高さ
見えなかったはずの景色が見えていた。ただ一度だけ、父に肩車をしてもらって見えた、あの景色。
雲の隙間から、さよならと橙色の線が私に手を振っていた。私も手を振り返した。父は微笑んで「誰にバイバイしてるんだ」、と聞いてきた。私は「お日様」と答えただろうか。それとも「お天道様」と答えただろうか。どちらかだったのは間違いない。
同い年くらいの少年たちが、サッカーボールを蹴りながら公園の外へと走って行く。
「僕らもそろそろ帰ろうか」
少年時代の体験が呼び水となって、言葉が零れたに違いない。
「まだ、もう少し」
私は、待って欲しいと父に頼んだ。
夏虫たちの音色に合わせて、ゆっくりと沈んでいく太陽を私は最後まで見つめていたかった。
「太陽は何処へ行くの」
左から右へと消えて行くその風景を私はいつも眺めていた。不思議でならなかった。彼は一体どこへ行って、またここに戻るのか。手を伸ばして掴むことができたなら、その何処かへ私も連れて行ってもらえるだろうか。今となっては笑い話にもならないことを、私は真剣に考えていた。だからこそ、いつもより高いこの位置からなら掴めるのではないかと思い、手を伸ばした。そうしてまだ届かないことを知った。
「挨拶をしに行ったんじゃないかな。地球の裏側の僕たちに」
父の考えに私は納得して、伸ばした腕を降ろした。先生が教えてくれたのだ。地面の向こう側に私達と同じ私達がいるのだと。
「いまごろ、こんにちはしてるのかな」
父はもう一度微笑んで「それじゃ帰ろうか」と穏やかに呟いた。私は頷いて今はもうカーテンの降ろされた空を見上げる。真っ黒のキャンパスにポツンと煌めく一番星が見えた。手を伸ばしてもやっぱり届かなかった。
いつからだろうか、父に少し及ばぬ背丈になったのは。
たった一人でこの景色に辿りつけるようになったのは。
肩車をされずとも見える思い出は、ピースの足りないパズルのようだった。
高さ