板さん

板さん

お金も職も生きる気力も失った青年がふと友人の車に揺られ懐かしい先輩に会いに行く。

高校時代の先輩・板倉さんは鮨屋でアルバイトをしていたことから、
自然と皆から「板さん」と呼ばれるようになった。

私は友人のR32に揺られて板さんが店長をしていると言う店へと向かう。
軽快に飛ばすがサスが硬目に交換されてるから車体はぶれない。
中古で買った時から既にそうされていたそうだ。

ギアを上げるとエンジンが心臓の鼓動の様に高鳴りアクセルを離すと
一息つく様にターボのエアが抜ける音がする。
特にこう言った車は人間が走るのと重なって親近感がわく。

「まだ新車でマニュアルって作ってるのかな?」
私はクマに問いかけた
「さぁー、どうだろう。まだあるんじゃないか」
ハンドルを握るクマはいつも眠たそうだ。

クマは高校時代の友人で板さんとも仲が良く
自分と同じ片親育ちで社会になってからも交流があった。

最近はオートマチックでギアチェンジ以外にも障害物があると自動で止まる車まであるそうだ。
何でも便利になるのは良い事だがマニュアルなら度々ギアを
チェンジしなくてはならないので居眠り運転も少なくなるのではと私は思った。

大きな外車を追い抜いた。乗る車は乗る人の性格が良く出ると言う。
日本の狭い道で態々大きな車を乗る性格を疑ってしまう。
燃費や小回りも優れた中身を持つ国産車よりも見てくれに大金を使う。
田舎の高校生が意味や価値も知らずハイブランドを身につけたがるのを
大人がやっている様なもんだ。
見た目は金持ちに見せても中身は貧相に見えてしまう。

思わず溜息をついた、自暴自棄の愚痴ばかり言う自分に出たのだろか。

四十分程で店に着いた。
金曜の夜とだけあって店内は混みあっている。
店員の女の子に厨房を見渡せるカウンター席に案内された。
一先ず、メニューに大きく宣伝されていた0度ビールとコーラを頼んだ。
辺りを見渡すと20畳はある店内はほぼ満席になっていた。

カウンター越しから焼き場で忙しそうに働いている板さんが見える。
焼き台の上にはお店のメインである焼き鳥の他に秋刀魚や椎茸
など季節の幸が炭の香をまとい焼き上げられていった。

厨房を見ていると先程の店員とは違う女の子が出汁巻き玉子を焼いていた。
時に火から離して鍋を横向きにして巻いたり独自に工夫して焼いていく。
焼き終わるとフライヤーの熱い油を鍋に注ぎ次に備えていた。
後で聞いた話によるとこの店の子の殆は上京して来た十代の学生でだそうだ。
上京して働く人を贔屓目で見てしまう。
家族と故郷から離れ一人暮らし。
自立が早く、親がしてくれていた洗濯や掃除を終えて出かける。
自分の狭い範囲から抜けださない人よりよっぽど立派に見えるからだ。
運ばれて来たビールを飲むのを忘れて思わず感心した。
クマとビールとコーラで乾杯をする。
金も職も無いのに何に乾杯すのか分からなかった。

良く冷やされたグラスにビール、
久々の生ビールなのに薄く感じ美味しくなかった。
グラスが凍ってるせいなのか、今の気分のせいなのかはわからない。

程なく板さんが挨拶に来てくれた。
「板さん、久しぶりです」
高校時代の鮨屋と変わらず鉢巻きを巻いた板さんの姿に私もクマも笑を堪えた。

「おもての32GT-Rはお前らのか?そうならくれよ」
陽気な口調までも相変わらずだった。

私が高校生の時にバイク好きの板さんが自分のバイクを修理をしてくれた事があった。
私とクマが車やバイ好きになったのも少なからず影響していると思う。
板さんはエンジンがかからなくなったバイクに手を突っ込み
「これは、いらね、これもいらね」
アニメ見たいな速さでパーツを外し放おり投げていった。
最後に直接、手でキャブを覆いキックを踏んだ。
バイクは白煙を上げながら息を吹き返した。
私は板さんがとても恰好良く見えた。

板さんはエンジンがかかると、まだブレーキが取り付けられていない状態で走りだした。

「板さん、まだブレーキ付けて無いですよ!」
私は心配そうに声をあげた。

「大丈夫!エンブレ(エンジンブレーキ)で止めるから」
板さんは片手で合図してした。

板さんを乗せたバイクは1速から2速、3速とギアを上げ加速をしていった。
姿が見えなくなっても2ストローク特有の響く甲高い音で
大体の走っている場所は分かったが余計に不安になった。

そんな矢先、遠くの方で何か鈍い音と共にエンジン音が消えた。
バイクは民家に激突して板さんは流血しバイクは鉢植えが被さって帰って来た。
この話は再び笑いを誘い懐かしくなった。

板さんは焼き場の注文が無くなると、皿洗いから仕込までしていた。
時に店員に冗談を言い、みんな働きやすそうで笑顔に余裕がある。
やっぱり上司はこう言う人が良い。

昔の話を肴にしていたら酒がすすんだ。
会計は安いチェーン店のはずが二人で一万円近くになってしまった。
友人は運転があるので、殆んど私の酒代だ。
まずいな、飲みすぎたと後悔した。

そこから板さんが割引してくれて、さらに友人が大半を出してくれた。
その友人も無職なのを知っていた私は情けなくなった。

帰り道、車内は目が痛くなる程の煙草の煙に包まれていた。
友人が煙草をきらして自販機にあるのを適当に買ったのがいけなかった。
国産の煙草は葉が詰まってない分、添加材を入れその煙が余計に目がしみる。

御馳走になった友人にそんな事は言えないので
車は国産でも煙草は丸外の方が良いみたいだ。
私は心の中で一人で笑った。

私は煙に敵わず窓を開けてると、思わず声を出した。
「おい、あれにお願い事すると叶うらしいぜ」
クマもハンドルに顎を乗せ覗き込んだ。

二人の目にはお椀の様な形の月が写っていた。
「へぇー、見た事ねーな、あんな月」
口調はいつもと変わらないがクマも少し興奮気味だった。

「前に小説で読んだんだ、願いが零れないで受け月とか言うらしい」
その小説の主人公は引退が間もない年老いた野球監督で願い事など迷信が大嫌いな堅物だ。
私もいつからだろうか、願いや祈る事をしなくなったのは。

「馬鹿野郎、そんな事言うんじゃねー! 死ぬ位なら俺の為に働いて生きろ」

ふと高校生だった時の板さんの言葉が浮かんだ。
その時に板さんは煙草が原因で高校を退学するのが決まっていた。
それでも、私が辛い事で弱音を吐いた時に本気で怒ってくれた。

窓から煙草の煙が抜けると焼けたオイルの香りが入ってきた。

板さん

板さん

仕事も失い金も無い青年が友人の車に揺られ高校時代の先輩板さんが務める居酒屋へ向かう。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-10

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