雪のふる日。

初投稿です。
紅と申します。死ネタ要素アリ

最も幸せな死に方とは何だろう。やっぱり、痛みもなく眠るように死んでいくのが幸せだろうか。
速水雪乃(はやみゆきの)は窓に目をやりながら考えていた。
外はしんしんと雪が舞い、街一面を白い世界に変えている真っ只中。眼下には雪かきをする作業員と、積もった雪で遊ぶ来院者たちがいる。今外に出たら、きっと倒れてしまいそうになるくらい寒いのだろう。遠くからは、学校のチャイムが聞こえる。時刻は六時を回った所でそれは、完全下校時刻を知らせるチャイムだった。
コンコンとノックがして、雪乃はそちらに注意をやる。はい、と答えれば聞き慣れた声が点滴の時間だと知らせた。
「雪だね―」
「そうですね。ここは暖かくていいです。寒いのは苦手なので」
看護師が点滴のパックを変えながら雪乃に話しかける。雪乃は目を細めながら返す。看護師は何かに気付いたらしく、あ、と声を上げた。
「そういえば雪乃ちゃんの漢字は『雪』があるわね」
「あぁ。なんでも私が産まれた日が、丁度こんな雪の日だったんですって。単純ですよね」
そう笑いながら答えた雪乃の表情は冬に咲く花のように柔らかく、凛として、儚い。看護師はその応答にそう、と納得したように呟くとじゃあ、またなにかあれば呼んでねと残して部屋を去って行った。
 「もう一週間したら、私の誕生日か……」
 雪乃はふと、意味もなく呟いた。
ひとり。たったひとり。慣れ始めたひとり。でも、今でも、まだ面影を探しているの。
もう、いないのにね。ねぇ、私は変わってしまったの?

   ▽

 この日もまた、雪が降っていた。
「ゆきを、呼んでくれないか」
此木玲也(このぎれいや)は母に向かってそう言い、妙に真剣な面もちで、降り積もる雪を見ていた。
 此木玲也とは、雪乃の恋人である。雪乃にとっては初めての彼氏で、自分の孤独を埋めてくれる人だった。雪乃の両親は仕事の都合上世界中を転々としており、彼女と接する時間は年に二、三日ほどしかない。
 玲也からの呼び出しに、雪乃は急いでそこに行った。
「遅いよ、ゆき」
「ごめん。ちょっと電車、混んでた」
 玲也は、半年前の難病をわずらい、入院している。医師によれば、残り時間は長くないとのことだった。しかし、彼は何も言わない。一切の弱音をひた隠しにして、あたかもそんなこと感じていないと、思っていないと周囲に認識させていた。雪乃はそれに気づいていたが、何も言わずただひたすら、待っていた。いつか、玲也が吐き出す日を。その日に、しっかりと自分が受け止められるように。
「玲也、入るわよ」
軽くノックをして入ってきたのは玲也の母、美咲である。雪乃のことが目にとまったらしい。まるで自分の子に接するような口調で、柔らかな笑みを湛えながら口を開く。
「雪乃ちゃんごめんね。急に呼び出しなんかして」
「いいえ、私も来ようと思っていたので」
美咲はコーヒー缶を雪乃に渡し、自身もそのプルタブを開け、傾けた。雪乃は渡されたそれに礼を述べるとそのまま両手で包み込むようにして、掌を温めた。
「母さん、俺ちょっとゆきに言いたい事あるから、少しの間、外にいてくれない?」
玲也が、いつもの通りの口調で美咲に問うた。
「いいわよ」
と美咲は玲也の「いつも通り」から何かを読み取ったらしく、特に何も言うことなく踵を返した。
 美咲が出ていくと玲也は雪乃に向き直した。
「ゆきに、話があるんだ」
「偶然だね、私も玲也に言いたいことがあるの」
視線と視線がかち合い、お互いの瞳に自身が映る。玲也はいやに固かった顔を崩し、雪乃から言うことを促した。
「いいよ、ゆきからで」
「ありがとう。……私が言いたいのは、玲也の本音のことよ。私、分かってるんだよ? 玲也の笑顔がたまに嘘なこと、本当は死にたくないはずなのに平気なふりしてること。上手く隠せてたつもりかも知れないけど、私には分かっちゃったの! もう、見てられない」
雪乃は俯きがちに、細く、震えた声で吐き出した。玲也はただ黙ってそれを聞いている。
 玲也、私は君に死んでほしくなんかないよ。だって、そうでしょう? 大好きなんだもん。玲也がいない世界なんて考えられないくらい、好きになっちゃったんだから。
 だから、そうやって、強がってほしくもないの。
 雪乃の言葉には、意思があった。玲也を想う、気持ちがあった。
「俺だって、俺だって、死にたくなんかないよ。でも、思っちゃったんだよ。ゆきがいつも傍にいてくれるこの環境もいいなって、思っちゃったんだよ」
 それはまるで、泣いた笑顔。雪のようであって、水晶のようでもあった。
 雪乃は、玲也の言葉に目を見開きふるふると肩を震わせる。
「なぁ、ゆき。もしも俺が死んだら、その時は……その時は他のやつ見つけて、幸せになるんだぞ」
玲也は真剣な目で、雪乃を見つめる。
 なんで、そんなこと言うの? 忘れられるわけないじゃない。こんなにも好きなのに。他の人なんて、好きになれるはずないのに。
「無理、だよ……! 私は玲也以外に好きになれないんだから」
強い言葉で、顔を上げて玲也を捕えながら雪乃は言い放つ。目尻には、きらりと光る、水の玉。
「あーもう、やっぱりゆきにはかなわないなー。他の人と幸せになれなんて思うはずないよ……。ゆきには一生俺を忘れないでほしいし、俺以外のやつを好きになるなんて許せないし」
けらけらと笑いながら、玲也は雪乃の涙を指に乗せた。雪乃は軽く玲也を小突いて、同じように笑った。
「ねみ……」
ふあ、とあくびをして玲也が呟く。
「無理しないで寝なよ」
「悪いな、呼び出したのはこっちなのに」
「ううん、いいの」
ありがとな、と玲也が雪乃の髪をくしゃりと撫でてベッドに横たわれば直ぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 雪乃はその姿に一息つき、鞄に仕舞ってあった読みかけの本を取り出し、栞のはさんであるページを開いて活字を追い始める。
それは、突然だった。本当に、突然。なんの前触れもなく。
――けたたましい機械音が鳴り響き、取り付けられていた機械が赤く点滅する。
雪乃はなにが起こっているのか分からず、ただ茫然としていた。
音を聞きつけたのか、美咲が慌てた様子で部屋に戻り、続いて看護師と医者が駆けこんできた。
「雪乃ちゃん! 何が……!」
美咲は雪乃の肩を掴み、問い掛けようとしてやめた。
 雪乃の身体は震え、今にもへたり込んでしまいそうであり、顔は真っ青を通り越して紙のように白かった。
「美咲さん、あの、玲也はどうなってしまうんでしょう? 死んじゃったりしませんよね? 私、どうすれば……!」
途切れ途切れに、雪乃は精一杯の言葉を咽喉からぎりぎりで発した。それを見た美咲は雪乃を抱きしめ、大丈夫、大丈夫と背中をさすった。
 いつの間にか警報のような音は消えていた。それが意味するのは、二つに一つ。
 医者は悲しそうな表情で、口を開いた。
「残念ながら……」
「最善を尽くしていただけたんです。ありがとうございました。彼も、雪乃ちゃんの近くで逝けて、幸せだった、はずですから……!」
美咲は涙ひとつ見せずに言うと、雪乃を離し、医者と話し始めた。雪乃はまるで夢を見ているような、絵画を見ているような感覚でその場にいた。玲也が死んだという事実を、まだ受け入れられていなかった。
 雪乃は家に帰り、食事も摂らないままベッドに突っ伏した。そしてスマホを鞄から引っ張り、写真のフォルダを開く。
 夏休みに遊園地に行った写真、制服デートでプリクラを撮った写真、病院着で笑う玲也の写真……。雪乃の視界は徐々に歪み、一つ一つの写真がもうこんなこと出来ないのだと雪乃に思い知らせる。
 どうして、死んじゃったの。違う。死んでしまうのは知っていた。余命が限界だと知っていた。覚悟が出来ていなかった。私の中で、まだ奇跡を信じていたいと願っていた。
 玲也が死んで一週間たった。雪乃は葬儀こそ出たものの、あとはなにも出来なかった。食事という食事は咽喉を通らず、ひたすらに泣き続けた。
空が、嫌みたいに青い日だった。雪乃は激しい頭痛に襲われ、倒れた。母親が病院に連れていくと、なんとか病という、病だそうだ。現在、治療法は見つかっておらず、発症例も世界的に稀だという。雪乃の余命は二年と告げられ、即日入院が決まった。

 ▽

 降り続ける雪を見て、あの日のことを思い出した。
 自分の余命を知った時は酷くショックを受けたけど、玲也と同じところに逝けるのなら満更でもないと親不孝なことを考えてしまった。
 雪乃の病状は日々悪化している。今はこうして体を起こしていられるけど、時には目を開けることさえできなくなる。
「多分…だけどね、玲也。私はあと残りの一年を生きられないと思う」
雪乃はぽつりと誰もいない部屋で、敢えていうのなら自分自身に向かって呟いた。
「そこが地獄でも、天国でも、私は玲也に会えるのならどこにでも行くよ。もしも玲也が私のこと忘れてたら張り倒して、無理やりにでも思い出させてやるんだから」
困り顔で苦笑を零すと、雪乃に痛みが訪れた。それは唐突で、激しくて、獰猛な獣に身体を引き裂かれているようだった。
 遠くに、あの音が聞こえる……。
 
雪乃が目を覚ましたのは、色とりどりの花が咲く野原だった。病院着を着ていたはずなのに、どうしてか真っ白なワンピースに変わっている。
雪乃に向かって誰かが、駆け寄り、目の前に立った。
その姿は、間違えるはずのない、最愛の。
雪乃はその人物に抱き付くと、笑いながら涙声になりながら言った。
「会いたかったよ……! 玲也っ……!」
「俺も。会いたかったよ、雪乃。だいすき」
「私もっだいすき……!」

二つの影は、お互いの手を握りしめ重なり合った。

雪のふる日。

雪のふる日。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-13

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