聖なる夜に

聖なる夜に

寝ぼけ眼をこすりつつ俺はふと窓の方へ視線を向けた。
「何だ、カーテンおっぴろげじゃねぇか」
重い身体をベッドからずるずると引き上げる。

眩しいお天道様がすっかり顔を出している。
半分寝ぼけながら俺はベッド横の小さなテーブルにあった
コップに残っていた昨晩のウィスキーを口に運んだ。
街はなんだ、その、クリスマスとやらに湧いている。
一人暮らしの俺には無縁のものだ。
いや、昨年までは彼女も居たから二人でイルミネーションの下を歩いたっけ。

何で女というものはイベント事にこうもはしゃぐのだろう。
やれ、記念日だ、誕生日だ、バレンタインデーだ・・・
割とそんなものに興味のない俺にはさっぱりわからない。
それと年中発情期でも無いのにいちいち好きか、愛しているかなどと聞いて来る。
そんなの口にする方では無い俺は求められれば一応答えたが
はっきり言って言葉に出す方が価値が下がるような気がしていた。

そんな俺に愛想をつかしたのか彼女は俺から去って行った
悲しみはそれ程なかった。俺はどこか乾いているのだろう。
テレビを付ける。昼間っから騒がしくゴシップニュースがたれ流されていた。
今日は遅番だからもう少し家でゆっくり出来るが、あまりの天気の良さに外へ出たくなった。

少し腹が減っている。近所のラーメン屋まで行くとするか。
ベッドから出ると一気に寒さが襲って来た。
「うう、さみーな・・・」俺は急いでパジャマ兼部屋着のスウェットを脱ぎ
シャツにセーターを着込む。下はジーンズで良いか。

ポケットに財布を突っ込んで髭も剃らずコートを羽織り俺は部屋を後にした。
本当にいい天気だ。気分が少し上がる。階段を下りるとマンションの管理人と出くわした。
「あら。荒川さん、今日はとっても良いお天気ねぇ」と50代半ばの長谷部さんが言う。
「そうですね」俺は一言だけぽつりと言っただけだが、管理人のおばちゃんは俺を中々
解放してはくれない。「今日はクリスマス・イブねぇ。玄関前にツリーを飾ったの。
綺麗だからちょっと見てよ」「うちの娘がね、今夜はケーキを焼くって言うの。結構
上手なのよ。こう言ったらアレだけど、そこら辺の売り物より良いわよ」
矢継ぎ早にマシンガントークが浴びせられる。俺は半分引きつりながら笑顔を作りそれを
聞いてやった。寒い。早く温かいラーメンが食いたい。

「荒川さん、貴方もういい年齢でしょ?彼女さんと結婚しないの?」
「いや・・・。しませんよ・・・。じゃ、俺出かけますんで」
ダメだ。こっちから話しを切らないとこの人はいつまでも俺で自慢話を続けるつもりだ。
「あらそう・・・。じゃあ、玄関のツリー見てってよ、飾り付けもしたんだから。夜になったら
もっと綺麗よ。電飾つけたんですからね。じゃあ、行ってらっしゃい」
上機嫌になった管理人さんは陽気に手を振った。ども、と俺は頭を下げてそそくさと
その場を去った。玄関前を過ぎる時、ちらっとツリーを見たが特にこれと言って
思う事も無く、俺は足早に行きつけのラーメン屋に向かった。

「ヘイ!いらっしゃい!!」
威勢の良い掛け声が扉を開けると飛んできた。
「お、ショウちゃんじゃねえか、いつもので良いんか?」
店長がそう言うと俺はうん、とだけ言ってカウンターに腰を下ろした。

「へっ。クリスマスだってのに男一人かよ。寂しいねえー」
からかうように店長の黒沢が麺をゆでながらこっちを見ている。
「良いんだよ、別に俺は」
「何だよ、まだ別れたあの子の事気にしてんのか?」
「いや、そうじゃない。良いからちゃんと旨いの作ってくれよ」
「言われなくたってうちの店のラーメンは天下一品だぜ」

そんな会話をしながら空席の目立つ店内で、出来上がりを待つ。
この店はマンションから近い事もあり、自炊するのが面倒な俺にとっては何だかんだ
言って居心地が良い。店長の世話焼き加減も悪くない。

運ばれてきたあつあつの豚骨醤油ラーメンに腹がグーっと反応する。
さっそく麺をすすり、スープをレンゲで飲み込むと、すぐに身体が温まる。
やはりラーメンは一人で食うのが一番だ。
そう。俺は子供の頃から一人が好きだった。
徒党を組んで闊歩するのは好きではなかった。
学生時代も一匹狼だった。だからと言ってイジメられる事も無く。
何せ親父が少林寺拳法の師範だったので俺はチビの頃から鍛えられた。
一度不良とやらに絡まれた事があったが、その時は親父に感謝する結果となった。
その事は瞬く間に噂となって広がり、誰も俺にかかって来る奴は居なかった。

こう言ってはなんだが、俺はそれなりにモテた。頻繁にメールアドレスを聞きに
来る女子が居た。教えるとその晩にはすぐにメールが来た。
やたらとハートマークやらスマイルマークが連打されており、なんじゃこりゃと
俺は思った。

「考え事かい?」黒沢が声をかけて来た。「や、別に。美味いよコレ」
「だから、当たり前だっつーの!お前俺をナメてんのか?」
この店は立地が悪く、有名チェーン店でも無い。だが名前だけの店よりも
スープも麺も旨い。一番人気は俺の食った豚骨醤油味で仕込みに3日かける
拘りようだ。味に深みがありつつも豚骨特有の臭みがマイルドだ。麺にスープが
程よく絡むように工夫されており、何度食っても飽きない。
段々と客が増えて来た。俺は少し食うペースを上げ、スープも飲み干した。

「ごちそうさん」
「あいよ、また来いよ」

そんな会話を会計をしながらして、俺は店を出た。
あと一時間は暇だ。俺は散歩する事にした。
スマホで空を撮ってみたり、待ち行く野良猫に挨拶したり
感じの良い街路樹の植わった道をひたすら歩いた。

時間は午後12時。日差しが温かい。風が強くなくて良かった。
JRの駅前まで来てしまった。
そこでは高校生とおぼしいカップルがいちゃついている。あっちこっち
に同じように点在していた。
どの顔にも特徴が無く、髪型が同じような奴らばっかりだ。
スカートが短い。いや、別に厭らしい目で見ている訳ではない。
よく寒くないなぁと感心してしまっただけだ。

ん?スマホが鳴る。親父からの電話だ。何年振りだろう。

「はい、俺ですけど」
「翔太か、今夜ちょっと話がある。家まで来い」
「え、俺今日遅番なんですけど」
「いいから仕事終わったらタクシーでも何でも良い。金は払ってやる。
必ず来い」
「わかりました」

俺はもう35だが親父には敬語だ。子供の頃からそう教育されてきた。
何だろう。正月にも家に帰らない俺に用事って。
寒気がする。風邪でも引いたかな?もう部屋へ戻ろう。
踵を返し俺は歩いて来た道を戻った。

俺の仕事はパソコンのコールセンターの受付だ。
夜は多分10時には上がれるだろう。多分。
電車が走ってない時間でもない。
一応泊まりの準備でもするか。

部屋で仕度をすませ、背広に着替える。何だか気が重い。

その日はコールが多かった。時計を見ると10時半を回っている。
俺は上司に事の顛末を伝え、上がらせて貰った。
会社は駅前にあるのですぐに家に向かえるだろう。下りの電車の切符を買いホームで
ボケっと待つ。暫くして急行が来る。俺は電車に乗り込み吊り革に捕まって外を見ていた。
どこもかしこもイルミネーションされていて煌びやかだ。平和ボケとはこういう事か?
などと思いながら揺られていると眠気が来た。丁度何駅かして前の席が空いたので
有難く座る。あと30分はかかるだろう。スマホを取り出し今日撮った写真を眺める。
そのうち女と二人で撮った写真なども出て来たが俺は特に感傷に浸る事も無く
指をスライドさせていた。それにも飽きたのでパズルゲームをちょこちょこしてみる。

こうしているうちに実家の駅に到着。いつの間にか混んでいる車内を掻い潜り
脱出。駅からはタクシーで生まれた家へと向かう。
タクシー乗り場は人で一杯だった。クソ寒いのに待つこと30分。俺はやっと
再び温かい車内へと滑り込み住所を伝えタクシーの後部座席に身体を任せた。

15分位経ったろうか。見覚えのある一軒家が視界に入る。俺はタクシーの運ちゃんに
レシートを貰い、釣りはいらんと答え、開かれたドアから夜の田舎町の傍らで降りた。

荒川というやけに立派な表札の前で深呼吸を一つする。
俺はインターフォンを押した。

暫くして「翔太か?」の声に「はい」とだけ告げると鍵を開ける音がした。
懐かしいような、心の奥底に闇が広がるような不思議な気分がした。

親父は相変わらずの様子だった。
「客間に行ってろ。今、茶でも入れる」と言って台所へ姿を消した。
俺は指示通り客間に入る。何で客間なんだ?とも思ったがまぁ良い。

親父が緑茶を持って現れた。
「あまり美味い茶じゃないがな」
「いえ、構いません」
親父はずずっと茶をすすり俺もそうしようとした時だ。

「お前、貴美子の事は覚えているか?」といきなり声を発したので
茶を吹きそうになった。
その名を聞くのは勿論初めての筈がない。俺の母親だ。

「母さんが?どうかしたんですか?」
親父は暫く沈黙していたが、一枚の紙切れを俺に差し出した。
「貴美子の住所と電話番号だ」
「え・・・。何で今頃?」

そう

俺の親父と母親は俺が高校生の時に離婚したのだ。
離婚と言うより母親が家を飛び出したというのが正解だ。

あの日の事は俺も良く覚えている。
俺が学校から家に帰った時のことだ。少年漫画を読みながら
「ただいまー」と家に入ったが母さんの声がしない。
おや・・・。何だろう、この空気の冷たさは。張り詰めた空間は。
家に意識があるかのように何かを訴えているようだった。

台所へ向かった。どこの家庭にもあるように台所の前にはテーブルと椅子が
あった。ふとテーブルに目をやる。何か白いものが置いてある。
便箋の一枚だ。俺はそれを手に取り目を通した。
そこには、もうこの家には居たくない、親父について行けない、翔太が心配
だけれども限界だ、家を出ます・・・・みたいな事が綴られていた。

俺は血の気が引いた。いや、どこかで予感しては居たが、まさか今日だなんて。
昨日の晩まで俺は母さんの決心に気が付かなかった。親父に対する不満は
子供の頃から嫌という程聞かされてはいたが、まさかいわゆる「家出」を
するなんて思っていなかったから。俺はすぐさま親父の勤める会社に電話
をしようとしたが、子供心に仕事中には悪いような気がしてやめた。

その晩も親父の帰りは遅かった。
そして母親の取った行動を知ると、ふーっと深いため息を一つついた。
「お父さん、どうしたらいいんですか」
「どうもこうも無いだろう。貴美子は母親失格だ。せめてちゃんと話しを
付けてから家を出るなりなんなりすればいいものを、こんな形ですすめるとは
けしからん。妻としても母親としても失格だ」
親父は顔色一つ変えずそう言った。俺が高校1年の時だ。

あれから何年たった?

「良く聞け。翔太。貴美子はどうやら癌らしい」
「はい?」
「胃癌らしい。末期の状態だ」
「お母さんは・・・・その・・・」
「今は別の男と結婚しているらしい。だが死ぬ前にお前の声を聞きたいそうだ。
俺は断ったが決めるのはお前だ。連絡するなり、放っておくなり好きにしろ」

俺はすぐには答えられなかった。母さんが癌?末期?俺の声を聞きたい?
戸惑いと少しの哀愁と色んな感情が俺の中を巡った。こんなに何かを感じたのは
いつ振りだろう。

「今夜は泊るな?お前の部屋に客用の布団を用意して置いた。じっくり考えろ」

俺ははい、とだけ答え、客間から出た。ああ・・・茶を一口も飲んでなかったな・・・
などと余計な事を考えつつ自分の青春を過ごした部屋へ入った。
一人暮らしするに当たり、荷物と言えるものはほぼ今のマンションに運んだため
部屋はがらんどうだった。壁にポスターが一枚残っているくらいだ。

俺は親父から受け取った紙切れをもう一度開いた。

神原貴美子

見たことのない苗字だ。まぁそれはそうか・・・再婚してるんだもんな。
母さん本当は英語の教師になりたかったんだよな・・・・。
家の書庫には英文の小説やらなんやらが沢山あった。
共働きを許さなかった親父のせいで夢を諦めた母さん。その話し何度聞いたかな。

美人で若い頃はモテたのよ
自分で言うか、と当時の俺は思っていたが俺は顔立ちが母さんに似ていたな。
だからモテたのか・・・。
女というものにあまり興味が涌かないのは母さんのせいか?
などとくだらない考えが頭をよぎる。

もう今から電話するには遅すぎる時間だ。明日も会社だ。ぼーっと天井の木目を数える。
携帯が鳴る。誰だろう?こんな時間に。
それは去年別れた彼女からのコールだった。
何だよ今頃・・・。俺は仕方なしに電話に出た。

「メリークリスマス!!」
元気の良い声が耳を劈く。
「ああ・・・。ども。何?」
「何じゃないわよ、今夜はクリスマスイブじゃないの。そっちは彼女出来た?」
「俺は一人だけど。由美は?」
「私も一人よ。さっきまで友達とクリスマスパーティーしてたの。ワインいっぱい飲んじゃった」
「あ、そう、で?」
「あ、そうって・・・。ちっとも変わらないのね。少しは感傷に浸りなさいよ」
「え・・・。ああ・・・。」
「どうしたの?何かあったの?」

女の勘は鋭い。酔っていても心を覗く力は持っているようだ。
俺は淡々と今夜の出来事を伝えた。すると由美は
「電話してあげなよ!!お母さん死んじゃうんだよ!!何を迷う事があるの?」
と怒りにも似た声でがなった。

「だけど・・・。母さん俺たちを捨てたんだぜ。今更何を」
「お母さんだって断腸の思いでそうしたに違いないわ。前にも私、そう言ったでしょ?
死を前にして最愛の息子の声が聴きたくなって何がおかしいの?!離れ離れになったって
親子であることには変わりないのよ。貴方も意地張ってないで素直になりなよ」
丸で年上のような物言いに俺は少し動じた。由美は確か25だっけ。

「俺、明日も会社なんだ。電話なんかしてる暇ないよ」
「冷たい事言うのね。冷血漢。もう良いわ。勝手にしなさいよ!」とぷっつりそこで
電話は切られた。俺は取り残された子犬のような気分になった。
どうするのがベストなのか。俺の気持ちはどうしたいと言っているのか?
わからない。もしかしたら本当は病気じゃなくて金の無心かも知れない。親父には
頼めないから俺を頼るつもりとかじゃないのか?などと俗っぽい考えも浮かぶ。
それは・・・・。母親がこの世から本当に居なくなるのを恐れての気持ちからか?

夢を見た。子供の頃の夢だ。母さんと親父が喧嘩をしている。それも喫茶店の中でだ。
親父は怒り狂っておしぼりを母さんに投げつけた。母さんは唇を噛み締めて我慢している。
やめてよ、喧嘩しないで、怖いよ。恥ずかしいよ。
母さんもお父さんを睨み付けるのやめて。これ以上喧嘩が酷くなったら僕どうしたらいいの?
周りの視線が集まってるよ。もう嫌だ・・・・。よその家の子はお父さん大好きって言うよ。
優しいって。僕はお父さんが嫌いだ。お母さんも嫌いだ。何で僕は生まれたの?
誰か助けて・・・・。

はっと目を覚ました。携帯を見ると朝の5時だ。起きるにはまだ早い。
なんてぇ夢みたんだ・・・・。気分が悪い。

そうだ。俺はこの家に生まれた事を物心ついた時から悔やんでいた。辛かった。
独裁者の父。プライドが高く男に媚びない母。何であんな二人、結婚したんだかわからん。
母さんは俺が中学の時PTAの会長さんと浮気してたな。それを俺に幸せそうに話すんだ。
そして「母さんはね、お父さんと結婚して幸せだと思った事は一度も無いのよ」と繰り返した。
俺は親父が厳しかったし怖かったし好きになれなかったから、母さんが浮気しても仕方ない
と丸で大人のように理解していた。理解していたつもりだった。

親父には少林寺拳法の鍛錬で酷い目にあった。俺は元々身体が丈夫な方じゃなかったのに
男たるものそれではいかんと拳法を叩き込んだ。俺は何の役に立つか分からんことを
親父の命令のまま受けた。まぁ後で役立った事に変わりはないが。

俺はふと思い出した。俺があまり成績が良くなかったので、高校に進学する時親父は公立
に受からなかったら中卒で働けと言い、母さんは物凄く反発して、自分が働いても良いから
私立に行く事になっても高校は行かせると言い切ってくれた事。俺は頑張って勉強して
公立に受かった。あの時だけは母さんに感謝したな。

そうだ。電話してみよう。本当に逝ってしまうなら時間はない。
金の無心だったら断れば良い。
俺の中で迷いは薄れて行った。メールが来ている。由美からだ。

「昨日は怒ってごめんね。でもお母さん、きっと苦しんでるよ。待ってるよ。騙されたと
思って電話してあげて。じゃあね、バイバイ」

ふと笑みがこぼれた。そうだな、由美。俺はメールを返した。

「俺は変われるか変われないかわからない。でもまたメール待ってる。メリークリスマス」

窓の外はまだ暗い。だが心の霧は晴れた。俺の中で何かが確実に変化して行くのがわかった。

聖なる夜に

主人公が男性というのは書いた事ないので男性から見たらどうなのかな?ってヤキモキしてます。

聖なる夜に

クリスマスだの記念日だの何だの俺にはあまり興味の無い事だった・・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted