの肩に手を置いた。体の震えが止まらない。シノビだとか言う男のどこまでが真実でどこまでが味方なのかさっぱり解からない。現実と夢が交錯してぐちゃまぜになる。
 オズのオルガンは音の外れたレクイエムを奏で、イザナミとイザナギはスカルリングからけらけらと笑い、ホイップソーダはデビルコックの毒まみれだった。頭がくらくらとして意識が飛びそうになったが、懐から持ち出した別のサングラスをかけたダイゾウの一言でリッパーは立ち上がった。
「確かめたくば我を倒せ」
「コンバットフォーム、レディ! トリガー!」
 リッパーの放った鋭い右ストレートは閃光と、バコンという鈍い音を発した。ゴムタイヤがリッパーの拳で、くの字になっていた。
「雷電変わり身の構え……激雷掌!」
 真横、左に立つダイゾウが掌底をリッパーの脇腹に叩き込んだ。息が止まり、意識が飛ぶ。
「手加減してある、今は眠れ。天ある限り、我は変わらずここにおる」
「リッパー!」
 マリーとコルトの声が重なり、崩れ落ちるリッパーを二人が支えたが、五感はそのまま暗闇へと落ちていった。

『第五章~アメノハバキリ - Ameno-Habakiri -』

 オズの得意技は海兵隊格闘技のコンバットフォームと、トランプマジックともう一つ、「言い当てゲーム」と言う適当なネーミングの手品だ。
 消えたり出たりのトランプマジックはタネ明かしをされてもとても真似できない器用なもので、バランタイン乗員からいつも拍手喝さいだった。
 一方の言い当てゲームはリッパー以外には殆ど見せない特技で、やり方は単純。何か単語を思い浮かべ、それをオズが言い当てるのだ。トランプマジックが稀に失敗することがあっても、言い当てゲームは一度たりとも失敗したことがなかった。
 試しに目一杯長い文章、好きな小説の一節を頭に浮かべてみても、オズはスラスラと朗読した。オズが習得していない南方の地方言語を浮かべても、完璧な発音で言い当てた。
 どうやってるのかと百回は尋ねただろうが、結局タネ明かしはされずで、読唇術の発展版みたいなもの、そんな適当な説明だけだった。顔をヘルメットで覆ったり後頭部を向けてやってみたこともあったが、的中率は百パーセントだったから読唇術なんかではないことだけは確かだった。
 バランタイン乗員の誰かが「テレパシーさ」と言って笑い、以降しばらく「エスパー・オズ」とからかい半分で呼ばれていた。

 軍内部にエスパー的な能力、いわゆるESPを操る秘密部隊がいるという噂が、ハイブの暴走より前からあった。
 能力の種類や大小を問わずでESP特殊部隊に配属され、その行動は漏らさずトップシークレット扱いとなっているので、そういう部隊があるという以上の詳細は誰も知らない……といった類の、胡散臭い、眉唾ものの噂話だ。
 民間人を定期的にテストして、ESP能力の片鱗のある人物は全て徴兵・軟禁されているという、タブロイド風な味付けもあった。
 真偽不明で似たような噂も同時に飛び交っていたが、ほぼ全てに共通だったのは、能力者は全員、高級将校並の待遇である、という点だった。民間から徴兵された者でさえ不満一つこぼさないほどの高待遇だと。この部分に妙な説得力を感じた連中が意外に多かったようで、秘密特殊部隊の噂話は主に新兵向けの雑談の定番ネタとして重宝され続けた。
 ハイブ暴走が始まった前後だったか、様々な尾ひれ、アレンジが加わった秘密部隊の噂は、火星軍勢の斥候か工作集団に違いない、と当時の情勢からするとそれっぽく着地したが、だからどうという話でもない。
 火星軍所属のサイキッカー部隊は地球側の宇宙艦隊を数日で切り崩すだけの能力を持ち、地球・月側にそれを阻止する力はない、暇潰しの噂話としては面白い、そう言えるのは地上の惨状と火星圏との軍事バランスが頭に入っていない無能でマヌケな連中と、見た目だけで中身が伴わない不謹慎な新兵だけで、それ以外の大多数はその噂話をパッタリと止めた。
 つまり、変わらず秘密特殊部隊の噂話をどこぞで続けて、ご丁寧に語り継ぐ連中が未だにいるのだ。月にも地上にも。

 噂があくまで噂で、そして笑い話で雑談のネタだった頃、オズはESPに関する検査、どこまでが本気なのかは不明なそれを受けたことがあったが結果は陰性、つまり能力なしだったらしい。言い当てゲームがテレパシーだったらもっと裕福だったのにね、そう笑顔で言うリッパーに対してオズは「海兵が好きだからいいのさ」と笑って返した。
「エスパー・オズ」とはつまり、トップシークレットで特別待遇の特殊部隊員になり損ねた海兵隊の兵士その一だという、当時ならではのちょっとしたジョークでもあった。
 バランタインの乗員二百人の中にも、ありもしないESP部隊への編入を、主にその待遇面の噂から希望する者は幾らかいたが、巡洋艦バランタインと編隊を組む駆逐艦や空母を含めて千人以上の兵士全員が、オズと同じく陰性だった。
 検査結果に落胆する戦友にオズは「そんなものさ」と、いつものように笑って返していた。

 カキリ、という音でオズの笑顔は霞み、リッパーは目覚めた。見慣れたラボの病室、清潔なベッドの中だった。再びの軽い金属音に目をやると、テンガロンハットのコルトと二挺のシングルアクションリボルバーがあった。
「長く寝ていた?」
 リッパーの問いにコルトはガンスピン、片方のリボルバーをくるくると回しつつ、空いた片手でカーテンを引いた。午前の日差しが室内を煌々と輝かせる。
「ぴったり丸一日だな。ダイゾウは手加減したとか言っていたが、大丈夫かい?」
「頭の中はぐちゃぐちゃだけど、体はなんともないわ。マリーは?」
 室内にマリーの姿はなかった。ベッドから降りようとするとオレンジ色のサンダルが目に入った。愛用のくたびれた革ブーツがサンダルの隣にあり、ピカピカのサンダルと並ぶとブーツのくたびれ加減が増して感じられた。
「マリーは朝一番から買い出しだ。その後にあの公園で合流する約束だが……」
「会うわよ」
 言いよどんだコルトにリッパーはきっぱりと言った。
「ダイゾウ……解からないことだらけだけど、オズの手がかりはあの男以外にないわ。敵だろうが味方だろうが情報を聞き出す、力ずくでもね」
 サンダルに足を通して立つと、コルトがうなずいた。

「リッパー!」
「ダメージはないわ、安心して、マリー」
 公園には荷物に囲まれたマリーが先着していた。他に子供が数名でコンボイで一緒だった少女、ルジチカ・ワクスマンもいたが、肝心のダイゾウの姿はなかった。遊具を見回すが、どれにもいない。
「リッパー!」
 マリーが大声で繰り返した。様子がおかしい、何やら慌てているようだった。
「マリー? 何かあったの? ダイゾウは?」
 マリーが素早く指差したのは、砂場だった。一本の白い棒が墓標のように立つ、ごく普通の砂場……ではない。
「足! ダイゾウなの?」
 おそらく、いや、白いので間違いない、ダイゾウの爪先が空に向けてピンと直立している。つまり、ダイゾウは砂場に頭から突き刺さった格好だ。
「ハイブか!」
 コルトが素早く銀色のリボルバーを抜くと、砂の中からくぐもった声がした。が、聞き取れない。すると、砂場に屹立する両足がにょきにょきと伸び、腰、胸、そしてダイゾウの顔が現れた。
「禅{ぜん}の最中に騒がしいぞ」
 ダイゾウはゆっくりと言いながら懐からサングラスを取り出して両目を覆った。
 それはそれは見事な倒立だった。びしりと一本の槍のようで、左手の人差し指で砂場に制止している。下が砂なのに指は全く埋まっていない。それがシノビの技なのかどうかはともかく、リッパーは吐き捨てた。
「ゼン? シノビファイターの鍛錬だか修行だか知らないけど、紛らわしいことはよしてよね。子供が真似したらどうするのよ。で、昨日の話の続きは逆さまのままで始めるのかしら?」
「我はそれでも構わぬが?」
 リッパーはふう、と大きな溜息を一つ、「こっちが困る」と再び吐き捨てた。
「だからお前は修行が足りぬのだ。逆もまた真なり、シノビの言葉だ。しかるに、マルグリット嬢。我は空腹なり。食を所望する」
「逆さまで、しかも食べながら話すの? シノビには礼儀作法というものがないのね。マリー、鳩の餌でもばら撒いてやりなさい」
 そんなわけにはいかない、とマリーは荷物を漁って小ぶりな燻製ハムを出した。
「ダイゾウさん。シノビさんはお肉を食べてもいいの? 保存食ばかりだから後は缶詰とチョコバーくらいしかないの」
 途端、ダイゾウの両目がかっと見開かれた。やたらと鋭い眼光なのでサングラス越しでも解った。
「チョコバーとは何だ! 昨日のホイップソードの仲間か?」
「ホイップソーダよ。剣を食べたいのならサーカスにでも行きなさいな」
 淡々と言うリッパーを横目に、マリーはチョコバーと燻製ハムをダイゾウの指先にそっと置いた。リッパーとコルトには揚げたてのチキンが渡された。マリーとコルトはチキンをかじり、リッパーも続いた。野宿での丸焼きの鳥肉とは全く違う、スパイシーな味だった。
「美味しい――」
「チョコバー! 衝撃的美味! シノビたる我を震わす恐るべきケイジの技術力!」
 ダイゾウが叫んでリッパーの科白をかき消し、その拍子にダイゾウは肘まで砂にめり込んだ。チョコバーで集中を切らすシノビ、弱点は甘いもの全般なのだな、とリッパーは見えないように悪態をつく。
「バカはそれくらいにして本題よ、ダイゾウ。アナタは昨日、オズが生きていると言った。半分だけと。その言葉を信じるにはアナタが何者なのか、つまり味方なのか敵なのか、そこをはっきりとしてもらわなければならないわ」
 ガリガリとチョコバーを片手でかじるダイゾウは、沈んだ腕の分だけ浮き上がり、再び指先立ちの姿勢になった。
「我はシノビ。リッパー、お前がシノビを敵としないのであれば我はお前の味方であり、我の言葉は真実となる。シノビの敵は人間、合成人間を問わず混沌と破壊を行う者と、円卓の末裔ども」
「エンタク?」
 始めて聞く言葉にリッパーは首をかしげる。
「円卓の騎士。太古の軍隊の名称であるが、ある方面の特殊能力者集団は自らをそう名乗る」
「特殊能力……それってもしかして! あの噂のサイキッカー部隊? ESPを操るという機密組織! 実在するの?」
 思い出に片足を入れた記憶の隅、噂の中の架空の存在、謎の特殊精鋭部隊。こんなところで、こんな形で――チョコバー片手に逆さまで――その部隊の名前を耳にするとは、文字通り夢にも思ってもみなかった。
「無論、実在するがそれはシノビでなきお前にはどうでも良い。オズ殿に関する昨日の質問、回答は単純だ。オズ殿は異なる力を秘めし特殊能力者である。我はオズ殿からの念写を受け取り事態を知った。オズ殿はリッパー、お前に送るつもりだったのだろうが、念写を受けるには異なる能力が必要で、お前にそれはない。ゆえにシノビたる我が仲立ちをした。これが我からお前に宛てた最初の手紙の正体だ。既に一年ほどになるか。内容は我とオズ殿の位置。理解したか?」
 オズがサイキッカー? その片鱗は巡洋艦バランタインでの「言い当てゲーム」遊びにあるにはあったが、脳機能の半分を失ってなおソーストグラフィ(念写)を遥か彼方のダイゾウに送る……。ESPだかサイキックだかはともかく、そんな力がオズに本当にあるのだとすれば、ほぼ必然としてESP秘密部隊は噂ではなくなる。オズの存命をダイゾウの言葉から信じれば信じるほどに。
「……シノビというのは、サイキッカーなの?」
「否。我らシノビに異形の能力はない。シノビとは森羅万象を見守る者。空を廻る氣と大地を走る脈、大海を漂う命を司るがシノビの使命」
「つまり……その、良く解からないけど、凄い能力でオズからの念写? それを受け取ったと?」
 ダイゾウは逆さまでうなずき、燻製ハムをシンプルなナイフで刺してかじった。
「オズはどこでどうなってるの? 半分って言うのはあたしと同じで、バランタインからの脱出時のダメージなんでしょうけど、どこかのラボ?」
 角切りにした燻製ハムをほおばり、口をもごもごとさせているので返事がない。リッパーもチキンをかじったが、もう味はしなかった。
 マリーの押し殺した溜息が聞こえた。見ると呆然としていた。コルトも同じようだったが、マリーよりはまだ冷静に見えた。宇宙との通信を完全に遮断された現在で、殆ど無力化している軍隊の、口伝、噂レベルのESP特殊部隊の暗躍。火星の軍勢という尾ひれをそこに交えれば少々、いや、かなりスケールの大きな話だ、二人の態度は当然だろう。
「言い当てゲーム」遊びの思い出とサイキッカー部隊の噂を知っている分だけリッパーはまだ冷静だったが、それでもやはり動揺は隠せない。
「んん、こちらも美味、見事だ。オズ殿は今、円卓の手中にある」
「つまり、仲間の保護下?」
 円卓の騎士とやらが噂のサイキッカー部隊で、オズがサイキッカーならばそうだろう。しかしダイゾウの返答は違った。
「否。円卓を名乗る者どもは漏れず、オズ殿、そしてリッパー、お前と敵対する。無論、我ともだ」
 円卓の騎士とか言うサイキッカー部隊が統合軍管轄下ならば、正規の海兵隊であるリッパーやオズの味方のはずだ。つまり、円卓とは火星か、各地に散らばる反統合敵対勢力の集団なのか。尋ねたが答えはノー。
「円卓は北にも南にも、東にも西にも属しておらぬ」
「そりゃあ、つまり――」
 コルトが割って入る。
「――俺みたいなフリーランス、傭兵部隊ってことかい? そのナントカの騎士さんたちは?」
「青年、理解が早いな。厳密には違うが、そのようなものだと思えば良い」
 燻製ハムをほおばり、ダイゾウはうむうむとコルトに向けてうなずいた。どうやらサイキッカー部隊の噂を知っている風なコルトには、もしかすると軍歴があるのかもしれない。機密であるNデバイスの存在も軽く知っていたからきっとそうなのだろう、ふとリッパーは思った。
「オズさんっていうリッパーの知り合いが、悪い傭兵部隊に捕らわれているってことね? ……でも、どうして?」
 マリーが問う。当然の問いはリッパーの抱くものと同じだったが、返答はごくごく短いものだった。
「話すと長い。続きは目的地に到着してからだ。出陣の支度をせよ、敵は強力ぞ」
 指先で跳ねたダイゾウはくるりと一回転して立ち、ずれたサングラスを掛け直した。
「待って。最後に一つ。アナタがあたしたちを助けてくれたとき、イザナミのデータだとアナタはここから六百キロ以上南下した山岳だったはず。あのニヤけたハイブが襲撃してくることを知ってたの?」
「だから我がN装備をハイブに渡したと?」
「そういう意味ではないのだけど……そうなるわね」
 リッパーは首を小さく振って銀髪を汎用アームの爪でいじった。
「ハイブの中に円卓と同じ能力を宿した者がいた。ドミナスだったか? きゃつの襲撃を察知してここへ向かった。もう一刻早ければNを失うことはなかったのだが、しかし小さな問題に過ぎぬ。理解したか?」
 ハイブ・ドミナスを察知して遠方六百キロ地点から、向かった? イオンリアクター駆動の軍用高速艇だろうか? 稼動機体は地上には殆ど残っていないはずだが。
「ダイゾウ、アナタ、何に乗ってるの? ランドアーミーのホバー高速艇? それともエアフォースの戦闘航空機?」
「乗る? シノビは駿馬の如く駆けるのみ。さて、準備だ。マルグリット嬢、茶だ、玉露を所望する。ケイジならばあるだろう? その後、青年と共に宿から旅支度をしてここに集結せよ」
 走って、きた? 六百キロを? 察知が三十分前だったとしても……時速千二百キロ! ダイゾウは、シノビという人種は、空陸軍の機動力を上回るのだろうか。アスリートスペックの最先端サイバネティックスでもその移動速度は不可能だ。
 ダイゾウは「敵は強力」と言ったが、見た限り、今の地上でダイゾウと同等に戦える相手は軍属にもハイブ勢にもいないだろう。そのダイゾウが敵視する「円卓の騎士」。手強い云々以前に戦闘スペックが全く予測できない。
 それよりも、だ。
「支度って、ダイゾウ、二人をこれ以上巻き込めないわよ。アナタの話を信じるなら、状況は完全に軍人が扱うべきもので……」
 マリーとコルトには既にとんでもなく迷惑をかけている。コンボイ乗員もろとも命の危険にも晒した。
 リッパーは海兵隊、軍人で、民間人を守る義務がある。それはイザナミとイザナギがいなくなっても変わらない。しかも今回の敵は、円卓を名乗る噂のサイキッカー部隊絡みで、あのニヤけ面を筆頭のハイブ。巻き込んで無事で済む保障など微塵もない。
 それにそもそも、艦隊旗艦バランタインの乗員であるオズの安否確認と保護という名目を、リッパーの艦長特権で上層部にゴリ押しして正規任務扱いにしてはいるのだ。機密であるNデバイスの使用も同じく。
 つまり、オズ個人の捜索と救出はいちおうは軍の、海兵隊の任務ではあるが、どこまでもリッパー個人の感情的な問題なのだ。そんなこんなの危うい状況にサイキッカー部隊の話が現実として重なれば、ダイゾウが助力する理由は知らないが、未知数な、恐らく圧倒的な敵を相手に民間人の部外者である二人を巻き込むわけにはいかない。
「軍隊のことは解らないけど、オズさんっていう人を助けるんでしょ? コンボイを守ってくれた恩返しになるかどうか、出来ることがあるなら何でもするわよ? コルト?」
「俺はマリーに雇われてるジェントルな傭兵さ。依頼主の注文通りにするぜ? まあ、ちょいとギャラを上乗せしてくれりゃあ、それで足りるさ。リッパーにもミスター・シノビにも借りがあるしな」
 Nデバイスを失って機動歩兵程度の戦闘能力しかないリッパーなので申し出は素直に嬉しいが、やはり危険の度合いがこれまでとは違う。背中を預ける、悪く言えば自分への危険度を好意からの民間人である二人に散らす、そんな真似が出来る軍人がいるとすれば、それはもう軍人ではないだろう。
 だが、ダイゾウが二人の無事を保障する、と言い切ったので、リッパーはそれ以上、二人に反論出来なかった。
 まともではまず勝てないであろう手強い敵に対して随分と頼れる、そして心を許せる二人。気持ちで負ければそれがイコール結果だろうからこそ、そこだけカヴァーしてもらう、そう自分を納得させ、かつ、ダイゾウの言葉を、こちらは一切根拠はないのだが、信用することにした。
「……解ったわ。でも、二人とも、危ないと思ったら構わないから逃げてね? こっちも二人を守るだけの余力はないと思うから」
「リッパー。お前はまだまだ未熟。一人で全てを解決するには至らぬ。頼ることは頼られることの裏返しと学ぶが良い。皆に雷の祝福あれ」
 所属や階級には無頓着なリッパーだったが、バランタインを失ったあの日、艦長という肩書きと積み重ねてきたプライドも粉々になった。Nデバイスを受け取ってそれを失い、軍人としてのプライドも今や欠片程度だった。
 イザナミやイザナギと一緒にベッセルを振り回してハイブ相手に一歩も引かなかったが、二人はもういない。バランタイ、オズ、イザナミ、イザナギ……何だか失ってばかりの人生だが、泣き言を言っている場合でもない。貸しを作れる相手がいる、それだけでもマシかもしれない、そう思うようにした。
 万事が上手くいったら目一杯恩返しをすればいい、とも。

 マリーとコルトはショップモールの先にある宿へ向かい、リッパーはラボに戻った。丹念にシャワーを浴びてから普段の服装に着替える。
 プリントシャツに比べて日除けマントはまるでボロだった。だがそれは見た目の話。日除けマントは軽量ケブラーを編みこんだ防弾仕様で、内側のポケットには各種弾薬が詰まっている。
 無地のシャツの上をホルスター付きサスペンダーが通り、腰には弾丸ベルト二本とウエストポーチ。ポーチの中身はベッセルのパーツで、弾丸ベルトの一本はベッセル専用の五十五口径API弾が収まっている。
 細身のフィールドパンツの両太股にもホルスターがあり、足元は傷だらけのロングブーツ。ブーツの脇には二本のコンバットナイフ、かかとには爆薬と信管を仕込んである。
 装備はまず、今の汎用アームでは撃てない大型カスタムリボルバー、ベッセル・ストライクガンが二挺。役に立つとは思えないが、防弾代わりに背中のスライドにセットした。
 両腿のステンレス三五七ダブルアクションリボルバー。これはハイブ以外との実戦でのメインアームで、対ハイブではサイドアームとして使っているものだ。ハイドラショック弾を装填し、弾丸ベルトにも同じく。ハンマーを軽量化してグリップを滑り止め加工のスチールプレートに変えてあるが、基本的にはどこにでもあるリボルバーだ。
 左脇にコンバットフォーム用のスナッブノーズ(短銃身)護身リボルバーが一挺ぶら下っているが、こちらは酒場でのルーレットゲームで使った覚えしかない。
 バックパックから腕時計とハンディナビを取り出して両手にセットしてみた。
 バックパックには食料とピルの詰まった救急箱、寝袋と着替えの下着、バイク用のプラグが数本あり、両横にピストルグリップタイプのテンゲージ・ショットガンが二挺、セットされている。二挺はロードブロック(実包弾)を装填した十番ゲージで現状で使えるうちの最大火力だが、リコイルも強烈なので汎用アームでは精度が落ちるだろう。
 基本装備はイザナミとイザナギがいることを前提としたものだったので、二人が抜けると背中のベッセルが邪魔だったりと色々な不具合があった。
 ベッセルを移動させるジャンプアップ機能はイザナギがいなければ使えないので日除け用マフラーを巻いた。汎用の両腕がむき出しになるので長袖をとも考えたが、痛覚・触覚がない廉価アームだったのでそのままにした。
 プラズマディフェンサーなしだと防弾装備が必要かもしれないが、これ以上重量がかさむと身動きが取れなさそうだったのでこちらも却下した。
 トータルスペックは、コルトとマリーを足した程度だろう。装備した弾丸ではハイブのカーネルを破壊できないので、ハイブ・ネイキッド一体にもかなりの弾薬を消耗しそうだ。ドミナスどころかハイブ・ナイフエッジで苦戦するだろう。スナイピッドが出てくればもう対応する手段はない。
 これが人間とハイブの違いなのか、リッパーは改めて痛感した。

 十五分ほどして再び公園に行くと、コルトとマリーがいた。ダイゾウはいない。辺りを見回すと、ブランコに立ってカップとチョコバーを握って大きく前後に揺れる、サングラスの白装束がいた。
「茶と言えば玉露よのう。ケイジの茶葉もなかなかだ。苦味の中に風味があり、チョコボウが甘さを引き立てる」
「チョコバー。矢じゃあないわ」
 言われたダイゾウはブランコから飛んで、音もなく三人の前に着地した。カップを飲み干しマリーに渡し、食べかけのチョコバーは懐に入れた。
「では、確認しようぞ。マルグリット嬢、地図はあるか?」
「ええ。どうぞ。ダイゾウさん、マリーでいいわよ?」
 ダイゾウはうなずいてからロードマップを広げ、一点を指差した。三人が覗き込む。そこは大陸の果てだった。距離は直線で千五百キロ。ハイウェイを使うなら千八百キロほどになるだろう。
「かなり遠いのね。途中に小規模ケイジ、キャラバン(隊商)の移動距離くらいありそう。乗り物にガスと水と食料が必要ね。私のコンボイから調達しましょうか?」
「うむ。急いだほうがいいと虫の知らせだ。速度の出る車両があればそれに皆は乗るがいい」
「バギー、いや、バイクだな。アンタは自前があるのか?」
 コルトが提案しつつ尋ねた。
「青年よ、我は駆ける、心配無用だ。続いては装備だが……」
 コルトが口をあんぐりと開け、リッパーは溜息を一つ。シノビは千八百キロを走れるのだろうが、それにしたって無駄な体力を消耗するだけだ。何を考えているのやら。
「装備、武器ね? 私はこのライフル。他にハンドグレネードが幾つか。弾薬は山ほどあるわ」
 マリーはリロードレバーを軸にライフルをぐるりと一回転させた。見かけによらず器用で実に頼もしい。腕が確かなのは承知している。
「俺は見ての通り、自慢の四十五口径だ。弾丸もこの通り、たっぷりあるぜ」
 クイックドロウから両手でキリキリとリボルバーを回転させるコルトの人差し指には、例のスカルリングが光っていた。肩掛けの弾薬ベルトが胸でクロスしており、こちらもさすがは傭兵といったところ。
 しかし、ライフルを構えるマリーとリボルバーを回転させるコルトを見たダイゾウは、妙な呼吸をした。それが溜息だと気付くのに一拍かかった。
「ほぁぁー、観光旅行の如くだ。リッパー、お前はどうだ?」
 言われてリッパーはマントを広げて見せた。
「殆ど丸裸ね。リボルバー三挺にショットガンが二本、使えないベッセルと使い道のない弾薬が山ほど。他はナイフが二本と爆薬を少々。海兵隊仕込みのコンバットフォームが唯一かしら?」
「例の軍隊格闘か。近接戦闘はあれで足りるだろうが、やはりもう一回り上が必要であろうな」
 二挺のリボルバーをホルスターに収めたコルトが、小さく舌を鳴らした。
「ヘイ、ダイゾウ。俺たちの装備は大したもんだと思うぞ? そりゃあアーミーほどじゃあないが、ハイブ相手でもどうにかなる。アンタはどうなんだ? 強いのは知ってるさ、見てたからな。しかし見た限り、接近戦だけじゃあないのかい?」
 口調が「不満だ」と言っている。傭兵のプライドに響いたのだろう。
「青年の言いたいことは解かるぞ。シノビファイトは近接戦闘の体術である。しかし遠距離武具がないわけではない。例えば……」
 ダイゾウがコルトに見せたのは、十字架のような奇妙な形をした刃物だった。
「何だ? お守りかい?」
「投げ小刀、シノビ十字手裏剣と我々は呼ぶ」
「シュリケン、ソーイングナイフ? どう持つんだ、これ?」
 渡されたコルトは、掌に置いた十字手裏剣の刃の一つをつまんで持ち上げて眺めた。
「扱えるのはシノビのみだが、うむ、いい機会だ。青年、それを出会いの記念に譲ってやろう。青年の言うお守りとやらにするがよい」
「え? ああ、ありがとさん。シノビの神様のご加護があるかもな。チェーン付けてペンダントにでもするよ」
 と、マリーが目をキラキラさせてダイゾウに顔を寄せた。まるで餌をねだる子犬のようだ。尻尾ではなくライフルの先端を振っているのだが。
「む? マルグリット嬢もか? ふーむ。これでどうだ?」
 掌サイズで外側に牙が並ぶ平らな金属の円盤がマリーの掌に置かれた。
「素敵! なんて呼ぶの?」
「シノビ八方手裏剣。使い方は……お守りでよい」
「ハッポーシュリケン・ソーイングナイフ! やー! シノビファイター・マリー参上!」
 マリーは刃の一つをつまんで投げるポーズを取る。よほど嬉しいらしい。ごほん、とダイゾウが咳払いした。
「リッパー、剣術は出来るか?」
「ソードファイトは苦手なの。基礎はやったけど、あたしにはハンドナイフが性に合ってたのよ」
 剣術は海兵隊キャンプ時代の訓練課程で少しやった程度だった。巡洋艦の操舵主から副長、艦長へと進んでいたリッパーにとってその訓練は殆ど意味のないものだったので、言う通り基礎しか習得していない。
「お前は二挺の大型拳銃を扱っていたのであろう? ならば問題ない、受け取れ」
 言いつつダイゾウが出したのは、爪先から顎ほどまであるロングソードだった。
「何だ? 凄いのが出てきたぜ?」
 コルトがヒューと口を鳴らした。
「シノビに伝わりし剣の一つ、名を天羽々斬{あめのはばきり}と言う。Nを宿ししお前のための剣だ」
 リッパーは渡された剣を持ち、サヤから抜いてみた。両刃に瞳が映り、鏡のようだった。ダイゾウが何度か言っている「Nを宿す」の意味は解からない。
「アメノハバキリ? エッジが髪の毛みたいで、チタン合金でも斬れそう……」
「無論だ。天羽々斬は神を斬る剣。合成人間の頭脳などでは刃こぼれすらせぬ。使いこなせ」
「そんな凄い剣なら、アナタが持てばいいのに」
「我には我の刃がある」
 続いて出てきたのは二本のブレードだった。マリーが「凄い!」と言って手を叩いた。
「鳴神{なるかみ}に雲絶{うんぜつ}、我の太刀だ。お前の天羽々斬に勝るとも劣らぬ。これらで我とリッパーの戦闘力を増強させ、オズ殿を救いに……おっと、忘れておった。リッパー、お前にもう一つ渡そう」
 最後に出てきたモノに、三人とも絶句した。
「我は軍隊用語は苦手なのだが、覚書が、あー、五十五口径セミオートマチック・アンチマテリアル・アウトレンジスナイパーライフル、である。IZA-N-DRA5、我がインドラと命名した。えー、光学追尾スコープと自動トライポッドを備え、使用する翼安定徹甲電撃弾の対物最大射程距離は一万メートル、だ。神の心臓をも射抜く。しかし見ての通りシノビ武具ではなく、我がその昔に趣味でIZA社に発注してみたものだ。Nと同じ血筋ゆえ、お前との相性もよかろう」
 メモを片手のダイゾウに、コルトとマリーが驚いている。
「おいおい! とんだ化物が出たぞ! このサイズのバレットならランドアーミー仕様の重装甲車も一撃でオシャカだ! ハイブなんて跡形もなく木っ端微塵だぞ!」
「IZA社って確か軍関係の会社よね? じゃあこれは正真正銘の軍用? 凄い!」
 コルトとマリーが大声を上げた。しかしリッパーは、剣、刀、そしてデカブツライフル、収納ケースも貨物車両もナシでぞろぞろと、どこから出てくるのやらと溜息だった。
「インドラだっけ? これも使いこなせって言うんでしょうね? あたしは海兵隊の軍人だけど、イザナギサポートもなしでこんな獲物を扱える兵士は、生粋のスナイパーだけよ?」
「シノビの言葉にこうある、習うより慣れろ。天羽々斬とインドラ、確かに渡したぞ。マルグリット嬢、車両の手配を願う。整い次第、出陣する!」「アイアイサー!」
 まるで聞いちゃいない、リッパーは再び小さく溜息を吐いた。
 ダイゾウに向けてびしりと敬礼するマリーがどうして満面の笑みなのか……こちらは深く考えないことにした。
 剣、天羽々斬と対物ライフル、インドラを装備すると、体重が二倍ほどになった。近接戦と超長距離、相反する武装はかなり動きづらい。コルトが「羨ましいぜ」と言ったのでどれか譲ろうかと持ちかけたが、即答で却下された。理由は聞くまでもない。

『第六章~インドラ・ファイブ - Indra-Five -』

 景色のどちらを向いても地平の彼方まで続く、大陸を網の目のように飾るヒビとギャップだらけのハイウェイは、文明の復興という淡い期待の象徴的な産物でもあったが、それがインフラと呼ばれることは未だにない。
 頭上の太陽は変わらずハイウェイ網とそれに込められた淡いものを消炭にでもしたがるようにひたすらに焦がし、ハイウェイ両脇の熱砂に埋もれた廃墟郡に潜む僅かな命の気配をも焼け出させようと、攻撃的な熱線を放射し続けている。そんな見飽きた光景には、ある種の悪意さえ感じられる。

 マリー・コンボイが駐留するケイジから一同が出発して三時間が過ぎていた。
 マリーご自慢の千馬力カー、ツインカムV8エンジンにツインチャージャーとナイトロ噴射システムを搭載した黒い角型モンスタークーペ、「ブラックバード」のステアリングを握るのはマリーで、コルトはナビシートにハーネスで縛り付けになっていた。その前方にビッグバイクにまたがるリッパーと、ハイウェイを併走するダイゾウ。
 三時間の時速二百五十キロ巡航で既に七百五十キロ強、道程の半分を消化していた。大陸中を縦横無尽のハイウェイでこの巡航速度を続けられるモーターエンジンのマシンは、大規模ケイジ内のサーキットを走るレースカーでも少ない。
 モーターエンジンは電気的構造面で非常にデリケートで、大気残留ビーム粒子による電磁干渉を受けてると途端にストップしてしまうのだ。だが、マリーのお宝だというV8ブラックバードとリッパーのビッグバイクは搭載する電子部品がごくごく原始的なものなので残留粒子の影響をほぼ受けず、ケイジの外でレースカーばりの速度で走れるのだった。
 マリーのモンスタークーペには、ケイジ内では当たり前のオートドライヴシステムさえ搭載されていない。
 短くはない距離なのでオートドライヴマシンだろうと出発前に当たり前風に言ってみたリッパーに対して、マリーはジャミングを嫌うシェリフのように「信頼できない」と言ってオートドライヴマシンを却下して、モンスタークーペとビッグバイクを持ち出してきた。
 全員を小型通信装置が繋いでいる。
「マリーはシェリフみたいね。ハイテク嫌いで」
「何の話? ひょっとして、このブラックバードにオートドライヴシステムがないっていうあれ? あんなシステム、電磁干渉どころか磁気嵐一つで使い物にならなくなるじゃない。別にハイテクパーツは嫌いってことはないけど、最初から故障すると解かってる装置なんて、わざわざいらいでしょう?」
「マリーはアナログ万歳のアナクロ人間だな。俺は使えるものは何でも使うぜ? ナビシートでこう言うのも何だが、磁気嵐かビーム粒子干渉で故障するまでオートドライヴで走って、故障してからアナログドライヴに切り替えればいいだけの話さ。とびきり以外のマシンなんて使い捨てでいいんだよ」
「マシンに愛着を持たないなんてイヤなコルト。それよりリッパー。急ぐのは解かるけど、さすがに少し速度を落とさない? こっちはケイジからずっとトップシフトでエンジンがそろそろ休憩を欲しがってるわ。油圧が怪しいの」
「でしょうね、こちらも似たようなもの。ゴーグルが顔に食い込んだままで、まるで整形処置でもされてる気分。ダイゾウに合わせてるんだけど、冷えるし疲れるわ」
 チョッパーハンドルを握るリッパーのグローブは太陽熱を無視して冷たくなっていた。
 出発前、マリーが最初に準備したのは断然にレーシーなフルカウルバイクだった。マリーたちと出会う直前まで割と長く乗っていた、爆裂してスクラップになったバイクも同じく。しかしダイゾウが「二輪車両はチョッパー以外認めない、シノビの掟に反する」と何やら熱く抗議し、大型でやたらとハンドル位置の高い今のバイクをマリーが用意してくれたのだ。
 それでいてダイゾウ自身はそのバイクに乗ることも触れることもなく、あろうことか両足で走っている。
 両腕を胸の前で組んだままで上体はハイウェイと直角、背筋がピンと伸びたアスリート的なものとは無縁の姿勢でリッパーと併走するダイゾウの足元を見ると、高速運動する足元が白くかすんでいる。驚くより呆れるが、出会って以後の言動なり何なりの全てが同じくなので、呆れるのも面倒だと気にしなくなった。説明解説を求めてもきっと理解不能な内容だろうと容易に想像可能なので。コルトとマリーも似たようなものかもしれない。
「ねえダイゾウ? 少しスピードを落とさない?」
 リッパーが通信機越しに提案した。
「ばびばばばばばがはい」
「はい?」
「ごぼべぼうびびべぶびばぼばい」
「どうした? さっそくの磁気嵐か? ノイズだらけだぜ?」
 コルトの声がスピーカから聞こえた、つまり磁気嵐ノイズではない。リッパーは併走するダイゾウにバイクを寄せた。見るとダイゾウのサングラス顔は風圧で歪み、喋ろうとする口元がびらびらと揺れている。
「……マフラーで口元をマスクしなさい! 何を喋ってるのか全然解からないじゃないの!」
 リッパーは思わず怒鳴り、思い切り近寄って蹴りを出したが、かわされてしまった。
「リッパー? 十五分ほど先に小さなケイジがある筈なの。念の為にガスチャージもしたいし、そこで休憩しましょう?」
「オーケー。ダイゾウ、聞こえたわね? 次のケイジでランチ、いいわね?」
「ごび」
 同意らしい。ケイジに到着したら口元をガムテープでぐるぐる巻きにしてやろう、本気でそう思った。

「――何だ? 随分と寂しいケイジだな?」
 着くや否や、コルトがぼやいた。言う通りで、静かに過ぎる小規模ケイジの入り口には歩哨もカメラもなく、中に人の気配もなかった。コルトに続きつつロードマップを睨むマリーもやや困惑気味だった。
「ここはキャラバンルートの主要中継地で賑わいも守りもかなりな筈なんだけど、廃棄された? ガスは残ってるかしら。コルト?」
「オーライ、探してくるよ」
 ゴーグルとマフラーを首に下げてシートに座るリッパーに、ダイゾウが寄ってきた。
「リッパーよ、チョッパーの心地はどうだ? 良いだろう? 極上だろう?」
「正直あたしはレーシーなうつ伏せポジションのほうが好きだけど、チョッパーバイクに何か思い入れでもあるの?」
 水筒とカップをバックパックから取り出し、カップに水を注いでダイゾウに渡した。リッパーは水筒をそのまま口に当てガブガブと喉に流し込む。疲れが少し和らいだ気がした。ダイゾウは懐からチョコバーを出し、カップと交互に口に含んだ。
「思い入れと言うほどでも大層ではない。昔に……ほぁっ!」
 唐突にダイゾウが叫び、閃光に続いて爆裂音がした。大気を伝わる振動でリッパーは軽く飛ばされた。
「何!」
 ダイゾウを見るが、そこには白装束ではなく錆びたドラム缶が転がっていた。上半分が裂けて中身の劣化油の残りが地面を黒く滴る。
「これは……コルト! マリー! 警戒して! ハイブがいるわ!」
「こんにちは、海兵のお姫様」
 不意の声は背後からだった。太股の三五七リボルバーを抜いて振り向くと、そこには奇妙なものがいた。真っ赤なドレスの胸元に黒い薔薇を飾った、舞踏会にでもいそうな金髪女だ。
「アナタにとっては初めまして、かしら?」
「ハイブ? ……ロストレンジから狙撃してきた、策敵不能の……」
「わたくし、イアラ・エイドロンと申します。ドミナスと共に円卓の騎士さまに仕える者です」
 イアラ・エイドロンはそう言って、真っ赤なドレスのすそをくいと持ち上げ金髪頭を軽く下げた。気味が悪い。まるで人間だ。
 ハイブといっても基本的な容姿は人間と変わらない、そう造られているので。しかしそこに仕草や表情、言葉が加わった途端に強烈に気味悪く感じる。根拠はなく殆ど生理的に受け付けないレベルの嫌悪感。ドミナスと名乗ったハイブと完全に同類だ。
「わたくし、我らが主さまからのメッセージを、プレゼントと共に届けに参りましたの」
「メッセージ? プレゼント? 何かしら?」
 イアラと名乗るこのハイブ、物腰の低さが逆にプレッシャーを与える。トリガーにかかる両指が震えそうだ。
「『さ迷う艦隊、キャプテン・リッパーに敬意と祝福のレクイエムを奉げる』だそうですわ」
「イアラ、と言ったわね? だったらそのどちら様かにこう伝えてくれる?」
 リッパーは二挺のリボルバーのハンマーをゴキリと起こす。
「あたしはレクイエムは大嫌いなの。とびきり陽気なワルツで死ぬまで踊らせてやるから待ってなさい、ってね!」
 ババン! 三五七リボルバーが叫ぶと同時にイアラは、消えた。変わりに背後の壁に二つの弾痕が見える。
「ふふふ、面白いお姫様ですね、キャプテン・リッパー」
 イアラの声はまた背後からだった。振り向いてリボルバーを構えると、笑みのこぼれるイアラの顔があった。
 女性タイプのハイブとの接触は少なかったが、それにしても恐ろしく端整な顔立ちだ。長い金髪は全体がゆるりとカールしていて、ルージュはドレスと同じく血の色。足元は黒いヒールで、どこにも銃は見当たらない。
 こいつがイザナミとイザナギを狙撃した、プラズマディフェンサーを無力化させたハイブならスナイパーライフルがあるはずだが、ライフルどころかスリングすらない。全くの丸腰だ。
「それと、あたしをキャプテンと呼ぶのは、バランタインのクルーだけよ!」
「バランタイン? ああ! あの沈んだお船ね? わたくしたちが少しちょっかいを出しただけでバラバラになった、可哀想な小さなお船、ふふふ!」
「きっ! ……バランタインを侮辱するな!」
 ババン! 再びのリボルバーの咆哮は宿の扉を粉々に吹き飛ばした。また消えた! 超高速移動、こいつはナイフエッジの強化版ハイブかもしれないと思ったが、それにしては反応速度が尋常ではない。
「あらキャプテン? 短気はいけませんことよ? それではまたお船が沈みますわ、ふふ! わたくしはメッセンジャー、今は戦う気分ではありませんの。もっとも、それでわたくしと戦うおつもりなのなら、勝負はもう終わっていますけれど?」
 こんな安っぽいリボルバーだから、いや、ベッセルでも同じだ。火力の問題ではない。戦い方が根本的に違う。どうするか悩むより先にリボルバーはホルスターに収まり、腰の後ろに刺してある剣を握った。名前は確か……。
「天羽々斬{あめのはばきり}、ソードファイト、レディ!」
「あら! 素敵な剣だこと!」
 両手握りでイアラの首筋を狙って横一閃。かなり重量のあるロングソードだが振った感触は軽い。が、手応えはなかった。切っ先にイアラの姿はない。反射的に真後ろに剣を振ったが、こちらも手応えなし。構え直した背後から声。
「本当に楽しいお姫様ですね。きっと主さまも喜びますわ。でも、わたくし、ちょっぴり悪戯心がくすぐられまして……アナタ、ここで死にます?」
 消えた! と思った直後に後頭部から殺気で射抜かれ、身動きが取れなくなった。振り向いたら死ぬ、確実に。天羽々斬を握る手が冷たい。感触のない汎用アームなのに、冷たいと脳が反応している。
「待てぇぇーい! 合成人間よ! 茶番はそこまでにせよ!」
「ダイゾウ! どこ?」
 ダイゾウの声で呪縛が解けた。背後からの攻撃はないと確信して辺りを見渡す。宿らしき煉瓦屋敷の屋根の縁にサングラスを黒く輝かせるダイゾウがいた。
「アナタが噂のシノビさん? わたくし、イアラ・エイドロンと申します」
「名乗る合成人間よ! 我はシノビファイター! 雷{いかずち}のダイゾウ、雷参! 我に触れる者、全てに雷の裁きが下る!」
 ダイゾウは屋根から飛んで屈伸姿勢でくるくると回り、無音で地面に降りた。
「待たせたな、リッパーよ。マルグリット嬢と青年を守っておって遅れた」
「マリーとコルト? 別のハイブがいるのね?」
 耳障りな含み笑いはイアラからだった。
「主さまからのプレゼントと遊んで下さっていたのですね。いかがですか? あのオモチャは? 愉快でしょう?」
「合成人間と交わす言葉なぞない! ここで刻んでやろうか? 抜刀! 鳴神{なるかみ}! 雲絶{うんぜつ}! 至高のシノビブレード、貴様を刻むは瞬きと同等!」
 リッパー越しにイアラとダイゾウが対峙している。逆手のダイゾウに隙は全くない。ダイゾウのサングラスに真っ赤なイアラが映っている。
「今のわたくしはメッセンジャー。でも、シノビさんはわたくしの気分を損ねますわ」
 背後の気配が消えた。リッパーは天羽々斬を構えてくるりと一回転したが、どこにもイアラの姿はなかった。ババン! と耳慣れた発砲音。同時に金属を弾く音が連続で二つ。
「シノビ抜刀、雷鳥の構えに死角なし! そのような火器では鳴神と雲絶に傷もつかぬわ!」
 イアラが発砲して、それをダイゾウがシノビブレードで弾いた、らしい。射撃地点は解からない。
「はい、お返ししますわ」
 いきなりイアラがリッパーの目の前に現れ、三五七リボルバー二挺を差し出した。両腿のホルスターが空だった。奪われた感触など微塵もなかったが、差し出されたステンレスリボルバーは間違いなくリッパー自身のものだ。現時点でこのハイブ、イアラに抵抗する術はない。痛感したリッパーは天羽々斬をサヤに戻し、リボルバーを受け取った。
「シノビさん、さすがは主さまが警戒するだけのお人ですね。わたくしを倒すことなど簡単?」
「貴様なぞ我がシノビファイトの前ではホイップソーダ以下。雷に喰われたくなくば消えろ。そして円卓に伝えよ。墓標を用意せよ、とな」
 ダイゾウが言うとイアラが「怖い怖い」と笑顔で首を振った。
「改めて、キャプテン・リッパー、大聖堂でお待ちしておりますわ。それではご機嫌よう……」
 言い残してイアラは消え、再び現れることはなかった。そのことにほっとした自分をリッパーは無言で怒鳴りつけた。
 ハイブを目の前にして全く手も足も出なかった。散々からかわれ、バランタインを侮辱され、リボルバーを奪われ、しかし何も出来なかった。イアラが何をしていたのかさえ全く解からない。まるで手品だ。
「手品……オズ、あたし、アナタに会えるのかしら?」
「ヘイ! リッパー! ヤバいのが来る! 新手のハイブだ!」
 コルトとマリーが駆けて来た。感傷に浸っている場合ではないらしい。
「何匹?」
「一体だけど弾が全然効かないのよ!」
 レバーアクションでライフルをリロードしながらマリーが叫び、その後ろにハイブの姿が見えた。大柄で、全身を鎧のようなものが覆っている。
「白兵専門に狙撃専門で、今度は硬い奴? ハイブ・アーマードってところかしら? どれどれ?」
 リボルバーで撃ってみたが、マリーの言う通り、弾丸は白い鎧で弾かれた。もう一挺も構えてシリンダー内のハイドラショックを全て叩き込んだが同じだった。
「リッパーよ」
「オーライ、解かってるわ、ダイゾウ」
 リッパーはバイクに歩き、キャリアにある包みを手にした。
「えーと、五十五口径セミオートマチック・アンチマテリアル・アウトレンジスナイパーライフル。IZA-N-DRA5、通称インドラ……声に出すと長ったらしいわね。ベッセルと同じフィフティファイブだから、インドラ・ファイブ、これでいいわ。近いけど、まあ、威力を拝見」
 バイクの横に伏せ、全長一メートル半もあるデカブツライフル、インドラ・ファイブを地面にセットした。
 重たい銃身を支える自動トライポッド(支持脚)はサスペンション的役割もあるようで、くいと沈んで戻った。マウントされた光学追尾スコープを覗くと、ハイブ・アーマードの装甲を顕微鏡で見るようだった。倍率を調整してアーマードの頭部、カーネルがある部分にクロスゲージを合わせると緑色のシーカー(目標捜索装置)が現れた。ベーシックな戦闘機のFCSに似ている。
 移動してくるシーカーがクロスゲージと重なって「LOCK」と電子表示された。息を止めたまま、トリガー。
 ゴン!
 全身が揺れる爆裂音と同時の巨大な、視界を覆うマズルフラッシュ。強烈なリコイルが肩を打った。
 叩き出された翼安定徹甲電撃弾はハイブ・アーマードの装甲と超硬度のカーネルを完璧に貫通し、ケイジの遥か彼方で着弾音がした。が、肝心の標的、ハイブの歩みは止まっていない。緩慢ながら射撃前と同じ調子でゆっくりと向かってくる。弾丸が口径サイズで綺麗に抜けたためそれ以上のダメージがなくカーネルを完全に破壊できず、機能が停止してないらしい。
 ハイブとの距離は百メートル程度。対して、スペック表で一万メートルの超有効射程だという規格外ライフル、インドラ・ファイブの射程死角なのだから、当然といえば当然だが。しかし、この状況のまま標的を無力化する手段は割と簡単だ。
 光学追尾スコープを覗きスイッチを押すと「MUL-T-LOCK」と表示され、シーカーが五個出た。ありがたいことにマルチロック、イザナギと同じ多重照準システムを搭載しているらしい。
 イザナギは完全オートでのフルサポートだが、こちらのマルチロックシステムはハーフトリガーで近いシーカーから順にロックがかかり、ここで自動トライポッドがクロスゲージ照準を補正してくれる。スポッターがいるのと同等以上の精度が得られる、なかなかに優秀なシステム構成だ。
 セレクターをSINGLEからFULLに切り替え、マガジンには残り九発。どれもスコープに表示される。フルオートに切り替えたのでシーカーは五個から九個に増え、それぞれが目標に向けて移動する。その九個のシーカーでハイブのカーネル部分に×印を描き、ハーフトリガーロック、準備完了。ハーフから一気にトリガーを押し込む。
 ゴン! ゴン! ゴン! 空爆でもされている気分になる轟音だ。
 連射速度はかなり速い、毎秒一発ほど。リコイルによるズレの自動トライポッドで追いつかない分を手で補いつつロックシーカーを次々と消してゆく。大きなマズルフラッシュで前方視界は完全になくなるが、スコープ内はサーモグラフ(赤外線熱画像)、マグネグラフ(磁場画像)、ナイトグラフ(夜間画像)のスリーモードを電子処理した映像なので視界はクリアのまま、フルオート狙撃が続けられた。
 最後の一発を発射し終わるとクロスゲージが点滅して「RELOAD」と表示され、顔をスコープから離すと、結果は狙い通り、ハイブ・アーマードは倒れて沈黙した。弾丸の威力や弾頭の破壊能力ではなく、単純に口径サイズの穴を複数、カーネルに空けて壊した、槍か何かを何度も突き刺したのと同じ単純な理屈で、狙撃とは微妙に違うが、まあ結果オーライ。
 万事を再確認すると、ふう、と大きな溜息が出た。やはりスナイピングは疲れる、苦手だ、そうリッパーは再確認した。腕前、技量ではなく単なる好みの話なのだが。
「やったのか!」
 コルトが大声を上げた。
「ご覧の通り。このライフル、インドラ・ファイブ。物凄いハイテクガンね?」
 脇に立つダイゾウに伏せたまま言うと「うむ」と返事があった。
「リッパーよ。インドラはお前と同じNの血筋。かつての両腕ほどではなかろうが、我の自慢の一品には違いない。相性も良いようだな」
 立ち上がり、スリングでインドラ・ファイブを持ち上げ、リッパーはうなずいた。
「やっぱりアーミーは凄いのね?」
 マリーが感心して言い、コルトもうんうんと頭を上下させた。
「技術力の違いよ。後は慣れ。少し訓練すれば装備のほうがサポートしてくれるから、マリーでも扱えるわよ?」
「冗談よしてよ。そんな怪物ライフル、怖くて触れないわ」
 リッパーはインドラ・ファイブをキャリアに乗せつつ「ガスは?」とコルトに尋ねた。
「ああ。二台分はギリギリ残ってた。すぐにチャージするから少し待ってくれ」
「任せる。マリー、ランチにしましょう?」
「いいの? そっちはそっちで何だか大変だったみたいだから、急いだほうが良くなくて?」
 言われてリッパーは腹をポンポンと叩いた。
「腹が減ってはなんとやら。イアラがここで伏せていたってことはこちらの行動は筒抜け。気になるし急ぎたいけど、相手が相手、焦りは厳禁ってところなの」
「その通り。マルグリット嬢、チョコバーの補充を要求する」
「ごめんなさい、買ってないわ。ダイゾウさんは甘党なのね? フルーツグミなら一袋あるけど?」
 と、サングラスがギラリと輝く。
「フルッツ組? ケイジには様々な食材があるのだな。何やら知らぬがありがたく頂くとしよう」
「車から持ってくるわ。リッパーは? アナタもフルーツグミにする?」
 いらない、と手を振って自分のバックパックからベジタブル缶を取り出した。ランチにグミ、想像しただけで口の中が気持ち悪いと思ったが当然口には出さない。

 ガスチャージを終えたコルトを交えてそれぞれ食事を取り、マリーとコルトはV8ブラックバードに戻った。チョッパーバイクにまたがったリッパーはふと思い出した。
「そう言えばダイゾウ、チョッパーの思い出ってどんななの?」
「うむ。昔に隊商を襲う山賊と遭遇してな。そやつらの車両がチョッパーハンドルだったのだが……」
「だが?」
「山での修行時期に遭遇した猛牛を彷彿とさせるその姿に感動したのだ。猛牛の角こそチョッパー、チョッパーこそ二輪車両だ」
 要するに見た目で気に入ったという話に、バカなのね、と言おうと思ったが一応止めた。グミだのチョッパーだの、シノビの好みはリッパーの管轄外だ。「へー」とだけ返してキックペダルを蹴った。
 ダイゾウの目の前で、握った猛牛の角を折り曲げてやろうかと一瞬考えたが、それは全部が終わってからだと後回しにした。

 廃棄ケイジを経って二時間。高速巡航を続けるマリーのV8ブラックバードとリッパーのチョッパーバイク、サングラスを食い込ませるダイゾウの視界に大陸の縁が入った。太陽はまだ真上で、無遠慮にぎらぎらと輝いている。
「なあ、マリー。今回のコンボイ護衛の報酬だがよ……」
 無線でコルトが喋りだした。
「このマシンで手を打ってやってもいいぜ? どうだ?」
「ご冗談! 知ってるでしょうに、ブラックバードは私の宝物よ? コルトの大好きなオートドライヴシステムもないし、そもそも、ピーキーすぎてアナタには扱えないもの、意味がないわよ。ほら! スーパーチャージャー、オン!」
 マリーがシフトレバーから枝分かれしている小さなレバーを引くと、モンスタークーペ、V8ブラックバードのボンネットにどんと居座るスーパーチャージャーユニットが駆動し、ヒューンと高音を上げ過給を開始、加速した。
「よせよせ! マリー! 体がナビシートに食い込む!」
 ハーネスでシートに縛り付けられたコルトが悲鳴をあげた。
「リッパー! しばらく先行させてもらうわよ? 続けてナイトロ噴射!」
 極太タイヤが数秒ホイルスピンして、V8ブラックバードは更に加速。リッパーのチョッパーバイクをパスして尖ったテールを見せ、どんどん小さくなっていった。マリーはどうも、ステアリングを握ると性格が変わるタイプらしい。
「マリー。その速度だとあたしがついていけない。きっとハイブが伏せてる、ほどほどにしてね?」
「アイアイサー!」
 マリーの返事は弾んでいた。V8ブラックバードは更に小さくなっていく。アナログの塊なのに大した性能だ、素直に感心する。
「ダイゾウ、マリーと併走して。スナイピッドに狙われたら困るわ。あと、あの消える女も」
「ごばぶ……御意。決戦の地までマルグリット嬢は我が全霊で守ろう。リッパーも警戒せよ。いざいざー!」
「マリーだけかよ。俺を守ってくれるのはホルスターでお休みの相棒だけってか? か、体が潰れる――」
 両腕を組んで直立不動で走るダイゾウがリッパーのバイクの隣から加速し、あっという間に消えた。マリーのモンスターカーも凄いが、ダイゾウはその上、もはや理解不能だ。
 二人に遅れているリッパーだがスピードメーターは時速三百五十キロ、決して遅くはない。それでもV8ブラックバードにもダイゾウにも追いつかない。二人は一体どれだけの速度で走っているのやら。

 更に十五分ほど走ると海が遠くに見えた。大陸の縁までもう幾らもない。
 ハイウェイから分岐した道路に入ってすぐに、止まったV8ブラックバードとダイゾウがいた。その向こうには巨大な建造物。数十世紀前から崖にたたずむ、といった風の灰色の宗教建造物が見えた。イアラが言っていた大聖堂とやらで間違いなさそうだ。遠めだがかなり大きい。
「あれが消え女の言っていた大聖堂? オズがあそこに?」
 ダイゾウに尋ねると、うむ、と一言。
「念写の座標が正しければあそこだ。それよりもリッパー、囲まれておるぞ」
「そうなの?」
 リッパーは腕のハンディナビを見た。カーネルパターンが無数に明滅している。全部で百といったところだろうか。ナビにイザナミほどの性能はないのでハイブの種類までは解からないが、遠くの反応は狙撃主、ハイブ・スナイピッドだろう。大聖堂まで一キロの地点で綺麗に二重に包囲されている。が、オズはもう目の前、こんなところでモタモタしている時間は惜しい。リッパーはチョッパーバイクのキャリアからインドラ・ファイブを下ろし、梱包を解いて肩に担ぐ。
「コルト、マリー。近い奴を頼むわ。あたしはスナイピッドを仕留める。ダイゾウはディフェンス。こっちで仕留めるまでスナイピッドの狙撃から二人を守って」
「決戦は既に目の前、手早くせよ。はぁっ! 抜刀! 鳴神{なるかみ}! 雲絶{うんぜつ}! ほぉぉー……シノビファイト、雷鳥の構え!」
「俺とマリーは邪魔だったかもな?」
 相棒である二挺のリボルバーを両手でスピンさせつつ、コルトがつぶやいた。
「そうね。でも、露払いくらいだったら……来たわ!」
 ドン! マリーのレバーアクションライフルが吼えた。続けてコルトも発砲。遠くのハイブ二体がころげるのが見えた。リッパーはコンボイでの戦闘を思い出した。コルトがミドルレンジでマリーがロングレンジのツーマンセル。いいコンビだと思ったし、実際そうだろう。
 インドラ・ファイブを焼ける路面にセットし、自分も伏せる。アスファルトの熱から体を守るために断熱仕様の寝袋を敷いてみたが、それでもジリジリと焼けるようだった。
「どこに潜んでいるのかしら……はい、見つけた、一体目。距離は、四キロ! 大した自信だこと」
 光学追尾スコープを覗いているリッパーは、そこに見えるスナイピッドと会話でもしているようだった。ドン! インドラ・ファイブの咆哮でその会話は終わった。路面の端の砂が盛大に舞い上がる。
「次! そこね!」
 再びのマズルブラスト。強力なリコイルがリッパーの肩を叩き、インドラ・ファイブが揺れた。自動トライポッドがずれた位置を補正するためにてくてくと歩く。リッパーはインドラ・ファイブをフルオート・マルチロックモードに切り替え、バックパックから取り出したマガジンをインドラ・ファイブの脇に並べた。
「だいたい、ハイブが数で勝負してくるのがおかしいのよ」
 ドン! ドン! インドラ・ファイブが吼えるたび、光学追尾スコープのシーカーが消える。
「圧倒的な力のハイブに対して人間側が物量で対抗、これが普通でしょうに」
 時計周りに姿勢を変えつつトリガーを引き、リッパーはスコープ越しにハイブ・スナイピッドに文句と翼安定徹甲電撃弾をぶつける。そのたびにスナイピッドは上半身をバラバラに飛び散らせて黙った。
 ガキッ! と背後で大きな音がして、ダイゾウがシノビブレード、鳴神と雲絶を構えていた。
「リッパーよ。狙撃主はまだ片付かぬか?」
「もうすぐ、三十秒待って」
 マガジンを交換してインドラ・ファイブを持ち上げ、リッパーはチョッパーバイクの反対側で再び伏せた。光学追尾スコープの倍率を一旦一倍にしてシーカーロック。反対側のスナイピッドは十体、丁度マグ一本分だった。
「コルトとマリーは?」
 ドン! ドン! インドラ・ファイブが再び吼え、次々とシーカーを消していく。
「前衛が鎧の合成人間でそれに手間取っておるが、他の奴にはどうにか対応できておる。あの二人、なかなかの腕前である。はぁっ! シノビ八方手裏剣!」
 ダイゾウは右手を連続して横に振り、円盤状のソーイングナイフ、八方手裏剣をマリーたちのいる方向に飛ばした。スコープで覗くと遠くのハイブ・アーマード群のそれぞれ頭部に深々と八方手裏剣が突き刺さっていた。あの頑丈なアーマードがソーイングナイフで次々と倒れていく。
 リッパーがダイゾウのその腕前に感心していると、ガキッ! 再び狙撃を弾く音がした。
「はいはい、解かってるわよ。インドラ・ファイブ! マルチロック・フルバースト!」
 ドン! ドン! ドン!
 インドラ・ファイブの咆哮とマズルブラストは路面の砂を綺麗に払い、四キロ離れた位置に伏せるハイブ・スナイピッドを立て続けに爆発させた。ハンディナビを見ると、遠くのカーネル反応はそれで消えた。
「探知できる範囲内のスナイピッドは片付けたわよ。残すはあっちのハイブの群れね」
 焼けた路面から立ち上がり、インドラ・ファイブを背負ってから腰に刺してある剣、天羽々斬を抜いた。鏡のような両刃が照りつける陽光を反射している。ブーツで路面を蹴って駆け出してすぐ、リッパーはコルトとマリーに寄った。
「お待たせの増援参上。戦況はいかが?」
「見ての通り、今にもやられそう、だっ!」
 ババン! コルトの四十五口径がハイブ・ナイフエッジの両足を吹き飛ばした。転げたナイフエッジが図体の大きいハイブ・アーマードの足にぶつかる。
「リッパー! あの硬い奴がね、厄介なのよ!」
 マリーがライフルを撃ちながら言った。マリーのライフルでハイブ・ネイキッドが三体、カーネルを剥き出しにして倒れる。倒れたネイキッドは路面でじたばたと四肢を動かしていた。
「解かったわ、アーマードは任せて。シノビソード、アメノハバキリとやらの切れ味、試してみましょう」
 天羽々斬を両手で握り、リッパーは走る。ダイゾウの八方手裏剣で倒れたハイブ・アーマードの横にいた別のアーマードが強烈なパンチを出してきた。天羽々斬でそれを受けようと刃を向けると、アーマードの拳がするりと抜けて真っ二つになった。
「何これ? ディフェンスしようとしたのに斬れた! アーマードがバターみたい!」
 言いつつアーマードの頭部に天羽々斬を振り下ろす。装甲と超硬度のカーネルを両断する手応えはゼリーか何かを斬っているようだった。横に振るともう一体のアーマードが上下に分かれ、斜めに振り上げると上半身がすとんと路面に落ちる。コルトの四十五口径リボルバー、マリーの四十四口径ライフル、リッパーのハイドラを弾く装甲だが、斬っている手応えが殆どなく切断できる。
「切れ味が凄すぎて、逆に扱い辛いわね」
 愚痴をこぼしつつ両刃の剣を振り回し、アーマードを一掃した。
 マリーとコルトが奮闘してくれたので残ったハイブはあと数体だった。リッパーは天羽々斬を握りなおしてネイキッドを刻み、ナイフエッジを切り払い、最後のネイキッドを斬ってから刃に付いた血を振り落とした。
「ふぅ、これでおしまい。ソードファイトは苦手だけど、アメノハバキリ、これならどうにかなりそう」
 太陽に両刃をかざす。神を斬る剣、そうダイゾウが言っていた。確かにこれなら神様でも斬れそうだ。
「リッパー! 凄いのね! 硬い奴をギッタンバッタン!」
「このロングソードのお陰よ。シノビソード、アメノハバキリ。大した剣だこと」
 マリーにそう返して、刃をサヤに戻した。
「相当な数のハイブだったが、ダイゾウとリッパーにかかればあっという間だな?」
 コルトが溜息を付きつつリロードしていた。
「我ならばあの程度の数、十秒ぞ」
 単独でスナイピッドには対応できないだろう、と言おうと思ったが止めて、リッパーはバイクに歩いた。それに習ってコルトとマリーもV8ブラックバードに乗った。ドルン! とツインカムV8エンジンが唸り声を上げる。ドルドルドル、とやかましいV8なので停止中でも通信を介さなければ会話ができない。
「オズさんが待ってるわね!」
「あの化物ハイブカップルと、円卓の騎士とやらもね」
 キックペダルを蹴ってアクセルを開けてホイルスピン、V8ブラックバードも同じく白煙をもうもうと上げる。
「どう戦うのか、戦術を練らないといけないけど、その時間も惜しい。出来るならオズを連れ出して逃げる、これでもいいわ」
 ブレーキレバーを離すとフロントタイヤが少し浮いてロケットスタートした。V8ブラックバードも続く。
 岸壁の大聖堂までの僅か一キロのチキンレースを制したのは、シノビシューズとかいう薄いサンダルのようなものを履いたダイゾウだった。

『第七章~バーターモード - Barter mode -』

 大聖堂の外観は永らくの海風によってあちこちが侵食されてボロボロで、凝った装飾は崩れ落ちた灰色、元々の色調は欠片もなく、もはや成れの果ての廃墟だった。
 そんな大聖堂から不気味なパイプオルガンの音色が響いている。聴いているだけで背筋が寒くなるような、地獄やら死者やらを連想させる気色の悪いメロディーが、海を眺める灼熱の荒地に向けて延々と放たれている。
 こちらも朽ちて錆色の巨大な鉄扉を慎重に押し開くと、その旋律の音量は倍になった。見える範囲内には歩哨もカメラもない。
 リッパーを筆頭に重い鉄扉を押し警戒しつつ中に入ってすぐ、一同の視界に金色で巨大なパイプオルガンが映った。最後のコルトが入り口をくぐって鉄扉が閉じると、外の熱気は消え去った。海の香りがかすかに屋内に漂っている。
 しん、と静まり返った屋内の重い空気を、不気味なパイプオルガンがぐいぐいとかき回しているような錯覚を覚える。
「お待ちしてましたよ、ミス・リッパー」
 不気味な音色の合間から声がした。聞き覚えのある声、仕立ての良い黒いスーツを着たニヤけたハイブ、ドミナス・ダブルアームだ。
 パイプオルガンの音色に合わせてゆるゆると踊るスカート姿はハイブ、イアラ・エイドロンだ。イアラは真っ赤なドレスではなく、パニエで膨らませた黒地に白レースフリルのスカートと黒のブラウス姿で、頭にはご丁寧にカチューシャまで乗っている。
「ドミナス。そこのメイド女にリクエストしておいたはずよ? レクイエムは嫌いだからワルツを、と」
 バックパックのテンゲージ・ショットガンを両手に握り、リッパーは湧く感情を抑えて言った。
「葬送曲「白色彗星」、アナタにはこれがふさわしい。艦を失ったキャプテン。宛てもなく放浪を続けるリッパー艦長」
「お船は沈むの、ドブドブと、あはは!」
 ズバン!
 バランタインを侮辱されたリッパーは反射的にショットガンのトリガーを引いたが、標的であるイアラ・エイドロンは着弾位置の二歩横にいた。ショットガンを前後に振ってリロードし、イアラとドミナスにマズルを向ける。
「ミス・リッパー、演奏の邪魔ですよ? それに調度品が傷付いてしまう。アナタが欲しがっている調度品がね」
「調度品? あたしはハイテク嗜好で骨董の趣味はないのよ」
 言い終わると同時にドミナスにショットガンを向けて発砲すると、着弾はドミナスの二メートルほど前。バシッ! と音がしてロードブロック(実包弾)が弾けた。
「プラズマディフェンサー? イザナミ!」
 再びショットガンを前後に振ってリロードからトリガー。しかし着弾は全てドミナスと金色のパイプオルガンの手前だった。そこには障害物もシールド反応もない。まるで見えない壁でもあるような妙なフィーリングだ。
「イザナミ? ああ、N-AMIデバイスですか。残念ながら不正解です。頂いたNデバイス一式は既に地上にはありません。喜ばしいことに我々の計画は順調で、邪魔者もいない」
 ドミナスの奏でるパイプオルガンの不気味な旋律はショットガンの雄叫びでも乱れず、リッパーの耳をざわつかせる。思考にフィルターがかかるような妙な感覚が拭えないのはマリーやコルトも同じらしく、それぞれ銃を構えているが視線が定まっていないように見えた。
 只一人、ダイゾウだけはパイプオルガンなど聴こえていないといった風に腕組みしたまま、サングラスの奥で両目を閉じているようだった。
「わたくしたちの壮大な計画は着々と進行中。ですね? 我らが主、ランスロウさま?」
 イアラが言う先、遠目の演台に人影があった。
 正装の軍服は空軍将校のデザインに似てグレーだったが、細部が微妙に違う。ダイゾウと同世代か少し若いくらいに見える金髪オールバックの、何とも偉そうな面構えの男だった。ハイブではないことは明確だが、只の人間でないこともまた直感で解る。
「ランスロウ? アナタが噂のサイキッカー部隊の代表さん? 円卓の騎士、だったかしら? 何を気取ってるんだが知らないけど、寒気がするほどスカしたネーミングね。それにしたって秘密部隊だって言う噂なのに勲章だらけなのね? スカイマーシャル公認の秘密部隊? 全く、どこまでがジョークなんだか。言わせて貰うけど、アナタのセンスって爪先から頭のてっぺんまで最低よ? モテないでしょう?」
 ショットガンのマズルを向けて吐き捨てるように尋ねるが、それはリッパーからの略式宣戦布告なので返答など期待していないし必要もない。それを察しているのか、ランスロウという金髪男は無言を続ける。偉そうな表情からは今のところ何も読み取れない。
「ミス・リッパー。偉大なる騎士、ランスロウさまに無礼はいけません」
「いけませんことよ、キャプテン・リッパー。ふふふ!」
 パイプオルガンに座るドミナスと、レクイエムに合わせてゆらゆらと踊るイアラ。大聖堂内部、演台に続く中央通路の左右に飾り柱がずらりと並び、白黒の大理石床には天井のステンドグラスを通した陽光が七色に落ちている。不気味なレクイエムの合間に波の音もかすかに聞こえた。
 サイキッカー部隊、円卓を名乗っているらしきランスロウは金髪をそっと撫で、正装の腰にあったレイピアをゆっくりと天井にかざした。凝ったエングレーブが施されたレイピアの切っ先が七色に輝いている。
「キャプテン・リッパー。きみのフリート(艦隊)が今どこにいるのか、知っているかね?」
 ランスロウ、こいつも自分をキャプテンと呼ぶ。リッパーは舌打ちしつつ両手のショットガンのトリガーを引いた。
「ルナ・リング防衛網でしょう!」
 テンゲージ・ショットガンのロードブロックは二発ともランスロウのレイピアで跳ね返された。イアラ、ドミナスに飛び道具が通用しないのだ。その上に位置するこのランスロウとかいう軍服に通じないのは当然だろう。レイピアの残像がランスロウの眼前で消えるまで数秒かかった。
 具体的にどうやって防いだのかは不明だが、ドミナスにイアラ、今更驚くことでもない。
「ドミナスとイアラの働きで既にきみの価値は極めて低いのだが、あえて接見の機会を設けたのだ、まあ慌てるな。きみの……いや、「かつての」きみのフリートは現在、ルナ・リングを遠く離れ、遥か火星圏への進行準備中だ。これがどういう意味だか解かるかね? 第二の安住の地、テラフォーミングの完了した火星と、荒廃した地球……」
「回りくどい話は結構。オズは?」
 ショットガンを大理石に放り投げ、三五七リボルバーを両手に構えた。通用しないのは百も承知だが、臨戦態勢であることを示す。リボルバーは両方ともダブルアクションだが、コンマ数秒に備えてハンマーを起こす。
「海兵隊巡洋艦バランタインの優秀なサイキッカー、オズ。彼は我々円卓の騎士と共にいてこそ、その価値があるのだよ。きみの手から離れたNデバイスと同様にな」
「ごたくはいいからオズを返しなさい。彼はエスパーかもしれないけど、サイキッカー部隊所属じゃあない。あたしと同じ海兵よ!」
 気色の悪いレクイエムが精神をすり減らす。リッパーはパイプオルガンに座るドミナスにリボルバーを向けたが、またも弾丸は手前で弾かれた。
 プラズマディフェンサーではない。艦載バリアシステムを含む光学防御の類とも違う。ドミナスと金色のパイプオルガンの前に硬い壁があるような感触だ。撃たれたことなど気にしていないといった風にドミナスは気味の悪いレクイエムを続ける。
「言いたいことはまあ解る、キャプテン・リッパー。何より、ここまで足を運んだその蛮勇は興味深い。イアラ?」
「はい、ランスロウさま。海兵隊のお姫様が、今、愛しの彼とのご対面! 感動的な瞬間だわ!」
 演台に立つランスロウと金色のパイプオルガンに座るドミナスの中間辺り、大理石床の上に巨大な十字架が現れた。何かの仕掛けではなく、突然に。鉛色で巨大な十字架は斜めに床に突き刺さるような格好で、そこに――。
「オズ!」
 オズだ。十字架に張り付けになっていて血色は悪く、作業服のあちこちは破けているが、それは間違いなくオズだった。眠っているのか気絶しているのか、首はがくりと下がっている。駆け出そうとしたリッパーだったが、肩をつかまれた。
「リッパーよ、焦るなかれ」
 それまで無言を保っていたダイゾウだった。サングラスを少し下げ、鋭利な眼光を飛ばす。
「久しいな、円卓が一人、ランスロウ。異形の能力で若返ったか?」
「ふん。シノビ……雷{いかずち}のダイゾウ。そう言えばそんな邪魔者がいたか。お前は老けたな。昔ほどの力はもうないのではないか?」
「老い朽ちるは人間の摂理。シノビも人なれば同じく。摂理に反する愚者が騎士を名乗って何を画策する?」
 リッパーより一歩前に出て、ダイゾウは演台のランスロウをサングラス越しに睨む。
「今、この惑星の即時的防衛網には空軍フリートのかき集めのみ。そちらのキャプテンが属する海兵隊を主力とする連中は残らず火星圏進軍に向かいつつある。いわずもがな火星の制空権を狙ってだ。つまり、この惑星は既に我々、円卓の騎士のものなのだよ、雷のダイゾウ。キャプテン・リッパーからNデバイスを受け取り、次への準備も整いつつある」
「Nデバイス? イザナミとイザナギがどうだって言うのよ、無関係でしょうに! その準備とやらには!」
 会話に割って入ったリッパーの三五七リボルバーが火を噴いたが、ランスロウのレイピアで跳ね返された。二発の弾丸はランスロウから左右の壁に着弾し、歴史を感じさせる骨董装飾に親指ほどの穴が二つ空いた。
「無関係ではない。あのNデバイスは元々、戦艦を構成する新システムとして考案・開発されたものなのだからな。キャプテン・リッパー、初耳かね?」
「はい? イザナミとイザナギはあたしの両腕よ? 戦艦に腕をつけてどうするのよ。メインテナンスでもさせるつもり?」
 リッパーはリボルバーを構えたまま、胴体を抱えるほどのサイズのメインテナスアームを装着した戦艦を想像してみたが、見栄えはあまり良くなかった。リッパーの返答にランスロウはくくく、と小さく笑った。
「キャプテンらしからぬ科白だな。新時代の情報処理能力と完璧な駆動制御、鉄壁の防御と高度な火器制御、これらを全て備える戦闘システムデバイス。そんなものを両腕に付けて只の人間がどうなる? 何の意味がある? そもそもが戦艦の、巡洋艦クラスに搭載されるシステムなのだよ、Nデバイスと呼ばれるあれは」
 リッパーは驚いたが、その驚きはごくごく小さなものだった。ブーツでガムを踏んでいたことに気付いた、そんな程度だ。本当にガムでも踏んだ気分だったのでブーツを大理石床にゴシゴシと押し付けた。
「新しい戦艦でも建造するつもりかしら? イザナミとイザナギを組み込んで?」
「理解が早いな、さすがは噂のキャプテン・リッパー。我らが円卓の旗艦アマテラス。完成し次第、火星圏のフリートを陣営を問わず残らず落とし、火星もまた我々の手に戻す。選ばれし者たるサイキッカーが、従順かつ有能なハイブにより人類を管理せねばならない。でなければ食いつぶされて疲弊した地球は回復せず、火星もまた同じ道を歩む。人が乱す世界にはそれを管理すべき者が必要だ、解るだろう? 若くして海兵隊フリート旗艦の艦長の座に就き、生身でNデバイスすら使いこなした、きみほど優秀な者であればな」
 リッパーは、ちっ、と舌を鳴らした。眼前、演台に立つランスロウという男はお喋りだ、そうリッパーは思った。わずらわしい、とも。こちらの用件は単純明快なのに、ガチャガチャとあれやこれや。
「旗艦アマテラス? それで地球も火星も? 円卓というのは欲張り集団なのね。まるでバンデットだわ。いいわ、艦長特権でどっちもあげるからオズを返しなさい。惑星の覇権だとか生命観念だ何だにあたしは興味ないのよ。管理どうこうが正論で自分たちは汚れ役を纏った善人だと言い張っても反論はしないであげる。そこにも興味ないし、第一面倒だから」
「ほう、海兵隊フリートの艦長の科白とは思えないな、キャプテン・リッパー?」
「元からわがままでワンマンなのよ。軍規違反が怖くて海兵隊なんてやれますかって話よ。是が非でも艦隊戦がやりたいのなら、そのうちタップリと相手をしてあげるわ。アマテラスだかソクラテスだか知らないけど、とびきりな機甲戦艦を一万隻くらい用意しなさいな。Nデバイスなしのバランタインタイプ巡洋艦一隻で残らず木っ端微塵にして差し上げるわよ? さあ、オズを解放しなさい!」
 リボルバーのマズルをランスロウの両目に合わせる。意味不明な小細工さえなければ、この口径でハイドラならば一発で仕留められるのに、全く、邪魔くさい連中だ。
「ふっ、さすがは名高いキャプテン・リッパー。巡洋艦一隻で一万隻のフリートを落とすとは、大した自信だ。海兵隊第七艦隊、無敵の浮沈艦隊、だったか? 単なる虚勢ではなく裏付ける技量があるのだろうな。Nデバイスをレビテイテッド能力で衛星軌道上まで飛ばすためのアンプ(増幅装置)、オズ。こいつは予想以上にすこぶる使える。そういった事情があるので渡すわけにはいかんのだ。この後、宇宙に運ぶモノは他にも色々とあるしな。どうしても、と言うのなら……」
 ランスロウはレイピアをヒュンと振った。柄の部分に丁寧なエングレーブが施してある鋭そうなレイピアが大聖堂の大気を切り取る。ショットガンとリボルバー弾丸を跳ね返した切っ先が中空に三角形を描いてからリッパーに向けられた。
「力ずくでやってみるかね? 円卓の騎士の力。そして、我が愛剣クラブジャック、じっくりと味わうだけの時間が果たしてあるか……」
 ギン! と突然の金属音。続いて火花がリッパーの目の前で散った。が、突然に過ぎて視覚から思考、何から一切反応できなかった。
「ほぁっ! 鳴神抜刀! 放電居合い!」
 演台のランスロウとそれをやや見上げる格好のリッパーとは十五メートル以上あったが、ランスロウのレイピアとダイゾウのシノビブレード・鳴神が衝突した結果が先の火花の正体らしかった。ランスロウからの何かしらの攻撃からダイゾウが守ってくれた……思考が遅ればせで回り、これはもう、勝ち負けだの手強いだの危険だのの次元ではない、とも気付く。噂にあったサイキック的なものだからか故なのかも、結果が解っていれば全く関係ない。
 リボルバーを構えたまま完全に固まっているリッパーのすぐ目の前、殆ど座るような低い姿勢で鳴神と雲絶を構えたダイゾウが、サングラスをランスロウに向けつつ、リッパーにゆっくりと言う。
「円卓の末裔どもは我らシノビの対極。リッパー、ランスロウは我が引き受けようぞ」
「ふん、雷のダイゾウか。お前如きで私をどうにか出来ると勘違いしたままか。まあいい、余興だ。ドミナス、イアラ、他の相手をしてやれ。……くれぐれも丁重にな」
 ダイゾウが演台に飛び、ランスロウと対峙する。リッパーは、解りきった結果だのを強引に棚上げし、根拠が相変わらずないのも無視して、こちらはダイゾウに任せることにした。
 スペックで劣っているらしい段階で始まって気持ちで負ければ、もう勝機など有り得ない。負ける戦をするのは無能な軍人だけで、自分は無能の反対に位置する軍属だという自信はあり、ついでに戦術的撤退という選択が事実上の敗北よりも大嫌いなのだ。などと思考を巡らせて自らを奮い立たせる。
 一度、気持ちで完敗した、という事実は「なかったこと」にした。これはもう軍人資質や戦闘スペック云々ではなく、極端な負けず嫌いというリッパーが生まれながらに持つ性格だが、ネガを消してテンションを上げる手助けにはなった。

 金色のパイプオルガンからドミナスが離れたが、レクイエムは鳴り止まない。パイプオルガンは自動演奏を始めたらしい。不気味な葬送曲が大聖堂に鳴り響き続けている。
「改めまして、ミス・リッパー。私はドミナス。ドミナス・ダブルアーム」
「ドミナスと共にランスロウさまに仕える、イアラ・エイドロンと申します」
 真っ黒なスーツとモノトーンのメイドが揃って、やたらと丁寧なお辞儀をした。何度見ても気持ち悪いくらい人間臭い。
「出来損ないのクソったれさん、こんにちは。ただのリッパーよ。よろしく……さようなら!」
 三五七リボルバーで二つの顔を狙ったが、ドミナスの手前で弾丸は弾け、イアラは消えた。
「コルト! マリー! カバー!」
 大聖堂の鉄扉とリッパーの中間辺りにいた二人から援護射撃が来るが、全てドミナスの前でバシバシと音を立てて跳ね返される。リッパーはシリンダーを空にした二挺のリボルバーを放り投げ、ブーツからナイフを抜いてコンバットフォームで構え、ドミナスに向かって駆け出した。
「ははは! ミス・リッパー! 素手で私に挑むつもりですか? 私はダブルアーム! ドミナス・ダブルアームですよ?」
 ブーツのかかとを床で削って本能で飛びのいたリッパーは、寸でのところでドミナスからの銃撃をかわせた。
 ドミナスの武装はあちこちにエングレーブをあしらった貴族趣味のオートマチック・ハンドガンだった。ウェイト付きのロングスライドでかなりの大型だ。ロングマガジンがグリップから飛び出てもいる。
「オートだなんて、アーミーから盗んだのね。それにしたって趣味の悪さはスーツと一緒。このレクイエムもね」
「口で反撃ですか? みっともない。さあ、人間らしく抵抗して見せなさい」
 オートマチック・ハンドガンが連射され、リッパーはそばの柱に飛んだ。ドミナスの腕の動きからどうにかかわすリッパーだが、気を許せばえぐれる大理石柱と同じ運命だ。床のテンゲージ・ショットガンに飛んで二挺同時に発射するが、また弾かれた。
「どういう手品なのよ! あっちからは撃ててこっちは全部跳ね返される!」
 両手のショットガンを前後に振ってリロードし、柱から身を乗り出してすぐさまトリガーを引くが弾かれ、フルオートの連射が返って柱をえぐる。
 こちらの弾丸は見えない壁に阻まれ、あちらからは砲火、全く勝負にならない。
 ダッシュして次の大理石柱の影に隠れ、リッパーはダイゾウを思い出す。ダイゾウはこのドミナスを圧倒していたはずだ。どういう風に戦えばそうなる? シノビの体術だろうか。と、隠れた柱が盛大に爆発した。
「あの狙撃ね! また厄介なのが! ダイゾウ! ヒントを頂戴! どうすれば……」
 演台を見たリッパーは愕然とした。ダイゾウが膝を突いている! 全身から血を吹き出して、今にも倒れそうだ。
「ダイゾウ!」
 出ようとした二歩目の足元をイアラの狙撃がえぐり、続けてドミナスのフルオート連射。飛んで柱に隠れるがそこから身動きが取れない。
 あのダイゾウが劣勢。相手は円卓の騎士、ランスロウと名乗った金髪の軍服。
 サイキッカーとはそれほどなのか? リッパーは奥歯を噛み締め考えた。オズは変わらず鉄の十字架に張り付けになって眠っている。どうにかオズを奪取して逃げたいが、ドミナスとイアラ、それにランスロウはそれを許さないだろう。
「リッパー!」
 マリーが、続けてコルトがリッパーの傍に滑り込んで来た。
「ハイ、ミス・キャプテン! 劣勢かい? 頼りない増援だぜ」
「あれがオズさんよね? 手足の枷はライフルで狙えるわよ?」
 マリーの提案はいいが、今の状態ではオズを解放してもドミナスに蜂の巣にされるだけだ。
「向こうにとってオズは重要らしいから、人質兼盾代わりにして、いえ、多分通用しないでしょうね」
 ドゴン! 柱が砕けた。イアラの狙撃だ。柱の跡からドミナスが連射してくる。リッパーたちは別の柱に飛んだ。
「考えろ、あたし! どうする? ダイゾウはあの二人は造作もないと言っていた! つまり、ダイゾウならあの二人を倒せる。ダイゾウに出来るのだからあたしにだって……インドラ・ファイブ!」
 リッパーは背負っていたインドラ・ファイブを腰溜めに構えてドミナスを狙った。
 ドン! と派手な音と義手を焦がすマズルブラスト。バシン! と、こちらも派手な着弾音は、翼安定徹甲電撃弾が弾ける音だ。ドミナスは……。
「よろけただけ! この距離でインドラ・ファイブを跳ね返す? いいえ、よろけただけマシ!」
 インドラ・ファイブのセレクターをセミオートに切り替え、ぐいとトリガーを引いた。毎秒一発のアンチマテリアルライフルのセミオート砲火にドミナスがずるずると後退する。着弾跡にプラズマが走り、見えない壁が見えた。ドーム状のそれはドミナスをすっぽり覆っているようで、それがインドラ・ファイブの咆哮と共に後退していく。
 十発を撃ちつくしてマグチェンジ。合間にイアラからの狙撃があり、飛びのいた床に大穴が開いた。マガジンを装填しつつリッパーは周囲を見渡した。相変わらずイアラの姿はなく、代わりに大聖堂の壁や天井に穴が幾つもあった。
「あっちは外から狙撃してるの?」
「ええ、そうですわ」
 いきなりイアラの顔が現れ、リッパーは反射で手にしたナイフを振った。しかし手応えはなく、代わりにドミナスからの砲火が再開された。リッパーはドミナスから見て死角になる位置に移動し、インドラ・ファイブを腰に構える。
「物騒な武器をお持ちですね、ミス・リッパー。私の壁を軋ませたのはアナタが初めてですよ?」
「それは、どうも!」
 歩いてきたドミナスに向けて、再びインドラ・ファイブのトリガー。ドン! ドン! とセミオートで吼える。
 しかしこれではラチがあかない。インドラ・ファイブでドミナスを足止めできても、イアラの狙撃が邪魔をする。第一、足止めだけでドミナスの壁を破れなければ弾薬がなくなっておしまいだ。コルトとマリーもドミナスを狙うが、当然のように壁に阻まれる。
 ギン! と演台から音がした。ダイゾウとランスロウだ。
「ダイゾウ! そっちは大丈夫なの?」
 ドミナスのフルオートが柱をえぐり、応答の邪魔をする。弾ける柱に顔を背けつつ演台に薄目を向ける。
「我は無事なれど、敵は円卓の一角。一筋縄では行かぬな。雲絶!」
「シノビの末裔、貴様らの出番は昔話なのだよ。語り継ぐ者も価値もないことを認めろ」
 遠いが、ダイゾウの肩をランスロウのレイピアが突くのが見えた。血飛沫で白装束が赤く染まっている。
「ダイゾウ! ……もう! どうしたらいいのよ!」
 イアラの狙撃で柱がまた一本、爆裂した。
「どうもこうもなくってよ? キャプテン。アナタはここで死ぬの、最愛の人の目の前で。ああ悲しい! ふふふ!」
 インドラ・ファイブを連射するリッパーの隣にイアラが現れ、ささやく。ナイフを振るが姿はもうない。
「そう。ミス・リッパー。アナタはここで死ぬのです! 我々ハイブの自由への生贄として!」
 しまった、と思った直後に左腕が後ろに跳ねた。
 腕をつかまれそのまま豪腕で背後に引っ張られるようなそれはイアラの狙撃だった。大理石柱に後頭部を衝突させたリッパーは一瞬、意識が飛びそうになった。
 イアラがずっと当てにきていないことは明白だった。あの消え女は獲物をいたぶる典型的な悪質スナイパー気質なのだ。そして、いざ狙おうと思えばいつでも狙えるらしく、左腕の肘下すぐがごっそりえぐられ、かろうじて残った掌の指は開いたままで動かなくなっていた。
 頭を打って中身がくらくらしているところをコルトに抱えられ、マリーが援護でドミナスを狙ってライフルを連射する。
「リッパー! 無事か?」
 コルトが包帯を取り出そうとしたので制した。
「汎用の左腕がオシャカになったわ。マリー! 無理をしないで!」
 柱一本向こうのマリーに怒鳴り、リッパーは左マシンアームの損害を再確認した。
 肩から肘までは無事だが、千切れそうな肘から下、肝心の指が一本も動かない。
 元々が大型バレットであるインドラ・ファイブは腰溜めで撃つのにも苦労する火力を誇る。それを片腕で、しかも移動しながら撃つというのは相当に困難だ。マグチェンジするのに手間取っているとコルトが手を貸してくれた。
「サンキュー、コルト。それにしたって厄介な相手ね。消え女、イアラ。見えてるだけドミナスのほうがマシ――」
「お褒め頂くのはランスロウさま以来ですわ」
 ナイフの距離内にモノクロメイドのカチューシャが現れて一言、イアラは再び消え、リッパーとコルトが身を寄せていた柱も粉々になって消えた。
「私がイアラに劣ると、そう言いたいのですか? ミス・リッパー?」
 両手のロングスライド・オートで火を噴きつつ、ドミナスがテノールを響かせた。リボルバーを忙しくリロードしていたコルトの首元をつかんでリッパーは別の柱に向けて駆け、マリーも反対からぐるりと位置を変える。
「リッパー! 作戦は?」
 引きずられるコルトがもう一挺をリロードしながら言い、リッパーは「あればこっちが聞きたい!」とだけ返し、右腕だけでインドラ・ファイブを構えた。
 セレクターはフルオート。光学追尾スコープ内でマガジン全十発分のシーカー十個がドミナスにオートロックされる。しかし、クロスゲージがシーカーと重ならずに「NOT SHOT」と明滅する。
「十秒間考える! 撃って!」
 インドラ・ファイブの一発目はドミナスの右側二メートルの見えない壁に着弾。そこから右腕一本で照準を補正して二発目をクロスゲージに捉える。あの忌々しい壁さえなければこの一発で勝負が決まっているのに、とリッパーはインドラ・ファイブを支える。足を止めて撃っている分にはどうにか照準内だが、ドミナスの反撃をかわすために走ろうとすると弾丸はあちらこちらに散り、着弾はブレていく。
 ドミナスのロングスライド・オートは五十口径三十連発だと耳で解かった。左右を交互なので合計で六十発が間断なく火を噴く。大口径は手足のどこかに一発でも喰らえば身動きが取れないだろう。
 と思った矢先、インドラ・ファイブのグリップを握る右手の小指をドミナスの弾丸がもぎ取った。マガジンの最後の一発を見えない壁に撃ち込み、インドラ・ファイブを離してとっさに頭部を腕でガードすると、汎用アームはドミナスのフルオート射撃によってあっという間にバラバラになった。
 汎用アーム越しに鉄球で殴られたような格好のリッパーは大聖堂の壁に吹き飛ばされ、歴史深いレリーフに側頭部を埋めた。
「リッパー!」
 柱二つ向こうからマリーが叫んだ直後、マリーが寄り添う柱が砕けた。
「イアラ! 狙いはあたしでしょうに!」
「ええ、そうですわ。でも、あの人ちょっと、うるさいでしょう? ドミナスのレクイエムがちっとも聴こえない」
 壁に埋まるリッパーの眼前に現れたイアラは、マリーのいる方を指差してくすくすと笑った。リッパーは頭突きを食らわそうと頭を振ったが空振りし、床に顎を衝突させた。
「待ってろ! カバーする!」
 クイックドロウの四十五口径はイアラの残像をかすめ、コルトが身を潜めていた柱が派手に飛び散った。
「状況をイザナミ……じゃなくて、あたしだ!」
 舌打ちしつつ、リッパーは指のない腕を眺める。
 見えない壁と大口径フルオートガン二挺のドミナス・ダブルアーム。見えない狙撃と自らも消えるイアラ・エイドロン。見えないづくしで相手の戦闘スキル上限は全く不明。コルトとマリーは現時点では無事なようだが体力は消耗しているだろう。
 そして肝心な自分。イザナミとイザナギではない汎用マシンアームは両方とも大破。右腕は二の腕の中間辺りから下がなく、左腕は根元だけで跡形もない。
 もっとも火力のある、唯一まともに勝負できたインドラ・ファイブはトリガーを引く指がなくなったので無効となり、床に投げたままのテンゲージ・ショットガンも、コルトが拾ってきた三五七リボルバーも同じく。
「文字通りのお手上げじゃない。作戦? 相手のスキルも解からないのに戦術が組めますかって話よ。ダイゾウ! 聞いてる? どうしたらいいの?」
 遥か演台で金属音の攻防が続いている。リッパーの座る位置からでは状況は見えないが、先刻、ダイゾウが劣勢だったので気がかりだ。
「どうもこうもなくってよ? キャプテン。アナタはここで死ぬの、最愛の人の目の前で。ああ悲しい! ふふふ!」
「そう。ミス・リッパー。アナタはここで死ぬのです! 我々ハイブの自由への生贄として!」
 ……何だ? 唐突だったが、リッパーは奇妙な違和感を覚えた。
 今のドミナスとイアラの科白は「一字一句、先刻と同じ」ではなかったか? 記憶が正しいなら、二人は同様の科白を同じようなタイミングで吐いたはずだ。それが何を意味するのかは解からなかったが、応えてみた。
「ハイブの自由? 何の話よ?」
 突然、ドミナスの砲火が止まった。ドミナスの背後にメイド姿のイアラが現れ、くいと小さくフリルを持ち上げた。コルトとマリーがリロードしつつ寄ってきて、リボルバーとライフルでリッパーを両脇から挟むようにカバーする。
「円卓の騎士、ランスロウさまは我々ハイブを解放して下さった。人間が我々につけた忌々しいリミッターを解除して下さった。そして!」
「わたくしたちに自我を! 自由意志を! 円卓の騎士さま、万歳!」
 ドミナスとイアラは大聖堂の天井を仰ぎ見る。天井には古代神話を模した巨大な絵画がぐるりと並んでいる。昔の宗教の顛末を描いたそれは神と悪魔と人間の物語だった。
 ハイブにリミッターがかかっていた頃、文明が頂点を目指していた時代に、その文明を拒んだ地方で崇拝されていたその宗教の物語は、人間界を襲う悪魔を神と天使が退治する、そんな筋書きだったはずだ。絵画には悪魔と戦う天使と、逃げ惑う人間、天使と悪魔を束ねる神が描かれている。
 ドミナスとイアラは、ハイブをその人間になぞらえているようだった。つまり、円卓の騎士・ランスロウは悪魔たる人間からハイブを救う神といったところか。
 リッパーはふう、と大きな溜息を吐いて首をゴキリと鳴らした。
「解放宣言、だっけ? ハイブに宗教観念があってもあたしは別にいいんだけど、あのランスロウとか言うサイキッカーが神さまでも、まあいいわ。あたしは科学者でも神学者でもない、海兵隊の一兵士だもの。そしてオズも同じく海兵隊の仲間。オズさえ返してもらえばアナタたちに用はない。自由意志? どうぞご勝手に。生贄はヤギか何かを探すといいわ。宗教ってそんなノリでしょう?」
「ノリ? ……キャプテン・リッパー。アナタのお喋りってどこか変ですわ。その原因が今、解かりましてよ」
 イアラがヒールを響かせてリッパーに近寄った。メイドの分際でヒールを履いている、イラつくほど生意気だ。
「キャプテン・リッパーは他の人間とは違うのよ。どこが? そう、その両腕ですわ。アナタは痛みという人間特有の感覚を持っていないのでなくて? だからこんな劣勢だと言うのに、わたくしたちと対等のようなお喋りをするのよ。そこのお二人、手を出したらドミナスが頭を撃ち抜くわ。動かないで下さいな」
 冷笑のままイアラはリッパーのブーツに手を伸ばした。背筋を目一杯使って蹴り上げたが手応えはやはりなかった。
「例えばこのナイフ……」
 イアラが手にしているのは、リッパーがブーツに仕込んでいたコンバットナイフだった。イアラは切っ先をリッパーの左肩にドスンと突き刺した。ご丁寧に倒れないよう反対側を手で支えてある。
「ほぅら! ここは機械の作り物だからお姫様は泣き声一つあげない! まるでハイブのようだと思いませんこと? でも、例えばここ……」
「リッパー!」
 マリーの悲鳴にイアラは笑顔で応え、振り上げたコンバットナイフをリッパーの胸に突き立てた。
 ゴリッと鈍い音が内部から聞こえ、胸に異物感。直後、咳き込み、バッと口から血を吐いてリッパーの全身を激痛が襲った。痙攣して一気に意識が消えそうになり、マリーの悲鳴やコルトの呼びかけが遠くなった。
「素敵! なんて素敵な表情なの! 海兵のお姫様! それこそ人間ですわ! 素晴らしい!」
 イアラがコンバットナイフの柄をぐいぐいと押すと傷口から血が溢れた。奥歯を噛み締めて悲鳴を押し殺すが、脂汗がじっとりと首筋を伝う。
「人間のお姫様とわたくしたちハイブは同じ血の色! だのに能力はわたくしたちが遥かに上! これがどういう意味かお分かりですか? お姫様?」
 ハイブと人間の血の色が同じ? そんなことはハイブ生産工場の初期ロットの一番が出てきたときから誰でも知っている。
 能力が上なのは過酷な労働状況下を想定した筋組織設定投薬だからで、これもハイブを知る人間なら誰でもだ。限界を超えた激痛が続き、頭痛と動機がガンガンとやかましい。
「つまりだ、ミス・リッパー!」
 ドミナスのテノールが大聖堂に響き渡る。
「我々ハイブは新しき人類としてこの星の統治を任される存在なのだよ! ハイブはハイブを殺さない。戦争も自然破壊もなく、皆が例外なく平等な社会システムを構築できる唯一の存在。それが我々なのだ!」
 砂漠でバンデットよろしくコンボイを襲撃する連中が何を言うのやら。
 海兵隊標準装備のコンバットナイフはリッパーの左肺を抜けていて出血は止まらない。口から呼吸と連動して血の泡が出てくる。気色が悪いが呼吸が止まっては困るので我慢するしかない。それでも出血量から五分と持たないだろうと予想できた。
「そんな新たな世界への生贄に! 海兵のお姫様の血を!」
 イアラが胸に刺さるコンバットナイフを抜いた。すぐに傷口から血が噴水のように吹き出し、ショックで血の咳が続いた。五分は訂正、あと三分持てば幸いか。イアラの警告を無視したマリーが粉末状の止血剤を傷口に振りまいてくれたので、プラス一分の延命。
「リミッターの脅威から解放されたハイブの真なる自由が今、ここに! 今日こそを我々の独立記念日としようではないか!」
 ドミナスが高らかに続け、大袈裟に笑った。
 コルト、と言おうとしたが血の混じった咳で上手く言えなかったので、ガラクタの右腕でゼスチャーしてみせた。役立たずの腕に出来る仕事はそれくらいだがどうにか通じた。リッパーの申し出にコルトはやや狼狽しつつ、胸ポケットから煙草を一本抜いてリッパーの血だらけの口に咥えさせた。
「男! 何をしている! 喫煙は肺気腫を悪化させる危険性を高めるぞ!」
 突如としての豹変、それまでのテノールを台無しにしてドミナスが怒鳴った。
「喫煙はアナタにとって心筋梗塞の危険性を高めますわ。自害なさる気?」
 イアラが驚いた風に言ったが、コルトは構わずにオイルライターでリッパーの咥える煙草に火を付けた。リッパーは両肺を紫煙で満たし、ゆっくりと吐き出した。まるで撃ち終えたガトリング砲のマズルのようだ。
「……最後の一本のつもりだったんだけど、生き返る一服ね」
「リッパー!」
 コルトとマリーの声が重なった。コルトはリッパーの口元で煙草を支え、マリーは止血剤を振りまき、ガーゼをベタベタと貼る。
「即効性の鎮痛ピルが……あたしのコートのポケットに、そう、それ。砕いて飲ませてもらえる? 痛みで冷や汗が止まらないの」
「お水でいいわよね?」
 口をぱかりと空け、マリーが砕いた鎮痛ピルと水をそこに流し込む。半分は咳で吐き出されたがラボ特注調剤のピルなので数秒で胸の痛みは治まった。依存性が高く副作用が強烈なピルなので使うのはこういった場面しかない。ガフガフと血の咳が出るが、鎮痛ピルのお陰で胸はもう痛まなかった。出血した分を水で補い、煙草を吸うと思考がクリアになっていった。
「煙草一本で自害? ……はーん、なるほど。リミッターが解除されていても、最新工場の高性能ロットのカーネルでも、喫煙の意味までは理解できないのね? その仕立ての良さそうなスーツに凝ったカチューシャ、それにレクイエム。どれだけ人間の真似をしても、所詮はハイブと、そういうことね。可哀想な合成人間たち。確かに人間に罪があるのかもしれない。でも……」
 もう一服。ドミナスが「体を害する!」と叫んだが構わず紫煙をわっかにしてぷかぷかと漂わせた。ニコチンで頭がくらりと揺れた気がした。
 そう言えばヘビースモーカーだったはずなのに、マリー・コンボイの駐留するケイジでも途中の廃棄ケイジでも一服もしていなかった。その分を取り戻す勢いで煙草を燃やし、口から煙をすっと吐き出す。
 煙草一本でこうも気分が変わるものなのか、リッパーは大聖堂を漂う紫煙を眺めた。
 久しぶりの一本はあっという間に灰になった。止血剤か沈痛ピルか煙草の効果かは解からないが、先刻よりずっと喋りやすくなっていた。咳払いを一つ、リッパーは肺を傷めないように丁寧に言う。
「イザナミとイザナギで巡洋艦を建造、アマテラス? それで地球と火星圏まで手中って言うのは大袈裟でやり過ぎよ。まあ、やりたければ好きにすればいいわ。ランスロウに言った通り、艦隊だろうが要塞だろうが徹底的に潰してあげるから。でもね、オズを利用されるのは何があろうと御免よ」
 ぷっ、と煙草を吹き、ブーツでもみ消し、あかんべー、と舌を出した。
「……ミス・リッパー。どういう技ですか、それは? 近接格闘?」
「ふっ! あかんべーも理解できないの? 紳士淑女の挨拶よ」
「ははは! べぇ!」
 イアラがリッパーを真似た。イアラの舌は血の色で、しかし当人はその行為の意味を理解していないようだった。
 自我だの自由意志だのと言っていたが、結局は工場生産される工業品、合成人間。姿や立ち振る舞いは人間にソックリでも、やはり人間ではない。どこまでも合成人間、ハイブリットヒューマン。
 ドミナスとイアラには普通のハイブとは違う何かがあるが、パイプオルガンを弾いたり踊ったりは人間を模しているだけだ。ハイブらしくない饒舌と表情もまた同じくで、そうさせているのは円卓の騎士・ランスロウかもしれない。こちらもランスロウの仕業であろう特殊な能力を身に付けていても、やはりハイブはハイブでしかない。
「だからダイゾウにとっては造作もない、ということね」
 ガギン! ダイゾウとランスロウの闘いは続いている。ダイゾウが劣勢らしく、ランスロウの高笑いが聞こえた。
「ねえダイゾウ! シノビファイトのコツを教えて!」
 煙草のお陰で思考がクリアになったリッパーは演台に向けて怒鳴った。
「シノビファイトは連綿たる鍛錬につぐ鍛錬の成果なればこその――」
「ハリー! ハリー! 急いでるの! ファイティングアーツなら基礎かコツくらいあるでしょう?」
 ゴホゴホという血の咳の後に、ははは! と高笑いが大聖堂に響く。ランスロウだ。
「はぁっ! 鳴神一閃! 斬雷撃の舞い! 悟りの境地に達したくば開眼せよ! シノビの道はそこに始まりそこに到達する終わりなき永き道!」
「サトリ? カイガン? そんな専門用語じゃ解からない!」
「確か……」
 マリーが難しい顔で口を開いた。
「どこかのケイジで聞いたことがあるわ。自分を知り、他人を知り、自然の全てを知る目を開くとか、そんな話。幾つかの民族にそういう言い伝えがあるって」
「マリー? 目だったら、ほら、ずーっと開きっぱなしよ?」
 マリーの解説にリッパーは両目をぱちくりとさせてみせた。
「あれだな」
 コルトが続いた。
「いわゆる、心の目って奴だな。槍や弓矢を片手の昔の田舎ハンター種族の照準手段だろう?」
「心の目? シノビファイターって哲学者かオカルトマニアなの? まあいいわ。心の目ね、さっぱり意味不明だけどやってやるわよ。こちとら海兵隊のスーパーエリート。血反吐の訓練を潜り抜けてきたんだから容易いわよ、そんなもの」
 カツンという軽い音はドミナスがカラになったマガジンを床に落とす音だった。
「何か企んでいるようですが、無意味ですよ、ミス・リッパー。自分の胸を見なさい。私が手を出さずともアナタはやがて死ぬ。事切れる寸前でもがくのは無様ですよ?」
 サトリだカイガンだが何なのか考える暇はない。
 ドミナスの言う通りで出血は相当なもの。マリーが止血してくれたが本格的な救命キットを使わなければ持って十分。そしてドミナスがその気になれば重症で太刀打ち手段のないリッパーなど三秒で片がつく。イアラなら致命傷部分への一撃、一秒でおしまいだ。
「……ヘイ、ロメオ。見て解るだろうに。こっちは取り込んでるんだ、ちょいと黙ってろよ」
 声色が全く違ったので、それがコルトだと気付くのに一拍あった。
 壁にもたれマリーに傷口を押さえられているリッパーと、朗々と語るドミナスの間にテンガロンハットを被ったコルトが立ちはだかっている。両手はお馴染みのトリックプレイとガンスピン、二挺のリボルバーが縦横にきりきりと高速回転している。
「ただの人間の男が私に声をかける? まさかな!」
 ドミナスの表情があからさまに曇った。黒いスーツを翻してエングレーブだらけのロングスライドオートをコルトに向けるドミナスに対して、コルトが続けた。
「ヒュー! そいつはまた値の張りそうガンだが、剥製の親戚風情にゃ勿体無い。お前らは棒切れか何かを振り回してるのがお似合いなんだよ、聞こえてるかい?」
 コルトのガンスピンは止まらない。その科白にリッパーは全身の血が引く音を聞いた。
 この窮地で敵を挑発してどうする? コルトはヤケになっている、と思ったがこちらを振り返ったコルトは何やら目配せ、アイコンタクトを送っている。モールスだ。
「私の銃を侮辱するのか? 人間風情が!」
「ガンじゃねーよ、テメーを侮辱してんだよ、二枚目野郎。だから聞こえてるか、って確かめたんだ。ったく、所詮はクソハイブだな。で、その不釣合いなガンのトリガーを引けばフィニッシュだと、テメーは思ってるんだろう? 血統書付きの単細胞だからな」
 アイコンタクトのモールスは「W・I・L・D・C・A・R・D」……ワイルドカード、何だ? 意味が解らない。ダイゾウの言うカイガンをする時間を稼ぐつもりだろうか? だとしたらとんでもない博打だ。止めなければ、と血の咳が出た。
「コル……ト!」
「ヘイ、クソハイブ野郎。クイックドロウ、って知ってるか? ……早撃ちだ。その、デカいだけのファンキーガンで、俺の一撃必殺、ダブルハイパークイックドロウに勝てると思うかい? セニョール?」
 コルトのガンスピンがぴたりと止まった。マズル二つがドミナスに向けられていたが、すぐにホルスターに収まった。
「クイックドロウ? 反射速度で人間がハイブにかなうと本気で思っているのか? 人間!」
「人間、じゃねーよ、死神コルトだ。お堅いカーネルの中心にキッチリ刻んでおけ、チンケなハイブ野郎。地獄で誰にやられたか、仲間どもにいちいち説明しなくて済むぜ? それで? 死神と勝負する度胸はあるのかい?」
 四十五口径リボルバーが素早くホルスターから出て、マズルがドミナスの両目を捉える。くいくいとバレルが上下させて返答を仰ぐと、ドミナスが大声で笑った。
「ははは! 死神? いいだろう、殺す前のお遊びとして付き合ってやる!」
 ドミナスはリリースボタンを押して二本のロングマガジンを床に落とし、両手を背中に回した。これでドミナスのロングスライドオートにはチェンバー内の一発ずつしかないことになる。
「何だ、クソハイブのくせに解かってるじゃねーか」
 コルトもシリンダーから弾丸を床にばら撒き、胸から二本だけ弾丸を抜いて込め、リボルバーをホルスターに収めた。
「その出来損ないの帽子置きを狙いたいところだが、通り名を「死神」に変更したばかりだからな、心臓をダブルピンポイントで狙うぜ? 俺の死神の鎌、デスサイズは眉間じゃあなく、心臓専門だよ、オーライ?」
「私の壁の前では頭も首も心臓も変わりないが、死神、お前の好きにすればいい。合図は、イアラ?」
「はい、ドミナス。このナイフをお姫様に向けて投げますわ。刺さるのが合図にしましょう」
 冗談ではない。只でさえイアラの一撃で瀕死なのに、もう一撃喰らえば即死だ。無難にコイントスにしろと訴えようとしたが咳で言葉が出なかった。
「ノンノンノン、ルールはこうだよ。そこの消えるクソメイドがナイフを投げる、それが合図だ。ナイフがミス・シルバーに刺さる前にどっちが早く撃てるか、だ。ヘイ、クソメイド、俺たちの中央に立て。どうせ消えてブレットをかわせるんだろう?」
「くくく! 死神さんはよーく解かっていらっしゃるのね。わたくしもお姫様のハートを狙うけれどよろしくて?」
「オーライオーライ、勝手にしな。……さあ、地獄行きの片道エクスプレスチケットは持ってるな? 相手はこの俺様、死神コルトだ。ビビってももう手遅れだぜ?」
 コルトとドミナス、イアラの準備はよくても、リッパーは心の準備が出来ていない。これから自分の心臓にナイフが飛んでくると聞いて時間稼ぎもサトリもあったものではない。
 が、ここまでの会話自体が時間稼ぎと言うのならそれは成功している。
 どこまでが考えでどこまでが思いつきかは解からないが、ここはもうコルトを信用するしかない。リッパーはマリーに動かないようにと言い聞かせ、イアラの手にある自分のコンバットナイフを見て集中する。
「コンセントレイト、集中、集中。カイガン、サトリ、心の目……」
 リッパーは、バランタインの艦橋から見える月を頭に浮かべた。

 ――漆黒の宇宙にギラリと輝く満月は、無数の星空をバックに心を穏やかにさせる。
 巡洋艦バランタインは、単独で地球衛星軌道からラグランジュ・ポイントの海兵隊戦艦ドック、月衛星軌道上基地の環状防衛網、通称ルナ・リングまでをカヴァーする海兵隊自慢の高機動攻撃型戦艦で、海兵隊月方面軍・第七艦隊の旗艦でもある。
 八門の高出力・可変速ビーム砲塔を始めとする強力な武装と最新鋭のバリアフィールド装置を搭載し、スタードライヴを使えば木星まで日帰り旅行も可能な機動力を誇る。
 空軍の高速駆逐艦を余裕で振り切る巡洋艦バランタインは文字通り海兵隊艦隊の虎の子だが、特殊な、異例な戦艦でもあった。
 総重量六十万トン、全長二千五百メートルの巨体と、全官制を統括制御する艦の頭脳、第六世代型量子演算ユニット類の一つ、ラプラスサーキットは完全対話型で自律思考を行う。このラプラスサーキットの基礎設計者である工学博士、ドクター・エニアックが演算ユニットに「バランタイン」という名称を与えた。バランタインは戦艦の名称であるのと同時に「彼女」の名前でもあった。
 巡洋艦バランタインは海兵隊艦隊が所有する兵器だが、艦への命令権は軍ではなく艦長であるリッパー個人にのみ与えられており、バランタインはリッパー以外の命令を一切受け付けない。
 この目的不明な仕様だけでも相当に特殊だが、海兵隊艦隊がリッパーにバランタインを預けたのではなく、バランタインがリッパーを艦長として選んだという経緯、こちらのほうが特殊かつ異例だった。
 リッパーがルナ・リング配属の下士官一兵卒だった当時、バランタインが地球と月の全兵士の中からリッパーを選抜して、艦長という肩書きを与えたのだ。故障だ失敗作だという声は当然だが、運用開始後のシミュレーションを含む全ての任務を完璧以上の成果で、一切の実害を生じずにこなし続ければ、文句を言う者はいなくなる。
 運用前、バランタイン艦長の辞令をいきなり渡されたリッパーは、自分には艦長になる夢はあるが、まだそれに技量が伴っていないと上層部に説明したが、上層部はバランタインの判断と決定を復唱しているだけだったので、辞令通りの配属となった。
 どうして自分が選ばれたのかをラグランジュ・ポイントの戦艦ドックにいたバランタイン・ユニットに尋ねてみたが、バランタインは「自分を扱えるのはアナタだけです」としか説明しなかった。
 適正がある、だとか、素質がある、だとか、シミュレーション結果と提出した論文が優秀だから、といった説明も一応はあったが、数値化できる能力で同等な人間は他に幾らもいた。そう改めて尋ねると、バランタインは「気に入ったから」と思わぬ返答をした。
 そこでようやくリッパーは、バランタインが単なる演算ユニットではなく、また、マシンとも異質なのだと理解し、後に与えられる任務を完璧にこなせるよう、バランタインを自在に操れるようにと訓練と学習に没頭しつつ、同時に、バランタインをより理解すべく、ドクター・エニアックの論文を全て読んだ。
 エニアック博士は人工知能の権威で、様々な脳デバイスの基礎理論を作り、集大成として第六世代型の量子演算ユニットとラプラスサーキットを誕生させた。
 第六世代、シクサージェネレーションの演算ユニットは、それまでの高度な電卓とは根本的に異なる。また、厳密には量子演算ユニットとラプラスサーキットも異なる。
 両者とも光素子で構成されるが、量子演算ユニットが光速度の演算ユニットであるのに対して、ラプラスサーキットはそれと並行して確率論的予測分析、検知可能なあらゆる要素・要因を分析の対象として、その結果から、後に発生する力学的近時事象をあらかじめ予測して確定させる、平たく言えば一種の未来予知を実現させる。この神の如き技こそが、量子演算ユニット類から圧倒的に突出したラプラスサーキットの最大最強の能力である。
「魂を電子信号に変換することが出来れば、神や悪魔もまた、作り出すことが出来る」
 エニアック博士の論文の一節である。
 リッパーはバランタイに、アナタは神様なのか、と尋ねてみたことがあったが、バランタインは「艦長次第です」とだけ返した。
 戦艦部分の設計から建造は軍需企業であるIZA社によるもので同型艦は何隻かあるが、第六世代型量子演算ユニットは運用年数の割には少なく、実用可能となったラプラスサーキットに至っては地球圏に三基しか存在しない。
 一つは言うまでもなく、バランタイン。残り二つは……。

「いきますわよ――」
 イアラの科白が終わるのと同時に、ドミナスが背後からロングスライドオートを前に回したが、コンマ数秒の世界では格段にコルトのほうが速かった。
 ドミナスがトリガーを押し込もうとするときにはもう、コルトの二挺のリボルバーから弾丸が発射されていた。
 コルトは水平十文字に構えていた。
 一発はドミナスの心臓に向けて放たれ、直前の壁でバンと弾けた。もう一発はイアラの放った、リッパーを狙ったナイフを射落とした。かなり遅れてドミナスの五十口径がコルトを吹き飛ばした。マリーが叫び、直後にドミナスが笑った。
「ははは! 死神よ! 私の勝ちだ!」
 コルトは倒れ、ドミナスはロングスライドオートの一挺を構えたまま、ダンスでもしそうな勢いの笑顔で叫んだ。その光景にリッパーは思考停止となった。
 大聖堂に用事があったのは自分なのに、最初の犠牲がコルトだなんて誰が予想できるだろう。泣けばいいのか怒ればいいのか、停止した思考で感情だけがぐらぐらと揺れていた。
 なので、ビービーという音がしていることに最初、リッパーは気付かなかった。それは自分の頭の中だと思ったのだが、その音は大聖堂に響いていた。やたらとデカい音に聞こえたのは、その音源が自分の頭の中ではなく首筋だったからだ。
『サテライトリンカー、ウェイクアップ。スターシップ・バランタイン、オンライン。Nデバイス、バーターモード、スタートアップ』
「……ノンノンノン、俺の勝ちだね。覚えておけよ? 死神は……死なないのさ。ハー!」
「コルト! 生きてる? 心配して……」
 そこまで言って、リッパーは気付いた。首筋から無機質な電子音声が響き、体が言うことを効かなくなっていることに。ドミナスにイアラ、そしてサイキッカー・ランスロウ。既に致命傷に近いが、この場で完全に身動きが取れなくなるのは非常にマズい。しかし電子音声は構わず続ける。
『バーターモード、バランタイン、スタンバイ』
「バーター(交換)モード? 何よそれ!」
 リッパーは問うが電子音声は無視して続ける。
『Nデバイス、バーターモード、コンパイル。トリガー、バランタインへ。バーター、スタンバイ……オン』
 抑揚のない無機質な音声が言い終わると、ボンと音がしてリッパーのガラクタな両肩とバックパックが落ちた。コツンと軽い音は大破して肩部分だけになった汎用アームが大理石床に衝突する音だった。リッパーも汎用アームよろしく狼狽して卒倒しそうになったが、体は倒れることさえ許さなかった。
 事態が解からないマリーも同じく固まっている。両肩が落ちた際の痛みはごくごく小さなものだった。
 その三秒後、大聖堂の天井に大穴が開いて、リッパーの首筋に一条の青白いレーザーが突き刺さった。
「ビンゴ! 衛星軌道からのレーザー通信だ! ヤー!」
 どうしてか無事らしいコルトが床に倒れたまま叫んだが、動けないリッパーからはレーザーは見えない。瓦礫と薬莢で散らかった大理石床に映る一本のブルーが見えるだけだ。
『ドッキングベイ、スタンバイ。オールクリア』
「み、見て! あれ!」
 マリーが言うが、見てと言われても首が動かないので見えない。ごう、と風が天井の穴から吹き込んで埃と硝煙を払う。舌がピリピリとした。イオンの味だ。
『コンテナオープン。N-AMI、アンド、N-AGI、ドッキングルーチン、コンプリート。バーターモードからコンタクトモードへシフト。サテライトリンカー、クローズ。Nデバイス、アクセス』
 両方からゴンと挟まれ、リッパーはぐらりと揺れて両手を突いた。……両手? リッパーは困惑した。
「こんにちは、マスター。どうやら間に合ったようですね。四日と三時間十二分ぶりです。通常駆動へのシフト完了。稼働率九十八パーセントを維持」
「ハイ! キャプテン! ご無沙汰だ! 遅れてすまないな! 衛星ネット経由でバランタインからずっとスパイしていたから、大体の事情は承知してるぜ!」
 聞き覚えのある声が二つ、リッパーは喜びと驚きがごちゃまぜなまま叫んだ。
「ヤー! ベイビーズ! 夢なら覚めないで!」

『第八章~シノビファイト - Shinobi fight -』

「リッパーの……右腕さんと左腕さんなの?」
 床にへたり込んで呆けた顔のマリーが尋ねた。
「はい、お久しぶりです、マルグリット・ビュヒナーさま。コンボイは無事にケイジに到着したようですね、ご苦労様でした。不在の折、マスターが随分とお世話になったようで、代わって感謝します。ちなみに、略称はイザナミです」
「ハロー! ミス・マリー! ミラクルガンナーのイザナギ、カムバックだぜ! 待ちわびたかい? ブレットはたっぷり残ってるな? こけおどしの相手に苦労していたようだが、今からがショウタイム! ヤーホゥ! ダックハントだぜ! カモンベイベー!」
「待ってよ! アナタたちったらピカピカの新品じゃないの!」
 疑問だらけだがリッパーは、はしゃぐ気持ちがはちきれそうだった。
 饒舌と共に現れた両腕は髪の毛と同じく銀色に輝いている。ヒートスリットのパターンと数が以前とは違っていた。しかしスリット以外は汎用アームと同じ流線型で、ご丁寧に爪まであった。
「はい、月の環状防衛網、ルナ・リングのIZA社システム開発部月支部で新造されたセカンドシリーズなので、新品です。血流に擬似体液を注入、破損臓器に対して応急処置。オートディフェンシブモード起動、ハイパープラズマディフェンサー、最大出力で待機」
「イエス! プロトタイプのアームはハイブどもにくれてやったが、中身は全部、サテライトネットにあるNデバイス支援衛星へ転送ってな。ソフトがなけりゃあハードなんてただのジャンクさ! オーライ?」
 見た目は変わっているが声色や口調は間違いなくイザナミとイザナギだった。
「でも、どうやって? タイミングも良すぎるし、そもそも、サテライトリンクが物理的に地上と宇宙を繋ぐなんて話、聞いていないわよ?」
 コンコンと床を打つ音がした。見ると、倒れたコルトが薬莢を一つ、つまんで掲げていた。少々血色は悪いが口元はニヤリと上がっていた。
「ヘイ、リッパー。勝てないギャンブルをしないのが俺の流儀だ。手札は上々、ワイルドカードでファイブカード、ってな?」
「ワイルドカード? それって……もしかして、ガンプ弾?」
 その薬莢は、ハイウェイ上のマリー・コンボイで二度目のディープスリープに入る際にリッパーがコルトに渡した、射撃すれば最深度ディープスリープから三十秒以内でイザナミ・イザナギが起動する、あの電子信号弾だった。
「肯定です。この建造物周辺は艦載バリアフィールドを応用した粒子ジャミングが施されており直接通信が無力化されていますが、復旧した巡洋艦バランタインの恒星間レーダーシステムが傭兵コルトからの特殊アラート信号を傍受し、ビーム砲塔照準用の高出力レーザー回線の使用によりジャミングを突破、コアユニットとのリンクに成功しました」
「そしてだ! ヴァリアブルビームランチャーの射線軸にスタンバイしておいた降下コンテナをドロップしてバーターモード、ドッキングルーチンって寸法さ。ラグランジュドックで修復中だったバランタインを衛星軌道まで運ぶのが手間で、間に合うかタイトなタイムスケジュールだったが、どうやらノープロブレムらしいな。ヘイ、スカルマン! あんたの仕業かい? ナイスだぜ、ブラザー!」
 イザナミとイザナギ、自分の両腕が語る様子を思い浮かべて、リッパーは溜息が出た。この局面でコルトがガンプ弾を使い、それでバランタインとコンタクトでき、イザナミとイザナギが新品になって戻ってくる……全くの予測外だ。
「ヤー! 只の新品じゃあないぜ? きっちりスペックアップしてきたさ! AFCSオンライン! そっちはズタボロなわりに随分とご機嫌な装備じゃあないか!」
 火器管制のイザナギは、早速インドラ・ファイブに目を付けた。一方のイザナミは天羽々斬。
「シノビソードを確認、ソードファイトモードをアップデート。剣術駆動スタンバイ」
 状況を把握してるらしき二人は当然という調子で臨戦態勢に入るが、リッパーはまだまだ混乱していた。
「それどころじゃあないのよ、イザナミ! コルト! 無事なの?」
「まあな。無傷ってわけにゃいかんが、右腕さんの言うとおり、自分じゃあ上手くいったほうだと思うぜ? そらよ」
 起き上がったコルトが自身のシャツをめくると、そこに斜め十文字のうっ血があったが、銃創らしきものはなかった。
「ドミナスが、外した?」
 言いつつドミナスを見る。ドミナスは「ありえない!」と叫び、隣のイアラは笑みが凍っている。
「いいや、逆さ。あのクソ野郎はな、俺様の言いなりでビシっとこれを狙ってくれたのさ。ハッハー!」
 そう言ってコルトが持ち出したのは、シノビ十字手裏剣だった。
 五十口径サイズで二箇所が派手にへこんでいるが、貫通も破損もしていない。ドミナスが「ありえない!」と繰り返した。まるで駄々っ子のようだ。
「手品に見えたかい? タネを明かせばシンプルな話さ。マリーが騒いでた、リッパーの首んとこにある極上のエメラルドと衛星ネット。右腕さんと左腕さんのスペックに、海兵隊の浮沈艦隊。最後の一枚は、とびきり最強のワイルドカード、察しの通りのガンプ弾! これで負けりゃあとんだ恥さらしってな具合だ。ここに入ってすぐだったか、ダイゾウからのこれをお守りでシャツの下に吊るしておいたのを思い出して、仕掛けるタイミングだけ悩んだんだが、勝てるんだったらコール&レイズ、ベットを釣り上げてカモるに限る。しかしまあ、あれだけ盛大に飛ばされて、ここにこんなアザだけとは、きっちり守ってくれてやがる。全く、たいしたシノビのカミサマだ。リッパー、こちとらプロの傭兵、請求書は海兵隊宛てでいいんだろ? すまないが、俺は安くないぜ? 支払いはキャッシュオンリーだ、オーライ?」
 言い終わると、コルトはからからと笑った。
「もう! トリックプレイだのガンスピンだのはリボルバーだけにして欲しいわ。見てたこっちの寿命がどれだけ縮んだか後で教えてあげるから! イザナミ、戦況は不利よ?」
 イザナギで口元の血を拭い、リッパーはドミナスとイアラの立つ金色のパイプオルガンを見た。相変わらずドミナスは「ありえない!」を繰り返しており、イアラは笑顔のメイド人形のように硬直だった。
「おおよそ把握しています。予測策敵完了。ドミナス・ダブルアーム、イアラ・エイドロン、サイキック・ランスロウ、固定」
「あの消え女! イアラをロックできるの?」
 ゲフゲフと咳が出て、リッパーは血を吐いた。
「肯定です。生命維持装置を起動、損傷した肺の一部を低電圧痙攣で動かします。敵の能力解析はバランタインで完了しています。防御、射撃、剣術、体術、全駆動を臨界で自動待機」
「あっちのハンサムなニヤけ野郎もな! バランタイン、オンライン! アナライズ! ESP反応! あの二匹はハイブの癖に、サイキッカー能力を持っていやがるのさ!」
 イザナミの処置のお陰で呼吸が楽になった。それにしてもイザナギだ。ハイブにサイキック能力が備われば、それは無敵だろう。どうりで太刀打ちできないわけだ。それよりも、だ。
「さっきからバランタインって……もしかして?」
「艦長を含む搭乗員を脱出させた艦は轟沈を免れ、ラグランジュ・ポイントの海兵隊戦艦ドックに移送されていました。ドックで修復作業を行っていた巡洋艦バランタインは現在、艦長を追尾しつつ衛星軌道にて待機中。機能の十八パーセントは既に回復しています。対艦戦闘及び恒星間航行は無理ですが、戦艦ドックの演算システムと軌道衛星網を含む後方支援能力はほぼ完璧に運用可能です」
「ヘイ! リッパー! ヴァリアブルビームランチャーが二門使えるぜ! 可変速ビームを最小限に絞ればこいつら全員、崖ごとイオン粒子に変換してやれるさ! ロードマップから消してやれよ!」
 イザナミ、イザナギに続き、自らが艦長を勤めていたバランタインも健在と聞き、リッパーは目頭が熱くなった。バランタインのビーム砲塔で狙う、悪くないアイデアだが、幾らビームを絞ってもマリーやコルト、それにオズを巻き込む可能性がある。
「イザナギ、ランチャーは保留、こいつらはあたしたちで! 理由が聞きたい?」
「ノー、キャプテン! バランタインからのカバーはIFDLだけでオーケー! サテライトリンカー!」
 イザナギが遥か頭上のバランタインとデータリンクし、データをイザナミにもフィードバックさせる。
 バランタインの可変速ビーム砲塔の照準はイザナギ制御下で大聖堂に固定されている。最悪の場合は使うしかないが出番は回さない、リッパーは自分に言い聞かせ、大きく深呼吸。戻ってきた両腕の感触を改めて確かめる。

 コルトの機転で戦況は一変、攻勢に転ずる絶好のタイミングだ。ここが勝負所だとはっきり解る。とっとと終わらせて一服つけよう。
「イザナミ! 臨界駆動イグニション! モードはガンファイト! レディ!」
 臨界駆動のイグニション・コールと同時に、片腕九本のヒートスリットが青く輝き、熱風が吹き出した。
「了解。特殊射撃戦による臨界駆動スタートアップ。残り時間五九九秒。ヒートスリットシステム、先行排熱開始」
 新型の両腕は臨界駆動で十分も動けるらしい。それも強化版のプラズマディフェンサーを併用して。イザナギの言ったスペックアップは伊達や酔狂ではなさそうだ。
「ウィルコ! コール・ガンファイト、コピー! IZA-N-DRA5、FCSリンク! ヒュー! こいつは中々の獲物だな! マルチロックシステム、オン! レンジファインダー、オン! シーカームーヴ! ターゲット、スリー! レンジ、テン・エイト・ファイブ! エイミングコントロール! クソメイドをマルチロック! トリガー!」
 二対合計十八本のヒートスリットからの熱風で、大聖堂のステンドグラスとドミナス、イアラが陽炎になる。
 ドン! インドラ・ファイブが吼えた。金色のパイプオルガンの横にいたイアラは消えたが、イザナギが腕をコントロールして追尾する。腰を軸にぐるりと反転させた位置で、インドラ・ファイブがイザナギ制御で発射された。リコイルで背中を押される格好だ。
「チップ! アゲイン! ワンショット! ヘッドアップ! シーカームーヴ! ワンロック! トリガー!」
「警報。ハイパープラズマディフェンサー起動」
 バシン! 稲妻がリッパーを球状に覆う。先刻までは狙撃位置さえ不明だったイアラに、イザナギ、イザナミのラプラスサーキットによる予測分析戦術が完全対応している。
 強化版のハイパープラズマディフェンサーはイアラからの狙撃を完璧に相殺して尚、臨界駆動を保っている。その一撃を相殺するのに消費したエネルギー量は、マリー・コンボイの駐留するケイジの三日間電力は軽く補えるだろう。ブーツが大理石を砕いてめり込む。太股に添えたインドラ・ファイブのトリガーが引かれると、更に床にめり込んだ。
「ワンヒット! ステイバック!」
 イザナギが怒鳴った直後、大聖堂の天井、ステンドグラスと絵画を突き破って落ちてきたのは、機動戦車だった。
 宗教神話を描いた絵画をまとって落下した機動戦車は、大聖堂の床に激突してキャタピラを四方にばら撒き、爆発した。風圧でコルトとマリーが柱から転げる。
「ヘイヘイ! 空から戦車が降ってきたぞ! あれはランドアーミーのバンテルタンクじゃねーのか? マリー!」
 コルトが叫びながら、マリーを抱えて柱の影に滑り込んで爆風をやり過ごした。抱えられたマリーは突然の戦車の爆発に声も出ず唖然としている。
「上からバンテルタンク? どういうカラクリなの?」
「リッパー! テレポートさ! あの消え女、イアラ・エイドロンはテレポート能力で自分とあのタンクを瞬間移動させつつ、こっちを狙撃していたのさ! オーライ?」
 サイキック能力の種類にテレポート・空間転移というものがあるのは知識として知っていたが、コインだカードだではなく、数十トンのバンテル機動タンクの質量を瞬間移動させるというのはとんでもない話だ。
 詳細は未だ不明だがサイキッカーが部隊規模として実在するのなら主力だろうし、実際、イアラは最前線でもっとも厄介な相手だ。しかしタンクはインドラ・ファイブで撃破し、事実上無力化させた。
「敵機動戦車大破、戦闘力ゼロ。後続戦力の反応はナシ。ESP反応、エイドロン、出現します。十二時方向、距離八メートル」
 イザナミの言った通りの位置にイアラは現れた。つまり、噂だったり手品まがいだったサイキックが、今はレーダーサーチ可能な対象となり、存在していない時点での標的の座標位置をも正確にロックしている。ラプラスサーキットの試験運用段階だった能力、未来予測が、恐らく臨界駆動によってだろう、完全に発揮されている。どうりで登場からずっとイザナギが強気な訳だ。
「わたくしの愛らしい戦車が! ……よくもやってくれましたわね!」
 声を上げ、イアラは床をヒールで蹴って跳ねた。
「警報。ダブルアーム、武装展開。オートディフェンシブ」
 フルオートに対してハイパープラズマディフェンサーが明滅し、ドミナスの攻撃の全てを跳ね返した。
「ドミナス、こいつは?」
「パワーベクトルと可視光の屈折率をリアルタイム変換する念動障壁です。ハイパープラズマディフェンサー、正常稼動中。近接防御火器システム、起動。オートディフェンシブと併用。臨界のまま剣術駆動へシフト。ヒートスリット、排熱続行」
「コピー! CIWS(近接防御火器システム)オーケー! セントリーガン(自動機関銃)、オープン! リッパー! シノビソードだ!」
 イザナギに言われてリッパーは腰のシノビソード、天羽々斬を抜いて駆けた。向かう先は当然、ドミナスだ。
「アメノハバキリ、これで?」
「アメノハバキリ、スタンバイ! この程度のサイキックウォール強度はシノビソードで簡単に抜ける! ベクトル変換のバランスを少し崩せば、もう紙切れ以下さ! シーカームーヴ! ワンロック! トリガー!」
「敵ダブルアーム、弾薬装填中。臨界剣術駆動、稼働率百十三パーセント。ヒートスリット、排熱安定。いつでもどうぞ」
 イザナミの声を合図にドミナスに三歩近寄ったリッパーは、天羽々斬を真横に振った。
 最初に妙な感触があり、しかしイザナギの言う通り抵抗なく刃は横に抜けた。そこから更に二歩寄ると、マグチェンジを終えたドミナスがロングスライドオートの片方を構え、フルオート。
「シーカームーヴ! レンジ、ゼロ! フルロック! セントリーガン、フルバースト! リッパー! 五秒以内に奴のガンを落とせ!」
 両肩から以前には無かった装備、小型セントリーガンが飛び出し、ドミナスからの近距離射撃の弾丸を全て自動撃墜している。薬莢が肩後方にバラバラと飛び散る。
 左のブーツをざっと滑らし、横一文字にドミナスの右手のオートマチックハンドガンを斬る。ロングスライドが両断されてドミナスの手元でバラバラになり、返した次の一閃で左手のハンドガンもグリップを残して真っ二つになった。
「私のダブルアームがぁっ! お前! 人間風情で!」
「ハイブ風情が偉そうに喋るな! こっちのレンジ! ジャンプアップ!」
「コール・ジャンプアップ、コピー! ダブルベッセル、オン! シーカームーヴ! ダブルロック! トリガー!」
 怒鳴りつつリッパーは、両手で握った天羽々斬を素早くサヤに戻し、ベッセル・ストライクガン二挺をコルトよろしくのクイックドロウ、背中からスライドして来たそのままの勢いで構え、トリガー。ドミナスの眉間、カーネルにAPI弾を二発叩き込んだ。
 弾丸はカーネルと頭の後ろ半分を炸裂させて貫通し、そのまま大聖堂の柱に突き刺さった。ドミナス・ダブルアームは口をぱくぱくさせてからしばらくして、沈黙した。ドミナスと連動していたのか、金色のパイプオルガンの自動演奏も止まった。
「ドミナス!」
 声に振り向くと、イアラが叫びながらショットガンを連射してきた。リッパーが放ったショートバレルのテンゲージ・ショットガンだ。
「アナタは他人のモノを使いすぎなの。そういうのって、下品よ!」
「シーカームーヴ! レンジ、エイト! ダブルロック! トリガー!」
 仰向けに倒れるモーションでベッセルのグリップを握り直し、イザナギ制御で左右交互で合計二発、発射した。一発目をテレポートで交わしたイアラは二発目で金髪頭の上半分をカチューシャごと吹き飛ばされ、大理石床にごろごろと転がって四肢をじたばたさせた。牽制射撃でテレポート位置をこちらでコントロールした上で本命を狙い通りにヒット。タネの明かされた手品ほど滑稽なものはないという見本のようだ。
「そのダンスも下品ね。ワルツはもっと上品になさい!」
「シーカームーヴ! レンジ、ファイブ! ターゲット、ワン! フルロック! トリガー!」
 リッパーは仰向けからうつ伏せになり、ベッセルのトリガーを引きシリンダーを空にした。三発の五十五口径API弾でイアラ・エイドロンはバラバラになった。パニエで膨らませた黒いスカートが宙を舞うカチューシャと共に静かに落ちる。
「敵、ドミナス・ダブルアーム及びイアラ・エイドロン、沈黙。カーネル反応消失。駆動シフトは臨界のまま。ヒートスリット、強制排熱続行」
 パシュン! と派手な音がして両腕のヒートスリットから吹き出す熱風が強くなった。
「やっぱリッパーは凄いぜ! あの化物コンビがあっという間だ!」
「リッパー! やった!」
 コルトとマリーが満面の笑みで駆け寄ってきた。リッパーはうつ伏せのまま、ふう、と大きな溜息を一つ。ヒートスリット排熱のような溜息だった。
 片側九本に増えた新型のヒートスリットは真っ青に輝いており、既に生身では近づけない温度に達している。顎から落ちた汗の一滴がチュンと音を立てて一瞬で蒸発した。胸がずきずきと痛む。鎮痛ピルで抑えられない分の痛みは派手な立ち回りが故だろう。
「ダイゾウ、こっちは片付いたわよ? ……ダイゾウ?」
 返事がないのでリッパーは慌てて立ち上がった。演台に駆け寄ると、白装束を赤く染めたダイゾウが膝を突いていた。
「伝説のシノビなどと呼ばれても、所詮はその程度ということなのだよ。今も昔も変わらずな」
「敵、サイキッカー・ランスロウ。戦力は宇宙戦艦三隻に相当」
「三隻? ……ダイゾウ、無事なの? 返事は?」
 ダイゾウは、ぐぅ、と唸ってから両手のシノビソード、鳴神{なるかみ}と雲絶{うんぜつ}を床に突き立てて倒立した。
「案ずるな。シノビは伝説の影を歩む者。円卓の一派なぞに敗れる我ではない」
 そう言って更に寄ろうとするリッパーを制し、サングラスを小さく上下させ、ダイゾウは低く構えた。
「未だ破られしことなき雷電変わり身の構え! 死にたくば来い! ランスロウよ!」
「雷{いかずち}のダイゾウ、どんな技であれ、お前の考えは全て見える。死ぬのはお前なのだよ」
 ランスロウがレイピアを遠距離から突く。
「ESP反応確認。敵能力は念動を帯びた剣と遠隔感応です」
「エンカク?」
 レイピアはダイゾウではなく、神話を描いた絵画をザクザクと突き刺し、同時に閃光が輝く。
「遠隔感応、テレパシーとも呼びます。脳内映像や意識を見通します」
「つまり、オズの言い当てゲームね?」
 ランスロウの念動レイピアは別の絵画を切り裂き、続けて白装束を切り裂いた。バシバシと閃光が大聖堂を照らし、辺りを漂う硝煙を浮き上がらせる。
「ダイゾウ!」
 リッパーは思わず叫んだが、裂けたのは白装束だけで中身はなかった。
「円卓の騎士、成敗!」
 下着姿のダイゾウがランスロウの真横に、まるでイアラのテレポートのように現れた。
「雷! 神! 不! 動! 北! 山! 桜! 斬! 斬! 斬!」
 二刀のシノビブレード、鳴神と雲絶が猛速度で八の字を描き、ランスロウの軍服と勲章を切り裂く。
「これぞ雷流{いかずちりゅう}が奥義、雷神不動北山桜{なるかみふどう きたやまざくら}……雷神{らいじん}!」
 キン、と音を立てて二刀をサヤに収めると、ランスロウの全身から血が吹き出した。ダイゾウはくるりと反転し、サングラスをくいと小さく上げた。見ると体中がレイピアで突き、斬られた傷で血だらけだった。
「ダイゾウ! やったのね? 早く止血を――」
「警報。敵サイキッカー、ESP反応増大」
 リッパーを遮るようにイザナミが言った。直後、ダイゾウが大聖堂の壁に叩きつけられた。マリーが絶叫し、コルトは声も出ない。
「シノビめ、言っただろう? お前の頭の中は全て見えると」
 軍服を血で染めたランスロウがゆるゆるとダイゾウに近付き、レイピアで肩を突き刺した。
「ぬっ! 我が奥義を見切るか! ランスロウ!」
「最初に会ったときならば死んでいただろうが、老いが刃を鈍らせたな。伝説のシノビも時の流れにはかなわないということだ」
 ランスロウが突き刺したレイピアをぐいぐいとかき混ぜると、ダイゾウが絞り声で唸った。
「ダイゾウさん!」
 マリーがたまらずレバーアクションライフルを放ったが、当然といった調子のランスロウのレイピアで弾丸は弾かれた。
「……誰だお前は?」
「死神コルトさまだよ! 喰らえ!」
 ランスロウに答える形でコルトが割り込み、両手のシングルアクションアーミーをクロスファニング、四十五口径を連射する。二挺十発はしかし、全てレイピアで跳ね返された。
「死神だと? ……ははは! キャプテン・リッパーのフリートは棺桶の群れのようだな!」
「ダメよ二人とも!」
 リッパーは並んだ二人を慌ててぐいと抱き寄せる。直後、ハイパープラズマディフェンサーが輝いた。
「我がクラブジャックを防ぐか。Nデバイス、やはり目障りだな」
 ランスロウがこちらを睨んだ。威圧感はまるで大砲の目の前にでもいるような気分だ。あの無敵のダイゾウが血まみれになるのも無理はない。
「さすがは特殊部隊、円卓の騎士、だったかしら? ……インドラ・ファイブ!」
 半ば不意打ちを狙ってインドラ・ファイブを腰溜めで撃った。ドン! という咆哮と巨大なマズルフラッシュで視界が一瞬消える。ギン! と音がしてランスロウの背後の柱に大穴が空いた。
「インドラ・ファイブを弾く! そんな華奢な剣で?」
「ドミナス・ダブルアームの念動障壁と同じ原理ですがESP値が桁違いです」
 驚くリッパーに対してイザナミが解説を入れた。
 ドミナスの壁を抜けなかったインドラ・ファイブならば、ランスロウに通じないのも仕方がないだろうが、それにしても、こちらの火力と相手武装の落差で混乱してくる。アンチマテリアルライフル対レイピアなどと言う話を誰が信じるだろうか?
「つまり、こいつもアメノハバキリで?」
 インドラ・ファイブを背中に回して腰の天羽々斬を握るが、今度はイザナギが割り込んできた。
「ノー! リッパー! こいつのパワーベクトル変換の速度は段違いだ! プラズマディフェンサーの外側で勝てる相手じゃあないぜ!」
「苦労して化物ハイブを二匹も倒したのに、ロングレンジもダメ! ショートレンジもダメ! お手上げじゃないの! いっそのことバランタインのビーム……マリー? それ、何?」
 足元に寄り添うマリーの胸元に、ガーネット原石の首飾りと、ギラリと輝く円盤が見えた。
「ケイジで買ったネックレスよ? ってリッパー! そんな呑気な場合でもないでしょう! ダイゾウさんが!」
「そっちじゃなくて、その円盤。ダイゾウの持ち物じゃなくて?」
 言われたマリーは、紐で首から下げた円盤をリッパーに渡した。
「シノビ・ソーイングナイフ、ハッポーシュリケンよ?」
「あらよっと。こっちは確か、ジュウジナイフだったかな? 必要だろ?」
 マリーが八方手裏剣を、コルトがシャツの下の、あのへこんだ十字手裏剣を差し出し、リッパーに渡す。
「我々に付き纏う忌まわしきシノビの末裔、雷のダイゾウ! お前の顔は見飽きた! ここで絶えるがいい!」
 ドン! ドン!
 リッパーは手裏剣を受け取ると同時にインドラ・ファイブを発射した。ダイゾウをカバーするための単なる時間稼ぎなので、照準は大雑把にランスロウの胴体辺りを狙っただけだった。それでも臨界駆動によるAFCS制御なので狙いは心臓にピンポイントだった。ランスロウのレイピアが五十五口径・翼安定徹甲電撃弾を弾き、飛ばされた弾丸は大聖堂の柱を次々に砕いた。
「シノビ手裏剣ね? ダイゾウの武器ならハバキリと同じでサイキックに通用するはず! イザナミ! 投擲{とうてき}モードスタンバイ!」
 半分は勢いの思い付きだったが、苦戦しつつもダイゾウが戦えていた、ということを根拠に指示を出したリッパーだったが、
「そのようなモードはありません」
「ハイ! リッパー! AFCSコントロール外だぜ、その獲物は!」
 両腕の返答に「役立たず!」とリッパーは思わず叫んだ。
「シノビ武器と言っても使い方は普通のソーイングナイフと一緒でしょうに! 槍投げでもブーメランでも何でもいいから補正して使えるようにしなさい! 習うより慣れろとダイゾウも言っていたわよ!」
 その怒声が合図のように、再び首筋が喋りだした。イザナミとイザナギをドッキングさせたバーターモードと同じ、抑揚のない電子音声だった。
『サテライトリンカー。バランタイン、リンク。ダウンロード……シノビアーツ』
 サテライトリンク・コアユニットが言い終えると、手裏剣を握るリッパーの両腕がふっと軽くなった。
「シノビアーツ、ダウンロード終了。サトリプログラム、インストール。ラプラスサーキット、アップデート。臨界駆動を解除。駆動系を特殊射撃戦から通常にシフト。オートディフェンシブ解除。ヒートスリットシステム、排熱効率安定」
「アイ・ハブ・コントロール! AFCSアップデート! アンチ・サイキックウェポン、オールコンタクト! シーカームーヴ! マルチロック、トリガー!」
『シンガン・オンライン、シノビファイト』
 コアユニットはともかくイザナミとイザナギの様子が妙だ。リッパーには意味不明な発言がリッパーを補助する役割である二人から出て、駆動系から何からをいきなり勝手に、臨機的対応ではなく変更するなど初めてだ。
 戸惑いつつ両手に手裏剣を握ったままのリッパーは、軽く呆然状態でダイゾウの戦う演台に視線を戻した。そこには当然、ダイゾウとランスロウがいたが、二人とは別のものも見えていた。それが何なのか理解するのに数秒かかる。
「あれって……ひょっとしてサイキック的な、いえ、サイキックパワーそのもの? ダイゾウはあの激流を、受け流してる? あれがシノビファイト? あんなに強烈なエネルギー波動の動きが今まで全く見えなかっただなんて、まるで節穴じゃない。……でも! もう大丈夫!」
 駆動系がノーマルになり、プラズマディフェンサーもオートからマニュアルに切り替わっている。イザナギ制御ではなく、首筋にあるエメラルド、サテライトリンク・コアユニットの仕業らしいが、それらが勝手にされたのではなく「リッパーの指示通り」だったのだと、ようやく気付いた。
 リッパーはコルトとマリーを残して演台に向けて駆けてジャンプした。
 ランスロウから飛ぶ鋭いサイキックレイピアは全て軌道が読めた。Nデバイスの真骨頂である二基のラプラスサーキット、イザナミとイザナギに、遥か頭上のバランタインを加えた三基のそれによる近時事象予測分析、リッパーにはレイピアの軌道どころかランスロウの動作結果の全てが見えている。中空で天羽々斬を素早く抜いて片手でサイキックレイピアを弾き、着地と同時に手裏剣を一つ飛ばした。
 ギャン! と鈍い音がして、へこんだ十字手裏剣が高速のレイピアを捉えた。ランスロウのレイピアは切断され、切っ先がカキリと大理石床に落ちて刺さった。
「私のクラブジャックを折る、だと? お前は……何者だ!」
 武器を失ったランスロウだったが、視線でリッパーを威圧してくる。
『シノビファイト、シノビファイト』
 首筋のユニットが飛ぶレコードのように繰り返す。
「あたしは……只の海兵よ!」
 左手で飛ばした八方手裏剣は念動障壁を抜けて、ランスロウの胸元に突き刺さった。将校の勲章を両断した八方手裏剣から血が吹き出す。
「シノビが二人、だとでも?」
「だから! あたしはシノビじゃなくて海兵よ! 何度も言わせないで! イザナギ! ジャンプアップ!」
「コール・ジャンプアップ、コピー! フルバレット・ダブルベッセル、オン! マルチロック、オン! シーカームーヴ! ダブルロック! トリガー!」
「ロングもショートもダメだって言うのなら、ロストレンジかゼロレンジでしょう! ヘイ! ミスター・サイキッカー! ベッセルのゼロレンジダブルバースト! ご自慢のサイキックで耐えてみなさいな!」
 胸を押さえてよろけるランスロウに駆け寄りつつ、リッパーはベッセル二挺を突き出した。
「キャプテン・リッパー! お前の考えも全て見えているぞ! ただ大きいだけの拳銃で私をどうにか出来ると思うな!」
 インドラ・ファイブですら跳ね返すランスロウだが、頭上と両腕、三基のラプラスサーキットの能力を手の内にしている今のリッパーには、ランスロウを覆う盾サイズのサイキックウォール群の「継ぎ目部分」が見えていた。壁がある部分と、これから壁が発生する部分との継ぎ目、それが一番薄い、パワーベクトル変換とやらがもっとも弱い部分にベッセルのマズルを突き刺してから、六発全弾を胸元に、一気に速射した。
 六回の炸裂音が一つの大きな爆音となって響く。薄いサイキックウォールを抜けた五十五口径API弾全てを胸に受けたランスロウは、ぐらりと揺れてから、声もなく仰向けに倒れた。
「……これで終わり、よね?」
 弾装が尽きたベッセルを両手に構えたまま、リッパーは思わず溜息を漏らした。
 胸に刺さる八方手裏剣がステンドグラスを通った陽光を照らしてギラリと光っている。

 ランスロウは強力な精神感応、テレパシー能力でダイゾウやリッパーの思考を見通して、あらゆる攻撃を無力化していた。全てに先手を打てるからだ。
 だが、イザナミらのラプラスサーキットによる予測分析はこれからの出来事、まだ発生していない状態をリッパーに見せる。まだ行っていない動作を見通されたところで不利な点は一切ない。行っていない動作なのだから変更は自在な上、偶然だかできっちり対応されたところで、それさえこちらは見えるのだからどうとでもなる。
 神の如き、とはさすがに大袈裟だろうが、ラプラスサーキットを組み込んだ戦闘システム、Nデバイス。大したスペックだと改めて感心する。

 リッパーは軽く深呼吸をしてから、マリーとコルトに向けて親指を立てた。
 その途端、イザナギが叫び出した。
「エスケイプ! タクティカルミサイルクラスのパイロキネシスだ! リッパー! ハリーアップ!」
「パイロ? 何?」
「発火能力です。全員、三十秒以内に半径二十キロ圏外へ退避して下さい」
 イザナミからの説明は的確なのだろうが、さすがに無茶で無理な話だ。
「円卓最強の私をここまでとは、噂のキャプテン・リッパー、大したものだな。しかしな! シノビは一人として逃がさんと言っている! 我ら円卓の騎士の障害は排除しておく! お前は我らの生贄、糧となるがいい!」
 咳き込みつつランスロウは高笑いを大聖堂にこだまさせた。
 余韻に浸ろうかというところでこれだ。一服どころか溜息一つしか暇がない、そんな愚痴が出そうになりつつ、リッパーはベッセルを素早くリロード。弾丸を再装填した二挺のベッセルを倒れたままのランスロウに向けた。
「マリーやコルトもいるのに無茶言わないで! イザナギ!」
「コピー! シーカームーヴ! レンジ、ゼロ! ターゲット、ワン! ダブルロック! トリガー! ハリー! ハリー!」
「ランスロウ、だったわよね? まだ生きてる? 惑星の回復だとか人類を管理だ何だと難しいことをガチャガチャと言ってたけど、そういうのは他所{よそ}でやってよね。ややこしい話は苦手なの。それに、最後の最後に巻き添えなんて、とことん趣味悪いわよ!」
 ドドン!
 零距離でのベッセル・ストライクガンの破壊力はインドラ・ファイブを凌駕する。それが心臓と頭を捉える。
 テレポート回避に失敗したランスロウは弾丸を浴びて吹き飛び、大聖堂の壁に叩きつけられた。サイキックウォールの継ぎ目を貫通した感触があったが、蓄積したダメージでESPパワーが弱まっているのか、先ほどより軽く抜けた。
「たかが海兵風情がっ! 地球は治癒する時間を必要としていると気付かない愚か者が私に口答えするか!」
 血飛沫と潰した声でランスロウが怒声を響かせる。
「頭半分でまだ喋るの? しぶといというよりしつこい! こんなだからオズはサイキッカー部隊を嫌っていたのね。イザナギ! ワンモア!」
「コピー! ダブルリロード、フルバレット! シーカームーヴ! レンジ、ツー! ターゲット、ワン! オールクリア! 特注のアーマーピアシング! あるだけ全部叩き込め! ダブルトリプルロック! フルトリガー!」
 イザナギのトリガーコールと共に、リッパーは血塗れで転がるランスロウに駆ける。
「たかが海兵で悪かったわね! 愚か者は言いすぎよ! ゼロレンジダブルバースト! くたばれ! この……クソったれ!」
 叫びつつ、ヒートスリットを青く輝かせ、二挺六発を再度ランスロウに撃ち込むと、今度はサイキック的防御は一切なく、上半身が勲章もろとも跡形もなく粉々に四散した。残った下半身は膝をついてから、ゆらりと倒れた。
「敵、サイキッカー・ランスロウ、沈黙。ESP反応及び生命反応、消失。緊急臨界特殊射撃駆動から通常駆動へシフト。ヒートスリットシステム、強制排熱加速」
「タリホー! リッパー! ミッション・コンプリートだぜ! ベイビー! カモン! ロックンロール!」
『シノビファイト……ジ・エンド』
 イザナミ、イザナギ、サテライトリンク・コアユニットが沈黙し、ごうと音がして白く輝く両腕のヒートスリットから熱風が吹き出した。
「見事な悟りなり、リッパーよ」
 声に振り向くと、サングラスで下着姿のダイゾウが胸の前で腕を組んでうなずいていた。
「ダイゾウさん! リッパーも! コルト! 救急パックがブラックバードに積んであるわ!」
「了解だ! 命の恩人に死なれちゃ折角の苦労が台無しだからな!」
 マリーはダイゾウに、コルトはV8ブラックバードへ駆けた。残されたリッパーは……。

「……リッパー? きみなのか? 生きていたなんて!」
 オズの第一声に、リッパーは「そっちこそ!」と叫んで胸をどんと叩いた。
「リッパー、痛いよ?」
「少しくらい痛くていいの! おつむが半分だって聞いてたけど、しゃんと喋れるじゃないの! あたし、泣くからね!」
 自力で立てないオズを抱きしめて、リッパーは子供のように、誰はばかることなく大いに泣いた。コルトがぐずっと鼻を鳴らし、マリーもつられてボロボロと涙を流す。
「良かったわね、リッパー。オズさんも」
「ハイ、はじめましてだな、ミスター・オズ。俺は死神コルト、フリーランスの傭兵だ。初対面で不仕付けだが、アンタはその……サイキッカーなのかい?」
 コルトが少し躊躇して尋ねると、オズは柔らかい笑顔のままゆっくりと返した。
「ああ、僕には確かにそんな力がある。だから脳髄の半分が機能してなくてもこうして喋れるんだよ。しかしね、会話以外にはあまり使いたくないんだ。ランスロウのような奴に利用されるからね。それに……」
「それに?」
 一拍置いて、オズは小さくつぶやいた。
「マリーの膝枕で一息入れたいぜ」
 コルトがぎょっとして後ずさりした。マリーは首をかしげている。
「他人の心を覗くなんていうのは悪い趣味だろう?」
「ヒュー! 違いない。それ以上言うのは止めてくれ。折角の死神コルトが、台無しになっちまうぜ、オーライ?」
 勘弁してくれ、とコルトは慌てて手を振った。マリーは「何?」と首を傾げている。
「これにて大団円である!」
 下着姿で包帯だのを全身のダイゾウが言い、からからと笑った。
「ねえオズ! マリー・コンボイがいるケイジはとっても素敵なの! アナタは随分と体を痛めてるようだし、行き先はそこでいいわよね?」
「リッパーが一緒ならどこでもいいよ、僕は」
「オズ!」
 リッパーの軽いキッスに、コルトとマリーはヒューヒューと口を鳴らした。
「それと、ダイゾウさん。随分とお世話をかけました。本来、軍内部で処理すべきところを巻き添えにしてしまって申し訳ありません」
 リッパーのキッスの嵐をかわしつつ、オズは丁寧に言った。
「礼なぞ不要。我はシノビ、人の歴史を影から支えるが我が使命。円卓の画策を防げたのは貴君の功績あってのこと。礼はこちらから、シノビの代表として、雷と共に送ろう」
「防げたの? アマテラス、とか言う戦艦は宇宙で建造してるんでしょう? Nデバイスが実装されなかったにしろ、連中の危険度はあまり変わらないでしょう?」
 オズを抱きしめたままリッパーが尋ねる。
「ランスロウの他にも円卓の騎士はおる。ドミナスやイアラに匹敵する合成人間もまた然り。しかし、宇宙へと人一人を送る能力は円卓にも少ないと聞く。オズ殿が解放されたことによって、きゃつらの計画は大幅に遅れるであろう。準備を整え次第、我は仲間と共に宇宙へ上がり、奴らが根城、火星へ向かう。問題ない」
「火星へ? マリー顔負けの壮大な旅なのね? でも、休息くらいはいいでしょう? 一緒にマリー・コンボイのケイジに戻って、みんなでオズのワルツで踊りましょう! チョコバーとホイップソーダ片手にね?」
 ダイゾウはしばらく思案してから「御意{ぎょい}」と承諾した。それを聞いたマリーは笑顔で飛び跳ねてから、ダイゾウをぐいぐいと抱きしめた。

 ――熱砂大陸に点在するケイジを結ぶ、陽光を照り返す干乾びたハイウェイ。
 先頭を走るのは、ジプシー・マリーと死神コルトを乗せた千馬力モンスタークーペ。ツインチャージャーとナイトロを搭載した時代遅れの怪鳥、V8ブラックバード。
 その後ろ、大型チョッパーバイクはキャプテン・リッパーとエスパー・オズの海兵隊タンデム。
 隣はサングラスに下着姿で腕を組み、直立不動で駆ける伝説のシノビファイター、雷のダイゾウ。
 二台と一人は時速三百五十キロでハイウェイを疾走する。目指すはオズのとびきり陽気なワルツ・フォー・デビィと、冷たいホイップソーダ。
「冷製飲食物による冷却効率を計算。過剰冷却による人体への影響が大のため、各人にそれぞれ摂取量制限を設定します」
「ヘイ! ミス・マリー! シューティングトレーニングの約束だったな! お隣のスカルマンも一緒にトレーニングするかい? デルタも逃げ出すスペシャルガンスリンガーに仕上げてやるぜ! ハーハーハー!」

 ……若いうちは旅をしろ、そう言ったのは酒場の白髭オヤジだっただろうか。

「――低空進入中のガンシップのパイロット! 聞こえる? 無視したら撃つわよ? こちらはリッパー! 海兵隊所属! 高度を取って旋回しなさいな!」
 応答が返るまでの一秒がやたらと長く感じる。
「ちょっと待て! 撃つな! こちら陸軍第七十五連隊! 俺っちは只の護衛だ! 一旦そっちの頭の上を抜けるが撃つな!」
「トラック一台の護衛にステルスガンシップ? 冗談言ってる間に撃つわよ! あと五百! 減速して旋回しなさい!」
「撃つな! 海兵! 友軍だ! 秘密任務なんだ! この速度で急速旋回したらウイングがもげちまう! 一度上を抜けてから減速旋回する! 対空ミサイル警報? オイオイ! 絶対に撃つなよ!」
 直後、リッパーとコルトの頭上十五メートルを真っ黒なガンシップが猛速度で通り過ぎた。リッパーはインドラ・ファイブのスリングを持ち上げ、マズルをガンシップに向けて光学スコープを覗く。
「友軍なら識別を出しなさい! ジャミングを掛けたフル装備のガンシップなんて誰が信用するの? トラックが見えた! BB! スティンガー照準!」
「ミス・リッパー! これは対空――」
「当たれば何でも一緒よ! ガンシップのパイロット! ジャミングを解いて減速! 警告はこれが最後! 言う通りにしなければ狙撃する! こんな近距離、こっちのライフルはハイパーカーバイド装甲を抜けるわよ? アナタと前の奴の頭に多重照準してる! ついでに燃料タンクもね、オーバー?」
 ハイウェイにトラックらしき姿が見えた。コルトはガンシップに備えて両手をシングルアクションリボルバーに添えて、マリーのライフルはトラックを向き、BBは対空ミサイルを必死に抱えている。
「ミス海兵! ジャミングを解くのはいいが、ハイブはいないんだろうな? 長距離専門のハイブ相手に丸裸はご免だ!」
「三十キロ圏内にカーネル反応なし! そっちのレーダーでも解るでしょうが! 識別とジャミング解除! あと五秒! ――」

 キャプテン・リッパー率いる放浪艦隊の旅はまだまだ続くのだが、そのお話はまた別の機会に……。


『放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌』……おわり


-Starring-

 Captain-Lipper & .55 Calibur Strike Revolver IZA-N-VSL3 VESSEL(Both hands)

and
 IZA-N-AMI-1st IZAcorp-N-device-Allround-Military-Interface-First Series
 IZA-N-AGI-1st IZAcorp-N-device-Assault-Guns-Interface-First Series
(Voice)

and
 Executive Officer Oz & .55 Calibuer Cylinder exchange Revolver IZA-D-6T DARRYL

in
 VALLANTINES Marine Corps-7th Fleet-Flag Ship
(Voice)

 Colt-Garrett "the god of death" & .45 Calibur Revolver Single Action Army's(Both hands)

 Marguerite-Buchner & V8-Black Bird

- Knights of the Round Table's -
 Lancerow-Pendragon "the Dirac"

 Convoy's
 Army infantry squad mobility twelfth
 Rujichika-Wacksman
 Richard-Trenton-Chase
 Billy-Irvine(BB)
 Top Gun's Infantry
 Gun Shop's Owner
 Cage's-an Inhabitanta Resident
 Mechanized Infantry

 HybridHuman's

 Dominus-Double Arm(Both hands)
 Iara-Eidolon

 Suga-Ittousai-Kyosuke Samurai
 Walther-L-Shoemate

and
 Daizou Shinobi Fighter

-REQUIEM FOR WANDERING FLEET 1 Captain-Lipper-
 To Be Continued…

放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌

 全六部で完結予定で、現在四部の序盤まで書いていますが、公開できるほど推敲が完了していないので、いちおう単体で完結している一部だけUPしました。
 表題どおり、終盤の舞台は宇宙で、そこのプロットもあるのですが、別作品に時間を取られて作業が全く進んでおりません。
 その代わり、でもありませんが、この一部だけは徹底的に推敲し、専門用語の量などもかなり調整しました。ラフのイラストやイメージに合いそうな写真なども挿絵風にいれて、と、あれこれやってます。幾らか読みやすく、想像しやすくなっていれば幸いです。
 それでは。

放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌

若いうちは旅をしろ、そう言ったのは酒場の白髭オヤジだっただろうか。説教じみたそれは人生の先輩からのささやかな助言だったのだろうが、酒場から千二百キロ地点でバイクを両断されたリッパーは、旅なんてロクなもんじゃあないと心底思った。 髭オヤジは、若いうちは苦労を買え、とも言っていたが、廃ビルのコンクリート壁をえぐるガトリング砲火、こんなものに金を払う奴などいないとリッパーはつばを吐いた。

  • 小説
  • 長編
  • アクション
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-12-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 『第零章~ハイブリットヒューマン - Hybrid Human -』
  2. 『第一章~Nデバイス - N-Device -』
  3. 『第二章~ディープスリープ - Deep sleep -』
  4. 『第三章~プラズマディフェンサー - Plasma defensor -』
  5. 『第四章~コンバットフォーム - Combat form -』
  6. 『第五章~アメノハバキリ - Ameno-Habakiri -』
  7. 『第六章~インドラ・ファイブ - Indra-Five -』
  8. 『第七章~バーターモード - Barter mode -』
  9. 『第八章~シノビファイト - Shinobi fight -』