強風

強い北風には用心しろ。カマイタチに斬られるぞ。

強風が大地をなぶる。街路樹の葉は風にあおられ舞い上がり、その姿を寒々しいものへと変えていく。
街行く人々は一様に肩をすぼめ、風にのしかかられた体を重くさせ歩いていく。
その頭上の空の、研いだ刃物のような澄んだ薄水色に浮かぶ雲達は、嬉々としてその身を風に任せ形を変えて流れていく。
風はそこにあるすべてを連れ去り、透明感のある原始の空気に一時変える。
俺はこんな日が好きだ。
真冬の強風。
人々が寒さで身を縮こませる、そんな中俺は両手を大きく広げて笑みを浮かべて喝采する。
気取った気象予報士が伝える。
「冬型の気圧配置が強まり、北風も強く、寒い一日になるでしょう」
俺は遠足前の子供のように浮き足立つ。
強風が文明社会における人間の営みを停滞させ、混乱に落とし、時に破壊する。
「俺も同じだ」
俺は風に語りかける。
俺も一陣の突風になり、駆け抜け、そこにあるものを薙ぎ倒す。
俺はカマイタチ。
人斬りカマイタチだ。


「カマイタチか、てめえは」
強風の日に現れる殺し屋を、そう例えた男がいた。
男の最期の言葉だった。
次の言葉を発する前に、俺がその男の喉に口を作り絶命させた。
「カマイタチのよう、か」
俺は血の海に沈む男を眼下にして呟いた。
「悪くないな」
以来俺はカマイタチになった。
名付け親の名前は、忘れてしまった。
顔も、思い出せない。

俺は物心ついた時から『切る』行為を好んだ。
遊びはハサミで手当たり次第紙を切り刻む事だった。自分の手で形を変える事、バラバラにしていく事、それらを『切る』事で行うと股間がむず痒くなる悦楽を呼んだ。
魔力だった。
ハサミからナイフになり、常に身につけるようになった。
『切る』衝動は身長が伸びるとともに大きくなっていった。そして対象が生き物になっていった。
昆虫、蛙、鳥、猫、犬。
衝動は止まらない。
それが人間になるのにそう時間がかからなかった。

『切る』が『斬る』になったのは中学二年の冬休みだった。
相手は近所の不良。最早外道だった。いなくなれば親も溜飲を下げる。そんな男。
俺は闇夜に紛れてすれ違い様、そいつの喉元を斬った。場所は繁華街の裏通り。血が噴水のように吹き出た凄惨なものだったが後ろに手が回る事はなかった。
自分でも呆れるくらい、呵責は感じなかった。それどころか物足りなさを感じた。
俺はそれ以来、冬になると人を斬った。酒を飲むとタバコが吸いたくなる、そんな感覚で。
男、女、年寄り、子供。
誰彼構わず斬りつけた。
死んだ者もいれば一命をとりとめた者もいる。
斬った者の生死には興味は沸かなかった。
ただ、警察官を斬った時はさすがに肝を潰したが。
それでも俺は逮捕されなかった。
「真冬の通り魔」
「平成の人斬り」
そんな見出しが紙面を踊り、人々を震撼させた。
俺は自分が選ばれた者である確信を得た。
麻薬よりも強い高揚感に俺は酔いしれ続けた。

したい事とできる事が一致している人間はざらにいない。俺はその内の一人だ。断言する。
人斬りは惹かれ合う男女が恋人になるように、極自然に俺の職業になった。
その需要の多さは人の業の深さを計れるに充分だった。俺もそこに望んで堕ちていった。
何年かすると俺は名の知れた人斬りになった。確実に仕事をこなす事で信用度も増し、依頼も増えた。
こんな濁った世界でも信用を重要視する姿勢はカラスの中の白鳥のように俺には映った。

冬の訪れで身を震わせるのは寒さだけじゃない。
俺がやってくるからだ。
俺に対した相手の反応は大まかに言って三つ。
命乞いをする者。歯向かう者。諦める者。
人斬りを重ねるにつれ、俺は相手の顔、佇まいで相手の反応が事前にわかるようになった。
だから俺には相手の行動が予測できる。
「ああ、やっぱりお前はそうなのか」
最近ではほんの少しの落胆を含めて呟き、相手を斬る。
だが、こいつは少し、様子が違う。
何者だ?


「なるほど。君が『平成の人斬り』か。案外若いんだな」
そいつは三メートルほど距離をおいて俺と正面に向き合った。
その表情で相手をはかる事はできない。そいつは車のヘッドライトを背にしている。
「あんたに比べたら大抵みんな若いだろ」
「心外だな。それほど年はとっていないつもりだが」とそいつはさもおかしそうに言った。
厄介だな。
俺は思った。相手のペースにはまりそうだ。
その前に斬る。
「せっかちだな、君は。若いんだからそう急ぐ事はないだろう?仕事熱心なのはわかるがね」
察しのいいヤツだ。しかしその余裕の態度が気に入らない。
「そう。俺は仕事でここにいる。あんたとおしゃべりする為じゃない」
「仕事。私との会話も仕事の一部だよ。君に損はないという意味ではね」
なんだ、こいつは。
俺は今更にこいつの印象を改めた。
風が強くなってきた。


この依頼がきた時、俺は疑問と警戒心を抱いた。
依頼は正規のルートからだったがその相手が奇妙だったからだ。
相手の名前は鈴木利宏。
鈴木は五十三才。三年前会社をリストラされ、その年に妻と離婚した。子供は二人。いずれも社会に出て独立している。
離婚の原因は彼が酒とギャンブルと女に溺れた事。さして珍しくない、転落人生の典型だった。
背丈は中背。脂肪が詰まった腹。薄くなった頭髪。薄汚れた眼鏡とたるんだ肌。裸でなければいいという身なり。
鈴木は河原の石ころのような中年男だった。
俺が斬る必要はない。
鈴木を調べた感想がそれだった。
取り柄らしいものは鈴木がピアニストのような美しい手である事くらいだ。
哀れに思った。
鈴木ではなく、鈴木の手が。
豚に真珠。
その言葉がパズルのようにピタリとはまった。
鈴木が殺される理由は鈴木がしつこく口説いたクラブの女が極道の愛人だったからだ。
彼等には鈴木は夏の蚊のような存在という事らしい。
パチンとはたく。
それなら自分でやればいい。極道ならばノウハウは熟知している。わざわざ大金をはたいて人にやらせるまでもない。しかも俺に。
疑念はあったが結局俺は受けた。
俺の人斬りの衝動は、それを軽く上回っていた。
何より俺は、人斬りに飢えていた。
三日鈴木の行動を監視した。どのポイントで斬るかあたりをつける為に。
鈴木の住まいは低所得者が多く住む一角にあるアパート。風呂なし、トイレは共同。住人は外国人労働者。
鈴木の行動はミミズよりも単純だった。
ハローワーク、図書館、コンビニ、バイトの夜間の警備員、そしてアパート。
毎日ほぼ同じ時刻には同じ場所に鈴木はいた。
バカらしくなった俺は鈴木を出勤前に斬る事に
決めた。
そして鈴木のアパートに行ってみると。
鈴木に出迎えられたという訳だ。

「お前と何をしゃべるんだ。どうせ命が惜しくなったんだろ?」
俺は風の音にかき消されまいと大声を張り上げた。
どうせ住人は日本語のわからない外人ばかりだ。聞こえたって構いはしない。
「大丈夫だ。私の耳はそんなに遠くない」
この強風の中、鈴木の声はよく通った。その声からは余裕がうかがえる。
「私は命が惜しい。当然だろ?君は平成の人斬りだ。私の命はまさに風前の灯火になっている。だがせめて名前を教えてくれないか?どこの誰ともわからない者に命を奪われたくないんだ。わかるだろ?」
「うるせえ。俺の名前を知ってどうしようって言うんだ。関係ねえだろ」
俺は苛立って声を張り上げた。斬れないもどかしさと、余裕たっぷりの鈴木に対して。
「そうか。残念だ」
鈴木の声ははっきりと俺の耳に届いた。気温が下がったと感じるほどの冷たさとともに。
鈴木が右手を上げ、俺を指さした。いや、何か持っている。あれは。
次の瞬間。
鋭い痛みとともに俺の腹に何か入ってきた。それから発砲音を耳にした。焼けた鉄の棒を突っ込まれたような激痛。
チクショウ。
俺は腹を押さえて膝から落ちた。うずくまった俺に近付く鈴木の足音。
油断。油断だ。鈴木のような男に抵抗はないと決めつけていた。それどころか拳銃を持っていて、あまつさえ撃ちやがるとは。失態。調査不足。こんな男とは誰だって思わない。言い訳。腹の激痛。痛恨。
鈴木が俺の首裏を踏みつけた事で思考は断絶させられた。アスファルトに顔を押し付けられる。
「教えてくれ。君の名前はなんだ?」
鈴木の冷たい声がする。この中年男のどこにこんな力があるのか。岩が首裏にあるように動けない。鈴木の顔は見えない。俺の吐く白い息が見えるだけだ。
「これが人にモノを訊く態度かよ。いきなり撃ちやがって」
俺は痛みを堪えて言った。声の震えはどうしようもない。この寒さなのに汗がにじむ。
「さすが平成の人斬りだ。ここに及んで私に説教かね?」
鈴木が足の力を強くした。俺は首がちぎれるほどの圧力に声にならない絶叫をあげた。
「非礼を詫びるつもりはないよ。これが私達には常識なんじゃないのかね?」
私達?私達だって?じゃあお前は。
「むしろ君の脇の甘さが問題だよ。違うかい?私達は子供の喧嘩をしているわけじゃない」
てめえも同業か。でも何故だ。
「恐らく君は今思っている、『何故』とね。その疑問を解くには私の質問に答える事、それが鍵だよ」
コイツの質問。俺の名前。それが何の関係がある。
声に出したくても出せない。首を踏みつけられて動けない。腹からの血は止まらない。体温を奪っていく。
「私の足が邪魔で声が出せないかい?でも力は抜かないよ。その途端、君のナイフが私の首を斬るだろうからね。私は臆病なんだ」
フフッと鈴木は笑った。なにがおかしいんだ、この野郎。
「では私が代わりに答えよう。実はもう調べてあってね」
鈴木の勝ち誇った声。チクショウ。この声を永久に出せないようにしてやりたい。
「名前と言っても君の本名じゃない。仕事上の君の名前だよ」
何?
「君はこう名乗っている。『カマイタチ』とね。そうだろ?」
それがどうした。
「君の口から聞きたかったな、『俺はカマイタチだ』と。本人を目の前にしてね」
なんだって?
「驚いたかい?私がカマイタチだよ。本物のね」
風が強くなる。
「困るんだ。君がカマイタチと名乗って誰彼構わず殺していくから私の品格が損なわれてしまった。その上こんな寒くて風の強い日に仕事をさせられるし、まったくいい迷惑だよ」
カマイタチ?コイツはカマイタチ?元々カマイタチと言う殺し屋がいたのか。じゃああの男が言ったカマイタチとはコイツの事だったのか。
「君の事はすぐにわかったよ。でも私が出向くまでもないと思った。君という人間はエサをうまくコントロールすれば擬似餌でもすぐに食いつくからね。結果はご覧の通りさ。血に飢えた君は私に飛びついてきた」
なんだと?じゃあこの依頼はコイツが仕組んだ事だったのか。
「そんなわけで君はこの強風の中、腹に鉛を入れられてアスファルトにキスをしているんだ。疑問は解けたかな?」
うるせえこの野郎。俺は鈴木を睨もうとするが鈴木は俺の背中だ。チクショウ。せめて仰向けになれば。
「さて、私の話しは以上だ。体がずいぶん冷えてしまった。うちに帰って熱い風呂に入るとするよ。もちろんこのアパートではないがね」
鈴木が足の力を抜いた。体が浮くように軽くなる。それから鈴木は俺の肩に靴先を入れて左足で俺を仰向けにさせた。
俺は腹の痛みに顔を歪ませた。だが両手が自由になった。チャンスだ。
「残念だが」鈴木は俺の気持ちを見透かしたように言った。鈴木の脂顔が近付く。
「私の放った弾丸は正確に君の肝臓に命中した。私と会話をしてもらう為に即死を避けたんだ。即死はしないがこの間大量の血液が君の体内から流れ出た。君はもう自分の意思で指先ひとつ動かす事はできない」
鈴木は淡々と告げた。事実だった。意思が体に通じていない。俺は昇っていく自分の白い息を見つめた。チクショウ。目がかすむのは涙か、意識が薄れていくからなのか。
「悔し涙かい?だとすれば君はとんだアマチュアだ。わかっていなかったのかな?殺す事が真ならば、殺される事もまた真だという事を」
「な、」何を言ってやがる。こう言いたかったがな、を言うのがやっとだった。
「君は依頼されていたんだよ。殺しのね。まあ、君は仕事熱心過ぎた。過ぎれば何でも毒になる、という事かな?」
ど、どういう事だ?
「わからないみたいだね。でも時間切れかな」
鈴木は俺の顔に銃口を向けた。
「顔を潰させてもらうよ。それで君はカマイタチとして死んでもらう。私もそろそろ保険が欲しい年齢でね」
俺の死を利用するのか。俺は身代わりか。
「サヨナラだ、平成の人斬り」
強風が、止んだ。


おわり。

強風

読んでくださりありがとうございました。
今回はカマイタチの続編みたいな形ですが、整合性はとれていません。
すいません。次回はがんばります。
ご意見ご感想等ありましたら是非。

強風

それは真冬に現れる。人々が震えるのは、寒さだけじゃない。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-22

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