儚い雪
小説家になろうで投稿した作品です。
ことが起こったのは今日12月25日、世間で言うクリスマス当日の朝。普通ならば冬休みに入っていい頃だが、進学校に通う沙有里には冬休みなど関係なくこの日も学校に通うはずだった。いつも通りに家を出、クラスの友人と交換する予定だったプレゼントを鞄に入れ登校していた。
その途中、戦闘機特有の空気を切り裂くような音と同時に、背後から飛んできた二発のミサイルが三ブロック先の高層ビルに直撃した。爆発とビルが崩れ落ちる轟音が鼓膜を痛いほどに刺激する。
咄嗟に頭を庇いながら地に伏せるとバラバラと大小様々なコンクリート片が降ってきた。コンクリート片の雨が止み、馬鹿になっていた聴覚がようやく治り始めたとき「逃げろ!殺されるぞ!」と野太い声が弾けた。
顔を上げるといつの間にいたのか、機関銃を搭載した装甲車とそれを取り巻くように銃を構えた自衛官らしき人影が見えた。銃を向けられた民衆は男が叫んだ直後には皆が理性を失い逃げ惑う。
背中を見せた民衆に自衛官達は手に持った銃ーーー89式小銃の引き金を引いた。フルオートに設定されたそれは、連続的に銃弾を吐き出す。パニック状態の民衆に銃弾の雨を逃れる術はなく、大量の鮮血が噴き上がった。
何故?沙有里(さゆり)は考える。しかし、その思考を遮るように鋭い銃声が鳴り響いた。足下に着弾したそれはぼろぼろの路面を更に抉る。
「止まるな、走れ!」
そういうと巡査は立ち尽くしていた沙有里の手を引きながら、腰のホルスターからリボルバー式の拳銃を取り出す。自衛隊員らがもつ小銃と比べれば、その威力は微々たるもの。弾数もたった6発だが人1人を逃がす程度時間稼ぎは出来ようーーー
「先に行け!」
振り返った巡査が拳銃を向けた先には、武装した自衛官がいた。自衛隊制式の88式鉄帽を被る頭の下に覗く同じ日本人という民族の顔を見た巡査は、引き金に乗せた指が一瞬硬直するのを感じた。
戦場では一瞬の迷いが命取りになるーーー
その言葉通り巡査の動きが止まった瞬間を逃さず、自衛官は89式小銃を構えると躊躇なく引き金を引いた。フルオートで吐き出された弾は雨のように降り注ぎ、心臓を撃ち抜かれた巡査は無様な姿を晒すのみの肉塊と化した。
「撃ち漏らした女は?」
巡査を撃ち殺した自衛官に後ろから追いかけてきた上官らしき自衛官が問う。
「こいつに足止めされ逃げられました」
舌打ちをすると、上官らしき男は「この糞野郎」と巡査『だった』肉塊を蹴り飛ばす。
肉塊に備わった目は見開かれていたが、その目に光が宿ることは二度と無かった。
☆★☆
沙有里が逃げた先は地下鉄のホームだ。しかし、いつもは点いているはずの照明は消え、チカチカと光っている電光掲示板も沈黙していた。
無論そのような状態で電車が動いているとは思わなかったが、少しの可能性にかけるのが人間の愚かなところだろう。案の定、と言うべきか動いていなかった電車に沙有里は落胆し、ホームに備え付けられた椅子に腰を下ろした。
腰を下ろすとこれまで張り詰めてきた緊張の糸が緩む。緩んだ拍子にとてつもない空腹感に襲われた沙有里は提げていた通学用の鞄を開け、まだ未開封のカロリーメイトを取り出す。
最近新発売されたプレーン味。興味本位で勝ったが、まさか非常食として食べることになるとは想像だにしなかった。一口齧ると林檎のような味がし、食えないことはない、と二本を一気に食べ終える。
水筒に入れてきたお茶で喉を潤しているとずん、と地響きが伝わってきた。また砲撃を始めたのだろうか。
「何でこんなことに……」
「そんなこと知ってんのは自衛隊の連中だけだろう」
突然耳に響いてきた声に振り向くと、そこにはクラスメイトの佐野悠次郎がいた。
「悠次郎、あんたいつの間に……」
「随分前からあそこの売店にいたけどな」
「そ、そうなの?」
「ああ。まあ、話を戻すと、ぶっちゃけ自衛隊だけでこんな大それたことが出来るわけがない。恐らくアメリカもグルだろう」
「そんな……」
「そんなもクソもねぇよ。泣いてる暇があったらさっさと移動するぞ。ここもいつ奴らが来るかわかんねぇ」
そういうと悠次郎は線路に飛び降りた。
「線路を歩いていくの!?」
「当たり前だろ。アメリカが絡んでるとしたら人工衛星で俺たちの動きなんざ丸わかりだし、そもそも自衛官なんて名ばかりの人殺しがわんさかいるしな」
それでも不安そうな沙有里の顔を見、「懐中電灯もある」とリュックから取り出した懐中電灯を振って見せた。
「ほら、死にたくなかったら急げよ」
まだ躊躇している沙有里も渋々ながら線路に飛び降る。懐中電灯の僅かな灯りで暗闇を照らしながら二人は歩き始めた。
★☆★
1時間ほど歩いてようやく見えてきた地下鉄のホームから出て、2人はショッピングモールの中に身を隠していた。侵入口となり得る所に手当たり次第、バリケードを作り上げた2人はひとまず中でじっとしていることにした。
「にしても酷いね……」
ショッピングモールの中はことごとく荒らされ、沙有里がついこの間母と来たときとは全く印象が異なり、ただの廃墟としか見えない。冷静な様子だった悠次郎もやはり動揺しているのか、「ああ」と応じた声は何処か抑揚が欠けていた。
「クラスの皆は無事かなぁ」
「さぁな。確かめようにも、下手に動いて殺されたんじゃ洒落にならない。せめて夜まで待とう」
そう返した悠次郎に頷こうとしたその時、鼓膜を震わせるほどの爆音が耳に響いた。
咄嗟に爆音の出処を見ると、バリケードが築いてあった筈のそこには巨大な破孔が穿かれていた。
すぐには何が起こったのかが分からず呆然としていると、手に手に銃を携えた数人の人影が飛び込んでくる。
「Freeze. Put your hands up.(動くな。手を上げろ)」
巻き上がった粉塵で顔がろくに見えず、てっきり自衛官だと思っていたがバリケードを破って突入してきたのは在日米軍兵だった。
大人しく手を上げると、兵士の1人が
「Hey look. It is a woman.(おい見ろ、女だぞ)」
と仲間に声をかける。
「Are you serious?(マジかよ?)」
「By all appearance it is a student, but is a quite good ground object.(みたところ学生だが、中々の上物だな)」
沙有里は兵士らの言葉の全ては分からなかったが、自分をどういう風に見ているかは彼らが自分に向ける視線でおおよそ判別できた。
ーー喰われる
頭で考えたことではなく、遺伝子に刻み込まれた本能がそう叫んだ。
兵士らの手が沙有里に伸びる。思わず身を硬くすると、両手を広げ悠次郎が沙有里の前に立った。
「Don't watch Sayuri with vulgar eyes.(下品な目で沙有里を見るな)」
悠次郎の言葉に兵士が青筋を立てる。
「Drat the child……!(この餓鬼め……!)」
そう呟いた目には殺気があり、底の無い虚無が渦巻いていた。
一人が悠次郎の胸ぐらを掴み上げると、勢いよく床に叩きつけ、悠次郎の喉から声ともつかない息が吐き出される。
兵士らは手に携えた小銃を掲げると、その銃床を悠次郎の顔面に振り下ろした。グシャ、という生々しい音と共に鮮血が辺りに飛び散る。二度、三度と振り下ろされた悠次郎の顔面はもはや人と判別することは出来ない、血桶となっていた。
目の前が真っ暗になりその場で腰を抜かしていると、後ろから羽交い締めにされる。強引に制服を脱がせられると、腐ったナメクジが身体中を這い回る。這い回った先から耐え難い臭いが鼻に刺さり、身をよじる。
薄い胸を揉みしだかれ、もはや意識は飛びつつあったが唐突な他者の肉が自分の中に入ってくる感覚にざわりとする。強引に入れられた瞬間、沙有里は痛みよりも窒息感に襲われる。止めようにもどうすることも出来ず、されるがままの状態の我が身に、沙有里は一筋の涙を流した。
そして涙が床に落ちたとき沙有里の瞳は世界を映すことを止めた。映すのを止めた瞳は見つめ返すことすらせず、まるでガラス玉のようになった瞳からは一片の感情も見い出すことは出来なかったーーー
☆★☆
その夜、日本上空には分厚い雲が敷き詰められ夜空を覆い隠した。空を覆い隠した雲からはちらほらと雪が舞い降りる。舞い降り始めた雪は破壊された街をほどなくして白く染め上げた。
史上最悪で地獄のようなクリスマスだった。
儚い雪