~Neo Phantasia(ネオ パンタスィア)~

~Neo Phantasia(ネオ パンタスィア)~

一歩足を踏み出せば

自分の知らない世界が。ほら、そこに――

第一話

「メ…メディ!ダメだよそっちに行っちゃ!」

ココアブラウンの髪をした気弱そうな少年が、今にも柵を飛び越えようとしている少女に叫ぶ。

立入禁止の為に張り巡らされた木製の柵なのだが
もう随分と手入れがされておらず、雨風に長年晒され続けた柵はもろくなり、崩れ
背の低い少女でも簡単に乗り越えることが出来るようになっている。

メディと呼ばれた少女はオロオロと見守っている少年を見ると
柵に足をかけたまま楽しそうに笑みを浮かべて手を差し出し

「平気よっ
ほら、ソロもおいで?」

「ダメだって!
ずっと前おばさんが言ってたんだ!
そっちは古い古代の遺跡が置いてある保護区だから勝手に入っちゃダメって。
それに今は『朝が来ない』から、暗がりに変な人が潜んでることが多いって…
近付いちゃダメだよって…!」

「ただの見学よ!それに大人にバレる前に出ちゃえば分からないって。
ね?時間はお昼だけど、空は夜空だから暗いでしょう?
一人じゃ怖いから一緒に行こう?」

メディの言う通り、ソロという少年がおばさんから借りてきた懐中時計の針は昼の一時を指している。
しかし空はまるで夜中ではないかと思わせるほど爛漫とした夜空が輝いていた。

「でも…っ」

「ソロだって古代の遺跡が気になるって言ってたじゃない」

「そ…そーだけど…」

遺跡の所有者は今では国の物となっているが、元々はソロとメディが暮らすブッシュミルズ村が所有していた。

ブッシュミルズ村はまるで地図や人々から忘れ去られたように静かな場所で
国の中心からもかなり離れている。
有名な特産物もない。
強いて言えば、酒が美味しいくらいだ。
だが、それを遥かに凌ぐ上質の酒はどこにでもあるわけであまり目立っていない。
そんな辺境の村まで来る人間は余程の暇人か、旅人ぐらいだ。

しかしそんな村が活気付きだしたのは古代の遺跡が発見されたからだ。
村の人々はその遺跡を村おこしに使い客寄せをしたところ大成功し
今では国によって遺跡ごと保護されている重要な村となっている。

大人達が古代遺跡を出来る限り当時のままの状態で保存したくて
この木製の柵を張り巡らし、誰の侵入も許さない状況にしたということは分かっている。
ザルといっても過言ではないが、一応警備の人間もいる。
遺跡に近付ける人間は名のある学者や研究者、もしくは一部の権力者か王族だけだ。

けれどソロは興味があった。
自分とメディが暮らす村を活気づけた遺跡とは一体どういうものなのか。
大人達から散々「入るな」と言われてはいるが……

「し、仕方ないなぁ…ちょっとだけだよ?
見たらすぐ帰るんだよ?」

「もちろん!」

にこやかに笑うメディの手を握り、二人は柵を越えて保護区に入り込む。

暗闇とうっそうと茂る草木を利用し、離れ離れなにならないよう手をつないだまま
小さな体を活用して奥へ奥へと歩いていく。

小枝を踏む音。

息遣い。

揺れる草木。

些細な物音が敏感になった耳にいつも以上に大きく聞こえ、見つかるのではないかと冷や冷やする。

誰にも見つからないように。

足を忍ばせ。

慎重に、慎重に……

繋ぐ手が緊張で汗ばむけれど二人は離そうとはしなかった。

「メ…メディ…見つかったらどうしよう…っ」

涙声のソロは前を行くたくましい幼馴染みに小声で問う。

振り返ったメディはどこか楽し気に小声で

「あら、ほんとソロってば意気地なしね。
大丈夫よ!見つかっても私達はまだ8歳だもの!
怒られはしても子供だからってきっと見逃してくれるわっ
そしたら少し日を置いて、もう一回ここに来ましょう?」

「メディ~!
ボクもうイヤだよこんなのお!」

「大きな声出さないでっ見つかっちゃうじゃない!」

「誰だ!?」

近くを通りがかっていた警備員のランプの灯りがこちらに向けられる。
二人は慌てて口を手で塞ぎ体を出来る限り草陰に潜ませてしゃがみ込んだ。

「どうした?」

「今声が聞こえた気がしたんだが…」

どうやら警備員は二人いたようだ。

ソロは「どうしよう」と視線を隣のメディに向けると
彼女は「ソロのせいでしょ!」と言いたげに睨んできた。

警備員二人がガサガサと近付いてくる。

ランプの灯りはすぐそこだ。

自分の体が照らされないよう二人は更に体を縮込ませる。

「……誰もいないなぁ」

「気のせいじゃないのか?」

「でも確かに聞こえた気がしたんだが…」

灯りがソロ達がいる場所から少し遠のいた。

それを見計らいメディは近くの小石を取ると、自分達がいる場所とはまったく違う方向に投げる。

ガサッ

小石は草を揺らして地面に落ちた。

「今草が揺れたぞっ」

「そっちだ!」

思惑通り、警備員達は揺れた草の方向へと走っていく。

その様子を二人は影から見続け、やがて完全にランプの灯りが遠のくと深く深く安堵の溜息を吐いた。
メディはキッとソロを睨むと眉を吊り上げ

「もおっソロってば…!」

「ご、ごめんって…っ」

「ソロは遺跡につくまで喋っちゃダメ!いい!?」

「う…っは、はい…」

しょんぼりするソロを見てメディは表情を一変させ、くすっと笑う。
そしてソロの手をそっと握ると

「ほら、行こ?きっともうすぐよ」

柔らかく手を引かれゆっくり歩きだす二人。

周りを警戒しつつも互いの間では穏やかな時を感じていた。

草を掻き分け道なき道をひたすら歩き続けてどれくらい経っただろうか。

もはや警戒することすら忘れてきた二人の前に、空中に浮かぶ線路が見えてきた。

「な、なに…?あれ…
線路が宙に浮いてる…!」

「遺跡よ!きっとそうよ!早くいきましょう!?」

メディにぐいっと引っ張られ自然と走り出すソロ。

遠かった空中の線路は段々近付き、他の遺跡まで見えてきた。
近くに見える遺跡に気を取られて思わず辺りを確認せず草村から飛び出した二人だったが
運よく周りには警備員の姿はなかった。

「すごーい…!」

メディは目を輝かせて空中の線路を見つめる。

「これ、なんの線路だったのかしら…
近くに鉱脈でもあったのかな…?」

「見てメディ!あれなんだろう…?」

ソロがなにかを見つけてその場所へと走っていく。

メディも釣られてそこに向かうと、ソロの前にあったのは地面に埋もれ傾いた巨大なティーカップ。

「大きなティーカップ…
これ、なんのオブジェかしら?
地面に埋まって傾いちゃってるけど、人が入れるように作られてたのね」

色がくすみ所々にヒビが入っている大きなティーカップのオブジェ。
それには明らかに人が入りやすいように作られた入口のような隙間があった。
メディとソロは興味深くそのティーカップのオブジェを見つめる。

「ねぇメディ…ここってもしかすると歓楽地だったのかもしれないよ?
だってほら、このカップのオブジェの他に綺麗に装飾された沢山の馬のオブジェもある。
鉱脈がある場所でこんなの作るかな…?」

確かにソロが指差す方向には、すっかり壊れて色もくすんでいるものの
それは煌びやかな装飾が施された数々の馬のオブジェ。
馬だけでなく馬車やソリのようなオブジェもある。
元々何かに吊るされるように作られていたのか必ず一本の棒がオブジェのどこかに付いている。

「ええ?じゃあ、あの空中の線路は何に使うの?」

「うーん…それは…分からないけど…
きっとボク達じゃ想像もつかないようなことに使われてたんだろうね」

「そうね…
だって昔の人は私達じゃ手が届かない月に行ったことがあるんだもの。
きっとエルフもびっくりするくらい凄い魔法を使ったんでしょうね」

「でも、昔はエルフはいなかったって聞くよ?
人間はエルフみたいに魔法が使えないのに…」

「人間でも使える魔法が偉い人達がよく言ってる『古代魔法』なのよ!
時代が進んでその古代魔法を使える人間がいなくなってしまったのね」

「古代魔法かぁ…
ボク、エルフも魔法も見たことないや。
一度見てみたいな。魔法よりも凄い古代魔法…」

「私は空が見たいわ。
きっと昔は、今みたいにずっと夜じゃなくて
ちゃんと朝が来て、昼が来て、夕方が来て夜が来る。
表情豊かな空だったんでしょうね…」

昼の夜空を二人は手を繋いで静かに見つめる。

物心ついた頃からこの空は既に夜空で満たされていた。

朝を知っている大人達の話によると
本来の空は青から橙、そして夜の紺へと表情を変えるものだと言う。
こんなに空満天に輝く星達を一瞬のうちに霞ませる『太陽』を
ソロとメディは知らない。

「さ、帰ろうメディ。
見たらすぐ帰るって約束だよ?」

「もうちょっとだけ」

「ダメだって!ほら、帰ろう?」

渋るメディをソロは半ば引きずる形で遺跡から引き離していく。

「ソロ」

「ん?」

「今日の事はみんなには内緒。
ふたりだけの秘密だよ?」

まるで悪戯っ子のように楽しげに笑って人差し指を口の前に添えるメディ。

「うんっもちろん!」

二人だけしか共有出来ない秘密にソロはなんだか嬉しくなり
にっこり笑って同じように人差し指を口の前に添えたのだった。

 

第二話

「ただいまおばさん!」

「遅くなってごめんなさいっ」

ボクとメディが帰ってきた場所は一軒の八百屋。
そこの店主である、ふくよかな中年の女性が常連客との談笑を中断し
振り返ってボク達を笑顔で出迎えた。

「お帰りふたりとも」

「お帰りなさいソロちゃん、メディちゃん」

楽しげにおばさんと談笑していた常連客、ソニーおばさんもボク達を出迎えてくれる。

「ただいまソニーおばさん」

「ソロ、さっそくで悪いけどそこの野菜をカゴに詰めてあげてくれるかい?
メディは奥から新しい野菜を持ってきておくれ」

「はーいっ」

「はい!」

言われた通りボクは網かごの中に入っている数々の瑞々しい野菜を
ソニーおばさんから受け取ったカゴの中に詰めていく。

ボクとメディは二人して両親がいない。

メディの両親は幼い頃暴走した馬車の事故で亡くし
ボクの両親はまだ言葉もまともに話せない頃、母は病死し父も亡くしている。

そんなボク達を哀れに思い、近所に住んで家が近いからと言って
八百屋のおばさんがふたりの子育てを引き受けてくれたのだ。

今ではボク達は八百屋の手伝いをしつつ、それぞれの家で暮らしている。

両親はいないとはいえ持っている家はふたりの財産。
成長すればいずれ必要になる、というおばさんの意見で三人一緒に暮らしたのは短期間だった。

でも、ボクにとってもメディにとっても
自分達の育ての親は八百屋のおばさんだ。
本当の親以上に慕っている。

「それにしてもここの野菜は太陽がなくなった以降も
変わらず瑞々しくて美味しいわぁ」

ソニーおばさんが談笑の続きを始める。

「そうだろう?うちは疑似太陽の光はこだわってるからね!
野菜に適した温度の太陽光を当ててるんだよ」

疑似太陽とは丸い球の形をした、眩しい程の光を発する人間の発明品だ。
見た目はただ丸いだけのランプのようなものだが
ランプとは違ってある程度の室内を暖めることが出来たり
発光の調節をして野菜や果物に適した光を当てることが出来る、主に農業生産に向けた物だ。

「太陽がなくなった時、今後どうなることだろうと不安だったけど案外生きていけるものなのね。
疑似太陽なんて便利なものを人間が作り出しちゃったから余計に」

「そうだねぇ。
太陽がなくなってまだ10年くらいだろ?
順応性が早いというかなんというか…
どんな状況でも生きていける知識を持ってるから人間は賢いよねぇ。
もしかすると太陽がなくなること予想してすでに作ってたんじゃないのかい?」

「やだ、太陽がなくなるなんて今までどの有名な預言者も想像すらしなかったのに
そんなこと予想出来るはずないじゃないのっ」

「そりゃそうだ!」

楽しそうに大声で笑うおばさんと上品に笑うソニーおばさん。
ボクが野菜をカゴに詰め終わり、ソニーおばさんに渡してもふたりの談笑はまだまだ続く。

「そういえば今朝の新聞読みました?」

「なにか書いてあったのかい?」

「王都ベルファストで太陽の研究をしている変人天文学者よ。
また論文が載ってたじゃない」

「そういえばそうだったねぇ。
私ああいうの苦手だからあまり読んでないのよ。
しかも内容が『太陽は人類にとってなくてはならないもの』とか言うやつだろ?
これだけ疑似太陽が普及して農作物に不足してないんだ。
今更太陽が必要とか言われてもねぇ」

「そうよねぇ。疑似太陽で事足りてるから太陽なんて必要ないもの。
でも王家が抱えている学者だから研究費用は王家から渡される私達の税金だし…
研究成果は出なくとも費用に困ることないわよね。いい迷惑だわ」

「ほんとだよ。
無くなった太陽を取り戻す方法より、もっと他のことについて研究してほしいもんだ。
特に、疑似太陽は便利だけど外装を外しちまえば只の小さな火さ。
中には少量の油しか入れられないからすぐに火が消えちまう。
だから頻繁に油の量の確認をしないといけないから地味に面倒でねぇ…」

「燃料を気にせずに疑似太陽を使える方法が発明されればもっと便利になるのにねぇ」

ため息も絶えず笑いも絶えず、話題も言葉も絶えず。
おばさん達は次々と出てくる尽きない話題に忙しそうだ。

「ソロ、ソロ」

「ん?」

奥から新しい野菜を持ってきたメディがボクの服の袖をくいくいと引っ張る。
振り返ってみると彼女の手にはいっぱいの野菜の他に今朝の新聞が持たれていた。

「見て」

野菜を近くに置き新聞を広げるメディ。
ボクはそれを覗き込み紙面いっぱいの文字を目で追い

「…新聞がどうかしたの?」

「これじゃない?おばさん達が話してるの」

彼女が指差す先の記事には二枚の写真と大量の文字が書かれている。
記事の内容はボクにはまだ理解できなかったけど、恐らくおばさん達が話していた内容だろう。
それよりも気になったのは二枚の写真だ。

一枚はウェーブのかかった地面につきそうなほど長い髪をした女の人。
色がついてないから分からないがおそらく金髪だろう。
長い睫の目を細め穏やかに微笑んで写っている。

そしてもう一枚は肩以上に伸びた髪を後ろで結んでいるメガネをかけた男性。
伸びた髪はおしゃれというよりも単に切るのを忘れた結果、好き放題に伸びて大雑把に後ろでひとつに纏めたという感じだ。
服は白衣で写真を撮るから気休め程度でネクタイを締めている。
優しそうだが自分の身の回りはおごそか、そんな雰囲気の男性だ。

「綺麗な人ね」

メディがうっとりと見つめるのは女性の写真だった。

「そうだね。どこの人かな?」

「もうっソロったら世間知らずなんだから。
この人ベルファストのお姫様よ!
フィリア=ベルファスト王女!!」

「え!?や、でも!ボク王族なんて見たことないし…!」

「私だってないわよ。
だけど新聞読んでいれば写真くらい時々載っているわ」

「ううう…」

普段新聞を読んでないからたまに自分がいかに世間知らずか思い知る時がある。
でも紙面びっしりに敷き詰められた文字を見ると
どうしてもそれを読む気にはなれないのだ。

「きっとこの人がベルファストの天文学者ね。
イプレル=クラウンっていう名前みたいだわ」

写真の下に小さい文字で名前が書かれている。

「前読んだ新聞にね、不評なのにこの人の論文を新聞に載せるのは
お姫様が勧めているからなんですって。
彼の研究はとても重要で、評判は良くなくても
常に人々の心の隅に留めておいて欲しいことだからって…」

「ふーん…」

「きっとお姫様はこの人のことが好きなのね」

「ええ?そうかなぁ?」

「絶対そうよ!でないとこんなに勧めたりしないもの!」

「単に研究の内容に共感してるだけじゃないの?」

「まったく…ソロは鈍いわね。もういいわよ。
…それにしても、お姫様かあ…いいなぁ」

呆れたような視線をボクに向けた後、一瞬にして夢を見るように輝く目を
フィリア王女の写真に向ける。
女の人って視線だけでも忙しそうだ。

「メディはお姫様に憧れてるの?」

ボクの質問に彼女は頬を仄かに赤らめ少し興奮したように話し出す。

「お姫様は女の子全員の憧れよ!
素敵なドレスに綺麗なお城…夢のように華やかな舞踏会にかっこいい王子様。
一度でいいからお姫様になってみたいな」

「なれっこないって」

「夢見るくらいいいじゃない!ソロのバカ!
ほんっとデリカシーがないんだからッ」

新聞を丸めてポカポカと叩いてくるメディ。
それから逃げるため避けると負けじと彼女は追いかけ、慌てて走って逃げる。
そのまま仕事を忘れてドタバタと走り回って遊んでいたボク達だったが
呆れたように笑うおばさんに咎められ仕事を再開する。

「ソロ、また一緒に遺跡に行こうね」

周りに聞かれないようにボソッと耳元で言ってくるメディに笑いかけ

「もう一回だけだよ?」

内緒話のようにして返事をする。

「ん?二人して内緒話かい?
おばさんにも教えておくれよ」

『ひーみーつー!』

そんな何気ないいつも通りの日だった。

けれど――…

その日の夜中、大雨が降った。

人々は寝静まり、外は雷と豪雨の音しかしない。

雷の音で目が覚めだボクは、雷が苦手だったメディが気になり
隣の家に向かおうと家を出た時だった。

「……!?」

鉢合わせたのは、黒いローブを羽織りフードを目深に被った複数の人達。

「メディ!?」

メディはその内の一人に担がれていた。

「メディ!目を覚まして!メディ!!」

どんなに声をかけても目を覚ましてくれない。
眠りが深いだけじゃない。この人たちに何かされたんだ!

「離してよ!メディを離せ!!」

ずぶ濡れになるなんて気にもせずメディを担いでる人へと走る。
けれどすぐに別のローブの人に捕まり、近づけなくなった。

「如何しましょう」

「いつも通りの処置で良いだろう」

ボクを捕まえた人とメディを担いでいる人は男性のようだ。
二人は頷くと、ボクを捕まえた男の人の手が頭へと伸び

「待て。その子供は私が引き受ける。
お前達はいつもの通りに…」

メディを担ぐローブの男の後ろから、同じようにローブを羽織っているが
他とは違って錫杖を持ち口元に髭を生やした男性が現れた。
恐らく一番の年輩ではないだろうか。
他のローブの人達は頭を下げると走り去ってしまう。
もちろん、メディを担いだ人も…

「あ?!待って!メディを離せ!!
メディっメディ!!!」

「黙れ」

「あう!?」

バシッ!と思い切り頬を錫杖で殴られ、思わずボクはその場に尻餅をつく。
丁度水たまりになっていたようだ。
ボクはあっという間に全身泥だらけになった。

「っ…メディを…返せ…!」

いつも弱虫なボクだけど、大切な幼馴染みを見捨てるほどじゃない。
殴られた頬がズキズキと痛むけれど
ボクは口内噛んでしまって流れる血を拭い、立ち上がる。

「ボクの…幼馴染なんだ…!
たったの一人の、大切な家族なんだ!!
返せ…っ返せぇええええええええ!!!」

武器なんて持っていない。
地面を力強く蹴って、生身ひとつで相手の男へと走り出す。
土がぬかるんであまり速さは出ないがボクはそれでも
精一杯、出せるだけの力で体当たりをする。

こいつを押し退けてメディを助けに行く。

そう思ったけれど…

「っ…!」

男の体が少し揺れただけで、ふらつきもしなかった。

負けじともう一回体当たりをしようと離れたが、次の瞬間首を掴まれ
軽々と宙吊りにされてしまう。

「うう…っう…!」

喉が詰まって呼吸が出来ない。
ひたすらもがき、唸る声を漏らしながら抵抗する。

「は…ぁ…え…っ」

言葉にもならない声で威嚇するがまったく効果はない。
ローブで顔が隠れているので表情は分からないが、恐らく無表情だろう。
悶え苦しみながらも威嚇するボクを見て、顔色一つ変える気配すらない。
男は何も話すことなくボクの首を絞め続け
やがて首を持つ手が白く光りだした。

「!?ま…!」

待って!

そう叫ぶより早く光が一瞬にして強くなり、反射的に目を閉じる。
光はすぐに治まると男は首から手を離してボクをその場に落とした。

気管が解放されやっと呼吸が満足に出来るようになると
まるで今まで出来なかった呼吸を取り戻すように大量の空気が入ってくる。
追い付かずボクは苦しくて泥の地面にうずくまり激しく咳き込んだ。

男はそんなボクをしばらく見下ろして眺めていたが
しばらくしてボクに背を向け歩き出す。

逃がしてなるものか。

込み上げる咳を無理やり押し込み、去り行く男の背を睨んで大声で

「(待て…!!)」

それでボクは初めて異変に気が付いた。

おそるおそる首に手を当てる。

「っ…!……っ!!」

声が、出ない。

「(そんな!…そんな!!)」

なんで?どうして!?

一人で困惑している間にも男の姿はどんどんと遠ざかっていく。
ならばせめて逃がすまいと相手にしがみつくも
まるで服についた埃を払うかのように簡単に引き剥がされた。

「(ボクだけじゃダメだ…!
誰か大人を…おばさんを!!)」

男が去っていく方向とおばさんの家は逆方向。
呼んでいる間に逃げられるかもしれない。

それでも…!

土砂降りの中走りだし、おばさんの家を目指す。
近所だからそう遠くはないのだが、泥となっている地面に足をとられスピードが出ない。
何度も転びながらやっとの思いで辿り着くと
ボクは精一杯ドアを叩いた。

声が出ないならせめて音で!
おばさん気付いてっ起きて!!

寝入ってしまって当然の真夜中。
おばさんはなかなか出てこない。
それでもめげずにひたすら叩き続けていると

「うるさいねぇ!一体誰だいこんな時間にっ
眠れやしないじゃないか!」

大声を張り上げ、ドアを勢いよく開け放っておばさんが出てきた。

おばさんは泥と傷だらけのずぶ濡れたボクを見ると驚いたように目を見開き。

「ソロ!?
あんた一体…その恰好はどうしたんだい!?」

説明したいが声が出ない。
なにより今は時間が惜しい。
驚くおばさんの手を掴むと、ボクはそのまま走り出した。

「ソ、ソロ!?」

とにかくあいつらを見てもらえれば状況が伝わるはずだ!
怪しげなローブの人間がメディを担いでる状況なんだ。
絶対に異常だって分かってもらえる!

戸惑いを隠せず状況が分かってないおばさんの手を引っ張り
男が去って行った方向を目指してひたすら走る。
叩きつけるように降る雨が視界を邪魔するけど、それを拭う時間すら惜しかった。
どのくらい走ったかわからない頃に見えてきたものは村の出入り口である門。
そこに人影はなく、また、すれ違った人もいない。
走るスピードを徐々に落とし、そしてボクは立ち止まる。
誰もいない村の門を息を切らしながら呆然と見つめ

「ソロ…あんた…」

ボクは

その場に膝を崩し、座り込んでしまった。

 

第三話

あれからすぐおばさんの家に連れ戻された。

泥だらけの服は洗濯に出され、雨で冷えた体は風呂で暖め
洗濯したての服を着た後、ふんわりとした毛布で包まられる。
そして、おばさんが淹れてくれた甘くておいしい蜂蜜の入ったホットミルクを飲み
ホッと一息ついた後説明を求められた。
ボクは声が出ないから紙に書いて説明をした。

メディが怪しげなローブの男達に連れ去られたこと。
その内の一人から魔法のようなものを使われたこと。
その直後に声が出なくなったこと。
追いかけたが間に合わなかったこと。

おばさんはボクの説明が終わるまで黙って聞いていたが
その直後とんでもないことを言い出した。

「メディって誰だい?」

一瞬なにを言われたか理解が出来ず固まってしまった。
すぐにボクは紙に

『ボクの幼馴染みの女の子だよ!一緒に八百屋で手伝いをしてた…
ほらっボクの家の隣に住んでる子だよっ』

「知らないねぇ…
確かにあの家はずっと空き家だけど…
誰かがそこに住んでた事はなかったよ?」

そんな…

『昨日のお昼だって一緒に手伝ってたじゃないか!』

「手伝っていたけどあんた一人だけだっただろ?」

『夕食の南瓜のスープが美味しいってメディが嬉しそうに言ってたのは?』

「あれもあんたじゃないか。
一体どうしたんだい?」

それはボクのセリフだ。
どれもメディのことなのに、全部ボクに変わっている…!
困惑して黙り、考え込む。
おばさんはそんなボクを可哀想な子を見るような目で見つめ
そして優しく抱き締める。

「ソロ?
あんたはきっと怖い夢を見ちまったんだよ。
それであんなことしちまったのさ」

「………」

「可哀想に…ショックで声まで無くしてしまうなんて…
どんなに恐ろしい夢だったんだろう。
もう大丈夫だよ。おばさんがついてる。
怖いものなんて何もない。
今日はこのままおばさんの家でゆっくりお休み」

ふくよかな柔らかいおばさんの体と体温にいつも安心出来ていたのに
今はどうしてか、ざわつく心は落ち着かなかった。





翌朝になっても声は戻らなかった。

それだけじゃない。
村の人達が何人もいなくなっている。
それも、若い女性やメディのような幼い女の子ばかり。
生まれて間もない赤ん坊や、女性でもお婆さんやおばさんの歳の人達は全員無事だ。
異様な光景にボクは息を飲む。
村人が大勢失踪した状況も異様だが、それ以上に
そのことに対して全く誰も騒いでいないことだ。

昨日と変わらない平穏な日。
まるで…元から彼女たちなど存在していなかったように。

たまらずボクはたまたま通りがかった人を捕まえた。

「やあ、ソロじゃないか。おはよう!」

爽やかに笑ってくれる男性はアルベルト。
近所でも評判な好青年でセーナという女性と近々結婚するという話もあった人だ。
だがセーナさんはメディ同様いなくなっている。
でも、婚約者を忘れてることなんて流石にあり得ない。

『おはようアル兄さん』

「…?ソロ、なんで喋らないんだ?」

『あとで話すよ。
それよりアル兄さん、セーナさんは元気?
最近見てない気がするんだ。花屋のお仕事忙しいのかな?』

「セーナ?」

アル兄さんはしばらく考え

「ソロ、セーナって誰のことだい?」

「っ…!」

やっぱり、アル兄さんも忘れてる…!

『セーナさんだよ!
そこの角を曲がった所の先に花屋さんがあるだろ?』

「あるな」

『そこに住んでるアンジュさんの娘さんだよ!』

「なにを言ってるんだ。
あそこの花屋は元からアンジュさんとその旦那さんしかいなかっただろ?」

アル兄さんは「どうしてしまったんだ」と言いたげに苦笑する。

『セーナさんはアル兄さんの婚約者だったのに
忘れてしまったの…?』

「婚約者!?」

それを聞いてアル兄さんはひどく驚いた後、お腹を抱えて大笑いをした。

「やだなぁソロ!オレに婚約者なんているわけないだろ?
そのセーナなんていう女性はオレは全く知らない、のに……」

アル兄さんの目から、涙が零れたのはその直後だった。
自分でも不思議そうにアル兄さんは零れた涙を拭い、それを見ている。

「あれ…?なんで、オレ…」

……アル兄さんもおばさんも、忘れてるのはきっと本当だろう。
冗談でもなんでもない。
本当に忘れてしまって記憶にすらない。
でも、心の奥底では覚えているんだ。
綺麗さっぱり忘れることなんて出来ず……

「ソロ」

後ろから声をかけていたのはおばさんだった。
振り返っておばさんを見ると、まだ土がついた獲れたての野菜を両手に抱えている。
おばさんはボクを見ると、なにか違うといった風に顔を歪め

「ソロ…だったよね?野菜の土を洗う仕事は。
なんだか他の誰かに頼んでた気がするけど…
あんた以外うちで働いてる人なんていないからねぇ」

本来それは、メディの仕事だ。

メディが野菜についた土を水で洗い、ぼくがそれを受け取って網かごの中に入れていく。
そんな流れ作業だ。

『そうだよおばさん。ボクの仕事だよ』

「やっぱりそうだよねぇ。私ったら何を勘違いしてたんだろうね。
さ、頼んだよソロ!」

大量の野菜をボクに手渡して次の仕事に行ってしまうおばさん。

「(メディ…)」

何かがおかしい。
夜中のローブの奴らがきっと村の皆に、メディに、なにかしたんだ…!
本当は心から覚えているのに無理やり記憶を無くされてるなんて…

メディを、みんなを、助けなきゃ…!!

こんな悲しい状況からおばさん達を助けなきゃ。
覚えているボクにしか出来ない。

「(捜さなきゃ)」

捜し出してメディに会いたい。

そう決意したのは、3年前の事この日だった…




おばさんの反対を押し切り、ボクはついに旅に出る日を迎えた。

「私は今でも反対なんだからね?
11歳が旅だなんて危険すぎるよ!」

怒ったようにおばさんは言う。

旅支度を終え、村の出入り口で別れを惜しむボク。
沢山の村人が集まってボクの見送りに来てくれた。

「まあまあ、可愛い子には旅をさせろという昔の人の言葉があるじゃないか。
ソロが可愛いなら旅をさせて社会勉強させるべきだよ。なあ、ソロ」

アル兄さんがバシンッとボクの背を叩く。

「頑張れよ?無理しない程度にな」

『うん、ありがとうアル兄さん』

スケッチブックにそう書いて笑い返す。
ボクの声は未だに戻っていない。
アル兄さんも3年前から婚約者どころか恋人も作っていない。
生産物を村の外に出荷する仕事をしているアル兄さんは
村以外の女性達と出会う事は多い。
けれど、何故か作る気になれないと言うのだ。

「(きっとまだ心のどこかでセーナさんの事を覚えてるんだ)」

ボクもメディのことを忘れられない。
きっと見つけ出して連れて帰る。

『じゃあ、そろそろ行くよ。
みんな見送りありがとう』

「ああ!行って来い!」

「頑張ってねソロちゃん」

「体には気を付けるんだぞ!」

口々に励ましの言葉を投げてくれる村の皆。
その言葉に応えるように手を振りながら村の外へ歩き出す。

「ソロ!!」

一際大きく、おばさんの声が響いた。

誰もが静まり返り、ボクも思わず足を止める。

「元気に、帰ってくるんだよ!!」

豪快で、いつも元気溌剌なおばさんの声が少し震えている。
それを聞いた途端ボクは吊られて涙を零し。

「っ―――――!!!」

出ない声で精一杯「行ってきます」と叫んだ。








旅人や交易商人が行き来するだけの整備されていない平原の道。

ブッシュミルズ村から次の町までの距離はそんなに無い上に人の行き来が激しいので
ボクは特に目立ったトラブルもなく新しい町に辿り着いた。

アル兄さんがよく仕事で来る町だ。

ブッシュミルズ村よりも広く大きな町。
他の町との交流が盛んなのか人通りも多く、商品を並べている屋台も多い。

村で見慣れた物もあれば見たこともない雑貨店。
食べたことも、見たこともない食べ物。
自分の村から数十分離れた所にあるだけでこれだけ賑やかで様々な物が豊富にあるなんて不思議な感じだ。
まるで町全体がキラキラ光っているようだ。
賑やかさに、未知の物に、目移りして眩しくて……まるで3年前のあの日、メディと初めて古代遺跡を見た時のような気分だ。

「(八百屋があちこちにいくつも並んでるなんて初めて見た…)」

ブッシュミルズでは八百屋といったらおばさんの店だけだ。
だから常連客は簡単に出来るし、村のみんなは例外なく家族のような感覚だ。
店に来るすべての人がボクを小さい頃から知ってる。

物珍しさにキョロキョロと周りを見回してすっかり観光気分でいたら、突然後ろから物凄い勢いで体当たりされた。

「(あっ?!)」

ドサッと地面に倒れるとカバンの隙間から小物類が転がり出る。
その中にはおばさんから貰った金貨と、自分で貯めた金貨が詰まった財布も入っていた。

「(財布が…っ)」

慌てて拾おうと手を伸ばすがそれよりも早く大きくごつい男の手が伸び、その財布を掴んで猛ダッシュで走って行く。

「(ま…!?)」

声が出ない。助けを呼べない!

周りに沢山の目撃者はいるのに誰もボクを助けようとしてくれない。

みんな、見ているだけだ。

「(だめだっあれには全財産が…メディを捜すためのお金が…!)」

泥棒はあっという間に人ごみの中に掻き消えていく。

足は速いしどう頑張ってももう追いつけない。

虚しくうつ伏せになった状態で、泥棒が消えていった方向に手を伸ばすだけのボク。

「みぃつけたあ!!」

人ごみの中、一際大きく声が響き渡った。

その声は更に続いて響く。

「やっと見つけたわよこの盗人!あたしの財布返しなさい!」

「まっちょ、やめ…!」

なんだか尋常じゃない雰囲気のようだ。

人の流れも完全に止まって、皆声が響く方向を向いている。

ボクは急いで荷物を拾いあげてカバンに戻すと
密集している人の中を掻き分けて声がする方向に向かった。

人の隙間を割っていくように進み、やがて声の元に辿り着くとそこには異様な光景…
スキンヘッドのごつい、がたいの良い男性が地面に倒れ、か細く白い肌の女性にひたすらゲシゲシと踏まれ続けている。
女性は緑の法衣のような服を着て、夜空を思わせる青いマントを纏っている。
金の杖を持ち、その先端に星の軌道のような飾りと青いオーブ(宝玉)が煌めいている。

女性は気が強そうにシーグリーンの目を吊り上げ、オペラモーヴ(明るい紫)の長い髪を揺らしながら

「そこにいる田舎くさい子の後をつけてきて正解だったわ!せこいあんたが狙いそうな子だったもの!」

「(い…田舎くさいって…もしかしてボクのこと…?)」

地面に倒れ伏している男の胸倉を掴み、無理やり上体を起こす。
あの細い腕に一体どれだけの力があるのだろう。
背筋状態を無理やり強いられている体勢で男は小さく唸るが女性は特に気にする様子もなく勝気な微笑みで

「今なら憲兵に突き出すの勘弁したげる。
その代り、あたしの財布とその子の財布…そしてあんたの有り金全部置いていきなさい」

「そっそんな無茶な!」

「憲兵に突き出されてくさいブタ箱に入って人生終わるのと!
あんたのはした金で人生救われるのどっちがいいかって聞いてんの!
なんならあんたの家の全財産貰ってってもいいのよ!?」

「ひいい!分かりました!返します!財布返します!俺の金も渡しますー!」

見た目に似合わず男性は泣きじゃくりながら素直に女性に財布を渡す。
満足そうに笑顔で財布を受け取り、そして受け取った財布の量を見て顔をしかめた。
財布の数は女性の財布とボクの財布、そして男性の財布の3つ。
不満そうにジト目で男性を睨むと

「これだけ?もっとあるでしょう?」

男性はその目に怯えたように正座をしながら

「自分が持ってる財布はそれだけです…」

「何言ってんのよ。あんたの今日の稼ぎの財布があるでしょう?」

「は!?でもそれ他人の財布…」

「他人の財布スってるあんたに他人の財布だからどうこうなんて言う資格はないわ!
あたしが有意義に使って…もとい、持ち主に返してあげるから渡せっつってんの!」

「わわわわ分かりました!!」

男性は何度もコクコク頷いて素直に腰に下げていた大きな袋を渡した。
袋は重そうに大きく膨らんでいる。ボクからでは中身は見えないが相当な量が入ってそうだ。

女性はその袋を受け取り、袋の口を縛っている紐を緩めて中身を確認し袋を振って音の確認をすると
今度こそ満足そうに満面の笑みで

「よぉし、いい子ね♡これに懲りたらスリから足を洗うことね」

そう言って今度はボクを見ると

「そこの子、ちょっと付いてらっしゃい」

それだけ言っていつの間にか出来ていた人の輪の中に入って行く。

ボクは慌ててそれを追いかけ、輪の中に男性がひとり取り残される形で騒動は終わったのだった。

~Neo Phantasia(ネオ パンタスィア)~

朝なんて来なければ仕事にも行かずずっと寝てられるのに。
この物語は作者がなんとかして朝の必要性を見出す為の小説です。

ついでに皆さんも楽しんでもらえると嬉しいです。

~Neo Phantasia(ネオ パンタスィア)~

近代社会が滅び、再びやってきた魔法が生きる神話時代。 廃れた高層ビル等が古代遺跡として見られるその時代に ある日、太陽がなくなった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-22

Copyrighted
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  1. 第一話
  2. 第二話
  3. 第三話