飛ぶことと見つけたり
スタートラインを蹴り、勢いよく駆けだす。
全身に受ける風を切り裂くように駆け抜けた俺を待つのは、跳躍地点に立て掛けられた一本の棒だ。地面を蹴ると同時にその棒を掴み、勢いよくジャンプする。
軽く立て掛けてあっただけの棒は、俺の体重を支えることなどできない。進行方向に倒れ始めた棒を、俺はバランスを取りながらよじ登る。不安定な棒を、出来るだけ走って来た直線状に倒れるようにうまくバランスを取りながら。
倒れゆく棒だ。登ると言っても数十センチが限度。しかし、その数十センチが勝敗の明暗を分ける。
長さ十メートル。そびえ立つ棒の上で、俺は本当の自由を味わえるような気がするのだ。柔らかい風に包まれ、空を駆る鳥のように風とひとつになれる、そんな気がする。
「今だ!」
パートナーの掛け声で、俺は棒から手を離した。空中に投げ出された俺の体は着地に向け、地面に近づいてゆく。大空を駆ける鳥もいつかは地面に降り立つ。羽を休め、また飛び立つ為に。俺もまた、新たな跳躍に向け、地面に降り立つのだ。
足に衝撃が走り、地面の存在を感じ取る。着地の勢いで前のめりになりながらもなんとかバランスを取り、後を振り向く。今しがた、自分が描いた軌道を見つめるように――。
授業の終わりを告げるチャイムと同時に、申し合わせていたかのように全ての生徒が教科書を閉じた。バタンという大きな音が一度しただけで、全員が教科書を閉じた光景は異様を通り越して見事であり、その一方教師である俺はいたたまれない限りだ。
近年の生徒たちの読書離れを数値化すれば、それは指数関数的に急成長しており、止まる事を知らない。国語は全ての学問の根底を支える最も重要な教科だというのに、この国のあらゆる教育機関はそんなことにはおかまいなしである。国を愛する心を育む教育を、などとのたまう割には、文化を支える土台である母国語を軽視した姿勢を、俺は理解できない。
そういった目的のはっきりしない教育が、今の俺の立場を作り上げているのだ、と思う。そしてこの虚しい感じが、今の俺の家庭生活における立場をも作り上げているのだ、と思う。
二分前には授業が行われていたことなど微塵も感じさせない教室を、俺はそそくさと出て行く。去り際に開いた窓からちらりと教室内を覗いたが、生徒たちは教師である俺が出て行ったことなど気付く様子もなく、放課後に見に行く映画や買い物の話をしているのが背後で聞こえた。
敗北感を背負って職員室に帰って行った俺は席に着くなりコーヒーを入れ、このいたたまれない気持ちを吐き出そうと大きなため息をついた。ドリップコーヒーが俺の胃袋にしみわたる。
「押井先生も?」
右隣の机に座る小笠原先生が話しかけてきた。綺麗に禿げあがった頭が自慢の三十四歳の美術教師だ。
「はい?」
「二年B組でしょ?」
「ええ」
小笠原先生は湯呑にホットミルクをなみなみと入れ、表面張力の力が働いたのを見届けると、嬉しそうな表情を浮かべてそっと俺に差し出す。よくみると手が微かに震えている。俺がすでにコーヒーを持っていることなどお構いなしだ。太陽光が反射する頭が眩しい。
和製ブルース・ウィリスを自称しているが、彼の頭がブルースのそれのように美しい放物線を描いているとは、到底言えない。おまけに自称する割には、「ウィリス」を「ウイルス」と言って憚らない。
「あいつらの態度を見ていると、不安で仕方ないですよ。来年から受験生だってのに、その自覚が全然ないし、就職組は勉強しても意味がないとだらけきっているし。今の世の中、進学より高卒で就職する方が難しいっていうのが全然理解できてないんですよね、まったく」
「そうだよねえ。僕なんかほら、担当が美術でしょ?選択授業の上に受験に関係ないから、全然聞かないんだよね。教室に寝に来てるだけ。去年は何人か美術系の大学を受ける子がいたから張り合いもあったけど、今年はねえ」
言葉とは正反対の表情で呟くと、小笠原先生は自分のコップを傾けた。人には湯呑でホットミルクのくせに、自分はきれいなマグカップに入れたアールグレイである。レモンの輪切りもいい感じだ。俺はその中にコーヒーを入れたやりたくなった。もちろん、表面張力の力が働くまでなみなみと注いでやる。
「あいつら自分の将来のことなのに、なんとかならないもんですかねえ。生活指導の片岡先生も大変そうだし」
俺が言うと小笠原先生はうーんと唸りながら、自分の頭をつるんと撫でてぺたんと叩いた。つるんぺたん、つるんぺたん。彼の奇妙な癖だ。一体何ゆえの行動かは存ぜぬが、気になって仕方がない。
「正直なところね、僕はもうあの子たちがどこの大学に行こうが、どこに就職しようが、構わなくなっちゃったんだよね。あの子たちが母校に迷惑をかけさえしなければ、僕にはちっとも関係ないからね。彫刻さえやっていれば、僕は幸せだし」
そう言って、あははと笑った。それでもあんた教師かと思ったが、自称ウイルスはそんなことにはお構いなしに続ける。
「担任も持ってなくて美術担当だと、ほんと誰がどこに行ったかどころか、誰がどこのクラスかさえよく知らないし」
つるんぺたん、つるんぺたん。
「受かりました、ってな報告してくれる子なんて全然いないよ」
「僕は主要教科を受け持っていますけど、やっぱりここ三年ほどはいないですねえ、そういう子」
「道徳はどこに行ったんだろうなあ。やっぱり寺子屋教育がいいんだろうね。小学校の道徳の授業は、偉大なる稲造先生の『武士道』を教科書にすればいいんだよ」
「今の子たち、教えていても張り合いがないですよね」
「昔からないけどねえ。そうだよねえ、なんでもいいから欲しいよねえ、張り合い」
そう言ってなおもつるんぺたん、つるんぺたんとやり続ける。俺の視線はどうしても頭の方へ行ってしまう。俺だけじゃない。職員室の半分の視線の先には彼の頭がある。俺は、はあ、そうですね、と気のない返事をした。つるんぺたん、つるんぺたん。小笠原先生は皆の視線になど気付く様子もない顔で頭を撫でた。
高校時代、一身上の都合により、青春を謳歌しないまま三度の季節を過ごしてしまった俺は、本当のことを言うと何でもいいから部活の顧問でもやって、青春戦局において一挙挽回を計りたいと思っているのだが、今のところそれは叶っていない。だから終業時刻になれば一目散に帰宅する。俺のタイムカードは遅くとも五時十分までには押されている。公務員体質の権化と呼びたければそう呼ぶがいい。その日も俺は、五時五分にタイムカードを押して学校を出た。
自宅には五年前に結婚した妻の祐子と、夏から飼い始めたパグ犬のマイキーがいるのだけれど、最近マイキーが下剋上しやがった。結婚当初は俺に向けられていた愛情満点の視線は今ではマイキーに向けられ、なんとなく自宅に帰りづらい。大体パグ犬にマイキーなど似合わない。マイキーはやはりレトリバーだと思うのだが、そこらへん世間の皆さま方はいかがでしょう。
決して夫婦仲が悪いわけではない。結婚五年目の夫婦としてはかなり仲がいいほうだと思うのだが、ただマイキーへの愛情が深すぎて、俺に対する愛情は微々たるもののように感じてしまうのだ。砂糖でいえば大さじ二杯くらいだと思う。コーヒーに入れるならそれで十分だが、俺の器はマグカップよりはでかいはずだ。砂糖二杯では苦すぎるのだ。
もちろん、祐子のことは誰よりも大切に思っているが、犬なんぞにジェラシーを抱く自分が情けない。そんなわけで俺は時々公園を散歩してから帰るのだが、その日、俺は運命に出会った。先週あたり鳴き始めたクマゼミの声が、妙に心地いい夏の夕暮れだった。
その二人組はやたらと長い棒を持って、ベンチに座る俺の目の前を通り過ぎて行った。普段、長い棒など踏切くらいでしか見ることはないが、それよりもよっぽど長い。十メートルほどあるのではなかろうか。
腕時計を見た。六時二十五分。祐子の作る夕食は七時半きっかりからと決まっているので、まだまだ時間はある。俺はそっと彼らの後をつけた。怪しい目的ではない。ぶつぶつ呟きながら歩く彼らの顔には、青春の輝きがあったからだ。
青春の輝きとはなんぞや。
それは言ってみればミドルティーンたちに与えられた特権と呼ぶべきものである。もちろん歳を食ってからでも青春は謳歌できるが、その時期にしかできない青春があるものもまた事実だ。青春の輝きの最たるものは甲子園球児たちであり、球児たちの額で光る汗は、いわば青春のダイヤモンドである。
高校球児に比べると、俺が見た二人組の汗はダイヤモンドとは言い難く、せいぜい豆電球くらいかもしれないが、それでも俺には十分眩しかった。
彼らが向かったのは、公園の東側を流れる川だった。幅は広い所で五メートルほどの小さな川で、定年退職後に暇を持て余してしまったじいさんたちが釣りをしている。二人の男は、そんなじいさんたちから少し離れた場所に掛けられた桟橋の所まで歩いていき、立ち止った。腰に手を当て、何を話すでもなく佇んでいる。
男たちは、手に持った長い棒をおもむろに水面に突っ込み、桟橋に立てかけたと思うとコクリと頷きあった。なんだか知らないが、あふれ出る友情パワーのようなものを感じ取った俺は、なんとなくビリっときてしまった。
棒を川に突き刺した男は黙って振り向き、二十メートルほど後に歩いて行った。もう一人の男は歩いて行った方の男の背中を見送ったと思うと、近くにあった石に腰かけた。後に歩いて行った方の男が大きな声で叫んだ。
「鎌田さーん、行くよー!」
鎌田さんと呼ばれた男は黙って親指を立てた。なかなかダンディーな笑顔だ。いや、それよりも。
今から何が始まるというのだろうか。二十メートルほどの距離をあけ、一人は前後に体をゆすりだし、座っている鎌田さんはダンディーな笑顔とは裏腹な、やるせなさあふれ出る座り方で、ちょこんと石に腰かけている。鎌田さんじゃない方がこれから何か始めるようだが、それ以上の予想はつかなかった。
突然、男は全速力で川に向かって走り出した。鎌田さんの前を通り過ぎ、一直線に川に向かったかと思うと、勢いよくジャンプして棒の真ん中あたりに飛びついた。ただ立てかけてあるだけの棒だ。彼がしがみついた瞬間、勢いよく大地にそそり立ち、そのまま前のめりに倒れはじめた。
「あーららー」
鎌田さんが悠長な間延びする声を発した。俺にはまっすぐジャンプしたように見えたのだが、実はバランスを崩していたらしく、川に対して直角に倒れていくように見えた棒は徐々に方向修正し、最後には彼の「めー」という奇妙な断末魔の声一つを残して、水しぶきをあげたのだった。
「あーららー」
鎌田さんの方からも、もう一度声が上がった。
三十秒くらいしてずぶ濡れの男が川から這い上がって来た。二人は波紋の残る水面を眺めながら、何か呟いては頷いている。何を話し合っているのかは分からないが、とても真面目な顔だ。
おったまげた。何だこれは。
「あの・・・。すいません」
俺は思わず声をかけた。彼らの額に光っていた青春の輝きよりも、今は彼らの行動の方が気になった。目の前で起こった何やら分からぬ光景を黙って通り過ぎるなど、求道者たる国語教師のプライドが許さない。
二人は驚いたような顔で振り向いた。突然声を掛けられたからか、男たちは少し怪しげな人物でも見るかのように俺を見た。確かにこそこそと人の後をつける俺は少し怪しいかもしれないが、棒に飛びついて川に飛び込んでいるあなた方はもっと怪しい、と俺は思う。
「何をしてらっしゃるのですか?」
俺が尋ねると、鎌田さんと呼ばれた人が口を開いた。
「え?ああ、これ。フィーエルヤッペンという、まあ、スポーツの一種です」
「フィーエ・・・何です?」
「フィーエルヤッペン。日本じゃあんまりお目にかかれないスポーツだけど、オランダ発祥のれっきとしたスポーツですよ」
フィーエルヤッペン。
なんと禍々しい響きだろう。新手のヨーロッパ製ダイエット器具のようではないか。違うか。俺は今しがた見た奇妙な行動と、中身の想像しにくい秘密主義的な競技名を何度も頭の中でリピートした。
俺の顔が奇妙だったのか、鎌田さんは笑って言った。
「どうですか。考える前に、一度やってみませんか。奇妙なスポーツかもしれないですけど、やってみれば面白いんですよ」
鎌田さんじゃない方もうんうんと頷いている。
「やってみます」
今考えても理由は分からないが、俺はその時即答した。
「お、いい決断力していますね。僕はサポートを専門にしています、鎌田です」
そう言って鎌田さんは嬉しそうに笑った。芸術的なまでに白い歯が印象的だった。
「僕は、競技をやっている鵜殿です」
二人は手を差し出した。アスリートらしい、立派な二の腕がシャツから覗いた。
「押井です」
俺たちは、甲子園球児の次くらいに熱い握手を交わした。青春の門が、開いた瞬間だった。
練習は二週間に一回で、この日は俺にとって初めての練習だった。
練習を始める前に、俺は鎌田さんと鵜殿さんのレクチャーを受け、れっきとしたスポーツということは理解したが、いざやってみるとなると、少し恥ずかしい気がした。グローブを持った少年を見れば野球をやるのだと分かるが、長さ十メートルの棒を持った大人を見て何をするか察しが付く人は少ない。俺もそうだったから。
「大阪の岸和田って所にはフィーエルヤッペン協会があって、専用の練習場もあるみたいだから、市民の理解も少しはあるんだろうけど、ここはそうじゃないからね。この棒を持って歩いていたら職質にあったこともあるんだよ。酷い話だろう?」
職質うんぬんより、そんな協会があることの方が驚きだった。
「ところで、どうして二週間に一回なんですか?毎週でもよさそうなのに」
俺が質問すると、二人はとても嬉しそうな顔をした。きっと、ものすごく聞いてほしかったのだろう。
「実はね、僕ら以外にもこの競技をやっている人たちがいるんです。競い合い、高め合う。ライバルみたいなものです。本当は仲いいんですけどね、慣れ合いにならない為にもバラバラに練習しているんですよ」
大阪には協会があるのだから、もちろん競技者もそれなりにいるのだろうと思ったが、驚いた。ひょっとして実は周りにも隠れフィーエルヤッペンが結構いるのだろうか。しかし、俺が更に驚いたのは、そのライバルというのは俺の知っている人物だということだ。
山下幸一。四十二歳、厄年。持病の腰痛をいつも愚痴っている隣町の高校の世界史教師だ。老け顔のくせに若作りしようとしてカツラなんか被っちゃいるが、地毛とカツラの色が微妙に違うし、大体カツラの方がハゲの面積より小さいから三日月ハゲになっている。生徒たちが「山下の頭はカツラか否か」で賭けをした時には、全員がカツラに賭けたせいで賭け自体が成立しなかったということも、俺は知っている。
そのせいとは言い切れないが、娘とは折り合いが良くないらしい。いわゆるギャルで、その手の免疫がない山下とはいつも大喧嘩なのだそうだ。時折連れて帰る彼氏は、娘がそのまま男になったようなギャル男で、彼の存在が山下のストレス貯蓄に多大な貢献をしているのだという。
どこまで本当か知らないが、俺の情報ではそうなっている。もちろん、情報の出所は明かせない。警察小説でも、自分の檀家は明かさないのが普通だ。
うちの高校とヤツの高校はともに野球部が強く、県大会の決勝でも俺が見ただけで四度当たっている。去年も決勝で当たり、延長戦の末うちの高校が敗れてしまった。野球部員たちは涙を流したが、それも正々堂々と全力を尽くした結果だと、固い握手で試合を終えた。
しかし、教師陣はそれでは終わらなかった。発端になったのがどちらかは分からない。俺たちは向こうが仕掛けてきたと思っているし、向こうは俺たちが仕掛けてきたと思っている。理由も定かではない。蘆溝橋事件のようなものだ。いずれにせよ、いまだ尾を引く長い抗争事件が勃発したのだった。
事態をそれなりに重く見た教育委員会の年寄りどもは、いつものことなかれ主義ほとばしるナァナァ体勢の元、歩み寄りによる手打ちを提案したが、その頃には双方派手に啖呵を切ってしまっていたので引っ込みがつかない状態だった。俺たちも公務員風を吹かせ、「追い追いね」と結論を後回しにし、それが今日の両校の関係を作り上げているのである。
ちなみに、仲が悪いのは教師たちだけで生徒間交流は盛んなようだ。特に野球部員たちは最高のライバルとして切磋琢磨している。どちらかが甲子園出場などとなれば、もう片方も練習に協力するのが習わしだ。
「それは負けられないね」
事情を聞いた鎌田さんと鵜殿さんは笑ったが、俺にとっては笑い事ではない。かけるプライドは個人のものでは終わらない。俺はこの瞬間、我が高を立って背負う覚悟を固めた。
ところで、フィーエルヤッペンという競技について読者諸君も少し知っていた方がよかろう。
フィーエルヤッペンというのはオランダ国発祥のスポーツだ。かのオランダ国から伝わったものはエレキテルやら顔の真ん中でフルへッヘンドしているものだけではない。それはそうと、かのオランダ国には運河が多い。運河沿いに生まれる鳥の卵を求め、その運河を棒で飛び越えたことからこのスポーツが始まったのだそうだ。
さて、競技の方法は簡単。まず長さ八メートルから十三メートルの棒を用意していただきます。次にその棒を川に隣接する桟橋に立て掛けていただき、競技者様は幅一メートルほどの助走台を真っ直ぐ棒に向かって走ってください。踏み切り台ではジャンプして立て掛けてある棒にしがみ付き、そのままよじ登ってください。そのまま対岸に向かって倒れて行き、着地していただくと競技完成です。その際、横に倒れて水に落ちないようにお気をつけください。ですが、万が一斜めに倒れた始めた場合は素早く手を離して水に落ちてしまってください。向こう岸に頭を打ち付けて天国まで飛んでいくよりは、いくらかマシでしょうから。
理論より感覚だと、最初から鎌田さんや鵜殿さんのアドバイスもほどほどに、とりあえず一度飛んでみることになった。初めてなのだから、失敗は仕方がない。だが、失敗したら水面に叩きつけられて痛いんじゃないだろうか。痛いのは程度の大小に関係なく嫌いだ。不安で頭がいっぱいになった。
俺は大きく息を吸い、水の中に棒を突き刺し、桟橋に立てかけた。俺の体を支えるのがこの一本の棒だけかと思うと、少し心もとない感じがした。
深呼吸をして走り出した。フィーエルヤッペン経験など微塵もないド素人だ。棒に捕まったはいいが離すことができず、おまけに大きく横に傾いたので、俺は大きな水音をたててずぶ濡れになることになった。
「ね、意外と難しいでしょう」
体をブルブルと震わす俺に向かって鎌田さんが言った。
「離せないもんですね、手」
そうでしょう、そうでしょうと、鵜殿さんも頷いている。俺はなんだか急に可笑しくなって笑い出した。見知らぬ人に勧められるまま水に飛び込んだ己が可笑しかったのか、ずぶ濡れのまま得体の知れぬ充実感を滾らす己が可笑しかったのか定かではない。二人も、そんな俺を見て楽しそうに笑っている。
俺はこうしてこの競技、フィーエルヤッペンを始めることになった。
フィーエルヤッペンを始めてからいくらも経っていないが、俺はなんだか自分が変わってきたような気がした。スポーツを通した成長というヤツだろうか、精神的にも大きくなった。
生徒が教科書を閉じるバタンという音も、いつしか気にならなくなっていた。国が推進する中身のない教育制度や年々厚さも内容も薄っぺらになる教科書、クソ暑い中飽きずにホットミルクを作り続ける自称ウイルス、彼が行う謎のつるんぺたんも、更には先週から始まった甲子園予選である県大会も、大したことじゃないような気がしてきた。教育者としてどうなのかと自問することもあるが、これが青春なのだと自答する。
青春を取り戻した俺は何のしがらみもない無敵の漢で、全てが順調にいっていた。マイキーにすら愛情を向けられるようになった。今朝も家を出るときウインクしたが、それを見た奴は急に便意を催したようにバツの悪そうな顔をして、しゃがみこんでしまった。
その日、俺は校長命令で甲子園予選の応援に行っていた。曇りとはいえ、気温はゆうに三十度を超えている。試合をしている野球部員たちはもちろん、運動部の顧問をしている教師や生徒たち、最近フィーエルヤッペンで体を鍛えている俺などはピンピンしているが、授業中ですらクーラーの中から出てこない小笠原先生のようなひきこもり系の先生はほとんど干からびてしまって、まるでお供え物の干物のようであり、試合が終わる頃には自縛霊になるのではないだろうかと思う生気の無さだった。しょうがないから、そんな自縛霊候補のために、いい人の俺はかき氷を買いに売店に走った。
「おや、押井さんじゃないですか」
振り向くと鵜殿さんがいた。聞けば、鵜殿さんの息子さんは対戦校のピッチャーなのだそうだ。背の高いハンサムな青年だった。球速こそそこそこだが、変化球の多彩さは、大学野球の関係者の間でも少し話題になっているらしい。俺は持っていた二つのかき氷のうち一つを鵜殿さんに渡し、彼の息子さんが投げる姿を眺めた。
「そういえば、鵜殿さんはなぜフィーエルヤッペンを?」
「押井さんと同じですよ。公園でやたらと長い棒を持っている二人組を見つけたので付いて行って、そこで鎌田さんに誘われたんです」
「そりゃ全く同じだ」
「でしょう。その頃は、鎌田さんがプレイヤーで、もう一人の保科さんという方がサポートだったんですが」
ライバルの他に、まだ競技者がいるということか。いや、正確には過去形だ。鵜殿さんは「していた」と言った。
「鵜殿さんはまたどうしてサポートに専念しているんですか。若さより経験が大切なすポートだと思いますし、まだまだ出来るのでは」
鵜殿さん表情が曇り、そして大きなため息を一つ吐いた。
「鎌田さんがサポートに専念するようになったのは、ある事故が原因なんですよ」
リーグ優勝をかけた最終決戦で選手生命をかけて力投し、肘を壊してしまった野球選手。祖国の内紛により活動することを許されなかったサッカー選手。不器用な為に打たせて打つことでしか勝つ道を見出せず網膜剥離になったボクサー。個人の事情、お国の事情。数多くのアスリートたちが意思とは関係ないところで起きてしまった要因のせいで、志半ばに活動を断念してきた。それがスポーツの影の部分だ。だが、平凡なおっさん一人が川を棒で飛び越える上で起こる悲劇など、俺には想像できなかった。
「あの事故の後でも、この競技に関わり続ける鎌田さんは本当に凄いですよ。僕は思いだしただけで辛くなるというのに。あのせいで鎌田さんは肛門科に、いや、これ以上はよしましょう。でも、鎌田さんの名誉の為にも言っておきますが、決して彼一人のせいではないのです」
事のつまりは棒がブスッということか。だが、一体どのような状況で?一体何の力が加わって?それに関して、鵜殿さんはもう何も言わなかったし、男の名誉に関わることなら俺も聞いてはいけない。というよりも、別に聞きたくない。俺はこの話に関してはそのまま放置することにした。
ともかく、その一件を機に鎌田さんのパートナーは引退し、鎌田さん自身は「こんな悲劇が起こるのは僕で最後にしたい」と、サポートに徹するようになったのだそうだ。格好いいのだか悪いのだか分からないエピソードだが、たぶん格好悪いのだろう。いずれにせよ、俺にどうこうできる問題でもなければ、どうこうしたい問題でもない。だってそうだろう。俺にできる事といえば、彼の肛門は大丈夫だろうかと、密かに思いを馳せるくらいのものだし、この暑いなか中年男性の肛門に思いを馳せるような真似はしたくない。
「そういえば押井さん」
いつもの笑顔を取り戻した鵜殿さんが声を発した。
「明日、もう一つのグループと交流会があるんですよ。向こうも、新しい人が入ったみたいで」
ついにこの時がきたか。俺はぶるんと身を震わせた。これが武者震いというやつか。確かに俺はここ最近ずっと練習を積んではいるが、正直なところ競技者レベルに達しているという自覚はない。そんな状況で山下に会うのはどうも気が引けるが、それでも、他にどんな人間がこの競技をやっているのかは見てみたい。
「是非とも」
俺はそう答えた。
向こうのチームは四人だった。少しがっかりしたが、よくよく考えてみれば両チーム合わせて七人もの人間がこの競技をやっていること自体、奇跡的なのかもしれない。俺だって、実際この目で見るまで、この競技のことは知らなかったのだから。
相手チームの中に、どこかで見たことのある中肉中背の男が、こちらに背中を向けて立っていた。顔は見えないが、色の違う側頭部と後頭部、不自然に三日月型に禿げた頭。
山下だ。
やつはゆっくりと振り向くと、俺の姿を確認し、びっくりしたような表情を浮かべた。どうやら俺の参戦は知らなかったらしい。俺たちは同じ動きで歩み寄り、お互い満面の笑みを顔いっぱいに張り付けて社交辞令の挨拶をした。
「おやおや、押井先生、これは奇遇な。昨日の試合は残念でしたな。ま、例え勝てたとしても次は我が校。いい試合が出来ればそれでよし、ということでしょうか」
相変わらず嫌みな野郎だ。俺はやつのカツラを引っぺがしてホルマリン漬けにし、やつの高校の理科室に寄付してやりたくなった。大した理科室ではないが、世にも珍しい標本が手に入ると喜ぶだろう。生物教師である川中は筋金入りのフナムシ・フリークらしいが、そんな川中も喜ぶに違いない。
「拝見してくださっていたとは光栄ですな、山下先生。先生のところはお強いですからな。特に今年はピッチャーの筧君がいるし。他には、はて、誰かいましたかな」
俺は長い間考えるふりをした。渋い面を作り、いないという結論を出し口角を少しあげた。どうだ。
山下の眉間に深い皺が刻まれた。何か訴えたそうな顔でこちらを睨みつけている。いい表情だと言ってやりたいところだが、おそらく俺も同じ表情をしているだろうから、やめにした。腹が立って仕方がないが、他のメンバーの手前笑っていなければならない表情、つまり、顔の上下で感情が正反対の表情だ。
俺と山下が火花を散らしている間、向こうのリーダーでもある笠木妙子さんが何やら演説をしていたが、俺はまるで聞いちゃいなかった。というより、誰も聞いていなかったように思う。鵜殿さんが言うには、彼女の話は毎年同じで、要はフィーエルヤッペンの発展の為に頑張りましょう、大阪大会に向けて切磋琢磨しましょう、ということだった。
「大阪大会?」
大阪に協会があるのは知ってはいたが、ひょっとして全国規模なのか、このフィーエルヤッペン大会は。
「ああ、毎年協会がある大阪で開かれているんですよ。一応全国大会と銘打ってはいるんですが、大阪の人たちと僕たちだけですけど。で、その大会に出場するひと組をこの中から決めるんです」
本当のところ、全国大会出場者総数は十人ほどなので、予選なんかせずにみんなで来てもらいたい、なんだったら美味しいたこ焼き屋にも案内する、というのが大阪側の意向なのだそうだが、なぜか予選をやっている、ということだった。
「そして大阪大会の優勝者はオランダで開かれる世界大会に進めるんですよ」
「それは凄いですね」
本当に凄い。かのオランダ国には美しい風車の周りを優雅なチューリップ畑が広がっていると聞く。俺の頭の中にお花畑が広がった。にしても、その金はどこから出るんだろう。フィーエルヤッペン協会では天下り先にもならんだろう。
もし俺がオランダ国に行けたら、そうだ、犬っころから祐子を取り戻せるかもしれない。いつだったか祐子がテレビを見ながら、行きたいと言っていたオランダのキューケンホフ公園を二人で歩き、これまたいつだったか同級生のタカシが最高だったと言っていたワーテルロー広場を二人で散歩するのだ。俺たち夫婦がそうやって愛を育んでいる間、犬っころは祐子の母親が作ってくれる犬まんまでも食べていればいい。あれはちょっとお目にかかれないくらいまずそうな代物だが、俺から祐子を奪おうとした罰だ。そうして犬まんまと涙と固唾でも呑み込んでいるがいい。
「去年は誰が大阪大会に行ったんですか?」
「僕だよ」
全身にまとわりつく粘着質な声が後ろから飛んで来やがった。山下の声だ。もしこの声で自分のことを「ミー」とでも呼ぼうものなら、俺はたちまち奴の唇を瞬間接着剤で張り付けてしまうだろう。閉じた印としてマジックでバッテンを書いてやる。もちろん油性だ。
「去年は僕が特急フィーエルヤッペン号大阪行きの切符を手に入れたんですよ」
「去年のジャンプは凄かったですもんねえ」
鎌田さんは、俺の心情や奴のセンスのカケラもない例えなどどこ吹く風で、のんびりと受け答えしている。山下と言えば、アメリカの四流ソープオペラでワンシーンだけに登場する、別に出てこなくともストーリーには関係ない脇役のような大きな身振り手振りでジャンプを回想していた。こいつはいつもそうだ。身振り手振りが大袈裟なのも、俺の神経を逆なでするし、その身振り手振りが話の内容とかみ合っていないのはもっと癪に障る。
「山下さんはなかなかの実力者でね、去年の予選でたたき出した十メートル八十四は関東記録なんですよ」
鎌田さんがそう言うと、山下は無い毛をかき上げて鼻の穴をふくらませ、さもありなんという表情で俺を見ている。
何が関東記録だ。去年の参加者は五人で、しかも二人はサポートだろうが。準優勝と同時にブービー賞をもらってしまうような大会での成績なんか自慢するんじゃねえ。
俺は気にしてないという風に山下の方を見たが、やつは依然自慢げに俺を見ている。背は俺より低いくせに、何だこの見下ろしている感じは。俺はにらみ返してやろうと思ったが、場が険悪になると困るので、やめた。
その後、顔合わせが済んだ俺たち七人は、まだ夜も始まっていないというのに、近くの焼き肉屋「やじろべえ」になだれ込み、今日のメインイベントである飲み会になった。
随分と飲んだ。高校教師同士積もる話もあるだろうと、向こうのチームリーダーの笠木さんが、有難さなど微塵もない気を回して山下と隣同士の席にしてくれたおかげで、俺も、そしておそらくやつも悪い酒ばかり飲んでいた。
結局帰宅したのは丑三つ時だった。一応遅くなることは祐子にメールで伝えてあったものの、彼女の定めた門限十一時を大幅に超えた結果、どうやら彼女は俺の携帯に電話をする前に警察に捜索願を出していたらしく、俺は迫りくる睡魔と闘いながら、玄関に立ったまま警察と祐子の説教を聞いた。
どうやら祐子は俺の浮気を疑っていたらしい。最初に警察に電話したのも、そんな俺にお灸を据えてやろうという思惑だったからだそうだ。祐子一直線の俺が、当の祐子に浮気を疑われるなど心外極まりないが、行き先も目的も告げずに大きなカバンを持って出かける俺に責任があるのだろう。大きなカバンは水に落ちた時の為の着替えだし、行き先と目的を告げなかったのは、まさか公園に行って棒で川を飛び越えています、とは言いにくかったからなのだが、祐子に心配させたのは間違いない。俺は素直な人間なので、素直に詫びた。どこで何をしているかを白状し、密会でなくではなくフィーエルヤッペン仲間と飲んでいたと白状した。
俺以上に素直な祐子は、真相を知ると笑って許してくれたが、一緒にやることは拒否された。理由はあの犬だ。俺が思わず視線をやつに向けると、あのバカ犬は皺だらけの黒い鼻をフンと鳴らしてにやりと笑った。少しは愛情を抱けるようになったと思ったのに。ちくしょう、お前はオランダ国には絶対に連れて行ってやらん。
そんな話をしていると鎌田さんと鵜殿さんは大笑いしながら聞いていた。
「笑い語とじゃないですよ」
俺は一応怒ったふりをしたが、内心俺もそんなことは笑い事だと思った。
「いやいや、微笑ましいですよ。夫婦仲がよろしいのはいいことですよ」
「そういえば鎌田さんは奥さんになって言っているんです、フィーエルヤッペンのこと」
「もちろん。我が家は家内の絶対君主制による統治が行われていますからね。クーデターを起こす者もいないので、報告はすべて上にあげていますよ。でも、家内も結構好きなんですよ。フィーエルヤッペン」
自分の妻が、自分のやっている事に理解を示してくれるというのは本当にいいことだと思う。俺にとって祐子はこれ以上望むべくもない妻だが、フィーエルヤッペンを理解してくれ、その上応援もしてくれたら、ああ、考えただけでにやけてしまいそうだ。
「今は、奥さんは」
「ああ、もう止めました」
遠い目をしたまま言う彼の姿は、どことなく寂しげだった。彼は俺の方を向くと、白い歯を見せ、
「飽きちゃったんですよ」
と、柔らかない悲しさの籠った口調で言った。
競技者としてこんなことを言うのもなんだが、確かに飽きやすいスポーツであるとは思う。フィーエルヤッペンはサッカーや野球のようなメジャースポーツではない。競技人口だってたった七人しかいないから、試合が行われるのも不定期で、「そろそろやる?」「そうだねぇ。やろうかねぇ」という具合に試合の話が進む。
もちろん記録を取るのも適当だ。やり直しだって何度やっても構わない。ようは記録さえ残っていればそれでいいのだから、ちゃんと証拠さえ残っていれば本番すら必要ないのだ。その証拠ですら、目撃談の域を出ない。それでも記録を残しやすいよう、試合をしているのだ。やらなければ、という危機感がまったくないため、気を抜けば「飽き」という魔物はすぐに心の隙間に忍び込んでくるのだそうだ。「飽き」に支配されたらあっという間だ。やつらは獲物を狙う狩人のように、常に心の隙間を狙っているのだ。現実には黒い服を着たでかい顔のセールスマンなどいないから、心の隙間はお埋めできない。
だが、俺はまだ元気に続けているし、飽きが忍び寄る気配もない。フィーエルヤッペンを初めてから通い出したジムの成果が出ているのだろう。 真っ直ぐに飛べているしバランスも取れている。棒にしがみついた後、少しだけよじ登る余裕も出てきた。やはり俺には才能があるのだろう。
フィーエルヤッペンがメジャー競技なら、もしくは俺がオランダ人なら人気選手になるに違いない。いや、オランダ人じゃ駄目だ。オランダ国にいれば、だ。
俺の急成長は鵜殿さんも鎌田さんも認めてくれていて、ひょっとしたら山下に対抗できるかもしれない、というのは俺のモチベーションだ。
俺は何度も助走台を行き来し、棒を掴むタイミングをはかった。サポートの鎌田さんは、助言はしてくれるが、最後は自分自身の勘と経験が頼りなのだそうだ。鵜殿さんは棒を掴んでからジャンプするが、俺はジャンプの軌道上にある棒を掴むのが好きだ。これは、どちらがいいとかではなく、フィーリングの問題だ。
「そういえば、再来週に記録会を行うんですよ」
鎌田さんが言った。ようは合同練習なのだが、記録会と呼ぶことで気合を入れているのだそうだ。
「押井さんにとっては初めての本番ということになりますね。落ち着いてやれば問題ないですよ。最近の押井さん、すごく伸びていますから」
そう言ってくれるのは有難い。否が応でも気合が入る。しかし、それは何も初めての本番だからというだけではなかった。
山下の前で失敗などできるものか。俺は学校を背負って立っている。その俺が負けてしまうというのは、つまり学校が負けてしまうことと同義なのだ。
たしかに甲子園と比べればはるかに小さい大会だ。いや、大会と呼ぶこともできない。俺が勝とうが負けようが明日という日はくるし、小笠原先生は頭をぺたんぺたんしている。生徒はバタンと教科書を閉じるし、パグ犬は俺を見下し続けるのだろう。例え世界が変わらなくとも、俺は名誉の為に闘わなければならない。
そして、これは個人の問題も含んでいる。もし山下に負けるようなことがあれば、敗北感、焦燥感や劣等感などが波のように押し寄せてくることを、俺は知っている。なによりも、あの憎たらしい顔がゆがむ様を眺めてやりたい。歪んだ快感と呼びたければ呼ぶがいい。
俺は脚に力を込め、助走台を走り出した。ふくらはぎの筋肉が引っ張られているのが分かる。視界の中でどんどん近づいてくる棒は、目の前に鎮座し続けている。ジャンプとほぼ同時に棒を握ると、まるで体が引っ張られるように宙に浮いた。上腕二頭筋に魂を込め、俺は体を持ち上げた。
「いいぞ!」
鎌田さんの声が俺を追いかけてきた。弧を描く軌道が下り坂に差し掛かり、俺は手を離した。地面が近づいて来て俺の脚に衝撃が走る。着地は成功だ。俺はゆっくりと後を振りかえった。八メートルは越えただろう。視界の先には親指を立てる鎌田さんと鵜殿さんがいた。二人の表情が俺の記録の良さを物語っていた。
押井さんのご主人が、最近変な集会に参加している。
そんな噂が俺の耳にも届いたのは日曜日のことだった。二週間に一回、大きな鞄を持って出かける俺を見て怪しいと思っていたのは嫁だけではなかったのだ。
噂を貪って生きている近所のおばちゃんたちなどは疑うだけでは止まらず、俺が出かけるのを見る度に井戸端会議を臨時召集し、お互いの意見を交換していた。
見ました?押井さんとこのご主人、あれ、絶対浮気ですわよ。まあ、あんなおとなしそうな人がねえ。何言ってるの、近頃はああいうのが一番怪しいんだから。キャバクラなんかに入れ込んで、そこの女にひっかけられてマンションまで買わされるのはああいうタイプなのよ。でもそんなお金どこにあるのかしら。何言ってるの、あの人公務員よ。何年も前だけど、神戸なんかじゃ地方公務員が七千万も横領してたんだから、マンションの一個や二個安いもんよ。最低よね、押井さんも、嫌んなっちゃう。奥さんも大人しい人だから何も言えないのよ、きっと。ねえねえ、私たちが浮気現場を突きとめて奥さんに教えてあげましょうよ。そうよ、そうしてやりましょ。写真も撮って本人に突きつけてやりましょうよ。そうよ、そうしてやりましょ。
霊長類ヒト科おばちゃん目なる生命体にとって、それは純粋な親切なのである。誰がなんと言おうと、そして真実がどうであろうと、彼女らにとっては間違いなく親切なのである。どこまでもゴーイング・マイ・ウェイなその生き方は突きぬけていて、それでいて迷いがない。彼女らが親切だと言えばそれは親切なのだ。黒だと言えば黒なのだ。どこか任侠道にも通じるその井戸端哲学は、彼女らの生き様だ。そしてそれは、とてつもなく迷惑だ。
そんなわけで井戸端会議参謀、貝塚清美が俺を尾行し始めて三日、早くもフィーエルヤッペンの現場を目撃したというわけだ。貝塚清美がその時の様子をどう伝えたかは知らないし、知りたくもない。えらくでかい尾ひれがついた噂は尾腐れ病のグッピーのような姿で井戸端をさまよったことだろう。そして貝塚清美の目撃談は光よりも早い速度で伝わり、祐子の耳に入ったということだ。
けたたましい笑い声が聞こえたかと思うと、祐子がやってきて言った。
「ねえ、あなた、怪しい儀式に入れ込む新興宗教団体の構成員にされちゃってるわよ」
そう言う祐子の口角はひきつり、肩は震えていた。笑うだけ笑ってから来たのだろうが、まだ笑い足りていないように見える。横っ腹も痛そうだ。いや、それよりも。ひきつっている祐子の腕の中でにやついているパグ野郎が癪に障る。俺はとりあえずパグ犬にでこピンをくれてやり、言った。
「理解しかねるのだが?」
「ほら、あなた何か公園でやっているじゃない。えーと、何だっけ?」
「フィーエルヤッペン」
「そう、そのなんとかヤッペン。みんなで仲良くスポーツしているんだから、私はまったく咎めないんだけど、知らない人から見たら何をやっているか分からないんじゃないかしら。この前パソコンで映像を見たんだけど、知っている私でもよく分からなかったもん」
祐子の言う事も一理ある。俺だって初めて見た時は何をやっているのか分からなかった。始めてみたら、楽しいけどやっぱり何なのか分からなかった。今でもたまに分からない。
「そうかもしれない。でも、誰から聞いたんだよ、そんなこと」
「小笠原先生の奥さん」
!
結婚しているのか、あのつるんぺたんは。申し訳ないが、見ためと行動から独身だと思い込んでいた。しかも三歳になる娘までいるという。一瞬頭をもたげたよからぬ想像を打ち消して、俺は祐子に聞いてみた。
「何で小笠原先生の奥さんが知ってるんだよ」
「さあ。あ、でも、小笠原先生の奥さん、幸子さんって言うんだけど、幸子さんは一度やってみたいそうなのよ、その何とかヤッペン」
二度びっくりである。今日の祐子はどうも心臓によろしくない。
「面白そうなんだって」
「何やっているのか分からないって言ったじゃないか」
「それは私の意見」
「俺としては、その意見を幸子さんが持って、おもしろそうという意見を君に持ってほしい」
「無理な要求ね」
相変わらず手厳しい祐子である。まあいいさ。とりあえず、幸子さんだけでなく、小笠原先生も呼ぶことが出来れば、山下への対抗馬が一人増えるのだ。心強い。小笠原先生、やっぱりあんたは俺の見込んだ通り、漢だ。
早速次の日の昼休みに職員室で小笠原先生に話すと、彼もすでに知っていて、嫁が面白そうだと言っていた、僕もぜひ参加したい、というようなことを、つるんぺたんしながら言った。
「じゃあ今週の日曜日、公園まで来てくださいよ」
「うん、行くよ行くよ。面白そうだ。実はね、僕はそのフィーエルヤッペンについて、少しは知ってるんだよ。テレビで見たんだ」
小笠原先生は嬉しそうに言った。どうせ「世界びっくりスポーツ」だとか、「世界珍百景」などで見たんだろうと思ったが、やっぱりそのようで、小笠原先生はフィーエルヤッペンの他に、足で車を運転するタクシードライバーだの、口から入れたロープを鼻から出して結ぶ男の話をした。俺は少なからずガッカリしたが、これも対山下戦へ望む新体制を整えるためだ。戦局を挽回せしめ、奴の高校の屋上に勝利の旗を立ててやる。殺すは易し、生かすは難し。俺はいつでも易い道をゆく。鬨の声をあげよ、我が復讐の時は来た。
日曜日は快晴だった。鵜殿さんも鎌田さんも、新しい仲間が二人も増えると聞いて上機嫌だった。
「いやあ、嬉しいなあ。合同練習でもないのに五人もいるなんて」
そう言ってにこにこしているのは鵜殿さんだ。鎌田さんも横で同じような表情を浮かべている。
俺は早速新しいメンバーを紹介し、身振り手振りを交えながらフィーエルヤッペンの説明をした。小笠原先生も奥さんの幸子さんも楽しそうに聞いている。俺はなんだか嬉しくなって必死に説明した。幸子さんの横に座っている娘の美代ちゃんは、俺が説明している最中だというのに、ずっと「なにそれー!」と言っていた。
「最初は棒を掴んで倒れるだけで精いっぱいですが、だんだん慣れてきたらよじ登ったり遠くに飛んだりできるようになります」
説明する俺のボルテージもどんどん上がり、説明を受ける二人も熱心に聞いている。
思えば教職に就いている割に、随分長い間教える喜びから遠ざかっていた。学ぶことに喜びを見いだせない生徒たちを前に、俺は自分が被害者のような気がして勝手にやる気をなくしていた。俺が情熱を持って授業をすれば、今の小笠原夫婦のように嬉々として学んでくれるのだろうか。今からでも遅くはないのだろうか。俺は、熱血教師になれるのだろうか。
「つまり、三段跳びみたいなものだね」
小笠原先生が言った。学ぶ喜びを感じられるかどうかと、理解してもらえるかどうかは別なようだ。合っているような全然違うような。
俺はちょっとしたいたずら心を出して、鵜殿さんや鎌田さんと同じように「理論より感覚」と、一度飛んでみないかと提案した。幸子さんは「最近運動してないから」と断ろうとしたが、小笠原先生は幸子さんが言い終わる前に棒を握っていた。ほくほくした顔で桟橋に駆け寄る小笠原先生の笑顔に、鵜殿さんは親指を立てて答えた。
申し訳ないが、小笠原先生には難しいのではないだろうか。美術担当だからというわけではないが、彼のぽってりお腹からは運動している姿を想像するのは無理な話だった。
彼は桟橋に棒を立てかけて戻ってくると、にこにこしながら「飛んでみるよ」と言い、クラウチングスタートの姿勢をとった。何かが違う。違うが、何かが妙にしっくりくる。
鵜殿さんが楽しそうな表情を浮かべ「よーい・・・・・」と言うと、なんだかへっぴり気味にぴょこんと尻を上げた。「ドン」の合図でひょこひょこと走り出した小笠原先生の背中はどことなく愛嬌があって、俺はなんだか妙に穏やかなような、癒されたような気分になった。
彼は跳躍地点まで来ると、いかにも「えいや」という感じで棒に飛びついた。棒はそのまま斜めにバランスを崩し、川はぼちょんと言う音を立て彼を飲みこんだ。幸子さんは楽しそうにそんな様子を眺めていた。いい夫婦だ。
「えー、今年もフィーエルヤッペン関東大会の季節がやってまいりました」
笠木さんが元気に演説しているが、やっぱり誰も聞いていなかった。山下は相変わらずねちねちした粘着質な目線を俺と小笠原先生に向けてくるし、俺も相変わらず出来るだけ小馬鹿にしているような視線を心がけながらにらみ返していた。できればバチバチという感じを演出したかったが、ほんわかした空のもと、わたあめのような雲を頭上にぶつかる視線に攻撃的情熱を込めることは難しかった。キッチンにこびりついたゼラチンに湯をかけた時のような、不愉快な粘着感が漂っただけだった。
小笠原先生は競技を初めて二週間目ということもあり見学だけである。幸子さんと遠足に来た小学生のような表情を浮かべながら弁当を取り出していた。苦手なタコウインナーが綺麗に作れたと、嬉しそうに語っている。
興味のない演説でも、不思議と最後だけはしっかりと耳に入ってくるようで、さっきまで聞いていなかったのに、笠木さんが「それでは、開幕です!」と言うとみんなは一斉に拍手した。笠木さんも光悦の表情を浮かべ列に戻ってきた。
「小笠原先生、目に物言わせてやりましょうね」
俺は興奮して言ったが、彼は何を言っているのやら理解してねるといった表情で視線を返してきた。
「何を、誰に?」
「山下ですよ、ほら」
「ああ、山下先生ね。聞いたよ、彼凄いんだってね。十メートル八十っていう記録がどれだけのものなのか、まだ僕には分からないけど、でも関東記録だっていうんだから凄いね」
貴公は何ゆえそのように悠長に構えておるのだ。俺は少しむっとしながら言った。
「奴はうちの高校を小馬鹿にしておるのですぞ」
「それは知っているよ。でも、僕は生徒たちにはあまり興味がないし、揉めても美術には関係ないしね。押井先生もほら、リラックスしなって」
小笠原先生はそう言って俺の腕を掴んで座らせようとした。貴公の指図は受けぬ。俺は用意があるからと彼の手をやんわり振りほどき、鵜殿さんと鎌田さんの方に歩いて行った。用意と言っても棒を桟橋に立てかけてしがみ付くだけの競技だ。すぐに終わるし、もうすでに鵜殿さんが棒を桟橋に立てかけてしまった。俺は立てかけられた棒を握り、チェックするふりをしていた。
「おやおや、まだ早いですよ」
振り向かなくても分かる。このまとわりつくような声。もし声に形があり触ることが出来るなら、俺はこの声をとっ捕まえて引っ張って叩いて薄く延ばして帽子を作って奴の頭に被せてやるのに。
大体、「おやおや」って何だ。小説ではよく出てくるかもしれないが、実生活で使う奴などいやしない。そのわざとらしさも癪に障る。
「何が早いんです?」
俺は出来るだけ冷静に答えた。大人だからだ。だが、奴はそんなことにはお構いなしに、話と内容とは一切関係のない身振り手振りでご満悦この上ない表情で喋り続ける。
「決まっているじゃないですか。競技ですよ。あ、でも。僕は押井先生の一つ前、僕の跳躍を見て棄権したりしないでくださいよ。まあ、無理もないかもしれないですがね。それに、心の準備よりタオルの準備をしてはいかがかな?」
オホホホホとでも笑いだしそうなひょっとこ口でそう言ったかと思うと、次の瞬間にわかに表情が変わり、「どうだ!」という目になった。だが、そんな事で慌てる自分は卒業したのだ。
「心配してくださってありがとうございます。でも、僕も山下先生のことが心配で」
「はてさて、押井先生が僕の何を心配してくれているのですか?」
何が「はてさて」だ、馬鹿野郎。
「河童の川流れ、という言葉があります。どんなに上手くともミスはしてしまうもの。特に先生の場合、ほら。本当に河童になって、おっと失礼。とにかく、そのような、頭を抱える事態になってしまっては、泳いで戻ってくるどころじゃありませんからな。山下先生は見たところ泳ぎがお上手なようですが、さすがに手を使わずに泳ぐのは大変でしょう」
どうだ、という表情に色を付けて返してやった。山下は鼻からぷいーと息を吐き出したかと思うと、顔を赤らめた。岩手県遠野市にある河童淵の河童の体は、緑ではなく赤いという。そうか、お前は頭だけでなく、全体的に正統派の河童だったのだな。そういえば河童淵では河童捕獲許可証なるものが売っていると聞く。こいつも捕まえてみようか。安心しろ、ちゃんとキャッチ・アンド・リリースしてやる。だが魚拓はとらせてもらう。
奴は何か言おうとしたが、結局何も言わずに去って行った。ああ、いい気持ちだ。くせになりそうだ。
大きな大会かと言えばその対極なので、始まりの合図すらないから気分が乗ってきたら大会が始まる。大会自体は午前十時から始まっているのだが、その時点で気分が乗っているのは笠木さんだけで、競技が始まるのは毎年大体正午くらいからなのだそうだ。
しかし、今年は違った。大会史上最大の参加者数に興奮した鵜殿さんや鎌田さんは入念に準備運動をしており、更に向こうのチームに新加入した熱血フラワーデザイナー、羽生恵子さんは軽いトランス状態と呼んでも遜色ないほどにボルテージを上げていた。もし目の前に花でも置こうものなら、たちまち飛んで行ってしまうのではないかと思うほどに荒い鼻息は、鼻炎ではないかと少し心配してしまうほどに音をたてていた。ぷふふん。
もちろん俺も人の事は言えない。先ほど山下を挑発したばかりだ。先ほどから投げつけられる視線に歪んだ快感を覚えながら、俺は奴を奈落に突き落とす妄想に身を沈めた。
大会が終わったら貴様は俺の足元にひれ伏すのだ。俺はその周りを、阿波踊りでもしながらくるくると回ってやる。貴様は悔し涙を流し続け、俺は歓喜の声を上げ続ける。自分の妄想に身もだえしそうになり、持っていたペットボトルの水を飲んだ。
最初の競技者はチームリーダー、笠木さんだ。この大会ではリーダーは最後などという不文律はなく、公平にくじ引きのみで決める。
笠木さんがスタート地点に立った。息子から貰ったのであろう赤いジャージには、「二年四組 笠木」という名札が縫い付けられている。
鎌田さんが合図すると、笠木さんが走り出した。中肉中背のおばさん体型には似合わぬ颯爽とした走りで、一直線に棒に向かっていった。軽やかに棒を掴むと、そのまま棒を使って空中に綺麗な放物線を描いた。一目で好調と分かる跳躍だった。あの瞬間、確かに笠木さんは空を駆けていた。
だが、ハプニングはその直後に起こった。川を飛び越え着地した瞬間「ぬあ!」と、女性らしからぬ野太い声を上げたかと思うと、その場に蹲ってしまった。美しい跳躍は、御老体にはきつかったようだ。すぐ様熱血羽生さんが駆け付け、少し遅れて他の連中も駆け付けた。
「あいたたた。腰痛が・・・・・・」
とだけ言うと、うんうん唸りながら桟橋近くの橋を渡って戻って行った。
「勢いよく飛びすぎちゃったのかね。はあ、私も歳なのかねえ」
そう言って落ち込む笠木さんに、鵜殿さんは
「というよりも、着地の角度が鋭すぎましたね。もっとゆるい角度で入れば問題ないですよ」
と言った。
「そうかい。あと二十年は出来るかねえ」
そんなにやるのかと、俺は少し呆れながら「できますよ。あと三十年くらい」と無責任なことを言った。三十年もやれば腰痛どころの話ではない。 そういえば腰痛持ちの本家本元である山下はどうしているのだ。俺はふと山下の方を見ると、自分も痛そうな顔をして腰をさすっている。
笠木さんは、今日はもう見学ということになり、小笠原夫婦の横に座り煎餅を取りだした。そこには競技者の姿はなく、散歩にきた近所のおばさんが、幸せそうな顔で小笠原家と煎餅をはむはむと食べていた。水色の空に白い雲が少しだけ浮かんでいる、のどかな空模様だった。
だが、彼女の残した九メートル九十五の記録は手ごわい。二番手の鵜殿さんも、興が乗る前にこのような好記録が出るとは思ってもみなかったようで、少なからず緊張している表情だった。
「今年は後輩がいるからね。いい所を見せなくちゃな」
そう言うと俺に笑顔を向け、スタート地点に立った。煎餅を食べながら笠木さんが合図をすると、鵜殿さんが走り出した。短距離選手のような走りに無駄はなく、颯爽と駆けていく鵜殿さんは、陸上部だった高校生時代に戻っているかのようだった。
ジャンプと同時に棒を掴む。勢いのついた棒は素早く起き上がり、鵜殿さんの体を持ち上げた。ここからが腕の見せ所だ。鵜殿さんは棒が垂直に立つと、腕に力を込めて体を持ち上げた。一回、二回。そうしている間にも棒はどんどん倒れていく。
「今だー」
鎌田さんが叫んだ。緊迫した雰囲気はなく、酒飲み親父の間の手のような和やかな指示だった。それを鵜殿さんがどう聞いたのかはあずかり知らぬが、声と同時に彼は手を離した。彼の体はそのまま放物線を描き、地面へと降り立った。尻もちをつくこともなく鮮やかに地面に降り立った彼は、まるで大地に降り立った一羽の鳥が羽を休めるがごとき美しさを持ってガッツポーズをした。
まさしく会心の跳躍だった。十メートル四十五という記録は当然の結果であるように思う。新記録とまではいかなくとも、後続の選手たちにプレッシャーを与えるという意味では十分だった。
「最初から凄いじゃないですか」
戻ってきた鵜殿さんに俺が言うと、彼は照れたように頭を掻いた。
「いやいや、お恥ずかしい」
「凄いですよ。最初はウォーミングアップ程度に飛ぶのかと思ったら、いきなり十メートル超えですからね。優勝を持ってかれちゃったかも」
羽生さんが楽しそうに言った。一応二チームに分かれてはいるが勝負しているわけではない。誰かがいい記録を出せば、チームに関係なく喜ぶのが習わしだった。
鵜殿さんは照れて尚も頭を掻き続けるだけだった。意外とシャイなのだ、彼は。
その後、羽生さんが川に転落し、同じく新加入の大学生、梶くんが八メートルジャストの記録を出し、ようやく山下の番になった。人間の限界を超えたのではないかと勘繰ってしまうほどの気合の入りようで、そしてそれはもちろん俺に勝つためだった。
怒りのエネルギーは時として強大な力を生む。怪気炎が見えそうなほどに気合の入った山下は、さしずめ力士を前にした河童といったところか。そんなに湯気を発しては、頭の皿が乾くのではと期待したくなるほどの形相だった。鬼のような顔を、していた。河童だが。
「気負いすぎじゃないか?もっと落ち着かないと」
鎌田さんが心配そうに言った。山下と俺の間であがる火花は、鎌田さんからすれば愚行であろう。背負わずともよい責任を勝手に作って背負い、作らずともよい敵を勝手に作り、憎しみ合っているように思えるかもしれない。しかし、ここだけは山下と俺の意見は完全に一致すると思うのだが、お互いの学校の教師と競いあい勝つことは、例え学校が感知していない場所で行われたことであっても、両校のプライドを背負っているのだ。
山下の目がヌラリと光った気がした。中肉中背の体をこれでもかと動かし、走り出した。去年、この走りから関東記録が生まれたとは到底信じられぬ鈍い走りであった。もしあの走りに、無理やりにでも擬音を付けろと言われれば、俺は「ぬりゃぬりゃ」という音を使う。そんな音が存在するのかと聞かれれば、目の前にあるではないかと言うしかないような、奇妙な走りだった。
山下の跳躍は俺と同じく、ジャンプしてから軌道上にある棒を掴む跳躍だった。
体が宙に踊った。棒はいささかの躊躇もなく持ち上がり、山下の重そうな体を引っ張りあげた。うまいこと棒の上の方を掴んだので、なかなかの高さだ。
勝負はここからだ。ここからどれほどよじ登れるかが勝敗を分ける。始めたばかりの競技者にはよじ登る余裕などありはしないが、奴には少なくとも一年以上のキャリアがある。奴は遠目にも分かるくらいに腕に力を込め、体を持ち上げた。
その時だ。山下の体は突如棒を離れ、棒を残して落ちていった。周囲から「ああ」という、情けないようなあまり興味がないような珍妙な声が漏れたかと思うと、山下はまだ軌道上に放物線を描き続ける棒を残し、大きな水音をたてて川に落っこちた。
その時、山下は落ちゆく自分に、近づく水面に、何を見て何を感じたのだろう。奴の眼に映った風景は、落ちゆく体に何を伝えたのだろう。走馬灯にギャルと化した娘の顔を見たか。頭頂にある髪をこねくり回す過去の自分を見たか。今はもう記憶の彼方であろう、河童淵の風景を見たか。貴様がその腕を伸ばして掴もうとした空は何色だ。水面に触れる直前、貴様の体は意識を捨て、ただ風と一つになろうとしたことを感じたか。
跳躍前、ひたすら気合を込めていた山下は、手に大量の汗をかいていたのだろう。スポーツには常に冷静さが要求される。奴は冷静になれなかった。俺との精神的な駆け引きに負けた。ふはは。
ずぶ濡れになった山下は、さして大きくもない体を、更に丸めて土手に上がってきた。記録よりも何よりも、俺の前で失敗した自分が許せなかったのだろう。羽生さんが手渡したタオルを眺めながら礼を言うと、そのままベンチに座った。俺を見ようともしなかった。
いよいよ俺の番だ。俺は落ち込む山下をチラリと見て、スタート地点に立った。
落ち着こうと周囲をぐるりと見渡す。仲間たちはなんとも緊張感のない視線を投げかけてくる。遠くでは祖母に手をひかれて歩く孫が俺たちの方を指さして何か言っている。「あれ何?」とでも聞いているのだろう。
少年よ、これはフィーエルヤッペンだ。かのオランダ国に古くから伝わる歴史あるスポーツだ。男たちが運河を渡るため、生きる為に育んだ知恵を受け継いだ伝統芸だ。
祖母は孫の手に軽く触れると、その手を孫の後ろに回すようにひっこめさせ、孫の顔の前で人差し指を立てて何事か言っている。きっと注意しているのだろう。人に指を指すな、とかなんとか。孫は祖母の方には見向きもせず、もう片方の手でまた俺たちを指さした。祖母は人指し指を立てていた手のひらを開くと、孫の頭をはたいた。「痛ぇ!」という声が俺まで聞こえてきた。そしてそのまま祖母に引きずられるように去って行った。なんだかとってもすっきりした。
思えば俺も変わった。スポーツに打ち込み、精神的にも充実している。心は穏やかに、体は猛っている。青春の一ページなるものがあるとするならば、これがそうに違いない。俺はそこに、今この瞬間を、はっきりと刻み込んだ。
俺は目を瞑り大きく息を吸い、また目を開けた。視線の先では、一本の棒が俺を待ちかまえている。俺はその棒と対峙する。棒の意思に逆らってはならない。重力に逆らってはならない。俺自身の意思ではなく、俺の体の意思を聞かなければならない。そして俺の体は風と一つになり、俺の魂は大気と混ざり合う。それがこの競技、フィーエルヤッペンだ。
俺はもう一度大きく息を吸い込んだ。視線の先の一本の棒を見つめる。そして俺は、走り出した。視界の中で、景色が後ろへと流れていく。
俺はジャンプし、棒を掴んだ。感触は申し分ない。俺は二の腕に力を込め、ぐいと体を持ち上げる。一回、二回。六十センチほどの距離を上り、下降に入る準備をした。
冷静に――
今までで最高の跳躍だった。飛びつくタイミングも登るタイミングも、全てが完璧に思えた。ふと前方を見た俺は、今までよりもずっと高い位置で地面を見下ろしていた。
いける――
風が俺を包む。そして俺は、空を掛ける鳥のように、風になる。
「今だ!」
鎌田さんの掛け声で、俺は棒から手を離した。足に衝撃が走り、大地の存在を感じ取る。着地の勢いで前のめりになりながらも、なんとかバランスを保ち、俺は後ろを振り向いた。自分の描いた軌道を見つめるように。
見ているか、山下。これが跳躍だ。これこそが、フィーエルヤッペンだ。
山下、確かに貴様は記録保持者だった。それは俺も認めよう。しかし、そんなものはすでに過去でしかない。貴様の栄光は今、歴史の狭間に埋もれて見えなくなった。歴史は常に犠牲の積み重ねだ。貴様は今、積み重ねられたのだ。
その時、俺の視界が揺れた。バランスを保つ為に後ろに体重をかけたのだが、その勢いで俺の体は後ろに泳いでしまったのだ。もし手を付けば、そこが着地地点となってしまい、記録は大幅に短くなってしまう。
やべぇ、やべぇ、やべぇ。
俺は小さく呟き、前に体重をかけようと頭を前方に揺すった。するとその反動で尻が後ろに突き出てしまい、後ろに引っ張られるような感触が襲ってきた。この際仕方がない。たとえ一歩下がってでも、転ぶことは許されない。今しがた積み重ねられた歴史を崩すようなことをしてはならない。俺は被害を最小限に抑えようと、半歩ほど右足を後ろに出した。
それがいけなかった。中途半端に足を出してしまったので、ますますバランスを崩した俺は、更に左足を後ろに出すことになってしまい、なし崩し的にどんどん後ろに下がってしまったのだ。
後ろには川が迫っている。いや、実際には俺が川に迫っていっているのだが、俺の感覚的には川が迫ってきている。ここで後ろを振り向けば、きっとそれも勢いに重なり、またバランスを崩す。だから、前を向いたままじゃないと。結局、それが俺の最後の冷静な思考となった。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう・・・・・・。
後で祐子から聞いたところによると、俺は着地後しばらく動かなくなったと思ったら、突如空中に頭突きをかまし尻を突き出し、ビデオの逆再生のように後ろ向きに歩きだしたらしい。ムーンウォークの方がよっぽどスムーズだったという後ろ歩きで俺はどんどん川に迫っていき、そのまま転ぶようにして川に飛び込んだという。後ろをふりむかず、小またでチョコチョコと下がる姿は、ある意味可愛らしかった、あれがキモカワという奴ね、というどうでもいいような感想で締めくくられた説明だけが、俺の胸に残った。
精神的ショックからか、その後も記録を出せなかった俺は、結局オランダ国どころか大阪行きの切符すら手に入れることはできなかった。これでしばらくはマイキーに嫉妬しなければならない日が続くのだろう。
それは山下も同じだった。奴も結局、他ならぬ俺にかっこ悪いところを見られてしまったという精神的ショックからか、思うように記録を出せず、両者ジリ貧のまま大会を終えることになった。
優勝したのは、なんとあの熱血フラワーデザイナーの羽生さんだった。何を摂取したのか、体内麻薬を分泌しまくった結果アドレナリンを過剰に垂れ流し、興奮の渦に飛ばされるようにジャンプした彼女は、本人曰く「風に飛ばされるアブラムシ」のごとくすっ飛んだ。俺はアブラムシが風に飛ばされるところなんて見たことはないが、まあたぶん、そんな感じなのだろう。でも、どうせなら花に例えればよかったのに。タンポポの綿毛ではダメなのか。
出した記録は十二メートル五センチ。今までの記録を一メートル以上更新し、大型ルーキー誕生となった。その知らせはその日のうちに大阪にも届き、コテコテの関西弁で祝福されたという。私はテレビでしか関西弁というものを聞いたことがないが、本当のところ、あまり「なんでやねん」とは言わないらしい。
その後、痛み分けとなった俺と山下は、形だけの和解をした。二人とも水に落ちたことで、文字通り頭を冷やしたのかもしれない。
結局、この大会では二人とも記録なしに終わってしまった。だが、これでよかったのかもしれない。我が校の野球部ならば、たとえ敗れてもライバルとして認めあうこともできようが、今の俺と山下にはまだ無理だ。俺が勝っていれば奴を見下すし、奴が勝っていれば同じように俺を見下すに違いない。今はまだ、喧嘩両成敗ということにしておいた方がいいのかもしれない。
ただ、学校はどうか知らないが、俺と山下の関係も少しは改善できそうだ。これもやはりスポーツの力だと言われればそうだし、お互い大人になったのだと言われればそれもそうであった。山下は、下を向きながらひねくれたようにであったが俺の成長を褒め、俺は左を向きながら自分でも聞きとれないような声ではあったが、山下のミスを慰めた。山下も視線を右に泳がしながら、俺の慰めを受け止めた。二人の視線の先には、あの祖母と孫がおり、孫はなんだか楽しそうにこちらを眺めている。奇妙なことに、俺と山下は顔を見合わせ、口角だけでニヒルに笑いあった。こんなことは初めてだ。これから二人は、変わることが出来るだろうか。
少しだが、俺は山下と仲良くなってもいいと思った。きっと、奴も心のどこかでそう感じているのではないだろうか。二人とも、間違っても表には出さないが。
今シーズンも終わろうとしていた。本来のフィーエルヤッペンにシーズンがあるかどうかは知らないが、これから先の季節、川に落ちたら随分とひどい目に遭うことは火を見るより明らかで、おまけに関東勢には中年が多い。自粛というよりも、やりたくない、落ちたら死ぬ、という空気が充満しているのだ。
オフの間にフィーエルヤッペンというものを忘れてやめてしまう人がいるのも事実である。来る者拒まず出る者追わずの精神である鎌田さんたちは、やめていく人を追ったりはしないが、それでもなんだか淋しいのが事実であるらしく、交流会などを催している。場所はもちろん、やじろべえだ。
「今年はたくさん新しい人が入ってくれたので、なんだか充実したシーズンになりましたね」
顔を赤らめながら鵜殿さんが言った。たくさんといっても俺を含めて四人だから大した数ではないが、ここ数年ルーキーが入るなんてことはなかったようだから、やっぱりたくさんなのだろう。
「いい記録も出ましたしね」
笠木さんは顔だけでなく、あらゆる部分が赤かった。酒に弱いのに芋焼酎のロック一本なので、すぐに回るのだという。その横では、新記録を出した熱血フラワーデザイナーの羽生さんが、ウィスキーをストレートでがぶ飲みしている。なんだかガソリン補給しているマシンのようだ。
俺もいい気分で酔っ払っていると、ふいに粘着質の空気が流れた気がした。予想、というよりも確信だったのだが、やはりそこには山下がいた。奴は俺と目が合うと、小さく頭を下げた。
まだ隣の席に座って談笑できるほど仲良くなってはいない。奴も同じ気持ちなのだろう、俺から少し離れた席についた。だが、お互い気にしているのが、なんとなく分かる。悪くない。俺も、きっと奴も悪い気はしていない。
みんな完全に酔いが回ったようだ。ぐでんぐでんになりながらも羽生さんは演説をはじめようとしているし、普段クールな鎌田さんも鵜殿さんと肩を組みながら尾崎豊のI love youを歌っている。俺はこの曲が好きだが、酒の席で肩を組んで歌う歌ではないと思う。おまけに酔っているからメロディーは滅茶苦茶である。
俺は、山下に話しかけてみようと思った。あの日以来、きっとお互いに今の状況を打破したいと思っているはずだ。俺が席を立とうとした時、なんと奴の方から近づいてきた。
「や、やあ」
「ど、どうぞ」
二人とも、我ながら情けなくなるような、えらくぎこちない挨拶だ。何が「どうぞ」なんだ。そんな二人を、小笠原先生は気楽そうに見ている。こっちのほとばしる緊張感も知らないで。
「まま、一杯」
そう言って小笠原先生は山下のグラスに酒を注いだ。本当はこんなことは言いたくないけど、それは俺が注文して、まだ手を付けてない酒だ。
俺のそんな気持ちもおかまいなしに、小笠原先生は山下のグラスに「おーっとっと」などと古臭いことを言いながら注いでいる。でかいグラスと「おーっとっと」というセリフの割にやたらとちびちび入れるもんだから、中々グラスは満たされない。それを見ているとイライラするが、山下の野郎もイライラしているのがよく分かる。
「山下先生は、シーズンオフは何をしていらっしゃるんですか?」
ようやく一杯になったグラスから酒瓶を机に置きながら聞いた。
「フィーエルヤッペンの他にスポーツでも?」
「いやあ、お恥ずかしい」
何がお恥ずかしいのだ。
「エクストリーム・アイロニング、という競技をご存知ですか」
「いや、存知ませんな」
「極限状態において、いかに平然とアイロン台を取り出してアイロンがけができるかを競う競技なんです。極限状態であればどんな場所でよく、一流のアイロニストなんかは海底やキリマンジャロの斜面でアイロニングしたり、パラシュートで降下しながらかけたりするんですよ」
なんだその競技は。いや、競技なのか、それは。アイロン本来の行為はこの際一切関係がなく、ただひたすら「極限状態でのアイロンがけ(のポーズ)」を要求するのだという。意味がわからん、ここに極めり。
しかし、私の横に座っているつるぺた美術教師の反応は違った。ほう、と小さく呟くと、山下の話に真剣に聞き入っている。まさかとは思うが・・・・・・。
「“アイロン・マン”カリックはなんと、アルゼンチンのアコンカグアの頂上でアイロンを掛けたんですよ。尊敬に値します」
アコンカグア。標高六九六二メートル、南米最高峰の山である、らしい。一九六八年には植村直己も登頂を果たしている、らしい。が、凄いのか?いや、凄いんだろう。いや、でもやっぱりそれ凄いのか?分からない。
「その記録に挑戦したホット・プレート・ブラザーズは、残念ながら頂上に到達できなかったんですが、彼らもまたすごかった」
悔しそうにそう呟いたのは小笠原先生だ。その呟きがえらく説明臭いのは、俺が聞いているからだろう。心遣いはありがたいが、本音を言うと、二人だけで語ってもらっても一向に構わない。それにしても、アイロン・マンだのホット・プレート・ブラザーズだの、一体何の話だ。いや、エクストリーム・アイロンなる競技の話だというのは分かる。しかし、やっぱり何の話だ。
「ひょっとして、小笠原先生もエクストリーム・アイロンを?」
むふふん、と小笠原先生は不敵に笑った。
「私、こう見えてもエクストリーマーなんですよ」
やはりメインはアイロンよりエクストリームの方らしい。
「やや、そうなんですか」
これまた実生活では使わなさそうな感嘆詞を持って驚いた。
「是非とも小笠原先生のご活躍を聞かせていただきたいものですなぁ」
「いえいえ、私なんぞまだまだ。でもね、去年は僕、頑張りましたよ。恐山でエクストリームしたんですよ」
「いいんですか、それ?!」
二人の邪魔はしないでおこうと誓った俺ではあったが、思わず反応してしまった自分が憎い。だが、山下の反応は違った。
「凄いじゃないですか!」
純粋に驚いている。陶酔するイタコさんの横でアイロンかけをするのは確かに難易度が高いだろう。いろんな意味でエクストリームしてしまいそうだが、その難易度の高さとエクストリーマー達の憧れは一致するのであろうか。分からない。ふふんと鼻息を漏らす小笠原先生に山下は言う。
「実は私も去年の暮れ、長良川の鵜飼観覧船でエクストリームしましたよ」
迷惑行為である。業務妨害でもある。それが教育者の行為なのか、甚だ疑問である。
「それはまた思い切ったことを」
「いえいえ、それほどでも」
「でもやはり、エクストリーム・アイロニング愛好家としては、海外でやってみたいものですなぁ」
「もちろんですともさ。私は是非とも、ガンジス川を泳ぎながらやってみたいんですよ」
「それはいいですなぁ。それなら私はイスタンブールで――」
意味不明な会話がそれ以上俺の頭に入ることはなく、呪詛とも子守唄ともつかない奇妙な音とかして俺を眠りの世界に導いた。帰りしな、鵜殿さんが駅まで連れていってくれたようだが、その間ずっと俺は「溺れる・・・・・・」とうなされていたらしい。小笠原先生のせいに違いない。
二日酔いの頭を抱えての授業は辛かった。美術教師と違い、生徒に絵を描かせて自分は裏で寝る、というような行為を国語教師はできない。自分でも分からない問題を生徒たちに答えさせ、適当に「よく出来た」とか「惜しい」とか言いながら二枠こなすと、俺の体力は尽きてしまった。幸い三時間目は空いているので、こっそり寝ようと職員室に戻ると、小笠原先生が妙に興奮したような表情を浮かべ、近づいてきた。
「押井先生!やっつけよう!」
主語と目的語が抜けている、と、一応は国語教師らしいツッコミをしてみた。
「山下先生だよ!あやつ、私たちより自分の方がよっぽどエクストリーマーだ、なんて言うんだよ!」
「たち」をつけるな。エクストリーマーはあんただけだ。
「ああ、分からないかなあ。僕たちが侮辱されてるんだよ。僕たちが」
だから「たち」を付けるな、「たち」を。俺が乗り気でないとわかると、小笠原先生は悔しそうな顔で音楽の村治先生の元に歩いていった。才色兼備が服を来て歩いているような、わが校のマドンナだ。他にもっと誘ってよさそうなのがいるだろう。なぜ村治先生なのだ。
「僕たちの名誉がね・・・・・・」
今度は村治先生に演説ぶっている。そしてどうやら、俺は仲間に入っているらしい。
俺はつかの間の眠りに付くため、ゆっくりと目を閉じた。村治先生の戸惑ったような「うーん」という声が聞こえてきた。
さあ、おやすみなさい。
飛ぶことと見つけたり