ちいさなぎしき
ちいさなぎしき
カタンと背中でふすまの動く音がした。
起こさないように暗がりにキャンドルで晩酌をしていたのに
押し殺した嗚咽が聞こえてしまったのだろうか。
「ゆう君。おしっこ?」
「・・・うん。」
まだ夜中の2時。彼が起きる時間までは5時間もある。
眠気まなこをこすりながら芸術的な髪形になってしまった息子が
私の横に座った。
私は、私に似てないやわらかい髪の毛を撫でた。
「どうしたの?おしっこじゃなかった?」
「お母さん。おさけのんでるの?」
眠気に体を揺らされながら、キャンドルの横に並んでる空き缶を指差した。
「きのうより多いね。」
「そうだっけ?」
まだ空けていない缶を右手であおった。
「今日はお迎え遅くなってごめんね。」
「べつにだいじょうぶ。」
棒読みの大丈夫は、もうさみしさにも慣れた証拠で
ボタンを押すとすぐに出る、ごめんね。の言葉も
私が彼を放っている事への罪悪感が薄れている証拠だ。
「明日はもっと早く行くからね。」
「ねえ、お母さん。」
急に開いた目がまっすぐ私を見た。
割と酔っている頭のもやが少し晴れた。
「どうしていつも、のむときカンふるの?こうやって。」
彼は右手をひらひらさせて見せた。
一瞬何を言われているのか分からなかった。
自分ではあまり意識をしてない動作だったから。
言われて、また、缶をあおりたくなった。
「これね。これはね。儀式だね。」
「ぎしき?ってなに?」
「うーん。決まりごとみたいなものかな。うーんとね。
ああそうだ。ゆう君サッカー好きでしょ?よくお母さんとテレビ観るよね?」
「うん。みる。」
「あれでさ、外国人の選手がさ、PK蹴る前とかにさ。
こうやってやって、ネックレスにチューしたりするじゃん。」
私はうろ覚えの十字を胸の前で切った。
彼は、あ~と大げさにうなずいた。
「あれね。しってるー。」
「かっこいいよね。あれ。そういう感じかな。いつもこれをする時には
一緒にそれもする。みたいな。」
酔っていても説明になっていない事は自分で分かった。
しかしそれ以上に補足をする頭が働かなかった。
「おかあさん。目ぬれてるね。」
唐突に指摘されて、缶をふる手を止めた。
「・・・さっき目薬さしたから。」
「ふーん。」
気のない返事をする間に、彼は立ち上がり私の目線よりもちょっと上から
私を見ていた。
そうしてそっと体を寄せて、短い腕で私の肩に手を回した。
「・・・どうしたの?ゆう君」
「ぼくのぎしき。」
「儀式?」
彼はそのまま耳元でささやいた。
「おかあさんがげんきになりますように。ってぎしき。」
ふきだした声とは裏腹に
涙があふれた。
彼がまだ私の顔を見ないうちにと、慌てて拭う。
「それってお願い事っていうんだよ。ゆう君。」
熱くなったのどがしぼんで声がかすれた。
「そうなの?」
小さな手にいっそう力がこめられて、私の髪がすこし引っ張られた。
「・・・ありがとう。」
「おやすいごよう。」
大人びた言い方に、私はまた笑う。
彼もそれに応えて、はねるような声で
ふふふと笑った。
こらえるのを諦めた涙が頬をつたう。
私は彼の全身を強く抱きしめた。
ちいさなぎしき