デッサン#1

 ぼくはプログラマーだった。一介の、十人にも満たない小さな企業でプログラマーをしていた。
 企業の体質について、言いたいことは山ほどあるが、特段読者にとって必要とも思えない情報なので小さいとだけ記しておく。
 ぼくはうつ病をわずらい、隔週金曜日になると精神科に通うことを日課としていた。それは、みんなわかってることだと思っていた。
 ある日事務所が移転した。とあるボロい会議室。ある時はニッチな産業に進出して反映した会社だったが、その市場自体の縮小を受けて、業務転換および企業規模の縮小を余儀なくされていた。もといた事務所からは大家に追い出された。そんなこんなで事務所が移転し、病院は遠くに移転した。
 それはとある金曜日のことであった。僕はいつものように「病院に行ってきます」といって事務所を飛び出した。社長も専務も「いってらっしゃい」と言ったきりそれ以上は何も聞かなかった。その時は特別、先生に会えることを楽しみにしていた。だから、その日は朝から気分がウキウキしていた。先生以外に、僕の話をきちんと聞いてくれる人なんて居なかった。だから僕は先生が好きだった。それに、先生は親以上に僕のことを理解してくれていた。気にかけてくれていた。
 ある日、ものすごく気分が落ち込んで、その時は特に予約もしてなかったのだけれど、受診すると、変化に弱いんだね、と一言。確かにその通りなのかも知れない。その時は社長が社長業を降りて、専務が新たに社長赴任することが決まった日だった。別にトップが変わっても、本質が変わらなければ意味がない、と、僕は考えていた。社長は、責任を放り出して逃げ出したのだ。だから、その時から、僕の社長は、――ただの裏切り者になった。とは言っても、未だに社長と呼び続けている。その呼び方に慣れてしまったからだ。だから、社長-正確に言えば元社長-は社長のままなのだし、新社長のことは専務と呼んでいる。
 そんなわけで、僕はワクワクしながらその病院へと向かった。忘れかけていたカメラへの情熱を思い出しながら。もしカメラを持ってきてたなら、この風景を写したら、どんな絵になるかなと想像しながら。
 その日に限って病院はこんでいた。いつもは行けばすぐに呼ばれるのに、その日は30分ばかり待たされただろうか。次は僕か、と思っていても別の人が呼ばれていく。そんなことが2~3回続いて、いよいよ僕の番になった。
「実は今週中、ずっと落ち込んでいて」
「どうしたの?」
「ヤフオクで同じ本、2セット大人買いしちゃったんですよ」
「どうして?」
「直前に高値更新されて、イラっときて」
 そんな話をして
「何かあったら、いつでもおいで」
 と声をかけてくれたのが一番嬉しかった。
 あるいは、僕がこの日を待ち遠しく思っていたのを、見透かされたのだろうか。
 
 帰りはすごく気分がよかった。この世に僕を理解してくれてる人が一人でもいる、そのことがすごく嬉しかった。

 事務所に戻ってからの、社長の言葉
「病院に薬もらいにいってたの?」
 そうですよ、と僕は応える。
 黙って出て行っちゃダメだろ、ちゃんと許可もらって出て行くんだよ、社長に色々言われる。誰だよ僕をうつ病にしたのは。誰だよ事務所を病院から遠い所に引っ越したのは。誰だよ。昨日黙って休んで鍵がない僕を事務所の前で待ちぼうけさせたのは。

 この時僕は思った。

 この人にとって大事なのは、成果物が完成するかどうかであって、僕ではないんだな。

 その時までのいい気分が、すべてぶち壊しになった。

デッサン#1

デッサン#1

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-12-21

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