Time Prehension.
Time Prehension.
0.エピローグの始まり
楽しい時を過ごせば、時間は早く流れる。退屈な時を過ごせば、時間は遅く流れる。じゃあ、苦痛は? 早く流れる? 遅く流れる? どちらだろう。僕が世界のほつれに過ぎないのなら、僕の時間を誰が観測してくれるんだろう。僕の体から赤い血が流れる。僕の体はゴムみたいで、まるで実感がない。血が流れているという実感も、この体が存在しているという実感も。僕は何者なの? 僕は誰なの? そんな問いかけをしても、声が虚空へと反響するだけ。
「あなたは○○なの」
何も無い世界に、僕以外の声が聞こえる。君は……そうか、そういうことか。僕は、僕たちは、きっと、時間の門の中に沈んでしまったんだ。だったら、僕は○○なんかじゃない。僕はそんなもんじゃない! 僕は……僕は! 僕は。
「僕は、○○じゃない」
◆◇
「はあ……はあ」
やっと眩暈が収まった。僕の視界は学校の部室へと回帰する。ここのところ、よく白昼夢を見る。いや、昔から見ているような気がする。でも、昔のことはほとんど覚えていない。そんなもんだ。時間が経てば人間は忘れる。
「どうした、西神」
「いや……ちょっと白昼夢を見てました。へへっ」
「白昼夢……? プリヘンションか?」
部長はものすごい形相で僕を睨んでいる。そんな目で僕を見ないで欲しい。
「プリ……へ?」
英語で把握。でも白昼夢のことは英語でプリヘンションとは言わない。デイドリームだ。プリヘンションって一体なんのことだろう。ついに部長は電波にでも目覚めてしまったのだろうか。部長は顎に手を当てて深刻そうな顔をしている。
「じゃあ、時空座標の十二乗イコールマイナス世界点の公式は」
「な、何を言ってるんですか、部長」
やっぱりおかしい。そんな公式聞いたことがない。三年になると習うのかな。いや、違うかな。世界点とか聞いたことないしな。
「思い違いか……それともまだなのか」
「部長?」
部長の顔を覗き込むと部長は我に返って目をぱちくりさせる。
「あ、いいやなんでもないんだ西神」
「そうですか」
僕はそう言いながら目の前にあるパソコンの検索窓に『プリヘンション 白昼夢』と検索をかける。ヒット数……ゼロ。ゼロ? 見当違いな記事でも一つぐらいは引っかかるはず。部長の変な妄想だとしても、どうして何もヒットしないんだろう。
「何をしている」
「プリヘンション 白昼夢で検索しても、なんもでないですね」
「……!」
部長が血相を変えている。表情がコロコロ変わる人だ。この人は一体どうしたんだろう。僕が白昼夢を見るたびにこういう顔をする。僕は、自分の心に、強風にあおられる木々のざわめきのようなものを感じた。
「で、出たのか?」
「それが、ゼロなんですよ。変な記事の一つや二つ引っかかるもんなんですけどね」
「その単語を検索するな。知らないのなら、知らないままでいいんだ」
「どうしてそんな――」
キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴る。部活時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。部長はため息をつきながら帰り支度を始める。僕は部長にもっと聞きたいことが山ほどあったけど、それにならった。カバンを持って席を立つ。
「じゃあ、西神。私はこれから用事があるので急ぐ。お前も気をつけて帰れよ」
「あの部長――」
声を掛けようとしたときにはもういなかった。まるで瞬間移動したかのような素早さ。本当に瞬間移動したのではないかと酔狂なことを考え、扉の外を見てみる。そこには、誰もいなかった。長い廊下に誰ひとりとして人が立っていない。部長は走って帰ったのだろうか。いや、でも、足音はしなかった。
「何なんだあの人」
本当に瞬間移動したんじゃなかろうか。いや、ありえないな。オカルトは認めないわけじゃないけど、部長がそんなすごい人だなんて無い無い。あの人は後輩の僕に勉強を教えて貰うほどなんだ。
「何考えてんだろ」
帰ろう。僕は長い廊下を歩いて学校の外に出た。学校の外には、見知らぬ人が立っていた。何やら生徒に声をかけているようだ。よく見ると警察の制服を着ている。聞き込みだろうか。ここらへんで何か事件でもあったのだろうか。関係無いな。僕は足を速める。
「こんばんわ」
誰かの声。ああ、早く帰ってVWにでも潜りたい。
「君、ちょっといいかな」
ひょっとしてこの声は僕に向いているのか? 恐る恐る顔を上げる。するとすぐそこに警官の顔があった。僕は僕よりほんの少し背が高いかという警官の顔を見上げる。あれ……? この顔、どことなく僕に似ているような。若干の釣り目に黒い髪。髪型まで同じ。オールバック。髪の毛を整えるのが面倒だし、いかつい顔をしてるからいつもオールバックにしてるんだ。あれ、これは、もしかして。額の中心に黒い……ほくろ!
「ここらへんで事件が起きてね。誘拐なんだけどさあ」
このほくろ、僕にもある。小さいころから仏ボクロと言われてからかわれていた。どうしてこんなに似ているんだ。他人の空似にしちゃあ出来すぎてる。
「ちょっと、君どうしたの?」
考えすぎか、考えすぎだな。世の中に自分と似ている人は三人いる。別に仏ボクロなんて珍しくない。
「君?」
「へ? あ、はい」
呼ばれていることに気がつかなかった。警官は訝しげな目で僕を見ている。
「ここの生徒さんがね、誘拐されたらしいんだ。犯人探してるんだけど、なんか知らない?」
「え、えと……」
「あ、ええとすまないね。特徴伝えるの忘れていたよ。ハハハ。ええ、んん」
警官が咳払いをしてメモを出した。誘拐事件、そんなことがあるんだなあ。
「犯人もじつは、ここの生徒なんだ。目撃情報によれば、女の子でね。これは信じがたい話なんだけど……んん。瞬間移動をしたんだそうだ」
警官は瞬間移動をしたというところだけを小声で話した。まあ、警官が瞬間移動だなんてオカルト話を持ち出すのは恥ずかしいのだろう。
「まいったな。こんな供述されたんだけどね。警察困ってんのよ」
「はあ……」
「ああ、すまんすまん。愚痴ってしまったね。で、何か知らないかい?」
「ええと」
瞬間移動といえば、部長の帰宅スピードが凄まじかったけど、あれは違う。
「知らない、です」
「そうかそうかすまんすまん。ところで君、私に似てるね」
「そ、そうですか」
この警官も感じたのか。警官はどうしてか、ニヤニヤと笑いながら僕を見る。そんな目で見ないで欲しい。
「君の名前を教えてくれないかな。聞き込みした人の名前は全員記録しとかなくちゃいけないんだ、うん」
「西神 優斗です」
「西神優斗くん、ね。ご協力ありがとう。気をつけて帰るんだぞ」
「はい」
僕は一礼すると、家に向かって全力で走り始めた。同じ学校の生徒を誘拐だって? それにあの警官さんは本当に他人の空似で済ませていいのだろうか。あの時の僕を見る目が目に焼き付いて離れない。海馬の奥深くまで映像が焼き付いてる。あの目は楽しんでいた。それに、何かを見透かしていたようだった。そういえば、あの時、少しだけ……目が光ったような。
僕の家は神戸の北区にある。都会とは言い難いその場所へは、電車を使わないと帰れない。電車から降りて家への道のりを歩く。僕は田舎のとあるボロい部屋で一人暮らしをしている。お金はすべて両親が出してくれた。家へはあと五分といったところかな。早く帰ってVWに潜りたい。それで現実逃避をしたい。その一心で僕は走る。
家が見えた。あとはこの直線を走りきるだけだ。直線の手前、赤信号で立ち止まった。急に立ち止まったから呼吸が整わない。辛くなって思わず目線を下げてしまう。すると、妙な違和感があった。家の玄関の前に、何か見慣れないものがあったから。赤信号が青信号に変わるのを待つ。こんなに長い信号だったかな。僕の体に鳴り響く、心臓の音。その音は虚空へと消えることなく、僕の耳にだけ聞こえる。信号はまだ変わらないのか。心臓の音が大きくなった。心臓がやっと青に変わる。また心臓の音が大きくなる。恐る恐る玄関に近づき、一旦空を見てからまた目線を下げる。
「え……」
鶏。鶏の死骸。玄関の前に鶏の死骸が置いてあった。おい、待てよ。いくらここが田舎だからといって、鶏が死んでるなんて。畑と田んぼはあっても、鶏を飼ってる家なんか近所には一件も! もっと、良く、見てみる、か? 恐る恐る手を伸ばす。何をやってるんだ僕は! 手が伸びる。その鶏が殺された物だとは思っていないはずなのに、無意識に傷口を探している自分がいる。そして、お目当てのそれは、確かにあった。首元に。
「ひ……!」
気持ち悪くなって鳥肌が立つ。誰が殺したんだ。誰かが鶏をここへ連れてきて殺したのか? それとも殺した状態でもってきたのか? 周囲には血が無い。そうだ、死んだ状態でこの鶏は運ばれた。何のために僕の家に。
「とりあえず……」
何のためだか知らないけど、鶏は殺されたんだ。かわいそうに。近くに埋めておいてやろう。庭に埋めると怨念が来そうだし。鶏を再び掴んで、僕は近くの公園に来ていた。この公園は人が全然来ないから、埋めるには最適だ。ど、どうか安らかに眠ってくれよ。
「ふう……」
鶏を完全に埋めてしまってから、手を合わせる。ちょっとの間手を合わせて、僕は立つ。それにしても、今日はなんなんだ。プリヘンションといい、誘拐といい警官といい、鶏といい、なんでこんなことばかり起きるんだ。僕が何をしたって言うんだ。まさか……次誘拐されるのは、僕、とか? ヒヒッ。
おぼつかない足取りで家に帰った。カバンを置いて上着をパソコンの前の椅子にかける。いつもは手を洗う前にパPCの電源をつけるけど、今日は手を洗った。念入りに、今日一日の厄をすべて払いのけるように。
「さて、と」
手を洗い終えてPCの電源をつける。グーグルの検索窓に打ち込んでいたのは、「鶏 象徴」だった。鶏には何か意味があるに違いない。鳩が平和の象徴であるように。そうでなければ、わざわざ鶏を殺してここまで持ってこないはず。偶然じゃない。今日のことは、絶対に偶然じゃない! 鶏、象徴、鶏、象徴、鶏、象徴……!
「っ!」
に、鶏は、『見張り・良心の声』の象徴。見張り……やっぱりそうだ。次は僕が誘拐される番なんだ。次学校に行けば僕は誘拐される。お前を見ているぞっていう暗示だ! そうに違いない。きっと、僕のことを学校の名簿とかで調べ上げたんだ。同じ学校の生徒ならできるはず。どうして僕がどうして僕がどうして僕がどうして僕が!
「ヒヒッ――海の彼方、時間の記憶」
その瞬間、いつものような激しい眩暈が起きた。
Time Prehension.