大僧正の森

数年前に書いた物です

ある寺に行って話を聞いた。
以前から精力的に世界中に植樹をしている活動に感心していたので、話を聞きたいと思っていたのだ。

車で4時間、深い森の中にひっそりと建っている銅葺き屋根の寺である。
東京から偉い先生が話を聞きに来たというのでと、頭痛で臥せっていた、この寺で一番えらいお坊さんが出てきて、話をしてくれた。
驚いたのは、わざわざ出てきてくれたその厚遇よりも、そのお坊さん(僧正とのことだった)のつるつるに光った頭から、一本の木の芽が出ている事だった。三センチほどだろうか、柔らかそうな双葉がある。
木の芽から目が離せずにいると、ああ、まずこれの話から入りましょうか。と、頭の木の芽を指差して話を聞かせてくれた。

私たちのは寺と言っても、仏教とはちょっと違うんですなあ。
密教も禅も仏教と違いますが、それよりも異質かもしれません。大昔に入ってきたので、仏教のような印象で捉えられる事が多いですが、東南アジアあたりから入ってきた教えです。
私たち坊主は子供の時分にこの寺に預けられ、妻帯もせず、女も知らずに一生を終えます。当然、子も持ちません。
子を持たないのは、自分の精が子供に分けられるのを防ぐためですな。活力というか、生命力というか。
まあ、こんなのは普通です。
で、ここからが面白いんですが、ある境地に達したと認められた坊主は、頭に小刀で切れ込みを入れましてな
、その傷口に植物の種を一つ植えます。
たいがいは、種から芽も出ずにそれで終わりです。ですが、ほれ、この私のように、中には種から芽がでて育つものがいる。私のこれは一年目です。長年の修行で頭に貯めた精、書物を読んだり瞑想したり山歩きを繰り返して出来上がった、つまりは精神ですかな。それを頭から木に吸わせて移すのです。いわば引っ越しですな。

木が育つと、脳に根をはる。つまり人としては死ぬので、その時期が来たら、用意してある穴の中に入ります。寺の中でくたばったら、寺から木が生えるので寺を移さないといけませんから大変なことになる。なにしろ、死んだその場所から木を育てるのが昔からの決まりです。それで、穴は4畳半ほどの広さですが、そこに入る。穴の中ではせいぜい半年ほどですかな、そこで人としての命が終わったら、精神は完全に木の移って、木としてその穴から育っていく。やがて、果実をつけるのですが、その果実が生前のその人の頭に似ていると、ああ、この木にその人の精は移ったのだと認定されます。

ほとんどの場合は、そんなに上手くはいかずに、身体にしろ精神にしろ木の栄養になってしまって終わりですが、今の所、室町時代に一人だけ成功した方がいるんです。この方は親しみを込めて大僧正とよばれております。背はひくいけれど、エネルギーの固まりのような方だったといいます。
荒唐無稽な話でしょうから信じられないでしょう。たとえ信じたとしても、せいぜい木になって長く生きるのか位に思うでしょう。
ところがね、木には挿し木という増やし方のがあるんですな、木の枝を折って地面に植えると、そこからまったく同じ木が生える。桜で有名なソメイヨシノなども挿し木だけで増えてます。それがわかった時期に宗旨が少し変わりました。大僧正の木を増やしてみようか、とね。この森の大半は大僧正の木です。元々はブナの原生林だったといいますが。瞬く間に大僧正の森になった。人間だった時と同様に生命力が強いんでしょうな。

無学ゆえ思うのですが、挿し木の次は、種から親と同じ木が生まれる技術が出来るではないか、そう思っています。人間はそのうち滅びるでしょう。その時に大僧正の木を増やす人がいなくなる。私には、これが残念でならない。ですが、種から親と同じ木が生えるのなら、話は違ってきます。人間なんて居なくてもいい。遠い未来に、大僧正の木がこの星全体を覆った時がくるとしたら、大僧正の木はこの星と同化を始めて、やがてこの星そのものになるんじゃないかとね。一人の人間から出た精神が木に移り森になり、ついには星に移ることになる。すごいでしょう。

そういって、僧正は頭の木の芽を揺らして勝ち誇ったように笑った。
ボクは、なんとも言えない寒気の中で、この人たちは、もの凄く欲が深いのではないかと思った。

大僧正の森

大僧正の森

ホラー風味です

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-21

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