フラジール

桐灰悠

 鳴瀬はそれを、川へ放り投げた。
 夏休みが始まって間もない、太陽がギラギラと僕たちの肌を焼く、そんな日だった。
「成田もさ、捨てちゃいなよ、それ」
 声が少し震えている。
「そんなこと、出来る訳ないだろ」
「やってみると意外とあっけないもんだよ」
「……やらない」
「……あっそ、じゃね」
 それだけ言うと、鳴瀬は僕に背を向けて歩き始めた。鳴瀬の強い心とは裏腹の華奢な肩と小さな背の後ろ姿が、入道雲と共に、印象的だった。

 この世界で、声を出す事は稀だ。ATDという、人為的にテレパシーを可能にする装置が現社会の基盤を作ってから、既に八十年が経とうとしていた。初期のATDは声を電気信号に変換し送受信する事しか出来なかったが、改良に改良を重ね、感情や意思までも電気信号として送受信できるようになった。更には、それらの情報を使用者に解りやすく要点だけを厳選し、使用者の理解を助けるという機能まで付いている。
生きていく上で、ATDは無くてはならない物だ。学校の授業も、ATDを使用して行う。その他にも、街で聞こえる各種アナウンスは、ATDを介して僕たちに聞こえてくる。
 僕たちはこのシステムに満足しているし、特に不満もない。当たり前に毎日を過ごし、当たり前に歳をとる。それを享受する。
 けど、鳴瀬は違った。
 始業式の日の自己紹介。鳴瀬はこう言った。
「はじめまして、鳴瀬由紀です。私は皆とは違ってそんな馬鹿みたいな機械は使いません。よろしくお願いします」
 この発言は、僕を含むクラスメイト全員を驚かせた。口から声を出して自己紹介をする人間を、僕は初めて見た。他のみんなもそうだと思う。それだけでも驚きなのに、初対面の相手をこうも堂々と馬鹿にする発言を、鳴瀬は全く物怖じせず言い放った。
 僕はこの時、鳴瀬の事を馬鹿な奴だと思ったし、僕に陰口は聞こえてこないが、みんなATDを使って各々で鳴瀬にどんな烙印を押してやろうか、話し合っていたに違いない。それが聞こえないのは鳴瀬も同じだろう。
 みんなが目配せし合って見えないひそひそ話をしているのに気付いたのか、鳴瀬はもう一言、言った。
「言いたい事があるなら、私に直接言えばいいと思います。もっとも、あなた達にはそんな事をする度胸も、声も無いでしょうけど」
 鳴瀬が何を言おうと、教室は静かなままだった。しばらくして、先生がやれやれというような顔をして、声に出して言った。
「鳴瀬、後で職員室に来い」
 鳴瀬はわざとらしく先生を睨みつけてから、はい。と言った。

 そんな鳴瀬と僕が初めて話したのは、僕と鳴瀬が日直になった日の事。うちのクラスでは日直を二人でする。二人でしなければならないほど仕事の量は無いんだけど。
 日直についての説明の時、先生は鳴瀬の目を気にしながらも、親睦を深めるためとかなんとか言ってたけど、僕には意味が分からなかった。親睦も何も、ATDを使っている僕らはいいとしても、鳴瀬はどうなるんだ。そう思ったからだ。鳴瀬は自己紹介の日、先生にATDを使うよう言われたはずだが、頑なにATDを使おうとはしなかった。
 そんな鳴瀬と会話して分担作業をするのも面倒だったので、僕が日直の仕事を一人でこなし、帰ろうとした時。
「なんで一人で全部やっちゃおうとするのよ」
 声をかけられた。初めてだ、こんなの。昔の人からしたらこれが普通だったんだろうけど、慣れていない僕からしたら、不意打ちにも程がある。ましてや相手はあの鳴瀬だ。何を言われるか分からない。鼓動が速くなる。
 仕方なく、声を出す。
「……なんだよ」
「あれ、なんだ喋れるじゃん。他の奴らと同じで、逃げてくかと思ったのに」
 鳴瀬、他の奴らにもこんな事してるのか。今どき珍しい奴だな。迷惑な奴だ。
「そりゃあ、誰だって喋れるだろ。でも口を使わないだけ。みんなこいつを使って喋ってるよ。小さい頃からそうして来ただろ?」
 僕は自分のATDを指さす。
「そうだね、あたしは小さい頃からそんな物は使ってなかった」
「あのな……もういいよ、で、なんだっけ?」
「だから、なんで日直の仕事、一人で全部やっちゃおうとするわけ?」
 鳴瀬が僕の目の前まで詰め寄ってくる。鳴瀬の顔を、その時初めて正面に見た。プリズムのように光る、澄んだ瞳だった。
「なんでって、鳴瀬がATDを使ってないからだろ」
「理由になってない!」
「なんで鳴瀬はそんなにATDを使いたがらないんだよ」
「気に入らないから」
 鳴瀬はキッパリとそう言うと、僕の抱えていた日誌や提出物なんかを奪って、職員室の方まで歩いて行った。

 それから鳴瀬は、積極的に僕に話しかけるようになった。最初は僕も抵抗を続けていたが、やがて馬鹿らしくなって、鳴瀬と声を使った会話をするようになった。クラスメイトからは白い目で見られるようになったけど、不思議と嫌な気分では無かった。鳴瀬のわがままにふりまわされる事もしばしばあったけど、今までの日々よりは、充実しているように思えた。
 鳴瀬には、不思議な魅力がある。何者も寄せ付けないが故に、確固たる自分を持っている。凛としていて、物事に対して真摯に向き合う。強い人間だと思う。同時に脆い人間だ、とも。
 そうして一学期が終わり、高校生活で初めての夏休みを迎えて、鳴瀬から呼び出されたある日。
 小さな橋の上で、鳴瀬は手にATDを持って僕を待っていた。
「やあ、鳴瀬にしては珍しいもの持ってるじゃないか」
 冗談半分でそう聞いたつもりだったが、鳴瀬の様子がいつもとは違うので、少しまごつく。鳴瀬はそれを強く握って言う。
「これさ、お母さんが買って来たんだ。何回も何回も、私がこれを捨てる度に、新しい物を買ってくる。私には必要無いって、何回も何回も言ってるのに。おかしいでしょ? どうしてこれが無いといけないの? 私達には、ちゃんと声があるじゃない。何がテレパシーよ、何が以心伝心よ、私の声は、こいつのせいで誰にも届かない!」
 そう叫んだ鳴瀬は、僕の知っている凛々しい鳴瀬ではなかった。僕は、まるで精巧に作られた硝子細工を自分の手で割ってしまったような気持ちになった。
「僕には、そうやって自分の想いを素直に叫べる鳴瀬が羨ましいよ。僕はそんな事した事ないからさ。多分、他のみんなもそうだと思う。鳴瀬ほど強くないんだよ、みんな」
 僕の声を噛みしめて、それでも、強すぎる自分を抑えきれなくて。俯いて、何度も首を振ってから。
 鳴瀬はそれを、川へ放り投げた。

 しばらくして、クラスの名簿から鳴瀬由紀の名前が消えた。

フラジール

ありがとうございました。

フラジール

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted