冷たい彼女
眼
君の視る世界に少しでも僕の影を
僕が視る世界には君が満ち溢れている
いつだって僕の目が君を追うように
君のその美しい瞳に映ることが出来たなら
目と目が合う、その時の気持ちの昂りは計り知れない
僕と同じように君も僕を視てくれて
君のことを僕も観る
どんなに早朝でも深夜でも
そんな日が来ることはなくて
君の姿を観るだけで、僕は幸せ
土砂降りの雨の中の君のお気に入りの傘の色
例え隣に居るのが僕じゃなくても
君を視ていたい、君を観ていたい
飽きることのない君の美しさ
笑顔も泣き顔も怒り顔もすべてが
僕の目を惹き付けていく
まるでカメラのようにシャッターを切る
君のメモリーが増えていく僕の眼
キャパシティを超える日が来ても
どの君も消すことは出来ない
僕だけを見て欲しい
僕だけが見ていたい
最期に君のその姿を焼き付けて
美しい君、人形のよう
冷たくなっても変わらず美しい
これで君を観れるのは僕だけ
君が視れるのは…
まるでショーケース
青みがかった白目、濡れたような黒い瞳
僕だけを視ているの?
見開かれた瞳孔は花弁のように美しい
ホルマリンの中、孤独な孤独な左眼
僕がずっと観ていてあげる
君もそこでずっと僕を視ていて
今から僕の一部となる
余計な神経は全て切り落として
愛おしく思う君の眼を、僕の一部に
美しい君、美しい眼
ずっとずっとこうしたかった
僕は君の視線と眼を求めていた
福音さえ流れそうな今この瞬間
僕の舌の上で、君の右眼がギョロリと動いた気がした
耳
カツカツカツ
無機質な冷たい床に響く高いヒールの音
君の歩幅は、少し狭い
纏めた髪を下ろす時にサラリと流れる黒髪
サラサラ音を立てるそれは人魚が奏でるハープの音
無造作に鞄をドスンと置いて、ギィと椅子を引き腰掛ける
その音さえ高級な楽器が奏でる音のよう
脚を組む癖は治さないんだね
時々聴こえる、脚を組み変える衣擦れの音
そんな微かな音でも僕には君の音だと分かる
カタカタカタ
軽快なブラインドタッチ
カチッカチッ
同時にマウスパッドが擦れる音がする
その細く長い指先から産み出される音は
まるで一流のピアニスト
君の声は大きく、そして凛々しい
電話対応の声はいつもよりワンオクターブ高く
舌がもつれる専門用語も滑らかに流れる旋律のような会話
まるで歌うように英語を話す声は
君の周りだけ海外に変わったように思わせる
引き出しをガラガラ開けて、書類を探す君
紙と、紙の擦れる音は耳に心地良く
ガチャンと閉まるその音は君を成功に導く
君は一人で幾つもの楽器を奏でているよう
睫毛すら瞬きをする度に美しい音を立てる
何でもない息遣いでさえ僕の耳を痺れさせる
その唇が創る、舌が発する、君の声
君という世界に一つだけの楽器
ジャラリジャラリ
重くぶつかり合う金属音
ガタン
ギリギリと締まるロープに跳ね上がる椅子の音
全てが君で、演奏者は君で
僕専用の楽器に演奏者に君を選んだ
頬を伝う涙にも音はあるものか
もう僕以外の誰にも聴かせない
今日もただの楽器になった君を僕は奏でる
もうすぐ、甲高い音の車が来るだろう
その前にどうしても聴きたかった一度だけの音を
サクッ
軽快なナイフは鋭利な切っ先でイントロを奏でた
真夜中、首筋からの血飛沫の音はBGM
美しく響く君の断末魔はこれまでで最高の演奏だった
僕は君の全ての音を手に入れた
鼻
いつも此処を通るから
擦れ違った時に香る、君の香水
その匂いに誘われて僕は振り向いた
鼻腔を、嗅覚を支配されたような感覚
その日から僕は君の香りに囚われたよう
胸元忍ばせた、同じ香りの香水を御守りに
いつもより早く君を待つ
纏う香りでなくても、君は良い香りだ
ある日、香水を付け忘れた日に
擦れ違い様に漂う衣服の清潔な洗剤の香り
花のような優しい柔軟剤の香り
そんな、ありふれた香りも僕を惑わす
シャンプーを変えた日、スタイリング剤を使った日
髪から立ち昇るその香りに僕は立ち止まらずにはいられなかった
君の香りは僕をどこまでも誘う
その髪から、服から、纏った香水から、
きっと君の部屋は良い香りで、アロマキャンドルなんかがあって
化粧品も良い香りのものを選び、施して
その全てが重なり合って君の香りだったんだ
同じ香水を着けても、同じように香りはしない
君の香りは君の生活から、君の身体から、産まれる
隅々まで、動かない君を堪能した僕は
どうせなら君の部屋の方がもっと良い香りがしたのでは?と
香りを詰めたスーツケースを引き摺りながら
君の生きていた部屋に向かうことにした
あれからもう三日経つ、急がないと香りが逃げてしまう
君の美しい髪の香りを嗅ぎ誘われるよう僕は道を進む
舌
味わい深いこのカフェモカ
君の好きなカスタムにしてみた
美味しいって言ってた、あの店
同じ席で同じ物を頼む
オムライスが好きなんだね
ゆっくり咀嚼して、君の好きな味を愉しむ
いつも舐めてる飴、いつも噛んでるガム
君はお気に入りの味を飽きずにリピートする
昨日は君が好きなフレンチ
今日は好きだって聞いたクレープ
君の、味蕾が上げる嬌声がどんなものか味わいたい
少しふくよかな君は好きなお店が沢山あって
全て調べても分からない店も中にはあった
いつの間にか君と同じ場所、同じ店の後ろの席で
君と同じものを頼む僕がいた
真向かいに座る日は来ないと分かっていたから
いつしか君は何も食べなくなった
怖がる君は少し痩せたように見えた
だから、心配だった
けど早く気付いて良かったんだ
柔らかく、口に入れると溶ける肉
少し歯応えのある軟骨、噛み切れない筋
骨で出汁を取ると最高のスープになった
脂肪は油の代わりに使おう
君が好きな店のチョコレート
溶かして混ぜる絹糸のような髪
カラッと揚げた、形良い顔のパーツ
錆びた鉄のような香りの血液は最高のワイン
夢中になって貪り喰べ尽くして、悦びを舌で痛いほど感じる
今まで味わったことのない唯一無二の味
それは、何よりも美味しい君という食材だった
手
突然真っ暗になる世界
ある日の、なんでもない日の突然のハプニング
ドラマでよくある急な停電
場所は少し混雑したエレベーターの中
そんな時に見付けた僕の手が
真っ暗闇で何も見えない中だから分かる
僕よりかなり小さいのかな?
触り心地の良いロングヘアー
一瞬ビクッと震えた気がした
バレないわけないけど逃げ場もない
落ち着かせるために優しく頭を撫でる
暗闇が怖いのだろうか?震える見えぬ君
そっと頬を撫でればツルリとした感触と濡れた痕
余程不安なんだろう、その水源を優しく拭う
少し鼻をすすり僕に身を寄せる君
首筋から肩へとふわふわした衣服の感触
そのまま優しく肩を叩いて僕なりに励ましてみた
そのまま手を下ろし、君の手を強く握る
非常灯の明かりがボンヤリと点く
スベスベした手の甲を撫で細い指と絡ませてみる
どこか不安げに、だけど強く握り返す君
その時、無機質な機械音と共に電気が点いた
エレベーターは進み、ドアが開く
時間にしてほんの15分程度だったろうか
僕は絡みつく指を強く結んで君を連れ出した
もっと柔らかな君をこの手で知りたかった
華奢だけど、柔らかそうな陶器のような肌
汗ばむ手に緊張の色が見え隠れしていた
僕は、君に触れたかっただけ
君が抵抗しなければ、声を出そうとしなければ
僕はもっと熱く温かい君に触れることが出来たのに
滑らかな髪を梳かし、柔らかな肌に触れ、僕は幸せだった
温かいはずの君が少しずつ冷たくなっていく
柔らかかったはずの君は硬直していった
こうして君を愛する今も温もりすら消え果てそう
君のすべてに触れた、愛した、
ただ、それだけのことだった。
冷たい彼女