釜石あんでるせん物語

釜石あんでるせん物語

運命を分けた瞬間
2011年3月11日(金) 14時46分
東北地方太平洋沖地震(M9.0)発生

あんでるせん

「ピピピピ、ピピピッ・・・」

夜も明けない冬の午前4時。
ピンと張る乾いた空気へ手を伸ばし、目覚まし時計を止める。
ビューといった風の中にザパーンと荒れた波の音が遠くで聞こえる。
まだ春の訪れまでには程遠い、釜石の三月。
寒さで固まる体にムチを打ち、自宅に隣接する小さな工場へ小走りで向かう。
外には溶け残った雪が固く残り、粉雪が風に舞っていた。

「おはよございます」
一足早く作業を行っていた夫と娘に声をかける。
白い生地を手の平で転がす娘が眠たそうに朝のあいさつを返す。
「今日も寒いな」
作業着を粉まみれにする夫がつぶやく。
工場の中では夫が最近はまっているAmazingGraceの曲がリピートで流れている。
私たち家族は釜石市片岸町で「あんでるせん」という小さなパン屋を営んでいる。
手作り焼き立てパンの移動販売、これが三十年来続けてきたあんでるせんの営業スタイルである。
家族の他には、数人のパートさんにも手伝ってもらっている。

釜石市は昔、製鉄業が盛んで、製鉄所ラグビー部が日本選手権で七連覇を果たし日本中に名を轟かせたことは有名な話しだ。
海と鉄の街と言われる同市は全盛期では九万人を超える人口であったが、高炉休止の影響が大きく、今では四万人を切る程になった。
人口に占める高齢者の割合も年々上がってきているため、移動販売車を利用するお客様も自然と年配の方が多くなっている。
移動販売へは夫が昼から夕方にかけ釜石市内と大槌町を回って営業をする。
その一方、私と娘は市内の高校でお昼限定の売店としてパン販売を行っている。

運命の時間

この日、私と娘は高校でのパン販売を終え、自宅に戻り昼食の準備を始めた。
いつもであれば、仕事はこれで終わりなのであるが、今日は15時から商業者向けの講習会があるということで、
自分の代わりに出席するようにと夫から言われていた。
開場は自宅から車で20分程度の場所なので、14時30分に出発しようと考えていた。
昼食の準備ができた頃、ちょうど夫が帰ってきた。
家族三人で昼食をとっていると、自宅の電話が鳴る。
隣町に住む友人からの連絡であった。
風邪をこじらせたので、約束していた明日の訪問ができなくなったということだった。
最近空気が乾燥しているせいか、風邪を引いた話しをよく耳にする。
私も気を付けなくてはと思った。
夫は急気早に昼食を済ませると、再び仕事に戻ろうと腰を上げた時だった。

「こんにちはー!」

玄関から声がする。
盛岡に住む夫の高校時代の同級生であった。
仕事で近くまで来るときにはこうして顔を出してくれる夫の親友である。
何を話しているのかは分からなかったが、二人は楽しげにゲラゲラ笑っていた。
時間があまりなかったので話しも程々にし、名残惜しそうにも夫は移動販売へと向かった。

洗い物を済ませ、時計を見るとちょうど14時になろうとしていた。
娘は仮眠をとると言って自分の部屋へ戻っていった。
講習会へ向かうにはまだ時間があったので、私も少し休もうと横になった───。


「トゥルルル、トゥルルル・・・」


ハッと、目が覚める。
時計の針は14時30分を指すところであった。
電話の着信に気付き受話器を取る。
すると、同じ町内に住む叔母からであった。
パンがあったら持って来て欲しいとのことだったが、時間が無かったため夕方持っていくことを簡単に伝え、受話器を置いた。

急いで身支度を済ませ、会場を目指し車を走らせた。
海岸沿いの国道45号線を走り、両石町を抜け、市街地へ抜ける鳥屋坂トンネルに差し掛かった。
車をどこの駐車場に止めようか?そんなことを考えながらトンネルを通過したその時だった。
勢いよく携帯電話が鳴り出した。

車内時計の時刻は14時46分であった。

娘の安否

勢いよく鳴る携帯電話に驚き、国道沿いの市役所第三庁舎前で車を停車させた。
その瞬間、『ドーン』といった衝撃と共に、激しい揺れに襲われた。

庁舎からは大勢の職員たちが悲鳴と共に外へ出てきたが、揺れが激しいため皆しゃがみ込んでいた。
車体がぐわんぐわんと大きく弾み、私もとっさにハンドルにしがみつく。
一体何が起こっているのか、パニックになりながらも携帯電話を確認し、それが地震であることを知った。

揺れる車内で地震が治まるのを待つが、中々治まらない。
その後も揺さぶるような大きな揺れが三回程続いた。
尋常ではない揺れ方に「津波が来る」と確信した。
その時真っ先に脳裏を過ったのは娘の安否だった。
普段から地震があったら避難するよう言ってはいたが、娘は今、朝早くからの仕事を終え、自宅で寝ている。
避難できていないかもしれないと思った。
治まらない揺れがさらに不安を掻き立てる。
慌てて自宅へ電話をかける───。

通じない。

今度は娘の携帯へかける───。

通じない。

どちらの電話も呼び出し音すら鳴ってくれない。
最悪の状況が頭を過る。
急いで車をUターンさせ、来た道を引き返す。
ついさっきまで点灯していた信号機が全て消灯していたが、躊躇している余裕はなかった。
自宅の娘の元へ。
ただそれだけだった。

引き返す途中、来た道ではなく先週開通したばかりの三陸縦貫自動車道(三陸道)へハンドルを切った。
津波がきた場合、海岸沿いを通る国道では津波に襲われるかもしれないと思った。
三陸道であれば山側の高い場所を通るため安全と判断した。
様々な状況を想像し、不安がどんどん膨らんでいった。
アクセルを踏む右足に力が入る。
そんな焦りの中、自宅がある片岸町まで辿り着くと、意外なことにそこには普段と変わらない町並みが広がっていた。
自宅に到着し、玄関に飛び込みながら叫ぶ。

「いるかー!」

返答がなかったが、玄関に娘の靴が無くなっていることに気付いた。
念のため、二階の娘の部屋へ行き、姿がないことを確認する。
とりあえず避難したんだと、胸を撫で下ろした。
そんな時、お隣の旦那さんが非難所へ向かおうと外へ出てきた。
運転中は全く気付かなかったが、防災無線で「3メートルの津波予想」と警報が鳴っていたことを聞く。
私は以前に避難指示解除までに、大変な寒い思いをしたことを思い出した。
自宅から毛布を2枚だけ持って、急いで指定避難場所である「道地沢」へ向かった。
避難所に到着するとすぐに、娘の姿を探した。
避難者の大半は入口付近に集まっていたが、中々見つけられない。
胸騒ぎが徐々に大きくなっていく。
そんな中、道地沢の高台から海岸を見ていた男性が叫ぶ。
「波が引いているぞ!」
周囲がざわめき始めた。

非現実の世界

その時だった。
すごい勢いで夫の移動販売車が道地沢へ駆け上がってきた。
そのままの勢いで奥の駐車場まで進み、車を停車させた。

私は必死に夫の元へ駆け寄り、娘が見つからないことを訴えた。
夫は山側を、私はもう一度入口付近を探すことにしたのだが、それはすぐにやってきた。
眼下に瓦礫の波が押し寄せてきた。
ゴスゴスと不気味な音を立て押し寄せるその光景を目の当たりにした瞬間、頭が真っ白になった。
私はいったい何を見ているのか。
何が起こっているのか。
何も考えられず、只々茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
一時の静寂を切り裂くように叫び声が響く。

「もっと上がれー!」
「また来るぞー!」

瓦礫の波は不気味に引いていった。

高台からの叫び声で、口火を切ったように皆走り出す。
目の当たりにしている状況が理解できないまま、高台を目指す。
驚きと寒さで体が思うように動かない。

急げ。

早く。

急げ。

沼の中を進むような感覚に襲われながら、なんとか夫の元までたどり着き、その場でへたりこんだ。
すると夫が絞り出すように声を発する。

「あぁ、家が・・・」
「工場が流されていく・・・」

その場所からは自宅付近が見渡せたが、全て黒い波に覆われていた。
夢であるなら早く覚めてくれ。
そんな願いも空しく、決壊した防潮堤からどんどん黒い波が押し寄せてきた。

緊張の糸

娘を早く探さねば。
ここの地域にはもう一つの避難場所「不動沢」がある。
ここにいないのであれば、そっちに必ずいるはずだ。
しかし、道地沢の下はもはや道どころの話しではない。
山道を行くしか選択肢はなかった。

夫と私は不動沢を目指し、杉の木が立ち並ぶ山道を進んだ。
十分程歩いただろうか、山間部の少し開けた場所に出た。
そこからは片岸の町並みが一望できるはずだったが、目の前に広がる景色はそんなものでは無かった。
愕然とするしかなかった。
地獄絵図とはこういうことを言うのか。
ありとあらゆる建物は流され崩壊し、沢山の家の屋根や自動車がひっくり返り、山際まで押し流され密集していた。

山道はその地獄へと続いていたため、そこからは山肌を這うようにして再び不動沢を目指した。
息を荒げながら「どうか無事でいてくれ」そう何度も心の中で叫んでいた。
白い吐息が灰色の空に溶けていく。
ようやく不動沢まで辿りつくと、呼吸を整える間もなく娘を探し始めた。
どこだ。
どこにいるんだ。
不動沢にも多くの避難者がいた。
皆、眼下に広がる現実を受け入れられず、戸惑う人ばかりであった。

娘がいない──。

娘がどこにもいない──。

そんな中、娘を上の方で見かけたという人に巡り合えた。
零れ落ちそうになる涙を堪えて、不動沢の上の方へ急いだ。
すると、頂上付近で手を振る娘の姿がそこにあった。
娘の元へ駆け寄り、抱きしめ、声を上げて泣いた。
これまでの恐怖と不安から解放された瞬間だった。

淀んだ空から乾いた雪が降ってきた。

釜石あんでるせん物語

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
現在、あんでるせんは仮設商店街「鵜!(うーの)はまなす商店街」の一角で営業を再開しています。
この商店街では同じくあの悲劇を体験してきた事業者さん達が、支え語らいながら前を向き頑張っています。

釜石あんでるせん物語

3月11日 岩手県釜石市 あの日、あの瞬間、家族はバラバラだった。 娘の元へ、母の強い想いが結んだ物語。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-24

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  1. あんでるせん
  2. 運命の時間
  3. 娘の安否
  4. 非現実の世界
  5. 緊張の糸