由紀さおりvsスーザン・ボイル。
2月のニューヨークとしては小春日和とも言えるくらいの陽気に誘われて、僕は散歩に出掛けた。公園を歩きながら葉緑素と木漏れ日を全身に感じながら、ロサンゼルス時代にビーチを歩くたびに感じていたのとは一味違った充実感に包まれていた。カリフォルニアの降り注ぐ太陽を浴びてどこまでも続く太平洋を追うように歩いていたころの充実感は、一種の「発散される」躍動感とも言えたが、暑い夏と厳しい冬を生き抜く東海岸の木々に包まれていると、「内包された」躍動感が全身に伝わってくる。
小一時間ほど歩いてから、スターバックスへ立ち寄った。カフェラテに少しだけシナモンを入れてから、ゆったりとした大きなソファ席を選んだ。少し運動した後の心地よい脱力感とともに、カフェラテが全身に行き渡るような感覚に目を閉じて耳を澄ました。そんな僕の耳元に徐々に響いてきたのは、由紀さおりの透明感のある歌声だった。日本食レストランでもカラオケ屋でもないのに、アメリカで日本の歌手の歌声をBGMで耳にすることは珍しい。瞬間ながら僕は異様な感覚に囚われた。
由紀さおりとピンク・マルティーニのコラボ・アルバムが、北米でヒットしているというのは知っていた。それどころか、去年11月にリンカーンセンターで開かれた由紀さおり・安田祥子のファイナルコンサートにも招かれて、最前列の席で由紀さおりが語るピンク・マルティーニとの馴れ初めの話も聞いていた。けれども、不思議なもんだ。去年の秋から事実を知ってはいても、日常の瞬間にアメリカの公共の場で実際に耳にするまで、僕の心は納得していなかったのだ。
ますます世界は小さくなっているなあと痛感する。インターネットによる動画配信ほか、現代のテクノロジーを使えば世界を相手にたった一人で商売もできるし、世界中の人に素晴らしい音楽を瞬時に届けることもできる。3年前にイギリスの素人オーディション番組に出場して一気に世界中に知れ渡った女性歌手のスーザン・ボイルなんか、その典型だろう。オーディション番組に出てからあっという間に世界中の国々から招かれるくらい有名になって、日本でもその年のNHK紅白歌合戦に出場しているのだから。
それにしても、由紀さおりの透明感のある歌声といい、スーザン・ボイルの心の奥底まで響き渡る歌声といい、躍動感を与えてくれるもんだなあと思う。スーザンの声が与えてくれる躍動感がビーチを歩いているときの躍動感なら、由紀さおりの声が与えてくれる躍動感は緑に包まれた公園を歩いているときの躍動感かなと思いながら、僕はスターバックスを出てまた公園の方へと歩き出した。
由紀さおりvsスーザン・ボイル。