Black Note
序
前世。
古くは「ぜんぜ」と言われ、この世に生まれ出る以前の世。
さきの世。
仏教では三世の 一。過去世の事。
◇◇◇◇◇◇
20xx年、春。
「また逢えたね」
そう言って、幼い姿の彼女は笑う。
俺と彼女は同い年らしい。
背的には、俺と彼女はまだあまり変わりがない。
彼女は姿は変わったが、俺がその姿を見た途端になんとも言えない感情が沸き上がった。
目の前の彼女とは、この日が初対面だった筈なのに。
彼女の事は知らない筈なのに、途端に溢れ出す、俺すらも知らない謎の記憶と強い想い。
それは、見たことのない世界の記憶だった。
現実ではあり得ないだろう、数々の映像だったのに、戸惑いより先に懐かしさが込み上げる。
「……お前」
彼女は笑う。
『覚えていてくれた?』
聞きなれない澄んだ女性の声が、彼女から放たれる。
「……あぁ」
俺の口から溢れた、小さな声。
それは紛れもなく、肯定だった。
「久しぶり」
差しのべられた、彼女の手。
迷うことなく、彼女の手をとった時。
俺は全てを思い出した。
王宮守護神
魔界。
そこは人間の世から逃れる為、東洋にいた妖怪と西洋にいた妖怪が力を合わせて造り出した妖怪たちだけが棲む異世界。
人間界とは別の次元にあるその世界では、妖怪たちが人間の世より進んだ技術と科学を持ち、いくつもの資本主義国家を広い大陸の上に築いていた。
ビルが建ち並び、妖怪が使う妖しげな術によって動く機械や、妖怪が本来纏う気を使って動く自動車たちなど。
人間よりも遥かに上の技術が至るところに使われた、人間からすれば近未来的な都市を持ついくつかの国々があり、繁栄していた。
妖怪の中にも人間のような資本主義国家の中で生きていける様な奴が多い中、少数だが、昔ながらの森や山、海などの自然の中での生活が良いとした弱肉強食を気取った昔ながらの考えの妖怪たちもおり、そいつらの為にも大都市にも自然はできるだけ多く残されるようになった。
そのおかげでか、緑の生い茂る自然豊かな土地と大都市部も人間より遥かに上手く自然との共生がはかられた、科学と自然がうまく調和した、まさに理想とれるバランスがとれた住みやすい国家が多数出来上がったのである。
魔界の国々は王が纏めており、王がすべてを管理する。
国民一人一人から指示を得た王は、強い権力と財、名声を持ち、人々はそれに憧れ、英雄にされた。
国家の議員になる選挙と同じく、王も国民に多く指示を得て、初めて王となり国をあげられるのである。
王は国民の指示を失うまで退位することはなく、寿命が尽きるまでの半永久期間、王の地位につくことになる。
しかし、そのような大都の裏。
世界には捨てられた者もいる。
貧しい家、裏街に住む孤児、そして、禁忌とされる妖怪たちだ。
そういった奴等の中より、国の王に反発する者たちが少なからず発生し、国によっては度々大きな反乱すら起きることもある。
世界的には、人間と違い、強いものが上の地位に上り、弱ければ殺される。
そう、妖怪としての、獣としての本能である、弱肉強食のあの精神が未だに根強くそこにあるのだ。
殺しはしても許される。
この世での大罪は、他種族と交わる禁忌と、名のある妖怪の一族が代々守る封具を盗む事。
そして、王族殺しのみなのである。
勿論、金を盗む事や、薬中など。
国や民に害を与えるものも、人間と同じく司法によって裁かれる罪のひとつであり、殺しだけなら罪には問われずとも、なにかしら物をとればそれは罪に当たってしまう、という事もある。
そんな世界で、一際大きな領土を持ち、魔界の大陸の中では、一番安定した治安を作る国家があった。
その者が王になって千年あまり。
その国家は大陸一の大国となり、今や同じ大陸の隣国などの諸王さえも従わせる程に強力な権力をもった国。
それが『紫の王』と言われる化け猫の女王が治める国であった。
◇◇◇◇◇◇
界陰暦(カイインレキ)1215年。
夏期15の日。
某国。王宮、王室。
AM 7:26。
彼女はとにかく派手だった。
財も地位も権力も。
全てを手にした彼女は、今日もいつもと同じように。
人々の遥か上より人々を見下ろすように座している。
床から数段の階段を上った先の壇上。
宝石で飾られた黄金の椅子、玉座。
そこに座る、高そうな扇を広げた女の影。
スタイルはよく、大きな胸には十分な色気がある。
かなり若く見えるが、実年齢は見た目より遥か上であり、彼女の歳を昔聞いたとき正直『化け物か』と思った程だ。
軽いウェーブのかかった紫の長い髪は腰まである。
露出度の高いドレスを纏い、彼女は足を組んで、その深紅の目でこちらをまっすぐ見下ろしていた。
口元には笑みがあり、なにかを企んでいるのがよく分かった。
下着が見えない程度の際どいところまでいれられたスリットから、綺麗な太股が覗いている。
その足にはヒールの高いサンダルがあった。
相変わらずに派手だな。
彼女を見上げながら、欠伸を噛み殺してため息混じりに吐き出した。
隣には、自身と同い年であり、幼なじみの女がいる。
玉座に座した彼女と自身と隣の彼女。
三人しかいないこの部屋は、とても静かである。
が、正直この部屋では静けさが怖かった。
彼女が座す玉座のある壇上に続く階段の前。
そこに行くのには20m程赤い絨毯が敷かれた真っ直ぐな通路を進まなければならない。
その道の左右には、道を挟むように石像が多数飾られているのだが。
その石像がなんとも言えないのである。
なにかの将軍みたいな像や馬の像、龍や朱雀といった“なんかよくわからないけども王室に置いてありそうな石像”などではない。
毛玉のようなものを鼻につけた恐ろしい顔の土竜の石像や、あのモアイ像に似た石像、さらに鰐が男に捌かれている様子を象った石像など、正直良さが分からない変な物が多数飾られていたのだった。
自身の隣にいる彼女は生まれつきの白銀の、肩までの長さの髪の下。
綺麗な蒼い瞳でその石像を呆れた様子で見ながら、白黒ボーダーのフードつきの長袖の服に、サスペンダーで繋いだ短いスカートの裾を揺らしながら、自身とその道を歩んできたのだった。
彼女の足元は黒いタイツと、ローファーのようなヒールのない革の焦げ茶の靴。
一方の自身は紅い背中中程までの長い髪に、淡いピンクの花柄の着物と袴を纏っている。
足元には黒いブーツを合わせ、彼女と共に玉座を見上げる。
自身の瞳は真紅だった。
「桜華(オウカ)、白夜(ビャクヤ)お前たちに仕事だ」
と、玉座の上に座した彼女に、自身と隣の彼女が呼ばれる。
自身、桜華は彼女を見上げたまま、隣の白夜も思っているだろう疑問をぶつけた。
「仕事ってなによー。こんな朝早くから起こしておいて、またろくなもんじゃないでしょ」
桜華が呆れた様子でいう。
その本音は間違いなく『仕事なんて面倒くさい』なのだろうが。
正直今目の前にしているのが仮にもこの国を治める女王で有ることなどまったく問題にしていないような口の聞き方であった。
「なに、お前たちの同僚となる男をここに捕まえてこいというだけだ。そんなに大した仕事でもないだろう」
彼女の言葉を聞いて、先に反応したのは白夜だった。
「王宮守護神を増やすって事?
増やすにしても、大体は名家に生まれた子供から王が選んでそれに相応しい戦闘力や教養を与え、守護神に相応しい妖怪にまで育てるのが普通でしょ? まさか、野生の妖を捕まえて守護神にする気なの?」
白夜が眉をひそめる。
こちらも、女王と話しているとは思えないような口ぶりであった。
白夜が心配するのもわかる。
王宮守護神という職は、王と国と民。
その三つを命に変えてでも護りとおすという特別な任務を与えられた、王より選ばれし者達だけがつけるという国家の最高職である。
そんな職に、素性もわからぬ妖怪を使うというのはあまりに危険だ。
「素性はわかっている。それに、そいつはどうせ“生きていてはいけない奴”だ。しかし、その強さは確かなものだと思うぞ」
音をたててその手の扇を勢いよく閉じた彼女は、桜華と白夜を見下ろしたままに答えた。
『生きていてはいけない奴』
その言葉に疑問を持ちながら、白夜は彼女を見上げていた。
玉座のそいつは、腹のうちが全く見えなかった。
「えー。でも、どこの誰かわからないんでしょ?」
むぅ、と不機嫌そうに問いかけたのは桜華だった。
確かに。
ただ『探せ』と言われただけでは辛いものがある。
それに、どこに居るのかも分からないのであれば尚更だ。
この大陸全土よりそいつを探せというのは流石に困難すぎるし、何年かかるかもわからないだろう。
「すぐにわかるだろう。そいつが居るのはこの城、城下の裏街。金色をし、紅い瞳をもった獰猛なただの獣だよ」
『そんなヒントでわかるか』と桜華と白夜が心の中で同時に思ったのは内緒である。
「……もう、しょーがないなぁー。行こうか、白(シロ)ちゃん」
ため息混じりにそう返した桜華は、白夜を白ちゃんと呼んだ。
それが、白夜の昔からのあだ名であるからだ。
桜華と白夜は同時にその身を翻す。
これ以上、この王を相手に詮索しても無駄だと踏んだのである。
第一『仕事だ』と、雇い主である女王に言われたら、こちらだって“良い”給料がある以上は断れない。
「生きていればいい。腕や足がなくても構わないからな」
桜華と白夜の背にそういい、彼女は閉まる王室のドアを見つめた。
そのドアとは、豪華絢爛な金の装飾が施された木製の大きな扉だった。
「あいつさえ手にはいれば……」
この国は。
いや、私はもっと巨大な力を手にいれらる。
彼女は嬉しそうに笑っていた。
◇◇◇◇◇◇
同日。
某国、城下街。
AM 8:47。
俺はなにをしてんだろうか。
そんな事を思いながら、重い身体を起こし、胡座をかいて煙草をくわえた。
どこにでもありそうなパイプのシンプルなベッドは、あまり大きくはない。
金色の、腰まである長い髪と、首につけていた数珠のような紅い玉と白い玉が交互につけられた首飾りが垂れる。
上半身は裸。
下には藍色のジーパンを穿いている。
隣には丸くなって寝ている、俺とは違い、完全な人間の姿にもなれない程度の強さしかない狐の妖怪の女が、耳と尾を出して、安らかな寝息をたてて眠っている。
彼女は元はその女自身が着ていた着物を一枚だけかけ、ベッドの上で全裸で居た。
そんな女のすぐ隣で、俺はベッドの端に座り、目の前の窓から外を眺めていた。
蒼い空に白い大きな雲。
まさにいい天気だった。
初夏のこの季節らしい、いい感じの風も吹いている。
あぁ、また今日も生きてるんだなぁ。
つまらない世界。
早く死んでしまいたい。
そんなことをいくら思えど、俺は死にきれない死にたがりだ。
木造の小さな家。
ログハウスの様な建物の二階の西端の部屋。
そこの部屋の南端の一室のが俺がいま居る、彼女の家の寝室だった。
見た目も中身も女らしい彼女の家のすべての部屋は、かわいらしい家具でまとめられている。
正直、俺の趣味ではない。
俺は短く息を吐き出すと、女が寝息をたてている間に、俺はいつものように財布と煙草、ライターだけをジーパンのポケットに突っ込んで近くに投げていたYシャツを素早く羽織り、黒いブーツを履く。
そして寝ていた彼女にはなにも言わずに家を出た。
街はずれの小さな住宅街。
彼女の家はそこにある小さなアパートだった。
この住宅街は、割りとよく来る方だ。
この世界、口と技術があれば生きていける。
寝るだけなら、女のところで十分だし、料理だって勝手にやってくれる。
相手に飽きたら好きに変えればいい。
なにせ向こうから寄ってくるんだから。
住宅街の前の大きな路地。
妖(ヒト)の通りもそれなりにあるそこから、一本はいって狭い路地裏に行く。
そこは、世間から“捨てられた者”がいる世界。
俺が今までずっと生きてきた世界だ。
孤児や罪人、薬中、詐欺師などの溜まり場である。
飢えた眼でこちらを見るも、彼らも決して馬鹿ではない。
この世界は、妖怪としての戦闘力の強さが全てと言っても大袈裟ではない部分がある。
俺のように完全に、人間と見分けがつかない程の姿に化けられる者は、生まれながらに持っているこの世界では最も重要な、妖怪としての純粋な戦闘力に関わってくる、妖力が強い妖怪となる。
そんな妖怪は、実はこの世界ではほんの一握りしか居ないらしい。
どうやら、この妖力が弱い奴ほど、人間に化けようとしても耳が出たり、尾がでたり、獣人と言われる姿に近くなるようだ。
腕や足だけといった一部しか化けれないような者も少なくはない。
国民にはそんな妖怪ばかりが居る。
逆に、王宮やら国の役人などの偉い権力を持つ様な奴等には、やはり人間に近い姿をとれる妖怪が多い。
だからといって、国の偉い奴にはそんな一握りの奴等しかなれないのかといえば、そうでない。
国や王を護る立場である軍人はともかく、役人に必要なものは国民や王にどれだけ好かれ、信用され、優秀であり、うまく人を使え、この国をどれだけ豊かに出きるのか。
簡単に言えばその妖怪の持つ戦闘力である妖力も勿論大事なのだろうが、それよりも役人に欲しいのは教養や、人徳といったとこなのだ。
生まれながらに持っている戦闘力がいくら強くとも、俺のようにこんな生活を送っているものなども多くいるのは、自分がそんなに強い者だとは思っては居ないからだろう。
獣たちの眼と両側を塵で覆われた狭い路地を、塵や獣の上を跳んで抜けていく。
やがて、路地の先に大きく開けた場所が見えた。
そこは、小さな空き地のような場所だ。
四方をビルに囲まれて、そこだけ忘れ去られたように、取り残された土地。
高いフェンスで囲まれた長方形のそこは、なにかのコートの様だった。
両端に向かい合うように置かれていたのは、高いポールの先についた、四角い目安の線が引かれた四角い板がついた輪とネット。
そう、ここは二面分あるバスケットのコートだった。
四方を高いビルに隠された位置にある小さな空き地なので、初夏のあの陽射しは届かない。
一夜を供にしたあの女の家から、徒歩15分くらいのところにある場所である。
「おや、珍しー。あんたが一番なんてねぇー」
そのコートに入ろうとして、フェンスの前に立っていた俺に、背後から聞き慣れた声がした。
その声に振り返れば、そこにいたのはバスケットボールを手に持った、半袖半ズボンのいかにもスポーツマンらしい格好をした、鼬の耳を持った小柄な少女だった。
紅い肩までのボブに見える髪型に、黄緑の目を持つ元気そうな少女。
にっと笑った彼女が、リストバンドをつけた右手でボールを俺に投げる。
「また振られた?」
「ばーか。振った事しかねぇよ」
ボールを片手で受け取って、そのまま俺はコートに入る。
この明るそうな彼女も、俺と同じく裏街の住人だった。
「言うねー」
けらけらと笑った彼女は、俺の後に続く。
そして、煙草を捨てて足で消していた俺を見上げて、問いかける。
「その格好でやんのかー?」
150㎝程しかない彼女は、190㎝ある俺から見たらかなり小さい。
そんな彼女を見下ろして、俺は鼻で笑う。
「ハンデだよハンデ」
「ははっ。そんなんじゃ後悔するよー!」
彼女が両手をあげたのを見て、俺はボールを彼女に投げる。
すると、彼女はふと思い出したかのように、俺を見つめた。
「春蓮(シュンレン)。あんた、樞(クルル)の占い、どう思ってんだい?」
春蓮、と。
俺を呼んだ彼女は、俺と彼女の共通の知り合いの名をを出してきた。
「樞の占いはよく当たるからねぇ。彼女もだてに占い師で食ってないさ。
でも、アタシはあんたが予言通り『鎖に繋がれた獣』になんてなるとは思えないんだよねぇ」
からりと笑った彼女を見て、俺はため息をつく。
「さぁ、どうなるかなんて知らねぇよ」
正直、俺は未来になんて興味ない。
なにが起きようと、次の瞬間に死のうと。
もう、すでに“この世で一番恐ろしいもの”を俺は体験していたのだから。
それは、自由を奪われ、繋がれて。
他人の欲の為に生き、誰にも逆らう事すら、意見を言うことすらもできない狭い狭い世の中が絶対だった時代。
幼い頃、ずっと願った。
小さいながらに護りたいと、初めて想った相手を、目の前で亡くした時の事。
ふっと、脳裏に過去の記憶が蘇る。
鮮明にかえる、忘れる事の出来ない映像。
刹那。
「春蓮! 千波(チナミ)!」
と、俺と彼女を呼ぶ声がした。
俺の脳裏に浮かんだ映像が弾けるように消えていく。
声のした方を見ると、そこに居たのは、フェンスの中へと入りながら、こちらに走ってくる、Tシャツにミニスカ、レギンスを合わせ、紅いスニーカーを履いてこちらに走ってくる、猫の獣人のような、人型だけどもその身体は毛に覆われた姿で、猫の耳と尻尾をもった少女と、深い真っ黒のフード付きのマントを纏い、フードで顔を隠し、その少女に付き添うように後ろから歩いてくるようにこちらにくる、俺ほどまではなくとも、一般には長身にはいるだろう、頭から二本の鹿のような角を持ち、竜の尾をもった竜の獣人のような青年の姿があった。
「樞、おはよー!」
千波と呼ばれた彼女が、樞と呼んだ少女に抱きつく。
おーいい百合光景だ。
「変態」
と、俺の心を読むかのように、グッドタイミングで青年が俺に話しかける。
「あのなぁ、清(シン)。俺は……」
青年を呼び、俺は『変態ではない』ということを信じてもない神の元に誓おうとした時だった。
「春蓮」
と、樞がふいに俺の言葉を遮った。
千波と抱き合ったままの彼女は、そのまま俺に告げる。
「君は今日、運命を変える日になるよ」
びしっと、樞に指を指された俺が、その意味を理解する事になったのは、この時刻より一時間後の事だった。
◇◇◇◇◇◇
同日。
某国、城下裏街。
AM 9:30。
「“金色の獣”?」
「ここらで、金糸と言えば……」
「あぁ、あの野郎じゃねぇの」
今日は少し陽射しが強い。
だが、ここは陽の光など関係がなかった。
表通りから一本入った裏街にいけば、そこは日陰の世界であった。
ゴミが異臭を漏らす場もあれば、よく見れば死体が寝ている場所もある。
まったく。
こんな所に暮らしている妖怪の気が知れない。
桜華と白夜はあの女王からの仕事を終わらせようと、手当たり次第に聞き込みをしていたのだ。
そして、今道端に座っていたボロボロの布を纏った小さな二足歩行の鼠の妖怪たち、三頭に路地裏のある通路で話を聞いていたのである。
もう十分に聞き回った筈なのに、中々情報が集まらなかったのだが。
どうやら、彼らには心当たりがあるそうだ。
「知ってるの?」
白夜が三頭に問いかける。
それに答えるように、三頭は言う。
「あれは怖い」
「あれは恐ろしい者だ」
「あれは、化け物だ」
ちゅ、ちゅ、ちゅ、と笑うように彼らは鳴く。
「春蓮」
妖怪が、その獣を呼んだ。
「……春蓮?」
と、桜華は首を傾げる。
昔、どこかで聞いた事があるような。
記憶のどこかに、その名はある筈なのに、出てこない。
「……禁忌の獣。春蓮」
白夜は小さく呟くと、なにかを思い出したかのように呟く。
「まさかとは思うけど……」
思い出せていないような桜華を見ながら、白夜は静かに語る。
「……なるほどねぇ。あの鬼猫(キジン)ならあり得るわ」
と、その仮説を聞いた桜華は大きく頷いた。
あの『紫の王 』を、白夜と桜華は鬼猫と呼んでいる。
白夜が桜華にと語った事件の事は、恐らく知らない人が少ないだろうというぐらい有名な『大事件』の話であった。
その事件の真相は、確かにいまだに闇の中に葬られているのだが。
「……でももし、白ちゃんやアタシが思う通りだとしたら、今までよく生きていられたね。裏街とはいえ、この世界では命を狙われやすいでしょ」
桜華が白夜へ疑問をぶつける。
どうやら、二人はその正体に気がついたようだ。
鬼猫と呼ばれる、あの女王が狙うモノを。
「同じ名前は珍しくないでしょう。
名字さえ伏せれば、彼の容姿すら当時伝えられなかったわけだし。
それに、当人が自身の出生を知っているかはまた別よ」
白夜の答えに、確かに。
と、頷いた桜華は、三頭へとお礼を告げる。
「それならちょっとぐらい荒っぽくしなきゃ捕まらないかなぁー」
桜華がむぅと頬を膨らませる。
「さぁ、実は名ばかりだったりして」
くすくすと、そう笑った白夜に、桜華は『行こう』と言って、二人は再びその妖怪探しへと向かったのだった。
「聞いたか」
「聞いた」
「聞いたぞ、聞いた」
ちゅ、ちゅ、ちゅ。
桜華と白夜が消えた後。
三頭はこそこそと話す。
「これはすごい」
「これは秘密」
「これはニュースだ、ニュースだ」
三頭はそう言いあうと、桜華と白夜とは逆方向。
影の濃い道の奥へと走り去っていったのだった。
◇◇◇◇◇◇
某国、城下、裏街。
AM 9:47。
ボールをつく音が響く。
そのコートに観客はない。
いつものメンバーは6人程。
3対3のミニゲームが常なのだが、今日は一人がこれなくなったらしい。
5人で3対2でゲームをしていた。
5人目は、3ゲーム前に合流した、いつもの裏街の住民。
二足歩行をする、160㎝ほどはある大きな鼠の男だった。
名は烙慈(ラクジ)。
彼は見た目から鼠である為、特に服を纏うと言うことはしなかった。
明るく人当たりのいい彼だが、勝負にはいつも真剣で負けず嫌いだった。
長い髪を、貰ったゴムで結い上げた俺。
正直、運動には向かない服装だが、動けない事もない。
そよ風が吹き抜ける天気でも、ビルに囲まれているここではあまり風はこない。
日陰になっているので、直接日光があたるという事は基本はないのだが、運動をすれば流石に汗はかいてくる。
この世界の妖怪は、一人一人属性をもつ。
炎、水、草、大地、風、闇、光、氷。
基本この8つの属性だが、例外として無属性というものが稀にある。
互いに相克の関係にあり、その属性は妖怪に対して少なからず影響を与え、戦闘時にはその属性の妖術を自在に操る事が出来るのだ。
その属性は、普通なら1つであるが、俺のように持っている力が強い場合は、2つの属性をもつことがある。
俺は炎と光。
両方とも暑い環境には強く、寒い環境には弱い属性だった。
つまり、俺はいくら暑くても問題はないが、寒くなれば動けない身体ということである。
気温的な暑さだけでは暑さを感じないので汗をかかないし、炎に囲まれても涼しい顔をする事ができる。
しかし、運動をすればやはり俺でも汗はかく。
額に滲んだ汗で、長い髪の毛や服が肌に張り付く。
薄いシャツを一枚羽織っただけのラフな姿な為か、俺の背中にある龍と蓮の刺青が透けて見えた。
「春(ハル)!」
と、呼んだのは千波だ。
今のゲームでは味方である。
プレイ中、俺の名前は長い為、よく略される。
千波が敵である清の壁を上手く抜けるように、地面にバウンドしたボールをこちらに投げてきた。
途中、樞にとられそうになるボールを、だてに身長があるわけではないので、軽々と奪い取る。
「いかせねぇーよ!」
と、俺の目の前にはいつの間にかあの烙慈がいた。
それに動きが止まり、ボールを守るうちに清が烙慈のすぐ後ろに回り、高いボールを警戒しながら、ボールを奪う時を伺っている。
今俺がいるのはゴールのすぐ前だ。
やれないこともないが。
千波を窺えば、樞にべったり張り付かれていた。
俺は一度ボールをついて後ろに下がる。
そして清と烙慈を振り切った時は、俺はゴールのすぐ下だった。
ここまでくれば、俺の背なら少し飛べば入る。
ボールを持ち、入れようとした時だった。
「ちょっといいかなー」
と、聞きなれない声に、俺らはゲームを止める事になった。
「なんだ?」
烙慈がその声の方を見る。
そして、その姿を認めた途端、烙慈は冷や汗と共に反射的に一歩足を引いた。
いつの間にかフェンスを越え、もう一面のコートにいた二人の姿。
一人はピンクの花柄の着物に袴の紅い長い髪の女性。
スタイルはよさげだ。
胸がでかいのか、着物の胸元は少し開いている。
もう一人は肩までの白銀の髪をもち、ボーダーの長袖にサスペンダーで繋いだミニスカを穿いた、冷たい蒼の眼をした女。
どちらも完全な人間の女の姿をしていた。
「えっ、嘘っ!?」
と、目を見開いて千波が驚きの声をあげる。
樞は清の後ろに隠れ、二人とも固まったようにその二人を見つめていた。
……なんなんだ、この状況は。
正直、なにがなんだかわからない。
他の四人はどうやらこの二人を知っているようだ。
有名人なのだろうか。
俺はボールを置いて頭をかいた。
俺は、こいつらがわからない。
「春蓮って奴はお前?」
着物の女が俺を指差す。
「……用件はなんだ」
女については悪いことからいいことまでたくさん思い当たる事があったが、今はとても嫌な感じがする。
文句でも言われるのだろうか。
「春蓮!」
俺の元に寄ってきたのは千波だった。
「王宮の人相手に止めときなよっ!
わかってるでしょ!」
必死に俺に言う姿を見るも、俺がこいつらを知らないのは事実だ。
「……王宮の人?」
俺の言葉に、千波が思わず固まった。
「春蓮、君が政治に興味ない事はしってたけど……」
「国の王ぐらい有名人だよ、その二人」
樞の言葉に、烙慈が続く。
その言葉に見えたのは呆れだった。
「……春蓮には政治がわからぬ」
「誰がメロスだ」
ぼそりと言った清へ、俺はいつものように突っ込んだ。
「この二人は、王宮守護神。国の王、民、国土を命をかけて護り抜くっていう、この国の最高職であり、国の誰もが憧れる存在にいる人たちだよっ」
千波が俺に説明をするも。
「ふぅん」
と、俺は比較的あっさりとした返事をした。
「春蓮……お前がそういうの疎いとはわかってたが」
「君、まさか王様もわからないんじゃないの」
「……非国民」
烙慈、樞、清の三人が、俺に冷たい言葉を投げてくる。
「知らなくてもいい情報に興味ないだけだろ」
「一般常識のない無知を胸張っていわない」
俺の言葉にそう返した千波。
それより、この二人は。
王宮守護神という奴等は一体なにをする為に俺の元にきたのか。
それが問題だった事を思いだし、俺は二人を見た。
「君は知らないみたいだけど、私たちは王宮守護神。女王を護る番犬であり、この国の為に動く存在。本来なら教養、礼儀作法、出生、戦闘力。全てが揃って初めて選出のメンバーにはいれるのに」
白銀の彼女は言う。
そして、額を手でおさえ、嘆きながら告げた。
「まさか、このレベルなんて」
なんだこれ。
よくわからないが、俺は思いっきり馬鹿にされているようだ。
「とにかく、うちの鬼じ……じゃなかった。女王が、お前を連れてこいとのこと。抵抗するなら腕の一本や二本や三本なくても構わないって言われてるからそのつもりでね」
着物の彼女は『あ、これがアタシたちが本物の証拠ね』と、右の袖を捲りあげる。
肩口に見えたのは、S字に十字が合わさったような、不思議な紋章のような模様だった。
どうやら、それはこの国の紋章で、国の偉い人が証拠として必ずつけているものらしい。
俺は今知ったのだが、そういえば王宮の旗に似たようなマークがあったようなと思い出す。
に、しても『腕の三本なくても構わない』とはなんなのだろう。
俺の腕は勿論、三本もない。
「さぁ、どうするの?」
一緒に来るかどうかを、着物の彼女は問うている。
それに答えるように、俺は口を開いた。
「そうだな……」
正直、俺は王宮に呼ばれる理由など思い浮かびもしなかったのだが。
「やっぱりやっちゃう?」
明るく言った着物の女は、戦闘体勢だ。
正直、どんな女でも殴らないと決めている辺り、俺の敗けは決まっている。
それに……。
「理由はひとつも分からねぇが、俺は痛いのが大嫌いだ」
俺は両手をあげ、降参の意を示す。
「しょうがないなぁ。片腕ぐらい飛ばしちゃ……って、いいのっ!? 白ちゃん!! 警戒心なさすぎだよっ、このもやし男っ」
「誰が痩せ男だっ」
着物の女の言葉に俺は吠えて返し、深いため息をはいた。
あぁ、なにやってんだろ、俺。
「春蓮」
心配そうに見つめてきたのは、千波と樞だった。
「大丈夫だろ。殺されるなら、もう死んでる筈だ」
俺は二人の無言の言葉にそう答える。
そして“王宮守護神”と名乗る二人の隣に歩む。
「意外と利口なんだな」
先ほど、着物の女に白ちゃんと呼ばれた女が、鼻で笑って俺に告げる。
「勘違いすんな。俺は、余計な死人を二人も増やしたくないだけだ」
そう返した俺を“白ちゃん”は冷たく睨んだ。
俺は反省の色もなく、ただそこに立っていた。
この気をまぎらわせようと、俺は煙草をくわえる。
「さっさと連れてけよ。なんの用かは知らねぇが、王宮に連れてかれんだろ」
俺は冷たくいい放つと、火をつけた。
それを見て、着物の女は口をひらく。
「あっ。あの城全面禁煙なんだよ!」
俺は、死を覚悟した。
◇◇◇◇◇◇
某国、王室。
AM 10:03。
「早かったな」
と、そいつは言った。
壇上の玉座に座った巨乳の、紫の髪を持った女だ。
王宮守護神の二人に連れられここに来た俺を見れば、その女は二人を外に出した。
どうやら、彼女は俺と二人でなにかを話すらしい。
「お前か。二種族の血をもった、禁忌の妖怪は」
静かに、女は言う。
妖怪の世界での大罪。
そのひとつは、他種族との交配である。
二種族の血を持った子は“合(アイ)の子”と呼ばれ、世間から“化け物”と差別をうけ、迫害される。
俺のような“化け物”に、人間で言うところの人権などはなく、高級な人を選ぶような飲食店なども、入る事はできない。
俺は両親を知らないが、親は犬の妖怪と狐の妖怪らしい。
二種族の交じりが禁止されているのには理由がある。
それは、妖力の関係だ。
妖力が強い二つの種族が混ざりあうと、その子供も大抵はその妖力を受け継ぐ。
父親が妖力の強い種族であり、母親も強かった場合。
父親の妖力+母親の妖力をもつ妖怪が産まれる事がある。
大抵はキメラとして醜い容姿でも産まれてくることがあるが、二つの姿をもつ者が極稀にいる。
二重人格のようなものだ。
本人はひとりなのに、姿は二つ。
どっちつかずの化け物だ。
そんなとんでもない化け物を、この世界の法は禁じている。
例外はただひとつ、人間界でいう十二支の動物を両親にもつ場合だ。
この二種が親である場合、人権なども認められ、一族繁栄、友好、また権力の強さの証として崇められる傾向にある。
十二支の動物に名を連ねた彼らは、神に近い種族として、妖怪の世界でも広く知られ、その権力は十二の家それぞれが王族と密接に関わる程にまで強大なものであった。
禁忌の子供は、キメラ、または二つの姿をもつ場合に限り産まれたら即殺す事と定められており、生き残りなどいれば大ニュースであった。
俺はそんな禁忌の子供だった。
二つの姿をもつ、稀な方の。
首にかけられた数珠のような封具をとれば、俺の本性は妖狐に成る。
他人によれば、性格も少しだけ変わるらしい。
そこは俺には自覚がない。
禁忌の子供は皆、左手首に二匹の蛇が絡んだ様子を描いた刺青のようなものが生まれつきあり、一目でわかるようになっている。
俺もそうだったが、俺は普段その模様を包帯で隠していた。
俺は彼女を睨んだ。
なにを考えているのか、怪しかったからというだけではない。
彼女が何故、俺の事を知っているのかが疑問だったからである。
彼女は俺とは初対面だ。
昔、世話になった奴に聞いたことがある話がある。
それは、俺が産まれた時、俺が持つ名前の意味するもののせいで、当時世界が大きく荒れたということだった。
以降、俺は「あまり表(世界)に出ないよう」にと言われ続けていたのだ。
正直なところ、華やかではあるが、色々な鎖に縛られる表世界より、自由に暮らせる裏世界の方が性にあっていた為、そっちで生きてこなかっただけの事であるのだが。
「お前がなんで知ってるかは疑問だが、俺はもう、誰かに従う気はねぇよ」
そう答えた俺を、玉座より見下ろす彼女は、表情ひとつ変えはしなかった。
まっすぐに俺を見つめながら、淡々と告げる。
「お前が嫌でも、この国にはお前が居る。私の元に下れ」
冷たい刃のような。
鋭い眼が俺の身に刺さる。
そのまま、彼女は続けた。
「お前は禁忌の妖だ。その命、今この場で捨てるか、それとも、生きたいか。貴様みたいな禁忌の妖は、この世界には今一人だけ。貴重であり、その力は我々王にとって、喉から手が出るまでに欲しいもの」
彼女が目をすぅ、と細める。
しかし、その眼に宿った不思議な力は、確実に俺を捕らえていた。
「先程より動きがないな。そんなに嫌なら、出ていってもいいのだぞ」
すっと、彼女が俺を……いや、俺の後ろにある扉を指差した。
「なに。お前が不利になる事はない。
私が貴様を手にした時は、貴様が禁忌の妖だとしても、国が貴様に、一般の妖が保証されている権利を全て渡そう。
それに、王宮守護神は国を変えられる。
他国の最高位が集まる会議での意見をいえたり、また、冥界とも通じる程の権利をもつ。
これはこの国で最高の権利。それを全て貴様に渡す。その代わり、お前が私の元に下る。
もしこの話を受けなければ、お前には掟通り、死んでもらう」
彼女は笑う。
嘲笑うように、不気味で嫌な笑みだった。
「……貴様は、王宮守護神になるか?」
彼女の言葉に、俺は目を閉じた。
今更、死ぬのは怖くない。
いくつもの死を俺は見た。
幼い頃から、生きるためには殺さなければならなかったから。
それに、今の俺に亡くして困るものはない。
それに。
「……俺は、もう」
目を開き、口を開き、なにかを言いかけて、止まる。
過去の映像が、はっきりと脳裏に映る。
牢獄。手錠。足枷。拷問。
殺人兵器。戦争。飢餓。
性処理相手。奴隷。
常の扱いとは代わり、優しく撫でるあの手に、すがるしかなかった時代。
背中に未だある、当時の焼き印。
打ち消すようにいれた刺青の下。
消えない痕は疼き出す。
そう。
『誰か』に飼われても仕方ない。
そいつは『俺』を見ていない。
他人を使い、世界を掌握していくのを、見つめながら楽しそうに嘲笑う。
他人を道具としか思わない。
他人の痛みを知りはしない。
他人の。
他人の……。
「断る」
声が震えて、掠れた。
あぁ、気持ちが悪い。
その眼が。
その声が。
王が話す様が。
もう、俺は……。
「そうか」
彼女には、俺の意思など関係ない。
そんなものはわかっていた。
王とは、その手に欲しいもの全てを握り、壊す存在であるから。
きっと、俺はこいつの下につく。
わかっていた。
それでも、抗いたかった。
過去を、繰り返すのが怖かった。
「お前なら、この話を受けると思ったのだが」
静かに語った女王に、俺はなにやら嫌な予感を感じた。
これは、直感だったが、なにもかもを手にいれるのには、女王とは。
王とは手段を選ばないと、俺は知っていたからだろう。
「貴様の事を禁忌だと知りながら、人界よりお前を連れ帰り、幼少のお前を育てた妖共がいたな」
静かに語る女王。
何故知っているか、などは愚問なのだろう。
きっと、こいつは俺の全てを見てきたかのように知っている。
何故知っているかをきいてもきっと無駄だろう。
「そいつらも、罪にあたり、死ななければならなくなるが」
女王は言う。
俺にとったら、それは大きな人質だった。
これは脅しであり、彼女ならやりかねない。
分かっていた。
俺さえ、彼女に従えばいいだけ。
俺さえ、犠牲になればいいだけ。
また王の駒となり、彼女の手にすがるだけの存在に成るだけ。
自分を、殺せばいいだけ。
俺の両目。
真っ赤な眼が怪しい光を放って輝く。
「……分かった」
俺は、女王を見る。
その王の姿に、過去に見た王の姿が被る。
「お前の、下に下る」
この王が、どんな王かは知らない。
しかし、王の腹は同じだ。
手段が違うだけ。
だから、いつか道具は棄てられる。
分かっていた、わかっている。
心で、そう復唱する。
「ほぅ、少しは利口なようだ。ただの、吼えるしか知らない餓鬼だと思っていたが。
まぁ、私の目的は叶ったのだし、お前を悪いようにはしない。過去の王と、私は違う。そこは、私が保証しよう」
女王が、座っていた玉座の手すりを両手で掴む。
そして、すっと立ち上がる。
深いスリットのある裾が妖しく揺れ、彼女の妖艶さが強調される。
高いヒールの靴を履いた彼女は、ゆっくり階段を降りる。
なにをする気だ。
そう思うも、俺はなにも言わなかった。
いつの間にか、彼女は目の前に立っていた。
「跪け。私に誓え。この命を、全て捧げて国の為に生きることを。お前のもつ、真名と共に。
これは守護神の契約だ。お前の真名は、私だけが持っている。
それは必ず護る。それがこの世界の妖。約束は違えないのが、妖の誇り――」
女王が語る。
真名とは、魂につけられた名。
それを握られるのは、命を握られたと同じこと。
妖は、それを産まれた時から知っている。
そして、妖はその名を結婚した際に互いに交換する。
妖は情が深い。
離婚などは、有り得ない。
だから、互いに縛るのだ。
同時にそれは意思にもなる。
『貴方の為になら、この命を捨てることも惜しみません』と。
俺はその姿を見つめ、瞬きを返す。
そして、片膝をついた。
同時に片肘をあげた膝にのせ、拳を握った手を床に突き立てる。
頭を垂れれば、金糸の長い髪の先が床にぱさりと落ちた。
女王を前に、ひれ伏す。
この角度からは、女王のパンツが見えるだろうが、正直こんな奴のに興味はなくなった。
頭ではそんなことを考えながら、俺は口を開く。
我が名は――」
俺は、真名を唱えて続ける。
「今より、王の配下に下る事。この命を賭けて、王を護り、王に命を捧げんことをここに誓う。誓約は真、違えばこの命、返さんことをここに誓う」
魔界の誓約の仕方の正しい作法は知らない。
俺のは、下界の遣り方だった。
王は妖しく笑って言った。
「下界の遣り方とは、お前には相当な教育がいりそうだが、無理もないか」
嘲笑うようにいい、彼女は俺を立たせた。
ゆっくりと立ち上がった時には、もう俺にはこの運命に抗おうとする気持ちも力も不思議と湧いては来なかった。
「お前の本名は」
静かに問い掛ける女王に、俺は応える。
「壯珀山、春蓮(ソウハクザン シュンレン)」
この名は、この世界では大きな意味を持つらしいので、普段は春蓮とだけしか名乗らなかった。
所謂フルネームを口にするのは、かなり昔以来になる。
「では、今からお前の名は珀蓮(ハクレン)とする。左の肩を出せ」
静かな言葉に、俺はため息をつきながら、着ていた服をはだけさせ、肩を出した。
女王は、そこに指の先を、爪を強く押し当てる。
妖は、完全な人間の姿になっても、その爪は硬く、鋭く尖っている。
その爪は、俺の皮膚に食い込んだ。
俺が僅かな痛みに片眉を跳ね上げた直後。
抉るように、彼女は俺の肩にSに似た字と上に十字架を刻む。
じわりと滲み出てきた血は、やがて妖しく光、太く黒い線になった。
この象はどこかで見たことがある。
そんなことをうっすら思い、俺は思い出す。
俺をここまでつれてきた、あの二人の女にも確かこれがあった。
「これは守護神だと証明する証のようなもの。生涯消えることのない傷だ」
女王はそう言えば身を翻す。
「翌朝、またここに来い。お前に初仕事をやる。
住む場所はこの城に、守護神たちは一人一人専用の部屋を持っている。
キッチンや風呂など、最低限のものはあるから、お前の部屋は自由に使っていい。
後の説明は部屋をでて、扉を開けたすぐにいる小狐にでも聞いてくれ。そいつは、お前つきの、お前の世話係だ」
女王は階段の下までくれば、軽いジャンプで玉座の位置まで跳んで見せた。
鮮やかなジャンプは、まるで猫のようだった。
俺はその姿を見た後、身を翻すと外に出た。
こうして、俺はまた、国に飼われる獣になった。
◇◇◇◇◇◇
AM10:38
王宮、王室前廊下。
「新しい王宮守護神様ですね」
俺がその扉を出た先に、そいつは居た。
190㎝ある俺からしたら、そいつはかなりチビだった。
俺の腰ほどまでしかない身長で、彼は俺を見上げていた。
「守護神付、世話係としてこの度王に選ばれました。十月(カンナ)と申します。以後、お見知りおきを。ご用があれば、なんなりとお申し出くださいませ」
淡い水色の着物を纏い、人間の子の様な姿に、金色の狐の耳と尻尾。
そいつが妖狐であることは一目でわかったが、こんな姿でもこいつはきっと年上なんだろうなと思う。
「珀蓮様のお部屋にご案内させていただきます。どうぞ、此方に」
にやり、と。
そう笑うように笑んで見せた十月が、そのまま小さな歩を進める。
足に履いた小さな草履が、石造りの床に擦れて音を出す。
残念なことに俺の歩幅の方が遥かに大きいので、十月が歩くスピードは俺にとってはかなり遅く感じた。
だが、文句は言えない。
入り組み、迷路の様な王宮の通路をどんどんと進み、王宮の南館に入る。
その南館の二階、奥。
廊下の左右、両側にいくつかの扉がある廊下があるのを認めた。
十月は迷うことなく、廊下の突き当たり、一番奥の、右側にある扉を引いて、開く。
その中にあったのは、玄関である廊下の扉に近い方から順に風呂場、トイレへの扉を右手に、キッチンを左手につけられた短い廊下だった。
部屋は同じ王宮内の為か、石造りで、床も壁も灰色の石が煉瓦のように組まれていた。
キッチンにはすでに最低限の調理器具が置かれており、廊下の突き当たりの扉を開ければ、八畳程の四角い、ベランダ付きの部屋が現れた。
大きな窓は開かれ、風でカーテンが揺れる。
部屋は南向きで、風と共に入る日の明かりが部屋を明るく照らしていた。
壁際には、左手には食器棚と木製の勉強机が並び、右手には大きな木製のベッド。
枕は南向きで、足元にはクローゼットが設置されている。
部屋に空いた中央のスペースには、低いテーブルがあり、一人がけの座椅子があった。
一人で暮らすには十分な広さの部屋だった。
「此方が珀蓮様のお部屋にございます。
こちらの部屋は、珀蓮様がご自由にお使いいただいて構いません。
向かいの部屋は桜華様、桜華様の右隣の部屋は白夜様のものになっております。
今、珀蓮様の隣部屋は空き部屋となっておりますが、いずれまた、守護神様がお入りになられることでしょう」
にっこりと笑った十月に、俺は「ふぅん」と素っ気ない態度を返す。
正直、国や部屋など、どうだってよかった。
俺はポケットから煙草をとりだし、くわえる。
火をつけようとした時、十月が咳払いをして告げる。
「珀蓮様、この王宮は全面禁煙ですが……」
「知ってる」
十月の言葉を遮るように答えた俺だが、煙草に火をつけて吸い始める。
それを見て、十月はため息をついた。
「王宮守護神に選ばれる方がこのように掟をすぐに破られては困りますよ」
と、そうは言うものの、十月はそれ以上は言わなかった。
「灰皿」
「有りません」
即答された俺は、ため息をつくように携帯灰皿を取り出した。
そうだよなぁ、全面禁煙なら、そんなもの普通は置いてない。
俺は先を行っていた十月を追い抜く様に部屋に入り、座椅子ではなく、ベッドに腰を下ろす。
そこで悪びれた様子すらなく、煙草を吸う俺に呆れながらも十月は口を開いた。
「……珀蓮様は明日より、仕事があります故、本日は早めにお休みくださいませ。
明日の公務は、珀蓮様の王宮守護神の正式な任命発表を始め、各所へ挨拶に参らねばなりません」
静かに語られた予定に、俺は頭が痛くなりそうだった。
挨拶だと?
面倒なこと、この上ない。
「珀蓮様。貴方はこの国を代表する六人の戦士が一人に選ばれた妖。王宮守護神とはこの国の鏡であり、最強の盾と矛であります。
これから先、他国の者とお話になられたりすることもございましょう。
その時の貴方の態度が、この国を窮地に陥れる事になる事もあるのです。どうか、その事だけは心に留めて置いて頂きますよう」
一礼をし、十月は告げる。
国、か。
そう、改めて思う。
再び背負う事になったものの、重さを。
昔、同じように国を背負った時は、あまりに子供で理解し(わかっ)た様でいたが、実際にはなにも理解していなかった事がある。
俺の子供の頃は、国に従う事が当たり前で。
誰かの道具でなくては、力もない餓鬼だった俺は、生きてもいけなくて。
その生き方がどんなに虚しく、どんなに愚かな生き方なのかを知らず、他人を殺して誉められて、国を壊して誉められた。
それが異常に嬉しくて。
王だけが、彼だけが絶対だったあの日々。
あの日々が、またかえる。
もう終わったと思ったのに、国の鎖は切れたのだと。
お前はもう、自由に生きればいいんだよ。
そう“彼女ら”がいってくれてるんだと思ったのに。
国から放たれた俺は、余りに国に飼われてた期間が長すぎて。
自由をうまく生きれなくて。
あのとき、あの国と死んでいたら。
そう思ったら、俺は死ぬべきだったんだと思えてきて。
でも、死にきれなくて。
今までだらだらと生きてきて、また鎖に繋がれて。
嗚呼、何やってるんだろう。
俺は、二度とは飼われないと決めたのに。
嗚呼、きっと、俺は普通に生きれないんだ。
普通に生きてはいけないんだ。
呪われてるんだ。
この血は、この身は。
『化け物』だから。
手が震えた。
『化け物』は『道具』でしかなくて。
『道具』は『孤独』でしかなくて。
俺をきちんと『見て』は貰えない。
たった『一人』で『敵』と戦い。
『王』の為に生き『王』の為に死ぬしか赦されない。
そんな生き方しか、俺にはないのか。
俺を、俺という妖を、正当に見てほしかった。
一人の者として、ごく普通に扱われる人生を送ってみたかった。
しかし、やはりこの血では。
禁忌の妖には、到底無理な願いでしかなかったんだ。
でも、誰か。
『俺』を必要として、望んでくれと願わざるを得なくて。
「……ま、珀蓮様」
十月の声で、我に返る。
しかし、俺の深紅の瞳は揺れていた。
ドクン、ドクン。
心臓が、強く鼓動を打つ。
十月を見れば、俺のそんな様子に、きょとんとした様に首を傾げていたが、すぐに言うべき言葉を思いだし、言葉を紡ぎだした。
「明日の朝、八時。この部屋に迎えにあがります」
再び一礼をし、外に出ていく十月を。
俺は、霞んだ視界の中で見つめていた。
その時の俺の心は、張り裂けそうな程。
底知れない、得たいの知れぬ不安感と恐怖感で、真っ黒に塗りつぶされていた。
『俺』を見て『俺』を必要としてくれる者など、誰一人としていない。
そう、信じるように思っていたから。
暗い過去の映像が、脳裏を責め続けたその夜。
遠い昔。
幼い頃の日々を、今座る部屋のベッドで見たことを、俺は今でも鮮明に覚えている。
◇◇◇◇◇◇
界陰暦、1215年。
夏期、16の日。
蒼空の下。
俺の声など、願いなどは届かぬまま。
俺の、正式な国民の前での守護神の任命式は執り行われた。
勿論、俺が禁忌の妖であることは伏せられたが。
これは嵐を呼ぶ始まりの物語に過ぎなかった。
教育、教養、礼儀の晩
界陰暦、1215年。
夏期、17の日。
紫の王の国、王宮、書庫。
「あーもうっ、違う! 違う!」
そう言って、桜華はだん! と机に広げた本を叩きつけながら立ち上がる。
そして、その身を俺の方へと乗り出した。
今、桜華の目の前には俺がいる。
桜華は、書庫の東隅にある勉強用の長机に向かう俺の、向かい側の椅子に座っていた。
蝉の大合唱が、窓をすり抜けて響いてくる。
この部屋にかかる冷房のおかげで、このところ続く夏の時期らしい、真夏日の暑さから、この部屋は逃れていた。
しかし、妖の持つ“属性”故か、暑さを感じず、寒さは逆に身に応える俺にとって、その環境は害以外の何物でもなかったことをここに書いておこう。
「この記号はこっちから先に読むって事なの!
だから、正しくは“この国に置いて、守護神の在り方は”ってなるんだよ」
「……あぁ、そーですか」
やる気のない返事と欠伸を返せば、桜華が、垂れたままの俺の髪をぐいっと引っ張る。
「っ、てぇーよっ、引っ張んなっ!」
「馬鹿ねっ! 一回で理解しなさい!」
互いに額を突きつけ、俺と桜華が火花を散らす。
それを横目に、桜華の左隣に座った白夜が、飲食禁止という貼り紙のすぐ横で、優雅に紅茶をすすっていた。
馬鹿はどちらだ。
「……ったく。簡単な文字も読めないなんてこの餓鬼は」
ブツブツと、文句を言いながらも、桜華は俺の髪を離し、がたんと乱暴に椅子を揺らして席に着く。
「んなもん読めなくとも苦労はなかったからな」
ふん、と鼻を鳴らし、俺は腕を組んだ。
片眉は俺の不機嫌な様子を表す様にはね上がっている。
「ま、煙草とか酒とか、入れ物で判断が可能だしねぇ。幼児でも買えそう」
淡々と言い放って、白夜は瞳を閉じる。
どうもこの白夜の、お嬢様らしい雰囲気が、俺の中では気に入らない。
「鬼猫の調べによれば、伽羅(カラ)と言う名前で医師の免許ももってるらしいけれなど」
白夜の目が開き、俺を捉えた。
「あの試験の回答は、大体が古代語である倭(ヤマト)。
それを読み書き出来、医師としての医学知識があれば受かるものよ。
あの古代語の方が、読み書きは難しいし、あんたが一人で勉強できたとは思えないけれど……まぁ、その辺は探らないでおいてあげるわ。
……古代語をいくら使えるとはいえ、現代語のイシュラ語が出来なければ、この先仕事ではまるで使えないんだけど」
白夜の瞳が細められる。
これは完全に馬鹿にしてやがるな。
俺はひきつった笑みを浮かべた。
「そんな野暮な事まで細かく調べて、なんで俺なんかを欲しがったんだか。
……大体、お前らが書類関係やればいいんじゃねぇの?俺は勉強なんざやる気はなにもねぇ」
俺はきっぱりと言い切った。
「いやよっ! 量も多いし面倒だし!」
そう、俺の名案は桜華により即座に却下される。
「とにかく、馬鹿でないなら三日で覚えなさいっ!」
……と、いう桜華の無茶苦茶な振りで強引にこの場を押しきられてしまった俺は、この日より現代語の読み書きをみっちりと叩き込まれる事になったのだった。
◇◇◇◇◇◇
界陰暦、1215年。
夏期、20の日。
紫の王の国、王宮、珀蓮自室。
「……国独法(コクドクホウ)第10条について」
「我が国に於いて、国の宝は国民でありその命を第一に、此の政治を動かし、その生活を脅かす者、全てに国は刃を剥けて闘わん」
「おー。やればできるじゃない」
上機嫌に、彼女が笑って分厚い本を片手で閉じた。
彼女の相方でもある白夜。
彼女はと言えば、此の三日間。
俺はその姿すら見てはいなかった。
この部屋は俺のプライベート空間な筈だったのだが、まずそんなものから存在はしていないとはっきりと言われたかのような程、彼女が三日間という期日で俺に教養を叩き込むのに必要とされる、彼女が持ち込んだ大量の本や書類に埋め尽くされていた。
さらに、彼女がこの部屋に来てからずっと。
「暑い、暑い」と喚き散らしたせいで、この部屋には三日間、俺には不要な冷房がかけられていた。
そのせいか、心なしか体調も悪い。
そんな彼女にもうなんの反論もする気が起きない程に精神的に疲弊していた俺は、座っていたソファーの背凭れに全部を預けるかのようにもたれ掛かった。
頭が割れるように痛いのは、冷房のせいもあるだろうが、ここ三日間でのスパルタな教育が大半を占めていた。
宣誓通り、俺に三日でこの国の法、この国の成り立ち、王宮で必要とされる礼儀作法などなど。
全何百とある項目を叩き込ませたスパルタ教育が大得意と見えるそいつは、かなり満足気な様子だった。
「……くそ野郎」
俺はぼそりと口にした。
おかげで、寝る間もなかった俺の横で、この女が爆睡している間も俺は一睡もせずに彼女が掲げた三日という期日を守らされる事になったのだ。
今更ながら、かなりむかつく。
しかし、小さき暴君な彼女には、なにを言おうが聞いては貰えなかった。
出来れば今後積極的に関わりたくない人種ランキング上位に入賞を果たした彼女が、桜華と言う名であり、この国の女王にかなり似た、かなりの我儘で、且つ自己中心的な性格をした女であることも、この三日という期日の中で嫌という程に思い知らされたのだった。
「なにか?」
にっこりと笑った彼女に対し、ひきつった笑みを返しながら「地獄耳」と心の中で罵った。
「……とにかく、これで蓮ちゃんの教員も終わった事だしー、あ、本は書庫に返しといてね。これ全部。
書類は鬼猫に返してね」
……こいつはどこまで自己中なのか。
俺はその台詞だけで今後が思いやられた。
「……あ、それと」
と、桜華はまだ俺になにかを言う様だ。
ボーッとする俺に、桜華は勝手に言葉を続けた。
「国の軍人は、守護神に次ぐ権力を持っている事は教えたでしょ?
この叩き込みが終わったら、軍人の訓練所に、あんたを連れてこいって言われてるのよ。さ、とっとと行きましょ」
にこっ、と笑った彼女は。
まさに悪魔の様だった。
◇◇◇◇◇◇
「此の国に於いて、軍は東軍と西軍に別けられる。
東軍というのは攻撃。戦闘を得意とする特殊部隊である。
西軍というのは護り。此の国の緊急時に於いて救護、諜報など裏方を得意とする部隊である」
『紫の王』の国。
王宮敷地内、東方部、大闘技場。
「ここは一般国民も無料で、自由に立ち入ることのできる王宮のエリアであり、毎週末には大闘技場をつかい、生死を賭けた闘技の演舞を見る事ができる。賭博の対象にもなるそれは、国民にとっては一種の娯楽でもある」
……と、ここまでが地獄の三日間で叩き込まされた知識である。
俺は目の前の光景をボーッと眺めながら言い終えれば、自然とポケットにしまった煙草に手が伸びる。
Black Note