あー女

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ローザは赤線地帯に根城を開く戦争直後の品川でGHQの男性に買われていた。それしかなかったのだ。朝まで飲んで、寝る。頭痛の二日酔いで毎日毎日。ある男性、黒人だった。チャーリーと言う。この男ちょっと変わっていた。進駐軍の中でも黒人は差別されていたのに、チャーリーは軍に所属しながら一目置かれていた。ジャズアルトサックスをクールに吹く。そんなチャーリーがローザは好きだった。ローザと言ってもまぁパンパンなのだがカリスマ的パンパンだ。それに対し、チャーリーは黒人ジャズサックス。2人は気が合った。横浜を闊歩し、赤坂のキャバレーに飛び入りしたり。ローザは歌が上手かった。
 キャバレーにいるローザのパンパン仲間とノドを競うローザ。演奏するチャーリーの黒光りする肌にローザは触発される。今夜どこで寝る?チャーリー?チャーリーはそんなことを聞きはしない。パンパン仲間を物色している。
「へい、ピンク今夜どうだい?」
そんなことだれが言う?ローザだって分かってる。チャーリーが誰にも勝てないジャズマンだってことを。
「おいローザ、カモン」
私だってローザよ。2人でいると楽しいし将来何かが待ってる気がする。チャーリーが結成した黒人、白人混合のバンド、「マーブル・チャーリーバンド」は売れに売れた。ソロはチャーリー歌はローザ。客は酔いしれる、その酔いがチャーリーのアルトサックスを炸裂させ、ローザの歌を引き出す。スウィングしなけりゃ意味無いよ。ローザは「A列車で行こう」をリクエストされた時、Aのキーで行こうよってチャーリーに言った。アルトサックスでAのキーは難しい、簡単なのはクラリネットのサムくらいなもんだ。Aクラを使えばいいから。でもトロンボーンやトランペットやサックスはプロだ。指が右脳で動く。♯、♭がいくつ付こうが問題なし。
 演奏が成功して進駐軍とパンパンが踊り終わると夜の営みが始まる。
 こんな日常にも終わりがやってくる。ローザはジャズに飽きてきた。そしてチャーリーの愛撫にも。そのころシャンソンと言う新しい音楽にローザは惹かれ始めた。ひろ子という歌い手に銀座の「金パリ」で出会った。淡々と人生を歌い、淡々と恋をささやき、淡々と時には情熱的に愛を叫ぶ。その歌い上げる情熱にローザは大きく心動かされた。
 ある日、ローザは自動車事故で入院した。チャーリーは見舞いに来なかった。こんなものだと最初から思っていた。ひろ子はしかしやってきた。
「チャーリーは来ないのね。こんなものよ」
ローザは私の愛の何が分かるの?とも思ったが、チャーリーとはこれで切れたと悟ってしまった。それよりひろ子は優しかった。
「シャンソンの世界に来ない?私がレッスンしたげる。いや、もうレッスンは必要ないわね」
ひろ子に初めて会ってからローザは日本語で歌う。日本語で愛を歌う。ため息をつくように時には情熱的に時には華麗に時には静やかに。日本人に心のメッセージを直接届ける。それは新しい時代のローザだった。

 退院したローザは金座「金パリ」で歌うようになっていった。ひろ子とも親しくなったし。丹羽明弘とも知己になった。丹羽の歌う男性のシャンソンにも敬意を払った。そしてローザはピアノが弾けたので、弾き語りもした。「恋の賛歌」これがヒットした。MHUレコードからローザの歌う「恋の賛歌」が発売されると、チャート7位のヒットになった。これはひろ子にも丹羽にも無かったことだ。弾き語りと言うのも注目を浴び、新しい音楽新しい歌の形として崇拝者も現れた。
 しかしローザは浮ついたりしない。芯のある女性なのだ。弾き語りに徹しながら、恋をした。東南大学の教授が「金パリ」に現れるようになったのは「もはや戦後ではない」と巷間ささやかられるころだった。教授、斉藤士郎はパリの美術大学でアートを修めた男性で、音楽にも造詣が深かった。離婚経験のある士郎はローザの歌唱を買っていた。ローザは士郎と恋に落ち、子供をもうけた。
 その子は渋谷「ジョンジョン」で歌った。荒木由紀である。「10月の雨」をヒットさせた荒木はローザのパンパン時代のふしだらな噂を耳にしていたが、それが男女の機微を知るきっかけとなって、シンガーソングライターとして世を語っていったのである。そんな娘の動向に熱い目を注ぎながらも、ローザは士郎との結婚生活に見切りをつけ、品川に足を運んだ。そこには赤線はもはや無かった。そんなことは知っていた。自分の次の仕事を摸索しているローザ。
 ホテルのオーディションを受け、ぎりぎりで合格した。もとパンパンと言うのがホテル側に物議をかわしたのだ。そして、そこにチャーリーがいた。もちろんあの黒人のチャーリーである。パンパンあがりの弾き語りと酒に溺れた黒人。でもローザは懐かしかった。もちろん、男女の関係ではない。音楽ビジネスの相棒である。
 2人のセッションは話題を呼んだ。2人とも年をとったがローザは「金パリ」で、チャーリーは場末のキャバレーで活動していたのだ。ホテル側はこの話題を集客の手段として使おうと、レコードとクーポン券をセットにした盤を売り出し、散々儲けた。
 そういうところがローザは面白くない。手のひらを返すように金づるにするそのやり方にはどうしようもなく面白くない。
 それにチャーリーがモーションをかけてくるようになったのも面白くない。何よ、あんたは私のいいとこ取りじゃないの。
 ローザはホテルを止めた。そしてチャーリーとも金輪際会わないことにした。
 
 ローザは熱病で倒れた。高熱で一昼夜、死線をさまよった。チャーリー、ピンク、ひろ子、士郎、面影が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。肺炎だった。病院にひろ子がやってきた。肺炎が治ったのだ。
 ひろ子は「金パリ」が今月いっぱいで閉じることを告げた。主治医に聞いてほしい、今月中に出演できるかどうか知りたいという。ローザはひろ子の訪問が嬉しかったし、「金パリ」の閉館が悔しかった。あと20日ある。主治医は、「いいでしょう」と奇跡的に言ってくれた。その代わりきちんとした入院生活を送ること。
 ローザはきちんとすると言うのが苦手だった。外出時間をもらってジャズ喫茶でウイスキーを飲んだりした。その方が健康的。そう思う。ローザは肺炎の薬とストレートのウイスキーで肝臓をやられた。「金パリ」の閉館には間に合わない、と思いきや、ローザは夜、病院を抜け出し、「金パリ」の最終日に現れた。そのことを誰にも伝えない。しかしローザ目当ての静かな情熱を持つ聴衆は、「恋の賛歌」を待った。そこにドレス姿で現れたローザはこの日のために作詞作曲した「私は帰ります」を弾き語りで歌う。聴衆は息をのみ、そこに荒木由紀もいた。

 穂高岳「山の家」、穂高岳の肩に400人以上を収容する山小屋である。ここにローザは晩年を賭けた。ピアノを持ち込み、営業日の夜は弾き語りでクライマーたちのご機嫌を伺う。まったく知らない人たちで、ローザが赤線で売春をしていたことも知らない。でも波乱万丈の人生を歩いてきたシャンソンの歌い手だと知っている。もういい歳だローザは。人里はなれた天国のような穂高の山でローザは今日も手料理を振舞う。相棒は士郎だ。紆余曲折を経て再婚した。
 チャーリーともひろ子とも別れた。ここは今お花畑で、エーデルワイスも咲いている。大きな収容人数だからアルバイトの人たちを雇って半年弱で結構収入がある。今日はカレーだ。あの入院生活で唯一楽しみだったカレーライス。作っているとしみじみとしてくる。食後の弾き語りを目当てにこの高山を登ってくるお客さんもいる。
 ローザはいつも聞かれる、
「なぜ「恋の賛歌」を歌わないのですか?」
ローザは答える
「「私は帰ります」を聴いたら分かります」
とローザはこの歌を最後に歌う。
真夜中、ヘッドランプをつけて外に出てみる。夏なのにもうオリオンやスバルがまたたいて大空を飾っている。この星たちに私の歌を殉じたい。ローザの目から一筋涙が流れた。

おしまい

あー女

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更新日
登録日
2012-02-06

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