学校へはいかない。

学校へはいかない。

僕の初恋の相手はとんでもない子だった。

Ⅰ Boy Meets Girl

 「なにが?」
 「だから?」
 「助けなきゃよかった?」
 「ありがとうっていうべき?」
 「さあ、どうなんだろ……さっきからわたしのパンツ見てるでしょ、違う?」
 「だって君がそこに立ってるからさ、仕方ないよ。それにスカートが短すぎるし」
 「仕方ないんだ。それって」
 「うん、真っ白に細い水色のストライプ……可愛いと思ったり」
 「やっぱ、助けるべきじゃなかったかな?」
 「君が僕を助ける時に使ったあれって超能力とかいうやつでしょ、始めて見たよ」
 「うん、助けることもできるけれど、殺すこともできるのよ。簡単にね」
 「簡単なんだ……」
 「わたしってば、臆病なのよ。極端な臆病モノ、貴方にわたしの能力知られちゃったでしょ。口止めするに は殺すのが一番確実な方法でしょ、そう思わない?」
「死人にくちなしってやつ」
「できないと思ってる?」
 「僕は喋らないよ。それにまだ十六だし死ぬには早いと思う」
 「そうよね、わたしだって誰かを殺すなんて……なにしろこの十六年間の人生で始めてなのよ、この力を人  を助けるために使ったなんてね。そもそもこの力なんて使ったことなかったし……それも、クラスがおんなじで身バレしちゃってるんだもの、最悪」
「ありがとう……君がいなかったら死んでたかも」
「いい、もう。忘れて」
「ありがとう……」
「いいってば、もう」
「パンツ……見えたし」
「バカ!ヘンタイ!」
 地上では誰が呼んだのかパトカーのサイレンが近づいてくる。
  彼女つまり東雲夏織(しののめかおり)が横断歩道を渡る僕に突っ込んでくる車を……なんていうのか、その、とにかく車は僕の直前でふわっと浮き上がり、半回転してブロック塀に激突した。
 多少接触したのか、僕は横断歩道で倒れ、次に来る車に轢かれそうになった時、こんどは僕の身体がふわっと、なんだ、その、重力ゼロって経験ある? 無重力ってきっとこんな感じなんだろうな……。
 スローモーションみたいな視界の中で歩道の向かい側に東雲夏織がいて、なにかその全身から薄ぼんやりした光みたいなものが見えたと思ったら、横断歩道を見下ろす二十階建てのマンションの屋上にいたってわけだ。
 「大丈夫? どこか打ったんじゃない? 立てる?」
 手すりに掴まりなんとか起き上がった。
 人だかりができていて、中のドライバーを助けようとしてるのかさかんにドアをこじ開けようとしている。
 横転した車から若い男が這い出してきた。命に別状はないらしい。ひしゃげたボンネットからもうもうと煙が上がる。
『消防! 消防! 誰か消防呼んでくれ! ガソリン漏れてるぞ!』
微かにガソリンの匂いが鼻腔をくすぐる。地上はどうやらパニック状態みたい。
 「倒れた時、頭でも打ったかな……フラフラする」
「ほら、肩かしたげる」
 髪が僕の顔に近づく。夏織はいい匂いがした。シャンプーの匂い……制服のブラウスからブラが透けて見えた。
「信じていいのかなぁ、貴方のこと村雨君(むらさめくん)? ほんとに信じていいと思う?」
「読めよ、心を……エスパーなんだろ……」
 睨まれた。二重の大きな瞳、プルプルした唇、ミニスカートから覗く白い肌、ピカピカに磨かれたローファー。どこにでもいる高校生だったんだよね、そう思っていたよ……入学式の時も一人ぼっちだったよね。可愛いななんて、見惚れてた。気付くわけないよね。
「ダメだ、まだなんかフラつく……」
「仕方ないなぁ……家、どこ? 送ったげる。ああ、住所なんか言わなくていい。頭の中でイメージしてくれればいい。どうせもうバレちゃったんだし、サイコキネシスもテレポートも見せちゃったしね。でも、これだけは憶えておいて……一言でもわたしのこと誰かにバラしたら、コ・ロ・スから。最初で、最後の警告、忘れちゃだめだぞ村雨君」


       *******


 都立東高校。入学式の次の日、華やいだ雰囲気を引きずった一年A組。同じ中学出身の固まりがそこここに出来ていた。
 ただ一点だけが隔離されたみたいに、東雲夏織の席だけはぽつんと彼女だけが座っていた。まるで、離れ小島みたいにそこだけが真冬の枯れ木みたいに静寂が包んでいた。

「村雨、またお前と一緒か、あはは腐れ縁だなあ」
「谷口、お前にだけは言われたくないな、腐れ縁だなんて、あはは」
 谷口とは中学からの友人。中一の時、クラスで取っ組み合いのケンカをしてからの仲だ。ケンカの原因はもうとっくに忘れてしまった。多分、足を引っ掛けたとかなんとかそんなくだらないことだったと思う。
「さっきから何処見てるんだよとか思ったけれど、そうか、あいつか」
「見てないよ。くだらない」
「暗いよな、あいつ。すげえ、可愛いのに……ここの学区ではないよな。知ってる奴誰もいないもんな」
 ホーム・ルームで学級委員長に選ばれた岡崎が近づいてきた。
「村雨君、話しかけてみてよ。東雲さん、友だちいないみたいだし、誰とも打ち解けようとしないもの」
 赤縁のメガネが東雲を見つめる。岡崎も中学が一緒、面倒見のいい、穏やかな性格。委員長らしい委員長だ。
 「そうだよ、村雨。お前、なんか気になるんだろ、あいつのこと」
谷口が茶化す。東雲ってすごいんだぜ、エスパーなんだ。言っても信じないだろうな、僕だって、いまだに昨日のことが夢みたいに思ってるんだもの。
 『こっちに来るな! だまれ、話しかけたら、コ・ロ・スぞ!』
 頭の中に東雲の怒りが蔓延した。僕は口をつぐんだ。
 テレパスってこんな風に頭の中に響くんだ。怒りも一緒に……。
 東雲は背中を向けたままだった。

結局、東雲夏織はクラスに打ち解けようともせず、殻に閉じこもったまま誰とも話すこともなく、最もあれだけ傍によるなオーラを放っていたら誰だって東雲の席には近づかないだろうが、教室は四六時中ざわついいたまま放課後を向かえた。


「ついてくんな、うっとうしい」
「やってみろよ、僕のこと嫌いなのか。どっかにすっ飛ばしてみろよ」
「村雨君……わたしはやると言ったらやる。誰かに見られてようと君を跡形もなくこの世界から消せるのよ。証拠なんかなんにも残らない。やったことはないけれど、一切自分の手を汚さずに、例えばこの河に沈めて一生浮き上がらなくすることだってできるの」
 可愛い顔でそういうこと平気で言えるんだな。ちょっとだけ引いた。東雲の本気の顔が怖かった。自分を守るためになら多分、恐らく、ほんとにやるんだろうな、そう思った。
 それでも僕は東雲のことが気になって仕方がない。なにしろ命の恩人だもの、いや、多分、それだけじゃない。
 消えた。一瞬にして東雲は幅三十メートルはあろうかという対岸にいた。
「しののめー、友だちになろうって言ってるんだよ! まず手始めにさぁ、友だちからお願いしますってば!」
「うざい! 友だちなんかいらない」
また、消えた。次に現れたのは橋の欄干。凄い、なんてマジで思った。
「付きまとわないで! 迷惑なの」
 またまた消えた。
背中越しに東雲の声。身体がふわっと浮きあがった。
「げぼっ……た、た、助けて。泳げないんだ……」
「川岸は水深三十センチよ、ばか」
びしょ濡れで河川敷に這い上がった。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った」
「死ねばよかったのに」
「まだ早いよ十六だもの」
「水深三十センチじゃ死ねるわけないじゃない。ばか」
「ずぶぬれだよ。どうしてくれるんだよ、こんなことするなんて横暴だ」
「わたしに構うから、河の真ん中辺りにおっことしてやればよかった」
「そんなことされたら! ほんとに死んじゃうじゃんか……助けたくせに」
「くっだらない詮索は迷惑だって言ってるの! なんならもう一度放り投げてやろうか」
パンツが見えた。今日はストライプなし、純白。
「どこ見てんの……」
「真っ白」
 夏織の顔がみるみる真っ赤になった。
「一人じゃ生きられないよ……」
「今までも一人だったし、これからもずっとずっと一人……」
「入学式の時に見てから一目ぼれしちゃったんだ……恋しちゃったみたいだ夏織に……」
「か、夏織なんて気安く呼ばないで、助けなきゃよかった」

 いつもの河川敷だった。春真っ盛り、気温は徐々に上昇して二十五度を超えたかもしれない。レトリバーと散歩してる人、水遊びに興じる親子、なにも変わらないいつもの日常。
 誰も夏織のあの、なんていうか、その、テレポートか……奇跡をついさっき見ちゃったんだぜ、この子がその奇跡を簡単にやってのけるんだ。喋ったら殺されるんだけどね、僕は……。

 制服はずぶぬれのままだった。河川敷の良く手入れされた芝生に寝転んだ。横に仕方なくって風情で夏織が座った。
「恋した相手が、その、あの、多少風変わりだったとしても、その、なんだ、あの、僕は構わないけど」
「……構わないって、勝手に!? 村雨君、君、本気で言ってるのそれ……君を殺すかもしれないのよ、わたし……この力、知られたら多分わたし、生きていけない。だから、自分の身は自分で守ると決めたの、昔っからそう決めたの。知られたら終わりだって……」
 「知っちゃったよ僕は……まひるでいいよ、夏織……。名前は、まひるだから。ウソついてるかどうか読めばいいじゃんか、超能力者なんだからさ」
「だから気安く名前呼ばないで。あのね、わたしを見る男の思念なんかいちいち読んでたら、一日で気が狂っちゃうわ。裸にしたり、脱がせたいとか、レイプしたり、やりたいとか、やらせろとか、そんな想像ばっか……そういう思念は遮断してるの。男なんて大嫌い! だから普段は心なんか読まない」

 スポーツ・カイトが飛翔してるのを目で追った。雲ひとつない空にカラフルなスポーツ・カイトの群れが良く似合った。
 「僕は違う! 多分違う……他とは違う」
「わたしのパンツ、穴の開くほど見てたくせに?」
「見てた、けど、僕は違う……」
「何が違うの!」
 夏織の怒りの一言……うわっ、まじ怒ってる。身体がふわっと宙に浮く。遠のく意識……視界がぼやけて……。

 「どこだよ! ここ!?」
「エジプト……ピラミッドのてっ辺。正確に言うとクフ王のピラミッドのてっ辺」
「はぁ!! なんだよ? なんでだよ!?」
「服、乾かしたいんでしょ、あはは」
 諦めた。ここに置き去りにされたら、どうしていいか分からないし、なにしろアフリカなんだから、どう帰っていいかも分からない。それにこの暑さだ、服だってすぐ乾く。
 教科書で見たそれがそこにあった。隣にはやや小ぶりなカフラ王のピラミッド。で、スフインクス。想像してたよりかなりでかい。どっかの軍隊が大砲の標的にしたんで鼻がかけてたり、で、そのスフインクスの視線の先にはケンタッキー・フライド・チキンとピザ・ハット!?
 見渡す限りの砂漠には点々と文明の名残があった。
「みんないつかは砂になるの。一粒の小さな砂に……」
 こんな絶景なんだから夏織だって感傷的になるのも無理はない。夏織は何度も見てるんだろうか、こんな景色を……告白するならここしかない。クフ王のピラミッドのてっ辺、勇気を振り絞った。
「好きなんだ! 友だちから、ねぇいいでしょ夏織……」
「まだ言うの! しつこい。まひるなんてだいっ嫌い」
 沈黙……制服のまんま、エジプトはカイロにいるって、それもクフ王のピラミッドのてっ辺で口げんかしてるって変だろ、どう考えたって……。
 制服はとっくに乾いていた。

「怒ってる? まひるって名前で呼んでくれた。感激だな……でも、置き去りだけはやだよ」
「まひるなんか干からびて死んじゃえばいいのよ……まひるなんか……」
 背中を向けた東雲の制服姿はどう考えてもこの景色には不釣合いだ。長い髪が風になびいた。
「お腹、空いたなぁ……ケンタ食べたい。あそこにあるじゃんか、ピザでもいいし」
「円しかないもの、ドルかエジプト・ポンドしか使えないし」
「何度も来てるのか? こことか、例えばナスカとかギアナ高地とかガラパゴスとか……」
「何度でもってわけじゃない。ヒマな時にね」
 真っ青な空と褐色の砂が交わっていた。悠久の大地にラクダの群れ、観光客がポツリポツリ……。
「友だちになれそうか、僕と?」
 刺激しないように言ったつもりだ。マチュピチュなんかにぶっ飛ばされたら適わない。
「助けなきゃよかった……」
 東雲夏織は、はにかんだ笑顔を向けた。美少女だ、間違いない。クフのピラミッドの頂上から出した脚をばたつかせてるとこはただの可愛い女子高生なんだけどなぁ……。
 運命なんて信じない。もちろん神様だって信じてない。でも、僕の前に突きつけられたのは、そういったもろもろが信じられそうな体験だった。だって恋したんだぜ、恋した相手は超能力者だったんだぜ!?
 東雲夏織、不思議な女の子。僕の初恋の相手はとんでもない子だった。

 こうして東雲夏織と僕の冒険が始まった。始まったのか、これ!? 

Ⅱ Non-routine

今までの登場人物

 主な舞台は都立東高校 一年A組

僕……村雨(むらさめ)まひる(恐らくこの小説の主人公、でもいつ夏織に殺されるかわかんないぞ、気をつけろ。主人公の座は自分で掴み取れ(笑)

たぶん僕の彼女……東雲夏織(しののめかおり)
ほんとはこっちが主人公かも……。

谷口……僕の友人

岡崎……クラス委員長

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 入学式から一ヶ月、クラスもやっと落ち着いてきた。
夏織とどうなったかといえば、それなりって言うしかない状況。
 仲がいいわけでもそれほど悪いわけでもないって意味で。
いやいや、無視されるほうが断然多い。

 でも、僕は夏織に助けられたわけだし、一緒にクフのピラミッドで口げんか&僕から告白したわけだし、
その時はけっこう夏織も満更でもないなとか、手ごたえあったと思ったんだけれど、どうやら僕の勘違いかもしれない。
相変わらず夏織はクラスの誰とも打ち解けず、昼休み、僕と谷口と岡崎が弁当を広げてると、それを、横目にぷいと教室を出ていってしまう。
 クラス委員である岡崎も何度か接触を試みたようであったが、無駄骨だったようだ。

 一度、夏織の下駄箱にラブレターらしきものが入ってて、開けたとたん、ポロッと落ちたのを目撃しことがあった。
 まあ、容姿は美少女の無口な萌えキャラそのものなんだから、そんなもんが来てもおかしくはない。
しかし、その手紙を見もせずに掌で握りつぶして消してしまった。
 あの掌からはみ出た手紙がゆっくりと消えてゆくのを目の当たりにすると、やっぱ夏織ってまともじゃないとか思ってしまう。それもニヤけながらそんなことをする夏織を見ると、こいつ相当ニヒルなペシミストなんだなとか……。

 そして、僕を一瞥し、口元にチェシャ猫みたいなにやけた笑いを浮かべ、お前も秘密ばらしたらこうなるんだぞと言わんばかりの脅迫じみた言動を見せた。

 あの読まれなかった手紙はいったいどこに消えたのか? 原子になって、あるいは素粒子レベルで分解されどっかにぶっ飛ばされたのだ、「誰がクックロビンを殺したんだ?」今なら答えられる。それは夏織だ、間違いない。

 僕が目撃してるのを知って、わざと手荒なことをしたんだろう。
 夏織、言っておくが僕はめげないぞ! 恋してる男は、ことのほか強いんだ。

 なにごともなく過ぎてゆく当ったり前の日常と夏織を意識すると見えてくる非日常。


 「ついてくんな! またびしょぬれになりたいのか?」
学校帰りのいつもの河川敷。雲行きが怪しい。簡易舗装された小道に雨粒が一つ、二つ。
「傘、持ってこなかったんだろ? 入れよ」

 やっと歩みを遅め、夏織が振り向いた。灰色の空が広がっていた。
「なぜわたしに構う……まひる、警告したはずだぞ。構うなって……」
 雨脚が早くなる。みるみる小道が濡れてゆく。
「警告は殺すぞだろ? いいから入れよ。超能力者だって濡れるんだろ……変なことすんなよ、クラスのやつら、その辺にいっぱいいるんだから」

 しぶしぶといった風情で夏織が傘に入ってきた。
「誰もいないとこでテレポートして帰っちゃうつもりだったんだろ?」
睨まれた。癪に障ったようだ。いったい何度睨まれたら気が済むんだ、僕。
「まひる、いいから、もう絶対わたしに構うな……普段、力なんか使わない! 力なんか力なんか……まひる、まひるにバケモノの気持ちが分かるか? こんな力、なきゃいいのに……こんなものがあるばっかりにわたしは、わたしは、バケモノなんじゃないのかって……」
 夏織は傘を除け、雨が容赦なく降り注ぐ天を見上げた。涙を僕に見られたくなかったのか、でも、僕は見てしまった。真珠みたいにポロポロこぼれる夏織の涙を……。

 同じ制服を着た子たちが足早に遠りすぎる。訝しげな視線……中にはクラスの子たちも混じっていたかも。

 夏織の手を取って橋げたに引っ張る。
「ごめん……一言だけ言っていい?」
 夏織は無言。いまだに泣きじゃくってる。泣かしたのは僕だ。少なくともクック・ロビンではない。
「夏織はバケモノなんかじゃない。いや、バケモノだろうとなんだろうと好きだ。僕は夏織が好きだ」
夏織の瞳に浮かんだ戸惑い、哀しみ……信じてよ夏織、僕を……。
「まひる……まひるぅ……」
夏織は僕の胸に顔を押し付けた。かみ殺した嗚咽は止むことがなかった。雨宿りしてるってのに僕は傘を差しつづけた。
 堰を切ったように夏織は泣き続けた。
 まるで十六年ぶりに泣いたように、たまっていたものを吐き出すように……。

 どしゃぶりの雨には夏の匂いが充満して、夏織の髪のシャンプーの匂いと交じり合って僕の鼻腔をくすぐった。灰色のカーテンが激しさを増す。
 頭の中にぼやけた記憶が走馬灯みたいに現れては消えた。それが夏織の記憶だと気付くのに暫くかかった。
夏織と僕がつながった瞬間だった。
 でも、一瞬のうちにそれは閉ざされた……無遠慮に入ってこないでというメッセージとともに……記憶のドアはぴしゃりと閉まった。
 ジグソー・パズルみたいな夏織の記憶の断片は深く、深く僕の中に沈み込み、僕は夏織への愛しさがこみ上げてきた。
 ……一人ぼっちなんかじゃない! これからは僕が一緒だ……。
 夏織は僕を見、泣きじゃくりながら更に僕の胸に頭をこすりつけた。いやいやをする子供みたいに。

 雨脚が僕と夏織を守っているように思えた。


 次の日、黒板には大書きされた傘マーク、名前のとこには東雲と村雨の文字。その他ハートマークにキスしてたとか、抱き合ってたとか……ご丁寧に夏織の机にもおんなじマーク。夏織は俯いたまま、微動だにしない。

 「誰だ、こんなことしたやつ!」
 谷口が入ってくるなり黒板に向かう。岡崎が教壇から悲しげな視線を投げかける。
「高校生にもなって、こういう人を茶化すような、バカにするような書き込みするなんて、人格を疑うわ!例え冗談にせよ、やっていいことと悪いことの分別もつかないの!?」

 黒板消しを持った谷口が消しにかかる。
「いや、いいんだ谷口……」
僕は教壇に向かう。みんなが息を飲んで僕を見つめる。夏織は俯いたまま。

 「僕は、僕は……東雲が、いや、夏織が好きです! 入学式以来一目ぼれです。初恋です。いや、正確に言うと保育園の両想いの唯ちゃん以来です。恋してます、ご清聴を感謝します。以上」

 夏織がやっと顔を上げ一瞬こっちを見た。

 谷口も岡崎も動きが止まっていた。
 僕は深呼吸して席に戻った。まばらな拍手が起きた。


  「こんなとこにいたんだ」
さわやかな笑顔とともに岡崎が現れた。
 昼休み、あんなこと言ったもんだから、さすがにクラスの視線が痛くていたたまれなくなって、屋上へ避難した。
岡崎って誰もがイメージするクラス委員長そのもののキャラだと思う。なんていうか、はまり役っていうか。
「すごかったね朝のホーム・ルームでの告白……なんかね、いつもの村雨君らしくなくて、かっこよかったよ
 
 赤フレームのメガネ、つんと伸びた背筋、ロングだったのに高校に入ってばっさりショート・ヘアにしてちょっと驚いた。
「中学の時ってさ、村雨君、女の子みたいでなよっとしてて、目立たなくってさ。身長だってわたしより低かったし……」
「よーするに僕なんかには興味もなんにもなかったって言いたいんでしょ、岡崎……アウト・オブ・眼中ってやつ」
「だから見直しちゃったって……谷口君も驚いてたし、村雨君から女子のことなんか聞いたこともなかったって言うし」
 「僕だって、驚いてるんだよ。なんだか強烈なインフルエンザにかかったみたい。熱に浮かされてフワフワしてるんだ。東雲のことが気になって仕方ないんだ。授業中も東雲の背中ばかり見てる。たまにはにかんだ笑顔なんか見れたりするとたまらないんだ」
「……恋してるんだね、村雨君。なんだか、とっても羨ましいな」
「委員長だってどうなの? 谷口のこと……」
「さあね、どうなんだろうね。谷口君、あれで、中学の時からけっこうもてたしね」
谷口から岡崎のことで相談されたことが一度だけあった。僕に相談してもなんの意味もないよ、なにしろ、恋なんて無縁だったから、なんて答えた気がする。
「大丈夫ってさっき東雲さんに話しかけてみたんだけれど、無視された」
「うん、ありがとう。東雲、ほんと大丈夫かな……」
 僕と岡崎は、結局、昼休みの終了のベルが鳴るまでそこにいた。
僕は東雲のことを想い、岡崎は、逸れた雲を目で追っていた。
 五月のゴールデン・ウィーク前のことだった。
 
 次の日、東雲夏織は学校を休んだ。

 放課後を待ちきれず僕は愛用のママ・チャリに飛び乗る。
担任に聞いたら風邪を引いて熱が出たってことらしいのだが、ならお見舞いにいってやる。
 頭の中で必死に夏織に呼びかける。全く反応はない。あるわけないか、僕は超能力者じゃないし、でも、夏織が万に一つ僕とコンタクトを取ってくれるんじゃないかと思ったから。
もちろん夏織の家なんて知らない。でも、僕には、その、なんて言うか、確信があった。
 あの日、僕はドアを開けたんだ。夏織の記憶の中枢を垣間見た。
 だから、あの記憶を辿れば夏織の家にたどり着ける、そういう確信があった。
 意識の下で深く深く沈んだ夏織の記憶、それだけが頼りだった。

 どこをどう走ったかなんて記憶にない。知らない街の知らない舗道を、路地を、やみくもにママ・チャリを漕ぎ続けた。
 何度も諦めかけた。
 数時間後、一軒の家の前にいた。蔦の絡まるニメートルはある垣根がぐるっと囲んでいた。ブナの木が生い茂った良く手入れされた庭。奥に白い洋館風の建物。朽ち果てたブランコ、白いガーデン・テーブル……いた! 踊り場の階段に夏織がちょこんと座っていた。
 汗を拭くまもなく僕は叫んでいた。夕暮れがそよ風を運んできた。
 「かおりー!」
 肩をすくめ僕を確認する。ゆっくりと近づく夏織……麦藁帽子に白のノースリーブのワンピース。ピンクのサンダルが目に飛び込んだ。
「風邪引いたっていうからお見舞いにきた」
「ふーん、入れば……」
「驚いてないんだ……ひょっとして来るの分かってたの?」
門扉をゆっくりと開ける。
門柱に肩を預けて俯き加減で答える夏織がたまらなく可愛い。
「パパもママも出かけてるから」
「風邪じゃないじゃん、ズル休み?」
「昨日、あんなことしといて……もう学校いかない」
ブナの大木が投げかける柔らかい影がそこここにたまりを作った。
 二人並んで庭を歩く。デートみたいじゃんか、これ。
 制服の夏織も可愛いけれど、私服の夏織はもっと可愛い。
「はあ? ウソ……だろ? 僕たち始まったばかりだ」
「始まった? 誰がまひると付き合うって言った?」
 重々しいドアを開けると広い玄関と二階に続く螺旋形の階段。
 「突っ立ってないで入れば?」
「いいの? 怒ってるんじゃ……」
「怒ってる、すごく怒ってる。だから、こうしてやる!」

  **************

 「はああああ!!?? どこだよ、ここ」
 南の島だってことは分かった。すぐそばに真っ白な灯台があった。む、む、無人島!?
 「ニューカレドニア、天国に一番近い島なんだって……そこからフェリーで三十分のアメデ島がこの島の名前。あの白いのがアメデ灯台。観光客が去ったら、ここは完全に無人島になるの。だから今はまひるとわたしの二人だけ」
 「ま、まさか、ここに、置き去りにする気じゃあ……」
「ガラパゴスかイースター島よりはましでしょ、ここ」
 真っ白な珊瑚の砂浜が延々と続いていた。所々にヤシの木。穏やかな波が寄せては返す。天国に渚があるとしたらきっとこんな感じなんだろう、きっと……。
「どうしようかな……沖合いには鮫がうようよ。明日になればまた観光客がどっと押し寄せてくるから、なぜこんなとこにいるなんて問い詰められて、苦し紛れにわたしのことバラすかも知れないし」

 サンダルを片手に持った夏織は気持ちよさそうに渚を歩く。真っ青な空と水平線が溶け合って、彼方まで続いていた。
そんな可愛い顔してどうしてそんな残酷なこと平気で言えるのか? ひよっとして夏織は相当なサディストかもしれないなんて思っていた。
「好きにしろよ。天国に一番近いんだろ、ここ。死んだら絶対天国なら十六で死んでも本望だよ」
 夏織が歩いた足跡を優しく透き通った波が消してゆく。白い貝殻が波間に揺れた。
「置き去りにされる前にやっておきたいことがあるんだ、聞いてくれる?」
「遺言なら聞いてあげなくもないわ」
「手を繋ぎたい。手を繋いでこの砂浜を歩きたい、夏織と……」
麦藁帽子が振り向いた。僕に右手を差し出す。
僕はゆっくりとその手を握りしめた。

 無人島を夏織と手を繋いで歩いた。砂浜には二人の足跡が点々と続く。僕も靴下を脱ぎ、裾を折って、裸足になった。
 夢みたいな時間が過ぎてゆく。夢なら一生覚めるな、一周二キロにも満たない島だけれど、日差しが強烈で、一周もすると、どちらからともなくヤシの木陰に座り込んだ。
 いつの間にか眠り込んでいたようだ。夏織は僕にもたれかかったまま優しい寝息を立てていた。

 どこにあるのかさえ知らない。それでもいいと思った。どこにいるのかさえ分からない。それすら、幸せだと思った。夏織といさえすれば、どんな運命だって受け入れられる、夏織の寝顔を見つめながらそんなことを考えていた。

Ⅲ Earthquake

  「よーし、これ解けるやつ。誰か、いないのか? そこのいつも俯いてる東雲。どうだ、たまに授業参加しろよ」
数学の有吉は慇懃無礼な若手のイケメン教師。上から目線が鼻につく。僕らを小ばかにした態度、女子にはわりと人気があるが、男子からは総スカン。
 東雲は俯いたままだ。
「そうか、じゃあ岡崎どうだ? 解けるか」
「は、はい。もう少し時間をください。あと五分」
 有吉は明らかに岡崎ひいきだ。岡崎はクラスの委員長であり頭もいい。そういった僕と正反対の生徒はたいがい先生のお気に入りであることが多い。
委員長ができないんだから、鼻からあきらめてる僕。午前中の数Ⅰの授業はことのほかキツイ。
 東雲がすっくと立ち上がった。クラスの視線が一斉に東雲に向く。
 教壇に向かう東雲を見て何人かの男子がため息をついた。普段、目立たない東雲がかなりの美少女であることを認識する。君たち、そんなに見つめるな。東雲は今、勇気を振り絞ってるんだ。
 目立つのを極端に嫌う東雲夏織……なにかの決意の現われか、なんて思ってみたり。

 三日前、僕は東雲夏織と南の島で手を繋いでどこまでも続く砂浜を歩きました。思わずニヤけてしまった。
ヤシの木陰でうたた寝しました。ふと目を開けると東雲がいない。渚に続く足跡、脱ぎ捨てられたワンピース、サンダル、麦藁帽子、真っ白なブラ、真っ白なパンツ……渚に天使を見ました。
 まっぱの東雲がぼんやり見えました。僕は寝たふりを続けた。
 なにもかもから解放された東雲がいたから。断じて、まっぱの東雲を見ていたかったからじゃない……多分ね、いや決して、そうじゃない……と、思うけど。
 東雲があまりにも綺麗だったから。つぼみみたいな華奢な胸や、桃みたいなヒップや、細くて長い脚や、揺れる黒髪、なにもかもが夢のようでした。
 でも、場合によっては鮫がうじゃうじゃいる海に放り投げられていたかもしれないけれどね。

 教壇に立った東雲が黒板に向かう。クラスの目がこれからいったいなにが起こるのかって興味深々。好奇の目が東雲に注がれる。

 チョークの音だけが鳴り響く。僕にはちんぷんかんぷんの数式多分、二次方程式らしきものが延々と続く……止まった。
 「この式から1999×1999の升目に、石の置かれていない任意の升目についての個数の和が1999以上であるという条件を満たすn=999の時に最小値1998001になるから、升目に必要な石の最小個数は1998001個。以上」
 言い終わると東雲は静かに席に戻った。
 有吉がため息をついた。
 「完璧じゃん、東雲!」
 じゃんて有吉先生、感激しすぎじゃんか。仮にも先生がじゃんなんてないじゃんか。
 まばらな拍手が起こった。懸命に手を叩いているのは岡崎、その他のクラスのやつらはぽかーんとした顔。
だいたいが黒板いっぱいに書かれた数式が理解できない、あはは、僕もだ。

 「お前たちも中学までの数学、理解してれば今、東雲が解いた問題など完璧にこなせるはずなんだがな」
 有吉がまた上から目線な発言。そんなもん、分かってれば僕だって東大目指してるってば。

 終業のベル、岡崎が早速東雲の席に向かう。
「気持ち良かったー、有吉先生って大嫌い。東雲さん、すごい!」
 東雲は相変わらず無視。窓から見てるのは雲か、空か、はたまた他のなにかか?

 谷口が僕に耳打ちする。
「東雲、実は天才かなんかか、授業なんてほとんど無関心みたいだったのに……」
「他の先生も東雲、無視してたからね。実は頭めちゃいいんだよ、きっと」などと東雲を擁護する僕。
「有吉が感嘆符みたいな顔したんだから、相当なもんだぜ、あれ」

 昼休みのベル、東雲を教室から連れ出す。クラスの好奇心に満ち満ちた視線が痛い。岡崎も谷口も口には出さないけれどガンバレよみたいに胸のとこで拳を作る。

 「なによ、痛いじゃない!」
「屋上いいだろ? 僕の一番好きな場所……」
「なにそれ? ここから落っことせってフラグかなんか?」
 落っことす!? やりかねないな夏織なら……。
「じ、冗談は止せよ、あはは……。授業であんな積極的な態度だからさ、なんか心境の変化でもあるのかと思って」 
「べ、別に意味なんてない。ヒマだったからたまに、たまーに授業に参加しただけよ」
「谷口も驚いてたよ。夏織、実は天才なんじゃないかとかさ……」
「わざわざ、こんなとこまで力ずくで引っ張ってきておいてそんなこと。 衆人環視の中であんなことするなんて。わたしがどんなに目立たないように生きようと日々努力を重ねてるっていうのに、ぶちこわしといて、目立ちたくないって、いつも言ってるでしょ!」
「ご、ご、ごめん。有吉のぎゃふんって顔が見ものだったから、ついつい……」
「……ついついでわたしをこんな危険な状況に追い込めるわけ? まひる、あんたって底抜けのバカか底なしのバカか他のなにかなの?」
「そんなー、頭もよくて、超能力者でしょ。僕にないものばっかだから……夏織ってなんでもできるんだね、なんて尊敬ってか、リスペクトってかさ」
「なんでもできるですって! なんでもできるわけないじゃない。できることだけよ、できるのは」
 「そんなに怒らないでよ……僕は、僕は、ただ、そのすごい力が羨ましいしさ、友だちにこんなすごい子がいるって……」

 「うるさい! うるさい! うるさい! 御託はもうたくさん。こんなものバケモノの能力じゃない! わたしは普通がよかった、普通の女の子でよかった……だいいち、馴れ馴れしいのよ。いつからわたしは、まひるに手を引っ張られてこんな屋上なんかに連れてこられるような間柄になったわけ? わたしはまひるの友だちでも、ましてや彼女でもあるはずがない!」


 夏織は踵を返し、スタスタと屋上のドアに消えた。白ペンキの剥げた鉄のドアが耳障りな音を立てて締まった。
 まさにぎゃふんって状況だった。
 僕の勘違いだったのか!? 少しは距離が縮まってると思ってたのに……なんたって僕らは河川敷で川にぶち込まれたり、クフ王のピラミッドのてっ辺で口げんかしたり、雨の日に橋の欄干で胸を貸したり、南の島で手を繋いで渚を歩いたりって関係だったのに、僕の前で夏織はまっぱになった仲だってのに、彼女は無理としても友だちくらいには発展してると思ってた。
 そう思ってたのは僕だけだっていうのか……。

 屋上の手すりに寄りかかってこの状況を考えていた。恋は盲目っていうけれど、こうまでこっぴどく打ちひしがれた気持ちになるなんて……。

 「村雨君、東雲さんになにかしたの? 階段ですれ違ったらなんだかすごい剣幕だったよ」
委員長らしい笑顔で岡崎が現れた。後ろにはなにかいいたそうな谷口。
「えっ!? べ、別になにも……階段、壊れてなかった? じ、冗談、冗談。あはは」
ま、まずい……東雲に殺される……。
 「村雨さ、最近なんか変だぞ。その鼻の頭どうしたんだよ? 皮剥けてるじゃんか」
谷口の訝しげな視線が痛い。突き刺さる。
 一瞬、校舎が揺れた。
「ガシャーーン!」窓ガラスの割れる音が響いた。
「じ、地震!?」岡崎が引き攣った顔で叫んだ。
 校舎の揺れはすぐに収まった。
手すりから覗くとA組の窓ガラスが粉々に砕け、地面に散在していた。

『今度、今みたいな軽口叩いたら殺す!』

 頭の中で夏織の警告がネルフ級の音量で鳴り響いていた。

学校へはいかない。

学校へはいかない。

村雨まひる(ムラサメマヒル)は、入学式で出会った東雲夏織(しののめかおり)に一目ぼれ。告白しようとしたが、夏織は普通じゃなかった。

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更新日
登録日
2012-02-08

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  1. Ⅰ Boy Meets Girl
  2. Ⅱ Non-routine
  3. Ⅲ Earthquake