姉と弟のヴァイオリンⅡ
秋の朝、日差しがカーテン越しに、吹き抜けの回廊を柔らかく包む。楓やスプルース、黒檀などの木の香が爽やかだ。
きらびやかなメロディーが流れる。
ヴァイオリンの高音部から低音部まで縦横に使った練習曲。難度は高い。
「姉さんまだ6時だよ」
「ごめんごめん、つい弾けると思うと嬉しくて嬉しくて」
ここは私たち姉弟のやっているヴァイオリン工房、「Y・Y工房」だ。
最初に始めたのは私、佐藤洋介。独身。私は楽器の演奏に向かず、作る方に行った。ドイツにある工房で親方に弟子入りしマイスターの称号を受けた。そして苦労してこの工房を開き、ヴァイオリンを作っている。
私は職人として高い評価を得ている。
自慢ではないが例えば去年のチャイコフスキーヴァイオリン製作コンテストでは優勝したぐらいだ。しかしまだまだと思っている。
「姉さん、いつも言ってるじゃない、指のリハビリはゆっくりじっくりだって。医師の言葉は師匠の言葉だと思えだよ」
姉さんは世界的ヴァイオリニスト。指を痛めてここ9年はリハビリの毎日なのだ。
「はいはい、でももうほとんど治ったのは洋介も分かってるでしょう」
「まぁね。9割方は直ってる」
「そう、痛くもないし、手ごたえもあるのよ」
姉、佐藤芳江はしかしもう完全に直ったと思ってはいない。医師に、
「もう直りましたよ。ヴァイオリンを普通に弾いていいですよ」
とは祝福されていない。
姉さんはリハビリの一環として私の工房でヴァイオリン作りをすることになった。
「洋介、今日はこのくらいにする」
やはり弱気が出た。でも、それくらい慎重でないといけない。
私の工房は父の家を改造したものだ。父はピアニストで母は声楽家。もう2人とも亡くなって今は家が残っている。音楽一家だったが特に姉は両親に厳しく躾けられ、ヴァイオリニストとして成功した。音楽大学を首席で卒業し、ソリストとして世界中を旅して回っていたのだが、自動車事故で腕や足を痛めた。
「朝食ですよ」
姉はリハビリのため家事や私のヴァイオリン製作工程、音あわせを担当できるようになった。
「姉さん、早いよ」
「ハイハイ、先に食べてます」
「どうもヴァイオリニストという人種は野蛮だな。あ、お客さんだった(笑)」
長いリハビリだった。
足は比較的容易に治ったが、腕、手の故障はあとに残った。今は指の治療中。これが100%直りさえすればあとはテクニックやメンタルの問題が残るだけだと医師は言う。
姉はヴァイオリン製作者としてすじが良い。長年ヴァイオリンを弾いてきて手になじんでいるのだろう。私の作るパーツをニカワで丁寧に組み上げていく。こういった作業も姉にとってリハビリになるし、部品やニスなどの出す香りはアロマテラピーになるだろう。
姉はマイスターである私の手さばきをよく観察し、6年かけて技を習得した。ヴァイオリン弾きがヴァイオリンを作るのは気持ちも和む。もちろん医師の許可を得ている。
私は音楽一家の中で音を出すのではなく、派手でもなく、せいぜいヴァイオリン工房の職人としての名があるくらいだ。その名も一般の人は知らない。地道にストラディヴァリを超えようとしているつもりの一職人に過ぎない。
姉は独身。下着姿で家をうろうろされるとどぎまぎする。若いころから離れて生活しているし、美貌の姉には血縁以上の感情を抱いてしまう。
「洋介、ブルーベリージャムを買ってっていったでしょう!」
姉がけたたましく叫んだ。その声は母の影響でベルカント唱法のソプラノである。
「買ったよ姉さん、ほらここにある」
「あれれ、ヨッシーの負け」
「ダハハー」
姉といると秋の静謐な空間がイタリアやスペインの原色の絵具で撒き散らされる。
「洋ちゃん、やっぱり一緒に食べましょうよ」
2人は姉、弟を互いに姉さん、ヨッシー、洋ちゃん、洋介などと呼びあう。
「改めておはよう」
「はい、おはよう」
そうやって佐藤家の1日は始まっていく。
あれは2年前、姉に私は免許皆伝のお墨付きを与えた。
なにしろ世界的ヴァイオリニストだったのだ。構造や部材、工程は私に習う前に知っていた。
私は姉にマイスター資格を取るように勧めた。姉はドイツで試験を受け合格。
ヴァイオリニストとしての名前で合格した部分もあろうが、いやしかしドイツのアルチザンというものは厳しい。姉は集中と構築能力、美的感覚に非凡なものを持っているしドイツ語も分かる。首席でのマイスター称号取得。
指の治りはヴァイオリン工作にとっては全く問題なかった。姉の目指す指の完治はあくまでヴァイオリニストとしてのデリケートゾーンであり、たとえばバルトークの協奏曲を完璧に感動を伴って弾きこなすと言った世界レベルでの復帰である。トリルひとつ落としてしまったらそれは曲ではない。
今日、姉が胸を高鳴らせている理由が2つある。ひとつは指の神経のチェック。そして懇意にしている弱視のドイツ人女性ヴァイオリニスト「イザベラ・アンドレ」のリサイタル鑑賞だ。
私たちは行った。八見坂病院での検査。姉は完璧の回復というお墨付きをもらえなかった。まだ9割9分であり、もし連日8時間のアクロバチックな練習や、世界を縦横に飛び回る昔の活躍を望むならそれはもう少し先だと。姉は落胆の色を隠せなかった。しかし医師に復帰は近いでしょうと言われたのが彼女を勇気付けた。今までの3時間を、5時間のプロフェッショナルな練習を許された。
私たちは夕べのリサイタルまでまず公園を散策した。澄み渡った秋の空気が冷たく心地よい。姉は、
「あ、ひこうき雲!」
と指差した。
「そうだね、姉さんはひこうき雲が好きなんだね」
「怪我で入院していたころ窓が私の心だった。ひこうき雲は私を連れて行ってくれたわ。パリやローマ、ブリュッセル、ロンドン、ニューヨーク。私は心の中で何回もさらったわ、バッハのシャコンヌをバルトークの無伴奏をブラームスのコンチェルトをモーツァルトのソナタを」
こつこつとした足音が10月のステップを刻んでくる。至るあてもなく。
「まだ消えないわねあの雲」
「そうだねぇ快晴だからよく見える」
「姉さん、そのヴァイオリンで全調のスケールを病院でやったでしょう。先生は難しい顔で見てたけどどうだった?」
「私は師匠に焦るな、焦るなヨシエ、と習ったあの学生のころを思い出したわ。そして音階の美しさ。音階だけで聴きほれる、そういう音を目指しなさいとも言われた。後は師匠の音を聴いて育ったの。洋介はどうだったの?」
「俺は見て育ったな。ヴァイオリンって見るものでもあるんだよ。ストラディヴァリやガルネリなんかをガラスケースの外から鑑賞した。引き絞った弓のような緊張感と音になろうとする強い意志を感じるんだ」
「でも、私たちが作ってコンクールで優勝したヴァイオリン、一種野暮ったいところがいいんじゃない。あの親方はわざと対称性を崩して作ったりする。もちろん習作だけれど。食事でもしましょうもうこんな時刻よ」
秋のそよ風が2人を誘う。ヴァイオリニストはもちろん管楽器奏者ではないが呼吸が大切だ。短く浅い呼吸からはチープな音しか期待できないし、深く長い呼吸からは楽譜以上の音楽があたかも春の花のように咲きこぼれる。
私たちはイタリアンのデザートを口に運びながら、これから聴きに行くイザベラ・アンドレさんについて語りだした。ヨッシーとチャイコフスキーコンクールで1位なしの2位を分け合ったこと、絶対音感を持っていることなど。
「そういえば今日のプログラムは独奏曲ばかりね。バッハのシャコンヌ、バルトークの無伴奏ソナタ、バッハのソナタ3番。中々彼女挑戦的ね」
「というか今日は僕の作った「エリーザ」を聴いて欲しいよ」
「コンテストで1位になった洋介の自信作ね。彼女、あれに惚れ込んで演奏に使ってるのよ。今日もメールが来たわ。
《今日はヨウスケの傑作で最高の音を味わっていただくプロです》って」
「あれは僕の今までの最高傑作だ」
「そう、日本のヴァイオリンに対する偏見があれで払拭されたのよね」
「いやそれだけじゃない。姉さんが積極的に演奏会で取り上げてくれた。恩人だよ」
「私はあなたの「エヴァ」に惚れ込んで使ってるの。洋介のコンクール2位作。でも私は1位だと思う。何しろ私の体形に合わせて作った娘よ。「エヴァ」は。私はいつもこれを使うし、持ち歩く。今日の診察でも彼女を使ったのは私の体の一部になりきっているからなのよ」
「組み立てたのは姉さんじゃないか。何しろマイスターの資格を持つ希なヴァイオリニストだよね。姉さんは。あっとこんな時間だ行かなくちゃ」
ホールに行った。まず楽屋に今日の主役を訪ねた。イザベラは音階やアルペジオ、バルトークのフーガなどを練習しているようだった。その集中力に近寄りがたい雰囲気がして、ドアをノックするのをためらったが、姉が積極的に、
「コツコツ、イザベラ。ライバルが来たわよ」
「オー、ヨー(姉の愛称)ようこそ。怪我はだいじょうぶ?」
「ええ、ベラ(イザベラの愛称)のおかげよ」
弱視のイザベラはすらりとした黒のドレスを着ていた。
ウエーブのかかった黒髪は肩までクールにまとわりついて、知的な優しいそして憂いを帯びた顔立ちが現代では希な宗教心の伴うオーラを放っていた。姉とベラはしばらく抱擁すると、ベラが私に気づいたようで、
「ヨウスケ!ありがとうございます。私の産みの親。と言うか創造主です。ありがとうございます。いつも敬意を持ってこの「エリーザ」と一緒にいます」
私は、ハグをした。
「イザベラさん、あなたあっての楽器です。その節はサイズを測らせていただいてありがとうございました」
「自分用に設計されたヴァイオリンですもの、音は完璧です。しかも材料や形状、寸法、すべて2人で決めましたよね。ヨーの助言ももらったこだわりの子供です。もう大人になりましたけれど」
「世界の活躍、しかも「エリーザ」の活躍、どうでしょうか?」
「完璧です。しかもだんだんよく鳴っています。自分の楽器が日に日に成長するさまを演奏しながら弾くのは最高!ところでヨーそのヴァイオリンで何か弾いてくれない?」
「いいわよ」
姉は楽器を構えると、パルテータ3番からガボットを弾き出した。そのあと内緒話。互いの楽器を弾き比べたり。
ベラはドイツ人の父と日本人の母を持つ。彼女の弱視を日本人のせいにする親戚もいたのだが彼女の成長につれその声はなりを潜めた。母は優れたヴァイオリニストで、ベラをコンクール2位にまで指導した。もちろんベラの母の偏見は消滅し、逆に名声が高まったと各紙が報じた。
一時の出会いと別れ。私たちは小ホールの座席についた。開始10分前。周りがざわめいたのは姉さんへの関心か?ここへ来るひとで指さして騒ぐ人はさすがにいないが、姉さんはかつての人とはいえコンクール2位をベラと分け合い、世界的に活躍した姉さんへの関心は今も大きい。今日もここへ来るまで何度もサインを頼まれた。
だいたい8,9割の入りと盛況だ。
さて、開演の知らせと共に
「イザベラ・アンドレ・リサイタル」
が始まった。
まずシャコンヌ。西洋音楽数千年でヴァイオリンだけでなくあらゆる独奏楽器のための最高の曲といってもいい。それを「エリーザ」とベラがどう料理するか?まだ私はベラが今日のプログラムを弾いた様を聴いたことがない。
淡々と進むが次第に熱を帯び、特に途中ゆっくりと滋味あふれる陽光が雲間から差すような曲想が全曲を締めている。こういう所を自分製のヴァイオリンで弾かれるとわが子が初めてのリサイタルに望む母の気持ちになってくる。良くぞここまで。と嬉しかった。私もこの業界長いし、こんなことは初めてではない。いきなり世界レベルでブラームスの協奏曲なんていうのもあった。スペアに使われたのだ。あの時はのけぞった。でも、俺の楽器も結構やるじゃん。といった冷静さがあった。「エリーザ」は安定しており、ストラディヴァリはどうだったんだろう?などと仲間うちで話したこともある。
そんなことを回想しながら、もちろん曲想を追いながら私は聴いていた。絶対の終止が訪れると2、3の間をおいてブラヴォー入りの拍手だった。半分は私への賛辞と取りたい。
ベラは丁寧に会釈し、聴衆の反応に喜んでいた。姉も、
「良かった。シャコンヌ主題の描き分けも良かったし重音も。「エリーザ」もそれによく応えて」
少しの間をおいてバルトークの無伴奏が始まった。
「シャコンヌのテンポ」
で始まる第一楽章は力強い鮮やかな転調が聴きどころだ。アメリカ亡命で病に侵されたバルトークの希望の星であったろう。こちらを新約聖書、バッハの無伴奏を旧約聖書と呼ぶこともあるほど評価が高い。ただし、その評価は続く「フーガ」までとしたい。残りの「メロディア」と「プレスト」はshow peaceであって内容をいまひとつ伴わない。「フーガ」の恐ろしいまでの破壊性に続く緩徐楽章を書けるバルトークではなかったのか。「プレスト」も上滑りしている。惜しい曲、もったいない曲だなといつも思わせる。ベラの演奏も「シャコンヌのテンポ」「フーガ」と高まったところで親しみやすい「メロディア」が来ると演奏は良いのに曲が伴わない寂寥感がある。
しかし曲は続く。「プレスト」速い曲で4分音(半音の半分の音)まで使われるがそこにもうひとつバルトークへの注文がある。ピアノ協奏曲第3番のような透明感と霊感があったはずなのになぜあの程度で妥協したのか理解に苦しむ。その辺の解決を今回の演奏会にも期待したのだがやはり楽譜は語るとしかいえない。ただし「エリーザ」は「バルトーク・ピチカート」にも良く応え。急峻な「プレスト」の4分音も明瞭に出してくれた。良かったと思う。聴衆の反応も悪くなかった。拍手が大きく「ブラヴォー」も。
休憩後、開演の合図のあとベラが出てきた。持っているのはなんと「エヴァ」だ。裏板のニスや渦巻き、全体の雰囲気で分かる。姉さんを見ると静かに微笑している。そうかあの休憩の時に……。演奏が始まった。
天国的なアダージョから始まるこの曲は付点音符のリズムを持っている。しかしどうしたことだろう、さっき弾いてみてこの楽器のほうがいいと思ったのか?でもいつもの楽器の方が絶対いいのに。などと考えていると「フーガ」が始まった。「来れ、聖霊、主たる神よ」の主題を持つこの曲最大の聴きものである。バルトークの「フーガ」と比べると私はバルトークの方が上だと思う。バッハの「フーガ」で眠る人はいてもバルトークの「フーガ」で眠る人はいないし、破壊的だが無数の生き物が活動している感覚の躍動でバルトークの方が上だ。無論バルトークはこのバッハの「フーガ」を意識したに違いない。現代作家でバッハの上を行った曲を書いたのは断言するがバルトークしかいない。「ラルゴ」に曲は移ってこの曲は長調なんだと再認識される。バルトークは「現代でもハ長調で曲は書ける」と言ったそうだが、このソナタ自体ハ長調で、組み立てられている。現代作品に表れたハ長調といえばバルトークの「ピアノ協奏曲第3番」が代表的だろう。最後の「アレグロ・アッサイ」はヴァイオリンの技巧を表す典型的な曲で、足の速い曲。しかも音域も広い。もうこれで終わりでは不完全燃焼だ。そうかそれで……。
「アンコール」
の声がしきりと飛ぶ。
アンコールの拍手の中、私が姉に質問しようとすると「エヴァ」を持ったベラが観客席に日本語で呼びかけた、
「佐藤芳江さんこちらへどうぞ」
どっと観客が沸いた。視線がこちらへ集中する。姉はスレンダーな黒できめた格好でステージへ上がる。2人はいったん袖へ下がると次は「エリーザ」と「エヴァ」をそれぞれベラと姉が持って出てきた。
ベラが、
「いまからバルトークの44のデュオから弾きます」
まず、「アラビアのうた」、アラビア音階で組み立てられたエキゾチックな曲である。観客の気を引くキャッチーな逸品。そもそもこのバルトークはヴァイオリン教育のために作曲されたもので、「ミクロコスモス」とも相通じる。私は分数ヴァイオリンを手がけていたこともあり、この44のデュオにも親しんできた。次に「兵士のうた」、兵士が負けてうなだれて帰ってくる。バルトーク特有の夜の音楽である。この曲は1stポジションだけで弾けるので教育への配慮が綿密になされていることが知れる。
そして「バグパイプ」スコットランドだけがバグパイプではない。東欧にも特にハンガリーにもドゥダというバグパイプがある。明るく運動的で気品にあふれたこの曲でデュオを締めくくった。反応も良い。
「洋介、こちらへ」
え、登壇?と思った。しょうがない。
上がった。私の簡単な説明後、何か弾けという。スペアにしているストラディヴァリで。
私が構えると、事情を察しているコアな聴衆は拍手した。
私は弾いた。Teasing songを。
姉と弟のヴァイオリンⅡ