教壇の彼女
先生は掴み所のない人だった。
特別美人というわけではないが、身長は低くも高くもなく、すらりとしていて華奢で、控えめで清らかな顔立ちだった。それと同時にその表情は記憶に残らないほどに儚く、今となっては先生の顔をうまく思い描くことができない。僕が思うに、先生のことを嫌いになった人はいないだろうが、特別な感情をもって好きになった人だっていなかっただろう。
先生は他の女教師がつけているような控えめなネックレスや指輪なども一切身につけなかった(もちろん婚約指輪などもはめていなかった)。それらの装飾品が象徴するように、先生は他の教師陣とは一味違ったところがあった。回りくどい一般論や、エゴイズムの押し付けもないし、何より僕を惹きつけたのは先生の説く授業だった。
先生は滅多に教科書を使わなかった。カフカやサリンジャーやサガンの小説(それらは主に短編だった)を毎回一話だけ用意し、それをみんなで読み、主人公ではなくそれを取り巻く人々の視点から短い小説を書く、というものだった。
僕は先生の授業を受けるまで、現代文の授業がいささか好きではなかった。大方の教師は教科書の幾つかの設問に従って、登場人物の心情や筆者の言わんとしていることを考えさせる。そしてこうだと決めつけるものだから、想像力がそこでせき止められ、失望が澱みとなって胸の底に溜まっていくようだった。僕はそれがどうしても気に食わなかった。
いつだったかそれを先生に話した記憶がある。なぜそんな話をしたのか、先生と話す機会を持つことができたのか、何故だか僕には思い出せなかったが。
「ブルームフェルトが何を考えて、ただのセルロイドのボールをペットにしたか」
僕がその話をすると、先生は独り言のようにそう呟いた。
「小説ってそういうものなの。不条理でゆく宛てがなくて、もどかしい。でもそれをゆっくり時間をかけて解釈すれば、然るべき場所に辿り着くことができるの。カフカやブルームフェルトが何を考えていたかなんて、そんなの彼ら自身にもわからないかもしれない」
僕は先生が家で料理をしたり洗濯をしたり、誰かと楽しく談笑している様子を思い浮かべようとしてみたが、うまくいかなかった。そこにいる先生はいつも一人で、何もない部屋で薄いブルーのワンピースを着て、カフカやサリンジャーやサガンを読んでいる。
そしてきっと、夢の中で彼らにこう問いかけるのだ。
私は一体どこに辿り着いたらいいんだろう?
教壇の彼女