鈴木センセイ

私は彼女の一言で覚醒する。

書けない。まったく書けない。というかアイディアが全然浮かんでこない。さざ波もおきないベタ凪だ。静かな湖畔に浮かぶ小舟に寝そべるように私の脳ミソは平穏にその回路の動きを止めている。こんな時は休むに限る。うん、そうだ。そうしよう。どこか旅に出るのはどうだろう。そこで土地の美味しいモノを食べてのんびりして気分をリフレッシュしてみては。うん、それがいい。う~んどこにしようかな?
「何バカな事言っているんですか、センセイ。締め切り今日ですよ。現実逃避はそのくらいにしてチャチャッと原稿あげてくださいよ」
夜叉の如くツカハラ女史が私を睨みつける。右手の赤ペンが出刃包丁に見えた。
「それができれば苦労はないよ、ツカハラ君。だって全然思いつかないんだもん」
「何が『もん』ですか。幾つですか、アナタは」
「四十二の本厄だが」
「まともに答えなくて結構です」
「君が訊いたんじゃないか」
「いいから。口を動かす前に手を動かしてください」
「手を動かしたくてもアイディアがないんだってば」
「なくても何とかするのがプロの作家です。あのマザーテレサも仰っていたじゃありませんか、『なくても与える』と」
「ないものは出せんぞ」
「開き直った債務者ですか、アナタは。心意気を言っているんです」
「それが私にない事くらい知っているだろ?」
「あ~もう。つべこべ言うな」
とまあ締め切り日の私達はいつもこんな具合に言い合ってどうにか作品を仕上げているのだが、今回はどうも私の勝手がいつもと違う。本当に何にも思いつかないのだ。これぞまさにゼロである。ゼロを発見したインド人の境地なのだ。
「しかし困ったな。これでは本当に間に合わん」
「マジで?」
「マジで」
ツカハラ女史が思わずタメ口をきいた。切迫感からだと思う事にする。
「ツカハラ君、思い切って今回はナシって事にはできんかね?」
「ムリです」
「だよね」
「私達の『黄昏出版』はセンセイの作品の売り上げ如何にかかっているんです。センセイの㌿の発行部数は安定していて、それがないと我が社のような弱小出版社は倒産します」
「そんな大袈裟な。他にも契約作家がいるじゃないか」
「あいつらはセンセイと比べたらクソとミソカスです。使い物になりません」
ツカハラ女史のある意味清々しいほどの暴言を真に受ける私ではない。他の作家にも同じ事を言っているからだ。彼女の言う『クソとミソカス』がそう言っていた。
「参ったな」私はポリポリと頭をかいた。そこがアイディアの源のように。そこに何もないとわかっていながら。
「参っているのはこっちです。何でもいいから書いてください」
「何でもいいが一番困るんだよ」
「晩ごはんのオカズを作ってくれとお願いしていません、私は。作品を書いてくださいと言っているんです」
「わかってるよ」
「エロ話なんて無限に出てくるって言ってたじゃありませんか」
「酔った勢いだ。撤回する」
「自分の発言には責任をもってください」
「う~」
そう。私は官能小説作家だ。純文学作家を志してはみたものの、鳴かず飛ばずの年月を経て、繊細な男女の淡い恋の描写を大胆な肉体の営みのそれに変えてしまった。夢とはなんと儚いものか。
「センセイしっかりしてください。センセイはエロとお笑いを融合させた『エロコメ』の第一人者でしょ。パイオニアとしての自負を持ってください、自負を」
そうなのだ。何年か前、今日のように締め切りに追われ、そして生活に追われていた私は半ばやけっぱちでお笑い官能小説を書いた。ボツかと思ったが何故かツカハラ女史の食指をそそった。
「笑いとエロスが互いの良さを高めていますね。全体のバランスも良い。基本もしっかりしている。そこに鬼気迫る文章が絶妙のエッセンスになっています」
と、まあこんな具合の料理研究家みたいな褒め言葉をいただいたのだ。
「売れますよ、これ」
私は自分の耳と彼女のセンスを疑ったがツカハラ女史の予言は見事的中した。オンナのカンは末恐ろしい。
その作品、『金さん玉ちゃんチン道中』は異例のヒット作になった。
何が受け入れられるか、わからない世の中である。
以来私は『笑って勃たせる作家』としての地位を手に入れたのだ。
「パイオニアでもスランプはある」
「脱してください」
「どうやって?」
「自分で考えてくださいよ」
「そっけないなあ。編集者なのに」
「センセイは甘やかすとつけ上がりますから」
「四十二のオジサンに言う言葉とは思えん」
「だってセンセイはドMでしょ?女性の強い言葉に興奮して発奮してきません?編集者の愛情です」
「う~ん確かにムラムラくる。そうだ。オジサンと女子高生のSMモノしよう。これならすぐ書けそう」
「そりゃそうでしょう。前作がそのネタですもん。ダメですよ、二番煎じは」
「そうだった。でも『半勃ちナオキ』は好評だったからシリーズモノにしてみたら?」
「更にダメです。『ドクターSEX』の続編がコケましたから」
「あれは主人公のキメ台詞の『私、イッたりしないので』がマズかったんじゃないか?」
「違います。おちょくる相手がマズかったんです」
「う~じゃあどうしようかツカハラ君。そんな事言い出したら思いつくネタはみんな二番煎じだぞ」
「そこを何とかするのがプロの作家って言っているでしょ、このブタ野郎」
「うっ」
ツカハラ女史の一言でアイディアではなく、私の中の野獣が目を覚ました。
Sの覚醒だ。
頭と股間に血が昇る。
彼女を押し倒し、その衣服を剥いで豊満な胸にむしゃぶりつく。
「やっ、やめてください、センセイ」
「私を昂らせた君がいけないんだ。いや、むしろこうなる事を望んでいたんだろ?」
「あああっ、センセイェ」



「と、まあこんな具合の作品なんだが。どうだい、ツカハラ君」
「ボツです」


おわり

鈴木センセイ

読んで下さりありがとうございました。
ビミョーな単語がありますがどうか大目にみてください。シャレですので。
ではまた作品で会いましょう。
ご意見ご感想お待ちしております。

鈴木センセイ

作家鈴木センセイは今日も苦悩する。

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-12-25

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