しろとリク2

犬が苦手な青年、志郎と人語を喋る犬、リク。
朝早く起きたリクは、志郎と一緒に散歩にでかけます。

ゆったりとした田舎から東京にでてきて、五日目の朝が訪れる。
ひんやりとした空気に、リクは鼻をひくひくと動かした。
うっすらと瞼を持ち上げて部屋の中を眺める。
布団にくるまる青年の姿が見えた。
リクの飼い主、山岸志郎である。
やがて、リクは時間をかけて寝床からでると、前足を突っ張って体を伸ばした。
それから二、三回尻尾を振って、体の調子を確かめる。
今日も体調は良好だ。
リクは一見、普通の犬に見えた。
だがひとつだけ、他の犬とは異なっているところがある。
リクは未だに眠りこけている志郎に近づくと、その頬に自分の鼻を押しつけた。
湿ったものを押し当てられた志郎は、眉間に皺をよせる。
「ねぇ、しろ。起きてー。もう朝なんだよー」
リクは人間の言葉が喋れる。
単語の意味だって、きちんと理解しているし、ほんのちょっとなら文字を読むことだってできた。
「起きてよー、しろー」
頬をぺろりと舐めると、志郎は薄く瞳をあけた。
そして次の瞬間、布団をはね除ける勢いで起きあがる。
振り上げた手の甲がリクの横面にあたり、思わず「キャン」とリクは悲鳴をあげた。
「なにすんのー、しろ?」
「悪い、驚いただけだ」
口ではそう謝りつつも、犬が苦手な志郎は、リクからじりじりと離れて距離を取ろうとしていた。
体は正直といったところか。
志郎は枕元に置いてある目覚まし時計を素早く確認し、項垂れるように手で顔を覆った。
「お前、まだ五時半じゃねぇか」
「早起きは三文の得だよ」
リクが首をちょこっと傾げて言うと、志郎は仕方ないといった雰囲気で布団を片付け始める。
「今日どっか行く?」
「行かない」
「学校は?」
「来月から。今は休み」
けんもほろろな返事に、リクは淋しげに鼻を鳴らす。
志郎はあまり外にでないし、友達とも遊びに行かなかった。
一日のほとんどを、家で黙ったまま過ごす。
人間はひとりでいるべきではない。
そう考えているリクにとって、志郎の生活は大変によろしくない。
ここは飼い犬として、一肌脱ぐべきだ。
「しろ、しろしろー」
「何?」
「朝ごはん食べたら、お散歩行こ」
外にでれば、何か出会いがあるだろう。上手くいけば友達も作れるはずだ。
だが、志郎は顔をしかめて嫌そうに言った。
「何だって朝から外に行かなきゃならないんだ」
「ボク、昨日はお散歩行ってないよ」
それを聞くと、志郎は少しばつの悪い表情をする。
「だからね、今日は朝にお散歩行こ?」
「わかった、わかったよ。ご飯食べたらな」
志郎の言葉に満足して、リクは尻尾をはたはたと振った。


お気に入りの青いリードをつければ準備は完了、いつでも散歩に行ける。
志郎は、妹の恵から譲り受けたカラフルな手提げに、エチケット用の袋をつめていた。
「今日はどこ行くの?」
「歩きながら決める」
つまり、まだ決めていない、ということらしい。
志郎はその日の気分によって、散歩のコースを変える。
以前、どうして決まったコースを歩かないのかと、志郎に尋ねたことがあった。
そのときは、「同じ場所を歩く散歩より、気ままに歩く散歩の方が好きだから」という答えが返ってきた。
「しろ、お散歩好き?」
「普通」
「ちっちゃい頃、よく行ってた?」
「まぁ、子どもの頃くらいは、な」
「今度、ちっちゃい頃の写真見せてー」
リクの言葉に、志郎は軽く肩を竦めた。
部屋から外にでると、朝の爽やかな風がリクのひげを揺らす。
思わず「気持ちいいね」と喋ってしまいそうになり、慌てて口をつぐむ。
外で話してはいけないと、きつく言いつけられているのだ。
志郎の部屋はマンションの五階にあり、外にでるには階段かエレベーターで一階まで降りなければならない。
志郎はよくエレベーターを利用している。
この日も例に漏れず、丁度よく降りてくる籠を、ボタンを押して停めた。
籠には、作業用のつなぎに身を包んだ女性乗っていた。
年の頃は二十歳前後で、肩まで伸ばした髪を、後頭部でひとつに結んでいる。
そして彼女の隣には、ふわふわとした体毛をもつ、トイプードルがちょこんとお座りをしていた。まだ子犬らしく、頭でっかちでころころと転がってしまいそうだ。
志郎は女性に軽く会釈をして、エレベーターに乗り込んだ。
リクとトイプードルは、お互いの体に鼻先を近づけて、匂いをかぎあう。
犬流の挨拶だ。
トイプードルは尾っぽを千切れんばかりに振ると、リクの首筋にじゃれて噛みついてきた。
まだ力加減がわからないらしく、少し痛かったが平気な振りをする。
「こら、ハナ! すみません、まだ小さいから興奮しちゃったみたいで」
女性は慌ててリードを引っ張って、志郎に頭をさげた。
「リクは平気そうですし、大丈夫だと思います」
志郎はリクの表情を見ながら、そう答える。
リクはハナと呼ばれたトイプードルのお腹を鼻先でちょんと押してやった。
ハナは喜んで体ごとリクにぶつかってくる。
元気が有り余っているようだ。
エレベーターが一階についても、ハナはリクにじゃれついていた。
ハナの飼い主である女性は、少し困ったような表情をする。
「あの、迷惑じゃなかったら一緒にお散歩に行きませんか? ハナはあなたのワンちゃんと、お友だちになりたいみたいなんです」
それはいい提案だ。
リクは鼻を鳴らして、一緒に行きたいと、志郎にアピールする。
それが伝わったのか、志郎はリクの目をちらりと見た。
「大丈夫です。どこ行くのか決めてないし、リクも一緒に行きたいみたいですから」
志郎は意外とリクの気持ちを汲み取ってくれる。
それが嬉しくて、リクはワンと一回吠えてみせた。


女性は、自分のことを大学に通う学生だと説明した。
これから行く場所は、彼女が所属するサークルで、借り受けている畑らしい。
「マンションからそんなに離れてないんですけど、明高大学っていうところに通ってるんです。そこの菜園サークルの畑なんですよ」
「あ、俺、来月からその大学に通います」
「そうなんですか! じゃあ、あたしの後輩になるんですね」
女性は瞳を細めて、微笑む。
ふたりの会話を耳で聞きつつ、リクはハナとコミュニケーションを図った。
『キミ、小さいね。いくつ?』
『ハナは産まれてちょっとだけ』
『兄弟姉妹はいる? 今まで犬同士で遊んだことはある?』
『誰もいなかったー。リクが初めて遊んだんだよ』
だから甘噛みも、まだ上手にできないのか。
ハナはお喋りが大好きで、歩いている間、二匹の会話が途切れることはなかった。
楽しそうに話しているハナの姿を見ていると、こちらまで楽しくなってしまう。
三十分ほど歩いたところで、ハナの飼い主が、青いフェンスで区切られた土地を指で示した。
「あのフェンスで囲まれてるのが、畑なんです」
住宅街の真ん中に作られたそれは、元は駐車場だったのだろうか、車なら八台位は停められそうなほど広い場所だった。
本来ならアスファルトのはずの地面は、柔らかい腐葉土に代えられている。
作物によっては根本に藁が敷かれていたり、小型温室の中で育てられていたりと、なかなかに手が込んでいた。
青色のつなぎを着たひとりの青年が、腰を屈めて土をいじっている。
「こんな場所に畑があるんですね」
志郎は物珍しげに、挿し木で支えられたえんどう豆のつるを見つめていた。
顔をあげた青年が女性と志郎に気づき、腰を伸ばして立ち上がる。
「おはよう、矢野。そっちの人、誰? とりあえず初めまして、小田です」
青年は人好きのする笑顔をリクと志郎に向ける。志郎は慌てて頭を下げた。
「山岸です、初めまして」
「同じマンションに住んでる人なんです。来月から、うちの大学に通うらしいんですよ」
「まじでー、よろしく。でも何で来たの?」
「ハナがこっちのリク君と遊びたがっちゃって、離れてくれなかったんです」
小田はしゃがんでリクと高さを合わせた。そして志郎の方に顔を向ける。
「撫でても大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
志郎の返事を聞いてから、小田はリクに手を伸ばした。
その掌に、リクは自ら頬を押しあてる。
撫でられるのは大好きだ。
嬉しくて鼻を鳴らすと、小田はリクの頭を何度もよしよしと撫でおろした。
隣にいたハナが自分も、と言うように頭をつきだす。
小田は空いている手で、ハナの小さい体に優しく触れる。
「あの、俺、もう帰ろうかと思います」
志郎はどこか居心地悪そうにしながらそう言ったが、リクはまだ帰りたくない気持ちだった。
ぺたんと地面に横になり、甘えた瞳で志郎を見つめる。
その姿に、小田と矢野は思わず吹きだした。
一方の志郎は苦い表情をする。
「おい、リク!」
「まだ帰りたくないみたいですね」
「いいじゃん。しばらく遊んでいきなよ」
「でも、これから畑の手入れをするんですよね? 悪いですよ、邪魔したら」
「別にいいって。ハナもよく遊びに来るから馴れてるし、邪魔だなんて思わないよ」
「そうですよ、ハナもリク君とまだ一緒にいたそうですし」
結局、折れたのは志郎の方だった。
リクは柔らかい黒土の感触を楽しみながら、ハナと追いかけっこをして遊んだ。
その間、志郎はせめてもと作物の植え付けを手伝っていた。
そんな志郎の姿が嬉しくて、リクは尻尾を強く振る。
遊んでいる途中、虫を捕まえたので志郎に見せに行ったら「なんてものを捕まえてるんだ」と呆れられてしまった。
だが、それすらもリクにとっては楽しく感じられた。


太陽が中天に差し掛かった頃、三人はようやく畑の世話を終えた。
小田と別れる前、志郎は彼から大きなビニール袋を受け取っていた。
袋からは野菜の瑞々しい匂いがする。リクは鼻をひくひくと動かして、土と葉の匂いをかいだ。
リクとハナは、今度は何をして遊ぼうかと相談しながら、並んで帰路につく。
『今日は楽しかったね』
『ハナ、今度はリクと一緒に虫取りしたい!』
『じゃあ、次は虫取りしようね、また遊ぼうね』
マンションのエレベーターでハナに別れの挨拶をし、部屋に帰ってくると、リクは自分が意外なほど疲れていることに気がついた。
たが、その疲労は嫌なものではなく、むしろ心地よいもののように感じられた。
「ちょっと待ってろよ」
リクは言われた通り、大人しく玄関で志郎を待つ。
脇の方に、畑で貰った袋が置かれていた。
好奇心に駆られたリクは、中に顔を突っ込んで中身を確かめる。
入っていたのは青々としたブロッコリーとアスパラガスであった。
「何してんだ、お前?」
手に濡れたタオルを持った志郎が、眉間に皺を寄せて立っていた。
「これ、畑で貰ったの?」
「ああ、手伝ったお礼だってさ」
志郎はタオルでリクの右前足を拭いながら答える。
「ねぇ、しろ」
「何?」
「早起きって、三文の得だったでしょ?」
そうた尋ねると、志郎は困ったような表情して、「まぁ、そうだったかもなぁ」と曖昧に答えたのだった。

しろとリク2

しろとリクをちまちま書き始めてから、犬の夢を見るようになりました。
数十匹の大型犬にマウント取られる夢です。
もふもふで苦しくなって目が覚めます。
布団を冬用の分厚いの換えたのが原因だろうか。

しろとリク2

犬が苦手な青年、志郎と人語を喋る犬、リク。 ひとりと一匹の不器用な日常です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-15

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