檸檬

 先生は黒板に「夏の俳句を詠む」と書いた。
 先生の字はシンプルで癖がなかった。以前何度か小論文を先生に添削して貰ったけれど、その赤字で書かれた先生の書く字を、僕は具体的に思い出すことが出来なかった。そこにぼんやりと浮かぶのはいつも先生の薄い唇だったり、華奢な白い胸元だったり、ときに健康的な一対のふくらはぎだったりした。先生の淡いレモン色のクルーネックシャツから目を逸らし、B5サイズの真白なプリントに視線を移しても、気の利いた俳句は浮かんでこなかった。僕は頬杖をつきながら、先生の方をちらりと見た。教壇に立つ先生は膝丈の白いスカートをはいていた。スカートにはクルーネックシャツと同じ色のレモンが描かれていた。
 僕は教科書に載っている季語表を一瞥したのち、一句詠んだ。先生はよく詠めている句をみんなの前で発表した。先生の独断と偏見で選ばれた中学3年生の詠んだ句が、五七五で繰り返されていく。どれも中学生らしく、夏を思わせる句だった。それらが「よく詠めている句」だということが僕にもわかった。

「難しい言葉を含めたり、遠回しな表現をしようと思わなくてもいいの。大切なのは初心をたいせつにすること。うぶな心で感じたことを感じたままに、普段着の言葉で綴ることが俳句の基本なのです」

 何か用事があるならいいの、今日の授業のことでちょっとアドバイスがあっただけだから。というのが先生の言い分だった。授業が終わったあと、僕は先生に呼び止められた。先生は僕が部活動に所属していないことを知っている。
 先生は職員室に入ってきた僕を見つけると、書き物をしていた手をとめ、こちらを見て微笑んだ。先生の机の上には高校入試を控えた生徒たちの小論文が積み重なっていた。きっとこれから先生が添削するものだ。その中には僕の乏しい文章力で書かれたものもあるはずだ。

「添削は楽しいわよ、あなたたちの俳句を見るのと同じように。未完成でうぶだけれど新鮮で熱い。檸檬の季節はいつか知っている?」

 ああ、檸檬は夏の季語では無いのだな。と僕は思った。先生は檸檬は晩秋の季語だと言った。

「でもね、檸檬の花は夏に咲くの。そして私はあなたの句が嫌いじゃない。夏に秋の句を詠むのはあまり好ましくないけれど、この句には何処か、そうね、淡い夏の恋のようなものを感じる」

 淡い夏の恋、と僕は繰り返した。
 先生は自分のスカートの柄がレモンだと気づいているだろうか。

檸檬

檸檬

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-18

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