探偵日記 4 『 戻らざる過去 』
実は、私は探偵小説が嫌いだ。
ホームズ、金田一、コナン …etc そんなに都合良く、謎解きの鍵が見つかるもんか。
警察署の警部辺りから事件捜査の協力や依頼など、そんな警察のメンツを潰すような設定、誰が最初に考えたのだろう?
・・そう、私は本物の探偵だった。 今でも時々、プライベートな時間に、『 非日常生活 』をしている。
密室殺人とかアリバイ崩し・・・ 実際には、そんな謎解きなどは無い。 もっと、人間の深層心理や対象者の人生の機微に迫り、
自身の岐路に、事情を重ね考える事が多い。
先回に続き、私が担当した案件の中から、特に記憶に残っているものを選出し、シリーズ4としてまとめてみた。
登場人物・団体名は架空ですが、ストーリーと結末はノンフィクション。 事実のみを優先しています。
登場する探偵『 葉山 』は、私です。
1、娘
離婚をして8年が経つ、と言う女性から依頼があった。
「 成長した娘の姿を、ビデオで撮影して来て欲しいんです 」
・・これまた、萬家(よろずや)的なような仕事だが、今のご時世、こういった仕事も、探偵によく廻って来る。 世の中、様々な事情で悩んでいる人が多いのだ・・・
子供を引き取る権利・・ 親権は、普通、離婚した場合、母親に委ねられる場合が多い。 家裁での離婚調停でも、そういった審判が基本的に下される。 女性の方が、子供を親身になって育てる可能性が高い、との判断によるものだ。 だが、子供を育てるに当たり、母親の生活・経済面・精神面などに問題があるなどの特異なケースの場合は、その限りではない。
この女性には、なぜ親権が与えられなかったのか・・・?
葉山は、女性が無職であり、経済的に貧窮していたのではないか、との見解を想像した。 だが、面談場所に指定した喫茶店に現れた依頼者は、C・ディオールのパールホワイトのパンツスーツを着込み、腕にはめられたカルティエ・タンクベルトの腕時計を見るからには、そんな過去はなさそうだった。 もっとも、当時はどうだったのかは分からないが・・・
何となく疑問は残るが、葉山は、彼女の過去の経緯を追及する事は控えた。 依頼内容と直接に関係する事ではないし、彼女にとっても、触られたくはない過去だと思ったからである。
「 法律上、あなたが娘さんにお会い出来る権利は存在しますが・・ 会えない現実がある、と言う事ですね? 」
葉山の問いに、依頼者の女性は頷きながら答えた。
「 ・・はい。 現在、娘は元夫と暮らしていますが、元夫は再婚しておりまして・・・ 」
ウエイトレスが、ホットコーヒーを彼女の前に置いた。 軽く会釈をし、小声で彼女は続けた。
「 離婚当時は、娘は1歳。 私の事は、何も告げていない可能性もあります・・・ 」
つまり、娘は現在の母親を、本当の母親と思っているかもしれない、と言う訳だ。 8歳では、まだ世の実情の事は理解出来ないだろう。 母親と思っていたのに、赤の他人と分かれば・・・
( 他人の心情を気遣う気持ちを、ちゃんと持っているヒトだな・・・ )
葉山は依頼人の性格を理解し、彼女の現状と希望を、おおよそ把握した。
「 娘さんの現在の姿を、確認出来れば良いのですね? 」
頷く、依頼者。 葉山は続けた。
「 姿を見れば、情が湧きます。 それ以上の事に及ばない、と約束して頂けますか? 」
平和に暮らしている家庭・・・ その幸せが崩壊する発端を、自らが手助けする事になるのではないか、という不安が、葉山の脳裏に過ぎった。
依頼者の女性は顔を上げ、葉山に言った。
「 悪いのは、私なんです・・! 彼の・・ 今の家庭を壊すような事は、断じて致しません。 娘の幸せを壊す事にもなりますし・・・ 」
どうやら、理性ある依頼者のようである。
( ストーカー的要素がありそうな人物かと思ったが、我が子の姿を見たいだけのようだ・・・ 離婚当時の経緯についての詮索はやめよう。 コッチにも、情が移りそうだ )
葉山は、彼女の依頼を請ける事にした。
事務所に戻り、メモに目を通す葉山。
( 何となく、人には言えない過去があるような依頼人だったな・・・ ま、依頼人の半分は、どこか影のあるヒトが多いのも事実だ。 余計な詮索はやめておこう。 過去を知って、情が移ってしまっては、調査の方向性が揺らぐ )
結構、今までの案件でも、そんな事があった・・・ 人の過去を『 あばく 』と言う事は、その人の人生に触れると言う事でもある。 それによって、信念が揺らぐ・揺らがないは人それぞれとしても、どうしても、ある程度の同情をしてしまうのは、自分もまた、人生と言う道を歩む1人の人間だからではないだろうか・・・
( 今回は、撮影がメインだ。 調査という業務は無さそうだな )
葉山は、心なしか安堵する心境を覚えた。
元夫の現在の住所は、依頼人も聞いてはいたが、一度も行った事が無いらしい。 依頼人から渡されたメモにある住所を見るからには、どうも一軒屋のようである。
( マンションやコーポ、アパートのような集合住宅だと撮影し難いが、一軒屋なら問題は無いだろう。 ただ・・ )
難点が1つある。 撮影すべき対象者は8歳の子供、と言う点だ。 対象者である娘の写真は、当然にして無く、対象者である事を証明するものは何も無い。 従って、小学校の下校時間に張り込んで撮影すれば良いという安易な考えは、まずもって払拭させなくてはならない。
( 望遠で狙える位置があればいいが、画像は不鮮明になるな )
・・・手段は1つ。 自宅に上がり込むしかない・・・
自宅内にいる、8歳くらいの女児・・・ それが対象者である事は、ほぼ間違いないだろう。 何なら、親・本人に、誘導会話を用いて、対象者である事の確認をすれば良い。 葉山にとっては、造作もない事である。
( 問題は、室内に上がり込める方法か・・・ )
ここが思案のしどころだ。 更なる課題としては、依頼者の希望は、ビデオ撮影であると言う事だ。 写真ではない。 ビデオカメラを持った、全くの他人が、家族に何の警戒心を抱かせる事も無く、室内に立ち入るには・・・? 宅配業者を装っても、娘が玄関先に出て来る可能性は少ない。 居間やキッチン、場合によっては子供部屋など、出来れば、全室に入れるシチュエーションが必要なのだ。
( こりゃ、結構に大変だぞ・・・! )
葉山の脳裏に、以前、変わった撮影の依頼を請けた記憶が蘇った。 隣の飼い猫が毎晩、依頼人の家の庭でフンをするので、その苦情を言う為にも『 証拠の映像 』を撮って欲しいと言うのだ。 これはもう探偵の仕事ではなく、まさに、萬屋(よろずや)である。 試行錯誤の結果、動く被写体に反応して電源が入り、録画が始まるセンサーカメラを設置して一晩中、撮影した。 だが、今回はそんな手段が使える訳がない・・・
葉山は、大いに悩んだ。
抜けるような青空に、家々の屋根が映えている。 秋が深まり、公園の木々には枯葉が目立つようになってきた。 落ち葉が、柔らかな日差しに光り、思い出したかのようにそよぐ秋風に踊っている。
土曜の昼下がり。
葉山は、とある住宅街にいた。 周囲は、新旧の住宅が密集している郊外だ。 依頼人の別れた元夫が、再婚して暮らしている住宅街である。
( これか・・・ )
住所を基に尋ね当てた家は、築年数の経った一軒屋だった。 家の造りは一昔前のようで、おそらく中古住宅だろう。 依頼人の話では、元夫は地方の出身で、この辺りには親類縁者はいないはずである。 再婚を機に、新たに購入した物件と思われる。
今回、葉山が立てた『 作戦 』は、対象者が住む住居に由来していた。 家は、新旧、どちらでも良い。
( さて・・・ まずは、見取りだな )
玄関は北玄関。 南には、小さいながらも庭があり、芝が張られている。 樹脂製の小さなブランコに、子供用自転車・・・ 垣根は木製のラティスで囲まれ、鉢植えハーブの入った小さなプランターが数個、吊り下げられている。 小奇麗なエクステリアだ。 元夫に、ガーデニングの趣味があったかどうかは定かではない。 新たに奥さんとなった女性の趣味かもしれないが、手入れの行き届いた庭である。
葉山は、ラティスの垣根越しに歩き、それとなく庭を観察した。
( 子供たちの姿は無いな )
夫婦の姿も見受けられない。 葉山は、テラスの下に置いてあるサンダルに着目した。 壁に立て掛けてあるのではなく、脱いだままだ。 揃えてもいない。
( 雨ざらしのサンダルは、雨が溜まるので、普通は壁に立て掛けておくものだ。 それに、この庭の手入れ状況から見て、サンダルを脱ぎっ放しにしておく性格の住人ではないはず・・・ )
この推理が、全てに当てはまる訳ではないが、葉山は自分のカンを信じた。 つまり、住人は、庭いじりの最中。 何らかの用事で、屋内に入って行った・・・
( テラス脇には、園芸用の小さなスコップが置きっ放しだ。 肥料の袋も・・ 口が開いたままだな )
葉山は、庭先を通り過ぎ、次の角を曲がった。
( 不在ではなさそうだ。 少なくとも夫婦の内、どちらかは在宅だ )
肝心の、娘の姿が見えない。 確実に在宅しているという確証が見つけられない状況が、葉山に一抹の不安を覚えさせた。
( とりあえず、車に戻ろう。 在宅確認の為に、何回も庭先を横切る事になるだろうから、今のうちから姿を見せるのは良くないな )
最悪、夜に『 決行 』である。 夜に、幼い子供が、不在なはずがない。
葉山は、対象者宅近くの路上に停めた車に戻った。 煙草に火を付け、『 小道具 』を確認する。 ビデオカメラに、樹脂製のタックボード( 紙を挟むピンチの付いた、A4くらいの大きさのボード )。 ボードには、家の設計図( らしきもの )や住宅地図のコピーなどが大量に挟んである。 今回の葉山の格好は、またもや作業着だ。 胸にはピン止めの名札があり、『 〇〇市役所 土木局住宅管理課 主任、斉藤 隆史 』とある。 部署名・名前は、テキトーだ。 首からも、ストラップの付いた『 国土交通省 許可No‐5322658 』と印字された許可証( 何の? )らしきモノをかけていた。 御丁寧に、朱色の割り印もあるが、葉山が事務所で使用している請求書用の社印である。 遠目には分からない。
全てが、テキトーで固められたアイテムではあるが、市役所職員と名乗れば、素人目には、そう思える。 そもそも一般市民が、市役所土木局職員の姿を見た事などは、ほとんど無いはずである。 『 それらしい 』格好をしていれば、整合性は大丈夫だ。 依頼人からも、元夫は工場のラインスタッフで、市役所とはつながりの無い職種だと聞いている。 土木局の職員が、どんな格好をしているのかは、想像の域でしかないはずだ。 従って、今回の『 設定 』が、決定された訳である。
本当の探偵の『 変装 』とは、こういった現実的な姿であり、別人に『 変身 』するのではない。
「 髪型は・・ まあ、いいか 」
葉山は若干、長めの髪をしていた。 額を見せず、自然に分けた髪型に、黒いフレームの眼鏡をしている。 どことなく、公務員っぽい雰囲気だ。
長めの髪にしているのには理由があった。 分け目の分量・向きを変えたり、オールバック風にして額を見せたりして、ヘアスタイルの変化により、見た目の印象を変える事が出来るからである。 短い髪型では、あまり印象を変化させる事が出来ない。
また、黒のフレーム眼鏡をしている事にも理由がある。 フチ無しのノンフレーム眼鏡よりは、「 眼鏡をしていた 」との印象を、会った相手に認識させ易いのだ。 眼鏡無し・ノンフレームでは、その見た目の印象は、あまり違わない。 幸い、葉山は裸眼が悪くなく、何とか、眼鏡無しでも行動が出来る程度の視力がある。 眼鏡を外し、髪型を手櫛で変える簡単な作業だけで、一見、別人に見えさせる事が出来るのだ。 何度も、対象者に姿を見られるシチュエーションの場合、この変身要項が役に立つ。 あえて言うならば、これが本当の探偵の『 変身 』なのである。
「 長期戦かな・・・ 」
葉山は、対象者の庭先が見える道路脇に車を移動させ、しばらく、張り込みをする事にした。
2、誰も触れてはならぬ
小1時間ほど経ったろうか、対象者宅の庭先に変化が起きた。
テラスから出て来たのは、30代後半と見られる男性。 短めの髪で、鼻の下にはヒゲがあり、ジーンズにTシャツ姿。 片手には、水差しを持っている。 庭先に出た男性が、家の中に向かって何かを言った。 テラスに出て来たのは、3歳くらいの男の子。 再婚後に出来た息子であろうか。 その男の子の後ろに、小学生低学年と思われる女の子がいる。 男性とにこやかに会話し、弟と見られる男の子の頭を数回、右手で撫でた。
( あの女の子が、依頼者の娘さんか・・・ )
状況的には、そうだろう。 だが、確実ではない。
やがて2人の子供たちの間から、奥さんと思われる女性が庭に出て来た。 年齢は30代前半。 やや茶色に染めたセミロングの髪をアップで縛り、ジーンズに、白いパフスリーブの半袖ブラウスを着ている。
庭に出た女性は、先に出ていた男性と共に、芝の手入れを始めた。 子供たちはテラスの下で、土遊びに興じている。
時は、来たり・・・!
葉山はビデオを小脇に抱えると、車を降り、対象者の庭先へと歩いて行った。
( まずは、遠目でもいいから撮影だ )
もし、この後の『 作戦 』が失敗に終わった場合、保険的に撮影した、この映像が依頼者に渡る事となる。 映像は、撮れるうちに撮っておくのが賢明なのである。
葉山が調査で使用しているビデオカメラは、ハンディタイプ( ソニー・PC‐5 )のものだ。 市販のものだが、かなり小型で扱い易い。 現在、廃番になってしまってはいるが、冬季はコートのポケットにすっぽりと入るくらいの小型高性能機種だ。 10年くらい前の型で、画像の解像度は最新のものと比べると劣るが、小型な所が良い。 故障の度に、何度も修理に出し、未だもって使い続けている。
「 こんにちは~ 」
葉山が、ラティスの垣根越しに挨拶をすると、奥さんと見られる女性が顔を上げ、いぶかしげにも挨拶を返した。
「 はあ、どうも・・ 」
葉山は、すかさず、首から下げていたストラップ付の許可証( くどいようだが、何の? )を見せながら言った。
「 市役所の土木局の者です。 少々、おうかがいしたいのですが、宜しいですか? 」
男性が立ち上がり、答えた。
「 はい、何でしょう? 」
「 一般家屋の耐久年度に関わる事で、各ご家庭を回らせて頂いているのですが・・ 」
ボードに挟まれた『 資料 』を、それとなくめくりながら、葉山は続けた。
「 最近、無料調査とか言って、勝手に見積りなどをして来る業者がいますので、気を付けて下さいね。 ・・え~と、ドコ行ったかな? 」
まずは、リフォーム業者ではない事をアピール。 続いて、めくっていた資料を数枚、ワザと落とす。
「 おっとっと・・! 」
風に吹かれ、足元を舞う『 ナンちゃって資料 』。 女性の方に飛んで行った資料を、彼女が拾い上げ、葉山に渡した。
「 あ、どうも。 すいませんねぇ~・・ 何せ、1人で回らせられてるモンで・・ 大変なんですよ 」
それとなく愚痴る、葉山。 資料には、住宅の梁・軒下などの設計図( 建築専門誌からのコピー )があり、それらしく赤のマーカーなどが引いてあった。
葉山は言った。
「 まだまだ、日中は暑いですねぇ。 朝夕は、かなり涼しくなって来ましたけど、今日みたいに良い日差しの日の昼間は、たまりませんよ。 運動不足だから、たまには歩かにゃイカンのですがねぇ。 え~と・・ 」
この、あまり意味合いを持たない会話のやり取りをしている間、ボードの下に持っていたビデオは既に録画をしており、テラス下で遊ぶ子供たちを捕らえていた。 広角にしてある為、姿は小さいだろうが、確実に映っているはずである。
葉山は、家屋の軒先を見ながら続けた。
「 こちらのお宅は・・ 築12~3年・・ ほどでしょうかね? 」
男性が、額の汗を右腕で拭いながら答えた。
「 7年ほど前に、中古で購入しましてね。 その時、不動産屋さんからは、築9年と聞いてますよ 」
「 なるほど、なるほど 」
例の資料に、ボールペンでメモを取る葉山。 書いているのは、ワケの分からない文字だ。 メモを取っている演出をしているだけで、カメラの向きを微妙に調節していた。
資料をめくりながら、葉山は言った。
「 今の建築は10年前と比べますと、工法自体が全く異なります。 当然、耐火資材などの性能も違いますし、現在は、海外の安い部材が大量に輸入されていますしね。 国内基準では、建築工法を統一する事が困難なのが実情で、各工務店さんや代理店さんの良識に任せるしかない状況であるのも事実です 」
既に、ナニを言っているのか、ワケが分からなくなって来た葉山。 男性も、小さく頷きながらも、いぶかしげだ。
( 会話をリセットして、本題だ・・・ )
葉山は、続けて言った。
「 今、築15年を過ぎた一般住宅の状況を、調査して回っているところなんです。 壁紙のめくれ・シワ・変色、タイル目地のひび割れ、漆喰壁のひび割れなどありましたら、お見せ頂けないかと思いまして・・・ 」
葉山も、ポケットからハンカチを出し、額辺りを拭った。 別に、汗はかいてはいない。 演出である。 土曜の休日を返上して各家庭を回っている市職員・・ という設定演出をアピールしているのだ。
「 そう言えば、台所の上の方・・ 壁材と材木の間が開いてるわよね 」
女性が、男性に確認するように言った。 男性も答える。
「 居間の壁紙も、フチの方、めくれてるよな。 廊下の上の方も、隙間があったんじゃないか? 」
壁紙のめくれやシワ・壁のひび割れなどは、築10年を過ぎれば、あって当然である。 葉山は、もっともらしく答えた。
「 建築当時と現在では、壁紙に関しては原料材質の違いもありますからね。 現在は天然素材を原料としたものが多く、当時は化学合成品がほとんどでした。 天然由来のものには、年代を問わず、歪が少ないんです。 ただし、原価が高くつきますけどね 」
ビデオカメラを出し、続けた。
「 現状記録が必要でして・・ 少々、お邪魔をして、これで撮影してもよろしいですか? もちろん、箇所のアップしか映しませんので、ひとつ、ご協力お願い致します 」
「 ああ、構いませんよ? ちらかっていますけど 」
男性は、笑いながら答えた。
・・・成功だ・・・! これで、堂々と家に入れる。
すかさず、葉山が女性に言った。
「 では奥様、問題箇所へご案内頂けますでしょうか? 」
「 どうぞ、どうぞ。 子供のオモチャがありますが、玄関からどうぞ 」
「 すみませんねぇ~、・・ガーデニングの最中ですか? 良い、ご趣味をお持ちで 」
「 いえいえ、そんな本格的なものじゃありませんよ。 まね事です 」
玄関に案内される際、テラスの下を通った。 回り続けるビデオカメラを、それとなく娘の方に向け、葉山は女性に言った。
「 やあ、可愛い盛りですね。 お幾つですか? 」
女性が、軍手の土を叩きながら答えた。
「 小学3年と、年長です。 もう、騒がしくって 」
「 ちょっと、お家の中、見させてね~ 」
葉山が、子供たちにそう言うと、娘が女性に聞いた。
「 ナニするの~? 」
女性が答える。
「 お家の中のね、ひび割れてるトコとかを、調査されてるんですって。 ・・綾香、ココ、片付けなさい。 使ったら、元の場所に返しなさいって、いつも言ってるでしょ? 」
玄関に放置されていた玩具を隅にどけながら、彼女は、葉山を室内に案内した。
「 あれです。 上の方・・ 」
廊下天井と鴨居の境辺りに隙間が出来ている。 まあ、一般家庭でよく見られる『 光景 』である。
葉山は、ビデオカメラを構え、撮影を始めた。 ・・本当は、撮影スイッチをオフにした。 オン・オフの度に、このビデオカメラは確認音が出る。 はたから見れば、撮影を開始したように思え、丁度良い。
葉山は、隙間をなぞるようにカメラを移動させながら言った。
「 写真ですと、こういった長い部分は撮影し難いんですよ。 やはりビデオの方が、都合が良いですね 」
女性は、納得したように頷いた。
葉山が続ける。
「 他は、ありませんか? 壁紙のめくれとか 」
これも、どこの家庭にも1ヶ所や2ヶ所、たいていは存在するものである。
「 居間の方に確か・・・ 」
女性は、玄関横にある居間に葉山を案内した。
「 でもこれ、この家を買った時から、少し浮いてたんです。 段々と目立つようになって来て・・・ 」
シートの繋ぎ目部分だ。 普通は、目立たない角で繋ぐものだが、貼りしろ幅が少ない所なので、構わずに施工したのだろう。 適当なボンドで、補修可能な感じだ。
葉山は撮影しながら、女性の後ろにやって来た子供たちに言った。
「 お嬢ちゃんたちの部屋は、どうかな~? 」
「 この前ね、翔がめくっちゃったんだよぉ~? 」
娘が女性に言うと、女性は両手を腰に構え、聞いた。
「 あの、とれてたトコ? 」
「 そう。 翔がね、ビビ~って引っ張っちゃったの~ 」
翔と呼ばれた、男の子が言った。
「 ちょっと、引っ張っただけだよ 」
「 違うじゃん。 取れる~とか言って、引っ張ってたじゃん 」
「 違うって~! 」
「 はいはい、その辺にしてね。 オジちゃんに案内してくれるかな~? 」
葉山が、子供たちをたしなめている間も、カメラは回り続け、活発そうな娘の顔のアップを捕らえていた。
「 コッチだよ、オジちゃん 」
奥の、洋間の方へと駆けていく娘。 男の子も付いて行く。 葉山は、録画し続けているビデオカメラを構えず、手に持ったまま子供たちの方に向け、何気なくその状景も撮影した。
『 作戦 』は成功である。 葉山は、子供たちの普段の姿もビデオに納める事が出来た。
その後、あちこちの部屋を案内され、その都度、チャンスがあれば娘の姿を重点的に撮影した。
「 じゃあねぇ~、オジちゃん 」
対象者宅を出る時、無邪気な娘と弟たちに見送られた、葉山。 にこやかに手を振り返す。 お辞儀をする女性に、葉山も会釈して返した。 男性もラティス越しに挨拶をしている。
・・・幸せそうな、とある家庭の風景である。
( 依頼者の入り込む隙間は・・ 無いな )
娘の姿を見るだけに留める、と口約してくれた依頼者・・・ 実際には、我が子と共に生活をしたいのが本音だろう。 この手に、抱き締める事が出来たら・・・ と。
だが、今見た情景に、依頼者の存在は必要無い。
( この映像を見て・・ 依頼者は、自分の存在の無必要さを理解してくれるだろうか )
むしろ、妬みにも似た心情を覚えるかもしれない。 自分が、本当の母親なのだ、と。
その心情を行動に移した場合、この家庭は崩壊する・・・ 依頼者は、それを分かってくれるだろうか・・・? この家庭の平和は、誰も乱す権利は無い。 誰も、彼らの生活には触れてはならないのだ。
葉山は、苦労して撮影したテープを破棄したくなる気持ちを覚えた。 毎回、依頼者や対象者の人生に触れ、判明不能・撮影不可能として報告書を書き換えたり、映像データを破棄したくなる心情・・・
葉山は、小さなため息をつくと、車に戻った。
3、忸怩たる過去
依頼者の目が潤んでいる。
ビューパネルに映し出された娘の姿・・・ 屈託の無い、あどけない笑顔。
面談をした場所と、同じ喫茶店で報告書を渡した葉山。 テープはDVDにダビングし、提出用として別に制作してある。 確認の意味もあり、マスターテープであるビデオカメラのミニビデオテープの再生を、カメラ本体のビューパネルで行っているのである。
依頼者の女性は、言った。
「 今、奥さんが『 綾香 』と呼びましたよね。 私が付けた名前です。 大きくなりましたね・・・ 」
葉山が、コーヒーカップを片手に言った。
「 報告書にもありますが、弟さんの名前は、翔君です。 幼稚園の年長だそうです 」
無言で頷く、彼女。 ハンカチを出し、目頭を押さえた。
葉山は、カップをソーサーの上に置くと、言った。
「 ビデオをご覧になってお分かりになるかと思いますが、家は、南に面した庭があり、道路からも見る事が出来ます。 でも・・ 行かれない方が賢明かと 」
一度行けば、情が湧く。 それが二度・三度となり、やがて娘への接触という行動になろう・・・
依頼者の女性には、葉山が言わんとしている事は、理解出来たらしい。 じっとビューパネルを見つめながら、無言のまま頷いた。
しばらくしてから、彼女は言った。
「 これで私も・・ 踏ん切りがつきました。 実は、お付き合いをさせて頂いている方がおりまして・・・ 先日、プロポーズを受けました 」
葉山は、煙草に火を付けると、笑顔で答えた。
「 それは良かったじゃないですか・・! おめでとうございます 」
少し笑い、彼女は俯くと言った。
「 過去の事は、彼にも話しました。 今回の映像を見る事が出来、心の整理がついたら一緒になってくれ、と言われまして・・・ 」
プロポーズをした男性は、相手の心理を踏まえた、人道的判断が出来る紳士的な人なのだろう。 懐かしい我が子を見た途端、会いたくなる心境に、人は陥るものだ。 その自我を凌駕し、ある意味、過去と決別出来る理性が、あるかないか・・・
再婚する場合、過去は関係ない。 過去に囚われず、共に未来を謳歌していけるかどうか、なのである。 プロポーズした男性は、その点をよく審査していると思える。 また、彼女の事を、真剣に想っている証拠でもあろう。
葉山は言った。
「 良い方に、巡り会いましたね。 ビデオの男性の方も、家庭的な方のように見受けましたが・・ 」
・・失言だ。 未来を見据えかけた彼女に、過去を語らせるような発言を・・・!
葉山は、途中まで言ったが、言葉を呑んだ。
・・・窓から差し込む秋の陽に、カップから立ち上る一筋の湯気が映えている・・・
静止画にした娘の顔を見つめている彼女。 忸怩たる想いに、心満たしているかのようである・・・
やがて、彼女は言った。
「 薬物の依存から、完全に立ち直るには・・ 長い年月が掛かりました・・・ 全ては、私のせいなんです・・・ 」
初めて明かされる、依頼者の過去。
どのくらいの薬物障害があったのかは定かではないが、離婚調停の際、親権が付与されなかった理由は、薬物の依存にあったらしい。
過去の余殃に苛まされていた依頼者・・・
現代社会の病理も、各メディアで取り上げられて久しいが、今は、理性あるこの彼女も、当時は一時の快楽を求め、つい、底なし沼に足を踏み入れてしまった苦い経験があるのだろう。 その過ちを清算するに当たり、家庭をも手放す事になってしまった訳だ。
彼女はビューパネルを閉じ、葉山に言った。
「 綾香の事は忘れます。 大人になって、全てを知り・・ 私を訪ねて来た時には、喜んで逢いますが 」
葉山は頷き、ビデオカメラをしまった。
1枚のDVDを取り出し、彼女の前に差し出しながら言った。
「 このビデオテープのダビングです。 ご覧にならなくとも、保管しておいて下さい 」
彼女はDVDを、葉山に差し返しながら答えた。
「 有難うございました。 先程、カメラで拝見させて頂きましたから、もう充分です。 綾香は、私の記憶の中だけに留めておきます 」
小さく笑った笑顔に、彼女の未来を確信した葉山。
煙草の火を、灰皿で消しながら言った。
「 お幸せに・・・ 」
葉山の仕事は、終わった。
〔 戻ら去る過去 ・ 完 〕
探偵日記 4 『 戻らざる過去 』
この案件に登場する依頼者は、理性ある常識者だったが、精神的に不安定な依頼者は結構に多く、まずはその依頼者の方たちの、心のケアから始める事が常だった。
探偵業を始めるにあたって、そういった事まで必要になると考え付く経営者はおらず、ほとんどの者が、調査以外の『 業務 』に閉口。 事務所を閉鎖するに至る要因の多くが、こういった調査以外の業務の多さにあった。
探偵は、依頼者の要望に沿うのが常であり、調査だけをしていれば良い、と言う訳ではない。
誰かの支えになる事・・・ それが探偵への第一歩である。
次回、シリーズとしては、最後となる案件を連載致します。 案件を受注した当初から調査を妨害・脅迫する謎の人物がおり、気味が悪かった案件。
宜しければ、お付き合い下さい。
夏川 俊