無口くん

猫戸らび

仕事や人間関係に追われ。大人の女性だからこそ突然に心の鐘が鳴る事を期待してもいいと思う。(妄想です)

アパレルの内勤から現場ショップの店長になって
もう二年が経っていた。
財布の紐がゆるくはないこのご時勢に
売れた売れないの数字を見ながら過ごす事には慣れては来ていたが
下で働く子達をなだめすかして生活する事の悩みは晴れないでいた。
そんな中、メンズ部門で先月アルバイトで入ってきた
6つも年下のつるりとした顔の男の子は、なかなかいい子だった。
若い子特有の押した感じもなく、反対の無気力でもなく。
顔も割りと可愛いが、接客以外は何しろしゃべらないので
心の中で私は彼のことを、無口君と呼んでいた。
「田口君、この辺りの商品、ちょっと前に出してみようか。」
「はい。分かりました。」
多くを指示しなくとも、ある程度くんで動いてくれる。
若いのにしっかりしてるな、と月並みに思う。


最近肌が荒れている。
仕事が忙しくなってきた事もそうだが
主な理由は、夜型の彼に合わせているからだろう。
彼とは半年前に知り合って居酒屋で知り合った。
そんなにタイプでもない彼に言い寄られ
戸惑っていたものの
婚期をもう何年も逃していた私は
はっきりとした話に持ち込む事が怖くて
彼を拒絶できずにいた。

3日前、喧嘩になった。
外でご飯を食べて私の家に彼が泊まる事が常で
そうして9時ごろに家に着いた。
その日は本当に疲れていて、ご飯を食べている最中も眠くて仕方なかった。
彼はそれが気に入らなかったらしい。
「眠そうだね。疲れてるね。」
ねぎらいの言葉にはトゲが含まれていた。
いつもならば機嫌を損ねないように取り繕うところだが
その気も起こらない程、疲れていた。
「そう。ごめんね。」
それだけ言うと、私はうつらうつらし始めていた。
やわらかいソファで船をこぐ私の胸元に
彼の手が伸びた。
着ていたシャツの下をまさぐり、直で胸を揉む手を私はゆっくりと引き剥がした。
「ごめん。今日はもう眠くて。そんな気になれないの。」
寝ぼけながらもできるだけ優しく言ったつもりだった。
彼り勢い良くソファから立ち上がり、テーブルの端にぶつかった拍子にリモコンが落ちた。
「なんなんだよ。せっかく会いにきたのに。」
リモコンの落ちる音と彼の低い声に驚いて眠気が遠のいた。
見上げた彼の顔には不満がべったりくっついていた。
「あ、ごめんね。でも本当に疲れて・・。」
「もういいわ。帰る。」
待って。と言えたら可愛かったのだろうけれど。
私は立ち上がる事もなく玄関の閉まる音を聞いていた。


思い出すと、なんだか悲しいよりも怒りがこみ上げてきた。
私がいけないのだろうか。
疲れてるって散々言ったのに、自分の性欲のほうを優先させる彼に非はないのか。
もんもんと考えていたら、知らないうちに顔が険しくなっていたらしい。
無口君が声を掛けてきた。
「・・・店長、お腹痛いんですか?」
私は、はっとなってすぐに笑顔で返した。
「大丈夫。ちょっと考え事してて。」
「それなら、良かったです。」
無駄な事を聞かない彼に、なぜだろう、話したくなった。
「田口君。たとえばよ。たとえば何だけど。
 付き合っている彼女が仕事から帰ってきてね。」
「はい。」
「たとえばよ。田口君はいちゃいちゃしたいなって思ったとして。
 彼女にちょっかいを出してさ。そしたら彼女にさりげなく断られてさ。
 それでさ。 田口君だったらさ。どうする?怒る?怒らない?」
「はい。なんかあたがたどこさ、みたいですね。」
半ば思い出し憎いをし始めていた私は、無口君の低くてやわらかい突っ込みに、我に返った。
何をこんな年下の子に、夢中で悩み相談してるんだか。恥ずかしくて家に帰りたくなる。
「ほんとだ。ごめん。いや。どうなんだろう。田口君。女の子の話しないから。どうなんだろうって。」
「そうですね。話。しないですね。」
「そうだよね。だから。どうかなって。田口君はどうするかなって。ちょっと興味。」
「うーん。そうですね。」
田口君は数秒天井を軽く見上げて考えた後、左唇のハシをちょっと上げて私のほうを向いた。
「僕だったら。」
瞬間、無口君はためらった。
うん。ぼくだったら?どうする?
私は、さっきまでの陰鬱とした気分を忘れてしまって、いつもよりもパーソナルに寄った雑談ができていることに
少しだけ興奮して、彼の行動を一瞬で想像した。
意外と暴君で、うるせーって言って、彼女を押し倒しちゃう?そんなこと上司にはいえないよね。
やっぱり無難にごめんねと言って引き下がるのかな。うん。多分それだね。
「僕だったら?」
先を私は促す。
「僕だったら、毛布を掛けてあげて。言いますね。」
ああ。やっぱり。やさし子ちゃんの方だね。裏切らない応えに興味が薄れたので、ただの反射で聞いてみた。
「なんていうの?」
「疲れてる顔もきれいだね。って。」
えええええええええええええええ。
大声を出しかけて慌てて口元を両手で押さえた。
まさかのイケメン発言に顔面の温度が急上昇していくのが分かった。きっと今最大限に赤くなっているだろう。
私に言われたわけではないけれど。私は異常に照れた。
無口君は今まで見たことのないような、いたずらっ子みたいな顔で笑いながらさらりと言った。
「ただその後、ソープ、行きますね。」
驚きを通り越した私の顔はきっと百面相だったに違いない。
ちょうどその時、男性の客が、何点か服を手に持ちながら無口君に声を掛けてきた。
「はい。ご試着ですね。ご案内します。」
無口君、いいえ田口君は、顔から火がでて大慌てで鎮火された年増女の無様な姿を残して
自分は関係なかったかのように、その場を離れていった。
遠ざかる彼の耳がほんのり赤くなっている事に私は気づいた。
大胆発言は彼なりのユーモアで、落ち込んでいそうな私を励まそうとしてくれていたんじゃないだろうか。
そりゃあ店長べく振舞っていた私が、いきなりこんな話をし始めたら彼でなくとも不審に思うに違いなかった。
完全に自分の想像だが、そうあって欲しいし、そうであって欲しくない気もした。
もう、三日前の憂鬱はどこかへと消え去っていた。
仕事を良くこなす年下のアルバイトというカテゴリから、ちょっとはみ出した彼の姿に
私の心の中で盛大にファンファーレが鳴っていた。

無口くん

無口くん

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-12-08

Copyrighted
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